「………セバスチャン殿」


不躾なダミ声が兵士たちの楽しみを邪魔しまうのではないかと一瞬肝を冷やしたが、
特設ステージから離れていた事もあって幸いにも演目の進行には支障が無かった様だ。
目端でアキラのギタープレイが始まった事を確認しながら、パルパレオスは無粋にも割り込んできた声の主と向き合った。
相手は、【賊軍】へ参加している大国の一つ、【アルマムーン】の老臣、セバスチャンである。
老いた身に鞭打ち纏った戦装束を憤怒で戦慄く肩でカタカタと震わせている。

【アルマムーン】は卵を媒介に据えて異世界より魔獣を呼び寄せる召喚術に長じた王国だ。
同系統の秘法に精通する国家として、【精霊戦士】の名門でもあったかつての【ローラント】を西に、
【アルマムーン】を東にと称えられる程の古豪である。


「明日にも【アルテナ】の飼い犬共が攻めて参るやも知れぬと言うに、油断が過ぎるのでは無いかッ!?
 仮にもそちらは我が軍の総大将ッ! 今は亡きサウザー皇帝より軍事の一切を託された者ではッ!?」
「仰る通りでございますれば、この様に兵たちの疲弊を癒し、鼓舞しておるのです。
 図らずも【アルテナ】勢を相手に敗走を重ねました今日には、兵たちの疲労困憊、
 捨て置けぬ領域にまで達しております。全ては決戦に備えての慰安とご了承いただきたい」
「了承ならんッ!! 今すぐこの催しをやめさせよッ!!
 戯れた遊びなど戦の前では不愉快でしかないわァッ!!」


代々王家が優れた人材に恵まれないという一風変わった特徴のある事でも有名で、
奇抜な言行を繰り返す王族の痴態は、社交界でも半ば珍味扱いの名物と化していた。
そんな問題だらけの【アルマムーン】を国家として成立させているのは、
代々王族に仕える優秀な大臣、セバスチャンの尽力によるところが非常に大きい。
今回の天下分け目についても、現国王が気まぐれに【賊軍】参加を表明して以降、
セバスチャンが中心となって軍備・人馬の調達に奔走し、ようやく【ファーレンハイト】へやって来れたのだ。
それだけにセバスチャンの気迫は並々ならないものがある。

ところが、死に物狂いの気苦労を重ねて行軍してきてみれば、本丸になる筈の【ファーレンハイト】では
お笑い芸人たちが興行を開き、兵士たちは浮かれて手拍子を打っている有様。
【アルマムーン】の苦労を知っているか、と逆恨み同然でセバスチャンが歯軋りするのも無理からぬ事かも知れない。


「それは聞き捨てなりませぬな、セバスチャン殿。
 私の浅はかな考えで貴殿のご気分を害されたなら陳謝いたしますが、彼らには何の罪もありますまい?
 彼らは疲れきった兵たちに活力を与えるべく懸命に舞い、踊っておられるのです。
 それを戯れた遊びと罵られるはお門違いだ。即刻撤回していただきたい」
「な………ッ!! き、貴殿は私に恥を掛けと言われるかッ!?」
「恥ではなく、人として通さねばならない義を、僭越ながら説いておるまでです」
「………【アルマムーン】を敵に回すご意志と受け取ってもよろしいのだなッ!?」
「これしきの事で国家間の問題にまで提起されるとは、【アルマムーン】にその人ありと謳われたセバスチャン将軍も
 老いられたものですな………」
「な、なんじゃとォッ!?」
「ご自身の失言を国交問題へ結びつけて脅すなど言語道断ッ!!
 いかに腹へ据え兼ねる物があろうと、一個人として、一人の人間として納めるのが
 【社会】を引率する大人の姿ではございませんか、セバスチャン殿?
 個人間の口論で戦火を掛けようとすれば、国家の品格が疑われ、領民の心も千々に乱れますぞ」
「む………う………ぅッ!」
「貴殿に恥じ入る躊躇があるのなら、まずは私より頭を下げましょう。
 ………悪戯にセバスチャン殿の気を害してしまった事、心よりお詫び申し上げる。
 何卒、何卒、怒りの矛先を納めていただきたい」
「………………………」


しかし、偏屈者を向こうに回したパルパレオスも【賊軍】総大将らしく堂々としたものだ。
恫喝する様ながなり声に一歩も臆す事無く、諌めと皮肉を織り交ぜながら対等に渡り合って
とうとうセバスチャンを沈黙させてしまった。


「………あまり御老をいじめてやるなよ、パルパレオス殿。
 あれでセバスチャン翁は誰よりも苦労を重ねておいでなのだからな」
「レオ殿か………。失敬、見苦しい姿を見られてしまいましたな」


なにか捨て台詞めいた物を吐き捨てて立ち去っていったセバスチャンと入れ替わりに
また一人、彼のもとに【賊軍】へ所属する将校がやって来た。
複雑そうに見送るパルパレオスだったが、その背中が柱の影に隠れて消えても、終ぞ失言を撤回する謝罪は得られなかった。


「気にしちゃいねぇって。こういう商売やってるだけにあーゆーアオリにゃ慣れてらぁ」


気まずげな目配せを向けられたマサルは、パルパレオスの気遣いにカラリと笑って返す。
器も大きくマサルが笑って済ませてくれた事で、少なからず落ち込んだパルパレオスの気持ちも救われた。


「今しがたは我らの盟友がご無礼した。
 【ガストラ】帝国―――と言っても、残ったのは我が部隊のみなのだが、形式上名乗らせていただく。
 【ガストラ】帝国にて陸軍中将を務めておりましたレオと申す者です」
「こりゃまたご丁寧に。俺はマサル・フランカー・タカマガハラだ。
 見ての通り、【LIVE・あ・ライフ!!!】ってぇ芸人一座をシキらせてもらってるぜ」
「ええ、お噂は兼ねがね伺っておりますよ」


【ガストラ】―――聖王セシルが治める【バロン】に勝るとも劣らない軍需産業の国家だ。
【魔導アーマー】と呼称される陸戦性能を特化させた人型決戦兵器の開発に成功した事によって
世界屈指の戦闘力を保有するに至り、現在【アルテナ】から最も警戒される国家の一つに数えられている。
その為、早い段階から反【アルテナ】を掲げており、【賊軍】の決起にも積極的に参加、
【グランベロス】と【ガストラ】の同盟締結が各国の反【アルテナ】派を抱え込む求心力へ繋がったと
軍事アナリストが分析する程、天下分け目の決戦に於いて重きを成していた。

しかし、戦争の無常かな。各地で【官軍】と【賊軍】の合戦が散発し始めた頃こそ
【ガストラ】の【魔導アーマー】は猛威を振るっていたが、勝利に驕って前線への配備を重ねる内に攻略法を弾き出され、
それ以降は他の部隊同様に敗走を重ねていき、大戦半ばにして皇帝を失う致命傷を被っていた。


「噂つっても、アレだろ、どうせ変態紛いの芸風がキモいってヤツだろ?
 なんとでも言っててくれ! 俺たちの笑いは垣根の外からじゃ伺えねぇッ!!
 眼で見て、耳で聴いて、体感してこそ心ウキウキウォンチューするんだからよッ!!
 なぁ、パルパッちゃんッ!!」
「そ、それはもしかして私のニックネームなのですかな、タカマガハラ殿?」
「ははは―――、良い名を貰ったな、パルパレオス殿」
「じゃあ、アンタはオッちゃんな!」
「………なッ!? なぜそこを採るッ!? この場合、せめてレッちゃんではなかろうか!?
 た、ただの壮年呼ばわりではありませんか………」
「良い名を貰いましたな、レオ殿」


レオから差し出された握手に親睦を深める愛称を上乗せして返したマサルのセンスに
再び苦笑いを漏らしたパルパレオスだったが、気をほぐしていられる時間は、どうやらそこまでの様だ。
頬を掻いて落胆していたレオが表情をキッと引き締め、緊張を孕んだ眼差しをパルパレオスに向ける。






(―――――――――来たか………………………)






微かに震える口をレオが動かすのに先んじて、彼が伝えようとしている言葉を読み取り、
パルパレオスは自然と瞼を閉じた。


「………【アルテナ】勢の先鋒およそ80,000が今しがた【バハムートラグーン】へ着陣した」


果たして予想は的中。瞳を閉じたまま、彼は静かに頷いた。


「何が【官軍】だ! 和平交渉と偽り人質を送り込んでおきながら、
 それは【賊軍】の誘拐だと吹聴するあの外道共め………ッ!!
 どちらこそ【逆賊】の汚名が相応しいか、国民裁判に掛けてやりたいものだな………ッ!!」
「そういきり立っては判断を鈍らせますぞ。我を忘れたセバスチャン殿の激昂を戒めにされよ」
「………パルパレオス殿、こうなれば人質を見せしめに殺―――」
「―――それは、ならぬ」


間近に迫った【官軍】への焦りから不穏を口走るレオを短く、けれど厳しく戒めたパルパレスが次に瞼を開いた時、
その瞳には静かな闘志と深い哀しみが浮かんでいた。煮え滾った怒りと、やりきれない哀しみが。


「我らは誠の自由と平等を旗印に掲げて挙兵した正義の軍勢。
 いかに【アルテナ】が悪辣な罠を仕掛けて来たとしても、相応の卑劣で反撃してはならぬのです。
 同じ穴の狢に成り下がっては、我らの尊ぶ義が穢れます」
「………言うと思ったよ、お前ならな」


毅然と言い放ったパルパレオスの決意に対して嬉しそうな微笑を返したレオは、
この愚直なまでに潔癖な盟友の肩を、まるで鼓舞するかの様に強く叩き、満足そうに何度も何度も頷いた。


「ご覧ください、タカマガハラ殿。この男は融通の利かない偏屈者。
 貴方がたを誹られたあの御老と何ら変らぬ頑固者です」
「偏屈者とは言ってくれるな、レオ」
「拗ねるな、拗ねるな。これは褒め言葉なのだぞ、一応」
「一応と言うのが気になるぞ、非常に」


パルパレオスとレオ。
出身や立場の違いこそあれ、互いに武断派として戦功を上げてきた軍人同士、
こうして軽口を叩き合えるまでにウマが合っていた。
二人は打倒【アルテナ】を掲げて【グランベロス】と【ガストラ】が蜂起して以来の同志である。
共同戦線を張り、幾多の死線で背中を預け合った戦友なのだから、単純な同志以上の絆が結ばれているのだろう。
境遇も似ている。共に大戦半ばで盟主を亡くしており、その遺志を受け継いで戦うという意味と重責を
分かち合える唯一無二の相手でもあった。






(なんか―――俺らに似てるなぁ。【草薙カッツバルゲルズ】ん時の俺らに)






互いの全てを理解し、認め合っているパルパレオスとレオのコンビを見ていると、
額に締めたバンダナが熱を発した様な錯覚に陥る。
バンダナの熱は、マサルの脳裏にこれまでの人生の中で最も輝いた瞬間を蘇らせた。
弱小草野球チームを思わせるダサさとシャープさが同居した味わい深い名前の一団を結成し、
【イシュタリアス】の支配を目論む悪の結社と戦った、あの瞬間を。






(そうそう、ちょーどこんなカンジだった、うん。顔合わせればバカ話ばっかしてよぉ〜)






その当時に絆を結んだ仲間たちとの関係が、ちょうど目の前でじゃれている二人と同じカタチをしているのだ。
トモダチとも違う、背中を預け合い、共に死線を潜り抜けた者だけが結ぶ事の出来る、何より強く、深い信頼関係―――
―――人はそれを【絆】と呼ぶ。

そういえば、【官軍】勢が【ウェンデル】へ集結した際にちょっとした同窓会を開いたと
ホークアイからメールが届いていたのを思い出すマサル。
なかなか盛り上がったらしく、エリオットがドジョウすくいに興じている写真も添付されていた。
興行さえ入っていなけば………と悔し涙を流したのはつい昨夜の事である。


「【官軍】が着陣したとは言え、それはあくまで先鋒の話だ。
 敵方の戦支度はまだ整ってはいない筈。すぐに戦闘になるとは考えにくいな」
「それはこちらも同じ事だろう? 【アルマムーン】が特別なわけではない。
 味方のどの軍勢も到着して間も無く足並みも乱れている。戦いにならんよ」
「………やはり、合戦は明日か」
「明朝までには【官軍】も結集するだろう………日の出と共に決戦へ突入する」
「………………決戦………………」
「警戒しつつ決戦への支度を万全とするように全軍へ支持を出そう」
「ああ、………夢の時間もこれまでか。もう少し英気を養って欲しかったがな」
「この戦に勝てば、ゆっくりと骨休みできるさ。いや、新時代を磐石と働きが先かな―――
 ―――では、行ってくる」


しばらく昔の想い出へ浸っていたマサルの意識は、次第に緊迫の色合いを強めていく二人の会話でもって
現実世界に引き戻された。


「………天下分け目の決戦か。穏やかじゃねぇわな」
「ご安心なされよ。先程も話した通り、万一の場合に陥ろうと、皆さんには指一本触れさせません。
 サスァ・パルパレオス・ヴァン・デル・サンフィールドの一命を賭けて、
 安全は保障いたします」


総大将より下された重大な指示を胸に駆け去って行くレオの決然たる面持ちを追いながら、
マサルはパルパレオスという男の律儀さにひたすら感嘆の溜め息だ。
明日とも知れない危地にあって、興行に招いた【LIVE・あ・ライフ!!!】の身を案じる心配りを
忘れない律儀さには頭が下がる。
セバスチャンと揉めた際に見せた堂々たる威風、部下を気遣う優しさ、的確な采配、
どれを取っても非の打ち所が無い総大将であり、彼が【賊軍】の結束の一切を取り仕切ってきた事を窺わせた。
怖い物知らずのマサルですら手ごわい、と素直に感じ入る。それほどの人物なのだ、パルパレオスは。






(………どっかの誰かさんに爪の垢ぁ煎じて飲ませてやりてぇな………)






―――同時に、無意識に【官軍】側の総大将と比べてしまい、複雑な想いに落ち込む自分がマサルは苦々しかった。


「どう思われますか、タカマガハラ殿は」
「この大戦をかい?」
「かつての仲間を人質として差し出すだけでも非道だと言うのに、
 そればかりか最初に提示した和平交渉を覆し、人質は【賊軍】による略取とまで偽装工作する者を、
 暴虐を数えれば枚挙に暇が無い者を社会の支柱に据えてもよろしいのか………。
 ………私は怒りを通り越してね、最近、悲しく思う様になってしまいましたよ」
「………………………」
「―――そうか、そう言えば、リース・アークウィンド様はタカマガハラ殿ともご朋友でございましたな………」
「夫婦揃って良く知ってるよ。
 ………ま、【官軍】の大将サマも、アンタの言う“ご朋友”ってトコにかこつけて口説き落としたんだろうがな。
 リースは、あいつはそういうのに弱いからよ」
「………心中、お察し申し上げる。
 されど、ご案じめさるな。リース・アークウィンド様の接遇は我が妻に一任してありますし、
 万が一の場合にも、貴方がたと共に身柄の安全を確保する打ち合わせもついております」
「………そうしてやってくれ。あいつもダンナと離れ離れになってて寂しいだろうからさ」


実は―――実際のところを話せば、マサルがパルパレオスの依頼を受けた裏の動機はここにあった。






(………パルパッちゃんの律儀な性格からして、リースに危害を加える可能性は無いだろうけど、
 警戒するに越した事ぁ無ぇか………)






ランディの一計で【ファーレンハイト】に囚われの身となったリースを
万が一の場合、救助するスパイとは、何を隠そう彼ら【LIVE・あ・ライフ!!!】の事だ。
リースが【賊軍】へ身柄を引き渡されたのが、奇しくもパルパレオスに特別興行を依頼されたのとほぼ同時期。
これ幸いにとアンジェラから要請され、リースの救助の為に意を決して【ファーレンハイト】へ乗り込んだわけである。
アンジェラからの要請には救助の他にも内部調査も含まれていたが、
お笑い芸人という無害な職種も手伝って、聞き取りや経路のマッピング等の密偵行為を誰にも怪しまれずに実行できた。
隠密について人並み以上の知識と経験を持つブライアン辺りが、おそらくアンジェラに入れ知恵したのだろうが、
成る程、効率良く成果が上がっており、適材適所の割り当てと言える。


「これは、あれだぜ、俺の個人的な考えと思って聴いてくれや?」


頭では彼を出し抜く事を考えながら、口先で問い掛けに答えるとは我ながら器用なものだ―――
―――と自嘲気味に口元を歪めるマサル。
本音を言えば、好感すら抱ける律義者のパルパレオスに対して背信をもってかかるのは
マサルの真っ直ぐな心意気に反する事だ。
しかし、囚われのリースや一座の安全がかかっている以上は本音を押し殺し、定石として背信を飲み下すしかない。

先ほどまで昔の自分を思い出していたせいもあるのだろう。
長という立場で一座を率いる内に世の中を器用に渡る処世術が備わり、
今ではポーカーフェイスで二つの事を同時にこなせる様になっていた。






(………や〜れやれ、何が爪の垢煎じて飲ますだよ。俺だって全然さっぱり人の事言えねぇじゃねーか)






真っ直ぐでいられた頃から随分かわってしまった事への自嘲が抑えられない。
誰にも真っ直ぐありたいと願いながら、“器用”な大人になってしまった自嘲をも
噛み殺せるまでに自分を疎ましいとさえ感じる―――だからこそ、口先だけでも義を通したい。
そう思ったマサルは、何の飾りも無い真摯な意見を述べようと決めた。
それが腹に一物を隠したマサルに出来る、精一杯の律儀だった。


「………力ずくで社会の体制を決めちまおうって考えには、ちぃと思うところもあるけども、
 四の五の言わせず社会を引率するだけの絶対的な力さえ示せない口先だけの輩に
 民衆が付いてくるとも思えねぇ………全部が全部、力ずくじゃ独裁になっちまう、それは解ってる。
 だが、弱いヤツには社会の引率者を名乗る資格も無ぇ。だから、戦って、勝つ。
 勝った方が資格を得る―――………っとォ、知った様なクチ利いちまったな。
 悪ィ、第三者の勝手な言い分と思って聞き流してくれや」
「………いえ、仰せの向きはしかと心に留め置きます」


自然と二人の視線は窓の外へ向けられる。


「………私はね、タカマガハラさん。この戦が終わったら、隠居しようと考えているんですよ」
「随分早まった話じゃね? パルパッちゃんってば、まだ三十そこそこでしょ?」
「私は学の無い武芸一辺倒の男です。レオやセバスチャン殿の様に政治力があるわけでもない。
 これから迎える新時代にその様な男の居場所はどこにもありません。
 そして、あってはならない」
「………戦の無い時代、か」
「隠居したら、羊を追って暮らしたいんですよ」
「大軍勢の総大将から羊飼いに転身!? すっげぇな、それ!
 自伝出せばさぞ売れんじゃねぇか、そういうバラエティ性に溢れた人生って」
「それも面白そうですね。
 ………先に逝ったサウザーの遺志を継ぎ、【グランベロス】の名の下に集った将兵の想いを汲み、
 これまで【アルテナ】相手に新たな【社会】の樹立を目指して戦って戦って戦ってきた。
 もう…もう戦う事には疲れた―――なんて事を冗談でも総大将が口走ったら叱られますかね?」
「それで羊飼い、か。あれも結構大変だって話だぜ? 牧歌的なのは雰囲気だけだって」
「本当ですか? となると楽して過ごしたい人生設計が狂ってしまいますなぁ………」
「なにヨボ爺みたいな事言ってんだって」


暢気な会話を交わすマサルとパルパレオスが見下ろす視線の先では、
闇夜に塗り潰された【バハムートラグーン】が広がっている。
篝火程度では昼の様に映し出す事が適わず、輪郭しか捉えられない荒野からは
分厚いガラス越しにも剣呑な怒声が絶え間なく飛び交うのが聞こえた。
まさしく喧々囂々。【官軍】の到着によって事態が加速度的に逼迫し始めた証拠である。


「―――タカマガハラさん、貴方は私よりも世の中を知っているでしょう?」
「ンな事ぁ無ぇと思うぜぇ? アンタより年だって若いしよ。
 バカな遊びだったら山ほど知ってっけど」
「………人は、どうすれば自由に生きられるのでしょうか。
 学歴や身分、主義も主張も関係無く、まして争いを生む心も無く、真に自由に生きるには」
「………………………」
「それさえ見つかれば………戦火で犠牲になる者はいなくなると言うのに………」


あと十時間もしない内に窓から眺望する光景の全てが阿鼻叫喚の戦場になるだろう。
誰もの自由を奪い、誰もの命を噛み砕く災厄が舞い降りるのだ。
今、パルパレオスが口に出した問い掛けは、聴きようによっては臆病風に吹かれた甘えにも受け取れ、
何十万もの命を死地へ送り出す総大将として最も相応しくない疑念に思えた。

しかし、同時にこうも考えられる。
何十万もの命を預かる総大将だからこそ、散華する犠牲を惜しみ、革命の戦線に流れる血を哀しむべきではないか、と。
抑えきれずに零した疑念とは、もしかすると一人の人間として最も相応しい想いなのかもしれない。


「―――そいつを見つけたくて、俺ぁ、お笑いやってんのさ、パルパッちゃん」


答えなら自分が欲しいくらいだ。困った様に眉を曇らせたマサルは、苦笑いにその一言だけをポツリと添えた。
背後でクライマックスを迎える特別興行の演目が、いつもは心が躍って仕方の無いお囃子が、
今日のマサルにはやけに空しく聞こえた。













「楽しみですね、リースさん。明日は何人の男が無様な屍骸をさらすのかしら」
「は………?」


何の脈絡もなく突拍子も無い事を言うこの女性に対してリースは、
人を選り好みしない彼女にしては珍しく苦手意識を覚えていた。
大乱の色を強めつつある窓の外を睥睨しながら不謹慎極まりない発言をしてみたかと思えば、
半面で廊下を行き交う男性へ媚びる様な上目使いを振り撒きもする。
それでいて女性の侍従には「戦いの前に何をへらへらしているのか」などと辛辣な皮肉を吐きかけるのだから
いよいよ掴み所が無い。
相対する性別によって人格を使い分けているのではないかと訝ってしまう程、
強い二面性を持つ人間と出会ったのは初めての経験だが、彼女とはどうにも気が合いそうにない。


「わ♪ わ♪ 今、気持ち良いのが出ましたよ! 何人弾け飛んだんだろう?
 それとも空砲かな? 早く早く潰れたピザみたいのが見たいのにっ!」
「………………………」


嬉々としてガラス越しの光景を眺めている女性が言うには、決戦は明朝に端を発する見込みらしいので
おそらく今聞こえている銃声は威嚇射撃だろう。
けたたましい砲声が轟く度に肩を揺らしてはしゃぐ彼女の背中を呆れの眼差しで睨みながら、リースは頭を振った。






(………人質なのですから、文句を言える身分では無いのですけど、
 でも、出来ればどなたか別の方に交換していただきたいものですね)






ランディの案じた必勝の奇策へ協力し、【賊軍】の人質となったリースが身柄を【ファーレンハイト】へ移されてから
世話役を任されたのが、この女性―――ヨヨ・サンフィールドだった。
ファミリーネームが示す通り、【賊軍】総大将を務めるパルパレオスの妻女であり、元は【カーナ】という小国の王女であったと言う。
そうした経歴があれば、英才教育や道徳観念の行き届いた貞淑な女性に育つものだろうが、
どうもヨヨに関しては例外だった様で、亜麻色の髪を振り乱しては「BIG HITS!」と嬌声を上げている。
狂っている―――何万人が命を落とすとも知れない戦争をまるで観覧するかの様に愉しむ彼女の恍惚に
リースは背筋が寒くなった。


「………ヨヨさんは、戦争がお好きなのですか………?」
「あまり感心しないって顔してますね。でも、誤解しないでください、リースさん。
 私は何も戦争が好きなんじゃありません」
「では、なぜ嬉しそうに戦場の様子を窺っているのです?
 失礼を承知で申し上げるなら、貴女のその態度は不謹慎以外の何物でもありませんが………」
「私は強い殿方が大好きなんですよ、リースさん」
「強い………男性が?」
「むごたらしい戦場に放り込まれたら、誰だって気が狂ってしまうでしょう?
 狂って、殺して、相手の肉を喰らって、それでもしぶとく生き残るゴキブリみたいな存在が殿方と言うものです。
 ―――でもね、私はそんな醜いのは厭。
 極限の状態でも理性を失わず、何百もの大将首を刈り取れる様な男が好きなの」
「………………………」
「その点、うちのサスァは最高よ。【グランベロス】の全権を握っているのにちっとも動じないあのマインド!
 私の理想の男性像ですもの。心身ともに逞しくって、あの腕に抱かれたらお昼過ぎまでグッスリ♪ ていうかグッタリ♪
 ―――やん☆ ノロケちゃってごめんなさい! リースさんは、もう長いこと旦那様とはご無沙汰なのに………」
「………………………」


ヨヨの脳内には羞恥や節度といった理性のブレーキが取り付けられていないのか。
アンジェラやシャルロットにも明け透けなところはあったが、それでも最低限の理性は常に弁えていたし、
何より人間として守るべき貞節を振り切る事は無かった。
新鮮な驚き(転じて衝撃だが)だった。リースの知る限り、ここまで壊れた人間は初めてである。


「あー、けど、弱い男も割と好みかな。好みって言うか、愉しいって言うか」
「たの…しい………」
「報われない努力を信じて這い蹲る虫けらって、見ていて愉快じゃありません?
 人には生まれ持った天運があります。私やサスァみたく恵まれた星のもとに生まれたのならまだしも、
 粗大ゴミの中から湧いた様な凡人がどれだけ努力したって夢を叶えられるわけがない。
 ………それでも惨めったらしく地べたを這う滑稽さって言ったら、もう後から後から笑いが込み上げちゃって、もう………」
「………………………」
「戦争は、恵まれた人間とそうでない虫けらを篩いにかける最高の測量場。
 だから、好きか嫌いかで問われれば間違いなく大好きですよ。
 強い男たちが綺麗な花火を打ち上げあうのも美しいし、カスの集まりがグチャグチャになって哭き喚くのも飽きません。
 ―――戦争は人類最高のエンターテインメントですよね、リースさん♪」


狂っている―――改めてこの女性へ宿る壊れた感情に恐怖を感じた。
凡庸な人々の努力を愚かと嘲り笑う傲慢なヨヨへの怒りと憐みを超過し、戦慄と共に駆け抜けるのはただただ怖気。
今でこそ主婦として落ち着いたものの、かつて激戦を潜り抜けてきた身である。
闘争を食い物にする戦争屋や死の商人の感情であれば、容認こそ出来ないまでもまだ理解できたが、
目の前で狂った様に哄笑するこの女は、そうした人種とも根本的に違う。
安全圏での観覧に愉悦を感じ、人の生き死にをまるで喜劇か何かの様に笑うのだ。
“狂”の一文字以外にヨヨ・サンフィールドという人間を形容する言葉が見つからなかった。


「私はね、リースさん、実は貴女にずっと興味があったんですよ」
「………私に………?」
「私と貴女は似ていると思いません?
 【英雄】に嫁いだ女性として、私は貴女にとても共感が湧くのですけど」


心の中で「まっぴらごめんだ」と吐き捨てた。あのリースが、誰でも分け隔てなく慈しむリースが
心の中でとは言え、他人へ悪態を吐き捨てた。
デュランとパルパレオス。確かに二人の夫は公明正大な【英雄】として名高く、
そう言う意味では境遇が似ていると無理やりにこじつけられるが、リースにしてみれば、
人命を玩具同然に扱う者と一緒になどして欲しいわけが無い。


「貴女も私も故郷を他国によって攻め滅ぼされた悲劇のヒロイン。
 しかも、嫁いだ男が自分の故郷を焼き払った国の【英雄】ですよ?
 強い男に依るところもそっくりじゃないですか」
「一緒にしないでください………っ!」


なおも自分との共通項を並べたてて同種の人間に分類しようとするヨヨを正面から睨み据えたリースは、
今度こそ口に出してきっぱりと否定した。
いつもは慈母の優しさを浮かべる瞳へ、憎しみにも似たドス黒い怒りが渦巻いている。


「私がデュランと一緒になったのは、あの人を誰よりも愛したからです。この人と一緒なら幸せになれる、と。
 楽しい事も悲しい事も分かち合って結んだ愛と、
 男性を寄生の対象の様に見る貴女の依存症を一緒くたにしないでいただけませんかっ!」
「リースさんは何か誤解をしているみたいだけど、私だってサスァを愛していますよ。
 あんなに強い人は他にどこを探しても―――」
「―――“強さ”を除いた時、貴女は旦那様に何を感じますか?
 強さ以外に心惹かれた部分を、今ここで言えますか?」
「………強い事、以外で?」
「直して貰いたいところ、我慢ならないところだって構いません。貴女は、どれだけ旦那様の事をご存知なのですか?
 どれだけ関心を持っていて、どれだけ愛しく思っているのか。
 強さ以外を愛していると言うのであれば、私に教えてください」
「―――………ごめんなさい、貴女が私に何を求めているのか、まるで解らないわ。
 男性を見初める理由に強さ以外の何があるのかしら?」
「な………ッ!?」
「なんだ、もうちょっと頭の賢い人かと思えば、貴女も凡人と変らない可哀想な人なのね、リースさん。
 壊れた価値観に縛られて、自分独りにしか通じない感情に溺れる様では恵まれた人種とは言えないわね」
「………………………」


普通の人間の恋愛感情と言うものが理解できないのか、いや、そもそも強弱以外に価値眼が存在しないのか、
リースが問い詰める夫婦の形へしきりに首を傾げるヨヨ。
とぼけている風では無い。普通の人間が、人として持っていなければおかしい感情が完全に欠損しているのだ。


「こんな事なら世話役なんてかったるいモノを引き受けるんじゃなかったわ。
 何がアークウィンドの賢妻よ、鼻で笑っちゃうわね。
 ………貴女の様な人間をね、リースさん、世間一般的には社会不適合者と呼ぶのですよ」
「でしたら今すぐ他の方と世話役を変えてはいかがですか?
 そうして貰った方が、私としても清々します………貴女の顔を見ているだけで吐き気を催しますからね」


リースは、今、生まれて初めて心の底から煮え滾る軽蔑を他人に向けて叩きつけていた。
一方的な侵略で家族を悉く焼き払った【アルテナ】にも、
下卑た野心の成就の為に多くの犠牲を費やした【三界同盟】にも向けた事の無かった軽蔑を
ヨヨ・サンフィールドという決して相容れない人間へ鋭く突きたてた。
ドス黒い感情の赴くまま、普段の彼女からは想像も出来ない醜い言葉で語気荒く罵り、貶めるが、それもどこまでヨヨに届いているか。
相変わらずヨヨは首を傾げたままでいる。


「………プリム・ノイエウィンスレットとだったら、もう少し話が合ったかもしれないのに、実に残念だわ」
「一緒にしないでくれませんか、プリムさんと貴女みたいに腐った人間を………ッ!」
「そうかしら? 今度こそソックリだと思いますよ。
 総大将って言う最強の男を愛した女なのよ、私とプリムさんは。
 貴女には到底理解できない様な価値観で話が―――」
「―――殿方に吸い付くしか能の無い寄生虫がプリムさんを語るなぁッ!!」


彼岸の人にまで矛先を向けたヨヨの遊説を激烈な言葉でリースが揉み消した。
“大軍の総大将が愛した女”―――ただそれだけの共通項で自分と彼の人は同類だと嬉しそうに話す
ヨヨの思い上がりがどうしても我慢ならず、憤激を爆発させたリースの瞳からは
怒りの余り滲んだ涙が、一雫、二雫、流れ落ちていった。


「………男なんて食い物じゃないか。喰って喰われての関係だ。
 自分の身体を開く代わりに甘い汁を吸わせて貰う対価交換の関係が愛でしょう?」


幽閉された一室をも揺るがす様な激しい叱声を浴びせ掛けてきたリースへ、
「そうやって男に媚びる貴女は、やっぱり私と同類だわ」とヨヨはせせら笑って吐き捨てた。
右手には懐へ忍ばせてあった短剣が握られている。
煌びやかな装飾が施された鞘をこれ見よがしに掲げ、ゆっくり、焦らしながら刃を抜いていく。
―――これからお前は刺されるのだ、恐怖に怯えろ。暗に脅迫している様なわざとらしいタメである。

【レイライネス(精霊戦士)】として幾多の戦いを潜り抜けてきたリースにしてみれば、
素人のヨヨ如きに不覚を取るなど万が一にも考えられないが、陶酔の映された切っ先を喉元へ突きつけてくる
この愚かしい寄生虫の手に触れる事さえ汚らわしいと忌む眼光は、武技を講じて短剣を奪い取るでなく、
ただこの世の物とは思えない醜さを鋭く刺し貫く。言葉も無く、睨み据える。


「言いましたよね、私は弱い人間が無様な死骸をさらすのも大好きだって。
 ………貴女はどんな悲鳴を上げて絶命して、どんな動きで痙攣してくれるのかしら。
 その人形みたいに綺麗な顔が汚く引き攣るの、想像しただけで感じちゃうわ………♪」


甲高く嘲笑する事で恐怖を煽ろうとするヨヨだが、その程度の下卑た手口でリースの精神が乱されるわけがない。
ねっとりと肌に絡み付く不快な膠着が続いた。


「―――あッ!! もしかして開戦かしら? 奇襲ッ!? 奇襲だったら最高ねッ!!
 アンビリーバブルってな表情で崩れる死体の可笑しさって言ったら無いわよ!!
 ね、リースさん、くだらない諍いはここまでにして、バラエティー・ショーを愉しみましょ、一緒に♪」


もしかするとリースには、無言の抵抗でヨヨを諌める意図があったのかもしれない。
真摯な怒りをぶつけて狂った歯車を少しでも軌道修正させようという思慮が。
しかし、遠くで砲撃の音が聞こえるなり短剣を放り捨て、窓にへばり付いたこの女には
今更どんな高尚な説法を聴かせたところで無駄と言う物だ。
星の明かりも無い漆黒の闇夜に姿を現した【官軍】の最新兵器、“天翔ける船”こと【飛空艇】へ
「【ファーレンハイト】より…すごーいッ!!」などと肩を揺らす狂人を更正させる手立てなどある筈も無かった。


「………下衆め………ッ」


やり場を失った怒りに頬を震わせるリースは、少しでも気を抜けば後ろからヨヨに殴りかかりそうで、
抑えて抑えて抑えて………そう一言喉の奥から搾り出すのが精一杯だった。



―――――――――時にして『天下分け目の決戦』、前夜。
【ファーレンハイト】の窓越しに眺望できる【バハムートラグーン】では【官軍】・【賊軍】双方の軍勢が
明朝を期限として戦支度を着々と進めている。おそらくデュランたち【ローラント】勢も既に到着している事だろう。
いや、デュランだけではない。ケヴィンの率いる【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】も、
ブルーザーの【黄金騎士団】も結集しているに違いない。

【イシュタリアス】の覇権を賭けた最終決戦は、目前まで迫っていた。






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