―――5月9日。
処刑を二日後に控えたデュランを珍しい人物が訪ねてきた。
「………お前に面会を望む者が来ているぞ………いや、本来ならば、
俺のような人間の口からそんな大それた事を言うのは不適切かもしれんが………」
「またアンタはそうやって奥歯に物が挟まったようなコト言いやがって………。
素直に意味が通じるように、どうして単純明快に喋れねぇんだよ?」
「なにサなにサ。どれだけ萎びてるかと思って来てみれば案外楽しそうにやってんじゃん。
ゴッキー並みのしぶとさ&適応力だね★」
よほど暇を持て余しているのか、しつこく話しかけてくるロイドに
瞑想を掻き乱される事にすら慣れっこになったデュランだったが、
この来訪者にはさすがに驚き、眼を丸くした。
「臭いし暗いし気色悪いし、まさにゴッキーが繁殖するには最適な環境だ★
ンま、それっくらいパワフルかつポジティブでなきゃ、とっくにアタマやられるか。
うんうん、実に“歩く桃色リビドー”らしいアブラギッシュ根性だよ。
ある意味、安心しちゃったよ、ワタシ」
「―――フェアリー!」
【ジェマの騎士】であるランディと常に行動を共にしているフェアリーが
一人でデュランが幽閉される座敷牢を訪ねてきたのだ。
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「ランディにくっ付いてこっちに来てたんなら、面会室に呼び出せばいいじゃねぇか。
臭いだの暗いだのブチブチ文句言わねぇでよ。
いくら仏頂面の獄卒だって茶菓子の一つも用意するだろ?」
「お茶菓子くらいで釣られるような安い女じゃないもん。
それよりも自分と一生縁の無い場所へ遊びに行く方がずっとも面白いし★
なんだろ、知的好奇心ってヤツ? ゴッキーホイホイへぶち込まれるアホウの気持ちも
疑似体験してみたかったしね★」
「どうだい、感想は?」
「“歩く桃色リビドー”にはお似合いだね★ ある意味究極なハングリー生活は
ニンゲンを一つ大きく進化させてくれるハズだよ★」
「コノヤロ、俺ぁ茶羽でもなんでもねぇぞ」
格子越しに浴びせかけられるのは相変わらずの毒舌だが、
今のデュランには何故だかそれすら心地よかった。
別にフェアリー曰くするところの“究極なハングリー生活”でマゾヒズムが芽生えたわけではない。
予期せぬ【仲間】との再会が、光差さぬ座敷牢での軟禁に疲弊した心身を癒してくれた―――
(歯に衣着せぬ物言いが気持ちいいなんて話した日にゃ
何されっかわかんねぇな………お口にチャックしとこうか)
―――などとフェアリーに零そうものなら、お得意の【女神】強権執行とやらで
世界規模のドMに認定されてしまうだろう。
「そういや、おたくんトコのバカ弟子、
なんだか元気にウロチョロ動き回ってるみたいでウザいんだけど?」
「弟子? …どっちだ? 幸か不幸か、バカ弟子なら二匹飼ってるんでね」
「察しが悪いってそれだけで罪だね。弟子のウザさは師匠譲りってワケ?
義弟の方だよ、気付きなよ」
「………エリオットか」
『必ず救い出してみせる』と啖呵を切って出て行った後姿が思い出されるが、
まさか本当に東奔西走しているとは思っていなかったデュランは
嬉しいような困ったような、複雑な溜息を吐いて眉を顰めた。
「何そのカオ? まさか知らなかったの?」
「外からの情報は隔絶されてんだよ。初めて聴いたぜ」
「ホークを引き連れてあちこち駆けずり回ってるみたいだね。
こないだもランディ相手に喧嘩吹っかけてったよ」
「………ホークも一枚噛んでやがんのか………」
「あと、キミの妹さんもね」
「ウェンディは、まぁ、エリオットのお目付け役だろうけどな。
あのバカ、誰かが抑えてねぇとすぐ無茶しやがるから」
「成程、兄妹揃って同じ役回りなんだ。相当憑かれてるね、キミたち。
オヤジさんのツケがこんなところにも影響してくるなんて、
侮りがたし、【アークウィンド】の呪縛ってヤツかな★」
「俺らが呪われてるっつーか、あの姉弟がトラブルメーカー気質なだけだ。
―――ランディの気持ちも考えねぇで、エリオットのヤツ………」
エリオットの行動を知らされ、肩を竦めるデュランを横目で見るフェアリーは
物言いこそいつも通りに傍若無人だが、表情は珍しくしおらしいというか、
どこか居た堪れないような、バツが悪そうにしている。
「………デュラン」
「あん?」
「デュランはランディを恨んでる?
なんでアイツの尻を俺が拭ってやらなきゃならないんだー………って」
エリオットが救命に奔走するように、フェアリーも今回の処刑について
思う処が無いわけではなかった。
【官軍】の総大将を一任されたにも関わらず無責任な行動を取ったランディを問題視する
反【アルテナ】派諸侯の責任追及の声を封じ込めるには、誰かが犠牲となってケジメを着けるしかない。
【社会】バランスの崩壊を未然に防ぐには、誰かが一死をもって贖う他に選択肢が無いのだ。
そして、その役目をデュランはランディから受け取った。
愚かな者たちの【アルテナ】への私怨と、【社会】の秩序を一身に背負って露と消える事へ
恨み抱いてはいないのか。本心ではランディを憎んでいるのではないか。
ランディと共に【グランスの牢城】へ入ってからというもの、
フェアリーの心にはこの蟠りがずっと渦巻いていた。
「―――そんな訳ねぇだろ」
まるで「当たり前の事をわざわざ確認しに来たのか?」と腹を抱えるように、
デュランはカラリと笑ってフェアリーの小さな頭を撫で付けた。
恨みや憎しみを微塵も感じさせない明るい笑顔は、果てしなく清々しく、
フェアリーの心に巣食っていた蟠りを一瞬で拭い去ってくれた。
「エリオットが俺の為に走り回ってくれてるのと同じだよ。
【仲間】を助けるのに理屈なんかいらねぇ。俺は弟分を助けたいだけさ。
お偉方の思惑だとか、誰かが犠牲になって云々とか、そんなもんは知ったこっちゃねぇ」
「………………………」
「俺は【仲間】の為に命張るだけだ。
ランディが俺の立場だったら、きっと同じ行動を取ったと思うぜ」
達観すらにじませるデュランの笑顔を見ている内に、ひどく哀しい思いに苛まれたフェアリーは
零れ落ちそうになる涙を見せまいと思わず顔を伏せた。
【仲間】の為だから命を張れると断言するデュランに、この笑顔に、もう二度と会えなくなる。
哀しくて、切なくて、苦しくて………フェアリーの頬をポロポロと伝って落ちる雫は
後から後から、止め処なく溢れてきた。
「………ワタシね、【草薙カッツバルゲルズ】として戦ってたあの頃が
ずっとずっと続くって思ってた。
楽しくて仕方なかったあの日々がずっと続くって。
こんな毎日なら、一千年でも二千年でも見届けたいって、本気で思ってたんだ」
「今だって十分お気楽じゃねぇかよ」
「お気楽でなんかいられない…大事な【仲間】が命を落とそうって時に
平気にしてなんか…いられないよ………」
「………………………」
「………みんながバラバラになってくのを見届けるのが務めなんて、
ワタシ、耐えられないよぉ………」
涙と共に突っ張る気持ちも流れ落ちてしまったのか、
肩を震わせるフェアリーは毒気無く素直な思いを吐露していた。
「耐える必要なんか無ぇ。俺たちはずっと一緒だ。
【草薙カッツバルゲルズ】は終わったりしねぇ―――前にも宣言したじゃねぇか」
「でも………っ!」
「お前は、だから気負ったりしねぇで、肩の力抜いて見守ってりゃいいんだよ。
数億単位の人生劇場を見続けるなんて大仕事、それくらいの遊び心が無けりゃ身が持たねぇぜ?
お気楽なままでいろよ。お気楽なままで【世界】を楽しんで、
時々俺たちの事を思い出してくれりゃそれでいい」
「………なんかソレ、遺言みたいで気持ち悪いんだけど………」
「せっかくの決め台詞だってのに、縁起でも無ぇ言い方すんなよなぁ。
こいつはアレだ、薫陶ってヤツだよ」
【女神】の後継者が、庇護するべき対象の人間に己を強く至らしめる真理を説かれている。
冷静に考えれば冒涜とも思える情景だが、それでいいと思えた。
背負った子に教わる真実は沢山あるのだと、今日までの旅を通じてフェアリーは学んだのだから。
「………今日のワタシはネジが一本外れちゃってるね。
変に感傷的になっちゃってるし」
「ホントだよ。なんか悪いモンでも拾い食いしたんじゃねぇかって薄気味悪かったぜ」
「うわ、なんだよ、【女神】に対する冒涜だぞ、その発言はぁ!
キミみたいな雑食性と一緒にしないでくれる?
ィよ〜し! 首洗って待ってなね!! 訴訟の手続き組んどくからそのつもりで!!!
名誉既存で慰謝料ガッツリ貰っちゃうかんね★」
「微妙にみみっちいなぁオイ、【女神】の後継者ッ!!」
「【女神】の名のもとに練り上げる社会的制裁の恐ろしさ、とくと味わっちゃえ★」
「【女神】関係ねぇよ!! 普通に民事的解決方法じゃねぇかッ!!」
いつも毒ばかり吐いて皆を困らせているのに、今日に限って弱々しくシナを作っている自分が
急に滑稽に思えて、デュランと顔を見合わせて笑った。
………最後には蟠りを吐き出して、【夢】を抱いたあの日と同じように笑い合う事が出来た。
「―――もしも………」
「“もしも”?」
「もしも、無事に再会できたらさ、その日には、また、ランディとも手を取り合える…かな?」
「あいつに伝えといてくれ。それまでには下戸を卒業しとけってよ。
男と生まれたからには、【仲間】と酒の一つも酌み交わす。
これも出来ないようじゃ半人前だ」
「アハハ♪ それじゃその日までにたっぷり鍛えさせておくよ★」
「おう、楽しみにしてるぜ!」
―――ひとしきり笑い合った後、ハタとデュランはある事に気付いた。
「そういや、お前、初めて俺たちの事、ちゃんと名前で呼んだよな」
「………うっさいなぁ、うまく聴き流してよ。
………一生に一度やって来る“素直バーゲンデー”のおまけだよ」
「はは………、俺らの名前は本日限りのご奉仕品扱いかよ」
普段洒落にならないようなニックネームを押し付けているだけに
素直な気持ちでつい名前を呼んでしまったのが不覚だったのか、
デュランに指摘された途端、顔を真っ赤に染め上げたフェアリーは、
照れくさそうに再び俯いてしまった。
結局、二人の談笑はそれからも取り留めなく続き、【草薙カッツバルゲルズ】時代の想い出に話題が移ると、
夜半過ぎまで盛り上がって止まらなかった。
「………生きながら死んでいるような俺だが………
………存在自体を忘れ去られる侘しさは切々と身に沁みるぞ………」
大いに盛り上がるデュランとフェアリーから一人爪弾きにされる形となったロイドは
部屋の片隅で丸くなったまま不貞腐れていたが(合掌)。
†
デュランの処刑が【アルテナ】広報から正式に公示されてからと言うもの、
彼の地元である【フォルセナ】は荒れに荒れていた。
英雄王は【サミット】で採択されたこの決定に準拠する姿勢を見せているが、
城下町に住む町民たちがこれに対して不満を爆発させたのだ。
「みんなの為に頑張ってきたデの字が悪党なわけねぇだろうがッ!!
どうせまた【アルテナ】が勝手に決め付けたに違ぇねぇッ!!」
「アタシらはデュランちゃんを小さい頃からよ〜く知ってるんだよっ!
悪ぶってみせても、あの子の性根はキレイなんだ!
処刑されるような悪事を働ける子じゃあないッ!!」
「今からでも遅かねぇッ!! デュラ坊を助けに行くぞッ!!」
口々にデュランの無実を訴え、座り込みや署名活動等の抗議デモを決行し、
事態の収拾に駆けつけた【黄金騎士団】らを困惑させている。
(………ったく、どいつもこいつも、
なんでデュランの気持ちをどうして察してやれないのかねぇ………)
両親を失くした後、デュランとウェンディを引き取った養母のステラだけは
町中で巻き起こるデモ運動を諦めたような眼で傍観していた。
商店街の人々は夜を日についでドアを叩いて抗議への参加を呼びかけてくるが、
息子の決意を考えれば、とても応じてやるつもりにはなれなかった。
一時の感情で動いたが為に息子の決意を鈍らせては、彼に、彼の実の両親に顔向けできない。
(エリオットも、ウェンディも………どうして叶わない夢を追おうとするんだい………)
デュランが命を捧げる事で【社会】の均衡は守られ、予測される動乱が防がれるのだ。
運命を受け入れて自ら刑場へ身を投じたデュランの決意を、どうして妨げられると言うのか。
それなのにエリオットとウェンディは衝動に任せて行動し、現在も救命に奔走しているという。
命を助ける事が、救済には繋がらない人間もいるのだ、と説いて諭したにも関わらず、だ。
『ボク、難しい事はわかんないよッ!! でも、今度の一件は全然難しくないッ!!
兄貴を助ける事に理屈なんかつけてられるかッ!!』
そう突っぱねて飛び出していったエリオットの言葉が今も耳の奥へ響いて消えない。
直接【グランスの牢城】へ赴くと息巻く町民たちも同じ気持ちでいるのだろう。
理屈も打算も無く、愛すべきデュラン・パラッシュを救う為に【アルテナ】へ戦いを挑む―――
―――ただ衝動へ駆られるままに行動する人々を、ステラは諦観でもって見送るつもりでいた。
自分一人だけはデュランの意思を尊重してやろう、と。
「何も言わず【死に灰】を背負ってやるのも一つの救いじゃないか。
なのにあいつらときたら―――――――――」
―――ふと、暖炉の上に置かれた写真立てにステラの眼が留まった。
「―――――――――………………………」
それは、在りし日にはめ込まれた想い出の軌跡。
顔中絆創膏で固めたデュランと、ヤンチャが過ぎる兄に呆れた様子のウェンディ。
今からずっと昔の写真だ。幼い兄妹は物心すらついていなかった。
そして、その写真の真ん中には、両脇から兄妹に腕を組まれて困っている自分の姿。
―――両親を亡くした悲しみから立ち直り、ようやく笑顔を見せてくれた頃の写真だった。
「…………………………」
当時の自分は剣の道へ打ち込むあまり、適齢期を過ぎても、
結婚どころか男性との交際すら考えないようなガサツ一辺倒な人間だった。
夫に先立たれたシモーヌが後を追うようにして亡くなり、殆ど済し崩し的に二人を引き取った。
今にして思えば育児とは程遠い日々だ。放任主義さながらの養育には、
自分たちを心配してくれる商店街の人々から何度もお叱りを受けた。
心無い事を言ってしまい、何度も二人を傷つけた。お世辞にも良い母親とは言えなかった。
『―――母さんッ!』
何の前触れも無く脳裏に蘇ったこの声は、今では照れくさいのか、
“おばさん”としか自分を呼ばなくなったデュランが、
母の日に初めて贈ってくれた人生最高のプレゼントだった。
「………………デュラン………………」
教えてやれる事と言えば剣術くらいで、母親らしい事は何一つしてやれなかった自分を
初めて「母さん」と呼んでくれた日の事が想い出される。
(―――そうだ、この写真は………―――)
親子三人で写るこの写真は、母の日にデュランとウェンディにせがまれて撮った物だ。
あの時は、そう、どちらが“母さん”の隣に並ぶかで兄妹喧嘩を起こし、
最終的に両方から腕を組む形で解決したのだ。
「………………………」
最愛の息子が、あと2日足らずで生涯を全うしようとしている。
【社会】へ穿たれた溝を埋めるために、その身を贄と捧げようとしている。
それは、他ならぬデュランにしか出来ない事だ。
「………………………」
だからこそ、母親として、息子の決意を尊重しなくてはならないと、
町民に混じらず諦観を決め込んできた。
「………………………」
―――けれど、最後には、写真立ての傍へ寄り添うように暖炉へ立てかけられた、
二振りの息子の剣が目に入った瞬間、衝動は毅然たるステラの諦観を押し流した。
「―――――――――アタシもとんだ大馬鹿者だねぇ………」
【剣聖】と畏怖される所以であるツヴァイハンダー二刀を手に取って
玄関のドアを蹴破るステラの背中には、息子が愛用してきた二振りの剣が背負われていた―――………
†
「………誰よりも一番にデュランを助けたいと思っとるんはケヴィンなんや。
あいつの気持ち、解ったってくれや」
【ベイル高原】からの逃避行の最中にある物を手渡されたエリオットの心へ
カールの言葉が、ケヴィンの想いが、重く強く圧し掛かった。
「デュランを助けるにはワイらが力ぁ貸すんが一番や。
けんど、ケヴィンが言うように、ソレをやってもうたら、
【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】の名は地に墜ちる。
これまで築いてきた信頼がパーになってまうんや。
あいつの立場上、それだけはでけんし、仮に乗り気になるようならワイもルガーも止めとった。
………看板を背負って立つ人間っちゅうのは、悲しいくらいに不自由なモンなんよ」
「………………………」
「ワイらには、ワイらのやらなけりゃならん事がある。ワイらにしかでけん事や。
デュランの代わりに【マナ】を悪用するアホウと戦うのもその一つやな。
………それもこれも、デュランを助けてしもたらダメになってまう」
「………………………」
「辛いけどな、哀しいけど、それが【大人】なんや。
一番大事な時に、背負ったもんを投げ出して駆けつけられない、な」
「………………………」
「せやから、ケヴィンはお前さんにコイツを託したんや。
念じれば叶えられる【子供】でいられるお前さんに全部託したんや」
カールを通してケヴィンから託されたのは、『ビルバンガーT』。
どん底まで落ち込んだデュランを元気付けようとケヴィンが設計し、
一度は粉々にされてしまった手乗りサイズのカラクリ人形だった。
「ケヴィンの想いも、ワイの想いも、お前さんに託したで、エリオット」
―――助ける事もせず一方的に託すのが【大人】のする事なのか。
自分で渡さなければならないモノを人伝に頼むのが【大人】なのか。
「………何が【大人】だよ………みんな勝手に押し付けやがって………。
ふざけんなよ、畜生ッ!!」
試作一号機の頃からだいぶ改良を施されたディティールが光る『ビルバンガーT』は
悔しさに駆られて地面へ叩きつけてもビクともしなかった。
ヒビの一つも破損しない『ビルバンガーT』が、打ちひしがれる自分を
嘲笑っているかのような錯覚を覚えたエリオットは力任せに踏み壊そうと足を上げたが、
その瞬間、何とも言い難い無常感に叩きのめされて膝から崩れ落ちた。
「………なにもかも…終わったんだな………」
ランディに裏切られ、ヒースに陥れられ、ケヴィンにも見限られた今、
デュランを救命する手立ては潰えたと悲嘆しても過言ではない。
【社会】に対して威光を有する光の司祭や【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】の後ろ盾を
得る事は叶わず、そればかりかデュランの処刑など知った事ではないと見捨てられたのだ。
必死に張り詰めてきた気力も体力も、最早限界へ達していた。
「人の事さんざヘタレ呼ばわりしといて、お前は結局諦めるのかよ。
諦めたら終わりだって、お前が言ったんじゃないのかよ?
自分で決めた事を放り投げるなんざ、お前はロクな“漢”にゃなれねぇなッ!」
「………もういいよ、エリオットクン。キミは十分頑張ったよ。
これ以上、無理を重ねたら、キミの方が先に死んじゃうよ………。
だから、ね、もう気を張らなくていいんだよ? もう休んでもいいんだよ?」
どこかで誰かが叱責とも労いともとれる声を掛けてきたが、
鬱屈へ埋没するエリオットの耳には届かない。
ボロボロになった心と身体は、どことも知れない道を彷徨い、
段々とデュランの幽閉される【グランスの牢城】から遠ざかっていた。
―――絶望に塗り固められ、全てを諦めかけていた。
「エリオット…? エリオットではありませんかっ!
それにウェンディちゃん…ホークまで…っ? 一体何があったと言うのですっ!?」
「………………………姉様?」
不意に耳へと響いたその声に、疲弊しきったエリオットの身体が反応した。
刹那、ぼやけていた世界がワッと彩りを取り戻し、飛び込んできたのは懐かしい光景。
視界一杯に広がったのは、少しずつ復興が進む故郷【ローラント】と、
突然の来訪に目を丸くするリースの泥だらけな姿だった。
「………………………」
「エリオット?」
「………ボク………ボク………」
その瞬間、絶望の呪縛によって忘却していた感情が、どうしようもない悲しみが
堰を切って溢れ出し、エリオットはリースの胸に飛び込んで泣き声を上げた。
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