「押せッ! 押せッ!! 押せッ!!! 押せッ!!!! 押し潰せッ!!!!!
 先鋒の我らが体勢を崩せばこの戦は終わりだッ!! 死に物狂いで押し返せッ!!!!!!」


銃砲隊による一斉射撃の後、白兵部隊と共に突っ込んだアルベルトは、敵陣とぶつかって乱麻と化した戦況を
つぶさに見極めながら、自らも左に剣を、右に斧鉾を取って勇猛果敢に奮迅していた。
さすがはランディの名代として【官軍】の先鋒を任されただけの事はある。
相対する相手と戦況に合わせて機敏に配置を転換し、包囲網を築くという【ローザリア】時代から得意としていた“陣形戦術”を
【アルテナ】の主力部隊に命じて【ザーフトラ】歩兵たちの連携を分断、細切れとなった部隊ごとに
虱潰しに潰滅させていく作戦は確かな効果を上げつつあった。
【ペネトレイト】、【ファランクス】、【シャフト】、【ハヴォック】………【アルテナ】のお家芸と言うべき
黒魔法による猛攻もどんどん激しさを増していき、“陣形戦術”の網目を抜けた敵兵を容赦なく焼き払う。

最大のネックかと思われた人型決戦兵器【バンツァー】には、アルベルトがランディの副官に抜擢された際、
半ば私兵に近い形で追従してきた【インペリアルクロス】がぶつけられ、これもなかなかの力闘を見せている。
【インペリアルクロス】は、ロキによる【フォルセナ】襲撃の折にも戦車軍団を一網打尽にしており、
対機械戦闘にも一日の長があった。
元より超人的な面々が揃った騎士隊だけに個人の攻撃力も凄まじく、“陣形戦術”とあいまって【バンツァー】軍団はたちまち崩壊。
二足歩行で起立できるのが最大の特徴であるにも関らず、横倒しにされた残骸を晒す機体も多かった。
ミサイルや機銃などの極めて科学的な兵器にも怯みを見せず、じわりじわりと敵方を追い詰めていく勇姿は、
共闘する【アルテナ】部隊を大いに奮い立たせた。






(【バレンヌ】が到着するより先に大勢を決しなければ、間違いなく敗れるッ!!
 乾坤一擲で血路を開かねば………ッ!!)






目の前の敵ではなく、アルベルトは迫り来るタイムリミットと戦っている様なものだった。
あと2、3時間もすれば【バレンヌ】の大軍が背後から圧し掛かってくる。
【ローザリア】や【バファル】ら中・後衛の軍勢を結集したところで多勢に無勢。防ぎ切れないのは火を見るより明らかだ。
ならば、前衛の総力を束ねて活路へと撃ちかけ、一挙に【ファーレンハイト】を落とすしかない。
本丸さえを陥落させれば、狡猾なジェラールの事、敗軍へなど加担せず引き返すに違いない。
全ては憶測と淡い希望に過ぎないものの、挟撃の危機を【官軍】が乗り切るにはこの一点こそ最重要なのである。
このタイムリミットとの戦いになったアルベルトは、狂った様に刃を、矛先を繰り出し続けた。


「―――アルッ!! マズい風向きになってきやがったぜッ!!」
「どういう事ですかッ!?」
「【フィガロ】の軍勢、予想以上に苦戦してやがるッ!! 押し返されてるぞッ!!」
「………馬鹿な………ッ」


………しかし、アルベルトの焦りとは裏腹に、一気呵成の勢いはそこでピタリと止まってしまった。
みつ編み風に結わえた髭が個性的な筋骨隆々たる男――【インペリアルクロス】からの部下だ――の突き出す鉾が、
背後からアルベルトへ斬りかかろうとしていた雑兵を貫き、彼の危機を救ったものの、
そこで伝えられた報告は、九死に一生を得た生傷よりも苦しいものだった。
3倍近い兵力の差と重火器を備え、圧倒的有利と見込まれていた【フィガロ】の軍勢が
名も知れぬ小国を相手に苦戦していると言うのだ。
これでは、左右に取り巻いた小国4,000を討ち取った後、即座にアルベルト隊の加勢へ回ってドリスコル隊を
押し切ろうとする当初に意図した作戦が崩れる事になる。


「エドガー王んとこの兄弟も、まさか少数4,000相手にここまで跳ね返されるとは思ってもなかったろうねッ!!
 窮鼠猫を咬むってヤツだッ!!」
「相手は死に物狂いでやって来る………ッ!! ヘタをすりゃ足元掬われかね無ぇぜッ!!」


水牛を思わせる雄々しい角の飾りを付けた女戦士が身の丈以上の【グレートアックス(大戦斧)】を振り回し、
攻めかかってくる【ザーフトラ】の兵卒を次々と屠っていくが、局地的な奮闘で戦況が覆るわけではない。
仮に【フィガロ】の軍勢が打ち負かされる様な事にでもなれば、4,000の兵団が【賊軍】の増援へ加わるのだ。







(………天運、尽きたと言うのか………)






刻一刻とタイムリミットへ近付いている中で4,000の増援を許せば、まず間違いなく膠着状態へ埋没する。
ジリジリと時間だけを費やす一進一退の膠着だけは避けなければならないのに、何故、こんな事態に陥る?
末端に至るまで死力の限りを尽くして迫り来る【賊軍】の兵卒を睨みながら、
思う様に進まぬ戦いの運びへアルベルトは血が出るほど歯噛みした。






(―――いや、尽きるのであれば勝手に尽きろ。もとよりいつ降るとも知れない運気などアテにはしていないッ)






歯噛みしながら、心の片隅に残った冷静な部分が、焦るアルベルトの耳元へそんな事を囁く。






(運気は自ら切り拓くものだ………武人たる者、死地にこそ活を求めようじゃないかッ!!)






かつてデュランを【ローラント】陣営へ引き込む為に卑劣な手段を講じたアルベルトの人柄は
どうしても狡猾な印象ばかりが先行してしまうが、彼はそもそも武人であり、権謀術数へしがみつくだけの人物ではない。
窮地に追い込まれようと即座に持ち直せるだけの胆力は備えているし、【陣形戦術】を得意とするだけあって
大規模な戦闘には手馴れている。


「大砲隊ッ!! 魔法隊ッ!! 【ザーフトラ】後詰の陣営に向けてありったけの強撃を叩き込めッ!!
 鉄砲隊は乱戦を迂回し、さんざんに打ち崩した陣地へ追撃を加えよッ!!
 後ろ盾を壊して敵兵の士気を殺ぎ落とすのだッ!!」
「応ォオッ!!!!」


脳をフル回転させ、膠着の様相を呈し始めた戦況を打破する策を弾き出したアルベルトから
伝令を申し渡された斥候は、後衛に控えて出方を窺っている鉄砲・大砲の両部隊の陣営へすぐさま踵を返した。


「死にたい者は逃げろッ!! 生きたい者は突き進めッ!!
 良いなッ!! 進む気迫を持つ者のみ生き残れるのだ、この戦場はッ!!
 ――――――押せッ!! 押し返せッ!! 一気に押し戻して突き崩せッ!! 生きたければ戦い抜くんだッ!!!!」


大量の火薬を詰め込み、着弾と共に爆裂する砲弾が大地を激震させ、黒魔法が嵐を呼び込む戦場へアルベルトの吼え声が轟く。
敵将と見るや猛然と襲い掛かってきた【ザーフトラ】の歩兵数名を鮮やかな剣技で斬り捨て、
自ら馬を押し出し前衛へ突き込んで行く。
その勇姿に先鋒部隊の士気は大いに高揚し、これに共鳴するかの様に鉄砲隊が弾丸の雨霰を正射させた。
前衛に乱戦を任せて機会を窺っていた【ザーフトラ】の後詰部隊は銃砲魔法の奇襲によって総崩れとなり、
アルベルトの企図した通り、白刃を交える歩兵部隊に明らかな動揺が生じた。
敵方に背後を奪取されれば、そこに待つのは最悪の挟み撃ちである。
戦場において後方を護る味方を失うという事は、つまりそれだけ恐ろしい事なのだ。


「この機を外すなッ!! 突けぇぇぇぇぇぇ――――――ッ!!」


勝ち残るには、生き残るには、自ら死力を尽くして戦うしかない。おそらく敵方も同じ想いでこの修羅場を踏んでいる事だろう。
心の折れた側から先に淘汰されていくのだ。ならばなおの事、弱気を生む訳にはいかない。
生き抜くには、ただひたすら前進あるのみである。

絶え間なく突き出される鉾に槍を掻い潜りながら、アルベルトは自らが振るう剣閃でもって兵たちにこの事を示していった。
―――だが、【ザーフトラ】の猛攻はなおも続く。僅かに好転の兆しを見せた膠着が完全に転覆するには更なる激戦を要した。














「全火力を総動員して敵船を粉砕しろォッ!! 出し惜しみするんじゃねぇッ!!!!
 壊して壊して壊しまくれぇぇぇッ!!!!」


陸戦の雲行きが次第に怪しくなってきた頃、潟湖に浮かべられた艦隊同士の戦いも激化の一途を辿っていた。
海竜を模した兜がズレるのも構わず、ひたすら敵船へ大砲を撃て、撃てと命令するのは
勿論【タイクーン】のファリスだ。
噂に違わぬ猛将ぶりは眼を血走らせるほど苛烈で、これまでランディに押え付けられていた鬱憤を
爆発させた様な勢いがあった。
海賊上がりという経験を最大限に生かした海戦の手腕は、流石【将軍女王】と呼ばれるだけの事はある。
数の上では【官軍】2,000艘、【賊軍】3,000艘という不利な戦況なのだが、
手加減も何も無い砲火弾雨でもって敵船を沈めていくファリスの猛攻は、そんな事を微塵も感じさせなかった。
陸戦の不利は海戦で振り払われる、逆転の予感すら覚える快勝へ、ただ一点差し込む胸騒ぎは―――


「じょ、女王陛下………、このままでは当方の弾倉が終戦まで保ちません」
「俺の命令が聞こえなかったのか? 出し惜しみするなっつってんだよッ!!
 タマが尽きる前にケリを着けちまえば御の字だろうがッ!!」
「し、しかし………」
「命令に背く奴ぁ、今、ここで俺があの世に送ってやるぁッ!!
 それが怖ぇなら撃ちまくれッ!! 砲門が焼けて落ちてもひたすら撃ちまくれぇッ!!!!」


―――そう、戦いはまだ始まったばかりだと言うのに火力を浪費し過ぎている点だ。
先鋒の勢いが減退し始めた今、【バレンヌ】の到着を想定して長期戦に備える必要があるのだが、
ファリスの指揮は全力全開。あらん限りの砲弾を早々に撃ち尽くす戦法である。
彼女が最大火力による早期決着へ期するのを他所に、【タイクーン】の旗艦へ乗り込んだ部下の誰もが
この戦法の尻すぼみを危ぶんでいた。


「ファリス様、いささか無茶が過ぎるのではございませんか」
「おう、アンタぁ、確か【ジェマの騎士】んとこの―――」
「パメラ・アイリントンでございます」


不安げに互いの顔を見合わせる【タイクーン】の海兵を押しのけ、ファリスの前に進み出たのはパメラだった。
【官軍】随一の猛々しさが高じて独断専行に走る事を危惧したランディが
その抑えとしてファリスの元へ派遣し、果たして睨んだ通りとなったわけである。


「恐れながら申し上げます。
 決戦開始より2時間も経たない内にこうも砲火を浪費しては、やがて竜頭蛇尾となりましょう。
 攻め手に緩急を付ける事も、また、軍法の一つではございませんか?」
「………へぇ、面白ぇな。たかだか陪臣の分際で俺に意見するつもりなのか、ええ、パメラ?」
「これは私個人の意見ではありません。【ジェマの騎士】の危惧でございます」
「―――尚更断るッ!! 俺は【ジェマの騎士】の傘下へ入るつもりは無ぇッ!!
 黙って任せときゃいいんだよッ!! 結果は出してるだろうがッ!!」


総大将からの危惧を突っぱねたファリスをこのままにしておけば、
今は勢いが良くても数時間後には防衛の弾幕を張る事も出来なくなり、“丸裸”の艦隊を晒す事になるだろう。
陸戦の苦闘よりも遥かに深刻だ。【官軍】の艦隊が海の藻屑と消えた後に予想される
【賊軍】艦隊の洋上からの対地砲撃は、陸上の部隊には防ぎようが無い。


「一瞬の華に何の価値がありましょうか? 総大将の意見に背いた罪は必ず問われます。
 最悪の場合、【タイクーン】の王家は断絶の危険性を―――」
「取り潰すつもりかッ!? 味方までも握り潰そうってのか、【ジェマの騎士】はッ!!
 俺はなぁ、そうやって人間を虫けらみてぇに扱うヤツのやり方が大っ嫌いなんだよッ!!」
「個人的な感情と一国を計りにかけるおつもりかッ!?」
「お互いムカついてんだッ!! 話は早ぇだろうがッ!!
 乗ってやるよッ!! これが終わったらお前らの首をねじ切ってやらぁッ!!」
「一国の主として不適切な兵の安堵を乱しますッ!! お控えくださいッ!!」


説得するパメラも必死だ。そんな彼女へ海兵たちも一縷の希望を託していた。


「パメラ、アンタは何とも思わないのかッ!? ランディ何某のやり方にッ!?
 野郎は………ッ、【ジェマの騎士】は女を戦の道具にしやがったんだぞッ!?」
「ファリス様………」
「戦に勝つのが最重要だってのは俺だって理解してんだよッ!! その為なら汚い手も使わなきゃってなァッ!!
 だが、野郎は人として、男として守らなきゃならねぇ一線を越えやがったッ!!
 リース・アークウィンドを差し出して、騙し討ちを狙ったッ!!
 どんな価値があるだか知らねぇが、今じゃ戦士を引退した非戦闘員を戦のど真ん中に巻き込みやがったッ!!」
「―――ファリス様、それをどこで………」
「バカにすんなッ!! 俺だってアンテナくれぇおっ立ててんだよッ!!
 つーか、お前ら、あんな猿芝居で騙せると思ってたのかッ!? ―――俺たちはバカじゃねぇッ!!」
「………………………」
「人間を…、女を…ッ、昔の仲間を道具みてぇに扱える冷血漢に従えると思うかッ!?
 尻尾振って付いてってみても、いつ寝首を掻かれるかわかったもんじゃねぇぜッ!!」


これまで過剰なまでに示されてきたファリスの反骨の根底には、ランディ個人への恩讐があった。
同じ女性であるリースが戦の道具に扱われたと言う非公式の裏事情を掴み、
とうとう爆発したファリスの反骨心が命令無視という形で発露した訳である。


「リース様へ人質になる様に説得したのは私です。
 【ジェマの騎士】が許せないというのであれば、どうぞ私を八つ裂きにして気をお鎮めください」
「な………ッ」


何も感じないのか―――問われたパメラは、自分がリースを説得した張本人であると明かし、
ファリスの怒りを正面から受け止めた。


「【ジェマの騎士】の命令とは言え、私は私の意志で、貴女様が許せないと仰る非道に手を染めました。
 同じ女性を裏切った罪深い人間です」
「………………………」
「それでも私は貴女様を抑えます―――それが、リース様の願いなのです。
 非道な要求で死地へよ陥れた以上、私はあの方の願いに命を懸ける所存です」
「願いだと………?」
「リース様は、自分が騙し討ちの道具に使われる事を見抜いておいででした。
 その上で【賊軍】へ身を投げ打つのを受け入れてくださったのです」
「そんなバカな………自分から戦の道具になる事を選んだってのかよ。
 信じられるか、そんな与太話………だって………、なら、何の為に………―――」
「………この天下分け目の決戦に【官軍】が勝利する事を望んで………戦いの連鎖が終わる事を願って………ッ!」
「………………………」
「ファリス様がここで独断専行を貫かれれば、
 貴方が同情を感じておられるリース様のお気持ちを裏切る事になるのです。
 弾丸を撃ち尽くして勝利しても【ジェマの騎士】に逆心の嫌疑を掛けられ、再び戦争。
 弾丸を撃ち尽くして敗北したなら、リース様の願いは夢幻と費える―――
 ―――【ローラント】公とだって今生の別れになってしまいます」
「………………………………………………」
「真にリース様をお気遣いであれば、勘気を鎮め、何卒【ジェマの騎士】のご意向をお聞き入れくださいませ………ッ。
 それでもお怒りが収まらないのであるなら、私の身を切り刻んで晴らしていただきたいッ!!」


リースを下卑た策謀へ引き入れた者の責任一切をパメラは請け負う覚悟でいるのだ。
八つ裂きにされるならそれでも構わない。それでリースが受け入れてくれた【官軍】勝利への布石となるのなら、
パメラには無念に思うところは無かった。


「………それが………本当にリース・アークウィンドの願いなのか?」
「―――はい」
「………………………………………………………………………」


パメラの語気に少しでも澱みがあったなら口から出任せの偽りではないかと疑った事だろう。
だが、彼女の瞳はどこまでも透き通っていた。問いかけに答えた声は凛として強かった。
一点とて曇りも無い眼差しが、憤激に猛っていたファリスの心と向き合っていた。


「―――カーバンクル隊とゴーレム隊はそのまま威力攻撃を続けろッ!!
 その他の隊は敵影警戒しつつ一旦安全圏まで下がって休めッ!! 長丁場になっても踏ん張れる様にしとけよッ!!」


一体どのくらいの時間、そうしていたのか。数字に変換すればそれほど長くは無かったが、
凛然たるパメラと見詰め合ったファリスは、それを数時間もの物として体感していた。
やがて一つ自嘲めいた笑いを零すと、固唾を呑んで動静を見守っていた部下たちに大声で指示を出す。
それは、誰もが待ち望んだ指示だった。


「………ファリス様」
「女を戦の道具にした【ジェマの騎士】を許すつもりは無ぇ。
 逆心の疑いをかけるってんなら、喜んで受けてやるよ。
 だがな、人質本人がそれを望んでねぇと来ちゃあ、俺がいきり立つのはお門違いってもんだ」
「………お聞き届けくださり、ありがとうございます。これでリース様も………」
「おっと、待ちな。俺はリース・アークウィンドの為だけに兵を引くんじゃねぇぜ―――」
「は? ………では、一体………」
「―――お前の啖呵に惚れたのさ、パメラ」


思いがけない言葉に驚くパメラへ、ファリスはニカッと笑って見せた。
敵艦隊からの砲撃が海面へ落ちて巻き上がった水しぶきを背後に受けながらの笑顔だったが、
怒りや憎悪が霧へと散ったその表情は、パメラには殊更輝いて映った。















(潟湖は形勢を整え、陸の上は煮詰まる―――か。ここまでは想定内だな………)






――――――時にして午前11時過ぎ。
開戦から3時間が経過した【バハムートラグーン】の構図を見下ろしたランディの口から
自然と「【バレンヌ】はいつ到達する………」という自問が零れた。
“戦の鬼才”とまで謳われる【ジェマの騎士】も流石に10万以上もの増援には恐れを抱いていると感じたセシルは
鼓舞の声を掛けようとしたのだが、彼の横顔を窺った瞬間、思わず差し出しかけた手を引っ込めた。
思う様に【ファーレンハイト】まで勝ち進めず、【バレンヌ】の増援を迎え撃つ事が確定的になってきた陸上の苦戦を
睥睨する彼の口元には、不気味なほど昏く冷たい薄ら笑いが浮かんでいた。


「………ランディ殿は何をご思案なされている?」
「私が考えるものはただ一つ、【官軍】の勝利でございますが………それが何か?」
「いえ………」


【フィガロ】苦戦の余波を受け、勢いに乗った【ザーフトラ】の軍勢へアルベルト隊が徐々に押されつつあり、
しかも【ローラント】のデュラン隊までレオ隊率いる【ガストラ】勢と膠着状態に入った今、
紛れも無く【官軍】劣勢の旗色。とてもではないが、笑みを浮かべられる戦況ではない。
なのに、微笑えるのか? 戦いをそんなにまで愉しく感じているのか? それとも別の感情が宿っているのか?
何を考えているのか全く底の知れないランディは、老齢を迎え、聖王の威厳を備えたセシルの背筋にすら
冷たい戦慄を走らせた。


「も、申し上げますッ!! 【バレンヌ】の軍勢、後方10キロの地点まで接近ッ!!
 1時間もしない内に後衛【ローザリア】部隊と接触いたしますッ!!」


陸の状況を広域的に探知していたオペレーターが恐怖の叫びと共に最悪の事態を搾り出したと言うのに、
何がそんなに嬉しいのか、ランディの薄ら笑いが更に吊り上る。
ランディの隣にあって、その異様を見過ごさなかったセシルは完全に言葉を失った。


「申し上げますッ!! 【ファーレンハイト】より竜騎士部隊が飛び立ちましたッ!!
 本艦めがけて一直線に攻め入って来ますッ!! 数にして50騎ッ!!」


次いでオペレーターから報告されたのは、【グランベロス】虎の子の竜騎士部隊が
総大将の本営を直接打ち破るべく差し向けられた危機である。
たったの50騎、地上で血みどろの合戦を繰り広げる塊と比較すれば迫力負けの様にも見えるが、
【ローラント】騎馬軍団をも遥かに上回る機動力と三次元的な動きを可能とした竜騎士の戦闘力は
一騎につき10,000に相当すると覚悟しなくてはならない。
竜騎士を撃つ為の対空砲等はこの大乱の最中に完成されているものの、
依然として翼竜の高機動を駆使したヒット&アウェイは脅威だった。


「大将首を狙う作戦か………! ランディ殿、ひとまず艦内へ―――」


セシルが最後まで言い終えるのも聞かず、ランディは腰に帯びたサーベルを抜き放って甲板の中央に立った。


「ランディ殿ッ!? 何をされているッ!? 中へッ、早く中へッ!!」
「………いかなる時でも攻めていかねば、勝つ機会を見落とす………それが戦と言うものです」


見る間に近づいて来る【グランベロス】の精鋭50騎。セシルは即座に対空砲撃を命じるが、
翼竜が蒼穹を射抜くスピードには叶わず、殆ど無防備のまま、甲板への潜入を許してしまった。


「【ジェマの騎士】ランディ・バゼラード殿とお見受けいたすッ!!
 本営一番槍の名誉を賜りし我の名は―――――――――」


甲板中央に屹立するランディを見つけた一番乗りの騎士が翼竜をホバリングさせつつ、
堂々と名乗りを上げる―――――――――つもりで息巻いていたのだが、
右手に携えたランスを掲げた時にはランディの姿は霞の様に掻き消えていた。


「………目先の功名に捉われた弱卒と遊んでやるつもりは無い………」


我が眼を疑う騎士が次にランディの居場所を把握したのは………自分の耳元だった。
ザラリと心臓を這い回る様な昏い囁きを脳裏へ焼き付けた騎士の視界が、「アッ」と声を上げる間も無く漆黒にフェードアウトする。
ガクリと身体を追った騎士の背中から腹まで水平にサーベルが伸びていた。ランディのサーベルだ。
神速で背後を取ったランディが、堅牢な鎧をも刺し貫き、名乗りの機会さえ与えられなかった哀れな一番槍を絶命せしめたのだ。


「ランディ殿、何を………ッ!?」
「聖王殿にお見せ致しましょう―――勝ちを見出す攻めと言う物を………ッ!!」


サーベルを引き抜いたランディは、無情にも遺骸を蹴落とし、主を亡くして暴れ狂う翼竜を力ずくで屈服させると、
命綱も結びつけずに中空へと飛び上がった。






(………“戦の鬼才”などと生温い物ではない………血肉を食らう修羅ではないか)






巧みに翼竜を操り、恐れ戦く竜騎士たちを空中で薙ぎ払ってゆくランディの姿に
セシルは一抹の不安を覚えていた。
恐怖に駆られて逃げ惑う者にさえ慈悲を与えず、背後から追い縋って横に薙ぐのが【ジェマの騎士】の所業なのか、と。






(―――【ジェマの騎士】に………あの男に【イシュタリアス】の命運を預けても良いとは、とても………)






たった1騎のみで狂々と戦い、見る間に50騎を平らげて地上へ血の雨を降らした禍々しいまでのランディの形相は、
安寧を築く【ジェマ】の騎士でなく、果てしない戦乱を呼び込む災厄の悪魔にしか見えなかった―――――――――。








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