否応なく戦士の神経を尖らせる獣共の荒い息遣いや邪悪な気配も無く
水晶の回廊が鈍い明滅を繰り返すのみのその区画は、先ほどまでの激しい戦いの連続が
幻だったのではないかと思えてしまうぐらいの静寂に包まれていた。
命を懸けて大型のモンスターと鎬を削っていた分、この水を打ったような静けさがかえって不気味だ。


「………怖いぐらいに何も無いわね………」
「さっきみたいなトラップが満載なのもたまらないが、
 まるでお化け屋敷を進んでるみたいでゾッとするな、こうも静かだと。
 どこに何が潜んでいるか、疑心暗鬼になって心が休まらない」
「………お、脅かすんじゃないわよ………」
「目に見える危険の方がかえって安心するもんだな」


常闇の中を果てしなく果てしなく走る一本道の行く先は黒く塗り潰されていて
どこへ通じているのかすら判然としない。
足場が急速に動くというトラップにさらわれたリチャードとヴァルダは
不気味な静けさと常闇の圧迫感が包み込むかのように覆い被さってくる区画へ漂着していた。
奈落へ通じると古に伝わる死者の一本道“黄泉比良坂”を彷彿させる昏い回廊に足を踏み入れ、
いつ何者が奇襲してくるとも限らない焦燥と格闘し始めて既に2時間が経過している。
しきりにくたびれたとボヤいていたヴァルダもこの間、少しも休んではいない。


「―――っんぶっ!?」
「え…、あ、ああ、どうしたんだ、ヴァルダ?」
「べ、別になんでも無いわよ………急に立ち止まるな、バカ」
「ご、ごめん………?」
「………………………」


抜き身の秘剣【ブライオン】を構えたまま周囲を警戒して歩くリチャードがふと立ち止まった瞬間、
彼の背後を随行していたヴァルダが彼の背中に激突した。
周りの景色に気を取られて余所見をしていれば話は別だが、数珠繋ぎに歩いている状態で前を行くリチャードへ
ヴァルダがぶつかるという事故は、いくら彼が急に立ち止まったからと言って想定しにくい。
例えば、急に立ち止まられたら反応し切れないくらいの至近距離に立っていたというのであれば話は違うが。


「………ヴァルダ、大丈夫か?」
「な、なにがっ?」
「コンディションだよ、色々な」
「アンタに心配してもらう筋合いも必要も無いわよっ………」


どうやら仮定は正解のようだ。
口では強気な発言をしているヴァルダだが、激突したリチャードの背中との距離は極めて近く、
しかも唇は、怯えを噛み砕く為にきつく結び過ぎてやや紫がかっていた。
言い知れぬ不安が顔面へありありと浮かぶヴァルダの両手は、何があってもはぐれてしまわないように
彼が纏ったマントの裾を胸元できゅっと握り締めている。
彼女を想うリチャードが見ていられなくなるくらい、細身の肩は小刻みに震えていた。


「この長い道さえ罠なんじゃないの? 引き返した方がいいんじゃ………」
「それだともう一度2時間を丸々ロスする事になるぞ?」
「………………………」
「それにこの直線が罠と言うのであれば、後ずさりすると新たな罠が
 飛び出す仕掛けになっているんじゃないかな」
「………………………」
「長い一本道はそこを通う者の心に隙を産み出すように出来ている。
 すなわち退けば弱者として弾かれ、進むものこそ救われる。
 ………フレイムの受け売りだが、一理あるとは思わないか?」
「………………………」


休憩も取らず、黙々と2時間歩き通しても、一本道の先端が見えてこないのだ。
ヴァルダが罠だと勘繰ってしまう気持ちも人間として無理からぬ事だが、
周囲の人々が思っているよりずっと肝が座っているリチャードはそれを優しく諌め、あえて前進する事を示唆した。
後退を罠と想定するのは慎重過ぎる気がしなくもないが、さりとて再び2時間の道を戻るのも無意味な話だ。
第一、この区画まで二人を運んできた浮島は、彼らを回廊へ下ろすや
再び何処ともわからない闇の彼方へと飛び去ってしまっている。






(想い人に脅しをかけるなど騎士道から反れる行いだが………)






あらゆる出来事を複合した上で前進するのが吉と見たリチャードは
後ろ向きになりつつあったヴァルダの退路へ恐怖感を埋め込む事で半強制的に前を向かせたのだ。
因循姑息は彼とて望むところではないが(普段はもっと騎士道にそぐわない痴態を曝しているくせに)、
これもヴァルダを護る為。恐怖に怯えてしまった心では、万一の時に必ず遅れを取る。
退いた末に想定される罠と前進の有効性をこれでもかと言うくらい説いてみせる事で
先を往くポジティブな気持ちを甦らせようというのだ。
それに―――――――――


「―――――――――それにな、今しがた私も気がついたんだが、
 この回廊は、もしかしたら連絡通路のような物かも知れないな」
「連絡通路………?」
「考えてもみてくれ、“ジョン”が説明するには【ナイアラトホテップ】は
 滅びの獣を封じ込める為に建造された、いわば人工物。
 封印と言う事は、それに対応しきれる器が必要になるよな?」
「滅びの獣を封印しておく器………?」
「ああ、私の推論が間違いでなければな。そして、ここからが肝心だ。
 その器へ獣を封印し終えた者は元来た道をそのまま戻るか? 
 滅びの獣を復活させんと目論むような侵入者を阻む目的で仕掛けられた数多の罠の無限螺旋を?」
「―――そうか、封印を終えた後、無事に地上へ生還できるように避難経路を作っておいたってワケね」
「もちろん、これは私の推察だから、もしかしたら本当は罠なのかもしれない。
 でも、後戻りするよりはビンゴに賭けてみる値打ちはあるんじゃないかな?」
「罠とかもう言わないでよ! こっちはもう乗り気になってんだからさっ!
 ………よ〜しッ! そうとわかれば一気にダッシュよ! 遅れを取り戻すわっ!
 ほら、リチャード、グズグズしないで早く来なさいよ! 置いてくわよ!?」


それまで恐怖に焦がされていたヴァルダのボルテージは、希望に満ちたリチャードの推察を受けて
一挙に最高値を振り切った。
【ヤドリギの枝杖】を見果てぬゴールへと掲げながらリチャードを追い越すばかりか、
元気を与えてくれた彼に対し、モタモタするなと叱咤する調子の良さまで見せている。
ゲンキンなヤツと言ってしまえばそれまでだが、地獄に垂らされた蜘蛛の糸へすがりついて得意気になるほど
心細かったのだから、むしろ傍迷惑なくらい明るくなってもらった方がリチャードには有難かった。


「はいはい、今行くよ」


随分とぞんざいな扱いを強いられているにも関わらず口元が綻んでしまうのは、
なにもリチャードが真性のド変態だからという理由だけではない(一因はあるけれど)。
物言いが憎らしいまでに明るいヴァルダへ彼は心惹かれたのだから。
同じ王族という不自由な立場にありながら天衣無縫に振る舞う彼女に憬れてやまないのだから。
リチャードには――もちろん人間としては相当ダメだが――けなされるくらいが心地よかった。






(あれ………ちょっと、待てよ。冷静になって考えるとこれって………チャンスかッ!?)






―――と、その時、リチャードの脳裏にある閃きが走った。






(比較的安全な区画…ヴァルダと二人きり…ちょっと良いムード…最重要なのは真っ暗闇…)






「? リチャード? あんますっ呆けた顔して突っ立ってると、まじで置いてくわよ?」






(―――――――――これが世に言う“据え膳”ってヤツかッ!!??)






訂正しよう。閃きというほど上等でも恰好の良いモノでも無い、
オスに生まれたからにはどうしようもない煩悩が、非常に扇情的なシチュエーションに刺激されて
フツフツと沸き上がってきたのである。






(き、緊張してきたぞ………私もだが、ヴァルダも、多分、いや、絶対、初めてのハズだし、きっと、うん………)






「ちょ、ちょっとっ? 顔色悪いわよ? なんかドン引きするくらい真っ赤だし、
 なんか鼻息も荒いし、目ェ血走っちゃってるわよ………」






(だが、私が緊張しては、ヴァルダはもっと緊張する―――………よし、ハラぁ括ったぞ。
 ヴァルダの為にも、ここは俺がしっかりとリードしてやらなくてはッ!!)






さすがは変態。騎士道の風上にも置けない犯罪行為を常日頃から欠かさないダメ人間だ。
“据え膳”と意識した瞬間から既に「今から俺がやろうとしているのは、
立派な犯罪なんだぞ、それでもいいのかッ!?」という極めて倫理的な自制や相手の意思は
清々しいくらい無視されていた。


「リチャ―――」
「ヴァルダッ!!」
「―――え…きゃっ!?」


悶々とするあまり、とうとう蹲ってしまったリチャードの下へ駆けつけたヴァルダは、
それがこのド変態の狡猾な罠だとは知らず、無用心に彼の充血した眼を覗き込んだ。
これがアダとなった。気遣わしげに見つめてくるヴァルダの潤んだ瞳が引き金となって煩悩が暴発し、
何が起きたかわかっていない彼女を、あろう事かリチャードはその場へ力ずくに押し倒した。


「ちょ………ば、バカっ! ア、アンタ、自分のやろうとしてる事の意味がわかってんのっ!?」
「人間に生まれた以上、女神サマから義務付けられている、とてもとても神聖な事デス」
「神聖とか言うなっ! しかもこの非常事態にッ!!」
「知ってるかい、ヴァルダ………人間は危機的状況下に置かれた方が
 相手をより強く想えるものだそうだよ」
「ア、アンタねぇっ! いい、さっきのロキじゃないけど、
 私はアルテナ、アンタはフォルセナの後継者なのよ? 王族なのよッ!?
 そっ、それなのに、こんな、こんな―――――――――国際問題どころの騒ぎじゃなくなるわっ!
 戦争になるわよ、戦争にッ!!」
「戦争がなんだッ!! 世界中を敵に回しても私はお前への愛を貫くッ!!!!」
「………………………ッ………………………!」


シチュエーション的には犯罪以外の何物でも無いのだが、愛の言霊を告げるリチャードの瞳は
端々に劣情を燻らせてはいるものの、心から滲み出す情熱が透き通って見えるくらい真っ直ぐで、
そんな瞳に魅入られたヴァルダは、まるで金縛りにでも遭ったように身動ぎ一つ取れなくなってしまい、


「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「―――あ、アンタはホントにデリカシーが無さ過ぎるわ………っ!!」
「お前への愛情は溢れ過ぎてるッ!!」
「そーゆーんじゃなくてっ!! ………………………最初からこういう風にすればいいのよ、
 二人きりになるとか、頼りになるトコ見せるとか、全然しないんだもん………」
「え………?」
「………………………戦いと同じように女心をもっと観察しなさいよ、バカ………………………」


ヤドリギの枝杖で撲殺するでなく、股間を蹴り上げて粉砕するでもなく、
しばらく見つめ合った後、全身の緊張を解いて静かに瞼を下ろした。













「今の俺ら、なんかイケてねぇ? いかにもって趣の大迷宮を全力疾走なんてサ、
 これで絵にならなかったらウソじゃね?」
「減らず口なら後で聴いてやるッ!! 今は逃れる事に専念せいッ!!」
「あー、はいはい、ワンコロニャンに同意を求めた俺が間抜けだったよ。
 お前じゃどう見ても木の枝めがけてまっしぐらな絵にしかならねぇもんな」
「悪態の報復も後に持ち越してくれるからなッ!! 覚悟しておけッ!!」
「よッし! ここはイケメントップブリーダーとそのペットって設定でキメようじゃねーの!
 ほーらほらほら、ペス、この木の枝だよ、ちゃあんと取っておいで?
 拾ってこれたら大好物のビーフジャーキーをあげるからな♪」
「貴様………ッ」
「あーっはっはっはッ!! こりゃ傑作だッ!! まじで追いかけてやんのッ!!
 俺が投げた木の枝ッ!!! 本気で追いかけてやんのッ!!!!」
「前進するしかない状況で前方へ投げられればそういう風に見える―――ええぃッ!!
 もう我慢ならんッ!! 堪忍袋の緒が切れたわッ!! この場にて天誅を下してくれるッ!!」
「―――うわっ! ば、バカッ!! ジョークじゃねーかッ!! まじで止まるヤツがあるかよッ!!」
「問答無用じゃぁ―――――――――」


以上がフレイムカーンとガウザーの最新のやり取りである。
ここだけ切り取って見れば普段通りの(微妙に人権問題が絡んでくるが)ほのぼのとした
じゃれ合いだ――――――


「ちょ! バ…ッ! おまッ、跳べッ! ひとまず跳び上がれぇッ!!」


――――――ただし、二人が直線を全力疾走している事と、その後ろから寸分も軌道をズラさずに
全長30mはあろうかと思われる巨大な鉄球が地響きを引きずりながら
追いかけてくる事を除けば、だが。


「言われずとも跳んでおるわッ!! ―――そして跳んだ後は急降下足刀ッ!!
 【ブレイズバード・ハルバーティング・ムーンアサルト】じゃぁァッ!!!!」
「てめッ、こっちゃ身動き取れね………うッぼあああぁぁぁァァァッ!!」


尻に火が点いた危機的状況であるにも関らず悪ふざけを繰り返すフレイムカーンの態度に
怒髪天を衝いたガウザーは、鉄球をやり過ごす為に跳躍した上空から急降下の負荷を
たっぷり乗せた蹴りで逆襲し、唖然と固まる彼の鼻骨を直撃した。
他のクラス(=職業)を寄せ付けないサバイバビリティを誇る【ニンジャシーフ】のフレイムカーンと言えども
上空に身を預けた状態では防御も回避も出来ず、凄まじく重い蹴りをまともに叩き込まれ、
ギュルリギュルリとフィギアスケーターもかくやと思わせる錐揉みでスピンしながら
顔面から水晶の足場へランディングした。


「ーーーッ!! ッ!? ッ! ッッッ!!!!」


鉄球が蹂躙した足場はささくれ立っており、哀れフレイムカーンはランディングした際に
この凹凸が頬という頬へ突き刺さり、声にもならない悲鳴を上げてゴロンゴロンとのた打ち回った。

後年結成される【ナバール魁盗団】で彼が最も目をかけていた部下も相当のヘタレだったが、
どうやらその辺りのダメさ加減は教え子以前に師匠の代から問題が芽吹いていたようだ。
まさにこの師匠あって、あの部下あり、といった具合である。


「………フンッ! これで少しは懲りたであろうッ!?」


リチャードとヴァルダの艶めいた筋運びから一転して物語は喜劇になってしまったわけだが、
運命の女神様がいたずら心を働かせてガウザーとフレイムカーンを二人にしてしまった時点で
平穏に収まるわけがない。
今は顔面を駆け巡る激痛で口も満足に動かせない状態にあるが、少しでも回復すればまた懲りずに
憎まれ口を叩くだろう。


「…ちぇッ、ホントにガウザーはシャレが通じねぇんだもんなぁ。
 イヤになっちまうぜェ」
「シャレを披露して拍手を貰える状況か否か、貴様はそれすら判断を誤るようなトンマかッ!?
 危うく死ぬかも知れんギリギリの死線でよくもまぁボケをかませるものだなッ!!」
「俺は、だから、そーゆーギリギリの一線でガチガチになっちゃったアタマをほぐしてやろうとだな」
「要らんッ!!!!」
「………やれやれ、犬ッコロにゃ人間のリラックス法ってのは適用されないみたいだねェ」
「聞こえておるぞッ!! 貴様、もう一発地獄を見るか、えぇッ!?」


―――舌の根も乾かない内に、ほら、また始まった。
とは言え、いつまでも喜劇に興じていられる安楽な状況とは決して違う。
ガウザーも嘆いていたが、一瞬でも判断を誤れば即座に命を持っていかれるトラップが
二人の連れていかれた区画にはこれでもかと言うぐらい仕掛けられていた。
幸いにもモンスターは棲息していないようだが、鉄球による“追いかけられっこ”に始まり、
突然消滅する足場、四方六方八方から発射される水晶の刃等など、
“ジョン・スミス”さえいてくれれば白魔法のアドバンテージでやり過ごせた罠が
初めてその威力を発揮し、次から次へと襲い掛かってくるのだ。
どことも知れない遠方に引き離されてしまっている現状では彼女に頼る事もままならず、
ガウザーもフレイムカーンも一つの罠を切り抜けるだけで命からがら、という苦境である。


「地獄ならもうさっきから十分過ぎるくらい見てるって。
 ていうかもう満腹だよ、満腹………」
「ならば余計な体力を使わせるでないわ………ワシとて流石にくたびれた」


二人を追い越して転がっていった鉄球が何か遮蔽物に当たったのだろうか。
闇の中へ吸い込まれていく一本道の向こう側から鈍い音が反響し、
その直後、明らかに人間相手に使う火薬量ではないと予測される激しい爆発音が轟いた。
常闇の向こうでチカッとスパークした朱色の炎があまりに大きく鮮やかで、
二人は思わず引きつった顔を見合わせた。


「………どうするよ、殺す気満々だって、ここの設計者サン」
「………違法建築の疑いで提訴してやりたくなったぞ………」


冒険者としてのキャリアもそこそこ長い凹凸チームであるし、何よりフレイムカーン自身、
こうした細工に長じる【ニンジャシーフ】だ。
それこそ罠が全体に仕掛けられた遺跡を探査した経験も一度や二度ではなく、
今回のような危険にはむしろ慣れている―――ハズだった。
しかし、これまで経験した罠は、侵入者を撃退ないしは追い払うのを目的に仕掛けられた、
万が一ハマり込んでしまっても命に別状は無い物ばかりだったのでフレイムカーンも
精神的に余裕を持って解体できた。


「屋内で使用するトラップに爆薬なんぞ仕掛けるか!? 頭がどうかしてるとしか思えんッ!」
「いっくら自分ン家じゃないからってなぁ〜。
 何かの弾みで重要な区画にまで爆風が飛んでっちゃったらど〜すんだよって感じ」


ところがどうだ、【ナイアラトホテップ】の罠はどうだ。
逃げ惑う人間を轢死させるだけでは飽きたらず、接触した瞬間に爆発という周到な二段仕込みから推察するに、
撃退などという甘いモノでなく、【ナイアラトホテップ】を設計した技官は
侵入者の抹殺を目的に罠を考案したとしか考えられなかった。


「―――つまり、穴ッぽこの最後で眠ってる封印だけは、
 誰にも触れさせちゃならねぇって事実の裏返しだね」
「追い払う程度では生温い―――愚かなる盗掘者の人命を屠ってでも永眠せしめねばならぬ、と?」
「そんなトコだろーな。
 ………ったく、封印が綻びた時の事も想定しとけっつーんだよ、そこまで頭働くんならさ。
 地上に出る前に水面下で叩くって計算とかポンと抜けちゃってんだもんなぁ〜。
 俺らみたいなヒーローが苦労しないように作っとけっての」
「そうボヤくな。“ジョン・スミス”の偶然こそあれど、ワシらも報酬ありきの依頼で
 ココまでやって来たわけだからな。盗掘者とさして変わるまい?」
「そいつぁ違ぇねぇや」


人心地ついたように薄く笑い合うガウザーとフレイムカーンだったが、
【ナイアラトホテップ】の魔手はまだまだ彼らを放してはくれそうにない。


「のぅ、フレイム………」
「なんだい、ハチ」
「………この際、不届きな発言は聞かなかった事にしてやろう。
 それよりもな、ワシの耳がボケておらなんだら、何かこう、
 背後から轟々と迫ってくる音がしてはおらんか?」
「安心しな、そりゃ立派なボケかましだ。こんな一本道に津波なんか来るわけねーって。
 来るもんか、津波なんか来るわけねぇッ!! そうさ、信じるって大事ッ!!
 津波なんか来ないって信じりゃ俺たちゃ救われるッ!!」
「無駄に長いわッ!! 肯定するなら肯定するでスパッと言えいッ!!」
「どこか粘性のある独特の音は………………油ァかッ!!」


常人の耳では聞き取る事すら困難なほど遥か遠くから流れ込んでくる鉄砲水を、
その正体まで察知して愕然となる二人へ、間髪入れずに更なる危機が降りかかる―――


「何ッ!?」
「囲いだとッ!?」
「ヌゥゥゥッ、小癪…!! 窒息させるか、押し流すかッ!!
 どちらにせよ、やはり殺意は剣呑なようだッ!!」
「へ…、へへ…、窒息死? 濁流? ………どうもそんな単純な種じゃあないらしいぜ」


―――直線に伸びた一本道の両脇から突如として長大な水晶の壁がそそり立ち、
防波堤を組み上げるかのように囲いを築いていった。
衝立を思わせる水晶の壁は左右共に高く聳え立ち、俯瞰で見ると巨人の国の河川へ
ガウザーとフレイムカーンが迷い込んだような恰好だ。


「なんつーアーティスティックなトラップだッ! 特別賞でもいいから何かくれてやりてぇぐらいだよッ!!
 こいつぁ俺たちを焼き殺すつもりらしいぜッ!!」
「バ…カな………ッ!!」


異常に攻撃的な罠の数々から推察は出来ていたが、やはり生半可なやり口ではない。
巨人の国の河川へ誘き寄せた侵入者を鉄砲水の如く放出された大量の油で押し流すのでなく、
油に着火して焦熱地獄を作り出し、哀れな盗掘人を炭クズにしてしまおうという魂胆のようだ。
万事休す、と天を仰げば、先ほどまで自分たちがいた階層の浮島と、
囲いが油で満たされるのを手薬煉引いて待ち構える火の玉がフレイムカーンの瞳へ飛び込んできた。






(―――――――――ちょっと待て、“先ほどまでいた階層”………だぁ?)






「―――なぁ、ガウザー、お前、俺と心中するつもりはあるか?」
「不吉な事をほざくでないわ! 想像しただけでもゾッとするッ!!」
「へぇぇ、たまには気が合う日もあるもんだな。俺も同じ気持ちだぜ」
「だから貴様とじゃれている余裕など今は―――ッ!!」
「じゃあ、質問変えるか。………俺に命預ける覚悟は決められっか?」
「………………………」
「上、見てみな」
「上ぇ?」


無窮に広がる空間には天井などあるはずもない。
無い物ねだりをしていられるほど呑気な状況ではあるまいと溜め息を吐こうとしたガウザーだったが、
人差し指で熱心に上空を突付くフレイムカーンに根負けし、指先の向いた上方へ視線を移した。


「………あれは、もしや………」
「見覚えがあるだろ、アレ」
「ああ、ご丁寧に亡骸の尾っぽが端から少しはみ出ている………見誤るものかよ」


上空にある物を発見したガウザーの瞳がたちまち驚きに見開かれる。
そこには、水晶で出来た無数の浮島が、つい先程【ベヒモス】を仕留め、
仲間たちと離れ離れになってしまった場所が当て所も無く漂流していた。


「発想の転換ってヤツだ。
 例えば、【ナイアラトホテップ】が途方も無くバカ長い花瓶みたいなもんだとするだろ?」
「えらく可愛らしい例えだな」
「この花瓶の底に沈んでんのは言わずもがな例の化け物。
 俺たちは差込口から飛び込んでストーンと底へ向かってる落下物みてぇなもんだ」
「時間的余裕というものを考えて手短に頼むぞ、フレイム」
「差込口から底まで一気に落下したら、俺たちゃピザみてぇにグッシャグシャになっちまうだろ。
 その為に少しずつ下っていく為の浮島がある」
「つまり………」
「浮島はあっても各階に分かれちゃいない。信じられないくらい細長い一戸建てって寸法さ」
「他にもっと言い方は無いのか………」


実も蓋も無い例え方にガウザーは呆れているが、“信じられないくらい細長い一戸建て”とは言いえて妙だ。
フロアーごとに独立しているわけでなく、天井や床という概念で分け隔てられていないのだから、
際限なく広がる亜空間の懐を無数の浮島が漂っている構造は、確かに“一戸建て”と呼べなくも無い。


「これはチャンスなんだぜ、ガウザー、お前、その辺り、ちゃんとわかってんのか?」
「見くびるでないわ―――今いる足場の底を踏み抜き、下層の浮島へ飛び乗るというのだな」
「そこまで頭に入ってくれてりゃ上等上等♪」


寸前まで迫ってきている油地獄を回避するべくフレイムカーンが発案した手立ては、
安全策と呼ぶにはあまりにリスクが高い、危険極まりないものだったが、
黒光りする津波から抜け出すには、おそらくこれ以外に方法は無いだろう。

水晶を破壊する事などガウザーには造作も無い事だが、
囲いの一部に大穴を穿っても怒涛の全てを逃がす事までは叶わないと目に見える程の激流であれば
ここは津波の軌道を反らすより我が身を踊らせるしかない。


「勝負は一瞬だ。せいぜい落下の速度で気を失わないように覚悟しておけ。
 ………運良く別な浮島へ着地できる確率は?」
「一億分の一ってトコじゃねーの? そうそう上手い具合に事が運ぶとは思わない方がいいぜ」
「フン、悪くない倍率だ。なにせ今のままでは百に一つも生き残る可能性は無い」


覚悟は決まった。ギャンブルに生を繋ぐ為の手札(カード)も決まった。
ここから先は本当に運の世界となる。


「お前の素行の悪さに引きずられんよう気をつけねばならんな」
「あ? 何ソレ?」
「日頃の行いがよろしくない者には、天は味方せぬという事よ」
「残念! お天道様にそっぽ向かれっぱだけども、こちとら悪運だけは強いんでね。
 持って生まれた星の巡りが狂ってなけりゃ、どうとでもなるだろうぜ」
「星の巡りが狂っておるから、このような事態に陥ったとは思わんか?」
「アフターフォローで挽回するから大丈夫じゃん?」
「ならばそろそろ―――――――――参ろうぞォッ!!」


ついに視認できる距離まで油地獄が切迫したきた時、ガウザーの全身から金色の闘気が発祥した。
獣人たちの間に受け継がれる伝説の闘法【アグレッシブビースト】だ。
ほんの一瞬ではあるものの、戦闘力を闘神の領域にまで飛躍させる黄金の威光を発動させたガウザーは
フレイムカーンを小脇に抱えるやその場で軽く跳躍し―――


「―――――――――フンッッッ!!!!!!」


―――水晶の路面めがけ、相撲の四股のような体勢で右足を全身全霊踏み込んだ。
ドンッと言う鈍い音がまず最初に起こってから路面が陥没し、続いて数え切れないほど亀裂が走った。
厚さ数十メートルとはあろうかと思われる水晶の塊へヒビを入れるだけでも圧巻だと言うのに、
極限まで高まったガウザーの戦闘力は留まるところを知らず、とうとうフレイムカーンの目論見通り、
壮絶な炸裂音を撒き散らしながら底をブチ抜いてしまった。


「あとは、ほれ、お得意のカメハメハだか何だかでちょいと落下の軌道を変えてくんな。
 落ちたのと同じ場所にいたんじゃ、追っ付けで滝作る油地獄に巻き込まれちまわぁ」
「言われずともわかっておるわ。落下位置を微調整して適度な浮島を見繕ってくれる。
 というか、何じゃそのカメハメハというのは!?
 【ドラゴニック・フォトン・ヘブンドライヴ】じゃ、うつけッ!!」
「名前なんかどっちでもいいってばよ。推力にさえなればさ」
「何を投げやりに―――――――――ム? ………あれは………………………」
「んお?」


間一髪のところで非常なる罠より脱したガウザーの目に遥か下方の浮島が止まった。
フレイムカーンもガウザーの注視に気付いたらしく、暗闇の中で捉えづらい視覚を懸命に凝らし、
円形に広がった浮島の様子を探り始める。






(………人………だよな? あのごま塩みてぇな集まりは………)






どのくらい離れているかも解らないこの距離では正確には把握できないが、
円形の浮島の上では、人間とおぼしき幾つかの小さな影がせわしなく動き回っていた。
どうも戦闘状態のようだ。激しく入り乱れる動きや魔法のような煌きが何度も発光している。
落下速度が速まるにつれて、頬を切る風の中へ微かに金打つ音や爆発音が混じり始めた。


「………どう思うよ?」
「どう思うも何も、周辺の状況からして円を描いたあの島が終点のようだな」
「そっちじゃねーよ、あそこでガヤガヤやってる連中の事だよ。
 ガチッてるみたいだけど、どうよ?」
「フン、いちいちお伺いを立てねばわからぬのか?」


円形の浮島は長い長い一本道でどことも知れない所から繋がっているものの、
その周辺、また、それより奥底には他に浮島が見当たらない。
ここを【ナイアラトホテップ】の終点と見てまず間違いないだろう。
そして、そんな場所で戦っている者がいるとすれば―――


「………加勢しないわけにはいくまいッ!!」
「戦り合ってんのは大方盗掘チームだろうから―――」
「フンッ!! いらぬ苦労をかけさせてくれた例をたっぷりしてくれようぞッ!!」
「そうこなくっちゃなぁッ!!」


―――順調に先行を続け、最深部へ辿り付いたロキと“ジョン・スミス”をおいて他にはいなかった。






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