2.心の闇


 フィガス・テクナーが誇る豪奢にして煌びやかな町並みは、そこへ初めて立ち入る者たちの視線を強烈に引き付け、
目まぐるしく動く人と自走機械――自動車やバイクだ――の波は目眩さえ与えた。
 ルナゲイトに文明の頂点を見ていたフィーナなどは、
自分の中に設けられたある種の基準を遥かに越えるフィガス・テクナーのテクノロジーに言葉を失っている。
 フィーナだけではない。マリスも、タスクも、ハーヴェストも………誰もが生まれて初めて触れる超常の光景に絶句し、
あたかも異次元へ迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えた。

 しかし、ここは異次元ではない。自分たちの生まれ育ったエンディニオンなのだ。
 良く識るはずのエンディニオンへ突如として出現した、異次元さながらのテクノロジーの都という矛盾が皆の頭を一層混乱させた。

 高次技術で強化された樹脂か、はたまた新種のニューセラミックスか。
フィガス・テクナーに立ち並ぶ建物のいずれもが、これまで見たことも触れたことも無い材質で構築されていた。
 壁材、窓のガラス、ドアに使われる木材に至るまで、
ありとあらゆる物質がエンディニオン――フィーナたちの識る範疇での――では、見たことの無い物だった。
 冒険者として世界中を回り、見聞を広めてきたハーヴェストにも見覚えのある材質は一つも無く、
混乱するあまり「これはきっと悪の秘密結社が仕組んだ罠ッ! 幻惑兵器か何かなんだッ!!」とうわ言のように繰り返している。

 ハーヴェストを気遣うフィーナだが、彼女も彼女でフィガス・テクナーと言う都市(まち)へ悪酔いしそうになっていた。
 都市の構造自体はルナゲイトやその他の町村と大差は無いものの、
新素材の建物は装飾の一切を省いた無機質なものばかりで、見た目にも寒々しく、その冷たさが街全体に波及しているようだ。
 一般家屋や企業の事務所ならまだしも、ディスプレーを華やかに飾ることで客の購買意欲を促すべきショップまでもが
同様の冷たさで凍て付いているのにはフィーナも言葉を失った。
 極めて不可解なのだが、店先に展示されたアピール用のポップには商品の価値を称えた物が一つも無く、
代わりに値段の安さを強調してばかり。
 それも「○○店より何割安い」とか「△△店の商品と違って全て手作り」などと他店を引き合いに出すことで
相対的に自店の評判を吊り上げようとする悪質な物のみで、とてもウィンドーショッピングを楽しむ気も起きない。

 街路樹や道路端の花壇で揺れる植物も自然物ではなくの街の景観を飾るために移植された物のようで、
遠方の工場より流れ来る化学薬品の臭いとはミスマッチ。
 寒気がするくらいチグハグな街―――フィーナが口に漏らすのも無理からぬ話である。

 それでいて路地裏を覗けばホットドッグの屋台が香ばしい匂いを醸し、
太っちょな店主の周りにお腹を空かせた子供が群がっているなど妙な現実味がある。
 見慣れた光景にホッとすると思いきや、非現実的な空間と現実味のある光景とのギャップがかえって神経を掻き毟った。

「わっ、わっ、わわっ!! すごいのっ! あれ、なんなの? こっちもキレイ、そっちもキレイッ!
どこから見ればいいのか、うっとり目移りしちゃうの〜♪」

 混乱が極まって頭痛を併発する女性陣と対照的にルディアは未知の世界への期待と興奮に輝き、
つい数十分前にフツノミタマに止められたシェイン以上のはしゃぎようであちこちのショーウィンドーを行き交っては、
陳列されている物珍しい商品の数々に奇声を上げて喜んでいる。
 全身で喜びを表現するとはこのことか。胸元に付けた人形までもが喜と楽に表情を変えているように見えた。

 底なしの明るさと豊かな感受性はグリーニャへ残してきたベルを思わせ、頬が緩まないことも無いのだが、
子供から受け取る愉快とは別に、フィーナの冷静な部分がある疑念を理性に訴えかけていた。

「変わり身の早さにはいささか驚きますね。まるでソフトが入れ代わった機械のような………」
「タスクさん………」
「いえ、言い方に齟齬があるのは重々承知しているのですが、そうとしか思えなかったもので。
………子供の思考は切り替えが早いものですが、ルディア様はそれが人一倍顕著のようですね」
「私にも小さな妹がいます。確かにあの娘も感情の移り変わりが激しかったけど………でも―――」

 顎に右手の人差し指を当てて何やら思案中なタスクが口にした疑問は、
フィーナの胸に湧き出したものとそっくりそのまま同じで、心のうちを見透かされたのかとギョッとしてしまうほどだった。
 どうやらタスクの代弁した疑問は誰もが共通して抱いているものらしく、フィーナ以下全員が即座に頷いた。

「あのように気持ちを表に出せることは素晴らしいですわ。無垢なる心を曇りなく映し出す鏡は
女神イシュタルが子供にのみお許しになった特権なのですもの。
いつまでもかくありたいと願って、いつの間にか手放している純粋の鏡の持ち主が、少しだけ羨ましくもありますわね」
「詩的な表現ってのはよくわかんないけど、………あそこまで極端だと心配だわ、色々と」

 小さな女の子が全身で喜びを表現する様子を微笑ましそうに見守るマリスと対照的に
ハーヴェストは微妙に口元を引き攣らせてさえいる。

「―――わぎゃっ!?」

 ハイテンションの赴くままに走り回る内にタイルに躓いて転んでしまったルディアは、今度は大声でベソをかき出した。
満面の笑顔から一転しての泣き声もまた盛大なものだ。
 好奇心と喜びに向けていた“全身全霊”が、今度は痛みを訴える涙に置き換わったとでも言うべきか―――
泣く事に関してもルディアは渾身の力を振り絞っていた。

「どこも痛くないですか? 膝っ小僧を擦り剥いたりしていません?」
「くすん―――うん、もう平気なのっ! マリちゃんの優しさで、ルディア、元気100%なのっ!」

 急いで走り寄ったマリスが怪我をしていないかを確認すると―――誰かの優しさに触れると、途端に喜と楽へ表情が一変。
マリスの胸に飛び込んで心配して貰ったことを嬉しがるルディアの感情は、ここでも極端な変化を見せた。

 “機械のよう”とタスクが言い例えた通り、ルディアが面に出す感情のシャッフルは極端で、
喜怒哀楽の自己主張がそれぞれ異常なまでに強い。
 愉快なものへ触れると極端に「喜」や「楽」を出し、少しでも悲しみに直面すると「哀」へ全力で埋没する。
「怒」の感情は今のところまだ出していないが、おそらく他の三種同様に顕著なのだろう。

 四種の感情の切り替えが激しいことに加えて、ルディアの感情表現には“中間”も無かった。
 例えば「好奇心と楽しさの中に少しだけ未知に触れる恐れを内包している」というような具合の、
それぞれのカラーを混ぜ合わせて細かな感情を彩る術をルディアは持ち合わせていないようだ。
 TPOを考慮して感情を抑えることはない。堪えることもない。外見以上にルディアを幼く感じるのは、
突飛な感情表現にも遠因が含まれているのは間違いなかった。

「そんなに走り回っては危険ですのよ?」
「はーい、ラジャっ♪」
「迷子にならないようにわたくしたちの姿が見える範囲にはいてくださいね」
「これまたラジャ〜っ♪」

 感情のシャッフル以上にフィーナを戸惑わせたのは、フィガス・テクナー全体を包む冷たい空気だ。
 ルディアが転んでベソを掻き出したとき、手を差し伸べようとした人間はただの一人もいなかった。
「大丈夫かい?」「気をつけなきゃダメじゃないか」と言う声の一つもかからなかったのだ。
 ルディアの周囲に誰もいなかったというのなら話は別だが、ベソを掻く彼女の近くではスーツ姿の大人たちが何人も行き交っており、
一瞥をくれる者も少なからずいたのだ。
 にも関わらず彼らはワンワンと泣き喚くルディアを黙殺し、冷めた視線を行方に戻して立ち去っていった。

 心ない一人がルディアを黙殺したのではない。ルディアの周囲を行き交う誰もが彼女を黙殺した。
 大都市のルナゲイトにも少なからず他人を省みない風潮はあるが、
顔面から転んだ子供を前にして見向きもせずに立ち去る心無い大人はいなかった。
 ルナゲイトとフィガス・テクナーの差異を測る材料に必要なのは、どうやらテクノロジーの高低よりもそこに暮らす住民の心のようだ。
 ルナゲイトとフィガス・テクナーに決定的な差異を見出したフィーナは、
この都市へ急に寒々しさを覚え、町並みも、行き交う人も、フィガス・テクナーを構築する全てのものの表情が白々しく思えて来た。

 どれだけテクノロジーが発達していようとも、自分たちの識るエンディニオンには無い物資がショーウィンドーで輝いているとしても、
人の心が冷え切ったようなフィガス・テクナーに住みたいとは思えない。
 自分たちにとってこの都市が異質であるように、転んだ相手に手を差し伸べる甘っちょろい存在は
この都市にとって異質なのかも知れない。
 フィガス・テクナーに充満する、不干渉が当たり前であるかのような空気がフィーナにはとてつもなく息苦しかった。


「ふわわわわわーっ♪ あれ、クレープのお店かな? ロールケーキ? シフォンケーキ?
疲れたときは甘いものがイチバンって、ハカセも教えてくれたの〜っ!」

 どうやら重苦しい感慨に浸る時間さえ、興奮のるつぼにあるルディアは与えてくれそうにない。
 行き先にクレープ屋を見つけ、そこに向かって猛ダッシュしていく。まるで生肉を前にした餓えた狼のような食いつきだ。
 フィガス・テクナーが放つ冷たさを微塵も感じず、楽しげなことにだけ注目できるルディアの感覚は、
彼女にとっても、それを見守るフィーナたちにとっても救いだった。
 ものの一時間前に“おともだち”を喪失し、心に痛みを残しているであろうルディアには
フィガス・テクナーの冷気に囚われて新たな傷を負っては欲しく無かった。

「またあんなに走り回って。………子供のはしゃぐ姿は、東の陽の光に映える朝露と同じように眩しく、
清々しいものですわ」
「マリスさん、随分とルディアちゃんを気に入ったみたいですね?」
「さっき、あのコが転んだときなんかすぐに飛んで行ったものね………あたしにはムリだわ」

 「恋人しか眼中に無いな、この人」と誰もが思ってしまうほど、アルフレッド以外にさほど興味を示さないマリスが
ルディアに対して並々ならない関心を寄せる様子は、意外と言えば意外。珍しいと言えば珍しい。
 フィーナとハーヴェストに揃って首を傾げられたマリスは苦笑いを漏らし、
傍らに控えたタスクはちょっとだけ困ったように眉をへの字に曲げていた。

「なんと言いますか、羨ましいのです、ルディアさんの元気な姿が。
………きっと、在りし日の幻をルディアさんに重ねているのですわ」
「在りし日?」
「子供の相手と同じくらい詩的な表現が苦手なのよね、私………」
「小さい頃から身体が弱くて………走り回ることはおろか、外に出ることも難しくて………」
「―――あっ………」

 どこか複雑そうなタスクの様子に気付き、何かマズいことを聴いたのかと心配していたフィーナはマリスのその告白で全てを悟り、
やはり自分がタブーに触れてしまっていたことに唇を噛む。

 今は快癒しているが、かつてマリスは不治の遺伝子病――ネクローシスの染色的増幅とアルフレッドは話していた――を患い、
生き地獄さながらの苦しみをそのか細い身体に刻み込んでいた。
 遺伝子病を発症する以前から病弱だったともアルフレッドは話していたが、
身体が丈夫でないのは生まれついての体質だったらしく、当時の苦い想い出にフィーナは踏み込んでしまっていた。

 身体が丈夫でないせいで、活気に溢れた外界をガラスの向こう側に焦がれることしか出来ずにいたマリスにとって、
深窓をも突き破って飛び出して行きそうなルディアの底抜けの明るさは、単なる眩しさ以上の意味を持っているのだ。

「ごめんなさい………私、今、ひどいことをマリスさんに―――」
「え? あっ、ああ―――お気になさらないでくださいまし」
「でも………私………」
「フィーナさんに暗い顔は似合いませんよ。もしわたくしに気を使ってくださるのなら、闇夜に落ちず、
輝いてください。群雲にも遮られないフィーナさんの笑顔は、わたくしにとって活力の一つなのですから」
「マリスさん………」

 知らなかったとは言え、踏み込んではならないタブーを荒らしていたことを心から陳謝するフィーナにマリスは首を振って微笑を返す。

「昔のことは昔のこと。今が幸せ過ぎて、昔の苦しみも忘れかけていますのよ、わたくし」
「え?」
「アルちゃんの傍にいられて、素晴らしい友達と出逢えて―――わたくしは生まれて初めて青春の美しさを
身体いっぱいに堪能しているのです。心の底から幸せだと謳歌しているのです。そんな幸せ、
世界中探したって現在(ここ)にしかありませんわ」
「………………………」

 曇り一つ無い晴れやかな声で幸福を歌い上げるマリスの笑顔がフィーナには見ていられず、
必死の作り笑いで取り繕いながら、そっと彼女から瞳を反らした。
 反らした直後………いや、マリスの笑顔を見た直後に胸の奥に感じた言いようの無い痛みはやがて悪魔へと姿を変え、
卑しく膨れ上がった唇から痛烈な罵声をフィーナの耳元に吹きかける。


 お前は醜い女だ――――――と。


 人生の青春と謳われたマリスの幸福は、全てが欺瞞の上に成立していて、彼女自身はその事実をまだ知らずにいる。
 アルフレッドが誰よりも自分のことを想ってくれていると信じて疑わないマリスには、
その陰で、彼がフィーナへ本当の想いを囁いていることを知る由も無い。
 親愛を感じているフィーナが、アルフレッドの妹として誰よりも信頼を置いているフィーナが、
マリスとの友情に胸を張って応えてはくれないことを知る術も無い。
 ………まして、アルフレッドとフィーナがマリスの目を盗んで睦み合う光景など想像したこともないだろう。

 当たり前である。“兄妹”で睦み合うことは常識では考えられない禁忌だ。倫理からして外れている。
 少なくともマリスの中では、アルフレッドとフィーナは倫理を外れぬ“兄妹”だった。

 全てが欺瞞だった。塗り固められた欺瞞がフィーナへ執拗に囁きかけていた。


 お前ほど醜い女はこの世界中のどこにもいない――――――と。


 本当のことを言い出せないから、かつて結んだ恋の“疑似体験”を続けているだけであって、
アルフレッドはフィーナこそ自分の一番だと強く想っている。
 まるでマリスの想いなど知ったことではないとでも言うかのように、
彼の想いの中心にフィーナ以外の誰かが割って入る余地は僅かもない。
 その事実を知らず、この幸福が覆る結末など想像もせず、人生は幸福だとマリスは謳い上げた。

(………私は………本当にひどいことを―――ううん、ひどいなんて、そんな一言では済む筈のないことを………)

 彼女の美しい賛美を聴けば聴くほど、フィーナは自分が醜く思えて仕方が無かった。

 アルフレッドがマリスに真実を打ち明けるまで自分たちの関係は伏せておこうと提案し、
そこに待ち構えているだろう辛苦の道を覚悟したフィーナではあるが、
考えていた以上に欺瞞から跳ね返るダメージは重く、心の芯にまで響いた。


 欺瞞を引き伸ばすだけの秘め事を続ける自分の手を、マリスは掛け替えの無い友達だと言って握ってくれる。
 ………辛くてどうしようもない。

 アルフレッドを諸悪の根源と見なす仲間たちは、フィーナこそ最大の被害者だと口を揃え、優しく気遣ってくれる。
 ………苦しくてどうしようもない。

 欺瞞の幸福を謳歌するマリスを嘲笑う形で結ばれた本当の想いを、アルフレッドは必ず報われると頷いてくれる。
 ………悲しくてどうしようもない。


 欺瞞の上で作られた幸福と踊るマリスと、欺瞞の下でアルフレッドと睦む自分―――
錆びたコインのように表裏一体となった三者の運命は救い難い業に縛られている。
 この業を断ち切れるのはアルフレッドの懐にある言霊の短刀だけで、
自分は真実が閃く瞬間が訪れるのを待つ身だが、三者の枷たる宿縁の果てにマリスは何を見出すのだろうか。
 幸福を謳歌していた喉は次にどんな言葉を生み落とすのだろうか。

 アルフレッドが想っていてくれる限り、最後に揺るぎない幸せが待っている自分と異なり、
マリスは最後にあらん限りの絶望を味わう悪夢のシナリオへ辿り着く。
 幸福だと信じて疑わなかった人生が不断の欺瞞だったという事実の刃で胸を貫かれ、
心を砕かれるのは想像に難くない―――あまりにも辛すぎて、情景の想像すらフィーナには出来ない。
 悪夢の待つマリスに対して自分だけは必ず幸せになれる―――本当の想いを紡ぐ人間の余裕でも傲慢でもなく、
現実として宿縁の結末を見据えたときに浮かび上がるのは、残酷なくらいに分かれた明暗だ。
 片方が想いを遂げて幸福を手に入れ、片方が絶望の底に叩き落される。
最後に迎える結末はニ通り。既にどちらの道も迎える者を選んでいた。
 誰かを踏み躙ってまで自分の幸せを求めたいとは思えない。ならばいっそ………。


 どうしようもなく醜いな。よくもそこまで恥を晒せるものだ―――また悪魔が囁いた。


 あるいはそんな風に考えることこそが幸福を享受できる者の傲慢に違いなく、
一瞬でも高みからマリスの身を案じてしまった自分が醜くて、穢れて思えて………。

(………そうだ………私はどうしようもない人間なんだ………)


 ―――気付くのが遅過ぎるんだよ。自覚の次は言い訳か? どうするつもりだ、この先?


 心の中に落とされた呟きへ頼んでもいないのに悪魔が答える。
 痩せ細ったフィーナの心を鷲掴みにして握り潰そうとする悪意に満ちた言葉で。
 悪魔―――違う、悪魔などではない。自分で自分の傲慢を見極めた時、
残酷な現実を突きつけるモノの正体もフィーナは悟っていた。

(………逃げないよ。アルと二人で決めた道なんだ。絶対、逃げない………)

フィーナの心を追い詰め、マリスへ向けられた傲慢を嘲笑する悪魔は、フィーナ自身だった。

「―――フィーナさん? どうなされたのですか? 顔色が優れないようですけど………」
「………大丈夫。この街の雰囲気が肌に合わなくって………慣れればすぐによくなると思うから」

 親しみを込めて微笑みかけてくれるマリスに友情を感じぬわけもないフィーナだが、
気を許しそうになると心の奥を蝕む欺瞞の病理が痛みでもって訴えかける。
 「お前にマリスと友情を結ぶ権利は無い。絆を深めれば深めるほど、マリスに残酷を強いるだけなんだ」―――と。
 精神から回って全身を巡る痛みが教える現実は、意識を失いかけるくらい苛烈だった。

「辛かったら、いつでも仰って下さいね? 万事に不得手なわたくしでは激励しか出来ませんが、
タスクは医師免許も持っていますので。―――診察を任せても問題ないわね、タスク?」
「お任せください。ご気分が優れないときの為の錠剤も常備しておりますし、………精神的なケアにも心得がありますから」
「………ええ………大丈夫………です………」

 気遣いをかけられる度、フィーナは自分自身を奮い立たせなくてはならなかった。
 胸の奥を千々に裂く痛みを耐え忍び、マリスの優しさにせめて笑顔を返せるように懸命に。

「みんなみんな、こっち来てこっち来てっ! とってもステキな物を見つけたのっ! 早く〜早く〜♪」

 女の子向けのアクセサリーを販売する露店の前でピョンピョン跳ねつつ、
「おいでおいで」と手招きするルディアの混じり気の無い明るさが、欺瞞の瘴気に巻かれるフィーナの眼には痛かった。

「―――………」
「………タスク………?」
「………お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね。………その………胸が一杯になってしまいました。
ご幼少の頃よりマリス様にお仕えしている身としましては、あのように元気でいられる今のお姿は、
たまらなく嬉しいものでして」
「………本当にそれだけ………? ―――見つめているのはマリスだけじゃないでしょ?」
「ルディア様も、………フィーナ様も、本当に眩しく思いますよ。もちろん、ハーヴェスト様も、です」
「自慢じゃないけど詩的な表現は苦手よ、あたし。でも、ニブチンじゃないわ。………あなたは眩しさ以外に何を見ているの?」
「在るがままの世界ですよ。………在るがままの―――」
「………………………」

 目一杯明るさを取り繕い、マリスの手を取ってルディアのもとへ駆けていくフィーナの後姿を
タスクが痛ましくもやり切れないような眼差しで見つめていた。
 底が見えない深さにまで沈んだ彼女の瞳は静かな哀しみに満たされており、
それを見つけたハーヴェストの訝るような呼びかけに対しても、少し湿った声で答えを返した。




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