5.闇の心


(………昼と夜と朝が永劫に巡るよう、人の世の喧騒もまた永劫に巡るものですね………)

 マリスの気が滅入るのも無理はない。
史上最悪のテロリズム予告がもたらされるや否や、ルナゲイトへ急行したアルフレッドたちは、
その足でセントラルタワーの二十四階に用意された第一会議室へ駆け込み、対ジューダス・ローブを話し合うブリーフィングの席に着いた。
 “対テロブリーフィング”と聴くと何やらスリリングな趣があり、シェインあたりの喜びそうなフレーズだが、
ルナゲイトに舞台を移しただけで、やっていることはフィガス・テクナーでのお篭りと殆ど変わらない。

 第一会議室と記されたプレートを右手に掲げた牛革張りのドアの前に立ち、
その向こう側より漏れてくる怒号にも似た激しい意見のやり取りへ耳を傾けるマリスの口からは、
先ほどから幾滴もの溜め息が玉を結んで零れ落ちている。
 話し合いの内容がブリーフィング…即ち戦闘行為を前提とした作戦会議という点がマリスを鬱屈へと誘っていた。

 アルフレッドや、この場にいないゼラールと同じアカデミー出身者のマリスではあるが、
軍事行動を主に学んだ彼らと異なるセクションに籍を置いていたマリスはこと戦闘に関してはズブの素人。
 技術やフィジカルの面だけでなく戦闘に関する知識も皆無で、同じ“ズブの素人”を出発点にしているフィーナやシェインと比べても、
既に何度となく激戦へ遭遇し、その都度、前線に立って剣林弾雨を切り抜けてきた彼らとは大きな開きが出ているだろう。
 チーム内最弱は自負しているし、戦力外通告を自分自身へ断言することだってできる。

 ブリーフィングへ参加したくても、それが出来ない。アルフレッドの力になりたくても、それが叶わない。
 マリスの心へかかり、彼女を鬱屈させる靄の正体は、動かし難い無力感だった。

 リーヴル・ノワールにて勃発したメアズ・レイグとの抗争は、自身の力量不足をマリスに強く意識させる出来事であった。
 直前に起きたホムンクルスとの遭遇戦では、絶体絶命の危地を脱する為にCUBEを用いてハーヴェストたちをサポートすることが出来た。
自分でも満足の行く成果であったし、最良の機転だったことは仲間たちも認めてくれている。
 だが、続くメアズ・レイグとの戦いでは、完全に足手まとい。戦力外通告を受けたようなものだった。
 ………否、誰かから戦力にならないと突きつけられたのであれば、まだ落としどころもあった。
他の誰でもない自分自身で無力を痛感してしまったからこそ、みじめでならないのだ。
 事実、戦闘中にマリスがしたことと言えば、ダブル・エクスポージャーの餌食となったソニエを救出すべく駆けた程度である。
 ただ、“その程度”と卑下しているのはマリス本人だけであって、他の面々は十分に殊勲賞に値する働きだと絶賛している。
 マリスが駆けつけたお陰でソニエも命に関わるような負傷を回避出来たのだから、賞賛は全く正当なものであった。
 にも関わらず、殊勲賞ものの働きを卑下してしまう最大の理由は、アルフレッドの力になれなかったことである。

 アルフレッドと出会った時期が自分よりも遥かに遅い筈のヒューが、
ほんの一瞬のアイコンタクトのみで彼の真意を察し、作戦内容まで的確に汲み取ったことは、
マリスへ脳天を直撃するような衝撃を与えた。
 生まれたときからずっと一緒に育ってきたフィーナとアルフレッドが見せた阿吽の呼吸は、
グリーニャの幼馴染みに比べて彼と過ごした時間が歴然と劣るマリスへ胸が張り裂けるような痛恨を与えた。

 ヒューのように作戦へ貢献することは出来ない。フィーナのように言葉も交わさずコンビネーションを組むことも出来ない―――
何一つとしてアルフレッドを援けられなかったマリスは、自分を足手まとい以下だと責め続けているのだ。

 技術も知識の無い自分では、例えブリーフィングに列席したとしても物言えぬ置物になるだけ。
下手に口を挟めば談合の流れを乱し、足を引っ張りかねない―――仲間に対する迷惑はもちろんのこと、
アルフレッドの采配を妨げるような真似だけは耐えられなかった。

 己の無力を弁えているからこそ、「一緒に行こう」と誘ってくれたフィーナの招きを辞してブリーフィングを欠席したのだが、
これで良かったのだと納得する反面、心の片隅には「誰の役にも立てない」と言う悔しさが鈍痛を伴って根を張っていた。

「タスクちゃんの、ふっかふかなの〜♪」
「ルディア様………いくら遊び道具が無いとはいえ、私の胸を玩具になさるのは如何なものかと存じますが………」
「ルディアのお顔だったら、きっとサンドウィッチできるの♪ 試してみたいの♪」
「お下品ですよ、ルディア様。第一、そんなことをして何が楽しいのですか?」
「世界が誇る釣鐘が新しい未来を創れるかのチャレンジなのですのっ」
「………全く意味がわかりません」

 別名“ギヤマンの巨塔”とも呼ばれるセントラルタワーの壁面は、
コンクリートの打ち付けを極力排し、最小限の鉄筋とガラスで組み上げた透明度に特化した造りになっている。

 一種変わった造りのセントラルタワー。
遠目にはスケルトンの角錐にも見え、初めてルナゲイトを訪れた人は、まず町の中央に聳え立つこのランドマークに度肝を抜かれる。
 日中はダイレクトに差し込む陽の光によって照明を全く必要としない明るさを保ち、
ガラス張りゆえに外の様子を一望することができた。
 それはつまり外からも中の様子が丸見えということだ。
 マスメディアを統括するセントラルタワーは、ともすれば権力の中枢との印象を拭いきれない部分もあるのだが、
ガラス張りで内部の様子が透過されたことによって開かれたイメージを与え、
なおかつそこに働く人々へ“常に見られている”と意識させ、社会の規範となるべき緊張感を保たせるのにも効力を発揮している。

 エンディニオン最大の経済特区にしてマスメディアの中心地であるルナゲイトのランドマークたる機能をあらゆる意味で備えたのが、
このセントラルタワーなのだ。


(………良い景色だこと………)

 二十四階という高層からガラスの向こう側へ視線を落とすと、そこにはルナゲイトの町並みを一望できる大パノラマが広がっていた。
 フィガス・テクナーと比べるといささか見劣りしてしまうものの、
アルバトロス・カンパニーをして“Bの世界”最大の都市であるルナゲイトの町並みも華やかの極致とも言うべきものである。
 乱麻のように入り組んだ街路へ面した摩天楼群は、町全体がヤマアラシではないかと錯覚するぐらい夥しい数を張り出しているし、
行き交う人々は活発にして闊達。皆が皆、肩で風を切ってこの世の春を満喫している。
 高層から見下ろす人影は胡麻塩大の点々であり、個々の表情を読み取ることは不可能に近いが、
手の届かない場所に在っても、溢れんばかりの活力は感じられた。

「コリコリはいけませんっ! コリコリはなりませんっ!」
「じゃあ、ナデナデはOKなの?」
「ナデナデってドコを―――あのぉっ!? あの、ちょっとルディア様っ!?」
「んん〜、なかなかイイ感じなの♪ 未来志向の円周率までイケそうなの♪」
「な、なりませ………んんっ! おいたが過ぎま…す………ル………ルディア様ぁ………っ!」

 あまりにも観念的過ぎて、論理でもって説明することは難しいし、
例えようも掴みようも無いものだが、競争社会を体言する殺伐としたフィガス・テクナーには無い“温かみ”が、
人と人との繋がりが醸し出す優しい“空気”がルナゲイト全体に宿っている。
 そこから発せられるものが、人々の生き生きとした表情をマリスの瞳へ描き出す。
 これこそ“良い景色”ではないか。生命が真に生きている実感を形としたこの都市こそ、“良い景色”だ。

 エンディニオンに起こりつつある怪異を知らず、史上最悪のテロの標的となっていることも知らず、
平和を享受するルナゲイトは、穏やかな日々が脅かされる可能性を夢にも思っていないだろう。

(………この世の絶望を知らず、臨死の嘆きも知らず、当たり前のように青春を貪るなんて………そんな無価値な―――)

 ガラスの向こう側に見下ろせる都市は、災厄を知らない無垢のままで幸福の光を全身に浴びている。
 コーヒーショップのオープンラウンジで取りとめも無い会話に興じる学生たちも、
大胆なキャミソールで男性の人目を引く遊び人風の女性も、勤勉性を体で表す黒縁メガネをかけた研究生も―――
誰も、誰も、絶望の影を知らずにいる。


 無垢のままでいられる人々の闊歩が眩しくて、眩しくて、………妬ましくて、マリスは思わず瞳を反らした。
 瞳を反らし、足元へと視線が滑り落ちた瞬間、
いつの間にか意識が深窓の日々に支配された漆黒(くろい)い影へ染まっていることを自覚し、血が出るほどに唇を噛む。

(―――わたくしは、なんて醜いことを考えてしまったのでしょうか………)

 そして、一瞬でも妬みや嫉みを光纏う無垢の人々へ向けてしまった自分がどうしようもなく厭になった。

(………浅ましい………なんと浅ましい………自分自身が厭になりますわ………)

 今の自分は死の恐怖から解放され、彼らと同じように素晴らしき生を謳歌しているではないか。
無垢な彼らを妬み、嫉み、呪い、憎む理由などどこにも無い筈だ。いや、怨嗟を抱く瞬間などあってはならないのだ。
 それなのに彼らの無垢な姿が目に留まった瞬間、溌剌とした生を妬み、嫉み、呪い、憎んでしまった。
 ありったけの怨嗟を抱いてしまった。

 ………かつての自分を―――この世に根付くありとあらゆる生命へ、羨望や憧憬を塗り潰すほど激しい嫉妬を燃やし、
呪いの言霊を吐き続けた深窓の日々の追想を揺り起こしていた。

(………この“後遺症”とは、一生向き合って行かなくてはならないのですね………)

 もうどこにも生を脅かす影は無いのに。
 身と心を焦がして待ち侘びたアルフレッドとの幸福な毎日も手に入れたのに。

 それでもマリスは、過去(かつてのじぶん)を拭い去ることができずにいた。
 無垢な人々へ無意識のうちに醜悪な嫉妬を覚え、気付かないうちにかつてと同じ呪いの言霊を唱えそうになっている。
 自分でもどうしようもない過去からの“後遺症”を、マリスはようやく掴んだ幸せな日々に対する冒涜とさえ受け止め、
そこへ彼女の意思が介在していないにも関わらず、発症してしまうことそのものを深く恥じ入る。

 恥じ入って、改めてガラスの向こう側へ落とした瞳を再び足元まで引き戻してしまった。
 それまで何気なく見られた筈のルナゲイトの景観が、何故か今のマリスには網膜を焼くほどに眩し過ぎた。

「コカ? コケケ?」
「―――あっ、………あぁ、ムルグちゃん。どうかなさいました?」

 ふと頭のてっぺんに重みを感じたマリスが足元から頭上へ視線を巡らせると、
彼女の顔を覗き込もうとしているムルグと目が合った。
 頭のてっぺんに感じる温もりと、ほんの少しの痛み――大方、髪が爪に引っ掛かっているのだろう――はムルグのものだった。

 ―――そうだ、そうだった。
 今、自分はムルグやタスクと一緒にルディアのお守りをしているのだった。
 ブリーフィングに参加できないルディアの面倒を見ることが、アルフレッドに任された自分の仕事なのだ。

 ムルグのお陰でようやく意識が現実に復帰したマリスは、自分の任された役目を思い出し、慌ててルディアの姿を探す。
 広大なセントラルタワーで迷子にでもなられたら大変だったが、幸いもルディアはマリスのすぐ近くにいてくれた。
 ………と言うよりも―――

「マーリーちゃ〜ん♪」
「はいはい、どうしました?」
「んんん〜〜〜♪ タッちゃんのも捨てがたいけど………やっぱりマリちゃんのがイチバンなの♪」
「えーっと、何のお話か、掴み兼ねるのですけど?」
「弾力、感度、ロマンのおはなしなの♪」
「………ますますわかりません」

 ―――彼女のほうからマリスの胸に飛び込んで来てくれた。
 ルディアの話していることの意味はピンと来なかったものの、
マリスの豊満な胸に頬を摺り寄せてコロコロと喉を鳴らす彼女を見つめていると、
頭の中のクエスチョン・マークはすぐに立ち消える。

 ………それと同時に“後遺症”が落とした心の鈍痛も霧を散らすかのように晴れていった。

(創造の女神イシュタルにお祈りします。どうか私に―――)

 闇を感じずにいられる光溢れる場所を、ずっとずっと私に許してください―――
胸の中に抱きとめたルディアの温もりと、一杯に咲いた希望の光を感じながら、マリスは心からそう願っていた。

「ふ…、不覚………。よもやこの齢になって………貞操の危機に………しかも…、年端の行かない娘に………重ねて不覚………」

 何があったかわからないが、荒い息を継ぎながら顔を赤らめるタスクの、
給仕服を着崩したあられもない姿をマリスが見つけるのは、この後すぐである。







 マリスの溜め息が吹きかけられた牛革張りのドアの向こう側―――
ルナゲイトへ駆けつけたアルフレッドたちを待っていたのは、
几帳面に折り目の付けられた白い便箋と、無垢な色合いとは正反対の非道で悪辣な犯罪予告だった。

「こんなことがエンディニオンで許されていいのッ!? ―――否ッ!! 断じて否ッ!! 
暴力をもって意見することが社会を動かす一石と誤認するテロリストを許せる道理はどこにも無いッ!! 
例え…例え風に紛れ、林に身を潜め、火の影を盾に山の奥へ隠れようとも、
私は必ず照らし出す、その邪悪で禍々しいオーラをッ!! “セイヴァーギア”からは絶対に逃げられないッ!!」

 『サミットに参加する首脳陣を抹殺する』―――
真っ白な紙面へ落とされたドス黒い犯行予告に対して誰よりも早く断罪の吼え声を上げたのは、
極悪非道のテロリストを許して置けない正義の人、ハーヴェストである。
 フェイに勝るとも劣らない正義の人として世に知られるハーヴェストが卑劣極まりない暴力の応酬へ黙っていられるはずもなく、
両拳をテーブルへ叩きつけながら正義の怒りを迸らせた。

 決意表明をハーヴェストに譲った他の仲間たちも口には出さないものの、
稀代のテロリストに向ける怒りは並々ならないものがある。
 何しろジューダス・ローブが次に狙うと宣言したサミット(円卓会議)は、世界平和のシンボルとも言うべき会合なのだ。

 法による拘束力や裁判の効力が薄まり、我が物顔でアウトローたちが闊歩する乱世とは言え、
今日までエンディニオンが最低ラインの秩序を保ってこられたのは、
定期的に開催されるサミットに於いて各町各村の代表者が意見を交換し合い、問題点の解消に努めてきたからだ。
 テムグ・テングリ群狼領によるエンディニオンの武力統一が未だに完成を見ないのは、
後継者争いを発端とする計画の遅延のみが原因ではなく、
サミットを通じて反対勢力同士がスクラムを組み、その侵略を阻んでいることも大きく影響しているのだ。
 いまや世界最強となったテムグ・テングリ群狼領の馬蹄を押し止めると言うのだから、
サミットが持つ効力は計り知れない。
 エンディニオンの秩序と平和を維持するに欠くべからざる祭典―――それこそがサミットなのである。

 平和を紡ぐべき祭典を妨害し、崩壊させんとするジューダス・ローブは、
果たして、秩序に対する挑戦行為の結末に何を求めていると言うのか。

 テロリストらしく示威によって何らかの主張を行なうにしても、犯罪予告に記されているのは破壊対象のみであり、
世論へ訴えかけようとする主義も思想も、無味乾燥な白の便箋上には見当たらない。
 “透かし”の可能性もあるとして、念の為、火で軽く表面を熱してみたが、やはり便箋に動きは無かった。

 主義と思想を主張することのない、言わば大義無きテロリズムを無軌道に繰り返すジューダス・ローブは、
まさか平和と秩序を乱す行為そのものに無上の快楽を得られる…とでも考えているのだろうか。
 こればかりは直接尋問しないことにはわからないが、
人格破綻が予想される愉快犯を取調室へ放り込んだところで何を得られるとも思えなかった。

「例え、そこに如何なる理由があるにせよ、テロそのものが悪である以上は看過できない。
 何としてもジューダス・ローブを阻止し、平和と秩序の祭典たるサミットを護り切ろう」

―――高らかに宣言するフェイに呼応し、吶喊と共に腕を突き上げたアルフレッドたちは、
ジョゼフの要請を受けてサミット当日の特別警備チームへ任命されていた。
 組織的に動く通常の警備とは別系統に配置されたこの特別チームは、
各自がその場の判断に基づいて行動することを許されており、
ジューダス・ローブへ自由に遊撃を仕掛け、取り押さえる為の独自ポジションである。

 なにしろ今回は世界各地から首脳陣が集結するサミットだ。
 警備システムに支障を来たし兼ねない遊撃チームなど本来なら決して承認されるべくも無い…のだが、
フェイ、ハーヴェストの両雄が揃い踏みしたと言うことで特別に許可されたという経緯があった。

 両雄が誇る名声の賜物とでも言うべきか、特別警備チームの結成が宣言されるや否や、
周囲から寄せられる期待は膨らみ、そうなると自由遊撃に反対していた人々も
「彼らなら世界最悪のテロリストを逮捕してくれる」などと謙って支持に回らざるを得ない。
 ………いや、周囲に流されたのでなく、心の底から特別警備チームへテロ阻止の期待を寄せ、声高に支持を呼びかけ始めた。
 これもまた両雄の名声の賜物であろう。

「エンディニオンへ平和をもたらす祭典への攻撃予告は、即ち国際社会全体に対する宣戦布告である!
正義を愛し、正義に生きる者と、悪に堕落し、悪に酩酊する者との永遠の戦いなのです!
私はここに宣言しましょう! サミットが終了したとき、エンディニオンには厳然たる正義の炎が輝いていることを!
死した肌持つ悪魔は聖地にその邪悪な亡骸を横たえていることを! ―――これは単なるテロリストとの戦いではない。
永遠の戦いの歴史に新たなる系譜を打つ偉業だッ! 私と共に黒き歴史に一つ目の終止符を打ちましょうッ!!」

 英雄の誉れ高きフェイが神敵薙ぐと称えられるツヴァイハンダーで天を衝き、
雄弁吼える威容を目の当たりにした人々は、皆、魅入られでもしたかのように心を奪われ、全身から発せられるカリスマ性に酩酊する。
 サミットへ参加する全ての人々から全幅の信頼を勝ち得たフェイが采配を取る特別警備チームだ。
英雄の軍とも言うべき一団へ誰が異義を唱えるだろう。
 蒼天仰ぐツヴァイハンダーを翻したフェイがテロリズムの必滅を誓う頃には、
彼に向けられる畏怖と敬意は半ば洗脳に近い形で全体に伝播していた。

 神がかったカリスマ性を備える英雄ならではの人心掌握を、アルフレッドはこれまでにも何度か見てきたが、
その都度、圧倒されるのだ。
 このような離れ業をやってのける人間は、世界中探してもそう多くはなかろう、と。
 素直に脱帽してしまう。フェイを兄貴分に持てたことを誇りに思える。
 ………時折、様子を窺うようにして鋭い視線を向けてくることが――それも自分にだけ――彼には気にかかったが、
その仕草にもフェイなりの意図があるものとし、このときはさして深く考えることはなかった。
 ………このときは、だ。


 信頼を勝ち得た次に成すべきは、テロ行為を阻止し、ジューダス・ローブを逮捕せしめる為の完璧な作戦会議だ。
一騎当千が結集し、手数・戦闘力で圧倒しようとも、それだけで阻止できるほどテロは生易しくない。
 最も留意すべきは、セントラルタワーを狙った前回の攻撃時に爆発物が使用された点である。
今度も爆発物が投じられる可能性が高いとアルフレッドやヒューは踏んでいた。
 大勢の人間が密集する場において最も力を発揮するのが、忌むべき無差別殺戮を容易にしてしまう爆発物なのだ。
 爆発による大量の犠牲者を出しながらジューダス・ローブを倒せても、それはテロの阻止という完全勝利とは程遠い結果である。
 最悪の事態を回避する為にも無策の力押しで挑むわけにはいかなかった。

「………………………」

 サミットを襲撃する手段の一つに“爆発物”が挙げられた瞬間にフィーナの表情が曇った。

「フィー姉ぇ、もしかしてオッサンのこと………」
「………疑ってはいないよ。そんな人じゃないとは分かってる。………でも………」
「―――ったく………グリーニャにいてもいなくても、フィー姉ェに迷惑かけるな、あのオッサンめ。
人騒がせったらありゃしないよ」
「全く同意見だ。何しろ人間が心得るべき常識から外れた大馬鹿野郎だ」
「………………………」

 爆発に見舞われたリーヴル・ノワールから脱出する間際、劫火と熱風の只中へフィーナは実父の後姿を見つけていた。
 ほんの一瞬の邂逅ではあったが、アルフレッドやシェインも確認しているのだから、錯覚や幻像の類ではない筈だ。

「だが………悪い人間じゃないのも確かだろう? 何をしでかすか分からない男だが、
非常識ではあっても、テロリストに成り下がれるほどモラルに欠損があったわけではない。腐っても“善人”だ。
………だからこそ、腹立たしさも一入だがな」
「あいつ、善人って言うのかなぁ………微妙なとこだよ、正直。
モチ、フィー姉ェが信じるって言うなら、ボクもそれに乗るけどさ」
「………ん………うん―――二人ともありがと………」

 疑い出せばキリは無いが、裏を返せば実父がジューダス・ローブであるという証拠もない。
 何らかの偶然が重なり、たまたま爆熱に包まれるリーヴル・ノワールへ居合わせたという可能性も十分に考えられる。
 フィーナに出来るのは、葛藤を止めて実父を犯人と断定し、安楽になれと手招きする疑心の誘惑を振り払い、
その潔白を信じることしかなかった。

(………私とお母さんを捨てた人を信じられるかって訊かれたら―――本当は自信が無いけれど………)

 信じるしかなかった―――信じるに足る人格を持ち合わせた人間ではないと誰よりも知っているが、
それでも信じるしかなかった。


「ピンカートンさん、あなたは長くジューダス・ローブを追跡してきたと聞いています。
………単刀直入にお尋ねしますが、死傷者を出さずにこのテロリストを逮捕する可能性はどのくらいありますか?」

 フィーナが暗い思いに囚われている間にも、対テロの話し合いは続く。
 事態は一刻を争っており、個人の感傷にかまけている余裕など少しもある筈がない。

「ゼロ」
「………即答とは………思い切ったもの………しかし………返答が返答では………爽快感も………
マイナス修正よな………」
「それってあなたが一対一で挑んだ場合でのパーセンテージでしょ? あたしらが束になってかかった場合では?
自慢じゃないけど、私らのチームって言ったら―――」
「どれだけこちらの有利を考慮しても、敵からの攻撃を完全に防いで勝てる可能性はゼロだ。悪いね、ボインの姉ちゃん」
「質問を変えましょう。犠牲者を出さない方法はありますか?」
「状況にも寄るが今回はサミットが標的だ。一般の見学者をシャットアウトし、サミット出席者一人に対して
三人のボディーガードを付ければ、あんたの目的の半分は達成されるよ」
「………半分と言うのは?」
「ボディーガードの何人かは犠牲になるだろうな。最悪の場合、出席者からも死傷者が出る。だから、半分。
絶望的な数値を突きつけて悪ィが、出席者、ボディーガード、警備チームを合計して、
その半分でも助かれば御の字だ」
「………ふむ………現実とは………いつだって………過酷なものよ………ケセラ・セラ………とは………行かぬな………」
「他に死傷者出さずに済む方法となると、もうサミット自体を中止するしか無ぇな」
「根本的な解決になってないし、サミットを中止させれば首脳陣がテロリズムに屈した印象を与えるわ。
それこそヤツの思う壺じゃない?」
「ただでさえ世界規模の問題が頻発しているときだ。それだけは避けなけきゃいけないな」

 フェイたちの着眼点は鋭い。
 法の効力が薄い今、エンディニオンの秩序は極めて微妙なバランスの上に成立していた。
 世界規模で制定され、遵守すべきルールが力を持たないエンディニオンの秩序を維持しているのは各町村を統括するリーダーだが、
その首脳陣の弱腰が知れ渡れば、統率力に疑問を抱いた人間が暴徒と化し、
危ういバランスで保たれている平和と秩序が崩れる可能性は高かった。

 ジューダス・ローブ―――つまり、暴力で主義や思想を押し通さんとするテロリストに敢然と立ち向かい、
自らの強さと威厳を示すことが首脳陣には求められ、それを守るのがアルフレッドたちの使命でもある。

「最小限の犠牲者でジューダス・ローブを倒せる可能性はどのくらいだ? それと予想される犠牲者の数は」
「ア、アル、それはちょっと………」

 犠牲者が出ることを前提にしての推論を切り出したアルフレッドには、さしものフェイも口元を引き攣らせる。
 エンディニオンの秩序を守ることが絶対の使命とは言え、
いくらなんでも犠牲者を当然とする考え方と、これに基づく起案は諸手を挙げて賛同できるものではない。
 賛同どころか非難すべきものだ。

 しかし、アルフレッドは非難の声を許さなかった。
 「奇麗事を言っている場合ではない」の一言で非難の言葉が喉から出かけていたフェイやフィーナを黙らせ、強引に押し切った。

 落ち着く頃合を見計らって言葉尻を継ごうとするヒューだが、
アルフレッドと彼に反対する人々との間に生まれた不穏な空気はなかなか鎮まる気配を見せず、
思い切って彼のほうから口火を切るまで数分間もの膠着状態が続いた。

「アルの頼みだから、なるたけ上手いこと取り成してやりてぇが―――ハッキリ言ってそれも難しいな」
「どうして?」
「ジューダス・ローブは予知能力持ってんだぜ? そう簡単にことが運ぶわけがねぇよ」
「………………………」

 ヒューの発した一言によって第一会議室へ流れる時間が瞬時にして凍結し、
音という概念が消え去ってしまったかのような虚ろたる沈黙が一同のもとに訪れる。

「………………………………………………………………………」

 いつも軽口ばかりを叩いていて、真剣味がいま一つ足りない印象のヒューだが、
自分以外の人間が狐につままれたような表情(かお)を作ったまま硬直するこの状況には言い知れぬ恐怖を感じたらしく、
辺りを見回す眉間には皺が寄っていた。

 フィガス・テクナーの件と言い、ここのところ、おかしな怪現象ばかりが続いている。
 今度は時間停滞にでも放り込まれてしまったのではないかとヒューが思い込み、
背筋に悪寒を走らすのは、ある意味では自明の裡かも知れない。
 何が起きるか分からない疑心暗鬼の世界へエンディニオンは陥ろうとしていた。

 ただし、間違ってはならないのは、彼の周囲にもたらされた時間停滞の怪現象に限っては、
他ならぬ彼の言葉が引き起こしたものである点だ。

「………ちょっと待て、何だって? ………予知能力?」
「うん、予知能力。未来を読むってアレ」
「どうしてそういう大事な情報を先に言わないんだッ!!」
「そうですよっ! 私たち、予知能力なんて初めて聴きましたっ!」
「だ、だって聞かれなかったからさ。俺っちってば、みんな、もう知ってるもんとばかり………。
ア、アルもフィーも、なんか目ぇ恐いんだけど………ッ」
「それでも一応確認するのが仕事というものじゃないですかねぇ? 貴方が標榜する名探偵とは名ばかりですか?」
「首、首締めないでってっ! セフィ―――やべえって………お前の………チョーク! チョ〜ク〜………ッ!!」
「んん〜? まだ反省が足りないみたいだな〜。手作業止めて器具でイッてみようか。
僕、ゴムチューブ持ってるし。これ使えばツルッとイケるんじゃない? チューブに水を通せばイチコロコロリ♪」
「どけ、線目ッ! こう言うのは力任せにやるのがイチバンなんだよッ!! 喉仏潰すつもりでなぁッ!!」
「―――墜ちるッ! ―――墜ちるッ!! ………飛んじゃって墜ちるうぅぅぅ――――――」

 ヒューの言葉が怪現象を引き起こした証拠に、その口から飛び出した“予知能力”の意味を脳が分析し、
理解する頃になると皆こぞって彼に殺到し、何事かと目を見開いて驚く彼の首めがけて手を伸ばす。
 時間停滞を起こした原因に怒りを覚えた異口が同音して叫ぶところは「今になってとんでもないネタ(情報)を出すなッ!」。

 そこまで糾弾されて、最重要情報を伝え忘れるという自分のミスにようやく気付けたヒューだったが、
弁明のチャンスは得られそうにない。
 誰よりも強烈に頚動脈へ圧をかけて来るフツノミタマの握力によって、ヒューの視界は別世界のチャンネルを開こうとしていた。
 本来、視角が拾うべきチャンネルを投影しなくなった瞳にはモノクロの砂嵐が吹き荒れ、
轟々の雨音を思わせるノイズの向こうから、若い頃に亡くした父が「冥土(こっち)の水は甘いぞ」と誘い―――。

「ほいほい、ちょいとみんなテンション上げ過ぎや。ど〜ど〜、落ち着こうや。な? 落ち着こう」

 あと一歩で砂嵐の先まで突き抜けるという寸前でローガンに救われたヒューの顔色は殆ど土気色に染まっていたが、
こう言う場合、真っ先に駆け寄って心配してくれる筈のフィーナを含めた誰一人として彼を気遣おうとしない。
 むしろ、ペナルティが中途半端に終わってしまったことを口惜しく感じている気配さえ見られた。

 荒い息を整え、こっちの世界に戻って来られた喜びを噛み締めながらも、
皆から一斉に向けられる非難の視線が恐くて、ヒューは顔を上げられずにいた。

「大体、初対面の人間に手の内を全部明かせっかよ。おめ〜らの中にスパイでもいたらどうなるってんだ。
奴っさんにバレたらお終いなんだぜ? 俺っちがテメーの異能を見抜いてますなんて………」

 一応、彼なりに抗弁するつもりはあるようだが、ボソボソと蚊の鳴くような声で囁いても誰の耳にも入るまい。
 皆を刺激して追い討ちを喰らわないよう注意しつつ、
自分にとって最低限のプライドを満たそうとするところが、何とも小賢しかった。

「それで、ジューダス・ローブの備えた予知能力とは具体的にどんなものなんだ?」
「―――今のはまじシャレになってねぇ………なんかお花畑見えたもん。すっげぇ絵面のチャンネル開いてたもん………。
………なんかこう、放送事故の差し替え画面みてぇな………『しばらく美しい映像をご覧下さい』的な………」
「ヒュー、もう一度、同じチャンネルを見たくなかったら可及的速やかに質問に答えろ」
「お、俺っちはトラウムだと踏んでます、ハイッ!! ―――あ、つっても、あくまで可能性の話だぞ?
俺っちの推理によりゃあ、あいつは予知能力でも持ってるんじゃねぇかってさ」
「いきなり信憑性が無くなって先行き不安だが、テレビの二時間ミステリーで見るような、ご都合主義的な推理ではないだろうな? 
世の中、そんなに上手くは回っていないものだぞ」
「少なくとも逮捕の瞬間に泣き崩れるようなショボイ犯人は相手にしてねぇから安心しなよ。
―――と、調子戻して話も戻すとだな、ヤツのこれまでの行動を総合して考えるとだな、
もう予知能力を持ってるとしか思えねぇんだよ」
「根拠はあるんかいな?」
「殺害予告が届けられたある富豪は百人体制のガードマンに守られてたにも関わらず、行動を先読みされて殺られた。
トイレに入った瞬間を狙われたんだがな」
「………フラッテリー氏殺人事件か………新聞にも載っていたな………トイレで刺殺されたそうだが………」
「爆死なら計画殺人で話も済むんだがよ、刺殺ってのがな。
警護がウジャウジャいる中、トイレの、それも持ち家の個室にずっと潜伏していられるわけもねぇ。
トイレは屋敷の人間と兼用のもんで、フラッテリー氏プライベートなもんじゃねぇ」
「兼用ですか………それでは、いつ誰が入ってくるか、予想できませんね。
そのような窮地に手馴れたテロリストが潜むとも考えにくい。それともテロリストとは名ばかりの特殊性癖の持ち主ですかね」
「屋根裏に隠れていたって可能性は無いの? 悪の工作員とか、よく屋根裏に潜んでいるパターンがあるけど。
で、標的が入ってきたら、スーッと降りてきてズバッと………」
「ハーヴらしい発想だけど、残念ながら、そいつはありえねぇな。トイレの天井は全てセメントの打ち付け。
簡単に降りたり上がったりできる状態じゃなかった。ダクトも特殊な方法で嵌め込んであってな、
人の力じゃまず開かねぇ。それにな、言い忘れてたけど、兼用のトイレは屋敷内に四つもあったんだ。
どれを使うかはわからないだろ?」
「あなたはね、ヒュー、推理するのに必要な情報をどうして後出しするわけ? ミステイクも無理ないじゃない。
………次同じことしたら、ムーラン・ルージュでお尻を張り飛ばすわよ」
「て言うか、トイレの数も問題じゃないわよね、この場合。そもそも“ガイシャにいつ生理現象が起こるか”が予想不可能だわ。
統計でも取っていれば別だけどね」
「さすがは英雄のカノジョさん。―――そう、それが根拠さ」
「予知能力でも無ければ、どのトイレにどのタイミングで入るかを読むことは不可能、か。根拠に足る推理だな」

 ジューダス・ローブが過去に犯した殺人事件を例に挙げて予知能力と推理した根拠を明かしていくヒューの朗々たる口調は、
ミステリー小説に登場する名探偵を想起させた。
 とても数秒前間であの世とこの世の境目を彷徨っていた憐れな男の顔ではない。
 ヒューの探偵歴の中でどれほど犯罪捜査の実績があるかは、本人が守秘義務を遵守する限り知ることはできないが、
犯罪者と理詰めの対決を行なう彼の姿を想像すれば、自白を引き出した勝利の笑みが最後に浮かび上がる。
 立て板に水の如き滑らかさで事実を列挙していく姿などまさしく名探偵の称号に相応しかった。

 「守秘義務遵守を謳う割には、過去に携わった事件についてベラベラ喋ってるじゃん」とは、
ヒューの軽口に呆れたシェインの指摘だが、新聞やニュースに取り沙汰された“公然の秘密”には、
遵守すべき守秘の価値と必要性が喪失されているとの返答(こと)だ。
 横で聞いていたアルフレッドには「公然の秘密となってからも法律上は守秘義務は有効だろう?」と混ぜ返されたが、
法律を遵守し、守秘義務の扱い方を改めようとする動きは毛ほども見られない。
 その結果が、今挙げられた“フラッテリー氏殺人事件”のようにジューダス・ローブの戦闘能力を分析する足掛かりとなっているのだから、
法律を尊ぶアルフレッドでもそれ以上強くは言えなかった。

「第二に直接対決! 奴さんとは何度か戦り合ったけど、俺っち、一発も奴さんにクリーンヒットさせたことないからね。
………自慢にもならない自慢だけどさぁ」
「単純にてめぇの腕が悪いんじゃねぇのか?」
「手厳しいこと言ってくれるねぇ、フッたんは〜」
「その呼び方、やめろっつったよなぁ!! えぇ!? コラァッ!!」

 腹立たしいニックネームで呼ばわったヒューの脳天へ拳骨を叩き込もうとフツノミタマが腕を振り上げたその瞬間、

「ほらほら、年上の言うことは素直に聞いとくもんだぜ、フッたん」
「………………………ッ!?」

 隣に座っていたはずのヒューがいつの間にかフツノミタマの背中へと回り込み、
振り上げられた彼の腕に手錠をかけるような仕草でいたずらっぽい笑みを浮かべているではないか。

 これにはアルフレッドも度肝を抜かれた。
 椅子に座った状態から動くということは、普通に動くよりも余分に起居の動作を含むということであり、
俊敏な身のこなしを行なう上で極めて不利。小回りも利かないのだ。
 ところがヒューのこの身のこなしはどうだ。椅子に座った状態からのフツノミタマの背後を取り、
彼の手首へ手錠を押し付けるパフォーマンスまでやってのけた。恐るべき俊敏である。

 リーヴル・ノワール探索や、その道程にて起こったメアズ・レイグとの戦闘を通してヒューの技量を理解していたつもりだったが、
どうやらそれは、アルフレッドの思い上がりだったようだ。
 いたずらっぽく浮かべられたヒューの笑みの裏側からは底知れないプレッシャーが発せられていた。
 まだまだ彼は真髄を隠しているように見える。
 
「俺っちも人様に自慢できるようなレベルじゃねぇけどさ、ヤツの技量は冷静に分析して、俺っちより優れてるとは思えねぇんだよ。
身のこなしもパンピーに毛の生えた程度だし、
シークレットギア(※暗器=隠し武器)ってぇ厄介なもん使うけど、戦闘のプロってほど技にキレがあるでもなし」
「………そんだけやっといてよく言うよ。オヤジ、完璧に固まっちゃってるじゃん」
「う、うっせぇ………ちくしょう………」

 スピードに覚えのあるフツノミタマがプライドを傷付けられたように悔しげに臍を噛むのを尻目にして、
ヒューは“第二の根拠”にまつわる推理を続けた。

「俺っちもバカじゃねぇからな、頭数揃えてフクロにしてやろうとしたんだよ。頭数揃えんのは得意中の得意だからよ。
ところがだ。こっちがどんなアタック仕掛けても、どんな閉所に誘き寄せても、ヤツは全て見透かしたようにスルーしやがる。
手錠放り投げても、初めからその動きを見抜いていたように、こうスススーッってな。避けたところを後ろから狙ってもおんなじ。
繰り出す攻撃、仕掛ける罠、戦いの舞台になる場所の全てを、あいつは予知しているとしか思えねぇんだ」
「僕みたいな素人が聴いてる分にはジューダス・ローブが武術の達人にしか思えないなぁ」
「ネイトがそう思うのも無理ねぇけど、とにかく奴さんは動きがトロい。いや、パンピーに比べりゃそこそこ鍛えてあるけど、
アルとかフッたんに比べりゃ雲泥の差よ。フィーのほうが一歩早いかもだ」
「それはまた随分と鈍いんだな」
「………アル、今のはすっごい失礼だよ」
「―――では、近接戦闘に持ち込めば僕にも勝ち目はありますか?」
「フェイさんのツヴァイハンダーならまず一薙ぎでブッ千切れる相手ですよ。………本来ならね。ところが相手には―――」
「―――予知能力がある、か。うん………、動きはおろか、結果の全てを掌握されていたら手も足も出ないな」
「………全方向から………同時に攻めれば………どうか………例えばだ………アルの蹴りと………フッたんの刀………
これを正面からぶつけ………脇からソニエのプロキシと………フェイのツヴァイハンダーで攻め入り………背後からは………
オマエさんの手錠と………オレの闘魂一発………上空にシェインの巨大ロボの鉄拳を配置させ………
トドメと言わんばかりに遠距離からフィーナの銃撃を放ち………逃げ道を閉ざせば………あるいは予知も………破れるのでは………?」
「同じような戦法を試してみたよ。でも、相手の能力が予知ってことを忘れててな。
単純に先読みの上手い達人レベルなら動きを封じるこの包囲網で片付けられたかもだが、
相手は包囲される結果そのものを見抜いているんだ」
「そないな状況にハマり込むような真似はせぇへんか」
「そ。包囲網を作ろうにも誰がどこに配置されんのかが相手にはわかってるから、
フォーメーション組む前に綻びを衝かれてバラバラ。フクロどころか囲めたことだって一度もねぇや」
「動きを補ってあまりある予知能力、というわけか………」

 戦力分析を凝らすことによって付け入るべきウィークポイントを見つけ出し、勝利への糸口にしようと試みたフェイだが、
ジューダス・ローブの誇る予知能力は予想を遥かに上回る性能を有していたようで、ガクリと肩を落としてしまう。
 クリーンヒットの可能性を初動の段階で潰されていると来れば、
シェインでなくても「どーしよーもねーじゃん!」と叫びたくなるものだ。
 精神年齢がシェインに近いフツノミタマも、彼に倣って「手も足も出ねぇのかよッ!! うぜぇぇぇッ!」などと頭を掻き毟っている。

 改めてヒューのもたらした情報を整理すると―――怨敵・ジューダス・ローブの備えた未来を予知する異能は極めて優秀で、
文字通り、これから起こりうる結果を全て見通し、その能力をもってしてこれまで数々のテロ行為を犯してきたということだ。

 言葉にして記せば実にシンプルで分かりやすい能力だが、これを相手に戦う人間にとっては大問題にして大難関である。
 どれだけ巧妙に作戦を練り上げようと無駄なのだ。
 思考のレベルでなく結果のレベルで読まれている以上、成功する可能性は0。
直接戦闘における攻防だけならまだしも、警護の配置が将来的にどこへどのように動くか、
その結果さえ知覚されているのだから、暗殺対象に指定された首脳陣を
ジューダス・ローブの魔手から守り切れる展望は絶望的である。
 と言うよりも、全ての結果を見抜くジューダス・ローブの裏を掻く手立てなど、どこにも転がっていなかった。
 少なくともアルフレッドには探り当てることができなかった。今のところは手がかりすらない。

 予知能力でもって警護を翻弄し、首脳陣を次々と抹殺していくジューダス・ローブの嘲笑が耳に聞こえるようだった。

「仮にお前の言う通りに敵が予知能力の持ち主だとするなら、これほど厄介な相手はいないな」
「先に全部見抜かれちゃうなら、私の銃も、フツさんの刀も、きっと当てられないよね」
「ブッ放した後は弾丸にお任せなてめぇのトラウムとオレの技を一緒くたにすんじゃねぇ―――
―――って、普段ならムカっ腹立てるとこだがよ、予知されてんじゃ話は別だ。それはそれで腹立つがなッ! ッくしょうめッ!!」
「結局、キレるんじゃんか」
「キレてねぇよッ!! イラついてんだよッ!! 読めよ、行間をよぉッ!!」
「あんた、よく行間読めって言うけどさぁ、言ってるコトがムチャクチャだからどこをどう読めばいいのか、
わかんないんだよ。国語の成績、悪かったね、絶対」
「決め付けんじゃねぇよ、てめぇ、コラァッ!! ………………………ちなみに保健と体育と音楽以外は全部底辺でした」
「ちょっと静かにしていなさいッ! ―――そして、ヒューはちょっと待ちなさいよっ! それじゃあたしたちに出来ることってッ!?」
「んー………、犠牲者を最小限に抑えられるよう、ジューダス・ローブを速攻で追っ払う―――ってのが関の山だな」
「追い払うだけでは悲劇の連鎖は止められないわッ! 今こそ正義の怒りをぶつけるときじゃないッ!! 
千載一遇のチャンスにテロリストを野放しにするしか無いなんて………そんなのあたしの正義が許さないわッ!!」
「だから長ぇこと手ぇ焼いてんだわ、俺っちもよ」
「納得できないッ!!」

 最も許せないタイプの犯罪者であるテロリストに対して、逮捕に向けた有効な策を打てないことがよほど腹に据え兼ねたのだろう。
 いかなる策、いかなる技をもってしても絶対悪たるジューダス・ローブを取り締まることが不可能に近い現実と、
その理不尽な現実を可能とした敵の異能、予知能力にハーヴェストは歯軋りして地団駄を踏み、大人気ないくらい盛大に悔しがる。

 もしかすると、ハーヴェストのように派手な悔やみ方をする人間はまだまだたくさんいるかも知れないし、
彼女の悔やみ方はまだまだ地味なほうなのかもしれない…が、
少なくともアルフレッドの目には、二十歳を超えた女性が「畜生ッ!」と絶叫する姿は、ある種の痛ましさを以って映っている。
 「お姉さま、落ち着きましょう」とフィーナが諌めに入らなければ、きっと一日中悔しがっていたに違いない。

「………セフィ、お前はジューダス・ローブについて何か知っていることは無いか?」
「そこで私に振られても弱ってしまいますよ。私は冒険者であって賞金稼ぎ(バウンティハンター)ではありませんから」
「そう………だよな」
「? アル君?」
「いや―――なんでもないんだ。気にするな」
「そう言われても気になりますよ。………むしろ、アル君が気になっているんですか? 私のことを………」
「フィーが喜んで飛びつきそうな発言は慎んで貰いたいもんだな。顔を赤らめるのもやめろ」
「わっ、私が喜びそうって何? アルは可愛い妹をどんな目で見てるのかなぁ?」
「せめて鼻血拭いてから異義を申し立てろよ………」

 リーヴル・ノワールの爆発を目の当たりにした際、
セフィが何とも言えない動揺を見せたことがアルフレッドには気にかかり、
一瞬、彼とジューダス・ローブが緊密な関係にある――あるいはセフィがジューダス・ローブその人では―――と疑ってしまったのだが、
当惑したように首を傾げたセフィの様子を見て考えを改めた。
 エクステで覆われた向こう側の様子を知ることはできないが、
意味不明な質問を投げてきたアルフレッドをきっと不思議そうな瞳で見つめているだろう。
 猜疑の念をはぐらかし、トボけてやり過ごそうと当惑を装っている風ではない。
セフィはアルフレッドから向けられた視線の意味や言葉の裏に秘された意図を理解できず、本気で首を傾げていた。

 セフィが―――佐志以来、行動を共にしている信頼できる仲間がジューダス・ローブと関係しているわけがない。
 一瞬でも仲間に猜疑心を向けてしまった自分の浅はかさがアルフレッドにはたまらなく恥ずかしかった。


「例えばサミットの開催日を極秘裏に変更すると言うのはどうでしょう?」
「決定された日程を前後させる、と?」
「なるほど! セフィってば、いいコト言うじゃない! 襲撃への対策にばっかり目を向けてるから行き詰まるのよ。
発想の逆転ってワケね!」
「………なかなか妙案だな………ソニエのイイ顔引き出したのは………眼福半分………癪でシクシクだが………」
「喜び勇んでやって来てみりゃ、サミット、別の日に終わっとったってな。テロリストの吠え面が目に浮かぶで」

 ジューダス・ローブの攻撃を回避するための奇策としてセフィが提案したのは、
公知されたサミットの開催日を秘密裡に変更し、テロリストの目を欺こうとするものである。
 開催日を移動させてしまえば、その日の為にテロリストが立てているだろう念密な計画に齟齬が生じるのは明白だし、
こちらの思惑と敵の誤算が上手く噛みあえば、攻撃そのものを回避できる可能性もある。
 張り巡らせて損は無い罠だった。

「予知能力の持ち主を相手に奏功するかは甚だ疑わしいものですし、敵を見くびる浅知恵かも知れませんが、
犠牲者を出さない為の工夫はいくら凝らしても足りないと思います。猶予が許す以上、出来る限りのことはしなくては」
「だったらもう一つ工夫とやらを凝らしてみやがれ。おい、そこのコスプレちんどん屋」
「………わたくしに仰っているのですか?」

 ルナゲイト代表としてブリーフィングの議長を務めながら、これまでアルたち知恵者の発言を見守ることに専念していたマユは、
突然、フツノミタマに呼びつけられて思わず目を丸くする。
 ただ呼びつけられるならまだしも、彼の物言いはあまりに無礼なものだった。

「てめぇ以外にちんどん屋なんているか。見るからにうるせぇじゃねぇか。てめぇの恰好は十分ちんどん屋だぜ」

“コスプレちんどん屋”などという不躾な物言いに憮然として抗議するマユだが、
彼女の眉間に寄った皺など気にも留めないフツノミタマは傍若無人に自分の話を続けた。
 仮にも交際相手を貶されたセフィがあからさまに不服を込めた咳払いをしたのだが、当然、これも無視だ。

「参考書類にはサミットはセントラルタワーの特別会議室で行なわれる―――ってなってるよな」
「毎年、このビルの屋上会議室で行なっていますので」
「会議室はやめろ。屋外の―――そうだな、セントワルタワーのすぐ近くにバカでけぇ自然公園があんだろ? そこにしとけ」
「『ケーン記念公園』ですか? 確かにあそこならサミットを開くだけのスペースは確保できますが………」
「テーブル設置して横断幕でも張れば体裁は整うだろ。あとは何か旗でも飾っとけ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよっ! 屋外っ!?」

 サミットの会場をセントラルタワー屋上の特別会議室から屋外の自然公園へ移そうとのフツノミタマの提案に
フィーナは飛び上がって驚いた。

「それって危な過ぎるんじゃないでしょうか? だって衝立も何も無いんですよ? 狙撃でもされたら命取りじゃ?」
「あァんッ!? てめぇ、オレにケチつけようってのか、コラッ!? 何か文句あっか、オラァッ!?」
「文句つけてるじゃないですか、危ないって! 屋内のほうが防御には向いているんじゃないですか? 
防弾ガラスもあるし、万が一の場合は会議室に閉じ篭ってジューダス・ローブの侵入をシャットアウトしちゃえばいいんですしっ! 
一番恐いのは偉い人たちを無防備なまま外に出しちゃうことですよっ!」
「ガードマンが付くつってんだろーがッ!! 話、聴いとけや、ボケがッ!!」
「それはわかってますけどもっ! う〜、私じゃ敵わないぃ―――アル! アルからも言ってあげてっ!」
「俺もフツに賛成だな」
「ア、アルまでぇっ!?」
「物は考えようだ、フィー。銃器を用いた狙撃はガードマンが盾になれば防げるが、屋内で爆薬を使われた場合、
建物の崩落という最悪の被害に見舞われる可能性が高い。
天井か、床か、どちらが崩落するにせよ、瓦礫が相手ではガードマンも百パーセントは防げないんだ」
「爆発だって同じさ。盾になろうとしたガードマンもろとも吹っ飛ばされちまわぁ。
―――つーわけで、俺っちもフッたんに賛成な」
「フッたんつーなッ!! 刺身にして盛り合わせるぞ、てめぇッ!!」
「………へ〜、たまにはマトモなことを言うんだな。ダメオヤジの汚名返上なるかっ?」
「誰がダメオヤジだ、クソガキッ!! てめぇを育てた覚えは無ぇッ!!」
「そーゆー意味で言ったんじゃないっつの! ボクだってあんたみたいなダメオヤジに育てられた覚えは無いよッ!!」

 フツノミタマが危惧した、閉鎖的な屋内でテロに遭遇した場合の甚大な被害はアルフレッドやヒューも懸念する事項の一つであり、
サミットの会場を屋外へ移そうという彼の提案に反対する理由は無い。むしろ推奨すべき案だ。
 ガードマンを人身御供にすることを前提とした算段は、いささかシビアが過ぎる非情なものだが、
予知能力を備えたテロリストを相手にする以上、アルフレッドの言葉ではないが、形振り構っていられる余裕は無かった。
 最小限の被害で最大限の防御を求めていくとなると、人的被害の計算は必然である。

 裏社会で生きてきたフツノミタマの重みある助言に納得し、一握の不安を引き摺りながらも頷いたフィーナだが、
やはり犠牲を計算に入れたアルフレッドたちの考え方には強い抵抗があるらしい。
 まるで盤上の駒を動かすかのようにして人的被害を―――
人の生命を駆け引きするアルフレッドたちの談合へ険しい表情を向けながら唇を噛んでいる。

 士官学校で“敵を倒すこと”を徹底的に叩き込まれたアルフレッド、裏社会を渡って来たフツノミタマとは異なり、
フィーナの思考は一般人のそれと殆ど変わらない。
 いわゆる“普通”の思考を持った人間にとって、人間の生命を盤上の駒の如く扱う非人道的な行為は容認できるものではなかった。
 まして、彼女にとって“命が奪われること”は、特別大きな意味を持つのだから。

「さっきから黙って聞いていればどういう言い草!? あなたたちの魂に正義は無いの!? 
世界平和の為にも対テロは万全の状態を保たなくてはいけない。それはもちろんよ」
「わかっているなら、どうしてそういきり立つ?」
「でも、だからと言って人の命を盾代わりと見なすのは違うと思うわ。
お題目を並べてはいるけど、やっているのは人の命を広告か何かと履き違えてるテロリストと同じじゃないッ!!」
「ご、誤解しないでくれよぉ、ハーヴちゃん。俺っちらだって好き好んでアブネー話してんじゃないんだぜ? 
状況がこうだから仕方無しにガードマン云々をだねぇ〜」
「それがお題目だと指摘しているのよッ! この場にトリーシャがいたらきっとこう叫んだでしょうね。
『サミットの裏側に巣食う非人道の罠! 独占スクープ!! これがサミット警備の実態だ!』ってねッ!! 
………あの娘に成り代わって叫ぶわ。あなたたちが当然の作戦と見なすお題目は、お天道様が決して許さないッ!!」
「ハーヴ、ちっと落ち着けや。な?」
「正しき義が汚されようとしている今、どうして落ち着いていられると言うのッ!? 犠牲の上に成り立つ平和に胸を張れるとでもッ!?」
「ええやん、胸なん張れんでも。誰が誇らんでもええ。平和が守れりゃそれでええがな」
「いつか裁かれるわ。人の命を弄ぶ非人道のテロに対し、非人道の防御策を講じて目的を達成したとしても、
その罪は消せない。必ず裁かれる日が来るのよ。………“悪が栄えた試し無し”という諺は、悪と戦う側こそ遵守すべきものなのよッ!?」
「―――せや、腹減っとるやろ、ハーヴ。さっきからポンポンがグーグー鳴っとるで。奢ったるさかい、何か食い行こか」
「あたしは別にお腹なんて………ちょっ、どこ触っ―――はッ、離しや、ローガンッ!!」

 胸から飛び出しかけた憤りをハーヴェストが代弁してくれて、フィーナには胸のすく思いだったが、
声高に訴えられた正義の怒りはすぐさまローガンによって制止され、効力を発揮する前に潰えた。
 後ろから抱きすくめられたハーヴェストは、彼の胸元へ何発も何発も拳を振り落として抵抗するが、
鍛え上げられたローガンの豪腕はその程度の衝撃ではビクともせず、
とうとう抱き上げられたまま、第一会議室から連れ出されてしまった。

 ドアの隙間を射るように廊下から漏れ出すハーヴェストの怒声が少しずつ遠くなっていく。
 ローガンに対する非難とアルフレッドたちの非情さに対する非難とが入り混じった熱風の如き怒りの遠吠えは、
完全に聴こえなくなってからも皆の耳へ残響として燻り続けた。

 普段ムードメーカーのポジションに収まっているローガンも、アルフレッドたち同様に裏の世界を知る部類の人間である。
 顔を顰めながらハーヴェストを制止するあたりからも命を割り切ることを是としていない様子は窺えるが、
窮地において非情の決断を下せるだけの“裏の味”を舐めているようだ。

 改めて自分の踏み入った戦いの世界の過酷さを痛感し、フィーナは軽い目眩を覚えた。
 願わくは、“裏の味”あるいは“血の味”に慣れることを良しとせず、
尊敬するハーヴェストのように生命を守護する側であり続けたいとの決意も改めて引き締めた。
 そうして気持ちを強く持っていないとマイナスの情念に取り込まれてしまうのではないか―――
そんな疑念に駆られるほど、生命の駆け引きを談合するこの席には、殺伐とした空気が垂れ込めていた。

「コールレインさんの言い分は尤もだ。アル、味方にダメージを与えない方策を練っても良いんじゃないか?」
「何度と無く繰り返している通り、相手は予知能力を備えたテロリストです。狡猾な無差別殺人者なんですよ」
「テロリストとは言え、相手も人間だよ。要人を狙ってくるとは言え、無関係な人を巻き添えには―――」
「もう一度、言いましょうか? 相手は狡猾で、残虐な無差別殺人者なんだ。おまけに愉快犯と来ている。
“無関係な人間は巻き添えにしないだろうから、味方のダメージを減らす方策を練ろう”? 
そんな甘い考えはテロリストには通用しない。断言しますよ」
「しかしだね」
「………俺たちがどうしてスマウグ総業に勝てたか、兄さんはご存知ですか?」
「アルの軍略が功を奏したからじゃないかな。 ―――でも、どうして今、そんな話を」
「俺の立てた作戦はほんのきっかけですよ。………俺たちが勝てたのは捨て身の覚悟でぶつかったからです。
途方も無い敵に勝つ為には、肉を切らせて骨も断たせて、残った歯牙で喉笛を噛み切るしかない」
「………………………」
「高潔な兄さんには受け容れ難い戦い方かも知れません。
でも、アカデミーで履修した分、対テロの戦い方には俺に一日の長があります。………何も言わず、手を貸してください」
「………………………」

 ハーヴェストの言葉を継ぐ恰好でフェイから呈された苦言もアルフレッドには届かず、
屈辱的にも聴こえる反論を言いつけられたフェイは、呆然と目を見開き、繋ぐべき声を失ってしまった。

「………了承しました。サミット議長の名に賭けて、委細を首脳陣に掛け合ってみましょう」
「………極秘にお願いします。ジューダス・ローブに知られては意味を無くしてしまいますので………」
「機密漏洩の危険性も考えられますので、ルナゲイトのエージェントを派遣し、直接首脳のお歴々にお伝えしましょう。
武器を取る戦いの作法は存じませんが、情報を繰る戦いの作法は熟知しているつもりです。どうぞお任せあれ」

 アルフレッドとフェイの間に垂れ込めた穏やかならざる空気の影響で話し合いが膠着してきたのを見て取ったマユは、
この談合において決定された警備の要項や日程変更についてサミット参加者へ通達することを確認し、
刺々しい膠着に埒を開けようと試みる。

 エンディニオンに存在するマスメディアを統括するルナゲイト家を率い、
“新聞女王”の名声をほしいままにするだけあって機を見るに能力に長じるマユの試みは、
的確にして適切に作用し、膠着の側面に穿たれた穴へと重苦しい空気が吸い込まれていく。

「―――プ………ッ」
「………なにか?」
「あー、いや、ゴメンゴメン………シリアスになればなるほど、そのカッコじゃ締まらないって思ってさぁ」
「………シェイン君も銀髪と同じ意味でキリューされたいのですか?」
「ブッ殺しリストに載せられちゃうって? そりゃ勘弁だな〜」
「本人を前にしてよくそんな物騒な会話ができるな。………俺は危ういリストのトップランカーか」
「だから、それが『キリュー(Kill You)Type:G』ですのよ。ちなみにGはジェノサイドのGですわ」
「煩い、黙れ」

 フツノミタマ曰く“コスプレちんどん屋”なマユの扮装を茶化すシェインのおどけた声も剣呑とも言える雰囲気をほぐすのに一役買い、
息が詰まる思いでいた皆もようやく人心地つくことができた。

 それはアルフレッドにしても同じことで、マユやシェインには救われる思いだった。
 成り行き上、フェイとの間に緊張を走らせてしまったものの、兄貴分との対立はアルフレッドも望むところではなく、
対テロという不可避の状況でさえなければ、彼を不愉快にしてしまった失言をすぐにでも陳謝し、撤回したかった。

 気まずげに送った視線の先には、マユの提案に相槌を打ったまま腕組みして瞑目するフェイの険しい表情が見られる。
 彼を英雄たらしめる高潔さを、対テロには役に立たないとばかりに悪し様に罵ってしまったのだ。気を悪くしたのは間違いない。
 「………落ち着くまでそっとしとこう」。ヘソを曲げた状態では何を言っても油を注ぐだけと
長年の経験から知っているアルフレッドはこれまた気まずげに視線を反らし、
皺の寄った眉間に指先を押し当てて苦い溜め息を飲み込んだ。


 二人のお陰で緊張がほぐれ、冷却されたアルフレッドの思考回路は、
次に議論のテーブルへ乗せるべき問題を整理する中、話し合いに熱が入るあまり見落としていた点を抽出した。
 サミットの警備を徹底しようという事前対策はどうにか形を見せ始めたのだが、
ジューダス・ローブとの決戦へ突入した場合に講じるべき戦法の具体化が、全くの手付かずで取り残されていた。
 ヒューの経験談からもたらされた予知能力の恐ろしさは、具体案を練る思考を止めてしまうほどの戦慄と衝撃を植え付けていた。

 今すぐにでも議論を再開し、ジューダス・ローブと攻防できるだけの策を練らなくてはならないのだが、
フィガス・テクナー以来、休む間も無く難題と戦い続けてきたアルフレッドの思考回路はもう限界。
 疲弊はとっくの昔にピークへ達していた。
 ふと辺りを見渡すと仲間たちの顔色も幾分悪い。
 フィガス・テクナーでのミーティングに参加していなかったフィーナまでが目を回しているのだから、
常にアルフレッドと高いレベルの議論を交わしてきたヒューやセフィの疲弊は推して知るべし、である。

「もう一時間半もぶっ通しで話し続けているんだ。息も詰まる。とりあえず一息つくとしよう」
「一息ついても一服しちゃダメだからね」
「シェイン、お前………」
「ああ、チクッたよ、チクッたさ。ボクはもともとケムリ反対派だからね」
「………………………」

 フィーナとシェイン、責めるような二つの視線を受けるアルフレッドは、困ったように肩を竦めながら、そっとヒューに目配せを送る。
 目配せの意図に気付いたヒューは、噴き出しそうになるのを抑えつつ、
アルフレッドをして稀代の逸品との称賛を受けた『ジョリーロジャー』を彼に向かって放り投げる。

「喫わない人間には何を言っているのか意味がわからないだろうが、煙草には脳を活性化させる効力があるんだ。
テロリストと互角に渡り合うのに必要なものだよ」
「百害あって一利なしの常識をどう解釈したらそうなるの!? ちょっと! アルってばっ!!」

 唖然とする嫌煙家二人の目の前で『ジョリーロジャー』を受け取ったアルフレッドは
言い訳もそこそこに第一会議室を後にする。
 向かう先は渇望のオアシス…もとい、ロビーの喫煙スペースだ。

 すぐに後を追ってくるものと踏んでいたヒューがドアの向こう側で悲鳴を上げたのは予想外だったが、
戻ってしまったら、何か負けのような気がして、振り返ることなくそのまま足を進めた。
 薄情と言われればそれまでだが、ヒューの犠牲を無駄にしないことが自分の果たすべき使命―――
何が使命なのかはわからないが、自分にそう言い聞かせたアルフレッドの足取りに迷いは無かった。

「まったくもう―――」

呆然とアルフレッドの背中を見送ったフィーナは、
こうなったらマリスと組んで“アルフレッド全面禁煙委員会”を結成するしかないと密かな決意を固めた。
 マリスと交流を結ぶには、まだ少し胸に痛みを伴うものの、恋人からの訴えと来ればアルフレッドも考えを改めざるを得まい。
 ………恋人“二人”の訴えと来れば。

 禁煙委員会にはシェインも二つ返事で加担してくれるだろう。
 その証拠に、彼は喫煙を促したヒューの首を全力で締め上げていた。

(―――フェイ兄さん………?)

 会議室のドアからテーブルへ視線を戻したとき、フィーナの瞳は難しい顔をして腕を組むフェイを捉えた。
 瞑目した様子は精神統一を図っている風にも見えるが、表情は異常なまでに硬質で、
重苦しい溜め息がその口から滑り落ちる度に見る者の心へ言い知れぬ不安を波打たせた。

 ―――ジューダス・ローブとの戦いを前に戦意が昂ぶっているのか、
はたまた手強い相手にどう立ち向かうか悩んでいるのか、

 硬質な表情から二つの仮定を感じ取ったフィーナだが、実際にはそのどちらでも無かった。

(………どうしてイニシアチブをアルが握るんだ………皆が認めてくれたのは僕じゃないのか………?)

 少しずつ、少しずつ深度を増していくフェイの懊悩に、フィーナはもちろんソニエやケロイド・ジュースも気付いてはいない。
 懊悩の穿つ矛先を向けられたアルフレッド当人とて、フェイの様子を不自然に思いはしても、
深刻には受け止めていなかった。

(………僕を認めないつもりか、アルは………あいつは………僕を………………………)

 あるいは、このとき、誰かひとりでもフェイの心の悲鳴に気付いていれば、
待ち受ける運命は変えられたのかもしれない――――――。




←BACK     NEXT→
本編トップへ戻る