「外見からすると石造りの迷宮ってイメージがあるが、中身はまたえらい事になっているな………」
ピラミッドの内部へ足を踏み込んでまず感じたリチャードの率直な気持ちは、この一言に尽きる。
彼の言葉通り、外見が石造の三角錐ならば、内部もモルタルの迷路だと誰もが想像していたのだが、
そこに広がる光景は、まるで現世と常世の狭間。
物理法則を無視して水晶の浮島が西へ東へ飛び交う亜空間が凹凸チームを待ち構えていた。
「………フン、石造りの外壁はこの亜空間を封印する役目を務めていたのかも知れんな」
「脳味噌筋肉なワンちゃんにしちゃ珍しく鋭いじゃねーの。
俺もそう思うね。あの世との境界線がこの世に食み出さないように
誰かさんが上からスッポリ被せたんじゃないかってね」
漆黒の宙(そら)に蒼白のスパークが時折鈍く閃く亜空間を渡るには、
どうやら水晶の浮島を足場に渡っていくしか無いようだ。
遥か向こうの大きな浮島では、更なる深淵へ挑戦者を導くモノと思しき祠が淡く明滅して
こちらの到着を待っているが、入り口から地続きになっていた石造りの路は途中で途絶えている。
是が非でも緩急様々な浮島へ跳び乗って行かなくてはなるまい。
「………この地に眠るは、最も小さく最も強大な破壊の衝動………。
………遍く精霊を貪り、生けとし生ける存在を侵さんとする滅びの獣………」
「あん?」
「………ピラミッドとはそれを観察した学者が勝手に命名した呼称………。
………無窮の魔域【ナイアラトホテップ】の大扉が開かれたという事は、
その暴威が一万年の封印から目覚めたという事………」
「………【ナイアラトホテップ】。フン、体を表すご大層な名前だな」
「つまり、ジョンちゃんの目的はその暴威とやらをブチのめすコトなんでしょ?」
万が一でも足を滑らせれば、どこまでもどこまでも無限に落下していく事になりそうな亜空間を
見下ろしながら漏らした“ジョン・スミス”の微かな呟きをヴァルダは逃さず聞き取っていた。
だいぶ長い事喋ってはいたものの、当人には独り言のつもりだったようで、
オウム返しに質問を向けられた彼女は大きな眼を丸くしていた。
「私らも財宝目当てでピラミッド―――っと【ナイアラトホテップ】だっけ。
そんなヌケサクな動機で【ナイアラトホテップ】へ乗り込んだワケじゃないの。
【光の司祭】様にね、不穏な空気があるから調査して来いって派遣されたのよ」
「………お姉様たちが………?」
「そして、何か善からぬ動きがあれば、これを断ち切る。
私たちは常に正義へ基づいて冒険をしているんだ」
「………不思議なもんだなぁ。リチャードの言ってる事ってば正論のハズなのに、
ここぞとばかりにカッチョ良い台詞吐いて
ヴァルダの気を引こうとしてる風にしか見えないんだよなぁ」
「不思議でも何でも無かろう。ワシの眼にもそう映る以上、下心があるとニラんで然りだ」
「………………………お前たちの中で私はどんな存在なんだ」
「「ド変態」」
「………………………」
「おい、脱線はその辺にしとけよ。
リチャードがダメ人間だってのは生まれついての決定事項なんだからよ。
それよりも今はこっちだ。………詳しく聴かせてもらおうじゃねぇか、“ジョン・スミス”」
膝を抱えて落ち込んでしまったリチャードにフォローの一つすら差し伸べてやらずに流したロキも酷いが、
今はそんな瑣末な事よりも“ジョン・スミス”の発言へ注目すべきなのは確かだ。
「精霊を貪り食うたぁ穏やかじゃねぇ。その上、滅びの獣と来たもんだ。
このピラミッドにはどんな輩が寝ボケてるってんだ?」
「………ピラミッドじゃなくて【ナイアラトホテップ】………」
「うっせぇ、ンな細かい事はいいんだよ、この際。大事なのは化け物の正体だ。
まさか世界を滅ぼすだの何だのって物騒なモンじゃねぇだろうな?」
「………Yes,Big hits.Wow! Bingo………」
「―――よし、お前ら、帰るぞ」
「はぁ!? おま…、マジで言ってんのか!?」
直訳すると「ハイ、仰る通りです」になる“ジョン・スミス”の返答を聞くなり
踵を返したロキの腕を慌ててフレイムカーンが引っ張った。
「当たり前だろッ! 俺らは何者だ? ただの冒険者だッ!!
世界の命運背負うなんざ荷が重すぎらぁッ!!
そーゆーのは伝説の勇者サマとやらに任せとけッ!!」
「だからと言って敵前逃亡しても仕方があるまい。
どうせ明日にもやって来る滅びであるなら、
こちらから出向いて一矢報いてやろうではないか」
「ていうか、伝説の勇者って誰よ? 伝承の【ジェマの騎士】の事でも言ってんの?
そんな変身ヒーローみたいな水物の登場を待ってて意味あると思ってるのかしら?
バッカじゃないの、このイ○ポ野郎ッ!! 」
「俺はリーダーとして冷静に物事を判断してだなぁ―――っつか女が軽々しく、
イ、イ○ポなんて使うんじゃねぇッ!!」
「だってそうじゃないのッ!! 世界を脅かす化け物とバトろうってのよ?
ビビるどころか血沸き肉踊るシチュエーションじゃないのさッ!!」
「だったらお前、【アルテナ】の兵団かき集めてから挑めよ!!
俺らだけでそんなとんでもねぇのにぶつかって、もしも全滅なんかさせられちまったら、
俺ら、末代まで恥さらしだぞッ!?」
「果てた後の心配をしてどうするのだ。散るなら散るで末代まで褒め称えられるように
立派に戦い良く死のうではないか」
「俺らはいいんだよ、死んじまったらそれまでだからな。
残された家族はどうなる? 末代まで恥をさらしながら生きなきゃならねぇんだぞ?
お前ら、自分の家族にそんな苦しみ背負わすつもりか? それで平気に逝けるのかッ!?」
臆病風に吹かれたかと思うようなロキの説得は、冷静になって聞き入れば正論ばかりだった。
滅びの獣とやらが未だ覚醒に至っていないと仮定しよう。
にも関わらず戦いを挑む事で悪戯に刺激し、完全な目覚めを招いてしまうような事態になれば、
自分たちは世界に災厄を振り撒いた死神として未来永劫謗りを受け続けるだろう。
しかし、その時には自分たちはこの世にはいないのだから、極端な話、直接関知するトコロではない。
問題なのは故郷に残してきた近しい人々だ。
「腐っても俺はリーダーだ。家族も立場もひっくるめてお前らの命を預かる責任がある。
“ジョン・スミス”には悪いが、今度の戦いには賛同しかねるぜ」
未来永劫に愚か者の烙印を押されれば、その余燼は家族や恋人、友人にも波及する。
ましてヴァルダとリチャードは王族だ。指導的な立場にある人間が短慮の末に
世界へ災厄を振り撒こうものなら、国家そのものが立ち行かなくなる。
ロキはその事を危惧して攻撃の撤回を呼びかけているのだ。
万が一仕損じた際に責任も取れない自分たちでは、
世界の命運を背負うにはあらゆる意味で若過ぎると理解しての判断だった。
「ホントにド腐れてるわね、ウチのリーダーは。
肝心な時に役に立たないならリコール請求しちゃうわよ」
「己が命の使い道は己で決める。お前は実に頼りになるリーダーだ。
ならばこそ、個人の意志を捻じ曲げるような無粋を働く真似はすまい?」
「お、ワン公、冴えてるじゃねーの。そうそう、俺らは自分の責任で先へ進むんだって。
家族に対する責任もそん中には含まれてんだぜ」
「近しい人々に迷惑が及ぶのを防ぐ為にも全身全霊を傾けられる………守りたいモノがあるなら、
いや、守るべきモノの為にこそ、人は強くなれるんじゃないか。
強くならねばと覚悟を固められるんじゃないのか、ロキ」
「………………………」
危惧を突きつけてから、「そうだ、こいつらは口で言って聞き入れるような連中じゃなかった」と
ロキは溜息と一緒に肩を落とす。
――――――彼らは、若い。彼らは、若過ぎた。
【滅びの獣】なる未曾有の危機を根絶せしめようと逸るヴァルダたちも、
“自己責任”という言葉の意味を考えず、その重みも知りえない彼らを
大人ぶって諌めようとするロキの理屈も、全てがみな若かった。
「………諦めも肝心です。チキンでもいいじゃないですか。
………ガクガクブルブルびびりながら朕の後ろから随いて参るが良いぞ、貧弱なる愚民よ………」
「うるせぇッ! うるっせぇッ!! もう知るかッ!!
英雄気取って地獄に飛び降りて来い! しゃかりき死んで来やがれッ!!」
常に前へ向かって進んでいく若者たちの勢いを止める事など、誰にも出来やしない。
どうあっても止められないのであれば、ロキが選べる道はただ一つだった。
†
「………いるのよねぇ〜、最初にブツクサ文句ぶっこときながら、
一旦ハマると誰より熱中するバカ。結婚できない男の代表格じゃないの」
呆れたように首を振ってみせるヴァルダの視線の先では、
【ナイアラトホテップ】に巣食う大型モンスター共と懸命に刃を交えている。
名誉挽回とばかりに奮起するリチャードの太刀筋は鋭く、
猛牛を彷彿とさせる魔獣、ベヒモスの巨大な角を一瞬で横薙ぎに払った。
そこをフレイムカーンが手裏剣で追撃し、怯んだところへガウザーが得意の体術を叩き込む。
イマイチしっくり行っていない印象を与える“凹凸”の冠を吹き飛ばすのに十分な
流麗たるコンビネーションだ。
まともに向かい合えば苦戦を余儀なくされるだろう大型モンスターに付け入る隙さえ与えない。
「これでトドメ――――――【断界】ィッ!!」
コンビネーションのトリを飾るのは、あれほど必死になって皆を引き止めていたロキの奥義である。
全身の筋力を振り絞って繰り出された縦一文字の重撃は、大仰な名前に恥じない破壊力を炸裂させ、
自分の10倍はあろうかと思われるベヒモスを一刀両断に斬り伏せた。
「………目の前のを一匹潰して油断するのはどうかと思う………」
「油断? 誰が? ―――そいつはこの化け物共に聴いてやれよッ!!」
ベヒモスを斃すや否や、その屍を踏み越えて首を覗かせた新手へ俊敏に飛び掛り、
得意の【交叉槍(ツインランス)】を突き立てる“ジョン・スミス”の脇を一陣の烈風が吹き抜ける。
烈しき風は、新手――大蛇【ザッハーク】――に向かって吹いていた。
「………【雷暈(いかずちがさね)】ッ!!
お前んとこの武芸にもこう言う便利な奥義はあるんかい?」
「………武芸っていうか、それ、大道芸………」
ライフルの弾丸のように全力で射出された愛剣の刀身へと飛び乗り、
そのまま刃と共に敵へ突貫する【雷暈】の技は、ロキにとって自分の修めた流派の汎用性を
語る上で外せないものの一つだが、“ジョン・スミス”の目から見えれば大道芸にしか映らないようだ。
「てめッ、コノヤロ、もういっぺん言ってみろッ!! 誰の奥義が大道芸だと、あぁンッ!?
あんま調子ン乗ってっとシメるぞコラァッ!!」
【ザッハーク】の長大な眉間に突き刺さった愛剣を引き抜いたロキは、
自慢の技を鼻で笑った“ジョン・スミス”へ噛み付きながらも油断なく返す刀で斬り込み、
一撃で大蛇を仕留めた。
“天下無双”としか形容できる言葉が思い浮かばない。
一撃の重み、太刀筋の確かさ、鋭敏な身のこなしのどれを取っても非の打ち所が無いロキの戦闘力は
鬼神の如き凄まじさである。
「………傍にいるだけでウザいヤツって、探せば結構いるモノね。それも意外と身の周りに。
心の底から地獄に落ちて欲しいと思ったのはリチャード以来だわ」
「え? 何? 私の事を呼んでくれたのかい、ヴァルダ?」
「誰が呼ぶかッ! いちいち反応すんな、キモいんだよッ!!」
「ははは、最大の挑戦を前に緊張してるからって、そんな照れなくてもいいんだよ。
いつもと同じように私を頼ってくれ」
「あーーーッ!! マジで死んでくれないかなッ!! 真剣に窒息死してくれないかなッ!!!!
腐った脳みそ引きずり出して漂白剤に漬け込んでやりたいッ!! 一晩中漬け込んでやりたいッ!!!!」
前線で戦う仲間たちをサポートしつつ、背後から奇襲してきた蟲型のモンスター【サルカフォゴス】を
【ペネトレイト】の雷撃で貫いたヴァルダは、こんな状況下でも言い寄るリチャードの鼻っ柱を
無残にもトゥーキックで沈めると、恐れをなして退散する途中だった吸血獣【チュパカブラ】の群れへ
【シャフト】の魔法を浴びせかけ、まるで溜まりに溜まった鬱憤でもぶつけるかのように
ズタズタに引き裂いてしまった。
「オトコってッ! どこまでもッ!! 身勝手でッ!!! 腹が立つったりゃありゃしないッ!!!!」
そう、これが鬱憤の正体。
喧嘩腰にまでなって制止しておきながら、いざ探索が決定するとロキは、
「お前ら、俺に随いてこいッ!」と言わんばかりに急に先頭へ立ってリーダーシップを発揮し始めた。
それだけでも呆れてしまうと言うのに、モンスターの群れと出くわしてからと言うもの、
誰よりもイキイキと秘剣を振るう溌剌さまで見せ、それがヴァルダには癪に障って仕方が無いのだ。
「お前も大概忙しい娘だな。やる気が見られないと憤り、やる気が出ても歯軋りする。
あまりと言えばあまりに不憫と思えるぞ、ロキが」
「ガウザーは何とも思わないわけ? 男のクセしてコロッコロ意見を変えるなんてさ!
リーダー失格なのはモチロン、人間としても信用を欠くわねッ!! リチャードばりに最低ッ!!」
「よ、呼んだかい、ヴァル―――へぶッ!!」
「だからてめぇは沈んでろつってんだろーがッ!!」
「………リチャードの場合は、ここまで来ると不憫には思えんがな。むしろ軽蔑の対象だ」
「軽蔑するだけ時間の無駄よッ!! それで、何? ガウザーはロキを擁護するわけッ?」
「擁護はせぬよ。仲間に不快感を与えた以上、ロキにも落ち度はあったはずだ。
しかし、それについて糾弾するつもりもワシには無い。
清濁共に受け入れ、信じてやるだけよ、あやつの生き様を、な」
「なによ…それ…?」
「………フン。強いて言えば“男の世界の話”というモノだ」
苛立ち紛れにリチャードの後頭部を踏みつけたヴァルダの眼には優柔不断に見えたようだが、
苦笑いを浮かべるガウザーにはちゃんとロキの心根が理解できていた。
(………どこまでも不器用な男よな、ロキ・ザファータキエ………)
説得が聞き入れられないのであれば、引き返す事が叶わないのであれば、
自分が先頭に立って仲間を危難から守らなければならない―――
―――例え考え方が青臭く、言葉では誰も引き止められないロキであっても、
一団を預かるリーダーとしての責任感は強い。
仲間たちの安全には責任を持つべきと真剣に考えるそんなロキが、
世界を救うなどという異常事態へ巻き込まれた時、選ぶ道はただ一つ。
掌を返したようだ、と後ろ指を差されようとも仲間たちに先んじて前を進み、
危機があれば剣でもって振り払う事だった。
「おしッ! これでここいらのモンスターはあらかた片付いたみてぇだな」
「なにが、“おしッ!”だよ! こいつめ、爽やかサンを気取りやがってぇ。
置いてけぼりになんのが怖くてあんな風に反対してたんじゃないのかぁ〜?」
「アホ抜かせよ。お前らだけじゃ最深部へ辿り着く前にくたばると思ったからじゃねーか。
親心だよ、親心」
「なにが親心だよ、調子イイ野郎めぇ〜」
一団を引率するリーダーとして、果たしてこの選択が正しいのかは解らない。
もしかしたら自ら突き進むのは判断ミスだったかも知れないし、
最後まで説得を試みるべきだったかも知れない。
だが、それでもガウザーはロキの選択を受け入れ、心の中で拍手さえ送っていた。
仲間の安全に責任を持ち、己の身を挺して守ろうとするだけの度量と器が備わっていなくては
リーダーなど到底務まらないからだ。
鬼神の剣腕だけでなく、度量と器を兼ね備えたロキは、まさしく凹凸チームを率いるに相応しい豪傑だった。
―――この高いカリスマ性が後に【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】を組織するガウザーの礎となり、
また、父親と同じように一団を率いるリーダーになる息子、デュランへ受け継がれたと解釈するのは、
おそらく考え過ぎでは無いだろう。
「くたばる心配なんかいらないわよ。
ジョンちゃんのお陰でトラップというトラップはスルーできてんだし、
モンスターは、ほれ、この通り。アンタの力が無くたってこの程度の連中なら根絶やしにできるわ」
現在、凹凸チームが探索している階層は、概算にして地下40F。
行くか、帰るかとすったもんだを繰り返した1Fからだいぶ奥底へと進んでいる。
浮島を跳んで渡るしかない様に見えた陰湿なトラップには、
さしものヴァルダも最初は二の足を踏んだものだが―――
「………ノー・プロブレム。いちいちお約束を踏襲してやるお人好しなんて、
今のご時勢サーチする方が大変です………」
―――ここで戦闘以上に力を発揮したのが“ジョン・スミス”だった。
卓越した【交叉槍(ツインランス)】の技術だけでなく、精霊を使役する才覚にも恵まれた彼女が
対象を浮揚させる事が出来る【ホバリング】の魔法を仲間たちへ付与、
覗き込むだけでも足が竦む浮島のトラップをスルーしてしまったのだ。
「だからっつっても、お前、こんなん反則じゃねーかよ………。
冒険のボの字もありゃしねぇぜ」
浮島に始まり、突然あらぬ方向へ動き出す足場、頭上から降り注ぐ水晶の槍、
眼に見えない架け橋等など、これでもかと言うくらい仕掛けられたイヤらしいトラップは
“ジョン・スミス”の白魔法で完全回避。
転送装置を目指すのが単純な流れ作業にすら思えてきていた。
これらの反則的な手段は、大概の場合、結界等によって限定されていそうなものだが、
構築されたのが古代だったのでそうした反則を規制する機能が備わっていなかったのか、
はたまた“ジョン・スミス”の技術が規制力以上に強かったのか、
事の真相こそわからないものの、地下40Fへ至るまでの道中【ホバリング】で
反則技が強制的にキャンセルされる事は無かった。
趣向を凝らしたトラップを施工した古代の建築士には申し訳ないが、
モンスターの襲撃さえ除けばピクニックに等しい平坦な道のりである。
「先に進むのはラクチンポンだけど、いい加減、ウザくなってきたわね。
あと何階あるわけ? 足がバカになってきちゃったわよ。
―――それからそこの色情魔、何を企んで手もみしてるかお見通しだからね。
指先でも私の足に触れたらマジでこっから突き落とすからそのつもりで」
「………………………」
先に釘を刺された破廉恥なリチャードは捨て置くとして、
さすがに40階層も歩き通しでは疲労も蓄積されてくる。
筋肉の鎧に包まれたロキやガウザーと違って華奢なヴァルダの足は限界に近付いていた。
「手前ェでブッコミをゴリ押ししたんだろうが! 弱音吐くんじゃねぇ!」
「うわ! 弱音って!! 私は自分の体力を冷静に計算しただけじゃないの。
それを弱音って、アンタ、ホントに脳味噌まで体育会系ねぇ!」
「普段身体鍛えてねぇヤツが悪いんだよ」
「アンタみたいになるならこっちから願い下げよ。
元気があればなんでも出来ると思い込める都合の良い脳味噌にゃなりたくないからね」
「ンだとぉ…ッ!?」
「あによっ!?」
不意に漏らした弱音を惰弱と誹るロキとヴァルダが本日何度目とも数え切れない睨み合いを始めた。
それぞれモンスターを仕留めた位置にいる為、二人の距離はやや離れていたが、
睨み合う視線の衝突する空間にはバチバチと火花が散っている。
「その辺にしておけ。二人とも疲れておるから些細な事で目くじらを立てる。
迷宮の只中につき危険は伴うが、ここはしばし休憩を取ろう」
「いや、この二人がいがみ合うのは疲れとか関係ねーだろ。いつもの事じゃんよ」
「………貴様はどうしてそういちいち水を差すのだッ!」
ただでさえストレスが溜まっているというのに更に無意味に疲労を重ねるロキとヴァルダを
見兼ねたガウザーが二人の仲裁に入ろうとした矢先、今度はフレイムカーンが横槍を入れるものだから、
いよいよ収拾が付きそうもなくなってきた。
皆、戦闘による疲労といつ最下層に到達するともわからない長大な道のりへのストレスが
相当に溜まってきているようだ。
「………ヘイ、下僕ズ! ここは一つ、朕の靴を舐める事で縦と横の繋がりを築き、
自分たちが目クソを嘲笑う鼻クソであると気付くが良いぞ」
口を開けば変態行為だけのリチャードは既にアテに出来ないと見限った“ジョン・スミス”が
自ら事態を収めるべく動いたその時だった―――――――――
「「「「「「………ッ!!!???」」」」」」
―――――――――【ザッハーク】を仕留めたロキと“ジョン・スミス”、
【ベヒモス】の屍が山を築く付近で口喧嘩へ没入するフレイムカーンとガウザー、
遠方から魔法攻撃を仕掛けた為に彼らからも離れていたヴァルダと、彼女に擦り寄るリチャード。
散り散りに三箇所へ別れる形となっていた彼らを完全に引き裂くかのように
足場としていた浮島が突如三方向へ分解した。
狙ったとしか思えないタイミングの上、ちょうど凹凸チームを三つのグループに分断する軌道である。
「トラップッ!? …フンッ、小賢しいッ!! 我らがチームを引き裂こうと言うかァッ!!」
「今の今まで床板が軋むような動きも俺には拾えていないッ!!
それなら、これは、何か人為的な―――――――――………………………」
何らかの噴射を発しているのではないかと我が眼を疑ってしまうほど浮島の動きは早く、
大きな物音が鳴り響いた瞬間には、互いの手を取り合えないくらい遠ざけられていた。
それどころか、突然のトラップ発動を分析し、解析していたフレイムカーンの声すら
影も形も飲み込む彼方へ引き摺っていってしまった。
「………お姉様っ!」
「―――あァん、ダメよ、ダメ! 今そんな嬉しい呼び方されたら、
ピンチの時に(快楽的な意味で)力が抜けちゃうわっ!」
呆然としているヴァルダの横で何某か邪悪にして恍惚な微笑を浮かべるリチャードの心の中は、
今頃、「これはいわゆる吊り橋効果で一発逆転狙えるかもッ!?」などと嬉々としているに違いない。
トラップを作動させた真犯人とは、果たして仲間たちを人払いし、ヴァルダと二人だけの空間を
作ろうと画策したリチャードではないか? 状況的に考えて不可能に近い仮説を
「いや、しかし、まさか…」と疑わせてくれるくらい、ヴァルダと二人で闇の空間へ消えていく
リチャードの顔には不謹慎にも助平の二文字がデカデカと浮き上がっていた。
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
誰がどう見てもサイアクなリチャードは放っておいてもヴァルダがしばくだろうから
ここは捨て置くとして、今は無視できない難局をどう打破するか、である。
「はぐれちまったか………ッ!」
「………この空域には既にいないみたいです。あの人たちの魔力を少しも感じない………」
「するってぇと、お前の白魔法でも見つけられねぇってわけか」
「………Yes………」
「………どこのどいつさんか知らねぇが、ギリギリ聞き取ったフレイムの声が確かなら、
俺らは相当厚遇されてるみてぇだな………ナメたマネしてくれやがる………ッ!」
「………………………」
スペースが有限に収められているわけではなく、遥か無限に広がる亜空間の中で
はぐれてしまったら、再会は絶望的と考えるしかない。
瘴気めいたガスと歪曲する時空の他には、見渡せど見渡せど浮島以外に探し当てられない
【ナイアラトホテップ】の渦中では手がかり一つも掴みようが無いからだ。
「………………………」
「………………………」
急速な変移が終息した水晶の浮島に二人きりで取り残されたロキと“ジョン・スミス”は
仲間たちが吸い込まれていった虚空を凝視したまましばし沈黙に落ち込んでいたが、
やがて意を決したかのようにキュッと唇を真一文字に締ると、今度は顔を見合わせ、
静かに炎が灯る互いの瞳に頷いた。
「………前に、進みましょう」
「………へぇ…、俺の言いたい事がもう察知できてるみてぇだな、その口ぶりじゃあよ」
「………他に方法はありませんから」
「違いねぇ」
前進するしかない。ただひたすらに虚空を裂いて、突き進むしかない。
フレイムカーンが推察したように盗掘人と思しき先客がこちらの戦力を散らすべく
故意的に足場を分離させるトラップを発動させたのなら、このままにしておくわけには行かない。
(空間がどれだけ広がってようが………最後に目指すゴールは同じだ………ッ!!)
そして何より、バラバラに分断された仲間たちと無事に再会するには最下層へ到達するより他に
可能性が残されていないのだ。
【ナイアラトホテップ】がどれほどの広大さを持ち、仲間たちがどこへ連れて行かれたのかも解らない。
しかし、滅びの獣はたったの一匹。倒すべき存在が眠る玉座は、
いかに【ナイアラトホテップ】広しと言えどもたった一つしかない。
ならば、離れ離れになった仲間たちがそこを目指して追いかけてくるのは自明の理というものだ。
いつか巡り合う偶然というには、可能性も信憑性も限りなく高い。
策謀によって散らされた悲運を嘆くよりも、仲間たちの底力を信じて再会のゴールを目指す方が
ずっと救いがあるではないか。
「………お姉様………」
「心配すんな。すぐ休もうだのなんだのとゴネやするが、あいつもあいつできちんと鍛えてる。
殺したって死なねぇヤツなんだぜ? 心配するだけ余計な体力使うからやめときな」
「………いえ、私が心配なのは、あの色情魔のコトで………」
「………ふたりきり、か………」
「………はい、ふたりきりです」
「………あのバカがブチ壊れても、止めるヤツが誰一人いねぇってコトだよな」
「………新聞の一面を飾るようなスキャンダルに陥らなければいいんですけど………」
「女性人権団体から猛攻撃されるような事件っていうか、俺はリチャードのが心配だぜ。
………誰もヴァルダを止められないんなら、手加減抜きでもぎ取られちまいそうだ」
「もぎ…取る?」
「………ワリ、聞き流してくれ。寝泊りが男所帯なせいでギャグが下ネタばっかになっちまった」
「………???………」
「お、オラッ! 細けぇコトにいつまでもこだわってないで足動かせッ!
今はひたすら最下層を目指すッ! 不本意だが、それまでは俺の背中、お前に預けるぜ」
「………いまいち腑に落ちないのですが、背中を預け合うのはラジャりました」
物事が良くなるのも悪くなるのも考え方一つだと先人は良く云うが、その点ではロキたちには問題は無い。
青春を生きる若者たちの衝動は、どこまでも前向きに先端を延ばしているものなのだから。
きっと今、仲間たちも昏いこの空の下で同じ風に前向きな決意を固めている頃だろう(リチャード除く)。
「―――っと、おダベりの時間はここまでか」
「………ウェストミンスターチャイムはよく聴いていると、
ガランゴロンと幾つもの音色に反響してるじゃないですか。
そこから頂戴して、楽しいお喋りを妨げるお邪魔虫はいつも決まって団体さんだと物の本に………」
「飽きた! ダレる!! だらっだらと長い上に意味が通じてねぇッ!!
音色の反響と団体がどこをどうすりゃ繋がンだよ? 複数だからか? それだけか?
根拠が支離滅裂じゃねーかッ!?」
「………この場合の団体さんというのは、プロレス団体の事を差しているのであって複数形は関係ナッスィングです」
「余計に意味が通じてねぇっつーのッ!! 複数形の団体さんって意味ならいざ知らず―――よォッ!!」
どこで入手してきたのか、怖いもの見たさに本気で興味をそそられる“物の本”から
またしても理解に苦しむ一文を諳んじた“ジョン・スミス”の目の前で一筋の閃光が瞬き、
続いて小規模な爆発が起こったのはそのすぐ後だった。
「ったく、お邪魔虫ってのは、マジで先急いでる時に限って団体さんで湧き出すもんだぜッ!!」
「………WWE? UWF………?」
「人語どころか九九も足し算も通じなさそうな野蛮物相手にお前は何を求めてんだ、あァッ!?
そんなにプロレス団体結成したきゃ、どこぞのマット界にでも飛び込んで来いッ!!」
【爆陣】という呼び名が付いた広域攻撃用の奥義で尖兵を弾き飛ばしたロキと“ジョン・スミス”の眼前には
いつの間にかおびただしい数の獣気が蔓延していた。
コヨーテのように集団で人間を襲う修正を持つ魔狼【オルトロス】の群れだ。
自分たちが最も得意とする間合いまで息を潜めて近付く魔狼共にいつの間にか二人は囲まれていた。
【ナイアラトホテップ】を我が物顔で闊歩するヤツらの眼には、二人は新たな餌として映ったのだろう。
低く呻き声を上げながら舌なめずりする汚らしい音は、辛抱堪らず先んじて駆け込んできた数匹を
ロキが【爆陣】でもって跳ね飛ばしたにも関わらず、十や二十では収まりそうにない。
「………凶暴さと徒党の数で考えるのであれば、複数形でもプロレスリングでも、
“団体”という言葉の意味にそれほど差があるとは思えませんけど?」
「たまには考えが合うんだな………俺も今、同じ結論に辿り着いたトコだぜ」
やがて魔狼たちは円を描くように二人の周りを入れ替わり立ち代りうろつき始めた。
こうやってグルグルと周回する事によっていつでも襲えるのだと脅しを掛け、
抵抗する戦意を削いでしまおうという魂胆が見え見えだが、百戦錬磨のロキも、
女だてらに直接戦闘に慣れている“ジョン・スミス”のこの程度の浅知恵には少しも同時はしない。
敵は豪胆だ。下手な脅しは通用しない。そう悟った【オルトロス】は素早く戦法を変え、
数で勝る利点を生かした物量作戦に出た。
―――ゥルォォォォォォゥゥゥゥゥゥウウウァァァァァァ………ッ!!
耳をつんざく雄叫びを合図に、前後左右から一斉に飛び掛ってきた【オルトロス】の群れを
正面から睨み据えたロキと“ジョン・スミス”は、文字通り背中を合わせてこれに応じ、
愛剣の切っ先を、【交叉槍(ツインランス)】の穂先を、膨大に犇めく敵影へと向けた。
「………『三下が束になろうが敵じゃねぇッ! 数集める前に足りない実力補ってきやがれッ!!』―――
―――そんなところでしょう?」
「………………言おうとしてた決めゼリフ、丸々取られたよ、オイ………………」
渋々と不満を漏らしておきながらロキと“ジョン・スミス”の呼吸は実に整合が取れており、
唸りを上げた剣戟双嵐の凄まじき事比類無く、狡猾な知恵ばかりが働く群狼が向かって来れば、
向かって来た分だけを、否、それ以上の数を見る見るうちに駆逐していった―――――――――………………………。
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