「………俺も長い事、ここで牢番人をしているが、お前のような男は初めてだ………」
座禅を組み、粛々と瞑想していたデュランの静寂は鉄格子越しにかけられた言葉で途絶えさせられた。
至極迷惑そうに呻きながら閉じていた眼を開けると、獄卒のロイドのギョロっとした瞳に
抉るように見据えられており、思わずデュランは後ずさりする。
「な、なんだよ?」
「………お前のような男を初めて見ると言った………」
「………あ? なんつってんだ?」
「………お前のように爛々と輝く眼を持つ男は、【グランスの牢城】始まって以来だ………」
ボソボソと小声で喋る上に滑舌が悪いロイドの話している事は、
最初、半分もデュランには聞き取れず、二度、三度と耳を傾けてようやく内容を理解できた。
「悪かったな、耳が遠いみたいでね。眼力誉めてもらったのに聞き取れなかったぜ」
「………気にするな。俺の滑舌にこそ問題がある………」
何度も聞き返して相手の気分を悪くしたかと探り探りに話すデュランだが、
ロイドはあくまで淡々と返してくる。
害する気分も、心も、壊れてしまったような無表情で覗き込んでくるロイドは
横顔も醸し出す雰囲気も全てが無機質なマネキン人形めいていて、
温度の感じられない死人を思わせる暗い三白眼に覗かれるたび、デュランの背筋へ言いようのない寒気が走った。
「………ここへ収監される人間は例外なく絶望のどん底へ落ち込み、
表情には生気を感じさせない………。
………しかし、お前は違う…穏やかに禅を組むばかりか、二つの眼には希望が…、
………生きようとする意志が燃え盛っている………。
………そんな人間は【グランス】の長い歴史においてもお前が始めてだ………」
「アンタは俺がどうしてココへ放り込まれたか、知ってるんだよな?」
「………無論だ。適正な裁判も無く、官吏によって極刑を言い渡された哀しき男、
デュラン・パラッシュよ………」
「哀しいってのは訂正してくんねえかな?」
「………ほう?」
【グランスの牢城】へ収容されるような重犯罪人は、
多くの場合、重い拷問にかけられた上での禁固及び極刑となるので、
囚人の誰もが絶望に平伏し、己の運命の変転を悲しい、哀しいと憐れみ、慰めている。
それがこの男にはまるで無い。
まるで無いばかりか、哀しいと形容するなと反論までしてくるとは。
ロイドの恐ろしい瞳がますます好奇へギョロりと蠢いた。
「俺は自分の人生を憐れんだ事は今までに一度だって無ぇし、
これからだってそんなみっともない真似をするつもりは無ぇ。
だから、哀しいとかそんな辛気臭ぇ言い方はやめてくれ」
「………ならば、なんとする………?」
「わざわざ聞くのか? 【草薙カッツバルゲルズ】リーダー以外にあるもんかよ」
誇らしげに、しかし驕りでなく清廉に胸を張るデュランが本当に面白くて仕方が無いのか、
相も変わらず瞳は死んだままだが、口元は斜めに引き裂けるくらい愉快そうに吊り上っている。
笑気と死臭とが混在して禍々しいほど不気味だ。
「………それだ…その瞳………」
「眼ェ?」
「………口先だけでなく、お前の瞳には【希望】が宿っている………。
………まだ、お前は生きる事を諦めていない…そんな人間は初めてだと言ってる………」
「それを言うなら俺も同じだ」
「………………………む?」
「アンタのように、“生きてるのに死んじまった”人間を見るのは初めてだ」
「………お望みならば紹介して回ろうか………?
………この掃き溜めには、世捨てに腐った外道ばかりが息づいている………」
「全力で遠慮させてもらうぜ」
これで終わりだと無理やりに話題を区切り、座禅を組み直そうと居住まいを整えるデュランだったが、
鉄格子の向こうから身を乗り出すようにして覗き込んでくるロイドの不気味さに当てられ、
またしても呻いて後ずさった。
「………ソレも気になる………」
「なんなんだよ、てめぇは!? さっきから気色悪ィなッ!!」
「………女物のリボンで髪を結んでいる男も初めてだ………」
「………悪ィかよ」
「―――それか………? ………お前に【希望】を与えているモノとは………」
「………………………………………………」
†
最初にエリオットが感じた違和感と憔悴は、応接間へ通された時、覆しがたい現実に変わった。
「ラン…ディ…?」
【オアシス・オブ・ディーン】から【アルテナ】へ移動する前後、
多忙を極めるアンジェラやランディの事だから、アポイント無しに訪ねても
流石に捕まらないと危惧したエリオットは、【モバイル】で事前に二人とコンタクトを図ろうとした。
しかし、アンジェラは政治活動の為に【アルテナ】から離れているばかりか、
【モバイル】は機能を停止させているらしく応答が無く、
ランディに至っては彼の秘書を務めるプリムから謁見に関しての事務的な説明があっただけで
本人の声が聴こえてくる事はついぞ無かった。
(ホークは大丈夫だって言ってたけど………)
必死になって打ち消そうとしたマイナスな疑問は、虫食いのようにじわじわとエリオットの心を侵食し、
ようやく【アルテナ】へ到着したにも関わらず、ランディと直接懇談するまで丸々三日間待たされた事により、
疑問の虫食いは違和感として染み出した。
デュランが何者かに幽閉されている、との危急の用件はプリムにちゃんと伝えたのだ。
それなのに、どうして七面倒臭い会見の手続きを踏まされ、【ケーリュイケオン】の一室へ三日間も
閉じ込められなければならないのか。
(………本当に力を貸してくれるのか………)
それこそ違和感の発端だ。
自分と同じようにデュランを兄貴分と慕うランディがこの危機を耳に入れて、
緩慢とも言える手順で対応してくる事自体、エリオットには違和感を覚える物であったし、
【ケーリュイケオン】内で活動していると言うのに顔の
【仲間】であるのなら、正式な会談の席へ移る前に、ほんの僅かな時間だろうと顔を見せても良いものだ。
それなのに、ランディはおろかプリムさえ顔を見せなかった。
「そうブチブチ文句言ってやるなって。アレでランディの兄ちゃんも忙しいんだよ。
オイラみたいに悠々自適に諸国漫遊してるボンクラとは違うわけなんだわ」
【ジェマの騎士】という肩書きを担うランディは、近頃では兵たちの教頭職に留まらず、
ヴァルダの命で各地へ赴き、演説や調略といった政治活動へ積極的に取り組んでいる為、
殆ど寝る間も無いとフォローするのは、秘書的な立場のプリムや
【アルテナ】権威の象徴として重宝されるフェアリーと行動を共にせず、
自由気ままにフラリフラリと諸国漫遊の日々を送るポポイだ。
勿論、諸国漫遊というのはポポイならではのジョークで、
現実には各行政区の在り方を実地検分する隠密として活動している。
「―――ただ、後でショック受けないように一つだけアドバイスしとくけどさ、
自分の事にも頭の回らない兄ちゃんに過度の期待をかけちゃダメだぜ」
「それってどういう………」
「………裏切るとかそういうんじゃなく、身動き取りたくても取れない立場ってのが
人間には在るってコトさ」
エリオットたちが【アルテナ】に逗留していると旅先で聞きつけたポポイだけは、
懐かしい【仲間】と会うべく一目散に【ケーリュイケオン】へ飛び帰ってきてくれたのだが、
最後にポツリと不吉な一言を漏らし、揺れるエリオットに更なる波紋を落とした。
「遠路遥々お出で頂き、【ジェマの騎士】として僭越至極です」
その不吉な一言の意味を、今、エリオットは痛いほどに突きつけられ、
違和感と憔悴は最悪の確信へと塗り替えられた。
「僭越至極」と三人の労をねぎらうランディの顔のどこを探しても、
いつものような垢抜けない優しさは見当たらず、代わりに無機質な能面が貼り付けられており、
最初、エリオットは全く別の人間に面通しさせられているのかと錯覚してしまったほどだ。
「久闊を叙す楽しみにはゆっくりと時間を割きたいところなのですが、
この後、【アバロン】のジェラール皇帝と時勢について語らう席へ招かれているのです。
わざわざ出向いていただいておきながら恐縮ですが、用件は手短にお願いしたい」
会見を終えた後、今日までランディと直接会う機会の無かったウェンディは
「【ジェマの騎士】って、思ったより怖い人なんだね」と感想を漏らしたが、
ホークアイ並に情けない彼の性情を知るエリオットには、
このあまりのギャップへ返す反論もフォローも無かった。
能面だけでなく、柔らかだった声一つを取っても部屋中を硬直させるほどに張り詰め、
物言いすら親しみを感じさせない他人行儀の物。それがまたエリオットの言葉を失わせる。
ランディは、政治家の顔になっていた。
「………本当に、ランディ…なんだよ…な………?」
「当たり前ですよ。僕はランディ・バゼラード以外の何者でもありません。
性悪なお化けが皮を被っているなんて事もありませんよ」
字面だけ見れば穏やかな口調だが、話しながらもランディはエリオットに視線すら合わせない。
「………単刀直入に言うぜ。兄貴のピンチを助けてくれ」
貴賓室のソファに腰掛けているものの、心はどこか遠くへ飛んでいるかのようなランディへ
無理矢理視線を合わせたエリオットは、そんな彼の態度に大きな危機感を覚えつつも
【アルテナ】へランディを訪ねた理由を今一度説明した。
何が原因になって【グランスの牢城】へ幽閉されているのか。捕らえるよう仕向けたのは誰なのか。
然るべき調査と助命を懸命に嘆願した。
「その件については僕にはどうする事も出来ません。
………以上、どうぞお引取りを」
「………………………」
説明を聴く間の、ランディの興味無さげな様子から、
考えたくも無いのに止められない最悪の返答を予感していたエリオットだったが、
その最悪の返答を現実として突きつけられた瞬間、目の前が真っ暗になった。
「お兄ちゃんを………見捨てるんですか………」
「ランディなら必ず兄貴を助けてくれる」と言われていたからこそ不安を抑えられていたウェンディも、
この信じ難い状況に悄然となり、崩れ落ちるように膝を折った。
「理由くらい説明してやってもいいんじゃないか?
小さい子供たちが無茶してこんな場所まで乗り込んできたんだからさ」
突き放すだけ突き放しておいて早々に貴賓室を退出しようと腰を上げたランディへ
それまで黙りこくっていたホークアイが初めて声を発し、怜悧な眼光を互いにぶつけ合う。
「………貴方の口から説明すればよろしいじゃないですか。
事の次第も委細も既にご承知なのでしょう?」
「生憎、俺も今回の一件に関しちゃ部外者でね。三人揃ってお前から教わりたいんだよ」
「………………………」
自分の口から説明するのを躊躇うような、知らぬ存ぜぬを通すホークアイの真意を探るような、
意味深げな逡巡に迷ったランディだったが、深呼吸一つで心を落ち着けると、
これまで以上に硬質な冷たさを帯びる声でデュラン幽閉の顛末について語り始めた。
「理由も何も、デュランさんが処罰される原因は僕自身にあるのですから、
手を差し出すべくもありません」
「な…に………?」
「先の【ローラント】での戦の折、【官軍】の指揮をなおざりにし、
賊軍と共に単独行動を取った僕を厳罰に処すべきとの意見が【アルテナ】内外から噴出しました。
その時、『今回の単独行動は自分に恫喝されて仕方なく従っただけだ』と
僕を庇ってくれたのがデュランさんです」
「………………………」
「当然、弾劾の矛先はデュランさんへ向けられます。
【ジェマの騎士】をも恫喝する大罪人として、デュラン・パラッシュを処刑すべしとの訴えを
ヴァルダ様も汲み取られました。
デュランさんを【社会】を乱す【悪】の権化として公然と罰する事により秩序を護ろう、と。
デュランさんの命を犠牲にする事で首脳陣の足並みを揃え、【社会】の骨格を磐石な物にしよう、と」
「………………………ちょっと待てよ」
「【女神】の御使いをも恫喝する傍若無人は、やがて【社会】に不穏を投げかける。
よって極刑以外に処罰の手段は無い。裁判すら開かれないまま、死罪は満場一致で採決されました。
刑の期日と執行の方法が正式に決定次第、【アルテナ】を通じて公表される予定で―――」
「ちょっと待てっつってんだよッ!!」
デュランの置かれている状況を淡々と説明していくランディの声は、エリオットの激昂で掻き消された。
「偉そうにベラベラ喋くり倒したと思えば、なんだ今のは? なんなんだよ今のはッ!!」
「………今のは、と聴かれても困る。僕は事実をありのままに話したまでだ」
「全部アンタのせいじゃないかッ!! アンタの、自分のツケを兄貴に払わせようとしてるだけだろッ!!」
「ちょっと、落ち着こう、ね? エリオットクンってばッ!」
「ウェンディも何か言ってやれよッ!! この男は保身の為に兄貴を売ったんだぞッ!!」
「………人聞きの悪い事を言わないでくれ。僕はデュランさんからの申し出に乗ったまでだ」
「ゴタクがうぜぇんだよッ!! 兄貴を盾にして自分の身を守るゲスがッ!!
自分の失敗は自分で責任取れよッ!! なんで兄貴を食い物にすんだよッ!!」
「………………………」
「アンタは兄貴の弟分じゃないッ!! 【ジェマの騎士】でもないッ!!
男の風上にも置けない最低のクズだッ!!」
【マナ】の脅威から世界を救った【草薙カッツバルゲルズ】のリーダーであろうが、
【社会】を乱すものは毅然と罰する―――【社会正義】のアメと【恐怖統制】のムチを包括した、
【アルテナ】ならではの政治戦略だ。
おそらく考え付いたのはヴァルダあたりだろうが、そこにランディが一枚噛み、
なおかつ自分の兄貴分を見せしめの犠牲に差し出そうとしている事が許せるわけもなく、
デュランに対する背信だ、堕落だとエリオットは喉を枯らして喚いた。
「………………これ以上、何を話しても無駄のようですね。お引取り頂いてください」
しかし、エリオットの絶叫が聞き届けられる事は無く、
ランディは激しい喚き声に一瞥くれただけで衛兵に指示を出し、
貴賓室から三人を力づくで追い出しに掛かる。
「こっちだってもうアンタみたいな蛆虫に話す事なんか無いッ!!
………覚えてやがれ。どんな手を使ってでもアンタだけはブッ潰してやるからな………ッ!!」
あれほど慕っていたデュランを、保身のためにいとも簡単に切り捨てたランディへ
軽蔑混じりの呪いを吐き捨てたエリオットは、押し出そうとする衛兵を一喝で制止させると、
ドアを乱暴に蹴り開け、そのまま少しも振り返らず貴賓室を出て行ってしまった。
「………俺はあいつらほどお子様じゃないからね。
お前の行動も少しは理解できるけどさ、………あんまやり過ぎんなよ?
お前らしさを喪くしたら元も子も無いんだぜ」
荒れに荒れるエリオットを気遣うウェンディとポポイが
彼を追って飛び出して行くのを見送ったホークアイは、
「早く出て行け」と暗に視線で訴えかけてくるランディへ一つだけ箴言を呈してから
ようやく貴賓室を辞した。
「………………………」
プリムも、フェアリーもいない貴賓室へ一人遺されたランディは衛兵たちを人払いすると
テーブルに用意された水差しをそのまま一気に呷った。
身に纏った華美な衣服を濡らすような品の無い呑み方は、
いかなる侮辱を浴びせられても平然を貫ける“政治家”ランディの心の内を
表しているかのようだった。
←BACK 【本編TOPへ】 NEXT→