エリオットたちが【ウェンデル】に到着したのとほぼ同じ頃、
ランディたち【ジェマの騎士】一行は【ケーリュイケオン】を出立し、
最後の物語の舞台、【グランスの牢城】へ逗留していた。
因縁しか渦巻かないこの地へランディが自ら赴いた理由は一つしかない。
「………デュラン・パラッシュを絞首刑に処す」
ヴァルダの召集のもとで再び開催された臨時【サミット】の席で決裁された処分―――
―――絞首刑をデュランへ宣告し、その最期を見届ける事である。
「刑の期日は5月11日。なお、この案件については公開処刑にて執り行う事とする」
ビロードをあしらった黒いフロックコートへ身を包んだランディが眉一つ動かさずに
淡々と処刑の内容を通告する様子を、デュランはかすかな微笑を浮かべながら静かに聞き入り、
一礼して神妙に承服した。
「………………………」
【グランスの牢城】の一室へ設けられた簡易法廷には
被告席へ立つデュランと裁判席に座するランディの他にも英雄王を始めとする各国の首脳陣が列席していた。
【天下の大罪人】の烙印を押されたデュランが己のさだめへ悲嘆する瞬間を“見物”するためである。
しかし、【ローラント】での戦いでデュランに煮え湯を飲まされた【官軍】参加国の首脳陣は
今回の決裁を受けて喜び勇んで参列したのだが、【逆賊】は泣き叫ぶどころか微笑さえ浮かべている。
その闊達した様子が癪に障ったのか、【官軍】参加国の首脳陣は「反省の色も無いゴロツキ」と
デュランを口々に詰り、罵倒した。
「―――静粛に願います………」
低脳なやり口に頭を抑えながら静粛を呼びかけるランディの諌めも空しく、
罵詈雑言はデュランが退廷するまで続いた。
「………良い瞳になったな、デュラン」
「フン、若造が一端を気取りおって………――――――貴様の生き様、しかと見届けさせてもらうぞ」
罵詈雑言の嵐の中にあって、この二人だけはデュランの堂々たる態度に拍手を送ってくれる。
刑の宣告へ臨むデュランを見届けるべく並んで列席した英雄王と獣人王だ。
衆人環視下での絞首刑という惨たらしい刑を宣告されながらも決して折れる事の無いデュランの瞳は
透き通るように澄んでおり、退廷の最中に一瞬だけ目配せを受けた二人は、
その清廉な力強さに思わず息を呑み、心から敬服の拍手を送ったのだ。
「………………………」
思いがけない再会に際して照れ臭そうに会釈したデュランの背筋は、
自分の境遇に不貞腐れ、無理矢理折り曲げていた頃とは全く違う。
しっかりと前を見据えて歩みを進める、穏やかながらも雄々しい威風を堂々と纏っていた。
「………………………」
刑を執行する者として冷徹を纏ったランディは、優しい瞳で微笑みかけてくるデュランと
最後まで眼を合わせる事は無かった。
薄汚れ、無精髭が伸びっぱなしになったままのデュランの背中を、哀しい瞳で見送る事しか出来なかった。
―――5月8日。デュラン最期の一日の3日前の事である。
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「それにしても絞首刑とは考えましたなぁ」
「………考えた…とは?」
絞首刑の宣告を終え、簡易法廷を出たところでランディはある人物に声を掛けられた。
【アルテナ】の権威を借りるのコルネリオ公だ。
ロキとライザの襲撃に見舞われた前回の臨時【サミット】の折に失態を犯したコルネリオは
それが原因でヴァルダの信用を失ったが、最近では変わり身も素早く【ジェマの騎士】として
【女神】の権威を背負うランディへ急速に接近しつつあった。
今回の事に関しても、誰から招かれたわけでもないのだが、
ランディが赴くと聞きつけた【グランスの牢城】へ首尾よく先回りし、こうして手もみ足もみして
彼のご機嫌を取ろうと躍起になっている。
「私も国事犯を何度か絞首刑で処罰した事がありましたが、あれは果てしなく醜い。
罪人が糞尿を垂れ流す様は見苦しいを超越して唾棄したくなるほどです」
「………………………」
「その点、デュラン・パラッシュの処刑に際してはうってつけと言えるでしょう。
しかも公開処刑! この世で最も醜い死は民衆への見せしめに持ってこいではありませんか。
これで反逆を企てる馬鹿者共も少しは減るものと私は思いますね。
デュラン・パラッシュッ!! 生き方も死に方もまっこと醜い下郎でございました!!」
浅はかな男はどこまでも浅はかと言う事か。
黙殺するように背中で悪言を受け止めていたランディの全身から
いつしか立ち上るようになった怒りの炎を、舌先も軽やかに得意になって語り続けるコルネリオは
少しも感づいてはいなかった。
「これまでさんざん悪行を重ねてきた下賤の者には似合いの末路というモノで―――」
「―――貴方にデュランさんの一体何が解ると言うのだッ!」
―――そして、怒号一喝。
稲妻のような怒声をランディから浴びせかけられたコルネリオは、そのあまりの迫力に腰を抜かし、
驚いた首脳陣が遠巻きに環視する中、無様にへたり込んでしまった。
血走った眼を向けて怒りを吐き捨てるランディの檄はなおも続く。
「我々【草薙カッツバルゲルズ】は結成から今日まで【イシュタリアス】を護る為に
不惜身命の思いで戦い続けてきたッ! その先陣を切り、我々を導いたのは他ならぬデュラン・パラッシュッ!!
あの人がいなければ、我々【草薙カッツバルゲルズ】はおろか、
お手前とて、今、この場に存在する事すら叶わなかったのだぞッ!!
………誰より率先して辛い戦いへ身を投じ、【イシュタリアス】を守り抜いたあの人を侮辱すると言うのは、
この世に生ある全ての者を、今日の平和の礎となった全ての魂を敵に回すという事だッ!!
それがお解かりでないようだがどうかッ!?」
「な…な………………ッ」
「身を切る思いで戦って戦って…命の一滴まで【イシュタリアス】を護る為に燃やそうと臨む
あの人を愚弄するとはそういう事だッ!!」
「わ、わわ、私は何も、そ、そんなつもりで言ったんじゃ………」
「理由も大義も無くあの人を悪し様に言う者はこの私が許さんッ!!
次にデュランさんを罵倒する者があるなら、誰であろうと容赦なく斬り捨てるッ!!
この事肝に銘じろッ! 外道がぁァッ!!」
凄まじい激昂に突き刺されて意識を飛ばしてしまったコルネリオだけでなく、
法廷を穢すかのように罵詈雑言を繰り返していた浅はかな首脳陣にも刻み込まんと
ランディは腹の底から怒号を張り上げた。
【グランスの牢城】を揺るがす咆哮に気圧され、身に覚えのある誰もが言葉を失う。
それは、デュランの命を犠牲に生き永らえた己に対する蟠りと業の決壊だったのかも知れない。
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「………顔、グシャグシャじゃない」
「………プリム………」
刑の期日までの仮住まいに【グランスの牢城】へ設けられた自室へ戻ったランディを出迎えたのは、
複雑そうな苦笑いを浮かべるプリムだった。
「まぁ、先ほどの剣幕を見ていれば、ボロボロなのも無理ないけれど、ね」
「………………………」
ドアを閉めるなり昏く俯き、入り口から動かなくなってしまったランディへ
ゆっくりと近付いていったプリムは、あと数歩で手が届くというところで立ち止まる。
足元を睨んだままこちらに顔を見せてくれないランディの気が鎮まるまで待つかのように、
声一つ立てず彼の前で立ち止まった。
「僕は…僕のしている事は………間違ってはいないのかな………」
―――そんなプリムの優しさが嬉しくて、同時にとても哀しくて、やるせなくて、
ランディは胸の内へ押し留めていた想いの丈を少しずつ吐き出し始めた。
肩を震わせながら懺悔のように想いを吐き出していく姿は、
冷徹な執行官から穏やかだけどどこか頼りなげな普段のランディへ戻っていた。
「間違っているに決まっているじゃない。
友人を踏み越えて生き延びる貴方の選択は、百人中百人が正しいとは言わないわ」
「………………………」
字面だけ読めば辛辣な避難を浴びせている風に見えるプリムだが、
手首へお守り代わりに友情のバンダナを巻いたランディの左の拳を柔らかな両手で包み込み、
そこへ慈しむようなキスを一つ落としてくれる彼女なりのいたわりは、
今の彼には涙が出るくらい心に沁みるものだった。
「以前から話しているでしょう?
………貴方がどれだけ道を誤ろうと、私は貴方に随いていく、と。
例え世界中の誰もが貴方を軽蔑しても、私だけは最期まで貴方を信じて、
この頼りない背中を支える、と」
「………………………」
今までもそうだった。何もかも投げ出したくなった時、心から挫けそうな時、
プリムは持てる限りの慈愛でランディを癒し、支えとなってきた。
プリムが支えていてくれるから、人一倍弱い気持ちに負けそうになってしまうランディが
今日まで戦ってこれたと言っても過言ではない。
「―――そう、貴方に添い遂げて永遠にね」
特に【アルテナ】へ仕官してからの日々はプリムと二人三脚でやって来たようなものだ。
【ジェマの騎士】として破格の厚遇を受ける彼を嫉む者からの陰湿な攻撃や
自分の能力を超えて求められる成果に何度挫けそうになった事か。
その度にプリムは影に日向になりランディを支え、叱咤激励して彼の再起を示唆した。
決して依存するという惰弱な意味でなく、ランディとプリムは、
分かち合って苦難を乗り越えた今では名実共に一心同体となっていた。
「だから、無理してでも貴方は胸を張りなさい。
【ジェマの騎士】として、一人の男として、デュランへ恥じないように。
ここで貴方が後悔すれば、私だけじゃなくてデュランも本気で怒ると思うわよ」
「………あの人は…そういう人だったね………」
「無理を重ねて、どうしようもなく辛くなったら、ここへ還りなさい。
苦しい気持ちが無くなるまで、ずっと抱き締めていてあげるから」
「………………………ありがとう、プリム………」
心から尊敬する兄貴分を犠牲に自分だけ生き残る事に葛藤が無いわけではない。
【ジェマの騎士】という立場を投げ捨てて、彼を助けたい衝動は今この瞬間にもはち切れそうになる。
けれど、それではダメなんだ。軽はずみな行動を取っては、多くの人々を裏切る結果になってしまう。
身命を賭して【未来】を繋ごうとしてくれるデュランを裏切る事になってしまう。
「礼には及ばないわよ………無償の想いで繋がる私と貴方の間にはそんなモノは不要でしょう?
私には、貴方が、貴方らしく笑顔でいてくれる事が一番の喜びなのだから」
「………わかってるよ…わかってるけど…それでも、ありがとう………」
「………………ん………………」
それなら、歯を食いしばってでも自分は前進しなくてはならない。
デュランの【死】という千億の呪いに勝る業を背負いながら生きていくしかないのだ。
「………本当に………ありがとう………」
この先に待ち受けるのは、きっと一人でいれば自害を選んでしまうほど苦しい生き地獄だろう。
それでも、どんなに苦しくても、プリムという伴侶が支えていてくれる限り、
ギリギリの限界をも乗り越えていけるに違いない。
これまでの事、そして、これからの事に感謝を述べたランディは、
「ありがとう」と語ったその唇をプリムのそれに重ね、ボロボロの心身を預けた―――――――――
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