「天下に武勇の聞こえ及ぶ【ローラント】公とお見受けいたすッ!! 無礼を承知で一戦仕るッ!!」


17,000余りの大部隊に横から撃ち込まれたレオ隊は見るも無残に総崩れとなり、全軍入り乱れての白兵戦が火蓋を切る頃には
既に前後左右も不覚の状況にまで追い込まれていた。
形勢逆転、つい数十分前までは合理的な兵馬の采配で押し潰す様に攻めていた筈が、
【アルテナ】本隊の到着を機に全く逆の立場で攻め立てられる遺憾ともし難いこの状況を覆る妙案は何か―――
―――剣戟を潜り抜けながら熟慮し、導き出した答えが、これだった。
兵の数で押し戻せないのであれば、大将の首級(くび)を奪る―――体勢を立て直し、乱戦の中心で部下たちに指示していたデュランへ
一騎討ちを名乗り出たレオは、最後の賭けに己の備え得る命運を託す覚悟でいた。






(………せめて【バレンヌ】が到着するまで保つ身であれば良い………)






相手は【剣聖】ステラ・パラッシュの愛弟子にして世界最強の騎馬軍団を率いる“戦神”である。
未熟を自認――と言っても、他者から見れば十二分に熟達している――する剣腕が果たしてデュランに届くものか、
力量差を冷静に判断したレオには正直なところ、自信は乏しい。






(真の死地には初めて臨むが………存外に安らかなものだな………不思議と心が静まる………)






負ける可能性の方が遥かに高い筈なのに、【バレンヌ】が到着するまでの時間稼ぎに命を捨てるつもりでいるのに、
どういう訳かレオの心は波紋一つなく静まり返っていた。
理想の為に、友の為に、命を燃やし尽くして義に殉じる覚悟とは、なんと満ち足りた境地なのだろう。
苛烈な一騎討ち挑んだ者とは思えない穏やかな微笑が、いつの間にかレオの口元に浮かんでいた。


「………そこもとは?」
「【ガストラ】将軍、レオ・クラウソラス………ッ!」


あのロキ・ザファータキエをも打倒したと言う【エランヴィタール】の光牙を煌かせる彼は、
荒らぶる【ドラゴンバスター】の手綱を締めながらこちらをじっと見据えている。
睨むのでも、嘲るのでもなく、ただじっと真っ直ぐに、レオの瞳を見据えている。


「………………………」
「………………………」


応じるレオも、挑むのでも、憤るのでもなく、水深の様に澄んだ瞳で泰然と応じた。
一分、二分、三分………剣と槍がかち合う激音を遠くに捉えた視線の交錯は、互いに黙したまま“秒”から“分”へと刻む時間を重ねていく。


「ざけんな、バーロォッ!! 誰が許すかよ、そんなん―――」
「―――邪魔をするなッ!!」


夥しい返り血を受けて平時の数倍も重くなった甲冑をギシギシと軋ませるシオンは、レオの姿を見つけるなりその喉元へ
ブロードソードを打ち込もうと、疾風の如く馬を走らせた、が、あと一歩、あと一間で届くところまで来て切っ先を弾く者が現れた。
当然、レオの部下が割って入ったものと思ったシオンは返す刀で乱入者に斬り掛かるも、
初撃を捌いて敵将の命を救ったのが同胞のエリオットだと判明した瞬間、「何でだよ…」と呻いて言葉を失った。


「サシの決斗にケチ付ける奴ぁ、男じゃないだろ、シオン。
 大将直々に勝負を挑みにやって来たんだ………邪魔しちゃあならねぇよ」
「お兄ちゃんが一対一で決着をつけると決めたなら、」
「決めたって………、御屋形様は何にも言ってねぇじゃんかッ!! って事はこいつの首を刎ねちまっても構わねぇだろッ!?
 敵の大将、目の前にしてボケ面さらすのかよ、お前らッ!?」


【風】・【林】・【火】・【山】の四部隊とは別個にエリオットが率いる小隊が円を作ってグルリと囲み、
デュランとレオ以外の何者も立ち入れないコロッセオ――崇高なる決斗場としての――を人馬でもって築き上げた。
ウェンディ率いる女性主体の騎兵たちもこれに続けば、例え味方と言えども進入できなくなる。
大将二人だけが群雄割拠の【バハムートラグーン】にあって隔絶された形となった。


「あんたさぁ、そこでカッコ付けたって何一つサマになんないわよ? やってる事は殆ど闇討ちだし。
 男らしくスパッと御屋形様に預けなさいっ!」
「貴方が無茶をすると、決まって私たちにまで連帯責任が及ぶのですから、自重してくださいません?
 大戦の最中に余計な気苦労まで背負いたくありませんよ、私は」
「人の悪癖をバカにする前に自分を治せよ。ガキみたいに聞き分けのないトコ、昔からなんにも変わっていないぜ?」


リザ、サーレント、デューンの三人がかりで言い含められては、さしものシオンもとうとう根負けし、
油断なくレオの首筋へ向けていたブロードソードの切っ先を下ろした。


「負けたら師弟交代ッスからね、御屋形様ッ!」


――――――そう一言、付け加えて。


「【ローラント】領主、デュラン・アークウィンド。
 そこもとの挑戦、正式に受諾致した………参られよ………ッ!」
「お心遣い、かたじけない………そして………参る………ッ!」


入り乱れて血みどろの死闘を演じていた25,000の兵馬が攻撃の手を休め。それぞれの大将が尽くした一礼へ意識を集中させる。
決戦開始以来数時間、鳴り止む暇も無く大地を削り続けた蹄鉄の響きが、二人の一礼を合図にぴたりと止んだのは、
ある種の奇跡と言えるかも知れない。アルベルト隊に始まってアンジェラ隊までの全ての人間が戦いを忘れてコロッセオに目を向けていた。
馬上での戦に備えた大振りのフランベルジュ(※長剣の一種)を構えたレオと、二天で一を成す【ツヴァイハンダー】と【エランヴィタール】が勇壮な
デュランの一挙手一投足を、取り囲んで声援を送る兵士たちが固唾を呑んで見守った。


「―――ツェィッ!!」
「―――応ッ!!」


互いに向き合わせた愛馬の腹を一撃し、直線にして300メートルの間合いを一気に詰める。
馬の嘶き、平原を踏みしめる荒々しい音色―――デュランとレオ、猛将の名を欲しいままにする二人に相応しい戦の二重奏が
その決斗の幕開けだった。
数秒もしない内に互いの息遣いを感じ取れる距離まで詰めた二人は、最初のすれ違い様に小手調べの一合を衝突させた。
エネルギーソードという超常の光剣が混ざっている事から純粋な金打つ音にはならなかったものの、
相手の出方を探る小手調べとは思えない重く鋭い爆音が逆巻き、コロッセオを形勢する騎兵たちが目を覆ってしまう程に激しく火花が飛び散った。


「さすがはデュラン殿ッ!! 我が生涯最期の敵として不足無しッ!! 次の一手より全霊を入魂させて頂こうッ!!」
「その意気や良しッ!! 来いッ!!」


フランベルジュを右手に、手綱を左手に握り締めて双方を巧みに操るレオは、すぐさま馬体を反転させると、
左右両手に剛剣を携えてもなお平衡感覚を維持し続ける恐るべき“戦神”へ向けて再び斬り込んだ。
騎馬軍団を率いて常勝無敗を誇るデュランだけあって【ドラゴンバスター】とは以心伝心の仲を築いており、
手綱や乗馬鞭など必要とせずとも速度の緩急、方向の転換などを自在にコンタクトしていた。
この技術は、デュランのみならず、【ローラント】の軍隊において必修とされている。
すなわち、片手を塞いでしまう物を廃し、両手持ちを余儀なくされる大型武器やライフルの導入に活用しようという理念である。
初心者には壁の高い要求ではあるが、デュランの様に馬の扱いへ熟達してくると手綱等を使わずに馬へ操る以外にも
鞍の上に爪先立ってアクロバティックなアクションを魅せる者まで出てくる。そこまで熟練されるとまさしく馬のエキスパートだ。
手足の延長の如く自在に馬を乗りこなす技術が、通常の騎馬戦では再現不可能な戦術を可能とし、
【ローラント】の部隊を最強の騎馬軍団たらしめていた。






(これが最強………ッ!! 遥かに高い絶壁……ッ!! 伝説を超えた力…ッ!!)






一対一の決斗に持ち込む事で兵力を損じる乱戦を封じ込めるところまで行き着けば勿怪の幸い、
ジリジリと焦らす様に食い下がり、【バレンヌ】が到着するまでの時間稼ぎを―――と目論んでいたレオだったが、
下手な小細工や腹蔵を挟みながら斬り結べる程、デュランは易い相手ではなかった。
フランベルジュを盾と見立てて守りに入れば【エランヴィタール】でガードを崩され、
全力疾走の加速を重ねた刺突を繰り出せば【ツヴァイハンダー】が容赦無く切っ先を弾かれる。
「時間を稼がなくてはならない」という義務感に縛られるが故に全力を出し切れずにいる今のレオでは、到底歯が立たなかった。

―――強い、ただただ強い。
十代前半から各地で武者修行してきたという百戦錬磨の技術へ及ばないのは当然として、
限界まで鍛え上げられた膂力を総動員しても斬撃が軽くいなされるのは、どういう訳か―――否、問いかけなくても答えは見えている。
勝って進む“攻め”でなく、しぶとく耐えて忍ぶ“守り”しか選べない薄っぺらな技が不動たる鋼の魂を揺さぶれるべくも無い。






(………死ぬ事に花道を見出し、勝利を放棄した人間が、どうして最強に敵う………)






思い浮かべた自嘲そのままに、徐々に徐々にレオは追い詰められていった。


「一度戦うと決めたからには、引き際を考えずに最後まで攻め抜け」
「―――――――――ッ!」


このままでは【バレンヌ】が【バハムートラグーン】の決戦場を望遠するよりも早く倒される、と額に脂汗を滲ませたその時、
まぐれ当たりの縦一文字が【ツヴァイハンダー】と拮抗したその瞬間、デュランの口から思いがけない言葉が発せられ、レオの目が点になった。
「よもや見抜いて?」問う様な瞳を向けると、デュランはニヤリと笑ってみせた。
「お見通しだぜ」そう言いたげな、からかいの混じった微笑を浮かべていた。


「………………………………………………」


不意にレオの右腕から力が抜け落ち、フランベルジュを握り締めたままだらりと垂れた。
余程強く柄を握り締めているのか、銀製の篭手に包まれた拳がぶるぶると震えている。






(いかなる状況に於いても、相手に礼儀と尊敬の念をもって向き合わねば、それは最早武人ではない………か)






戦の趨勢へ拘泥する余り、自分はその武人としての最低限の礼節すら勝利と共に放棄してしまっていた。
相対するのが誰であろうと、戦況がどうなろうと、剣を交える以上は敬意を払って全力を傾けるべきなのに、
自分がやった事は何だ。偉大なる武人への最低な侮辱だ。
武人として、一軍を率いる将軍として、一人の人間として、レオは自分の浅はかさを心の底から恥じていた。
恥じ入る心が、震えとなって発露し、拳へと伝わっているのだ。


「前に出る事を諦めちまったら、守れるもんも守れなくなるぜ。
 命を賭して何か成し遂げたいと願うなら、戦って勝ち取れ。
 生きる事に臆した人間が得られるのは、踏ん張ったってせいぜい虚栄だけなんだ」
「………デュラン殿………」
「だから、命の限り戦え………ッ!」


伍す事は叶うまい。知らず内にレオは自分の敗北を認めていた。
勝利への布石として、なにより、囚われの妻を案じるデュランは、【賊軍】以上に【バレンヌ】到着を懸念している筈なのだが、
事がここに至っても武人の気概を焦りに置き忘れず、正々堂々と一騎討ちへ臨んでくれている。
父であるロキ・ザファータキエと彼を天秤に掛ける声もあった。しかし、向き合って初めて悟るモノもある。
いかなる状況をも受け止め、あまつさえ礼儀を無くした自分までも鼓舞して奮い立たせるデュラン・アークウィンドは、
かつての【黄金の騎士】を超えて偉大に見えた。

叶うまい、だが、せめて全力を尽くし、死合いたい―――レオは、自分の中に流れる武人たる血が
ふつふつと沸き立っていくのを感じた。
【賊軍】が勝利する為には、今ここで【官軍】の勢いを足止めすしておく必要がある―――重々承知していた。
見を挺してデュランを食い止め、一命を費やして時間を稼ごう―――覚悟も決めていた。
だが、最後の最後で武人としての血が“理”を超越し、レオの瞳へ宿るモノが、悲愴から闘志へと塗り替えられた。
刹那で果てようと悔いは無い。生涯最後の闘いにこそ、武人として生きてきた集大成を込めよう。
フランベルジュを逆手に持ち替えたレオは、最後に巡り合った至高の好敵手へ勇猛果敢なる咆哮を上げた。


「先ほど偽った気概は撤回させて頂きたい。
 ―――デュラン殿、次の一手よりこのレオ・クラウソラス、全霊を入魂させて頂くッ!! お覚悟召されよッ!!」
「デュラン・アークウィンド、レオ・クラウソラス殿の御気勢、しかと承ったッ!! 参られよッ!!」
「応ッ!!」


再びの名乗りが終わるや否や、コロッセオの中央を接触地点に定めて双方の馬が怒涛の如く駈け始めた。
これまでの突撃とは何もかもが違う。そう、デュランも、レオも雄々しく気高い。
何人にも慕われ、尊敬を一身に集める真の武人の姿がそこにあった。
【イシュタリアス】広しと言えども五人といないだろう武勇の双星が、互いに剛剣を振り翳し、今、馳せ違おうとしている。
歴史的とも言えるこの瞬間へ立ち会う兵馬の内、【官軍】か【賊軍】か、誰とも知れず、声援の口火を切った。
自らの仕える将軍へ、あるいは相対した敵将の偉大さへ、「頑張れ」「負けるな」と烈火の様に熱い声援を投げかける。


「――――――【繚嵐(りょうらん)】ッ!!」
「――――――なんのォッ!!」


天より注ぐ雷鳴を彷彿とさせる紫電が一閃、二閃と輝くにつれて声援も大きく強くなり、
何千幾万もの声援は、とうとう【バハムートラグーン】全土を震わす嵐の様に激しい渦を巻くに至った。
他の持ち場へ付く軍勢も、何事かと眼を見張るほどの大声援だ。
敵味方という隔てを取り払い、デュランとレオ、立ち会う者全てが二人の英傑を心の底から認めていた。


「さすがはデュラン殿ッ! 雷名に聞き及ぶお手並みのなんと見事な事ッ!!
 だが、私とて腕には覚えがあるッ!! 通すべき義があるッ!! 故に退かぬッ!!」
「上等だッ!! そうでなければ張り合いが無ぇッ!! 聞きしに勝るレオ殿の武勇、感服したぜッ!!」


大地を貫き空をも揺るがすまでに大きくなった声援へ鼓舞され、双星の饗宴もなお一層激しさを増していく。
こちらの馬体を相手の横っ腹へ打ち付ける事でバランスを崩す技、突撃によって生じた速度を刃に乗せて斬撃の鋭さを強化する術、
騎馬戦におけるありとあらゆる技法、持ち得る限りの秘剣を出し尽くして、二人は剣を交え続ける。
【バレンヌ】を待つ、【バレンヌ】が辿り着く前に本営を突く―――今の二人からは、そうした焦りや混じり気が微塵も感じられなかった。
至高の武人を相手に迎えた高潔な決斗を、むしろ愉しんでいる風にも見えた。


「二天で一を成す生きた伝説、存分に堪能させていただいたッ!!
 こちらも相応の奥義にてお返し申そうッ!!」
「嬉しい事を言ってくれるじゃねぇかッ!! どんな面白ぇ技を見せてくれるか楽しみだぜッ!!」
「私が唯一銘を打った最後の奥伝、とくと味わわれよッ!! 【アヴェンジャー・ショッ―――――――――」


逆手に構えたフランベルジュへ凄まじい闘気が収束され、そこから爆発的な斬撃が振り抜かれる―――その間際に異変は起きた。


「………………………え?」


【エランヴィタール】の出力を最大にまで高めてレオの奥義への備えを整えていたデュランは、
突如降って湧いた異常事態に我が眼を疑うばかり。声も、手も出せずにいる。
血だ。夥しい血がレオの身体から噴き出していた。彼の命数が、鮮血と共に流れ落ちていた。


「………………………」


見る者の心臓を凍りつかせる程に膨大な出血は、レオの胸元から噴き出している。
その胸元には、騎士が戦闘で用いるランスが突き刺さっていた。
背中から鋭角に、それも“握り”の部分が体内へ半分めり込むまでに深く、深く。
瞬きも忘れて戦いを見守っていた人間ですら、今、この瞬間にコロッセオで何が起きたか把握できていないだろう。
女神の悪戯にしては悪辣が過ぎる青天の霹靂を前に、誰もが言葉を無くしていた。
何故なら、コロッセオの中央にはデュランとレオの二人しかおらず、しかもこの大声援、
【官軍】の兵士が卑怯な不意討ちを出来る状況では無い。
この場の誰かが、弓で弾いたかの様に投擲されたランスでもってレオの心臓を刺し貫いたとは考えられないのだ。






(空―――――――――ッ!!)






ほんの微かにだが、レオの胸板が撃ち抜かれる瞬間を正面から見据えたデュランの眼は、
彼の動体視力が確かであれば、天空から一縷の稲妻の様にランスが降り注ぐのを捉えていた。
人馬によるコロッセオのどこかから撃ち出された物ではない。空に在る何物かが、悪魔の落雷を投擲したのだ。


「………あれは………ッ」


第二の奇襲を警戒し、デュランは天空を睨んだ。
真上へ昇った太陽の逆光に妨げられ、おぼろげに輪郭線しか把握できないものの、
怪鳥の様に律動する羽とトカゲを思わせるシルエットから、日陰に映る影の正体を辛うじて翼竜に求められた。
現在の【バハムートラグーン】に翼竜が単身で飛来する事などあり得ない話で、
ともすれば【グランベロス】が誇る竜騎士しか考えられない…が、彷徨う様に中空をホバリングする翼竜へ
騎乗しているのは竜騎士では無かった。


「ランディ………………………」


逆光の影響で輪郭しか見えなくてもデュランにはそれが誰だかすぐに解った。
【ライトブリンガー】を強襲した竜騎士たちを全滅させたランディが先鋒部隊の激闘する上空まで飛翔し、
乱戦の最中で奪ったと思しきランスをレオ目掛けて投げ付けたのだ。
急降下の荷重をたっぷりと含んだランスは精確にレオの心臓を射抜き、武人として誇りある戦いに臨んだ彼を一撃で絶命せしめた。
腐っても【ジェマの騎士】と言うべきか、地上数百メートルから射出し、狙い通りにピンポイントで心臓を貫くとは、
誇りを踏みにじる所業と同等に命中精度まで恐ろしい。


「………ッ!! レオ将―――」


そうだ、今は不意討ちで決斗を汚したランディの真意など探っている場合ではない。
手綱を握る力を失い、あえなく落馬したレオへデュランが駆け寄る。【ガストラ】の部下たちもそれに続いた。


「………レオ………将軍………………………」


搾り出す様なデュランの呼びかけにレオが答える事は無かった。
彼の表情からは生気が抜け落ちており、無念に顔を歪めたまま、二度と息を吹き返す事は無かった。
【ガストラ】の残党たちが泣き崩れる様子を横目に入れながら、デュランは見開かれたままのレオの瞼をそっと閉ざし、
憐れな結末を迎えざるを得なかった武人へ黙祷を捧げた。


「【グランベロス】のヤツら、使えないと分かった途端にレオ将軍を切り捨てやがったのかッ!!」


どこかわざとらしい響きを含んだホークアイの声が上がる。まるで、ランディの罪状を隠蔽しているかの様な物言いだ。
何をバカな、と黙祷を終えたデュランが彼を睨みつけようとした時、そこには予想だにしない光景があった。
戦場に渦巻いていた空気がこの一言でザラリと変わり、武人への畏怖に沸いた兵士たちの瞳は、壮烈な憤怒に塗り替えられていた。
何気ないホークアイの一言が、【官軍】【賊軍】両軍の想いを憤激の一針へ束ねた。


「仲間を切り捨てるのかッ!!」
「使えなくなったら同志も滅ぼすのかッ!!」
「何が理想だッ!! 【グランベロス】め………、パルパレオスめッ!! 生かしちゃおかねぇぞッ!!」
「おォッ!! レオ様の敵を討つんだッ!!」


最早、レオを絶命させた竜騎士が【グランベロス】より放たれた刺客であると誰も疑っていなかった。
ホークアイの一言によって正しい情報を操作され、欺瞞を信じ込まされた【ガストラ】の兵たちは口々に造反を唱え出し、
怒りに狂った者などは矛先を【ファーレンハイト】に定めて突撃し始めている。






(―――これは………狂気………ッ!)






【戦争】という極限の状態には、落ち着いて推察すれば不自然と思える事柄を真実として飲み込ませる狂気が棲み着き、
どの様な場所、どの様な時代でも鎌首を擡げて餌を狙っているものである。
そして、【ガストラ】の敗残兵たちは、完全にこの狂気へ飲み込まれていた。






(――――――お前が号令しろッ!! お前にしか出来ない事だッ!! 【ガストラ】を引き込めッ!!)






これがランディの意図だったのか。それをホークアイは汲んだと言うのか。
狂気の喰い物にされた【ガストラ】の兵団を【官軍】の陣営へ引き入れ、【ファーレンハイト】攻めの尖兵にしろと
目配せしてくるホークアイに、デュランは激しく動揺した。
確かに仇討ちという大義で思考を焦げ付かせた者は、恩讐の敵に対して死に物狂いで組み付き、限界を超えた力で喰らい付く。
レオを【グランベロス】の不意討ちで奪われたと思い込まされている現在の【ガストラ】勢はまさにこの状態だ。
狙うべき敵が共通であるなら、これを利用しない手は無い。






(だが、俺は………………―――――――――)






レオの悲劇を偽って敗残兵を差し向ける事は、永久の眠りに就いた彼に対して礼儀を失するのでは無いか、
武人として、一人の人間として、何があっても超えてはならない一線では無いか。
有効な戦略だと理解する思考と理性とが鬩ぎ合い、デュランは決断を下せずにいた。









―――――――――命が軋む戦場で、敵対する相手に同情を掛けてはなりませんよ―――――――――









不意にリースから申し付けられた言葉が脳裏に蘇り、デュランは息を呑んだ。
命を賭けて戦うからには安い同情などは厳禁、武人として全力をもって挑むべきだ。
戦争に対して苦い思いを巡らせたデュランの尻を叩く様に、そう、リースは語って聴かせていた。






(………これも一つの情けか、リース………?)






狂気に支配された【ガストラ】の兵たちにとって、今は混乱を来たすだけの“真実”ではなく、
例え偽りであろうと仇を討ったという“事実”こそ大事なのかも知れない。
偽りでしか彼らを救えないのであれば、自分に出来る事はただ一つ―――そこに考えが行き着いた時、
デュランは【ドラゴンバスター】へ跨り、いきり立つ全軍に向けて激烈な号令を発していた。


「見よッ!! 【賊軍】の卑劣は留まるところを知らぬッ!!
 使えぬと判断した味方を見せしめに殺傷するなど言語道断であるッ!!
 大いなる義をもって参じた者こそ決起し戦い、この非道を打ち崩すのだッ!!
 己が胸に正義ありと思わん者は我に続けッ!! 悪の枢軸たる【ファーレンハイト】を今こそ討つッ!!」


【官軍】の先鋒部隊に【ガストラ】の兵団を含めた総勢20,000の大軍勢が、デュランの号令に干戈を掲げて轟然と応える。
将校から雑兵に至るまで、全ての兵たちが【ファーレンハイト】への怒りに燃え盛っていた。
共通の大敵たるパルパレオスの首級を上げる―――今や右を向こうと左を向こうと、誰もが正義の同志だった。


「デュラン………」
「………………………」
「………デュランさん」
「アークウィンドさん………」


アンジェラ・ブライアン・ヴィクターのトリオに続いてアルベルトもデュランへ馬を寄せ、
苦みばしった顔を懸命に抑えて辛辣な号令を発した彼を気遣う。


「ここまで来たら、やるしかねぇんだ………やるしか………ッ!」


先んじて駆けた【獣王義由群(ビーストフリーダム)】が総攻撃を仕掛ける【ファーレンハイト】を
真っ直ぐに見据えながら、掛けられた気遣いに対してデュランは短く一言、そう答えた。
それから先、20,000以上に膨れ上がった軍勢を引き連れて【ファーレンハイト】へ突撃するまで、
デュランの口が開かれる事は二度と無かった。

………事の仔細を天空から監視しているだろう弟分を見上げる様な事も、二度と無かった。






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