2.Final Bout



「『最早戦後ではない』―――かつてこの副題が一斉を風靡した学術書を、
貴様はその卑小な脳の中に留めておるか?
それとも、下らぬ記憶ばかりを押し入れた挙句にオーバーフローを来たして
いずことも知れぬ海原へ流してしまったか?」
「………“経済白書”。確定的ではありませんが、
ヨシオ・ナカノなる文学者が初めて使ったとされる言葉ですね。
『アカデミー』のライブラリーで閲覧したことがあります」
「情緒を解さぬ無粋の莫迦めが。的確な返答など余は望んでおらぬわ。
貴様は余の踏み台となる僥倖を、己が誤りで取り落としたのじゃ。
盆に返らぬ覆水を舐めて、我が身の愚かを恨んで悔やむがよい」
「これでも歴史には強いほうでしてね。大統領の貴意に添えずに申し訳ありません」
「クク―――殊勝な恭順の片隅に余への叛意をチラつかせるとは、なんとも愉快。
よかろう………特別に大赦を与え、咎め一切を免除してくれようぞ」
「………ありがとうございます、大統領」

メールを受け取ってすぐに大統領の迎えに赴いたアルフレッドだったが、
指定された場所が美術館はおろか街道からも遠く離れた山奥に所在する廃工場であったあたりから
雲行きの悪さを感じており、到着してみれば、案の定、凶兆は大的中。
挨拶もそこそこに禅問答を切り出した大統領へアルフレッドはうんざりとした表情を見せつけた。

(大昔の“ゴミ捨て場”に呼び出してくれるとは、一体、何を考えているのやら………)

時々、いや、往々として披露される大統領の虚言癖にも、いい加減慣れたいところだが、
首席補佐官の職務を三年間勤続した今もアルフレッドは盟主の言行に振り回されている。
相手はなにしろ『天上天下唯我独尊』を地で行くトップリーダーだ。
こうして露骨に厭味な態度を取っても、大統領は意にも介さないだろう。
溜め息としかめっ面。この二つはアルフレッドが首席補佐官の職務を全うする上で
欠かすことの出来ない必須のアイテムとなっていた。

それにしても―――出迎えを求めるにしても、それなりの場所というものがあるではないか。
人目に付き易い街道や保護区の入り口でなく、
足の高い天然の衝立に遮断された廃工場が選ばれた意味も理由もアルフレッドには理解できなかった。
戦火に焼かれる以前にも増して緑のカーテンを育む現在(いま)となっては、
街道から遠望することも叶わない正真正銘の廃墟である。

………確かにアルフレッドたちには想い出――それも、あまり愉快でない――深い場所ではあるのだが、
ただそれだけの理由で大統領がこの廃墟を選んだとは考えられないし、考えたくもない。
大統領は性格と口の悪さには定評があるのだが、
社会のモラルリーダーが果たしてスタッフのプライベートまで暴くものか………答えは否。
この地で起こった惨劇を新聞か何かで周知はしているだろうが、
だからと言って、過去に残した苦い過ちを翳してスタッフいびりを断行するような人間とは断じて違う。

大方、自分を美しく見せるための手段を求めて「醜の中の美」などと抜かし、
敢えて待ち合わせを無味乾燥なこの場所に決めたのだろう。

「余が築く伝説の階の一段に、かような場所はまさに打ってつけと思わぬか?
アルフレッド・S・ライアン、醜悪で陰惨で、光差さぬ常闇の底辺にこそ、
余の威光、余の慈悲は、約束の白熱となろう」

予想した通りの答えが、これまた予測の通りに頭痛を引き起こし、
アルフレッドは大統領へ見せつけるかのように盛大に溜め息を吐いた。

「仰せの通りです、大統領」
「クク―――棒読みとは小癪ぞ、アルフレッド・S・ライアン」

【エンディニオン】に樹立された政府とその統率者たる大統領の権限は、
別な次元に存在する他の世界と比べて、途方もなく強く、加えて重大だ。
【エンディニオン】の政治形態には、いわゆる連邦制が採用されているのだが、
その規模は桁外れに広い―――なにしろ世界中に存在する町村の総てで連邦を構成し、
政府はこれに対する施政を行なうのだから。
すなわち国家という垣根を取り払い、【エンディニオン】という惑星を一個の“共存の場”として
昇華させた結実が、大統領を頂点とする現政府のシステムである。

一つ何かを間違えば歴史上始まって以来、最悪の独裁に転びかねないこの統治体制は、
民主制並びに議会による合議制へ基盤を置き、
シビリアンコントロール(※文民統制)が徹底された政府であるからこそ
完成させられた理想の具現なのである。
………いつの世にも共通する権力闘争は尽きないが、政府の機能は概ね良好に働いていた。

大統領にはこの統率に加え、災害支援や、万が一、紛争が勃発した場合の調停及び鎮圧を
目的として構成された政府軍の最高指揮官の権限も与えれる。
権限・責任・能力………【エンディニオン】における大統領は、
まさしく命令一つで世界を動かせるだけの権力(ちから)を有した、
総てにおいて絶対的な存在なのだ。

全世界のモラルのリーダーを標榜する立場にある以上は、
判断ミス一つで【エンディニオン】の未来が暗転するという“最悪のシナリオ”を踏まえて
民主政治の体現を心掛けねばならない。
髑髏のシルバーアクセサリーを結婚指輪にしようと画策したアルフレッドなど比ではなく、
あらゆる点において、正義の履行を求められるのだ………が、

「【エンディニオン】の掌握者たる余に如何な叛意があると申すのじゃ?
遠慮はいらぬ。存分に申してみよ、我が首席補佐官殿。
ただし、余に挑むは世界に挑むと同義であることを努々心得ておくのじゃな。
余の僕どもは、必ずや貴様の愚行を刈り取るであろう」
「他愛のない言葉遊びで反逆罪が適用されるなら、私は何度極刑に処されたかわかりませんね。
なにしろ大統領はユーモアに富んだ方ですから」
「今のでまた一つ余罪が累積されたぞ、アルフレッド・S・ライアン。
貴様の刑期はこれで五万三千八百飛んで六年に延びた」
「妻が聞いたら本気にしかねないので、その類のジョークは程ほどにお願いします。
『ローフルダーク』を敵に回すのは、大統領としても得ではないでしょう?」
「薄皮一枚で交わしてこそ、ジョークは痛快になるのよ。
真なる可笑し味を理解できぬとは、貴様の愚妻は文字通りに足りぬ奴じゃ」
「私にも、妻にも、大統領のような性癖はありませんので」

独裁者のそれと全く重なる傲岸不遜な態度はもちろん、
最高級の黒地に銀糸の刺繍を豪奢にあしらったマントを羽織る大統領の装いは、
民主制の大統領と言うよりも君主制の皇帝といった風情だ。
鎖に連ねてチョーカーから胸元へ垂らした短刀を、彼はトレードマークとして愛用しているのだが、
これも決して誉めれたものではない。
現に並べ連ねた大統領らしからぬ装いは、現政権に反対する議員や
軍事力保有へ強い嫌悪感を抱くロビイストに「示威行為に見える」と眉を顰められていた。

それでいて堂々が過ぎる威風を纏ったままでいられる点から、
逆に大統領の政治手腕の高さが読み取れるというものだ。
結果も出さずに奇をてらう装いへ拘泥していては、どんな美辞麗句でフォローしても
確実に市民の信用を失う。
つまり、奇想天外な装いなど物ともしない磐石の支持基盤を
大統領が三年目の任期を迎えた今以上に維持し、
なおかつ傍若無人と奇想天外なる態度を公に認めさせるには、
高い水準で種々様々な改革を現政権が達成しているのが絶対条件なのである。

態度と衣装は問題だらけだが、この大統領、政治的手腕は確かな様子であった。

「大統領、一体―――」
「―――アルフレッド・S・ライアン、我が愛しき友よ」

シークレットサービスも付けず――尤も彼にはその必要も無いのだが――、
山奥の廃工場へ呼び出した理由を尋ねようと身を乗り出したアルフレッドだったが、
その問いかけは、大統領の強引な割り込みによって喉の奥へと
無理矢理に押し戻されてしまった。

「………この世界に【難民】と認定される者は、あと何人残っておる?」

急に真面目腐った話題に切り替えられ、思い切り虚を突かれたアルフレッドは、
最初、口を開け広げたまま怪訝な視線を大統領へ突き立てたが、
彼の面に宿った表情(かお)を認めるや、居住まいを正して盟主に向き合った。
独裁者の立ち居振舞いを悦しむでなく、世界の趨勢を担う大統領の表情(かお)と
首席補佐官は向き合っていた。

「正確な数字を出すにはあと四年は必要になりますが、
統計と世論を調査した結果の概算では報告書にゼロの一字が並びます」
「そう、これこそ余の成した偉業じゃ。余にしか成せぬ覇業であろう」

【エンディニオン】最大の課題の一つとされる案件の達成率を、
大統領と首席補佐官は噛み締めるように繰り返す。

住む場所を、生きる社会を、共に歩む同胞を失った【難民】の悲劇が、
地上から根絶されつつある成果を、宿願の成就を。

「雇用改革を達成し、教育基本法を制定し、三権分立を成し遂げた。
上下両院を敷き、民主政治の骨子を形成せしめたは余ぞ」
「貴方は就任から三年で政府が持つべき機能を開発し、確立させた。
連綿と続くこの先の歴史にも、貴方ほどの傑物が輩出されることは無いでしょう。
掛け値なしにそう思いますよ、大統領」
「首席補佐官殿は世辞ばかりが上手くなったものよ」
「四六時中、口八丁の大統領と顔を突き合わせていれば自然と影響されますよ。
私の物言いが気に食わないと言うのなら、それは自業自得と思ってください」
「クク―――ズケズケと抜かしよるわ」

この倣岸不遜な男が大統領を務める【エンディニオン】政府は、
成立から確立まで三年足らずと歴史そのものは極めて浅い。
それ以前の【エンディニオン】の行政は、国家、あるいは形骸化したそのシステムに
成り代わった商工会や各町村単位で自治を行なうものであり、
連邦による統率とは程遠い完全なる地方分権の恰好であった。
地方分権と言えば聴こえが良いものの、要は法律も施政も分解された無政府状態。
町村によって法の定義までもが違う―――国際法までもが崩壊していたかつての【エンディニオン】は、
統一された秩序を全く持ち得なかい世界だったのだ。

………一度だけ、政府に類する機関が台頭したのだが、それもすぐに解体され、
地獄の業火に灼かれて墜ちた。

そうした混乱を鎮撫せしめ、秩序をもたらしたのが現【エンディニオン】政府であり、
自身の作り上げた市民参加の投票の結果、政府創設へ甚だ尽力した功績を称えられて
初代大統領に就任した者こそ、アルフレッドが首席補佐官を務める盟主その人なのである。

「しかし―――」

己が手で成し遂げた数々の覇業を誇っていた大統領の声が不意に途切れた。

「―――しかし、まだまだやらなくてはならないことが山積しています。
惑星環境は予断を許さぬ状況が続いていますし、我々の取った強硬手段に対する反発は根強い。
………そうした波紋が政府に悪を見る反乱者を生むのです」
「シェイン・テッド・ダウィットジアクの件か―――クク、かような小物風情、余が手を下すまでもあるまい。
惑星環境然り、反政府活動家とやらが謳う自由民権然りじゃ。
他者の手に任せられる計画は、委ねておけばよい。
余の寿命が続く間に抜本的な解決が成されるとは思えぬからな」

【難民】ともう一つ、【エンディニオン】政府に課せられた問題が
大統領を悩ませていると考えたアルフレッドのフォローは、どうやら見当を外したらしい。

「………次は、そう、三選の禁止を法定せねばなるまいな」

首席補佐官にも及ばぬ思慮の領域は、大統領の権限へ踏み込む規定にまで飛んでいたようだ。

「………まさか、大統領の口からそんな言葉が飛び出すとは夢にも思いませんでしたよ。
死ぬまで権力の座に就いていそうなイメージしか無かったのに」
「真の権威を纏う者にとって、座の高さも、称号の畏れも取るに足らぬ瑣末じゃ。
余の成す日輪が凡百の雑種に劣るとでも申すか、貴様」
「付け上がらせるだけなので、本当は誉め殺したく無いのですが、
残念ながら、貴方の人徳は、貶める手段を探すほうが難しい」
「クク―――そうじゃ、その通りぞ、アルフレッド・S・ライアン。
つまるところ、次なる選挙においても余の再選は確実であろう。
ルナゲイトの女狐めは同じ轍を踏むまいと今からしゃかりき動いておるようじゃが、
無駄な徒労と借金を重ねるばかりよ」
「再選どころか三選も約束されたようなものです。
………それでもあなたは三選の権利を放棄すると言うのですか?」
「無論」
「………………………」

秩序無き世界へ社会と呼ぶに足るシステムをもたらし、
正常な民主政治を敷いた彼の支持率は就任三年目を迎えた現在もまるで衰えを見せない。
圧倒的なカリスマ性をもってすれば、法定された四年間の任期を完遂した次回も
まず間違いなく再選を勝ち取り、政権維持を果たすだろう。
再選どころか三選も確実に思える。
ところが、彼は三選の可能性を自ら放棄し、
ひとりの人間による大統領職の永続と独占を禁じる法案の新設に取り掛かると言う。
ただ一言、「三度目の任期は必要無い」とだけ話して。

「大統領―――」

例え市民参加の投票によって選択された大統領であっても、
恒久的に続けば独裁政権と何ら変わらず、民主政治の根幹を脅かしかねない―――
―――天与にして神懸ったカリスマ性が必ずしも社会の利益をならないという事実を弁え、
自らをもってして民主政治の在り方を貫く決意を固めたのである。
絶対なる掌握者こそが恒久的な平穏の礎たらねば………と。

「―――貴方の英断を、私は心から誇りに思いますよ」
「思うだけでは足らぬな。クク―――平伏して敬って見せい」

あえて多くを語らぬ大統領が、その胸中に秘した真意を汲み取ったアルフレッドは、
改めてこの男に仕えることができた喜びを噛み締めた。

(………しかし、そう上手く行くものではない………)

………それと同時に、現実を怜悧に見据える政治家としては、
胸の奥に苦いものを感じていたが………。

「………と、ちょっと待ってください―――今の決意表明を私に聞かせる為だけに、
こんな郊外くんだりまでやって来たと言うのですか?」
「不服か? この廃墟が貴様らの原点と訊いた故に発表の舞台として選んでやったのじゃ。
在り難く思うが良い」

確かにここは、この廃工場は、アルフレッドにとって、ある種の原点と言えた。
政府主導の自然保護政策の一環として完全に除去の為された今となっては見る影も無いが、
かつてこの廃工場には有害な廃棄物が不法に投棄されており、
これを原因とする環境汚染が『グリーニャ』全土を蝕んだ時期があったのだ。
廃工場の表に見られた“スマウグ総業”なる立て看板は、その名残である。

あらゆる意味で悪質な環境汚染と、それを平然とやってのける悪魔さながらの“スマウグ総業”に
山村時代の『グリーニャ』住民は猛然と反発し、
ひいてはアルフレッドも関ることになる“ある事件”へと発展。
最終的に“ゴミ捨て場”は、虫の気配すら感じさせない無人の廃墟と成り果てたのである。

これにまつわる一連の出来事を大統領は“アルフレッドの原点”と例えた次第だが―――。

「喜びのカケラも感じませんよ。
むしろ、死人が眠る地を選んだ貴方のセンスの悪さを疑います」
「遺った者の責任として埋葬を徹底し、冥福をも祈った人間の残影をいつまでも引き摺る?
蛆虫のようなセンチメンタリズムなど貴様には似合わぬ。
貴様の真骨頂は白骨踏み抜く冷酷無比と見るが、どうじゃ?」
「当たらずとも遠からずでしょうが、
自分の性情を他人に貶められるのは気分の良いものではありません」
「誉め言葉ぞ。変にひねくれず、素直に受け取っておけ」
「どこをどう誉めたのか、頭の足りない私に教えて欲しいものですよ」

とりあえず大統領がこの場所を選んだ理由が、
自分たちの負った古傷を嘲笑うことでも、醜の中の美に陶酔することでも無かった点については
ホッと胸を撫で下ろせるものの、それにしてもアルフレッドの溜め息は尽きない。

(………今更ながらに感心する。
こうもデリカシーの無い人間が、よく大統領を務められたものだよ、全く………)

あまりにも苦々しく、痛ましい追想を伴うこの廃工場を、
アルフレッドは自分の“原点”として振り返ることはできなかった。

「今この機(とき)こそ、余の頂点じゃ」

アルフレッドの心中に落とされた一抹の影など知る由も無く、
我が身の頂きを宣言するや悠然とマントを翻した大統領は、
両手を鳳凰の翼が如く大きく広げ、全身を十字架に見立てて屹立した。
鋭く尖った犬歯でもって舌の表層を軽く裂いたのだろうか、
口元を伝った一滴の血が胸元へと滴り落ち、紅の軌(わだち)を刻む。

―――その軌から炎が熾った。真っ赤な、真っ赤な炎が起こった。

胸元を灼く炎は十字架を撫でて、高く高く燃え上がり、薄暗い廃工場を照らす太陽となる。
果たして、これは人体発火か―――初めて目の当たりにする人間には
怪現象としか映らない灼熱の揺らめきだが、どうやらアルフレッドには見慣れた光景らしく、
「こんなところで派手なアピールしてどうするんですか」と溜め息一つで軽く受け流してしまった。

彼にしか操れぬ『エンパイア・オブ・ヒートヘイズ』という名の炎を纏い、
我が身を煌々たる太陽と化すのは、大統領のお決まりのポーズである。
民衆・議員に関わらず人前にて演説する際、大統領は必ずこのポーズを作って弁論を述べるのだ。
他の誰にも真似できない超常の烈光を宿したその威容は、地上の何物よりも気貴く、
そこから発せられる託宣の説得力を説明するには、魅了の一言があれば良い

万民を平伏させ、正しき途へと導く大統領を、『太陽王』と崇める声とて少なくなかった。

「二期目と合わせれば、まだあと五年もあります。
今日は大統領らしからぬ言葉ばかりだ………一期目の途中で頂点を見てしまうのですか?」
「次なる四年間は下り坂じゃ。頂点にあるとは言えぬ」
「………バトンを回すには高みから下界に降りなければならない、か。
実に貴方らしい考え方だ」
「クク―――それで良い。余が下る坂道、貴様のみが弁えておれば、それで構わぬ」
「………………………」

『太陽王』たるカリスマの由縁を正面に捉えるアルフレッドの瞳が一抹の寂しさで曇る。
言葉無く静寂の内に日輪の揺らめきを見つめる佇まいから彼の胸中を推し測るのは難しいが、
首席補佐官として、また一人の人間として、この稀有なる存在へ尽くすアルフレッドには、
モラルリーダーに相応しい正義の英断と言えども複雑なものがあるのだろう。

「………バトンを回すにしても、生半可な相手では困りますよ。
貴方の意志を継承できる人物を慎重に選ばなければなりません」
「例えばそう、如何な困難にも対応し、政府の機能を定着させ得る老練なる者にな」
「若き力によって牽引される社会の体勢は、貴方自身が作ったものだ。
その継承者に若さを望まないと言うおつもりですか?」
「若き躍動はときとして時代を変え得る革新を生む。
かような革新を成したがは余じゃ。そのこと、地上の誰よりも自覚しておる。
されどな、革新の次に訪れる統治の妙、正しき治世を維持する調整力において、
若きが老練に敵わぬこともまた然りじゃ」
「………………………」
「若き躍進と熟達された統治によってこそ、【エンディニオン】政府は完成せん。
老若双方の力を結び合わせてこそ、歴史は前進し、先進を見るのよ」

時代を動かすには若き力が必要だが、真に平穏なる治世を成すには、
若者の知り得ない酸いと甘いを噛み分け、清濁を併せ呑めるだけの器量を備えた
百戦錬磨の古き力も肝要である。

若さと古さ、革新と安定―――【エンディニオン】上に数多ある全ての力を結集してこそ、
政府のシステムは本当の意味での完成を見るのだ。
複雑な思惑に表情を歪めるアルフレッドを言い諭すようにして、
また自分自身へ言い聞かせるようにして、大統領は、
この先の生涯において貫き通さんとする政治的決断を反復した。

「随分と謙虚だな」
「何をほざく。万人が余が如き完璧になれぬゆえ、行く末を案じておるまでじゃ」
「………謙虚さを貴方に求めた私が愚かだった」
「謙虚とな? 片腹痛める戯言を抜かしよるわ。
余は何者ぞ? ………ゼラール・カザンじゃ。【エンディニオン】の遍く存在を統べる太陽じゃ。
世を照らす輝きに謙虚を求めるなど愚の骨頂ぞ、アルフレッド・S・ライアン。
猛き余の焔群(ほむら)が天を衝く故に、地上は安寧と幸福を享受しておられるのじゃ」

【エンディニオン】政府初代大統領―――ゼラール・カザンは、
『エンパイア・オブ・ヒートヘイズ』の炎が灯された右の指先を真正面のアルフレッドへ向けた。

「知らぬ存ぜぬは通用せぬぞ、アルフレッド・S・ライアン。
我が愛しき友よ、貴様にはいの一番に余の頂点を見せてやったのじゃ。
【エンディニオン】を掌握せし威光、其が果てぬ故に地上は安寧でおるものと、
誰より貴様が周知しておろう」
「しかし―――しかし、その傲慢なまでの威光を鎮め、
灼熱の意志を他者へと譲り渡すことが貴方に出来ますか?
『太陽王』とまで呼ばれる貴方に、檜舞台を降りる勇気が?」

年齢もアルフレッドそう変わらない若き初代大統領が、
天与された高いカリスマ性によって新たな時代を切り開いたことは、
偉業であると同時に有史以来最も過酷な重責でもある。
確実に思われる三選を放棄し、次期大統領へ偉業を継承しようとの志は確かに尊いが、
表舞台を去るということは、単純に【エンディニオン】最高の権力を手放せば済む処理ではない。

後継する次期大統領にゼラールが望むような行政能力が欠けていた場合、
果たして【エンディニオン】はどうなるか。
大統領の資格無しと見なせば、議員のみならず世論が再びゼラールを担ぎ出すに違いなく、
そうなれば三選を放棄した意味が全く水泡に帰すのである。
自身の決断を貫かんとするゼラールが再出馬を固辞しようものなら事態は泥沼だ。
最悪の場合、彼が心血を注いで基盤を固めた政府が分裂するだろう。

耳に甘美な『太陽王』の称号は、華やかなイメージと裏腹の過酷な重責と共にあり、
アルフレッドの真に危惧するシナリオがそこに内在していた。

「何度も繰り返させるな、首席補佐官殿。
統率の力は権力の座にあるのではない。それを貫く者の心に灯されるのじゃ。
権限を手放すことのどこに恐れを抱く余地があろうか」
「その権限を譲り渡した直後に起こるだろう混乱を、
一体、どうやって収拾するお考えですか?
大統領職に無い貴方が『太陽王』の威光を示して混乱を鎮圧すれば、
それは一つの【エンディニオン】に二人のリーダーが立ったことを意味する」
「一天両帝とでも?」
「もう一度、世界を真っ二つに割りたいのですか? ………そう言いたいのです、私は。
大統領、貴方がどうお考えかは存じませんが、これはとてつもなく難しい問題なのですよ」
「最早、聞き飽きた台詞だが、首席補佐官殿は心配性に過ぎるわ。
まあ、貴様に備わり市器が卑小であることは、とうの昔に周知しておったがの」
「世界で最も臆病な人間を、政治家と言うのではありませんか」
「上手い切り替えしのつもりか? 臍で茶を沸かすとはこのことじゃ」

デリケートな問題に対し、首席補佐官の顔で当たるアルフレッドへゼラールは薄い笑みを浮かべた。

「余が如き神の権威が閑古鳥鳴く場へ降りると申せば、
蒙昧なる民衆は未曾有の混乱と不安を抱くであろうな。
次なる大統領が【エンディニオン】に応えるべき能力を持ち合わせなくば地獄の有様ともなろう」
「三選を禁ずる法案に私は基本的には賛成です。
貴方の説く守りの時代にも納得できる―――しかし、今はそのときではない。
継承を必要とする時代は、もうあと十年先の話であり、
そのときまで貴方は大統領職を遂行すべきだ」
「余の敷いた基盤が未だ固まりきっておらぬとでも言いたいのか、貴様」
「歩き始めたばかりの雛鳥へ猛禽のように飛び立てと言えますか?
………『太陽王』に頼らずとも独力で立てる力が現政府に育っていたなら、
私は今の貴方の言葉に花束をもって合意したでしょう」
「それが【エンディニオン】の為と申すか」
「それが【エンディニオン】の為なのです」

この先もゼラールが大統領職を継続していくことの意味と重要性を理詰めで
説いていくアルフレッドだが、ゼラールの決心は揺るがなかった。

「混乱も不安も上等じゃ。
世界を真っ二つに裂いた論争も、この際、派手に催せばよい」
「大統領、それは―――」
「貴様はここに来て大きな心得違いをしておるわ、アルフレッド・S・ライアン。
政府の職務は民衆を甘やかして庇護するにあらず。
ときとして厳格にあたり、その能力を育むことにあり」
「………大統領………」
「永劫に続く民主政治を確立し、真の自由社会を作るには、
その為の改革を成し遂げるには痛みを強いるは必定じゃ。
かような痛苦を乗り越えた先にこそ、人間も社会も育つのである。
そのとき、『太陽王』などという君主が在って如何にする?
君主に依らぬ民主の独立こそ、余の政権が目指した改革ではなかったか?」
「………………………」
「その旗頭こそ【エンディニオン】大統領なのじゃ。
痛みの前衛に立てるだけの勇気と知恵を持ち合わせた者を民衆は見出し、票を入れて選び出す。
………大統領とは、民衆が己の手で選出したトップリーダーぞ?
艱難の只中にて戦う我らがリーダーを、
望む能力に達していなかったという理由のみでどうして見限れる。
真に強きリーダーとして育まれるのを待てぬと言うなら、最初から票など入れぬよ」
「………………………」
「………例え世界が割れようとも、決して同じ過ちは繰り返さぬ。
人は学び、人は強くなる―――蒙昧で愚鈍で、それ故に愛しき余の民とは、そうした生き物よ」

人間の可能性を信ずる―――心に、魂に決したゼラールの英断は、
何人の声をもってしても揺るがせない。
それはつまり、大統領として【エンディニオン】の総てを見つめてきた者にのみ宿る、
社会に対しての仮説であり民衆に対しての答えであった。

「………わかりましたよ」

諦めた―――いや、全てを納得して頷いたアルフレッドは
ゼラールの瞳を真っ直ぐ見つめながら、大統領の英断に了承した意を明瞭にした。

「それなら私から申し上げることは何もありません。
大統領、私は貴方の決断に従うまでです」
「遅鈍が過ぎるな。最初からその従順を見せておれば良いものを」

そうして互いの覚悟を認め合った後、ゼラールは開いた右の掌を
改めてアルフレッドへ差し伸べる。

「貴様如きには過ぎたる名誉じゃ。慎んで授受するが良いぞ、アルフレッド・S・ライアン」
「お陰様で感無量ですよ、大統領。貴方の偉大さには掛け値無しに胸が熱くなります」

未だ衰えを知らぬ紅蓮を纏わせた右手をそのまま握り締めたなら、
火傷どころでは済まないハズだ…が、ゼラールの指先にまで伝って猛る炎が
握手に応じたアルフレッドの掌を焦がすことはなかった。
日輪より這うプロミネンスは、いつとも知れぬ内にアルフレッドの掌へ宿った蒼白いスパークで遮断され、
肌と肉にまでは到達できなかったのである。

炎に煽られたスパークは次第に強さを増していき、
やがては足元に散らばった小石を直接触れることなく分子構造的に破裂させるまでに至った。
物質の構造を歪曲させるレベルにまで達した極大なスパークは、
最早、火花や閃光と言った定義で括れるものではない。
炎の洗礼に稲光の白熱で応じるアルフレッドの掌は、まさしく神鳴(カミナリ)を帯びていた。

ゼラールの『エンパイア・オブ・ヒートヘイズ』とアルフレッドの神鳴は、相身互いに触発し合い、
刺激を得て大いに強まった力の奔流は、掌を伝って全身へと駆け巡る。
お決まりのポーズ以降、炎の甲冑を纏い続けるゼラールはもちろん、
アルフレッドの四肢にも極大質量の光が帯電し、『エンパイア・オブ・ヒートヘイズ』を
威嚇するような低い唸り声を上げていた。

強烈に過ぎる二つの輝きを内包した廃工場は、既に影という存在を失っている。
まるで彼らの光が世界中のあらゆる空間、あらゆる区域にまで輝きを行き届かせ、
昏(くらい)い影と闇を拭い去ったかと錯覚してしまうほどだ。

目が眩むような光を全身に浴びながら、固く握手を交わした二人は
その体勢のままで互いの顔を―――真剣と愉快の入り混じった昂揚の面を
静かに見据え続けている。

互いの口元に浮かぶのは、歓喜にも似た微笑ただ一つだ。

「余が己の頂点を宣言した理由―――どうやら貴様にも解っておるようじゃな。
否、よく憶えておったと誉めてやらねばなるまいか?」
「約束ですからね………忘れるわけに行くものか―――」



―――いつか誓った“約束”を守るべき刻(とき)が来た。



そう宣言するアルフレッドの口調は、首席補佐官として大統領と相対する際の
畏まったものとは大きくかけ離れた、肩を並べる友人へのそれに変わっている。
大統領も首席補佐官も無く、主従の関係も無い。
序列の遵守など野暮であり、権限の大小など問題にもならない。
アルフレッド・S・ライアンとゼラール・カザン―――社会で被る仮面を脱ぎ捨てた裸の魂が
二つ向き合っていれば、それだけで良かった。
アルフレッドもゼラールも、全ての柵を捨てた対等の立場に在ってこそ、
今まさに幕開けを迎えんとする舞台へ全身全霊を傾けられるのである。

裸の魂たらんとする意志の、最もプリミティブな顕現を
畏まった態度からの変遷に見出したゼラールは、極上の笑みを吊り上げ、
神鳴を映し込む双眸に恍惚の色を輝かせた。

「―――機は熟した」
「ウム………決着の刻限じゃ」

脳漿まで溶けきってしまったかのような笑みを浮かべるゼラールに対して
アルフレッドも昂揚迸る裂帛で応じる。
言葉そのものは怜悧にして端的なままだが、
その裏側には『エンパイア・オブ・ヒートヘイズ』の爆熱に勝るとも劣らない炎が秘されていた。

………否、怜悧の棺へ秘そうにも、極限まで高まった彼の昂揚はそれを許さない。
日輪より出でし灼熱と相克する蒼白き神鳴の咆哮は、天翔ける龍が如く全方位を経巡り、
隠そうにも隠し切れない昂揚の顕れを何より如実に物語っていた。

「余の覇道へ立ちはだかるに足る資格、貴様は己が力量に認めたか?
粋がるだけの座興であれば、早々に舞台を降りろよ」
「俺を置いてほかに誰がお前に拮抗し得ると言うんだ。
………ならば、持てる限りを尽くして、今こそお前に立ち向かう」
「その言葉、そっくりそのまま返してくれるぞ、アルフレッド・S・ライアン。
好敵手が見た頂点、余の迎えし頂点へ存分に披露せい」

極限まで昂ぶった両者の闘志は、ついに焔群と神鳴とを混ざり合わせる渦と化し、
二つの力が相克の臨界に達した瞬間(とき)、激しい爆裂を起こした。
その爆裂を合図に握手を解き放ち、それぞれ後方へと飛んだ二人は、
焔群と神鳴とが織り成した饗宴の余韻を堪能するよう一瞬だけ瞑目すると
刹那の後には光爆の余燼が舞う中へと踏み込んでいた。

「フム―――“猫”は呼ばぬのか?
“黒き甲冑”、“白き翼”を仕舞ったまま余に臨むとは軽率の極みぞ」
「初手より全力を投入するのは愚か者のやることだ。
………切り札は最後まで残しておくものだろう」
「クク―――よかろう。
貴様の持てる能力、その総て燃やし尽くしてくれるぞ」
「あまり舐めて貰っては困る。
好敵手を突破する仕掛けは、俺だって考察していたんだ。
今まで誰にも見せたことのないとっておきを、お前には味わわせてやる」
「それは健気。悦しみがまた一つ増えたぞ。
………貴様の勤勉に応え、この日の為だけに用意してやった最終決戦奥義を馳走して進ぜよう。
骨の髄まで余の神威を感じるが良い」

繰り出された蹴りに帯びる神鳴と、振り落とされた拳を覆う煉獄の焔群とが一条の螺旋を描いて馳せ違い、
輝きの粒子散る空は蒼紅の烈閃で斬り裂かれた。

「―――行くぞ」
「参るぞ―――」



………時にして、イシュタル暦1495年。

いつ果てるとも知れない威風堂々たる光の饗宴に酔いしれる二人の“約束”と、
【エンディニオン】と言う名の世界が未来の歓喜へ輝く様を真に語るには、
歴史の針をこれより十五年ほど遡らねばならない―――【難民】と呼ばれし嘆きの民に揺れた、
哀しくも熱き動乱の時代に――――――………………………




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