「―――――――――おぉ〜、よちよち♪ 怖かったでちゅね、痛かったでちゅね〜♪
おっかないパパりんを許してチョンマゲ♪」
―――あくまで“この時ばかりは”限定である。
千載一遇のチャンスが訪れたというのに剣を放り捨て、きょとんとしているブラックラビへ飛びついて
頬擦りを始めたロキ(しかも赤ちゃん言葉で)を目の当たりにした瞬間、
ズッコケにズッコケた“ジョン・スミス”の彼に対する評価は感服から失望に変わり、
続いて噴き出した怒りの赴くまま、【交叉槍(ツインランス)】の片割れを投げ付けていた。
「―――ぅォッとぉ!? いきなり槍をブン投げて来るたぁあっぶねぇじゃねーか。
よちよち♪ ママりんったらビックリするぐらいスパルタンでどーしよ〜も無いでちねぇ♪」
「………誰がママりんですか、誰がっ!
貴方まで“滅びの獣”の魔力に魅了されてしまったのですかっ?
赤ちゃん言葉が飛び出したのは胎内回帰願望の表れだとでもっ?
深層心理までダメ人間なのですね、貴方………っ!!」
「てめぇ、ママりんッ!! コイツの教育によろしくない発言は控えやがれッ!!」
「………何プレイですかっ!? チャイルドプレイならぬ育児プレイっ!?
お望みとあらば後で好きなだけお相手して差し上げますから、
今はトドメをッ!! “滅びの獣”にトドメをッ!!
―――ただ、さり気に私をママりん呼ばわりはベリー・イカしてます………っ!!」
ガウザーと同じくファンシー趣味へ目覚めたかのようにブラックラビを溺愛し始めたロキの痴態は
“ジョン・スミス”から見れば、“滅びの獣”のテンプテーションに中てられ、
精神を乗っ取られたとも取れるものだったが、どうやら理性は保たれているらしい。
ブラックラビ目掛けて投擲された右の【交叉槍(ツインランス)】を寸でのところで受け止めたロキの瞳は
精神を侵されたモノのそれとは異なり、正常な光を宿していたからである。
「は〜い、ちょい待った。そこでストップしとこ〜や、“ジョン”ちゃん」
取り乱したように狼狽して殺傷を苛烈に示唆する“ジョン・スミス”の腕を何者かが引っ張り、
「トドメを、トドメを」との彼女の叫びに制止の声を掛けた。
「………フン、貴様、グロッキーのフリをしてつぶさに観察しておったな」
「本当はバケウサギの隙を狙ってカックイ〜とこ、かっさらっちまおうと思ったんだけど、
どうも様子がおかしくなってきたんでね。傍観者に回らせてもらったよ。
―――ピンと来たトコも、どうやらロキと同じっぽいな」
“ジョン”ちゃん、という呼びかけもいつも通りのフレイムカーンが、
鈍痛の微かに残る首を左右に振ってコキコキ鳴らしながら“ジョン・スミス”の腕を引っ張っていた。
「………ピンと来た………?」
「そ。背中見せたガウザーが何でやられなかったのか、俺もロキもそこでピンと来たわけよ。
バカでけぇ光線が拡散して飛び散った時に、ね」
「………それは、だって、既にこのワン公が自分の眷属になっていたから………」
「―――なぁ、ママりん。
なんでブラックラビは、お前や、お前から“滅びの獣”と吹き込まれた俺らに
命(タマ)ぁ狙われなきゃならなかったんだ?」
「………神話の彼方から伝承されてきたからです。貴方も見たでしょう、あの石碑を。
精霊をも喰らう“滅びの獣”は必ずや【イシュタリアス】に災いを撒き散らす。
だから、そうなる前に根絶しなくてはならない、と………」
「そこだ。俺が腑に落ちねぇのはそこなんだよ」
「え………?」
息を潜めて戦いの動向を傍観していたフレイムカーンの言葉をロキが継ぐ。
彼の胸の中では、完全にロキに気を許したブラックラビが愛らしい耳を揺らしながらながらジャレていた。
「お前はそれを誰から聴いた? 誰に頼まれて“滅びの獣”」
「………誰と言うわけではありません。私が生まれた氏族の間で語り継がれてきた訓戒です。
そして、折も折、我々の祖先が“滅びの獣”を封印せしめた【ナイアラトホテップ】の禁忌が
破られようとしていると聴くに及び………」
「ブッ倒しに出向いたってワケね。………ど〜おも? パパりん?」
「………“滅びの獣”ってのは、本当に“滅びの獣”なのか?
精霊を取って喰うような、人間を滅ぼすような狂暴な化け物なのか?」
「………何を…何をおっしゃるのですか…貴方は………」
思いがけない疑念を向けられた“ジョン・スミス”は、途方も無い物議の口火を切った
ロキとフレイムカーンを交互に見比べると、彼らに冗談のつもりが無い事を知り、
首を激しく左右に振った。「………お話にならない………」と呆れの嘆息を漏らしながら。
「【トレジャーハンターズG】の恨み節を思い出せ。
あいつら、卑劣な人間がどうとか、最後までのたまってただろ」
「………それで………?」
「もしかしたら、汚ェ手で苦しめられたのは、俺たち人間じゃなく、
ブラックラビの方だったんじゃねぇか―――ってピンと来たんだよ」
「………何を根拠に世迷い事を………」
「獰猛さのカケラも無いじゃん。そりゃ、反撃は凄かったけど、こいつ、自分からは一度も手ぇ出してないんだよな。
それに、ほら、精霊喰うとか言われてる割にだぜ?
実際、“ジョン”ちゃんが魔法使った時にゃ精霊なんかまるでスルー。
復活直後に大好物がブンブン飛んでたら、吸収なりなんなりの芸当見せて食い尽くすハズじゃね?」
「一度も手を出しておらんばかりではないぞ。
不用意に近付いたワシに噛み付く事もなく、身を預けてきおったわい。
抱いた身体は温かく、獰猛という形容はいかにも不釣合いで―――って、おい、ロキ!
貴様、いつまで独り占めしておるのだ!! そろそろワシに“ブラビちゃん”を渡さぬか!!」
「うっせぇなぁ、コイツをあやすのはパパりんの役目なんだぜ。
………ママりんさぁ、こういう風に考えちまうと、俺らにゃ、コイツが“滅びの獣”だなんて思えねぇよ」
「………………………」
ブラックラビ略して“ブラビちゃん”を奪い合うロキとガウザーを睥睨する“ジョン・スミス”の唇は
言葉を紡ぐ事を忘れ、微かに震えていた。
「………それでは私の祖先が偽りを申し付けていたとでも?
ブラックラビは危険な存在でなくて、理由も無しに小動物を封印したと………?」
「そりゃ外来種だからじゃねぇか? 名前も近しいブラックバスとおんなじで」
「………は………?」
「“ジョン”ちゃん、言ってたじゃねーの、『外ツ国から飛来した』とかナントカって。
異世界から飛んできたこいつが自然界の生態系を狂わせちまったのは、多分、事実だ。
元気に跳ねてやがるラビ共が生き証人だろうよ」
「生態系を狂わされるのを怖れた“ジョン”ちゃんの祖先ってのが、
この仔をムリヤリこの穴倉に押し込めて隔離した―――ってワケだな」
「………………………」
「子々孫々と“滅びの獣”の仇名を語り継がせ、封印を護り、いざとなれば抹消すべし、か。
無論、これらは我々の身勝手な当て推量だ。実際に情報操作が行われたのかは知るところではない。
だが、原住の生命を侵食する事こそ有害であれ、ブラビちゃんが“滅びの獣”などでは無いのは
確かだと思うぞ、ワシは」
「………そんな虚言は…根拠に足りない………っ!」
「フレイムの説明を補足するようだが、敵意の無い者に危害を加えない事こそ何にも勝る証しだ。
ほれ、見てみよ。こんなにも愛らしくワシらに懐いておる。
………それにもし、本当にこやつが“滅びの獣”であったとしても、敵意なきモノを討つ事は出来ぬ。
お前も誇りある戦士ならば、この理屈、理解できよう?」
「………………………敵意………………………」
「こやつがワシらに敵意ナシと判断できたのは、言ってしまえば、直感というモノよ。
いや、共感に近いかも知れぬ。同じ獣の血を持つ者の、な」
「………………………………………………………………………」
ガウザーが注釈を入れた通り、ブラックラビが“滅びの獣”ではないと云うロキたちの主張は、
根拠と呼ぶにはあまりに曖昧で、愛らしい仕草に胸を打たれた愚か者の妄想と
弾劾されそうな理屈から成り立つ推論である。
一理は、ある。だが、たったの一理のみで子々孫々と受け継がれてきた伝承を糺すべき誤情報だと飲み下せるわけがない。
子供じみた妄想で覆せるほど、年号と共に重なり、連なってきた【歴史】は軽くはないのだ。
「まだ、納得できねぇってツラしてやがんな」
「………貴方が私と同じ立場であったら、納得できますか、こんな理不尽………」
「言葉だけじゃ納得できねぇわな―――――――――だからよ、ホラ」
「………え………っ?」
憮然と瞳を怒らせる“ジョン・スミス”の目の前に、胸へと抱いていたブラックラビをロキが差し出した。
「………何の真似ですか………まだ私を虚仮にし足りないのですか………?」
「卑屈に考えんじゃねぇよ。いや、理屈で考えるな。
………感じてみな、コイツの温かさ。そうして初めて見えてくるモンもあると、俺は思うぜ?」
「………………………」
「抱きしめてみろ」と暗にロキが勧めているのは解った。しかし、だからと言ってハイわかりました、とは行かない。
倒すべき悪だと睨み据え、無関係の人々を巻き込んでまで追い縋った“滅びの獣”が相手なのだ。
考えるな、感じろと示唆された彼女の胸の中には、大きな逡巡と戸惑いしか無かった。
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
―――いたいけな小さい瞳と氏族の宿業を果たすべく執念を燃やしてきた瞳が正面から交錯する。
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
視線が絡まった直後は“ジョン・スミス”が全身から発する殺気を警戒して低く唸っていたブラックラビだったが、
数分に亘って見詰め合う内に逆立てていた体毛を鎮め、彼女に向けて「うきゅぅ、うきゅぅ」と鳴き出した。
まるで「抱き締めて♪」と請うているかのような仕草で。
「………貸してください………」
ペットショップで眼の合ったチワワを買うか買わないべきか、迷いに迷う中年男性の葛藤を描いた
金融業者のCM(【イシュタリアス】でもラジオCMで放送されて話題になった)さながらの、
長い長い視線の交錯を経て、ついに“ジョン・スミス”はブラックラビへ両手を差し出した。
「………………………」
イイ歳こいた青年たち(主にガウザー)が寄ってたかって「落とすなよ、乱暴に扱うなよ」と外野から騒ぎ立てる中、
ロキからブラックラビを受け取った“ジョン・スミス”は、“滅びの獣”と忌み嫌ってきた小動物を
鼻先まで近づけると、改めてその丸い丸い輪郭を眺めた。
成る程、ダメージを弾き返す堅牢な防御力とは裏腹に、触り心地は申し分なく、手にしっとり吸い付いてくるかのようだ。
くりくりとした小さな瞳はラズベリー・キャンディーのように愛らしい輝きを持っていて、
とても“滅びの獣”の異名を冠するようには見えない。
正直、可愛い。ファンシーな趣味を持ち合わせていない人間にも、間違いなく可愛いと思える造形だ。
イイ歳こいた青年たち(主にガウザー)を骨抜きにしてしまう理由も良く解る気がする。
「………………………………………………………………………」
怖る怖るながらも試しに抱いてみれば、それは確信に変わった。
漆黒という寒色の体毛が皮肉なくらい、ブラックラビの体温は熱く、純粋無垢なまでの生命力に満ち溢れていた。
それでいて掻き抱く人間に安らぎと癒しを与えてくれるのだから不思議だ。
黒い太陽―――時として人間を激烈に押し退ける事もあるけれど、
受け入れさえすれば大いなる豊穣と恵みを与えてくれる太陽に、“ジョン・スミス”はふとブラックラビを重ねた。
仇敵を思わず太陽と重ね合わせてしまった自分に、そう思わせる程の温かなブラックラビに、彼女は息を呑んで驚いた。
「悪かねぇだろ? 悪くないどころか、最高だろ?」
「………そうですね………悪くはありません………」
「フン、可愛げのない返事だ。」
「………でも、私は私の使命を投げ出す事はできない―――――――――」
「えっ?」
「―――――――――貴方たちの推理が正しいとしても、私が生まれた氏族の伝承が過ちだったとしても、
私は私の使命を全うし、“滅びの獣”を討つまで………ッ!!」
―――ブラックラビを抱き締めた“ジョン・スミス”の両手へ妖しい光が灯る。
「お前………“ジョン”ッ!! 何してやがるッ!?」
「………【カラミティ】………標的の筋肉組成を物理的に膨張し、内部から破裂させる禁忌の法………」
「なッ!! バ………ッ!?」
「………物理的な接触でダメージを与えきれない以上、破砕するにはこれしか方法は無い………」
もう少し力を加えれば脊髄がへし折れるのではないかと思える程にブラックラビを
締め上げる“ジョン・スミス”の両腕全体にまで【カラミティ】の妖光は及んでいた。
魔法について専門的な知識を持たない素人目にも、両腕に灯った光の激しさとプレッシャーを感じれば、
ブラックラビの危機が迫っているのは明白だ。
「待てッ!! 待たぬかッ!!」
「………無駄です………」
彼女の腕からブラックラビを奪還すべく押っ取り刀で繰り出されたガウザーの拳は
効力を残していた【モダレイション】の障壁に妨げられ、抑揚どころか感情のカケラすら打ち消し、
断罪の執行を冷徹に下そうとする“ジョン・スミス”へ届くことは無かった。
「………外来種を野放しにするという事は、今日(こんにち)のラビの前例を見ても分かるように
再び生態系が侵食の危険にさらされるという事です。
生態系が乱し、侵され続ければ、それを快く思わない多くの人々の間に、いつか憎しみが吹き荒れる。
たった一匹の小動物が存在する為だけに、世情が不安定になり、引いては国家間の諍いへ発展していく。
これこそ間違いなく“滅びの呪い”ではありませんか………」
「ちょ、ちょっと待てよッ!! そいつはあんまりにも突飛じゃねぇかッ!?
人間ってのは、そんなバカじゃねぇぜッ!!」
「………突飛だと思いますか? ―――否ッ! ………人間は、感情持つ人間は、それほど賢い存在ではありません。
少し歪んだだけで綻び、崩れ、決壊していく―――濁流と化した人間の行き着くところは、戦乱であり、“滅び”。
………改めて申し上げましょう………人類に災いをもたらすブラックラビは、
“滅びの獣”以外の何物にもなり得ない………っ!!」
「勝手に決め付けんなよッ!! それはこれまでの、古い物の見方だろッ!?
こっから先は違うッ!! 俺たちが変えてみせるッ!! だから、そいつを解放しろッ!!」
「………貴方が語るのは、根拠に足りない夢想………現実は、それほど甘いものではありません。
仮にここでブラックラビを生かして、それが原因で【イシュタリアス】が“滅び”に包まれたら、
貴方はどうやって責任を取るおつもりですか………?」
「………………………」
「………貴方たちが仰ったのです。
生態系を侵食するブラックラビを恐れた私の祖先は、非道の限りを尽くしてこの地に封印せしめた、と。
自らを正当化する為に情報操作をしたのだと」
「………………………」
「―――――――――人間は、弱い。
私が、今、使命を持ってここに非道の結末を締めくくらんとしている事が人間が弱いという証しです」
「うきゅぅ………」と、骨が軋むくらいきつく抱きすくめられているブラックラビが
“ジョン・スミス”の胸の中で一つ鳴いた。
人間は弱い、と哀しげに語った彼女に相槌を打つかのようなタイミングで、小さく、か細く鳴いた。
それが、断末魔の叫びだったと言えば、そういう事になるのかもしれない。
「やめろォ―――――――――ッ!!」
絶叫するロキの目の前で、愕然とするガウザーの目の前で、
“ジョン・スミス”の理屈を冷静に受け止め、頷くフレイムカーンの目の前で、
【カラミティ】の魔力がブラックラビの体内へと吸い込まれていった。
それは、見るもおぞましい光だった。ドス黒いかと思えば紫の深みも帯び、赤い血の色にも似た輝きを発する光が
静かに、驚くほど静かにブラックラビの体内へ浸透していった。
「………慈しみでなく、痛みを強いる事が救いになるモノだって、あるんですよ………」
【カラミティ】の光を吸い込んだ丸い身体が、過度に空気を吹き込まれた風船のように膨らみ、肥大し、
内側から炸裂する光爆と共に破裂したのは、“ジョン・スミス”がそう呟いた直後の事だった。
弾け飛んだ血肉が空中へ四散するよりも早く蒸発させてしまうような激烈な光爆だというのに音も衝撃も何も起きないのが、
自分の腕の中で小さな命が消し飛んだというのに顔色一つ変えない“ジョン・スミス”という人間が、
まるでこの世の出来事でないように感じられて、言い表せない不気味さのあまり思わずロキは身震いした。
『………………………ありがとよ………………………』
“滅びの獣”の消失を受けて元の空間へ回帰し始めた【無の世界】に絶望を落として膝を折るロキの耳元へ
礼を述べる誰かの声が、聞き覚えのある野太い声が響く。
短い言葉の裏にどんな想いが込められていたのか、それを探る前に世界は光に等しいスピードで彩りを取り戻し、
ロキの意識もその急速な変化の渦へ巻き込まれていった―――――――――………………………。
†
「ありがとう………か………」
【無の世界】から帰還する際に闇へ墜ちたロキの意識を引っ張り上げたのは、
誰に語るとも知れないガウザーの呟きだった。
気が付くと【ナイアラトホテップ】の、いや、【ピラミッド】の外へ皆と一緒に弾き出されていた。
もっと厳密に言えば、かつて【ピラミッド】だった瓦礫の近くにロキは横たわっていた。
「ああ、俺も聞いた………俺もっつーか、もしかしたら、皆、聞いてたんかもな。
“ジョン”ちゃんも聞いたかい、『ありがとよ』―――ってさ」
「………………………」
「あ〜らら、こういう場合のダンマリってのは、大抵の場合、YESのサインなんだよな。
俺もそうやって受け取っとくぜ。
―――ロキは死んじまってるからスルーするとして………」
「勝手に殺すんじゃねぇよ、フレイム、この野郎ぉ………! 俺もちゃんと聞いてたよ」
「そっか………そうなると、いよいよ空耳じゃないってコトだよな」
太陽に灼かれた砂塵が背中を焦がすけど、どんなに痛くても今のロキには立ち上がる気力が湧かず、
虚脱感に包まれたまま、身を投げ出し続けた。
「何に対しての礼だったんだろうな………」
「ヌ?」
「直接ガチったのは俺じゃなくてお前らだけどさ、護るっつったクセして
最期、見殺しにしちまったヤツにアリガト言うなんて、それもおかしな話じゃねぇ?」
「………自分を殺した相手に礼を言うのが、か。確かに、な………………………」
「………それでも礼を述べたかったのではありませんか?
自分を“滅ぶの獣”と見なして殺しにかかる羅刹から懸命に護ってくれた人たちへ………」
「“ジョン”………」
「………私が物申していい事ではありませんけど………」
「―――どちらに対してもだと思うがな、ワシは」
「………………………」
「生きているだけで災いを撒き散らす自分を永眠(ねむ)らせてくれた事への礼と
最期の最後までこんな自分を護ってくれた愚か者への礼だと、ワシは受け取ったがね」
「………………………」
もちろんこれは生き残った人間が勝手に決めつけた結論だ。
本当は別の意味があったのかも知れない。本当は皮肉をアリガトウという言葉に込めただけなのかも知れない。
真実は、赤く灼けた砂塵に吹き消された真実は、今となっては誰にも掴む事は出来ない。
「………死ぬ事を望んだって言うのか、ブラックラビは………」
「あるいは、最初からそのつもりで力のある冒険者を呼び寄せたのかも知れんよ。
封印が切れる事で世に災いをもたらしてしまうのなら、
力が完全に戻る前に自分を討ち果たせる強き者を招き、始末を付けてもらう―――
―――都合の良い解釈と言われればそれまでだ」
「………………………」
「しかしな、己の使命を果たそうと決意した“ジョン”に抱かれたブラビちゃんは
あれほどの殺意に締め付けられながら、歯向かおうとはせなんだ。
………甘んじて死を享受したものと思ってしまうのも、また生き残った者の都合の良さか?」
「………わかんねぇよ………俺には、わかんねぇ………」
一行が脱出するのと同時に瓦解した【ピラミッド】の残骸を、寝転んだまま弄ぶロキには、
今度の事件は不可解のまま始まって、永遠に解せないしこりを残したまま終わった気がしている。
半ば巻き込まれる形で首を突っ込んだ事件の発端は、運命と納得するには
どうしようもなくスラップスティックで今もって理解し難く、結末はもっと複雑だ。
“ジョン・スミス”の選択が正しかったのか、未来を見据えて共存しようと止めた自分たちが正しかったのか、
どれだけ探しても、どれだけ求めても、答えは見つかりそうにない。
『………慈しみでなく、痛みを強いる事が救いになるモノだって、あるんですよ………』
ただ一つ、その言葉だけは強く、重く、ロキの胸へと刻み込まれていた。
「………皆さんのお陰で私は私の目的を果たすことが叶いました。
本当に、本当にありがとうございました………」
「………フン、この状況ではどれだけ殊勝に頭を下げようと当てこすりにしか聴こえんぞ?」
「………皮肉のつもりですから―――」
「ヌケヌケと言いおったわ!」
「―――そして、自嘲でもあります………」
「………………………」
恭しく頭(こうべ)を垂れる“ジョン・スミス”だったが、その表情には重い影が差し込んでおり、
一族の宿願を果たしたというにも関らず、一向に晴れる気配を見せていない。
“自嘲”と語る辺りにも見え隠れしているが、もしかしたら、ロキやガウザー以上に
ブラックラビとの戦いと、最期に掛けられた『ありがとよ』へ割り切れない想いを彼女は感じているのかもしれない。
「………それで今回協力していただいた事についての報酬の件ですが、 何をお望みでしょう?
お金ですか、それとも宝石? 有益な裏情報などをお求めでしたら、
残念ながら御力になる事はできそうもありませんが………」
割り切れない想いは居た堪れない気持ちにも通じているようだ。
報酬について話す“ジョン・スミス”の口調は、一刻も早くこの場から離れたいような、
どこか相手の返答を急かすような口調だった。
「報酬………か」
「そりゃ、まあ、結構危ねぇ橋渡ったもんなぁ。
それに見合うだけの見返りを貰わなきゃサギだよな」
「何故に貴様が一番しゃしゃり出てきておるのだ?
油地獄からの脱出も、最後の一戦も、貴様は少しも身体を動かしておらんだろうが!」
「チッチッチぃ〜! わかってねぇなぁ、ワンちゃんはぁ。
どんなバンドだってグループだって、分け前ってのは均等なんだよ。コレ、チームを組む時の鉄則ね?
活躍に関係なく権利を主張できなきゃダメでしょ、そんなチーム。
今回ダメでも次回こそ活躍してやるぜッてモチベーションに繋がんないシステムじゃ壊れるって」
「グダグダ長々と屁理屈をこねおってからに………要は悪質な漁夫の利ではないかッ!!」
「何ソレ? 聴こえの悪い言い方やめてくんねーか。
じゃあ、お前、どっかで失敗した時に吠え面かくなよな。
自分がトチッた時に分け前少なくて文句言うのはナシだかんな〜」
「貴様は子供かッ!」
「お前はワン公かッ♪」
「貴様、この期に及んでまだ言うかァッ!!」
「―――――――――………………………名前でいいぜ」
よくもまあ死力を尽くした激戦の後に余裕があるものだと呆れてしまう騒がしさで
いつものようにやり合い始めたガウザーとフレイムカーンを脇に押し退けたロキが
寝転んだまま“ジョン・スミス”へ今回の【報酬】を要求した。
「………え………?」
「名前だよ、お前の本名。
いくらなんでも本当の名前は“名無しのゴンベエ”じゃねぇだろ?」
「………………………」
「お、堅物のロキにしちゃ気の利いたトンチじゃねーの。
乗ったぜ、その案。大賛成だ♪」
「異論は無い。例え一度きりだとしても、我らは共に命を預けあった戦友だ。
戦友の名を今日の【報酬(おもいで)】として胸に刻むもまた一興よ」
「………………………………………………」
てっきり金銭を要求されるだろうと踏んでいた“ジョン・スミス”は
小物入れから財布を取り出す体勢のまま硬直し、しばし呆然と三人の顔を見比べていたが、
彼らが本気で自分の名前を求めていると飲み込むと、やや逡巡した後に、
「………ミネルバ………」
小さくポツリと自分が持って生まれた本名を告げた。
「―――ミネルバ、か。うん、そっちのが女の子っぽくて似合ってるぜ」
なまじ“ジョン・スミス”が男性的な趣きのある通称だったので、“ミネルバ”というイントネーションが
殊のほかロキには女性らしく響いたのだろう。
無骨な彼らしくもない気障な台詞が口をついて出た。
「………ほっ、報酬の受け渡しも済んだ事ですので、わっ、わたっ、私はこれで失礼します………………!」
慣れない言葉というのよく出来たもので、発した方はもちろんの事、
投げかけられた方にも免疫の無い場合が圧倒的に多い。
暗く沈んでいた“ジョン・スミス”―――もとい、ミネルバの顔が、ロキのその言葉を受けるや否や、
瞬間沸騰して真っ赤に焼け上がり、それを彼に見せまいと大慌てでそっぽを向いてしまった。
もちろんそっぽを向かれたロキとしては、そんなミネルバの行動――もっと言えば乙女心か――が
理解できず、きょとんと首を傾げるしかない。
この朴念仁ぶりだ。裏返ったミネルバの声が熱を帯びていた事にすら気付いていないだろう。
「ちょ、ちょっと待てって、ミネルバ! 打ち上げ! 打ち上げくらい顔出せよ!
ラーメンセットは? いいのかよ、約束したラーメンセットは? 派手にパーッとやろうぜッ!」
「………次に会う時までお預けにしておきますね………」
「次…って、お、おい!?」
引き止める声を無視して足早に砂漠の中へ去っていくミネルバを呆然と見送っていたロキが
慌てて上体を起こした時、戦いの中で薄く汚れてしまったブロンドの髪を風に揺らしながら彼女が振り返った。
「………シマウマさんカラーを覗いた責任………いつか取ってもらいますからね――――――ロキ………っ!」
「………………………」
そう言って片目を瞬かせるミネルバ。本人はいたずらっぽくウィンクしたつもりなのだろう。
しかし、相変わらず感情に起伏が無い為、ただ片目を瞑っているだけにしか見えないのだが、
それでもロキには―――生死を共にして心を通わせた【仲間】には
彼女が精一杯茶目っ気を出している事が伝わってきた。
(………やれやれ………始まりから終わりまで、アイツの勝手を許しちまったなぁ、オイ………………………)
懐中時計を取り出し、日付を確認してみれば、あの狂乱の朝から丸二日経過していた。
たった二日という短い間だったにも関らず、生死を共にし、背中を預け合い、本音で激突してきたミネルバの事を
ロキは何年も一緒に過ごしてきた戦友のように思えた。揺ぎ無い絆を感じられた。
人と人との繋がりは、過ごした年月では無いと言うが、その例えを当てはめると、
何十年分もの濃密な時間をたった48時間の内に体験した事になる。
思えばとても不思議な感覚だが、胸にしこりとして残る蟠りも、結局振り回されて終わった今度の事件への感慨も含めて、
ミネルバとの間に結ばれた強い絆を、ロキは確かに感じていた。
「見せる方が悪ィんだよ、シマウマ野郎。一生涯忘れてやらねぇからな!
忘れて欲しけりゃ、責任取って欲しけりゃ………またどっかで顔見せろ。
損害賠償の代わりにラーメンセットくらいなら奢ってやるからよぉ!」
茶目っ気たっぷりのウィンクを飛ばしたきり、今度こそ振り返る事なく去り行くミネルバの影が見えなくなるまで
ずっと追いかけていたロキは、決して引き止める事なく、その背中にただ一言、約束を結んだ。
きっともう二度と逢う事も無いだろう。それでも、約束を結んだ。
逢えないから切れてしまうような、そんな脆い関係じゃない。自分たちは、いつまでもいつまでも【仲間】なんだ、と。
どこか嬉しそうに肩を揺らして去っていくミネルバの背中へ、永遠の約束を結んだ。
「あ〜らら、一人だけ呼び捨てで“ロキ”ですよ、オイ」
「役得だのう、この色男め。しかも責任取ってやると来たもんだ。
お前、故郷(さと)に待たせているシモーヌ何某はお役御免にするつもりかぁ?」
怒涛の二日間を振り返りながらうっすらと口元を歪めるロキの首へ
フレイムカーンとガウザーの腕が冷やかし混じりに回された。
「なッ、なんでそんな事になるんだよ!? 俺は普通に【仲間】としてだなぁッ!!」
「しかし、スカートの中を見せてもらえるような仲なのだろう?」
「だからそれは不慮の事故だって何度も………っつーか、てめぇもその場にいただろうがッ!?」
「おーおー、真っ赤になっちゃって! お前、いつからリンゴにクラスチェンジしたわけ?
この調子じゃ、俺らと離れてた時にナニやってたか、わかったもんじゃあねぇわな?」
「ナ、ナニってなんだよ!? 何をするってんだよッ!?」
「フンッ、何と言えばナニしかあるまい!!」
「物凄く語気を強めて下ネタをほざくんじゃねぇッ!!
てめぇ、フレイムのバカに脳みそ汚染させてんぞ、最近!!」
「フッハハハッ!! ワシもそう嫌いなクチではないからな。お前がちと純情過ぎるのだよ、ロキ。
少しほじられただけでそう敏感に反応されては、本当にミネルバとの仲を勘繰ってしまうぞ? ンン?」
「俺はシモーヌ一筋だッ!!」
「うッわ!! 世界一こっ恥ずかしい台詞をズバリ言い切ったよッ!!
ミネルバに聴かれたら、お前、八つ裂きにされんぜぇ〜?」
「何にせよ爽やかで良い事だ。ウム、実に健全健全。ロキはそうでなくてはいかん」
「な、なんだよ、それ………俺をバカにしてねぇか、お前ら?」
「誉めてんだって。今時青春ドラマでも取り上げないよーな純情サンだよ、ホンット。
―――………あそこでブッ壊れてる色情魔2匹にも見習って欲しいもんだぜ」
砂塵の只中へ霞み、消えていったミネルバの背中から視線を脇へ反らすと、
そこには、【トレジャーハンターズG】に仕掛けられた浮島のトラップによって離れ離れになって以来、
ブラックラビとの戦闘の折にも最後まで姿を見せなかったリチャードとヴァルダの姿。
最も安全な経路を確保できたと言うのに、大型モンスターとの連戦や困難なスペクタクルを強いられた
他二組の後にすら続く事も無く、ドロンとどこかへ雲隠れしていた二人の姿があった。
「………………………………………………」
「………………………………………………」
瓦解の余波を受けて【ピラミッド】の外へ追い出された二人の姿は、その、なんと言えば良いのか、
どうオブラートに包んで表現すれば良いのか言葉に迷い、ストレートに描写するのも憚られる、
言ってしまえば“あられもない姿”。
気品に満ちた顔に玉の汗を結ぶリチャードも、彼に枝垂れかかるヴァルダも共に着衣らしい着衣を着ておらず―――
「………こりゃまた俺らに負けじ劣らずの大決戦だったようで」
―――ロキの皮肉と共に容赦なく照りつける灼熱の太陽が二人の肌を、
冷や汗と脂汗をない混ぜにした不埒な肌をジリジリと直火焼きにしていた。
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