4.そして交わる世界


 ―――ちゃ〜らり♪ ちゃ〜らり♪ ちゃーらららっちゃっちゃ♪ ボンタ〜ンチッ♪


「………ホワッツ? まだまだプロブレム中? チミたち、レアなタイムをどんだけロスしてるのさネ。
もっとマイライフをエンジョイしなきゃ。ボキとトゥギャザる? でもダメ〜。これ、通信バトル機能ナッシングだしィ〜」

 突如として場に不釣合いな電子音を響かせたのは、先ほどまで高いびきを掻いていたはずのホゥリーだ。
 彼の手には電子音の発生源と思しき携帯ゲーム機――マリスから借りたものだ――が握られていた。
 暇に耐え兼ねて携帯ゲーム機で遊ぶくらいなら退出すれば良いのだが、
動くのも億劫とばかりにミーティング席へ残り続けるあたりにホゥリーの人となりが表れていた。

(不謹慎だけど………懐かしい光景だな、これ)

 その頃、アルフレッドの意識は、迷惑を露骨に出してホゥリーの追い出しにかかる仲間たちとは別の場所にあった。
 アカデミー在学中―――講義の最中に誤って携帯ゲーム機の電源を入れてしまい、
パニックを起こしたクラスメートの顔が彼の瞼に甦っていた。
 静まり返った講堂に鳴り響く電子音の反響と言ったら隠しようが無く、本人は懸命に自分じゃない風を装って机に突っ伏し、
ピンチを切り抜けようとしたのだが、どう考えてもリアクションとして不自然過ぎる。
 ………と言うか自供しているようなものだ。
 運悪く「アカデミー最凶」と名高い鬼教官が講師を担当していたから大変だ。
 怒髪天を衝いた鬼教官の豪腕によってその場で携帯ゲーム機は粉々に粉砕され、
哀れ電子音の犯人はグラウンドを三十分以内に百八周(しかも全力疾走)するという地獄のお仕置きに処されてしまった。

 講義を乱してしまったことにより、授業態度へかなり厳しい評価を頂戴してしまったものの、
ペナルティと職員室での吊るし上げを終えてホームルームに帰ってきた犯人の顔は何故か達成感に満ちて輝いていた。
 たっぷり過ぎるくらい油を絞られた後だと言うのに、彼は全身から「俺はやりきったぞッ!!」という爽快感を醸し、
持て囃すクラスメートたちにカラリと笑って見せた。

 その年のMVP(何のMVPかは今もって不明)は満場一致で彼に決定。技能賞・演技賞と言った部門別グランプリも総なめにした。
 アルフレッドはクラスメートが用意した賞状を授与するプレゼンターを担当したのだが、
MVPの称号と賞状を手にした瞬間の彼の晴れやかな笑顔は、一生忘れることは無いだろう。
 賞状を手にガッツポーズを取る笑顔も、「俺はやりきったぞッ!!」という爽快感が弾けていた。

 ………犯人の少年はMVPに輝いた副賞(むしろ代償)として、もう一年同じ学年を体験する機会を得たのだが、
それはまた別の話。

(―――いかんいかん、俺は何をバカなことを………)

 本当にどうでもいいコトに限ってシリアスな場で思い浮かぶのはどういう原理なのか。
 ホゥリーに対する憎悪と煩わしさが渦巻く場にあって、アルフレッドは想い出し笑いを噛み殺すのに苦労した。

「いたいた、こーゆー面白いヤツ。昔のクラスメートそっくりだよ」
「お前の学友にもか?」
「てことは、アルんとこにも? ははは―――良いのか悪いのか、クラスには決まって一人はいるもんだね。
生まれついての大道芸人ってのは」
「そんな高度なもんでもないけどな。身体を張ってウケを取るところは似て通っているか」
「でも、本人は狙ってるんじゃなくって至って天然でさ。………今夜のビールのおつまみが決まったね」
「いや、しかし、それは微妙だぞ。ダメ学生の規範に乾杯したんじゃ、せっかくの酒がまずくなり兼ねない」

 ネイサンの知り合いにも同じような輩がいたらしく、アルフレッドと同じようにじんわりと口元を綻ばせていた。
 縁に恵まれることはやぶさかではないが、ろくでもない共通点まで似てくるのは微妙だな、と苦笑いを見せ合うアルフレッドとネイサンは、
噴き出しそうになるのを堪えるのに大変だった。


「バットでもねぇ、豆腐にケチャップかけてイートってのはリトルグロかったねェ。
今にしてシンキングれば、あの辺から異なるユニバースのディスタンスがあったのかも知れないなァ〜」
「なんやねん、聴いとったんかい。話し合いに参加するか、ゲームで遊ぶか、どっちかにしや」
「つーか、豆腐にマヨネーズかけて食うヤツにだけは言われたくねぇよ」
「ラスの言う通りだ。どうしてマヨネーズなんだ。そんなに共食いがしたいのか?」
「ファミリーをバイトなんて、ボキがいつプレイったかね? マヨネーズとボキがファミリーだって?」
「脂肪分を同胞と言わずに何と言う」
「………チミさ、仮にもローヤー志望なんしょ? チミのセイウィードは人権アウチもい〜プレイスだよ」
「脂肪分に人権など無い」
「………………………」

 ………共通する事項が多い中、食文化にだけはいささか距離があったようだが。


「もう一つ、AとBの世界には決定的な違いがある」

 食文化以上に重要にして決定的な違いがあることに気付いたアルフレッドはそれをピックアップし、
白熱するミーティングへ更なる一石を投じようとする。

「トラウムの有無、やな」
「それとMANAだ。俺サマたちの世界で当たり前のMANAをこの世界で見ることは無かったぜ」
「俺たちの…Bの世界にMANAと呼ばれる機械が存在しないのと同様に、Aの世界にもトラウムは存在しない。
Aの世界の住人がトラウム不適合者なのではなく、Bの世界に機械を構築する素材が無いという次元の話じゃない。
トラウムも、MANAも、互いの世界には概念そのものが存在していないんだからな。
二つの世界は同じエンディニオンと言う名前を持っていても全くの別物であるとの推論は、ここに根拠を得られると思う。
―――すみません、ケロさん………止むを得ずこのようなことを………」
「………クッククク………気配り上手は………好かれるぞ………この………テクニシャンめ………」

 ヒューがリサーチして確認されたのだが、一部の不適合者を除いてBの世界に暮らす誰もが発現させられる異能、
トラウムをフィガス・テクナーの住人は誰一人として見たことも聴いたことも無かった。
 ニコラスたちも何も無い空間から創出されたSA2アンヘルチャントやビルバンガーTに驚いていたが、
フィガス・テクナー全体で似たような反応が確認されるということは、Aの世界の住人はトラウムを有していないと見て間違いない。
 トラウムという能力そのものを知らないAの世界の住人は、Bの世界における不適合者のカテゴリーと言うより、
トラウムを発動させる因子をも有していない種の異なる人類であるとも。

 Bの世界の住人と同じ能力を持たないAの世界の住人だが、トラウムに代わって様々な超技術の機械を手に入れている。
 自走機械から戦闘用の兵器へ瞬時に変形するMANA――ガンドラグーンやドラムガジェットだ――は、
トラウムを有するBの世界の住人の目にも驚くべき技術の粋だった。
 そもそも自走機械自体がオールド・ブラック・ジョーと言った一部のトラウムを除いてBの世界には現物も技術も存在しないのだから、
フィガス・テクナーを我が物顔で走り回る自動車やバイク、スクーターは驚嘆を通り越して恐怖を感じるくらいなのだ。
 ましてその自走機械が変形などしようものなら卒倒モノである。

 トラウムとMANA―――Aの世界にあってBの世界には無いモノであり、Bの世界にあってAの世界に無いモノ。
 フェイが推して却下された並列宇宙説を採るならば、トラウムが発現しなかった場合の可能性がMANAの誕生へ分岐し、
あるいは科学力がMANAやフィガス・テクナーに見る超技術に到達できなかった代わりとして異能、トラウムを
発現させる可能性を作ったのかも知れない。
 いずれにせよ、AとBが、限りなく近いようで全く異なる世界であると証明するサンプルモデルとしてトラウムとMANAは
一定の説得力を発揮していた。

 トラウム不適合者というケロイド・ジュースにダメージを与えかねない忌むべき言葉を引用してしまったことへの謝罪を
アルフレッドは熱弁の最後に付け加えた。


「MANAに関連することだが、両方のエンディニオンに共通するモノも俺たちは発見したぞ」
「CUBE、だな。………あのときのアルの間抜け面を想像すると、思い出し笑いが止まらなくなるぜ」
「放っておけ。そもそも、あんな話を訊かされたら、俺じゃなくても驚くさ」

 Aの世界にあってBの世界にないモノ、あるいは、Bの世界にあってAの世界に無いモノを中心に議論が進められてきたのだが、
ここでアルフレッドとニコラスは、ふたつのエンディニオンが共有するモノをテーブルの上に乗せた。
 それは、アルフレッドたちが戦闘に用い、またニコラスたちがMANAの動力源としているエネルギーの結晶体、CUBEである。
 トラウム、MANAに続いてCUBEをも持ち出したアルフレッドは、
発言に先立って「共通するモノと言っても、それはあくまで形状や性質の話であって、AとBのCUBEが全く同じと言うことではない。
そのことを胸に留めておいてくれ」と断りを入れた。
 予め注意を促すと言うことは、形状や性質、用途までもが極めて酷似していながらも、ふたつのエンディニオンのCUBEは、
それぞれ全くの別物として考えるべきなのか―――旅立ちの朝にクラップより譲り受けた『MS-LIF』をポケットから取り出したシェインは、
これをまじまじと見つめた。

 マコシカの民だけに許された秘術、プロキシまで再現してしまうようなCUBEが、この神秘性に包まれた結晶体が、
あちこちに存在していること自体、にわかには信じられないのだ。
 些か穿った見方となるものの、CUBEに対するその固定観念も、
ふたつのエンディニオンがそれぞれ異なる世界であることを人々に認識させるのを妨げていた。
 CUBEと言う超常の技術があちこちに在るとは、どちらの世界の人間も想像もしていなかったのだ。
 Bの世界で迷子になったニコラスたちも、アルフレッドたちがCUBEを使用することには何の疑問も抱かなかった―――
つまりは、そう言うことである。
 CUBE自体はAとBの双方に存在している為、変わった用途をしていると瞬間的に思うことはあっても
別物であるとの疑念まで抱くことはなかった。
 日常的に使用する物であるが故に差異を感じる機会すらないのだ。


 そもそもふたりがCUBEについて細かく分析するようになったのも、偶然に因るところが大きい。
 ニコラスたちの帰還を聞きつけたフィガス・テクナーの住人と未確認失踪者捜索委員が緊急に会合をセッティングするまでには、
準備も含めて一時間程度を所要したのだが、その間にニコラスは馴染みのメカニックへガンドラグーンのメンテナンスを依頼していた。
 ほんの僅かな時間ではあるものの、望外のゆとりを有効活用しようと言うのだ。

 無論、一時間と言うゆとりに飛びついたのはニコラスだけではない。他の面々も同様である。
 何しろ迷子になってから相当な時間が経過しているのだ。するべきことは山積みであった。
 通信制の大学でマクガフィンアルケミー(特異科学)を勉強しているトキハは、
フィガス・テクナーを離れている間も寸暇を惜しんで課題を進めていたようで、
学校側に事情を説明する以外には別段問題も生じなかったが、ダイナソーとアイルは真っ青な顔で大慌てだ。
 貯蓄の為にスーパーで値引き品…つまり、賞味期限ぎりぎりの食品を購入するようアイルは心がけているのだが、
相当な時間経過とは、冷蔵庫の中でバイオハザードが発生したことをも意味している。
 案の定、地獄絵図と化した冷蔵庫の前に立ち尽くすアイルからは、完全に生気が抜け落ちていた。
 ダイナソーもまた悲惨の一言に尽きる。
 長年探し求めていたヴィンテージ物のジーンズをネットオークションで落札したまでは良かったが、
先払いの入金を済ませる予定日と迷子になったタイミングが重なってしまい、
結果、振込みもままならずに折角のお宝がキャンセル扱いにされると言う憂き目に遭っていたのだ。
 普段は口論の絶えないふたりだが、このときばかりは互いの不幸を慰め合うしかなかった。
 一児の母であるディアナは、一目散に幼い我が子のもとへ走った。
 彼女の息子・ジャスティンは、ボスの家族が面倒を見ていた為に生活の支障はなく、
それどころか、慌てふためく周囲の大人たちよりも余程どっしりと構えていたと言う。
 仕事で社員寮を空けることの多い母を持ったせいか、精神的にもすこぶる逞しく、今度の事件でも殆ど動じなかったようだ。
 ジャスティンの世話係だったボスの義妹・キャロラインは、我が子の大物ぶりに面食らうディアナへ
「お母さんのほうがてんてこ舞いになってるだろうって言ってましたが、ジャスティン君の予言は大当たりでしたね」と
笑いながら話していた。


 一方、“迷子”でもなければフィガス・テクナーの住民でもないアルフレッドは、
MANAのメンテナンスに興味を持ち、ニコラスに同行してメカニックのもとを訪ねていた。
 今でこそフィーナに付き合って冒険者稼業に身を投じているが、故郷ではメカニックとして生計を立てていたのである。
 訪ねた先でMANAの修理技術を教わっておけば、万一、ガンドラグーンが故障したときにも自分が直してやれるのではないか―――
そんな期待もアルフレッドは胸中に抱いていた。

 久しくまともなメンテナンスを施してやれず、しかも、そのような状況下にも関わらず戦闘などで酷使を重ねてきたガンドラグーンのことを
ニコラスはだいぶ気に掛けており、懇意にしているMANAの専門店へ向かう道中、
アルフレッドを相手に「エンジン焼き付いてたらアウトだなぁ。調子に乗ってオフロードなんか走んなきゃ良かった」と何度となく漏らしていた。
 結果から明かすと、ニコラスの心配は杞憂と終わった。
 ガンドラグーンを点検したメカニック――ニコラスとは古い付き合いらしく、消息不明となっていた彼が店舗へ入ってきたときは、
大声を上げて喜んでいた――が言うには、タイヤの減り方が通常より激しいことを除けば何ら問題はないとのこと。
 タイヤの減り方が著しいのは、言うまでもなくオフロードを長期に亘って走行していた為であるが、
このメカニックに言わせれば、それもまたガンドラグーンにとって貴重な経験らしい。
 入念に各部のネジ締めをチェックしながら軽口混じりで陽気に笑うメカニックは、
ニコラスが荒野やキャットランズ・アウトバーンを走行した際の感想を語って聞かせると、
まるでオモチャを前にした子どものように目を輝かせて喜んでいた。
 ニコラスと同じようにバイクを愛好しているこのメカニックには、最高に刺激的かつ魅惑的な話なのであろう。
 興奮するあまり、初対面であるアルフレッドの肩へ無遠慮にも自分の腕を回して、
「ニィちゃんもバイク乗るんかい? いいよなぁ、バイクはさ。転がしてるとき、オレたちゃ風になっているんだ!? 
こんなエクスタシーなコト、他にあるかよ!?」などとバイクの魅力を朗々と語ったものだ。
 万が一、フィーナが居合わせていたなら、また事態がややこしくなっていたところである。

 残念なことに当のアルフレッドは交友の幅を広げていられるような精神的余裕を欠いてしまっており、
結局、メカニックの一方的なフレンドシップで終わってしまった。
 だが、アルフレッドを責めることは誰にも出来ない。
 自信が支柱にするところの常識を根底から覆すようなカルチャーショックを受けた人間に精神的余裕を求めるのは、
あまりにも酷と言うものであろう。
 MANAを専門に取り扱うメカニックのもとを訪ねたアルフレッドは、このとき、文言通りの状態に陥っていたのである。

「CUBEを売り物にしているのか、この店は!? そんなバカな話が―――」

 店頭に無数のCUBEが陳列されているのを目敏く見つけたアルフレッドは、
添えられていたプライスカードとその額面を確かめた瞬間、彼らしからぬ素っ頓狂な声を上げて動転した。
 神話の時代から伝えられているいにしえの遺産とも言うべきCUBEを、一個につき数十万ディプロから売り捌こうと言うのだ。
オークションにでも出品しようものなら、ビット一回ごとに百万単位で値が吊り上げられていくような代物を、だ。
 十万以下のプライスカードが見当たらない為、決して格安と言うわけではないようだが、
いずれにせよ、オークションで付けられるであろう落札価格と比べれば叩き売りのレベルと言っても過言ではない。

「おー、それかい? コイツのお友達だけあって、なかなかお目が高いねぇ。
この間、仕入れたばかりの最新モデルさ。前に出ていたバージョンの改良型なんだけど、なんとお値段据え置き! 
出力も耐用年数も保証するぜ? 最近の若いモンは中古でパパッと済ませるのが多いんだが、
なにせ長い付き合いになるだろ? 安上がりにその場しのぎをしたって、結局、後でツケが回ってくるって寸法さ。
チト値が張っても、最初に新品を積んじまうほうがオトクなんだよ、イチバンね」
「中古? 改良型? ………ま、待ってくれ。そんなものがCUBEにあるのか………っ?」
「お、久々に説明し甲斐のあるニイちゃんだな―――勿論、MANAに積むCUBEに限ったハナシだけどね。
最新モデルっつったって、所詮は弾かれたフラクタルアポリアで作ってるわけだし。
エネルギーって言う一点特化でしか役に立たないんだから、せめてそこだけは良いモンに仕上げてもらわなきゃな」
「弾かれた? ―――フラクタルアポリア………?」
「そ。フラクタルアポリア―――CUBEの原材料さ。意外と知られてねぇけどな」
「ま、待ってくれ。頭の中を整理させてくれよ。………俺の知っているCUBEと違いがあり過ぎて、何がなんだか………」
「待つのはいいけど、ガンドラグーンのメンテが終わる前には切り上げてくれよ。遅刻していったらカッコつかねぇからな」
「急かすな、ラス。………わかっていて、急かすようなことを言うな」

 陳列中のCUBEについて如何にも商売上手な言い回しでメカニックは細かく説明していったのだが、
それこそがアルフレッドの度肝を抜いたのである。
 少なくともアルフレッドにとっては、驚きをもって受け止めるものであった。

 メカニックの話によると、陳列中のCUBEは『フラクタルアポリア』と呼称される結晶体へ
エネルギーを発生させるプログラムを施した、いわば機械の汎用動力源であると言う。
 ニコラスのガンドラグーンやダイナソーのエッジワース・カイパーベルトなど
MANAの多くがCUBEからエネルギーを供給されているように、
Aのエンディニオンでは汎用性の高い動力源としてマーケットに流通しているのだ。
 原材料のフラクタルアポリアさえ確保できれば量産もそれほど難しくないとメカニックは付け加え、
この話にアルフレッドはまたしても衝撃を受けた。

「開発や量産を行う企業が徹底的に秘匿しているせいか、詳しい原理はサッパリわかんねぇんだけどよ、
自然界に充満するエネルギーが何らかの作用を経て凝固・結晶化したものをフラクタルアポリアって呼んでるんだよ。
………“何らかの作用を経て”なんてもっともらしいコトを言ってるけど、それも人から聞いた受け売りだしな。
思えば、おっかねぇハナシだぜ。よくわかんねぇシロモノを、お上が安全だって言うから何も疑わずに使っているんだからさ。
それを商売にしてるオレらもどうなんだってコトになるんだけど」

 フラクタルアポリアが採掘できる鉱脈は、ごく僅かに限られているとも彼は言い添えた。
 無論、CUBEの原材料が鉱脈から採掘できること自体、アルフレッドには信じ難いことである。
 これもまたメカニックの男が物の本から得た知識であるらしいのだが―――
採掘可能場所として認定された鉱脈では、地層の隙間から染み出た湧き水が厳冬の寒さに晒されて凍結したような、
そのような状態でフラクタルアポリアが結晶化しているそうだ。
 自然界から湧き出たエネルギーの結晶体と呼ばれる所以である。
 一度に採取できる量はそれほど多いわけではないのだが、それ故に希少性が高く、市場に於いては高額で取引されているそうだ。
 フラクタルアポリア専門の鑑定士によって特に純度が高いと認められたものなどは、
天文学的な値段が付けられると言う。

「………これはどうなんだ? 俺の持っているCUBEは―――」
「へぇ、こりゃあ―――ニイちゃん、珍しいもんを持ってるじゃねーの。こりゃ量産じゃねぇ、オリジンのCUBEだぜ。
オレも手に取って見るのは生まれて初めてだ」

 偶然に持ち合わせていた『MS‐WTR』を慌てた様子でポケットから引っ張り出し、
メカニックに手渡すアルフレッドだったが、受け取った側もまた飛び上がって驚いた。
 アルフレッドが所有している『MS‐WTR』―――水の力を結晶化したCUBEは、Aの世界で言うところのオリジン型であると言うのだ。
 オリジンとは、すなわち起源。量産されたモノではなく、このオリジンこそが真のCUBEであると
メカニックはやや興奮気味に語った。
 量産されたCUBEには必ずメーカー名が刻印されていると言うのだ。
オリジン型と量産型とを見分けるには、まず刻印の有無を調べるらしい。
 論より証拠とばかりに陳列中のCUBEを摘み上げたメカニックが言うには、
彼の店は主に『ロンギヌス社』なる企業から仕入れを行っているそうだ。
 成る程、彼の手にあるCUBEには『LONGINUS』なる刻印が確かに見受けられる。
 アルフレッドがこれまでの道程で手に入れてきたCUBEには、いずれもそのような刻印はない。
メカニックが言うところのオリジンなのであろう。


 そもそもフラクタルアポリアから量産されたCUBEは、神話の時代より伝わるオリジン型のレプリカに過ぎない。
 無論、プログラムを施すことによってオリジンのCUBE同様にプロキシを実装させることも出来る。
純度に比例してその威力もより強大に、且つ精密になっていく。オリジンと遜色のない機能を備えたレプリカも確かに存在するのだ。
 しかし、オリジンのCUBEが無限に使えるのに対し、フラクタルアポリアから造られたレプリカには使用限界と言う制約がある。
 素人目には残量の判別が付けられないものの、内包するエネルギーを使い果たしたレプリカは、
役目を終えると全く起動しなくなり、やがて光の粉となって散り、自然界に還ると言う。

「エコロジーなもんだよな。残骸も何も残さずにパーッと跡形もなく散ってくれるんだからさ。まるでカチ割り氷みたいなもんさ。
廃品回収業者は、せっかくのメシのタネを逃して悔しがってるだろうけど」
「笑い話じゃねぇよ。ガンドラグーンに乗ってる最中に使用限界が来ちまったときは、サムとふたりして青くなったぜ。
運悪く替えのCUBEも持っていなかったし………。ディアナさんが駆けつけてくれなかったら、本当に野垂れ死んでたかもな」

 レプリカのCUBEについて付帯するならば―――
MANAに代表される各種機械の汎用動力源へ用いられるCUBEには、
基本的に複雑なプログラムを施すことのできない低純度のフラクタルアポリアが充当される。
 低純度と言っても、使用限度が極端に早いような粗悪品のことを指すわけではない。
 抽出できるエネルギーの量は莫大でも、これを制御し得るプログラムを施しにくいものが動力源用として選別されているのだ。
 「一度に発生できる出力が高いCUBE、つまり大型機械の積載に適したモノほど値が張るんだよ。
自然界のエネルギーなんつってカッコつけちゃいるけど、人の手に渡った途端にコレだもんな。
なんとも俗っぽいハナシだぜ」とメカニックも苦笑い交じりに話していた。
 商売道具を貶めるわけではないにせよ、彼なりに“世俗に塗れた自然界のエネルギー”には首を傾げる部分があるらしい。


 そこで、ガンドラグーンのメンテナンスは完了された。
 ここで、アルフレッドとニコラスはCUBEについて深く考えるきっかけを得た。

 魔力の産物か、自然界の産物か―――根源の部分で解釈の違いはあるものの、
エネルギーが結晶化された物である点は、AとB両方の世界がCUBEについて共有する認識であった。
 しかし、共有し得る部分以外があまりにも衝撃的であり、見聞きしてきた委細を仲間たちへ説明するアルフレッド自身、
今もって完全には情報を整理しきれていなかった。
 ………否、整理しきれていないのは、CUBEに関する情報と言うよりは彼のメンタルであろう。

 メカニックから聞かされたのはAの世界に於けるCUBEのことであり、万事がそのままBの世界へ適用されるわけではなかろうが、
魔力の結晶体と信じてきたCUBEへ科学的要素の介入する余地が認められたのだから、

 CUBEの―――オリジンのCUBEから効力が失せるわけではないが、しかし、有難味が薄れたのは否めなかった。
 後になってこの話を聴かされたルディアは、「むつかしい話はよくわかんないけど、
今のうちに持ってるヤツを売っ払っちゃったほうが得だと思うの。値崩れしてからじゃ遅いと思うの」などと
身も蓋もないことを言い放ち、皆をズッコケさせた。

「サプライズはともかく、そっちのディメンションのテクノロジーをリスペクトすべきでしょ。
レプリカらし〜けど、なんちゃらって言うクリスタルからCUBEをクリエイトしちゃなんてマックスにマーベラスじゃナッシング?」
「確かに技術力は凄い。と言うよりも怖いくらいだ。………しかし、お前はそれでもいいのか? 
語弊があるかも知れないが、マコシカにとってはあまり歓迎できる話ではないだろう?」
「語弊って言うか、失礼だよね、チミは。伝承ってのを、チミはリトルナメ過ぎだよネ」
「………まさか、お前に“舐めてる”なんて言われる日が来るとはな………」
「神話のタイムにクリエイトされたトレジャーをアナライズすることは、マコシカの教義から全然アウトしてナッシングさ。
ボキらがプロキシを使えるのはホワッツ? エンシェントなインテリジェントをアナライズしたからさ。
人智でトークし得ぬミステリーなモノだけがセイクリッドだなんて、そんなん霊感セールスとイーブンさ」
「………………………」
「ヘイ? ボキのナイスなロジックにリスニング惚れちゃった? バットしかし、ボキは独身貴族だからネ。
惚れてもクライな目に遭うだけだヨ。惚れたら火傷するメンなのサ」
「聞き惚れたと言うか、驚かされた。お前にもまともな神経が通っていたんだな。
俺たちの言っていることを理解していないと今の今まで思っていたんだが、どうやら認識を改めなければいけないようだ」
「ヒッヒッヒィ―――残念だったネ、ボーイ。何をセイっても、今のチミじゃ負け惜しみにしかリスニングできナッシングよ。
チミはシニックのつもりだろうけど、ボキには絶賛のコールだネ」

 この場に居合わせた誰よりもショックを受けなければならない筈のホゥリーは、
やはりと言うかなんと言うか、驚惑すべき諸事を聴かされても全くあっけらかんとしている。
 だが、いつものように無責任かつ能天気な放言で周囲の困惑と不快感を煽るわけでなく、
提示した意見は実に建設的であった。
 珍しく正論を披露したホゥリーには誰もが驚かされた。
あるいは、Aの世界に於けるCUBEの諸事以上にインパクトは大きかったかも知れない。
 彼の示した論理の裏を取るようにソニエへと目配せするアルフレッドであったが、
口元に薄い笑みを浮かべて頷き返したあたり、彼女もホゥリーと同意見の様子である。
 ある事柄について、民間で語り継がれるうちに過分なまでに神聖視され、
結果的に真実や本質の部分、あるいは、これに対する認識と解釈が上書きされてしまうケースは少なくない。
 どうやらマコシカの民の間にもそうした事態は往々にして起こっているらしく、
至るところに類例の転がっているようなモノを大問題のように取り上げるつもりは両名ともに無さそうだ。
 おそらく、マコシカの酋長たるレイチェルがこの場に居合わせていたとしても、
ホゥリーやソニエと全く同じリアクションを見せたに違いない。


 ホゥリーの披露した意見へ誰よりも神妙な面持ちで聞き入っていたのは、
未確認失踪者捜索委員のメンバーとして招かれているクインシーであった。
 誰もが納得するような正論をスナック菓子の咀嚼ついでに披露したホゥリーを舐るように観察した後、
アルフレッドとアイコンタクトを交わしているソニエへ双眸を転じた。
 先ほどからクインシーが注目しているのは、両名のパーソナリティではなくその身に纏う着衣のほうだ。
 マコシカの民が着用する民族衣装がよほど珍しかったのだろうか。
ソニエを観察し終えると、今度は両名を交互に見比べ始めた。男女による衣装の差異を見極めるつもりなのであろう。

 クインシー当人も特徴的なサークレットで額を飾っている。
 純度の高い金と銀を織り合わせ、美麗な組紐のように誂えたそのサークレットこそが、
クインシーにとっては何にも勝る身の証であった。
 それは、女神信仰を司る『教皇庁』へ籍を置く神官にのみ着用が許された神聖な額冠なのである。
 最初にアルバトロス・カンパニーへコンタクトを図ったモルガンや、彼に伴われてボスのもとを訪ねていたエカも
クインシーと同じようにこのサークレットを嵌めていた。
 額を覆う金具の表面には、女神イシュタルを模ったレリーフが施されている。
 屹立する女神の足元を飾るのは、精巧な細工によって再現された神苑にのみ咲くとされる木々や花々だ。
イシュタルのレリーフに更なる輝きを与えるその装飾は、全て加工した水晶で作られていた。

 教皇庁の神官が身に着ける華美なサークレットに比べると、
素材に始まり装飾に至るまで簡素なマコシカの民族衣装は地味と言うか、貧相にも見える。
 同じ女神イシュタルに仕える身ではあるものの、両者の間には感覚の面で大きな隔たりがあるようだ。


「―――見たところ、そちらの世界はあたしたちのトコよりテクノロジーが進んでいるようだけど、
自然環境はどうなのかしら? やはり汚染や破壊が進行しているの? 
………それとも、何らかの対策を講じているのかしら?」

 CUBEにまつわる話が一段落したのを見計らい、今度はソニエが議題を提示した。
 旧人類が遺したとされる正体不明の廃棄物など様々な要因によって極度に疲弊したエンディニオンの再生を
悲願に掲げているソニエにとって、Aの世界の自然環境は何よりも優先される関心事であった。
 Bの世界と比して文明の水準が遥かに先進しているように見えるAの世界だけに、
その弊害とも言うべき自然環境への影響は何らかの形で顕在化しているものとソニエは読んでいる。
 歴史を紐解いても判るように、文明の発達は自然の蚕食と無縁ではいられない。
 開発の名のもとに天然資源が乱獲され、有害な物質によって天地が蝕まれた事実は、
疲弊したこのエンディニオンを見れば一目瞭然と言えよう。
 高度な科学文明を誇ったとされるルーインドサピエンス(旧人類)と雖も、惑星環境の保護と維持は実現し得なかったのだ。

 ………やや歪んだ見方になるが、言い換えるならルーインドサピエンス(旧人類)とは、
自分たちの子孫が住まう惑星に有害な廃棄物をばら撒いた張本人でもある。
 最初から惑星環境への配慮など思考の外であったのかもしれない。
星を蝕むと言う原罪を、未来に生きる子孫へ背負わせる責任も含めて、だ。

 余談はともかく―――ルーインドサピエンス(旧人類)のレベルには達していなくとも、
Aの世界の文明は極めて高く、であればこそ自然環境の破壊と無縁ではあるまいとソニエは考えたのだ。
 仮にAの世界で自然環境を維持ないしは回復し得る術が開発されているのであれば、
これをBの世界に施すことは出来ないだろうか、と。
 直接的な解決策でなくても良い。きっかけだけでも構わない。
何としてもエンディニオンを救う手立てを掴みたいとソニエは意気込んでいた。

 ソニエを横目で睨むフェイの表情はなおも険しい。
 暗に勇み足を踏まないよう窘めている風にも見えるのだが、しかし、気持ちが完全に昂ぶっているソニエは、
目端にすらフェイの姿を入れてはいなかった。振り返ろうと言う気配も見られない。
 フェイの眼光が鋭さを増しても、全くの無意味である。

「詳しく調べたわけじゃないから断定はできないのだけど、フィガス・テクナーの周りは自然が豊かよね? 
こっちの世界にもそれなりの工場はあるけど、大掛かりになればなるほど大気汚染や排水のことで住民と揉めているわ」
「………想い出すのも忌々しいが、ソニエさんの言ったことは全て事実だ。
俺の故郷も廃棄物処理施設のせいでかなりのダメージを受けた。環境汚染は深刻な問題だよ」
「ナイスアシスト、アル―――そうなのよ、ハイテクと環境汚染は切っても切り離せない関係にある。
少なくとも、あたしたちの住む世界ではね。………だから、フィガス・テクナーを見て驚いたワケ。
これだけの大都市だって言うのに、自然と上手く共存できている。そこには何かカラクリがあるんじゃないのかしら?」
「そんなのがあるなら、ボクにも教えて欲しいね。アル兄ィも言ってたけど、ボクんとこは植物まで枯らされちゃったんだ。
元通りにできるなら、こんなに嬉しいことはないよ」
「そう、そうなのよっ。フィガス・テクナーが環境汚染対策に力を入れているなら、是非ともその話を聞かせて欲しいのっ!」

 新聞王の血は争えないと言うことか、ソニエもなかなかに目敏い。
 ルナゲイト以上の文明水準を感じさせるフィガス・テクナーではあるが、
都市と共に転送されてきたと思しき外周の大地には深緑のカーペットが敷き詰められており、
先に挙げた開発の弊害は全く確認できなかった。
 図らずもフィガス・テクナーと隣接する形となったエヴェリン周辺の大地は、以前と変わらぬまま痩せ細っている。
真隣に潤沢な自然が現れたせいで、疲弊の様相は一層憐れに見えた。

 市街地には人工的な自然物が立ち並んでおり、それが見る者に殺風景な印象を与えるのだが、
一歩でも都市の外に出れば、そこでは生命が躍動している。遥かな昔日に去った、エンディニオン本来の姿が在る。
 大規模な開発が行われたことが明白で、尚且つ、電子部品の工場を抱えている都市と天然資源とが共存し得る環境など
何らかの対策を立てない限りは実現不可能なものである。
 自然に成立するわけがなく、人為の介在…つまり、環境汚染への処置が絶対条件の筈であった。
それは、自然環境への作用を可能とする技術がAの世界に既存している証明に他ならない。
 推論の行き着いた先が、自分の最終目的に通じていたのだ。否応なくソニエの期待は高まっていく。

 ソニエが帯びた熱気は、これを正面に受けるフィガス・テクナーの住民たちが気圧されてしまうほどの火勢である。
 遮二無二突っ込んでいく孫娘の様子をジョゼフは目を細めながら優しげに見守っていた。
 彼女が論じているのは、ふたりを一度決裂させるに至った最大の原因に他ならないのだが、
孫娘の成長と大志を認めた現在、ジョゼフには何とも頼もしく思えるのだ。
 小難しい理屈を抜きにしても、立派に育った孫娘の姿を見て嬉しくない祖父がこの世にいるものか。

 ………しかし、それもまた一瞬のことで、憮然とした態度で押し黙っているフェイの面が視界に入った途端、
それまで優しさで満たされていた眼差しが急速に冷気を帯び始めた。
 ソニエか、あるいは別の誰かに向かって意識が飛んでいるらしいフェイには、気配の察知すら出来なかったのだが、
彼の横顔を睨めつけるジョゼフの眼光は、軽蔑と嘲笑以外の感情を些かも宿してはいなかった。

「それはだね、さる国で開発された―――」
「―――そちらのお察しの通りさ。特にここは電子部品の名産地。工場の排水やら何やらが結構な問題になっていたよ。
少し前には公害裁判も起こったしね―――ま、あたしゃここの生まれでもなんでもないから、
ぶっちゃけ他人事みたいな言い方しかできないんだけど」

 返答の為に腰を浮かせかけたボスであったが、その挙動は先んじて声を上げたクインシーによって押し止められてしまった。
 依然として彼女の眼差しはソニエを舐り続けている。ホゥリーと見比べる中で衣服の全体像を掴んだらしいクインシーは、
次に刺繍された紋様や装飾などを注視し始めたようだ。
 対するソニエは、長年追い求めて来た課題にヒントを与えてくれるだろう相手の出現によって興奮が最高潮に達しており、
頭の先から爪先に至るまで視線を這わされていることにもまるで気付いていない。
 代わりにケロイド・ジュースが身を硬くし、これによって無言の威圧を図った。彼はクインシーに尋常ならざる気配を嗅ぎ取ったようだ。
 だが、クインシーも肝が据わったもので、微かに殺気が含められた威圧を叩きつけられても全く動じず、
観察を切り上げるような素振りは少しも見せなかった。
 サークレットが証明するようにクインシーはれっきとした神官なのだが、神経の図太さや肝の据わり方は、
むしろ実戦慣れしたベテラン冒険者に近いものがある。
 善かれ悪しかれ、聖職者離れした人物である。

「“お察しの通り”と言うことは………」
「環境汚染対策―――フィガス・テクナーも少し前にそいつを買い入れたようだね」

 ケロイド・ジュースの懸念を余所に、ソニエとクインシーは正面切って相対する恰好だ。

「公害によって喰らったダメージは、あんたの言う環境汚染対策を実施したことでだいぶ回復したみたいだよ。
あたしもココに来るのは数年ぶりだが、前んときよりもダンチだね。
とにかく悪臭がキツくてねぇ………マスクしなきゃ歩けなかったなんて、信じられるかい?」
「都市周辺の自然はどうだったんですか? やはり枯れていたのでしょうか!?」
「察しがいいコだね。草木は枯れて―――仮に残ったとしても、生態系をヤラレて畸形化って有様さ。
およそ人の住むような場所じゃなかったね」
「―――――――――ッ!」
「認めたかないけど、『アムリタ』の効果だろうね。短期間で清浄化しちまうなんてさ」

 クインシーの話から自分たちの住むBのエンディニオンに共通する事項と、
おそらくはこれを改善せしめた要因と思われる『アムリタ』なる言葉を拾い上げたソニエは、
興奮を抑えきれないと言った様子で喉を鳴らした。
 既に彼女にも自覚できていないのだが、心臓の鼓動は異常な速度で早鐘を打っている。

「尤も、全ての土地にまでアムリタが、あの“神露(かんろ)”が行き渡っているとは言い難いんだがね。
フィガス・テクナーと違って痩せ細っている土地も少なくはないのさ」
「………どう言うことです? 何か事情が………?」
「胸糞の悪い話なんだが、とある拝金野郎の専売特許なんだよ、『神露アムリタ』ってのは。
こいつがまた強欲な男でね。カネを積まなければ、環境再生すら出来ないってハナシなのさ。
“市民に仕える執事”だか何だか知らないが、やってることは人の心に付け入る悪魔とおんなじさ。
………世の中、性根の腐った人間のところにばかりカネが転がり込むんだ。
これがイシュタル様の定められた運命って言うんなら、恨み節の一つでも披露したくなるもんだね」

 得られた情報は些か抽象的で、直ちに具体化するのは難しそうだが、
どうやらフィガス・テクナーにも施されている環境汚染対策は、
“市民に仕える執事”を自称する輩――クインシーの言葉を借りるなら、性根の腐った拝金野郎――によって独占されており、
これを商売にして財を成しているようである。

 ………ただし、個人的感情が強く感じ取れるクインシーの発言は、やや信憑性を欠いているように思える。
 質問者のソニエを始め、アルフレッドたちもクインシーの言い草を鵜呑みには出来ないと判断。
結局、真に受けたのは単純明快なハーヴェストただひとりであった。
 当のハーヴェストは早くも義憤に駆られ、「掛け替えのない生命を量り売りにするとは不届き千万ッ! 
黄金に勝る財宝がエンディニオンにあることを必ず教えてあげるわッ!!」などと何時にも増して暑苦しい雄叫びを上げている。
 本当に環境再生を商売道具の如く扱う悪党であるなら、ハーヴェストの憤激に呼応して起つべきであろうが、
その判断を下すには、“市民に仕える執事”なる男の情報はあまりにも少ない。
 “市民に仕える執事”の人となりをクインシーから聴取したところで、おそらく適切な判断材料にはなるまい。


「そのアムリタと言うのは、一体、どう言った類の―――」
「―――今度はこっちからも質問させてくれないかい? ………アンタがたは教会の人間なのか? こっちの世界のさ」
「―――は、はィぃッ!? 教会………?」

 “市民に仕える執事”の件は、クインシーが席を外した後で他の住民たちに確かめればいい―――
更なる情報を求めるソニエは、具体的に神露アムリタが何を指すものかを優先して尋ねようとしたのだが、
それはクインシーによって中途半ばで遮られてしまった。
 アムリタに関する質問を続けようとしていたソニエに対し、クインシーは逆に彼女の身分を検めに掛かった。
“教会の人間”なのか、と。

 有無を言わせぬ語気である。
 今まで質問に答えてやったのだから、そちらも同じように応じるのが礼儀だろうと迫る不調法なやり口には、
さしものソニエも面食らってしまった。
 どうもクインシーはこのこと―――つまり、ソニエが自分と立場を同じくする人間なのか、ずっと確かめたがっていたようだ。
 ボスを遮ってまでソニエの質問に答えたのも、おそらくはここでイニシアチブを取る為であろう。
虎視眈々と狙っていたチャンスをようやく掴んだと言うわけだ。

 クインシーから発せられた問いかけは、ソニエだけでなくホゥリーにも向けられていた。
 よもや今の流れから自分にまで声が掛けられるとは想像だにしていなかったホゥリーは、
寝そべっていたソファから盛大に転げ落ち、その拍子に咀嚼中であった大量のポップコーンを喉に詰まらせてしまった。

「………あんた、訊いたコトある?」
「キョウカイねェ。バースしてからずっとマコシカのマンだけど、ンなワードをリスニングしたのはファーストだヨ」

 窒息による生死の境から生還したホゥリーは、呆気に取られているソニエと顔を見合わせ、次いで互いに肩を竦めた。
 そもそもふたりには、クインシーの言う“教会”の意味が理解できていない。
これでは何を問われても、答えようがなかった。

「―――わかった、訊き方を変えよう。宗派はなんだい? 
あたしゃ、おたくらみたいな恰好の神官なんて、生まれてこの方、見たことがないんだ」
「宗派? 信仰している神人(カミンチュ)が誰かってコト? あたしたちは特定の神人(カミンチュ)を選り分けたりしないのよ。
創造女神イシュタルと、その仔たる神人(カミンチュ)は、等しく尊び、奉じるべきもの―――でしょ?」
「あたしゃ、そう言うことを言ってるんじゃないんだよ。………急に物分りが悪くなったね、このコは。
それともしらばっくれているのかい?」
「しらばっくれるって、ちょっと、どう言う意味よっ?」
「ソニエっちを庇うつもりはナッシングだけど、バットしかし、チミのトークはワンもツーもミーン不明なんだよネ。
教会だっけ? トークやセルフ紹介をリスニングする限り、チミはザットのメンバーみたいだけどサ、
ボキらに同じ常識が通じるとシンキングしたワケ? AのワールドとBのワールドでギャップがあるってチェックを
今の今までやってたんでしょ〜が。チミはナニをルックしてたのサ」
「………それはそうだけど―――本当に教会とは無縁なんだね? 信用していいんだろうね?」
「疑りディープなオバタリアンだネ〜。ビリーヴしてグッドかバッドかクエスチョンするのが、ボキらをサスペクションしてる証拠サ。
チミ、性格バッドだってエブリバディから後ろフィンガー差されてるクチでショ?」
「………………………」
「………沈黙が怖いのよね、こう言うときって。あたしら、恨みでも買ったのかしら? ここまで疑われる説明がつかないわよね」
「………………………」

 ましてや、このように過剰な反応を見せる理由も判然としない。
 ソニエとホゥリーが当惑したように立ち竦んでいる間にもクインシーの表情(かお)は厳つさを増しており、
口を開いても質問ではなく難癖をぶつけるようになっている。

「あぁ、オバチャンの言いたいことがなんとなくわかったぜ。残念ながら、この人たちは他の教会の回しモンじゃね〜ぜ。
つーか、教会みたいなもん、どこ探してもなかったもの。自然礼賛っつーの? 
アンタら教会の神官サマと違ってさ、地上にある全てを愛し、敬いましょ〜ってヤツね。神はどこにでも宿るって話さ。
―――おっと、自分らの信仰とやり方が違うからって、異教徒扱いなんてしないほうが身の為だぜ。
なにしろ、このマコシカの皆サマがたはCUBEに頼らず自分たちだけでプロキシ使えちゃうんだからねェ」

 両者の膠着を破ったのは、横から割って入ったダイナソーのマシンガントークだった。
 Aの世界の住人として教会のことを周知し、またBの世界でマコシカの民と浅からぬ関わりを持ったダイナソーには、
クインシーの言わんとしている意図が察せられたらしい。
 歌舞を奉納することによって神人(カミンチュ)と交信し、その神威(ちから)を授かるマコシカの秘儀を、
ダイナソーは身振り手振りを交えて実演して見せた。
 改めて詳らかにするまでもないのだが、マコシカの民でなければプロキシの修行をしたこともないダイナソーが
奉納の歌舞を再現したところで単にアイドル歌手の猿真似をしているようにしか見えず、
張り詰めていた場の空気とのミスマッチが何とも滑稽なのだが、しかし、彼なりにソニエたちを仲裁しようと懸命なのだ。
 もしかすると、マコシカの民に迷惑を掛けたことを密かに気に病んでいたのかも知れない。
 調子外れにも程がある歌声を張り上げ、下手くそな振り付けで舞い踊る様へ
アイルは可哀想なものを見るような眼差しを向けているが、今のダイナソーにはそれも些末なことであった。

 外野はともかく肝心のクインシーはプロキシの話を聞いた途端、
見る間に顔色を変えていき、椅子を蹴ってダイナソーへ歩み寄ると両手でもって胸ぐらを掴み上げた。
 満面には酷い狼狽の色を浮かべている。

「不敬なッ! 小生とて同じく不愉快だが、無体を働くほどでもあるまいッ! 
なおも狼藉に及ぶつもりなら、相応の報復は覚悟せよッ!」
「不敬はどっちだい!? 恐れ多くも神人(カミンチュ)へ接触しようなんて―――」

 ダイナソーを救わんとするアイルの抗議も、炎となって逆巻くクインシーの激情へ油を注ぎ足したに過ぎなかった。

「そもそも不思議に思わなかったのかい!? 単独でのプロキシなんて人間業じゃあない!
まして神威を借るだなんて、そんなことがあっていいのかいッ!?」
「不思議って言われてもねぇ。あたしらンとこは、こーゆーのに慣れてンだよ、悪いンだけど」

 ディアナの言う通り、アルバトロス・カンパニーの面々はアイルが操るノイエウィンスレット家の秘術・オーキスがすぐ身近にある為、
秘術や魔術の類は常日頃より見慣れているのだ。
 特異科学(マクガフィン・アルケミー)を専攻するトキハに至っては、
現代科学で再現し得ないような超常的な事柄を事実及び知識として学んでいる為、他の誰よりも冷静にこのことを受け止めている。
 一種の慣れによって感覚が麻痺していると言えばそれまでだが、
マコシカの民がCUBEを媒介とせずにスタンドアローンでプロキシを使いこなしても取り立てて驚くようなことはなかった。
 むしろ、自堕落そのもののホゥリーが厳格な修行を耐え抜き、
プロキシの使い手たるレイライナー(精霊戦士)として長じたことのほうがニコラスたちには遥かに衝撃的であった。
 ある種の精神的なゆとりを以って接することが出来るほどにアルバトロス・カンパニーの面々は肝が据わっており、
それ故、神人(カミンチュ)との交信も含めて、誰ひとりマコシカの秘術を疑問に思わなかったわけである。
 マコシカの秘術を耳にして動転したクインシーとは正反対だったと言えよう。

「同じような秘術であれば、こちらの世界にだって似たような使い手がいるではありませんか。
奇しくも同じ古代民族で―――」
「―――あれはアーティファクトを使っているからであって、全く意味が異なるんだよッ!」

 学者のタマゴらしく知識を駆使して反論を試みるトキハであったが、
凡例を挙げて解説したところで気の昂ぶっているクインシーは耳を貸さないだろう。

「………いい加減に手を離せ。さもないと、本気で容赦しねぇぜ」

 見るに見かねたニコラスは、素早くクインシーの脇へと回り込み、続けざまに彼女の右腕を捻り上げた。
 これによってようやく窒息の危機から解放されたダイナソーは、アイルに背をさすって貰いながら呼吸を整えると、
血走った眼をクインシーに向けて「何様なんだよ、てめぇらッ! 教会ってのがそんなに偉ェのかッ!? 好き放題やりやがってよォッ!」と
痛烈な罵声を吐き捨てた。

 その裏では、ソニエがプロキシの発動準備を進めている。クインシーの目の前でプロキシを発動させて威嚇するつもりなのだろう。
 自分たちを庇ってくれたダイナソーの厚意に応えたいとも考えているようだ。
 彼女が発動させようとしているのは、十八番のホローポイントである。
 このような場で攻撃性のプロキシを発動させると想定していなかったケロイド・ジュースは、
乱心したものと見て慌てて止めに入ったのだが、ソニエは彼の腕を振り払い、
「ホンキで当てるつもりはないわよ! でもさ、ナメられたままじゃ終われないのよ!」と啖呵を切って見せた。
 攻撃の意思はないと口では言っているが、成り行き次第ではどうなるかわかったものではない。
ソニエもクインシーも感情が昂ぶったままなのだ。荒事にまで発展する可能性は極めて高かった。

「上等じゃないの! ここまで虚仮にされたら黙ってらんないわ! アンタの記憶に一生のトラウマを刻んでや―――」
「―――頭を冷やせ、ソニエ」

 神人(カミンチュ)との交信を終え、掌にホローポイントの光弾を作り出そうとしていたその矢先、
後ろからフェイの手が伸びてきて、彼女の腕を強引に引っ張った。

「さっきから脱線し過ぎているんじゃないか? 僕らが確かめるべきはそこなのか? こんなものにどれ程の意味がある? 
………必要のない会合なら、今すぐにやめてしまえっ!」

 フェイから発せられた鋭い叱声が、最早、会合の体を成していないこの騒動へ終止符を打った。
 お互いがお互いに反省するところがあり、フェイの一声によってようやくこれを自覚したのだろう。
話の腰を折ったことにフェイが立腹したものと捉えたソニエは、バツが悪そうに自席へ引き下がった。
 一先ずクインシーが落ち着きを取り戻したと見て取ったニコラスも彼女の腕を解放し、これによって会場は全き沈黙に包まれた。

 ………果たして、フェイが本題からの脱線を窘めたのかは、わからない。
 確かに彼の表情には不快感が染み出しているし、ソニエを強引に引き止めたことで騒動が収束したのも事実である。
 だが、誉められて然るべき筈のフェイを見つめるジョゼフの眼光は、賞賛どころか一層軽蔑の色を濃くしており、
事情(こと)の複雑さを無言の内に物語っていた。


「―――Bの世界にあってAの世界に無いものがまだ残ってる」
「え?」
「CUBEも、信仰も、我々の世界はどちらも似ているが、ひとつだけAの世界にしかないモノがある」

 水を打ったように静かになった会場に野太い声が響いた。
 ボスだ。議論へ押し黙ったまま耳を傾けていたボスが、表情を硬くさせながら新たな―――そして、最後の議題を机上に載せた。

「―――ギルガメシュ………。そうだ、ギルガメシュがこちら側のエンディニオンにはいないんだ………ッ!」
「………ギルガメシュ?」


 ――――――ギルガメシュ。


 怒りと憤りと…一握の怯えをはらんだ声色でボスはその名を繰り返した。


 ふとアルフレッドがテーブルの向かい側を見れば、ボスの口から飛び出した『ギルガメシュ』という言葉に
Aの世界の住民たちが敏感かつ過剰に反応を示している。
 クインシーは口元を苦々しく歪め、同席した他のフィガス・テクナーの住人たちも
「そうだ、ギルガメシュを忘れていた」、「呑気にミーティングなんてしてる場合じゃなかった」と不安げにざわめき始めた。
 “神隠し”に遭っていた“迷子”のニコラスたちだけが蚊帳の外状態で、
同胞たちが何を話しているのか意味がわからず、皆、顔を見合わせて首を傾げる。

 Aの世界の住人であるニコラスたちなら『ギルガメシュ』の正体を周知し、何らかの説明をしてくれるかも知れないと期待し、
目配せしようと考えたアルフレッドだったが、集団で首を傾げる様子では望ましい返事は欲するべくも無い。

「アレだよな、なんとかって言う国とドンパチやり合ってたんだっけ。そこから先はよく知らね〜んだよな」
「………もともとギルガメシュは裏の世界で活動していた筈。僕らには無縁じゃないですか。
それなのに、どうして皆さん、深刻な顔して―――」

 ダイナソーとトキハはどうやらギルガメシュと言う言葉に聞き覚えがあったらしく、
「そんなマニア向けな話なのか? よく知ってるな、お前ら」と感心するニコラスの頭越しに議論を交わしているが、
そんなふたりも完全には正体を掴んでいない様子である。

(聴いたことが無いが………ギルガメシュ、だと?)

 ギルガメシュ―――いかなる存在だと言うのか。
 ダイナソーとトキハの会話からイリーガルな存在だと言うことは推察されたが、しかし、姿も形も想像が出来ない。
 一つだけ確かなのは、その名が呟かれただけでAの世界の住人へ多大な動揺と波紋を落とすだけの影響力を有していることか。
 大勢の人間に凍て付くような恐怖を与える、畏怖すべき影響力だけはアルフレッドにも感じ取ることが出来た。

 このままフィガス・テクナーの住人たちの混乱を漫然と傍観していても仕方がない。
 彼らの恐怖と動転を見る限りではお世辞にも秩序ある存在とは思えず、
ともすれば、今後、味方ではなく敵に回る可能性が高そうだ。
 敵対者の可能性が出てきた以上、万が一の場合に備えてその正体を掴んでおかねばならないと思い至り、
ギルガメシュに関する質問へ手を伸ばしかけたアルフレッドだったが―――

「―――アルッ!」
「………フィー?」

 ―――ミーティングの場へ飛び込んできたフィーナの金切り声で驚いた拍子に、問いかけを喉の奥に零してしまった。

 質問のタイミングを阻まれて憮然とした目を向けるアルフレッドだったが、
視線の先で肩を上下させるフィーナは相当に焦っている様子だ。ここまで全力疾走してきたのだろう、
盛大に息を切らせていて、顔面も真っ青。今にも倒れそうである。

「お、おい、どうしたんだ? 何かあったのか?」
「マユちゃんが………緊急連絡を………アルにって………」
「あいつが? 俺に?」
「………ごめ―――ちょっと………休ませ―――本気出しすぎて―――もう………足ガクガクで―――」

 水分を失い、カラカラに渇いた喉では言葉を作ることもできず、
アルフレッドの鸚鵡返しの問いにコクコクと頷きながらフィーナは自分のモバイルを彼の目の前に差し出した。
 通話中を知らせる液晶画面には、電波の向こう側にいる『マユ・ルナゲイト』の名前も表示されている。

 アルフレッドがモバイルを受け取ったのを確認して緊張の糸が切れたフィーナは
グルグル目を回してその場にへたり込んでしまった。
 嗄れかけた喉で全力疾走してきたと話していたが、よほど長距離を駆け抜けたのだろう、前言通り足はガクガク。
慌てて駆け寄ったトリーシャに抱き起こされても自分の足で立つことさえ満足に出来なかった。
 衣服も水を吸ってぐっしょり重くなっているが、これは間違いなく汗を出し尽くした証拠だ。
 シェインがバックに常備してあるスポーツ飲料を差し出し、辛くも事無きを得たものの、
水分補給がもう少し遅れていたら比喩でなく危なかったかも知れない。

 スポーツ飲料のボトルを一気に飲み干して人心地ついたフィーナの傍らにはムルグが寄り添い、
羽撃きによって起こした涼風を健気にも彼女へ送り続けている。
 涙ぐましいまでの愛情だ。「その優しさを半分でもいいから俺に向けろ」と傍観するアルフレッドが舌打ちするくらいに。

「もしもし―――」
「キリュー(Kill You)ッ!」
「………開口一番がそれか」
「この場合のキリューはフィーちゃん宛ての『食べちゃいたいくらい大好き』ではなく、
ストレートに『死んじゃえ☆』ですから誤解しないようにお願いしますね」
「煩い、黙れ」

 モバイルを耳に当てるなり決まり文句が耳を劈き、アルフレッドは重苦しい溜め息を吐いた。
 まさかこれを言う為だけにフィーナを全力疾走させ、世界の趨勢が賭けられたミーティングを邪魔したのであれば
本気で怒鳴りつけてやろうかと思ったのだが、声色を「ジョークはここまでにして」と生真面目なものに戻したマユは、
要件を別に用意している様子だ。

「………アルフレッドさんの耳には是非とも入れなくてはならないと思いまして。取り急ぎご連絡差し上げました」
「………わかった。続けてくれ」

 言葉を紡ぐにつれてマユの声が硬く、渇いたものへ変わっていくと気付いてからは、
アルフレッドも背筋を正して彼女の連絡に耳を傾けることにした。
 声色を通してマユの緊迫感が伝わり、連絡の内容が尋常で無いことが理解できたからだ。

「ワシに連絡を寄越せば良いのに………いたわりの無い孫じゃわい」
「あたしがここにいるってこともメールで知ってるハズなのに………可愛げの無い妹ね」

 マユに肉親よりも友人を優先されてジョゼフとソニエがいじけていると、
フィーナに遅れること数分、彼女の後へ続くようにしてマリスたち、ショッピング組がアルバトロス・カンパニーの事務所へ姿を現した。
 フィーナと同じく他の皆も肩で息をしており、ここまで走ってきた様子が窺えた。
 つまりフィーナは彼女たちと数分もの距離を離して全力疾走してきたわけだ。
そんな走り方をしたら体力を使い果たして倒れるのは自明の理と言えよう。

「だ、大丈夫ですか? ―――あぁ、もう、髪まで濡れそぼってしまって………タスク、ドライヤーを用意して頂戴」
「ホットタオルと各種トリートメントもご用意してございます。フィーナ様のお着替えもこちらに」
「どこか着替える場所を貸していただければ幸いなのですけど………それにしても短慮が過ぎますよ、フィーナさん。
わたくしか誰かのモバイルでアルちゃんに連絡を入れて、アルちゃんのほうから先方に電話をかけ直して貰えば
こんなことにならずに済みましたのに」
「………………………」
「マリス様、お言葉ではありますが、フィーナ様には髪のケアよりもマッサージのほうが必要かと存じます」

 至極真っ当なツッコミをマリスから貰ったフィーナだが、返す言葉も無いのか、反応するだけの余力が無いのか、
トリーシャが用意してくれた椅子に凭れ掛ったまま、震える手を彼女に向けて翳すのみ。
 ゼスチャーの意味はわからないが、とりあえずお小言を拝聴している意思表示というのは理解できた。

「みんなでおそろいなのっ」
「お? なになに、どした?」
「記念なの♪ 想い出なの♪ 女の子チームでお揃いのペンダントを買ったの♪」

 ルディアだけは元気なもので、首から提げた小さなペンダントを摘み上げ、「えっへん」とシェインに自慢して見せる。
 ブバルディア――花言葉は『夢』――をあしらった胸元のペンダントは、アクセサリーを取り扱う露店で買い求めたものだった。

「さ、最初は辞退したんですよ? でもフィーナ様とマリス様に押し切られてしまって………。
自分の年を考えずに恥ずかしい真似をしていることはわかっています、はい………」
「年なんか気にすることないよ。女性は美しく飾るのが義務なんだもん。美しくあって欲しいね」
「ヒューさん、妻帯者でしょ。奥さんにバレたら袋叩きじゃ済まないよ」
「わかってねぇなぁ、ネイトはァ。所謂一つのアレだ、別腹ってヤツ? 
男って生き物はよぉ、使い分けOKな恋と愛を胸のポッケにたくさん忍ばせてるんだよぉ。
お前も“付いてる”ならわかんだろ? いや、わからいでかッ!!」
「………申し訳ありませんが、そう言った話は本人がいないところで話してくださいませんか? 失礼です、ヒュー様は」

 嬉しそうに自慢するルディアの言う通り、ブバルディアのペンダントはグロッキー状態のフィーナやマリス、
ハーヴェストの胸元でも全く同じ輝きを放っていた。

 皆、ルディア同様に“お揃い”という点に連帯の喜びを見出しており、何を隠すこともなく首から提げているのだが、
自分の年齢にはそぐわないと勝手に思い込むタスクだけは真っ赤になって胸元を覆い、
ブバルディアのペンダントが人目に触れないよう躍起になっていた。
 他の面々と比べて年齢が高いことに恥じらいを感じているのはわかるのだが、
三十路をたった一つ越えたばかりのタスクはまだまだ若々しく、ほんのり化粧を施せば十代後半と自称(というか詐称)しても十分通用する。
 そんな女性が身悶えるようにして恥らう姿を見せられたら、ヒューでなくともナンパな気持ちを起こしてしまうものだ。

 ダイナソーもその一人で、ヒューへ続けとばかりに軽やかにタスクへ接近を試みようとしたが、
途中でアイルに足を引っ掛けられ、哀しい哉お目当ての彼女に到達する前にカーペットとキスするハメになった。
 突出したトサカもカーペットと情熱的なベーゼを交わしたことによって完全に崩れ、鮮やかなまでの末広がり。
とても口説きに行けるようなスタイルでは無くなってしまった。

 バカ暴走なダイナソーほどではないが、トキハもトキハでリンゴみたく真っ赤になって頭を振るタスクの姿には
電流走る瞬間があったようである。
 タスクとシンクロするようにして顔を真っ赤にし、それでいて彼女から目を離せずにいるところがウブなトキハらしかった。

 ヒューに倣ってちょっかいを出し始める前にムーラン・ルージュで横っ面を殴りつけ、
ローガンを黙らせたハーヴェストの手付きと言ったら慣れたものだ。
 おそらく彼のイタズラにはいつもこうやって対処しているのだろう。
 「スキンシップやんけ〜」などと情けない声を出して床に突っ伏すローダンと本気で迷惑そうなハーヴェストの構図も、
二人の愉快(?)な関係を如実に表している。主に力関係を。

「良い買い物をしたな。そのペンダントは願いが叶うことで有名なんだぞ」
「ホントなのっ!?」
「かく語る小生は物の本でしか読んだことが無いから、実物を見るのは今日が初めてなのだが、な。
―――これは、ラピス・ラズリを材料にしているのだな。………うん、心を落ち着ける美しいペンダントだ。
噂は本当だよ。こんな綺麗なペンダントが願いを叶えてくれないわけがない」
「ホントにホントっ!? ルディア、もうハッピーでバクハツしちゃいそうなのっ!」
「小生が保証しよう。願いは必ず叶うと」
「んン―――っ! も〜バクハツなのっ♪」

 ショッピングに出かけた女性陣がお揃いで購入したペンダントについていささか覚えのあるアイルがそれを教えてやると
ルディアのテンションはますます鰻昇り。
 眩いばかりの笑顔を弾けさせながらアイルの胸に飛び込み、
「アリガト♪ アリガト〜♪」と何度も何度も繰り返して喜びを全身で体言した。

 リーヴル・ノワールでの一件でルディアがトラウマを負ったのではないかと危惧していたシェインたちは、
思いのほか――むしろ想像の遥か上を行く勢いの――元気な彼女の様子にホッと胸を撫で下ろす。
 小さな子供が悲しみに泣く姿は耐えられないが、太陽のように明るい笑顔を浮かべる姿はどんなに長く眺めていても飽きることはない。
悲しみなど想い出さずにずっとずっと元気なままでいて欲しい。
 ディアナとアイルもルディアのペンダント自慢へ微笑ましそうに何度も何度も頷き、
シェインたちと想いを一にして、この小さな小さな少女の元気に陰りが差す日など来ないよう心から願った。


 しかし、あまり元気過ぎるのも場合によっては考えものらしい。
 ピンと立てた人差し指を唇に添えたアルフレッドに「静粛に」とゼスチャーされたように、
今この場での大騒ぎは控えたほうが良さそうである。
 ………良さそうではあるが、そんなのは知ったこっちゃないと言わんばかりにルディアはどんどんエキサイトして行き、
「アルが電話中だから今は静かにしていようね」と言う制止の手もどこからも伸びなかった。
 この小さな小さな少女の元気に陰りが差す日など来ないよう心から願う、
そんな者たちがどうしてルディアの笑顔を曇らすような行為をするのか。

 非協力的な仲間たちを恨めしそうに一睨みすると、アルフレッドは立てた人差し指を通話側と反対の耳の穴へ突っ込み、
外部からの雑音を物理的に遮断にかかった。


 そんなアルフレッドの顔へ戦慄と浮かび上がり、緊張の色で塗り潰されたのはそれから間も無くだった。
 マユから伝えられる内容に対して「ああ」とか「何?」と相槌を打つばかりのアルフレッドからは、
モバイルを介する二人の間に如何なる逼迫が張り詰めているのかまではわからないが、
それでも相当に危うい事態が起こっていることだけは読み取れる。

 彼が通話を終えてフィーナにモバイルを返却するまでの間、
アルバトロス・カンパニーの事務所は先ほどまでとは別な意味合いの緊張感に包まれ、言い知れぬ不穏に軋んだ。

「………………………」

 通話を終え、仲間たちに向き合うアルフレッドだったが、彼自身、マユからもたらされた緊急連絡を整理できておらず、
不安げな視線をぶつけて来る彼らを見渡しながら、何度となく溜め息を吐き出した。
 自分を落ち着ける儀式のように何度となく。

「………………………」
「おい、ホンマ、何があってんっ!? ごっつ顔色悪いでっ!?」
「………今、ルナゲイトにいるマユから連絡があったんだが………」

 生唾を飲み込んでから一呼吸入れて、アルフレッドが告げたのは―――

「ジューダス・ローブから新しい犯行予告が届いた。………奴は次に“サミット”を狙うつもりだ」




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