―――――――――それなのに、『永遠に不滅だ』って約束したのに、
 どうして、皆、兄貴を見捨てるんだよ…大事な【仲間】を裏切るんだよ………」


涙の跡がクッキリと浮かび上がる顔を伏せたまま、エリオットは深く傷付いた心の内を吐き出した。
隣には、リースがいる。桜色のブラウスと淡いアイボリーのエプロンを泥で汚し、
なぜか腰にデュランの剣の一振りを―――彼とロキの“約束”の一振りを携えたリースは、
【ローラント】のお膝元に位置し、かの集落同様に少しずつ復興しつつある港【パロ】の桟橋へ腰を下ろして
止まる事なく流れて落ちる弟の悲しみへ耳を傾けていた。

全ての望みが断たれ、絶望の淵に瀕したエリオットは、無意識の内に【ローラント】へ姉の温もりを求めたのだ。
最初こそ突然の来訪に驚いたリースだったが、弟の打ちひしがれた様子から全てを察すると、
小さな胸に抱えてきた苦しみと痛みが洗い流されるまで、エリオットの涙を温かな胸で抱き止めた。






(………あの日の約束は嘘だったのかよ………)






ウェンディやホークアイがいるのも構わず大声で泣き続けたエリオットは、
とりあえずは落ち着いたようだが、いつまた壊れてしまうか解らないほど不安定な状態にある。
信じていた【草薙カッツバルゲルズ】の【仲間】たちから受けた仕打ちは
明るさが取り柄の彼から元気を奪い去ってしまうほどの痕を遺していた。


「………兄貴は、皆に見捨てられたのかな………」


ポツリと漏らした言葉は底なしに暗く、彼の絶望の深度が痛切に見て取れる。


「………皆、どうしてデュランの危険に駆けつけないと思います?」
「………皆、兄貴の身柄よりも自分たちの事で手一杯なんだよ、きっと。
 ………もう兄貴の事なんて、どうでも良いんだ………」
「そうでしょうか?」
「だって他に説明のしようが………ッ!!」
「デュランは助けてほしいと貴方に懇願したのですか?」
「え………………………」


リースの言葉は、弟の傷を労わる優しさの中に戒め諭すような厳しさを内包しており、
慰めを望むエリオットを戸惑わせた。


「デュランが助けて欲しいと願わない限り、皆が動かないのは当然です」
「姉様………っ?」
「エリオット、貴方は自分の勝手で皆を引っ掻き回していただけのなのですよ。
 ………軽率な行動は自粛し、反省しなさい」
「そんな………」


突き放すような姉の言葉が信じられず、エリオットは狼狽に頭を振った。
恋人である筈のリースまでもがデュランを見捨てるというのであればこれ以上に辛辣な絶望は無い。


「………皆、デュランを信じているのです。
 信じているからこそ、手を差し伸べたりはしないし、安易に助けにも行かない」
「信じるって、何をだよ………っ!?」
「デュランは生きる事を諦めたのですか? 自分で戦う事を諦めて助けを求めたのですか?」
「………………………」


諦めてなどいない。デュランの瞳に宿る強い生命の灯火は、
直接【グランスの牢城】へ赴いて対面したエリオット自身が一番知っている事だ。
生きる事を諦めていないと知ったからこそ、彼を助けるべく、必死に救命へ奔走したのだから。


「解散の日、デュランは私たちに言いました。
 『頑張って頑張って、それでも挫けた時だけ助けを呼べッ!
 その時だけは、地の果てからも俺たち【仲間】が駆けつけるッ!!』―――と。
 デュランはまだ挫けていない。諦めていない。今も一人で戦い続けている。
 そんな彼の想いを、どうして踏みにじれると言うのですか。
 デュランを思えばこそ、私たちは彼を信じ、遠く離れた自分たちの道を邁進するのです」
「………………………」
「一度結んだ約束を違えず、生きるのです」


リースの言う事は全てが正しい。
【グランスの牢城】へ赴いたデュランは一度も弱音を吐いてはおらず、
むしろ威風堂々と己を待ち受ける運命へ突き進もうとさえしていた。
生きる事を諦めていない何よりの証だ。

彼が挫けない限り、安易に手を差し伸べる事はしない。
安い同情を向ける事は、彼の意思を侮辱する事になる。
デュランを真に思えばこそ、シャルロットもヒースも光の司祭の威光を持ち出さず、
ケヴィンたちは戦場を駆け、リース自身も入植者を指揮して【ローラント】復興へ努める手を休めない。

それが解らないほど、エリオットも子供ではなかった。
子供では無いけれど、それでも反論しなくてはならなかった。


「………でも、今ここで誰かが立ち上がらなかったら、兄貴は死んじゃうんだぜ?
 ランディの失敗を引っかぶって、殺されちゃうんだぜ………?」
「エリオットはランディさんを憎んでいるのですか………?」
「当たり前だろッ!! 兄貴に責任被せて生き延びようとしてるんだぞッ!?
 最低の裏切り者じゃないかッ!!」
「………デュランはランディさんへ直接会いに行き、事情を聴いた上で全てを受け入れたのです。
 ランディさんは何もデュランを陥れたわけではありません」
「………だけどッ!!」
「誰が一番デュランを助けたいのか、考えた事がありますか?
 自分の代わりに犠牲となる命を背負って生きなければならない辛さを………」
「………………………」
「誰かの事を信じ抜く、とはそういう事なのですよ、エリオット。
 恨む前に、その人の想いを察してあげなさい」
「………………………」


何の言葉も出てこなかった。
敬愛する兄貴分の死に灰を背負わなければならないランディの想いを
少しも考えなかった浅見を恥じ入る自分には、最早何も語る資格が無かった。


「姉様も………行かないんだよな?」
「あの人が助けを求めればすぐにでも駆けつけます。
 ………そうでなければ、私は私の道を行く。
 今はまだ焼け野原の【ローラント】を元の美しい故郷へ、
 ―――いいえ、狭い民族の括りにも納まりきらない、元よりずっと素晴らしい町にしてみせる。
 デュランと誓った約束を守る事が、私の天命なのですから」


【社会】に弾かれた人々や居場所を失った人々を入植者として受け入れ、
【ローラント】を真の自由が芽吹く町にする―――それが、リースの選んだ道だった。
この日の為に立法や設計といった“町作り”に必要な勉強を重ね、
現在も若きリーダーとして試行錯誤しながら【ローラント】復興に全力を注ぐ日々を送っている。
「約束を守らなかったら、あの人はきっと激怒すると思います」と語るリースの手は、
いつしか腰に提げたデュランの剣を握り締めていた。


「………………………」


二度もの戦火を吹き付けられ、一度は修復不能にまで破壊されたガレキの山が今ではどうだ。
まだまだ“町”としての形には程遠いものの、崩落した建物は撤去され、
少しずつ手作業で整地が施されつつあった。

何より輝かしいのは、ここで復興に力を合わせる入植者たちの笑顔だ。
【社会】に立場を無くし、絶望に墜ちた人々は、新たに得た居場所で懸命に生きている。
驚くべきは、重労働に額に汗を流し、手に肉刺を作っても、誰一人笑顔を失っていないという事。
励まし合い、肩を叩き合って【ローラント】を理想郷へ立て直すべく頑張っている。
美しく、輝かしい理想郷の幻像が、未来に掴むビジョンが、彼らの背中へ浮かんでいた。


「………………………」


【ローラント】が美しければ美しいほど、自分の小ささがイヤというほど突きつけられ、
エリオットは再び泣きそうになる。






(………結局、ボクは………)






結局自分がした事といえば、デュランを救えないばかりか、
いたずらに【仲間】たちの心を掻き乱しただけだった。
約束も忘れて、苦しい【仲間】の想いも考えず、自分勝手を押し付けただけだった。
今すぐに消えてしまいたいくらい、この世で最も情けない人間だった。


「ありがとう、エリオットクン」


―――と、エリオットの背中を後ろから誰かが抱き締めた。


「エリオットくん、一生懸命、頑張ったよ。
 身も心もボロボロになるまで、お兄ちゃんの為に頑張ってくれたんだよね。
 ………でも、もう十分だよ…ありがとう…本当に、ありがとう…っ!」
「………ウェンディ………」
「お兄ちゃんだって、わかってくれるよ。
 ………だから、もういいんだよ。休んでも………いいんだよ」


後ろから抱きすくめてきたウェンディは、エリオットを優しく労ってくれた。
全身全霊を傾けて兄の救命に走ってくれたエリオットを温かく包んで労った。
ヒースとの衝突の際に負った頬の痣を、銃撃戦で掠めた腕の傷を慈しむように撫でる
ウェンディの柔らかな手のひらは、癒しと共に「諦めて欲しい」と囁いてくるようで、
エリオットは弾かれたように彼女の顔へと視線を移し―――


「―――――――――ごめん、姉様。ボク、やっぱり行くよ」


―――その瞬間、決意の炎は灼熱の如く再び燃え上がった。


「【グランスの牢城】へ乗り込んで兄貴を助ける。
 ………これがボクの信じて突き進む路なんだ」
「エリオットクン………っ!」
「………エリオット」


零れかかった涙を袖口で強引に拭き取ったエリオットは、
結び目が緩んでいた胴丸の紐を締め直し、刃こぼれが無いか確認するように
『加州清光』二刀を天空の太陽へ翳した。


「………もういいってッ!! これ以上ムリしたら、今度こそエリオットクン………」
「本当は辛くて泣きそうなクセして、無理矢理押し込めてるヤツに言われたくないね」
「え………っ」
「見え見えなんだよ、バカ。人を諦めさせるつもりなら、
 その前に、自分の気持ちに踏ん切りつけとけよな。
 これじゃ諦めるに諦められないじゃないかよ」
「そ、それってどういう………」


優しい言葉の裏側に、ウェンディの瞳の奥底へ隠された絶望を、
兄を失う恐怖を見て取ったエリオットにはもう迷いは無かった。
誰にどう詰られようが自分の信じる路を往き、デュランを救う血路を切り拓く。


「―――理不尽に家族を失う悲しみなんてモンを、
 ボクは好きな娘にまで味わわせたくないってコトだよッ!!」


自分の勝手な思い込みではない―――
―――誰かの為に、一番大事な人の為に剣を振るう決意を燃やしたエリオットは
もう誰にも止められなかった。


「………エリオット」
「引っ叩いて叱りつけるなら全部終わってからにしてくれ、姉様。
 ここは黙ってボクを行かせて欲しい」
「―――それが貴方の信じる路だと言うのなら、私には引き止める言葉はありません。
 行きなさい、行って、志を果たしなさい。
 ………そして、いいですね、必ずここへ帰ってくる事。
 ウェンディちゃんを泣かせたら承知しませんからねっ」
「わかってるよ。絶対、約束するッ!!」


独り善がりはきつく戒めたリースも、エリオットが見出した揺ぎ無い【路】には理解を示してくれた。
自分の想いを尊重してくれた姉へエリオットは必ず帰ると指きりで応じる。


「ホーク、お手数ですが、今一度エリオットをお願いします」
「了〜解♪ ―――つっても、あの調子じゃ、俺なんかがいなくても大丈夫そうだけどね。
 ………ったく、もっと目上を頼りゃいいのに、一人で一人前になられちゃぁなぁ〜。
 立つ瀬が無いよ、ホント」
「ホークが後ろで見守っていてくれるから、あの子も無理を重ねられたのですよ。
 なんだかんだと突っ張って見せても、あの子は貴方を誰より信頼しているんですから」
「そう言って貰える事だけが救いだよ―――」


余計な口を挟まずエリオットの行動を見守っていたホークアイは、
一度引き受けた以上、何が起きても最後まで付き合うつもりではいるものの、
一人前の信念を見出した彼の勇姿を眺めていると、
もしかしたら本当に自分の助力は必要ないかもしれないとさえ考え、
その頼もしい横顔へ、【仲間】として誇らしく思う微笑を投げかけた。


「―――ま、こっちも最後の仕込みがあるわけだし、
 目的地が同じ【グランスの牢城】なら断る理由も無いしね」


―――と同時に、何かを企んでいるかのような、ミステリアスな微笑も。


「なぁにニヤニヤしてんだよ、気色悪いなぁ。
 あ、わかった。どうせ姉様に優しい言葉の一つでもかけられて勘違いしたんだろ?
 ハン、いい度胸してんじゃん。ジェシカさんにチクッてやるから覚悟しとけよ」
「バッ…、何言ってんだよ!! 誰がいつリースに色目使ったってんだ!?」
「焦ってるのが何よりの証拠だね!
 ガゼルパンチ喰らって向こう半年間は流動食生活を送りやがれッ!!」


しかし、生まれついての三枚目であるホークアイがいくら思わせぶりに取り繕っても五秒は保たない。
あらぬ疑いを吹っかけてきたエリオットによってミステリアスは霧散し、
たちまちいつものコントな顔へ崩れ去った。ヘタレの面目躍如といった趣である。


「エリオットクン………」
「―――じゃ、一っ走り行ってくるわ」
「………………………」
「湿っぽい顔すんなよ、ゲンが悪いなぁ。
 大丈夫、迎えに来る時ぁ兄貴も一緒―――」


ウェンディが俯いていたのは、エリオットを止められなかった自分の不甲斐なさに
気落ちしていたからではなかった。


「―――頑張ってっ!」
「………って、お、お、お前…、な、なな、なななッ…!?」


エリオットの頬へキスを落として送り出す為の勇気を小さな胸の中で高めていたのだ。
準備万端で一歩を踏み出したウェンディはともかく、
不意打ちにキスをされたエリオットはたまったものではない。
当然、好きな娘にキスしてもらったのだから、嬉しくないわけがないのだが―――


「………バ、バ、バ………バカんッ!!」


―――この通り、見事に思考回路がショートしてしまった。


「ぶわっはっはっはッ!! な、なんだよ、お前、『バカん』ってッ!!
 もちっとなんかお返しがあるだろ!?」
「う、うるさいッ!!」
「あ、あら〜………、ウェンディちゃんってば意外に大胆なんですね。
 お姉ちゃん、ビックリですっ!」
「え、えっと、その、私に出来る事って何かなって考えてたら、
 し、自然に身体が動いちゃって………」
「くっう〜ッ、甘酸っぺぇッ!! 乙女だねッ! 青春だねぇッ!!
 いよッ、憎いね、色男ッ!! 愛されてんじゃんッ♪」
「あ〜〜〜ッ、もうッ!! とっとと行くぞッ!! ちくしょうォッ!!!!」


しつこく冷やかしてくるホークアイのどてっ腹へ
体重を思いっきり乗せた蹴りを叩き込んだエリオットは、そのまま振り向く事もなく、
調子に乗ったバツに悶絶するヘタレも振り返らず、【グランスの牢城】目指して全速力で駆け出した。
浜辺に停泊している連絡船に乗り込めば、一路【グランスの牢城】へ急行できる手筈になっている。
勇気も、条件も、全て整った。後はただ、己の信念を刃に込めて突き進むのみ。


「また見送る立場になっちゃった………」


脇腹を押さえつつヨタヨタと辿り着いたホークアイを待って連絡船へ乗り込む間際、
一度だけ振り返り、こちらに向けてサムズアップしたエリオットの背中を見送るウェンディが、
決戦の【ローラント】へ送り出した夜の事を思い出しながらポツリと呟いた。


「ふふっ…、誰かを見送るというのはこういう気持ちなのですね。
 頼もしくて、心配で、ちょっとだけ寂しい…不思議な感じです」
「………あの、リースお姉ちゃん。
 私、さっきから気になっていたんだけどね………」
「はい? なんでしょう?」
「………エリオットクンの手前、ぶり返すのもどうかと思うけど、
 その、お姉ちゃんは、心配じゃないの、お兄ちゃんのコト………」
「デュランのコトが、ですか?」
「いくら信じてるって言っても、その、やっぱり処刑されようとしてるわけだし、
 その………………………」
「………そうですねぇ―――ウェンディちゃんになら話してもいいかもしれませんね」
「………? 話すって、何を………?」
「実はデュランは――――――――――――――――――………………………………………………






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