1.遥かなる帰還


 ――――物語は少し時間を巻き戻し、アルフレッドたちの錯綜の様子を切り取りながら再開される。

「フィガス・テクナーに帰ってきた………」

 内部で起こった爆発に急き立てられるようにしてリーヴル・ノワールから脱出してきた一行を待ち構えていたのは、
半日前とは異なる光景―――摩天楼が天を衝き、けたたましいクラクションが狂詩曲を奏で、
彼方に見える白い煙突よりモウモウと煙が立ち昇る近未来的な町並みであった。
 “町”などと言う規模ではない。
ルナゲイトをも圧倒するほどの大都市がリーヴル・ノワールへ隣接するようにして何の脈絡もなく現れ、一行を出迎えたのである。
 つい数時間前まで荒涼たる原野が広がっていたはずの大地に、だ。
 近未来的な町並みを外部との交流を遮断させるような防壁で囲った大都市を、
アルフレッドたちの誰もが見たことのないその大都市を、ニコラスは『フィガス・テクナー』と呼んだ。


 帰り道がわからなくなり、途方に暮れていた最終目的地―――フィガス・テクナーだと。


 黒煙垂れ込めるリーヴル・ノワール近辺より外壁を見上げることしか、今はまだ出来ていないが、
外周から仰ぐだけでも、エンディニオン最大の都市と謳われるルナゲイトの華やかさが、
道端に咲く一輪のたんぽぽのように感じられるほどフィガス・テクナーは煌々たる光に満ち溢れている。
 外壁を越えて聴こえてくる生活の音などエンディニオンの大気を震わしているではないか。
 光も喧騒も、いずれもマコシカの民が作り出す魔力をベースとしたものではなく人工物そのものであり、
フィガス・テクナーがオーバーテクノロジーの粋を結集して構築された先進的な都市であることが窺える。
 電子部品の研究と開発が盛んな、最先端技術の都市(シリコンバレー)―――いつかニコラスたちが語っていた通りだった。

 異世界に迷い込んでしまったのかと錯覚し、我が目をこすって確認し直すアルフレッドとフィーナだったが、
ニコラスのその呟きに顔を見合わせて目を丸くする。
 アルバトロス・カンパニーの面々が、リーヴル・ノワールがひっそりと風に打たれる一帯の地形を
ホームグラウンドのフィガス・テクナーにどこか似ていると話したのを二人とも記憶していた。

 それでは、何か? このフィガス・テクナーは町ごと空間に溶け込んでいて、
自分たちがリーヴル・ノワールより出てきたのを契機にカメレオンの如き擬態を解いて顔を出したとでも言うのか。
地形のそっくりなこの場所に―――。

「で、では、ラス、ここがお前たちの………?」
「あ、ああ、間違いねぇよ。ここが俺たちの地元、フィガス・テクナーだ」

 もう一度、再確認するアルフレッドの問いかけに鸚鵡返しで「YES」と答えるニコラスの目には、
悲願していた地へ戻ってこられた喜びと安堵以上に突如としてフィガス・テクナーが出現したことへの動揺が宿っていた。
 フィガス・テクナー…と自分たちのホームグラウンドを紹介するその声も、心ここに在らずといった調子で発せられている。
 つまり、フィガス・テクナーがこの場所に現れたことは彼らにとっても予想外の出来事のようで、
町全体にステルス機能が付いているというトンデモな展開は無さそうだ。

 こんなときは決まって口を挟んでくるダイナソーを見やると、彼もまた混乱した様子で言葉を失っている。
 前髪が主張し過ぎなくらい前方へ伸びたリーゼント頭を落ち着き無くいじっているのも、彼の狼狽ぶりを表していた。

「でもなんで、いきなりどうして、こんな急に………」
「落ち着け、落ち着け落ち着け落ち着け、ウキザネ殿。
私、私私、私たちはフィガス・テクナーに期間もとい季刊でもなく帰還できたのだ。それをまず喜ぶべきですわ」
「………アンタが一番落ち着いてないンだけどね?」

 呆れ果てたディアナの裏手のツッコミは、この場において適切な処理だったかも知れないが、
限界点に達したトキハとアイルの混乱は、その程度の横槍では、最早、落ち着きを取り戻せないらしい。
 テンパりにテンパって、あーでもないこーでもないと頭の毛を掻き毟っている。

 言葉を失ったまま固まっているニコラスに事情を聴取しても、
ダイナソー・トキハ・アイルとテンパった三人を相手にしても事態を打破できる建設的な発展は望めそうにないし、
年長者として落ち着いてはいるものの、やはり動揺の隠せないディアナも怪現象に対する答えは有していないだろう。

 怪現象よりもアルフレッドが気になったのは、
アルバトロス・カンパニーを除く誰もがフィガス・テクナーと言う地名を記憶に留めていないという点だ。
 この違和そのものは、ニコラスたちと出会って以来、ずっと胸のどこかに挟まっていたのだが、
現実としてフィガス・テクナーを目の当たりにした今、疑惑と戸惑いはこれまでになく色を濃くしている。
 ルナゲイトを優に越える豪奢な都市なら、当然、話題にも挙がるだろうし、
自分を含めたエンディニオンの人間が全くその存在を知らずにいたというのも不自然極まりない話だ。

「なあ、お前たちは―――」
「………知ってたら、とっくの昔に教えてるって」
「エンディニオンをあらかた回ったアタシたちだけど、こんなの、見たことも聴いたこともないわ………」

 アルフレッドの目配せに気付いたネイサンとトリーシャは、揃って首を横に振って見せる。
 かたやリサイクル業、かたやフリージャーナリストとして世界中を飛び回っている二人も
フィガス・テクナーの存在を今の今まで知らなかった。
 常日頃からグローバルにアンテナを張り巡らせている二人なのに、
メシのタネが転がっていそうな大都市の情報を揃って取りこぼしたとなると、ますます不自然だ。

「おヌシの期待を裏切って悪いが、ワシもこのフィガス・テクナーとやらは初めて見る。
ルナゲイト家の情報網をもってしても掴み切れなんだわ」
「御老公まで? ………ご冗談でしょう」
「メディアを統括しておったワシが情報を錯綜させるような真似をするとでも言うのかな、お前さん?」
「そんなことは思っていませんよ。ただルナゲイト家に見落としがあるとは思えなくて………」
「左様な瑣末なことなど忘れて、見てみよ、アル」

次いでジョゼフに視線を巡らせるアルフレッドだが、かつて新聞王とまで呼ばれた彼の知識、世界最高の
ネットワーク内にもフィガス・テクナーは該当しなかったようだ。
アルフレッドの望む答えを用意してやれなかったことを謝るなり、ジョゼフはこの場にいる誰よりも好奇心に目を輝かせて
しげしげとフィガス・テクナーの観察へ没入していった。

「いや、しかし―――これは見事じゃ。齢六十を越え、感動などとうの昔に置いてきたと思っておったが、ワシも捨てたものではないのぉ。
久方ぶりに胸が躍っておる。ククッ―――長生きもしてみるもんじゃな」
「呑気にされては困りますよ。ルナゲイトにとってもこれは大変な事態じゃありませんか」
「若い者は正常と異常をすぐに秤へかけたがる傾向がある。それもまた若さの特権じゃ。
しかしのぅ、本質を見極める上で最も重要なのは、物事を正しさと誤りとに分ける観念ではない。丹念な観察じゃよ。
色眼鏡を取っ払ってじっくり見蕩れてみると良い。さすれば、本質も観念も、心の秤にかかるじゃろうて」
「御老公らしいと言えばらしいのですけど………」

 没入、と言っても外周を観察するのに留めているのは年の功が成せる冷静な判断だろう。
 「君子、危うきに近寄らず」の言葉通り、自分では危険の想定される都市部には入り込まず、
リーヴル・ノワールの調査に連れてきたラトクを代役に放つあたり、さすがの周到さだ。

 自身が築き上げたルナゲイトの都市と比べて、このフィガス・テクナーは数段豪奢な造りとなっているが、
それについて嫉妬や劣等感を見せず、優れたモノへ素直に感嘆の声を挙げられる度量の大きさにも
アルフレッドは感銘を受けていた。
 主観的に物事を捉えるのでなく、あるがままを受容し、客観視できる確かな慧眼を持っていればこそ、
マスメディアを統括する“新聞王”のカリスマ性が備わったに違いない、と。

「すぅッ―――げええええええぇぇぇぇぇぇッ! なんだよこれッ!! なにさ、このスペクタクルッ!! 
これこそまさに冒険じゃんかッ!! うッわ、鳥肌立っちゃったよ、ボクッ!!」
「………お子様は気楽でいいな」
「ンだよ、うっせぇなぁ。ボクはね、楽しいってことを楽しめるタイプなの。わかる?」
「あー? 頭ン中がお花畑ってヤツか」
「ちっげーよ! ホント、見た目通りにつまんないオヤジだな。いい? 楽しいってことを楽しめるタイプには、
楽しそうって楽しさを楽しむ義務があるんだよ」
「あぁ? なんだと? おい、ガキ、オレをバカにしてんのか? あ? まじで意味わかんねぇぞ?」
「人生楽しめってことだよ。オヤジに一番足りないもんだね」
「るせぇ、ほっとけ」
「………ほっとくのは良いんだけどさ、なんでボクの首、掴むわけ? 離してくれないかなぁ」
「ガキは黙って大人の言うことを聴いときゃいいんだ。口答えなんかするんじゃねぇ」
「なにそれ!? 子供の本分を邪魔する権利こそ大人には無いだろ!? 離せよ、ボクは遊びにィ〜!」

 周到なジョゼフとは異なり、テンションだだ上がりのシェインはまっしぐらにフィガス・テクナーへ突っ込もうとするが、
その首根っこをフツノミタマが後ろから掴み上げた。
 リーヴル・ノワールでの爆発の件もあり、過敏なまでに神経を尖らせるフツノミタマは、
何の脈絡も無く現れた大都市が、あるいは何者かが仕掛けた罠かも知れないと判断してシェインを引き止めたのだ。
 なにしろ自分たちはジューダス・ローブと…世界最悪のテロリストと戦っている最中である。
 何事につけて警戒を強める必要がある。そんな中で子供を一人で野に放すなど持っての他だ。

 首根っこを掴まれるような恰好で制止されたシェインは口先を尖らせて不服を露にするが、
フツノミタマは取り合う気など毛ほどもない。
 抗議を受け入れ、シェイン曰く“楽しいことを楽しむこと”を許し、その先に最悪の結末が待っていたら―――
想像しただけで背筋に何とも言えない悪寒が走り、フツノミタマは首根っこを掴む手を解く気になれなかった。


 シェインの短慮がフツノミタマの手で防がれたことを目端に捉え、一先ず安堵の溜め息を漏らすアルフレッドだったが、
これから臨まなくてはならない諸問題を意識した途端、吐息は重苦しいものへと姿を変える。
 エンディニオンに起こりつつある理解不能な怪現象は、
アルフレッドのみならず彼の周りに集まったヒューやローガン、ハーヴェストたちの頭をも悩ませていた。
 これは、理解と言う名の人智を遥かに凌駕していた。

 半日前まで荒涼とした大地の広がっていた場所へ突如としてフィガス・テクナーが現れた原因はもちろん、
ルナゲイトの文明力を遥かに上回る大都市の存在をアルバトロス・カンパニー以外の人間が知りえなかった理由も定かではなく、
そこを究明しなくては怪現象の根本的な解決は望めないのだが、
問題として提起すべきものがあまりに漠然としており、掴み所が無い。


 ―――見知らぬ大都市がわずか半日足らずの間に地上へ築かれていて、
驚くべきことに一部の人間はその大都市を自分たちの暮らしていた町だと言う。
 つまり大都市は半日の内に新造されたのではなく、もともとどこか別の場所にあったものが、この土地に転位されたのだ―――


 要点を抽出してまとめてみたアルフレッドだが、頭の中で反芻した途端、「バカバカしい」と口に出して頭を掻いてしまう。
 今時、架空のSF小説でも使われないようなテーマだ。
 創作のテーマになる場合、異世界に迷い込んだ者の活躍と相場が決まっているのだが、その大都市版とでも言うのか。
 SFか、オカルトあたりを取り扱う雑誌あたりに売り込めば採用されそうだな…とアルフレッドは自分の仮説を鼻で笑った。
 荒唐無稽にも程があり、真面目な顔ではとても話せない空想に満ちた代物だった。

「ハッキリ言ってねぇ、そーゆー考えは報道に対する侮辱なのよ! トリック写真で投稿して小遣い稼ぎ?
ベントラベントラ唱えてたら異世界の都市が召喚されたぁ? ばっかじゃないの! 
ちょっとアブない趣味人を満足させるより事実をあるがままに伝えるのが報道の役目でしょーがっ!」
「だ、だってさぁ、わけわかんない都市がいきなり飛び出したんだよ? 
そんなムチャなネタ、常識で考えたら誰も取り合わないって! そこをさ、そーゆー雑誌に取り上げて貰ってだね、
まずオカルト現象として世に出して、それから徐々に現実だってことを認識して貰うのがベターだって僕はね………」
「情報はナマモノ! 徐々にとか、段階を追ってとか、まどろっこしいコトしてるうちに腐っちゃうんだよッ!!」

 大方、同じようなことをネイサンも考えていたのだろう。
 アルフレッドの頭にも過ぎったオカルトチックな見出し文を、少し離れた場所から聞こえてきたジャーナリストらしいツッコミが打ち消した。

「エヴェリンの連中、メチャ混乱してたぜ。気付いたら隣にバカでけぇ都市が出来てんだもんよ。
日照権の問題とか、その内ヤバいことになりそーだ。陽の光がフィガス・テクナーのビルで遮蔽されちまった区画もあるってよ」

 モバイルを仕舞いながら、ヒューは混乱の渦中にあるであろうエヴェリンの現状を諳んじて見せた。
 どうやら今の今までどこかへ電話をかけていたようで、ポケットに仕舞う前に通話口をハンカチで拭いていた。

「ヒュー、………お前?」
「アルのためにリサーチしてきてやったんだよ。エヴェリンに住んでる情報屋にTELってな。
ほら、俺っちってば、ダチ思いだからさ」
「ごっつ気ィ利くやんか。あ、ほうか、探偵っちゅーんはそない気ィ張っとらんとアカンねやな」
「―――なんてな、自分のためだよ。地下に潜って帰ってきてみりゃ、半日前とは全く違う風景が―――なんてよ、
トリーシャちゃんのメシのタネにはなっても、俺っちらにゃ笑えねぇ怪現象だべ?」
「確かにな。こんな怪現象に巻き込まれて笑えるヤツがいたら俺も会ってみたい。というか、良い病院を紹介するな」
「ちょう待てっ! ほしたら誉め損やないかっ! 目上のモンを引っ掛けるたぁタチ悪いで、ホンマ〜」
「おいおいおいおい〜、頼むぜ、ローガンちゃん。言ったままを素直に受け取らないでよぉ〜? そこはアレよ、照れ隠し?
ダチの力にゃなりたいケド、照れ臭くって遠まわしに濁しちゃう男心? ニュアンスで気付いてくれよォ」
「うわっちゃー、やってもうたわ〜。あんさんもまた上手い具合にカマトトぶりよっから、すっかり騙されたわ。
このこの〜、ニクいやっちゃで〜」
「ニクくてイナセな二枚目ってのも加えてくれよ、なんてな」
「いいから、あなたたちは黙っていなさい! 考えに集中できないでしょうッ!?」

 愉快そうに談笑するヒューとローガンに「ふざけてる場合か」とハーヴェストからきつい大喝が落とされ、
ふたりは同時に口へチャック。よほど恐かったのか、直立不動で固まっている。
 「………良い病院紹介するぞ」とのアルフレッドの追い討ちも、良い大人二人組を大いに凹ませた。
 くどくどとお説教を始めたハーヴェストに代わって、セフィが彼女の言おうとしていただろう問いをアルフレッドに継いだ。

「アル君、貴方はどう考えます? この如何とも説明し難い状況を」
「いや………俺もまだ頭が混乱しているんだが―――」
「私はジョゼフ様に賛成です。見入ると言うか、魅入られてしまいますよ、これは。
じっくりと見物して回るのも良いかも知れませんね。そうやっている内に向こうも私たちに興味を持ってくれるでしょう。
きっとカツ丼のサービス付きでナビゲートしてくれますよ」
「………職務質問で店屋物を取ってくれるとは思えないがな。と言うか、そのジョークは状況的に笑えないぞ」
「おっと、病院の紹介は遠慮しておきますよ。浮気なんてしたら、罹りつけの主治医に申し訳も立ちません。
………そう、私の病はマユさんにしか癒せませんから」
「誰か、こいつにトランキライザーを打ち込め。筋肉注射で構わん。尻にでも突き刺して思い知らせてやれ」

 バカバカしいと考えていた仮説が情報を得るにつれて現実味を帯び始め、アルフレッドは思わずえづいてしまった。
 自分で鼻で笑ってしまうくらい仮説はファンタジーに満ちているのだが、
そのファンタジーを採用しないことには説明が付かないにもまた事実だった。
 目の前に起こった怪現象は、理論的にも物理的にも破綻しており、
それを説明するには抽象的かつ漠然としたファンタジーという世界に頼らなくてはならなかった。

「ファンタジーじゃんッ! ロマンじゃんッ!! アドベンチャーじゃんッ!!! 
そこにファンタジーがあるから、冒険者は生きられるんだよッ!!」
「おい、そこの肉塊! てめぇ、声を奪うプロキシとか使えねぇのか? ちょっとこのガキ、黙らせろやッ!」
「待ってくれ、フツ、こちらのほうが先だ。ホゥリー、セフィを黙らせろ。この際、気絶させるのも止むナシだ」
「クワイエットれってワンパンチかましたれば? ちゅーかボキに振らないでくれる? 
クレイジースメルなアンダーグラウンドに半日もポイされてて、もうお腹がエンプティーなんだもん」
「あぁッ!? 足元に散乱してる饅頭の箱はなんだ、コラッ!? 十箱も平らげといてはらぺこだとぁ!?
フカシこいてんじゃ―――って、クソガキ、ジタバタすんじゃねぇッ!!」
「はーなーせーってーばぁーッ!!!! ファンタジィーーーッ!!!!」
「シェインよりは御し易いだろう? さぁ、気前良いのをぶつけてやるんだ」
「お尻に注射といい、なかなか貴方も強引ですねぇ。いやはや、何だかフィーナさんに申し訳無いないなぁ」

 ファンタジーという要素が琴線に触れたシェインの底抜けハイテンションは、とりあえず無視。

「フィー? 何? どうかしたの?」
「どうかしました?」
「だって、鼻血が………」
「平気です」
「いや、でも、割とスゴい勢いで………」
「これは鼻血と言うよりも浪漫です」
「言ってる意味がわからないんだけど、………え? 何? ………浪漫?」
「そうです。浪漫です、お姉様」
「………………………」

 ………何らかの琴線に触れて鼻血を垂らしたフィーナも無視するとしよう。


「ジョークで場も和んだことですし、本題に入りましょうか」
「断じて和んでいないがな。………まあ、いい。こじれるだけだ―――ヒューの調査と照らし合わせるなら、
フィガス・テクナーというこの都市がエヴェリンへ隣接する形でまるごとテレポーテーションしてきたと
考えるのが普通だろうな。………いや、普通じゃないんだがな、全然」
「私たちのほうが別な世界なり別な場所なりにテレポーテーションした可能性は?」
「その可能性を覆す証拠、と言えるほどのものではないが―――」

 おもむろにズボンのポケットから自分のモバイルを取り出したアルフレッドは、
折りたたみ式の本体を展開し、液晶画面をセフィの前に掲げて見せた。
 バカ二人にお説教をしていたハーヴェストもそのことに気付いて液晶画面に顔を近付け、バカ二人ことヒューとローガンもそれに倣う。

 メール受信画面に切り替えられた液晶には「From:クラップ」と差出人の名称が表示されていた。
 差出人名と併せて今日の日付と午後三時という時刻も表示されているが、これはメールを受信した日時を表している。
 「ドナテラさん、上司のジョシュアさんと深夜の密会!?」と言う件名に食いつきたくて仕方がないような素振りを見せたヒューに対し、
ハーヴェストは横合いから殺意の篭った眼光を叩きつけ、話をややこしくするのが目に見えていた彼の口火を未然に揉み消した。

 午後三時という受信時刻に思うところがあったセフィは、
胸ポケットから自分のモバイルを取り出して現在時刻を確認し、次いで驚きの声を上げた。

「今は―――午後三時五分を差したところですね。つまりそのメールは………」
「―――そうだ。ついさっき受信した友人からのメールだ」
「電波が正常に受信されている以上、ここはあたしたちの住むエンディニオンであって、
異世界、異次元の類じゃない―――というわけね」
「おう、ハーヴ! 今日もおつむのキレが利いとるな。兄貴分として鼻が高いで、ワイぁ」
「気安くニックネームで呼ぶな。それから兄貴分なんて言うな。身の毛がよだつっ!」
「あー、待て待て待て、キレイにまとめられそうだったけど、ちょい待った。こりゃいよいよとっ散らかってきたぜ。
俺っちらが別な世界に飛んじまったんじゃなくて、このクソデケェ町がポーンと飛んできたってことだろ?
ややこしいったらありゃしねぇぞ」
「ヒューの言う通りだ。………こんなことを言うのは不謹慎かも知れないが、
正直、違う世界に迷い込んでくれたほうが考えをまとめやすかった」
「………ここからは、私たちの住むエンディニオンに、一体、何が起きているのかを推論しなくてはならないわけですね」
「ややこしいことこの上ない。なにしろ推論を始めようにも、説明のしようが無いんだからな、この怪現象は」
「灰色の脳細胞を持った名探偵でも呼びましょうか。人智を越える難問は、凡人よりも奇人の発想に頼るべきかと」
「お前は、今、全国の名探偵ファンに喧嘩を売ったぞ。もちろん、この俺もだ」
「それは失敬。ちなみに私の午後のお供は、もっぱら『魔界闘姫ユステティアン』でした。少女コミックのね」
「え? マジ? ボク、その漫画、けっこう好きだったよ。フィー姉ェも全巻持ってるし。
外国から出向いてた主人公の相手役が故郷へ帰るってトコで終わってさぁ、せつない最終回だったよね」
「内容についてはちょっとね、断片的にしか覚えていないもので、ストーリーの大部分がわからないんですよ。
まあ、睡眠薬代わりにしか使っていませんでしたから当たり前ですか」
「―――よーし、よしよし。おい、ワレ。後でちょうツラ貸しや。生まれてきたことを後悔させたるわ」

 セフィが『魔界闘姫ユステティアン』なる少女漫画を小馬鹿にした瞬間、ハーヴェストの様子が激変した。
 豹変と言い表しても間違いではあるまい。口調からして粗暴となり、見れば鬼のような形相を作っているではないか。
 フィーナやシェインも愛読していた件の漫画は、どうやらハーヴェストにとってバイブルにも等しい作品だったらしい。
 そこそこイイ歳なのにお気に入りの漫画を茶化されたくらいで目くじらを立てなくても…とセフィは頬を掻いたが、
しかし、自分の好きなモノを貶されることは決して気分が良いものではない。
 ましてや、笑いの種にされたとあっては、これを愛好する人間が機嫌を損ねるのも当然である。

「あー…、セフィ、お前さん、やってもうたな。ハーヴの前でユステティアンを虚仮にするなん命知らずもええこっちゃ」
「………ファンの方でしたか」
「お前さん、たった今、こいつにごっつい喧嘩売ったで。………ハーヴの前で迂闊にユステティアンの悪口言うたらアカン。
命がナンボあっても足らへんわ」

 鼻息荒く自分に迫ってくる鬼の形相と、ローガンの耳打ちによってハーヴェストの逆鱗に触れたことを悟ったセフィであったが、
彼なりにユーモアのセンスには自信があるらしく、訂正や撤回をする気はないらしい。
 自分の発言に責任を持つことは、ある意味に於いては潔いと言えなくもないが、
しかし、場の空気を悪くしてまでその姿勢を貫かれては、傍らで見ている側には大変に迷惑。
 好みに関するトラブルは、仲裁するのも一苦労なのだ。

「ハーヴの趣味など知ったことじゃないが………それにしても、お前はどうして敵を作るようなジョークばかり言うんだ」
「読めばアル君も私の気持ちがわかりますよ。登場人物がみんな同じ顔なんですよ? 
あれは羊を数えるのと同じ感覚だ。眠れぬ夜のお供には最高なんですから」
「おーおー、言いよったな、言いよったで、このトウヘンボク。前髪赤いクセにふざけたコトをペラペラペラペラ次から次へと。
………のぉ、セフィ。ワレぁ誰の顔が好みなんや? そいつと同じ顔にしたるで。整形手術は拳がメス代わりや! ええなぁッ!?」
「………セフィ、お前さんなぁ―――」
「これはまた失敬」

 ハーヴェストの趣味、趣向はさて置いて―――
今、自分たちの立つ地平が、果たして本当にエンディニオンなのかとアルフレッドは訝っているのだ。
 リーヴル・ノワールの調査をしている内に外界で時空の歪みが生じ、
見ず知らずの異世界へ迷い込んだということであれば、まだ説明はつく。
 違う世界に迷い込んだからこそ、見知らぬ光景に出くわしたと説明すればそれまでだからだ。

 ところが今度のケースはそれほど単純ではない。
 何も無かったこの荒涼の大地へフィガス・テクナーなる巨大な都市が降臨したことに端を発する様々な疑問は、
アルバトロス・カンパニー以外の人間がその名を知らないという異常事態と相俟って複雑怪奇。
 例えばフィガス・テクナーへ潜入して情報を集め、そこから推論を進めようにも、
どう調査を切り出せば良いのかがまず解らないのである。

 調査を進めるにあたっては、問題の重みを等身大に受け止める必要があるのだが、
都市のテレポーテーションなどという漠然として掴み所の無い怪現象のどこに感情を移入する余地が見出せるのか。
 問題の重みが不明瞭なアルフレッドたちの手に、この調査は大いに余った。


「そんな風に理詰めで考える前に、私たちにはもっとしなくちゃいけないことがあるんじゃないかな?」
「何だよ、やぶから棒に。自分たちの世界へ何らかの異変が起きているときに推論以外に何を―――」
「もう………そんなんだからアルはデリカシーなしって言われるんだよ」

 アルバトロス・カンパニーの面々を見つけるなり、フィガス・テクナーのエントランスから全力疾走し、
駆けつけるやいなや野太い腕でもって五人まとめて抱き締めた大男――巨躯といい、スキンヘッドといい、
ニコラスたちから聞いていたカンパニーの社長だろう――と、
突然の抱擁に照れ臭そうに身じろぎしているニコラスたちを交互に見つめるフィーナの目端には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「よかった………本当によかった………」

 状況がどうであれ、ニコラスたちがようやくホームグラウンドにまで帰りつけたことをフィーナは自分のことのように喜び、
胸を熱くしているのだ。

 フィーナのそんな姿を見てしまうと、急に自分たちが頭でっかちの集団に思えてきて、アルフレッドたちは顔を見合わせて頬を掻く。
 難題へ挑戦する前に仲間としてするべきだったのは、まずニコラスたちの帰還を喜び、ここに到達するまでの労をねぎらうこと。
 最低限の気遣いを失念したことが、アルフレッドには何とも言えない恥に思えた。

「すみません、フィーナさん。こちらを助けて欲しいのですけど………」
「へ? あっ、わわっ!? 大変っ! 今行きますっ!」

 ―――と、助けを呼ぶマリスの声でフィガス・テクナー出現の他にもう一つ問題を抱えていたことが思い出された。

 何者かの爆弾テロによって内部の破壊されたリーヴル・ノワールから救出したルディアの身の振り方だ。
 おそらくは生体実験が行なわれていたであろうおぞましきガラス筒の中のデミ・ヒューマン(亜人)を“友達”と呼んだ彼女は、
爆発によってメチャクチャに破壊されてしまった“友達”を想ってわんわんと泣き喚き、
マリスの胸に縋り付いて離れなかった。

「………ご安心下さい、マリス様。後ほど丹念に洗濯いたしますので」
「………ええ、しっかりお願いね………」

 ルディアの顔面から止め処なく溢れ出る涙と鼻水が染み込んだマリスの胸元は、
黒衣に光沢が浮かぶくらいぐっしょりと濡れそぼっていた。
 洗濯に注力するとタスクは言うが、きっと頑固な染みを作っていることだろう。手揉みの苦労が忍ばれる。

「コカっ? コッケケッカコ〜?」
「知んないの、知んないのっ! ヘンな鳥さんなんかいらないのっ! ルディアは“おともだち”のところに帰りたいのぉー………っ! 
返して欲しいのっ! お願いなのぉ………っ!」
「コ、コカー………………………」

 赤ん坊をあやすようにムルグが百面相して笑わせにかかるが、結果は惨敗。
 タスクやマリスも優しく慰めてはいるものの、泣き声の大きさが二人の声を掻き消している状況では埒が開かず、
ほとほと困り果てていた。

 お手上げ状態に陥ったマリスたちの加勢に入るべく、アルバトロス・カンパニー帰還の余韻もそこそこに大急ぎで駆けつけ、
フィーナもあの手この手を尽くしてみたが、まるで効果ナシ。
 グリーニャで小さな子の面倒を見たときと同じあやし方を試みても、泣きじゃくるルディアの注意を引くことすら出来ず、
子供に好かれる自信のあったフィーナへ手痛いショックを与えた。


「………………………」
「―――? どったの、フェイ? いつになくムツカシイ顔してるけど」
「………ポンポンでも………くだしたか………さては………拾い食いでもしたな………浅ましいヤツめ………」
「―――なんでもない………なんでもないよ………」
「………フェイ………お前………―――本当に………大丈夫なのか………?」
「………ケロちゃんさ、心配してくれるのはありがたいんだけど、あんまりしつこいと逆に厭味だよ?」
「………む…う………」
「こらこら、空気悪くなるコト、言わないの。………疲れているなら、休んでいてもいいのよ? 
おじいちゃんにだいぶやられたんでしょ?」
「それは………―――まあ、確かにコテンパンにはされたけどね」
「………ごめんね、なんか。あとできつーく言っておくからさ」
「ソニエの謝ることじゃないさ。ただ………―――いや、やっぱり疲れているのかも知れないな、僕は………」

 怪現象に頭を悩ませるアルフレッドたち、ルディアをあやすことに奮闘するフィーナたち、
そして、紆余曲折を経てフィガス・テクナーに帰り着き、社長の熱い抱擁を受けて帰還の喜びを噛み締めるニコラスたち。
 ちょうど三つのグループに分かれる形となっていたが、
タイミングを逃してしまい、いずれのグループにも入り損ねたフェイチームは、
三つのグループの動向を手持ち無沙汰で見守るばかりだった。

(………僕はただ驚くことしかできなかった。なのにアルはあんなにも論理的に状況を捉えている――――――)

 タイミングを逃したということもあるのだが、
正直なところ、フェイたちは目の前で起こった怪現象に対して人並みに驚くことは出来ても、
それについて考察や推論を加えられるだけの知識や頭の回転は持ち合わせていない。
 相槌を打つことは出来ても、アルフレッドやヒューのように実のある意見を出せそうにもないのだ。
 つまるところ蚊帳の外に置かれた、と言うのが実情であった。

(―――どうしてアルは冷静でいられるんだ………あんな風に物事を解釈できるんだ………?)

 自分には考えも及ばないような高度な推論を仲間たちと重ねる弟分の涼しげな顔が、
どう言う訳だか見ていられなくなり、フェイは彼から目を反らした。
 それと同時に脳裏を駆け巡った鈍い痛みは、リーヴル・ノワールで仲間たちへ的確な指示を出し、
合理的かつ俊敏に調査を進めようとするアルフレッドの姿を見たときに感じたのと同じ鈍痛だ。

(………同じグリーニャの人間なのに―――僕のほうが先輩なのに―――何が………違うんだ………?)

 やがて鈍痛は弟分のアルフレッドに感じなくて良いはずの落差へと姿を変えて胸を刺し、
その裡にドロドロとした靄を垂れ込めさせていた――――。




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