先んじて潜伏していた斥候からの報告では、早朝は深い霧に包まれて、360度、何も見えないとの事だったが、
この日は西から清風が吹き、原野の向こうまで突き抜ける見晴らしを作ってくれていた。
見上げれば雲一つない蒼天。気温も程よく、絶好の行楽日和と言える。
だが、東に臨む水平線から昇り始めた旭日が真上へ到達する頃には、この地は酸鼻を極める血風に包まれている筈だ。
―――【バハムートラグーン】。
隣国から地続きで繋がる荒涼な原野と海水が流れ込んで形成された巨大潟湖を、
この土地に根付く竜神伝説に因んで人はそう呼んでいた。
“バハムート”とは太古の昔に異界より舞い降りたとされるドラゴンの幻獣である。
伝説に寄れば、バハムートはこの潟湖で水浴びしたとされ、今日の様に澄み渡った空には
気高くも雄々しく天を翔ける威容を見かける事が出来ると実しやかに囁かれている。
霊験あらたかな【バハムートラグーン】には、そうした伝説を信じる冒険家や考古学者が
引っ切り無しに来訪しているのだが、彼らの貪欲な探究心すら押し返される程に今日の空気は淀んでおり、
鼻を利かせれば硝煙の匂いが入り混じっていた。
(―――………【バハムートラグーン】………か)
広大な原野の丁度ド真中へ不時着した【グランベロス】の戦艦【ファーレンハイト】は、
確かに鋼鉄の外装だけを見れば威圧感に満ち、容易に近付く事さえ叶わない様に思える。
しかし、揚力を失って不時着した姿は、陸に上がった河童と同じ。威厳に満ちていれば満ちているほど、滑稽に映った。
その【ファーレンハイト】を防衛する様におよそ20万騎から構成される【賊軍】が布陣し、
南方から攻め上ってきた【官軍】25万騎は彼らと相対する形で陣を設けた。
【官軍】・【賊軍】、正面から睨み合い、互いを牽制し合う布陣図である。
以上が陸地における戦況だが、潟湖の様子はどうだろう。
注意を凝らして観察すると、【タイクーン】を中核とした【官軍】の艦隊200艘が
陸地と殆ど同じ状態で【賊軍】艦隊300艘と向き合っている。
乗艦するのは【官軍】20,000、【賊軍】30,000。潟湖の勢力分布はやや【賊軍】遊離に見えた。
そして、蒼天。
【バロン】が誇る“天翔ける船”【飛空艇】10艘が制空権を握っているものの、一度戦端が開かれれば、
翼竜に跨りランスを構えた竜騎士たちが【ファーレンハイト】から飛び出してくるだろう。
“陸に上がった河童”の甲板では、800の竜騎士たちが出撃のスタンバイを終えたところだった。
頭数だけ見れば【ローラント】の騎馬軍団2,000の半分にも満たないが、干戈の届かない空中からの強襲は
地上の兵団にとって一騎当千の脅威。【グランベロス】最後の800騎は総数で劣る【賊軍】の戦闘力を補って余りある。
それを見越しているからこそ、【飛空艇】の砲門は【ファーレンハイト】の動向を警戒し、
竜騎士が飛び出せば、その瞬間に対空砲火を浴びせられる準備を万端に済まされているのだ。
陸・海・空―――見渡す限りの光景が戦火に染まる―――それが、政治体制の守旧を願う【官軍】と革新を目指す【賊軍】による
最終最大の激突『天下分け目の決戦』の構図であった。
「………勝った………これで忌々しい【賊軍】を根絶やしにできる………」
この布陣図を睥睨した瞬間、言葉と裏腹にさして嬉しげな感慨も無く呟いた者がいた。
ランディだ。【バハムートラグーン】の布陣図を見下ろしながら、【官軍】総大将のランディ・バゼラードが
まるで他人事の様にそう呟いた。
(………僕には天運が付いている………)
【ウェンデル】を出立してからの道中、総勢にして27万もの大軍勢であったにも関らず、
【賊軍】の部隊と遭遇する事なく決戦場【バハムートラグーン】まで到達できたのは僥倖と言って良い。
先んじて【バハムートラグーン】入りしていたとは言え、先発部隊の配備も見られなかった。
不測の戦闘で余力を削ぐ事なく最終決戦に臨めるのだ。一軍を率いる者として、これほど喜ばしい事は無い。
しかも天候は青天。西からの風で視界を遮る霧は吹き飛ばされ、おそらくは銃砲戦主体で進むであろう
この戦いにとって致命的な災いも免れた。
天の運が味方している―――ランディの感慨もあながち傲慢な思い上がりでは無いのかも知れない。
しかし、当人自身は感嘆に咽ぶでもなく淡々としたもので、眼下に広がる布陣の状況を怜悧に見極めながら
“駒”の動かし方を思案している。
顎に手をやり物思いに耽る様子は戦の総大将ではなく、まるでチェスのチャンピオンだ。
もちろん、ミスリル銀で拵えられた甲冑を纏う姿―――【ペジュタの宝珠】による加護は無く、
天下を二分する決戦だと言うのに腰へ帯びるのは無銘の剣。【聖剣エクセルシス】は影も形も見当たらない―――を見れば、
彼の思案が盤上のゲームでなく、骨肉相食む死闘へ向けられているのは一目瞭然だが。
「先鋒はスクラマサクス殿か………。
妻女を人質に取られている【ローラント】公に華を持たせても良かったのではないかな?」
「先陣を切るのは必ずや【アルテナ】でなくてはなりません。
そうでなければ【官軍】の、【社会】の屋台骨が揺らぐ。
【アルテナ】に連なる軍勢が敵陣に斬り込み、戦端を開くからこそ意味があるのです」
「人の情けと言うものだよ。キミに比べて年季が入っている分、私は浪花節に弱くてね」
「………感情では戦には勝てない」
ランディが【官軍】の本営を構えたのは陸上の最後方―――ではなく蒼天の彼方、
【バロン】の誇る【飛空艇】の中でもとりわけ峻烈な制空力を有する空中戦艦【ライトブリンガー】である。
これは安全圏へ逃れるという臆病な目的では無く、陸、海の戦局を逐一観察し、的確な采配を下す為だ。
さすが【鬼神】と言ったところか。セシル聖王が直々に指揮を執る【ライトブリンガー】で屹立するランディの瞳は、
戦の律動を求めてゆらゆら鈍い燐光を放っていた。
リースを人質に取られている心情を汲み、デュランに先鋒を任せたかったと零すセシルの温情もランディには煩わしい物。
無情な一言で切り捨てられてしまった。
(スクラマサクスが快勝すれば、大いに士気も勢いづく………そして、快勝への布石は万全だ。
負ける理由が見当たらんな………)
アルベルト率いる先鋒は、【ローザリア】時代からの部下である【インペリアルクロス】の面々と
【アルテナ】の主力部隊を合わせて総勢15,000。
これに向き合う【賊軍】の先鋒は人型決戦兵器や最新鋭の銃砲を備えた軍事国家【ザーフトラ】20,000。
かの国の将軍、ドリスコルを総統とした軍勢だ。単純に数だけで計れば、間違いなく先鋒の対戦は【官軍】不利である。
しかし、20,000の兵力を誇るドリスコル隊の脇を固めるのは、名も知れぬ小国の軍勢が左右に2,000ずつ。
対してアルベルト隊に陣を隣接させるのは、【ザーフトラ】に勝るとも劣らない火力を誇る【フィガロ】王国、12,000騎。
国王エドガー虎の子の部隊は、【ガストラ】や【ザーフトラ】が配備する人型決戦兵器の様な
派手派手しい巨大武器こそ備えていないものの、それらを殲滅する自走砲を数多く用意しており、
いざ交戦状態ともなれば遜色ない武力を発揮するだろう。
腰巾着の様に【ザーフトラ】へ依る小国を捻り潰した後は、即座にアルベルト隊の加勢へ駆けつける算段となっている。
即ち、先鋒の戦いは【官軍】27,000対【賊軍】24,000の見立て。
しかも、エドガーの弟王は、鋼鉄であろうと素手で粉砕する猛将として知られ、数値以上の戦力が期待できる。
総合的に見れば、一概に【賊軍】有利とは言えない状況なのだ。
『私、プリムには負けませんからっ!』
艦隊同士が睨み合う潟湖へ眼を向けた時、ランディの脳裏へ不思議な言葉が蘇った。
血気に逸る余り、軍の規律を無視して独断専行をし兼ねないファリスのお目付け役として旗艦へ乗り込んだパメラが、
出陣の直前に残していった言葉だ。
(………プリム………?)
………誰だろう。響きからして人の名前だと言う事は辛うじて判別できた。
しかし、どうにも記憶の引き出しから探り当てられる名前ではない。だが、ひどく聞き覚えはあった。
探し当てられないのに、聞き覚えが強い―――激しいジレンマに心を掻き乱された眦が微かに吊り上がる。
従者として長年苦楽を共にしながら【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】へ鞍替えしたポポイ、
【ジェマの騎士】として彼を認めながら、いつしか見限り、自由の飛翔へ出たフェアリーと
これまで数多くの物を喪失してきたランディだが、取り落とした今でも名前だけは記憶に留めていた。
“プリム”とやらもその内の一人なのだろうか。他の二人と違って、共に歩んだ追想の輪郭さえ見えてこない“プリム”とやらも。
(――――――プリム………………)
確か、つい最近もどこかで言われた覚えがある。あれはデュランだったか、誰だったか。
今となっては、それさえも判然としなかった。
『これまでは親友だからって遠慮していましたが、これからは違います。
私は、私なりのやり方でランディさんを支えて見せます―――覚悟しといてください』
パメラの知り合いであるのは間違い無いようだ。彼女の言い方からすると、どうやら自分とも面識があるらしい。
プリム、プリム、プリム、プリム………………………繰り返し反芻すればする程、
決戦へ向けて鋭く研ぎ澄まさなければならない心へドロドロとした靄が掛かっていく。
「………バカバカしい………」
「―――は? 何か?」
「………いえ、何も………」
何がプリムだ、馬鹿馬鹿しい。姿形も知らない様な人間に気を取られる余裕があるものか。
【ジェマの騎士】として、【官軍】の総大将として、今の自分にはやるべき事があるだろう。
(………【社会】に………僕に逆らう愚者の行列など………生きる価値も無い………………………)
真っ白な記憶のキャンパスへおぼろげながらも線を描き始めたポニーテールの後姿を
憎々しげな悪態で踏みにじったランディの脳裏へ、“プリム”という名前から連想される横顔が蘇る機会は今度こそ潰えた。
微かに薫った華の香も、耳へ障った微かに自分を呼ぶ声も、ふっとどこかへ掻き消えた。
残されたのは、ランディを苛烈な闘争本能へ駆り立てる虚ろな寂寥のみ―――――――――
『オオオオオオオオオォォォォォォォォォ―――――――――――――――――――――ッ!!!!!!!!!』
大地を揺るがし、空をも震わす轟雷が最前線から上がったのは、ちょうどその時だった。
「始まったか………ッ!」
甲板に設えられた【モニター】――【モバイル】の映像通信を応用して完成された投射機械だ――には
天下分け目の開戦へ向け、今まさに吶喊を開始した両軍先鋒、アルベルト隊とドリスコル隊の猛進が映し出されていた。
数多の銃砲が火を噴く間隙を縫って轟然と突撃する歩兵たちが真正面からかち合い、一つの極大な塊と化す。
――――――『天下分け目の決戦』………【イシュタリアス】全土に逆巻いた大乱の最終幕が、ついに切って落とされた――――――
†
“決戦場”と言う響きから【バハムートラグーン】に禍々しいモノを想像していたデュランは、
実際に足を踏み入れた瞬間、先入観に縛られた自分の浅はかさを恥じ入ったものだ。
【バハムートラグーン】。まさかこれほどまでに清涼な風が吹き抜ける土地とは思っても見なかった。
潟湖と隣接している事もあって陸地の気候も肌に心地よく、見渡す限りどこまで続く平野は、なんとも言えない独特の浪漫を掻き立てる。
幻獣伝説へ造詣の深くない彼にも、この地を目指す来訪者の絶えない訳が理解できた。
(………こんなでっけぇ場所で思いっきり昼寝できたら、さぞ気持ち良いだろうなぁ………)
途方も無く広大な大地に寝そべって、その懐に思い切り抱かれたい。
こうした場でさえ無かったら、愛馬【ドラゴンバスター】をも放り出して草の海へ飛び込んだろう。
肺一杯に清涼な空気を吸い込むと、潟湖から漂うほのかな潮の匂いが鼻腔をくすぐった。
「御屋形様、我が軍2,000の総員、持ち場に付きましてございます」
「………応、わかった」
だが、今の【バハムートラグーン】は、清廉な自然を満喫する癒しの懐ではなく、『天下分け目の決戦』の舞台である。
そして、これから血みどろへ塗りたくられるこの地になど、二度と足を踏み入れようとは考えなくなる筈だ。
馬を寄せてきたサーレントから報告を受けるデュランの表情は、自然への仄かな憧憬から既に【戦神】のそれへと変貌していた。
【ウェンデル】で開かれた評定の通り、デュランが率いる【ローラント】勢は、
アルベルト隊ら先鋒を西方数キロ先に望遠する最前線へ配置されている。
兵力こそ8,000と及ばないものの、機械兵器の豊富さと威力は間違いなく【ザーフトラ】に比肩するであろう
【ガストラ】の軍勢を正面に迎える布陣だ。
コルネリオの砦を陥落させた時と同じく、【風】・【林】・【火】・【山】の四部隊が勇壮に居並び、
その先頭で【ドラゴンバスター】へ跨るデュランが泰然自若と構えれば、【ローラント】必勝の陣形である。
「堂々としたもんだな、もうちょい浮き足立ってるかと思ったけど」
「【ガストラ】帝国―――早い内から前線に兵力を投入していたから、残ったのは目の前の8,000騎のみって話だ。
いくら優勢だからってハシャいでもいられねぇだろうよ」
2,000対8,000で兵力的に勝ろうとも、騎馬と人型決戦兵器の火力差が歴然であろうとも、
【ガストラ】勢は優位から来る油断と怠慢を微塵も生じさせなかった。
デュランのカリスマ性を基盤に統率された【ローラント】騎馬軍団と同じ様に整然と陣形を組み、
一分の隙も無く総攻撃へ備える姿は戦慄が走るほど気高い。
聴くところに寄れば、【賊軍】参加当初は100,000近い兵力を誇っていた【ガストラ】が
ここまで衰退した最大の理由は、大国故の驕りと昂ぶりであったらしいが、最後に残ったレオ隊はどうか。
満身の末に志半ばで果てた皇帝とは異なり、敵ながら天晴れ。浴びた汚名を返上して余りある堂々たる物だった。
僅かな乱れも無く整えられた陣形を見るだけで、大将として采配を取るレオの統率力がいかに優れているのかが伺えた。
素直な感心を漏らすホークアイへ馬上から頷いてみせたデュランも全くの同意権。
夢見心地に酔いしれる優勢を突く事が出来たなら、騎馬軍の機動力を駆使して容易く殲滅できた筈だが、
どこまで優勢になっても少しの油断さえ見つからないとすると、これはいよいよ手強そうだ。
相手にとって不足無し。【社会】を統括する歴史の勝利者を決する戦いだと言うのに、
不謹慎にも沸騰していく自分の中の“戦士”の血を、デュランは口元を吊り上げながら笑った。
「“優勢”、か………。優勢っちゃあ、これ以上無いくらい優勢だわな。
【バレンヌ】のタヌキ親父、やってくれるぜ」
「それくらい老獪でなけりゃ、あんだけだだっ広い領土を支配する事なんざ出来っこねぇよ」
「………丸くなったもんだねぇ、デュランちゃん。所帯染みたってカンジ?
ちょっと昔までのお前なら、『卑怯なだけだッ!!』とかなんとか言ってブチギレたってのに。
きも〜い、なんかショックぅ〜! もっとバカみたいにキレてくんなきゃデュランじゃなぁ〜い♪」
「イイ歳こいて身体くねらせるてめぇのが気持ち悪ィわ、万年ヘタレ」
二人のやり取りを後ろで聞いていたエリオットが容赦無いツッコミをねじ込んだものの、
ホークアイの話した内容(殆ど半分以上は無視しても構わないのだが)は、ボケで済まないほど、実は深刻なものである。
(タヌキ親父とは言いえて妙だな………最後の最後でやってくれたぜ………ッ)
ランディの恫喝に腹を立てたジェラールは【賊軍】への参入を表明し、
【バレンヌ】の精鋭部隊150,000を引き連れて【バハムートラグーン】へ向かっている。
“向かっている”と表した通り、世論をして「勝機は【賊軍】に回った」と言わしめる最大軍勢のジェラール隊は
未だに【バハムートラグーン】には到着していなかった。
何分にも参加を決定したのが間際だった為、先に主戦場へ入った他の軍勢よりも遥か着陣が遅れているのだ。
しかも、150,000もの大部隊が一斉に大移動する足取りは思いのほか鈍く、隊伍を乱さずに粛々と進む様は、
足に括られた重い鉛を引き引き摺って歩くのと同じである。
計算では決戦のど真ん中、今日の昼頃には主戦場へ到達する見込みなのだが、これも老獪なジェラールの計算だろう。
行軍の遅れを逆手に取り、短期決戦を焦る余り【ファーレンハイト】へ意識が集中する【官軍】の背後から
大軍勢で奇襲しようという魂胆が見え見えだった。
【バレンヌ】の大軍勢は、今、地続きの道を、昨夜までに【官軍】陸上隊が踏破した道を
これ見よがしに進んでいるのだから、いよいよ奇襲が真実味を帯びてくる。
「お陰でこっち方は前線しかまともに戦えないと来たもんだ。
中衛から後ろは【バレンヌ】の大軍勢を堰き止める馬防柵になって動けないし、
270,000の内、実質何万だよ、戦力に換算していいのはさ」
「最低2,500,000騎は見込めるんじゃねぇか? そんだけ大差が開けばお前も安心だろ?」
「おいおい、なにそれ、お前、どっからそんなアホみたいな数字を弾き出したワケ?
ちょっと見ない内にパワーアップしたのは、老け頭だけじゃなくてツテもかよ?」
「ここにいるじゃねぇか、2,500,000分の戦力がよ」
「………大きく出たな、また」
「事実だろ? 俺は【ローラント】の部隊も、【ナバール魁盗団】もどっちも良く知ってるからな。
一騎当千って見方は、希望的観測じゃなくて冷静な算出なんだぜ」
「そんな風に言われたら、余計に気合い入っちゃうじゃんかよ。
―――しゃあねぇ! 尻込みしたヤツらに銃後を任せて、いっちょ俺らだけで勝ちに行くか!」
遅れてきたジェラール隊と本隊へ挟み撃ちされるのを恐れた【官軍】は【賊軍】への攻撃を
短期決戦で終わらせる目論見でいるのだが、そこは人間。どうしても小心や気後れが出る。
【ローザリア】や【バファル】は、いつ始まるとも知れない背後からの攻撃を過敏に警戒してしまい、
中衛〜後衛に布いた陣地から一歩とて動くに動けない状態になっていた。
心理、物量の両面から【官軍】を押し潰そうというこの発案、
大人数の部隊を釘付けにして中央戦力を分散させるという発想は見事と言うほか無い。
兵力では僅差で【官軍】、状況は圧倒的に【賊軍】優勢の構図を睥睨しながら、ランディは「勝った」と確信していた。
【官軍】の錦旗の放つ威光が勝利を呼び込むと信じているのか、
はたまた、挟み撃ちさえ跳ね除ける奇策を腹の内に秘めているのか。
確認しようにも総大将は蒼天の上にて鎮座しており、腹の底から叫んでみたところで声の届く筈も無い。
よしんば【モバイル】を戦場へ持ち込んでいたとしても、彼は取り合う事さえしないだろう。
「ほう、ホークにしては随分と張り切っているじゃないか。【ローラント聖戦】とは比べ物にならない修羅場だ。
俺はてっきり足腰ガクブルだと思っていたぞ?」
「なんて失礼なコトを言ってんですかい、イーグルの兄ィ! ホークの兄ィはいつだってステキで元気で無敵ですぜッ!!
そんな兄ィに俺らは、ほッ、惚れてんですからッ!!」
「オウさッ!!!!!!」
「………今までずっと不思議だったんだが、どうしてお前たちは男惚れを語る時に頬を赤らめるんだ?
恋する乙女みたいで、非常に気色悪いんだが………」
珍しく強気な態度に出たホークアイをからかうのは、【サンドベージュ(砂塵の彩)】の装いと
巨大な手裏剣がトレードマークの【ニンジャシーフ】―――そう、イーグルである。
ホークアイと同じ忍装束――【アビス事変】等で身に付けていた物だ――に身を包んだビルとベンの姿もある。
「男惚れっつーか………、何? こいつらのホークを見る眼に気づいてないの?
こいつら、どこをどう間違ったのか、よりにもよってホークの事を好―――」
「―――わーーーッ! わあーーーーーーッ!! エリオットの坊ちゃんッ!! そいつはカンベンしてくだせぇッ!!
俺らのときめきは…ッ!! てんぱいでビートな恋のロイヤルストレートフラッシュは
絶対、兄ィに知られちゃいけねぇんでさぁッ!!」
「………オウさ………ッ」
「………わかったから、叶わぬ悲恋に泣く青春女生徒みたいなセリフ、やめてくれ。
大一番を前にして、ボク、テンション下がっちまうから」
「ダメだよっ、エリオットクン、そんな風に否定したらっ!
愛には色々な形があったっていいじゃないですかっ!
ビルさん、ベンさん、伝えないままなんて寂しい事、やめましょ?
………そりゃホークさんにはお相手がいるから大変かもしれないけど、
でも、抑えきれない気持ちを溜め込んだまま泣いちゃダメっ! 絶対ダメッ!!」
「ウ、ウェンディのお嬢………ッ」
「この戦いに生きて残ったら、自分の気持ちにも決着をつけましょ? ね?
長年の想いを思いっきり伝えちゃえっ!!」
「オ、オウさぁッ!!!!!!」
「どーでもいーけど、そういう台詞吐いたヤツぁ、まず間違いなく死ぬからな。
決意表明にかこつけた遺言だぞ、ソレ」
「また………エリオットクンっ!!」
「そういうのは後でやれってのッ!! 戦いに集中しやがれってボクは呆れてんだよッ!!」
さて、なにやら雑談があらぬ方向へ横っ飛びしている模様だが、
ホークアイやイーグル、ビルとベンが最前線くんだりまで出向いている理由は、当然談笑が目的ではない。
彼らの本拠地でもある砂上船(サンドシップ)【オアシス・オブ・ディーン】へ乗船する者、
世界中に散らばって活動していた者の総勢を集結させた【ナバール魁盗団】500の部隊も
この『天下分け目の決戦』へ参加しているのである。
と言っても、【アルテナ】に実害を与える様な盗賊を正規の軍勢として組み込むわけにも行かず、
表面上はあくまで“善意の協力者”という形式を取り、軍事行動への追従も他の勢力の監視下で初めて許可される状態だ。
そうした背景もあり、監視役がリーダー格のホークアイやイーグルと親しいデュランへ任命されたのは必然と言えた。
もちろんそれは表面上の形式であり、本質的には“【ローラント】と結託して戦え”というランディの配慮である。
だが、【ローラント】と【ナバール魁盗団】が混合部隊を結成したとしても2,500騎に満たず、
依然として【ガストラ】優勢の状況は変らない。
優勢に驕らず、怠慢せず、適度な緊張感を行き届かせたレオの統率力も、だ。高いレベルで維持されている。
「何を浮かない顔をしている?」
付け入る隙の見えない8,000の大軍勢には、さしもの騎馬軍団も引け目を感じる部分があるのだろう。
珍しく気後れした様子を見せる部下たちの不安を察して振り返ったデュランが苦笑いを一つ漏らした。
なにしろレオ隊は、純粋な兵数だけ見ても自分たちの二倍を超える上に、
下敷きになったらまず助からない巨大な人型決戦兵器まで配備されている。不安を感じるなと強いる方が無茶な話だった。
「確かに相手は手強い。天下分け目の名前に相応しい強敵だ。
これまで倒してきた雑魚とはケタが違う。そいつは素直に認めようじゃねぇか。
お前たちの心に不安が差し込むのだって仕方無ぇよ。………俺だってちぃとばかり身震いしちまったくらいだ」
「御屋形様………」
「だがな、お前たちの目の前にいる人間を、誰だと思ってる?
他ならぬデュラン・アークウィンドだぞ?」
「………………」
「―――見てみろ、あの鉄の塊。あんなもん、箱に手足と大砲が引っ付いただけだぜ?
子供の工作かってんだよ。俺の知ってるカラクリ技師のがもっとすげぇモンを作ってた。
ロボットもののマンガみてぇにさ、ロケットパンチなんか飛ばしてくんだぜ?」
「………………………」
「俺はな、これまでさんざん機械仕掛けの化け物どもと戦ってきた。それこそイヤって程な。
今話したロケットパンチのカラクリ人形、戦車、機械兵団と来て、
最後には何十メートルもある【マナ】の世界樹みたいなのを相手にしたもんだ」
「【シュワルツリッター・カテドラル】………ですか?」
「おう、さすがサーレント、勤勉だな。その通り、頭の固ェクソオヤジを持ったら苦労するぜ?
全身武器みてぇな機械と戦うハメになるんだからよ」
「………………………」
「―――だがな、ここからが大事だぞ、お前ら。
数え切れない機械共との戦いのいずれにも、俺は勝ってきたんだぞ。しかもたったの13人で、だ。
ここにいるホークやビル、ベン―――【草薙カッツバルゲルズ】の少ない頭数で鉄クズにしてやったんだ。
【シュワルツリッター・カテドラル】に比べたら、あんなもんは玩具だぜ、玩具。
しかも今日の総数は2,500人! ほれ見ろ、13人で勝てた相手に、今、俺らの負ける理由が見当たらねぇよ」
「―――御屋形様ッ」
「お前たちは俺の自慢の部下だ。お前たちと一緒にいるだけで、俺はどんな化け物相手だって怖くもならねぇ。
【ガストラ】が怖くなったなら、隣にいる仲間の顔を見ろ。どうだ? 強そうだろ?
みんな、みんな、強ェんだよ。数だの武器だのをおっかながる必要なんか無ぇんだ。
良いな、怖くなったら頼りになる仲間を見ろ、それでもまだ怖いなら、隣同士声を掛け合って俺を見ろ。
どんな場所にいても駆けつけて、ケツを蹴り上げてやる。蹴り上げて、どやしつけてやる。
―――どんな場所にいてもだッ!! どんな場所で戦っていても、俺はお前たちを見守るッ!!
前後左右に困ったら、俺の背中を追いかけてこいッ!! 俺に続けッ!!」
「おぉ………ッ」
だからこそデュランは、不安に思うなと無理強いするのでなく、部下の気後れを受け止めて、その上で叱咤激励し、
士気を鼓舞する方法を選んだのだ。
自分のこれまでの経験や戦歴をそこに上乗せし、【マナ】の機械は外見こそ恐ろしく高い壁だが、
決して無敵の存在ではないと言う事も強調する。もっと恐ろしい存在に、俺は勝ったのだ。俺の強さを信じろ、と。
大将らしく堂々と振舞うデュランのこの一案は功を奏し、次第に部下たちの表情から恐怖心を取り除かれていった。
「【ローラント】が誇る常勝無敗の力を【ガストラ】の連中に見せてやれッ!!」
『応ォォォォォォォォォォォォォォォォ――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!!!!!!!!』
そう宣言し、これまで秘蔵しておいた【エランヴィタール】の封印を解き放った。
幾多の戦いを潜り抜けてきたツヴァイハンダーと並ぶデュラン最強の一振りは起動状態に入るなり烈しい光を放ち、
やがて一本の牙へと輝きの粒子を研ぎ澄ましていく。
牙は更に光の柱、幅の広い刃へと形状を変幻させ、エネルギーの奔流が【マナ】を打ち破る光剣へと安定した頃には
【ローラント】騎馬軍団は完全に活力を取り戻していた。
デュランの檄に対しても『応ッ!!!!』と言う轟雷が返る。最高だ。最高潮にまで士気が高まっている。
ヒースから譲り受けた【マナ】の光剣【エランヴィタール】の輝きが、戦場の混迷を振り払う太陽となったのだ。
「つーか、なんで俺らが先鋒じゃねぇんスか、御屋形様ッ!!
なんつっても天下分け目ッ!! だったら一番槍へ挑戦しないでどうするってのによォッ!!」
シオンなどはこんな事まで言い出す程である。
「我が儘を言うな、シオン。先鋒を【アルテナ】以外が務めたら【官軍】の土台が軋んじまう。
【社会】を引率する【アルテナ】が誰よりも先に立つからこそ、この合戦は意義があるんだよ」
「―――ちぇっ! そりゃわかってんですけど、でも…なぁ〜〜〜」
「一番槍を逃したんなら、今度は一番手柄を目指せば良いだろう? 誰よりも勇猛に戦えば―――――――――」
沸騰寸前にまで高まったボルテージの赴くまま、【アルテナ】よりも先に斬り込みたいと息巻くシオンを
苦笑いを交えてデュランが止めに掛かったその時だ。
西方数キロ先に望遠するアルベルト隊とドリスコル隊の睨み合った区画から激しい銃声が戦慄いた。
銃声は秒刻みで激しさを増していき、次に巻き起こったのは大砲を発射する轟音、着弾して地面を揺るがす炸裂音。
銃砲の狂声が止んだかと思えば、アルベルト隊とドリスコル隊双方の総力が最早音とも知れない激しい地響きを上げて
一箇所に向けて収束していく。
行き着く先で双方は一個の極大な塊と化した―――――――――全軍入り乱れての凄絶な死闘が始まった。
「―――デュランッ!」
「手筈は打ち合わせた通りだ。ホーク、この勝負に乗るか反るかは、お前たちに懸かっている。
万一にも心配はしてねぇが、よろしく頼むぜ」
「ああ、任せろッ!!」
先鋒同士が奏でた銃火のカプリッツォを合図の号砲として、最前線へ布陣した全軍に律動が加わる。
【フォルセナ】が誇る【黄金騎士団】、【獣王義由群(ビースト・フリーダム)】―――と
敵味方双方の前線部隊が雪崩を起こした様に続々と出撃。
デュランが昼寝をしたいとボンヤリ考えたのどかな平野は、一転して吶喊と硝煙の渦巻く決戦場へと塗り替えられた。
(―――この一戦で全てを………全ての戦いを終わりにしてみせる―――)
最早逡巡の暇も無い――――――
起動から次の行動までややタイムラグが生じる人型決戦兵器【魔導アーマー】を最前列に配備する【ガストラ】は
それだけに兵たちの足並みが悪い。静から動へ転じて初めて見えた弱点目掛けて、
【ローラント】・【ナバール魁盗団】混成部隊が2,500の矛先を真正面に向けた。
――――――今こそ撃って出る機(とき)である。
(―――待ってろ、リース………今、行くぜ………ッ!!)
囚われの身である愛妻の名を心の中で諳んじた瞬間、デュランの覚悟は決まった。
【エランヴィタール】の烈光を導に打ち立てると、全軍へ向けて――――――
「かかれェェェェェェ―――――――――ッ!!!!!!!!!」
――――――勇往なる咆哮を下す。
事はまさしく驚天動地。【バハムートラグーン】の荒れ野を蹄鉄で抉り出しながら、常勝無敗の騎馬軍団は駈けに駈けた。
悲しみの連鎖を繋げる戦乱の禍根を断ち、愛する者を救うべく、一陣の疾風となって駈け抜けた。
こうして『天下分け目の決戦』は、【官軍】・【賊軍】のどちらから火蓋を切ったとも知れない激しい銃撃戦から開始された。
時にして午前8時過ぎの事である。
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