「ホーク、具合、どう?」
「………ああ、もう心配無さそうだ。さすがに今度はちょっとやばかったけどな。
 っつか、俺よりアンジェラはどうなんだ? あいつもこっぴどくやられたみたいだけど………」
「こっちも平気よ。シャルのお陰で事なきを得たってカンジ」
「そんなのはあさめしまえなんでちけど………」


そこは、アイボリーのタイルに覆われたの一室だった。
鼻を刺激するエタノール臭が立ち込める薄暗い部屋を明瞭に照らす電灯の下で、
辛くも【官軍】の魔手から逃れた一行がようやっと人心地をついていた。
致命的なダメージを被ったホークアイとアンジェラは
シャルロットの【エンパワーメント】で一命を取り留めたものの、相当な深手だったらしく、
傷口が塞がった今でも硬質で冷たいタイルの床へ軋む身体を横たえている。


「【官軍】ゆうたら、時の権勢を象徴する軍隊みたいなもんや。
 見たところ、【フォルセナ】だの【アルテナ】だの【ローザリア】だの、
 軍事国家の精鋭共がまるでキメラみたくわんさか集まっちょる。
 たかだか8人相手に大仰なこっちゃ」
「ていうか! なんでボクらが逆賊にされちゃってるわけ?
 【サミット】ん時だって、ボクら、ヴァルダのオバちゃん守ろうとしたじゃんか!
 ………もしかして、母さんがムチャやらかした皺寄せが来ちゃってるとか?
 ボクらにとっちゃ最大の縁者なわけだし………」
「………アンジェラのせいだろ」


弩で打ち抜かれた傷を乱雑に包帯で巻いていたデュランが皮肉をたっぷりと込めた語気で吐き捨てた。
シャルロットの【エンパワーメント】を拒んだ彼は、怪我の手当ても全て自分独りで施している。
もともとプロの傭兵として活動していたのだから、応急手当の方法は熟知しているし、
万に一つも傷口の化膿といった失態を犯す心配もないだろう。
しかし、これまでは素直に受け入れてきた申し出をここに来て拒絶するのはどういう了見なのか。
「お前らとは共通の目的で行動を共にしているだけだ」と暗に突き放しているかのような態度だ。


「おい、デュラン。そりゃどういう意味だよ? なんでアンジェラが悪いんだよ?」
「せや。ホークやあらへんが、今回の一件に誰の責任もあるわけないやろ?」
「………頭脳派二人の頭ん中には、どうも寄生虫がわいてるみてぇだな。
 そいつがヴァルダに喧嘩さえ売らなけりゃ、ここまで劣悪な状況にはならなかったつってんだよ」


ヴァルダに対するアンジェラの【宣戦布告】をデュランは非難しているのだが、
彼女の信念こそ認めさえするものの、誰もそれが原因で逆賊の汚名を被ったなどと考えてはいなかった。
それだけに仲間たちからデュランが受ける反発も大きい。


「はぁ? いきなり何くっちゃべってくれるかと思えば、なんだそりゃ。
 アンジェラの勇気をけなそうってのか、お前ッ!?
 いくらリーダーだからって、言っていい事と悪い事があるんじゃねぇのかッ!?」
「………なにがリーダーだ。いつまでもくだらねぇ仲間ごっこやってんじゃねぇよッ!
 てめぇらみたいな甘っちょろい連中に構ってたら、
 いつまで経ってもロキん所まで辿りつけやしねぇッ!!」
「おいッ、デュランッ!!」
「悪いけど! あたしはアンタにどれだけ詰られても、自分の信念曲げるつもりはないから!!
 みんなだって、あたしの迷惑を理解してくれてるわ!!」
「当たり前や! ワイらはアンジェラの気持ちを大事にしてやりたいからな!」
「それがくだらねぇ仲間ごっこだっつってんだよッ!!
 目先のカッコつけ優先させやがって、挙句がこのザマじゃねぇかッ!!
 逆賊になっちまって、それじゃてめぇ、どうやってこの逆境から這い上がるってんだ?
 器用に立ち回る事もできねぇハンチクが口先だけデカくしてんじゃねぇッ!!」
「―――――――――いい加減にしてくださいッ!!」


心底軽蔑したようにアンジェラの信念を踏みにじるデュランの胸倉をホークアイが掴み、
事態は一触即発の危険を帯び始めた。
リースが間に入って止めていなければ、今頃は取っ組み合いの殴り合いになっていただろう。
無機質なデュランはともかく、ホークアイの剣幕はそれほど凄まじかった。


「余裕が無いのは解りますが、明らかにおかしいですよ、デュランッ!!
 どうしてしまったと言うんですかッ!? こんなの、全然貴方らしくないッ!!」
「知った風な口叩くんじゃねぇッ!!」
「デュランッ!!」
「煩わしいんだよ、てめぇはッ!!」
「―――きゃっ!?」
「………てめぇ、デュランッ!!!!」


体当たりの説得を続けるリースを力任せに突き飛ばしたデュランの頬へ
ホークアイの鉄拳が叩き込まれる。
ニンジャシーフ特有の敏捷性を損なわない程度の筋力した備えていないホークアイの鉄拳では、
屈強なデュランへ与えられるダメージはたかが知れている。
それでもホークアイは殴らなければならなかった。殴らないわけにはいかなかったのだ。


「お前はいつから目の前しか見えない猪になっちまったんだッ!?
 自分を心配してくれるリースを、お前はなんで張り倒すッ!?
 親父さんばっかに気ィ取られて、仲間は虫けら扱いかよッ!?
 ―――お前にとっちゃ、俺たちはその程度の値打ちしか無かったのかッ!?」


かつて自暴自棄になりかけた自分を鉄拳で目覚めさせてくれた親友を、
今度は自分が救ってみせる。同じ痛みを味わった自分にしか今のデュランは止められない。
渾身の願いを込めての鉄拳だった。


「………るせぇんだよッ!! 結果を出せねぇ馴れ合いなんざ反吐が出らぁッ!!」


しかし、渾身の説得も空しく、組みかかったホークアイをデュランは一蹴で跳ね除けてしまった。
もんどりうって倒れたホークアイはなおも挑みかかろうとして拳を握り、デュランを睨み付け、
………そして、自分のしている事が暖簾に腕押しと悟り、失望のまま拳を下ろした。
見据えたデュランの表情は、陰惨な修羅をまといながらも無機質。
渾身の願いを込めた鉄拳を受けたにも関わらず、微塵も心揺らがせた様子が見られない。
それは、心からの言葉も届かない、もう誰にも彼の狂乱を止められない事を示していた。


「―――【ギョロ目de鬼不動】がお送りするショート・コント、“もったいないオバケ”」
「あッ!? うわわッ!! やっべぇ、給食の牛乳こぼしちゃったよ〜………」
「ぬッ! 貴様、牛乳ビンを倒したな?」
「せ、先生!? す、すんません、すぐ雑巾持ってきますから!!」
「―――待てィッ!! 雑巾を持ってくるだと?
 ということは貴様、こぼしてしまった牛乳を拭き取るつもりか?」
「え、だってキレイにしないと迷惑になるし………」
「たわけぃッ!! 食べ物を安易に捨てては、もったいないオバケに取って食われるぞッ!!」
「What!? もったいないオバケッ!? ―――って、先生!? なにやってんスか!?」
「ズ、ズズ、ズズズ〜〜〜、ズボォ〜〜〜」
「こッ、こぼれた牛乳を吸い取ってる………」
「むぅ、デリシャスだッ!! 床にしみついた芳香が、えもいわれぬ味わいを醸し出していたぞ!!」
「先生………」
「良いか、マサル。世界には食べたくても食べられない人々が数多く存在する。
 だのに我らは簡単に食べ物を粗末にしてしまう。嘆かわしい事だ。
 この嘆かわしさが、やがて、もったいないオバケを産み出し、飽食の現代を―――
 ―――ふぐぉッ!?」
「先生!? どうしたんですか!?」
「グッ…、急に腹がキリキリと悲鳴を上げ始めおったわ………」
「………………………」
「だが、負けぬッ!! 一聖職者として教え子に食物の尊さを教えるためならばッ!!
 私はいくらでも腹を壊そ―――ぶぐッ!!」
「………………………」
「ッ!? こ、これはなんだ、喀血…してしまったぞッ!?
 まさか床に毒素が染み付いていたのというのかッ!?」
「クックック………、毒が混入されていたのは、こぼれた床じゃありませんよ、先生………」
「なッ、ど、どういう事だッ!?」
「牛乳にはね、ハナから毒が盛られていたのですよ、青酸カリがね」
「そ、そんなバカな話が………!!」
「あなたが生徒に対してもったいないオバケを布教している事は調べがついてましたからね。
 ………牛乳をこぼせば、もったいないもったいないと
 大喜びで吸い込んでくれると確信していました」
「は、謀ったのか、貴様………ッ!?」
「あなたは自分から毒入りの牛乳を呷り、そして死んだ。………完璧な自殺ですよ、これは」
「貴様ッ!! ―――グッ…、ゴ、ゴホッ、ガホッ!!」
「これで俺の完全犯罪は成立だ。………グッバイ・ティーチャー、ハスタラビスタ」
「マサルぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!」


―――狂乱や暴走といった類の衝動は、往々にして正論以外の、
イレギュラー要素で堰き止められるモノである。
ご多分に漏れず、デュランの苛烈さも突然降って沸いた謎のショート・コントに引き付けられ、
呆けと共にどこかへ吹き飛んでしまった。


「………いや、全然ショート・コントじゃねぇから」


あまりに唐突だったものだから、思わずツッコミを入れてしまうくらいだ。


「てゆーかコントでもないわッ!! ラストに至ってはサスペンスじゃん!!
 なんで死んじゃうんだよ!! 完全犯罪って何さ!?」
「むぅ、物分りの悪い男だな、貴様。
 これは一見コントに見えてそうでないという二重のタネがミソなのであって………」
「ん〜、やっぱこのネタはちょっとグレーゾーンだな。
 批判は素直に受け入れて、一から練り直そうや、カッちゃん」
「マッちゃんがそう言うなら仕方あるまい。ネタはお前任せなのだから」


至極当然なホークアイの批評に一度は反論を唱えた“カッちゃん”だったが、
台本を担当する相方の“マッちゃん”に止められたからには、渋々だが引き下がるしかない。
これ以上反論する事は、“マッちゃん”の台本を汚す事に繋がるからだ。


「………ていうか、なんであんたたちがここにいるわけ?
 あたしたちには、ネタよりもそっちのが驚きなんだけど………」


お笑いコンビ【ギョロ目de鬼不動】を組む“マッちゃん”と“カッちゃん”の正体は、
今更詳細に説明する必要は無いだろう。
【鳳天舞】急襲の一件以来、ホークアイにも所在を掴めなかったマサル&邪眼の伯爵の二人と
このような場所で再会するとは夢にも思ってもおらず、顔を付き合わせた瞬間など、
顎が外れるのではないかと心配になるくらい、あんぐりと口を開いて呆然となったものだ。


「それについては私の方からご説明申し上げましょう」


今度は【ケーリュイケオン】から別行動を取っていたヒースの登場だ。
アイボリーの壁の上下へ走るレールを行き来するリフトに乗ったまま、
ズレたメガネをクイと直すお決まりのポーズを決めて上階から降りてきた。


「彼らも貴方がたと同じく【アルテナ】から追われるお尋ね者。
 討手に襲われ、窮地に陥っていたところを私が保護して差し上げた次第ですよ」
「それについては全面的に感謝している。堕ちた聖者…もとい、ヒースがいなくば、
 こうして貴様らと生きて再び見える事など叶わなかった」
「いやな、偶然この辺りで攻撃された時、ヒースにさ、
 【オッツ=キイム】へ引き入れてもらったってわけよ」
「………【オッツ=キイム】」


―――それが、この場所の正式名称だった。
別名【セフィロトの樹】とも呼ばれるここは、当初シャルロットが一行を招こうと考えていた、
【マナ】の研究所の一つである。


「生体工学を専門に研究する施設ですよ。
 ………一口に生体工学と言ってもピンと来ないでしょうが」
「えと…、確か、生物の肉体とか、細胞とか、そういうモノ、研究する、学問だっけ?」
「さすがケヴィンくん。よく勉強していますね。
 狭義まで言及すると差異が出てくるのですが、この施設での研究については、
 概ね今の説明で事足りるでしょう」


一行が休息に使用しているのは部屋のほんの一角で、
周囲を見渡せば、何か液状めいた流体物に満たされるガラスの筒が無数に乱立している。
発光性を持つのか、電灯に照らされると、流体物は鈍い輝きを反射させた。


「見覚えがあるわね、このガラスの筒。
 【インビンジブル】へ連れ込まれた時、あたしたち、最初この中に入ってたのよね」
「………俺にとっちゃトラウマなんだけどもさ」
「【アムリタ】と言う名前の流体型生体復元ユニットです。
 あの時は、側面に衝突した貴方がたの負傷を治癒するために使用しましたがね」



現在は【フォルセナ】付近の山間部で解体作業が続けられる【インビンジブル】内部へ
連れ込まれた折、一行はこの生体復元ユニットの筒内へ納められていた。
ボロボロに傷ついた身体を癒してもらった、縁の深い【マナ】ではあるが、
ヘタレを暴かれるまでに弄ばれたホークアイにとっては、見るのもイヤな物体だ。


「………まぁ、現在ここに配備されている物については、
 残念ながら怪我の治療は出来ないようになっていますがね」
「なんや、ポンコツなんかい。ちゃんと起動するんやったら、
 デュランやアンジェラたちの怪我ぁ治してもらお思ったんやけど」
「………………………俺の名前を出すんじゃねぇ」


不貞腐れてそっぽを向くデュランに苦笑いしながら、ヒースは説明を続けた。
この話題を出せば、興味の無い風を装っているデュランもきっと面白いように食いついてくるだろうと
彼の面白リアクションを予想して。


「この施設は最近までロキ氏に占領されていましてね。
 彼は【神獣】による世界滅亡の事後処理に用いる【マナ】をここで研究・精製していたのです」
「………………………」
「………………………おや? 反応がありませんね、デュランくん」
「………今更【黒耀の騎士】の研究に興味なんざ無ぇな。
 俺はヤツの首を奪れれば、それでいいんだよ」
「………………………………………………」
「ねぇ、ヒース、【神獣】って、戦術核ミサイルっていう、兵器なんでしょ?
 オイラが調べた限りじゃ、一度、着弾したら、全ての物体、腐らせる、光爆が起きるって。
 そんなのが、世界中に、八基も落とされたら、【イシュタリアス】自体が、滅んじゃうよね。
 ロキさんは、それからの対策、ここで、研究してたの?」
「え? あぁ、ええ、そうです。
 数ある【マナ】の中でもとりわけ扱いの難しい核ミサイルの光爆の影響を
 どのようにして取り除くか、彼はずっとここで研究していました」


デュランから予想した反応が返って来なかった事がつまらなく、
唇を尖らせて中断していた説明はケヴィンに急かされるまで再開されなかった。


「従来の【アムリタ】では、復元可能な領域は生物の組織に限定されていました。
 回復できるのは肉体的なダメージのみ、というわけです。
 しかし、【神獣】を一斉に降り注がせる今回のプロジェクトは惑星の生態系すら傷つけ、
 最悪の場合、【イシュタリアス】は生物が息衝く事のできない死の星と滅しかねません。
 そうなれば、生体復元ユニットでは到底包括しきれない。
 そこで考案されたのが、環境復元ユニット【ケツァルコァトル】です」
「環境復元? 生体復元とどう違うんだい?」
「良い着眼点ですね、ホークアイくん。
 【生体】とは生き物のみを対象とする単語ですが、
 【環境】とは、住環境も自然環境も全て内包して束ねる、広い射程範囲を有する言葉なのです」
「………噛み砕くと、“生き物だろうがなんだろうが全部再生”ってコトか?」
「あなたの頭の回転の速さはデュランにも少し見習っていただきたいモノですね」
「………………俺の名前を出すなっつってんだろうがッ」


引き合いに出されるたび、狂犬のように吼えるデュランの抗議を冷ややかに受け流し、
ヒースは指を弾いて【デジタル・ウィンドゥ】を目の前に表示させた。


「『え、じゃあ、この【アムリタ】みたいな液体を世界中に振りかけるわけ?』なんて
 マヌケな質問が飛び出す前に、【ケツァルコァトル】の形状をご覧に入れましょう」
「………フナムシ、だよね、これ?」
「うえぇ…、あたし、虫って苦手なのよねぇ…。
 こんなにの復元されるのは、まっぴらゴメンだわ」
「フナムシの形状を取っていますが、元々はナノマシンと呼ばれる、極小サイズの【マナ】。
 組成は【アムリタ】と何ら変わりません。
 環境復元機能を備えた数億ものナノマシンが一つに融合した姿が、このフナムシ形態というわけです。
 ロキ氏は、滅びた世界へ幾千億もの【ケツァルコァトル】をばら撒き、
 惑星環境の再生を試みようとしているのですよ」
「………なかなか洒落が利いてるじゃないの、ロキさんよぉ。
 フナムシっていえば、海岸に打ち上げられた生物の死骸を平らげる掃除役だ。
 そいつを死滅した環境に置き換えたってわけか」
「はン、えらい腹の立つユーモアやな。トンチが利き過ぎで全っ然笑えへんわ」
「まじ? 俺らの『もったいないオバケ』とどっちが笑えた?」
「フン、問うまでもなかろう。軍配は我らに翻る」
「ボクに言わせりゃ、世界のピンチに関わる分、いくら笑えなくてもこっちに興味が引かれるね。
 っていうか、アンタらのコント、笑える笑えない以前に存在意義が見出せないもん」
「………今夜は朝まで飲むか、カッちゃん………」
「………とことん付き合うぞ、マッちゃん………」
「ちぃと黙っとれッ、ヌケサクコンビッ!!
 ………なあ、ヒース、前々から気になっとったんや。
 【神獣】使うて一旦世界を滅ぼすにしても、そのまま同じ状態で再生させたら、
 いくら【マナ】の凄まじさを焼き付けさせても、根本的な部分、変わらんのと違うか?
 扱い間違うたら世界ごとブッ飛ぶような【マナ】なんかわざわざ使わやろ。
 【魔法】から代替するヤツなんぞ物好きだけやないか?」


【デジタル・ウィンドゥ】に映し出された【ケツァルコァトル】の形状は、
【マナ】独特の鈍い燐光を放っているが、まさしく海岸で見かけるフナムシそのもの。
惑星環境できるとは到底思えないくらい、この機械蟲は小さかった。
そんな物体が世界を【革命】し得ると聞かされても得心がつかず、聡明なカールは首を傾げるしかない。


「カールさん、あなたは実に素晴らしい頭脳をお持ちでいるようだ。
 皆さんが疑問に思われたその意見への解答として登場するのが、
 環境復元ユニットの応用技術です」
「応用―――やて?」
「ど〜せアレじゃねぇの? 復元する時に身体ん中モンをいじくって、
 人間と精霊が交信できなくするとかじゃねぇ?」
「そないな単純なモンなわけが………」
「………あなたのような脳味噌筋肉野郎に言い当てられるとは一生の不覚ですね」
「うっそ!? まじか!? やるなぁ、マッちゃん!! 俺でもわからなかったぜ!!」
「さすがは我が相方だ。冴えてるな、キてるな、これは」
「………では、マサルさん、具体的には何を改造するのですか?」
「な、何って………」
「復元時に肉体を操作する事を言い当てたあなたなら、
 この問いにもお答えいただけるでしょう? 何を、どう改造するのです?」
「………………………………………………………………………」
「よろしい!! これであなたがあてずっぽで正解を導き出した事が成立できました!!
 ………危ない危ない、あなた程度のアホウに【マナ】の真髄を見極められたら、
 十数年にも及ぶ私の研究成果が台無しにされるところですからね」
「………ジャリか、お前さんっ!!」


誰がどう見ても大人気ない反撃でマサルを半泣きに打ちのめしたヒースは、
気分爽快に晴れた笑顔で【ケツァルコァトル】の応用技術についての説明を続けた。
嗚呼、哀れなり、マサル(合掌)。


「人類が【魔法】を得たのは、世界が【イシュタリアス】へ移行してから―――
 ―――とは【ペダン】でも説明しましたね。
 それはつまり、【旧人類(ルーインドサピエンス)】は一切の【魔法】を
 備えていなかったという定説に繋がります。
 サイエンスに言うなら、肉体の組成が【魔法】を需給する性質では無かった、と」
「“その時は【魔法】を使える身体じゃなかった”ってストレートに言いなさいよ。
 奥歯に物の挟まったような言い方はくどいだけ!」
「【マナ】の暴走で文明が滅びた後、再臨した【イシュタル】から【魔法】を授けられたんだよな、人類は。
 授けられた後と前とじゃ、肉体の組成ってもんが違ったってのか?」
「表面的には何ら変わりはありませんでしたがね。
 厳密に調べていくと塩基配列に根源的な変貌が見られましたよ」
「えんきはいれつ………?」
「生物を構成する遺伝子は、塩基配列と呼ばれる情報から組み上げられているのです。
 原則的に【アデニン】、【チミン】、【グアニン】、【シトシン】の四つの塩基からね」
「原則的? それって、もしかして、例外、あるってこと?」
「【イシュタリアス】以前の生物は、この四つの塩基配列から構築されていました。
 …が、【魔法】の恩恵を受けた後の生物には、もう一つ新たな塩基が組み込まれていたのです」
「………………………」
「【ミュータ】と通称される第五の塩基は、【魔法】を使用する際に必要な精霊との交信に
 綿密に関係しているとこれまでの研究で解析されています。
 ………ロキ氏は、この【ミュータ】塩基を肉体再生の際に取り除くつもりなのです。
 遺伝子レベルで【魔法】を除去してしまえば、いかに【女神】といえど手が出せぬはず、と」
「………………………」
「“自分が自分でなくなる”…と言えばいいのでしょうか。
 これまでと同じ肉体と記憶を持っているにも関わらず、そこに再生した【自分】は、
 既にそれまでの【自分】ではないのです。
 それは物質についてもほぼ同じ原理を用いて改竄します。
 精霊の加護を受けた魔法具は一切発動しなくなるでしょう。
 ………以上が、【イシュタリアス】から【魔法】の一切を剥奪する応用技術のあらましです」
「………【自分】が、自分でなくなる………」


途方もないロキの計画に随いていけず、右から左に呆然と説明を聞き流していた一同だったが、
『自分が自分でなくなる』というフレーズがヒースの口を出た時、ハッと息を呑んだ。
いくら姿かたちは同じように再生させられても、遺伝子を改造され、全く異なる存在へ変貌させられれば、
それは、これまでの【自分】を剥奪されると言う事だ。


「兄貴の親父さん………、【サミット】じゃボロカスだったけど………」
「ちょいとばかしシャレんならなくなって来よったな………」
「オイラ、もともと、【魔法】は使えないけど、【自分】、書き換えられるのは、
 なんだか、すごく、怖いよ………」
「トチ狂うのも大概にしといてもらわなきゃ困るわッ!!
 力ずくの無理やりに【革命】を起こしたって、誰も随いて来ないのにッ!!」
「さんざ【アルテナ】や【イシュタリアス】のやり方をこき下ろした割に
 やってる事はそっくり同じじゃないかよ…!!
 どうしてこう、ドてらいチカラを持ったヤツってのは、
 妙ちくりんな野望ばっか思い付くんだろうなぁ…!!」
「………私がその計画に気付いた時には、すでに【ケツァルコァトル】は完成し、
 食い止めようにも遅きに期したのですが………」
「………どいつもこいつもビビりやがって………」
「デュラン………」
 要は殺せばいいだけじゃねぇか、【黒耀の騎士】を。
 あーでもないこーでもないと、てめぇら、グダグダうぜぇんだよ」
「待ってください、デュランッ!! どこへ行くのですかッ!?」
「………好きにやれよ。俺の知ったこっちゃ無ぇ」


ロキの計画に、初めて実感としての恐怖を覚えた一同を鼻で嘲笑したデュランは、
リースが呼び止める声も聞かず、そのまま部屋唯一のドアを潜り、室外へ出て行ってしまった。


「………やれやれ、デュランくんにも困ったものですね」
「ヒースさん………」
「彼は私に任せてくださいな。
 ………腹立ち紛れに【オッツ=キイム】の中をあれこれいじくられたんじゃ
 たまったもんじゃありませんしね」
「………………………」
「………難しい話になってきているというのに、どうも揉めているようだな、貴様ら」


「ここは任せて」と引き止め、自ら後を追うヒースへデュランを任せたチーム全員から漏れた沈痛な溜息に
伯爵も思わず気遣わしげな声をかけた。
過去の諍いから伯爵に対して複雑な心境を拭い切れないリースだったが、彼の心配はまさに図星。
逆賊として【官軍】に追われる今、何よりも鉄の結束が大切だと言うのに、
リーダーが率先してチームワークを乱していては、最終決戦どころの話では無くなってくる。
というよりも、あそこまで荒れるデュランの姿を見る事が、心苦しくて仕方が無かった。


「難しいも何も、リーダーがずっとあの調子でな。
 ………正直、ガタガタだよ」


自分では説得し切れなかった無力感に落胆するホークアイの声は消沈しており、
普段のような快活さが少しも感じられない。


「心配する事もねぇと思うぜ、俺ぁよ」


誰に対しても本気でぶつかってくれる頼れるリーダーから一転して、
仲間を顧みない戦鬼と化してしまったデュランにかける言葉も無い一行の虚脱感を払拭するかのように、
自信を持って心配ないとマサルは言い切った。


「………マサルかて今の見とったやろ?
 こないな有様さらして、どこが心配ないやなんて暢気にしてられるっちゅうんや。
 最後の決戦も近い言うに………」
「お前らこそ、きちんと見てなかったのかよ」
「何を?」
「あいつの右腕、まだ【草薙カッツバルゲルズ】のバンダナが巻きつけられてたろ?」
「え………」


―――もはや説明するまでもない。
【キマイラホール】における決戦の最中、三手に分かれての別行動へ臨むのに際し、
三切れに裁断した【草薙カッツバルゲルズ】隊旗でマサルが急ごしらえしたバンダナの事だ。
「次の戦場にての再会」を誓い合った友情のバンダナは、現在、マサルとランディの額を護っている。
三本目の持ち主であるデュランも、額に巻きこそしないものの、未だ外す事なく左腕へ締めていた。


「アレを外さない内はまだまだ心配いらねぇ。迷ったって、いつかは帰ってくる。
 俺はそう信じてるがね」


それこそが友情を棄てていない証拠だと強く主張するマサルの証言に
活力を喪失していたリースたちは幾許か元気を取り戻し、デュランを信じようと頷き合った。


「………? なんか、さっきから一人だけテンション低くない?
 いっつもうっさいシャルに黙られたんじゃ、ボク、気味が悪いんだけど」
「ここは、いやなことをおもいださせるからむなくそわるくなるんでち」
「な、なんだよ、急に? おかしなモンでも拾い食いしたの?」
「………うっさい、すこしはだまれ、このぽーくびっつこぞうが………っ」


ただ一人、シャルロットだけは【オッツ=キイム】へ避難してからというものの、
気分でも悪いのか、ずっと黙りこくったままだ。
居心地が悪そうな、居た堪れないような、蒼白の気色に唇を震わせるシャルロットは、
エリオットの追及から逃れるように膝を抱えて黙り込んでしまった。






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