さすがのデュランもこれには驚き、ロキの登場に続いて修羅の無表情を崩した。
滔々と【ネオテニー進化説】を説いて回るロキを語気荒く制したのは、
およそ大音声とは無縁であるはずの、物腰穏やかなヴィクターだった。
血走った眼でロキを睨みつける彼の肩はやり場の無い怒りで小刻みに震えている。
「お前はブライアンの………」
「そうだッ!! あんたに【革命】を託したブライアン・ドゥルーズの縁者だッ!!」
大音声へのどよめきを割って【ローザリア】代表席の前までやって来たヴィクターは
鼻先すれすれまで詰め寄るなり、これまで溜め込んできた憤激の全てをロキへぶつけ始めた。
「ロキ・ザファータキエ…ッ!! 私はあんたを不言実行の人とずっと信じていたッ。
いや、私だけじゃない。世界中の人間が尊敬してやまない【黄金の騎士】は
決して多くを語らず、【正義】を体現してみせる人間だッ!!
それが何だ、この三文芝居は? あんたは【サミット】を劇場か何かと勘違いしてないか?」
「勘違い? …愚かな。受け入れがたい事実をそうやって捻じ曲げ―――」
「うるせぇっつってんだよッ!!
こっちはてめぇの屁理屈聴くためにここにいるんじゃねぇんだッ!!」
嘲笑を遮るヴィクターの剣幕は噴火した火山のように激烈で、
それまで超越者のように泰然自若と構えていたロキですら、思わずたじろいでしまうほどだった。
「私は悔しくて仕方が無いんだよ…ッ!!
あんたみたいな口先人間に親友が騙されて、命さえ賭けた事が………ッ!!」
「お前のその言い方では、自らの信念に殉じたブライアンを貶めている。
………訂正しろ。お前の竹馬の友は、私にもかけがえの無い同志なのだ」
「知った風な口叩くなッ!!」
「………………………」
「【アルテナ】を叩き壊す。ブライアンとあんたに共通する信念だよな。
あいつは、自分ではその信念が叶えられないと自覚したから、
全てを賭けてあんたに【革命】を託したんだッ!! あんたなら【革命】を成し遂げてくれるって!!
あんたの度量の大きさを信じて命を賭けたッ!!」
「………その信念はしかと受け止めている」
「私はね、王女やデュランさんには悪いが、あんたが【サミット】へ踏み込んできた時、
正直言って嬉しかったよ。
親友が自分の全てを差し出すだけの“人物”に逢えるんだ、
あいつが求めた夢の先がそこにあるんだって。
………ところがどうだ。出てきたのはくだらない低能評論家。
手前ェの意見を押し付けて、自分以外はを否定するとんでもねぇロクデナシだったッ!!」
「………………………」
「なんで、なんであんたみたいなバカの為に、あいつが人生狂わせなきゃならないんだッ!!
誰かの信念を預かったくせに、どうしてこんな風に堕ちていけるんだよッ、ええッ!?」
「―――ヴィクターさんッ!!」
「あんたがやってる事は、あんたの為に死んでった人間を侮辱する事なんだよッ!!」
「落ち着きなさい、ヴィクターッ!! 」
決壊した激情に任せて掴み掛かろうとするヴィクターを、背中からランディが押さえ込む。
アンジェラとプリムも加勢に入り、ヴィクターは前へ抜け出す力を完全に封じられたが、
それでも怒号は鳴り止まない。
ランディから鳩尾へ痛打を入れられて意識を失うまで、ヴィクターは口に唾してロキを罵倒し続けた。
「………………………」
「………悪いけど、あたしにはあんたが喋ってる事、百分の一も理解できなかったわ。
小難しい事並べ立てて取り繕ってばっかに見えた。
………ヴィクターがブチギレた気持ち、よくわかるわ」
「………………………」
自分の【理想】を語るだけに終始するばかりか、それを貫くだけの【信念】を感じさせず、
しかも具体案さえ明示しないロキを、ヴィクターは許す事が出来なかった。
親友が命まで預けた男の底の浅さが、悔しくて、情けなくて、どうしても許せず、
生まれて初めて本気で怒髪を天衝させて挑みか掛かったのだ。
「あんたは、どうしようもないクズよ、ロキ・ザファータキエ………ッ!!」
このやり場の無い哀しさを共有するアンジェラが、ヴィクターの言いたかった言葉の全てを一言に束ねて、
心の底からの軽蔑と共に、唖然と立ち尽くすロキめがけて突き立てた。
それは、これまで叩かれたどの批判よりもロキの心を打ちのめす【真実】の言葉。
己の掲げる【理想】が、人に理解され得ないという、紛れも無い【真実】の糾弾が
ロキの心をさんざんに掻き毟る。
(俺の半分も生きていない小童共の言葉だぞ!? 何を狼狽する事があると言うのだ!?
………俺は、………俺は【革命】を………)
傾いだ平常心に言葉を失い、動揺に瞳を泳がせるロキの目の前に新たな影が立ちはだかり、
会場は今日何度目とも数え切れないざわめきに揺らいだ。
ざわめきの大きさで言えば、ロキが来場した時の驚愕よりも更に一回り大きい。
「貴様…、ヴァルダ………ッ!」
「【イシュタリアス】のモラルリーダーとして、いえ、一人の人間として、
貴方に全身全霊の異議を申し立てます、ロキ・ザファータキエ」
直接対決へ自ら乗り出してきた不倶戴天の敵の、威風堂々たる態度に、
ロキの動揺は更に深まっていく―――――――――
†
「あ、兄ィ、あれ………ッ!!」
「あんにゃろ、リースに何していやがるッ!?
………くそッ!! 待ちやがれ、この野郎ぉーッ!!」
「オウさァッ!!!!」
衛兵に気取られないように周囲を警戒しながら物置部屋から出てきたホークアイ一行は、
息を潜めなければならないというのに血相を変えて走り出した。
「焦るなとは言わないが、せめて大声張り上げるのはやめないか。
無駄な敵を呼び込み兼ねないぞ」
「ンな事言ってる場合じゃないってのッ!! イーグル、先手を任せてもいいかッ!?」
「やれやれ、人の忠告には聞く耳を持たないクセして、要求だけはきっちりか。
………だが、承知したッ!!」
取り乱した三人の仲間たちに呆れるイーグルだが、余裕ぶっていられるほど状況は軽い物ではなかった。
視線の先では、リースと死を喰らう男が正面きって対峙しているのだ。
しかもリースは、魂を抜き取られてしまったかのように茫然と、悄然と立ち尽くしている。
幻術か何かをかけられたのか、数十メートル離れたここからでは確認できないが、窮地に変わりは無い。
遠方から必殺の一撃を狙えるイーグルの【夢影哭赦】に先手を任せたホークアイは、
巨大手裏剣が死出の軌跡を描いたのを見届けながら、回避された場合に備えて投げクナイの準備を整えた。
ベンも迫撃を想定し、斬馬刀を兜割りに構えている。
「お、おやっ? なんだかとてつもなくいただけないシチュエーションに
なってきてるじゃア〜リマセンかっ!?」
「い〜や、残念だけど、ここでお前のタマはいただくぜッ!!」
相変わらずの軽やかな動きで【夢影哭赦】の直撃を躱わした道化師の軌道は、
以前に一度【常闇のジャングル】で交戦済みのホークアイには既に読まれていた。
狙い通りの位置へ逃げおおせた道化師の身体を数本のクナイが一斉に貫いた。
「さっすがホークアイの兄ィだッ! 狙い目が違いやすねッ!!」
「いやッ、まだだッ!! 手応えがまるで無いッ!!」
「あ〜らら、折角の一張羅が台無しになってしまいましたネェ〜」
確実に心臓を貫いたにも関わらずダメージがまるで見られない道化師は、
突き刺さったままのクナイよりも、血一滴も滲まない衣服の損傷ばかりを気にしている。
人を小馬鹿にしているようで、どこか底知れない男だとホークアイは感知していたが、
この時ほど言い知れぬ恐怖を覚えた事は無い。
「不死身かよ………、お前………っ!!」
「ンン〜、あながち不正解でも無いンですけどねェ、説明がややこしいってイイマスか〜」
「怯むな、ベンッ!! 飛び道具が通じぬなら肉薄して断てッ!!」
「オウ―――さァァァアアアッ!!」
連携の締めを飾る斬馬刀の横薙ぎは道化師に刀身を踏みつけられた事で強制停止させられてしまった。
返す刀も継げなくなったベンが、斬馬刀を諦め、肉弾一つで挑もうとした瞬間だった―――
「ど、どうしよう、どうしよう、ホークアイ…ッ!!
ライザが、ライザが………ッ!!」
「な、なんだぁ? どうした、リースっ!?」
―――真っ青な顔で何かに困惑したリースがホークアイの胸に飛び込んだ事で
臨戦の緊迫は一挙に砕かれてしまった。
訳もわからずイーグルたちと顔を見合わせるホークアイの胸の中で、
リースはただただ「ライザが、ライザが…」と震える唇で繰り返すだけ。
どうも混乱の極みに達しているらしく、何があったのか理由を尋ねても意味不明に首を振るばかりだった。
「あーッ!! ホークの兄ちゃんが強制猥褻を働こうとしてやがるーッ!!」
「ホーク…、前からダメ人間たぁ思うとったが、
よもやマブダチの女に手ェ出すなんざ………」
「………オイラ、ちょっと見損なったよ、ホーク………」
怪訝に眉を顰めていたホークアイの耳を三者三様の大声が劈いた。
カールがお目付け役を預かるお子様コンビだ。
我に返って追いかけたルガーと、バカな部下に息切れ気味のブルーザーや
彼らが率いる混合部隊もすぐに後から駆けつけた。
「愛には色々な形があって良いとは思うが、
幼馴染みの彼女に手を出されたとあっては黙ってはいられないな…!」
「ぬぅぅぅ、人が鬱憤だらけと言う時に【義】を踏みにじるこの行為ッ!!
断じて許すわけにはいかんなッ!!」
「ちょい待てってッ!! お前ら、絶対勘違いしてっからッ!!
つか、そんなしょうもないコントやってる場合じゃ無いっつのッ!!
敵がッ、【三界同盟】の残党が―――」
「………逃げられたようだな」
ポポイが口火を切って広まった誤解によって、
義憤に燃えたブルーザーとルガーから袋叩きにされそうなホークアイの隣では、
イーグルが注意深く道化師が消えた後に眼を凝らしている。
気配は感じられず、完全に【ケーリュイケオン】から離脱したようだ。
「【三界同盟】の残党と言うとったな、今!! まさかこっちへ逃げて来たんかッ!?」
「逃げてきた………? どういう事だ、お前たち、ヤツと会敵したのか?」
「いや、ワイらも後を追っとったんやが逃げられてしもうてな。
なにしろ急に目の前横切ったもんやから動転してもうて」
「そいじゃ、ケヴィンの兄ィたちから逃げてる途中でリースの姉ェに
ちょっかい出したってわけですかいッ!!」
「オウさッ!?」
「リースに、ちょっかい? どういうこっちゃ?
あんでアイツがリースに悪させなあかんねん? そないな必要ないやろ?」
「は………? どういう事だよ? 俺たちがヤツを見つけた時は、なぁ?」
「ああ、ホークの言う通り、リース嬢はヤツの手中に落ちようとしていた…ように見えた」
「…どういう事? あの人が、よりにもよって、リースに何かするわけ、ないよ?」
明らかに話に食い違いが生じ始めている。
彼らが出逢ったのは、もしかしたら道化師ではない別の人間ではないのか?
疑念を感じたホークアイが固有名詞を出して確認を図った。
「お前らが目撃したのは【三界同盟】のピエロだよ、な?」
「パッと現れたんはライザやで? お前さんたち、夢でも見取るんとちゃうか?」
「ライザぁッ!?」
読みは的中。やはり食い違っていた。
ケヴィンたちは死を喰らう男ではなく、ライザの姿を追ってここまでやって来たようだ。
そして、ホークアイの胸の中には、未だに「ライザが、ライザが…」と繰り返すリース。
「なになに? オイラ、わけわかんなくなってきたんだけど!
【ケーリュイケオン】にゃ物騒な残党が二人も紛れ込んでるってわけ!?」
「【三界同盟】の残党が現れたっちゅう事は、ヤツラの狙い言うたら………!!」
「―――やべぇッ!! 【サミット】が危ないッ!!」
【ケーリュイケオン】に吹き荒ぶ嵐の点と線とが結ばれようとしている。
それは同時に未曾有の危機が【サミット】へ迫っている事を意味していた。
ロキとヴァルダ、二人の英傑が正面決戦を繰り広げる激動の【サミット】へ。
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