デュランへ

貴方がこの手紙を読んでいる今、私は貴方の傍にはいないでしょう。
………あ、こんな風に書いてしまうと、なんだか私がこの世にいない印象になってしまいますね。
ご安心ください。本当はあまり安心できる状況ではないのですけど、
私もこの子もちゃんと生きています。
ご飯は食べましたか? 着替えの場所は把握できていますよね?
貴方ったら、私がいないと家の事は何もわからないから、そればかりが気がかりです。
………じゃなくて、ええと、これでは都会に出た息子さんを心配するお袋様になっちゃいますね。
ああっ、いつもアンジェラたちとやり取りしてるメールみたいな散文になりつつあります。
モバイルはいけません。通信料もバカになりませんし、お手紙用の書体を忘れてしまいますっ。
―――すみません、羽ペンで直書きしてしまったので散文もそのままお送りします…恥ずかしい。

では、気を取り直して―――――――――デュランへ。

私はこれから招きに応じて【グランベロス】へ参ります。
おいでになった使者の方のお話では、【ファーレンハイト】という場所へ連れて行かれるそうです。
貴方がお話しになっていた【賊軍】の最後の砦に間違いありません。
いわゆる人質、というものです。


………本当は黙っているのが美徳なのでしょうが、私は貴方の妻。貴方に嘘はつけません。
この度、迎えにおいでいただいたのは、ランディさんの秘書を務めておられるパメラさんでした。
総攻撃によって犠牲者が増えるのを防ぐ為、【官軍】は【賊軍】に和平交渉を持ちかけるとの事。
しかし、担保が無くては交渉も円滑には進まない。
そこで【ローラント】の………、かつて悪の枢軸に名指しされ、
その失墜から蘇った【ローラント】の末裔である私こそ人質に相応しいとランディさんが判断されたそうです。

これ以上、無益な血が流れるのは私も望むところではありません。
話し合いで解決できる可能性があるなら、万分の一でも私はこれに賭けたいと思います。
貴方にとって最も大事な機(とき)だと言うにも関らず、自分勝手を通してしまい、本当に申し訳ございません。
和平交渉の礎として、一身を捧げたく存じます。

























































………すみません、やっぱり嘘はつけませんね。
以上はパメラさんがお話し下さった事ですが、ここからが私の考えです。

おそらくランディさんは私の身柄を【賊軍】には和平交渉の要として、
【官軍】と【社会】には誘拐された人質として発表される事でしょう。
【ローラント】の末裔を掠奪して盾に取る卑劣な【賊軍】と触れ回れば、
味方の士気は大いに上がり、不安定に揺れ動いていた世論も一挙に【官軍】へ傾きます。
本来はそのような事が起こってはならないのですが、仮にそうなった場合には、
よろしいですね、決して取り乱さず、ランディさんの目論見に迎合してください。
「我が妻を救う為に力を貸してください」とお味方へ訴えてください。
貴方の言葉一つで【官軍】は大いに沸き立つでしょう。

もしも、この事が【賊軍】の勘気に触れ、私へ危害が及んだ際には、
怒りではなく悲しんで悲しんで、周囲の同情を引く様にお嘆きください。
しかし、冷静さを欠いてはなりませんよ。感情だけはコントロールしてください。
状況を見極め、いつ、どこで嘆けば、【賊軍】に対する諸侯の怒りを誘えるか、
また、白々しくならない目盛りはどこにあるか、匙加減を誤ってはなりませんよ。
よろしいですね、貴方が全軍の勝機を開くのです。

………私とこの子を誰より愛してくださる貴方には残酷な要求だというのは重々承知しています。
けれど、この一戦は【社会】の安寧を左右する歴史的意義があるもの。
時代の大局を見極め、身内への情を捨てられる判断も一軍の将には大事ですよ。
本当に私たちの事を案じてくださるのであれば、時代、世界、領民を第一に考えて行動を選んでください。



最後に。心の底から愛しています、デュラン。


―――貴方の妻、リース・アークウィンドより。



P.S.
次にお家に戻った時には、ご飯は貴方の大好きなポテトサラダにしますね♪















―――――――――多分に散文の混じった以上の手紙が記されたのは、
丁度デュランが【グランスの牢城】にてビュウとの謁見へ臨む直前の事である。


「………お初にお目にかかります。
 【ジェマの騎士】ランディ・バゼラードの秘書を務めております、
 パメラ・アイリントンと申します」
「こちらこそ初めまして。リース・アークウィンドでございます」


ランディの使いで………手紙に記されていた目的の為に【ローラント】を訪れたパメラは、
初めて対面し、そして触れたリースの温もりに胸が痛くなった。
手厚くもてなしてくれる彼女の優しさを無惨に引き裂く事になるだろう非情の密命を帯びた胸へ
激しい痛みが差し込むのを止められなかった。


「長旅でお疲れですか? 顔色が優れない様ですが………」
「あ、いえ………」


苦痛に歪んだ顔色を案じ、優しく労わられれば労わられるほど、胸の痛みは跳ね上がる。
性根から悪になりきれないパメラにとって、今度の使命は荷が重過ぎるのだ。






(和平交渉と騙して………それでこの人を連れて来いなんて………)






天下分け目の決戦が目前に迫った今、総大将に立つランディが最も憂慮する点は、ずばり全軍の結束である。
【アルテナ】憎しの念を掲げ、一丸となって立ち向かってくる【賊軍】と異なり、
【官軍】には旗頭となるモノが一つ足りない。【社会悪】と討伐する大儀はあっても、
では、その大儀を果たした時に何の偉業が成されると言うのか。
つまり、全軍が思いを一つに出来る理想が【官軍】には欠けているのだ。
【アルテナ】を打倒し、新たな政治体制を敷こうと理想を【賊軍】は燃やすのに対し、
【官軍】はあくまで旧態の政治体制を護るのみ。戦いの果てに何が報われるというわけではない。


『リース・アークウィンドを人質に据えれば、世論は【賊軍】を完全な悪と見なす。
 卑劣な悪逆を討ち果たせた暁には、【官軍】同盟国は世論から絶大な信頼を得る事が出来る。
 正義の名のもとに戦ったという栄光を永久の物に出来るのです。
 これ以上に労の報われる報酬はありません』


そこでランディの案じた一計というのが、和平交渉の名目でリースを【賊軍】へ送り込むというもの。
人質とした上で和平交渉を引っ繰り返し、【賊軍】による卑劣な誘拐事件へ仕立て上げるつもりなのだ。






(成功さえすれば、ランディさんの計画した通りに【官軍】は勢いづくでしょうけど………)






勝つ為なら如何なる手段も選ばないランディは、これまでにも要人の暗殺や反対勢力の社会的抹殺など
汚れた所業にも自ら手を下してきた。
秘書として常に行動を共にしていたパメラですら眼を覆いたくなるほどの、
それこそ【ジェマの騎士】の聖名に泥を塗る凄惨な虐殺も自ら率先して指揮している。
今回の一件についてもそうだ。公になれば卑劣と叫ばれるに違いない誘拐の捏造すら、彼は粛々と起案を練り上げていく。
かつて背中を預け合った仲間の命すら、勝利の為には道具同然に扱うランディが、パメラにはたまらなく恐ろしかった。


「………この度、ランディ・バゼラードに代わってリース様をお訪ねしましたのは―――」
「リース、でよろしいですよ?」
「―――え…? あ、い、いえ………、そういうわけには参りませんっ」
「そうですか? では中を取って………“リースさん”ではどうでしょう?
 私も“パメラさん”とお呼びしますので」
「リース………さん」
「はい、パメラさん♪ ほら、やっぱりこの方が話し易い♪」
「………………………」


屋敷、と呼ぶにはあまりに庶民的な造りの自宅へ通されたパメラは、まず温かみのある内装に胸を締め付けられた。
続いて部屋の至る場所へ積み重ねられたマタニティグッズが目に入り、いよいよ言葉を失う。
応接間にまではみ出した布オムツや色とりどりの産着が意味するところを察知したパメラに、
小さな幸せを謳歌するリースを引き裂く事はどうしても出来ない。戸惑い、躊躇し、俯いた。


「? どうかされましたか?」
「………………………」


言えない。いくら【官軍】の命運がかかっていようと、絶対に口に出してはならないとパメラは口を噤む。
誰かの幸せを踏みにじらなければ得られない勝利であれば、最初から棄てれば良いのだ。
【ローラント】へ辿り着くまでずっと揺らいでいた迷いは、リースと向かい合った事で確信に変わっていた。


「………プリムさんから聞いていた通り、とても美しい方ですね、パメラさんは」
「―――――――――っ!!??」


俯き加減に沈んでいたパメラの顔が、その一言で弾かれた様に跳ね上がる。
驚きに開かれた眼で見れば、向かい側のリースは古びた想い出を紐解きながら薄く微笑み、
少しだけ寂しげを浮かべて「………プリムさん、です」ともう一度、繰り返した。


「旅の途中でよくプリムさんの自慢を聴いていたんですよ、私の大親友は世界一だって。
 美人だし、スタイルも抜群だし、気立ても良くって非の打ち所が無い―――
 ―――まるで自分の事みたいに嬉しそうに話していました」
「………………………」
「………プリムさんが―――………―――お休みになられる前、
 自分の代わりにと指名したのもパメラさんだと伺いました」
「………………ッ………………」
「ずっと気になっていたんですよ? パメラさんってどういう方なのかなって。
 今日、お会いして、プリムさんのお見立ては間違っていなかったとすごく良く判りました」
「………………………」


予期せぬ場所で予期せぬ名前を出されたパメラへ、あの日の懐かしい声が、
もう何があっても逢えない筈の勝気な声が、儚い夢の様に舞い降りた。
空耳なのは分かっている。不意に蘇った追想が呼び起こした幻だと言うのも理解している。
だが、確かに聴こえるのだ。「パメラっ」といつもの調子で自分を呼ぶ、あの声が。
ポニーテールと吊りあがった眉がトレードマークの、あの顔が。


「―――――――――プリム………………………」


リースに吊られる様に、パメラもその名前を呼んだ。
答えてくれるわけがない夢幻へ向けて、声を掛けずにはいられなかった。
答えてが返ってこないと知りながらも、呼びかけずにはいられなかった。
―――現世に縛られる亡霊ではない夢幻は、やはり何も答えず、そのまま白み、霞んでいった。


「………パメラさん」
「………はい」


そうして気が付くと、幻に引かれた顔はいつの間にかリースと正面から向き合えていた。


「プリムさんが胸の病で身罷られた後、ランディさんは確かに変わられました」
「………著しく変わっていかれたのは………そう………【グランベロス】が台頭してから………です」
「………あの方は、今、とても深く濃い霧の中を彷徨っています。
 この世で一番大事な人を失い、全てに絶望した心が狂って壊れてしまわない様、
 【戦い】という濃霧へ自分の足で道を選ぶ事を預けて彷徨っていらっしゃいます」
「自分の足で………道を選ぶ事………」
「昔は私も同じでした。
 ………大事な母様を目の前で殺められて、ただ一人残った弟を目の前で攫われて―――
 ―――その時の私は、ただ“目の前”にある事しか視野に入っていなかった。
 傷付けられた心では、周りに気を配るだけの余裕が無かったのです」
「でも、だって今のリースさんは、そんな風には全然思えません。
 【ローラント】の再興だって立派に達成されて………」
「新しい絆を見つけたからですよ」
「………………………」
「永遠の眠りに就いた絆が戻る事は決してありません。どれだけ泣きはらしても、決して。
 でも、だからと言って人間はそこで立ち止まってしまう程、弱い生き物ではありません。
 失われる絆があるなら、新たに紡げる絆もあるのです」
「………リースさん………」
「………ランディさんを支えてあげてください。
 何も見えない霧の中を独り彷徨うランディさんに随いていくのはとても大変な苦労だと思います。
 けれど、一番近くにいて、一番辛いあの方の顔を見守り続けた貴女にしか―――いいえ、
 貴女だけにランディさんを支える資格があるのです」
「でも、それじゃ私はプリムを裏切る事に………………………ッ!」


リースの言いたい事はよく解った。だが、それを押し通すと言う事は、つまり親友への裏切りに繋がる。
ランディが辛い霧中を彷徨っている時、手を差し伸べてあげられない彼女に対する冒涜になる。
そう思い、自分の気持ちを懸命に押し込めてきたパメラの冷たい肩を、何か温かな物が包み込んだ。


「新しい絆を育む事で、人は想い出をアルバムへ仕舞える強さを得られるのですよ、パメラさん」


そっと肩に置かれたリースの右手から心へ温もりが流れ込んでくる。
先程垣間見た親友の後姿は幻だったけれど、今度の温もりは錯覚ではない。
心が、押し込めて押し込めて、痛めつけていた心が温かくなってくるのをパメラは確かに感じた。
それは、何度となく大事な家族を理不尽に失う悲しみにさらされ、
その都度乗り越えられた者だけが備えられる本当の強さの“証し”。
誰よりも人の痛みを知り、痛みを知るからこそ誰よりも人を慈しめる無限の愛情の灯火。


「私は………でも、私………」
「プリムさんは誰にランディさんの事を託されたのですか?
 ………親友への裏切りと蟠るのであれば、まずこの原点に思いを巡らせてみましょう」
「………………………」
「プリムさんは、他の誰でもない貴女を選んだのです。
 選ばれた以上、パメラさん、貴女はプリムさんの気持ちを裏切ってはいけませんよ?」
「………………………―――――――――………………………はいっ」


ああ、自分は何てダメな秘書なのだろう。説得するつもりが、逆に説得されてしまった。
【官軍】勝利の要になる大事な任務をなおざりにしてしまった事をどう咎められるのか、
それを考えただけでパメラの瞳から熱い雫が止まらなくなる。
みじめなくらいの滑稽さが、霧の中からでも見つけ出し、支えていかなければならない愛しさが、
雫に姿を変えて、後から後から溢れてくる。ちっとも止められない。


「ランディさんの事、愛してあげてくださいね」
「………プリムに負けない様、がんばります」
「うんうん♪ その意気ですよ、その意気。
 貴女が元気でいなくちゃ、ランディさんもシオシオになっちゃいます♪」


だが、自分の不出来を不甲斐なく思いながらも、パメラは俯く事は無かった。
慈母の微笑を称えた――でもちょっぴりいたずらっぽい――リースの問い掛けに毅然と答える瞳は、
乗り越えなくてはならない試練と向き合えていた。
もう大丈夫。この人はもう迷わない。涙で頬を濡らしても笑顔を無くさなかったパメラに
確かな希望を感じたリースが満足そうに頷いた。


「では、参りましょうか」
「―――え………?」
「私を迎えに来てくださったのでしょう?
 行き先はまだ聞いていませんが、ランディさんも私にとって大切な“戦友(ともだち)”です。
 お呼びになるなら、どこにでも駆けつけますよ」
「な………えぇっ!?」


そんな調子でいたから、リースからの申し出にパメラは青天の霹靂に打たれて言葉を失ったのだ。


「家の人にはよく頼りないと注意されますけど、これでも人間二十有余年生きてきましたから、
 相手が自分に何を望んでいるのかくらいは察する眼を備えているつもりですよ?」
「………………………」
「それとも私の勘違いでしょうか」
「………………………いえ、合ってます。私はランディさんの言い付けでここに来ました。
 リースさん、貴女を【グランベロス】へ………………――――――………………………」


パメラがはるばる【ローラント】まで出向いたのは、リースを人質として【グランベロス】に差し出す説得の為であって、
人生相談を受けにやってきたわけではない。任務なのだ。
聡しい洞察力のお陰で説得の手間が省けたと本来なら喜ばしいところなのだが―――






(やっぱり行けない…ッ!! リースさんを卑怯な罠に利用するなんて絶対できないッ!!)






―――苦しい気持ちまで受け止めて、なおかつエールまで送ってくれたリースを危険な目に遭わせる気は
パメラの中から既に消え失せていた。


「リースさ―――」
「―――そこまでだ、下郎ッ!!」
「お義姉ちゃんから離れなさいッ!!」


命令違反を犯せばどんな厳しい処分が待っているか、想像しただけで身震いしてしまうパメラではあるが、
そんな事を気に病んでいられる余裕も無く、庭先に待機させている同行の部下に気取られない様、
口早に「逃げて」とリースへ耳打ちする―――いや、正確には耳打ちしようとした瞬間の出来事だ。


「エリオットッ!! ウェンディちゃんまでッ!?」
「私もおりますよ、奥方様ッ」
「サーレントさんッ!!」


二人きりだと思っていた応接間へエリオットたちが突如大挙として踏み込んできた。
いつでも居合で薙ぎ払える準備にとカタナの鯉口(※鍔元)を鞘から僅かに切ったエリオットも、
室内だろうと満足に戦える型を取り、ナギナタの柄をやや短めに構えるウェンディも、彼らに率いられた兵たちも皆、
戦へ出撃するかの様にがっしりと武装を施している。






(―――――――――しまったッ!!)






勘付いて窓の外へ視線を滑らせると、庭から垣根の向こうへ至るまで
【ローラント】の戦士たちによって既に完全に包囲されていた。
どうやら気配さえ気取られない内に潜入し、アークウィンド家を、いや、この首を奪る包囲網を張っていた様だ。
事細かに弾き出す事は到底出来ないが、ザッと数えただけでも室内外合わせて100人では利かないだろう。
鼠さえ這い出す隙間も無い完全な包囲網である。自分の肝が急速に熱を失っていく焦りへパメラは吐き気さえ催した。


「姉様、近付くなッ!! そいつはランディ・バゼラードの手先だッ!!
 和平と偽って【グランベロス】に姉様を送り込み、【官軍】が発奮する餌に据えるつもりなんだよッ!!」
「わ、私はそんな………ッ!!」
「ランディの手先がやって来たと思って警戒してりゃそのザマだッ!!
 コケにするつもりか、ボクらをッ!!」
「………【ローラント】の民を甘く見ていただいては困りますね、お嬢さん。
 裏などとうの昔に取れているのですよ」


無理だと解っているが、むざむざ押し切られては拾える命も拾えなくなる。
やぶれかぶれで弁明を図ろうとしたパメラだったが、優しげな口元を冷酷な軽蔑に歪めるサーレントが
ボロボロになった四、五人の男を放り出したのを見るにつけ、いよいよ自分の命運が尽きる足音を鼓膜へ刻み込まれた。


「そいつらが全部ゲロってくれやがったぜッ!! ………どこまで汚いんだ、【アルテナ】はッ!!
 結束力を養う為に姉様を犠牲にしろだぁ? 同盟国にまでバカげた要求するのか、ああッ!?
 終いにゃ【ケーリュイケオン】に火ぃ点けたるぞコラァッ!!」
「………………………」


ボロボロにされたのは庭先へ控えさせていた筈の直属の部下たちだった。
彼らも彼らとて一通りの武術や魔法は修めており、一般の兵士程度相手なら全くヒケを取らないエリート中のエリートである。
しかし、百戦錬磨で鍛え上げられた【ローラント】軍と温室育ちの士官候補生では実戦経験が違い過ぎ、
瞬く間に全滅させられてしまった。
エリオットの言い方からすると、自分がリースに何を望んでいたのか、一から十まで割れてしまっている様だ。
怒りは伝播し、踏み込んできた兵士たち全員から剣呑な殺気が噴き出している。
逃げ場も無く、敵軍勢は誰もが憤激に狂っている―――万事休すか。
自分の命運をここまでと悟ったパメラは、護身用に懐へ忍ばせていたキドニーナイフを抜き、逆手に構えた。


「―――お待ちなさいっ!」


多勢に無勢と呼ぶには不利の度合いが圧倒的過ぎるものの、負けだと諦めて命を放り捨てるより戦って散華してみせる。
新たな【ジェマの騎士】の従者としての誇りがパメラの背中を押し、騒然と居並ぶ敵影へ切っ先を向けさせた。
いざ、尋常に勝負―――とその時、凛然なる一声がアークウィンド家の天井まで震わせ、
パメラの足を、総員力ずくで雪崩の様に圧し掛かろうとした【ローラント】の兵団の動きを一斉に制した。


「パメラさんは私の客人です。手荒な真似は許しません」


慈愛と茶目っ気を同居させた可憐さを打ち消し、現役の【レイライネス】として銀槍を振るっていた全盛期と
少しも変わらぬ凛とした勇猛へと表情を引き締めたリースがそこにいた。
亡き母が繕ってくれた若草色のワンピースとアークウィンドの家系伝来の【ピナカ】さえあれば、
【草薙カッツバルゲルズ】の頃とそっくりそのまま同じになるだろう。
鶴の一声で屈強の兵士を硬直させる檄の飛ばし方には多分に夫の影響が見られるが、それらも含めて、
衰えと言う物を微塵も感じさせない迫力があった。


「でも、お義姉ちゃんっ! この人はお義姉ちゃんを利用しようと―――」
「【社会】という大きな枠組みへ眼を向けて御覧なさい。
 私が危地へ赴く事によって【社会】と【未来】が揺ぎ無い物になるなら、私は喜んで一身を捧げます」
「お義姉ちゃんっ!?」
「何言ってんだよ、姉様ッ!! 【アルテナ】の餌食になるつもりか―――」
「下がりなさいっ!!」


――――――再びの一喝。
ドスの利いたデュランやエリオットの怒号はどんな極悪人も黙らせる威力を爆発させるが、
リースの檄はそれらと違う恐ろしさが、針で心臓を突き刺す様な鋭利な恐怖が秘められていた。
さすが荒くれ揃いの【ローラント】移民へ指示を下し、円滑に復興作業を取り仕切ってきただけの事はある。


「パメラさんのお話は解りました。私は“和平交渉の為”に【グランベロス】へ伺うのですね?
 ランディさんは話し合いで決着をつける為、私に協力を要請した―――と」
「リースさん………」
「エリオット、ウェンディさん、それにサーレントさんも。
 私は生贄などでなく、まして誰かに言われたからでなく、和平の使節として【グランベロス】を訪ねるのです。
 よろしいですね、今回の私の出奔はパメラさんには一切関係はありません」
「………………………」
「もし私がでしゃばった真似をして処刑台へ上らされても、それは私の意思。
 よって、パメラさんに意趣返しする事も、ランディさんへ造反する事も一切を禁じます」
「………でも、だけど、兄貴に何て説明すれば………」
「手紙を書きましょう。私が自分の意志で【グランベロス】へ向かうという旨を記した。
 私の直筆であれば、デュランならきっと理解してくれる筈です。
 ―――エリオット、これで良いですね?」
「………姉様………」
「皆さんもそれぞれの持ち場に戻り、デュランから下された指示を全うしてください。
 あと一月もしない内に天下分け目の決戦を迎えるでしょう。
 自分の準備を100%以上にこなせてから、他人の心配をしてください」


有無を言わせない物言いで押さえつけられてしまうと、【ローラント】の民はそれ以上反論する事が出来ず、
渋々武器を収め、リースの指示に従ってそれぞれの持ち場に散開していった。
気遣わしげな視線を送るサーレントに背を向けて座り込んだエリオットだけは頑としてその場から動こうとせず、
ウェンディに引っ張られても、リースに行きなさいと窘められても不動の岩となって居座りつづけた。


「支度と手紙をしたためるまで………そうですね、30分は時間をいただけますか?」
「………リースさん、私は貴女に逃―――」
「―――パメラさん………っ」
「―――………」
「個人間の諍いならともかく、戦に過度の情は禁物ですよ。
 特に自分に対しては非情なくらいで無いといけません」
「………………………」
「自分が出来る精一杯の役割をこなし、【世界】に貢献する。
 程度や形に差こそあれ、それが【社会】で生きる者の務めであり義務というものです。
 もう一度、繰り返しますね。私は私の意思で貴女に随いていくのです。
 それが私に出来る唯一の役割であり、果たすべき義務だと思いますから」
「リースさん………」


それは果たしてパメラに向けられた訓戒だったのか。危地へ赴く自分自身を奮い立たせるおまじないだったのか。
………はたまた、不貞腐れて地べたに胡坐をかいた弟への教えだったのだろうか。
「30分したら戻ってきます」と言い残し、リースが自室へ消えた今となっては確かめる術も無いが、
あるいは3つ全てが正解なのかもしれない。


「絶対に………死なせはしません………っ!」


物々しい包囲網から一変して静寂を取り戻したアークウィンド家の応接間にパメラの表明は
エリオットに鼻で嘲笑されるくらい虚しい音色を響かせて―――――――――………………………。






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