ランディの手を引くマサルを先頭に【ケーリュイケオン】の階段を更に上へ、上へと進んでいく中で
デュランは彼がどこへ向かおうとしているのをふと疑問に思ったが、問いかけてみてもニカッと満面の笑顔が返されるばかりで
クエスチョンマークを氷解させる答えは待てども暮らせど降ってこない。
されるがままになっているランディへ倣い、黙って随いて行くしか無さそうだ。
「ふぅおおおぉぉぉーーーッ!! 寒ィィィィィィッ!! やっぱ【アルテナ】の夜は冷えるなぁッ!!
これ終わったら温泉にでも駆け込みてーぜッ!!」
結局、デュランの頭に浮かんだ疑問は目的地に到着するまで氷解される事は無かった。
いや、着いた場所に吹雪く痛いぐらいの冷気を考えれば、疑問は溶けたが心身は余計に氷結してしまったと言うべきか。
デュランとランディを伴ってマサルが繰り出した場所は、【ケーリュイケオン】屋上へ設けられた見晴台だった。
「うりゃッ!! 大怪獣スーパー熱線ッ!!!!」
「スーパー熱線じゃねぇよ、何やってんだよ、バカ。
そんな事する為に屋上くんだりまでやって来たんじゃねぇだろうな」
「………お前の眼には俺がそこまで考えナシに見えてんの? ちょいと付き合い考えちまうぜ、こりゃ」
「それはこっちの台詞だッ!! まじで寒ィんだから、本題に入るならとっとと入りやがれッ!!」
現在、人も草木も眠りに就く深夜真っ只中。
当然ながら夜の冷え込みが厳しい【アルテナ】の気温は零下を軽く下回っており、
屋上ともなれば、体感温度はより一層厳しい物になっている。
吐いた途端に白く凍て付く吐息で無邪気に遊ぶマサルの尻を思わず蹴り上げてしまったデュランの気持ちも
満更分からなくも無い。
「………良い迷惑ですよ、本当………」
フロックコートの襟元を締めながら唇を尖らせたランディの抗議もデュランに同じくである。
「………でっけぇよな」
「………何がですか?」
「てめぇ、この状況で下ネタなんか披露したら本気でこっから殴り落とすぞ」
「するかッ!! つーか、いい加減にしねーとお前の方こそ投げ飛ばすぞ!?
俺はこっから壮大な話をだなぁ!!」
「お早めにお願いしますって何度も言ってるじゃないですか。
もうこの際、下ネタでも何でも構いませんから」
「だーかーらッ!! 下じゃねえって何度も………クソッ!! 見事に話の腰を折ってくれちゃってぇ…ッ!!」
意地でも笑いを取ろうとする体当たり芸人に見なされていた事を心外に思いつつも、
この兄弟分に付き合っていてはいつまで経っても話を先に進められない。
そう判断したマサルは、おかしくなってきた空気の仕切り直しに一つわざとらしい咳払いをし、それから話を再開させた。
「でっけぇのはこの世界だよ。【イシュタリアス】だ。
俺たち人間なんてちっぽけに思えるくらい、【イシュタリアス】って、ドでけぇんだよなぁ」
「お前は天体望遠鏡を初めて勝ってもらった直後のガキか」
「んーッ、デュランにしちゃ捻りを加えてきたみたいだけど、ちょ〜っとボケが回りくど過ぎっかなぁ。
それじゃウケを取るどころか、観客を引かせちまわぁ」
「とりあえずマサルさんが下に走らなかっただけでホッと一息ですよ」
「これよ、これッ! こんくらい分かりやすく直球ストレートにしないと観客随いて来ない―――って、バカッ!!!!
俺を、そうヨゴレ芸人扱いすんなっつってんだろッ!!」
「お前の今のツッコミのがよっぽど回りくどいだろーがッ!!
つーか、まず俺は最初からボケるつもりなんてねぇッ!!」
「僕もデュランさんに同じくですよ。むしろさっきのはツッコミです。
話を先に進めたがってる割に、マサルさんから脱線しちゃってるじゃないですか」
「くっそぅ………、俺のイメージじゃ、もうちょいパッパと進む予定だったんだけどなぁ〜。
やっぱしお前らが相手だと【草薙カッツバルゲルズ】の時分に感覚が戻っちまうぜ」
「勘弁してくれ。あんな風に長引いたら間違いなく風邪引くっての。
―――オイ、ランディ、お前、ちょっとそのコート貸せよ。何一人だけぬくぬくイイ思いしてやがんだ?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、どうしてそこに行き着くんですかっ!?
上衣くらいしか防寒着らしい物を羽織ってこなかったデュランさんがいけないんでしょう。
自分の事ぐらい自分で責任持ってくださいよっ!」
「あぁッ!? てめぇ、兄貴分の言う事が聞けねぇってのかッ!?」
「弟分のコートを巻き上げるのが兄貴分のする事ですかッ! それもいい歳こいてッ!! リースさんが泣きますよッ!?」
「うっせぇッ!! お前の物は俺の物ッ!! 俺の物も俺の物って大昔からの不文律なんだよッ!! 兄弟分ってヤツはッ!!」
「聴いた事が無いんですけどッ!! ―――ちょっとッ!! ちょっとッ!! 本気で剥ぎ取るつもりですかッ!?
ハラスメント裁判で訴えますよッ!?」
「なに小難しい事抜かしてやがるッ!? ランディのくせに生意気だッ!!」
屋上の展望台へ上がってからと言うもの、三人の感覚は急速に【草薙カッツバルゲルズ】時代に戻り始めていた。
マサルはあの頃からあまり変わっていないが、デュランも“御屋形様”の威厳を脱ぎ捨てたかの様にヤンチャな顔を見せているし、
先ほどの剣呑なやり取りの中で張り詰めていた物が切れたのか、まだ多少ぎこちないものの、
当惑した様に眉をへの字に垂らしたランディ困り顔だって当時に極めて近い。
「むちゃくちゃでけぇし、すっげぇ綺麗だと思わねぇ? 【イシュタリアス】ってヤツは、さ」
無理矢理フロックコートを脱がそうとするデュランと、身を縮めてそれに抗うランディの、
これ以上ないくらいバカらしい攻防をひとしきり笑い飛ばした後、マサルは途中で止まってしまっていた語りを継いだ。
「………そうでしょうか。何をやっても戦は絶えないし、政治家は自分たちの利権と保身しか考えていない………。
そんな世界が本当に綺麗だとは思えませんよ、僕は………」
「ズルッとな〜ッ!! 頼むぜ、ランディ〜ッ! 俺が折角カッチョよく話題を切り出したんだぜ!?
なのにいきなりガックリ凹ませてくれるなよなぁ〜ッ!!」
「“戦は絶えない”って………お前、なんだ、それ、新手のボケか? 自虐ボケなのか?
ブラック過ぎて笑えねぇどころか、俺、結構ドン引きしてんだけど………」
「い、いえ、別にそういうつもりじゃなくて………僕が仕向けた部分以外にも戦いは散発しているじゃないですか。
現に、ほら、デュランさんが【バハムートラグーン】の前に戦った―――」
「ああ、【ローバーン】のコルネリオか。あれこそお前が言う通りの薄汚ぇ野郎だったな。
ダメ人間の縮図みてぇなヤツだったぜ」
「そういう人間がこの【イシュタリアス】には大勢蔓延っていると僕は言いたかったんですよ。
なのによってたかってボケ扱いして………二人とも、ちょっと酷いです」
「ま、政治の世界をよ〜く知ってるランディならではの意見って事で呑み込むとしようや。な、デュラン?」
「だな。呑み放題一年分で手ぇ打ってやるぜ」
「何勝手にとんでもない要求出してんですかッ!! 被害者は僕なんですけどッ!?」
「え、不満? じゃあ俺は食い放題一年分で良いよ。ホテルのバイキングだったら呑みより安上がりだろ?」
「マッ、マサルさんまでッ!!」
「ホントに良い兄貴分を持ったよな、お前。今時弟分をこんなに気遣ってくれるヤツって早々いねぇぜ」
「呑み食い一年分を脅迫する兄貴分のどこに気遣いを感じればいんですかねぇッ!?」
至極もっともな意見ではあるが、こうした場合、往々にしてランディの考えは通らないもの。
今回も今回であっさりスルーされる見通しが立っている。
「お前はさ、ランディ、【ケーリュイケオン】へ篭りっきりだから、見えるモンも見えてねぇんだよ」
「見えるものが、見えていない………と?」
「こういう見晴らしの良い塔にいるから、世の中の事が俯瞰で把握できちゃいるだろうけどさ、
なんつーか、庶民と同じ目線ってヤツ? そーゆー意識が薄れてきてんじゃねーかなって」
「ああ、それはあるかもな。ていうか、俺も結構実感してるしな。
領主なんてやってると、ついつい余所行きのカオとか作っちまったりしてさ。
そうやって気取ってる内に、昔は見えてたもんを見落としそうになるんだよ」
「そこを突かれると否定のしようがありませんけど………」
「だろ? ………で、俯瞰で見ると必ず頭を出すのは政治家って連中さ。
国を見る時に一番手っ取り早いステータスだもんな」
「僕はそこばかりに注目しているから………世界を汚く感じてしまう―――マサルさんの仰りたいのは、
つまりこういう事ですよね?」
「概ね、な。勿論、お前の目線が間違ってるとは言わねーぜ?
世の中に溢れてる政治屋見ていりゃ、俺だって気分悪くなるし。………なぁ、デュラン?」
「………てめぇ、そこで俺に振んのは反則だろ。さっきまで政治家、政治家ってさんざ詰っといてよォ」
「いや、今のはデュランさんへの当てこすりですよ、絶対」
「要らん事言うんじゃねぇよ、コノヤロッ!! 分かって返してんだよ、こちとらッ!!」
「―――あッ、あだだだだだだッ!! パロスペシャルはやめてくださいッ!!
ダブルアームスープレックスは洒落になんないですからッ!!」
「チョークスリーパーがお好みか!? 俺に楯突こうなんざ百万年早ぇって事を教えてやるぜッ!!」
「ヤバイヤバイヤバイヤバイッ!! 堕ちる堕ちる堕ちる堕ちるッ!!」
「………なんだかんだ言って、お前らがいっちゃん話脱線させてるじゃねーか」
時に肉体言語(あるいは兄貴分からの教育的指導)を間に挿みながらも三人の談話は続く。
仰いだ寒空には満点の星々。言葉に迷った時には、この美しい星明かりが導いてくれる様な気がした。
「マサルは、あれだろ? 【LIVE・あ・ライフ!!!】の旅公演で見てきたもんを
ランディへ説いて聞かせてぇんだろ?」
「うっわッ!! とんでもねぇネタバレ来たよ、コレッ!!
推理小説のトリックをまだ読んでない人に語っちゃうのと同じだぜッ!?
見ろよ、この微妙な空気ッ! ここから話続けんの、すっげぇ辛ぇんだぞッ!!」
「えーっと………、すいません、途中からなんとなく気付いてましたんで、
特にデュランさんにバラされてもショックとか無いです」
「心無い発言二連発ッ!! 先が読めててもあえてお口にチャック、手はお膝に乗せてんのが良い子の最低限のマナーだろッ!!
何この紙芝居屋のおじさん気分ッ!! 可愛げのないガキを相手にしなくちゃならないおじさんの哀愁を
絶賛体験中だよ、畜生ッ!! ―――追体験!? 時代を超えたこの感触、俺ってば前世紙芝居屋さん!? むしろ紙芝居ッ!?
ネタバレされて存在意義を無くした髪っぺらか、俺の隔世ノスタルジーはッ!?」
「うるせぇ、バカ。無駄口叩いてねぇでさっさと始めろつってんだよ」
「う〜わ〜、ヤな温度差だわ、コレ。熱いシャウトにクールな投げやりぶっこまれちゃったよ。
夢見がちな女の子が主役のレディースコミックよりグダグダだ、コレ」
「―――よし、バカの話も終わった事だし、帰るか。
折角だからこのまま飲み屋にでも繰り出すか、ランディ。一杯ひっかけよーぜ」
「デュランさんに付き合ったら、明日の仕事にとてつもなく響く恐れがあるんですが………」
「すわ、黙殺の危機ッ!? 喉まで出かかったカントリーロードこの道かく語りきをどう処分すりゃいいってのッ!?
寄ってってくださいッ!! 見てってくださいッ!! グダグダ〜とか二度と文句言いませんから、お願い聴いて!!」
【草薙カッツバルゲルズ】の頃はホークアイのポジションだったぞんざいな扱いを喰らって盛大に凹まされたマサルは
半ば泣き縋る様にデュランとランディを抱きすくめ、本人曰く“グダグダ”な空気を払拭する為、
声を大きく張り上げて【LIVE・あ・ライフ!!!】を通じて見聞きした体験談を語り始めた。
本当は話したくて仕方が無かったのだろう。長い長い道草の末の語りは、どんどん熱っぽくなっていく。
「例えばな、貧富の差が激しい国へボランティアで興行に行った時の事だよ。
そこの王はこないだの合戦の時、最初は【賊軍】に属していたけど、旗色が悪くなると見るなり、
【官軍】へ寝返ったとんでもねー野郎だ」
「………該当する人間なら今すぐにでも何名かピックアップできますよ」
「心当たりがあるってよ」
「お前ら、そういう人種をどう思う?」
「「汚い政治家」」
「二人仲良くフィーリングが合って何よりだ。そう、汚い政治家さ。いや、政治屋ってトコだな。
領民に厳しい税を課して私腹を肥やすどうしようもない野郎だぜ。
で、俺らもな、その国入る時、やっぱ最初イヤだったんだよ。領民みんなヤな連中だったらどうしようってさ」
「そりゃお前、あんまりな決め付けじゃねぇか。上がバカでも下がダメとは限らねぇだろ」
「おぉよ、そこよ! 俺たちもそこに気付かなくてさ。入国してみてビックリしたもんだ。
―――すげぇんだよ。圧政に苦しんでるってのに、迎えてくれる人たち、皆、すっげぇ輝いて見えたんだ」
「………………………」
「実際、興行が始まってからも腹抱えて笑ってくれてさ。
………一番嬉しかったのは、どこの家族も総出で観に来てくれた事だな」
「どこの町で興行を打っても………ですか?」
「おう! その国中のどこ行っても家族全員で駆けつけてくれたよ。
中には俺たちをメシに招いてくれた家もあってさ………あん時に食ったバターパンの味はちょっと忘れられねぇな」
「そいつは確かに凄いな。どこに行っても家族総出なんて、俺には想像つかねぇよ」
「俺はさ、そこに家族の在り方があった様な気がするんだ」
「………家………族………」
「―――どんなに醜い政治が物を言わせていようと、家族と手を取り合って暮らしてる人がいる限り、
【イシュタリアス】はどこまででっけぇし、どんな宝石よりも綺麗だ。
もしかしたら、太陽よりずっとずっと、あったけぇのかも知れねぇ。
いや、人間の温もりが繋がって生まれた熱だかんな。太陽なんか比べ物にならねぇくらい熱いぜッ!!」
「マサルさん………」
「のさばる政治家が私利私欲に走れば、必ず戦いが起こる。お前はそれを潰す為に武力を選ぶ。
そうなりゃ戦だ。手っ取り早く相手を屈服させて汚職を鎮圧できるだろうよ。
―――でもな、戦を俯瞰で見るな。プリムの柩と一緒に埋めちまった庶民の目線をもう一度掘り返せな。
犠牲になるのはいつだって領民だ。貧しくても希望を失わずに生きる人たちなんだ」
「………でも、汚職の餌食になる人をそれ以上増やさないで解決できる最短の手段は戦ですよ。
マサルさんの仰る通り、一般市民や兵隊に死傷者は出るでしょうけど、長い眼で見れば、武力行使もまた一つの慈悲です。
………当然、これを善とするつもりはありませんが」
「武力に武力で応じれば必ずまた先の歴史のどこかで戦が起こる。過去に残した誰かの恨みが弾けるってもんだよ」
「ではマサルさんはどうすれば良いとお考えですか? 戦をしないで世の中を平定していられる手段があると?」
「ある。………あるっつーか、俺も今回の合戦を傍観していてようやく行き着いたってのが正しいんだけどな。
―――ハートだよ、ハート。じっくり腰を据えて話し合って、ハートを結び合わせるんだ。
相手が汚職をしちまうヤツなら、どうして汚職をしなくちゃならないのか、まずそこから話し合いを始めるんだよ。
もしかしたら金銭的な悩みがあるのかも知れねぇ。中には本当に救えないバカもいるかも知れねぇ。
でもな、まずは相互理解を深めるところから始めようじゃねぇか。腹ぁ割って、それこそ酒でも酌み交わしてよ」
「理想論だな。その理屈が通れば、俺たちみたいな武将はハナから必要ねぇよ」
「武将の中にだって、戦いを望まず楽隠居したがってるのもいるもんだ。
そういう人たちの意見こそ聞いてやらなきゃよ。………俺の友人にもいたよ、そういうの。
一番戦わなくちゃならないクセして、そいつは自由を欲しがってた。争いの無い世の中を欲しがってたよ。
羊飼いになりたいとかなんとか言ってたっけなぁ」
「………もしかして、それって、【賊軍】の―――」
「さぁ、どうだろうな? ………俺に言えるのは一つ。誰も戦いをしたいと思ってる人間はいないって事だ。
どんな悪人だってそうさ。本当は戦いが怖くて仕方が無ぇんだよ。
戦わないで済むなら、どんなに嬉しいかって、そればっかり考えてるのさ」
イニシアチブを取ってから一旦区切るまでの間、中休みを入れる事なく一気に語り切ったマサルがデュランへ人差し指を向ける。
その眼差しは「お前だってその一人だろ?」と言いたげに悪戯っぽく揺らめいている。
「ハートとハートを結ぶってのは、ぶっちゃけ、相手のハートに付け込むのと同じだよ。
戦争を望んでねぇ臆病なハートに付け込んで、武力解除の揺さぶりをかける。
それが出来てから相手の保障やら何やらの話し合いへ移るって寸法さ。
………人のハートに付け込むの、お前ら、得意中の得意じゃんよ?」
「人を詐欺師みたいに言わないでくださいよ。とんだ言い掛かりです」
「全くだぜ。第一、武将の面目丸つぶれになっちまうじゃねぇか、そんなのが横行したらよ。
戦うのが本文の戦士にそいつをやめろなんて、クーデターもいいとこだ」
「だけど、本当にそんな事が実現できるって想像してみろよ?」
「―――あぁ、面白ェッ。お前のぶち上げたプランが実現したら、きっと【イシュタリアス】はひっくり返るぞ」
「俺はそいつを【笑い】で実現させるつもりなんだよ。なんてったって【笑い】は世界共通の幸せゼスチャーだもん。
【イシュタリアス】のハートを【笑い】で一つに束ねれば、そこに【新しき国】が見つかるって俺は本気で信じてるぜ」
「………それは、でも、家族を知っている人間の言葉じゃないですか。
家族が………守るべき人がいない人間には、説得力に欠ける理論ですよ」
経験則から紡がれたマサルの語りへ神妙に聴き入っていたランディだったが、彼の言葉が一区切りしたところで異を唱えた。
「だから綺麗に締められるって時にケチ付けんなよォ」などとマサルは口を尖らせるものの、
ランディの言う事は当然の反論とも言える。
確かにマサルの語りは信じるに足る経験則に違いは無いのだが、裏を返せば、共に歩く人がいなければ、守るべき存在が傍にいなければ、
彼が曰くするところのハートを結ぶ勇気を踏み出せない事になる。
何故なら、本当の孤独の内にいる人間と言うものは、人との交わりを知らない為、
他者とのコミュニケーションの取り方が理解できないのだから。
コミュニケーションを培う最もベーシックな温床は、家族や仲間と言った生活を共にするコミューンなのだ。
「貴方たちと僕は正反対に違う。
………デュランさんにもマサルさんにも守るべき家族がある。でも、僕にはそれが無い………」
ランディの自称にもある様に、不幸な経緯によってそうしたコミューンを失ってしまった者、
あるいは最初から天涯孤独であった者など、背景は千差万別あるだろうが、
寄り添い支え合える縁者がいないコミュニケーション不全の人間は、悲しむべき事だが、世に何万と存在する。
これは揺るがし難い事実であった。
「………プリムを亡くしてから数年………僕は人間として生きる喜びをあいつの墓へ一緒に埋めていました。
だからわかるんです。………いや、これは僕にしかわからない事だ。
人の温もりを傍に感じられない人間は、他者を踏み躙り、攻撃する事へ何の躊躇も無い。
そこから掠奪や戦争が生まれるんです。暴力を強いられる前に滅ぼせという果てしない戦いの連鎖が。
―――これはマサルさんにほじくられて、やっと気付いた事ですけど」
「………お前は何を滅ぼそうとしていたんだ? マサルの野郎にえぐり出される前のお前はよ」
「………多分、僕は、僕自身を滅ぼしたかったんです………」
「………………………」
「得る物の無い人生を早く終わらせたくて戦いを欲しがったんですよ、僕は。
戦いを呼び込める【ジェマの騎士】の立場を利用して、自分の勝手を通す為に無理を強いてきた。
幸か不幸か、こうして生き延びてきましたが………温もりの無い無味乾燥な人生を
【ジェマの騎士】の名に相応しい形で終わらせたかったんだ………」
「良い迷惑だぜ………ったく、俺らはお前の死にたがり症候群に付き合わされたってわけか。
俺だから良かったものの、【タイクーン】のファリス女王あたりに聴かれてたら、今頃、お前、刺されてんぞ」
「勿論、自分の選択が間違っていたとは思いません。
天下安寧の為には【賊軍】の武力討伐は最善策だったと今でもハッキリと断言できます。
ヨヨ・サンフィールドを処罰した事についても言い逃れはしません。民衆の怒りを鎮めるにはあれ以外に方法は無い。
『天下分け目の決戦』で下した判断は全て正しかった―――僕はこれから先もずっとこの成功を叩き台として戦い続けます」
「………ランディッ」
「デュランさん、マサルさん、お二人が仰る事は重々承知しています。
ですが、僕の様な人間がいる限り、世の中から戦が消え果る事は絶対にありません。
夢物語で無い限り、僕の様な人間が消える事はあり得ない。
そうした愚か者を処断する戦士を民衆が望んでいるのも、また、事実なんです」
聴き様によっては、一連の美しい流れを台無しにしてしまうかの様なランディの言葉は決然とした意思に満ちており、
死人同然の嗄れた声しか出せない先ほどまでとはまるで異なっている。
決意表明か、宣戦布告か。己の意思を告げようとするランディは実に気高く、デュランとマサルは彼の独演へ静かに聴き入った。
「遠からず【バレンヌ】は【アルテナ】へ反旗を翻して再び大戦を仕掛けてくるでしょう。
先を見越しての【官軍】参加であったと言う調査も進んでいます。
その時に【ジェマの騎士】が不在であっては、守るべき【社会】が、人々の安寧が根底から覆るのは火を見るよりも明らか。
“戦う意思”の象徴が空席になった【イシュタリアス】を想像してみてください」
「何とか言ってみろよ、デュラン。黙っちまってないでさ」
「想像がつくからダンマリしかねぇんだろ。………民衆が誰に勇気を託せば良いのか迷っちまったらおしまいだぜ。
アンジェラたちはきっとすげぇ政治家になるだろうけど、だが、“それだけ”だ。
戦場に立って【正義】を守る武将にはなれねぇ」
「フェアリーにも見捨てられ、ポポイにまで愛想を尽かされた名ばかりではありますが、
【ジェマの騎士】の使い道はまだまだ残っています。残っている以上は引退など言語道断。
デュランさんに何と詰め寄られても、僕は戦って戦って戦い抜く所存です」
「………その戦いは、何を得る為の戦いだ?」
「僕らの様な人種とは違う、心を結び合わせる事の出来る人たちが少しでも多くの希望を繋げられる未来の為に。
―――自分以外の何かの為、その為に僕は戦います」
「………………………」
「………………………」
「それが、【ジェマの騎士】ランディ・バゼラードの天命です」
台無しになどなっていなかった。振り出しに戻ってはいなかった。
隠居を突っぱねて戦い続けるというスタンスこそスタートラインから変わっていないものの、
今のランディには歴然たる目的が備わっている。
一言で表せば勧善懲悪、もっと言い募るなら、世界に生きる全ての善き命の為―――
―――それは【イシュタリアス】の守護神たる【ジェマの騎士】として、まさしく相応しい決意表明だった。
「………よォ、ランディ、ここは一つ、俺と勝負しようじゃねーか」
「………勝負? 何をですか、マサルさん」
「お前は戦い続けるって宣言した。俺は戦わない方法を見つけたって報告した。
―――お前はお前の道を行けばいい。俺も俺の道を行く。俺が目指すのは、【笑い】で皆のハートを繋げる事だ。
お前があり得ないと言ってのけやがった【新しき国】をおっ立ててやるのが俺の夢なんだ」
「………僕が戦いで世界を鎮めるのが早いか、マサルさんが【笑い】で世界を繋げるのが早いか―――と云う事ですか?」
「惜しいッ!! めたくた惜しいニアミスだぜッ!!
意味としちゃあ殆ど正解なんだけど、ちょっとしたニュアンスがなぁ〜」
「まだるっこしい事言ってねぇでとっとと正解出せよ。聴いててイライラしちまうぜッ!」
「キレんなよ、カルシウム足りてねぇのか、お前は―――っと、無駄口叩いてっとまァ〜たお叱りが飛んじまうわな。
さてさて正解だが………やっぱわかんねぇか?」
「解答、お願いします」
「―――早い遅いの勝負じゃねぇのさ。どっちが【イシュタリアス】を幸せに出来るか。
これよ、これッ! どっちのやり方がいっちゃんハッピーか、こいつを競おうじゃねーか」
「………さんざ引っ張っといて、なんだよ、そんなんかよ」
「何気に結構不謹慎ですよね、ソレ。倫理的にはグレーゾーンじゃないですか」
「道徳なんてちっせぇ物差しで平和みてぇなでっかいモンを図り切れるかってんだ。
やってやろうじゃねぇか、俺たちで。常識も価値観もぶっちぎるような世界の開拓ってのをさ。
―――デュラン、お前はそいつをきちーんと見届けやがれよ?」
「何を言い出すかと思えば………二人だけで何カッコいい話してやがんだよ。俺は仲間外れか?」
「デュランさん………」
「戦争だのハートを繋げるだの、スケールのでかい事を掲げるのは結構だがよ、
人と人とが最初から理解し合えていれば、そもそもそういう苦労をしなくたっていいんじゃねぇか?」
「そりゃそうだけどもよォ」
「………俺は【ローラント】をそういう国にしてみせる。
気負いなんか必要とせずに誰もが笑っていられる理想の国造りを、俺は実現してみせるぜ」
「おッ! いいじゃねーか、いいじゃねーかッ!!」
「【ローラント】の気風が少しずつ近隣の地方へ広まっていくという恰好ですね。
………僕らが言うのもなんですけど、途方も無い話で頭がクラッと来ちゃいますよ」
「でも、この中で一番実現率が高そうなのは俺だぜ? なにせ三分の一は実現出来てんだからな。
これまで通りの運営をして行くだけだしよ」
「大層な自信じゃねーか、畜生め。そこまで大法螺吹いて俺らに遅れたら大笑いしてやっからなァ!」
長い、長い言葉の応酬の末に辿り着いたのは、三者三様の【新しき国】への意思。
『天下分け目の決戦』を勝利した側の人間が取るべき明日の選択だった。
笑い合って話しているが、そのいずれもが途方も無い夢である。
これがデュランが【ケーリュイケオン】へ足を踏み入れた直後であったなら、
皆が皆、息詰まった状態のままで口にした夢だったなら、絵空事だと誰もが鼻で笑ったに違いない。
しかし、今は違う。痛ましいまでの本心を吐露し合い、その末に行き着いた選択だから、
デュランも、ランディも、マサルも、三人がお互いの夢を心から信じられる。
――――――未来への扉が開かれた瞬間だった。
「ッしゃぁッ!! こいつは俺たち三人の新しい門出だ、門出ッ!! 門出にゃ華々しい彩りを添えなくちゃなッ!!
ちょいと気前良く景気付けすっかァッ!!」
そう言って嬉しそうに口元を吊り上げたマサルは、カラリとした笑い声を引き摺りながら展望台の端へと足を掛け、
そのまま地上へ真っ逆さまに身を躍らせた。
「フレーッ!! フレーーーッ!!!! どいつもこいつも、しゃかりきフレーッ!!!!!!
一旦走り出したら何があっても止まるんじゃねぇぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!!!!!!」
愉快目的の自殺かとランディとデュランの二人が唖然と固まっていると、【ケーリュイケオン】地上からこの大音声。
どこまでもタフネスと言うか、非常識と言うか。
地上1,000メートルはあろうかと思しき【ケーリュイケオン】から投身自殺さながらの無茶をやってのけたマサルは、
物理法則に従えば、間違いなくペシャンコになっていなければならないにも関らず、見事な着地を決めてVサイン。
物理法則すら無視した超常のアクロバットをやってのけた。
何の意味があったのかは本人にしか分からないものの、もしかしたら人間死ぬ気になれば何でも出来るという事を
身をもって示したかったのかもしれない。あくまで好意的に解釈した場合の例え話だが。
「………どうしてアイツは………こう、何かやる度にバカなアクションを付けなきゃいられねぇんだ………」
「それはきっとマサルさんがドの付くバカだからじゃないですかね。
そうとしか考えられないんですけど………」
「ま、バカだから見れる景色もあるってわけだな。
………そこ行くと、俺らもおんなじバカって事になっちまうけどよ」
「それでもいいじゃないですか。
きっと、みんな、バカなんですよ………世界中のみんながどこかできっとバカなんだ」
「そいつはまたすげぇ名言じゃねぇか。将来、【ジェマの騎士】語録へ追加してもらえよ」
「なんですか、【ジェマの騎士】語録って………………」
ランディの執務室に入ってから続いていた鋭いトーンがマサルの奇行で粉砕された今となっては、
誰かが何かを言う度に笑いに通じてしまう。そんな不思議な空気の中にデュランとランディは包まれていた。
実に滑稽でバカバカしい状況だ…が、そんなバカらしさが寒々しい空の下を温かなものにしてくれている。
そんな温かさが、また、おかしくて、デュランとランディはもう一度顔を見合わせて笑った。
「………じゃあ、行くわ、俺」
「デュランさん………」
「悪かったな、忙しいとこに押しかけて―――それで………バカな話、しちまってさ………」
それだけ言うとデュランはランディに背を向けて踵を返し、やがて、ドアを目指して歩き始めた。
何か言いたげな視線が背中から追いかけてくるのは分かっていたが、それでも振り返らず、
二度と蟠りに振り返らず、未来への扉に向けて進んでいった。
「―――次に会う時はライバルだからな。兄弟分だからって容赦しねぇぜ。
覚悟してかかって来やがれ、コノヤロ」
後ろに手を振りながらそう告げたデュランは、北国の冷気を頬へ浴びてそのまま立ち去ったのだが、
一秒も躊躇せずに邁進を始めたのは、彼にとって最大の僥倖だったのかもしれない。
(―――旧き縁がいつまでも繋がっていると本気で信じているとは………見上げた愚か者だな………。
………そして、この様な愚かしさが、【イシュタリアス】を滅ぼす種子となる………………………)
「………………………どいつもこいつも………世の中の真理をわかった様な口を利いてくれる………………………。
―――ヒトは………ヒトなんて生き物は………そんな簡単に出来ちゃいないんだよ………………………。
………………………戦いが………殺し合いが………………………人間の性(サガ)なんだ………………………ッ!」
つい数秒前まで浮かんでいた昔と同じ微笑みが、【バハムートラグーン】の阿鼻叫喚の中で見せた様な昏く無機質な物へ摩り替わり、
認め合った筈の夢が、ありったけの怨念を込めた呻き声によって否定され、
フロックコートの内ポケットから取り出された、古めかしいバンダナが横へ縦へとメチャクチャに千切られる
布裂きの音を聴かずに済んだのだから。
「………………………過去も…現在も…未来とて………………………、
………………………立ち塞がる存在全てを根絶せしめるが【ジェマの騎士】の責務である――――――
――――――この事、理想という惰眠を貪る天下へ知らしめねばなるまい………………………」
自分たちのいる世界へ戻って来てくれたと思い込んだ【ジェマの騎士】が上っ面に被った欺瞞を知らずに、
狂々と吹き荒ぶ極寒の嵐から立ち去る事が出来たのだから―――――――――………………………。
「………………………余は【ジェマの騎士】―――――――――神と同義である………………………」
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