6.公開狂行テロリズム

「―――たわけィ! 大人を頼るのが子供の仕事じゃろうが! その本分を忘れて大人を気取るなど言語道断じゃッ!
冷めた振りをしていじけておらんと思い切りぶつかって来ぬか! それとも、子供のわがままを受け止められぬとでも見下しておるのか?
大人をナメるでないわァッ!!」

 忘れがたい記憶とは、どれほど時間が経過しても色あせることなく、風化することもなく、
鮮明に残り続けるものだ。
 アルフレッドの鼓膜では、数年を経た今もジョゼフから入れられた一つの喝が余韻のように残響し続けている。

 アルフレッドがジョゼフと初めて出逢ったのは、彼が視察の為にグリーニャを訪れたときだった。
 そのときには既にフィーナはマユと手紙のやり取りを通じて親睦を深めていたのだが、
アルフレッドが弁護士の夢を抱き、けれどもライアン家の経済事情から
それを断念せねばならないとの話題が挙がったと言う。
 フィーナにしてみれば、頭を悩ませている問題を親しい友人に聴いて欲しかっただけなのだろう。
事実、フィーナはルナゲイト家の当主と言うマユの立場へ何らかの期待をしたことは一度もない。
と言うよりも、地位や財産になど全く興味がなかった。
 ルナゲイトのおこぼれに預かる為、マユへ接近したのではないかと邪推する心の貧しい者もいるにはいたが、
そもそもふたりが出会ったのは、雑誌に掲載されていた文通相手募集がきっかけなのだ。
 『スカルピラニア』と言うペンネームからマユの正体を見破ることは難しい。
しかも彼女は自分の正体が明るみに出るのを避ける為に宛先にも別邸の住所を用いていた。
 仮に最初からマユ・ルナゲイトを名乗っていたとしてもフィーナは彼女の肩書きなど気にもしなかった筈であるし、
マユもまたそんなフィーナを選んでいたことだろう。
 フィーナに言わせれば、友達になったのはマユであってルナゲイトの家ではないとのことである。
ルナゲイトと言う肩書きにこだわる人間の考え方がフィーナには理解できないそうだ。

 アルフレッドが夢を諦めかけているとマユに打ち明けたのも、決して学費の援助を期待したわけではなく、
ありふれた愚痴のつもりだったのだ。
 ところが、マユを介してジョゼフの耳に入ったことから話は一転する。
 視察のついでにマユを伴ってグリーニャへ訪れたジョゼフは、初対面のアルフレッドに件の一喝を浴びせたのだ。
 おそらくファーストコンタクトとしては最大級のインパクトであろう。

 普段は物静かなアルフレッドもこのときばかりは身内の恥をさらすなと色をなしてフィーナを叱責した。
 確かにマユはフィーナの親友ではある…が、アルフレッドにとっては他人同然だ。
彼女がグリーニャへ遊びに来た際にあいさつくらいは交わしたものの、
顔見知り程度の間柄であって友人と指差せるほどに親しくした覚えは全くない。
 いや、仮に友人であったとしても頼んで良いこととそうでないことがある。
その境界を越えたと思ったからこそアルフレッドは激怒したのだ。

 ルナゲイト家は奨学金の支給と言った育成プロジェクトにも力を注いでいる。
 ジョゼフの弁に理があることは十分に理解していたものの、ここで誘いに乗ってしまえば、
フィーナを揶揄した連中の言った通りになってしまう。
 “ルナゲイトのおこぼれに預かる”―――他人の施しでロースクールへ行くことを彼自身が誰よりも納得できなかった。
 アルフレッドにもプライドがある。

 頑なに援助を拒むアルフレッドへアカデミーに行くよう促したのもジョゼフだった。
 士官学校では軍人養成の一環として様々な資格の取得を奨励している。
 軍法会議に於いて欠かせない人材である弁護士もこの範疇に入るものであり、
アカデミー在学中に資格を取得する人間も少なくなかった。

 最低限の費用で弁護士バッジを手に入れるにはアカデミーと言う選択肢がある。
それ自体はアルフレッドも候補には入れていた。
 しかし、その“最低限の費用”を自分のわがままの為に両親へ負担させることが生真面目なアルフレッドには憚られたのだ。
 これが世渡り上手なクラップあたりなら「親のスネなんてかじる為にあるんだぜ?」などと気楽に答えを出していただろう。

「ならばのぅ―――お主、ワシの為に働いては見ぬか? 無論、今すぐにと言うわけではない。
………仕事柄、ワシも敵が多くてのぅ。何時商売敵から命を狙われるか知れぬ。
そこで、じゃ。アカデミーにて軍学の極意を学び、いずれ来るであろうワシの危機を救って欲しいのじゃ。
言わば、これは投資じゃよ。いや、保険と言うべきかも知れぬな。お主の為ではない。ワシの為にすることじゃ」

 そんなアルフレッドだからこそジョゼフのこの言葉が胸に突き刺さった。
 資金の供出の代価として、将来自分の為に働くことを交換条件とはしているものの、履行を求めるような口ぶりではない。
まず間違いなく強情を張るアルフレッドを説得する為の方便に過ぎなかっただろう。
 だが、その叱咤が何よりも強くアルフレッドの背中を押したのだ。

 他人の施しを受けるわけにはいかないと強情を張りながらも、
夢を追いかけることすら出来ない自分の境遇へ苦さを感じていたことも事実であった。
 その複雑な思いをジョゼフは理解し、進むべき前途へと導いてくれたのである。

 ジョゼフが力を尽くしてくれたお陰で晴れてアカデミーへ入学できたアルフレッドだが、
彼が感じている恩は、資金援助だけではない。
 諦めかけていた人生を先に進ませてくれたのは、全てジョゼフあってのことだった。
 ジョゼフに出会っていなければ、自分の人生は行き詰まったまま終わっていただろう。田舎の片隅で燻り、腐っていっただろう。
恩の一言では表しきれない強い思いをアルフレッドは胸中に抱いていた。

(………今こそ恩を返すときなんだ!)

 大恩あるジョゼフがテロリストに命を狙われている。かつてジョゼフの予見した危機が、今そこに迫っている。
交わした約束を履行すべき瞬間が今まさに訪れようとしている。
これまでの恩に報いる為にも命を賭してジョゼフを護らんとする決意がアルフレッドにはあった。


「おや………あなたも眠れないのですか? 尤も、事情が事情だけに無理もない話しですけどね」

 あてがわれた寝室を抜け出し、先ほど喫い損ねた煙草に改めて火を点けたアルフレッドだったが、
しかし、今度も紫煙を愉しもうとした矢先にその出鼻を挫かれてしまった。
 一服しようと彼が訪れたのは分煙用のパーテションによって隔絶された喫煙スペースなのだが、
煙草に火が点けられる瞬間を見計らったかのようなタイミングでガラス張りの壁がノックされ、
アルフレッドは反射的に構えを取った―――

「お見事。一分の隙もないとはこのことを指すのでしょうね」
「セフィか。………脅かすな」

 ―――しかし、敵襲を警戒して拳を向けた先に立っていたのは、控えめに喉を鳴らすセフィであった。
 拍子抜けした表情があまりにも滑稽だったのだろう。とは言え、深夜に大笑いすることも憚られる。
そう考えたらしいセフィは、身体をくの字に曲げて忍び笑いを漏らしている。癇の虫を懸命に堪えているようだ。
 敵襲を警戒したのに出会ったのがセフィだったのだから、アルフレッドが面食らうのも無理は無い…が、
彼も彼でなかなか人が悪い。
 セフィは完全に気配を消してアルフレッドへと近付いていったのだ。
アルフレッドからして見れば、共に戦う仲間となったのだから、そのような気味の悪い真似をして欲しくはなかろう。
 しかも、今はジューダス・ローブ襲来を控えた夜なのだ。いたずらにしてはタチが悪過ぎた。

 とは言え、やって来た相手が判ってしまえば、気を張っている必要もなくなる。
二言三言、文句を言ったアルフレッドは、せっかく点けたばかりの煙草の火を揉み消すと、
喫煙スペースから出てセフィを最寄のソファへ座るよう促した。
 喫煙スペースはセントラルタワーの一角に設けられた自販機コーナーのすぐ脇にある。
自販機コーナーは簡易な休憩場も兼ねているので、腰を下して一息つけるソファが設えられているのだ。

「ブラックでいいだろう? ………カフェインが強いものを夜に飲んだら、かえって寝れなくなるか」

 自販機にコインを投入しながらそう問いかけたアルフレッドは、セフィからの返答を待たずに缶コーヒーのボタンを押す。
程なくして二本のホットコーヒーが取り出し口へと落とされ、アルフレッドはそのうちの一本をセフィへと投げ渡した。
 セフィからは「ブラックは飲まないんですよね、私。ミルクティーと決めているので」などと不満の声が上がったものの、
元より受け付けるつもりがないアルフレッドは、聴こえぬフリをしながらプルトップを開けた。
 ニコラスの住む地方では、飲み口の中に押し込むタイプのプルタブが一般的らしいのだが、
ルナゲイトで流通しているのはプルトップを完全に取り外すタイプのものである。
 外したプルトップをアルフレッドはまだコーヒーの残っている缶の底へと沈ませた。
 「不衛生ですよ」とのセフィの指摘をもアルフレッドは聴こえないフリでもってでやり過ごした。


 チームに加わったばかりと言うこともあって未だに掴み切れていない部分が多いものの、
彼もまたジョゼフを護ろうとする者の一人であった。
 自分と同じように気分が昂ぶって寝れずにいるのだろう。そうアルフレッドは納得している。
実際、アルフレッド自身も警戒心が過敏になってしまう程に気持ちが昂揚していたのだ。

「………話は御老公から聴いているな?」
「正確にはマユさんからですけどね。………私の口から言うのもなんですが、ジョゼフ様は敵が多いですからね。
脅迫状が送りつけられることも少なくはないそうです」
「だが、今度は相手が相手だ」
「ええ。………ジューダス・ローブ。話を伺ったときにはまさかと思いましたよ」
「おそらく俺と同じリアクションをしたのだろうな。そうだ。俺もまさか、と考えた。
今度の一件、本当にジューダス・ローブが絡んでいるとすると、些か不可解なことが多い」
「だからと言って、テロリストの好きにはさせませんよ。ジョゼフ翁はマユさんにとって掛け替えのない肉親。
私にとっても護るべき相手。マユさんを悲しませるわけには行きません」
「………………………」
「………? どうかしましたか?」
「いや、別に………」

 思考を別なところに飛ばしていた為に返答に窮し、口どもってしまったアルフレッドは、
缶コーヒーに口を付けることで動揺を誤魔化した。
 さながら魔王のようなファッションを常用し、親愛の気持ちを「ファック!」「キリュー!」などと
悪魔的な言葉で表すようなマユの性情を周知しているアルフレッドには、彼女に恋人がいること自体が驚きなのだ。
 しかも、相手が思わぬ身近にいたとなれば、驚愕は数倍増しと言うものである。

 尤も、装いで言えば、両目を覆い隠すほど長いエクステが特徴的なセフィも、マユほどではないがエキセントリックではある。
あるいは、この装い自体もマユの影響によるものなのかも知れない。
 いずれにせよ似合いのカップルであることはアルフレッドにも見て取れた(と言うよりも、誰に目にも明らかだろうが)。

(………アレのどこに惚れたんだろうな、こいつ………)

 とは言え、「マユさんの美しさは私だけが知るのですから」と惚気るセフィの心情が理解し難いこともまた偽らざる事実で、
それが為にアルフレッドはついセフィを訝り、時折、彼より放られた言葉にどう切り替えして良いものか、惑ってしまうのだ。

「佐志で拝見した智謀には素直に感服しました。どうか、マユさんの為にも力を貸してください」
「元よりそのつもりだ。と言っても、俺の場合は御老公への恩返しだ。お前の惚気に付き合ってやれなくて悪いがな」
「目的は同じですよ。ジョゼフ様を護る。ジューダス・ローブの犯行はなんとしても阻まねばならない。
だからこそ頼もしく思うんですよ。あなたのような人が味方でいてくれて」
「俺が頼もしいかはわからないが、………俺の力はこのときの為に蓄えてきたんだ。絶対にしくじったりはしない」

 いずれにしても自分と同じ決意でいてくれる人間が他にもいることは頼もしい。
差し伸べられた手をアルフレッドは強く握り返した。







 気持ちの昂ぶりを抑えきれないアルフレッドとセフィが眠れぬ時間を過ごしている頃、
ジョゼフもまた己の書斎にて執務を続けていた。
 時刻は既に日付変更線をとうに越えている。にも関わらず、疲労の気配を感じさせるどころか、
分厚いファイルとハンズフリーの電話、パソコン、モバイルのメール機能を器用にも同時に使いこなしており、
かと思えば、手元のファクシミリから矢継ぎ早に飛び出してくる書類を一瞥し、
ただそれだけで内容の全てを把握して部下に指示を出している。
 頭にはオペレーターが付けるのと同じヘッドセット型のマイクだ。これで別のフロアに控えている部下たちへ
指示を出している次第である。イヤーパッドから有線で?がっているコンソールには二十ばかりボタンがあり、
これを押すことによって周波数を変調させ、指示を与える人間を選んでいるようだった。
 電話とマイクを同時に使うことは混線が案じられるのだが、巧みな使い分けが成されている為、
一度たりとも詰まることがなかった。
 デスクの正面に設置された大型モニターには、数チャンネルのテレビ番組が同時に表示されているのだが、
ジョゼフはこの内容も一瞥しただけで全て吸収している様子である。
 先ほどのパーティーでしこたまアルコールを浴びていた人間とは思えない速さだ。
いや、そもそも六十余歳とはとても思えない。
 さすがは新聞王の異名を取る大人物―――そう言うより他なかった。

 ルナゲイトの現総帥であるマユの執務室がセントラルタワーの最上階へ設けられているのに対し、
ジョゼフの書斎は地下三十階に位置している。書斎と言うよりもシェルターと呼ぶほうが相応しいような階層だ。
 しかし、テレビと通信とノイズとが一塊となって押し寄せてくるような喧騒は、
大都市のど真ん中にいるのとさして変わらなかった。
 …いや、地下室と言う性質上、音が反響して部屋中を駆け巡る為、その喧騒は地上よりも遥かに刺々しいのかも知れない。

「お爺様は本当に良い駒をお持ちのようですわね。駒ではなく飼い犬と言うべきかしら。
いずれにしても上手いこと飼い慣らしたもの」

 そのような場所であるからこそ、書斎へ姿を表したマユの声を聞き分けられたことには驚きを禁じえなかった。
 実際、部屋の入り口で直立している黒服姿のガードマンたちも、
室内に吹き荒ぶ音の嵐からマユの微かな声をジョゼフが拾い上げたことへ密かに目を見開いていた。
 後姿に見て取った僅かな変化からガードマンたちの驚愕を察したジョゼフは、
「修行が足りぬぞ、若造ども。動揺するほどのことでもあるまい」と苦笑いを漏らし、次いで室内の通信を一度完全に遮断した。

 書斎の中でもとりわけスペースを取るモニターを挟むよう東西二列に設置されたソファの片方へと腰を下したマユは、
中身の冷え切ったティーカップを傾けながら歩みを進めてきたジョゼフより一束の書類を受け取ると、
祖父が向かい側に座るのも見送らず紙面を埋め尽くす文字の乱舞へと視線を走らせた。

「駒とも飼い犬とも思うたことはないがな。しかし、あやつはよくよく育ってくれたわい。それは認めよう」
「ほら、やっぱり。最初から手駒にするつもりだったのでしょう? ………そう、最初から」
「………我が孫ながら性根が腐っておるのぉ、お前は。どうしてそう物事を捻くれたようにしか見れぬのじゃ」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
「駒が欲しいと抜かしおったが、もう一匹飼い慣らしておるではないか」
「あら、心外ですわね」

 ―――言うやマユは自分の首回りをほっそりと伸びた指先でもって一撫でした。
色白な首にハートの飾りをあしらったチョーカーが締められており、そこから妖艶なものが立ち上っている。
 チョーカーを撫でた白い指から何事かを感じ取ったジョゼフは、
「…やめじゃ、やめ。孫の口から聞きとうないわ、そのような話」と一方的に話を打ち切り、
苦いものでも飲み干すかのようにティーカップを呷った。

「………手駒とも飼い犬とも思ってはおらぬ―――が、使い道が出て来たことは否めぬな」

 手渡された書類をマユが半分ばかり読み進めたのを確認してからジョゼフはそう切り出した。
 マユが目を通している書類は、アルフレッドがグリーニャを出発してからルナゲイトへ到着するまでの歩みが
事細かに記述されたレポートである。
 正確に言うならば、グリーニャを出発するより以前にまでレポートは遡って記されている。
アルフレッドの関与が公になっていない筈のスマウグ総業壊滅の一件も、フツノミタマとの因縁に至るまで全てが詳述されていた。
 改めて問うまでもなく、テムグ・テングリ群狼領の内紛に巻き込まれ、結果としてエルンストの信任を勝ち得たことや
マコシカでダイナソーらとデッドヒートを繰り広げたことも網羅されている。

 アルフレッドたちがルナゲイトへやって来てからまだ半日と経っていない。
だと言うのに、これだけ細かな情報を調べ上げられるものだろうか。
 グリーニャ出発の前後からアルフレッドたちの動向をマークしていたと仮定するならば、
短時間の内に一行の歩みを網羅したレポートがまとまったことにも辻褄が合うものの、
それはそれで不気味以外の何物でもなかった。

「パラッシュにはだいぶ気に入られたようですわね」

 ルナゲイトの総帥としても気に掛かるのだろうか、マユはアルフレッドとエルンストの繋がりへ最も強く興味を示した。

「よもやテムグ・テングリとカチ合うとは予想だにしておらんかったわい。
しかし、あれの好みそうな男だからな、アルは。そして、アルの才覚を最も上手く使える男でもある。
惹かれ合ったとしか言いようがあるまい」
「フィーナちゃんが聴いたら卒倒しそうな話ですわ」
「蛮族の軍師になるのが心配と言うわけか? あの娘も気苦労が絶えぬな」
「エルンストとアルフレッドさんが絶えず一緒にいる。それを想像しただけでフィーナちゃんには堪らないのですよ」
「堪えきれぬほどのことか? 心配性じゃな………別に取って食おうと言うわけではあるまいに」
「いえ、取って食われたら本望なのです」
「言っておる意味がわからんが………」

 マユを通して語られたフィーナの“気兼ね”をジョゼフが理解できなかったのはさて置き、
速読の目はマコシカでの行動が詳細にまとめられた項へと進んでいた。
 どう言うわけか、マコシカの項目にのみ数枚の副読資料が添えられている。
そこではアルフレッドとは別の人物の行動が簡潔に述べられていた。
 副読資料をパラパラとめくっていたマユの口元に微かな笑みが浮かび、その様子を見て取ったジョゼフは忌々しげに鼻を鳴らした。

「運命に引かれ合うとは良く言ったものですわね。まさか、あのような辺境でソニエお姉様と出くわすなんて」
「………ふん。自分の前言をよくよく考えてみよ。ソニエはあの民のもとで修練を積んだのじゃ。
マコシカの民と共におっても何ら不思議ではあるまい」

 副読資料にも記載が散見されるもうひとりの孫娘に対してジョゼフは素っ気ない反応を見せているが、
冷淡な態度の裏側にある感情を見抜いているらしいマユは、それを冷やかすかのように厭味っぽく喉を鳴らした。

「ましてや明確な目的があってマコシカの酋長を尋ねておったのじゃからな」
「つまりは“運命に引かれた”―――そうですわね。別々に行われていた人助けと物探しが交わるなんて、
それこそ運命とでも言わなくては説明がつきませんわ。………運命と言えば、ソニエお姉さまの―――」
「―――それ以上は口にするでないぞ。虫唾が走るからのぅ………」
「あらあら、良い歳をしてつむじを曲げてしまわれた」

 強行に言葉を遮ったジョゼフへマユからは容赦なく失笑が浴びせられる。
 彼女の言わんとしていたことをそのまま耳に入れるくらいなら失笑されたほうがマシだとでも言わんばかりに
ジョゼフは口をへの字に曲げて見せた。
 途端にマユの失笑が一層甲高くなったが、それでもジョゼフはへの字口を続けている。

「フェイ・ブランドール・カスケイドは、どうも使い道が無さそうですわね」

 ひとしきりジョゼフの醜態を堪能したマユは、ややあってから彼が最も訊きたくなかったであろう男の名を口にした。
 ………しかし、名前を発する際に込められたニュアンスには、
実姉の恋愛事情や、それを認めたくないジョゼフの親心を茶化すようなモノは一切省かれている。
 まるで取るに足らない無機物の名称を吐き捨てるかのような冷たさであった。

「あれの無価値はとうの昔にわかりきっておったこと。此度の結果も化けの皮が剥がれたとしか思わんわ」
「ソニエお姉様が聴いたら真っ赤になって怒るでしょうね」
「色ボケして人の値打ちを見誤るような阿呆など知ったことではないわい」

 ジョゼフの声には幾分私怨が混ざっているものの、彼もマユも、フェイに対する評価は共通しているようだ。
 仮にもエンディニオンにその雷名を轟かせるフェイに向かって「化けの皮が剥がれた」などと
穏やかならざる物言いをするジョゼフであったが、それを見つめるマユは無残とも言える評価へ異論を唱えようとはしなかった。

「………あるいはイシュタルにも愛想を尽かされたのかも知れぬな、この世界は」

 天井一面に張られた大きな大きな世界地図を仰ぎ見たジョゼフは、
まるで祈りでも捧げるかのように胸元で十字を切った。
 エンディニオンに於いて十字架(クルス)は、魔を引き裂く神聖なる力の顕現とされている。

「本人の資質以前の問題だった…と? それではあまりにカスケイドが浮かばれませんわね。
カスケイドは英雄の器量に非ず。それ以上でもそれ以下でもありませんわ。
目に見えなければ役にも立たない、崇めるだけ無駄な存在を判断材料にすること自体、弱者の考えですわね」
「抜け抜けと不敬をほざくのぅ。では、マコシカのプロキシは如何に説明する? 
神々の奇跡をもたらす人間がワシらの身内におるではないか」
「おや? お爺様にしては感傷的ですのね。それとも命を狙われると心持ちも変わってくるものかしら? 
女神様のお慈悲へすがりつきたくなっても、お爺様ではもう手遅れではありませんこと? 
救われるどころか悪魔として裁かれるのがオチですわ」
「………小娘がからかうでない」

 ジューダス・ローブの標的にされたことを暗にからかっているのだろう。
ジョゼフがどのように表情(かお)を歪めるものか窺いながらマユは甲高い笑い声を上げた。
 部屋中を駆け巡る厭味な笑い声にもジョゼフはへの字口を崩さず、
テロリストなど恐れていないと己の気概を示すように指先をコキコキと鳴らした。

「利用できるものは利用し、立ちはだかるもの、不要なものは排除する。
例え相手が女神であろうと何であろうと、我々ルナゲイトの取るべき道はその一本のみではないかしら?」

 なおもマユは不遜な態度を取り続けているが、しかし、ジョゼフはそれを殊更強く注意はしなかった。
 マコシカやプロキシを通じて神々の恩恵は地上にもたらされている―――そのことを示してからと言うもの、
イシュタル自体を否定するようなマユに向かって糾弾の声を荒げるわけでもなく、
エンディニオンに生きる人間の責務として神々の実在を証明しようと意気込むわけでもない。
 天井の世界地図を仰いだまま、マユへ一瞥くれることもなくジョゼフは「  」と一言だけ呟いた。 

 ………世界地図、と一応は呼称したものの、正しくは“世界地図らしきもの”と言うべきなのかも知れない。
 作成者の真意はさだかではないのだが、地図上には見慣れぬ地名が幾つも書き込まれており、
そればかりか、エンディニオンで流通中のいずれの地図でも確認できない島や大陸まで加えられているではないか。
 自由な発想力を発揮させた子どもの落書きか―――だが、それにしては地図の表記が正確すぎる。
新たに加えられた島や大陸に至っては、描画の精密さは言うに及ばず縮尺まで完璧に整えられていた。

「………どこまでも乾いた世界じゃ」

 ジョゼフが見つめる先へと視線を巡らせれば、そこにはフィガス・テクナーと言う地名があった。
ニコラスたちが探し求め、この所在を尋ねられた折に知らぬ存ぜぬと言い張った筈のフィガス・テクナーが。







―――そして、運命の収録日が訪れた。
アルフレッドと共にジョゼフの警護にあたるのがセフィにローガン、フツノミタマ。
ニコラスやディアナも加われば頼もしかったが、彼らにはテレビ出演があるためそれは叶わぬ事。
ホゥリーにも一応声をかけてみたのだが、「それはチミの都合だし、ボキにはリレーションはナッシング」
と彼はアルフレッドが予測していた通り手を貸すつもりは更々なかった。
もっとも、今までの経緯から最初から彼に期待などしてはいなかったがそれはどうでもよい。
フィーナやシェインは要人警護という今までの戦闘とは異なる戦いを任せるには心もとないという点と、
できることなら危険に巻き込みたくないという点から、アルフレッドは事の次第を告げずにいた。
タスクには今回の概要を伝えてあり、万が一の時にはその二人とマリスの安全を確保してくれるように頼んだ。
後はジョゼフが雇ったヒューだが、

「あんまりトーシロがこういう事に首を突っ込んでもらいたくねえんだけどなあ。
役に立たないだけってならまだましだ。俺っちの邪魔にでもなったら目も当てられねえよ」

と出会ってすぐさま、ジョゼフより紹介されたアルフレッドたちを見回してそう言った。
長年この稼業に従事してきた者のセリフらしいと言えばそうなのだが、しかし彼がそう言うにはどうも違和感があった。
くたびれたジャケットはとインナーのシャツは確かにステレオタイプな探偵っぽい。
だが、ズボンを捲り上げて脛毛が存在感をアピールしているし、さらに足はサンダル履き。
大よそリゾート地に来ているような出で立ちは妙な胡散臭さを与えたし、
挙句にあまり散髪していないように思われる髪を束ねた頭部のシルエットはまるでパイナップルで、
遠目からでもすぐさまヒューだと判別できるほどに、あまりにも悪目立ちしていた。
こんな姿格好で本当に探偵業などを全うできるのだろうかと他人事ながら心配してしまう。
そんなヒューに素人扱いされては得心がいかないのも当然といえば当然だった。

「んで、会長サンをどう守るつもりだい? そこの切れ者っぽい兄ちゃんよ」

ヒューに違和感を覚えていたアルフレッドにはそれが表情に現れていたのだろうか。
それを見た彼はアルフレッドの出来を計るように尋ねてみた。

「御老公にはこのスタジオの入り口、一つしかないそこから遠く、かつ死角になる場所に待機してもらう。
壁を背にして三方にオレとローガン、セフィを配置する。
ジューダス・ローブが銃器を用いても、刃物を用いてもいち早く安全が確保できるだろう。
そしてフツノミタマにはいうなれば遊撃としてもらう。これならばもし敵が複数でも、より早く相手を抑えられるだろう」
「ふうん、一応は合格といったところか。だが奴さんの事だ、それで上手くいくならおなぐさみってところだな。
ま、せいぜい俺っちの足だけは引っ張ってくれるなや」

アルフレッドの警護案を聞き、ヒューは良くもなければ悪くもない、くらいの反応を示した。
十人単位でのもっと厳重な警護をアルフレッドもしたかったのだが、
ジョゼフがスタジオ内で囮にならなければならないという制限があるため、それ以上を望むのも難しかった。
ならば自分がずっと傍にいてジョゼフを守り続けられれば滅多な事にはなるまい、と考えた。
それは希望観測的な面が多々あったが仕方ない。

「人数が多ければ良いと言うものではありませんからね。彼の作戦は考えられる中で最善だと思いますよ」
「せやせや。ごっつい数で固まっとったら動きにくくてかなわんで。四人やったらどこ動いたってスッキリや。
思いっきり暴れられるっちゅーもんやで」
「目的を見失うなよ、ローガン。俺たちはあくまで御老公の護衛だ。
ジューダス・ローブを捕らえられるなら御の字だが、ヤツを倒せたところで御老公に危難が及べば作戦は失敗」
「おっとと、わかっとるがな。暴れるのは二の次やて。一宿一飯の恩義を返さな漢が廃るさかいな」
「飲み込みが早くて助かる。一度、火が点くと見境のなくなるどこぞのバカとは大違いだ」
「てめー、コラ! 今、明らかにオレのこと言ってやがったなッ!? 本人前にして悪口たぁいい度胸じゃねぇかァッ!!」

 遠まわしに揶揄されて爆発するフツノミタマではあるが、猪突猛進傾向な気性はともかく、
テレビ番組のスタジオ、加えてジョゼフの護衛と言う限られた空間・状況・条件の中で戦うにあたって
彼は最適の武器を持っている。
 閉所であっても操り易いドスと、そこから繰り出される鋭敏な剣技は、必ずやこの作戦で最大の効果を発揮することだろう。

 徒手空拳のアルフレッドは言うに及ばず、セフィとローガンもそれぞれ狭い空間での作戦に即した戦闘スタイルである。
 セフィの得物は、亀の甲羅のように丸みを帯びたラウンドシールド(円形の盾)だった。
彼はこのラウンドシールドを巧みに操って攻守を演じ分けるそうだ。
 防御はともかくどのようにして攻撃を行うのか、アルフレッドには皆目見当もつかなかったが、
周囲から寄せられる怪訝な眼差しへ応じるようにセフィはラウンドシールドを拳で小突き、
いかにも堅牢そうな残響でもって自信の程を示している。

 ローガンは見た目通りにパワフルな体術を使うと言う。
 同じ徒手空拳同士、アルフレッドへ人並み以上の親近感を抱いたらしいローガンは、
「今日はええもん見せたるで。ワイの取っておきで度肝抜いたらええがな」と力瘤を作って快哉に笑った。
 彼の言う“取っておき”とやらの正体は披露の舞台まで伏せられてしまったが、
どうやら単純な打撃ではなさそうだ。
 ローガンもそれなりにキャリアを積んだ冒険者である。
同業者のセフィの耳には、度肝を抜くとローガンが豪語する“取っておき”の委細が届いているらしいのだが、
これを尋ねても「見てのお楽しみ」とはぐらかされてしまった。
 作戦に参加する人間の戦闘能力が未知のままでは、策を案じる立場としては些かの不安を持たざるを得ないが、
秘密を保持しながらも太鼓判を押すセフィの評価は、信を置いても良かろう。

「一気に心配になってきちまったぜ。おたくらよぉ、こいつは遊びじゃあねーんだぜ? 
ちっとは腕に覚えがあるようだがよ、奴さんを甘く見てっとケガじゃ済まねぇぞ」

 戦闘スタイルそのものは申し分ないが、これを操る当人たちはいまいち緊張感を欠いており、
その様子に呆れたヒューは、これ見よがしにシニカルな溜め息を吐き捨てた。

「相変わらず外フェイスだけはグッドルックにキメてるみたいだねェ、ヒューのダンナ。
ザットなストロンガーのフェイス、マイホームでもやったらグッドじゃナッシング?」

 素人は引っ込んでいろ…とでも言いたげな態度に対し、案の定、フツノミタマは血管がはち切れそうな形相で歯軋りした…が、
これまた厭味っぽく肩を竦めるヒューと相対したのは、今にも突っかかっていこうとする彼を押し退ける形で
割って入って来たホゥリーだった。

 直径五十センチはあろうかと言う大きな紙製のバスケットを抱えている。
 蓋の隙間からは何やら香ばしい匂いと白い湯気が立ち上っており、
鼻をヒクつかせたアルフレッドは、バスケットの中身が大量のフライドチキンであるとすぐに気付いた。
 見れば、バスケットの表面には、ジプシアン・フードなる店名をあしらったロゴマークが入っている。
 ジプシアン・フードと言えば、ジョゼフが契約を取り付けたと言う食品メーカーだ。
そう言えば―――と記憶を辿れば、一般向けに開放されているエリアにホットスナックの売り場があった。
さほど気にも留めていなかったのだが、確か同じロゴマークをそこでも見た覚えがある。

 依然として手を貸すつもりはなさそうだが、そのくせ、収録そのものは見物しようと言うハラなのだろう。
わざわざタワーの別フロアまで降りて買い求めてきたフライドチキンは、そのお供と言うわけだ。
 本来、収録スタジオ内への飲食物の持ち込みは厳重に禁止されている。
 ジョゼフの客人と言うことで例外を認めざるを得ないものの、番組スタッフからして見れば、
護衛に当たるわけでもなく単なる見学の分際でルールを踏み躙るホゥリーは悪質以外の何物でもあるまい。

「―――てめ、ホゥリー!? ホゥリーじゃねーかッ!?」
「イェス、オフコぅ〜ス♪」

 番組スタッフたちの気持ちを代弁するかのようにアルフレッドとフツノミタマが揃って舌打ちをしたのだが、
その直後、どう言うわけか、呻き声を上げながらヒューが後ずさった。
 …否、呻き声と言うよりも殆ど悲鳴に近い。後ずさりの仕方も天敵に出くわした動物のような機敏さである。

「知り合い………なのか?」

 これにはアルフレッドも驚かされた。
 人間関係と言う言葉から遠く離れた存在と信じて疑わなかったホゥリーに自分たち以外の知人がいたのである。
ファーストネームで呼び合うからには、それなりに親しい間柄なのは間違いない。
 重ねて述べるが、破綻した言行から人間関係と言う言葉が最も似つかわしくないと思われていたホゥリーに
交友と言うものが確認されたのだ。
 天地がひっくり返るような驚愕と衝撃にアルフレッドは撃ち抜かれ、
フツノミタマもまた「おいてめー、名探偵………この肉塊に弱味でも握られてんのか?」と呻いたきり、
大口を開けて固まってしまった。

「知り合いも何もナッシングね。チミたち、ダンナのファミリーネームをセイってご覧ヨ」
「ピンカートンだろ? それが一体―――………あッ!?」

 ホゥリーから示されたヒントに閃くものがあったアルフレッドは、今尚引き攣ったままでいるヒューの顔をまじまじと見つめた。

「あんた、レイチェルさんの家族なのか?」
「はぁ!? おめーら、うちのカミさんを知ってんの!?」

 ジョゼフから紹介を受けたときには、レイチェルやミストと同じファミリーネームだと漠然と思っただけなのだが、
よもや本当に彼女らの家族であったとは。しかも、ヒューとレイチェルは夫婦であると言う。
 事情があってマコシカの集落まで赴いたこと、レイチェルやミストと親睦を深めたことをかいつまんで説明したアルフレッドは、
今一度、パイナップルのような頭のてっぺんからサンダル履きの爪先までヒューの出で立ちを観察した。
 酋長たるレイチェルの夫と言うことだが、とてもマコシカの民とは思えない風貌だ。
 あのホゥリーですらマコシカの民族衣装を正しく纏っているのだが、
それに比べて彼の服装にはトラッドなものは何一つ見つけることができない。
 ピンカートン家の大黒柱ではあるものの、ヒューはマコシカの民とは一線を引いているのではないか―――
立ち入った事情まで尋ねるつもりはなかったが、そのような考察をアルフレッドは胸中に抱いていた。
 おそらくプロキシの類にも通じてはいないだろう。

 不躾と言えば不躾な眼差しを先ほどから浴びせられているヒューであったが、
彼にはアルフレッドの肩越しに見えるホゥリーの厭味ったらしい笑みが気にかかって仕方がなく、
他のことへ注意を払ってなどいられなかった。

「そーいやあ―――フィギュアのコレクションをクラッシュされたメモリアルがあったよネ。
あんまりホームへリターンしないもんだから、ワイフさんがキレちゃってさぁ。
あんときの被害総額ってハウマッチ? ぷりちーなフィギュアだったのに………」
「ご、誤解を招くような言い方すんじゃねーよ! 
フィギュアったって、お前、ボトルキャップについてるような可愛いもんだろーが!」
「そうそうそうそう。可愛いヤツね、可愛いヤツ。ダンナの居ぬ間にクリーニングしてみたら、
エンカウントしたのが身の毛のよだつほどぷりちーなフィギュアだったらねぇ………」
「ああ、なるほどな………クラップの家にあったようやヤツか。
―――その、なんと言うか、人様の趣味にあれこれ言うつもりはないんだが、
そう言うのは、せめて家族に見つからないよう厳重に隠しておいたらどうだ?」
「ホレ、見ろ! このにーちゃん、誤解しちまったじゃねーかッ! 
深海魚の人形だ、深海魚の!」
「なんやごっつ必死やんけ」
「深海魚は深海魚でも、擬人化したものがあるんだろう。幼友達がそんなような物を持っていた。
名前はなんだかったか―――“インスマス子”とかなんとか………」
「なんだ、そりゃ。鱒子? 魚ヅラの女が好みっつーことか? 
冗談はパイナップル頭だけにしとけよ、てめぇ」
「おいおいおいおい、誤解が広まっちまってんじゃねーか! 
―――そこの盾持ったにーちゃんもッ! なに腹抱えて悶絶してんだよッ!」
「面白いのはここからヨ。フィギュアをクラッシュされたディスのダンナ、
さすがにキレてワイフさんに食ってかかったんだけどさぁ―――」
「どうせ逆に叱り飛ばされて萎れたと言うオチだろう? 流れで読める」
「それだけで済みますかね? ある程度の制裁があったと私は踏んでいるのですが」
「このパイナップル頭、見るからにスケベそうなツラしてんだろ? 
お叱りを受けてふて腐れて、ピンクサロンかどっかに逃げ込んでよ、
キレーなおねーちゃんにお慰めて貰ってるトコを踏み込まれて。
そんで逃げ場絶たれてボッコボコってトコじゃねぇの」
「そないけったいな話はあらへんやろ。仮にも探偵や。
カミさんが相手言うても探偵が後尾けられてアホ面さらすなんて、
そらもう看板下ろさなあかんこっちゃで」
「―――ダンナ、ごルックなさいよ。何も心配することなんてナッシングよ。
こんなにチミのことを理解してくれるパーソン、アナザーにいるかい? 
きっとオペレーションもパーフェクトにコンプリートさ♪」
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァッ!!」

 ―――果たして、名探偵が推理した通りの結果となったようだ。
 レイチェル恐妻伝説をホゥリーに暴露され、面目を丸潰れにされたヒューは膝から盛大に崩れ落ちた。

「護衛にゃ参加しねーんだろ? ならもう帰れよ、てめーッ! 頼むから帰ってくれッ!」

 目端に涙を浮かべながらホゥリーを追い払ったヒューであったが、最早、そのときには全てが手遅れだった。
ニタニタと笑いながら観覧席へ去っていくホゥリーが目論んだ通りの筋運びとなっていた。
 先ほどまで示していた名探偵としての威厳を完全に崩壊させられたヒューは、
生まれたての小鹿のような姿勢で四肢をプルプルと震わせたまま、顔を上げることすら出来ずにいる。

「………まあ、アレだ。カミさんって生き物はよ、キツいことも悪気があって言うわけじゃあねぇんだよ。
オレはこいつらと違ってあんたんとこのカミさんと顔合わせたこたぁねぇけどよ、そこんとこはどこの家もおんなじだぜ? 
あんたを励まそうとしているんだろうぜ、きっと」
「そう言う心遣いが一番堪えるんだよ! 放っといてちょーだい!」

 珍しいと言うか何というか、居た堪れないような顔で立ち尽くしているアルフレッドたちに代わって
ヒューの肩を叩いたのはフツノミタマだった。
 人づてに聞いたことなのか、経験則なのか―――その判別はつかなかったが、
ウンウンと頷きながらヒューを慰めるフツノミタマの顔には、生暖かい同情の念が滲み出ている。
 気配りとは無縁のような面構えのフツノミタマにまで同情を寄せられたことがよほど堪えたのだろうか、
ヒューの頬からは完全に生気が抜け落ちてしまっていた。

 ジョゼフをして「アルフレッドが想像する以上にずっと優秀」、「ジューダス・ローブ逮捕にかける情熱は、
きっと良い方向に転んでくれる」とまで言わしめた名探偵の威厳は見る影もない。
 世界的テロリストとの戦いは、非常に不安な滑り出しとなった。







―――定刻を迎え、ニコラスたちが出演するバラエティー番組の収録が始まった。

 まずは司会者のラトク・崇の登場。別の子供向け番組(「SUPERビャンプ☆ピッチdeぽん!」だったろうか。
アルフレッドはろくすっぽ見ていないので分からないが、ベルやフィーナは良く見ていたようだった)
に出演している時のような陽気な感じとはまた異なった、かしこまった態度の挨拶があった。
「えー、昨今は僕の身の回りで色々と変化が起きているようですが」などという言葉から始まったラトクの挨拶は、
このまま固い調子が続くのかと思う間もなく、ぐっと砕けた、
それどころか自虐的な風味を持ったノリの軽いものに変わっていた。
内容が真面目な番組でも、時々おちゃらける彼のこういったギャップが面白いといった視聴者も多く、
彼の人気キャスターとしての根底である。
そんなラトクの軽妙なトークに、スタジオ内では若干の乾いた笑いがスタッフから上がっていたし、
雇い主であるジョゼフも「相変わらずふざけたやつじゃ」と言いながらも苦笑していた。
口元を歪めるジョゼフの様子からは、達観した者の余裕とでもいうべきか、
いつ殺害されるか分からない人物の緊張感というようなものを全く感じることはなかった。

情報バラエティの名の通り、一通りニュースを放送した後は最近流行の兆しを見せている健康のコーナーがあった。
どれそれが高血圧に効くとか、何やらが冷え性に良いとか、どこまで科学的な根拠に裏打ちされているのか分からないが、
あれこれとどこの家庭でも入手できる食材が並べられては効能を説明されていた。
そういえばカッツェが視力回復に良いとブルーベリーを食べるようになったのもこの番組がきっかけだったような、
とアルフレッドは場違いに昔を振り返っていた。
コマーシャルが明けるとようやくニコラスの出番となる尋ね人のコーナーに入る。
「恋人募集だったら回線がパンクするね、これは」とラトクに紹介されてカメラを回されたニコラスの顔には、
若干の照れと緊張が混じって浮かんでいた。
そんな彼を覆い隠すようにしてラトクがカメラの視界に入り込んできた。
すぐさまに話を振るのかと、ニコラスはリハーサルで言われた段取りを頭の中で繰り返す。
しかしラトクはニコラスにマイクを向けず、言葉もかけず、自分の方へとカメラを向けさせて話し始める。

「ところで、このニコラス君は人を探して出演したわけですが、なんとびっくり、彼自身も探されていたんですねえ。
というわけで特別ゲストさん、どうぞお入り下さい」

出演するニコラスにも、彼の仲間にも知らされていなかったが、
どうやらこの番組は彼らのためのスペシャルゲストにも出演を要請していたようだった。
照明がともされ、衝立の向こうにシルエットが浮かび上がったのが、アルフレッドたちの目に入った。
「ではご対面」というラトクの声と共に衝立が除かれると、

「まさか…… サム、もしかして――」
「信じられねえけど、やっぱり信じられねえな。しかしどうしてあいつがこんな所に? 
そりゃあ俺たちを探しまくった末にようやく見つけたってんならありがたい事この上ないけどよぉ。
しかしそうだとしてもあまりに都合が良すぎるってやつじゃないのか?」
「あンたたちがフィガス・テグナーから行方を眩ませ、続けてトキハとアタシだ。もしかしたらアイルも――」

とニコラスだけではなく、アルバトロスカンパニーの全員がこのゲストの登場に大きな衝撃を受けた。
運送業には少々不具合な腰まで伸びた髪、やや釣りあがった目には赤い瞳、
中性的かつ端正な顔立ちはよくよく見覚えのある人物と相違ない。
それに彼らと同じツナギを着用し、さらには社名入りのネームプレートまでつけているとあっては最早疑いの余地はない。
ニコラスたちの同僚であるアイル・ノイエウィンスレットだ。
彼女には事前に誰と会うのかと打ち合わせがあったのだろう、他の同僚よりは驚きの表情はなかったのだが、
それでも生き別れになっていたニコラスたちを目にした途端、彼女はやはり信じられないといった顔つきになっていた。
ニコラスとダイナソーが「特定失踪者」として扱われていた時には彼女は確かにフィガス・テグナーにいた。
となると理屈は分からないが、アイルが彼らの居場所を突き止めて、
ルナゲイトまでやって来たとも考えられなくもなかったが、それはダイナソーが言ったように都合が良過ぎる話。
それに二人よりも後発的に「迷子」になったディアナやトキハが何の手がかりもつかめなかったのに、
彼女だけは分かっていたなんて、そういった考えは楽観的に過ぎた。

「なんと、このアイルさんはそっちのニコラス君と同じ会社にお勤めです。
しかしこれは感動の再会というわけにはまいりません。
というのもこの二人にはとある事情があるんですよねえ。それは何か? 答えは彼の口から言ってもらいましょう」

このようにラトクから告げられた事で、一同の推定は断定に変わった。
ニコラス、ダイナソー、ディアナ、トキハに続いてアルバトロスカンパニー五番目の「迷子」という事だ。
そうなるとやっぱり、せっかく同僚と再会できたにもかかわらず、
アイルも含めたニコラスたちはこの偶然か必然かを素直に喜べはしなかったのだ。

「何がどうなっているんだかなあ。5人もいて誰もフィガス・テグナーへの帰り道が分からないなんてさ」
「今に始まった事じゃないけど、こりゃあ会社は大騒ぎだろうねえ。ボスがどンな顔しているのか簡単に想像できるよ」

彼らが思うように、この状況は超常現象的な何かが関与しているとしか考えられなかった。
同一の会社から5人が特定失踪者のリストに記載されるのだからそれも当然だろう。
ダイナソーもトキハもディアナが言ったように、この異常事態に青ざめているか、
四方八方に手を尽くしても結局梨のつぶてでがっくりと肩を落としているボスの姿が容易に思い浮かべられた。
会社の危機に、それ以上に社員が次々に行方不明になっている事に、頭を抱えているであろうボスの事はともかく、
今願うのは誰かが自分たちを見つけてくれる事である。
そのためにニコラスが視聴者に向けて語りだそうとした時だった。

突然セントラルタワーのどこからか大きな音がしてきたかと思うと、それと同時にスタジオが大きく揺れた。

「ええ、何だよこれ。地震? こんな時に――」

事情を知らないシェインやフィーナはそう思ったものだが、そう言っている間にも同じような轟音が幾度となく響き、
それと連動して揺れが来るのだからそういったものでは無いと分かった。
当然、ジューダス・ローブの予告を知っていたアルフレッドたちは彼らよりも早く、これが爆発物によるものだと判断できた。

「爆弾だと? どうして見つけられなかったんだ!?」
「るせえ、そういうのは専門じゃねえんだ。分かるかっつーの、ボケが!」

各所の警戒にあたっていたフツノミタマにモバイルを介してアルフレッドは聞いたが、
通話口の向こうから聞こえてくるのは爆音交じりの彼の怒鳴り声だった。
やがてそれもぷっつりと途切れる。爆発によって通信施設が破壊されたのだろう。
アルフレッドがこうも冷静さを欠いて怒鳴りつけたのも、不意をつかれて焦っていたからだ。
ジューダス・ローブがやってくる可能性のある手口について、アルフレッドたちは事前に確認済みだったのだが、
今回の手口は彼らが、ヒューですら全く予想していなかったものだった。
むしろ専門家であるヒューの方が、今までにないパターンの攻撃に驚いたくらいだ。
確かに爆発物が使用される事は何度かあってが、その目的は基本的に施設の破壊。
暗殺時に使用することは滅多に無く、使ってもほぼ一発で標的を仕留めてきたのだから、
今回のような広域に亘って爆発物を設置するという方法は初めてと言ってよかった。
どうして今回だけはこうなのか、やはりこれは名を騙った他人の犯行なのだろうか。

「奴さんのお出ましだッ! おめーら、気張れよッ!!」

 しかし今はそんな事を考えている場合ではない。肝心なのはジョゼフの身の安全を確保する事につきる。
 ホゥリーによって打ちのめされたときとは別人のように表情(かお)を引き締めたヒューは、
同志たるアルフレッドたちへ鋭く檄を飛ばした。

そうこうしている内にも爆発音は繰り返し鳴り響き、ついにはスタジオ内でも爆発が起きる。
だがそれは別の場所にしかけられていた爆弾とは異なり、爆発しても単なる煙幕を出すだけの物。
毒ガスと違って殺傷能力は無いのだから、この場にい続けても危険でもない。
とはいえ、あっという間にスタジオ内は白一色に染まり、アルフレッドたちの視界は完全に閉ざされてしまった。

「あかんわ、これじゃ何も見えへんがな」
「見えないなら見えないなりの動きをするまでだ。セフィ、ローガン、御老公の傍を離れるな!」
「ああ、その通りだ。奴さんがこれを利用しないはずがねえ。隙を見せるなよ!」

真っ白な視界の中でアルフレッドたちの叫び声が爆発音に紛れて小さく聞こえてくる。
この煙幕に乗じてのジューダス・ローブの不意打ちを警戒して、
アルフレッドたちは自らの体をジョゼフに接触させながら彼を囲んでよもやの事態に備えた。
スタジオの外へジョゼフを避難させるという方法も考えられたが、
そちらに煙幕が回っていないのかどうかは確認できなかったし、
迂闊に動こうものならヒューの言うように隙を見せる事にもなりかねない。
もっとも、視界が遮断された室内でジューダス・ローブがジョゼフを見つけられるのかどうかは知れたものでは無いが、
だからといって動いていいという決定打にもつながらず、アルフレッドはほんの短い時間迷った末にこの結論に至った。
突然の事態にいまだにすべての状況を把握しきれずに混乱しているシェインとフィーナ、
とついでに彼女の身を案じ、けたたましい鳴き声を上げながら近辺をせわしく飛び回るムルグ。
視界が無い中でアルフレッドの安全を何よりも心配して彼を探し出そうとしているマリスと、
おそらくそんな彼女を押さえて自らの安全を優先させようと促しているタスク。
テンパるダイナソーに同僚の身の安全を確認するために呼びかけを続けるディアナとトキハ。
それに懸命になって答えているニコラスとアイル。
さらには不意のアクシデントで右往左往している番組スタッフ。
様々な人間の声が妙に鮮明にアルフレッドの耳に入ってきた。
危機に際して感覚が鋭敏になっているのかと思ったが、そんな事はどうでもいい。
室内が煙で包まれる前の一瞬だけ見えた、「おふおふ、コーション! ウォーニング! デンジャー!」という声と共に、
プロキシを使って己の身だけを守ろうとしていたホゥリーの事はさらにどうでも良かった。
 慌てふためくホゥリーに向かって「日頃の行いが悪ィからそーゆー目に遭うんだよ! そのまま潰れてピザみてーになってろ!」と
ヒューから罵声が一つ投げかけられたが、これも爆発音によって掻き消されていった。


スタジオ内がパニックに陥っている間も、さらに爆発音は続いていたのだったが、

(どういうつもりだ、次の攻め手が無い。爆破だけで終わらせるつもりなのか? だとしたら――)

とアルフレッドが、おそらくはヒューやジョゼフらも思っていたように、
予告にあったジョゼフ殺害につながるようなジューダス・ローブ、もしくは他のテロリストによる襲撃は気配も無い。
スタジオで爆発音がした時にはついにきたかと、ぐっと身構えたのだったがそれだけで終わってしまった。
はっきり言って何も見えない以外は、スタジオは安全だったのだ。それがどうにも解せず、

「まさか、タワーを崩落させて御老公を圧死させようとでも?」

半ば独り言のようにヒューに尋ねてみたのだが、彼の答えもアルフレッドが予期していたものと殆ど変わらず、

「奴さんがそんな大雑把なマネしねえだろうよ。殺すならもっとあっさりやってらあ」

との事だった。それに薄々気がついてはいたが、もっと強力な爆発を起こさなければ、
堅牢な作りのセントラルタワーが崩せるわけもない。
誰がどういう目的でこんな大がかりな爆発をしかけたのかが分からないまま、
それでもアルフレッドはもしもの時に備えて、ジョゼフの身を守り続けた。
だがそんな彼らを嘲笑うかのように爆発音の間隔は徐々に間延びしていき、そして煙幕が晴れる頃には完全に止まった。

「ふむ、何とか生き延びたようじゃのう」
「それは喜ばしい事なのですが…… しかし何が何やら……」

人心地ついたジョゼフの言葉に、アルフレッドは不謹慎ながらも拍子抜けした様子で返すのが精一杯だった。

「そっちの様子はどうだったか?」
「別に、大した被害は出ていなかったな。壁と天上に穴が開いていたくらいだ」

混乱が収まった後、セントラルタワー内の被害を確認するために各所を調べてみたのだったが、
死亡した者も、さらには負傷した者も一人もいなかった。
ヒューやフツノミタマがタワーの隅々まで調べてみても、
被害と言えるものは内装の破損、及び放送用の機材が使用不能になったという程度だという。

「おいおい、一体何がしたかったんだよ。あれだけ爆発させといてさ」
「んなのオレが知るかっての。テメェで考えろよ、このトサカ」

ジューダス・ローブの仕業だったにしろ、そうでなかったにしろ、結局今回の事件の真相は何一つ分からずじまいだった。
もしかしたら放送機材の破壊が目的だったのかもしれないが、だとしたら殺害予告の意図がわからない。
アルフレッドも仲間にどう思うかと聞いてみたのだが、セフィは答えが出てこないのかずっと黙ったままだったし、
ヒューもお手上げといったような具合だった。
これが全ての終わりなのか、それとも何かの始まりなのか。
それすらも分からないまま、ひたすら当惑するしか今の彼らにはできなかった。




←BACK     NEXT→
本編トップへ戻る