4.灰色銀貨が嘶くとき

「こ、ここまで来れば一先ず安心か………ッ?」

強盗計画を仕損じた列車から離れる事、およそ数キロ。
正確な距離など測るべきも無いが、後方へ置いてきた列車の面影すら振り返っても見えなくなっているのだから、
相当離れたと言っても差し支えなさそうだ。
もしもデコトラが全速力で追いかけてきたらさすがにアウトだったなとザッハークは冷や汗を拭った。
これ以上ない不幸に見舞われはしたものの、それだけがザッハークにとって幸いだった。
今のところ、追っ手の姿は無いが、一つ打つ手を間違えれば、逃げ道を見誤れば、
どんなに『フォールダウン・カースドスケイル』が敏捷であったとしても執念深く追い詰められ、手錠で繋がれる筈だ。
今のうちに出来る限り遠くへ逃げるのが吉であろう。

(つっても………、これからどうるすべや………)

これから―――そう、これからがザッハークには大変だった。
所属する強盗団が潰された以上、この先は間違いなく逃亡生活に追いやられるだろうし、
なにしろ自分はあの大悪党、マルダース・キャシディの一人息子。
幸か不幸か、裏社会の誰にも顔が知れ渡っている。知れ渡っていると言う事は、それだけ情報網にキャッチされ易いという事でもあり、
どこかへ潜伏しようにもかなりの困難が予想された。
足が付かない様に頻繁に隠れ家を変えなくてはならないばかりか、捜査の網目を潜りつつ、
食い扶持を稼ぐ為に働かなくてはならないのだ。

部下には「息子に甘い」と笑われているが、マルダースは決してザッハークを甘やかしてはおらず、
むしろ裏社会を渡る術を一から十まで厳しく叩き込んできた。
仮に組織が壊滅して単独での逃亡を余儀なくされた場合の対処法等も、勿論、ザッハークは習得済みではある。
しかし、実際にそんな状況へ放り出されるとなると、やはり途方に暮れるというもの。
真っ暗な行く末を嘆いて天を仰ぐしかない。

「―――? ありゃあ、なんだ?」

我が身の前途を憂うのに意識が向いていた時には気付けなかったのだが、
直進上の数キロ先に何かオブジェクトめいた物が屹立しているのが目に止まった。
最初は雑木か何かと思っていたそのオブジェクトは、近付くにつれて輪郭線が定まっていき、
やがて凝視しなくてもその正体を把握する事が出来る様になった。

荒野にぽつねんと佇む雑木などではない。オブジェクトと見なしていたのは、紛れもない人間だった。
顔貌までは判然としないが、骨格から推察するに青年と見えた。

(さっきのヤツらの一味…じゃねぇよな。あんなん見当たらなかったし………)

逃亡者となったザッハークは、人間と見るやすぐに追っ手ではないかと猜疑心を抱いてしまうが、
目前まで迫るその青年は列車の中では見かけない顔だったし、何より武器らしい物を何も手にしていない。
ワインレッドのロングコートをマントの様にして纏っている以外では、鮮やかな銀髪が目を引くが、
身体的な特徴はこの際、関係ない。
敵か、否か。ザッハークにはそれだけ判れば良いのだ。
もしかしたら、この辺りに住む地元の人間かも知れない。脅しでもかけてやれば、すぐに退散するに決まっている。
その前に当座の路銀として金目の物を巻き上げるのも良いかも知れない。

―――以上はあくまでもザッハークの勝手な推理だ。
武器を持たないからと言って、敵でない可能性はなく、列車で見かけなかったからと言う理由だけで、
『オレイカルコス豪盗団』を壊滅せしめた一団と無関係であると判断するのはあまりに軽率である。
父親のマルダースも肝心なところで今ひとつ抜けていたが、彼は、それに輪をかけて了見が甘かった。

「どきゃあがれ! さもねぇと跳ね飛ばしちまうぞ! 俺の大蛇で喰っちまうぞォッ!?」

弱気に支配されそうになる自分を奮い立たせる様にしてあえてダミ声で恫喝するザッハークだったが、
銀髪の青年は、一向に『フォールダウン・カースドスケイル』の進路を避ける素振りを見せない。
思えば、このときに異常を感じ取って迂回でもしていれば、もう少し違う結果になったかもわからないのだが、
未熟者のザッハークにはそうした思慮が決定的に欠けていた。

「………足りない奴だ」

銀髪の青年がおもむろに差し出した左の掌で青白く輝いているスパークにも、
彼の両肩から湧き上がる只ならぬ闘気にも、ザッハークは勘付く事が出来なかった。
威嚇目的で開いた『フォールダウン・カースドスケイル』の大口へ青年の掌からエネルギーの塊が放たれ、
大蛇の内部にてそれが炸裂、青白いスパークを撒き散らしながらその巨体が粉砕されるまで、
愚かなザッハークは彼を“金蔓に出来そうな民間人”程度にしか認識出来なかった。
この愚鈍さが、間違いなくザッハークの命運を分けたのだ。

「ちッ、畜生ォ!?! なんだってんだ、あいつ、一体何者だァ!?」

自慢の『フォールダウン・カースドスケイル』を爆砕されたザッハークは、その際の衝撃でしこたま地面へ叩き付けられたが、
今は背中の激痛を気にしている場合ではない。
いくら彼が愚かでも間近に迫った危機を察知できぬほど鈍くはなく、すぐさま懐から二挺拳銃を取り出して
周囲へ警戒を張り巡らせた。
もっとも、爆砕された『フォールダウン・カースドスケイル』から巻き起こる黒煙によって、見渡す限りの視界が閉ざされている以上、
どうする事も出来ないのだが。

(やっぱり追っ手なのか!? も、もう追い付かれたってのかよぉッ!?)

先ほど一戦を交えた者たちとの関連までは分からないが、こちらに対して敵意を持っているのは確かだ。
更に付け加えるなら、機械仕掛けの大蛇を一撃で大破させる様な危険な武技をも備えている。
蒼白いオーラのような何かを凝縮して弾丸を作り出したあの技―――機械相手にあの威力なのだから、
人間が喰らったらひとたまりもあるまい。まかり間違って直撃など被ろうものなら腰から上が爆ぜるに違いない。
ならば、殺られる前に、殺るしかなかった。
相手が危険であればあるほど、最優先で仕留めるのが定石だと父にも教え込まれてきたのだ。



――――――リィィィィィィ………………………ィィィィィィン。



めったやたらでもいい、発砲によって威嚇してやろう―――とザッハークがまたしても愚かな選択をしようとした矢先、
黒煙に遮られた向こう側から奇妙な音が響いた。
なんとも言えない不思議な音色だった。銀の鈴が鳴る様な、灰色のコインを床に落として立てた様な、
とにかく不思議としか言いようの無い金属音がどこからともなくザッハークの耳へ飛び込んできた。

「気まぐれな猫が今日に限ってすこぶる寝覚めが良いようだ………お前はなかなかの強運だな」

不思議な金属音に続いて黒煙を裂いたのは聴き慣れない男性の声―――この場において聴き慣れない声があるとすれば、
どう考えても銀髪の青年の物である。

「し、死にやがれッ!! 化け物めェッ!!」

幸運とは何の事か。銀髪の青年が何を言っているのか、まるで理解は出来なかったが、
それでも相手のいるだろう位置を察知する事は叶った。
化け物じみた青年と、自分を取り巻く恐怖と決着をつけるべく、ザッハークは一心不乱に二挺拳銃のトリガーを引き続けた。
着弾も確認せず、薄い黒煙を隔てた先にいるだろう銀髪の青年目掛けて何発も何発も弾丸を撃ち込んだ。

「化け物、か。見る人間、ご多分に漏れず異形と言うのだから、“化け物”という表現はあながち間違いでは無いかもな。
………表現として誤りでなくとも、言われた俺には不愉快でしかないが」
「――――――ッ!」

ついに全弾を撃ち尽くしたザッハークは、根拠も無いのに自らの勝利を確信し、ほのかに微笑を浮かべたものの、
その驕りはすぐに凍て付く事になった。
蜂の巣にした筈の青年の声が、今なお黒煙の向こう側から聞こえてきたのだ。

――――――仕損じた!

戦慄に駆られたザッハークは焦ってトリガーを引くが、当然、マガジンが空になった拳銃が応答するわけがなく、
弾丸が射出される奇跡が起きるべくもない。
進退窮まったこの状況をどうやって打破すれば良いのか、半ばパニックへ陥っているザッハークの思考回路は
明確な妙案を弾き出せずにいるのだが、黒煙の向こう側から打ち響く無情の足音は、
そんな彼の危急を嘲笑うかのように近付きつつある。

「畜生…こん畜生…ド畜生がぁッ!」

使い物にならなくなった二挺拳銃を地面へ叩きつけ、ベルトのホルダーに納められていたマチェットを引き抜くザッハークの手は
小刻みに震えていた。跳ね除け難い恐怖に震えていた。
大型のロボットを一撃が破壊する様な男にマチェット一本で太刀打ち出来る自信など毛ほども無いが、
全ての切り札を失った彼が縋れるのは、最早、こんな心許ない物しか残されていなかった。


――――――不意に一陣の風が吹き抜け、にわかに黒煙を払った。
自分の絶体絶命は、相手にとって必勝の機会。そこには油断が最も生まれ易い。
最後の逆転を期するのは今しかない。最後に笑うのは、この俺だ。
黒煙が散り、相手の姿を確認できる様になった今こそ、先手必勝で素っ首にマチェットを突き立ててやる―――

「ブッ殺してやるあああぁぁぁ―――ッ!!」

―――思い切り地面を蹴り、「くたばりやがれッ!!」と腰溜めに構えた白刃でもって突き込んだザッハークだったが、
黒煙の散った果てへ佇む存在が目に入った瞬間、冷たい戦慄に精神を掻き毟られ、絶句し、硬直した。

「………あ………う………か………ぁ………ッ」

―――絶対的な恐怖が、そこにあった。
理屈ではない、本能の部分で感じ取る極めて原始的な恐怖の衝動に叩きのめされ、ザッハークは息も出来ずにいた。
指先から掌まで凍り付く右手を滑り落ちたマチェットが鋭く足の甲を切り裂き、ブーツをドス黒い血で染めたが、
そこに痛みすら感じる余裕も無い。
痛みといった感覚すら、眼前に屹立する存在の畏怖によって掌握されていた。

「………これが俺の【トラウム】―――『グラウエンヘルツ』だ」

―――【トラウム】とは、なんなのだろうか。

【トラウム】とは、ヒトが視る夢の形―――絵空事の夢を、現実の形として組み上げたモノ。
巨大な人型ロボットも、『ジグラット』と呼ばれる巨大な剣も、シングルアクションのリボルバーも、
その人が望んだ心から願い、想う強さから組み上げた≪夢≫のカタチ。

『エンディニオン』に住まうニンゲンには、そんなチカラが備わっていた。
何よりも強く想う形<カタチ>を、誰よりも烈しく乞う容<カタチ>を、全くの虚無から作り出せるチカラ―――
―――いつの頃からか備わったその異能を、ヒトは、【トラウム】と呼んだ。

遙か彼方に遺失された古代の言語にて、【夢】を意味する【トラウム】、と。

「………魔………人………」

無から有を具現化するのが【トラウム】だとするのなら、果たしてこの姿は―――ヒトでもなく、化け物でもなく、
その中間とも言い難いこの異形は、何を想って乞った【夢】だと言うのだろう。
失神寸前まで恐怖を植え付けられたザッハークにとってみれば悪夢以外の何者でもない。
だが、それはあくまで第三者の見方であって、異形を得た本人の願いではない筈だ。
ならばこそ、見る者に絶対の畏怖と服従を刷り込む異形を、彼はどんな想いで望んだのだろうか。

「化け物の次は魔人と来たか。そちらの方が俺にはしっくり来るがな」

死神を彷彿とさせる黒色の闘衣で固めた全身の至るところから硬質な角が張り出し、
背中には頚椎を模した白骨の尻尾が蠢く―――侮蔑をはらんだ涼しい声こそ銀髪の青年そのものだが、
姿形は先ほどまでの面影がどこにも見当たらない。
異形という単語そのままの魔人が、そこに在った。
黒色の闘衣の左胸には灰色銀貨が鈍い輝きを発している。さながら脈動を持たぬ空虚な容れ物であるかのような彩(いろ)だ。
血の色に鈍く輝く双眸に魅入られた者の命を、魂を恐慌の内に刈り取り、虚ろなる容れ物へ取り込まんと貪り食らう魔人が、
黒色とも、白色とも覚束ないガスを帯びて屹立していた。

彼が望み、乞った【夢】とはどんなモノだったのか。
魅入った者の魂魄を生きたまま喰らう異形の魔人からその真実を汲み取る事は、どうしても不可能だった。
まして、不可思議な明滅を繰り返すガスに包まれて意識の消し飛んだザッハークの眼窩では―――――――――







「おかえりなさいませ、アルちゃん。予定より少し時間がかかりましたのね」
「存外にしぶとく逃げ回ってくれたお陰でな。………時間は要したが、成果はこの通りだ」

手錠を掛けられ、地面に組み敷かれたマルダースは、どれほどの屈辱を強いられても一団を率いてきた尊厳だけは保っていたが、
遠方から列車まで帰還した銀髪の青年――既に姿形は元に戻っている――を見つけた瞬間、
………正確には、彼が肩に担いできた愛息の姿を見つけた瞬間、観念した様に肩を落とした。
完膚無きまでにボロボロにされたザッハークと並んで引き据えられた哀れな姿は、
フツノミタマと凄絶な剣劇を繰り広げた者と同一と思えないほど憔悴し、見るに耐えない。
それは、世界にその悪名を轟かせた『オレイカルコス豪盗団』の完敗が決した証拠であった。

「………てめぇ…なんで原型留めて持ってくんだよ…せめて顔の半分だけでもトバさねぇとツマラねぇだろうが………。
………コッチ引き渡せよ…やり直しだ………パズルにしてやるぜ…億千万ピースのよォ………」
「タイムがど〜とかセイって、トゥルーは遅刻も計算のうちじゃナッシング?
チミってばヒーロー気質な上にブレインのロールがムダにファストなんだもん。
リトル焦らしたほうがブリリアントとかなんとか妄想しちゃって、わ〜ざわざタイムをかけてたりしてネ」
「カタブツ小僧がてめぇみたいな器用なマネできるかよ。いちいち茶々入れんのやめろや、うぜぇッ!!」
「そーゆーフッたんも、いちいちがならなくたってイイと思うのね。もうそこそこなおトシなんだから、
外聞云々でなくて身体に来るの。主に頭の血管なの」
「あー、ダメダメ。このオッサンに落ち着けなんて、アル兄ィを爆笑させんのと同じ確率でダメくさいから。
こないだ寝てるスキにトランキライザー打ったけど、起きた瞬間になんかキレてたもんよ。ムリムリムリムリ」
「あッ、あァッ!? おまッ、今、シャレになんねぇコト言いやがったな、コラッ!? 寝てる間に何打ったって!? 注射ッ!? 
医療行為なんて危なっかしいコトをガキがするんじゃねぇッ!!」
「色々プロブレム満載なのに、一番ツッコむのがそこなの? やっぱりフッたん、頭にダメージが行っちゃってるの。
フツーのヒトの発想じゃないの。南無南無なの」
「てめぇもてめぇでさっきからちょろくせーコトを抜かしてんじゃねぇぞ、小娘がぁッ!!」

ザッハークを縛り上げて帰還した銀髪の青年を彼の仲間たちが出迎えるものの、どうも労いの言葉どころではない様子だ。
知らない内にシャレでは済まされない危険行為を施されて唖然となったフツノミタマを中心に
集団コントよろしく賑々しく大騒ぎ。帰還などそっちのけである。
労いもかけずに紛糾する仲間たちの喧騒へ銀髪の青年は特に気にした素振りも見せない。
どうやらこのチームは日頃からこんな調子でいるようだ。

「………だからそのオモチャをとっとと寄越せって…何度言わせんだ…アァ………ッ!?
………どうせ生きてる価値の無ぇゴミタメだろうが…オレが買ってやっからよォ………。
………あんまオレを怒らせんなよ…オイ…ストレス、キちまってんだからな………。
………シカトこいてんじゃねぇぞ………ガキが………ケツの穴にミサイル突っ込まれてェんか………?」

………しつこいようだが、撫子の物騒かつドス黒い呟きは黙殺続行中である。

「大丈夫? ケガとかしてない?」
「問題ない」
「でも、かなり巨大な敵と戦っていらしたようですし………いざとなったら、わたくしの【トラウム】で―――」
「しつこい」
「………………………」
「………………………」
「今日は本当に気が合うんだな。ふくれっ面までそっくりだ」
「だーかーらっ! アルってば人の心を全っ然わかってないっ!! わかろうともしてないっ!!」
「よろしいですか? 愛する人に出迎えられた勇者と言うものはですね、
そっと恋人を抱き寄せて口付けを交わすものなのです! それが人を愛すると言うものなのですのよ!?
銃後を守る女も、戦いに出る男と同じくらい疲れるものなのですから、だからもう少しこう………こうっ!」
「具体的な説明を頼む。ただ“こう”と言われても、オレの頭では理解に苦しむんだ」
「………理解に苦しむとまでおっしゃいますか」
「泣くよ、もう。いい加減、ヤになっちゃうよ………」
「泣かれるだけの理由がないだろうに。泣き落としは通用しないからな」
「泣くのも許さないんかい、この朴念仁はぁっ!?」

ザッハークとの戦いで怪我などしていないかと気遣ってみても、優しく出迎えてみても、この扱いである。
相変わらず心の機微と言うものに遅鈍な彼へフィーナとマリスが愕然と目を見開いたその直後、
“それ”は音をも超える速さで瞬いた。

「コォォォォォォケコッコオオオオオオオオォォォォォォォォォッ!!」
「―――ちっ………、またかッ!」

“白熱の銀閃”などと例えれば聴こえは良いが、その実、閃光の美しさと正反対に真っ黒い殺意の塊が、
仲間たちに混じって獅子奮迅の活躍を見せていたムルグが、鋭いクチバシを武器に銀髪の青年の眉間めがけて
鋭角に滑空してきた。
ここまでの速度で飛べるニワトリなど前代未聞の常識外れだろうが、確かにムルグは音速の領域にて瞬き、
青年の眉間をブチ抜くべく飛び込んできたのだ。
肌をもヒリつかせる殺気に逸早く勘付いた銀髪の青年は、間一髪のところでムルグの殺人滑降を堰き止めた。
真剣白刃取りの様なポーズでクチバシを掴まえた青年の掌から煙が上がっているところを見るに
ムルグの“本気度”は非常に――あるいは異常に――高かったようだ。

「お前、この………たんぱく質の塊がまたも食物連鎖に反逆するかっ?」
「コケッ!! コココッ!! コカカッ!!」
「いつもいつも殺人未遂ばかりしやがって………余罪もろもろ含めて、今日こそ舌切り軍鶏にしてやるぞ!?」
「コカーッ、コォーッ!!」

狙いを眉間から喉笛へ切り替えて更なる追撃にかかるムルグを押し止める青年の懸命さと言ったら、一言、一心不乱。
眉間に汗して歯を食いしばる姿は、クールな立ち振る舞いの似合う彼らしからぬ必死さだが、
そこまでして必死にならなければ喉笛を引き千切られるのだから、無理からぬ事なのかも知れない。
双方、一進一退に全力を傾けていた。

「な、なにやってんの、ふたりともっ! 乗客のみなさん、メチャクチャ引いちゃってるよっ! すごい微妙な空気になってるよっ!
霊長類VSニワトリの一本勝負なんてっ!! どっちかって言うとアルの方が人間としてのプライド的にアウトだよっ!?
“ニワトリ相手に本気になっちゃってるよ、このヒト”みたいな目で見られてるからっ!」
「とんちの利いた指摘を入れる暇があるなら、このバカ鶏をどう躾るか考えておけ。お前のペットだろうが!」
「ペットじゃないよ、家族だよ。何度も説明したでしょ、アルとムルグもほんわか家族だって」
「ほんわか家族は、普通、血みどろの喧嘩などしない! これと言うのもお前が甘やかし過―――って、こ、このッ!! 
いつも以上に本気で殺すつもりかよッ!!」
「コココ………ココ―――コーッコッコッコッコッ!!!!!!」
「掘削機か、お前はッ!! 回転を加えるなッ!!」
「コッコケ―――――――――ッ!!!!!!!!!」
「たっ、大変っ! ムルグがおかしくなっちゃったよぉっ!
『アルのどてっ腹に風穴ブチ開けてやるわイ』なんて口が裂けても言わない子だったのにぃ………」
「言っているぞ、普段から言っているぞ、コイツはッ!」

説明が遅れてしまったが、銀髪の青年へ風穴をブチ開けようと全身をドリルの様に回転する殺人ニワトリことムルグは
フィーナのペット――彼女が曰くするところの家族――である。
遠い昔、養鶏所から逃げ出し、路上で弱りきっていたところをフィーナに助けられ、それ以来、
「自分がフィーナのパートナーだ」と主張するかの様に片時も彼女の傍を離れず行動を共にしてきた。
もちろん、別行動を取った今日の戦いと同じ例外はこれまでにもあったが、それさえ覗けば、
散歩や食事、入浴などの日常生活は本当にいつでも一緒。
フィーナをよく知る友人などは、彼女たちが離れているのを見た事が無いと呆れ帰るくらいなのだ。

姉妹であったり、母娘であったり、親友であったり―――刷り込みにも似た深い絆が二人の間には結ばれていた。
特にフィーナに対するムルグの親愛には並々ならない物があり、彼女に近付く男を見ると殺意を持って警戒し―――

「このバカ、まだ回転を続けるつもりか! 本気で風穴を狙うつもりなのかッ! 
フィー、出来る事なら、このたんぱく質に同時通訳を頼む! 『トサカから骨格丸ごとを引き抜いて剥製にしてやるぞ』とな!」
「コケッ!? ケッケケコォ―――――――――ッ!!!!!!!!!」
「えと………『喧嘩はもうやめよう。仲直りしなくちゃフィーが可哀想だ』って言ってるけど………」
「………つまり、意訳するなら『喉笛掻っ切ってやるから覚悟しとけ、この若白髪』か。ますます本気の様だな!」
「ちょ! わ、私の通訳が聞こえなかったのっ!? ムルグは喧嘩はやめようって………」
「そんな見え透いたウソ通訳に誰が乗るものか。平和主義は結構だが、状況をよく見て嘘を吐け。
殺気を隠しもしないヤツが、どうして停戦勧告をすると言う。お前のウソでなければ、こいつの狡猾な騙まし討ちだ。 
いずれを受け入れても頚動脈がシャワーに早換わりだ!」
「コケケケケケケケケケケケケケケケケケッ!!!!!!!!!」
「『よくわかってるじゃねぇか、小僧ォッ!! 赤いオベベを今すぐ着せてやるぜッ!!』―――って、ムルグっ!
そんなコト言っちゃメっ!! いい加減にしないとご飯抜きだよっ!」
「飯抜き程度の軽い罰で済ませるな! もっと厳しく取り締まれ! 俺は殺されかけているんだぞ!」

―――それがフィーナと“深い関係”を持つ者であれば、即抹殺対象に認定される訳だ。
つまり、この青年は、ムルグにとって生かしておかざるべき不倶戴天の敵なのである。
日常茶飯事などと括っては青年に申し訳ないが、隙あらば殺傷に向かってくるムルグとの生傷絶えないやり取りは、
彼の名前がムルグの『ブッ殺しリスト』に乗った瞬間から一日とて欠けた事が無く、
そのあまりの頻度から既に日々の生活の風景に完全に溶け込んでいた。

「何をやっておるのじゃ、おヌシらは。恥ずかしくてとても成人には認められんぞ」
「ご、ご隠居………」

呆れ顔で溜め息を吐いたのは、デコトラの運転席から降りてきたドライバーだ。
ドライバーと言っても、銀髪の青年が“ご隠居”と呼ぶだけあってかなりの老齢を重ねており、
縦横無尽に捩れ曲がった個性的な口髭も頭髪も、鮮やかなロマンスグレー。ゆうに六十歳を超えていた。
ただし、フライトジャケットにファイヤーパターンのペイントされたヴィンテージ・ジーンズの組み合わせは実年齢不相応に若々しく、
片手で外したサングラスはキラキラと眩いラメ入りだった。
ファッションは言わずもがな、『オールド・ブラック・ジョー』なる名称が荷台へ大きくプリントされたデコトラを
自在に運転するところからして精神的には非常に若いのだろう。「年寄りの冷や水」という諺を忌み嫌うタイプと見えた。
なお、あえて強調するまでも無いが、『オールド・ブラック・ジョー』はジョゼフの【トラウム】である。

「よっく見よ。慣れたワシらならいざ知らず、馴染みの薄い連中はドン引きじゃわい。フィーナの弁では無いがの」
「む………」
「まったく、ようやっと腰が据わってきたかと思うたのに………まだまだドッシリ感が浅いのぅ。
おヌシの説く律令もこの体たらくでは揺らいでしまうぞ。 んン? 未来の弁護士殿?」
「………返す言葉も見つかりません………」
「かっかっか―――ウム、殊勝こそ秩序の源泉。いつもながら感心、感心じゃ。不肖、このジョゼフ・ルナゲイト、
おヌシの後見を自負しておるでの」

未熟者め、と悪態をつく“ご隠居”ことジョゼフ・ルナゲイトだったが、眉をハの字に曲げて落ち込む銀髪の青年の思慮深さに
満足したのか、カラカラ笑って彼の肩を叩き、「若い内は失敗こそ勉強じゃ」と改めて励ました。
こうした細やかな気配りは、若々しいファッションの影に隠れてしまっているものの、
人生の経験を重ねて老練に至ったジョゼフならではで、そこに自分の未熟を照らし合わせた青年はますます恐縮している。

この二人の会話の間に、なんとかフィーナはムルグを青年から引き剥がす事に成功、
口惜しげになおも尖らせるクチバシを両手で掴むと、さすがに怒った調子でパートナーの短慮を注意した。
さしものムルグも最愛のフィーナに叱られるのは堪えるようで、彼女からのお説教へ神妙に聞き入っている。
か細い陰鬱な声で「………目玉抉るぐらいの芸当見せてみろよ…出来なきゃ水炊きの材料だぜ………」などと
聞こえた気がするが、単なる空耳だと、意図的に、強引に解釈しておこう。

「一件落着、ですわね。アルちゃん」
「………あ、ああ、そうだな―――そうだ、作戦完了だ」

自分の未熟を思い返して反省する銀髪の青年の前へマリスが進み出、改めて戦闘の終結を確かめ合った。
これには青年も思案の腕組みを解き、僅かばかり傾いでしまった威厳をすぐさま取り戻して答える。

「かっかっか―――これだけの大捕物を画策しておいて何も誇らぬとはのぅ。かえって厭味じゃわい。
 『オレイカルコス豪盗団』の一網打尽はおヌシの謀った計略じゃろうが」
「計略などと言うほどご大層な物ではありませんよ。俺は現状の中から想定される事例に従ったまでです」
「そいつが画策だっつってんじゃねぇか、オラッ! まだるっこしい言い方しねぇで、
俺が計画しましたって素直にスカしてりゃいいんだよッ!」
「謙虚ってモラルがドロップアウトしてるチミにセイってもムダっぽいけどねぇ、フッたん。
本能ゴリ押しでストレートにビッグマウスをやらかしたら、フツ〜は色んなメンから反感をバイするのサ。
そこらへんをポ〜ンと気前グッドに捨てられるチミとデリケートなアルは違うってコトさ」
「繰り返すなッ!! 同じ様な皮肉を二回も繰り返すんじゃねぇッ!」
「アル、この成人未満二匹もおヌシの策で鎮めてくれぬか。見苦しくてかなわんわい」
「策という策ではありませんが―――」

とジョゼフに答えるなり、飽きもせず口喧嘩を続けるフツノミタマとホゥリーの尻を、なんと銀髪の青年は爪先で蹴り上げた。
尻から骨盤にかけて鋭い稲妻の走った二人にとって、それは言葉を続ける事が出来ない程の痛手だった様で、
生まれたての小鹿を思わせる四つん這いになったまま、脱力して動けなくなってしまった。
問答無用の実力行使。『オレイカルコス豪盗団』を壊滅させた様な奇策ではなく、直球の蹴りで黙らせるとは、
なかなかプリミティブである。

「“在野の軍師”のニックネームはダテじゃないね、アル兄ィ。いよッ、名軍師ッ!」
「茶化すなよ、シェイン………」

“名軍師”なる冷やかしは頭の上から聞こえた。
もちろん、茶化したのはシェインだが、今、彼はビルバンガーTの肩へ乗っており、
列車を強制停止させる為にへばり付いた最前列から青年のいる場所まで近付いてはいるものの、
撤収作業を急ぐ鉄道職員らのけたたましい喧騒と高低差によってかすかに声が聴き取りにくい。
青年の隣にいるルディアはどうやら聞き取れなかったようで、聞き耳を立てるゼスチャーをしながら、「も一回ドウゾです」。
二度も冷やかしを受けてはたまらないと思ったのか、青年は慌ててその場を離れていった。

向かった先は、コンテナから飛び出して『オレイカルコス豪盗団』と戦った仲間たちのもとである。
フィーナやシェインのからかいには照れて不貞腐れた態度を取ってみせた銀髪の青年だったが、
戦塵に塗れた仲間たち一人ひとりへ労いの言葉をかけて回る様子からは、“名軍師”と呼ばれるに相応しい深慮と貫禄が窺えた。

「―――『オレイカルコス豪盗団』はこれにて壊滅した。みんなのお陰だ。しかし、俺たちの戦いはこの先もまだ続いていく。
西に泣く者あれば駆けつけ、東に虐げられる者があればひた翔よう。それが俺たちの戦いだッ!」

青年は仲間たちを見回しながら大音声で一つの宣言を紡いだ。
“名軍師”の意識は、既に次なる戦いへと移っており、ここから揺らぐ可能性は極めて低いように見える。

ゆっくり過ごせるのは何時になることやら―――当分の先送りが確定した平穏を嘆いたフィーナとマリスは、
それぞれ切なげな溜め息を吐いて捨てたものの、こうした真っ直ぐなところに惹かれた自分を理解しているだけに文句も言えず、
それどころか、ときめきまで感じてしまうのだから、もう惚れた弱味と諦めるしかない。
それに、平和を望む想いならふたりも青年に負けないぐらい強く、弱い人間を助けられるだけの力―――【トラウム】を得た今、
信念を武器に戦い抜く覚悟すら決めている。
青年と過ごす平穏な日々が無期延長になってとしも不満を漏らすつもりは毛頭なかった。

なにより青年の才能を周りが放っておいてくれるわけがないのだ。
今度の一件もそうだ。仲間たちの調査によって情報を察知した列車強盗を未然に防ぐべく、
自ら標的と目される列車に乗り込み、事態が起これば仲間たちと共に内部から迎撃、
旅客の危険を防ぐ為に敵を一旦表へ押し出した後、デコトラによって搬送された別働隊をけしかけて一網打尽にする―――
大胆不敵な秘策は全て彼の編み出した物だった。
今や“戦術の鬼才”との呼び声高い彼の辣腕を、この不穏な時代がどうして放っておくだろうか。

「アルの決意は理解(わか)ってるけど、あんまり無茶だけはしないでね? 身体壊したら意味ないんだから、
それだけは注意してよね」
「言うまでもない。まだまだやらなきゃならない事が山ほどあるんだ。身体も効率的に使うさ。
それにいざとなったらマリスがいる。マリスの【トラウム】があれば、ある程度の無茶は利くぞ」
「フィーナさんが仰られているのはそう言うことではありません。それに恋人の言うことを無視して
倒れた方を介抱して差し上げるほど、わたくしは甘くはありませんことよ?」
「………そう言うことなら、もう少し考えなくてはならないな………」
「でしたら、もっとご自愛下さい、アルちゃん。わたくしは心配でならないのですから………っ」

口では解っていると言っても、きっと彼はこれからも無茶を重ねるだろう―――この星の明日の為に。
戦いは終わらない。まだまだ終わらない。終わらないどころか、この先もずっと続いていくかも知れない。
終わらないかもしれない戦いの連鎖を断ち切る為に、彼も自分も、明日も明後日も、戦い続けるのだ。
だから、フィーナもマリスも心配が絶えないのだ。
戦う力を持たない弱い人々へ暴力の脅威を近づけまいと発奮し、自分の無茶を無茶とも思わず前へ前へ進む彼だから、
知らない内に疲弊が限界を来たして、いつか倒れてしまうのではないか、と。

ぶっきらぼうなくせして、本当は誰より優しい彼だから。
自らの計略でもって打ちのめした非道の強盗団にすら、逮捕後の身の安全や裁判の経緯などを
懇切丁寧に説いて聞かせるような彼だから、無茶をするなと言っても素直に受け入れるとは考えられない。
その場はふたりを気遣って誤魔化しても、きっと、見えないところで無茶を重ねるに違いないのだ。
長い長い付き合いから、フィーナもマリスも彼の性分は熟知している。

それなら自分たちに出来るのはただ一つ。止められない無茶によって重なる負担を軽減させ、もしもの時には支えてあげよう。
抱き締めてあげよう。もちろん、全力で叱るのも忘れてはならない。
再び大空へ飛び立てる様に宿木で羽を休ませてあげるのが自分の仕事だ。

時代が必要とする“名軍師”と添い遂げる決意を、彼女たちは強く心に秘めていた。

「お前たちには自分の立場が不利になると想定される場合、黙秘権を行使する権利がある。
だが、この黙秘権と言うものは多様すると裁判官や陪審員の心証が悪くなるから注意が―――って、そこのドラ息子。
お前、聴いているか? これはお前の身を護る為には不可欠なんだぞ」

己が裡へ異形の魔人を宿した銀髪の青年―――アルフレッド・S・ライアン。
彼が“名軍師”と畏怖されるに至るまでを語るには、現在(いま)より過去(かこ)へ物語を遡る必要がある。
群雄割拠して覇権を相争う、この激動の時代の始まりまで――――――



――――――これから始まる物語は、混迷する時代に大いなる【夢】を抱いて駆け抜け、あるいは散っていった、
数え切れない魂たちの戦史である。






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