3.ふたつのエンディニオン


「つまり、俺たちとラスたちのエンディニオンは限りなく近いようで実は全く異なる世界と言うことか。
………そんなおとぎ話のようなことが現実に―――?」
「まさかと思ったけど、俺たち、本当に異世界に迷い込んでたってわけか!?」

 驚嘆の声を殆ど同時に重ねたアルフレッドとニコラスは、
これまた示し合わせたかのように椅子を蹴飛ばして立ち上がり、動揺が満面に広がる顔を突き合わせた。
 同じ結論に至った二人だったが、互いにその事を飲み込めず、戸惑ったように視線を混乱させる。
 焦るあまり制御が異常になり、右へ左へと忙しなく溺れる視線は、
長テーブルに列席にした仲間たちの様子を捉えたが、誰もの顔にアルフレッドたちが浮かべたものと同種の表情(いろ)を確認できた。
 アルフレッドとニコラスが同時に叫んだ“ある結論”に誰もが理解の限界を来たし、思考を飽和させていた。

「にわかには信じられん話じゃが、これまでに得られた材料を手がかりに推論した結果じゃよ」
「にわかにも通にも信じられへん話やで。わやくちゃになってもうて、わけわからんわ」

 年長者のジョゼフやディアナはまだ冷静なほうで、眉間に拳を押し当ててなにやら深く思索に耽ってはいるものの、
取り乱すような真似はしなかった。
 ホゥリーもホゥリーでパイプ椅子に凭れ掛ったまま騒ぐことなく瞑目しているが、
こうした話し合いに全く興味を示さない彼のこと、瞑目によって精神を統一し、結論の模索を試みる―――ハズもなく、
固く腕組みされた肩は規則正しく上下運動を刻み、末席でなければ公害レベルの迷惑を及ぼしていただろう高いびきを上げていた。
 鼻ちょうちんのおまけ付きという丁寧な仕事振りには、アルフレッドも思わず手元の灰皿へ手を伸ばしそうになった。

「何が『推論した結果じゃよ』だァッ!! てめぇら、頭脳派はそれでOKかも知れねぇがなぁ、
体力派のこちとら、理解度ゼロでキレそうなんだよッ!! オレにもわかるよう噛み砕けや、オラァッ!!」
「今更、お前の性情をどうこう言っても仕方無いが、もう十二分にキレてるだろ」
「アル兄ィまで、なんなの、その涼しげな顔ッ!? 難しい話は大人向けで、子供の相手はしないってコトぉッ!?
不公平だッ!! 横暴だぁッ!! 子供科学番組レベルの解説をよーきゅーするッ!!」
「………フツ、お前、どう責任取ってくれるんだ。シェインがすっかり染まってしまったじゃないか」

 堂々たる居眠りで皆をいらつかせるホゥリーではあるものの、見方によっては、問題を起こさないだけまだマシとも言える。
 隣同士に座ったシェインとフツノミタマなどは混乱によって生じたストレスが暴発し、怒声を上げる始末である。

 ………フツノミタマの荒っぽさが段々とシェインに伝播し始めている気配が感じられるのだが、
これはアルフレッドの気のせいではあるまい。
 悪い影響を受けていない頃―――つまり、無垢な頃のシェインしか知らないルノアリーナあたりが目撃したら、
ショックのあまり、卒倒してしまうかも知れない。

「限りなく近くて全く異なるとか言われても困るんだけど。いやね、お前らが何を言いたいかはわかるよ?
なんつーか、こう、ニュアンスだけね。詳しい説明はできねぇけど、ニュアンスっぽいのは伝わったさ。
伝わったけど………え、待った待った待った、やっぱダメだ。ニュアンスもダメだわ。
発想が突拍子無さ過ぎで、俺サマの頭、もう真っ白だわ」
「貴様お得意の理論で考えてみろ。言語、文化、大陸のいずれもが近似する世界だからライアン殿は、
限りなく近く、それでいて異なる世界と仰せになられた。
ニコラス殿の話した通り、小生らは近似した異世界に迷い込ん―――
そ、そっ、え? では何か? ワタクシたちは違う世界に迷い込んだってことでございますの!? 
で、では、このフィガス・テクナーは一体どちらの世界の………は、はうううううっ!?」

 唐突な成り行きからフィガス・テクナーへ戻ってきた際に前後不覚の大混乱を晒したアイルとダイナソーは、
ご多分に漏れず今度もパニックを起こし、呂律すら回らない醜態で目を回している。

「珍プレー好プレーで使えそうな面白フォトジェニックが満載だわ。
絶対笑ってはいけない会議中にあえてウケを取りに行くトサカ頭とツンケンメガネッ娘! 色々な意味でウケるわね」
「当人たちは真剣に悩んでるんだから、やめときなって、トリーシャ」

 白を基調とした事務室――アルバトロス・カンパニーの社屋だ――に設けられた長テーブルには、
東側にアルフレッドたちが、西側にアルバトロス・カンパニーがそれぞれ列席している。

 アルバトロス・カンパニー社屋の事務所に集まって難しい顔を突き合わせた一同は、
異様な緊張感に包まれ、誰の表情にも混乱の相が滲んでいる。

「あー、そちらのルナゲイトさんが言うには、どちらの世界がどちらの世界に迷い込んだという点がわかってきて、
んー、つまりは、うー、例えば………」
「議長に代わって要約させてもらうが―――御老公のネットワークを駆使して情報を収集した結果、
俺たちがフィガス・テクナーへ迷い込んだのでなく、
ニコラスたちが限りなく類似する世界に迷い込んだという可能性が濃厚になってきたということだな」
「左様。ワシらのほうが異世界へ転位された可能性を潰す為にの。エンディニオンの置かれた状況を確認し、
判断材料をかき集めれば、おのずと混沌も整理出来よう。息詰まった事態を打破するアイディアと言うのは、
案外、混沌の先に見つかるものじゃて」
「俺っちもちょいと聴き取り調査をしてみたぜ」
「あー、えー、あなたは、えっと………」

 自信が無いのか、言葉を紡ぐ前後に「あー」とか「うー」と低い呻き声を接続しているのは、
このミーティングの為に事務所を開放し、議場の準備一切を取り仕切ったアルバトロス・カンパニーの社長…通称、ボスだ。
 きちんとした自己紹介も無かったし、社員たちも口を揃えて「ボス」と愛称で呼ぶので本名はわからない。
 筋骨隆々とした巨体にスキンヘッドとサングラスの取り合わせは、
成る程、マフィアのドンを指すような「ボス」なる愛称が恐いくらいに似合っている。
 この席に於いてチェアパーソンの役割を務めるボスは、社員たちに挟まれる形で西側中央に座しており、
人並み外れて厳つい顔へしきりにハンカチを押し当てている。
 頭皮の躍動が透けて見えるスキンヘッドには脂汗とも冷汗とも知れない水滴が幾つも玉を結んでいた。

「あ、俺っち? 俺っちはヒュー・ピンカートン。探偵さ。名刺、いる?」
「………ヒュー」
「ジョークが通じねぇなぁ、アルは。はいはい、ジョーク抜きね。睨むなよ。―――で、
フィガス・テクナーの皆様に聴き取りしてみたんだが、誰も彼も異口同音よ」
「『気付いたら黒煙を上げる遺跡が街の真ん前に現れていて仰天した』―――か?」
「『よくよく辺りを見回してみりゃ、見たこともない町がいつの間にか隣に出来ていた』も加えておくぜ」
「『しかも、風景に違和感が見つかった。そっくりな地形なのに何かが違った』って意見もあったんじゃない? 
僕は専門家じゃないから当てずっぽうだけど」
「おい、みんな! 後でネイトがノーロープバンジーに挑戦するってよ。盛大に壮行会を開いてやろうな〜」
「………ヒューさん、見せ場を横取りされたからといってちょっと大人気無いですよ。ノーロープを敢行するなら
せめてプールのジャンプ台からにしてあげないと。………と言うわけで、ネイトさんのチャレンジ演目は、
地上三百メートルからのムササビダイブに変更で。頑張ってくださいね、ネイトさん」
「どいつもこいつも笑顔でサラリとッ! ムササビダイブってことはアレでしょ? 腹から逝けってコトでしょ? 
死ぬよ!? めちゃくちゃ死ぬよッ! 君たち、そこまでしてインスタント轢死体が見たいわけッ!?」
「いいから、セフィも変に煽るな。話を元に戻そう。………議長、進行をお願いします」
「―――んあ!? あ、私? あー、私か、そうか私だな………えー、我々フィガス・テクナーが異世界に
迷い込んだ可能性が、あー、ビュー・インカピリアさんやサンフィールドさんの調査で、うー、わかって、んー」
「誰じゃ? ビュー何某とは? はて、記憶に無い名前じゃが………ワシにも来るべき時が来たかの?」
「サンフィールド! 名前に太陽を冠してるなんて粋じゃねぇか!」
「え? え? え? え? え?」
「………間違ってンじゃないよ。ピンカートンとルナゲイトだよ、ボス」
「なッ!? えぇッ!? こ、これはとんだ、しつ、失礼ををッ!!」

 事情を飲み込みきれていないアルフレッドやニコラスに代わってチェアパーソンを務めるボスだったが、
どうも彼自身がテーブル上に持ち込まれた議題を持て余している様子である。
 議事進行は痛ましくなるくらいたどたどしく、言葉を噛むこと二十回目にしてついにフツノミタマから
「アル公、てめぇが代われッ!」と戦力外通告を出されてしまった。

「ボス―――今、指名のあったアルフレッドさんは非常に聡明で頭の回転も早い方です。
社長も僕らの失踪の件でお疲れですし、休息を兼ねて議事進行を彼に預けてはどうでしょう?
頭休めが済み次第、改めて社長に進行役を戻すとして」
「お、おぉ。そうか、そうなのか。うん、わかった。トキハのお墨付きなら私としても安心だ。
ええっと………ライアンさんと言ったかな? そういう訳で、ひとつ頼むよ」
「な、何?」
「僕らを助けると思ってお願いします、アルフレッドさん。社長は、ほら、大分お疲れみたいでして」
「うむー、そう言えば頭もクラクラしてきたぞ。血が昇ってしまったかな?」

 社員の手前、みっともない姿を見せるわけには行かず、引くに引けないボスではあるものの、
正直、チェアパーソンの役目は彼には重過ぎた。
 西と東に分かれた双方の中で最も議題に関する知識を得ているボスだが、
世の中には有した知識を、具体性を帯びた分析へ直結できない人間がいるように、
彼もまたチェアパーソンとして議事をさばけるだけの理解に到達してはいなかったのだ。

 なのでトキハの出してくれた助け舟は、まさに渡りになんとやら。
 咳払いでチェアパーソンの威厳を誇示し、より能力の高い人間には権限の譲渡も厭わないと言う度量の大きさを演出しながら、
フツノミタマに名指しされたアルフレッドへ議事進行を委ねた。

「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」

 もちろん、長年付き合いのある社員にはお見通しである。
横並びに列席しているニコラス、ダイナソー、トキハの三人は呆れたような顔を見合わせた。
 ボスを挟んだ向こう側に着席するアイルとディアナも全く同じことをしているのが傍目にはおかしく、
しかし、ボス本人にはなかなかショッキングな光景だった。
 そっと頬のあたりへハンカチを押し当てたのだが、おそらく汗を拭う為ではあるまい。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。あまりに乱暴な話じゃないか。気持ちの準備が出来ていないぞ、俺は」
「ええやん、アルのシキリやったらワイらも安心、向こうも安心で花の二重丸や」
「俺っちも賛成に一票〜。いつも通りにやればいいだけだろ。ラクな仕事じゃねーか」
「僕も僕も! どうせなら多数決でも取ろうか! ちょうどイイ感じのアルミ缶があるし、投票箱、作る?
投票するまでもないと思うけどさ」
「おっと、折角の民主主義に私の有効票が生かせないのは面白くありませんね。
公平な選挙でしたらアル君の尊ぶ法律も納得でしょう? 民主主義ですよ、アル君」
「てゆーか、アル以外に考えられないんじゃない? アルの説明って、回りくどいようで細かいから記事へ起こすのに便利だしね」
「トリーシャまで………ったく、お前らなぁ〜………」
「ガタガタ抜かすんじゃねぇや、クソガキがッ!! 四の五の言わずに仕切ってりゃいいんだよ、てめぇはッ!!
同じベラベラ喋るなら、言われた通りにしとけやッ!! 揚げ足取るの大好きだろ? なんちゃって仕切り屋だろ?
弁護士らしい仕事が出来て幸せモンじゃねぇか! えぇ、コラッ!?」
「とんだ偏見だ! 風評被害も甚だしいぞ!」
「なんべんも繰り返さすなっつってんだろッ!! いいからやれッ! やれやッ!! 好きなだけ喋れッ!」

 途方に暮れたのは、突如としてチェアパーションに指名されたアルフレッドのほうだ。
 能力を買われての指名は悪い気はしないものの、自分で考えながらも鼻で笑っていたSF小説顔負けの仮説が
現実味を帯びてきたことには、彼自身、頭の中で整理が出来ていない。
 とてもチェアパーソンを務める余裕などなかった。
 そんな精神状態のまま無責任にチェアパーソンの役目を引き受けて粗相をすれば、
いたずらにテーブルを混乱させるだけだとわかっているアルフレッドは、
せめて整理が付くまで猶予を与えて欲しいと即座に固辞を表明したのだが、フツノミタマがそれを却下。
 シェインも彼に続いてアルフレッドを強く推し始めた。

 何の権限があってフツノミタマとシェインがアルフレッドの固辞を却下出来るのかはわからないが、一事が万事この様相。
 下手にも程があるボスの議事進行にストレスが溜りまくっていたフツノミタマは、
半ば理不尽なキレ方でアルフレッドに迫るが、口に唾して恫喝する彼のスカーフェイスがみるみる快活さを取り戻していくのは
どういう原理なのだろうか。
 能力があるくせに行使を躊躇する彼へ喝を入れたいのか、ただ単にストレス発散がしたいのか、
本当の目的がわからなくなるような怒鳴り方だった。

 止せば良いのにシェインはおろかローガンまでもがチェアパーソン推薦に挙手し、
アルフレッドに降りかかった傍迷惑はいよいよ切羽詰ってきた。
 ヒューやセフィに助けを懇願する視線を向けるが、二人揃って肩を竦めて見せ、我関せずと無言で返し、
ネイサンに早々にそっぽを向いてしまっていた。
 ………反らされてしまってよく見えないネイサンの口元が、両の肩が笑気に揺れたのを見過ごさなかったアルフレッドは、
議場が捌けたら彼を速攻で蹴り倒そうと決意したが、
なにはともあれ、報復を誓うより先に目の前に迫った窮状を切り抜けなくてはならない。

「わかった、わかった。ここはあたしがシキらせて貰うよ。誰がやる、やらないで揉めてたんじゃあ、徹夜したって終わりそうに無い」
「あ、それナイスアイディア! 第三者的な人が間に立って取り仕切ってくれると、結構、上手く行くしね! 是非ゼヒよろしくです」

 西側の末席で事の次第を見守っていたゲレル・クインシー・ヴァリニャーノが見るに見兼ねて口を挟まなければ、
いつまで経っても議事は進行されなかっただろう。
 トリーシャが絶妙のタイミングで合いの手を入れ、停滞していた議事は速やかに進んでいった。

 彼女はフィガス・テクナーの住人でも、アルバトロス・カンパニーの社員でもないのだが、
ある事情があってこの席に列している。
 その事情と目的、彼女の胸元に付けられた『失踪者捜索委員』なるネームプレートについてはひとまず保留とし、
議事の成り行きに注目しておこう。

「………ボスの進行は合いの手も入れられないお粗末さ、か………」
「………………………」

 溜め息混じりのニコラスの呟きを耳で捉えてしまったボスは、人知れずそっと目元を拭った。

「ゲレルさん………だったかな? とにかく議長はあなたにお願いしたい。せっかくの指名だが、
事情を飲み込めていない俺では力不足もいいところで―――」
「―――クインシーだ」
「は?」
「あたしのことはミドルネームで呼んどくれ。クインシーってね」
「は、はぁ………」
「とりあえず、これまで話し合った内容を整理しようじゃないか、一旦。混乱している人間も少なくないようだしね」

 ゲレル…もとい、クインシーの取り仕切りを受けて、改めて議題を振り返る一同。
 ―――唐突に始まったミーティングのあらましから、一同を混乱に陥れた“ある結論”へ到達するまでを振り返ることにしよう。







「あまり混乱を煽るような真似はしたくないんじゃが、ルナゲイトの特派員から連絡が入った。それも複数同時に。
………ワシらの前で起こった怪現象がエンディニオン各地で頻出しておるそうじゃ」

 そもそもミーティングが設けられた発端はジョゼフの部下から入った奇妙な一報だった。
 フィガス・テクナーという都市が丸ごとテレポーテーションして来たことだけでも大事件だと言うのに、
同様の怪現象がエンディニオン全土で同時多発的に起きているとジョゼフの部下たちが報せて来たのだ。
 事件の大小を論じればキリは無いが、それでもテレポーテーションして来たのがフィガス・テクナーのみであれば、
偶然が呼んだ怪現象の一つとしてもう少し冷静に対処出来たのだろうが、同時多発的な発生となると話は別。
一気に緊張が増してくる。

 リアルタイムでジョゼフのもとに送られてくる情報によれば、
ロイリャ、ミキストリ、アクパシャを始めとする各地方でフィガス・テクナー級の都市がほぼ同時刻にテレポーテーションし、
近隣町村に多大な混乱を招いていると言う。
 偶然にせよ、考えられないが人為的な現象であるにせよ、世界規模の怪現象がエンディニオンを蝕んでいる以上、
早急に対処(て)を打たなければなるまい。

「こちらもこちらで飛び上がりましたよ。神隠しに遭った人間がひょっこりと、それも雁首揃えて帰って来たんですから。
社員と合流できたと言うことは、きっと他の失踪者も遠からず家族のもとに戻れるでしょうな―――良かった………」

 原因究明の為、アルバトロス・カンパニーやフィガス・テクナーの住人数名が参加してのミーティングが急遽セッティングされたのだが、
彼らも彼らでアルフレッドたちと交換したい意見を持ち寄っていた。
 ボスの話では、ニコラスたちは数ヶ月前から神隠し的に失踪したことになっており、
通報を受けたシェリフ(保安官)たちが血眼になって捜索していたと言うのだ。
 そして、失踪の確認された日は、迷子になった日とことごとく一致していた。
 ニコラスたちは知らない内にアルフレッドたちの暮らすエンディニオンへ迷い込んでいたと考えるのが自然だ。

 問題はフィガス・テクナーだけでなく各都市で同様の失踪者が頻発していた点。
 おそらく失踪したという人間は、ニコラスたちがそうであったように、
知らない間にこちらの世界=異世界へテレポーテーションしてしまっていたのだろう。
 異世界に転位してしまっているのだから、いくら捜索に注力しても見つからないわけである。

 ニコラスを皮切りに次々と迷子たち――つまりはアルバトロス・カンパニーの面々である――と出会ってきたが、
それがまさかこう言う形で繋がると誰が想像できただろう。

「人の次は物質、都市か………。気のせいであって欲しいが、段々と転位する対象が大きくなっているな」
「お次は島か、大陸あたりが飛んでくるんじゃねぇかって踏んでるんだけど、俺サマ。なんなら賭ける?
歴史的なギャンブルになると思うぜ、コレ」
「不謹慎だぞ、貴様………世界的な被害に対してあまりに軽薄だ。恥を知れ。知って弁えろ」
「被害なんて出てねーだろ、とりあえずのところは。だったら楽しまなくちゃ損だぜ、損。
こんなビッグイベント、人生の内で巡り会うチャンスはそうはねーよ」
「あれだけテンパッていた人間とは思えないな。二人とも、もう落ち着いたのか?」
「アルのほうこそ落ち着けたんかい? ―――って、聴くまでもねーか。
あんだけ上手いコト、司会をこなせてりゃ心配なんて愚問だわな」
「このトサカ男はどうか知らないが、小生も精神鍛錬には些少の心得があってな。お陰様で持ち直したよ。
………出来ることなら取り乱してしまった醜態は忘れて欲しい」

 フィーナたちは、リーヴル・ノワールでの一件以来、
気落ちしているルディアを励まそうと街へ繰り出していてミーティングには列席していないが、仮に参加していても五分持つか、どうか。
 上手くパニックをコントロール出来るダイナソーやアイルのように器用ではないフィーナのこと、
目を回して退席するげっそり顔が目に浮かぶようだった。

 それだけエンディニオンを同時多発的に襲った問題は難解で、知恵者と呼ばれる人間が結集されても答えを見出せずにいた。


「ヒュー、悪い。火、貸してくれ」

 難解な問題を頭の中で整理する内に行き詰まりを覚え、一息つきたくなったアルフレッドは、
ローガンの前に置かれた未使用の灰皿を手繰り寄せると、ズボンのポケットから何やら四角い箱を取り出してその中身を一本摘み出した。
 隣席のローガンだけが、アルフレッドが指先に摘んだ細い筒と四角い箱の正体に気付き、目を点にさせた。

「ん? ………火?」
「オイルライター持ってたろ、確か」
「貸すのはやぶさかじゃねーけど、何に使うん?」
「こういう席でライター借りる理由と言えば一つしかないだろ」

 ヒューが投げて寄越したオイルライターを空中でキャッチし、
慣れた手つきで小さな火を熾したアルフレッドは指先に摘んでいた白く細い筒…煙草を咥え、その尖端を軽く炙った。
 たちまち紫煙が上がったそれをアルフレッドは美味そうに燻らせた。

「マーシュラム・クロフト作の『ジョリーロジャー』か。渋いのを持っているんだな。
今の相場だと―――600ディプロじゃ利かないだろう、これ」

 拝借したオイルライターの側面に施された銀の意匠へ物珍しそうな視線を落すアルフレッドだが、
そんな彼を見る周囲の目も、また好奇に満ちていた。
 アルフレッドが煙草に火を点けた姿をこれまで見たことが無かったネイサンたちは、
彼が喫煙家だったことをこの席で初めて知り、意外なものを見るような眼で彼の口に咥えられた白いピースに注目する。

 片手でオイルライターを扱う慣れた手付きからもわかる通り、これが初めての喫煙という訳では無いようだ。
 旅を共にする以前の彼を知らない仲間たちには意外に映る喫煙姿は、
実はアルフレッドにとって日常動作の一部なのかも知れない。
 喫煙者ではないローガンに気を使いながらではあるものの、アルフレッドは鈍色の煙を心底愉しんでいた。

 ただし、煙草を喫い始めた途端にシェインがジト目になったので、グリーニャにいた頃も決して歓迎はされていなかったのだろう。

「いっやー、誰かが喫い始めんの、待ってたんだよねぇ。アル様々だぜ。んじゃ、俺サマも一服―――」
「………………………」
「―――って、何? 何で取り上げちゃうわけ? それもわざわざこっちまで来やがって」
「………………………」
「だから持ってくなよ! それ、結構高ぇモクなんだぞ? 」
「………………………」
「オイィィィッ!? 握り潰すなぁ! 雑巾絞りじゃねーんだぞォッ!?」
「………………………」
「踏み潰すのもダメーッ!! ゴリゴリすなぁぁぁーッ!!」

 嫌煙の向きはアルバトロス・カンパニー内でも起こっているらしく、
アルフレッドに便乗して一服しようとダイナソーが懐から取り出したショートピースをアイルが無言で粉砕した。

 対岸の火事を見るアルフレッドや、やはり彼に便乗して葉巻に火を点けたヒューは、
なるべく向かい側に煙が行かないよう注意を凝らそうと頷き合った。
 ダイナソーの言葉では無いが、煙草と言えども安いものではなく、握り潰されてはたまらない。
 美味い煙を愉しむには、上手い嫌煙家との折り合い方が必要不可欠なのだ。


「―――さて、世界の錯綜についてだけど」
「並列宇宙と考えればいいのかな、今度のケースは」

 一服を終えたアルフレッドが議事進行の再開を切り出したとき、
東側の中央に着席しながら借りてきた猫状態だったフェイ――フツノミタマに指名もされず――が生真面目に挙手し、
このミーティングで初めて意見を述べた。
 エンディニオンに起こりつつある怪現象を説明する材料としてフェイは『並列宇宙』と言う言葉を用いた。

 『並列宇宙』とは、俗にパラレルワールドとも呼称される理論の一つだ。
 広義においては、ある一つの世界において成された選択より派生し、分岐した結果の世界を指す。
 例えば、YESとNOの意志表示。
 YESを選んだ場合とNOを選んだ場合では当然結果が異なり、そこから得られる未来の姿も異なっていなくてはならない。
 世界が分岐を起こして『並列宇宙』へ至るきっかけはまさにこの瞬間に訪れる。
 あくまで可能性の理論だが―――二者択一の選択が成された時点でYESの結果が導き、作り出す世界と、
NOの結果が導き、作り出す世界とが同時に生まれたことになる。どちらも選ばなかった場合の世界も、だ。
 基点を同じくしながらも結果という次元において枝分かれした世界は、
互いに干渉することなく並列状態を保ったままそれぞれ独自に進んでいくと言う。
 そうした世界の解釈、確率の世界を『並列宇宙』と学者たちは唱えている。
 実際にそうした宇宙が派生し、存在するのかは未だかつて誰も確認しておらず、当然ながら理論の域を出てはいない。

 実在の有無はともかくとして、物理学や量子力学の権威がしゃかりき証明の数式を組むその『並列宇宙』へ
フェイは二つの世界を説明する材料を求めた。

 成る程、無数の可能性から派生こそすれ二つの世界の起源が同じと言うことであれば、
これまでに生じた違和感の説明は不可能では無くなってくる。何しろ基点が同じなのだから、似ていて当然なのである。
 フェイの提唱した『並列宇宙』は一定の信憑性を備える仮説であった。

 だが―――

「俺もフェイ兄さんの意見に賛成―――したいところなのですが、どうも並列宇宙とは勝手が違うようです」
「え………?」
「第一に並列宇宙と言うものは、可能性の分岐から発生した限りなく近い世界です。でも、近くはあっても
互いに干渉し合うことはない。不干渉が不文律なんです」
「………………………」

―――自信を持って繰り出した『並列宇宙』の仮説だが、その先を見据えて思考を巡らせていたアルフレッドに
やんわりと却下されてしまった。
 慰めに「ドンマイ」と肩を叩いてくれるソニエや、皮肉っぽく「………ドンマイ………」と笑ってみせるケロイド・ジュースに
反応を返さないまま、フェイは挙げていた手を弱々しく膝の上に戻す。
 膝の上に置かれた手は固い拳を作っており、きつく閉じられた双眸には、失言を悔やむ羞恥が浮かんでいた。
 ………失言を反省する様子ではなく、アルフレッドに意見を却下されたことに対する後悔と羞恥が。

「アル君の話をベースに考えるなら………仮に二つの世界が干渉し合ったら、また別な並列宇宙が生まれるということですね」
「えらいややこしいこっちゃ。ムツカシイ話はちんぷんかんぷんやけど、なんや合わせ鏡みたいやな」
「セフィの推論通りだ。互いの世界に干渉が生じれば、また別な可能性の分岐が発生するよ。
だが、惜しい。今、論じているケースに可能性の分岐はあまり関係無いな」
「これは迂闊でした」

 セフィも推論をアルフレッドに却下されたが、フェイのように聞きかじりの言葉を提示するだけではなく、
学術的な知識に基づいて組み立てられた、極めて理論的なものだった。
 その点がフェイとは異なっていた。却下こそされたものの、フェイが組み立てたのは実に鋭い推論である。

「………………………」
「はいはい、落ち込まない、凹まない。こんな日もあるってば。こーゆー専門的な話は、専門的な知識を
持ってる子たちに任せなさいって。一人で何もかも背負い込む必要は無いでしょ? ね?」
「―――ああ………、………うん、わかってるよ………」

 学術的な知識に基づいた推論など、フェイにはとても真似できない代物だった。
 背伸びしたって手の届かない遥か高みにある代物が、フェイの目の前で飛び交っていた。
 英雄と呼ばれるには到底足りない人々が、フェイの目の前で遥か高みのやり取りを交わしていた。

「話を戻すが―――ラス、お前、マコシカの彼女にある物を届けたな?」
「か、彼女じゃねぇよッ!!」

 テーブルの脇に設けられたポットでコーヒーを淹れている最中だったニコラスは、
急に思いがけない話題を振られ、あわや熱い液体の入ったカップをひっくり返すところだった。
 アルフレッドの言葉には多分に冷やかしが入っており、冷やかされるだけの身に覚えがあるニコラスを大いに慌てさせた。
 東西合わせて二十近い視線が、それも生温かい視線がニコラスへ無言の冷やかしを集中砲火し、いよいよ彼の進退は窮まっていく。

「………………………」

 誰よりも鋭い眼差しを向けるヒューの口元は、たまたま目端に入れたローガンがギョッとするくらい引き攣りまくっていた。

「な、なんだよ、おい、みんなして………べ、別にミストと俺はそんなんじゃあ―――」

 ボスまでもが姦しい視線を浴びせ来るのを発見したニコラスの思考は、そこで気恥ずかしさのピークを迎え、
コーヒーカップを手に持ったまま、直立不動に硬直してしまった。

「俺サマたちがミストちゃんに届けた手紙がどーしたってんだよ」

 ニコラスの思考停止を察したダイナソーがそっと助け舟を出した。
 いつもは悪ふざけばかりしてニコラスに手痛いツッコミを入れられるダイナソーだが、
こう言う場合のコンビネーションは幼馴染みならでは。まさしく阿吽の呼吸だ。

「考えてみてくれ。互いに干渉しない世界にどうしてそんな手紙が存在するんだ?」
「それこそがパラレルではないのか? 並列宇宙は可能性の分岐だ。
Aの世界…便宜的に小生たちの側をそう分類するが、Aの世界にある手紙の“存在しない可能性”が、
そちら側…つまり、手紙の存在しないBの世界へ分岐した、と」
「手紙の有無によって分岐が発生したなら、それは並列宇宙だな。
しかし、ここで考えて欲しいのはAの世界にある手紙は、Bの世界に差出人がいる点だ」
「あ―――ちょっと待ってください、矛盾してません? 手紙の有無で分岐が発生したなら、Bの世界に差出人がいるのは変でしょう? 
分岐発生の辻褄が合わないよ」
「お、トキハが核心に近付いたぞ。アイルも負けていられないな」
「勝ち負けの問題では無かろうに………しかし、うん、切磋琢磨と捉えると面白味が生まれるな」

 議論が熱を帯びるのに合わせてスイッチが入ったアルフレッドは、
あれだけチェアパーソンを渋っていた割に仲間たちから飛び交う意見を取りまとめ、皆の抱く疑念に対する答えへと束ねていく。
 さながら熱心な大学教授による講義のようだ。

 役割を取られる恰好になったクインシーも憮然とするどころか興味深げにアルフレッドの“講義”へ聴き入っていた。
 ジョゼフもジョゼフで、限りある知恵を出し合って難題を解決しようとする若者たちの白熱がたまらなく愉しいようで、
あえて助言は出さず、見守るに終始している。
 ただでさえ皺だらけのジョゼフの顔は目を細めるとクシャクシャになってしまうが、
山並みに波を打った皺には彼の愉快な気持ちが表れていて、ふとその様子を目端に捉えたクインシーを微笑ませた。

「………………………」

 ただし、失言したまま俯くフェイにだけは別の意味合いに目を細め、時折、険しい眼差しを向けているが………。

「強いて矛盾を解く異説を求めるならば………Aの世界もBの世界も、可能性の分岐によって生まれた並列宇宙ではなく、
全く別の法則に則った世界。それが何らかの原因によって干渉が生じている―――ということでしょうか」
「そうだ、その通りだ。挽回したな、セフィ」
「ははは―――失敗したまま脱落するのは私も望むところではありませんからね。こう見えて負けず嫌いな性分でして」
「もともと独立した世界なのに、何かわけわかんねー現象が起きちまって、
手紙やら何やらが紛れ込んできたってか。そんなトコかね、プロフェッサー」
「ヒューまでエンジンがかかってきたな。あとプロフェッサーというのはやめろ」
「いや、俺っちも負けず嫌いなんでよ」
「おやおや、思わぬライバルが登場したみたいですね。これはウカウカしていられませんね」

 語れども語れども一向に解決の糸口を見つけられない平行線が続いているが、
アルフレッドと同じく熱の入ってきたヒューとセフィは無限とも言える難関をゲームのように捉え、楽しんでさえいる様子だ。

「………てめぇ、話の半分も理解できてっか?」
「全っ然。………でも、世界に隠された秘密みたいでワクワクするじゃん」
「………ワクワク、ねぇ………」

 彼なりに理解しようと努力して、その結果、お手上げの飽和状態と化し、ついに退席を決めたフツノミタマに対して、
シェインは理解できないレベルの難解な問題を楽しみに変える術を見つけたようで、
フィガス・テクナーに“冒険”を感じたときと同じように瞳をキラキラと輝かせている。
 シェインの様子に思うところがあったフツノミタマは、頭休めの欲求をグッと飲み込み、険しい目付きに腕組みしてその場に留まった。

「―――チッ、とっとと終わらせろよな、インテリ共め。キレんぞ、ド畜生………」

 いつもガキと呼びつけてせせら笑っているシェインよりも先に根を上げるのをプライドが許さないのか、
それとも――――。

「ただ一概に独立とは言えないかも知れないな。地名に関する共通の認識も釈然としない」
「せやせや、ワイもそこんとこが納得でけへんかってん。並列宇宙とちゃうのに地名が合っとる言うんは
これまた矛盾しとるやないけ」
「正確には近似だがな。改めて詳細を訊くと、名称は近似していても統治体制は大幅に違うようだ」

 例えば、ルナゲイトと目と鼻の先に隣接するファースィーという小大陸がある。
 Bの世界…アルフレッドたちの暮らすこのエンディニオンでは、稲作が主産業の肥沃な農園地帯だが、
Aの世界…ニコラスたちが暮らすという別の世界では、機械産業によって繁栄する経済特区であると言う。
 主たる産業もさることながら、最大の相違はアルフレッドが話した通り、統治体制である。
 Aの世界では首脳たる国王を中心とした王制が敷かれているのに対し、
Bの世界のファースィーは点在する農村がそれぞれのルールに基づいて自治を行なっている。

 ニコラスたちを大いに惑わせた地名の類似だが、深く掘り下げて調べていくことにより、
類似するのは地名のみで内情は全く別物であると判断できた。

「僕ら…Aの世界の住人が、Bの世界に迷い込んでいることに気付けないのも無理が無かったんですよ。
名前どころか地表まで類似されたら誤解もしますよ」
「さんざん悩まされたからな、それには。お陰で俺サマたちは今日の今日まで自分たちのいる世界を誤っちまってたんだ」
「地図見ても見分けがつかないンだ、どうこう出来るほうがおかしいよ」
「認識と分析に機転を利かせるだけの応用を有していたなら、もう少し早く気が付けたかも知れないが、
それは宇宙の根底を疑う所業だ。エンディニオンに抱かれた小生たちが、どうして大地の成り立ちを疑おうか」

 自分たちが異世界に迷い込んだなどと思いも寄らないニコラスたちが、地名の類似に惑わされるのは無理もない。
 地名ばかりか、地形までもが酷似し、同じエンディニオンの名を冠する世界へ疑問を抱けと言うほうが無茶な話だ。

「この女はまた小難しいことをダラダラと、うぜぇなぁ―――っと、そういやどっちもエンディニオンって名前が付いてんだっけ。
ますます因果な話だよな」
「認識を誤らぬよう、どちらか一方へ貴様に倣って“プログレッシブ・エンディニオン”とでも名付けるか?」
「おッ、たまにはイイこと言うじゃん、マニュアル直角女! それ採用な!」
「………皮肉を皮肉と看破できん男に煩わしいと蔑まれるのは屈辱だな。虫唾が走るとはこのことだ」

 Bの世界において、これほど長期に亘って認識を誤ってしまった原因を振り返るアルバトロス・カンパニーだが、
改めて考えてみると、誤解を誘発する要素ばかりが頭に浮かび上がった。


 Aの世界とBの世界で共有するものが、不自然と感じるくらい多過ぎるのだ。
 人類の天敵たるクリッターは、Bの世界同様、郊外に棲み付いて牙を研ぎ、行き交う旅人たちを餌食にしてきた。
しかも、全くの同種・同名のクリッターまでもがBの世界で発見されていた。

 創造の女神『イシュタル』とそれに連なる神人(カミンチュ)を信仰する宗教の在り方もAとBの世界では共通していた。
 唯一、変化があるところと言えば、Bの世界では神々は自然物に宿ると考えられており、
それに基づく自然礼賛が主たる礼拝であるのに対し、Aの世界における崇拝の対象は専ら神々の姿を模した彫像である。
 それを納める教会や寺社の存在もBの世界ならでは。神々への信仰は礼拝に詣でることで深まるとされている。

 世界共通の通貨であるディプロの存在が、ニコラスたちの認識を更なる霧中へと誘っていた。
 常識的に考えて異世界の通貨などBの世界では流通していないはずだし、通用もしてはいけないのだが、
なんとAの世界でも公正に取引が成されたのだ。
 使用する側のニコラスたちを含めた誰もが異世界の硬貨・紙幣などと疑わずに、だ。
 それもそのはず。ニコラスたちが図らずも異世界から持ち込んだ硬貨も紙幣も、そっくりBの世界で流通するものと同じだった。
 断っておくが、もちろん偽造では無い。正式に銀行から発行された貨幣だ。

 これだけ共通する要素が多ければ、まさか自分たちが異世界に迷い込んだとは思うまい。
 生真面目なニコラスやアイルは己の不甲斐なさとして自責するが、
認識を誤っても仕方が無い条件は不自然に思えるくらい整っていた。

「でも、Aの世界には存在しない地名が幾つかありましたよ」
「ルナゲイトとかな。聴いたとき、ニコちゃんと二人してどこだよって感じだったもん」
「その土地の振興に半生を費やした人間には、まッこと癪な話よ。似ておるなら、責任をもって最後まで似せぬか」
「似せぬかって言われても困るンだけどね。あたしらの責任じゃないンだし」
「Bの世界でルナゲイトなる名前が付いた土地は、私たちの…Aの世界ではカルバドールと呼ばれていた。
情報技術で栄えたルナゲイトと違い、カルバドールは寂れた資本主義国家だがな」
「お前たちは知らんだろうが、先月、国庫が破産したばかりだ。最早、国家として機能していない」
「ボス、それ、本当ですか!? ………うっそ〜、あそこのワイン、大ファンだったのになぁ〜」
「カルバドール? それは―――面妖なことじゃな。ルナゲイトと言う名が冠せられるまで、
我が土地もカルバドールと呼ばれておったよ。“世界の米所”カルバドールとな」
「………気持ち悪いくらいに合致していくものだ。小生たちの世界とBの世界―――
掘り下げれば、まだまだ共通項が見つかりそうだ」

 ミーティングへ参加しているアルバトロス・カンパニーのメンバーの中で、
唯一“迷子”の経験が無いボスは部下たちの会話へなかなか入り込めずにいるが、
彼らの口から詳らかにされる“神隠し”の間の苦労には真剣な面持ちで聴き入り、
マコシカの集落などで命の危険にさらされた際の話が飛び出すと、
一人として欠けることなく無事に帰還した喜びを噛み締めている様子を見せた。

 かつてニコラスがボスを情に厚い人と評していたことをアルフレッドは想い出した。
 たどたどしい議事進行と逃げるような交代劇のあり、
「このハゲが本当に尊敬に足るのか?」と勘繰ってしまうくらいファースト・インプレッションは悪かったものの、
成る程、社員のことを心の底から案じる彼の様子を見ていると、ニコラスの評価は正しいものと納得できる。

「ファミリー(社員)の心配をしないボスがこの世にいると思うかッ!! バカチンがッ!!!!」

 このミーティングが始まってすぐの出来事だ。
 ニコラスたちのように突如“神隠し”にあった人々の捜索を行なう団体「失踪者捜索委員会」のメンバーとしてクインシーを紹介した際、
「オレらがいない間、お仕事滞っちゃって大変だったしょ?」などとおどけて見せたダイナソーにボスは特大の雷を落とし、
再会した瞬間と同じようにダイナソーを始めとする部下たちをその大きな大きな腕の中に抱き締めた。
 それは、失踪した彼らを本気で心配し、捜索に全身全霊を傾けた男にしか出来ないことだった。

 ボスの気持ちを考えない不用意な発言だったと痛感し、その場に土下座して陳謝したダイナソーの背中を叩き、
「無事ならそれでいい」と励ましてやる男気溢れた姿には、怜悧冷淡で通っているアルフレッドの目頭も思わず熱くなったものだ。

 社長と社員という縦の関係を越えた深い絆でアルバトロス・カンパニーは繋がっている―――
自分たちに縁のない世界の話と言うことが寂しく感じられるほどに、ニコラスたちの絆はアルフレッドたちの琴線を揺さぶった。


 ―――なお、「後の機会に譲る」と前述していたクインシーの目的と事情とは、この「未確認失踪者捜索委員会」のことだ。
 以前、ニコラスたちの失踪に動転するボスを訪ねたモルガン・シュペルシュタインが
委員長を務める「未確認失踪者捜索委員会」のメンバーであるクインシーは、失踪者発見の一報を受けてすぐに駆け付け、
今後の捜索の手がかりを得る為にミーティングに参加していた次第である。
 よもや異世界へ迷い込んでいたとはクインシーもモルガンも想定していなかっただろう。
 「未確認失踪者捜索委員会」にとっても緊急に開かれたミーティングは、一定の収穫と、それを超える課題を得る場となった。

 ………尤も、現在では彼女も「未確認失踪者」のひとりである。
 モルガンに代わってフィガス・テクナーへ駐留し、調査に当たってからこそ失踪者発見の一報へ即座に反応できたのだが、
そのときには既に彼女自身もこの大都市ごと異世界へ迷い込んでいたわけだ。
 委員長を務めるモルガンが面を真っ青にしている様子は、想像に難くない。




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