6.史上最大の作戦


 両帝会戦終結後、連合軍はテムグ・テングリ群狼領の本拠地であるハンガイ・オルスに移られました。
ギルガメシュとの戦争を続けるには、大草原に建つこのお城で態勢を立て直さなければなりません。
ヴィクドのアルカーク氏も、義勇軍を率いるフェイさんも、砂漠からの撤退でご活躍されたファラ王さんも一緒です。
 そんな中、アルフレッドさんたちは連合軍本隊から一時的に離れて佐志へと戻り、
……思いも寄らない御方の出迎えを受けることになります。

「やぁ、ようこそ――随分、早いお着きでしたね」

 戦いを終えて帰ってきた皆さんを迎えたのは、長らくの昏睡状態から意識を取り戻したセフィさんでした。
 サミットでの戦いに敗れ、続くギルガメシュの襲撃時に胸を撃たれて――
アルフレッドさんたちと言葉を交わすのは実に二ヶ月ぶりのことです。
 お互いに言葉では表せないような心境だったと思います。止むに止まれぬ事情があったとは言え、
セフィさんが皆さんを裏切った事実は動かし難いのですから……。
 正義の味方を標榜されるハーヴェストさんはセフィさんのことが許せず、
お顔を見た瞬間から「ジューダス・ローブゥッ!」と、怒りを爆発させておられました。
 ずっとずっと追い掛け続けてきたジューダス・ローブを前にして、お父さんも同じように取り乱してしまうかと案じられましたが、
それは私の杞憂に終わりました。落ち着いて相対されています。
 もちろん、心の中には激しい葛藤があったでしょう。それを飲み込んで、お父さんは最後の対峙を迎えられました。

「――で、何なんだ、セフィ……いや、敢えてジューダス・ローブと呼ばせて貰うぜ」
「今日は一段と手厳しいですね、名探偵さん」
「じゃあ、一体、お前さんは何を……」
「……皆さんに昔話を聴いて欲しくて」
「何? ……昔話?」

 皆さんを前にしてけじめをつけるつもりだったセフィさんは、少しずつジューダス・ローブの真実を打ち明けました。
 セフィさんの未来予知は不可思議な異能ではなく、トラウムに備わる特性であり、……これこそが全ての発端だったのです。
 その力で世界の誰よりも早くギルガメシュの襲来を知ってしまったセフィさんは、
ジューダス・ローブを名乗って孤独な戦いを始めました。
 将来的にギルガメシュに加担する人物、拠点として利用される場所を予知能力で見極め、あらかじめ排除する――
これがジューダス・ローブの“真実”でした。
 セントラルタワーのテレビ局を破壊したのも、放送機材をギルガメシュに悪用されない為の措置だったと言うことです。
 テロリストの汚名を被ることも厭わず、セフィさんはたったひとりでギルガメシュと戦っていたのです。

「……随分とまあ手前ェにだけ都合の良い屁理屈があったもんだ。傲慢にも程があるぜ」
「……でも……でも、セフィさんはエンディニオンの為に戦ってきたんですよね?
たったひとりで、ご家族や友達を――大切なものを守り抜く為に……!」

 セフィさんの告白を受け止めての反応は、一様ではありません。
 真実を打ち明けられたうちのお父さんは鼻息荒く憤り、フィーナちゃんはこれまでの悲しい戦いに心震わされています。

「私はそんなご大層な人間じゃありませんよ。私は私のエゴを満たす為だけに多くの人間を犠牲にしたんです。
『いつか悪事を働くから』と言う理由で何人も何人も。罪を犯してもいない内から罰を受ける理由がどこにあると思います? 
全てが私の自己満足によって決められたんですよ? こんなにバカげた話、イシュタルがお許しになるはずもない。
許しを乞うつもりはありませんよ。如何なる理由があれ私のしたことは重大な犯罪です。
それを何百回と犯して来たんだ。この場で銃殺すると言うのならそれも構いません」
「あー、もういらねーからよ、そーゆーダセぇ言い訳とか。シンプルにイカれた愉快犯のほうがまだマシだったぜ。
さぞご大層な動機があると思いきや、蓋を開けたらまた随分とチープなオチが待ってやがった。
どーするつもりだ、オイ。このまま死ぬまで続けるつもりかよ」
「問われるまでもない。そのつもりです――と言い切れたら、締まりも良かったのでしょうがね。
……どうやら私はここまでのようです」

 ジューダス・ローブの戦いは確かにギルガメシュを倒す為に必要なものでしたが、
それと同時に道徳からかけ離れたテロリズムでもあります。許されざる罪を数多く積み重ねてきたと言うことです。
 その償いとして、セフィさんはご自身の命を捧げる覚悟を決めておられました。
自害と言う形でしか罪を償う術はないと、思い詰めていたのでしょう。
 その決意を胸に秘めて、史上最悪とまで恐れられたテロリズムの真実を語られたのですが――

「そんなにお望みなら落とし前をつけてやらぁッ!」

 ――お父さんはその贖罪を決して許さず、たった一度、ヒューさんの頬を本気で張り飛ばして、
……これを生害の代わりとされました。

「……ありがとよ、この特攻野郎。てめぇのお陰でこの上なく胸糞悪ィ思いが出来たぜ」

 それがお父さんの――ジューダス・ローブと戦い続けてきた名探偵の選んだけじめのつけ方でした。
人によっては手ぬるいと思われてしまうかも知れませんが、
ジューダス・ローブが自分を犠牲にしてまでエンディニオンの為に戦ってきたことをお父さんはちゃんと受け止めたのです。

「勘違いするんじゃねーぞ、今のは礼なんかじゃねぇ。……世界中の人間に手前勝手な自己満足を押し付けやがってよ。
クソみてーな思い上がりだけがお友達ってのを忘れるんじゃねーっていう皮肉だ、バカめが」
「ヒューさん……」
「そこで勘違いしたみたいな声出すなっつってんだよ。俺っちはてめぇを許しちゃいねぇんだぞ。
てか、一生、許しちゃやんねーよ。けどよ……腹ぁ立つけど、なんだかんだ言って、俺っちらはダチなんだよ。
やっぱこればっかりは切れそうにねぇんだわ」

 身内のことながらお父さんが出した答えに私は大賛成です。
 確かにセフィさんは急ぎ過ぎたかも知れません。誰にも頼れず、たった独りで戦うと言う不幸も悲し過ぎます。
けれども、エンディニオンの未来を想っていたのは、紛れもない事実。
 やり方は違えども、その意志はお父さんたちと少しも変わりませんよね。
 お父さんの“決着”を見届けたアルフレッドさんもセフィさんに手を差し伸べます。

「――さぁ、俺たちの手で未来を変えよう」

 セフィさんに再出発を促したアルフレッドさんの思いは、千里を駆け抜けてハンガイ・オルスにまで到達します。
 ……未来を変える戦いが始まった以上、一刻の猶予もありません。


 アルフレッドさんはそれから一瞬たりとも止まらなくなります。
 ハンガイ・オルスに到着するや否や、連合軍を統括する立場にあるエルンストさんへ逆転の秘策を直談判されました。

「――我々は、ギルガメシュに降伏を申し出る。ただの降伏ではない。将来的な逆転を見据えた戦略が詰まっているんだ。
降伏したと見せかけて敵の油断を誘い、その隙に徹底的に裏工作を凝らす。
二度と再起出来ないくらいにギルガメシュを追い詰め、完膚なきまでに叩き潰すッ!」

 アルフレッドさんの提案された『史上最大の作戦』は、極めて危険な賭けのように思えました。
私は戦のことにはどうしようもなく疎いので、偉そうに物申す資格もございませんが、
作戦にもなっていないような印象と言いますか、胸騒ぎを覚えてなりません。
 具体的な戦略ではなく、単にスローガンを掲げただけにしか見えなかったのです。

「負けを認めるだって? ……なんだよそれ、ふざけんなよッ! じゃあ、ベルはどうなるんだよッ!? 
負けを認めりゃ返して貰えるのか? それにッ! ……それに、仇も討たずに引き下がるなんて、
アル兄ィはそれでいいのかよ? 本当にいいのかッ!?」
「ベルのことも、グリーニャのこともあるよ。でも、それ以上に納得できないのは、今日までの戦いが無駄になることだよ! 
……犠牲になった人たちに何て言えばいいの? この間の戦いでも、何人も犠牲になってる。
ギルガメシュの兵隊と同じように。ねぇ、アル。その人たちに私たちはどんな言葉をかければいいのさ?」
「シェイン……、フィー……」
「戦争の当事者だから、私は失われた命にも、……奪った命にも責任を持ちたいんだ! 
せめて犠牲になった人たちが安らかに眠れるように――でも、途中で全てを投げ出すのは、絶対に違うッ! 
そんなの、その場しのぎの言い訳だよッ! 何の解決にもなっていないんだッ!」
「剣を交えることだけが戦争を終わらせる手段じゃないって、子供のボクにもわかってるけど……けどッ!
今はそのときじゃないだろッ!? ボクらはまだ戦わなきゃならないだろッ!?」

 この作戦は連合軍のあちこちから猛反発を受けることになりました。殆ど味方がいないような状況にも立たされました。
フィーナちゃんやシェインくんにまで大反対されてしまいました。
 それにも関わらず、アルフレッドさんは御自分の案を取り下げようとはしません。曲げることも、譲ることもありませんでした。

「……恭順の姿勢を見せ、ギルガメシュにテムグ・テングリ群狼領が屈服したと信じ込ませる。
大打撃を被る戦いはこれで当分は避けられるだろう。奴らは勝者の権限を振り翳して、
エンディニオンを独り善がりな世界に作り変えようと躍起になるだろうな。
……だが、テロリストが勝利した時代がないように、テロリストが正しく世界を統治できるとも思えない。
奴らの政策に反抗する機運は世界各地に広がるだろうし、そうなれば状況は一気に変わる。
ギルガメシュは統治能力を問われ、最後には自壊するだろう。武力に頼るテロリストなどはそんなものだ」
「その反乱分子を活発化させると言うことか、貴様のほざく裏工作とやらは。……笑わせてくれるッ! 
貴様は自分の妄想が思い描いた通りに達成されると考えているがな、現実は違う。そんなにことがうまく運ぶものか」

 反対派の急先鋒として立ちはだかったのはアルカーク氏です。
 アルフレッドさんがラスくん――つまり、難民と仲良くしているのもお気に召さないのでしょう。
この方の目には、相変わらずAのエンディニオンの人は「害虫」としか移らないようです。
 ……悲しさを通り越して、不幸だと思えてきますね……。

「降伏したと見せかけて敵の油断を誘うのはわかったわ。その隙に自由に動いて情報工作をすることも併せてね。
だけど、こちらの謀略が敵に漏れるとも限らないでしょう? その回避はどうするつもりなのかしら? 
人の口に封蝋は出来ない。何かの拍子につい出てしまうこともある。
ギルガメシュにこの情報を売ろうとする裏切り者だって考えられる。
……連合軍は敗れている。兵士たちも先行きが不安でしょう。命乞いの条件には機密情報は打ってつけよ。
仮に緘口令を徹底出来たとしても、却って敵に怪しまれるんじゃないかしら。
あれだけ抗戦してきた者たちが黙々と恭順するのはおかしいってね」

 ファラ王さんの奥様であり、実質的にグドゥー地方を取り仕切るクレオパトラさんもこの作戦には懐疑的でした。
 クレオパトラさんは作戦の脆さを指摘します。……そうです、いくらアルフレッドさんが知恵を絞られても、
ギルガメシュに知られてしまえば一巻の終わり。何もかもが水泡に帰します。

「情報規制は絶対条件だ。敵のスパイはもちろん敵に内通する人間も間引かせてもらうしかない。
外部に計画を漏らす疑いのある人間は、それが肉親であったとしても容赦なく粛清して貰おう。
不審な動きを見せた人間は尋問の暇さえ与えずに全員消せ」

 クレオパトラさんの疑問に対するアルフレッドさんの答えは、やはり過酷なものでした。

「……人道に外れた振る舞いをして勝ち残っても意味があるのかしら? 恐怖で縛り付けても民は随いてこないわ」
「グドゥーの支配者とは思えない弱気な発言だな」
「グドゥーを誰よりも知るからこそ――と言って欲しいわね。独裁政権みたいな真似をしようものならグドゥーは一発で再分裂よ。
ルナゲイトもテムグ・テングリ群狼領も危ういわ。……私たちの地盤は、必ずしも固いわけじゃないのよ」
「それは俺の関知するところじゃない。あなたたちが上手くまとめてくれ」
「煽るだけ煽っておいて、肝心なところは他人に丸投げすると? ……無責任ね」
「自分の領地(とち)の責任は、自分で取るのが筋ではないか? 
どうしても俺に責任を問いたいのなら、誰かに命じて首を刎ねろ」
「私はそう言うことを――」
「――俺はそう言う話をしている。戦争犯罪で裁かれる覚悟がなければ、最初からこんな作戦を立てはしない」

 誰に貶されようとも、卑劣と罵られようとも必ず史上最大の作戦を完遂し、ギルガメシュを攻め滅ぼす――
鉄の意志がアルフレッドさんを衝き動かしています。

 アルフレッドさんも作戦のリスクは十分に解っていました。
 総大将として全軍をまとめていたエルンストさんがギルガメシュから戦争責任を問われることは免れないでしょう。
最悪の場合、見せしめとして命を奪われるかも知れません。それも、残酷な方法で……。
 アルフレッドさんが戦いの化身となった背景には、エルンストさんに対する想いも間違いなく影響しています。
 才能を認め、軍師として仕えないかとまで言ってくれたエルンストさん――
大事な人を命の危険に晒すからには必ずやギルガメシュを倒さなければならない。
恩に報いなければならないと、アルフレッドさんは御自身に誓いを立てられました。
 エルンストさんはアルフレッドさんが打ち出した秘策にも理解を示しています。
あるいは、その胸に秘めた想いまでも受け止めていたのでしょう。

 ……それ故にアルフレッドさんは止まらないのです。
 これまでのように復讐心に取り憑かれて正気を失っているわけではありません。
しかし、今のアルフレッドさんは戦いの化身です。己にも他者にも、一切の甘えを許さなくなります。
 フェイさんやイーライさんが別の作戦を提案しても聞き入れず、
サミットの征圧より辛くも生き延び、犠牲者の仇討ちの為に合流されたシュガーレイさんの反対意見をも退け、
多数派工作まで駆使して連合軍全軍に史上最大の作戦を浸透させようと目論見ます。

 他の方の意見を切り捨てるに当たっては、武力に訴える場合もあります。
 フェイさん、イーライさんと真っ向からぶつかり合ったときなどは献策の権利を賭けて三つ巴の決闘まで演じられました。
この成り行きを直接的に作ったのはアルフレッドさんではありませんが、
了承さえしてしまうと、尊敬するフェイさんが相手であっても一切の手加減はありません。

「俺の全てをぶつけてでもあなたを倒す。こんなところで立ち止まってはいられないんだッ!」

 激闘に次ぐ激闘の果て、御二方を打ち倒したアルフレッドさんは、徐々に反対派にも受け入れられるようになっていきます。
作戦遂行に傾ける決死の覚悟や意志力の強さが、ギルガメシュに敗れていた連合軍の心を奮い立たせたのです。

 連合軍の意見を取りまとめるに当たって、アルフレッドさんには心強い味方が付いていました。
 「冒険者の頂点」とも、「冒険王」とも謳われる『ワイルド・ワイアット』ことマイクさんがハンガイ・オルスに入り、
アルフレッドさんの多数派工作へ協力していました。
 世界を股にかける大冒険の最中、本当に多くの人たちと繋がりを作ったマイクさんは、
時には紛争の調停などを依頼されることがありました。
 どちらか一方へ有利な判断を下すことがなく、平等に話を聴いて仲裁してくださるマイクさんにはうってつけの役目なのです。
 史上最大の作戦を提案すれば、連合軍は必ず分裂すると心配したジョゼフは、
事前にマイクさんと連絡を取り、もしもの場合に仲裁を行って欲しいと依頼されていたのです。

「どんな冒険だってひとりじゃできねぇよ。みんなの力を合わせるからデケェこともやれるし、達成感も最高なんだぜ」

 マイクさんとは本当に不思議な方です。どんなに落ち込んでいたとしても、お話しする間にどんどん元気が出てくるのです。
アルフレッドさんの提案を不安視していた人たちもマイクさんの言葉で忽ち勇気を取り戻し、希望を秘めて戦おうとします。
 こうして史上最大の作戦を決行する条件が全く整っていきました。

「我が命、お前に委ねるぞ、アルフレッド」

 皆さんの覚悟を見極めたエルンストさんは、正式にアルフレッドさんの発案を承認。
この秘策を巡って分断しかけていた連合軍の意思も、ようやくひとつにまとまりました。


 ――しかし、計画通りに進まないのが世の常と言うもの。またしてもアルフレッドさんは窮地に立たされます。
 連合軍が史上最大の作戦を採択したのと同じ頃、ギルガメシュでもハンガイ・オルスを陥落させる方策が
話し合われておりました。悪夢の始まりは、その席でのこと。ギルガメシュで軍師を務めるアゾット氏が
アルフレッドさんに勝るとも劣らない奇策を閃いたのです。

「ぶっ壊しちまえばいいんだよ、何もかもなッ! 邪魔するヤツは皆殺しにすりゃあいいッ! 
逆らうヤツ! それに協力したヤツ! 俺たちのやり方を批判したヤツ! どいつもこいつも八つ裂きだッ! 
何千人も何万人も殺りまくって行きゃあ、その内、俺たちに反攻しようなんて野郎は消え失せるだろーぜ。
叛乱の仕掛け人は全滅、それ見た他の連中も脳味噌ン中で対抗心がブッ壊れるって寸法だッ!」

 グリーニャの焼き討ちに参加して破壊の限りを尽くしたフルフェイスの仮面の人――フラガラッハ氏は、
ここでも暴力的な発言を繰り返していました。……この方にとって合戦とは人殺しを愉しむだけの場なのでしょうか……。
 そのように恐ろしい方ですから、軍師アゾット氏の提案には意表を突かれるような思いだったに違いありません。

「降伏勧告を出してみようと思います」
「降伏勧告……だぁ?」

 アゾット氏の提案は、フラガラッハ氏だけでなく軍議に出席された幹部の皆さんを大いに驚かせました。
 両帝会戦大勝利の勢いに乗って、一気にハンガイ・オルスまで攻め落とすのが自然な流れと言うもの。
降伏の“勧告”は、敗れた側に対して非常に甘い措置です。

「敵に譲歩するつもりはありません。交渉相手は、連合軍の盟主、つまり、テムグ・テングリ群狼領になるでしょう。
仮にもエンディニオン最強を自負して来た馬軍の覇者ですよ? 易々と降伏勧告に乗ると思いますか? 
覇者のプライドがそれを許すとでも?」
「敵が降伏勧告を突っぱねれば、再討伐の大義名分が得られる!」

 降伏勧告の裏にある本当の狙いに気付いた最年少幹部のバルムンク氏は、興奮の余り拳を高く突き上げました。
 ……バルムンク氏も戦うことをとても好んでおられるご様子。難民救済と言う高潔な志を掲げてはおられますが、
本質的には暴力を好む集まりと言うことなのでしょうか――。

「言わばテムグ・テングリ群狼領は、こちら側のエンディニオンの総代。
かつては侵略者と忌み嫌われていた馬賊の勢力ですが、今では我々に対抗し得る希望の星と祭り上げられている。
……とは言え、根っこの部分では馬賊に頼ることを躊躇う気持ちもあるでしょう。
降伏勧告を受け入れればダメージが最小限で済むと言うのに、わざわざ報いのない徹底抗戦の道を選んだ――
この風潮が世界中に蔓延したとき、不安と焦燥は一気に燃え上がる。
テムグ・テングリの台頭を苦々しく思っている勢力もエンディニオンには多いでしょう。
彼らを上手く焚き付けることが出来れば、我々は貴重な戦力を削ることなく最大の障害を葬り去れると私は考えています。
何しろテムグ・テングリ群狼領を討伐するだけの大義名分がありますからね」

 軍師と呼ばれるような人は考え方まで似通うのかも知れません。
アゾット氏の提案とは、同時期にアルフレッドさんが立てた『史上最大の作戦』の逆回しのようなものでした。
 早速、アゾット氏は降伏を勧告する使者をハンガイ・オルスに送り込み、連合軍の大混乱を引き起こしました。
 逆転の秘策を目論んでいる最中、よりにもよって全てを破綻させかねない方が現れたのですから、
右往左往するのは無理からぬ話。誰にも責められません。


 今や、連合軍の足元は着実に脅かされていました。
 テムグ・テングリ群狼領が治める領内でもギルガメシュを恐れて離反する動きが起こり始めています。
 いつまでもテムグ・テングリ群狼領に従っていて良いのか。このままではAのエンディニオンに侵略されるのではないか。
そんな強迫観念が各地に広がっているのです。
 ……両帝会戦の結果は、いつの間にかBのエンディニオン全体の敗北に摩り替わっていました。
 このようなときにこそ一致団結して人々の不安を鎮めるべきなのですが、その役目に最も相応しい筈のフェイさんは、
混乱に紛れてハンガイ・オルスを退去。行方知れずとなってしまいました。
 フェイさんが連合軍を去った原因は自分にあると思い詰め、落ち込むアルフレッドさんでしたが、
状況は時々刻々と変化しており、苦悩する時間さえ与えてはもらえません。

 そのアルフレッドさんは、ギルガメシュの使者と対面する機会を得られませんでした。
 ギルガメシュの要求は、あくまでも連合軍を組織したエルンストさんとの会談。
アルフレッドさんも、連合軍の皆さんも、ご両人の話し合いが終わるまでは外で待つしかありません。
 今度のような焦れる時間に、あるいは心の葛藤に――アルフレッドさんが何かに苦しめられているとき、
決まって姿を現す方がいます。それも、どこかで見ていたかのような絶妙なタイミングで。

「フェハハハ――小さい小さい! 実に小さい男よッ! アルフレッド・S・ライアンッ!」

 天空まで突き抜けるような高笑いからもお分かりになるかと存じますが、
苦い顔のアルフレッドさんを訪ねたのは、永遠のライバルことゼラール・カザンさんです。
 ……けれども、今日のゼラールさんはいつもと様子が違っていました。
語り尽くせるくらい人となりを存じ上げているわけではありませんが、
アルフレッドさんを挑発する言葉の数々がいつになく厳しくて……心を抉るような絡み方なのです。

「貴様もテムグ・テングリも、余に言わせれば底が知れておるのじゃよ。
目先の勝利にばかり鼻息を荒くして、負の連鎖を断ち切ろうとは少しも考えておらぬ。いや、現実に目も向けてはおるまい」
「俺は俺に考え付く限りの作戦を練り上げたつもりだ。現実的な問題へ対処する為のな。
欠陥を指摘するのなら幾らでも受け入れるが、代わりに対案も挙げろ」
「対案? なんじゃ、貴様の浅知恵より優れた計略を作ってやればよいのか? 
良いか? かような体たらくを余は呆れておるのじゃ。戦略だの戦術だのと馬鹿の一つ覚えのように繰り返すが、
それしか視野に入っておらんのが既に蒙昧なのじゃ。これで良くぞエンディニオンの覇を争うなどと大法螺を吹いたものよ」
「戦いに勝たなければ何も始まらない。遠い先のことを胸算用していられるほど俺たちに余裕はない。
ギリギリの状況を挽回させるのがどれほど骨の折れることか、お前にだってわかるだろう?」
「質問に質問で返すのは、相手の質問があまりにくだらないときじゃ。
勝利の先をも見据え、長期的な計画を練るのが覇者の務めぞ。
しからば御屋形様はどうか? 未来のビジョンを示したか? 余の知る限り、具体的には何も語ってはおるまい」
「エルンストも俺と同じだ。夢想になんか浸ってはいない。お前と一緒にするな」
「阿呆が。……どこまでも阿呆めが。上に立つ人間がボンクラならば、手下まで鈍らになるのも道理じゃな。
ギルガメシュのほうがよほど健全な戦後統治のプランを持っておろう。断言しても良いぞ」
「ギルガメシュのほうがマシとは聞き捨てならないぞ、ゼラールッ!」

 それは言葉遊びの範疇を超えていました。挑発するにしても、言って良いことと悪いことがあります。
ギルガメシュのほうが上等などと口走るなんて連合軍を裏切ったも同じことですよ。
 ましてや、ゼラールさんはテムグ・テングリ群狼領の一員。エルンストさんに対する最悪の背信ではありませんか。
 顔を真っ赤にして激怒するアルフレッドさんのことを、ゼラールさんは更に笑い飛ばそうとします。

「臭いものに蓋をして隠してしまうような小物輩が、ギルガメシュの情報を探っておるとは思えんのでな。
特別に施しをくれてやろう。歓喜の涙を流すが良いぞ」

 お腹を反らしながら笑うゼラールさんは、大きな封筒をアルフレッドさんに差し出します。
 そこに収納されていたのは、何百ページと言う大量の書類でした。

「……どう言う意味だ?」
「鈍いの。そこに入っておるのは支援プログラムじゃ、ギルガメシュ製のな。
向こうも向こうで食糧の配給やインフラの整備に至るまで長期的に難民を支援する計画を組んでおったのよ。
戦争に勝つだけでは何も生まん。肝心要はその後の采配ぞ。明確なビジョンを出せぬでは、民の心は千々に乱れるのみじゃ」
「――どう言う意味だ!」
「言うた通りぞ、アルフレッド・S・ライアン。ギルガメシュは戦後の展望も確(しか)と持っておる。貴様とは違うのじゃ」

 封筒の中身はギルガメシュによる難民支援計画でした。
 一体、どうやって入手したのでしょうか。ゼラールさんの説明によると、
情報集めのエキスパートにお願いして、秘密裏に探っていたと言うのですが……。
 ゼラールさんはその計画を熟読した上で、ギルガメシュを“評価”した――と言うことになります。

「――ふざけるなッ! お前はそんなデタラメを信じるつもりか!? あいつらにその力があると思うか!? 
断言してもいい。あいつらにそんな余力はない。必然的に資金や資材は現地調達になる。
……略奪だよ。お前はそれで良いのか? 強盗まがいの接収を許せるのか!?」
「ほう? 臆病者にしては性急なことよな。必ず略奪が行われると、どうして分かる? 未来を見通す力を持っておったかな?」
「未来はとっくに炭クズになった。過去(おもいで)も焼き尽くされた。……だから、分かるんだよ。
お前に分かるのか? ヤツらに何かを奪われたかッ!?」

 ……アルフレッドさんがその“評価”を認める筈がありません。決して受け入れられるものではありませんでした。

「巻き上げられた金と物で何が救われる!? そんなものはギルガメシュの自己満足だ。……偽善でしかないッ!」
「偽善の何が悪い? 自己満足であろうと、それによって救われる人間もおろうが。
前時代的で非生産的なことしか考えられん愚か者より遥かに上等じゃ」
「奴らは潔癖か? 邪悪そのものだ! 紛い物の慈善活動は印象操作の常套手段だろうが! 
一時的な救済など、将来の悲劇に壊されるのみ!」
「妙なことを刷り込まれると怯えておるのか? 金払いの良いギルガメシュに皆が靡くと? 小さい小さい!」
「ギルガメシュに徳のないことを知らしめねば、本当の勝利にはならないと言っている!」
「そもそも、貴様に金の話をする資格などあるのか? ルナゲイトの後ろ盾なくしては独力で立つこともままならぬスネ齧りよ」
「利用出来るものは利用し、邪魔になりそうなものは先んじて封じておく。戦略を練り上げる上でのセオリーだ」
「難癖をつけるのみで発展性のない愚物が大局を語るでないわ」
「難癖とは言ってくれる! それは貴様だろうがッ!」
「根本的な解決をせぬ限り、この混乱はいつまでも続くのだと言うておるのじゃ。
未来に如何なる世界を築くか――これを失念し、今そこにある戦いにしか頭の回らぬ浅はかさ! 
力の限界、愚物と批難されるのが悔しかろう? されどそれが紛れもない貴様なのだ。弁えよ、アルフレッド・S・ライアン!」
「長期的な展望を見出す為の、短期的な対処だ。当然、戦後の対処もプランに入れている。
まず分断された勢力を取り戻し、それから――」
「論功行賞の打ち合わせなど誰も知りとうないわッ! 世界を救う術を開示せよッ! 
難民救済を如何にして完遂するのかと聴いておるのじゃッ!」

 アルフレッドさんとゼラールさんの言い争いは、いつしかエンディニオンを救う為の討論に変わっていきました。
 ゼラールさんはひとつの理想を明確にお持ちでした。理想と言うよりも大志と言い換えるべきかもしれません。
難民救済――その方法をゼラールさんは追い求めていたのです。

「貴様に救えるのか、九六〇〇〇人分の命が。責任が持てるのか、一二〇〇〇世帯の命運に」

 ――それは、新たに増えるだろう難民の予想世帯数です。
ゼラールさんは難民を助けたいと語るだけでなく、現実的な数字まで把握されていました。
 “現実的”。そう、現実的に難民を助ける為の手順を模索されているのです。

「なればこそじゃ。余がやらずして、果たして誰がこの覇業を達成すると言うのじゃ。
ゼラール・カザンの名を以ってエンディニオンに恒久の平穏をもたらそう。
世情の安定なくして難民の増加は食い止められぬ。故に根本的な解決を要すると申しておるのよ。
……貴様の尻拭いをしてやろうと言うのじゃ。額を擦りつけて感謝するが良いぞ、我が友よ」

 ……ゼラールさんのお話は驚くことばかりです。十秒に一回は言葉をなくしてしまうくらいびっくりさせられて――
この上更に天地がひっくり返るような宣言まで飛び出しました。
 アルフレッドさんもアルフレッドさんで、心臓が落ち着く暇さえなかったことでしょう。

「故に余はギルガメシュにでも参ろうと思うておったのじゃ」
「――はァッ!?」

 ……実は――両帝会戦の直後にゼラールさんはエルンストさんから追放を宣告されていました。
 ゼラールさんはテムグ・テングリ群狼領が定めたルールを何度となく破り、その都度、厳重注意を受けていました。
戦の功績もあって今までは何とか許されてきたのですが、とうとう最後の一線を越えてしまったそうでして……。
 追放処分を知らされたアルフレッドさんは、ゼラールさんたちを心配して佐志に迎えたいと誘っておられたのですけれど――

「自分が何を言っているのかわかっているか!? ギルガメシュへ降るだと!? 冗談はその性格だけにしろッ!」

 ――よりにもよってギルガメシュに寝返ると聴かされては、とても平常心ではいられません。

「冗談を疑うならば貴様の足りぬ頭も同じであろうが。内々の交渉は既に済ませておる。
仮面の裏は見えなんだが、存外に話の通じる連中であったぞ」
「煩い、黙れ! ……いつだ? いつの間に敵に寝返っていたんだッ!?」
「何度も同じことを言わすでない。交渉の相手ならば身近におるではないか」
「使者へ直談判したと言うのか!? エルンストたちの交渉を尻目に……!」
「愚図め。あれらも四六時中議論しておるわけではなかろうが。幕間を狙ったのじゃ。少し考えれば分かろうが」
「そこまで……そこまでして権力にしがみ付いていたいのかッ!?」
「貴様のような陪臣気取りにはわかるまい――将たる者は臣下の礼を取った者たちへの責任があるのじゃ。
有事には我が鎧、我が剣となる者たちよ。その功に報いてやらねば将として起つ意味がない。
将としての喜びなど何も感じられぬ。郎党の餓(かつ)えを満たす場こそ選ばねばならん。これぞ将たる者の必定ぞ」

 ゼラールさんがテムグ・テングリ群狼領から離れる理由は、ただひとつではありませんでした。
 理想と言う名の天を仰ぎつつも、しっかりと大地を踏みしめている……とでも申せば良いのでしょうか――
ご自分を慕って集まったお仲間への責任として、より良い環境に移ろうとなさっているのです。
 ラドクリフくんたちに苦労をさせるのは忍びないと、ゼラールさんは考えておられました。
 それが、人の上に立つ者の責任なのでしょう。大志よりも何よりも、大勢の命を背負われているのです。
 もちろん、その考えを理解できないアルフレッドさんではありません。心の中で納得もしていたはずです。
 ……ただ、立場上、裏切りを見過ごすこともできません。史上最大の作戦を立てたのはアルフレッドさんその人なのですから。

「……お前の決意は解った。だが、陪臣気取りにも守らねばならない責任があるんだ。
自分を見込んでくれた人へ力の限りを尽くし、恩を返す責任がな」
「ご機嫌取りに精が出るのぉ、走狗の鑑とは貴様のことよな」
「……お前をこのまま行かせる訳にはいかない。何としてもこの場で食い止める」
「アルフレッド・S・ライアン、我が友よ。余の馘首を御屋形への供物とするか? 片腹痛いわ!」

 テムグ・テングリ群狼領をを裏切ってでもラドクリフくんたちへの責任を果たさなければならないゼラールさんと、
お友達と戦うことになっても連合軍を勝利に導かなければならないアルフレッドさん。
おふたりは一触即発の状況に立たされます。

「そうゼラールを責めてやらないでくれるか、アルフレッド」

 今まさにぶつかり合おうとするおふたりを押し止めたのは、
アルフレッドさんにとってもゼラールさんにとっても掛け替えのない相手――エルンストさんでした。
 ギルガメシュの使者との面談を終えて軍議の間に移る最中、討論するおふたりを発見されたそうです。
 これから先のエンディニオンの在り方、難民を救う手立てを真剣に話し合うふたりのことを暫し眺めていたエルンストさんは、
穏やかな微笑を湛えておられました。
 アルフレッドさんとゼラールさんに未来の可能性を見出したのでしょう。

「――アルフレッド、ゼラール。お前たちに全てを託す。俺の全てをお前たちふたりに……」

 おふたりの肩に手を置いたエルンストさんは、万感の思いと共にご自分の命運を、
そして、エンディニオンの行方を託されました。

「思い残すことがあるとするならお前のことだな。お前の望むものを与えてやれず、このような形になってしまった。
……不甲斐ない主を恨め、ゼラール」
「恨むも何もあるものか。余は誰も頼みにしたことなどない。
テムグ・テングリとて余には更なる高みへ昇る為の踏み台でしかないわ」
「その意気だ。それでこそゼラール・カザンだ」

 エルンストさんの一存で、ゼラールさんはただの追放処分ではなく、
「スパイとしてギルガメシュに潜入する」と言う措置を取られました。
特別任務を与えることによって裏切り者の汚名を避けようと言うのです。
 当然、周りの方々からは反対の声が上がりましたが、ゼラールさんのことを高く買っておられたエルンストさんは、
これを封じ込めてまで特別任務を下したのでした。

「全軍の将を集めよ。これより敗北宣言を行なう。……気を張れ、長い夜になるぞ」

 敗北宣言――それが、ギルガメシュの使者との面談の結果でした。
 予定を前倒しすることになりましたが、この日を以って史上最大の作戦を始めることになったのです。
 軍議の間へと去っていくエルンストさんの後姿にゼラールさんは深々と頭を垂れました。
最後まで自分を信じ、庇ってくれた偉大なる御屋形様に礼を尽くされたのです。
 誰よりも気位が高く、目上に対しても高飛車な態度を取るゼラールさんが、です。
 その姿を見たアルフレッドさんは、ゼラールさんと運命共同体であることを意識したそうです。
エルンストさんと言う偉人を通して、自分たちは強い絆を結んでいるのだ――と。

「長い夜か。言い得て妙だな」
「夜が長くとも、闇が深くとも陽はまた昇る――否、余がエンディニオンを照らす太陽なのじゃ」

 こうしてアルフレッドさんとゼラールさんは肩を並べて歩き始めます。
エンディニオンの未来を目指して、戦いの道を歩み始めます。
 この光景を目撃していたラスくんは、私にこうお話ししてくださいました。
「アルとゼラール・カザンが揃えば、エンディニオンは確実に変わる。ふたりは最高のコンビだ」と。
 思えば、ラスくんは未来の予言したのと同じですね。この言葉は十数年の後に現実のものとなるのですから。

 エンディニオンで初めての統一された政府――その初代大統領に就任することになるゼラール・カザンと、
最も親しいお友達として大統領職を支え、軍師として世界を動かす首席補佐官、アルフレッド・S・ライアン。
 世界の未来を担うおふたりにとって、それは門出とも言うべき瞬間でした――。




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