上層から睥睨するだけでは異様さへの恐怖ばかりが先行し、実感の薄かった【聖域(アジール)】の威圧感は、
地上に降り立ち、こうして崩壊した街路を歩くにつけ、じわりじわりと一行へ重く圧し掛かってきた。
同じ【マナ】の都市であるならば、以前に一度【エルヴン・セイファート】で体験しているはずなのに、
なぜこうも生理的な嫌悪を駆り立てられるのか。
答えは簡単だ。【エルヴン・セイファート】は、自閉的とはいえ、“生”に満ち満ちているのに対し、
【聖域(アジール)】には滅びと【死】の残骸しか遺されていない。
しかも、これから目の前の男が果たそうとしているのは、ここより更に多くの【死】を振りまくという恐るべき【革命】。
「………【聖域(アジール)】と呼ばれしこの遺産都市の正式名称を知っているか?」
生命ある者を拒み、ただ横たわるのみの【死】に覆いつくされた世界に感じる異質への、
何とも言い難い違和感を噛み殺していたデュランたちへ、引率して先頭を歩くロキが背中越しに話しかけてきた。
ここは敵地。しかも目の前を歩くのは最後の敵だ。それだけに一行の警戒心はいつも以上に鋭敏に働き、
ロキが身じろぎ一つでもすれば、総員、瞬時に武器を構えて臨戦に備えるくらいだった。
「………【聖域(アジール)】が正式名称じゃねぇのかよ?」
「それは【マナ】の恫喝を隠蔽すべくして付与された俗称。
そもそも【聖域(アジール)】と呼ばれだしたのは、【旧人類】が滅びた後の、【偽り】の歴史へ移行してからだ」
「………さてね、しゃるにもさっぱりわからんでちよ」
「シャルに、わからないんじゃ、オイラにも、ちょっと、わからないな………」
「―――【フィラデルフィア】。亡命の架け橋となった都市なのだよ、ここは」
―――――――――【亡命】?
ロキが手中へ収めていたためにヒースですら全貌を知りえない【聖域(アジール)】へ秘められた謎が、
崩れたビルの谷間を往く道すがら、少しずつ紐解かれていく。
『亡命の架け橋』と聴かされて顔を見合わせる一行の疑問へ答えを提示するように。
「………【マナ】によって栄華を誇った【旧人類(ルーインドサピエンス)】の文明は、
皮肉にも自らの発明した英知の結集が暴走によって根絶した………ここまでは知っているな?」
「あんたの口ぶりからして、この【聖域(アジール)】が最後に残った都市らしいね。
その暴走とやらの破壊にも負けずにさ」
「………左様。ここ、【フィラデルフィア】は、【旧人類】にとって最後の希望にして、数多の絶望が集いし運命の拠り所である」
「それがなんだってのよ? 」
「質問を重ねよう。この星がまだ【テラ】と呼ばれていた頃に発生した、
世界中に存在する【マナストーン】の同時多発的臨界事故は?」
「………………………」
これも初めて聞く事実だ。
【旧人類(ルーインドサピエンス)】絶滅の原因は、【マナ】の暴走によるモノ………そこまでは突き止めていたものの、
具体的にどのような経緯でもって滅びへ向かったのかは誰に知らない。
「―――全ては、時のモラルリーダーを標榜していた大国の大統領が、
狂乱のあまり禁断のスイッチを押してしまった事から始まった」
「………時のモラルリーダー………今の【アルテナ】みたいなもんかい」
「………聡いな。一から十まで説明しなくて済むのは有難い。
そうだ。今日の【イシュタリアス】へ至る道は、
【アルテナ】と同等の発言力を有する大国の大統領の過ちに端を切ったモノなのだ」
【サミット】で見せたような演説口調へ変わっていくロキの饒舌に思うところのあるデュランは、
苛立ったように鋭い舌打ちをしてみせるが、怒鳴り声で噛み付く事は無かった。
どんなに聞き苦しい大言も全てを受け止め、その上で返答を出す心構えなのだろう。
そんなデュランの心情を、傍らで気遣わしげに見守っていたリースは誰より早く察知し、
ホッとしたように安堵の微笑を零した。
「【マナストーン】の発明は、まさしく人々の研鑽の結晶であった。
発端は町工場。貧困に喘いでいた最下層の民が、如何なる代償も払う事なく、
無限に動力の恩恵を受けるには何が必要か?
一人の技術者のふとした疑問に多くの賛同が集まり、夢の無限動力機関の開発はスタートした」
「………………………」
「当時は【旧人類】時代も末期。進化の袋小路にまで登りつめた【マナ】の恩恵によって堕落した富裕層は、
末端の工場でその栄華を支える最貧層から一切の【マナ】を取り上げ、彼らの行動を厳戒に管理していた。
プロレタリアの反乱を恐れたのだな。それ故、【マナストーン】開発には細心の注意が必要となった」
「………………………」
「当時【テラ】の一切を取り仕切っていた大国の憲兵に発見され、殺害された技術者も多かった。
見つかれば弁明も許されずにその場で極刑に処される。………開発を提唱した技術者もその犠牲者の一人だ。
だが、偉大なる指導者を失おうと人々は諦めず、【希望】へ向けて開発に邁進していったのだ」
「………………………」
「開発は極限状態の連続だった。………いや、普遍の極限状態と表すのが正しいか。
執拗な憲兵の追跡、相次ぐ脱落、保身のあまりの密告………幾多の艱難を乗り越え、
30年もの年月を費やした2月23日、【マナストーン】は完成の旭日を見た」
「………………………」
「あれだけ弾圧に執念を燃やしていた権力者たちも、完成してしまえば別な顔。
手のひらを返したように技術者たちを歓待し、貧富の格差による差別や【マナ】の専横を全撤廃してしまった。
過ぎた鞭を控え、甘き飴で懐柔せんとしたわけだ」
「………ここまで聞いた段階では、多くの犠牲が最良の形で報われたように思えますが………」
「崩壊の序曲はここより始まるのだ、アークウィンドの末裔よ。
………序列の無くなった【テラ】は、【マナストーン】の普及によって進化の行き詰まりを突破し、
勝利を勝ち取った技術者たちも、外宇宙の開発、【テラ】を護衛する人工衛星の打ち上げ等、
留まる事なく練磨した業を振るい続けた―――が………」
「………………………」
「やがて技術者と民衆は、資金を支出するばかりで漫然と栄華の椅子へ腰掛けるだけの権力者たちに疑問を抱き始める。
果たして、この【テラ】を真に支えているのは誰か? 政治などと称して利己のための議論を繰り返す為政者か?
それとも、何度弾圧されようとも全てを乗り越え、進化の袋小路をも突破した自分たちか?」
「………………………」
「もう自分たちは踏みつけられるだけの弱者ではない。世界を変えうる技術を備えている。
肥えに肥えた権力者などに【テラ】を任せておけるものか―――極めし技術を背景とした支配体制からの脱却が始まった瞬間だ」
極めし技術を背景とした支配体制からの脱却―――それは………
「………【ペダン】で見た資料にも同じような事件あったで………。
―――そうやッ、あれは、確か【産業革命】言う社会現象………ッ!!」
「………その通りだ。
【マナ】の発明という技術革命によって自主独立の誇りへ目覚めた民衆は、
支配的立場の為政者たちを議席から引き摺り下ろし、民主による政治を提唱し始めた。
【テラ】に必要なのは一握りの人間が取り仕切る議会政治ではない。自由民権なのだ、と」
「―――で、【イシュタリアス】で言うところの【アルテナ】が、当時の統率者がブチギレてバカやらかしたってのかい?」
「【マナストーン】は無限永久機関だが、一度暴走すれば悪魔の溜息となって災厄を振りまく。
悪用を避けるために定められた【アルストロメリア条約】によって、
【マナ】使用者のDNA情報は一括して大国の管理サーバーへ登録されていた」
「………………………」
「―――世界中の【マナストーン】の操作を管理するメインサーバーだ。
言い換えるなら、使い方次第では世界中の【マナストーン】を同時に起動させる事も可能と言う事―――」
「まさか………」
「支配の輪を外れた民衆に追い詰められた統率者が打った報復の一手………皆まで言わずとも想像がつくであろう?」
「………さーばーからしじをだして、せかいじゅうの【まなすとーん】をどうじたはつてきにぼうそうさせた………」
瞬間、【グレイテストバレー】の断層がフラッシュバックする。
たったの一個だけで、掘削機すら貫き通せないほどの硬質な岩盤へ奈落の底まで届く大穴を砌穿つ【マナストーン】の臨界暴走が、
世界の至る場所で同時多発的に発生したとすれば―――………暴威は想像する事もできない。
「制御不能状態で暴走した【マナストーン】のエネルギーは臨界に達したまま決壊した。
………ありとあらゆる【マナストーン】が、だ。
自然界の法則をも塗り替えるエネルギーの暴走によって空が割れ、海が壊れ、大地は死滅した。
生態系をも狂わされた【テラ】に遺された人類の拠り所はただ一つ、ここ【フィラデルフィア】のみだった。
僅かに残った人類は、有事に備えて巨大シェルター内へ建造された都市に集い、“最後の【マナ】”を発明し、
それによって死に瀕した世界を捨て、いずこかへと旅立っていった―――これが【テラ】の終焉のあらましだ」
「………………………」
「“最後の【マナ】”が何物であるかなどはこの際、問題ではない。開拓者たちがどこへ消えようと、そんな事も知らぬ。
我らは滅びを迎えようとする【テラ】の大地と、母なる故郷と、自らの命を捨てても添い遂げると誓った大いなる祖先の末裔。
―――しかし、どうだ? 鋼の意志を持つ種族であるにも関わらず、【民主】は捻じ曲げられ、
再び大国の一極支配が万物の理と化してしまっているこの悲劇へ何を感じる………ッ?」
「………………………」
「民意を振り返らぬ統率者の末路は総じて同じなのだッ、よって私は―――」
「―――おいおい、ちょいとアンジェラたちに失礼じゃないの?」
それまでロキの演説を黙って拝聴していたホークアイだったが、あまりに傲慢な物言いにとうとう痺れを切らし、
歩みを止めない黒衣の背中へ向けて反論を叩きつけた。
「あんまりじゃねぇの、決め付け決め付けで一緒に括っちゃうのはさ。
少なくとも俺の知ってる【アルテナ】の人間は、自分の思い通りにならなかったら壊れるほど幼稚じゃないぜ?」
「………権力へ抵抗する義賊が面白い冗談を言ってのけたものだ。
【アルテナ】がこれまで成してきた非道を知らぬ貴様ではあるまい?
どれだけ優れた技術を得ようとも、利己に走る大国が旗頭を務める限り、いずれ誤りへ転落する。
まして、【アルテナ】の過去を振り返ってみろ。【テラ】の主導者がそうしたように、
いずれ【世界】へ滅びを振りまくだけの要因を数えればキリが無い。
だからこそ私は、権力の柵から解き放たれた、真に民衆の自主独立を促す【産業革命】を復古しなくてはならぬ―――」
―――――――――反論を受け止め、不動の理念で返すロキの歩みが止まった。
「―――【女神】の呪縛を離れ、自主独立の【民主】が根ざす世界………。
これこそ、世界が迎えるべき、まことの【未来享受原理】ッ!!!!
【魔法】? 【イシュタリアス】? 【アルテナ】だと………?
………民意を足蹴にする権力者の座する世界など、【偽り】に他ならぬわッ!!!!」
「………それが、てめえが【聖域(アジール)】で見聞きした【テラ】の真実かよ………?」
「デュラン………、猪武者のお前如きには、歴史の是正の重みなどは解かるまいよ」
「てめぇには解んのかよ、是正の重みとやらの重みがよ」
「何………」
「さも手前ェで経験してきたようにベラベラ喋っちゃいるが、
結局のところ、てめぇのバックボーンは、独り善がりの思い込みで出来ていやがる。
………何が“まことの【未来享受原理】”だ。笑わせるぜ」
「………思い込みなどと卑小な形容はやめよ。これは【信念】だ」
「人様から借りたモンが【信念】だと穿き違えてんじゃねぇっつってんだよ」
「………………………」
「俺はてめぇをブッ倒す。てめぇの企みを叩き潰す。
………だがな、勘違いすんじゃねぇぞ。てめぇが気に入らねぇから戦るんじゃねぇ。
まして、世界を救うなんてお題目を唱えるつもりもねぇ」
「………ならば何を大義名分とする? 理由なき暴力こそ、【未来】を閉ざす牢獄であるぞ………ッ?」
「―――決まってんだろ。てめえの言う【偽り】の世界を明日へ繋げていくためだよ」
【エランヴィタール】とツヴァイハンダーの、二天にて一の太刀を成す構えを取りながら、デュランが前へ出る。
「あんたはそうやって思い込みと決め付けで【イシュタリアス】の行く末を悲観しちまうけど、
俺たち若者にしてみりゃ、いい迷惑だぜ。
………【未来】は誰かに進路を敷いてもらうモンじゃねぇッ!! 俺たちで切り拓いてくもんなんだよッ!!
【大人】の勝手な都合で押し込めようったって、そうは行かさねぇッ!!」
ホークアイは、両手いっぱいにクナイを束ねている。
「過去の悪事は懺悔しなくちゃならない。それは事実よ、認めるわ。
でもね、それでも【アルテナ】の権力には、まだまだ使い道があるのもまた事実。
口や誠意じゃ動かせない為政者(ダニ)を操作するに必要なのは何よりもまず権力………ッ!!
懺悔の先には、権力を正しく使う贖罪があるのよッ!!
毒をもって毒を制す覚悟ッ、あんたなんかに折れたりしないわッ!!」
早くも【サラマンダー】の魔力を両手に宿らせたアンジェラの宣言には、
未来にモラルリーダーを担う尊厳と風格が満ち満ちていた。
「あなたが、言うように、【マナ】は、すごい機械だよ。………でも、機械は、人を、笑顔に、幸せにするものなんだッ!!
誰かを、傷つけるために、存在しちゃ、絶対に、行けないッ!! だから、オイラ、戦うッ!!
もう誰も、【マナ】で、傷つけさせないッ!! もう誰にも、【マナ】で、誰かを、傷つけるようなこと、させたくないんだッ!!
………全力の、全力で、オイラ、あなたを、止めるッ!! あなたの手、もう、汚させたりしないッ!!」
機械を愛するからこそ、もう誰にも間違った使い方をして欲しくなと願うケヴィンの拳には優しさが、
「あんさんがココで見た世界と、この子らがこれから迎える世界が必ず同じ結末やなんて、どこの誰が決めたっちゅうんや?
ええか、可能性っちゅうもんは、若者と同じ数だけ輝いとるんやッ!!
世界の【未来】を憂う前に、まずは【大人】としての責任を果たさんかいッ!!
失敗しても間違っても、それでも明日を諦めない子供らの努力を見守るっちゅうなぁッ!!」
【未来】へ突き進む若者たちを見守ってきたカールの爪牙には慈しみが、それぞれ込められている。
「【にんげんらしくいきる】というのは、つまるところ、ひととひととのつながりだと、しゃるはけつろんだしたんでち。
ひととひとがつながっていれば、あやまちにも、まちがいにも、かならずきづく。
みとがめたなかまがしかってくれるんでちからね。こっからさきの【しゃかい】はあんたいでちよ。
なんてったって、アンジェラしゃんには、しゃるたちゆかいななかまがついてるんでちから。
………あんたしゃんは、そーゆーひととひととのつながりをすてたおくびょうものじゃないでちかッ!!
じぶんかってにきめつけて、だれにもそうだんしないからまちがいにもきづかないッ!!
―――そんな下衆野郎が国士気取ってんじゃねぇよッ………―――ってところでちねッ!!!!」
一瞬だけ素の自分に戻りながら【アレイスター】の動力をオンに入れたシャルロットが
ロキの発言をバッサリと撫で斬りにした。
「あれこれ頭で考えるからダメダメになっちゃうんだよね。
突っ走って突っ走って、後から【答え】を拾い上げるボクらから見て、あんた、終わってるね。
………考えずに感じてみなよッ!! もうダメだぁ〜ってヤケになるほど、この世界、ろくでもなく無いからさぁッ!!」
「ま、兄貴の受け売りだけどさ」と脇差を握る右手の甲で照れくさそうに鼻を掻くエリオットの笑顔はキラキラと輝いており、
【イシュタリアス】の明るい未来を予見させた。
「私たちには、はっきりと言えます―――真実を超えた【偽り】は、この世界に在るッ!!!!」
少しの迷いも淀みもなく宣戦布告するリースから銀槍【ピナカ】の穂先を向けられたロキは、
【ディーサイド】起動の轟音を【未来】の担い手への返答に代え、開戦を高らかに咆哮した。
「………いかように詰られようと、蛇蝎の如く軽蔑されようと私の【信念】は揺るがぬ………ッ!!
進化を絡め取る【女神】の一切を排し、【マナ】によるまことの【未来享受原理】を打ち立てるッ!!
―――次代を担う者であろうと、我が志、妨げるのであれば………………………斬るッ!!!!」
―――ロキの引率で辿り着いた決戦の舞台は、“【マナ】の樹”の膝元。
八本の鋼柱に囲まれ、不気味な脈動を止めない幹を足元に踏みしめる大樹の木陰にて、
【イシュタリアス】の命運を賭けた最後の戦火が交錯の刻限を迎える―――――――――
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