何がおかしかった、どこで間違えた。何度も何度もここまでの経緯を思い起こしても、
彼女には自分の犯したミスの所在を見つける事が出来なかった。
私に失敗は無い。私は常に正しい選択をした。なのに何故、こんな目に遭わされなければならないのか。
パルパレオスの首を取った事が咎められ、よしんば【英雄】に列せられる事は望めないまでも、
自分はか弱い非戦闘員。それも女性だ。女性には礼儀をもって接遇するのが男の務めである筈なのに、
目の前に現れた兵卒たちは、あろう事か首に、手に、足に枷を填め込み、自由を奪い、
市中へこのみすぼらしい姿を引き回しにかかった。


「外道が………外道が………外道が………………ッ」


華やかな将軍婦人から見るも無残な女囚へ成り下がったヨヨ・サンフィールドは、
「非道にも夫を殺害し、【アルテナ】へ取り入ろうとした三国一の大悪党」と言う喧伝のもと【アルテナ】市中を引き回される我が身と
手枷に括り付けられた鋼の鎖に引く兵士たちへ、あらん限りの憎悪を込めて外道と繰り返す。
だが、それも無意味な抵抗に過ぎない。怨念を吐き出そうと、この最悪の状況が変わる訳ではないのだ。


「さんざん悪行を尽くしてきたくせに自分だけ助かろうなんて、とんでもない女だ………」
「正々堂々戦い抜いたパルパレオス将軍に毒を盛って殺したんでしょう? 魔女よ、あれは魔女………」
「夫の首を千切るマネ、普通の神経じゃ出来ねぇよ………人の皮を被った化け物だ」
「ド外道がァッ!! 生きてるのが恥ずかしくないのかッ!! 今すぐ舌噛んで死にやがれッ!!」


【官軍】の部隊が凱旋した時にはあれだけ高揚していた民衆の口は、この時ばかりは絶対零度にまで凍てつき、
魔女の烙印を焼き付けられたヨヨへ聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせ掛ける。
心無い悪言のいちいちにヨヨは鋭い眼光を向け、その事が更に民衆の怒りを逆撫でた。
「地獄に落ちろ」というシュプレヒコールが【アルテナ】の大地を揺るがさんと木霊し、【魔女】を容赦無く責め立てる。


「地獄へ落ちた後は………貴様ら………まとめて呪い殺してやるぞッ!! 首を洗って待っていろォッ!!」


この世の全てを呪う怨念を絶叫した時、ヨヨを引き据えていた兵たちの歩みが止まった。
肺に吸い込んだ空気の一切を吐き出した為に息切れし、激しく上下していたヨヨの肩は、
何事かと兵の先頭辺りを窺った瞬間、恐怖に凍りついた。
隊列の先には、空き地と思しき区画に竹束で急ごしらえされた囲いが築かれており、その真ん中に鋼の十字架が打ち立てられていた。
十字架の丈は、ちょうどヨヨの身長と同じくらいに切り出されている。
これはつまり――――――………………………。


「………これより大罪人、ヨヨ・サンフィールドの処刑を執り行う………」


十字架の手前に配置された椅子へ腰掛ける執行官の宣言にヨヨは総毛だった。
意味も解らない内に囚人車へ放り込まれ、問い質す暇も与えられず【アルテナ】の市中を引き回され、
今度は心の準備も何も無いまま十字架へ磔にされると言うのか。


「やめろッ!! やめろッ!! 触るな、触るなああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


迫り来る死の恐怖を跳ね除けようと必死の抵抗を試みるヨヨだったが、屈強の兵士たちに組み伏せられては手も足も出ない。
無理やりに押さえつけられ、四肢を縄目で縛り上げられ、ついに鋼の十字架へ無残な身を晒す事となった。


「―――ッ!! ――――――ッ!! ―――――――――ッ!!!!」


十字架へ括られる際に猿轡を噛まされた今となっては、
自ら舌を噛む事も、見下ろす位置で槍を携える執行官たちへ唾を吐く事も叶わない。
言葉にならない呻き声を上げながら、世界の全てに呪いの眼光を叩きつける事しか、ヨヨには抵抗の手段が残されていなかった。
【グランベロス】の将軍婦人という立場を利用し、私腹を肥やしたという過去の悪事の暴露に始まり、
磔刑に処される罪状を執行官が読み上げるまでゆうに30分は要した。
長い、長い時間だった。気位の高いヨヨにとって、1分とて下賎な市民の前に無残な姿を晒すのは耐え難い。
それを30分もの長時間に亘って強いられるのは、拷問以外の何物でもなかった。


「………構え………」


執行官の中でも指導者の立場にある男が、十字架の前で槍を携えていた兵士たちに号令を送った。
それは、感情という物を感じさせない無機質な声だった。
無機質な号令に従って槍を構える兵士たちの動きも、また、どこか機械的で、生気を感じさせない。


「―――――――――ッ!!!! ―――――――――ッ!!!!」


左右に激しく頭(かぶり)を振って恐慌するヨヨの視線が兵士たちに号令した男を捉えた。
血の涙を撒き散らす様な凄まじい形相が呪いを吐き掛けるが、男は無感情にそれを受け止め、
次なる采配へ取り掛かる。次―――鋭く向けられた何本もの矛先を一斉に打ち込めという断罪の号令へ。


「御屋形様………やはりこれは………」


雨の様に十字架から降り注ぐ血の涙を浴びた執行者の一人が指導者へ迷いを吐露する。
か弱い者を守る立場にある戦士が手を染めるには、この処刑はあまりに惨たらしい。迷いが生じるのは必然と言えた。


「………迷うな、シオン。迷えば、拾える命も拾えなくなる………」
「しかし………」
「――――――迷うなッ!」
「………………ッ………………」


自分の所業に迷いを覚える部下…シオンを強い口調で一喝した指導者…デュランは、
顔中グチャグチャにして身を捩らせるヨヨを正面に見据えると、槍兵へ合図する腕を天高く翳した―――――――――


「………………………突け………ッ!!」















――――――時を遡る事、二日前。
ヴァルダへ戦勝の賀詞を申し上げる為の【アルテナ】上洛に際し、諸侯は一度【ウェンデル】に立ち寄った。
数日前に【バハムートラグーン】へ赴いた時と様変わりした軍勢の様子へルサ・ルカやシャルロットも
最初は驚きと戸惑いを覚えた様だが、アンジェラに事情を聴いて得心し、
ランディを筆頭とする【官軍】諸侯らの多大なる労をねぎらった。
【ウェンデル】へ停泊したのは一日だけだったが、この24時間は決戦に疲弊した諸侯らにとって掛け替えの無い安息だ。
阿鼻叫喚を生き抜いた事を噛み締める者、久方ぶりの人心地を満喫する者、部隊を祖国へ送る者………と
それぞれが思い思いの時間を過ごし、塗れた戦塵を洗い落とす中、ランディはそのどれにも当てはまらない
独自の行動を取っていた。


「………お待たせいたしました、ヨヨ・サンフィールド様」
「ええ、首を長くしてお待ちしておりましたわ、ランディ・バゼラード様」


【パルテノン】の一角に設けられた応接間へ姿を現したランディは、
先に部屋へ入ってソファに身を預けていたヨヨを見つけるなり恭しく一礼して彼女の手を取った。






(………堕ちるな、この男………容易く………っ)






まるで優雅な貴公子の様に、取った手の甲へ口付けするランディを見下ろしながら、
ヨヨはドス黒い腹の底で微かな勝算を弾き出していた。
この部屋に立ち入ってから以降、ヨヨの頭には、パルパレオスにも掴みきれなかった天運を得たランディへどう取り入るか、
そればかりが堂々巡りしているのだ。
恭しくフェミニストを気取るランディに合わせて、表情こそ貞淑を装っているものの、この寄生虫は新たな宿主を見つけてご満悦。
頬が引くつくのを見ると、こみ上げて来る笑いを噛み殺すのに必死な様子だ。






(愛する人を亡くした【ジェマの騎士】を支える新しい恋人と言う肩書きも悪くないわね。
 かつて敵同士だった者と愛を育むなんて、最高のシナリオじゃない)






取らぬ狸の皮算用とはよく言ったものである。
ランディという新たな寄る辺に舌なめずりするヨヨは、早くも自分にとって都合の良い展開を夢想し始めた。
理性ある人間に生まれた以上は守らなくてはならない、いや裏切れるわけもない不義すら平然と働く彼女には、
パルパレオスであろうとランディであろうと、華美な暮し向きを得る為の食い物に過ぎない。
夫の首を手土産に【官軍】へ投降した自分は、言ってみれば先の大戦の功労者だ。格式もある。
祖国を攻め落とされて【グランベロス】の捕虜となった際、パルパレオスへ用いたのと同じ様にか弱い女性を装って
縋り付けば簡単に篭絡させられるだろう。
ヨヨは自分の色香に絶対の自信を置いていたし、女慣れしていなそうなランディに跳ね返される心配は微塵もしていなかった。


「薄暗い馬車の中に何時間も押し込めてしまって申し訳ありませんでした。
 道中、不都合はございませんでしたか?」
「まさかっ、ランディ様に賜りましたお慈悲の数々、感謝こそすれ不都合などあるわけもっ!
 ………ただ、やはり夫を失った寂しさは埋め難いものがございました。
 人恋しいと申しますか………、私めは誰かに支えてもらわないと立つ事もままならない弱い人間なので………」
「………それは気が付きませんで。当方の不手際、心よりお詫び申し上げます」
「ああ―――今はランディ様の篤いお言葉だけが私の支えです。
 本当に………本当にありがとうございます」


取り留めの無い会話の中にも男心をくすぐるテクニックを織り込むヨヨのこの手練手管よ。
恥すら感じる浅ましさを超越し、恐ろしいとしか言い表わし方が無い。


「………………………」
「どうかしましたか? 急に黙ってしまわれて………」
「いえ………、貴方の温かな言葉を聞いておりますと、その………思い出してしまいまして………」
「………パルパレオス殿を、ですか?」
「いえ………はい………」


性根から腐り切っているとは言え、高貴なビスクドールを思わせる顔の造りだけなら絶世の美女。
うっすらと涙を浮かべて物憂げに上目使いで見つめれば、大抵の男はたちまち骨抜きにされてしまう。
無垢な上辺を使い分ける魔性で、今度はランディへ取り入ろうと言うのだ。


「………天下安寧の為とは言え…夫を手にかけたこの罪は…未来永劫…消えるものではありません………」
「………………………」
「私は罪深き女です………地獄に落とされるべき愚物なのです………」


運命に翻弄される悲劇のヒロインを気取って作られた“しな”も見事なもので、
わざとらしさを少しも感じさせない抜群の演技力で涙ながらに憐憫を誘っている。


「―――そんな私を優しく包んで下さるランディ様の御慈悲、胸に深く染み入りましたっ」
「………………………」


アンニュイな溜め息を吐き、タメを作って作って、焦らした後に目一杯の笑顔を向けるという
ヨヨの艶めいた戦略に中てられたのがランディでなく世に数多いる男性だったなら、
眼差し一つで簡単に篭絡されていただろうが、しかし、ランディの表情は変わらず、眉の一つも動く事は無かった。






(………チッ、サスァ以上の朴念仁め………喰いでが無ければ、こんな愚鈍、とっとと見限っているのに………ッ)






心の中で思わず舌打ちする。そうか、堅物の【ジェマの騎士】には色仕掛けが通用しないか。
だが、相手の性質さえ把握できれば付け入る手段はいくらでもある。
天運に見放されたパルパレオスなど比較にならない大物を前にして、ヨヨは持ちうる限りの手腕を出し尽くすつもりでいた。
絶対に逃がさぬ。取って喰い、二度と揺るがぬ高座を手にしてくれる―――それは、執念にも似た感情だった。


「………こんな風に二人でいるところを見られたら、貴方の愛した方に焼餅を妬かれてしまいますね」
「………は?」
「今は彼岸へ渡られた方ですよ………プリム・ノイエウィンスレットさん。
 彼女は貴方にとても愛されていたとお聞きしておりましたので………」
「………………………」
「もしかしたら、今も窓の外で私たちのやり取りを見守っていられるかも知れませんね」


寂しさに包まれているだろうランディの心の隙間へ入り込む手に出たヨヨは、
彼の最もデリケートな心理を絶妙に刺激しつつ、その逞しい肩へと枝垂れかかる。


「………私たちは似たもの同士と思いませんか、ランディさん」
「………………………」
「愛する者を失った者同士………と言うのはおこがましいのですけど、今の空っぽな私には、
 ランディさんの乾いた心がよく解ります。プリムさんを喪くした痛みが、空虚な心が―――
 ―――ふ…ふふっ………それはとても悲しい事なのに………私ったら………やだ………」
「………………………」
「―――空っぽな男と女が出会ったこの偶然も、実は運命………なんて不謹慎なコト、考えてしまいました………」


執念とは、時として不可能を可能にする爆発的なエネルギーを発揮するものだが、それはごく一部の例外であり、
往々にして冷静な判断、洞察力を損なわせる負の相が強く出るものである。
新たな宿主を前にして執念を燃やすあまり、ヨヨは、普段の彼女であったら見落とすはずの無いミスを犯し、
これが命取りになるとも気付かずに禁句(タブー)を繰り出し続けた。


「………先ほど、パルパレオス将軍の検死結果が届きました」
「………検………え………っ?」


芝居っ気たっぷりで迫っている時だと言うのにいきなり検死結果などと不穏な単語を発せられ、

ヨヨは最初、ランディが何を言っているのか理解できずにいたのだが、
彼が検死報告書を読み上げるにつれて事態の重大さへ次第に気付き始めた。


「直接の死因が頸部切断だと誰もが疑いませんでしたが、いささか気になる点がありましてね。
 それで貴女が差し出してくださったパルパレオス将軍の首を、無礼を承知で検死に回していたのですよ」
「………………………」
「検死の結果、本来なら人体へ含まれている筈の無い有害な毒素が舌下から検出されたそうです」
「………………………」
「………死因は青酸カリを服用した事による中毒死であると言うのが監察医の見解だ」
「………………………」


枝垂れかかっていた身体を慌てて引き剥がし、ランディをまじまじと見つめるヨヨ。
懐から取り出した検死報告書の用紙へ目を落とす彼の姿は、大罪へ刑を下す裁判官の様に厳しく、
後ろめたい物のある彼女を激しく揺さぶった。






(まさか、バレたッ!? ………い、いや、待てッ! バレるわけがないッ!!
 サスァを毒殺した時、あの部屋には私たちしかいなかったッ!
 他の誰も立ち入る余裕が無いと踏んだから私は―――)






風向きはヨヨが想像する以上に悪い方角へ吹き始めている。ランディの糾弾はなおも続いた。


「………さて、ここで大きな問題が生じるのですよ、ヨヨ様。パルパレオス様の死因は毒殺でした。
 敗北に耐え兼ねて自ら毒を呷ったとも考えられるのですが、私にはどうもそうでない様に思えて仕方がありません」
「お、夫は何者かに毒殺されたとッ!? まさか、そんな………ッ!!」
「可能性の一つですが、あるいは―――。
 仮に毒殺であったと仮定すると、また一つ問題が生まれます………誰が毒を盛ったのか、と言う疑問が」
「それを、何故、私に………………――――――ッ!!
 ………まッ、まさか、ランディ様は私を疑っておいでなのですかッ!?」
「………………………」
「何をバカな………………………」






(このガキッ!! 当て推量の分際でよくもまぁ………ッ!!)






「私が毒を盛るなんて卑劣な真似をするわけないじゃないですかッ!!
 夫の罪を購う為に、それだけの為に、私はこの手で短剣を………」
「………では、貴女はいつパルパレオス殿の首を刈ったのです?」
「私がサスァのところへ着いた時には既に事切れていましたッ!」
「泡を吹いて倒れているところを見つけて、異常を感じなかったのですか?
 明らかに外傷とは異なるダメージを受けて身悶える夫を目の前にして?」
「………そッ、それは確かにおかしいとは思いましたけど………でも、私はぁッ!!」






(落ち着けッ………落ち着けッ………こいつのほざいてるのは根拠の無い状況証拠だ。
 私が毒殺者だと証明できる物じゃないッ!! こんな言い掛かり、知らぬ存ぜぬを決め込めば………ッ!!)






「―――そこまで程度の低い言い逃れは通用しないでしょう、ヨヨ・サンフィールド。
 毒が死因であると私が話した時、貴様は何の反応も示さなかった。
 泡を吹いて倒れているところを見つけて、首を刈った―――貴様の弁証を統合すればこういう事になる。
 よしんばこれが事実であったとしても、“毒”という単語を聞いた時にピンと来ないのはいかにも不自然だ」
「不自然って………ッ」
「不自然な死に方を“不自然と感じない”人間はただ一つ………不自然な死を亡骸へ強いた者のみである」
「………………………」
「不自然な死を目の当たりにしながら取り乱しもせず、喜々として首を刈り取れるとなると、毒殺にも計画性が帯びてくるな。
 ………貴様、最初から首を土産に【官軍】へ取り入るつもりでいたのだろう?
 その為にパルパレオスを毒殺した―――これは私の妄言か? ………否、貴様の魔性だ、ヨヨ・サンフィールド―――」


恭しさなどどこにも無い。原罪を抉り出すランディの叱責はいよいよ語気を荒げていく。


「―――行き当たりばったりの生き方がいつまでも通じると思ったか? ………下劣で、浅薄な………………ッ。
 ………貴様の様に醜悪な魔女へ触れられたのかと思うだけで反吐が出るわァッ!!!!」


見誤った―――と勘付いた時には既に遅く、ヨヨが磐石と自信を持っていたアリバイはランディの恫喝じみた推理によって論破され、
呆然となって腰を抜かす彼女の顔面へ検死報告書が投げ付けられた。
その拍子に検死報告書を束ねていたクリップが壊れ、彼女を中心に紙の吹雪が舞う。
虚栄を引き剥がされた哀れな売国奴を嘲笑うかの様な吹雪に埋もれるヨヨへ手を差し伸べる男は、最早誰もいなかった。
色香ではフォローし切れない罪状が吹雪の一枚一枚へ書き込まれ、そこに埋もれる彼女の神経を更に苛んだ。


「………冥土の土産に面白い物を見せてやろうか………」


腰を抜かしたまま立ち上がりも覚束ないヨヨへ背を向けるランディがガラスの窓をカーテンと一緒に開け放った。


「あ………う………え………―――ッ!?」


窓が開かれるなり飛び込んできた信じられない光景にヨヨは完全に言葉を失う。
いや、言葉で形容できる様な生半可な物ではない。轟々たる混沌の怒涛によって理性が一気に押し流された。
唇だけはパクパクと忙しなく開閉するものの、今、眼前に広がる悪夢には、擦れ声の一つも搾り出せない。


「これが貴様の犯した所業への報いだ………」


窓の外に見える光景の凄まじさは、【パルテノン】の中にいてもひしひしと伝わる。
ヨヨの極刑を求める千人単位の民衆が、それぞれ手に剣を、槍を、棍棒を携えて大神殿をぐるりと取り囲み、デモを行っていたのだ。
引き伸ばした彼女のブロマイドへ火を掛ける者もいれば、窓の向こうに彼女の姿を見つけて石なり手斧なりを投げ込んでくる者までいる。
誰にも共通する点は「自分の保身の為に夫を毒殺し、首を上げた外道に天誅をッ!!」なるシュプレヒコール。
今さっき、ランディの推理したヨヨの罪状が、そのまま暴徒寸前にまで頭に血を昇らせた民衆のスローガンである。
僧兵らが出動して事態の収拾へ奮闘しているものの、ヨヨを糾弾するデモが鎮まる気配は微塵も感じられなかった。


「これはどういう了見だ、ランディ・バゼラードォッ!! 」
「すっかり化けの皮が剥がれたな………」
「うるさい、黙れッ!! なぜ民衆のブタ共が貴様の妄言を知っているのだ!?
 貴様の妄言に踊らされて私を詰―――――――――まッ…まさか………貴様………ッ!?」
「その“まさか”だとしたら、どうする? 最初から貴様を失脚させるつもりでいたとしたら」
「なんだとぉッ!?」
「夫の信頼を踏みにじった貴様と同じだよ。まあ、正確には真逆と言うべきなのだがな。
 数が多過ぎて誰を恨めば良いかわからぬ状態にある【賊軍】という漠然とした括りではなく、
 民衆が向け易いサイズの悪を仕立てて、いつ暴走するとも限らない戦争への怒りを引っかぶってもらう。
 ………どうせ先の無い人生だ。生贄にでもなって華々しく散るのが貴様には似合いだぞ」
「外…道がァ………」
「外道に外道と罵られるとは滑稽だな―――」


『天下分け目の決戦』終盤、【バレンヌ】が【官軍】の加勢として【バハムートラグーン】へ姿を現した時と同じく
あまりにタイミングが良過ぎるヨヨへの抗議集団の登場は、今度もランディのお膳立てによる物だったのだ。
先の決戦で家族を亡くしたの遺族や【官軍】側の民衆が抱いたやり切れない怒りと苦しみのハケ口として
ヨヨを【悪】に仕立て上げたランディは、彼女の無残をもってこれの鎮静へ換えようと企図していた。


「―――貴様が真に己の所業を悔いて貞淑にしていれば、情状酌量の余地もあったのだが、
 男と見れば色を吹きかける様子では、な。そんな小悪党を救ったとあらば民衆も納得すまい。
 なにしろ言い訳を並べる事もなく、私に色を掛けようと枝垂れかかってきたのだからな。
 これではとてもとても、情状酌量など………」
「い、言い掛かりだッ!! 言い掛かりと私が主張すれば―――」
「残念ながらこの部屋には小型のカメラを仕掛けてあり、中の様子はデモ隊所有のモニターへリアルタイムで投射されている。
 勿論、デモ隊だけでなく【アルテナ】…いや、【イシュタリアス】全土で同時中継しているのだよ。
 ………さて、言い逃れを用意しているのであるなら伺うが?」
「ぐ………ゥ………ッ………!」
「生きる価値の無い人間と言う蔑称は、貴様の為に紡がれた様なものだな」


果たしてヨヨはこの謀略へ足を踏み外し、ランディが思い描いた通りの結果となった。
やる事なす事全てが転落の墓穴だったと今更思い知ったところで取り返しがつくべくもなく、
加熱の一途を辿るシュプレヒコールに飲み込まれ、悄然と肩を落とす。
男を堕落させる絶対の自信が、そのまま命取りに転覆するとは、魔性の女に相応しい結末ではなかろうか。
生きる価値が無いとまで苛烈に詰られたが、窓の外の暴徒から察するに、最早ヨヨが生き残れる居場所は
【イシュタリアス】のどこにも存在しない風に見えた。


「………ビュウ・シャムシールが今の貴様を見たら何と言うだろうな………」
「はぁッ!? 誰よ、ビュウって」
「………………………………………………」


衛兵らに縄を掛けられ、引かれて行くヨヨを一瞥したランディは、かつて彼女を救って欲しいと願った
哀れな男がいた事を思い出したのだが、口を突いて出たその男の名前に対してヨヨはこの反応だ。
これがヨヨ・サンフィールドという女の本性なのである。
利用できるだけ利用し、吸い取れる栄養素が無くなれば即座に放り捨て、その後は一切無関心。
幼馴染みとして共に育ち、極めて親密な関係であったにも関らず、パルパレオスという格上のご馳走が目の前に現れるや否や、
無節操に飛びついたヨヨの頭の中からは、既にビュウ・シャムシールという存在は抹消されているのではなかろうか。
プライドも何もかもをかなぐり捨ててヨヨの存命を願ったビュウだったが、その名を聞いた彼女はとぼけるでなく、
本気で誰の事か分からずに首を傾げていた。
この態度に表れた通りの姿が、ヨヨ・サンフィールドという稀有の悪徳そのものだった。


「【ジェマの騎士】だか何だか知らないけど、こんなやり方を続けていれば近い内に身を滅ぼすぞ………ッ。
 ―――いや、滅ぼせッ!! どこを見ても救いの無い生き地獄に埋まって狂い死ねッ!!」
「個人の感情など世の趨勢にどれほどの意味がある? 私が狂い死のうが世は残る、【社会】は磐石となる。
 国家といううねりの前に個人の生命など大層な価値も無いのだよ―――――――――全ては天下安寧の為だ」


【アルテナ】へ到着次第、ヨヨ・サンフィールドを磔刑に処すべし―――
―――戦慄の指示は、ヨヨが女囚として捕らえられたその日の内にデュランたち【ローラント】の軍勢へ下された。
これが二日前。デュランが槍兵へ非情の号令を掛ける二日前の出来事である。















黄昏が落ち、弓張り月が夜空へ上がる頃には処刑場を取り巻く人影もすっかり散っていた。
北国にあたる【アルテナ】の夜は殊のほか冷え込む。夕間暮れから数えて徐々にまばらとなり、今、残っているのはただ独り。
刑の執行を取り仕切ったデュランただ独りだった。


「………………………」


半身の欠けた月下に独り佇んだデュランは、物言わず、微動だにもせず、じっと形状の中央へ打ち立てられた十字架を見つめている。
視線の先に在るのは、当然ながら、極刑を執行されて終(ツイ)に果てた骸である。
執行の残滓とも言える着衣のドス黒い変色はあまりに無惨で見るに耐えないが、死に顔へ浮かんだ形相は更に壮絶で、
到底直視できるものではなかった。現にこれを見た人間の中には、引き付けを起こしてしまった者までいる。

二度と動く事の無いその形相は、断末魔の苦痛でも、光を潰された絶望でも無く、
この世の全てを憎み、妬み、嫉む、凄まじいまでの怨恨に歪み切っていた。
貪欲に生へしがみ付いた愚者の成れの果てとして、相応しいと見るべきか、痛ましいと目を背けるべきか。
安易に判断を下す事は出来ないが、ただ一つ確かなのは、彼女は最期の瞬間に安寧ではなく、
狂乱の憤激に心身を焦がして逝ったと言う事―――生けとし生けるモノの一切を永遠に呪い続ける事。


「………………………」


色素を失って久しい眼球を剥き出して地上を睨み据える骸と、デュランは何時間も視線を交えていた。
刑の執行を槍兵へ指示して以降ずっとこの調子である。
執行に立ち会ったシオンもつい数分前まで彼を気遣って傍を離れなかったのだが、
【バハムートラグーン】決戦後に残った処務をこなさなければならない為、この場を既に辞している。


『ランディ・バゼラードの考えが………俺にはもうわかりません………』


ランディへの反感という楔を打ちつけて去っていったシオンの抱えた苦渋は、デュランにも共通する想いだった。
法廷の場で罪を計る裁判も開かせず、弁証を吼える尋問の機会も与えず、
一切の弁明を許さないまま、ランディはA級戦犯としてヨヨ・サンフィールドを磔刑に処す判決を下した。
それも独断で、だ。ヴァルダはおろか、アンジェラたちへの相談も無しで死刑を宣告したのだ。
執行者にはデュランが指名された。


『他の【官軍】諸侯ならいざ知らず、義兄弟の契りを交わし、古くから親交のある御屋形様ならば、
 反対も言わずに処刑へ助力してくれる―――狡猾なバゼラード氏らしい考えですね。
 ………御屋形様、本当によろしいのですか? これでは良い様に利用されているだけですよ?』


知恵の働くサーレントはランディの意図を見抜いて慎重を期すべしと進言したが、デュランはあえてその要請を呑んだ。
サーレントの言う通り、【官軍】諸侯の意見を採決せず、ヴァルダの採択も得ずに独断でA級戦犯と認定し、
処刑を執行するなど言語道断。誰が賛成すると言うのか。
元々ランディを快く思っていないファリスや慈愛の心が強いセシルなどは何を言い出すかわかったものではない。
その点、知己のデュランであったら、文句こそ漏らしても最後には必ず折れてくれると解っている。
見え見えの手段を講じて体よくデュランを動かし、ヨヨを葬らせたランディのやり方では、
兄弟分という甘えを利用したと酷評されるのも止むなしである。

だが、デュランは呑んだ。兄弟分だからこそ理解できてしまうランディの卑しい目論見も鮮血の泥と共に併せ呑んだ。
少なくともランディよりは数段人道的な常識を弁えたリザやデューンは何度となく止めたが、
デュランは自ら槍兵を率いて刑場へ赴き、宿主を失った死刑囚に直接引導を渡した。
そこにどんな想いがあったのかは余人の知るべきところではない。磔刑は極めて粛々と執り行われた。
槍兵の穂先へ死を宿す様に号令するまで、いや、号令を発してからもデュランの顔に表情らしい表情は浮かばなかった。


「………………………」


凍てついたデュランの顔へ決然たる炎が宿ったのは、冷気が痛みを孕んで容赦なく降りしきる深夜になってからである。
何時間とも知れず怨恨の形相と向き合っていたデュランは、瞳に炎を宿すと、一旦瞼を閉じ、自問する何かへ頷き、
やがて身を引き剥がす様に骸へ背を向けた。懐から薄汚れたバンダナを取り出し、右の腕へ締めながら――――――。
静寂の中で何を覚悟したのだろうか、宿った炎は強い輝きを放ち、固い意志力を感じさせた。


「―――何時間ボケッとしてんだよ。すっかり冷えちまったじゃねーか」
「………お前………」
「てめぇ、ちょっとツラ貸せ、コラ」


ふと名前を呼ばれ、声のした方向へ目を凝らす。
踵を返して仰いだ刑場の入り口から声を掛けてきたのは、陽気な彼にしては珍しく全身から怒気を漂わせたマサルだった。
額には、デュランと揃いのバンダナが締められている。


「今からどうしても行かなきゃならねぇところがあるんだ………歩きながらでいいか?」






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