―――山鳴りにも勝る轟音が【ローラント】を揺るがした頃、
戦場から遠く離れた地に口を開いたとある洞穴の奥部でも、稲妻を彷彿とさせる地響きと咆哮が反響し合い、
聴く者全ての耳を劈いていた。


「―――まだだぁッ!! まだこんなもんじゃ足りねぇッ!!」
「だろうねェッ!! アンタは死ぬ一歩寸前まで行かなきゃ解らない大バカ野郎だッ!!」


石壁へ無造作にかけられた松明の灯りが照らすのは、刃を交える二人の剣士の姿。
いや、“交える”などと生易しい表現では無い。
常人には扱いきれないツヴァイハンダーを幾度も幾度も叩き付け合う二人は、阿修羅か、夜叉か、
この世の物とは思えない壮絶な光景だった。


「がッ…ぁぁぁぁぁぁあああああああああッ!!!!」
「考えナシに突っ込むのはアンタのお得意さッ!! そんなナリでよく覚えてたもんだよッ!!」


宿った阿修羅を渾身の一撃にかけて打ち込むはデュラン、夜叉となりて剛撃を受け止めるのはステラだ。
ロキとの戦闘において中ほどから両断されてしまった刀身の折れ口を強引に金具で補修しただけの、
扱うには危険極まりないツヴァイハンダーから【撃斬】を振り下ろすデュランだったが、相手は【剣聖】。
負傷した怪我が完全ではないとは言え、我が子の太刀筋を見切れぬわけがなく、
携えた二振りの重剣でもって、いとも容易く跳ね返されてしまった。
そればかりか、隙を生じない鋭敏な動きで即座に反撃の【爆陣】を見舞う徹底振り。
【剣聖】の面目は最大限に躍如されていた。


「………畜生ッ、相変わらずのバケモンだな、クソババァッ…!」
「親に向かってバケモンとはなんだいッ!?」
「バケモンにバケモンつって何が悪ィんだよ………痛っ………マジで信じられねぇぜ」


負傷の程度を見比べても力量の差は圧倒的で、
ロキによって負わされた物以外の怪我が見当たらないステラに対し、デュランは全身膾斬り。
思わず眼を背けたくなるような重傷だ。


「篭りきりになってからそろそろ5時間だ。ぼちぼち止めるとしようがないか」
「ザケんな、まだまだこれからだぜ、これから―――」
「―――これから、じゃないッ!!!!」


ボロ雑巾のようにズタズタにされても、まだ立ち上がるデュランの闘志にステラが呆れ顔で頭を振る。
そして、闘争本能に火が点いて止まらなくなった水牛の如き猛進にデュランが駆け出したその時、
ステラではない別の声が待ったを掛けた。


「いい加減にしなさいよッ!! みんなに迷惑かけて、みんなを振り回してッ!!
 一体、何様のつもりなのッ!? この最低最悪のヤンキー野郎ッ!!」


血と汗が飛び散る洞穴へ駆け込んできたのはウェンディだった。
あどけなさの残る愛らしい顔立ちを怒りの炎に包み、「見損なったよッ!!」と血だるまの兄へ罵倒を吐き捨てる。
遅れる事数秒して追いかけてきたエリオットは、肩で息をしながらも罵声続けるウェンディを
懸命に止めにかかった。


「落ち着けって、ウェンディ!! ボクらが口出しできる問題じゃないだろ?」
「私たちが口出ししなくちゃ、他に誰が口出しするのッ?
 もう誰もいないんだよッ!? みんな、このバカ兄から離れてったのにッ!!」

エリオットの制止を強引に振り払ったウェンディは、困ったように眼を反らしたデュランの胸倉を
精一杯背伸びして掴み、ガクンガクンとヒステリックに上下左右へ責め立てる。


「事情があって戻ってきたと思ったのに、ホントの事実は何ッ!?
 拗ねて喧嘩して出戻りしてきたって何なのッ!!
 ろくでなしもここまで来るとどうしようも無いねッ!!」
「………エリオット、お前な、男がそんなお喋りでどうすんだ」
「仕方無いだろ、えれぇ剣幕で掴み掛かって来るんだもん!!」
「しかもッ!! 帰ってきたら帰ってきたで、
 こんな穴ッぽこでお義母さんと一緒に何時間も引きこもりッ!!
 いじけるなら一人でやんなよッ!! 首くくるなら一人で始末つけろッ!!」
「お、おばさん、ちょ…、こいつ、止めてよッ!! ボクだけじゃ無理だって!!」
「…おやおや、こいつは参ったね。一度ウェンディが癇癪起こしちまうと、
 あたしにも止める事はムリなんだわ」
「マジかよッ!? 最悪じゃんか………ッ」
「―――答えなさいよッ、バカ兄ッ!!
 今も追われてるリースさんを置いて一人で逃げ帰ってきて、恥ずかしくないわけッ!?
 今も戦ってる友達を見捨てて、なんでそうやって遊んでられるわけッ!?
 ねぇ、本当に最低最悪のド腐れヤンキーに成り下がっちゃったのッ!?」


【オッツ=キイム】で仲間たちと決裂したデュランは、他に行くアテがあるべくもなく、
エリオットを伴って【フォルセナ】へ戻ってきていた。
【官軍】から指名手配を受けた札付きでの帰郷となってしまったものの、地元の人々は彼を迎え入れ、
いつか誤解は解ける、それまで俺たちが守ってやる、と優しい言葉で労をねぎらってくれた。
この逆境においては、理解者たちの温もりは何にも勝る助けになるだろう。


「答えなさいよ…ッ、答えろッ、デュラン・パラッシュッ!!!!」


―――それがウェンディの逆鱗に触れたのだ。
置いてけぼりにされたくらいで仲間を追わず、大事な女性(ひと)を見捨てて、
ただ独り理解者たちの厚意に甘えるデュランが妹にはどうしても許せなかった。
それでも、休息を取ったら再び出発するのだろうと爆発するのだけは我慢していた。
兄には兄なりの考えがあって戦線を離脱したのだろう、と必死に良い方向へ考えて、
ここまでは理性を繋ぎとめてきた。
しかし、どうだ。帰ってくるなり補修の済んだツヴァイハンダーを持ち出したかと思えば、
修練に使っている洞穴へステラを引きずり込んで数時間の引きこもり。
どうしてこんな状況で稽古などできるのか? なぜ、大事な人達の後を追わないのか?
呆れと怒りとが弾けて混ざった瞬間、とうとうウェンディの堪忍袋の緒が切れた…という次第だ。


「………お前にゃわからねぇよ、ウェンディ」


それだけ言うと、ウェンディからも、エリオットからも、ステラからも、
デュランはそっぽを向いて押し黙ってしまった。
何も答えないばかりか、顔をも背ける後ろ向きなデュランの態度に逆上したウェンディは、
エリオットが羽交い絞めにして止めていなければ、今頃、兄の横っ面へ平手打ちの往復を
見舞っていた事だろう。すぐに想像のつく光景だ。


「それくらいにしといてやりな、ウェンディ。
 お前が何を言ったって意味ない事さね」
「お、お義母さんッ!? お義母さんはこれでいいと思ってるのッ!?」
「いいも何も、いくら家族ったって、本人の心は、本人にしかわからないんだからね。
 アタシぁ何も言うつもりは無いよ」


そう、デュランの心は、彼自身にしか解らない。
もしかしたら、彼にだって解っていないかもしれないと言うのに、
背中を向けて踏み出す事を放棄した心の奥底を、他の誰が見透かせるものだろうか―――


「―――だから、こっから先はアタシの独り言だ。
 聞き流してもらっても構わないさ」
「………………………」
「ダチと喧嘩した。顔も見たくない。もうアイツらとはこれっきりだ―――
 ―――なんて、アンタ、考えてもいないだろ。本当は今すぐ駆けつけたいんだろ?」
「そんなわけないでしょ…、頭より身体を先に動かすお兄ちゃんだったら、
 そんな風に思ってるなら、とっくにもう走り出してるハズだよ………」
「………………………」
「だろうね。…でも、今のコイツはダメだ。
 ロキとの一件以来、頭で考える方を優先させちまってる。
 ダチと喧嘩した。原因は俺にある。俺が全部悪い。アイツらに合わせる顔が無い―――
 ―――ほら見ろ、頭で考えるなんて慣れてもいないもんだから、
 鬱々悶々と思考回路がネガティブな方向へゴロンゴロン転がってく」
「………………………」
「だから同じ場所に蹲って、立ち上がる事も出来やしない。
 身体は前へ前へ出たがってるのに、頭ン中がシッチャカメッチャカだから腰が引けちまう。
 情けないったらありゃしない、みっともないの極地だね」


―――唯一例外が在るとすれば、それは【親】。
影に日向になって彼の成長を誰より近くで見守ってきた【親】にしか、
複雑に葛藤するデュランの心を察してやれる人間はいない。


「………だったら………」
「あン?」
「だったらどうしろってんだよ………………………」


ズバリと揺らぐ気持ちを言い当てられたデュランの声は、らしくもない弱気。
弱りきった声量は、どうしようもない葛藤に焼ききられる寸前に、魂の悲鳴でもあった。






(今更、どのツラ提げて、あいつらに会えるってんだよ………)






マサルに殴られるまでもなく、リースに叱声されるよりも早く、
デュランは感情の無い【鬼】から立ち直っていた。


『………師匠が、なんで、元気ないのか、オイラ、聴かないよ。
 きっと、師匠にとって、大事なことだから。
 その代わり、オイラのビルバンガー、貰って。これ見て、楽しんで、元気出して!』


父親へのコンプレックスを逆撫でされて、暗く、重く煮えたぎっていたデュランには、
そう言って明るい笑顔を向けてくるケヴィンが腹立たしくて仕方が無かった。
すげなくしても諦めず、自作のカラクリ人形を見せてきたケヴィンにたまらなくイラつき、
腹立ち紛れにこの笑顔を蹂躙してやろうとカラクリ人形を踏み砕いたのだ。


『だから、オイラ、また『ビルバンガー』、作る。
 次は、一回じゃ壊れない、頑丈なの、作るから、師匠は、思う存分、踏み潰して。
 潰れたら、今度は、もっと頑丈なの、作る。それで、師匠、元気になるなら、
 オイラ、何十回だって、何百回だって作り続ける』


カラクリ人形を無残に粉砕されたにも関わらず、ケヴィンは笑顔を捨てなかった。
師と仰ぐ人間からの心無い仕打ちを受けて、本当は辛くて、苦しくて仕方が無かっただろう。
それでもギリギリ限界の笑顔を称えて、彼は希望を示唆してくれた。


『だって、オイラ、師匠の【仲間】だもんッ!!』


最後まで明るさを失わずにいたケヴィンの笑顔だが、
ほんの一瞬、苦心の末に作り上げたカラクリ人形を踏み潰された瞬間だけは泣きそうになった。
しかし、今泣いてしまえば師匠の元気がまた減ってしまう…と懸命に、懸命に堪え、
ギリギリ限界間際まで我慢して明るく笑いかけたのだ。






(………頭下げて許されるもんじゃねぇだろ、俺のやっちまった事は………)






その時、デュランは鉄槌で頭を叩き割られたような衝撃を受けた。
笑顔を揺るがせないケヴィンの瞳へうっすら滲んだ涙に、
自分がどれだけ馬鹿で愚かな人間か、自分がどれだけ仲間たちを傷つけていたのかを思い知らされた。
それから先の、【オッツ=キイム】から【フォルセナ】帰郷までの道のり生き地獄だった。
どこにいても、何をしていても、ケヴィンの笑顔が、仲間たちと過ごした旅の想い出がフラッシュバックし、
神経を引き裂いてデュランを苦しめる。


『もう、デュランったら。
 お肉ばかりでなく、お野菜もバランスよく摂らなければダメじゃないですか』
『うっせぇな〜、スタミナ付けとかねぇとならねえだろうが』
『いけませんっ。お野菜を摂っておかないと持久力が保ちませんっ!』
『ひゅ〜♪ すっかり良妻っぷりを発揮してんじゃん、リース。
 よかったな、デュラン。これでお前の栄養管理はバッチシだな♪』
『どこが良妻だ! 栄養を破壊し尽くすような料理しか出来ねぇヤツが
 バランスもクソも無ぇだろうッ!?』
『ど、どうしてそこで料理の腕に話が飛ぶんですか!
 それに最近、解ってきたんです、料理というモノの極意が!
 料理は味や見た目ではなく愛情ですっ!』
『ひゃっひゃっひゃっ。
 ここまでおかぼれされたらデュランしゃんもほんもうでちね。
 あいじょうをちょうみりょうにして、
 じごくごくらくまっさかさまなふるこーすをあじわいつづけるがいいでち!
 いっしょうぬけだせないそこなしぬまでもがくがいいでちよ!』
『地獄じゃありません、毎日極楽ですっ』
『うわわ〜、リースさんって、意外と大胆なんですねぇ。
 ………プリムにも少しくらいこんな可愛げがあってもいいのになぁ』
『ひゅ〜♪ これでデュランの一生は決まったね♪』
『てめえ、ホーク、今度ジェシカに会ったら、あの事バラすからな!!』
『―――うWぇッ!? まじッ!? ちょ…、か、カンベンしてくれ!
 アレをバラされたら、今度は地獄突きじゃすまねぇよ!!
 確実にケブラドーラ・コン・ヒーロ食らうって!!』
『なんでぇ、ホークは尻の下タイプかよ。ダメだなぁ〜、二人とも。
 その点、俺のカミさんは違うぜ?
 ちょいとガサツだけど、可愛いし料理も美味いし万々歳で言う事ねぇからな♪』
『ハッタリぶっこいてんじゃねぇよ!!
 レイの、お前のカミさんのどこが文句ナシだってんだ!!
 こないだもお前、土産がリクエストした物じゃないって
 家から追い出されてたじゃねぇかッ!!』
『はっはっは〜! 上っ面しか見てねぇヤツはこれだもんな〜。
 アレは愛情の裏返しってヤツさ〜!』
『―――っていうか、マッちゃん、妻帯者だったのかよッ!?』


皆で囲んだ鶏の水炊きの格別な美味さは、忘れたくても忘れられない。
けれどもう、あの楽しかった日々は戻らない。棄ててしまった日々を取り戻す事は出来ない。
それなのに―――いや、だからこそ締め付けてくる愛しき日々の幻影から逃れようと、
思考さえ忘れるほど激しい剣劇に身を投じたのに、一振り、二振りする度に、
仲間たちと共に潜り抜けた幾多の戦いの記憶が手先に蘇る。


『それでいいんですよ、デュラン。
 いつだって、誰にだって生身でぶつかるのがデュラン・パラッシュなんです。
 みんなが慕い、私が好きになった貴方なのですから』


生き地獄としか言いようのないジレンマへ陥ったデュランの唇に、
あの日のキスの感触までもが浮かび上がり、焼け付くような痛みを刻み込んだ。






(………………リース………………)






依頼主と護衛と言う出会いから仲間へ変わり、いつしか誰よりも大きな存在になっていたリースにも、
もう二度と会う事は無いだろう。


『たとえ他の誰もが貴方を見捨てたって、私は貴方を信じています。
 ………だから、今は、さよならです、デュラン』


一方的だったとは言え、真摯な気持ちで交わしてくれた約束を裏切る事になる。
もちろん、裏切りたくはない。裏切りたくはないのに、約束を果たす術を考え付かない自分には、
どうする事も出来ないのだ。………全ては終わったのだと諦めるしかない―――――――――


「全ては終わった………とかなんとか理由をつけて、
 アンタ、今、全部投げ出そうとしてなかったかい?」
「―――――――――な…ッ」
「………やれやれ、これも図星かい。
 だから言ったろ、慣れないクセして頭使うからバカになるんだって」
「………………………」
「合わせる顔が無いと頭は言ってる。身体は今すぐ駆け出そうと訴えかけてる。
 アンタはどっちを信じるんだい?」
「………俺は………」


―――――――――本当に全ては終わったのか?
諦めろと計算を弾き出した思考と正反対に、
身体は仲間たちのもとへ今すぐ駆け出せとどんどん脈動を強めている。
考える事を少しでも止めれば、たちまち両足がフル回転し、
全身全霊で決戦の舞台まで運んでいってくれるだろう。


「アンタが胸に秘める生き方はなんだった? 仲間を引っ張ってきた行動力は?
 頭で考える事かい? それとも、どんな事にも身体でぶつかっていく事のどっちだい?」
「………おばさん………」
「これまでガムシャラに走ってきた答えは、
 アンタの身体に染み付いてるハズだよ、デュラン。
 自分のこれまでの生き方から答えを引っ張り上げてごらん。
 その答えの先にしか、アンタだけの路は拓かれやしないんだ!!」
「――――――ッ!!――――――」


立ち止まった身体を突き動かすマグマのような想いはなんだ?
頭で見つけられなかったと言うのに、身体に浮かび上がる前進への衝動はなんだ?
合わせる顔も謝罪の言葉の模索も無視して再び歯車を動かし始めた身体は何をさせようと言うのか?


「………自分の生き方に自信を持ちな、デュラン。
 アンタのこれまでの生き方が紡いだ絆は、そんなにヤワなもんじゃあないさ!」
「………………………………………………ッ!!!!」


―――貫く生き様の中で身体に刻み込まれてきた【答え】へ辿り着いた時、
デュランは左腕に巻きつけていたバンダナを、友情の結晶を右手で剥ぎ取った。


「兄貴ッ!?」


『アレを外さない内はまだまだ心配いらねぇ。迷ったって、いつかは帰ってくる。
 俺はそう信じてるがね』―――マサルのこの言葉を信じていたエリオットは、
デュランが自らバンダナを剥ぎ取るのを目の当たりにして崩れ落ちそうになった。






(ウソだろ…、………ホントに終わりなのかよ、終わっちゃうのかよ、兄貴………ッ!)







友情の結晶を外したと言う事は、もうどんな説得も通じない、
どれだけ頑張っても【草薙カッツバルゲルズ】が再結成される事が無い、
本当の終わりを示しているからだ。


「何考えてんだよッ!! みんな、兄貴を待ってんだぞッ!?
 なのに、それなのに…ッ!! こんなとこで終わりにしちまうのかよッ!!!!」
「エ、エリオットクン!?」
「ボクは絶対に許さないからなッ!! 姉様が許したってボクが終わらせないッ!!
 【草薙カッツバルゲルズ】をッ、みんなの想いを終わらせてたまるかぁッ!!」


あれだけウェンディを止めていたエリオットが、今度は逆に止められる番だった。
今も帰還を信じて待ち続ける仲間たちとの友情を破棄したデュランを許せず、
脇差を抜いて斬りかかろうとしたのだ。


「………当たり前だ。【草薙カッツバルゲルズ】は終わっちゃいねぇ」


小さな身体にありったけの想いを込めた一太刀が振り下ろされる寸前、
エリオットはそこに信じられない物を見た。


「………兄貴………」


普段装備しているヘッドギアを外したデュランは、
左腕から剥ぎ取ったバンダナを額へあてがい、きつく、固く、
二度とこの友情を手放さないという想いを込め、かつてマサルがそうしたように目一杯強く締めた。


「四の五の考えるのはもうヤメにするぜ。
 クソババアの言う通り、頭の悪い俺じゃ煮詰まるだけだ。
 ………だから、こっから先は、身体の赴くままに突っ走るッ!!」
「兄貴ッ!!」


そして、振り返った瞳には、陰鬱な苦悩や葛藤は見る影も無い。
果てしなく澄み切った双眸こそ、ケヴィンが師匠と仰ぎ、エリオットが兄貴と慕い、
リースが恋したデュラン・パラッシュの在るべき姿。
燃え上がるような行動力と不屈の闘志こそ、
皆が惚れ込んだ【草薙カッツバルゲルズ】リーダーのまことの姿だった。


「行くのかい?」
「あぁ、これ以上遅刻したら何言われるかわからねぇよ。
 ………どのツラ引っさげてくかとか、―――クソ親父をどうするかとか、
 考えても考えてもサッパリ答えの出ねぇハンパな俺だけどよ、
 身体が前へ出たがってるって事は、とりあえずお前は先へ行けっつってる信号だと思うんだ」
「それはアレさね。バカが頭使うなって危険信号だ」
「かもな。………けど、もう二度と同じテツは踏まねぇさ。
 今は前だけ見て駆け抜ける。【答え】は後から引っ張りあげるとするよ」
「その為にアンタはこれまで走ってきたんだろ?
 なら、これからも自分の生き方に精一杯胸を張ってきなッ!」
「応ッ!!」


覇気を蘇らせた背中をステラが「もいっちょ喝!」と平手で打つ。
さすがは【剣聖】。屈強の肉体をグラリと揺るがす平手だったが、
身体のシンまで響く痛みと温もりは、今のデュランには何よりのカンフル剤だ。


「お兄ちゃん………」


修練場へ安置しておいた防具(【キマイラホール】の決戦で用いた物だ)を急いで纏い、
ツヴァイハンダーのベルトを襷がけにはめたデュランの前にウェンディが進み出て、
兄にもう迷いが無いのか確認するように瞳を覗き込んだ。
求める瞳がそこにあったのだろう。うんうんと満足げに頷くと今度は小指を差し出してきた。


「―――よしっ、約束っ」
「約束ぅ?」
「兄貴、アレだよ、ほら、無事に帰ってくるようにってヤツ」
「何言ってんの、エリオットクンってば全然わかってないね。
 そんなの約束するまでもない事でしょ」
「………なんで指きり一つ間違っただけで、
 そこまでコキおろされなきゃなんないんだよ」
「いや、俺にもわからねぇよ。
 お決まりでなけりゃ、一体何を約束しようってんだ?」
「―――………お父さんを、連れて帰ってきて」
「………ウェンディ」
「お兄ちゃんと違って、私、お話しどころか、顔だってまともに見た事無いしさ、
 聴きたい事や言いたい事も山ほどあるけど―――」
「………………………」
「―――まず、可愛い娘にケガさせようとしたコト、
 一発ブン殴ってやるんだっ!」


ムン、と指きりとは反対の腕で力瘤のゼスチャーを作ってみせるウェンディに、
デュランとステラは思わず吹き出してしまった。
なまじシリアスな気持ちになっていただけに「一発ブン殴る」発言が飛び出すとは誰が予想できただろう。


「………了解。鼻ぁヘシ折るくらい痛ェのブチかましてやれ」
「もっちろん! 対放蕩親父用のメリケンサックも用意してあるんだよ!」


指きりげんまん嘘ついたらハリセンボン呑ます―――

暴挙に走ったロキを食い止め、必ず連れ帰ると約束を求めるウェンディの心情を、
肉親への慕情を察したデュランは、いつもの不貞腐れた調子を潜めて、素直に小指と小指を絡ませた。

―――指きった。

誓いを立てたからには、ロキを殺す事は出来ない。
ウェンディのもう一つの願いを、血の通った親子で二度と殺し合いの悲劇を
させたくないという妹の切なる願いを受け止めたからこそ、デュランは素直に約束へ応じたのだ。






(………首を落とさずにつけるケジメ、か。
 ホント、厄介ばかり背負い込むな、俺は………)






戦いと同時に、殺生ではない別の決着を見出す重責を担う事になったデュランが
苦笑混じりの溜息を漏らす横では、拗ねたように口を尖らせるエリオットの小指に
自分の小指を無理やり絡めるウェンディの姿が見て取れた。


「なッ、なんだよいきなりッ!?」
「エリオットクンにも、ついでに約束っ」
「ついでってなんだよッ!! ついでってッ!!
 はンッ! あれか? ボクには姉様を連れて帰ってこいってわけッ?」
「…ホント、わかってないね、キミ。子供のクセして頭固いんだから」
「子供が子供に子供って言うなよなッ!」
「………無事に帰ってきてね」
「………………………」


両手で包み込むように指きりを求められたエリオットは、
さすがに邪険にもできず、絡めた小指から伝わる温もりと柔らかさに恥ずかしくなり、
顔を真っ赤にして黙りこくってしまった。


「キミってば、いっつもムチャクチャするんだから、
 こうやって誰かが強制的に縛りつけなきゃ早死にするでしょ? 保険だよ、保険」
「………あーそーかいッ!! 保険かいッ!! そうだよな、ボク、早死にするもんな!!」
「な、何やけっぱちになってるの? 顔、真っ赤だし」
「よーし、わかったッ!! じゃあ、ボクもお前に約束してやるよッ!!」
「何を?」
「前にした約束、覚えてるよな? 空き地でしたヤツ。
 必ず無事に帰ってきて、あの約束を守ってみせる。約束の約束だッ!」
「………………………」
「これでおあいこだ―――って、なんでお前まで顔真っ赤になってんだよ」
「そ、それはだって、その…、し、し、知らないよっ!」
「なんで今、ボク、キレられたッ!?」


指きりしたまま顔を真っ赤に染めて俯いく幼い二人の頭を
カラカラと冷やかすように笑いながらデュランが掻き毟る。


「―――よし、じゃあ、俺もお前らに一つ約束してやるよ。
 エリオットが無事に戻って来れたら、お前ら二人の交際を許してやろうじゃねぇか」
「あ、あああ、兄貴ッ!? なッ、ななな、何言ってんだよッ!?」
「お、おおお、お兄ちゃんッ!?
 そ、そーだよッ、わ、わわわ、私とエリオットクンは別にそんなんじゃ…ッ!!」
「あ? 違うのか? なあ、おばさん、今のはどう誰がどう見たって、…なぁ?」
「恋人同士の指きりにしか見えないねェ。今様に言うならカレカノってヤツかい?
 ………小さい小さいと思ってたウェンディも彼氏が出来る年頃になってまったのか。
 うぅ…、あたしゃ、もう感無量だわさ」
「「だっ、だからそんなんじゃ!!」」
「「ほら、息もピッタリだ」」
「「………………………」」
「こりゃあ、もう結婚だな、結婚。
 エリオットには責任取って俺の義弟になってもらわねぇと」
「その辺はあたしに任せな! アンタらが帰ってくるまでに結納の日取りを詰めとくさ!!
 列席者のスケジュールはそっちで調整しといてくれ!!」
「了解ッ!」
「りょ、了解じゃねっつの!! ………だーッ!! うっせぇよ!! もうツッコむのもたりぃよ!!
 無視! 黙殺!! アウト・オブ・眼中ゥッ!!! ボクッ、先に行って待ってるからなッ!!」


小さな恋の物語へ土足で入り込んでからかいまくるタチの悪い大人二人から逃れるべく、
先頭きって洞穴を出て行ったエリオットの後を追うデュランの背中を
もう一度ステラがひっぱたいた。………いや、今度は一つだけじゃない。
目一杯背伸びしたウェンディの平手も兄の背中を後押ししてくれる。


「………いいかい、デュラン、これだけは忘れるんじゃないよ。
 今からアンタが踏み込むのは死地なんかじゃない、未来へ通じる道筋なんだ。
 死に花を飾るような修羅道には堕ちるな。生きる意志で旭日目指して戦い抜けッ!」
「私はお義母さんみたく難しいコトは言えないから、一つだけ。
 ………がんばって、お兄ちゃんッ!!」
「………ああ、行ってくるぜッ!!」


ボロボロのままでロクに手当てもしていないデュランの顔の数箇所には、
固まった血糊がへばり付いていたが、迷う事なく明日(さき)を見据える瞳のどこにも
疲労困憊、満身創痍は感じない。
足取りも力強く修練場の外へ踏み出していくデュランの大きな背中を、
義母と妹は影が消えるまで、いつまでもいつまでも見送っていた。
父との決戦へ向かうという点では、奇しくも【インビンジブル】による
【ローラント】襲撃の際と重なる光景だが、今日のデュランはあの日とまるで違う。
反骨も軽蔑も抱く事なく、愛しき友の待つ戦場へ、父との最後の決戦へ駆け出していく背中は、
比翼が生えているのではないかと我が目を疑ってしまうほど、未来風(かぜ)に乗って軽妙だった。



「………行っちゃったね」
「なぁに、夜が明ける頃には帰ってくるさ」
「私、本気で心配したんだから。お義母さんを連れ出してこの穴倉入ってた時。
 お兄ちゃんって、いじけたり壁に突き当たった時、決まってお義母さんに喧嘩売るでしょ?
 思いっきりガシガシ立ち合って、みんなの事まで忘れちゃうんじゃないかって………」
「ああ、今日はあたしの方から誘ったのさ。
 ウジウジグダグダやってるのは見てられんかったしねぇ」
「お義母さんが? ………なんか、意外。
 いつもお兄ちゃんの八つ当たりに付き合ってる側だったのに」
「こんがらがった考えってもんは、力任せに頭ン中から押し出しちまうのが一番ってコトさ。
 それに………―――」
「それに?」
「それに、今度のは“クソ親父”とケリつける最後の闘いだろ?
 ―――だったら、“手土産”の一つも上等なのを持たせてやらにゃあってね」






―――チリン、チリン………。






吹きてし止まぬ未来風(かぜ)には、鈴を転がしたような金打つ音色が混じっていた。















「お待ちしてやした、エリオットの坊ちゃんッ、デュランの兄ィッ!!
 座標は調節済んでますんで、【ローラント】へひとっ飛びでさぁッ!!」
「オウさッ!!!!」


あまりに都合よく事が運び過ぎるのも薄気味悪いもんだ、と
デュランとエリオットは顔を見合わせて肩を竦めてみせた。
修練の洞穴を出たすぐ近くに鎮座ましましていたのは、これまで数回に亘って旅をサポートしてくれた
人間砲台【マスドライバーくん弐式・改】。
そして、操作盤のすぐ近くではビルとベンが今や遅しと二人の到着を待ちわびていた。
帰還を見越したホークアイのお膳立てに違いはないが、ここまで周到に花道を整えられると、
その手腕の鮮やかさには脱帽するより他無い。


「………エリオット」
「なんだよ、まさかここまで来て置いてくなんて言わないよな?」
「バーカ、晴れの門出にそんなシケた事言うもんかよ。
 ………【ローラント】に飛んだら、終点まで一気に駆け抜ける。
 悪ィが周りに気ィ使ってるヒマも無ぇ」
「わかってるって、自分の身は自分で守るし、置いてかれないように食らい付いてくよッ!」
「よし、その心意気があるなら、何の心配も無く連れて行けるってもんだ」
「ご安心を、兄ィッ!! いざと言う時ぁ、坊ちゃんは俺たちがお守りいたしやすッ!!」
「オウさぁッ!!!!」
「OK、お前らが随いててくれるんなら、俺も気兼ねなく全力を出し切れる。
 ―――――――――さぁ、行くぜッ!!」
「「「応ッ!!!」」」


―――灼熱の檄のすぐ後、希望への祝砲にも似た轟音が鳴り響き、
戦火に赤く燃え盛る彼の地へ向けて、【フォルセナ】の夜天を一筋の雷が逆巻き閃いた――――――






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