3.戦うチカラ/トラウム



 牧歌的な光景の真っ只中へ唐突に現れる有刺鉄線と鉄筋コンクリートで固められた威圧的な塀と、
その内側に鼻を抑えたくなる異臭を漂わせながら横長な巨体を聳えさす工場は、自然に包まれた山河とは誰がどう見ても不釣合いで、
独特にして異様な存在感を醸し出していた。
 敷石を施した程度のグリーニャのストリートと異なって敷地内が全面アスファルトで舗装されている点も、
周囲と隔絶された区画であることを証明する要素の一つだ。
 グリーニャに在って、グリーニャでない場所―――さながら異世界の趣きさえ放っているのが、
悪名高きスマウグ総業がこの村へ建設した有機廃棄物処理施設だった。

(―――許さないッ! 絶対に許さないぞッ!!)

 遮断機まで完備して彼らが言うところの“有価物”を運び入れる人間を選定するセントラルゲート脇には
守衛が待機する詰め所があり、何人かのガードマンの影が見て取れた。
 遠目で探っても四、五人は確認できるのだから、実際には十近い人数が待機していると思われる。
 半袖から覗く筋骨隆々とした豪腕といかつい面構え、腰のベルトから木製の警棒をぶら下げていると来れば、
相手が戦闘訓練を受けたプロだという判断は子供にでもつく。
 手足が伸びきってもいない子供が、一流のプロを相手に特攻を仕掛けると言うのが愚かで無謀で自殺行為であることも、
相手との技量を読み違えた愚鈍者でなければ本能で察するだろう。

 しかし、今のシェインの精神を支配するのは、恐怖を忌避して生存へ働きかける防衛的なものでなく、
許されざる存在を憤怒の赴くままに攻撃し、破壊に訴える闘争本能のうねりである。
 相手がどれだけ強いか、自分がどれだけ無力なのか。そんなことは全く関係ない。
 戦って、倒す。許し難いモノを徹底的に壊し尽くす―――シェインは純然たる怒りの衝動に憑依されていた。

 もともとシェインは裡から迸る衝動へ忠実に行動するキライがある。
 ワイルド・ワイアットにインスパイアされて冒険者を志し、その職業へ就くために必要なトレーニングを
始めてしまうほどの旺盛なバイタリティと好奇心が何よりの証拠だ。

 慈善奉仕と騙して、村の自然を汚した。グリーニャの人たちを裏切り、どうせ何も出来まいと嘲笑っている。
 そんな悪党を許せないから戦う―――スマウグ総業へ特攻を仕掛ける理由など、シェインにとってはそれだけで十分だった。

「―――グリーニャ村民! シェイン・テッド・ダウィットジアク、見参!」

 怒りの衝動へ突き動かされるままにセントラルゲートで仁王立ちし、宣戦の名乗りを上げたシェインは、
何事かと詰め所から出てきたガードマンたちの脇を全速力で擦り抜け、煙突から噴煙を吐き出す廃棄物処理施設を一直線で目指した。
 子供とは言え、れっきとした不法侵入者である。奇妙な情況に面食らいながらもガードマンたちは慌ててシェインの背中を追いかけるが、
彼はアルフレッドが冷汗を掻くほどの健脚だ。
 筋力トレーニングを毎日欠かさない一流のプロをも翻弄し、追い縋る手が肩に触れることさえ許さなかった。

 あと少し。あと五十メートル。
 ショートトラックが大得意のシェインには五十メートル走程度は一足飛びにも近い距離だが、
トランシーバーで連絡を取ったのだろう、処理施設内からも新手が飛び出してその行方を遮られてしまった。

「囲め! とりあえず囲めッ! ―――バカッ! 相手は子供だぞッ!? 警棒なんか持ち出すなッ!」

 おっ取り刀で駆けつけたガードマンの群れに取り囲まれるシェインだが、
当のガードマンたちも不法侵入者が年端も行かない子供と言うことに困惑し、どう取り扱ったら良いものか、
対処に手を焼いている様子だ。
 取り囲むだけ取り囲んでおいて、シェインの出方を探りつつ、ジリジリとにじり寄ることしか彼らにも出来ない。
 血の気の多い部下が警棒を振り翳したのをリーダー格の男がすぐさま制止するなど、ガードマンの間に奇妙な緊張感が張り詰めていた。

「キミ、何がしたいのかわからないけど、今なら社長にも内緒で帰してあげるから。秘密にしておいてあげるから、
おとなしく帰りなさい。ね?」

 暴力へ訴えようとする部下と正反対にリーダーは努めて冷静にシェインの逃走を促す。
 「悪逆非道を繰り返すスマウグ総業の人間が、子供相手に暴力を振るうことを許さないモラリストを気取るのか」と
この場にアルフレッドがいたならリーダーの温情を鼻で笑うかも知れないが、最低限の理性を備えた者がいなければ
チームは有機的に行動を統一する意味を成立させられない。
 リーダーの取った行動は、部下たちを統率する立場として当然のものだった。

「村のモンがマジギレ状態で突っ込んできたんだぜ? 用があるのはこのゴミ屋敷全部!
なにがしたいかってぇと―――全部、ブチ壊すことさぁッ!!」

 ところが、この日ばかりは誠実な温情が裏目に出てしまった。
 肩膝をつき、シェインの目線に合わせて話し掛けたことで一瞬の隙が生じてしまい、
気付いた時には彼の視界は刹那のチャンスを見逃さなかったシェインの足の裏で覆い潰されていた。
 ちょうど処理施設との間に立ちはだかる恰好だったリーダーの顔をシェインは踏み台にして跳ね上がり、
呆気に取られるガードマンたちをハイジャンプでもって飛び越えたのだ。

「来いッ! ビルバンガーTィィィィィィッ!!」

 ガードマンの群れを飛び越えながら上空で指を弾いたシェインの背後で、突如、眩いばかりの光の帯が爆ぜた。
 幾条もの光の帯は粒子となって爆ぜると、再び一点へと収束し、より大きな輝きを生み出していく。
 小さな太陽、と例えても間違いでは無いくらい大きな大きな輝きだ。
 やがてその輝きは丸みを帯びた状態から縦に細長くシルエットを変え、シェインが着地する頃には
彼の背後に大きな影を被せるような、まるで光の巨人の如き形状と化していた。

「こッ、こいつ! チビ助のくせして“トラウム”持ってやがるッ!」
「チビ助じゃないッ!! ボクはシェイン・テッド・ダウィットジアックッ!! ―――こいつはボクの相棒、『精霊超熱ビルバンガーT』だぁッ!!」

 そうシェインが叫んだ瞬間、光は四方へと爆ぜ、その中から鋼鉄の巨人が姿を現した。
 つい数秒前まで影も形も無かった筈の、全長にして十メートルはあろうかと言う人型ロボットが、
纏っていた光の粒子を弾き飛ばし、ガードマンたちの畏怖の視線を釘付けにしながら両手で天を貫き、
百獣の王さえも竦みあがらせるような猛々しい雄叫びを上げた。
 踏み出す度に地面へ轟々と悲鳴を上げさせる鋼鉄の巨人の名を、シェインは『精霊超熱ビルバンガーT』―――そう呼んだ。

「かませ、鉄拳ッ! ビルバンガーTッ!!」

 何も無い空間から現出されたビルバンガーTは、シェインの号令へ忠実に従い、唸りを上げて鋼の拳を繰り出した。
 狙うのは見下ろした地面だ。
 百万馬力と形容されるに相応しいパンチによってアスファルトは砕け、ガードマンの足元に局地的な烈震が走る。
 ビルバンガーTに打ち据えられた周辺のみへ伝導した振動ではあったが、縦に横にシェイクされたガードマンたちは
たまらず腰砕けに尻餅をつき、座り込んだ先で先の拳によって抉られた破壊痕を目の当たりにした瞬間、
今度は精神へ烈震と悪寒が走り抜けた。

 威嚇目的で放たれた鉄拳に巻き込まれる人間はいなかったものの、たったの一撃で月面のクレーターを彷彿とさせる巨大な破壊痕を
アスファルトの路面へ刻み込んだビルバンガーTの圧倒的な攻撃力は、
直接肉体へ被るよりも辛辣で深刻なショックと動揺を与えるに至ったのである。
 自分で起こした烈震に巻き込まれては笑い話にもならない。ビルバンガーTが腰を屈めたのに合わせて
ヒラリ肩へと飛び乗っていたシェインは烈震の影響を受けずに済んだが、
何の準備も無いままに上下左右に揺さぶられたガードマンの中には、戦意喪失に近い状態へ陥る者まで現れていた。

「侵入者がトラウムを備えている以上、迎撃も止むを得まいッ! 戦闘用トラウムを持つ者は使用を許可するッ!
………ただし、子供を傷付けないように留意せよ!」

 大音声で発せられたリーダーの号令は、戦意が残っている者を我に返らすことに成功し、改めてシェインとその相棒、
ビルバンガーTに向き合った残存するガードマンたちは、皆、手に手にシェインが先ほど発したのと同様の光の帯を纏わせ始めた。
 今も腕組みして敵対者を威圧するビルバンガーTほど極大な物は一つとして見られないが、光の粒子が爆ぜた後、
ガードマンたちの手にもそれまでのこの場に存在すらしていなかったオブジェクトが握られていた。
 ある者は中世の騎士が使うようなロングソードを、ある者は身の丈以上の長大なトンカチと言った具合に
各人が種々様々なアイテムを爆ぜし燐光の裡から取り出し、それをビルバンガーTへと翳した。

 何も知らない人間が初めてそれを目にした時、現出に対する大きな驚きと、
その原理に対する拭いきれない疑問に首を傾げるこの現象はトラウムと云い、エンディニオンを生きる人間にとっては生理現象と一緒。
 巨大ロボットの現出や騎士剣の現出など、大仰に意識する必要もない、息を吸うことや味を感じることなどと同じような感覚なのだ。

 ―――トラウム。
 それはこの世界、エンディニオンに住まう人類が等しく手に入れる不思議なチカラである。

 要約して説明すると、“何も無い空間から様々な物質、機材、現象を生み出す”と言う極めて特異なチカラで、
その人が深層心理で願う物を燐光を経てエンディニオンへ創出する…とトラウムを研究する者の間では仮説されている。
 一度創出した物質・機材が別のモノへ変化する類例は確認されず、一人につき一つだけトラウムが備わるのが原則だった。
 手にしたトラウムとは、否応なしに一生の付き合いとなるのだ。

 一説にはエンディニオンで信仰される創造の唯一女神イシュタルが人類へ与えた恩恵とも云われているが、
何も無い空間から物質を創出する原理や過程、発端など根源的な謎は現在までに全く解明されていない。
 人類の追究がその階梯へ到達していないだけで、もしかしたら何らかのデメリットがあるかもしれないこの超能力だが、
ヒトの適応能力は貪欲かつ柔軟で、未知の謎に包まれた不可思議なトラウムを生活の助けになるとばかりに
何の疑問も持たずに使用している。
 別段特別な要素ではなく、誰もが持っていて当たり前の物として使いこなしている。

 何も知らない人間が見たなら喉から手が出るほど欲しがるだろうチカラは、古代語で“夢”を意味するトラウムは、
それを紡ぐエンディニオン人にとってテレビのリモコンくらい日常的な物だった。

 ―――トラウム。
 それは、求めるチカラを具現化の能力およびそれによって生み出されたモノを総称する言葉でもあった。

「リーダー、大変ですッ! あのバケモノと戦えるようなトラウムが一つもありませんッ!」
「………誰か便箋のトラウムを持っているヤツはいないかッ!? 遺書を書いておけ、遺書ッ!
あるいは生命保険のトラウムを持って来いッ!」
「誰か、リーダーにトランキライザーのトラウムッ! 無ければオレらもお陀仏だぁッ!」

 とは言え、頭で望んだモノが自身のトラウムとして備わるわけではなく、思考回路の巡りすら及ばない深層心理で
無意識のうちに形成されたイメージが具現化される為、折角、一生の付き合いになるトラウムなのに
殆ど役に立たないモノを手にしてしまう人間も少なくなかった。

 現にガードマンたちのトラウムの中にも迎撃に使える武器どころか何の役に立つのか不明瞭なフルメタルのお財布や
オイルライター、電子辞書と言った日用品が数多く見られた。

「さんざんデカい顔しといて、なんだい、そのヘナチョコなトラウムは? こんなのにボクらはやられてたのかよ?
………ちょうどいいさっ!! これまでコケにされてきた借り、ここできっちり返してやるッ!!」

 相手のトラウムが自分のビルバンガーTと比して取るに足らない脆弱な攻撃力だと見極めたシェインは、
一年半もの間、騙され続けてきた悔しさをスマウグ総業にも味わわせてやろうと鋼の拳を、重厚な脚を振り上げ、
逃げ惑うガードマンたちを追い掛け回す。
 突撃当初こそ無謀以外の何物でもなかった戦闘は、トラウムの攻撃力において大勢が決し、
完全にシェイン優勢で進んでいた―――かに見えた。

「ボクらが…グリーニャが味わってきた苦しみを、お前たちも―――」
「―――仕事でガードやってるだけの部外者相手に火ィ吹くなんざバカのやることだぜ。
お門違いの筋違いってか? ………呆れちまうっつーか、バカさ加減に腹ぁ立ってきたぜ!! 俺ぁよッ!!」
「――――――ッ!?」

 戦い方を工夫していたなら、もしかしたら目的を達成できたかも知れない。
 敵に自分へ歯向かうだけの戦闘能力が無いと判断した時点で速やかに処理施設へ向かっていたら、
あるいは結果も違ったかも知れない。
 しかし、シェインは巨大ロボットをトラウムへ備えているとは言え、大人顔負けの身体能力に鍛えているとは言え、
中身はまだまだ未熟なエレメンタリー。本格的な戦闘訓練を受けた経験(コト)はただの一度も無い。
 だからこそ優勢に立った瞬間、油断や増長と言う落とし穴へハマりやすく、戦い慣れた一流のプロとの差も顕著に現れる。

「たった独りで根性だけは認めてやるよ! だがな、結局そこまで止まりだぜッ!!」

 自分以外の声がすることなど在り得ないはずのビルバンガーTの肩―――それも自分の背後から油断を嘲るせせら笑いが降りかかり、
「まさか、敵!?」と弾かれるようにして振り返ったシェインは、視線を巡らせた直後に首筋へ鋭い鈍痛を感じ、
何が起きたのか把握するより先に意識を失ってしまった。

 視界がブラックアウトする直前に目端で捉えたのは、音も無く、影も無くビルバンガーTの肩へ駆け上り、
自分の背後に回り込んだと思しき男のスカーフェイス(瑕だらけの顔)と、黒塗りの鞘から白刃が抜かれていないドスだった。
 僅かに腕を突き出したような彼の姿勢から、鞘に納めたままのドスで延髄を打ち据えられたことが分かる。
 一瞬の隙を突いて戦局を逆転させたにも関らず、一瞬の油断で返り討ちにされてしまった失態を意識が薄れる間際で
ようやくシェインも気付いた。

(ちくしょう………ちくしょォ………―――)

 首から脳へと走る痛みよりも油断して勝機を見逃したことへの悔しさを噛み締めながら、
僅かに残ったシェインの意識は闇へ墜ちた――――――







「シェイン・テッド・ダウィットジアクは預かった。無事に身柄を返して欲しければ、今後一切スマウグ総業の業務へ
干渉しないことを誓約しろ―――それがスマウグ総業の交換条件か」
「は、はい………」

 シェインが無謀にも有機廃棄物処理施設へと単身特攻を仕掛け、返り討ちに遭って軟禁されてしまったニュースは
即座にアルフレッドの耳に入り、「やはりあの時、追いかけていれば…」と彼を深く悔恨させた。
 ただでさえ重苦しい彼の気を更に悪化させるのは、シェインが捕われたという緊急事態がクラップを筆頭とする
グリーニャの過激な反対派を強く刺激することだった。

 アルフレッドの予想した事態は程無く現実の物となり、クラップに強引に連れて来られた村唯一の公民館は、
年寄りたちが世間話に花を咲かす平素の様相から一変して怒気漲る反対派の犇く修羅の巷と化している。
 無謀ながらグリーニャを代表して戦ったシェインの勇気を称える賛美の声と、ネイサンの協力によって暴かれた
動かざる不法投棄の証拠への憤慨とが入り混じる公民館の空気は、この情況を作り出すのに一役買ったネイサン当人が
肩身狭く怯えるくらい剣呑で、礼金を期待していた彼を「来るんじゃなかった…」と心底後悔させた。

 極めつけは天井から逆さ吊りになっているモノだ。
 シェイン解放の交換条件を、処理施設から村までわざわざ出向いて直接伝えにやって来たスマウグ総業の職員を、
あろうことかクラップたちは縄で縛り上げて逆さ吊りにしてしまったのだ。
 逆に人質を取ったつもりでいるのだろう。
 シェインが無事に戻らなかった時にはコンクリ詰めにして処理施設の焼却炉へ放り込むなどと言う物騒な声も飛び交い、
逆さに吊られた哀れな職員を真っ青にさせていく。

「こうなった以上、合戦仕掛けて追い出すしか道は無ェッ!! シェインを実力行使で奪い返すんだッ!!」

 クラップの吐く気炎に触発された反対派の面々は、握り締めたトラウムや武器の代わりに手に取った農具を喊声と共に高く掲げる。
全面抗争への機運は最高潮に高まり、昂ぶっていった。
 公民館で一つの塊と化した闘志は大火のように熱く渦巻き、触れれば骨まで焼け焦げそうな勢いである。

「………勝てると思っているのか? 素人の生喧嘩が一流のプロへ通じるものと本気で信じているのか?」
「勝つッ!! 勝てるに決まってるッ!! シェインの勇気に報いなきゃならねぇッ!! 正義はオレらにあるッ!!」
「俺が言っているのは精神論じゃない。勝機を掴めるだけの現実的な戦略を立ててあるのか、と言うことだ」

 誰もが決着の合戦へ挑まんと荒らぶる中に在って、アルフレッドだけは冷静に対処するよう皆へ促した。
 戦いが避けられないのはアルフレッドも理解している。
 シェインを人質にされた以上は一刻も早く決着をつけなければならないとも思っている。
 だが、こちらの戦力はどうか。皆、気勢だけは十人前だが、実戦経験のある人間は皆無である。
急先鋒のクラップでさえ取っ組み合いの喧嘩くらいしか経験がなかった。
 そのような脆弱な戦力しか持たないまま、訓練を積んだプロを相手に怒り任せの特攻を仕掛けたところで
勝てる見込みはなかろう。
 合戦に及ぶのもやむなしとは考えているものの、戦力差に対するドライな分析は先ほどから何ら動いていなかった。

 案の定、力押しのゴリ押しで勝負を決しようと考えていたクラップたち反対派の一団は必勝の策の有無を突っ込まれるなり
「うっ…」と唸って何も言えなくなってしまう。
 危ういところで仲間たちの自殺行為を踏み止まらせることが出来たアルフレッドは、皆が取り戻した僅かな冷静さへ更に揺さぶりをかけ、
合戦そのものを考え直させようと一気に畳み掛ける。

「例えばこの場は一旦連中の誘いに乗って誓約を結び、シェインの無事を確保する―――と言うのはどうだ?」
「バ、バカ言ってんじゃねーよッ! 村の自然がメチャクチャにされてるってのに、それじゃ、アル、何か?
そいつを黙って見過ごせってのかッ!? あのクソッタレどもに白旗振れってッ!?」
「短期的に結果を求めるな。俺だって全面降伏したいわけじゃない。ただ、同じ戦うにしても現在の状況では
グリーニャ側が圧倒的に不利だと俺は判断しているんだ」
「………いっつも思ってんだけど、お前の言う事ぁ難し過ぎて理解するのに時間かかんだよ。
もっとわかりやすくズバッと言ってくれ」
「勝つ為に長期的な計画を練るべきなんだよ、俺たちは。このまま攻めて勝てたら御の字だが、負ければどうなる?
シェインどころか村の人間も無事じゃいられない。村全体がスマウグ総業に乗っ取られるんだぞ。
今のグリーニャじゃ戦っても勝ち目は薄い………引くべき時は引いて、勝機が見えるまで黙って機会を待つ。
それから―――」
「勝機ってのはどうすりゃ見えて来るんだ? 寝てる内にホイホイ寄って来てくれる果報なのか?」
「―――人の話を最後まで聴かないのも短絡だ。勝機がどこからともなくやって来るなどと誰も話していない。
………事を収めてからは恭順を装い、奴らが油断する裏で味方を集めるんだよ。スマウグ総業に恨みを持つ人間、
善意の協力者、一人でも多くの味方をつけて、内外から改めて攻撃を仕掛ける」
「それっこさ意味ないだろ! 助けを待ったって、誰も来てくれないんだからッ!」
「その通り。俺もそこを見落としていた。だから具体的な方策を講じられないまま、今日までズルズル来てしまったんだ」

 孤立無援を訴えるクラップへ意味ありげな答えを返したアルフレッドは公民館の新聞受けに差し込まれていた朝刊を
いきり立つ村民らの前に掲げて見せた。
 アルフレッドが皆へ提示したのは一面だが、何やら社会情勢について動きがあったと新聞は奉じているようだ。

「“ルナゲイト家、度重なる廃棄物処理業者の不正な処分方法を摘発に乗り出す”。今朝の一面トップだ」
「ルナゲイトぉ? 都会の成金が何だってんだよ」
「その都会の成金が世界最高の資産を投じて不法投棄の取り締まりに動いた。大きな意味を感じないか?
例えば、だ。俺たちが村の惨状をルナゲイト家に直接掛け合い、スマウグ総業の全容が世界中に報じられれば、
奴らの進退は間違いなく窮まる。グリーニャから立ち退かざるを得なくなる」
「そんな上手い話が―――」
「―――普通に考えたら容易く事が運ぶ訳は無い。だが、幸いな事にこちらにはルナゲイト家を頼みに出来るだけのツテもある。
アテを外しても、まだ切り札が残っている」
「切り札?」
「俺たち小市民の訴えが届かなくても、“フェイ兄さん”の言葉ならルナゲイトも耳を貸すだろう?」
「あ、あいつに助けて貰おうってのか!?」

 ページを二枚ほどめくって現れた社会面には、一面トップを飾った“ルナゲイト家の摘発”に勝るとも劣らない大きさで
フェイ・ブランドール・カスケイド――アルフレッドが“フェイ兄さん”と呼んだ者だ――なる人物の功績を称える記事が
掲載されている。

 目玉が飛び出しそうな勢いで驚いて見せたクラップや、フェイと言う名前がアルフレッドの口から出た途端に
動揺を走らせた村民の様子から察するに、その人物はグリーニャにおいて波風を立てる要因とでも認められているようだ。
 浅葱色の髪と端整な顔立ちが眩しい写真を見る限り、フェイなる人物は誠実そのものの青年で、
とても人の心を掻き乱すようには見えない。
 新聞にはフェイの出身地がグリーニャと明記してあり、そこに村民との深い関係性を見出す事も出来るのだが、
それでもクラップを始めとする人々が動揺するだけの理由は判然としなかった。

 ―――“フェイ・ブランドール・カスケイド、寒村の危機を救う”。
 その見出しから始まった記事では、食うや食わずの寒村を襲撃し、飢餓寸前の僅かな備蓄をも強奪せんと画策していた
ギャング団の陰謀を先んじて見抜いたフェイが、二人の仲間と共に彼らのアジトを奇襲、
あわやの寸前で寒村の危機を救った旨が紹介されていた。

 余程鍛えられた屈強の戦士でも無ければ到底扱い切れない肉厚にして長大な巨剣、ツヴァイハンダーを天に翳して
照れ臭そうに微笑む写真の中のフェイと絵に描いたような美談。
 フェイを英雄たらしめる二つのトピックスが合わさると、複雑そうに顔を歪める村人の態度はますます不可解だ。

「………だって、あいつは村を捨てた人間だぜ? 今更グリーニャに手ぇ貸してくれると思えねぇんだけど」
「フェイ兄さんがグリーニャを捨てた、などと言うことはお前たちが勝手に決め付けているだけじゃないか。
この間も村を心配して電話くれたばかりなんだぞ」
「そりゃ、お前ん家はあの人と仲良かったから交流もあるんだろうけど、俺たちは、なぁ………?」

 いかにもフェイとの不仲を匂わせる苦々しい面持ちで振り返ったクラップに、それまでのバイオレンスな勢いは
どこへやらと言った風情で気炎を消した村民たちが、これまた複雑そうに互いの顔を見合わせる。
 アルフレッドを除く村民がフェイの名前に顔を顰める背景には、“村を見捨てた”、“村の人間とは不仲”と言う
負の錯綜が根付いているようだ。

「ってか、ボキがこのヘンピな村まで派遣されてきたリグレットをまずシンキングして欲しいィ〜モンだね」

 どこか人を小馬鹿にしたような、グリーニャを暗に田舎と嘲ったような声がアルフレッドの耳へ滑り込んだのはその時である。
 何か食べている最中なのか、マナーも何もあったものでない下品なゲップ混じりの声の音域はどこか開放的で、
壁や天井と言った遮蔽物に弾かれた、あの独特の反響を含んではいなかった。
 つまり、今の声は公民館内で挙がったものでは無いと結論付けられる。

 ………そんな風に小難しく分析したアルフレッドが、声の主を公民館の外へ求めて屋外に足を向けると、
公民館の外周に設けられたベンチでポテトチップスをボリボリと貪る大柄な人影を見つけることが出来た。

「用がナッスィングであればとっととズラかるけど、そこんとこどうなのよ?
ギャラはカスケイドちゃんから前金で貰ってるからネ。こっちとしちゃ働いても働かなくても
どっちでもノープロブレムなんだけど? てかメンドいし、出来ればゴーホームのベクトルで考えといてよ」
「出来れば俺もその方向で話を進めたいところだな。合戦にならなければあんたの手など借りずに済む。
帰り支度を始めて貰っても一向に構わないぞ」
「ありゃ〜りゃ、こいつぁディフィカルトじゃないノ。そ〜まであからさまに邪険にされると、反骨スピリットが
メラメラ来ちゃうネぇ。居座っちゃおうかな〜、チミが何と言おうと居座りステイしちゃおっかなぁ〜♪」
「釣られるほどの挑発ではないな。不必要にも関らずグリーニャに居座ると言うのなら実力で排除させて貰う。
………俺としてはそのほうが合理的で助かるがな」
「ひゅひゅ〜♪ かっくィ〜ね、チミ。ボキがガールだったら、恋のてんぱいビートがコールされちゃうトコだよ」
「煩い、黙れ」

 菓子の油でテカテカと汚く光る唇を乱雑に掌で拭った大柄な男は、象形文字を思わせる紋様が刺繍された
不可思議な白装束に身を包み、身の丈ほどある長いスタッフ(杖)を足元に放り出している。
 作業着やジーンズと言った機能的かつ近代的な服装のグリーニャ村民と比較して、その装いはあまりに浮いており、
村の景観と異質―――どころか、場と空気を弁えられない、いわゆるイタいコスプレイヤーにしか見えなかった。

 数秒前に食べ終わったばかりだと言うのにまた新しい袋を開封するあたり、ポテトチップスの愛好家なのだろう。
 どれだけポテトチップスを愛しているのかは、前にでっぷりと突き出しただらしない腹を見ればよくわかる。
分厚い唇は掌でどれだけ拭っても拭いきれない光沢で覆われ、顎や鼻の頭などにはチップスの味付けと思しき
パウダーや食べカスが付着していた。
 下品。誰がどう見ても下品。およそ体裁など気にせず、自分勝手に生きる人種とアルフレッドは判断しており、
だからこそネイサンへ向ける以上の剣呑な態度で彼を突き放すのだ。

「僕以上に胡散臭い人が出て来たね」
「この男はフェイ兄さんの紹介で派遣された冒険者だ。復権を目論んでいるところ、悪いんだが、
不審人物のあんたとは比べるだけ失礼になるくらい身元はハッキリしている」
「………………………」

 公民館の空気が居た堪れなくなってアルフレッドの後を随いてきたネイサンが、同属=不審人物を見つけて
安心しないように釘を刺すのも忘れないが。

「ホゥリー・ヴァランタイン。………スマウグ総業に村の人間が暴力などされないよう監視兼ガードマンとして
フェイ兄さんがグリーニャに派遣してくれた冒険者だ」
「“フェイ兄さん”………フェイ・ブランドール・カスケイド、か。さっきの新聞にも乗ってた人だね」
「見ての通り………いや、外見だけでは判別できないだろうが、ああ見えてプロキシとか言う魔術を極めたプロらしくてな。
フェイ兄さんが言うには、顔に似合わずかなりの力量の持ち主とのことだ。
………”顔に似合わず”の後に人格やマナーとの不整合も付け足そうとして、ヴァランタイン本人の名誉の為に
あえて自重した兄さんは気遣いが上手い。俺には真似できないな」
「………キミって、ホント、誰にも猛毒ばっかだね。自分以外の人に吐かれた毒なのに、こっちまでビクッと来ちゃうよ」
「馴れ馴れしくキミなどと呼ぶな。こっちの件が片付いたら、次はあんたを詐欺師として片付けるつもりなんだぞ、俺は」
「………………………」

 ありありと棘が見えたものの、とりあえず自分の紹介に不備が無かったことを確認したホゥリーは
「ボキのアピール、ご苦労さん」とこれまたゲップ混じりに言い放つや、中身がまだ半分以上も残っていたポテトチップスを
大口を開けて一気に放り込み、最早噛んでいるのか頬の内側でこねくり回しているのか分からないような
汚い食べ方で飲み下した。食後のゲップも勿論忘れない。
 その下品この上ない行為は、ホゥリーなりの「もう話す事も無い」とのサインだったのだろうか。
項垂れるネイサンや相変わらずつっけんどんなアルフレッドを無視するかのようにベンチへ寝転がり、ものの数秒で大鼾をかき始めた。
 太鼓にもなりそうな大きな腹は規則正しく上下し、だらしなく開かれた大口からは涎がダラダラと滴っている。
 起きていても寝ていても下品である。

 アルフレッドが言うにはこのホゥリー・ヴァランタインはフェイが雇った護衛なのだが、この職務怠慢ぶりを見る限りでは
有事において満足な働きは期待出来そうも無い。
 最早エンディニオンにおいて継承するのは一握りの古代民族に限られる秘術中の秘術・プロキシを体得するプロ―――との
触れ込みではあるものの、弛み切った人格のどこにその信憑性を見出せと言うのか。

 アルフレッドとネイサンに送れて公民館から出てきたクラップの吐いた、「誰かライター持ってきて焼き豚にしちまえ! 
脂が乗り切ってるから香ばしく焼けるだろうぜ」との憤激は、おそらくホゥリーを知る全ての村民の総意に違いない。

「アル、なぁ、こんなもん仕向けるなんて、やっぱあいつはグリーニャを―――」
「派遣された人間の良し悪しを論じるのは省こう。要はフェイ兄さんがグリーニャを気にかけてくれていることが重要なんだ」

 ともすれば村民らが行き着く答えは、「何の役にも立ちそうに無い人間を派遣された。フェイにとって故郷はその程度の扱いだ」。
 英雄の誉れ高いフェイが故郷の危機を無視する訳にも行かず、適当な冒険者を形だけ派遣したのでは、と
クラップは疑ってかかるが、アルフレッドの考えはその真逆だ。

「フェイ兄さんは俺たちを…故郷を見捨てちゃいない。加えてルナゲイト家が動き出した。
つまり俺が言いたいのは、短慮を起こさず機会を見計らえば、損害を出さない戦い方はいくらでもあると言うことだ」

 遠く離れた場所にはいるけれど、グリーニャの行く末を案じて護衛を派遣してくれた、とフェイに大きな希望を抱いている。
 見捨てるどころか、故郷への愛を持ち続けてくれている。そうアルフレッドは解釈していた。
 だからこそ勝機はある。フェイに対する怪訝な想いを打ち消せず、額に皺を寄せるクラップに向かってアルフレッドはそう勝利を断言した。

「ルナゲイトとフェイが繋げられれば、オレらが勝つって………マジなのか?」
「お前たちが暴力に訴えて、話を拗れさせないのが一番の条件になるがな」
「………………………」

 ―――アルフレッドの並べた羅列を補足するならば、ルナゲイト家と言うのは東方の一帯・ルナゲイト地方を束ねる名家で、
エンディニオンで唯一のテレビ局を運営する世界最大の財団でもある。
 その統括範囲は広く、テレビ局に留まることなく新聞社、通信社、ラジオ局など『情報』と名の付くありとあらゆる仕事を
一手に担い、名実共にエンディニオンのメディアの頂点に立つ存在だ。

 そして、アルフレッドが“フェイ兄さん”と慕って止まない、フェイ・ブランドール・カスケイド。
 ルナゲイトが発行する新聞内で大々的に取り上げられていた通り、世界中に蔓延る悪を処断して回る旅の剣士にして
若くして英雄と崇められる人物である。
 数年前に出奔こそしているものの、ここグリーニャの出身であり、アルフレッドの言葉を借りるなら旅に出てからも
故郷を心配し続ける好青年。
 クラップらは村を捨てたと疑ってかかるが、世界中で高まるフェイ崇拝と照らし合わせれば、
そんな負の怪訝こそが藪睨みで、アルフレッドが説く解釈が正しいものと頷ける。
 もし、フェイが自分へかけられた疑念を知ったなら、得物とする全長三メートル近い長大な剣、ツヴァイハンダーではなく、
新聞紙上でも見せた、快活な笑顔でもって払拭してしまうことだろう。

 世界中の全てのメディアを統括するルナゲイト家と世界的な名声を誇る我が村出身の英雄、フェイ。
 この二つの要因を合わせてスマウグ総業の悪事を世界中に暴露し、怨敵を打破せしめようと言うのが
アルフレッドの提唱する策である。

「今、無茶をすればシェインは無事では済まない。戦いの素人であるお前たちも無事ではいられない。
もう一度、繰り返すぞ、クラップ。勝算の立たない合戦でバクチを打つか、結果は遅れるが、確実に勝算を立てられる情報戦で
スマウグの奴らに逆襲するか。どちらが本当の勝利だと思う?」
「………………………ッ!」

 アルフレッドの説得は彼らしく理屈に比重を置いてはいたが、小賢しいだけの屁理屈でも、机上の空論と一笑に伏せるような
程度の低い物でもなかった。
 段階を追ってスマウグ総業を完璧に壊滅させようと言う秘策が持つ具体性は、あれほど合戦による決着に力んでいたクラップが
思わず首を縦に振りそうになるくらい緻密なもので、神妙に聴き入る様子からもスマウグ総業を打倒する最善の手段と
彼が考え始めたことが窺えた。

「―――今のトピックはリアリィ? マジなんかい? マジに協力してくれるんかい、ルナゲイトのお偉方サンは。
仮に本腰インサートするにしたって、あんなドデカカンパニーがこんなヘンピで家畜臭い村へルックを向けるなんざ
何年先になるやらサーチできたもんじゃないべ? アテにしちゃってマジにオーケー?」
「な………」

 あと一押しすれば篭絡できると確信したアルフレッドの説得に横槍を入れたのはホゥリーだ。
 今の今まで寝ていた筈のホゥリーが唐突に万全の勝利を導ける秘策へ異論を唱え出したのである。
 怠けている風に見えて人々の話自体にはちゃんとアンテナを張っているらしく、のっそりと起き上がって口臭キツい欠伸を終えた途端、
アルフレッドの説いた秘策の矛盾点を突き出した。

「ちょいと見通しがスウィート過ぎるんじゃない? 練乳たっぷりのショートケーキに粉砂糖とメイプルシロップをぶっかけて
フルーツソースで和えたくらいスウィートだネ、チミの秘策チャン。―――あ、ちなみに今の例えは笑いどころでなくて
ボキの好物ナンバー五三八番目だから、成功報酬にリザーブしといてね」
「おい、あんた―――」
「睡眠レクチャーよろしくリスニングさせてもらったケんド、チミのご高説、アレゴリーとしちゃあパーフェクトだよ。
丸ごと全部チミのプラン通りすんなり進んだら、チミの欲しがるヴィクトリーに行き着くだろ〜ネ。
―――でも、チミは大きな見落としをしてる。バット・しかし、おつむハードだから見落としに気付けナイ」
「俺は現実的かつ堅実な策を案じたつもりだが」
「ホレ、見ろ、ホレ。やーーーっぱり気付いちゃナッシング。チミのブレイン、シケた煎餅と見せかけてスウィートかつソフトな大福餅?」
「言いたいことがあるならストレートに言って貰おうか。………俺の蹴りが飛び出さない内に」
「………回りくどすぎるキミがそれを言っちゃうの―――へぶッ!?」

 余計なことを口走ったネイサンが奇妙な呻き声と共にお日様を目指して軽く飛び上がったのだが、
これは自分でハイジャンプの世界新記録に挑戦した訳でなく、アルフレッドが紫電一閃の右足で跳ね上げた結果だ。
 公民館の屋根の上まで跳ね上がった後、錐揉みしながら地面へ落下したネイサンとホゥリーを交互に見比べる
アルフレッドの冷たい瞳には、明らかな怒気と殺気が浮かんでいた。

 「これ以上、煩わしい真似を続けるつもりなら、貴様もこうなる」。最後通告にも似た剣呑な瞳を突き立てられるホゥリーだったが、
痙攣して動けなくなっているネイサンの惨状を見ても、アルフレッドの殺気にさらされても、ふてぶてしい態度を崩さず、
目の前で怒りを抑える彼の神経を逆撫でするかのように悠然と欠伸をして見せた。

「貴様………」
「アンサーはさっきも言ったじゃん。チミ、テリブる前にボキの授けてあげたマーヴェラスなヒントを反芻してご覧?
ボキ、なんて言ったっけ? ルナゲイトみたいなドデカカンパニーが、こんなヘンピで家畜臭くてダサダサなチビ村に
ルック向けるのなんて何年先になるコトやらって言わなかったかな? それともこれってボキのメモリアル違い?」
「………ダサダサとチビ村は無かっただろうが………」
「ステキな負け惜しみド〜モ♪」

 例えフェイの名声を以ってしても、ただでさえ腰が重く、しかも世間の好奇を引く案件を迷いなく選択する大企業が
グリーニャなどと言う小さな農村へ救いの手を差し伸べることはあり得ない。
仮に注意が向けられたとしても、その頃にはグリーニャは人っ子一人住めないゴミの墓場と化しているだろう。

 企業などそんなモノなのだ。自社の新聞の一面を使ってアピールするからにはルナゲイト家も
この問題へそれなりに力を入れるだろうし、そうなると支出に見合った明確な利益を出さなくてはならない。
 不正を暴くと大仰に謳っているが、それを成すのは企業。企業である以上、慈善事業も営利が目的となる。
 グリーニャの問題は深刻だし、フェイの口から説得に動けば、ルナゲイト上層部も多少は介入の可能性を模索するだろう。
 しかし、そこで止まる。スマウグ総業がグリーニャへ建設したような廃棄物処理場はルナゲイト地方にも存在しており、
どうして自社の膝元を飛び越して他所の地方へと手を伸ばすものか。
 まず自社の周りを解決してから別の場所に目を向けると言うのが企業が採る常識的なプロセスだ。

 ホゥリーの指摘を要約すると、つまりこういうことである。
 アルフレッドの唱えた策は、確かに理には適っているものの、現実のものとして達成できる要因があまりに少な過ぎる。
 解決すべき現実の問題を見落としている―――ホゥリーはアルフレッドの秘策を理屈でもってやり込め、
完膚なきまでに叩きのめした。

「だが、それはルナゲイト家に何のツテも無ければの話だ。先ほど言ったが、俺はルナゲイト家に―――」
「―――行くぞッ!! 今すぐ突撃だッ!! ………あの腐れ外道どもを焼き討ちにしてやらぁッ!!」

 このままやられてばかりはいられないとアルフレッドが反撃に転じようと口火を切った矢先のことだ。
 反論の弁はクラップの咆哮でウヤムヤになり、クラップに呼応して村民から迸った怒号によって
二の句を継げないくらい粉々に砕かれてしまった。

 アルフレッドの案じた秘策が実現困難な物と先走って勘違いした反対派が、ホゥリーの「ルナゲイトの目が向くのは
何年後になるかした」との言葉でもって焚き付けられ、ついに我慢の限界を超えたのだ。
 皆打ち揃って武器を取り、怒り憤慨と燃え盛る様子は、さながら暴走寸前のバッファローだ。

(………あと一歩のところで―――)

 アルフレッドにしてみれば、これほど悔しく臍を噛む思いは無かった。
 最初の状態へ逆戻りしただけならまだしも、あらゆる融和策が無意味と知った反対派には最早どんな説得も届かないだろう。
 彼らが次に止まるとすれば、それは怨敵・スマウグ総業を壊滅させるか、死傷するかのどちらかしか無い。
 グリーニャは考えられる最悪のシナリオへ向かいつつあった。

 口笛など吹いて涼しげにしているホゥリーへ恨めしい視線を向けたところで状況は変わらず、激昂する反対派は今すぐにでも
スマウグ総業へ攻め入りそうな気配である。
 戦いを避ける方策を懸命に模索するアルフレッドだが、どんな推論を行なっても、どんな手段を手繰っても、
憤怒の化身となった人々を鎮静する方法は終ぞ見出せなかった。

「―――アルッ!!」

 万策尽きて項垂れていたアルフレッドは、不意に自分の名を呼ぶ上擦った声を耳にし、
引っ張られるようにしてそちらの方角へと視線を滑らせた。

 ―――フィーナだ。
 ライアン電気店から公民館へ続く街道を全速力で駆けて来るフィーナの姿がアルフレッドの瞳へ飛び込んだ。

「フィー………」
「聞いたよ、シェイン君のことっ! スマウグ総業に捕まっちゃったって!」
「………ああ………」
「無事なのっ!? 痛いこととか、酷いこととか、されてないっ!?」
「俺に訊かれても………」

 本当に渾身の力で駆けつけたのだろう、フィーナの顎で汗が玉を結んでいたが、それを拭うことすら忘れて
彼女はシェインの安否を質した。
 直接処理施設内部の様子を覗くことの叶わないアルフレッドにしてみれば、答えに困るどころか、迷惑千万な質問だ。
 弟のように可愛がるシェインの身の危険を案じる気持ちは十分に共感でき、混乱してしまうのも無理からぬことだが、
内情を知る術の無いアルフレッドが、どうしてシェインの安否を答えられるだろうか。
 胸倉を掴まれるような恰好で「どうなの!? ねぇ、どうなの!?」と激しく急き立てられても答えられないものは答えられず、
眉をハの字に曲げることしか出来なかった。

 悲鳴にも似たフィーナの声が公民館の中にまで響いたのか、「社長は小さな子に暴力振るうような人じゃないです。
暴力とかそーゆー心配は要らないッス」と逆さ釣りにされた哀れな社員がご丁寧にも答えてくれたことで
ようやく落ち着きを取り戻したフィーナだったが、物々しい装いで居並ぶ反対派の姿に事態の困窮を悟り、すぐさまに顔色を変えた。
 怯えの混じった不安げな視線を向けてくるフィーナを更に動揺させるのはアルフレッドにとっても心苦しい限りなのだが、
彼女の考えている通りだと頷かざるを得ない状況である。

 合戦は、すぐそこまで迫っていた。

(―――いや、待てよ)

 フィーナの闖入は驚くべきことだが、これはもしかしたら千載一遇のチャンスかも知れない。
アルフレッドに残った冷静な部分があることに気付き、急速に回転して緊張状態打破の模索を再開した。
 反対派の激昂にフィーナは怯えている。狂気を内包する暴力の脈動へ恐怖心を抱いている。
 いたいけな少女に恐怖を植え付けてまで戦って、そうして勝っても村の未来を守ったことになるのか? 
 暴力の衝動が村民の根底にあると知って、これからも心安らかに暮らしていけるのだろうか?
 暴力で物事を押し流してしまったら、今後、グリーニャ内で起こるトラブルは全て暴力で解決されるのでは―――
スマウグ総業を叩き潰したことで力の行使に自信を得て、暴力衝動を抑圧しておく枷が外れたかも知れないと言う
強迫観念が未来永劫付きまとうだろう。
 そんな将来を受け容れてまで戦うべきか? 答えは断じて否である。

 もしかしたそうやって説得できる最後のチャンスをフィーナは運んできてくれたのかも知れない。
 アルフレッドは一縷の望みを託してフィーナの怯えを借りようと逆転への一歩を踏み出した―――

「―――戦おう…っ!」
「ンなッ!?」
「ちょっとだけ―――………ううん、ホントはすごく恐いけど、このままじゃシェイン君が危ないもんっ!
それなのに足踏みしているなんて、私には出来ないっ!」
「お、おい、フィー?」

 ―――までは良かったのだが、彼の希望はあろうことかフィーナ本人の一声によって脆くも崩れ去った。

「私は………―――私は、戦うッ!」

 いつまでも恐怖に取り付かれていると思われたフィーナの瞳は、いつの間にか強い勇気を宿していた。
 事態を逆転させる策略にアルフレッドが思考を巡らせる間に、決して恐怖になど揺らがず、
村民から感じ取った恐れも怯えも突き破って前進を望む強い意志へと瞳の彩(いろ)は塗り変えられていた。

「私は戦うよ、アル」

 思っても見なかったフィーナの宣言に反対派の誰もがドッと沸き立つ中、取り残されたように呆気に取られるアルフレッドへ
フィーナはもう一度、自分の意志を繰り返した。
 「私は戦う」。そう呼びかけながら高く翳されたフィーナの掌で燐光が爆ぜ、眩いばかりの帯が弾けると同時に、
陽を浴びて鈍く輝く不思議な形のオブジェクトが、文字通り白日の元へと現れた。

「フィー、お前………」

 力強く――けれど握り締めた指先が小さく震えているように見える――突き出されたフィーナの右手には、
『SA2アンヘルチャント』と銘打たれた彼女のトラウムが、………硬質な光を放つリボルバー拳銃が在った。



* * *



 アルフレッドが初めてSA2アンヘルチャントを目の当たりにした時、
フィーナは折角発現させることの出来た自分のトラウムを放り投げたまま、膝を抱えてガタガタと震えていた。
 それも並みの震え方ではない。
 見ては行けないときつく禁じられた悪魔を見てしまったかのように、
触れてはならないと厳しく言いつけられた魔器へ触れてしまったかのように、自身の肩を掻き抱きながら小刻みに震え続けていた。
 吐く息も小刻みで、唇から頬まで全く生気が抜け落ちている。

「アル………わた………私………わ………これ………これが………―――――――――」

 まるで悪魔と魔器に心を蝕まれてしまったかのように、言葉さえいつも通りに紡げなくなっていた。
 激しい動悸を鎮めようとしながらもそれは叶わず、蒼褪めた頬を伝う理解不能な涙を止めようとしてそれも叶わず、
心を食いつくそうと迫り来る無限の恐れと怯えに、ただただ身を震わせていた。
 アルフレッドの胸に縋り付いて、「助けて…助けて…」と何度も何度も繰り返して。

『私のトラウムってどんなのかな? なんかこう………炊飯ジャーとかそう言うのがイイな』
『キワモノ系は母さんだけでいいだろ。実用性に乏しい物が一家に幾つもあっても困る』
『えー? そうかなぁ。炊飯ジャー、結構、イイ線、行ってると思うんだけどなぁ』
『大体、何で炊飯ジャーなんだよ。例えにするにしても、もっと何かあるんじゃないのか?
無限に白米が炊ける炊飯ジャーでも欲しいと言うのか』
『………想像したら、お腹空いてきちゃった』
『………………………』
『ちょ、ちょっと、も〜っ! そのカオ、すっごいカンジ悪いよ。また私のこと大食い女呼ばわりするつもり?』
『呼ばわりも何も、現にお前は大食いだろう。炊飯ジャーのトラウムなどと言う発想、よほど食に執着が無ければ
普通は出てこない』
『だってだってだってっ! よく考えてみてよ? いつでもホカホカご飯が食べれる炊飯ジャーだよ?
そりゃ私だってご飯がいつでも食べられたら幸せだけどさぁ』
『また太るぞ』
『“また”って言うなぁ〜っ! ………じゃなくてっ! 私だけが幸せになれるんじゃなくてね、そんな炊飯ジャーがあれば、
ひもじい思いしてる人たちにもホカホカご飯を分けてあげられるでしょ?』
『ほぅ?』
『いっぺんに全ての人を幸せには出来ないけれど、そんなトラウムがあるなら素敵だけど………でもね、
いつでもホカホカご飯を配れる炊飯ジャーがあったら、それで何人も助けられるもん』
『………………………』
『もし私が炊飯ジャーのトラウムを貰えなくても、誰かがホカホカご飯を配ってくれたら、
それってトラウムの一番正しい使い方なんじゃないかな』
『そう…そうだな。ああ、お前の言う通りだ』
『そんな風に幸せいっぱいの世界を作れるトラウムなら、私、使いこなせるように一生懸命練習しちゃうよ』

 一人につき一つ備わるトラウムだが、生まれついて先天的に会得している能力ではない。
ある時、急に本人の前に創出され、それ以降、原則として意識的に発動させることが出来るようになるのだ。
 いつ、どのようにして、どんな形のトラウムが創出されて手に入るのかは、それを行使する本人にも分からず、
天の運に任せるしかなかった。
 それこそ生まれた瞬間に創出させるような極端に早い人もいれば、いつまで経っても具現化する気配が見られない人もいる。
こと後者については“トラウム不適合者”と便宜的に呼ばれるが、全くトラウムを得られない人間の数は極めて少ない。

 グリーニャの村民の中ではトラウムの創出が遅れ気味だったフィーナは、いつか出逢う自分だけのトラウムへそんな風に想いを馳せていた。
 誰かを幸せに出来るトラウムを手に入れたい、と。
 もし、自分にそれが手に入らなくても、誰かが幸せを世界に振り撒いて欲しい。
 フィーナにとってトラウムとは、幸せを叶えてくれる『夢』そのものだった―――彼女の右手で燐光が爆ぜ、
そこに現れた冷たいモノの重みに指が軋む、その瞬間までは。

「どうして………こんなの………人を傷つけてしまう………殺し………ちゃう………拳銃なんか………私は――――――」

 いつかアルフレッドと笑い合った時、フィーナはどんな時でも炊きたての白米を食べられ、
空腹に喘ぐ人へそれを分けてあげられる炊飯ジャーを求めたが、幸せの鍵を求めた彼女の手へ実際に舞い降りたトラウムは、
抱き続けて来た夢をこれ以上ない悪夢へ塗り替える物だった。
 手にすることも見ることもおぞましく、身の毛のよだつような恐怖の余り放り捨てられた鋼の塊は、
十五センチくらいの筒が前方を睨むかのように突き出され、その付け根へ何かを詰めておく回転式のシリンダーと取っ手、
鍵爪のようなレバーを備えたオブジェクト―――人の命を食い破り、苦悶の死へ導くリボルバー拳銃であった。

「私の願いって………人を傷付ける物だったの………?」

 トラウムは、持ち主が深層心理で求める“夢”を具現化させた物だと言うのが、エンディニオンでは通説として流布されている。
 誰かの幸せを、世界の平和を心の底から願ってきたフィーナが本当に望んだ『夢』とは、実は炊飯ジャーなどではなく、
誰かの幸せを、世界の平和を奪い取る武器だったのか。
 心臓へ流れ込めば死の華を咲かせて散らす悪魔の種子を振り撒く恐るべき拳銃を、フィーナは深層心理で欲していたと言うのか。

 そんな訳は無い。誰にでも分け隔てなく優しく接することの出来るフィーナの慈愛が偽善ではないと
アルフレッドは胸を張って言い切ることができた。
 ………できたからこそ、慟哭するフィーナへかける慰めを見つけられなかった。
 平和を求めた夢の先にあったのが、望む形とは正反対の拳銃だったフィーナは、この時、恐怖に嘆き喚きながら
自分の心と、これまでの人生そのものを信じられなくなっていた。

 あれだけ幸せを願ってきたのに、行き着いたのは人を殺める拳銃なのだ。
 「もしかしたら、私は私自身の心にウソを吐いてきたのかも知れない。誰かの幸せを願いながら、誰かを不幸にしたいと
願っていたのかも知れない」―――そのような負の疑念の連鎖に陥るのも無理からぬことである。

「お前の願いは人を助ける物だ。それはずっとお前の傍にいた俺が保証する」
「………で…も………だっ………て………じゃあ………あれは………あ…の………拳………銃は………っ………?」
「そうだ。あのリボルバーがお前の願った幸せを運ぶ鍵だ」
「そんな―――そんなわけないでしょッ!? あれは…あれは人を殺す武器なんだよッ!? 引き金を引いただけで簡単に
命を奪っちゃう機械なんだよッ!? そんな恐ろしい物が、どうやって幸せを作れるんだよッ!!」

 自分自身に怯えて震え続けるフィーナへ意を決してかけた言葉をアルフレッドは今でもはっきりと憶えていた。

「お前はあのリボルバー拳銃を持った途端に、無差別に人を狙ってしまうのか? 
銃口を俺や父さん、母さんやベルに向けるようになってしまうのか?」
「バカなこと、言わないでッ! どうして私がみんなを撃たなきゃいけないのッ!?」
「家族や友人でなければ、お前は引き金を引くのか?」
「いい加減にしてよ、アルッ! 引き金なんか絶対に引かないッ! 誰かを傷付けるなんて…命を奪うなんて絶対に許せないッ!!」

 リボルバーを得たことは必然だと肯定するかのような口振りで話し始めたアルフレッドへ眦を上げて激怒したフィーナは、
縋り付いていた彼の胸を突き飛ばし、歯を食いしばってその頬を張った。
 人を傷付けたくないと願ってきたフィーナが誰かを殴打するのは生まれて初めてのことだ。
まして大切な恋人で、一番の理解者であるアルフレッドを叩くなどまず考えられなかった。
 にも関らず衝動に駆られるままに頬を張ったと言うことは、本気で怒っている証拠だ。

「………それで良いんだよ、フィー。その気持ちがあるなら、何も恐れるな」
「え………」
「銃口を人に向ける恐ろしささえ分かっていれば、絶対に間違いは起きない。………いや、俺が起こさせない。
俺がお前の安全装置(セーフティ)になる」

 今まで見たことの無いフィーナの形相を正面に見つめるアルフレッドは、どんなに激しい怒りをぶつけられても
決して冷静さを失うことはなく、彼女の慟哭と激昂を受け止めた。
 更に頬を張ろうと振り上げられた手を優しく受け止め、もう一度、自分の胸の裡へフィーナを抱き込んだアルフレッドは、
思いがけない言葉に目を見開いた彼女の唇に自分のそれを重ねた。

 お互いの鼓動が聞こえるくらい近くでそうしていたアルフレッドだったが、フィーナが落ち着きを取り戻したことを見計らうと、
放り投げられたリボルバー拳銃を拾い上げ、何を考えたのか、まだ少し指先が震えている彼女の右手へ握らせた。

「ただし、いいな、これだけは忘れるな。お前は自分のトラウムとしてリボルバーを手に入れた。
人を傷つけてはならない誓いと共に、人を傷付けることのできる銃を」
「………………………」
「戦わなければならない時に、決して譲ってはいけない時に、迷わずお前はこの銃を取れ。
この銃は、きっと、お前に人を傷付ける力じゃなく、恐怖に負けず前へ進む勇気を与える為にやって来たんだ」
「前に進む勇気………」
「無責任なことは言いたくないし、正直、それがいつなのかは俺にも分からないが、その日はきっと来る。
例え人に銃口を向けることになっても、一番嫌いな戦いになったとしても、決して譲れない瞬間が」

 悪夢を肯定するわけではない。もしかしたら矛盾を来たす考えなのかも知れない。
 けれどアルフレッドは夢を追いかける手段として、今はまだ恐怖を植え付けるモノでしかないこのリボルバーを
受け止めるようにフィーナへ語りかけた。
 譲ってしまったら、大事な何かが壊れてしまう―――その機(とき)に迷わず戦い、失いたくないモノを守れる手段が、
フィーナの手にしたトラウムなのだ、と。

「どんなチカラも正しく使えば、幸せの扉を開く鍵になる。俺はそう信じている―――フィーにはそれが出来ると信じている」



* * *



 望まぬ形のトラウムを得てしまったフィーナを、己の運命を呪わず勇気を持つように励ましたのはちょうど半年前。
 勿論、正しい行使を助言されたからと言って、人を殺める道具を自らの力として受け容れる恐怖(こと)をすぐに克服できる訳もなく、
一歩ずつ一歩ずつ、たどたどしい足取りでフィーナは自分のトラウムと向き合い、
半年もの月日を費やすことで「今は何もわからないけれど、この力にも、きっと何か意味がある」と受け止めるに至った。

 拳銃を受け容れることは、人を殺める恐ろしさを認めることになるのではないか―――と懊悩した夜もあった。
 もし、自分のトラウムが暴発すれば目の前にある笑顔が全て崩れてしまうのではないか―――家族と過ごす時間にそんな錯覚を覚え、
耐え切れずに泣き出してしまう夜もあった。

 苦悩と葛藤の半年間を誰よりも近くで支えてきたアルフレッドにとって、「私は戦う」と宣言したフィーナの決意は驚嘆以外の何物でもない。
手に入れてしまった恐怖の具現に心が窶れ、何日も何日も泣き腫らしたフィーナがシェインを救う為に自ら戦う力を取ったのだ。
 アルフレッドより受け取った言葉を手がかりにリボルバー拳銃から勇気を引き出し、あの日の恐怖を振り払って
前に進む決意を固めたのだ。

 大事な物を守る為に。譲れない戦いに決着をつける為に。

「………決めたのか、そう」
「………まだ答えは出せそうに無いけど―――でも、このチカラを勇気へ換えるとするなら、それはきっと今なんだと思う」
「………………………」
「私の手には戦う力が握られてる。それなのに自分が恐いからって足踏みして、その間にシェイン君が傷付けられることになったら、
私は一生後悔する。………大事な人を守る為に私は武器を取る―――譲れないのは今なんだッ!」
「………わかった」

 アルフレッドの意志が戦いへ傾くとするなら、この瞬間をおいて他には無い。
 リボルバーの受け容れこそ叶えたものの、射撃訓練など受けたこともないフィーナが、一番大切な恋人が勇気を振り絞って
シェインを取り戻す戦いへ臨もうと言うのに自分は何をゴネているのか。
 彼女と共に、仲間と共に戦うべきだ―――断っておかなくてはならないのは、アルフレッドはこうしたセンチメンタリズムに
感化されて動く人間ではないことだ。

「俺も戦う。お前たちだけを行かせたら、勝てる戦いも勝てなくなるだろうからな」
「アルッ!」
「待ってたぜ、その言葉ッ!! …バトる決心のきっかけがカノジョってのがちょいと引っ掛かるけど、やっぱし持つべきはマブダチだッ!!」

 最後の最後まで合戦を避ける道を探っていたアルフレッドが参戦を表明してくれたことは、
フィーナたちにとって何より心強いことで、クラップなど彼の首に手を回して「この合戦、俺らの勝ちだぜぇ!」などと
気も早く勝利宣言を出している。
 フィーナもクラップに負けじとアルフレッドの胸へ飛び込み、全身で喜びと感激を表した。
 反対派の村民たちもますます気勢を上げていく。一騎当千の力を得た昂揚によって公民館は一気に沸騰した。

 戦うべきか、退くべきか―――肌のヒリつく駆け引きが続いていた公民館は一転して興奮のるつぼと化したが、
アルフレッドはその波に呑まれることはなく、冷静さを保って仲間たちの様子を観察していた。
 値踏みするかのような視線だ。誰が使えて、誰が足手まといになるかまで怜悧に分析しているのだろう。

「あらら? ナニ? チミまでハンティングに出ちゃおうってワケ? あんだけグズグズってたのに身のターンが
えらくクイックネスじゃナッシング? 苔色のモジャ坊のシニカル通り、ステディパワーってリグレット?」
「何度も繰り返させるな。ただ突っ込むことしか知らないこいつらを行かせたら、寝覚めが悪くなるだけの話だ。
戦いが避けられない以上、万全の勝ちを収められる道を模索する。ただそれだけだ」
「ど〜かなぁ〜。あのブロンドの女の子、キミのカノジョっぽいけど、あのコが来てからコロッと態度変えたじゃん。
これはもうリサイクル不可能なラブの―――ひょんンッ!?」

 人の揚げ足を取るのが余程好きなのか、皮肉半分の横槍を入れてきたホゥリーを適当にあしらったアルフレッドは、
彼の言葉尻に乗って冷やかしにかかるネイサンを鋭いカカト落としで沈めると、再び戦力の分析に移った。

「ンで? 軍師気取りのイージーボ〜イ、ビッグマウスをノックするからにゃそれなりの隠しボールがあるんだろネ?」
「天の運が味方しているとは言い難いが、地の利は村の人間にある。人の和もある。皮肉屋のあんたがどう思おうが勝手だが、
生憎、この二点が揃えば完全な勝利を得ることも難しくない」

 自信ありげに断言したアルフレッドへ「そ〜言いきれるんなら、ハナからヴィクトリーに貢献してやれヨ」とホゥリーが
口笛――ただし、きちんと吹けておらず、フーフーと呼気が漏れるだけ――混じりに皮肉を飛ばすが、
興奮するあまり、誰ともなしに上げ始めた村民の嬌声にそれは掻き消されてしまった。

「ホゥリーさんの言い分は尤もだよ。私にも勝ち目がありそうな作戦がアルにはあるの?」
「………やはり玉砕覚悟だったのか。だったら、いいか、これから俺の言うことをよく聴いてくれ。
フィーだけじゃない。クラップも、みんなも聴け。スマウグ総業を倒したかったら、俺の指示に従ってくれ」
「おうともッ! オレらの命、お前に預けたって構わないぜッ!! なんつったって、アルはグリーニャの軍師だもんよッ!!」
「………と、その前に―――」

 嬌声に掻き消されたのはホゥリーの皮肉だけではなかった。
 何かが飛来するかのような、ヒュルルルと言う風切る音がどこからともなく聴こえ、これを捉えられていないフィーナとクラップを
引き剥がしたアルフレッドは、音の鳴る高空へと警戒の意識を集中させる。
 気を抜けば聞き漏らしそうなその音をホゥリーも気が付いたようで、アルフレッドのように機敏ではないものの、
スタッフを拾い上げながら辺りの様子を窺う。

「―――こいつを片付けないコトには、ゆっくり作戦指示も出せないなッ!」

 風切る音はあっと言う間にアルフレッドの眼前へと迫り、そして――――――




←BACK     NEXT→

本編トップへ戻る