B天河小説はライブで行く!


シフトアナーキズムの相方である激々極々とも真面目に話したことがないので、
彼がどんな感覚で作業をするのかは知らないんですけども、
僕の場合、台詞と地の分による記述ではなく、生身の人間が演じる舞台劇を作る感覚で
小説を書いているんですよ。
勿論、文体そのものはシナリオではなく小説のそれに則っていますが、
文中の情報を整理してまとめるよりも、その場その場のライブ感を大事にしていると
説明したほうがわかりやすいかも知れませんね。

とある小劇団に参加して座付き作家のようなことをしていたからか、
キャラクターの個性をどう生かすか、その為にはどんな動きをさせるのが面白いのか、
誰と誰を絡ませたら新しい関係に発展するか、そこで発生するエピソードとは?
…と言うのを、シーン毎のスクリプトを組む際に最優先で考えるんです。
舞台の台本は役者の魅力を引き出してナンボだと言うのが僕の考え方。
当然、これはシナリオから小説へとメインフィールドを変えてからも一緒で、
キャラクターたちが持って生まれた個性を最大限に発揮できるステージを整えて、
その上で自由に人生を謳歌して貰おうと言うわけです。

物語全体の構成を練る上ではウェルメイド的な面白さを堪能できるよう
伏線等を緻密に計算しますが、本編執筆が始まってしまうと基本的には放任主義(笑)。
最低限のスクリプトに沿って貰えれば、あとはキャラクターたちの自由です。
キャラクターたちの思う通り、好きなように動いて貰って、そのステージで生まれたドラマ、
面白いシーンを切り取って使うのが天河流の手法です。

従って、他のライターの作品に比べると僕の原稿は1シーンがとても長くなっています。
映像の世界で言うところの“ドンブリ”。つまり、一つのシーンを長回しの撮影よろしく
展開を各キャラクターの行動に委ねているから、会話のキャッチボールがノッてくると
その分だけ更にボリュームが膨らんでいきます。
しかも、脱線も多い! 本来ならオミットすべき雑談や挿話の類をカットしないから、
話の本筋がなかなか進まないケースもあります。

でも、人間って実際にはそんなもんじゃないですか。
雑談の中に本筋の問題点を解決し得る答えが眠っているケースだって少なくありません。
本筋を進める為に必要なことだけを機械的に喋るキャラクターなんて
なんだか人間味を欠いている気がしますし、そもそもそんな人間は現実にはどこにもいない。
理路整然とした進行係は必要ですけど、肌の温もりを感じられないキャラクターは
やっぱり何か違うな、と。
少なくとも、ウェルメイドとして計算されたプロットをも超越する、
キャラクターのイレギュラーかつ生の動きを尊重する僕の作風には合致しない。

AのキャラとBのキャラを絡ませたら面白い会話が発生した。
それに対してCのキャラはこう反応するかも知れないし、
Dのキャラは別の意見を持つかも知れない。その傍らでEとFのキャラが
別の会話を発生させていたら―――ひとつのシーン内で全てのキャラクターに
何らかの見せ場を作り、ストーリー展開へ有機的に組み込んであげるのが、
物書き・天河最大のこだわりです。
ほらね、機械的な人物像が入る余地もないでしょう?
キャラクター同士の化学反応によって発生する事柄、会話、関係性の全てが、
彼らが存在するのに必要なことだと捉えて、殆どノーカットで描き出します。
SF的な言い回しをするならば、まさにカオス理論の世界ですよね。

最初はこの書き方に戸惑う人もいると思います。
無駄なことをしていないで早く話を先に進めるべきだとカリカリする人だって
現れるかも知れません。それはもっともな意見です。
でも、無駄だと思われる部分で描かれたエピソードを通して、
キャラクターの声色や癖、人間関係や趣味に至るまでありとあらゆる情報が
いつしか頭の中にインプットされているはず。
それが大事なんです。キャラクターと読み手の距離を縮め、
肩の触れ合う関係にまで馴染んだとき、初めて<トロイメライ>の物語が
読み手の中で大きな意味を持つのです。
<トロイメライ>に登場するキャラクターたちの、愚にもつかない行動へ
「あるある、こんなことあるよね」と現実の自分たちが重なる頃には
彼らの体温まで身近に感じられるようになっていると思います。

カオスなまでのライブ感は、物語そのものが凄まじい熱を帯びると同時に
読み手とキャラクターとの一体感をも引き起こします。
気付いたときには、現実世界と<トロイメライ>の世界との間を隔てる
境界を感じなくなっていて、キャラクターたちと共に笑い、涙して、
感動をも分かち合える―――僕がライブ感にこだわる理由は、まさにこの一点。
物書きに最も求められるのは、やはり作品世界・登場キャラクターと読み手の関係を取り持ち、
感覚に至るまでひとつにフュージョンさせ、両者を分け隔てるものが何もない
フラットなフィールドに並び立って貰えるメソッドだと僕には思えてなりません。
それが僕の追求する究極の臨場感です。



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