艦橋と思しき暗室には、ぼんやりと光が浮かび上がり、その煌きは数秒に一度の割合で変化していた。
ある物は幾何学的なパターンを描き、ある物は文字の羅列を投影し、
無数に展開する光は、どれも一様になる事は無い。


「…艦首付近にて目標【太母】を積載した小船の転覆を確認。
 海面浮上時に生じた波紋が直接の原因を考えられますね。
 今、【D・T・W】部隊を回収へ向かわせましたから、
 程なく艦内へ引き入れられるでしょう」


その内の一つを、白衣を着込んだ銀髪の青年が覗き込めば、
そこには津波に打ち壊されて四散したニキータの船と、
バラけた木片へ懸命にしがみつく五人と一匹の姿が映し出された。
シャルロットとニキータの姿がどこにも見つからなかった。


「いつもながらの手際だな、卿は。
 無論、試作型【ケツァルコァトル】の手筈も整っておるのだろう?」
「朝食の前には完了済みですよ。これはいわばチェスゲームと同じです。
 開戦から勝利まで、決まりきったプロセスを踏むだけの単純作業。
 そのような児戯を仕損じる三枚目などは私の役所ではありませんからね」
「感服するよ、何の衒いも無く」


最後列の、いかにも艦長用にあつらえられた席へ腰掛けた黒い甲冑の騎士が鷹揚に頷く。
腕組みする度に金属同士が摺り合う耳障りな音を立てる甲冑は
この艦の外観と同じく冷たく無機質な鋼で固められ、まるでヒトとしての温かみを感じられない。
語る声はどこか優しげなのだが、甲冑だけに注目すれば、
物言わず動作のみを繰り返す機械に見えてくる。


「試作型の【ケツァルコァトル】は全部で六基用意されていますから、
 はぐれた人数と比較しても十分足りるでしょうね」
「今更留意して頂く必要は無いが、数など物の問題ではない。
 この艦において最優先事項となるのは、【環境復元デバイス】の復古と試動であるのだから」
「【環境復元デバイス】…貴方は【マナ】の中でも、
 とりわけナノテクノロジーに興味がおありのようですね。
 お気持ちはわからないでも無いですがね」
「興味本位ではない、未来へ貫く志の刃だよ。
 腰に携える物ばかりが救世の剣とは限らぬのでな」


シャルロットの推察通り、この艦はどうやら【マナ】の一種に間違いないようだ。
となると、先ほどから難解な会話を繰り広げるこの二人は【マナ】について、
大なり小なりの専門知識と技術を修めていると思われる。
あるいは高度な能力を備えたエキスパートなのか、詮索しても答えは返らず判然としないが。


「あるべき【イシュタリアス】、原初への物理的回帰の要たる【環境復元デバイス】。
 …【偽り】の世界の礎たる【太母】が抱かれるには、なんとも皮肉な懐よな」


銀髪の青年の手元から【映像投射光板(デジタル・ウィンドゥ)】を引き寄せた黒騎士は、
鋼鉄の人形どもの手筈によって難破から回収され、
フラスコを思わせる巨大なガラスの円筒へ収容されるデュランらを睥睨し、
フルフェイスの兜越しに薄い微笑みを浮かべた。
彼の視線の先には、意識を失い、ぐったりとしたデュランの姿―――………













「うおらあああぁぁぁッ!!!!」


正拳一発、自分と外界とを遮蔽するガラスの隔壁をブチ抜いたデュランは、
円筒に満たされていた、仄かに碧がかった液体の決壊を背中で受けながら、
自分の置かれた情況を把握しようと周囲を見回した。


「…あの世ってのは、存外に殺風景なモンなんだな…」


確実に死んだと思った。
戦船と酷似しながらも、その全長も材質も、
この世在らざる極大質量の物体の浮上によってニキータの船は粉砕され、
自分もバラバラになって海の底へ沈んだ、と。
なのに気が付いてみれば、幽霊にしてはしっかり足が付いているし、
ご丁寧に手元にはツヴァイハンダーも残されている。
【死】を意識するには、感覚も何もかも、あまりに現実味を帯びていた。
張り巡らされた鋼の板に囲まれるこの玄室、
自然界とは極めて異質な場所へ収容されていた事を除いては。


「………あの世でないとすれば、
 ココは、まさかあの化け物の腹ン中ってわけか…?」
「―――おそらくは」


誰も答える者が無いと思って自問を口に出したデュランへ
考えも寄らぬ返答が飛び込み、驚いて声のした方向を窺うと、そこにはリースの姿。
ちょうど、吹きさらしのドアからこの玄室へ入ってきたところだった。


「リースか、驚かせるなよ………」
「これ以上に驚く情況は無いと思いますよ。
 …鋼鉄に包まれた閉所などという非常識な空間、
 死後の黄泉かと、思わず十字を切ってしまいました」
「気が合うじゃねぇか、俺も同じ事、しようとしてたぜ」
「気が合う…確かにそうですね。
 私もガラスの板を蹴り破ってきましたので」
「…なんとまぁアグレッシブだな、オイ。
 レイライネスじゃなくて、ホントはアマゾネスなんじゃ無いのか、お前」
「は、はしたない事なので、みんなにはナイショにしておいてくださいね?」


ともあれ、いつまでも閉所の中で佇んでいるわけにはいかない。
吹きさらしのドアを出ると、幾重にも分岐した長い回廊が繋がっており、
自分たちのようにここへ収容されたであろう仲間たちを求めて、
デュランとリースは、鋼鉄の化け物の裡へ走る血脈の散策を開始した。
行き当たる部屋を片端から探していけば、いつかはぶつかると信じて。


「こうしていると思い出します、あの日のこと」


重く沈むような足跡を鋼鉄の床板へ響かせながら歩いていると、
なぜだかリースが嬉しそうに微笑みを漏らした。


「…こんなあぶねぇ状況で、お前は何を独りでケラケラ笑ってんだよ。
 海へ放り出されたショックで、あぶねぇ症状でも発症したか?」
「ちっ、違いますっ!
 …まったく、デュランのデリカシーの無さは、
 あの日から少しも変わっていませんねっ」
「なんなんだよ、さっきから。“あの日”ってのはなんなんだよ?」
「私たち二人が初めて出会った日の事です」
「そんなもん、今、思い出すような事かよ………」


呆れたような溜息を吐き捨てたものの、“あの日”を連想させるには、
この薄暗い回廊は嘘のように条件が整っていた。


「今でこそみんなと賑やかにチームを組んでいますが、
 貴方と二人きりで旅へ出た時は、
 まさかこんな大所帯になるとは思ってもみませんでした」
「………こんなわけわかんねぇ旅になるとも思っちゃいなかったぜ、俺は」
「それはあるかもしれませんね。私だって同じ気持ちですから。
 【聖都】から先は護衛も無く一人きりの戦いだと考えていましたし、
 まさかデュランが私の旅へ付き合って下さるなんて、とても………」
「俺はデリカシーねぇからな。アガリを頂戴してドロンとでも思ったんだろ?」
「失礼を承知で答えさせてもらうなら、初対面の印象では『YES』でしたね」
「そいつは正解だ。俺自身、あの時は早々に引き上げようと考えてたからな」


自嘲気味なデュランの様子がおかしくて、リースは喉を鳴らして笑ってしまった。
手練手管のシャルロットに言わせれば、これは照れ隠しのポーズなのだ。
デュラン自身にもわかるくらいにその仕草は照れ隠しの域を出ていないのだから、
リースの笑い声に顰める額の堀はいつもより殊更深い。
それだけ照れている、という事だ。


「それが今じゃ、この世ともあの世ともわからねぇような場所で、
 こうしてお前と肩を並べてる。報酬も何もナシで、だぜ?
 …運命の不思議さなのか、自分で思っている以上に俺がお人好しなのか…」
「運命の不思議さでも何でもありませんよ。
 それは、デュランが優しいからだと思います」
「はぁ? 優しい? 俺が?」


人から乱暴者と後ろ指を差された数なら誰にも負けない、
苛烈な性情を持ち前としてきたが、『優しい』などという形容詞は生まれて初めてだ。
苛烈な性情を持ち前とするからには、そうした甘い部分は全く備えていないと矜持している。
それなのに、「デュランが優しいからだと思います」。
的外れなリースからの評価に、デュランはポカンと大口を開けて絶句した。


「こんなに口の悪い男を捕まえて、『優しい』…だって?
 お前な、節穴にも程があるぜ」
「喋り方が乱暴なだけで、デュランは悪い人じゃありませんよ。
 現に私をいつも叱ってくれます」
「それこそお前、俺と優しさなんてシロモノとが最も縁遠いトコロじゃねぇか。
 誰彼構わず怒鳴り散らすんだぞ?」
「デュランの叱り方は、単に怒鳴っているわけではないじゃないですか。
 何が悪いのか、どうして怒っているのか、きちんと説明してくれています」
「………………………」
「無鉄砲な私とは違います。
 人の気持ちも考えず、独り善がりを優先させる私なんかよりもずっと大人です。
 ちょっぴり乱暴だから誤解もされてしまうけど、
 ぶっきらぼうな優しさを持っているデュランを、私は好きですよ」
「………………………」
「? どうしました、デュラン? 顔、赤いですよ?」
「そ、そんな事ぁ無ぇッ!!」


「デュランを、私は好きですよ」という言葉に反応した頬の紅潮は、
回廊の薄暗さの中にもハッキリと見て取れるほど照っていた。
「好き」というリースの意図は全くの別のところにある筈なのに、
それをきちんと理解している筈なのに、デュランの心臓は箍が外れたように早鐘を打って止まらない。






(おいおい、カンベンしてくれよ、俺ッ! これじゃまるで少女マンガの世界じゃねぇか…ッ)






妹のウェンディに無理やり読まされた、一昔前の少女コミックに、
類似するシチュエーションが登場していた事が瞬間的にフラッシュバックされる。
それがデュランの鼓動をより激しくさせた。


「な、なんだか具合が悪そうですけど………」
「そ、そそそそそそんな事無ェッ! お、おおおおおお俺に構うなってッ!」


不意のフラッシュはついでに船上での正体不明の苛立ちの正体をも照らした。
リースが他の仲間たちを呼び捨てにした際に差し込んだモヤとは、
つまり、自分だけに許された特権を奪われた、ある種の嫉妬。
自分だけを呼び捨てにしていて欲しいと無意識に願っていた、独占欲にも近い感情。






(や、やべぇッ! 不整脈が止まらねぇッ!!)





男所帯で暮らしてきたために女性に対して極端に免疫の無いデュランの脳は、
突然舞い込んできた異常事態を前にして、完全にショートしていた。


「私の前でヤセ我慢なんかしないでくださいっ。
 いつも貴方に助けられてもらっているのですから、
 貴方が苦しい時は私が助ける番ですっ」
「だ、だだだだだだからッ、俺の事は気にすんなってッ!
 それが一番の助けになるっていうか、なんていうかだなぁ〜………」
「………私では、貴方の力にはなれないのですか…?」
「そ、そうじゃなくてなッ、お前の気遣いは嬉しいだけどなッ」
「………………………くすん」
「あああぁぁぁ、泣くなッ、泣くなってッ!!
 〜〜〜………ッ!! がぁぁぁあああッ! どうすりゃいいんだ、俺はァッ!!」


デュランに史上最大の危機が訪れたその時、
鈍く重い、鋼と鋼を擦り合わせるような、耳障りな怪音が回廊中に響き渡った。


「―――きゃっ!」


油断し切っていたところへ響いた激音に驚いたリースは、
か弱げな悲鳴を上げ、思わずデュランの懐へ抱きついた。


「あっ、ご、ごめんなさいっ!」


不意に飛び込んでしまったデュランの懐と、思いがけない自分の行動に、
今度はリースが頬を赤くする番だったが、抱きつかれたデュランは、
思考回路をショートさせ―――てはおらず、それまでの動揺から一転して厳しく表情を固め、
ツヴァイハンダーに手をかけて周囲の情況を窺っていた。
ただならぬ彼の様子に全てを察したリースは、
すぐさま銀槍【ピナカ】を構えてデュランの背後へ回り込み、背中合わせに周囲へ警戒を巡らせる。


「近いな………」
「『音』だけは………けれど、気配をまるで感じません。
 およそ生物とは思えない、けれど、生霊とも思えない………」
「ともなれば、いよいよ本物のバケモノの登場というわけ、かッ!!」


背中合わせを解いてデュランの隣へ並んだリースの眼前には、
これまで相手にした事の無い、いや、想像すらした事のない異形の化け物。
見た目は鋼鉄製の棺桶に近似しているが、両サイドへ備えた車輪のような物で自走し、
中心からイッカクのように突き出す長い長い円筒が眼を引いた。
側面には、長大な円筒の他にも、リコーダー程度の長さと短さの円筒が角を出している。
いずれも鋼鉄製の鈍い輝きを発していた。


「こいつは―――ッ!!」
「ご存知なのですか、デュランッ?」
「お前が悶着起こしてる頃に見学してた【エキスポ・マナ】に、
 全く同じカタチの塊が展示されていたッ!! 名前は【ヤクトパンサー】ッ!
 【戦車】と呼ばれる、【旧人類(ルーインドサピエンス)】の戦略兵器だッ」
「それでは、この鉄塊は―――【マナ】ッ!?」
「しかも、こいつは、過去の遺産じゃねぇッ!
 どうやら、現実として迫り来る脅威みてぇだなッ!!」


驚愕する二人のちょうど間を狙って、最も長い円筒が突如、轟音と共に火を噴いた。
二人の隙間を狙って放たれた炎は、これまで歩いてきた遥か後方で炸裂し、
すさまじい爆発音を上げた。巻き上がる黒煙はすぐにもこちらまで届きそうなぐらいだ。


「―――ッ!? 大砲か…、今のッ!?」
「砲弾自体が炸裂する大砲なんて、聞いた事がありませんよっ!?
 それにあの破壊力…っ! これが、【マナ】の暴威ッ!?」
「厄介なのは、コイツが俺たちを狙っているって事だッ!
 脱走者を駆逐する獄卒にしては、ちょいとアクが強過ぎるけどなッ!!」


主砲に続き、三門取り付けられた短い円筒が二次攻撃を開始する。
石ツブテのような細かい何かが秒間何発も速射され、
鉄板を軽々と突き破りながらデュランとリースを追い立てていった。
【機関銃】と呼ばれる【マナ】の一種で、一度に凄まじい数の鋼の弾丸を射出する対人兵器だ。
一発かすめただけでも命に関わる破壊力を持っている。


「【フレアー(呪いの葉を散らせる清風の庇護)】ッ!」


ならばクリーンヒットを貰わなければ良いのだ。
機転を利かせたリースが、対象者へ放たれた矢弾の軌道を逸らせる風の盾を形成し、
その試みは狙い通りの結果を弾き出した。
速射される弾丸は二人の肉体を削ぐ前に周囲へ弾け飛び、そこに攻め入るチャンスが生まれた。


「押して押して押して押して押して押し斬る―――ッ!!」


チャンスを逃すまいと【ヤクトパンサー】の側面へ必殺の太刀【撃斬】を打ち込んだデュランだったが、
ツヴァイハンダーをもってしても鋼鉄の装甲へ傷一つ付ける事は出来なかった。
【撃斬】から【殲風】へ派生し、回転を用いた連続斬りで畳み掛けても、
分厚い防御力の前には文字通りに歯が立たない。
そればかりか、デュランをサポートしようとリースが放った【ペネトレイト】―――
鉄製に物体へ最も効果的と思われる切り札―――ですら、
鋼鉄の巨体を揺らがせるばかりでダメージらしいダメージを与えられなかった。


「チィッ―――これだけやって、ウンともスンとも言やしねぇか…」
「決め手を封殺されましたね…【フレアー】の効き目もじきに切れます」
「………つっても、退路が絶たれているんなら、引き返すわけにもいかねぇよな」


一本道の後方は砲撃によって滅茶苦茶に崩壊し、油臭い炎が燃え盛っている。
デュランとリースには、【ヤクトパンサー】を突破して先へ進む意外に
選択できる道は残されていなかった。


「…直接攻撃を狙うから、ダメージを与えられないのでしょうか…」
「何か思いついたんならお早めに頼むぜ!
 風の盾とやらじゃ、あの砲撃は回避できねぇみたいだからよッ!」


質量の小さな機関銃の弾丸ならば逆巻く風で散らせるが、
数十インチにも及ぶ砲弾ばかりはそうもいかず、風を裂いて確実に標的めがけて射出される。
砲門から軌道を割り出してなんとか回避しているものの、
炸裂に巻き込まれれば一瞬にしてミンチだ。


「デュラン、戦車から一度離れてくださいっ!
 動きを止めるだけなら、なんとかできると思いますっ!」
「了解! お前に賭けたぜッ!!」


銀槍【ピナカ】の穂先へ同時召喚された【ウンディーネ】と【ジン】は
リースの命に応じて互いに最大限の魔法力を発揮する。
冽水と寒風の二条の渦が【ヤクトパンサー】の周囲で融合し、局地的な風雪を巻き起こした。
瞬間零下に達する吹雪には、さしもの戦略兵器も抗えず、たちまち氷のオブジェと化した。


「………同時詠唱ってヤツかッ! 考えたなッ!!」
「以前、アンジェラにコツを教えていただいたんです。
 水と風を併せれば氷雪を生み出し、そうすれば戦車を閉じ込められるかなって」
「冴えてるじゃねぇか! 一時はどうなるかと思ったぜッ!」
「安心している余裕はありませんよ!
 今のは直接攻撃でなく、戦車の周囲を氷結させただけの緊急措置です!
 【マナ】の駆動力が縛鎖を解き放つ前にこの場を突破しましょう!」
「押してダメなら引いて考えるッ! お前らしい作戦だなッ!
 ―――さぁ、走るぜッ!!」
「はいっ!!」


精密な機転によって一切の動きを封じ込められた【ヤクトパンサー】の脇を抜け、
デュランとリースは全力疾走でその場を後にする。
駆け抜ける際に踏みしめた凍てつきの地面がパキパキと小気味の音を立てた。








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