6.義の戦士たち


 ランドマークとしてルナゲイトの中心へ鎮座する“ギヤマンの巨塔”ことセントラルタワーとは、
最上階にまで上がらず中途のフロアからでも町を一望の如く見渡せるほど超高層のビルである。
 エンディニオンの―――Bの世界の中枢を牛耳る一族の牙城に相応しい構造(つくり)とも言い換えられるだろう。
 正面から見ただけでは把握しにくいのだが、マユたちの執務室や、テレビスタジオが設けられている旧棟と、
通信社と言った関連企業のオフィスが入った新棟、ふたつの塔からルナゲイト家の牙城は構成されており、
上空から見下ろすと、これらが大都市のランドマークを意図して設計されたことがよくわかる。
 エントランスホールと直結している旧棟は満月、これを城壁のように囲む新棟は三日月の形を取っているのだ。
そこに様々な事情や思惑を含めていると雖も、ルナゲイトと言う都市の象徴としてこれ以上の物はあるまい。

 ただし、穿った見方をするのなら、超高層のビルは地上に在る人々との物理的距離感を、
満月と、これを腕へ抱くかのような三日月のツインタワーは財力と権力を、それぞれ象徴しているようでもある。
 遥かな高みにあるルナゲイト家の人間と、あらざる人間との格差を世に示しているように見えなくもない為、
これを苦々しく思う人間にとって天衝く威容は、富裕への憧憬ではなく驕慢への嫌悪を駆り立てられる物であった。
 正義感に燃えるハーヴェストもその類例に漏れることがなく、
サミットの防衛及びジューダス・ローブの撃破と言う大義の為に足を運んではいるものの、
自身の信念と相反する“ギヤマンの巨塔”には、どうしても心中の拒否反応を抑えられないのだ。
 無論、彼女とて駄々を捏ねるような年齢ではない。今回ばかりは止むを得まいと割り切って作戦(こと)に当たっている…が、
さりとて、積極的に近寄りたいとは思えない。それが偽らざる本音だった。

「いつまでもムクれてるんやないで。え〜加減に機嫌直しィな」
「………世界で一番鬱陶しいワレがここにおるうちは直るもんも直らへ―――直らないわよっ!」
「おーし、わかった、わかったで。アイスクリームをオゴッたるさかい、それ食って気分転換や。
お前、メロン味が好きやったな? ワイはハイビスカス味にしとこ」
「わかってない、全くわかってないっ!」

 ローガンから連れ出された先がセントラルタワーを背にする屋外の公園だったこともあり、
図らずも権力の象徴を再び確かめることになったハーヴェストは、更に眉間の皺が深くなったようにも思える。

 ジューダス・ローブの襲撃からサミットを守る為の作戦立案過程に於いて、
人的損害を足し引きのように論じ始めたアルフレッドたちへ激昂したハーヴェストは、
これを議事進行妨害と危惧したローガンによって会議場から強引に遠ざけられてしまったのだ。
 今頃、会議場では血の凍るようなおぞましい作戦が練られ続けているに違いない。
その情景を想像するだけで、ハーヴェストは怒りで身が弾けそうになった。


 セントラルタワー直下の公園は、基本的に一般開放されており、誰でも自由に出入りすることが出来るのだが、
今日に限っては、ハーヴェストとローガン以外に目立った人影は見られない。
 ふたりの他に誰かいないものかと見回したところで、せいぜい巡邏中の警備員が視界を過ぎる程度だった。
 先だって発生した爆破事件以来、セントラルタワーの開放は一時的に中断されていた。
 しかも、今度はサミットを狙うとの犯行予告が舞い込んできたのだ。
防衛の要となるセントラルタワーに部外者を寄せ付けないのは、妥当な判断と言えよう。

 ローガンがハーヴェストを連れ出した公園は、セントラルタワーの“土台”と呼ばれる施設の屋上に所在している。
 これについては説明を要するのだが―――セントラルタワーへの入館に当たっては、
必ず一階に設けられたエントランスホールを通過する必要があるのだが、実はここへ到達するだけでも一苦労なのだ。
 ルナゲイトの象徴であるセントラルタワーは、“土台”の愛称で呼ばれる施設と本棟の部分との二層構造となっており、
比喩的な表現を用いるならば、本棟のツインタワーは支柱を頼りに青天へと伸びる紫陽花であり、
“土台”と呼ばれる直下の建物は、さながら植木鉢と言ったところであろう。
 “土台”もまた一般開放されており、内部ではルナゲイトが配信している全てのテレビ番組をリアルタイムに放送するモニターや、
過去に放送した番組内容を楽しめるアーカイブなどが完備されている。
 “土台”部分の二階にも屋外へ出られる空間があり、ここには一階よりも更に大きなモニターが設置されていた。
と言っても、これは入館者向けの物ではなく、街行く人々を対象としたモニターなのである。
 そこからローガンたちの居る公園にはエスカレーターで直通しているのだが、
特大モニターを見る為だけに屋外へ出る人間は少なく、
セントラルタワー本棟への移動には内部のエレベーターを利用するのが普通であった。
 土台だけでも二階と屋上に屋外スペースを持っている為、正確には本棟と合わせて三層構造と呼ぶべきかも知れない。
 本棟へ上がるだけでも一苦労であり、またエレベーターやエスカレーターと言った電力に依存する手段でしか
階上へ向かうことの出来ない構造を見たアルフレッドは、「いざと言うときは敵の足取りを阻む要害になる」と二層構造の機能を評し、
その面白味のない反応でフィーナたちから顰蹙を買っていたが、しかし、ジョゼフはこれを否定しなかった。

 園内、特大モニターの周辺…と、“土台”の屋外スペースをぐるりと一回りして
アイスクリームの売り場を探し求めるローガンであったが、一般公開が中止されている時節にそのような露店が出ているわけもない。
 「収穫ナシ」と照れ笑いしながら戻ってきたローガンに呆れ果てたハーヴェストは、
これ見よがしに盛大な溜め息を吐き捨てた。

「………あんたは何も感じないの? あんな冷酷な話し合い、あたしには耐えられないわ………」

 ハーヴェストの呆れは、出ている筈のない露店をわざわざ探しに行ったオマヌケにのみ向けられたわけではない。
 人命が計算機に掛けられているような状況にも関わらず、能天気を崩すことがないローガンへの苛立ちが
ハーヴェストの溜め息には込められていた。

「犠牲者の計算、か? せやなァ―――」

 高所に設けられた公園からは、ルナゲイトのもうひとつのシンボルである時計塔を遠望することが出来る。
 管理員が毎日ゼンマイを手ずから巻いて動かすと言うレトロな構造の時計塔で、それ故に観光名所として人気を博しているのだ。
決まった時間になると鳴り出し、町行く人が足を止めて聴き入る鐘の音も、管理員自らが撞いて奏でている。
 「犠牲者の計算」と呟いたきり口を噤んだローガンが二の句を継ぐには、遠望した時計の針が一周するまで待たねばならなかった。

「―――士官学校を出とるっちゅーアルに、裏社会で仕事人やっとったフツ。どっちも命のやり取りを生業にしとる。
ヒューは探偵やけど、それだけのタマやないと思うとる。どっちかっちゅーとアタマがアルに近いんやな。
殺してもええ味方の数なんちゅー計算になっても随いてけるのは当然やろ」
「だから、あんたはどうなのかって訊いてるのよ。やっぱり、あいつらと同じように………」
「死なせる人数の為にソロバン弾くなんて、誰だって面白ないわ。
けど、面白ないのはあいつらかて一緒やで。好き好んで人死にの計算するような連中に見えるか?」
「………………………」
「………そんな胸糞悪い計算が、なんとなく理解(わか)ってまうのは、ワイが冒険者やからとしか言いようがあらへんな」

 問いかけはしたものの、ろくでもない返答しかなかろうと期待もしていなかったハーヴェストは、
ローガンの口から意外過ぎる程の正論が飛び出したことに心底驚き、目を丸くして息を呑んだ。

「メアズ・レイグたら言うチームもおんなじや。弱肉強食ってピシャリと言うてしもたら、なんや味気ないんやけど、
結局は勝ったもんが正しい世界やからなぁ。競争相手は出し抜いてナンボ、蹴落としてナンボや。
それが冒険者の掟なんやからな。キレイごとだけで食っていかれへん。ワイかてそれなりに修羅場潜ってきたさかいな」
「あたしはそんな世界ではいけないと思うから、正義を貫く覚悟を決めたのよ。
強い者が弱い者を食い物にして、自分だけが良い目を見るなんて、そんな世界は絶対に間違っている。
狂っているとしか言いようがないものよ」
「そんなお前やから、ワイの言うとることをいっちゃん解る。………せやろ?」

 食って掛かろうと身構えたハーヴェストに対して機先を制したローガンは、
「そやかて、お前の信念を否定するわけとちゃうで」とやんわり言い諭した。

「甘ったれとるモンから先に食われるのが、冒険者の世界や。殺るか、殺られるかっちゅー場面はぎょうさん見てきたで。
せやから、アルやフツの言うとることも頷ける。生き抜く為には泥を被る必要もあるんや。ド汚い手ェ使わなあかんときもな」
「………冒険者と同じと言いたいわけ?」
「畑はちゃうけど、身奇麗なままではおられへん世界に生きとるんや。ワイらも、あいつらも。
しかも、今度はサミットからジューダス・ローブを守ろうっちゅー大一番や。なりふり構ってなんかいられへん」
「………………………」
「口先で唱えた正義が暴力で踏み潰される。今から始まるのは、そう言う戦いなんや。
ジューダス・ローブとやり合うからには、甘ちゃん根性は捨てとかんとあかんねん」

 ―――重い。ローガンの言葉は、いずれもあまりに重い。
 それは、命のやり取りを実感として識る人間であればこそ辿り着ける意見であった。
 この場にフィーナが居合わせたとしても、おそらくローガンを論破することは不可能だったであろう。
現実の重みを踏まえた上での言葉の前では、ともすれば空虚になりがちな理想論など説得力を持ち得ないのだ。

「………結局、あたしの正義を否定しているじゃないッ!」
「誰もそないなコト―――って、ちょ、ちょい待ちィな! いくらなんでもハリセンの代わりにムーラン・ルージュは殺生やで!」

 ローガンから寄せられた言葉を、噛み締めるように何度も頷いていたハーヴェストであったが、
自分が信念として固く信じる正義の心を“甘ちゃん根性”と切り捨てられたことに気付くと、
神妙にしていた表情も一変し、大変な剣幕になってローガンに掴みかかった。
 その手にはムーラン・ルージュが握り締められている。さすがにグレネード弾を撃発するつもりはなさそうだが、
スタッフ状態でも渾身の力で殴打されれば、それなりのダメージは覚悟せねばならない。
 これにはローガンも冷や汗をかき、直撃だけは免れようと後退った。


「―――相変わらずだな。いや、変われなかったから故郷(さと)を飛び出したのだったな」

 ハーヴェストが怒りのスタッフをローガン目掛けて振り上げたそのとき、
唐突とも言えるタイミングで第三者からふたりに向かって声が掛けられた。
 その声が合図だったのだろうか。間もなく、「押忍!」と言う威勢の良い気合いが大気を震わせ、
かと思えば、次の瞬間には十数名もの人影が園内へ飛び込んできた。そう、文字通りに“飛び込んできた”のだ。
 数多の人影は、地上からここまで一気に跳ね飛んできたらしく、
蹲るような姿勢で身を縮めて中空で回転すると、更に錐揉みを交えながら軽やかに着地して見せた。
 人間業ではない。本棟に至らぬ土台の部分とは言え、地上からこの屋外公園まで二十メートルはある。
その高低差をジャンプ一つで飛び越えてくるなど常人には不可能な神業であった。

 神業を披露しながら園内に飛び込んできたのは、何やら揃いの隊服に身を包んだ一団である。
 皆が皆、強靱な筋肉の鎧で全身を固めており、剽悍そのものの顔立ちからは溌剌とした生気が溢れ出している。
 白地に黒い模様と言う、ホワイトタイガーの毛皮を彷彿とさせる上着と、裾が爪先近くまであるだんだら模様の腰巻。
シャツの上からでも判るくらい逞しい胸板へ装着した胸甲には、『義』の一字が達筆に書き込まれていた。
 頭には古式ゆかしい鉢鉄(はちがね)を巻き、腕を防護する手甲は白い布でしっかりと固定されている。
 彼らはこれらを一揃いにして隊服と定めているようだ。

 派手なパフォーマンスでセントラルタワーへとやって来た一団のリーダー格であろうか、
両目を防護用のゴーグルで覆った男性が、呆気に取られた様子のふたりに忍び笑いを漏らしている。
 リーダー格の男が着用するゴーグルは、激しい動きに適合した大き目のサイズの品である。
双眸全体をカバーするゴーグルの両脇には、彼なりのこだわりらしい簾状の前髪が僅かばかり掛かっていた。
 長い黒髪を後ろで縛ったリーダー格の男は、配下に派手なパフォーマンスをさせておきながら、
自分だけエレベーターに乗ってここまでやって来たらしい。
部下と当人とでローガンたちを挟むような位置関係となっているのだが、彼の居る地点はエントランスからの動線上にある。
 つまり、この男は、園内に潜んで先ほどまでの会話を盗み聞きしていたと言うわけだ。
 「相変わらずはどっちやねん。いつまで経っても性格悪いまんまやな!」と肩を竦めて見せたローガンに向かって、
男は一層笑い声を大きくした。

「『スカッド・フリーダム』ッ!? ………あんたたち、一体、何しにここへ―――」
「幼友達相手に随分と他人行儀だな。ハーヴの躾はお前の仕事じゃなかったのか、ローガン?」
「な、何でローガンの躾なんて受けなあかんねんッ!?」

 揃いの隊服を身に纏った一団へ辟易とした表情(かお)を向けるハーヴェストは、
リーダー格の男から発せられた心外極まりない言葉に爆発し、激情に任せてスタッフを地面へ叩き付けた。
 その様子を目の当たりにしたリーダー格の男は、「自分のトラウムだろう? 大事に扱わないか。
それとも肉弾スタイルに宗旨替えしたのか? ローガンとお揃いのほうが力も出せるだろうしな」などと
火に油を注ぐようなことを次々と言い放った。
 おそらくはハーヴェストの神経を敢えて逆撫でし、からかっているのだろう。口元は愉快(たの)しげに歪んでいる。
 見かねたローガンが止めに入らなければ、ハーヴェストの血管と言う血管がブチ切れていたことだろう。

 リーダーの悪ふざけはともかく―――
スカッド・フリーダムとは、タイガーバズーカと言う町を発祥の地とする格闘士たちの一団である。
 格技を志す人間で結成されていると言っても、プロレスのように興行によって生活の糧を得る営利組織ではない。
 日々の鍛錬の中で鍛え上げた心・技・体を生かし、西にアウトローに襲われる町があればすぐに駆けつけ盾となり、
東に災害を被った村があれば支援と救助活動に従事するなどエンディニオン各地で様々な人助けを、
それも無償で行なっているのだ。
 特に出動件数が多いのが、寒村を襲ってなけなしの蓄えを巻き上げようとするアウトローの取り締まりである。
 言わばスカッド・フリーダムは、世界規模で活動する警察組織のような存在であった。
 全体的な比率で見れば、犯罪者の取り締まり以外の任務のほうが合計件数は多いのだが、
その目覚しい活躍ぶりは、“悪と戦う警察機関”との印象を人々に植え付けるのも頷けるほど峻烈であった。
 一応、エンディニオンには保安官(シェリフ)と言う警察機関も存在するのだが、
全国的なネットワークが寸断されている上に人材不足が否めない保安官事務所よりも
隊員一人ひとりが達人クラスの強さを誇るスカッド・フリーダムへ期待を寄せるようになるのは、自然の成り行きであろう。

 重ねて繰り返すが、どれだけ活躍してもギャランティーはもちろん謝礼なども一切断っている。
 隊の運営は全てなけなしの寄付金で賄われており、遠征に出かけようものなら確実に自腹を切ることになる。
 鐚一文儲かることのない上に多大なる肉体的負担を強いられる任務を達成させられるのは、
そこに“義”の精神が根差しているからだと言う。
 発祥地のタイガーバズーカに本部を置き、二千もの隊員を擁するスカッド・フリーダムは、
高潔な志によってのみ動く義士の隊であった。

「お元気そうでなによりです、ハーヴの姐さんッ!!」
「ハーヴ姐さん、親爺殿が心配してますぜ。たまには顔見せてやってください」
「姐さん! ハーヴの姐さんッ!」

 タイガーバズーカが発祥地だけに同町の出身者であるローガンやハーヴェストが
スカッド・フリーダムと知り合いだったとしても何ら不思議なことはないのだが、
隊員たちから寄せられる言葉から察するに、“知り合い”などと言う曖昧な関係どころか、相当親密な間柄のようだ。
 ハーヴェスト当人が仏頂面で押し黙ってしまった為、スカッド・フリーダムとの関係性を穿つことは出来そうにないが、
それでも隊員たちはハーヴェストのことを「姐さん」と呼び、懐いているのである。
 満面を喜色で輝かせる隊員たちはともかく、スカッド・フリーダムの姿を見つけた途端、
露骨に機嫌を損ねて不貞腐れたあたり、事情を推し測ることは難しいものの、
ハーヴェストの側は面白くない感情を抱いているようだ。
 なにしろまさかの完全無視である。
それにも関わらず、ハーヴェストへ「姐さん」と嬉しそうに呼びかける隊員たちの姿は健気にすら見えた。

 憮然とした調子で独り明後日の方角を見つめているハーヴェストを余所に、
ローガンはスカッド・フリーダムの面々と楽しそうに談笑している。

「ひっさしぶりやんけ、シュガーレイ。タイガーバズーカからここまで来るんは、どえらい骨折れたんとちゃうか?」
「新聞王たっての頼みと来れば断れんよ。親爺殿もジューダス・ローブの動向は常々注視していた。
うまいこと、タイミングが合ったのさ」
「さっすがお師さんや。抜け目あらへんなぁ、ホンマ」
「お前のことも気にかけているぞ? たまには顔を見せてやれ」
「ちょ、ちょう待ってェな! 変な期待せんといてくれや? 一介の冒険者やで、ワイは」
「“今は”、な。だが、親爺殿がお前に期待していることだけは覚えていてやってくれ」
「かぁ〜、そらかなわんなァ〜。そないなコト言われてもうたら、ますます顔出し辛うなるやんけ………!」

 中でもリーダー格の男、シュガーレイ―――シュガーレイ・ニューラグーンとローガンは特別仲が良さそうだ。
 互いの腕を絡ませながら近況を語らう様子は、彼らが親友同士の間柄であることを何より如実に表していた。

「………旧交を温めたいのならふたりだけで好きにやりなさいよ。あたしは戻らせて貰うから」

 がっちりと腕を組むローガンとシュガーレイの間にハーヴェストの皮肉めいた一声が割って入った。
 それでようやっと彼女の仏頂面に気付いたローガンは、
「どないしたんや? 輪に入れへんでスネとるん?」などと苦笑いしながらフランクにハーヴェストの首へと腕を回そうとする。
 ともすれば過剰に馴れ馴れしいその野太い腕を、
まるで汚物でも跳ね飛ばすかのようにムーラン・ルージュの杖先で抑え付けたハーヴェストがおかしかったのか、
彼女が顔を顰めるのも構わずシュガーレイは大笑いして見せた。

「昔は可愛げがあったと言うのに、今ではすっかりヒネたもんだ。一人娘のこんな恰好を見たら親爺殿が泣くぞ?」
「か、可愛げなんか正義の道には無用の長物!」
「あぁあぁ、昔の想い出も台無しだな。あの頃はローガンちゃんローガンちゃんとか言って、
コイツの後ろを追いかけてばっかだったんだがなぁ。時間の流れは残酷だ」
「なッ!?」
「と言うか、お前が今の仕事をやり始めたきっかけだって、ローガンの真似―――」
「―――それ以上、何ぞ喋りよったらブチ殺すでぇッ!」

 ………スカッド・フリーダムがタイガーバズーカをルーツとする組織である以上、
構成員もその町の出身者が多くなるのは、至極自然である。
 と言うことは、つまり幼少の頃の恥ずかしい想い出――人によっては消し去りたいほど苦い記憶――を知る人間が
スカッド・フリーダムに所属していたとしても何らおかしくはないのだ。
 ハーヴェストが仏頂面を作っている理由は、まさにこの一点に尽きるのであろう。
 彼女のルーツに当たる土地に生き、幼少の頃から彼女を良く知る人間の多いスカッド・フリーダムは、
言ってみれば伏魔殿さながらであった。
 撤去しなければまず間違いなく憤死を招く悪夢の爆弾が、安全ピンが抜けかけたまますぐ近くに転がっているようなものである。

 そして、その危機感が現実のものとなった瞬間、ハーヴェストはムーラン・ルージュをフルスイングで振り抜き、
シュガーレイの後頭部を殴打に掛かった…が、しかし、ゴーグルの下の双眸は彼女の行動を完全に読みきっていたようだ。
 猪突猛進の勢いで襲い掛かってきたハーヴェストの足を軽く払い、前のめりに転倒させたシュガーレイは、
追い撃ちを掛けるようにして彼女の尻を踏みつけ、起き上がろうとする動作を封じ込めた。

「何年付き合いがあると思っているんだ。行動パターンなんてお見通しに決まってるだろう?」
「ぐぐぐ………ッ!!」

 不恰好につんのめったまま起き上がることも出来ず、
歯軋りして悔しがるハーヴェストへ勝ち誇ったような高笑いを上げるシュガーレイの表情(かお)は、
誰がどう見ても鬼か、悪魔のそれだった。

「これは驚いたな。いや、愉快なものを見させて貰ったよ。スカッド・フリーダムの戦闘隊長と、セイヴァーギアの夢の競演とは。
対談ショーでも組んだら面白いことになりそうだ」

 ―――と、拍手喝采を以ってシュガーレイの鮮やかな手並みを賞賛したのは、
いつの間にか屋外公園にやって来ていたラトクその人である。
 リーヴル・ノワールへ潜入した際と同じように黒服に身を包んでおり、腰には愛用のシャープスカービンを携えている。
普段は芸能人として活動中の彼も、緊急事態に際してルナゲイトのエージェントと言う裏稼業へ専念している様子だ。
 尤も、彼のメインフィールドであるテレビ番組は、現在のところ、再開の目処すら立っていない。
 爆破テロによって機材が大破させられた現状(いま)、いくらラトクの登場をお茶の間が望んだとしても、
収録そのものが行えない有様なのだ。
 裏稼業への専念は、あるいは消去法的に決まったことかも知れない。

 それにしても…とハーヴェストが歯噛みするのは、彼がこの場にやって来たタイミングである。
 シュガーレイに足を引っ掛けられ、無様な恰好で転ばされた直後に拍手を交えながら登場とは、
あまりにもタイミングが良すぎるではないか。おそらくは頃合を見計らっていたに違いない。
 番組制作のキーマンらしい物言いは、一連の出来事をテレビで暴露することを予感させた。
 “正義の味方”にとって体裁などは取り繕う意味すら持たぬものであるが、
だからと言って、憎たらしい相手に遅れを取った事実が世間に知れ渡ることはさすがに不愉快である。
 「いつか天罰が下るわよ、この性悪ッ!」とハーヴェストから恨み節を頂戴するラトクであったが、
悪びれた素振りすら見せず、「その様子も撮影して貰わないとな。世間は痛い目を見るヒールがお好きだ」と涼しげな顔で返した。


「冗談はともかく、お待ちしておりました。ジョゼフ・ルナゲイトより皆さんの案内を仰せつかっております」
「テレビでよく拝見しておりましたよ、崇さん。家内と娘があなたの大ファンでしてね。
………私の耳に入ってくるのは、もっぱら“そちらの仕事”のお噂ですが」
「いやはや、なんとまぁ、お恥ずかしい。私の仕事などジョゼフ様の使い走りのようなもの。
スカッド・フリーダムの皆さんのようには参りません」
「ご謙遜を。………ですが、そこまで期待されては、我々としても全力以上の気迫を以って防衛(こと)に当たらねばなりますまい。
義の神髄を新聞王殿にご覧に入れましょう」
「今のお言葉でサミットの防御は完成したも同然ですな。ジョゼフ様もお喜びになりますよ」

 ―――ラトクの言う通り、スカッド・フリーダムがルナゲイトへ来訪したのは、
物見遊山ではなくれっきとした任務なのである。
 ジョゼフからの要請を受け、シュガーレイ率いる部隊もサミットの警護へ参加することになったのだ。
 何分にも急な要請であった為、別の任務へと出払っている主だった部隊に招集をかけるわけにも行かず、
微々たる数しかサミットの防衛に回せなかった…とは、シュガーレイの説明だが、
ローガンに言わせれば、スカッド・フリーダム隊員の中でも選りすぐりの腕利きが揃っているのだから、
何も心配することはないらしい。
 それどころか、百人力とまでローガンは旧友たちを誉めそやした。
 ローガンが絶賛するのは当然のことなのだった。
 シュガーレイはスカッド・フリーダムに於いて戦闘隊長と言う肩書きを背負っているのだが、
これは隊が関与する全戦闘の指揮と言う最重要な権限を許されたポストなのだ。
 席次で喩えるなら、隊員たちが“親爺”と呼び慕う総大将に次ぐ位置。
本来ならば、任務地へ直接赴くことなど有り得ない立場であった。

 ジューダス・ローブによるテロ活動がスカッド・フリーダムにとって如何に大きな関心事であるかは、
戦闘隊長を直々に派遣したことからも察せられると言うものだ。
 そして、戦闘隊長が率いる隊員は、いずれも総大将の護衛を主務とする選りすぐりの格闘士たちである。
 近衛兵とも呼ぶべき猛者ならば、ローガンが述べたように少数精鋭の編成ながらも百人力と言って差し支えなかろう。
 迎え撃つ相手は、スカッド・フリーダムの掲げる義にとって不倶戴天の敵。
ラトクが駆けつけて以降、ローガンと和やかに談笑していた隊員たちも表情を引き締めており、
身の裡ではジューダス・ローブとの決着戦に向けて闘志を漲らせていた。

「そう言うわけだ。任務完了までの短い間だが、昔みたいに仲良くやろうじゃないか」
「………今も昔もあんたらとは仲良しこよしってワケじゃないわ」

 サミットの護衛を要請した際、ジューダス・ローブと直接対決するアルフレッドたちのこともジョゼフは話を通しておいたのだろう。
シュガーレイはこの作戦にローガンとハーヴェストが参加することを既に知っていた。
 親しげに、且つ、どこか皮肉っぽく握手を求めてきたシュガーレイへハーヴェストはたまらなく嫌そうな顔を見せたが、
僅かな逡巡の後、渋々と言った様子でこれに応じた。
 私情は別として、サミットを守らんとする正義の同志には違いないのだ。突っぱねる理由も無い。
 ?がれた手と手に自身の掌を重ね合わせたローガンは、
「なんやジャリの頃に戻った気ィがするで。ワイらが揃えば、怖いものなんかあらへん!」と闊達な笑い声を上げた。







「―――その件はアナトールに任せればよい。あやつなら二十分で済ませるじゃろうて。
………ああ、うむ―――スカッド・フリーダムへの応対にはラトクを充ててある。
ファースィーへはB隊を派遣せよ。くれぐれも経費をケチるでないぞ? 必要な分だけ掴ませよ。
………よいな? 何があってもしくじるでないぞ」

 セントラルタワーの地下へ設けられた自室に篭ったきり、電話機へ噛り付きだったジョゼフは、
執務に用いる金縁眼鏡を外し、疲労の溜まった目を冷やそうと手元の濡れタオルを宛がった。
 歳を経てからは眼の疲れが溜まり易く、冷たいタオルは執務には欠かせない物だ。
 だが、長時間放置しておいたせいで既に温くなっており、冷却の役目を果たしてはいない。
中途半端な冷たさがかえって不快な気分を沸き立たせた。

 秘書に言いつけて冷えた物を手配させようと内線をダイヤルしかけるジョゼフだが、
何を思ったのか途中で指を止め、受話器を放り出してデスクチェアに凭れかかった。
 疲れた頭には替えを考えることさえ億劫だった。

 オーダーメイドしたメッシュ張りのデスクチェアは背と腰によく馴染み、包み込むかのようにジョゼフの体重を支える。
 歴年愛用してきたので、ジョゼフ同様にあちこちがくたびれているのだろう。体重を受けたデスクチェアは微かに軋んだ。
 生まれて初めてデスクチェアに触れた子供が、その音に何とも言えない可笑し味を見出し、
ギシギシ、ギシギシと意味も無く音を鳴らす光景によく出くわすが、そこへ行くと今のジョゼフは童心に返ったことになるのか。
 背もたれに体重をかける度に返って来る、鉄を擦り合わすようなリズムがジョゼフの疲れた耳に心地良く、
軋みは書斎の天井へ絶え間なく反響し続けた。

 童心に返り、陶酔しているかに思われたジョゼフだったが、しかし、浮かんだ表情は幼児のそれどころか、
人生の疲弊を味わい尽くした者のように虚ろである。
 忙しなく開閉される瞼の様子からも、疲弊の度合いが窺い知れた。

「………厄介だけを押し付けおってからに………あやつめ………人使いがワシに似て来おったわ」

 何故、ジョゼフが老体に鞭打って多大な苦労を強いられているかと言うと、早い話がアルフレッドたちの皺寄せだ。
 彼らが対ジューダス・ローブ用に考案した戦略は、警備の配置を移動するだけでなく、
サミットの開催日程変更をも要求しており、実現に際しては各方面への根回しが必要不可欠なのである。
 仲間たちの手前、表向きは「機密漏洩を防ぐために直接首脳陣へ通達する」とし、
情報操作の熟達を豪語したマユだが、それが単純に済ませられる問題ではないことも、
とてつもなく複雑な根回しを要することも腹の底にて弁えていた。
 もう一つ…“新聞女王”としてマスメディアの頂点に座しているとは言え、二十歳にも満たない若輩者の呼びかけでは
各界の重鎮が腰を上げてはくれないこともマユは自覚していた。

 そこで白羽の矢が立ったのがジョゼフだった。
 名実ともにエンディオンの王者であったジョゼフの発言力・影響力は隠居した身であっても何ら衰えはなく、
鶴の一声で世界を動かすだけの権力を現在にも誇っていた。
 若輩の訴えになど耳を貸さない重鎮と雖も、ジョゼフより下された号令とあれば二つ返事で従うだろう。
根回しを依頼するのにこれ以上の適任はいない。
 陰で闇将軍とまで畏怖される祖父の権力を、マユは利用しにかかったと言うわけである。

 なんとかの七光りと断じられてはそれまでなのだが、
利用できるモノは親族・血縁であろうとも分け隔てなく行使しようとする思い切りはいっそ清々しくもある。
 ジョゼフに頼ったことがマユの外聞に与えるダメージは決しては低くない。
若輩にして“新聞女王”の異名を取るマユの存在を忌々しく思う者たちに付け入る隙を一つ与えたようなものだ。
 若輩の台頭が苦い古狸らは口を揃えてこう言うに違いない。「自分の力で難局を切り抜けられぬ人間がリーダーの器か?」と。

「わたくしの、ルナゲイト家の使命はエンディニオンの王者を気取ることではなく、エンディニオンの王者たる義務を果たすことです。
平和と秩序を守る意味さえ考えず、劣等感を満足させる為に王者の足を引っ張るばかりの古狸など、
騒ぎたいように騒がせておけばいい。………体面一つで義務を果たせるなら安いものですわ」

 その危険性を承知しながら、己の外聞よりサミットの無事の完遂を選んだマユの啖呵に
王者としての気構えが宿っていると認めたからこそ、ジョゼフも彼女の要請に応じて根回しに粉骨砕身しているわけだが、
それと疲労は別問題。
 疲れのせいで愚痴が多くなるのは年寄りの証拠…それはジョゼフも自覚するところであり、
若くあろうとするには忌避すべきものだ。
 しかし、眼一杯に溜まった精神の疲れを癒し、次なる仕事へ奮い立たせるには愚痴が必要であるとも自覚している。
 まだまだ根回しは必要だ。今はアンチエイジングよりも気力の回復を優先させるしかなかった。

「………こうして行動の全てを理詰めで分析してしまうのも年を取ったの証拠かのう………。
………つまらんのう………つまらん………」

 また一つ愚痴を漏らすジョゼフだが、噛み締めた疲労は何故か甘味があった。
 幼くして両親――ジョゼフにとって息子夫婦だ――を亡くしたマユを養育し、ありとあらゆる英才教育を施し、
六十余年の人生の中で培った全てを授けてきたジョゼフにとって、王者たる風格を纏い始めた孫娘の姿は、まさしく希望の具現だ。
 報われた歴年の苦労、次代を担う王者の誕生に歓喜の甘味が生まれ、ジョゼフを満たしていた。

「………欲を言えば、ソニエとマユが二本柱を組む様を見たかったがのぅ………」

 これも愚痴じゃな、とジョゼフは苦笑いを噛み殺す。
 教えられるがまま英才教育を吸収していったマユと正反対に姉のソニエは王者という名のレールに束縛されることを嫌い、
数年前に勘当同然でルナゲイト家を飛び出してしまった。
 互いの信条を口汚く罵って口論した出奔の前夜を思い出すと未だに胸が痛む。
 教育が将来に繋がることを理解できぬ愚か者め―――孫娘に対してタブーとも言える罵詈を叩きつけた後悔は、
普通の会話ができるまでに復調した現在も…いや、この先もずっと消えそうにない。

 フェイやケロイド・ジュースとチームを組んで以降の目覚しい活躍、エンディニオン全土にその名を轟かす存在となった点を鑑みるに、
自由の空へ飛び立つと言う選択は間違いではなかったと思えるのだが、それだけにジョゼフには苦い。
 王者のレールを外れ、自由と踊るソニエが名声を高めれば高めるほど、
マユの体言することが、己が生涯を費やして築いたものが、否定されるような気がして、胸中は複雑に混濁するのだ。
 ソニエの大成を喜びながらも、どこかで嫉妬を覚えてしまう老残………これほど苦いものは他にはあるまい。


 ―――ちゃ〜らり♪ ちゃ〜らり♪ ちゃーらららっちゃっちゃ♪ ボンタ〜ンチッ♪


「あ、エンドった? たそがれ遺言レコーディング」

 執務の最中ではあるものの、疲れた頭に喝を入れようとデスクの引き出し奥深くに秘蔵した四十年物のスコッチへ手を伸ばしかけたとき、
人の神経を逆撫でして不愉快にさせる電子音が執務室に鳴り響いた。
 この不愉快極まりない電子音にも、それに続く声にも聴き覚えがあるジョゼフは反射的に引出しを押し込んだ。
 旺盛と言うよりも餓鬼に近い声の主の食欲がヴィンテージ物特有の芳香を嗅ぎ付けられたら、
これまで一杯一杯チビりチビりと楽しんできた瓶の中身をたちまち空にされてしまう恐れがあったからだ。

「縁起でもないことを言うでないわ。健康診断で一度もケチが付いたことのないワシじゃぞ? 棺桶の相談などまだ早過ぎるわ」

 改めて問うまでもないが、独白めいたジョゼフの呟きへ頼んでもいないのに不届きな返事を送った人物とは、
対ジューダス・ローブのブリーフィングに姿を見せなかったホゥリーである。
 執務室に設えられたソファーへ仰向けに寝転がった彼は、
フィガス・テクナーのミーティングで場の空気を乱したときと同じようにマリスから拝借したゲーム機で遊んでいた。
 今日のお供はバター醤油味のポップコーンらしい。
 アルフレッドから贈られた想い出深いゲーム機だから決して汚さないように、とマリスにもタスクにも念を押されたのだが、
なにしろホゥリーはポップコーンを素手で摘みながら遊ぶような男だ。
案の定、コントロールキーには食べカスが付着し、本隊の表面も油でテラテラと汚れてしまっている。
 デリカシーという言葉とは、アルフレッド以上に遠い世界にいる彼のこと、汚れを拭き取ることもせずにそのまま返却するだろう。

 ちなみにこれから三十分後、マリスに金属バットで、タスクに巨大手裏剣で追い掛け回されるホゥリーの、
「まじソーリーでした。調子にライドしてました」な形相がセントラルタワーでちょっとした話題になるのだが、それはまた別の話。

 とにもかくにもホゥリーは、ジューダス・ローブ攻略を期して意見を戦わせる大切なブリーフィングを欠席しながら、
実はこんな場所で油を売っていたのだ。
 ジョゼフもブリーフィングには参加していないが、ルナゲイト家の大御所にしか処理できない山積みの仕事をこなしていた彼と
難しい話し合いが厭で逃げ出してきたホゥリーとを一緒くたには出来まい。

 サボタージュは大変よろしくない行為である。
 対テロに臨まんとするチームのメンバーにはあるまじき怠慢だ…が、
議事進行の妨害しかしないホゥリーが人命に関わる大事なブリーフィングを欠席したことは、かえって好都合だったのかも知れない。
 円滑な話し合いに必要なことは、会話のキャッチボールを成立させるだけの知識と、不協和音の奏者たるホゥリーの不在―――
チーム内では、この二点が共通の認識として了解されているのだ。
 欠席という形で双方を実現してくれたホゥリーの影に対して、
「あいつも少しは人の役に立つんだな」と吐き捨てるアルフレッドの冷笑が聴こえてくるようだった。

 と言っても、各方面へ電話連絡を行い、山のように積まれた書類へ眼を通さなければならないジョゼフにとって、
ゲーム機から飛び出す電子音とポップコーンを咀嚼する下品な音は、集中力を掻き乱す公害であって邪魔以外の何物でもない。
 それだけでも不快指数マックスで苛立つのに、時折、「イエス! アンダーまでディフィートっ!」だの、
「ガッデム! ボキのアドベンチャーはここでカタストロフっ!」だのとゲームの内容に対するレスポンスが加わり、
ジョゼフのはらわたは煮え繰り返っていた。
 ブリーフィングの妨害は心苦しいのだが、何の役にも立たない生ゴミを誰でも良いから早々に引き取って欲しいというのが
ジョゼフの本音である。

「よく飽きずに遊んでいられるのぉ。ワシなら一時間は保たぬじゃろうて」
「飽きてるさァ、決まってるじゃん。こんなシンプルなゲームに熱中できるヤツのブレインがボキにはオブスキュア。
てトークか、ボンタンチってのがオブスキュアなんだけど。なんなの、ボンタンチって? 柑橘類の親戚?」
「ワシに聴かれても困る。必要とあらば開発元に訊いておくが、どうじゃ?」
「そこまでしてコグニションしたいとはシンクれないんでノーセンキュー。
こんなゲーム、ホワッツがウキウキでプレイできんのか、そもそもそこがオブスキュアだしネェ。
あの娘、ちょっと趣味がストレンジだね」 

 借りておいて、何時間も遊び倒しておいて、よくもまぁそこまで悪態を吐けるものだと、
呆れを通り越して感心さえしてしまう。
 本来なら叱責をもって歪んだ人格を矯正してやるのが年長者の務めだろうが、
理性のネジが飛散したホゥリーに常識的な考え方を求めることからして時間の浪費。
 彼の発言は全て呆言と捉えて受け流すのが精神衛生上、適切な処理だった。

「あ、そーいやさ〜、フィガス・テクナーってタウンがワープアウトしてきたタイミングでさぁ、
グランパ、ファースト・ルックとか言ってアイがスプリングしそうだったじゃん?」
「これは異なことを申すわ。おヌシは驚かなんだか?」
「ボキのサプライズはグランパの演技力ね。むりくりサプライズってるのがバレバレで、ちょいとアウチだったよ。
ネクストは注意しようね」
「―――――――――ッ!?」

 ………そんな割り切りへ当てつけのように聞き流せない発言を放るホゥリーは、
自覚の有無を問わず、やはり悪趣味の極みと言えよう。
 サインを記すべく書類へと落としていた視線を上げたジョゼフは、緊張を孕んだ表情(かお)で彼を凝視した。
 当てつけの自覚はあるようだ。視線が交差した瞬間にホゥリーの口元が嫌味ったらしく吊り上がった。

「………………………」
「………………………」

 表情に出てしまった緊張を解いて――けれど心中には大いなる波紋を落としながら――ホゥリーへ微笑を浮かべて返すジョゼフ。
それが作り笑いと見抜いているホゥリーは、愉快でたまらないといった風にますます口元を綻ばせていく。
 相対するジョゼフも、作り笑いが見抜かれていることを見抜いており、貼り付けたような微笑でポーカーフェイスを貫く。
 互いに愉快な表情を浮かべているが、何も知らない人間が迂闊に入り込もうものなら
双方向からのプレッシャーで卒倒し兼ねない煮こごった空気が二人の間に垂れ込めていた。

「キャンパス時代、スチューデント劇団の名バイプレーヤーだったボキからアドバイスするとね、サプライズが足りないのよ。
フェイスオンリーでサプライズしてもねぇ、エモーションが随いて来ないとノンノンノンね」
「………歳を重ねればおヌシにもわかるがのぉ、感動というものが表に出にくくなるものなんじゃよ。
若い者はそれを貫禄と呼び、
老いた身は“つまらぬ世になった”などと嘆いておる。認めなくないが、心の枯れというものじゃな」
「ゲョゲョゲョ―――物は言いようだね。バットしかし、初めてルックって割に、アルどもが見蕩れてた町並みにも
リアクション薄口だったじゃん? 好奇心があるなら、まずキテレツな景観をルックるんじゃない? 
………どうせトボケるなら、分かり易く入れ歯飛ばすか、腰抜かしとくべきだったね」
「………………………」

 フィガス・テクナーにおける態度から感じ取ったという不自然な違和を指摘されたジョゼフの瞳が、
ほんの一瞬、殺意とも憎悪とも取れる冷徹な鋭さを帯びる。

「そういうおヌシはどうじゃ?」
「ハァン? ボキがホワッツ?」
「マリス・ヘイフリックとタスク・ロッテンマイヤーを見る眼は異常じゃ。暇さえあれば二人を眼で追っておるじゃろう?」
「そりゃだって二人ともチャーミングだしぃ、ボキだって永遠のボーイだしぃ。あとハートはチェリーパイだしぃ」
「じゃが、恋焦がれたそれとは違う。………監視者の眼じゃ。一挙手一投足を看過せぬように監視しておるな、おヌシ」
「………………………」
「しかもあの二人に限ってはルナゲイトの情報網をフルに駆使してもアルフレッド君らと合流するまでの足取りが掴めん。
目撃情報を得られたとしても断片的じゃ。はてさてどうしたことか………面妖じゃ。おヌシは何か知っておるのかのぉ?」
「………………………」

 ただでさえ醜い唇を愉悦に歪めていたホゥリーだったが、ジョゼフから返ってきた不意打ちの一言に顔面の笑気を消し、
それまでとは全く異なる意味合いで口元を歪める。

「………長生きしたいなら、余計なことにネック突っ込まないほうがグッドだよ、グランパ」
「詠唱が成るのが早いか、SPの突入が早いか、試してみようと? ククッ―――チャレンジャーは好きじゃが、
無謀な人間は好かぬな。わざわざ全身にミシン目を付けても仕方あるまいて」

 ポンポンポン、と太鼓っ腹を叩いて見せるホゥリーの態度は、一見すると威嚇する狸のようだが、
神人へ歌舞を奉じることで強烈なプロキシを操る彼にとって、その行為は大きな意味を持つ。
 律動良くリズムを取って神人と交信し始めたということは、
つまり、この場で暴悪なプロキシを発動する用意があると突きつける為の無言の示威である。
 腹を打つのとは別の手には、スカァルの雷鼓と言う銘の杖が握り締められている。
 足元へ転がしておいた得物を手に取ったと言うこと自体が、攻撃の意思を明瞭に表しているのだ。

 言わば臨戦体勢に入ったホゥリーを正面に見据えるジョゼフの左の指先は、デスク上に設置された赤いボタンへ伸ばされている。
 威圧的な言葉と危険を示す色合いから、そのボタンがどんな意味を持っているか察せられた。
 赤いボタンが押されることにより、薄壁一枚を隔てた向こうから常に感じられる数多の気配が
どのような行動に出るかは想像に難くない。
 赤いボタンに掛けたのとは反対の右の指先は、せわしなく屈伸運動を繰り返している。
握手を交わしたアルフレッドが老人のものとは思えぬほどの強い力を感じた、右の指先だ。
 その屈伸運動に閃くものがあったらしいホゥリーは、左手の動きから右の指先へと目を転じ、
以降、そこに最大限の警戒を払っている。
 隣室に待機させたSPへ招集を掛ける左手にこそ脅威が宿っているよう傍目には見えるのだが、
ジョゼフと相対したホゥリーにとっては、必ずしもそうではないらしい。
 ホゥリーの注視は、完全なる殺意を帯びた右指先から微動だにしなかった。

 互いに相手の着眼した点を忌々しく感じていればこそ、隠すことなく剣呑と殺気をひけらかすのであり、
それ以上、踏み込むつもりならば容赦無くおしゃべりな口を封じると声無き警告を衝き合わせていた。

「イートれないご隠居だネ。フレンドにはなれそ〜にナッシングよ」
「食えぬはお互い様じゃ。相性の悪さものぉ」

 おちゃらけながらも言葉の裏で殺意を肯定して相手を牽制し、ジョゼフとホゥリーは互いに出方を窺う。
 降りたる暫時の沈黙には薄ら笑いが絶えず、
周囲へ輻射される殺気の衝突と、強引に笑気を貼り付けたような両者の表情(かお)とのギャップが
世にも恐ろしく見えた。

「仲間割れはまたの機会にしてください。それとも、私のほうで処理しましょうか?」

 ラトクが入室してきたとき、両者の間には、今にも破裂して迸らんばかりの殺意が膨れ上がっていた。
 第三者の入室によって張り詰めた糸が切れ、これに伴って臨戦状態も解かれたのだが、
彼の到着がもう少し遅くなっていたなら、
その日のうちにジョゼフの執務室は二度と人が立ち入れぬような廃墟と化していたに違いない。

 「処理とはビッグに出たじゃナッシング? アームに覚えアリってコトかな? なんならテストしてみるゥ?」と
不満を唱えるホゥリーに無反応を貫いたラトクは、
シュガーレイらスカッド・フリーダムを控え室へ案内し終えたとジョゼフに報告した。

「私に言わせれば、どちらも腹に一物持っていて、まるで油断がなりませんな」

 なおも無言の威圧を以て互いに牽制し合うジョセフとホゥリーへとラトクは苦笑を漏らす。

「リーヴル・ノワールではどうでした? 想像を絶するものがあまりにも多くて、
私のような凡人は足が竦むような思いでいましたが、おふたりはさすが肝が据わったもの。何を見ても動じませんでしたな」
「心乱されたことが他にもあった故な。フェイ・ブランドール・カスケイドがあれほど使えぬとは………」
「カスケイド氏の無能など最初からご存知だったではないですか。
………私もさすがにあれほど使い道がないとは思いませんでしたが」
「………チミは何をトークしたいのかナ?」
「私はおふたりの博識ぶりに驚いているだけですよ、ヴァランタインさん。
特番組んで放送したくなるような出来事を前にしても動じないと言うことは、
リーヴル・ノワールがどんなモノなのか、最初から知っていたと言うことでしょう? 
新聞王であらせられるジョゼフ様は言うに及ばず、ヴァランタインさんも相当な博学と見たのですがね」
「………………………」
「………………………」
「人造生命の失敗作に、コールドスリープされた少女―――
我々凡人には背筋の凍るような話ですが、ま、実在を識っていた方の目には、騒ぐまでもないこと。
驚きも何もないのでしょうな」

 挑発的な物言いを続けるラトクに対し、ホゥリーとジョゼフは、それぞれ殺意の及ぶ範囲を拡大させていった。
 言うまでもなく、その範囲には新たにラトクが含まれている。

「リーヴル・ノワールか、それとも同様の施設を識っていたのか。
いずれにしても、あそこのような―――」
「―――ラトク、おヌシの飼い主は誰じゃ? おヌシは誰に飼われておる?」
「ハッハハ―――ご冗談を。きゃんきゃん張り切って鳴いてみせたのですよ? 
餌をねがっても罰は当たらないと思いますよ」
「………口の減らぬ男よ。なんならアナトールにリードを預けても良いのじゃぞ? 
可愛い飼い犬が喜ぶのなら、口惜しいがワシとて考えぬでもない」
「またまたご冗談。犬畜生と同レベルのお人に、果たして飼い犬としてどう仕えたら良いのか、私にはわかりかねます。
リードは、やはりヒトの手で握っていただかないと」
「そう思うのなら、鳴き声とやらを少しは考えることじゃな。愛玩向きの鳴き方と、野良犬の遠吠えは同じではあるまい?」
「これはとんだ粗相を。私も知識を付けねばならないようですね、知識を―――」

 ジョゼフによってラトクの言葉は途絶させられ、以降、室内から一切の音が消えた。
 怖気が走るような穏やかならざる沈黙は、ジョゼフを呼びつける電話のコールが鳴るまでの数分間、
昏く冷え切った空気の下に続いた。
 誰も………そう、彼らにとって心から信の置ける仲間たちですら知らない―――
知った者は容赦なく抹殺すると言う厳粛にして苛烈な決意の上に見え隠れする“秘め事”は、
これを追求する糸口が無粋な音の刃でもって断ち切られてしまった。




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