4.軍師の一計



「スズキ君が村の連中に取引を持ちかけに行って何時間経ったか…あんなに高かった陽もとっぷり暮れた。
………ヤツら、こんな子供を見捨てるつもりなのか。人質を切り捨てて攻撃しようってのか」

 社長室の窓から覗ける夜天を仰いだスマウグ総業の社長、ガラハッド・ノーマンは表情を憂色に染め、
腕組みしたままウンウンと唸り声を上げていた。
 時計は既に十九時を差し、外は真っ暗闇に包まれている。
 来客用のテーブル以外には書類棚とデスクしか置かれていない簡素な社長室も、
蛍光灯に頼らなければ足元が覚束ないような時間帯だ。

 ガラハッドの表情(カオ)を曇らす悩みの種は、今日一日だけで幾つも萌芽を開かせた。
 人型ロボットを暴れさせた特攻小僧のせいで敷地内の通路は業務へ差し支えるレベルにまで損傷し、
これを皮切りに合戦を仕掛けようと息巻く村民へ使いに出した社員は、数時間経過してもまだ戻らない。
その間に村民から声明や要求も無かった。
 陽が暮れるまで不気味な空白が開いたことによってガラハッドの不安は頭を抱えるほどに煽られていた。

 スマウグ総業始まって以来のピンチだ、とガラハッドは何度も何度も繰り返し、キリキリと胃に走る痛いを堪えた。

「社長サンさぁ、ボクを手懐けようったってムリなハナシだぜ? 村のみんながボクを犠牲にするとしたって恨みゃしない。
あんたらをブッ倒せるなら、ボクの危険なんて屁でも無いさ」
「子供が口を挟む問題じゃねぇ。自分の立場をもっと弁えろ」

 単身乗り込んでスマウグ総業の壊滅を狙い、一瞬の隙を突かれて倒されえてしまったシェインは、
現在、この社長室で捕われの身となっている。
 来賓用のソファに座らせられ、自由の許されない立場に置かれてはいるものの、持ち前の負けん気は一度の失敗などで折れはせず、
ガラハッド相手に相変わらず好戦的な態度を貫いていた。

 作業着に身を包み、全身からエネルギーを迸らす精悍なガラハッドは、声にドスを利かせれば
その引き締まった面構えとあいまってかなりの迫力を醸し出すハズなのだが―――

「その、なんだ俺が言いたいのは………心配しないでゆっくり食べていきなさい。
こうなったら、オジさん、色々試してね、キミを家まで送り届けるから」
「………………………」

 ―――赤子も裸足で逃げ出す厳つい面構えと裏腹にシェインへの対応は丁寧と言うしかない。
 行動範囲は社長室に限定されるが、ロープや手錠と言った拘束具で縛られず、敷地を荒らした罪を糾弾されて殴られることもない。
 それどころか、シェインの為にわざわざ夕食を作らせ、拘束時間を苦痛に感じないようにと携帯ゲーム機まで用意させるなど、
同じ人質でも公民館で逆さ吊りにされた社員――スズキ君と言う名前らしい――が哀れに思える段違いの待遇で、
人質と言う事実を忘れそうになる。まさに至れり尽せりである。
 分不相応な厚遇には、一度は命の危険を覚悟したシェインも唖然となり、同時に困惑した。

 最初、シェインは不自然な厚遇を自分を懐柔あるいは油断させる為のガラハッドの策略と警戒したが、
平然とグリーニャへ廃棄物の不法投棄を行なうスマウグ総業の社長は、観察すればするほど、
その悪行と裏腹に性根まで腐りきってはいないことが見えてきた。

「先生、俺はどうすりゃいいんでしょうか………はっきり言って状況は手詰まりです」
「先生って呼ぶのはやめろっつっただろがッ!! 名前で呼べ、名前でッ!!」
「は、はぁ、じゃあ、フツノミタマ先生」
「てめぇ、オレのことをバカにしてやがんのかッ!? オレ、たった今、なんつった? なぁ、なんつったッ!?
名前で呼べっつったんだよッ!! 先生やめろっつったんだよ、コラァッ!!」
「で、では、フツノミタマさん」
「訂正してやるッ! あと一回だけ訂正を許してやるよ…ッ! 名前で呼べッ!! それから行間を読めッ!!」
「………フツノミタマちゃま?」
「脳味噌に虫でも涌いてんのか、てめぇッ!? 輪切りにして確認すっぞ、あぁッ!? どの行間を読んだら、
そんな呼び方になっちまうんだッ!? オォッ!? 説明しろやッ! つーか、説明いらねぇから態度で示せやッ!!」
「あ、改めまして………フッたん」
「もう先生でいいわッ!!」

 何と言うか、やることなすこと尽くとんちんかんなのだ。
 人質を取っておいて平和的な話し合いを模索してみたり、おそらくは用心棒なのだろう“先生”と呼んだ人物と
掛け合い漫才そのままのバカげたやり取りを繰り広げてみたり、これで本当に悪徳企業の社長なのかと訝らざるを得ない。

 シェインに用意された夕食はハンバーガーだったのだが、彼が手を付けない内に冷め切ってしまい、
それでは可哀想だと焼きたてのハンバーガーを新たに用意させ、自分で冷えた方を食べるあたり、物を粗末にしない道徳心も窺えた。
 気を許してはならないと自分に喝を入れないと本当に油断してしまいそうになる間の抜けた男、
それがガラハッド・ノーマンと言う男だった。
 極悪非道と憎んできた仇敵の正体がとんだとんちんかんだと知ったシェインは、拍子抜けの余り盛大にズッコケたものだ。

「………ったく、こんなのが雇い主だとわかってりゃ依頼受けんじゃなかったぜッ!!」
「そ、そんな、先生ぇ〜」
「っぜぇなッ!! 縋りつくんじゃねぇッ!! 野郎に足ィ揉んでもらう趣味ぁねぇんだよッ!! ………肩もいいからッ!!」

 先生と呼ばれたり、フツノミタマと奇妙な名前で呼ばれたりするこの用心棒の男も、
とんちんかんとは行かないまでも見ていてなかなか滑稽である。
 無駄口を一切叩かない一流のプロと言った冷徹そうな風貌であるにも関らず、ほんの些細なことで声を荒げ、
終始落ち着き無く不機嫌そうにカリカリしているのだから、見掛け倒しの冷徹漢とシェインに思われても仕方が無い。
 先生と呼ばれ、頼られるには、威厳と言うものをこのフツミタマからは感じられなかった。

(ホント、見掛けだけだなぁ………)

 常に怒気を瞬かす眼光は鷹の目のように鋭く、戦いで付けられたと思しき二筋の痕が左の頬から額へと走る面構えなど
いかにも歴戦の猛者と言う趣である。
 無駄の無い筋肉で固めた巨躯は剽悍そのものだし、首から包帯で吊っている左腕には
いかにも重苦しい秘密や因縁が潜んでいそうだ―――これは漫画や冒険小説好きのシェインならではの、
多分にフィクションタッチな感受ではあるものの、成る程、スカーフェイスとあいまって見る者に言い知れぬ凄味を与えている。

 これだけ外見的特徴が揃えば、数限りない修羅場を潜り抜けてきた一流のプロと畏怖されてもおかしくない。
これで落ち着きが備わっていれば、シェインも息を呑んで鬼のような形相を恐れたに違いない。
 しかし、フツノミタマには貫禄や落ち着きが決定的に欠落しており、ガラハッドへ子供じみた因縁を吹っかける度に
“歴戦の猛者”と言う第一印象がその輝きを失っているのだが、彼はその事にも気付いていないと思われる。

「キレやすいなぁ、このオヤジは。カルシウム足りてんの? コレでも飲んでカルシウム摂れよ」
「あぁッ!? てめぇ、オレにそんな甘っちょろいモンを飲めってかッ!? 喧嘩売ってんだな? そうだよなぁ?
おーし、買ってやらぁッ!! マジで泣かすから覚悟しとけや、コラァッ!!」
「だ、ダメだなぁ、キミ。子供は牛乳飲んで背を伸ばさなきゃ」
「るせぇんだよ、クソ社長ッ!! ややこしくなるからてめぇは入ってくんじゃねぇッ!! いいからッ!! 新しく牛乳注がなくてもッ!!」

 子供相手に本気で食って掛かる大人気の無さは、この男にやられたことをシェインが恥に思ってしまうくらい末期的だ。
 頭脳も遅鈍そうで、機転を利かせれば裏を掻けそうにすら思える。
 そんなフツノミタマを前にしてシェインが大人しくしているのは、破綻的な性格はともかく、彼の実力を警戒するからこそである。

 昼間、ビルバンガーTで処理場の敷地内へ攻めかかった際にシェインはこのフツノミタマの一撃を受け、
快進撃を退けられてしまったわけだが、その瞬間を思い出すと、今もって彼の背筋には冷たい悪寒が走る。
 あの戦いの折、音も無く、影も無く、いつの間にかフツノミタマはシェインの背後を取っていた。
 冒険者になる為の基礎トレーニングを欠かさないシェインだが、戦闘訓練は受けていないのだから
相手がプロであれば背中を取られることは必然だ。
 何よりシェインを恐れさせたのは、フツノミタマが自分の気付かない一瞬の内にビルバンガーTの巨体を
駆け上ってきた事にあった。

 全長十メートルの高所から地上を見下ろすというアドヴァンテージを得て、つぶさに敵の状況を確認していたシェインの注意をもってしても、
背後に回り込まれるまでフツノミタマの姿を捉えることが出来なかった。
 そればかりか、数センチしか離れていない至近距離に立たれたにも関らず、ほんの微かにも気配を気取れなかった。
 人間の動体視力を上回る敏捷性を備え、完全に気配を消す技法を備えているからこそ、
誰にも気付かれない内にビルバンガーTへ駆け上ってシェインを打ち据え、余裕でもって生け捕りに出来たのだ。

 フツノミタマ―――実力は間違いなく超一流のプロである。
 その恐るべき実力を骨身に沁みて痛感しているだけに迂闊に動くこともできず、脱出あるいは反撃の機会を窺って
大人しく(悪態はしっかり吐いているが)捕まっていることしかできなかった。

「しっかし、冷てェなァ、てめぇの親もよォ。大事な息子がとっ捕まってるっつーのに何の音沙汰もねぇ。
子供の命よりも戦いが好きなんざロクでもねぇぜ」

 ………自分の半分も生きていない子供相手に執拗に絡んでくるから、シェインはフツノミタマを一流のプロとして
素直に認めたくなかった。

「親がいたら怒鳴りこんでも来るだろうけどさ」
「あ?」
「父ちゃんも母ちゃんもいないから、オヤジが好きそうな感動の名場面は見られそうにないな。………ヘッ、ザマ見ろ」

 特に人の過去へ、触れられたくない苦い過去へ土足で踏み込んでくるような無粋も遠慮も無い男だけは
絶対に認めたくなかった。

「いねぇって………なんだよ、オイ」
「………行間読めないのはどっちだよ。そのくらい分かれよ、クソオヤジ」
「………………………」
「別に不自由しちゃいないさ。村のみんなはよくしてくれるし、ホントの兄キや姉キみたいな人もいるし。
ボクが元気でいられるのは、グリーニャのみんなのお陰なんだ―――」
「………………………」
「―――だから許せないんだよ、お前らにグリーニャを汚されることが。みんなを傷付けられることも許せない。
………ボクは何があったって負けないからな。何度失敗したって、お前らはブッ飛ばしてやる」
「………………………」
「………グリーニャはボクの全部だッ!!」

 どうしてシェインは無謀な特攻を仕掛けるまでに思い詰めたのか、故郷・グリーニャを彼がどれだけ愛しているのか。
 ありったけの怒りがこめられた言葉からは、その想いの強さが烈風の如く吹き荒び、
何事かを言いかけたフツノミタマを押し黙らせた。
 ガラハッドに至っては、これ以上情が移るのを恐れたのか、耳を塞いでシェインの啖呵をブロックしている。

「………………………」

 「知らない、俺は知らない」と頭を振って湧き上がる情を懸命に堰き止めるガラハッドと対照的に、
フツノミタマは半ば放心したような面持ちで口を開け広げ、ややあってから我を取り戻すと複雑そうに口元を歪めた。
 怒気が消え失せ、代わりに湿り気を宿した眼差しでもってまじまじとシェインの顔を見詰め始める。
 啖呵に乗せられた思いがけない過去に衝撃を受けたのだとしても、フツノミタマの様変わりはあまりにも鮮明で、
湿り気のある視線を浴びせられるシェインのほうが不思議に思って見つめ返してしまうくらいだった。

「な、なんだよ。ボクの名演説にジーンと来ちゃったりしちゃったワケ?」
「………………………」
「なん………だよ………」

 その問いにフツノミタマが答えることは無かったが、シェインは彼の痩せた頬へ哀しみが浮かんだような錯覚を覚え、
こちらも言葉を詰まらせた。
 先ほどまで大人気なさ過ぎるがなり声を上げていたのと同一人物と思えない、深く静かな哀しみが鷹の目の奥で揺らめくのを見つけると、
不意の錯覚は現実のものとして圧し掛かってくる。
 当たり前の事だが、フツノミタマが急に態度を変えた理由がわからないシェインは、彼の哀しげな眼差しを受けながらも
どう返してよいものか分からなかった。
 どうにも分からず、彼の真意を穿つような視線を双方無言のまま交わらせ続けた。

「社長ォ! 火事ッス―――いや、放火ッスッ!! 村の連中、とうとうブチギレやがったッ!!」

 ―――膠着とも言える状況を唐突に打破したのは、血相を変えて社長室に駆け込んできたスマウグ総業の社員だった。







 「放火」と言う前代未聞の知らせを受けて社長室を飛び出したガラハッドが見たものは、
シェインが昼間穿った破壊痕の修復がままならず、鉄板で仮の補強が施されたばかりの中庭へ炎の種子が撒き散らされる惨状だった。
 通路の窓越しに見ても炎の勢いは凄まじく、夜天を朱色に染め上げながら、植木へ、資材へと延焼を続けている。

 もつれそうになる足を叱咤し、社員らが懸命の消火作業に当たる中庭へ駆けつけたものの、
備え付けの消火器では埒が開きそうにない。
 それもその筈で、中庭へ大火を呼び込んだ原因は、リアルタイムで廃棄物処理施設の内側へと放り込まれているのだ。
 今もガラハッドの目の前で二、三個の火種が―――ビールの空き瓶に灯油を詰め込んだ即席の火炎瓶が爆ぜ、
立てかけておいたショベルをあっという間に焼け焦がしたばかりである。
 ………いや、火炎瓶が“投げ込まれた”という表現は適切ではなさそうだ。火炎瓶は塀の外から放物線を描いて落下したのでなく、
処理施設の上空から垂直に投下されていた。
 何が起きたか判別すべく、夜天を仰ぐガラハッドだが、夜の帳を裂いて火炎瓶が落下してくる様子が黒いカンバスに散見されるばかりで、
何者がこの投下を行なっているかまでは見極められない。

 不気味な光景である。
 何の前触れもなく空から火炎瓶が降り注ぎ、会社の敷地を大火で炙っている。
 投下を行なう者の影と形を見極められれば、この何とも言えない恐ろしさを払拭できるのだが、それがままならない以上、
天の裁きがスマウグ総業に下されたと言う錯覚へ陥りそうになる。錯覚にリアリティを与える後ろめたさは幾らでもあった。
 この恐怖はたちまち社員全体に波及し、処理施設内は混乱の極地に達した。

 「誰がこんなことを―――」。自問するまでもなく、このタイミングで攻撃を仕掛けてくるとすれば、
グリーニャの村民しか考えられないのだが、小心なガラハッドは誰かに何かの間違いだと言って欲しくてあえて口に出し、
けれども誰の答えも返ってこない現実(こと)で、考えつく限りの最悪のシナリオへ陥ったと悟った。
 最早、ガラハッドには頭を抱えることしか出来なかった。

「社長ッ! 火の手が収まりませんッ!! どうしましょうッ!?」
「どうしましょうったって………」

 もたついている内に今度は塀の外から火炎瓶が投げ込まれ、処理施設や倉庫へ直接引火した。
 中庭での延焼ならまだしも、重油を含んだ廃棄物を大量に収納してある施設が燃え出したら、
消火器如きでは太刀打ちできないような大火事にまで発展するのは明白で、下手をすれば全焼も免れない。
 ガラハッドの悲痛な叫びを嘲笑うようにして火炎瓶は次から次へと投げ込まれて来た。

「こうなっては最早後戻りも出来まいッ!! 我々はこれよりグリーニャの征圧を遂行するッ!! 攻撃を最大の防御として、
これ以上の延焼を食い止めるのだッ!!」

 腰砕けにへたり込んでしまったガラハッドには、最早、指揮能力が無いと見て取ったガードマンのリーダーは、
混乱窮まる中庭へ全ての部下を整列させ、ついにグリーニャ村民を武力征圧する号令を下した。
 リーダーの言葉を借りるなら、攻撃は最大の防御。現状でどれほど消火作業に努めようとも、
火種である火炎瓶が絶え間なく投げ込まれては暖簾に腕押しであり、禍根を断つことで延焼を食い止めようと言うのだ。

 リーダーの号令に「Yes,sir」と答えたガードマンたちは、それぞれ警棒を構えると素早く散開した。
 火炎瓶が四方から投げられたところから判断するに、村民は処理施設を囲う塀の外周にへばり付いて攻撃を仕掛けているものと思われる。
まずは外周に群がる敵を潰しておこうと言うのがリーダーの下した判断だった。

 身のこなしも軽やかに散っていくガードマンたちを見送るガラハッドの口からは、彼らのリーダーのような檄が飛ぶでも、
懸命の消火活動に当たる社員への激励が飛ぶでもなく、ただただ放心したように「はわわ…」と漏れるばかりである。

「誰だか知らねぇが、なかなかアジな真似しやがるじゃねぇか………」

 シェインを小脇に抱えたまま中庭へやって来たフツノミタマは、炎に包まれた光景を睨みながら、
戦意の高揚を感じさせる笑みで口元を吊り上がらせ、窮地に立ったと言うにも関らず、これ以上ないというくらい
嬉しげで熱っぽい呟きを漏らした。
 先ほどまでの憂いは既に影を潜めており、双眸にも相好にも得物を前にした肉食獣のような、獰猛で好戦的な輝きで宿っていた。







「いたぞーッ!! あそこだぁーッ!!」
「やっちまえッ!! ブチ殺せぇーッ!!」

 リーダーの読みは的中し、やはり塀の外周にはグリーニャの村民らが火炎瓶を片手に群がっていた。
 ガードマンたちの激しい怒号に当てられるなり、手持ちしていた火炎瓶を彼らに投げ付けて脱兎の如く逃げ出した反対派の村民は、
どこへ逃げればよいかと惑い、混乱した挙句、処理施設の脇に広がる森林へと飛び込んでいく。
 隠れる場所の多い森へ入れば追っ手をやり過ごせるに違いない―――そのように村民が企図したものと判断したガードマンたちは
皆、一斉に「しめた!」と勝機を確信した。

 森林はその地形ゆえに足場が悪く、隠れる場所が多い代わりに極めて動きにくい。
 隆起した地面や出っ張った岩石を始め、大蛇のようにうねって縦横無尽に走った巨木の根で足を絡め取られ、
横転する危険性も極めて高かった。
 まして今は真夜中。鬱蒼としげった森林では星明りも月の光もまばらにしか差し込まず、足元を確かめることさえままならない状態では、
いずれ動くに動けなくなるだろうとガードマンたちは踏んでいるのだ。
 光の差し込まない森林独特の闇も村民から上下左右の方向感覚を奪い、逃避行を妨げるだろうとも彼らは考えていた。

 その点、夜目や方向感覚を鍛える訓練を受けたガードマンは足元を掬われることなく全速力を発揮でき、
離れた位置にいる村民らの一挙手一投足まではっきりと視認できていた。
 今もそう。追っ手の様子を確認する為に振り返り、敵のあまりの速さに恐れをなして散開した様子もつぶさに見極められる。
 こうなったら後は楽なもので、分散して更に戦力の薄くなった村民らを二、三人で追い込み、袋叩きにするだけである。
 おまけに基礎体力がガードマンに比べて足りない村民らは、足場の悪い森林で全力疾走した為に
とうとう息切れを起こしたらしく、追っ手が迫っていると言うのにその場へ座り込んでしまった。

「よーし、動くなよッ!! 動くんじゃねぇぞッ!!」
「梃子摺らせやがってッ!! 今日がてめぇらの命日――――――」

 それは、あと数歩で憎々しい村民を叩き潰せると舌なめずりした瞬間の出来事だった。
 踏み込んだ先で足場が突如崩落を起こし、ガードマンたちを地中深くへと引き摺り込んだのである。
 虚を突かれて成す術もなく転げ落ちたガードマンは慌てて地上へ戻ろうとするが、そこへ息を切らしていたはずの村民らが
満面の笑みでやって来るではないか。

「見てみろよ、まるでアリジゴクだぜッ!」
「いい気味だ! ザマァ見さらせや!」
「なにが“梃子摺らせやがって”だっての! そいつぁこっちの台詞だぜぇッ!」

 そこまで形勢が傾いてようやく自分たちが落とし穴の罠に嵌められたと悟った哀れなガードマンたちは、
死に物狂いで地上へ這い出そうとするものの、ただでさえ深く、且つ垂直に切り立っている為に手をかける場所も見つけられず、
もがいても足掻いても、勝ち誇る村民らの足元までたどり着くことはできなかった。

 追い討ちをかけるかのようにして穴の淵が円形の氷でもって封印され、文字通りの八方塞。
ガードマンたちは地上へ出る可能性を完全に立たれてしまった。
 可能性を強いて挙げるとするならモグラと化して土を掘り返し、自ら血路を開くしかないのだが、あいにくとここは森林。
幾重にも張り巡らされた木の根に邪魔されて、前に掘り進むのは絶望的だろう。

 至る場所から同様の悲鳴と崩落の鈍音が上がっている。この森の中に無数の落とし穴が掘られている証拠だ。

「ボキのブレイク(一人舞台的な意味の)ポイントって、まさかここだけじゃあナイだろ〜ね? 調子がアップしてきたってのに、
もうノーセンキュ〜なんてシャットアウツされたデイにゃ、すっ転んでギャフンだよン♪」

 ガードマンが陥れられた大穴を氷結で封印したのはホゥリーだった。
 何らかのプロキシを唱えることによって氷の蓋を形成したのだろう。得物としているスタッフ『スカァルの雷鼓』には
さながら余韻のように冷気がまとわりついていた。

「安心しろ。じきに敵の第二陣がやって来る。その時はあんたの好きなように暴れてもらって構わない。
日頃の運動不足だろうが、何だろうが、存分に発散してくれ」

 ホゥリーの隣に立ち、大穴の底で何事か叫び続けるガードマンたちを見下ろしたのはアルフレッドだが、
二人の周囲で作戦成功に湧き立つ反対派の村民と正反対に彼の瞳は冷静さ、ただそれだけを宿し、
「いつまでも騒いでいるな」と仲間たちの尻を叩いて各人の持ち場につかせた。

 なおも「ボキのフリーステージはジャスト・ア・モーメントなリグレット?」とゴネるホゥリーを強引に引っ張って
最寄の木陰に身を潜めたアルフレッドの予測は見事に的中し、彼曰くするところの“第二陣”がほどなく森の中へ姿を現した。
 “第二陣”はスマウグ総業の社員らだった。ガードマンに続いてやって来た社員らはそれぞれトラウムを携えていて、
一応の臨戦状態を整えてはいるものの、どうも様子がおかしい。
 十数名ばかりで踏み入ってきた彼らは何かを探し求めて辺り一体をキョロキョロと見渡し、目的のものが見つからないとなると
互いに顔を見合わせて不安げに首を傾げていた。

 その時、社員の中の誰かが足元に円形の氷で蓋をされた大穴を見つけ、声にならない悲鳴を上げて腰を抜かした。
 先陣を切って飛び出し、村民を撲滅しているはずのガードマンたちが大穴にハマり込んで脱出不可能になっているとは
誰が想像するだろうか。
 どうやら社員らが探していたのは地の底で哀れな囚人と化したガードマンだったようで、
考えもしなかった状況へ直面するなり一斉に混乱を来たした。

「―――攻撃を開始しろッ!」

 スマウグ総業の社員が前後不覚に混乱するのを見計らったアルフレッドが、凛然たる号令でもって夜の闇を切り裂いたのに応じ、
それぞれ持ち場で身を潜めていた村民らが手に武器を取って一斉に社員らへ襲い掛かった。
 第一陣よりも明らかに手数が増えている。よくよく見れば、村民の中には全身に木の葉や小枝をくくりつけた者がいる。
カメレオンが獲物を捕らえる為に周囲の景色へ同化するのと同じく、彼らも自身に擬態を施していたわけだ。
 次々と現れる攻撃者に“第二陣”は完全に翻弄されていた。

 慌てふためく社員らを押し潰すかのようにして包囲網を敷いた村民らの攻撃も、ただ単純に猛進するものではない。
 まず投石でもって遠距離攻撃を見舞い、社員らに一定のダメージを与えてから近接戦闘を仕掛け、
一気呵成に叩き伏せると言う二段構えの戦法を取っていた。

 投石と言うと極めて原始的な戦い方に見えるが、フィーナのように拳銃を持っている者は他にはおらず、
また、農耕が主流のグリーニャには狩猟で使うボウガンなどの名手もいない。
 戦闘訓練も受けていないグリーニャの村民にとって、投石は唯一無二の遠距離攻撃だった。
 原始的とは言えどもその効果は著しい。
 直線あるいは放物線を描いて投げ付けられた石つぶてによって戦意を喪失する者やトラウムを取り落とす者が後を絶たず、
スマウグ総業側の戦力はこれで激減した。

 続く近接戦闘にも工夫が凝らされ、村民側は敵一人に対して必ず二人がかりで攻撃を繰り出していた。
 力押しで標的を打ちのめすなり、すぐさま手近の味方へ援護に入るという切り替えも功を奏し、
武器も農具ばかりで戦闘力が絶対的に劣る村民でも十二分にスマウグ社員と渡り合うことができた。
 単純な物量作戦を遥かに超えた成果である。

「やっちまえッ!! ぶちのめせぇーッ!!」
「泣いたって謝ったって許さねぇからッ!! グリーニャの受けた痛みを少しでも味わいやがれッ!!」
「もういいッ!! もうブッ潰せッ!! 擂り粉木でバラッバラにしちまえッ!!」

 尤も、村民らに鬼気迫るような勢いを与えたのは、陽動作戦の成功ではなく、グリーニャを欺き、これまで良いように汚し続けてきた
スマウグ総業への憤慨だったようだが。
 ともあれ怒りに任せたグリーニャ側の猛襲は半ば蹂躙に近い形で“第二陣”を蹴散らすことに成功。
溜めに溜め込んで来た怒りが決壊し、爆発したかのような鮮烈極まる反撃だった。

「アッハァ〜ん♪ コレこれ☆ こ〜ゆ〜プレイがナッシングじゃおシゴトにも張りが出ないよネェ〜♪
ヘイヘイヘイヘイ♪ ランナウェイ、ゲッタウェイ! もーっともっともっと泥んこレースになっちゃってよ、ホラ、モア♪」

 乱戦の間隙を縫って逃げ道を得る社員も少数ながらいることはいたが、それを見過ごさないホゥリーのプロキシによって
行く手を阻まれてしまい、立ち往生している内に追い付いた村民の一撃でいずれも倒される末路を辿った。

「ファランクスッ! お次はシャフトッ! んんん〜ッ!! ガレキいじくりまわすのとトントンくらいエクスタしっちゃうねぇ〜♪
ブレインがロストな迷いシープを追っかけまわすのって、なんだかハートがキュンっとしちゃうぅぅぅ〜♪」

 重ねての説明となるが、エンディニオンにはプロキシと呼ばれる太古の秘術が存在する。
 これは自然界の法則を司るとされる神霊を体内へ降ろすことによってその魔力を行使する高等技術で、
然るべき師に就いて修行を果たさない限りは会得の叶わない秘術中の秘術である。
 先ほどからでっぷりと肥え切った腹を叩いてリズムを取るのもポゼッション(神降ろし)に必要な手順の一つだ。
 神楽や祝詞、詠唱、聖歌と言った具合にポゼッションを果たす為の儀礼は人それぞれだが、
精神をトランス状態にまで研ぎ澄ませなければ神霊と同化することはできない。
 ホゥリーは腹を太鼓さながらに叩くことでリズムを取り、精神を高めていた。

 そうしたプロセスを経ることで初めて神々の使いより神威を賜ることが可能となり、ホゥリーがスタッフの先端から繰り出すのと
同じような火球や突風のプロキシを行使できるのだ。

「アルッ!」

 グリーニャの村民とホゥリーの獅子奮迅の活躍が森林の静寂を祝勝の活気へと塗り潰していく最中、
合戦の場と化した地点よりやや離れた場所からフィーナが駆け込んできた。
 軍手をはめた両手でリボルバー拳銃SA2アンヘルチャントを握り締めてはいるものの、今のところ発砲した形跡は無いように見受けられる。

「大丈夫か?」
「向こうもバッチリ! アルの立てた作戦通りにみんなスマウグさんをやっつけちゃったよっ!」
「いや、俺が聞いたのはそういうことではなくてだな………」

 息を切らせて駆けつけた彼女を迎えたアルフレッドは、何事か言いかけて口どもる。
 頬にほんのり赤みが差していると言うことは、「大丈夫か?」と問いかけたその真意を、口で説明するのが些か照れ臭いのだろう。
 勿論、彼の真意を汲み取れぬフィーナではない。言葉として伝えられなくても、
アルフレッドのことなら何であろうと気持ちで察することのできるフィーナは満面の笑みを浮かべつつ、
「心配性なんだからっ」と彼の胸に飛び込んだ。

………と、ここまでなら何の変哲も無い(ただし微妙に空気と場を弁えない)恋人同士の甘いやり取りで済んだのだが―――

「コォォォォォォッカァァァァァァァァァッ!!!!!!!」

 ―――何の脈絡も無く、木立の帳に夜天覗ける風穴を開けて滑空してきた何かの叫び声によって二人の間は引き裂かれてしまった。
 鳥か何かの鳴き声のようにも聴こえたが、人々の注目を集めたのは風を切る滑空の音。
昼頃、公民館でアルフレッドたちが耳に捉えて反応を示した謎の快音とそっくり同じのものだ。
 アルフレッドの心臓を貫こうと言うのか、大気の振動を引き摺りながら彼目掛けて鋭角に飛び込むところまで一緒である。

「ムルグっ!?」
「コカッ!! コッカカーッ!! コケッ!! ケケケーッ!!!!!!」

 快音を奏でた主の、丸みを帯びたボディに見覚えのあるフィーナはその姿を見つけるなり“ムルグ”と呼びかけて駆け寄った。
 暗闇に妨げられて輪郭線を捉えるまで時間を要したが、アルフレッドの胸元へ飛び込んできたのは一羽のニワトリだった。
 とは言え、純正のニワトリと類するには奇妙キテレツな出で立ちだ。
 燃え上がるようなトサカは真紅で、小さいながら鋭く尖ったクチバシも鮮やかな黄色なのだが、
どう言う訳か毛並みは純白ではなく青系のウィスタリア。
 これだけでも世間一般で飼育されるニワトリと大きな差異を感じさせた。

 極めつけはその体格である。
 サッカーボールを彷彿とさせる丸みを帯びたボディは、生き物にとって当然の原理であるべき骨格を全く無視したフォルムを作り上げており、
見事に生態系の常識を覆している。
 どうやって揚力・推力を保っているのか、物理的に疑問を禁じ得ない小さな両翼をパタパタと動かす恰好はヌイグルミにも見え、
なまじ羽がフカフカしている為、ファンシーグッズに間違われそうだ。

 どうやらフィーナはこの面白おかしいフォルムのニワトリ、ムルグの事を良く見知っているらしく、
突如として自分の前に姿を現したムルグの背中(と思われる背面)を優しく投げ付けながら、
彼女――そう、ムルグはメスなのだ――の功績を褒め称えた。

「おかえり、ムルグ。大活躍だったねっ! ムルグのお陰でバッチシ上手く行ったよっ」
「コカカカカカ〜」
「なになに? 『そう言われると照れるぜ。………オレに惚れるなよ』って。もう、カワイイなぁ、ムルグは。
こんな可愛いのにカッコつけちゃうところがまたカワイイっ!」

 フィーナの言う大活躍とは、スマウグ総業への火炎瓶投下のことである。
 姿の見えない襲撃者の火炎瓶投下によって恐怖のどん底に叩き落されたスマウグ総業だが、その立役者と言うのが、
何を隠そうこのムルグだった。
 背中(繰り返すが、背中と思われる背面)に無数の火炎瓶を包んだ袋を担って飛び立ったムルグは、
憎きスマウグ総業の処理施設上空でホバリングするや、器用に荷を解いて火炎瓶を投下し、
絨毯爆撃とも言える対地攻撃を仕掛けていた。
 タマが尽きれば補給場所に戻って新たな火炎瓶を背負い、それを投下。撃ち尽くしたら再び戻って………この繰り返しである。

 結果を見て分かる通り、ムルグの爆撃があってこそスマウグ総業の兵隊を燻り出す事が出来、
今回の陽動作戦が成功まで結びついたのだ。
 フィーナの言葉ではないが、ムルグの活躍こそ圧倒的な不利に立たされていたグリーニャへ勝利を呼び込んだ最大の功労だった。

「ほんわかした会話はいいから、さっさとこのバカ鳥を止めろッ!! お前、飼い主だろ!?」
「飼い主じゃないよ、ムルグと私は親友だもん。パートナーって言って欲しいな」
「ボケはいいから現実を見ろッ!! 眉間に風穴開けられてからじゃ遅いんだよッ!!」
「へ? あっ! わわっ!! ま、待って、ムルグっ!! 夜に目が利かないのかも知れないけど、それはアルだからねっ!
あなたのお兄ちゃん! ね? わか―――え? 『そんなのは百も承知でブッ刺しにかかってる』って、ちょ、ちょっとっ!?」
「い………い加減にしろ―――このバカ鳥ッ!! 鍋にして食っちまうぞッ!?」
「コォォォケェェェコォッコオオオォォォォォォッ!!!!!」

 一方のアルフレッドは、フィーナとムルグの和やかなムードに乗り合わせるだけの余裕などまるで無かった。
 それもその筈で、薄皮一枚繋がるか繋がらないかと言う命の危険に彼は晒されているのだ。
 アルフレッドの胸元スレスレの距離に、鋭く尖ったムルグのクチバシが迫ってきていた。
 それは必殺の一突きとも言えるで強撃で、両手でもって挟み込んでクチバシを押さえつけるアルフレッドの力が少しでも緩めば
厚い胸板を破って背中まで風穴を開けそうな勢いである。
 甲高く呻きながらバタバタと両翼を暴れさせており、どうやらムルグは本気でアルフレッドの胸板を貫くつもりでいるらしい。

 鳥目だけに真っ暗闇の中でアルフレッドを敵と見間違えたのかと最初は思われたが、そう言うわけでも無さそうだ。
 何を叫んでいるのかを通訳したフィーナ曰く、ムルグはアルフレッドと分かっていて急降下攻撃を繰り出し、
あまつさえ命を奪おうと迫っていると言う。
 アルフレッドとムルグの間に何があったかは定かではないものの、フィーナが止めに入っていなければ、
今頃は血で血を洗う激しい殺し合いにまで発展していたに違いない。
 肩で息をするアルフレッドも、フィーナの手で彼の胸元から引き剥がされたムルグも、互いに真剣に殺気をぶつけ合っていた。

「もぉ〜、いくら守りに回っちゃったからって、ちょっと大人気ないぞ、アル。相手はムルグなんだよ? 恐い顔しなくてもいいじゃん」
「顔より数倍恐ろしい事が目の前で、たった今、起こっていただろうが! 俺は心臓を食い千切られそうになったんだぞ!?」
「コぉ〜カぁ〜………」
「―――ホラ、ムルグだって言ってるよ。『ヤツが最初にメンチ切ってきんだ。しょうがなく喧嘩を買った』って!」
「どう考えても考えたての捏造じゃないか!! 完全な詐称だッ! ………偽証罪の報いを受けろ。すり身にしてやるッ!」
「アールーっ!! めッ!!」
「お前もお前で、動物愛護の精神を尊ぶよりも前に現実というものをよく観察しろッ!! 
これで何度目だと思っているんだ、俺がこのバカ鳥に殺られかけたのはッ!?」

甘 えるようにしてフィーナの胸にじゃれ付くムルグが憎らしくて憎らしくて憎らしくて、
平素、冷淡な態度を崩さない彼にしては珍しく歯を剥いて怒気を吐き散らしているが、
そんなアルフレッドをムルグは喉を鳴らして「コカカー」と嘲笑う。
 それがアルフレッドの神経を更に逆撫でし、今にもバトルの第二ラウンドを始めそうな勢いでムルグに迫っていった。
 眼を血走らすアルフレッドを懸命に止めるフィーナの懐でぬくぬくとしているムルグは、
アルフレッドの口調から察するにどうも彼女が飼っているペットのようだ。
 フィーナはムルグをペットではなく“パートナー”と呼んで尊重しており、両者の仲もすこぶる良好に見える。

「いつか殺す!」
「コッカッカッカァ〜」

 ムルグがアルフレッドを目の敵にするのは、言ってみればペットのジェラシーだ。
 自分をパートナーと称し、言葉を交わすほどに慈しんでくれるフィーナを掻っ攫っていったアルフレッドが憎らしくて堪えきれず、
実力行使で排除を試みているのである。
 対するアルフレッドもニワトリ相手に負ける訳には行かないとのプライドがあり、喉笛、胸元、眉間と人体急所を
的確に狙ってくるムルグと日夜熾烈な攻防戦を繰り広げていた。
 喧嘩友達と呼ぶにはいささかヴァイオレンスが過ぎ、生と死がギリギリの一瞬ですれ違うデンジャランスな関係が
フィーナを中心に置いてアルフレッドとムルグの間には結ばれているのだった。

「いやはや、こりゃあ………見学させてもらっただけの部外者が言うのもなんだけど、すごい逆転劇じゃないの」
「だってアルはエリートさんだもん! 村の自慢なんですよっ!」
「な、お、おい、フィー?」

 巨木の陰から左半身だけ出したネイサンがグリーニャの逆転劇へ驚嘆の溜め息を漏らした。
 巻き込まれついでに合戦を最後まで見物するつもりでいるらしく、今のところは戦いには参加していないものの、
グリーニャの村民たちが公民館から“出陣”して以降、危険を顧みずにずっと随伴してきていた。

 ネイサンの漏らした感嘆を耳にして俄然テンションを上げたのがフィーナである。
頼まれもしないのに今度の戦いが逆転へ結びついた背景を饒舌になって語り始めた。
 頬を上気させ、瞳をキラキラ輝かせており、どうにも話したくて話したくて仕方がない様子だ。

「ちょっと前まで通ってた士官学校では成績トップでしたし、戦略シミュレートって言ったかな―――
今夜のみたいな作戦を立てる科目では学校始まって以来の優秀さだって表彰状も―――」
「ばッ、お、おいッ!! 少し黙れッ!!」
「どして? アルのコト、色んな人にもっとよく知って欲しいもん。―――そうそう、私もアルから訊いただけなんですけど、
アルってば校内のスポーツ大会でも大活躍だったみたいで。あ、メダルもあるんですよ! MVPに送られるやつ。
見ます? 見たいですよね。今夜の一件が終わったら、じっくりお見せしますから、もうちょっとだけ待っててくださいねっ」
「フィー………頼むから、もう………」
「や〜だっ! ムルグや村のみんなも頑張ったけど、今夜の一番の頑張りはアルだもん。
アルが作戦を立ててくれなきゃ、逆転勝利どころか、最悪の結果になってたと思うし」
「………………………」
「あの、差し出がましいようですが、彼氏さん、なんかもう泣きそうですよ」

 留まるところを知らないフィーナの恋人自慢だが、傍らでそれを聞かされていたアルフレッド当人は羞恥に悶え、
顔面などは朱色を突き抜けて蒼白と化していた。
 彼が自分のことを誉めちぎられて気を大きくするような調子の良い性格であれば、こんな事態にはならなかっただろうが、
如何せん、アルフレッドは生真面目過ぎる。
 克己の理念をもって身心を律する精神に美徳を覚える人間にとって、自分のことを美談にされることほど恥ずかしいものはない。
 饒舌さを増していくフィーナと正反対にアルフレッドは息も絶え絶えで、今にも卒倒しそうな様子である。

 もちろん、最愛のフィーナが怨敵ばかりを自慢するのはムルグにとって面白いものではなく、
沸き起こった殺気が瞬時に頂点へ達しそうになったが、アルフレッドが衰弱していくのは、それはそれで愉快で痛快で爽快だ。
 ここで暴れてはその楽しみも中断されてしまうと判断したのか、彼が弱っていく様をフィーナの胸の中でじっくりと見物することにした。
 一見、ただのニワトリのように見えるムルグではあるものの、フィーナと意志の疎通を図ることもでき、
知識や判断力も並みの人間より数段優れている。
 見ての通り、ニワトリらしからぬ頭脳が存分に発揮されるのはアルフレッドを攻撃する場合なのだが………。

「それはきっと嬉し涙ですよ。可愛いカノジョにカレシ自慢してもらえるのが嬉しくて―――」
「本当にそう見えるなら、お前の眼球は間違いなく腐乱しているッ!!」

 間におかしな騒動を挿んだものの、フィーナの説明によれば、グリーニャが手練手管のプロを相手に殆ど無傷で勝利出来たのは、
アルフレッドの立てた作戦が功を奏した結果であると言う。
 真っ先に疑問となるのは、どうして片田舎のメカニック見習がそのような軍略を身に着けていたのか、と言う点だが、
その裏付けは只今の恋人自慢をもって証明された。
 数年前まで士官学校に通い、戦略シミュレーションに於いて優秀な成績を修めていたアルフレッドには、
戦力の劣る軍勢が強敵を相手に勝利する作戦を考えることなど朝飯前だったのだ。

「士官学校とはまた珍しいね。言い方が悪いかもだけど、農村で暮らしてる人材じゃないよ」
「別に俺は別に軍人になりたくて士官学校に通っていた訳じゃない。戦略シミュレートはこなした課題の一つに過ぎない」
「………んん?」

 ところが、当のアルフレッドの表情(かお)は、フィーナの口から士官学校時代の成績を褒め称える賛美が出る度に曇っていく。
何か嫌な想い出でも想起されたのだろうか。ただでさえ仏頂面の人相が、今は一層不機嫌に見えた。
 あまつさえ士官学校へ通いながらも軍人になるつもりは無かったとまで言い始め、話を聴くネイサンの首を傾げさせた。
 士官学校は軍人を養成する機関なのに、それを否定するのは矛盾でしかない。アルフレッドの否定は道理に合わなかった。

「弁護士さんになりたかったんだよ。ね、アル」
「………ああ」

 アカデミーなる名称を持つ士官学校へ通っていた過去(こと)によほど触れられたくないのか、
フィーナの言葉にも不貞腐れた語調で答えるアルフレッド。
 彼女のお陰で矛盾した発想への疑念は氷解されたものの、ネイサンの首は疑問符を脳裏に浮かべて傾いだままである。

「弁護士、か。それはまた酔狂と言うか何と言うか………」
「………癪に障る言い方をする。俺と弁護士はそれほど不似合いに見えるか」
「そ、そう言うんじゃないって! ………キミってば、な〜んか僕に対する態度が常に攻撃的じゃない?」
「では、どう言う意味だ? 明らかに俺を貶める他意を感じるのは気のせいか?」
「だ、だってさ、エンディニオンに法律なんてさ、あってないようなものじゃん。その法律を商売にする弁護士なんて
今時流行らないと思ったんだけど」
「………流行り廃りでなるものではないだろう、弁護士は」
「そうは言ってもねぇ」
「………………………」

 一般的にはあまり知られていない事だが、士官学校へ通いながら弁護士の資格を取る人間は少なくない。
 例えば軍事法廷において被告人を助けるのが弁護士資格を有した同僚軍人だと言うケースはザラであるし、
軍事行動においても法律を踏まえた上で選択と決断を強いられる事はままある。
 軍人とは、ただ単に武器や戦闘術に長けていればそれで良い職業ではない。
 法律にまつわる知識を正しくかつ豊富に備えて初めて一人前と言えるのだ。

 そうした性質を考えれば、アルフレッドが士官学校に弁護士の資格を求めたことには合点がつく。
 それでもまだネイサンの首を傾げさせる疑問の根源は、エンディニオンにおける法律の効力とその権限にあった。

 今日のエンディニオンには国家と言う枠組みが存在していない。
 厳密にはかつて国家と言う統治体制が存在した形跡は残っているのだが、現エンディニオンで採られているのは、
端的に表すなら完全地方自治だ。
 町村ごとに行政が布かれ、その土地その土地に合った自治体制が確立されている。
 交流こそあれ互いの行政について干渉し合わないのが不文律のエンディニオンでは、自治体制と同じ数だけ法律があり、
裁判のシステムもその土地その土地で大きく異なっていた。当然、処罰や量刑、罰則の対象に至るまで土地ごとに差異がある。

 一元的な物ならまだしも、土地ごとに数え切れないくらい分岐した法律を全て修得し、生業にしようと言う考えは
一般の人間にとって酔狂としか思えないのだ。
 世界的に浸透していない職業だから、勉強するだけで要する膨大な支出に見合った対価も得られない。
 こうした現状にも関らず弁護士と言う職業に縋り付いても、せいぜい地元に根差した相談役と言うのが関の山だろうが、
諍いの調停も裁判の次第も村長や町長が出張れば事足りるので、事実上、弁護士は形骸化して久しかった。

 弁護士への就職など自分から地獄へ身を投じるようなものだと考えるネイサンの目には、アルフレッドが士官学校に求めた夢は
酔狂以外の何物にも見えなかった。

「弁護士目指してたから、最後まで力押しに反対だったんだよな」
「クラップ………」
「弁護士は暴力じゃなくて知恵でシロクロつける仕事だもんな。………そりゃ武力行使に反対もするわな」
「………………………」

 フィーナの後へ続くかのように宵闇の向こうから姿を見せたクラップが、不機嫌そうに言葉を呑み込んだアルフレッドから
ネイサンへの返答を継いだ。
 なるほど、アルフレッドが弁護士を志した人間であるなら、暴力を法で律したいと夢見た人間であるなら、
スマウグ総業の悪事に息巻くグリーニャの仲間たちを、ただ一人抑えようとしたことにも納得がいく。
 彼にとって武力行使は最低の手段であり、知恵と秩序で悪を打破するのが遵守すべき道理なのだ。

 それだけにアルフレッドの心中は複雑だった。
 夢にまで見た法律による事態の収束は水泡と帰し、淡々とこなしてきたカリキュラムであるはずの軍略が物を言った結果は、
弁護士志望だった彼にとって決して喜ばしいものではない。

「でも、ま。ホラ、こういう諺もあるじゃねぇか。終わりよければそれが成果だって」
「………お前の辞書は誤植だらけなのか。そんな諺は生まれてこのかた訊いた覚えがない。
しかも、中途半端に理に適っているから腹立たしいな」
「じゃあオレ式ってコトで―――って、そ〜ゆ〜のはいいんだよ。アルの才能がなけりゃ村は全滅してた。
最悪のシナリオを最高の逆転劇に変えれたんだからそれでヨシとしとこうぜ」

 アルフレッドの心中を察し、努めて陽気に言うクラップは、どう言う訳か、スマウグ総業の社員に配布される専用の制服に身を包んでいた。
 社員帽まで深々と被っていて、しっかりと顔を上げないと彼とは分からない変装だ。

 実はクラップは今の今までアルフレッドの指示を受けてグリーニャの本隊から離れた場所で単独行動を取っていた。
 その単独行動の舞台とは、なんとスマウグ総業の処理施設である。

「社員の弁が正しいとすれば、社長のガラハッドは、シェイン一人にも危害を加えられない人情家…あるいは臆病者だ。
どちらにも共通するのは後先を考えず、その場の状況に即した判断しか下せないこと。
こうしたタイプは一般的に計画性の欠如が多く見られる。長期的な展望よりも目先の出来事に興味が集中してしまうと言うわけだ。
………俺たちはそこを突く」

 アルフレッドが読んだところでは、ガラハッドは場当たり的な判断しか出来ず、極度の混乱に陥った時には
精神的な脆さが露見するタイプだと言う。
 その弱点こそ狙い目だ、とも。

 そこでアルフレッドは、火炎瓶を投下する役割のムルグを先鋒として仕向け、空から降り注ぐ炎の洗礼によって
処理施設を混乱のどん底に陥れる計略を案じたのだが、彼の智謀はそこに留まりはしない。
 大胆にも変装したクラップを混乱極まる処理施設内へ忍び込ませ、混乱に掻き乱されたガラハッドへ入れ知恵するように
秘密指令を出していたのだ。
 判断力が正常に働いていないガラハッドであれば、クラップが偽の社員であることも見抜けないとアルフレッドは見越したのだが、
これも的中。首尾よくガラハッドへ接近することに成功した。

「村は強力な助っ人を雇ってるって話です。ガードマンだけじゃ心許ない。消火活動は最小限の人数に任せて、
腕っ節に自信のある連中を援軍にしましょう。でなきゃ、ヤツら、ガードマンを倒してここまで攻めて来ますよ」

 そんな脅しに衝き動かされて、社員らへ“第二陣”となるようガラハッドが命じている間―――
いや、処理場の外へ駆け出していく社員らに混じって体よくクラップが逃げ出した後も、彼が偽者と見破られることはなかった。

「クソ社長に近付くのは良いけどさ、まだるっこしい真似しねぇで、その場で殺っちまえばいいじゃんか。でなくても逆人質とか。
お前みたいに強くはないけど、オレにだってヤツ一人くらい締め上げるのはわけないぜ」
「お前の意見はもっともだが、現実は安っぽい映画のようには行かない。
ガラハッドに手を出した瞬間、お前は数十人の社員に袋叩きにされる。そして、その結果はそのままグリーニャ全体にも圧し掛かる」
「だったらよ、混乱に乗じて、せめてシェインを助け出すとかさぁ」
「不審に思われたら終わりだ。慎重にことを運べ。………物事と言うのはな、一挙に多くを求めすぎると上手く行かないが、
時間差をつけて処理すると不思議と成功するものなんだ」
「そういうもんかねぇ」

 そうした会話を経て工作を行ったクラップだったが、親友に申し訳ないと思いつつもそう上手くことが運ぶとは思えず、
実のところ、森の中へ足を踏み入れるまではアルフレッドの立てた作戦も半信半疑であった。
 しかし、成果はどうだ。村民側に地の利がある森林にまでガードマンを誘い出し、
昼のうちに掘っておいた落とし穴へ足を踏み外させてこれを撃破。施設内へ攻め入った時にネックとなるだろうスマウグの社員たちを
一気に激減させる陽動作戦も万事成功し、気が付けばアルフレッドが案じた通りのパーフェクトゲームではないか。

 多角的に火炎瓶を投げ込み、追い縋る敵戦力を四方へ分散させたのもアルフレッドの計略だった。
 手数を四方へ分散させることによって敵の戦闘力を殺ぎ落とし、確実に仕留めようとの試みも見事なまでに成功した。

 地の利を最大の武器とし、情報工作と陽動を巧みに融合させた計略の成功を見た瞬間(とき)、クラップは武者震いさえ覚えた。
きっとグリーニャの皆がクラップと同じ思いでいるだろう。
 アカデミーで会得した巧みな知略をフィーナから聴いていたからこそ、アルフレッドを反対派へ引き入れたいと願ったクラップは
自分の判断が正しかったことを噛み締めていた。

 ………ちなみにそのクラップの身を包む制服は、未だに公民館の天井から吊るされているスズキくんから無理矢理剥いだ物である。
 トランクス一丁で吊るされながらクシャミする彼のペーソスたっぷりな姿が容易に想像できた。

「アルの作戦、大・成・功。グリーニャの勝ちだ」
「雑魚を蹴散らしただけでは勝利には程遠い。こんなものはただの一過程に過ぎないぞ」
「………………………」
「シェインの身柄を確保出来て、俺たちは初めて勝利宣言を行なう資格を得られるんだ。
行こう。計略を案じた以上は俺も最後まで付き合う」

 本番はこれからとは言え、今まで良いようにやりこめられてきた相手に逆転勝利出来たなら誰だって高揚するものだ…が、
そうした感慨はアルフレッドには涌かないらしく、事務的にも聴こえる淡々とした口調で皆の意識を
次なるプロセスへ向けさせようとする。
 面白味が無いと言うか何と言うか、指摘そのものは的確なのだが、その場の熱気を冷ましてしまう無味乾燥な口調には
フィーナとクラップも顔を見合わせて肩を竦めるしか無かった。
 アルフレッドの機械的な様子を遠くで観察していたホゥリーなど、「スカシ系男子のキング・オグ・キングス的パターンだね、彼。
あーゆーキャラメイキングで実際にモテてるとこがソーバッドだヨ」と野次とも冷やかしとも取れる声を飛ばしている。

 しかし、作戦の完遂を第一に考えるアルフレッドにとって、勝利を収める為は彼らの苦笑いや野次などは取るに足らないものでしか無かった。
 どんなことを言われても、冷静さを保って現状を瞬時的確に見極め、最善の策を模索しなければならないと士官学校で叩き込まれたのだ。
 弁護士志望としてはまことに不本意ながら、今はその教えを生かすべき時だった。

『―――アルちゃん―――』

 ………士官学校と言う言葉を耳にし、これを心の中で唱える度にリフレインする弱々しい声もそうだ―――
そんなものに気を取られては、拾える勝ちも覚束なくなる。
 縋り付くようにして過去から伸ばされた手に構っている余裕など、どこにも無いのだ。

(………集中しろ、目の前の戦いに。俺がいるのは『アカデミー』じゃなく、グリーニャなんだ。守るべき故郷に、俺はいるんだ………)

 自分の置かれた立場と果たさなければならない責任(こと)への使命感を強く念じ、
セピア色の記憶の向こう側からリフレインするか細い声を強引に掻き消したアルフレッドは、
火勢逆巻き夜天を朱に染めるスマウグ総業の処理施設を正面に捉えると、その瞬間に冷たい眼光を更に鋭く研ぎ澄ませた。




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