5.新聞王 数時間が経過し、アルフレッドにニコラスとダイナソーにシェイン―― と先程一堂に会していたメンバー全員がセントラルタワーに足を運んでいた。 テレビ出演者とその付き添いによる事前の打ち合わせ、などというわけではなく、 ただ単純に宴会とかそういった類のものなのだということである。 「豪儀な話じゃないか。そう思うだろ、アル、ラス?」 「相変わらず良く喋るやつだな。黙っていろとは言わないが、もう少し静かにしていたらどうなんだ」 「言うだけ無駄ってやつさ。アル、こいつがやりたきゃやらしておけばいい。害の無い範疇だったらじきに慣れる」 「そういうものか。俺にはどうしたって耳障りな雑音にしか聞こえてこないが」 やっぱり姦しいダイナソーの言葉をアルフレッドもニコラスも殆ど無視してセントラルタワーの内部を進む。 先にここに着いていたフィーナが彼らを出迎えていたわけだが、 当然、ここで会を開くなどというのは彼女が提案したわけではない。 いくら当主であるマユの肝いりであっても、彼女にはそこまでの権限があるはずは無い。 「御老公のことだ、派手にやるのが好きなのだろう」 アルフレッドの言葉どおり、これを企画したのは彼に御老公と呼ばれた人物。 御老公といっても何とか問屋を構え、諸国を漫遊しているご隠居さんのことではない。 孫娘であるマユに当主の座を明け渡してはいるものの、現在も確固たる権力者である、 かつて「新聞王」と呼ばれた前当主にしてルナゲイト社の会長、ジョゼフ・ルナゲイトの事である。 マユとフィーナが会っていた際に、アルフレッドたちがルナゲイトに来ていることを知り、 さらにはテレビに出演する運びになっていたニコラスたちが彼と知り合いなのだと分かると、 その日に予定されていた仕事を全てキャンセルして、急遽この場をセッティングしたのであった。 放送局に居住区、社員用のスポーツジムに果ては専門のクリニックまでが内部においてあるセントラルタワーであれば、 当たり前に貴賓用のレセプションホールの類もあるわけで、彼らはそこに通されたというわけである。 フィーナがマユと会うときには警備員に止められて仕方なくルナゲイトの空を当ても無く飛び回っていたムルグも、 今回はジョゼフの指示もあって入館を許可され、満足げに廊下を飛び回っていたのは余談である。 アルフレッドたちが招かれた、まるで大型運動施設のように広い大ホールは、彼らの遠近感を狂わせるほど。 そこに置かれている物もまた凄い。シンプルな文様であるものの、 しっかりとした作りが確認できる起毛の踏み心地があたかも雲の上を歩いているようなじゅうたん。 その上でしっかりと存在感を現している、重厚なコリント様式の柱を模した足を生やし、 卓の横部分には細密なレリーフが刻まれた円卓がアルフレッドたちをもてなすようにあった。 「これ、ホントに凄いや。野宿の時に使っている寝袋なんかがまるで薄いパイ生地みたいに感じちゃうな。 ここまでふかふかで気持ち良いとなんだか踏むのがもったいないくらい」 「ホンマごっつええ気持ちや。ちょいとばかり切り取って持って帰りたいわ。アカンか、アカンわな」 高級な調度品にいち早く反応したシェインは、 そう言うなりじゅうたんの上に寝そべると平泳ぎのような動きをしながらその手触りを実感して興奮していたし、 ローガンはローガンでとても歳相応には見えないくらいの笑顔で、 ひじをついて寝転がりながら手のひらでじゅうたんを撫で回したり顔をうずめたりして、触感の良さに感じ入っていた。 別の場所ではフツノミタマが、帯電しやすい体質なのか、それともすり足で歩いていたからなのか何なのか、 じゅうたんとの摩擦によってその体に静電気を溜め込み、ドアの取っ手などの金属に障っては、 ほんのわずかに見えるスパークと共にバチバチという音を立てて、 「何の嫌がらせだ、ボケが!」と理不尽な怒りを爆発させていた。 このような落ち着きの無い仲間たちを見回しては、 アルフレッドは「また始まったか」というような半ば呆れた目で見つめていたし、 セフィは何か面白いものでも見るような感じで、ふっと笑顔を見せてそれぞれを見回していた。 これが二人の精神面での差、というわけだろうか。そんな事も無いかもしれない。 「いやあ、すげえもんだな。やっぱりカネってのはあるところにはあるもんだ。 しっかし、こんな贅沢の極みな生活なんざ、俺らが一生死ぬ気で働いてもできねえな」 「こういうノーブルな場所に来てまでマネーの話とはねえ。プアーなマインドだね、チミは」 ダイナソーがため息交じりで素直な(そして即物的な)感想を述べているところにやって来たのはホゥリー。 他人のことをバカにした顔でとやかく言ってくるくせに本人はといえば、 ここに来るまでに買いに買い込んだスナック菓子を手づかみでボリボリ、ムシャムシャと下品な音を立てて食い散らかし、 その足元には食べかすが腹立たしいほど大量にこぼれていた。 さらには嫌味を言うその口の周りはやっぱり油でギトギトに汚れきっていた。 そんな下品な人間に「下品な話をするねえ」などとバカにされてはいかにダイナソーだとて黙ってはいられず、 早口であれこれとまくし立ててはホゥリーの人間的なダメさをあれこれと論っていた。 その内容は相変わらず中身に乏しいものであるから、あえて述べるまでも無い。 (こんな時でも「らしさ」ってものが出るんだから面白いものだな) ニコラスはディアナと苦笑しながら一同を見回していた。 「ほれ、皆の衆、グラスは行き渡ったかな? アルコールは子供には行っておらぬじゃろうな? それでは乾杯といこう」 「かんぱーい!」 今回の音頭を取ったジョゼフの掛け声により、宴会が始まった。 大会社の会長という立場にありながらジーンズにフライトジャケット(しかもそれには派手なペイントまでなされている) というかなりカジュアルな装いには意外な面もあるものだ、と一同は思ったものだが、 孫娘のマユもフィーナと会っていた時のあのサタニックな格好そのままで会場に現れたのだから、 そのあまりにも強大なインパクトに、ジョゼフの姿格好についての思いなどは遥か彼方に吹き飛ばされてしまった。 フィーナを介してマユがあんな格好をしていると知っていたアルフレッドですら、実物を見て面食らっていたのだから、 彼女のことを知らない者などは皆一様に言葉を失う有様だった。 余談だがアルフレッドは、マユの服装を指差してフィーナが「ああいうのもオシャレだよね」などと言い出したため、 ああいう格好のフィーナを想像して立ちくらみがしそうになっていたのだから、 他の人よりもほんの少しだけ精神的な動揺は激しかったのかもしれない。 明らかに一名だけこの場にそぐわない人間がいたものの、それでも宴は和やかなムードの中で行なわれていた。 テーブルの上に所狭しと並べられた料理や、飲み物の質の良さも、その雰囲気を作り出すのに一役買っていた。 旅の途中で食べていたような携帯食品や、保存食などはどうしたって味気ないものが多かった。 それに比べてルナゲイト家お抱えの料理人たちが腕を振るって作ったそれは、 実は食にこだわりを持つアルフレッドの舌と心を多いに満足させる出来だった。 以前、マコシカで振舞われた客人用の料理もそれはそれで郷土の味と言った感じで美味しかったわけだが、 より質と作り手の腕がよろしい今回はそれ以上と言って良かった。 この料理はもちろんジョゼフの指示で作られたものだったが、ここでアルフレッドはふと思った。 自分やフィーナはマユを通してルナゲイト家とは少なからずつながりがあり、 二人ともジョゼフからは実の孫のように可愛がられていたわけだが、 それにしたってどこの誰とも分からない者まで交じった大人数をもてなすには少々食材が上質すぎる気がした。 自分たちが押しかけてきた形なのにこのもてなし具合がちょっとだけ気になり、彼はジョゼフに尋ねてみた。 「御老公、お心遣いはありがたいのですが、こんなに多分のもてなしでよろしいのですか?」 「水臭いのう。おヌシの仲間であればいくら大人数でも構わぬわい。 出費の心配をしているというのなら、それも取り越し苦労じゃよ。最近仕入先が変わってのう。 知っとるかな、ジプシアン・フードという会社じゃよ」 「ああ、最近各地に店を出しているあのグドゥーの。商売熱心なものですね」 「左様。品質は良く、それでいて価格を安く抑えておる。 どういうカラクリなのかは知らぬが輸送手段に乏しいこの世界で新鮮なままときた。 まあ、何にせよおヌシが心配するまでもない。気にしないで食べるが良い」 ジョゼフはカラカラと余裕のある老人らしい笑いを見せて、アルフレッドの懸念を払拭した。 「金持ちはどうして金持ちなのか。それは無駄な出費をしないからだ」という 誰かが言ったであろう言葉をアルフレッドは思い出していた。 もっとも、蛇口をひねって水を出すように利益を上げるルナゲイトならば、出費がどうあれ問題無いのかもしれない。 まあそんな事はどうでも良かったのだけど。 今回のホストであるのだから、アルフレッドだけに構ってはいられないという感じで、 ジョゼフは他にもいるもてなすべき人たちの所を回っては、その都度、食べ物なり飲み物なりを勧めていた。 「どっこらしょ」といういかにも老人臭い掛け声を出すものの、 歳の割には、というよりはあと20歳は若い人ともそれほど変わりはないかくしゃくとした動きを見せていた。 こんな老人が杖を持って歩いているのが不思議にアルフレッドは思ったくらいだ。 もしや護身用ではあるまいか、とも考えていたのだが、 実のところジョゼフは素手でも達人レベルであることをアルフレッドは知っている。 そうなると本当に杖を持つ理由など思いつかないのだが、 この場面でジョゼフの腕前をああだこうだと考え続けるほどアルフレッドも無粋ではない。 せっかくの心遣いなのだから、今は素直に贅を尽くした料理に舌鼓を打つべきなのだと、 彼はスモークサーモンの残りを一気に平らげた。 アルバトロスカンパニーの面々も和やかなムードの中で談笑に興じているようだった。 和やかというよりは、いささか酒が回ってきたダイナソーの弁舌が加速度を増していたおかげで、 いつも以上にやかましいと表現するのが正しいのかもしれないが。 「どうじゃ、皆の衆。楽しんでおるかのう?」 「あ、どうもどうも。こんなに旨い物が食えるなんてもう最高っすよ。 何せ帰り道が分からなくなってからというもの、ずっと粗食に耐えてきましたからねえ。 聞くも涙、語るも涙の食生活だった毎日ってやつでしてね。 バターも無しに固いパンをかじるなんてしょっちゅうでしたよ。それに引き換えここはもう別天地。 どうせだったらカレーとかそういう庶民的な食い物もあったらいう事無しなんすけど。 いやでも、そんな贅沢の上に贅沢を重ねるもてなし受けたら、ここで人生のツキを全部使い果たしちゃいますね。 まあ、これだけ旨いメシが食えるんなら使い果たしたって全然気になら――」 「うむ、結構結構。その調子で収録も頑張るがよい」 上機嫌のダイナソーを見て、ジョゼフはアゴから伸びている長いヒゲを撫で回して満足げに笑った。 もっとも、中身が殆ど無いくせにやたらと長い彼の言葉をジョゼフは半分以上聞き流していたのだが、 すでにアルコールが回っているダイナソーにはそんな事は気にもならない事だった。 そんなダイナソーに比べて、隣にいたニコラスは何を思いつめているのか食が進んでいない様子だった。 「ニコラス君じゃったな。どうかしたかな? 料理に不満でもあったかのう?」 「いえ、そんな事は無いです。ただ少し、気になることがありまして」 ジョゼフはニコラスの様子が気になって彼に声をかけてみた。 こういう和やかな場で尋ねるべきことなのかどうなのかは分からなかったが、 せっかくジョゼフが隣にきていたのだから好機と言えば好機なのだろう、とニコラスは少し逡巡した末に尋ねてみた。 「ご存知の通り、オレたちは帰り道が分からなくなってこの場にいるわけです。 最後の仕事に出て以来、どこに行っても、誰に尋ねてもオレたちが住んでいた町の事なんか、 『知らない』っていう答えしか返ってこなかったんです。 だから、今度のテレビ番組で問いかけても、もしかしたら何の反応も無いのでは、と思いまして……」 「ふうむ、話は聞いておるが不思議な話じゃ。自分たちの住んでいた場所が知られてないとはのう」 ニコラスの言葉にジョゼフは関心を示したような反応を見せた。 それを見て、ならばもう少し踏み込んでみようとニコラスはさらに言葉を続ける。 「そう、不思議なんです。言い方は悪いかもしれないけれど、 アルが住んでいたグリーニャという片田舎が知られていないなら納得もできます。 しかし、フィガス・テグナーのような大都市を誰も知らないというのはどうにも理解できません。 そんなはずは無いと思いながらも、実際にそうなのですからわけが分からないと言うか何と言うか。 今でも夢を見ているんじゃないかって思うくらいで……」 「フィガス・テグナーとな、ううむ……」 「エンディニオンの情報を統括しているであろうジョゼフさんなら知っているはずでは、と思ったのですが」 ニコラスは自らの疑問を口にすると共に、彼らの地元のフィガス・テグナーについてジョゼフに尋ねてみた。 このエンディニオンという世界の殆ど全ての情報を手中にしているジョゼフであれば、 さすがに都会であるフィガス・テグナーに関しては知っているだろうという希望があった。 それだからこそ不躾と言うか無粋と言うか、宴の場であるにもかかわらずニコラスはそう尋ねてみたわけだが、 しかしジョゼフから返ってきた答えは彼をがっかりさせるものでしかなかった。 「はて、そのような都市の名前などは聞いた事がありゃせんわい。この年になって初めて耳にする名じゃよ」 「いや、そんな…… だって現にオレは、それにオレだけでなくディアナさんやトキハ、 それとついでにサムもフィガス・テグナーに住んでいる…… 住んでいたんです。 確かにオレたちはここにいるというのに、肝心のフィガス・テグナーが無いなんて、そんなバカげた話が……」 「いやいや、そんなはずは無いと言われてものう。知らぬものは知らぬわい。 もう少し年寄りの言う事は信用した方が良いのではないかな? 大方、おヌシらがそのフィガス・テグナーとやらの地名を間違えて覚えておるんじゃないのか? その方がよっぽど理に適っておるわい。そうは思わぬか?」 「いえ……」 新聞王と称され、エンディニオン各地の情報を会社にいながらにして入手できるジョゼフですらも、 ニコラスが言うフィガス・テグナーに関しては名前すらも聞いたことが無いとの一点張り。 だがニコラスはそう言われてもジョゼフの言葉を素直に信じるなどとは到底できない。 マコシカに郵便物を配達に行くまでは確かに自分は、自分たちはそこにいたのだ。 今まで過ごしてきた日々が全て夢や幻なんかであるはずが無い。 夢だと言うならむしろこの状況の方がよっぽど夢ではないか、などと思いながらニコラスは、 「そうだ。もっと精密な地図を見れば位置が分かるはず。そのくらいの物はありますよね? 見せてもらえませんか? いや、是非見せてください。そうすればきっと――」 となおも首を傾げるジョゼフに食い下がってみたのだが、 そう言われたジョゼフは一度だけヒゲをなでて首を横に振ると、ふうっと呆れたようなため息をつき、 「何をしたって同じ事じゃよ。地図にもそんな都市は載ってなどおりはせんわい。 いつまでもそんな事にこだわっていても仕方あるまい。好きな物でも食べて、堅苦しい気分でも和らげることじゃな」 と言って杖の頭でニコラスを軽く小突きながら、笑って彼の提案を退けた。 ショックを受けたニコラスはがっくりと肩を落とし、手近なところには椅子が無かったため、 そのまま崩れ落ちるようにして高級なじゅうたんの毛に腰をうずめた。 「マジでわけわかんねえよなあ。こうなったらテレビ収録に賭けるしかねえって感じじゃね?」 二人の会話を隣で聞いていたダイナソーもこれには困惑したようで、しきりに首を捻った。 彼のパーソナリティである長話も影を潜め、柄にもなく短く言った。 ダイナソーの言葉にニコラスは「ああ」と一言だけ力無く返し、ディアナはずっと渋い顔のまま無言だった。 「困ったなあ、この様子じゃ本番でも何も分からないかもしれない……」 「あれ、トキハ? ああ、そういえばここにいたんだっけか。悪い悪い、影が薄いから忘れてた」 「酷いなサムは。さっきから一緒にいたじゃないか。そりゃあ目立たないかもしれないけど……」 ショックを受けていたのはアルバトロスカンパニー四番目の「迷い人」であるトキハも同じ。 ニコラスもそうだが、それ以上に性根が真面目な彼は一縷の望みを公開番組に託さざるを得ない状況の中、 その番組にすらも希望を見出せないような、暗惨たる気分に陥ってしまった。 ダイナソーはトキハを何とか景気づけようと、 彼の持ち味(と言うのが適切かどうかは分からないが)である存在感の薄さをいじって、 この重い空気が立ち込める場を和やかな雰囲気に変えてやろうと企んだ。 だがやっぱりそんなものが効果を発揮するはずもなく、トキハは余計に暗い表情になってしまった。 「大丈夫だって。ジイさんが知らなくったって、ボクたちが分からなかったからって、 それがここにいる皆を誰も知らないって事にはつながらないんじゃないかな。 今度の放送を見てくれる人がどれくらいいるか分からないけど、 きっと誰か一人くらいはみんなの事に気付いてくれるんじゃないかな。 っていうか気付いてくれるって、絶対に。そう思わなきゃ」 「そうだね、気付いてもらえるように頑張らないと。あ、でも、頑張るのはラスの方か」 たまたまこのやり取りの際に近くにいたシェインが落ち込み気味だったトキハを笑って励ました。 シェインの持ち味ともなっている前向きな、楽観的な物言いは、 少なくともダイナソーの下らない冗談よりは遥かにトキハの心を和ませる効果があった。 わずかばかり気が楽になったトキハに笑顔が再び戻ると、 シェインはそれを見て「その意気、その意気」と彼を叩いて元気付けた。 そんな一連の流れをアルフレッドは部屋の隅から見つめていた。 何かを考えながら一口、また考えにふけってもう一口、という具合にグラスの中の絞りたて果汁を飲んでいた。 アルコールで酩酊して思考力を低下させるわけにはいかないというわけだろうか。 そんなアルフレッドを見て、手持ち無沙汰になっていたマリスは彼の傍によって聞いた。 「どうかなさいましたか、アルちゃん? 先程からなにやら難しげなお顔をされていますが」 「いや、そんなに大した事じゃない。気にしないでくれ」 言葉とは裏腹に、アルフレッドは一つの事にずっとその思索を廻らせていた。 マリスにもそれを邪魔されたくないという感じで、壁にもたれかかっては厳しい目つきでジョゼフを見ていた。 そのジョゼフだが、何やら用事が出来たのかいつの間にやらこの部屋からいなくなっていた。 しかしその後も、アルフレッドの難しげな表情が変わりはしなかった。 マリスはそんなアルフレッドの振る舞いが気になっていたのだが、 彼が言ったとおりにしようとそれ以上は声をかけるのを自重していた。 (ご老公のあの態度は…… 思い過ごしだろうか? だがそれにしてはどうも引っかかる……) ジョゼフとニコラスのやり取りは、どうしてもアルフレッドの違和感を刺激して仕方が無かった。 殊に、世界地図を見せて欲しいというニコラスの要求をジョゼフが即座に拒んだ時の態度。 何かがおかしいと説明できるほどではないにせよ、しかしあの時のジョゼフはどこか妙だった。 フィガス・テグナーが無いと主張するのなら、 地図でも何でも見せてニコラスが目で認識できる形でそれを示せばよかっただろうに、ジョゼフはそうしなかったのだ。 そして、その時のジョゼフの振る舞いが急に硬化したのがどこかしら不自然だったように思えた。 あえて言うならば、まるで地図を見られては困る事情がジョゼフにはある。そんな印象を受けた。 (何かを隠しているとでも? しかし、仮にそうだとしても御老公がそうする理由は見当もつかない) もう一度グラスに口をつけ、アルフレッドはジョゼフの言動を思い返して、そして自分の覚えた違和感とつき合わせた。 些細な事かもしれないが、アルフレッドは拭い去れない何かが胸の中にあるのを感じていた。 実のところホゥリーも密かにこのやり取りを眺めていた。 ニコラスの頼みをジョゼフが突っぱねた時には彼の口元が歪んでいたものだった。 (あのロートルもよくやるネェ………) ―――だが、ローストビーフに東坡肉(豚バラ煮込みとほぼ同じ)やフライドチキンなど、 肉類ばかりを貪り食っていた彼の姿があまりに汚らしかったために、 わざわざ不快な思いをしたくない誰もが顔を背けていて、それがために彼の表情に気付く者はいなかった。 * 宴がなおも続く中、アルフレッドは一人きりでタワーの屋上にいた。 あれこれ考えても結局ジョゼフに感じた不自然さの答えが出ず、一息つけようとタバコを吸おうとしていたわけである。 アルコールは頭の働きを鈍らせるからと避けていたにもかかわらず、 同じく脳を不活性化させるニコチンを取り込もうというのはおかしな話である。 だが、喫煙者にはそんな正論は通用しない。 それはともかくとして、皆がいる場で吸っていては、またフィーナやシェイン、 もしかしたらフツノミタマにもとやかく言われそうだったので、喫煙所を探しに部屋を出たわけである。 ところがセントラルタワー内は、アルフレッドが(ジョゼフやマユの許可無くして)一人で入れる場所はどこも禁煙だった。 これも世界的な嫌煙の波が押し寄せた影響か、とアルフレッドはビル内部を歩き回り、 ようやくタバコが吸える場所にやって来たという次第だ。 金属でできた円筒形の灰皿が一つだけの寂しい喫煙所だったが、贅沢を言う気は無い。 とにかく一服できればいいのだ、と彼はそこでようやく煙草を口に咥えて火を点ける。 星空の下で煙をくゆらせていると、 「これ、若いモンがタバコなど呑むでない。頭の血の巡りが悪くなるじゃろうが」 といつの間にかそこに来ていたジョゼフが彼に声をかけた。 前にも同じような事を言われたな、とアルフレッドは思ったがそんな事よりもジョゼフがここに来た事が気になる。 自分を探してわざわざ屋上にまで足を運んだのだろうか、だとしたら何のために、と思っていると、 先ほどのパーティの時とは打って変わって真剣な顔でジョゼフは話し始めた。 「ここなら誰もおるまい、話をするにも良かろう。さてさて、これを見てくれ。おヌシはどう思うじゃろうか?」 ジョゼフはそう言うとジャケットの内ポケットから一枚の手紙を取り出し、アルフレッドに手渡した。 何が書かれているのかとアルフレッドはその手紙を読むと、それは一つの予告状だった。 それもただの予告状ではない、簡単に言えば「ジョゼフを殺害する」という極めて過激な内容だった。 「まさか、そんな…… こんな事が?」 驚くアルフレッドとは対照的に、ジョゼフは顔色を変えずに話を続けた。 「ワシもこういう地位にいて、長いこと生きておるからこういう代物が初めてというわけではない。 じゃが、どうにも気がかりでのう。問題はこれの差出人なのじゃよ」 「ジューダス・ローブ。……確かにそこが一番の問題ですね」 「うむ、さすがにおヌシは話が早くて助かるのう。このジューダス・ローブというのがどうにも腑に落ちんわい」 この殺害予告を送りつけてきたジューダス・ローブという者を知らない人はエンディニオンでもそうはいない。 ここ数年、世界各地で殺人や破壊活動を行なっている、現在最も有名かつ危険視されているテロリストである。 それほどマークされている人物ならばとっくに捕まっていてもおかしくは無いのかもしれないが、 彼(なのか彼女なのかも分からないが)はテロ行為とその後の犯行声明があって、 ようやくその場所にいたのだと存在が知れるくらいに神出鬼没。 捕まえるどころか姿形を確認する事すら困難なのだ。 ならばと前もって狙われそうな人物や物を警護するというのも難しい。 というのも、殺害されるのは各地の要人や大会社の重役といった高い地位にいる人だけでなく、 破壊されるのも経済的、社会的に重要な建造物に限った事でない。 市井の人やそれほど価値があるように思われない物までが対象になっていて、 被害を受けた人や物にもこれといった共通点は全く無い。 だから、次に何がジューダス・ローブに狙われるのかなど誰一人として予想ができない。 だが、ジョゼフとアルフレッドが感じている不自然な点はこれとは関係が無い。 このように各地で活動するジューダス・ローブなのだが、 その数え切れないほどの犯行の中で、一度たりとも今回のようなテロ行為の予告をしてはこなかったのだ。 被害を放送する立場にあるジョゼフにはそれは良く分かっていたし、 そうでないアルフレッドも今までジューダス・ローブの予告などは耳にしたことが無い。 それにもかかわらず、どうしてなのか今回だけはこうして犯行予告を手紙という形にして送りつけてきたのだ。 先ほどのアルフレッドの驚きも、ジョゼフへの殺害予告そのものよりは、 ジューダス・ローブが今回のようなまねをしたという事への方が大きい。 どうして今回に限って予告文など送りつけてきたのだろうか。 アルフレッドもジョゼフもこの意図が分からず、首をひねっているというわけである。 今までのジューダス・ローブの手口というか様式というかのものとは明らかに異なっていたわけで、 それがどうにも二人には解せなかったのだ。 「もしかしたら、偽者がジューダス・ローブを騙っての犯行予告でしょうか?」 「そうかもしれぬし、今回だけは何か特別な事情があるのかもしれぬ。いずれにせよ真相はワシらには分からぬのじゃ」 一通の殺害予告状という乏しい判断材料だけではいかんとも言い難い。 何かしらの裏側があるのかもしれないし、ただ単に手法を変えてきただけなのかもしれないが、どうにも理解できない。 そこでジョゼフはこの予告の裏側を確かめるために、一計を案じてアルフレッドに詳細を話しに来たというわけである。 「そこでじゃ、ワシは敢えて生放送の場に身を晒してみたいと思う」 「御老公が自ら囮になると? しかし…… いくらなんでもそれはあまりに危険過ぎるのではないでしょうか?」 「古に曰く、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』といったところじゃな。 危険なのは重々承知しておるが、彼奴が食いつきそうなネタを用意せねばならぬならば、 ワシ自身がそれになるのが最も効果的じゃろうて。 身代わりでも用意できれば話は別じゃが、そう言っていられるような時間的な余裕は無いからのう」 「確かに御老公が仰られるように、その方法が一番相手を誘き寄せるのには都合が良いでしょうが……」 自らを囮にしてジューダス・ローブ(もしかしたら別の誰か)を誘き寄せてでも、 真実を突き止めようとするジョゼフの覚悟。 アルフレッドもそれは頭では理解しているつもりだったが、 それでもそういったような危険な作戦を実行するのはいかがなものだろうかと躊躇われた。 「このくらいのピンチは若い頃にもたくさんあったわい」と、その物理法則というか、生物学的常識というか、 そういったものから明らかに逸脱した長い眉毛を揺らして笑うジョゼフを見て、 不意に「信用できないもの。老人の昔話と通信販売の売り文句、それから殺害現場の壊れた時計」、 という言葉がアルフレッドの脳裏に浮かんだのだが、それはともかく。 「まあ何にせよ、いつの間にか死んでいた、となれば真実を知るも何も無いからのう。 誰かが見ていられる場所であれば、万が一ワシが殺されるようなことになろうとも、真実を知りやすくなるというわけじゃ」 「殺されるだなんて…… そんな、縁起でもない。万が一であっても、そんな事は言い出さないで下さい」 おそらくは冗談で言ったジョゼフの言葉に、アルフレッドは強く反応した。 今まで生きてきた中で、望むと望まないとにかかわらず人の死というものを数多く見てきて、 一般人よりははるかに耐性がついている彼ではあるが、 それでも身近な人間に死が訪れるなどとは許容できなかったし、そもそもあまり考えたい事ではなかった。 幾分か声を荒げるアルフレッドを見て、ジョゼフはそれが嬉しかったのか目を細めながら続けた。 「無論、ワシだってむざむざと殺されるつもりは毛頭無いわい。 残されている時間はおヌシたちのようにたくさんはないが、まだまだやり残している事は山のようにあるからのう。 打てるだけの手は打つつもりじゃよ。対ジューダス・ローブ用の探偵も雇っておる」 「腕利きのボディーガードならともかく探偵ですか………? いささか心もとないような気もしますが」 「いやいや、おヌシの想像以上に優秀じゃよ、ヒュー・ピンカートン君は。 彼のジューダス・ローブ逮捕にかける情熱は、きっと良い方向に転んでくれるじゃろうと思っておる」 切り札が一介の私立探偵と聞いてアルフレッドは少々拍子抜けしたが、 ヒューという人物はこのジョゼフでも認める腕の良い探偵のようだ。 とかく恋人や配偶者の浮気調査や特定人物の素行調査、 もっと気楽なところでは迷いネコやイヌ探しといったことを生業としがちなどこにでもいるありふれた探偵とは一線を画する。 ヒューは危険人物の捜査から逮捕までを行なう、他の同業者とは少々毛色の変わった仕事を専らにしていた。 土地ごとや組織ごとに設けられた自衛のための集団はあっても、広域の警察組織のようなものがエンディニオンには無い。 厳密に言うと、警察組織としては保安官(シェリフ)が存在し、各地に保安官事務所を構えてはいる。 構えてはいるのだが、統一された法律を持たず、各町村ごとの取り決めが主導するエンディニオンでの活動は非常に困難だった。 何を以って取り締まりの対象にするのか。それすら統一された基準が無いのだ。 中にはその曖昧さに目を付けてギャングや権力者と結託し、本来守るべき市民に対して危害を加える悪徳保安官まで存在する。 保安官事務所間のネットワークも脆弱で、広域警察としては全く機能していないと言っても良い。 保安官の給与や事務所の運営費は、設置場所の住民による供出で賄われている為、 体の良い警備員のように扱われることも少なくなかった。 余談ながら―――グリーニャを管轄する保安官事務所は、かの山村だけでなくベルエィア山周辺の村落の警邏を一手に引き受けている。 その為、保安官事務所は各村落のちょうど中間地点に設置されていた。 問題はその“中間地点”だ。グリーニャからは数十キロと離れており、 緊急事態が発生した場合であっても現場へ急行することが不可能なのである。 しかも、だ。長閑な田舎である為に保安官たちも実戦経験者は少なく、 いざと言うときの武器である警棒すらろくに握ったことがない者までいる始末であった。 言うまでもなく、スマウグ総業には最初から及び腰。グリーニャ村民とスマウグ総業との間で激突が起こった夜も、 通報があったにも関わらず腰が引けてしまい、誰ひとりとして出動できなかったと言うのだ。 村に居残ったクラップの話によれば、ガラハッドが死に、廃棄物処理施設がすっかりもぬけの殻になってから ようやく保安官たちは現場検証に赴いてきたそうだ。自分たちの身の安全が保障されて初めて動き出した、と言うわけだ。 「何の為の保安官なんだっつーの。胸のバッジなんか完璧にただの飾りだよ」とクラップは毒づいていたが、 まさしくその通りの体たらくと言えよう。 しかし、このような保安官事務所はエンディニオンでは珍しくもなんともなく、恥ずべき職務怠慢は常態化していた。 それに比べ、テムグ・テングリ群狼領はどうか。 エルンストの支配する領土に於いては比較的法整備の行き届いており、各地に置かれる代官を中心として治安が保たれているのだが、 それ以外の土地では警察組織などあって無きが如し、と言う状態であった。 正義に燃えるハーヴェストやフェイチームのように市民の護衛や治安の確保を保安官に代わって請け負う冒険者が 全く存在しないわけではない。 また、格闘技の修練が盛んなタイガーバズーカと言う土地では、 武術に精通した格闘士たちが『スカッド・フリーダム』なる組織を旗揚げ。 悪徳の輩によって苦汁を飲まされる人々の要請に応じ、治安維持へと急行する活動も始めている。 だんだら模様の腰巻を翻して現場に急行する『スカッド・フリーダム』の活動は目覚しく、 結成以来、犯罪発生確率が順調に下がっていると言う。無論、壊滅させられたギャング団の数もこれに比例していた。 無法の世界を是とし、私利私欲を貪る輩を良心に従って打ち倒す―――保安官事務所の稚拙に見切りをつけ、 独自にエンディニオンの治安確保を行おうとする傾向は確かに強まりつつある…が、 何事にも現実問題と言う限界は必ず付きまとう。 そして、勇名を馳せるスカッド・フリーダムにも弱点はあった。 タイガーバズーカと言う土地と、そこで修練する格闘士を基盤としている為、何万もの隊員を確保することが出来ないのだ。 志を同じくする者を同胞に加え、隊員は二千を数えるまでに膨れ上がっているものの、 さりとてエンディニオン全土を網羅するには到底足りない。 アウトローの取り締まりやバウンティハントなど治安維持活動と一口に言っても、犯人ひとりの逮捕を専門に行ってはいられなかった。 犯人捜査と賞金首の撃破は似て非なるものと言っても良い。 投入できる人数に対して犯罪件数があまりにも多く、たったひとりの逮捕に要員を割ける余裕を持ち合わせていないのだ。 これはスカッド・フリーダムに限ったことではなく、ハーヴェストやフェイチームにも同じことが当てはまる。 であるからこそ、ヒュー・ピンカートンのような存在は非常に頼もしく、引く手あまたなのだとか。 それほどの人物であれば今回の依頼をするにも不安は無い。 また、ジョゼフが言ったように、彼はジューダス・ローブの捜査には特に力を入れており、 それに関することであればエンディニオンでも右に出る者はいないとの事だった。 だから、この予告が本当にジューダス・ローブのものならば、行なわれるであろう手口の予測がつき易いというわけだ。 因みにヒューのファミリーネームであるピンカートンは、 マコシカの長であるレイチェルと、ニコラスの配達物の受取人であったミストと同じであるが、 それについては当面は事件とは関係ないだろうからアルフレッドはそこには触れなかった。 それよりも彼には言うべき事があったので。 「御老公の身辺を守るためにも、俺たちの手を貸しましょうか? いえ、是非とも手伝わせてください。御老公に受けた恩義を少しでも返せる事ができるのならば協力を惜しみません」 「うむ、受けた恩は返さねばならぬのが人間社会のルールというものじゃな。 こういう時のためにワシは常々おヌシに手を貸し続けてきたわけじゃ。 ………とまあそれは冗談として、おヌシのその気持ちは非常にありがたい。遠慮無く受け取ることにするぞい」 アルフレッドがジョゼフに受けた恩、それは彼がアカデミーに入学する際に、 また入学してからもジョゼフに資金援助を受けていた事である。 決してアルフレッド、というかライアン家が資金の工面ができないほど困窮していたわけではないが、 それでも金銭的負担は大きかった。それをジョゼフが肩代わりしたというわけである。 他にもアルフレッドは、ジョゼフから公私にわたって手厚い援助を受けてきたのだ。 孫を通じた交流にしては供給過多と言えるくらいの行為である。 故にアルフレッドは日ごろからジョゼフに感謝の念を持ち続けてきたわけで、 受けた恩の万分の一でも返せればと協力を持ちかけたのだ。 このアルフレッドの提案に、ジョゼフはいたく喜んで、顔をほころばせて「よくぞ申した」と彼の手を握った。 老人らしい節くれ立った手の感触と、年齢不相応な力強さがアルフレッドに伝わった。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |