1.錆びた路の行く先は

「こーゆー風にのんびりと旅するのって、もしかしたら初めてじゃないかな」

錆びたレール特有の微かな綻びに合わせて規則正しく上下する車窓から
荒れた原野が果てしなく広がる景色を眺めていたその少女は、
ふと思い至った閃きを向かいの席に座っている青年へ投げかけた。

「………………………」

天真爛漫な笑顔が太陽の様に眩しいブロンド髪の少女と対照的に、
厳つい面構えの青年は、銀髪から覗く鋭い眦を更に険しく吊り上げながら、
メールのやり取りで忙しいのか、モバイルへ落としていた視線を彼女の正面に合わせ、これ見よがしの溜め息を吐いて見せた。
露骨に呆れを込めた、これ以上無いぐらいあからさまな厭味な溜め息である。
銀貨を模した装飾の美しいネックレスが揺れるほど、その溜め息は大きく深かった。

「あーっ、なにそれ〜っ! カンジ悪いなぁ〜っ! 可愛い妹が感慨に浸ってるってのに
テンション下げなくたっていいでしょぉっ!」
「自己申告するほどお前には可愛げは無い。自惚れる前に色々と自覚し、弁えろ」
「べっ、別に今のは自分が可愛いって自慢したわけじゃなくて―――
―――………はぁ………、ホント、アルってば、いつまで経っても朴念仁なんだから………」
「俺が堅過ぎるワケじゃない、お前が少し能天気過ぎるだけだ」
「いいじゃん、ちょっとだけなら浮かれたって。………実際、こーゆー旅って初めてなんだからさぁ」

嬉しげな微笑みをにべもなく切り捨てた溜め息に対抗して、ブロンド髪の少女もこれ見よがしの膨れっ面で応戦してみるが、
銀髪の青年はそんな仕草も完全に黙殺し、一瞥すらくれずにモバイルをジーンズのポケットへ仕舞っている。
会話から察するに二人は兄妹の様だが、それにしてはあまりに冷淡と言うか、
甘えたがりの妹を兄のほうが一方的に拒絶している様子だ。

「フィーナさんの仰る通りですわ。アルちゃんはもっと身の周りのことに気を配るべきです。
例えば、そう、隣で寂しそうにしている恋人をビュッフェに誘うとか………っ」

銀髪の青年の隣に腰掛けていた旅の同行者が彼の妹に同調したのは、
やはり、ディスコミュニケーションとも言える冷淡な態度に不満があったからに違いない。

「今日はやけに気が合うんだな、ふたりとも。さすがに今のは煩わしかったぞ」
「アルちゃんっ!」
「煩わしいとか言うなぁっ!」
「すまんな、失言だった。俺の非を認めよう。気が済んだら、そろそろ静かに座っていてくれ。
人目に付くのは俺の好むところじゃない」
「反省してる人の態度じゃないでしょ、それっ!」

どうもこの青年は人間関係と言うものを疎かにする傾向があるようだ。
向かい合わせた“妹”と隣席の“恋人”の双方から猛抗議を受けていると言うのに冷淡な態度を少しも崩さず、
口をついて出るのも形ばかりの謝罪。聞くともなしに聞いていた人たちが吃驚するくらい心が篭っていない。
自分が非礼を働いたと言う認識を持っていないからなのか、目くじら立てたふたりもの女性に詰め寄られても、
デリカシーの無さを糾弾されても狼狽する素振りさえ見せなかった。
暖簾に腕押しとはこのことで、冷淡どころか絶対零度に等しい彼の態度に根負けしてしまったふたりの女性は、
顔を見合わせて肩を竦めた。
それでも怒りに任せて平手打ちを見舞ったり、席を立ったりしないのだから、銀髪の青年は普段からこんな調子なのだろう。
妹も恋人も、いい加減に慣れたと言うか、疲れて途方に暮れている様子だ。

「フツーね、ウキウキしてるカノジョが目の前にいたらだよ? カレシも一緒になってはしゃいでさ、
そこから楽しいデートが始まるってもんじゃない?」
「これがデートだったなら、俺もそれなりに善処はした―――が、今はそう言った時間ではない」
「例え、デートじゃくなくてもっ! カノジョと一緒だったら、もちょっと楽しくなる様に努力しようよっ!
そもそもカノジョと一緒にいる時に友達とメールする時点でアウトだよ、アウトっ!」
「メールをしていたわけじゃない」
「じゃあ、何? ネットサーフィンっ? もっとありえないから、それっ!」
「情報収集だ。ここのところ、キナ臭い変動があったからな。
こうした世の中の情勢にこそ気を配っていかなくては二歩三歩と出遅れるぞ」
「………………………」
「―――………? なんだ、こまっしゃくれた表情(カオ)をして?」
「白けて、呆れて、怒ってんのッ!!」

妹が拳を握り締めて高説を打っても、肝心の兄のほうが情報収集にご執心ではどこ吹く風。
反対に時勢の動きにアンテナを張っておくことの重要性を説いて聞かせる有様である。

「………フィーナさんは随分とご立腹のご様子ですわね」
「だって、アルってば、どーしようもなく分からず屋なんだもん!」
「恋人同士の在り方について滔々と語られておりましたが、それは勿論、わたくしとアルちゃんのことですわよね?
恋人であるわたくしのことを蔑ろにする兄上に対しての義憤で相違ございませんわね?」
「言っている意味がよくわからないんだけどなぁ、マリスさん。私は世間一般で言うところの常識を、
朴念仁の兄に言って聞かせていただけだよ? それがどうかしたんですか?」
「まるでご自分のことのようにお怒りでしたので、どうも引っ掛かってしまいまして。
いえ、他意はございませんのよ?」
「そりゃ家族の問題ですもん。自分のことのように心配しますよ、不出来な兄の行く末を」
「………………………」
「………………………」

妹の高説に兄の恋人が口を挿んだ辺りから、どうも怪しい雲行きになってきた。
銀髪の青年の妹も、恋人も、どちらも面には朴念仁への憤激を貼り付けているものの、
瞳の奥には明らかに別の炎を揺らめかせており、言葉と裏腹の真意は、どうやら別にありそうだ。

そもそもこの兄妹、頭髪の色は言うに及ばず、瞳の色も顔の容も全く似ていない。
どう目を凝らしてみても血縁とは思えず、ともすれば先ほどの言動について含みを感じずにはいられないし、
“妹”に対するものとしては些か過敏な“恋人”のリアクションへ穏やかならざる気配があったとしても、
ある意味においては得心が行くと言うものであろう。

ブロンドの妹と好対照な黒い長髪を弄びながら真紅の瞳を物憂げに曇らせた恋人は、
次いで薄く口元を歪めると、これ見よがしに隣席の彼へと枝垂れかかった。

「アルちゃん………、満天の星と月の光のもとで歌い上げられたわたくしたちの愛の調べを、
今一度、確かめたいのです。女神に祝福されたわたくしたち愛の喜びを、世界中の人たちと分かち合いたい。
ですから、アルちゃん―――」
「―――ん? すまんな、聞いていなかったのだが、何か俺に話しかけたか?」
「………………………」
「マリスもフィーナも、いい加減に聞き分けろ。客の迷惑になるなと注意したばかりじゃないか。
お前たちにも人並みの学習能力は備わっているだろう?」
「………………………」
「そうだ、その調子だ。お前は昔から熱すると饒舌になる奇癖がある。
普段なら付き合ってやるところだが、今は場所が場所だ。そろそろ自重と言うものを覚えないとな」
「………………………」
「………私が口を挿むのもどうかと思うんだけど、今のはいくらなんでもヒド過ぎるよ、アル」

自分を巡って妹と恋人の間に不穏な空気が垂れ込め始めたにも関わらず、全く興味を示さずにいるのだから、
ここまで来ると単に果てしなく遅鈍なのではないかと疑わしく思えてくる。
あるいは自身の責任を放棄し、修羅場に巻き込まれまいと無関心を装っているのではないかと勘繰る向きもあろうが、
この青年について言えば、本当に周りの状況に興味を持っていないのだ。
それが証拠に彼は甘えてくる恋人を力ずくで押し退け、情報収集の妨げになると言わんばかりに
会話すらシャットアウトしてしまった。無論、泣きそうになっている恋人にも一瞥さえくれない。

これでよく恋人という繊細な関係を築けているものである。
徹頭徹尾の無関心ぶりに頭を抱える恋人の気持ちも、呆れ果てて顔を両手で覆ってしまった妹の気持ちも、
毛ほども察知せず、それどころか説教じみた教訓で返すのだから、否定する本人には申し訳ないが、
銀髪の青年は朴念仁以外に呼び方が見つからない。

「アルのアホぉッ!!」
「アルちゃんのトーヘンボクッ!!」

天井から吊り下げられた看板――『テムグ・テングリ群狼領、仮面の兵団に反抗を続行』という記事が記されている――を
揺らすほどの激しい怒声を浴びせられた銀髪の青年は、周囲の旅客から一斉に向けられた批難の視線へ
会釈でもって謝罪しつつ、膨れてそっぽを向いてしまった彼女の隣へ席を移した。
改めて確認するまでもないが、この場合の“批難”とは、大声で騒いだことに対してではなく、
妹と恋人の気持ちを踏み躙るかのような彼に対する怒りを指している。
銀髪の青年に限って言えば、車両に於いては四面楚歌の状況である。

「さすがに言い過ぎたか」と眉間に皺を寄せ、頬を掻いてはみるものの、最早後の祭り。
涙目のままそっぽを向いたきり、妹も恋人も彼に顔さえ合わせようとしなかった。

心の中でも怒号を轟かせるふたりの女性たちではあったが、そこはやはり乙女と言うもの。
ツンケンとした心の声とは裏腹に、バツが悪そうにしている銀髪の青年に何かを期待しているのだろう、
顔こそ合わせないが、彼の次なるアクションを薄目を開いてチラチラと盗み見ている。

(こ、これはもしかして、すっごく嬉しいシチュエーションなのでわっ!?)
(いつもなら許してもらえないこと、今ならアルちゃんは受け入れてくださるのではないかしらっ!?)

相手が本気で機嫌を損ねたと解った以上、さすがの朴念仁でも火に油を注ぐ真似は慎む筈だ。
となれば、銀髪の青年が損ねてしまった機嫌の巻き返しを図るとも十分に予想できる。
恋する乙女は実に器用である。
顔では怒りの表情を作りながら、心の中では正反対の思考がフルスロットル。
銀髪の青年が自分の機嫌をどんな風にリペアしてくれるのかを願望全開で夢想(あるいは妄想)し、
ニヤけてしまっては、彼に真意を悟られ元の木阿弥、と思わず綻ぶ口元を全身全霊でへの字に捻じ曲げる。

「………フィー、マリス」

暫くの間、腕組みして何事か考えに考えていた銀髪の青年がふとふたりの名を呼び、
弾かれるように顔を上げた妹に自分の隣へ座るように促した。

全部が全部、思い通りになる事は無いだろう。高望みが過ぎる夢想に自ら戒めを打ち込んでいた妹も、
全部が全部、思い通りになりつつあるこの筋運びには驚きを隠せない。

(えっ!? う、うそっ!! ホントのホントに願ったり叶ったりなのっ!? 今日の運勢、大吉だっけっ!?)
(む………アルちゃんたら、わたくしと言うものがありながら………っ!)

片や恋人のほうは、当然ながら不満ではち切れそうだ。
如何に相手が妹とは言え、こんな状況(とき)くらいは自分のほうを優先させて欲しいと願うのもまた乙女心であろう。

(や、やだ、もうっ! アルったら、なんだかんだ言ってちゃんと考えててくれてるじゃないっ!!
やっぱり今日の運勢、大吉っ!? で、でもでも、私の記憶がショートしてなかったら、
今日は割とツイてないって、ムーンプリンセス先生も新聞の占いで―――
―――うぅんっ!! 占いなんかより、私はアルを信じるもんっ!! 誰がなんと言おうと、今日は花マル大吉っ!!
ラッキーパーソンは“幼馴染みの恋人”だよっ!!)

何やら随分と都合の良い解釈が彼女の頭を駆け巡っているが、これも恋する乙女の成せるワザと言うものだろう。
まだ怒っていると言うサインを堅持しようにも妹の我慢は限界を超えており、
不機嫌に歪んでいなければならない筈の表情はだらしなくニヤけまくっている。

その様子を見てますます眉間の皺を深めていた恋人であったが、そんな彼女の肩へ不意に銀髪の青年が手をかけ、
自身の胸元へと静かに抱き寄せた。
あまりにも不意打ちであった為、咄嗟に何が起きたのか把握できかねていた恋人は、しばし目を瞬かせていたが、
けれども逞しい胸板から伝わってくる温もりや心臓の鼓動に安らぐと、頬を朱色に染めてすぐに彼へ身を預けた。

………一つだけ不満があるとするなら、彼の胸板の上で妹と額と額を擦り合わせたことか。
銀髪の青年は、ブロンドの妹の肩も恋人にやったのと同じように自身の胸元へと抱き寄せていた。

「ア、アル、私、私ね、私―――」
「アルちゃん、わたくしは…もう―――」
「そのまま黙って向こうの席を見てみろ。真ん中からこっち、三番目の座席だ」
「―――はいっ?」
「―――って、へ………?」
「お前たちの位置からだと良く見えるだろう。………髭面の男が二人。そいつらをよく観察してみろ」
「………………………」
「ヒューから送られてきた写真にあった顔で間違いない………これで裏が取れたな」

熱い吐息が耳たぶへ吹きかかるほどの距離まで寄せられた唇から囁きかけられたのは、
彼女たちが望むような情熱的なものではなかった。

(………私、ムーンプリンセス先生に一生随いてきます。あなたの占星術はカンペキでした。
でも本音を言えば、当たってて欲しくなかったです、はい)
(愛しさと切なさと何とも言えない虚しさに、わたくし、心が折れそうですわ………)

上目遣いにジットリと彼の顔を覗き見れば、銀髪の青年の注意は既に抱き込んだふたりの女性から別の対象へと移っていた。
獲物を狙う猛禽類の様な鋭い眼光は、ある一定方向を突き刺して離れない。
こうなると、最早どんな手段を講じても彼の注意を色恋の類へ向ける事は不可能で、
無理を強いれば後でげっそりするぐらい叱られてしまう。
その事を長い付き合いから把握し、理解しているふたりの乙女は、しぶしぶ彼に指示された座席へ目を向けた。

「うん、いるいる。列車へ乗る前に確認した顔で間違いないよ」
「………もっと下品かと想像していましたけれども、実物にはそれほど悪逆な印象を受けませんわね」
「さすがは名探偵だな。調査にアラが無い」
「では、決行の時間もヒュー様が調査された通りに………」
「そう考えて間違いない」
「つまり、ここからが私たちの仕事―――ってワケだね」

標的に気取られない様に細心の注意を払いながら凝視する先には、
顎のラインを見事に覆い尽くした髭面が二人、横柄な態度で狭い座席に足を投げ出している。
一見だけなら少し柄の悪い旅客にしか見えないが、彼らの瞳を見た瞬間、およそ真っ当な仕事に就いていないことを
三人はすぐさまに理解した。
バカ丸出しのコントを演じていた三人ではあるものの、それのみで役目を終えるような“素人”ではなく、
修羅場という修羅場を何度となく経験し、今日まで乗り越えてきたのだ。それ相応の洞察力も養われている。
吐き気を催すほど醜く濁った眼光を見れば一目瞭然―――悪党だ。あれは、悪党の眼だ。
確認するかの様に頷き合う三人へ緊張と戦慄が走った。

「世情が不安になれば、それに乗じて悪事を働く輩も現れるものだが、今はそんなことをしていられるような状況でもあるまいに。
………悪の栄えた試しなしと言う常識を骨の髄まで教えてやろうじゃないか」

自分たちと話している時より明らかに生き生きし始めた銀髪の青年を見つめるふたりの口元から溜め息が零れ落ちる。
愚直な青年に対する諦めと、そんな彼にどうしようもなく惹かれてしまう自嘲の混じった溜め息だ。
微かな熱を帯びた二つの溜め息は、それを吐かせる原因を作った青年の胸元で交錯し、それから虚しく空へと散った。




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