5.難民戦争開戦!


 マコシカの民が佐志への疎開を決めたのは、イシュタル様と交信する儀式が終わった直後のことでした。
 万策尽き果て、戦火の前に為す術がなくなった私たちには、
お父さんやホゥリーさんと合流する以外に選択肢がなかったのです。
 生まれ育った故郷を離れ、外の世界に助けを求めなければならないくらい私たちは疲れ果てていました。
 『人間の可能性を信じる』とだけ言い残してイシュタル様は神苑に戻られました。
エンディニオンの窮状を訴えたお母さんは殆ど相手にされず、救済が差し伸べられることは最後までありません。
マコシカの信仰が誤っていたからこそ、女神の逆鱗に触れたとしか思えませんでした。
 始祖の時代から受け継いできたマコシカの在り方をイシュタル様直々に否定されたのです。
その事実が私たちに重く圧し掛かり、一切の希望を奪い取っていました。
 私も佐志に向かう道中、何かを話した憶えがありません。それとも何も口に出来なかったのかな……。
 ですが、お母さんだけは違いました。イシュタル様に直接交信し、心身ともに誰よりも疲弊しているはずなのに、

「人は今こそ独り立ちしなくちゃならない機なのかも知れない」

 お母さんは『人間の可能性を信じる』と言うイシュタル様の託宣(おことば)を最後まで信じ抜こうとみんなを激励します。

「酋長、サニティはノーマルかい? 女神信仰のキーパーソンがそのアタランスはスリップオブタングじゃナッシン?」
「信仰を否定するつもりは無いよ。女神の存在を否定することは、あたし自身を否定するのと同じだからね」
「ハァン? 言ってるリグレットがくるくるクエスチョンだねェ。それじゃナニをリスペクトしよっての?」
「信仰は否定しないけど、女神に依存せず、自分たちの力で立つって考え方に賛成すると言ってるのよ。
女神に依存して進む路を見誤ってしまったら、それこそ信仰の意味を失うわ。
信仰とは、神々に進むべき路を依存する行為でなく、待ち受ける試練へ打ち克つ力だもの。
本旨を外した祈りを捧げたって、可能性をあたしたちに託されたイシュタル様は喜ばれないわ」
「イェラン叙事詩の一節にもあったっけね、“人、己が判断に依れ”って。
ああ、ビッグ&ワイドなリグレットじゃ女神サマも自分に頼るのをタブーにしているねぇ」
「そう、イェラン叙事詩の第八章九四節にある訓示通りよ。
未来は人の手にて切り拓け―――信仰に依らず、己に依って生きることを、あたしは信仰とするのよ」

 最初の内は難色を示していたホゥリーさんも「人、己が判断に依れ」と神話を引いた言葉には納得されたようです。
信仰は絶対に間違っていない。苦しいからと言って安易に救済を求め、努力を放棄したことが誤りなのだ、と。
 考えの浅い私ですが、ようやくイシュタル様が残された『人間の可能性を信じる』と言う託宣(おことば)の意味を
全て理解しました。
 真にエンディニオンを救えるのは、地上(ここ)に生きる私たち人間以外にはありません。
それこそが母なる大地への恩返しでもあるのです。その掛け替えのない権利をイシュタル様より託されたのですね。
 もしも、本当に人類が神々から見捨てられたのであれば、プロキシだって直ちに使えなくなる筈ですもの。
今のところは八百万の神人より神威(ちから)をお貸し頂けます。
 佐志で合流したお父さんもお母さんの決意を尊重してくださいました。

「……決めたんだな?」
「それがあたしの信仰よ。女神に依らず、己に依って生きることがね――
戦うわ。信仰を妨げる神敵はどいつもこいつも地獄に送ってやるわよ」

 イシュタル様と交信し、芳しくない結果に終わったこともお母さんは佐志の皆さんに打ち明けました。
さすがに最初は動揺しておられましたが、イシュタル様より賜った『人間の可能性を信じる』と言う託宣(おことば)には
心が奮い立ち、最後には力強く頷いて頂けました。

「へへっ、そっか! そーゆー考え方も出来るんだよなッ! そうさ、ボクらはイシュタル様に未来を託されたんじゃないかッ! 
見棄てられたなんて被害妄想に捕まって、泣きべそかいたって何も始まらないッ!!」

 一度はどん底まで落ち込みそうになりましたが、シェインくんのお陰で皆さんも勇気を取り戻せました。
最高のムードメーカーがいてくださって、本当に良かったな……。
 ……ただ、アルフレッドさんだけは反応が違いました。「薄情な女神のフォローなど要らないと」と
イシュタル様を冒涜した上に、折角、士気が上がった皆さんへ水を差そうとします。

「……女神に救世の意志があったら、俺の故郷は焼けずに済んだ。俺は決してこの恨みを忘れない。
一生涯だ。ギルガメシュとイシュタル――俺にとっては何程の差もない」

 あらかじめグリーニャの悲劇を知らされていなかったら、
お母さんや私の友達はアルフレッドさんへ問答無用で襲い掛かっていたかも知れません。
 創造の女神たるイシュタル様へ恨みをぶつけるなどと言うことは、心が壊れていなければ絶対に有り得ないことです。
イシュタル様を罵ること――それはエンディニオンで生きることを拒否するのと同じなのです。
 アルフレッドさんは相当深刻な状態に陥っているようです。
あんなに仲の良かったラスくんでさえアルフレッドさんの暴挙に随いていけなくなり、佐志を離れたのですから……。

「ワイはあいつを信じとる。誰かの為に強くなろうとするあいつのハートを信じとるよ。
人の為にって言うと、ごっつ綺麗なカンジがするんやけど、ワイに言わせりゃ、ドス黒い復讐かて人の為の行動や。
どないな形でもかまへん。誰かの為に強くなろうとするアイツを、……アイツに残った人を思う心を、ワイは信じる」

 あくまでもローガンさんは前向きでしたが、私は怖くて仕方がありません。
“大切な人”であるはずのフィーナちゃんやマリスさんの説得にも耳を貸さないのですよ? 
もう誰にもアルフレッドさんを止められないのではないか――そう思えてなりませんでした。

 今のアルフレッドさんは復讐を果たす力だけを求めておられます。
 ローガンさんはヴィトゲンシュタイン粒子を闘気に変える武術の達人なのですが、
アルフレッドさんもこれを体得しようと逸っていました。
 つまり、ローガンさんにとってアルフレッドさんは可愛い一番弟子。
どれだけ周りが憂色に染まっても、師匠(せんせい)として最後まで更生を信じたいのですね……。

「なんや、火力が弱まっとるんやないか? 情けないのぉ、これっぱかでもうバテよるんかいッ! 
景気のええ花火ィ上げやッ!! 『ホウライ』の名が泣くでェッ!!」
「そう言うお前はどうなんだ。出し惜しむつもりか? それとも、出したくても出せないのか? 
先ほどから光球の数が減っている気がするがな」
「なまっちょろい気功波しか出せんようなヒヨッコが抜かすんやないわ、ボケェッ!!」
「先達を気取るなら、そのなまっちょろい気功波くらい消し飛ばしてみせろ」
「ホンマ可愛げの無いクソジャリやぁッ!!」

 ローガンさんが使う武術の奥義は『ホウライ』と呼ばれています。
アルフレッドさんは時間が許す限り、ローガンさんと模擬戦を繰り返し、
ご自分の身体へホウライの真髄を叩き込もうとしていました。
 これを荒稽古と言うのでしょうか――それにしても無理を重ね過ぎです。
心が壊れている所為で身体が悲鳴を上げても気付かないのかも知れませんが……。

 この頃、シェインくんとフィーナちゃんもそれぞれ稽古を始めていました。
 カレドヴールフ氏に連れ去られたベルちゃんを助ける為、シェインくんはフツノミタマさんから剣術を教わり、
フィーナちゃんはハーヴェストさんの指導で射撃訓練を受けています。
 それぞれがそれぞれの思いを胸にギルガメシュとの戦いに備えていました。
 戦いの場にいない人間のたわ言ではありますが、故郷を失った三人が戦う力を求めて猛特訓すると言う状況は、
何よりも悲しく思えます。三人とも大きな犠牲の上に立ち、それでも武器を取ったのです。
 シェインくんは冒険者になる夢と引き換えに剣を取りました。
暴力の連鎖に心を痛めるフィーナちゃんは、リボルバーの引き金を引く度に苦しんでいるのでしょう。


 ゼラールさんが佐志を訪れたのは、丁度、アルフレッドさんがホウライを完全に会得したときでした。

「ほう――余の尊顔が眩しくて仕方が無いようだな。いつにも増して暗く貧相な面を下げておるわ。
殊勝にして結構。後は恭順が加われば申し分無いぞ、アルフレッド・S・ライアン」

 ラドクリフくんたちと一緒に佐志に来訪したゼラールさんですが、物見遊山やギルガメシュの討伐が目的ではありません。
エルンストさんの使者としてアルフレッドさんを尋ねて来られたのです。
 この頃、エルンストさんはBのエンディニオンへ侵略を開始したギルガメシュに対抗するべく、
一大連合軍を作り上げようと奔走されていました。ギルガメシュ打倒の志を持つ人たちを募って同盟を結ぶと言う構想です。
 アルカーク氏率いるヴィクドや義勇軍を結成したフェイさん、更にはメアズ・レイグのおふたりもこの呼びかけに応じています。
 テムグ・テングリ群狼領が主将を務める連合軍は各地でギルガメシュと小競り合いを繰り返し、
そのままグドゥー地方へと陣を移していきます。グドゥーには砂漠地帯が広がっておりまして、そこが決戦場と目されました。
 グドゥーを支配するファラ王さんも連合軍の一員です。これに対してグドゥーはギルガメシュにとって未知の土地。
誰もが口を揃えて、「地の利は連合軍にある」と語っておられました。
 軍事に疎く、陣形の移動さえお父さんの受け売りしかお話できないような私にもどちらが優勢かは判ります。
 兵隊さんの数も歴然としていました。ギルガメシュは二千弱。連合軍は十万超。その差は五十倍以上です。
どう考えても、ギルガメシュに勝ち目はありません。
 この決戦に佐志も加わるようにと、エルンストさんからお誘いがあったのですね。
 雪辱を果たす機会を窺っていたアルフレッドさんが一も二もなく飛びついたのは言うまでもないでしょう。
いずれ決着をつけなければならない相手と言うこともあり、フィーナちゃんたちも出陣に賛成します。

 戦いの気配は間近にまで迫っていました。
 人を傷つける為のプロキシを使えず、身体も丈夫ではない私に出来ることは、たったひとつしかありません。
マコシカの集落から疎開した後、私は絵本を作り始めました。
 忍び寄る合戦の恐怖に怯える子どもたちへ少しでも楽しい時間を作ってあげたかったんです。
マコシカも佐志も関係なく――僅かな時間でも辛い思いを忘れてくれたらって……。
 フィーナちゃんも出陣する寸前まで絵本作りを手伝ってくださいました。
 本当に……本当に色々なことをお話ししました。
 ラスくんがいなくなった後、ちょっとだけ元気が出なかったのですけど、フィーナちゃんはそのこともお見通しで……。
「今は離れ離れだけど、ラスさんもミストちゃんのことを想ってくれているよ」って、何度も何度も励ましてもらって……。
 一番苦しいところから立ち直れたのは、フィーナちゃんのお陰です。
もちろん、一緒に励ましてくれたムルグちゃんやお母さんにも感謝の言葉がありません。
 誰にでも分け隔てなく優しく接してくれる、私の大事な親友――
そのフィーナちゃんから思いも寄らない秘密を打ち明けられたのは、皆さんが出陣する直前のことでした。

「……私、ね。旅に出る前に――……人の命を奪ってしまったことがあるの」

 それは、グリーニャで起こしてしまったひとつの過ち――
人生を変えることになった出来事をフィーナちゃんは少しずつ語ってくださいました。

「……グリーニャにね、ゴミを不法投棄する処理業者がやって来て、村のみんなと諍いを起こしたんだよ。
ある日、とうとうグリーニャのみんなが爆発して戦うことになっちゃったんだ。
その戦いの最中に私は……――拳銃で、この手で、ひとりの人間を撃ち殺してしまったんだ」

 戦争はフィーナちゃんには一番辛いことでしょう――誰かと誰かが争うことにも心を痛めるフィーナちゃんが
戦場へ赴くと知ったとき、私はそう尋ねずにはいられませんでした。
 人の命を奪ったと言う告白は、そんな私に対する答えであったのです。

「……これが私の旅の始まり。人殺しの罪をどうやって償うべきなのか、それを探す為に私は荒野へ出発(で)たんだよ。
そうしてお姉様やみんなと出会って、旅を続けて、……今度は自分の意思で戦争に出かけようとしている。
正直、命を奪ってしまった償いはまだ見つかっていないよ。……もしかすると、一生見つからないままかも知れない。
それなのに、もっとたくさんの命を奪おうとしているんだ」
「フィーナちゃん、でも、それは……」
「うん――答えが見つからないから何も出来ない、何も考えられないなんて、
そんな甘えたことを言ってはいられない機(とき)なんだ。……私の手には、戦う力がある。
でも、戦えない人だってエンディニオンには大勢いるんだ。その人たちの代わりに痛い想いをするのだとしたら、
……私は、大丈夫だよ。どんなに苦しくても戦える」

 誓いを立てるように合戦への覚悟を語るフィーナちゃんは、戦士の顔になっていました。
私が今までに見たことのない、勇ましさと哀しみを帯びた顔に。
 ……でも、やっぱりフィーナちゃんはフィーナちゃんです。
自分のことよりも他者(ひと)のことを真剣に考える、世界で一番優しい心を持った私の親友です。

「私は全力を尽くして戦争を終わらせる。最初で最後にしなくちゃいけないんだ、こんなことは……ッ!」

 決意表明もフィーナちゃんらしくて、……だから、私はフィーナちゃんを送り出そうと決心しました。
自分以外の為に戦うフィーナちゃんを最後まで信じようと思ったのです。
 もしも、フィーナちゃんの言葉に迷いが見えたなら――例えば、アルフレッドさんに無理矢理連れて行かれてしまうとか、
苦しい状況に陥っていたら、私は身を挺してでも止めていたでしょう。
 でも、そんな心配は最初から要らなかったのですね。
 フィーナちゃんは本当に強い女の子です。フィーナちゃんと親友になれたことを私は心から誇りに思います。

「我ら一命を賭して母なる大地を守らんッ! イシュタルよッ! 数多の神人よッ! 義勇の戦ぶりをご照覧あれッ!」

 守孝さんの号令を合図にして、佐志軍は決戦の地へと出陣されました。
 佐志は武器を積み込んだ特別製の漁船を、ゼラールさんは海賊船――それも大型帆船――を所有しているので、
陸路ではなく海路でグドゥーを目指すことになりました。
 船を使うのが最速の手段なのかな……と思ったのですが、アルフレッドさんには別の目論見があったようです。

「敵の背を俺たちで突き崩し、追い散らす。本隊と挟み撃ちにするのが最大の狙いだ」

 ギルガメシュ軍の後ろへ回り込む形で上陸し、不意打ちを仕掛けるのがアルフレッドさんの作戦でした。
 もちろん、ギルガメシュも背後を奪われることは警戒しています。
アルフレッドさんが上陸地点と定めた入り江に何隻も軍艦を並べ、守りを万全に固めていました。
 背後に回り込んで挟み撃ちにするどころか、まず上陸する為に軍艦と戦わなければなりません。
 大変なことになったとしか言いようがありません。少しでも力を温存しなければならないときに、
とてつもなく強大な敵が現れたのですから。
 しかも、ギルガメシュが備えた兵器はいずれも強力無比な物。当然、軍艦も恐ろしい性能を秘めているに違いありません。
それに立ち向かう佐志は小さな漁船のみ。ゼラールさんの海賊船も帆船のみと言う編制です。
船の数では勝っていますが、一度でも砲撃を浴びれば吹き飛ばされてしまうでしょう。

「敵の背を突くのは常套手段。何を置いても先に潰しておくのが肝要と言うもの。
地の利を押さえ、敵の隊伍を乱す。そこに勝機が生まれる。俺たちの手で天運を奪い取るんだ」
 
 苦戦は免れないはずですが、アルフレッドさんは少しも怯みません。あくまで背後を狙うことを主張し続けます。

「軍艦ツブすのは応援するけどさ、あんたたち、どうやって戦うつもりなの? 守孝さんたちの船じゃキツいんじゃない?」
「着眼点が違ぇな。そこはとんでもなく大事なモンだぜ」

 戦場の真実を報道するべく同行しているトリーシャさんは、
アルフレッドさんが玉砕するつもりではないかと心配なさっていました。これにはお父さんも同意見です。
 ……あまり、自分からは話したがらないのでオフレコですが――マコシカに辿り着く前、お父さんは軍隊にいたそうです。
本人曰く海軍ではないとのこと。けれども、海の戦いにとても詳しく、それだけにアルフレッドさんの判断を
とても危ないと思ったのでしょう。

「ルーインドサピエンスがどのようにしてオーバーテクノロジーの艦船を運航したか。
また、どうすればこれらを撃破できるか――俺たちはアカデミーで叩き込まれてきたんだ。
必要なのはちょっとしたアレンジだ。今の状況に即したアレンジさえ加えれば、
ギルガメシュの軍艦を撃滅させることなど造作もない」

 ルーインドサピエンスの時代には、現代の技術力では再現できないような優れた戦艦も数多く存在したそうです。
そのことをアカデミーで習ってきたアルフレッドさんは、「どれだけギルガメシュの船が優秀であっても、
ルーインドサピエンスのテクノロジーには敵わない」と言う理屈で作戦を練り始めます。
 ……軍事に疎い私には、アルフレッドさんの理屈に根拠があるのか、ないのか、それさえ分かりません。
ただ、あまりにも危険な賭けであることはハッキリしています。諸手を挙げて賛成する人は殆どいませんでした。
無謀な戦いを喜ぶのは撫子さんくらいです。

「全ての手段を講じて戦い、勝つ。それ以外の道は、もう俺たちには残されていない」

 その宣言通り、アルフレッドさんはアカデミーで学んだと言う戦法で敵の軍艦を翻弄し、
あっと言う間に沈没させてしまいました。しかも、味方には全く損害が出ていません。
 通常では考えられない変則的な航行(うごき)で敵を幻惑し、その隙に集中砲火を浴びせる――
それがアルフレッドさんの取った戦法でした。船の動かし方から『T字戦法』とも呼ばれているそうです。
 この戦いではマコシカから参戦した術師たちも八面六臂の大活躍でした。
磁力を操るマグニートーのプロキシでギルガメシュの砲弾を弾き飛ばし、味方の船を守り抜いたのです。


 強硬意見ではありましたが、さしたる痛手もなく完勝してしまったら、誰もアルフレッドさんに文句が言えません。
 誰も何も言わないことが暴走を加速させてしまったのかも知れません。
こともあろうに、アルフレッドさんは何もしなくても沈むように思える半壊の船まで砲撃しなさいと命令したのです。
それも徹底的に。……執拗に。
 不必要なくらい過剰な暴力は、嘗てグリーニャが受けたものと同じです。
そのことを気付いたシェインくんは本気で怒り出してしまいました。

「誰が見たって、もう勝負はついてるだろ? このままヤツらを丸焼きにしちまったら、
胸を張って勝ったって言えなくなるよ。そんなの、ボクはゴメンだぜ」
「……勝ち過ぎたからと言って後から恐くなるのは勝者の驕りだ」
「そう言う揚げ足取りをすんなよ! 見てみろよ、あいつらにはもう戦う力なんか残っちゃいない! 
今にも死にそうなヤツをまだいじめるのが、アル兄ィの戦略なのか!? 戦術ってヤツなのかよ!? 
ボクらは焼き討ちをされた側の人間だろ……! そのボクらが、あいつらと同じコトをやって良いのかよ!? 
みんなが……――クラ兄ィが、あんなのを見たいと思うの!?」
「言わずもがな。あれは弔いだ。あれを見れば、クラップたちも安らかに眠れるだろうよ」
「――ふざけんなよッ! 今のはアル兄ィだって許さないぞッ!」

 シェインくんは人の道に背こうとしているアルフレッドさんをどうしても許せません。
船旅の最中にシェインくんと親しくなったラドクリフくんも一緒です。
 悪魔のような所業を目の当たりにしたラドクリフくんはアルフレッドさんに本気で怯えていました。
一度、心に垂れ込めた不安は簡単には拭えません。怒鳴り声を張り上げたシェインくんが力ずくで排除されると誤解し、
アルフレッドさんに向かって光の矢を射掛けようとしました。イングラムと言うプロキシです。
 本能の部分で反応するなんて――ラドクリフくんはどれくらいの恐怖を感じたのでしょう……。

「――ご両人ともそこまでッ! ここは戦場(いくさば)でござるぞッ!!」

 守孝さんが仲裁に入って内輪揉めは避けられましたが、アルフレッドさんの恐怖は海戦が終わった後も続きます。
……いえ、ある意味では更に色濃くなったと言えるでしょう。
 軍艦から海に投げ出されていたギルガメシュの兵士さんを発見したアルフレッドさんは、
その方を引っ張り上げると、……その――拷問にかけて秘密の情報を聞き出そうとしたのです。

「……本当の戦争を見せてやる……」

 アルフレッドさんはそう仰いますが、どのような理由があっても拷問など絶対に許されません。
残虐非道な振る舞いを見て、ゼラールさんは誰よりも立腹されました。

「故郷を焼かれた程度で壊れる貴様がこの戦を生き残れるのか? 
復讐などと大口を叩いておるようじゃが、所詮は負け犬の遠吠え。
聴くところによれば、貴様は親しき者を多く失ったそうじゃな。身内まで人質に取られておるそうな。
責めよ、責めよ。そうして己を責め続ければよかろう。何もかも壊れた貴様には、さもしく己を慰めることしか出来ぬのじゃ。
失った者どもの幻覚にでも詫びておれ。負け犬にはそれが最も似合うておる」

 佐志で合流してからと言うもの、ゼラールさんはことある毎にアルフレッドさんを叱咤しておられました。
ですが、恥ずべき拷問には我慢がならなかったようです。

「世にも下らぬ独り相撲ぞ! 冥府魔道を往くが望みなら、最早、好きにするが良いわッ!」

 ゼラールさんと言うのは本当に不思議な人です。
大勢のお味方を牽引出来る度量をお持ちかと思えば、アルフレッドさんのことになると、途端にムキになるのですから。
 聞くところによると、アルフレッドさんとはアカデミー時代から切磋琢磨し合える競争相手だったそうですが、
それにしても想い入れが深過ぎますよ。
 アルフレッドさんの暴走を心配されるのは結構ですが、フィーナちゃんやマリスさんを捕まえて、
「貴様が手綱を握っておかずして何とする!」と叱るのは如何なものでしょう。
いくら言葉を尽くしても届かないからこそ、フィーナちゃんもマリスさんも苦しんでいるのに……。

「……以前から思っていたのですが、カザンさんは、もう少し人の心を学んだほうがよろしいかと存じますわ。
人間が人間らしく在る為に必要な、美しき心の機微と言うものを」
「貴様は全存在がそもそも取るに足らぬわッ! 己を知れィッ! 大帝たる余の意一つ有れば良いのじゃッ!
万物を正しき歴程に束ね、指向するには是一つで良い。絶対なる意志、無敵なる大帝こそが、
天下を征する唯一無二の日輪なのじゃ。我が焔群(ほむら)は、王者の日輪を描かんが為に宿ったのよ」
「……全っ然話が噛み合ってないんだけど、いつもこんな感じなの?」
「いつでもこのような方ですわ」
「――なればこそ不愉快でならぬッ! アルフレッド・S・ライアンめ、誰に断りあって我が下僕を弄するのかッ!
エンディニオンの地上物は、川縁の小石に至るまで全て余の所有物ぞ。
余人をもって好き放題など決して許されぬと言うに! ……あの痴れ者めがッ!!」
「下僕って……」

 一方的に意味不明な非難を浴びせられたのですから当然なのですけれど、
フィーナちゃんとマリスさんはゼラールさんにすっかり呆れています。
 でも、拷問にかけられたギルガメシュの兵士さんまで気に掛けておられたのは、ちょっと意外でした。
ご自分のお味方以外には冷たい人だと勝手に思い込んでおりましたが、それは私の勘違いでした。
申し訳ありません、ゼラールさん……。

「……何時まで遊んでいるんだ。そんなに暇なのか、お前たちは」

 ゼラールさんにまで心配されていると言うのに、アルフレッドさんは全く意に介しません。
ギルガメシュを滅ぼすこと以外は何も目に入らないのでしょうか……。

「貴様にとって、戦とはその程度のものか、アルフレッド・S・ライアン」
「……何?」
「……存外につまらぬ人間に成り下がったものよな……」

 グドゥーへ上陸する最中もゼラールさんは何度となくアルフレッドさんに食って掛かりました。
ゼラールさんなりの叱咤激励なのでしょう。正気を取り戻して欲しい一心に違いありませんが、
どうしてもアルフレッドさんには届きません。
 やむを得ないことかも知れませんね。皆さんが決戦場に到着したときには、
両軍の大合戦――後の世に言う『両帝会戦』は既に戦端が切られていたのです。
 背後こそ取ったものの、アルフレッドさんたちが選んだ上陸地点は主戦場から遠く離れており、
挟み撃ちを成功させるにはギルガメシュ本隊を全速力で追いかけなければなりません。
 目の前に倒すべき敵を発見したアルフレッドさんは、最早、ゼラールさんに構っていられなかったのでしょう。

「――攻撃を開始しろッ!」

 全軍に攻撃命令を下したアルフレッドさんの前に思いがけない――
……いえ、ある意味では宿命的と言うべき方々が立ちはだかりました。

「――ラス……」
「ケリを、つけに来た」

 佐志軍の前に現れたのは、袂を分かった筈のアルバトロス・カンパニーの皆さん――
ラスくんたちは『エトランジェ』と言う一種の雇い兵としてギルガメシュに加わっていました。
 ……後でお父さんから解説していただいたのですが、
エトランジェの皆さんは本隊の一員ではなく臨時に雇われた兵隊さんとして扱われていたそうです。

「エトランジェっつーのは、外国人部隊とも言うんだ。読んで字の如く、他所からかき集めた傭兵ってコトだな。
ヴィクドみたいに他所の戦へ出稼ぎに行く傭兵部隊も同じように呼ばれるか。
……だがよ、ギルガメシュは違ェ。あんにゃろうどもは適当にかき集めたヤツらを捨て駒にしやがったんだ。
本来、あっちゃいけねーことだ。ラスの野郎、しんどい目に遭わされてたと思うぜ……!」

 これもまたお父さんの説明ですが、私は思わず泣き出したくなってしまいました。
あまりにも惨い仕打ちではありませんか。同じエンディニオンの“難民”は保護すると宣言しておきながら
使い捨ての道具みたいにするなんて……!
 食事も満足には提供されなかったらしく、ラスくんたちは戦う前から疲れきっていました。

「……無駄な争いを控え、我らのもとに参りませぬか……? お見受けしたところ、お手前方には戦う力は残ってござるまい。
ご無礼を承知でお伺い致す。ギルガメシュはお手前方と真っ当に接したのでござるか? 
……佐志にお出で頂ければ、食事も薬もご用意出来申す。追っ手が差し向けられたときには、必ずや我らがお守り致す」

 味方である筈のギルガメシュにまで非道な扱いをされたラスくんたちを不憫に思った守孝さんは、
戦いをやめて和解したいと申し出てくださいました。それこそが最善の決着であることは誰の目にも明らかです。
 かつて絆を結んだ相手と戦うなんて、そんなにも残酷な運命はありません。
 ですが、一度(ひとたび)濁流と化した運命は、容赦なくふたつのエンディニオンを飲み込んでいきます。

「申し出には感謝する。だが、我らの基盤は、どこまで行っても“我々のエンディニオン”なのだ。
それを捨て去ることなど出来るわけもない。君たちが言うのは生活の保障だ。
申し出は大変に有り難いものだがね、衣食住だけの問題では済まないのだよ。
私には守るべき会社がある。家族がある。それは私に限ったことではない、ここに集った皆が同じだ」

 差し伸べられた手を拒んだのはボスさんでした。……いえ、ボスさんは他の方々の意思を代表したに過ぎません。
 エトランジェにはアルバトロス・カンパニー以外にもたくさんの方が参加されています。
その方々がどんな思いで戦場に立っているのかをボスさんは代弁しておられました。

「“ふたつのエンディニオン”が相容れないのは、それが現実だからだ。……酷な言い方だがね」

 ここに至って、私は『両帝会戦』の本当の恐ろしさを思い知りました。
これは連合軍とギルガメシュの争いではありません。“ふたつのエンディニオン”の戦いだったのです。
 ボスさんが語られたことは、埋めがたい溝とも言い換えられるでしょう。
 その溝は絶望の闇でもあります。グドゥーの砂漠にて対峙したふたつのエンディニオンは、
闇によって心を食い尽くされ、やがて狂気に染まっていきます。

「……家族の保障までしてくれるのかい、あンたらは?」
「無論、力を尽くし申――」
「――そうやって甘い言葉で釣って、騙し討ちにすンだろう? あンたらから見たらあたしらは害虫なンだからね。
不意打ち、騙し討ち、なンでもござれだ! 外道みたいなマネをしたって、害虫駆除なら世間は大絶賛さ。
あたしにゃ守らなきゃなンないもンがあるンだッ! 命に替えてでもッ! 絶対に負けらンないンだよッ!」

 最早、守孝さんの説得は何の意味も持たなくなってしまいました。
 サミットで「害虫駆除」を主張したアルカーク氏のように偏った思考の方を生かしておけば、
ご家族が危険な目に晒される――その不安がエトランジェの皆さんを戦いに駆り立てます。
 先頭を切ったディアナさんが突撃を命じ、ついに佐志軍への攻撃が始まりました。


 他の方々とは“違う思い”を抱えて両帝会戦に赴いたラスくんは、戦場を真っ直ぐ駆け抜けていきます。
 ボスさん、ディアナさん、トキハさんが色々な方と入れ替わり立ち替わり戦う中ではありますが、
ラスくんが目指すのは、たったひとりの相手でした。

「敵に塩送るってのもおかしな話だが――気ぃ付けとけよ、馬の骨。今のアルは、ちょいとばっかしハデにトガッてるぜ」
「みたいですね……――でも、オレは退きません。一歩だって退かないッ!」

 その“思い”を汲んでくれたお父さんに背中を押されて、ラスくんはアルフレッドさんに一騎打ちを挑みます。
 一対一の勝負を通じて、ひとつの“決着”をつける――それがラスくんにとっての“決戦”でした。

「真っ向勝負してくれるんだな」
「決着をつけに来たとほざいたのはお前だろう。だから相手をしてやっているんだ」
「アル、オレはな――」
「煩い、黙れ。……お前の言い訳など、もう受け入れるつもりはない。戦いの果てに待つ決着は、生か死の二択だ。
お前の希望など知ったことではない。俺の望む決着はギルガメシュとそれに与する人間の根絶だ。
貴様のような害虫を地上から抹殺すること、ただ一つだッ!」

 ラスくんを裏切り者と見做しているアルフレッドさんが一騎打ちを断るはずもありません。
必ず息の根を止めると言い放ち、ラスくんの命を奪うべく本気で襲い掛かります。
 覚えたてのホウライを、長年鍛え上げた体術を――持ち得る限りの力を全て注ぎ込んでラスくんを追い詰めます。
その上、一騎打ちの最中にグラウエンヘルツへの変身まで発動しました。
 ……ラスくんの命を奪う為の条件が全て整ったと言えます。
 それにも関わらず、アルフレッドさんにはラスくんを脅かすことが出来ませんでした。
生害どころか、致命傷さえ与えられなかったのです。

「……どうしてトドメを刺さねぇ? 今のお前なら、俺を殺ることくらい簡単だろ? ……どうして、殺さねぇ?」
「そんなにお望みなら、今すぐに殺してやるッ!」

 ラスくんに挑発され、目を血走らせて激昂する一幕もありましたが――

「俺を侮っていやがるのか、お前……ッ!」
「信じてるんだよ、お前を」

 ――敢えて攻撃を受け入れようと無防備になるラスくんにさえ、アルフレッドさんは踏み止まってしまいました。
 どうしてもラスくんを殺めることが出来ないと悟った瞬間、アルフレッドさんの心には、
ふたりで共に育んできた記憶(おもいで)が蘇ったのではないでしょうか。
 ……それは――それこそが、アルフレッドさんが人であることを捨てていない証拠です。
どんなに苦しくても、道を踏み外しそうになっても、否定し切れなかったものなのです。

「――殺されてもいいと思ってたんだぜ、オレ。それでお前の気が晴れるんならよ。それがオレなりの決着だったんだよ。
オレの裏切りで心を歪めちまったようなもんじゃねぇか。……それなりの覚悟ってヤツだよ」

 アルフレッドさんとラスくんの一騎打ちは、言わば心と心のぶつかり合いでした。
 ……後でラスくんから伺ったのですけれど、最初からアルフレッドさんの心を助けるつもりで一騎打ちを挑んでいたそうです。
世界の垣根を越えて出来た友達の為なら自分を犠牲にしても悔いはなかった、と。

「――でも、それは違ったみてぇだな。後ろ向きなモンからは何も生まれねぇ」
「お前……」
「……ありがとな、アル。お前が救ってくれなきゃ、オレは取り返しのつかねぇ失敗をするところだった。
オレは生きるぜ。歯ァ食いしばってでも生きて、……お前の戦いを見届けてやるぜ」
「……ラス……」
「仲間ってそう言うもんだろ。そう言うもんだって、お前が気付かせてくれたんじゃねぇか」

 捨て身としか言いようのない優しさはアルフレッドさんにも伝わり、凍てついていた心に血が通い始めます。
ラスくんの優しさが、復讐と言う悲しい衝動を上回ったのです。

 “大人”には鼻で笑われてしまうかも知れませんが、優しさに包み込まれることで初めて救えるものがあることを、
私は強く信じています。誰かを思う気持ちが哀しみを癒すのだと疑いません。
 ……人と人は、心と心で繋がり合っているのですから。

「――いい加減にしやがれッ!!」

 剣を振り翳しながら怒鳴り声を張り上げたシェインくんも、その刃にはいっぱいの優しさを帯びていました。
佐志軍とエトランジェの間で行われていた乱戦を虚しく思い、本気で怒り、
どちらを倒すかではなく、悲しみの連鎖を断ち切る為だけに剣を振るったのです。

 このとき、お母さんとディアナさんは全身がボロボロになるまで戦っていました。
 息子さんを守る為に自分の手を汚そうとするディアナさんのことがお母さんには放っておけず、
過ちを犯させるわけには行かないと、懸命に立ち向かいます。

「あんたの手を血で汚させるわけには行かないッ!」

 譲れない想いを抱えながら激突するふたりを、シェインくんは怒鳴りつけたわけでした。

「大のオトナがなんてザマだよッ!? しかもそんなズタボロになっちゃってさ……。バッカじゃないのッ!?」
「お姉さんたちを覗き見なんて、シェインってば、いつからそんな悪趣味なコになったの?」
「あンたがどう感じようが知ったこっちゃないが、あたしらは――」
「――るっせぇやいッ! あんたらに守られなくたって、ボクらは勝手に強くなってくしッ! 過保護なんかクソくらえだぜッ!」

 シェインくんのお説教はディアナさんの心に深く突き刺さったのでしょう。
お母さんに向けていた拳を初めて引いてくださいました。
 想像ではありますが――ディアナさんの息子さんが戦場に居合わせたなら、同じことを訴えたに違いありません。
シェインくんが発した言葉は、我が子を守ると言うディアナさんの意志に対するひとつの“回答”でもあったのです。
 息子さんのお話は、ディアナさんがマコシカの集落に滞在されているときに伺いました。
 お名前はジャスティンくん。しっかりとした利発な子だとラスくんも仰っていました。
遠方まで主張することの多いディアナさんに決して文句を言わず、
アルバトロス・カンパニーの仕事までお手伝いしているとか。
 ……そんな子が今のディアナさんを応援するとは思えません。
 ディアナさんがジャスティンくんの身を案じて戦ったのと同じように、
ジャスティンくんだってディアナさんに悲しい思いをして欲しくはない筈ですから。

「コドモが大人の犠牲になるとか、思い上がってんじゃね〜ってカンジなのっ! 
ルディアだってシェインちゃんだって、誰かに言われてココに来たわけじゃないのっ! 
コドモは大人が思ってるよりずっとオトナなのッ!」

 ルディアちゃんもシェインくんに加勢します。
 ……ご自分の息子さんと同じ年頃の子です。それだけに、ジャスティンくんから叱られたような気持ちになったのでしょう。
アルフレッドさんがラスくんの優しさに触れて正気を取り戻したように、ディアナさんもようやく戦いを終えられました。
 誰も望まなかった悲しい戦いにピリオドを打つことが出来たのです。

「戦いだけが解決の手段じゃない。ふたつのエンディニオンが共に進める道を探しましょう。
探してないなら、切り拓きましょうッ! ……理屈とか計算じゃないんです。
みんなの心が一つかどうか。それが全てじゃないですか?」
「……現実は覆せない。それが唯一の結論だ。……それとも保証があるのか?」
「保証はないけど、希望はあります」

 あくまでも和解の道を模索するフィーナちゃんと、動かし難い現実を突きつけるボスさんの戦いも
決着のときを迎えようとしていました。

「しかし、それでも、我々は我々のエンディニオンを捨てることは出来ない。……根っこなのだよ、生きることの」

 ボスさんは開戦の寸前に口にしたのと同じことを繰り返されましたが、その心には明日への希望が確かに煌いています。
この戦いを通じて芽吹いた、一縷の光です。

「……今は、な。今は、共に歩むことは出来ない。何の準備もないまま会社のことを投げ出せないし、
家族にも責任を持たねばならんのだよ」
「……ボス殿……」
「だが、いつか必ず道は交わる。互いが努力を続けていけば、必ず道は交わるんだ。
……今の私たちは、そのことを何より強く信じられる。だから、今は互いの道を進もう」

 佐志に迎えたいと説得を続けていた守孝さんと握手を交わしたボスさんは、いずれ必ず再会しようと約束されました。
Aのエンディニオンへの責任を果たした上で、守孝さんの友情に応えたいと決心されたのです。
 エトランジェに所属する他の隊員さんたちからも反対の声は上がりませんでした。

「フィーナさんの言われる通りですわ……希望は……希望は、確かにここにあります……。
わたくしの目には、エンディニオンの未来がはっきりと見えています……っ!」

 マリスさんの歓喜が全てを表していると言っても過言ではないでしょう。
佐志軍とエトランジェの戦いに幕を引いたのは、人が人らしく在る為に持つ優しさでした。


 ――その頃、両軍の本隊が激闘していた主戦場でも大きな動きがありました。
 どこからともなく現れたギルガメシュの伏兵によって連合軍本隊が総崩れとなってしまったのです。
ルナゲイトが征圧されたときと同じ罠に陥ったのでした。
 フェイさんやアルカーク氏も勇猛果敢に戦われましたが、寄せ集めに過ぎない連合軍を立て直すのは難しく、
戦のことに疎い私の目にも逆転は絶望的としか見えません。
 連合軍の主将を務めるエルンストさんは、せめて一度矢報いようと敵の本陣まで単騎で斬り込まれたのですが、
総大将を討つことは叶わず、無念の撤退を余儀なくされました。
 ここで大活躍だったのが、グドゥーを支配するファラ王さんのお味方です。
この方々もAのエンディニオンの難民なのですが、困ったときに助けてくださったファラ王さんに恩を感じ、
ギルガメシュではなくグドゥーの仲間入りを果たされたとか。
 ……結局のところ、『両帝会戦』と呼ばれる戦いを左右したのは、人の優しさであったように思えてなりません。

 決戦場から遠く離れた場所に設置された仮の陣所で本隊と合流したアルフレッドさんは、
強硬に徹底抗戦を主張しましたが、残念ながら、その意見が取り上げられることはありませんでした。
 主戦場にいなかったアルフレッドさんには、この戦を語る資格がないとフェイさんは言い切ります。

「他の人間と自分の姿とを見比べてみるといいよ。皆が死力を尽くして戦っているときに、君は何をしていたんだ? 
一箇所二箇所に負った火傷が、身動き取れないくらい痛かったと言うのなら同情もしてやるけどね」
「……フェイ兄さん」
「君に馴れ馴れしく呼ばれる筋合いは無いな。……悪いが、今の君にだけは兄と呼んで欲しくない」

 それなりのお手柄はあったはずなのですが、主戦場まで進みきれなかったのもまた事実。
アルフレッドさんの才能を買っているエルンストさんにも庇いようがありません。

「訊けば、お前は今度の合戦に無策で望んだらしいな」
「バカにしてくれるなよ。俺は万全に陣形を調え、軍艦を粉砕した。局地戦だが、陸戦でも奴らを退けた。
陣形を組み違えたお前の体たらくと一緒にするな。俺には勝つ術がある。
だから、もう一度、引き返せと言っているんだ……!」
「たった一度の局地戦で全力を使い果たし、後のない状態へ味方を追い込むのがお前の策というわけか」
「渾身の力を注ぐのは戦いにおいて常識だ。力を使い果たして何が悪い。
逃げることや退くことを前提にしているような男が、そこまで大胆になり攻められるものか」
「勇ましい限りだな。臆病者の俺とは大違いだ」
「抜け抜けとほざくな……ッ」
「だがな、アルフレッド。臆病風に吹かれたお陰で俺は軍を壊滅させることなく退くことができた」
「偉そうに言うことか? 危険に怯えて逃げ出したのだから、ダメージ軽く済むのは当たり前だろうが」
「それでは勇ましいお前の部隊はどうだ? 数度の戦いで全力を使い果たし、戦場を離脱するのにも苦労したのではないか?
無策でないと言うからには、長期戦の可能性も当然熟慮していたのだろうな」

 エルンストさんから厳しいお叱りを受けても、アルフレッドさんは反論することが出来ませんでした。
……言い当てられた事実を認めず、意地を張るような方ではありません。

「……人を蔑む心は、己が心の映し鏡と心得よ、アルフレッド」

 とうとうアルフレッドさんは軍議の場からも追い出されてしまいました。
 復讐も果たせず、合戦にも敗れ、精根尽き果てるほど打ちのめされたアルフレッドさんは、
生霊のように辺りを彷徨います。今はそうする以外に心を落ち着けること術を持ち得ないのでしょう。 

「こっぴどくやられたな。賜る同情が重ければ重いほど、今の貴様には堪えるだろうて。実に痛快だったわ」

 そんなアルフレッドさんの前に姿を現したのはゼラールさんでした。

「……親友もろとも故郷を焼かれたのが、それほどまでに堪えたか? 
縁(よすが)が灰燼に帰す様を、指を咥えて傍観するしか出来ぬ矮小な己が恨めしいか? 
堪えぬわけがあるまい。軍師だ策士だのと背伸びしてはおるが、貴様とて人の子よ。
哭いたか? 嘆いたか? 力不足を悔やんだか? ……取るに足らぬな、いずれの甘えも。
そんなものに囚われておるから、貴様は見るに耐えぬゴミ溜めに成り果てたのじゃ」

 ……軍議の場から追放される一部始終を見守っていたのでしょう。
 ゼラールさんは敢えて辛辣な言葉を選び、アルフレッドさんを叱咤していきます。
 見ていて冷や冷やするような荒療治ではありますが、これもまた優しさのひとつなのかも知れません。

「――お前に何がわかるッ! 自分以外の人間に何の価値も見出さないお前に、俺の何がわかると言うッ!? 
恨むことが罪かッ!? 幼友達の無念を晴らそうとして何が悪いッ!? そんな感情、お前には理解できやしないだろうがッ!」
「逆に問おう。貴様は己の手に何が残されたか、見えておるか? 貴様の目の前に立つ余は、貴様にとって何ぞ? 
余にとって貴様は如何な存在かを答える名誉をくれてやる」
「好敵手とでも言いたいのか? お前と同列に見られるのは不本意だがな」
「笑わせるな、アルフレッド・S・ライアン。貴様が如き底辺が余に肩を並べ、好敵手を語るなど冒涜ぞ」
「だったら、聞かせてくれ。俺はお前の何なんだ? 好敵手でなければ、天敵か? 
まさか、手駒だなんて言い出すつもりじゃ――」
「――友じゃ。好敵手などおこがましい……貴様は余の友でしかないわ」
「友……だって……」
「歓喜で言葉もあるまい? 遠慮せず咽び泣くが良い。貴様にはそれだけの名誉を授けてやったのだからな。
他の誰が貴様に背を向けても、この誓いだけは、未来永劫、裏切らぬ」
「……ゼラール……」
「貴様の人生に意味を与えし唯一無二の依る辺として邁進せよ――我が愛しき友、アルフレッド・S・ライアンよ」

 人づてに伺った話ですが――ゼラールさんはアカデミーに在学している頃、お父様を亡くされたそうなのです。
 人前ではいつものように強がるものの、心の底では気落ちするゼラールさんを心配したアルフレッドさんは、
ある一計を案じました。汚い言葉でゼラールさんを挑発し、心を奮い立たせようとしたのです。
 当然、おふたりは相当に揉めたそうですが、結果的にゼラールさんは完全復活。
以来、お互いのことを本格的にライバルとして意識するようになったのだと、聞き及んでおります。
 底なしの不器用と言いますか、なんともアルフレッドさんらしい励まし方です。
 ……ゼラールさんには、そのときのお返しと言う気持ちがあったように思えてなりません。 

「勝手なことばかり言わないでっ! 私たちは、誰もアルを裏切ったりしないよっ! 絶対、いつまでも一緒だよっ!」

 ゼラールさんに続いてフィーナちゃんもアルフレッドさんのもとに駆けつけました。
マリスさんにローガンさんに……――みんなと一緒にアルフレッドさんを暖かく出迎えます。
 その輪の中にはラスくんの姿もありました。
 エトランジェの皆さんとは戦場でお別れしたのですが、ラスくんはアルフレッドさんの傍にいると誓ってくれたのです。

「やりすぎた面はあったかもだけどさ、お前のしたことが間違いとはオレには思えねぇよ。
難民を助けようって言うアイツらの大義名分とやらは大層なもんだぜ? 
でもよ、暴力でもって時代を思い通りに動かそうなんて考え方は絶対に許せねぇ」
「……ラス……」
「例え相手が同じ世界に生まれた同胞であっても、俺はギルガメシュに歯向かってやる。
理想の押し付けがどれだけバカげているのか、見せ付けてやるつもりだぜ。アルだって……そうだよな?」
「……今度こそ、俺はみっともない真似はしない――守るべきものを見定めて、そこに戦火の果てを切り開く……ッ!」
「どこまでも付き合うよ。……オレはそう決めたんだ」

 どんなときでも見限らず、傍にいてくれた人たちへアルフレッドさんが返す言葉は、たったひとつしかありません。
 たったひとつの言葉で、揺らいでいた絆は元通りになるのですから……!

「……すまなかった……みんな……っ」

 ――それは、長い間、迷子になっていたアルフレッドさんが本当の意味で帰ってきた瞬間でもありました。




←BACK     NEXT→
本編トップへ戻る