7.暴かれた秘密 『あ、そういや話したっけ? フィーから貰ったペンダント。ブバルディアの形してんだけど、これがもうお気に入りでさぁ〜』 「俺の記憶違いなら謝るが、その話、もう四回は聞かされたと思うんだがな」 『何回聴いてもイイもんでしょ。じゃ、五回目と行こうか』 「そういう話は俺じゃなくてネイトにしてやってくれよ。あいつ、喜んでくれるよ」 モバイルの向こう側で「男性陣と差が付いちゃって、なんか悪いわねぇ〜」とカラカラ笑うトリーシャは、 どうあってもお気に入りのペンダントを自慢したいらしい。 トリーシャの自慢とは、ルディアがシェインに披露したのと同じブバルディアのペンダントだった。 アルフレッドたちと共にフィガス・テクナーのミーティングへ参加する為、 一緒に買い物へ出かけられなかったトリーシャの分もフィーナが気を利かせて購入しておいたのだ。 誰も仲間外れにしたくないと言うフィーナらしい気配りである。 フィーナの細やかな気配りにトリーシャは心から感激したようで、 何かと理由をつけて「親友からのプレゼントって最高よね」と自慢したがるのである。 フィーナとトリーシャの当初の関係を知る人間にしてみれば、 二人の友情が円満なものにまとまったと確認できるこの自慢話は心温まるものではあるのだが、 三分間に四回も一方通行で訊かされては、いい加減辟易してしまう。 けれども必要な情報を得るには相手の機嫌を損ねるわけにも行かず、 当り障りのないレスポンスを返して適当に調子を合わせるしかない。 胃がムカムカして仕方がないが、我慢我慢である。 トリーシャはフィガス・テクナーに残留してより詳細な情報の収集に当たっていた。 ジューダス・ローブへの対策が早急に求められてはいるものの、フィガス・テクナーの転位も外すことのできない大問題であり、 且つ、依然として解決の目処は立っていない。 その為には一にもニにもフィガス・テクナーに関する情報が必要だった。 エヴェリン同様にヒューの人脈が物を言う町ならトリーシャも「相手が爆弾投げきたら、こっちはペンでピッチャー返し」などと吹いて 皆と一緒にルナゲイトへ急行しただろうが、生憎とフィガス・テクナーには名探偵の息がかかった人材は全く存在しない。 当たり前の話だ。別な世界からテレポーテーションしてきた町に馴染みの情報屋がいたら、 ヒュー本人だって腰を抜かすに決まっている。 それはジョゼフが誇る情報特派員にも同様のことが言え、 近隣のエヴェリンならともかく、フィガス・テクナーではルナゲイトの力も通用しなかった。 完全な手探り状態から情報収集を行なわなくてはならないのだが、 ヒューやジョゼフはジューダス・ローブとの決闘において必要不可欠な人材であり、フィガス・テクナーへ置いていける筈もない。 彼と同じくらい情報(ネタ)を集める技術(アンテナ)を持ち、 なおかつその真贋を見極められる確かな洞察力を兼ね備えた人材として抜擢されたのが、何を隠そうトリーシャだった。 社会的な信用はヒューやジョゼフに比べて劣るフリージャーナリストではあるものの、 “新鮮なネタを足で稼ぐ”彼女のウデは二人も認めるところであり、トリーシャ本人も自分が専念すべき優先順位を弁えてくれていた。 テロリズムに対してジャーナリズムで対抗するのも一興だが、フィガス・テクナーの詳細を調査し、 エンディニオンに起こりつつある重大な異変を解き明かすことが自分の使命だ、と。 「フィガス・テクナーのこと、アルバトロス・カンパニーのこと、神隠しのこと―――アタシは全部を記事にするつもりよ。 エンディニオンはこの異常事態を正しく認識する必要があるし、人間には情報を知る権利があるわ。 ………何も知らないまま混乱するより、全てを知った上で焦ったほうが心の準備も出来るじゃない。違う?」 そこまでの強い使命感を胸に燃やすトリーシャだからこそ、その主張を思い留まらすのに苦労した。 トリーシャはフィガス・テクナーで見聞きした一切を世間へ公表するべきだとジョゼフへ言い募っていた。 ルナゲイトであれば、それが出来ると繰り返し繰り返し訴えていた。 「如何なる理由があれ、エンディニオンに起こった出来事を包み隠さず報道するのが、 我々、マスメディアに関わる人間の義務と責任です。お師匠様だって―――いいえ、お師匠様ならわかってくれるハズ!」と 彼女に正論でもって詰め寄られた際のジョゼフの困り顔は、暫く忘れられそうにない。 “新聞王”として名声を極め、ありとあらゆる山谷を乗り越えてきたはずのジョゼフが、立派に蓄えられた白い眉毛をハの字に曲げて、 自分の半分も生きていない小娘を相手に本気で困っていたのだ。 大御所をもたじろがせるほどにトリーシャの勢いは強く、熱く、迸った正論はそれ以上に重かった。 トリーシャの言い分は尤もだ。 情報を統括するジョゼフでなくアルフレッドにもそれは分かる。尤もだが、―――真っ直ぐ過ぎた。 確かに警報として異常事態の詳細を伝えておけば、この先、予想される混乱に対する事前の準備も出来るだろうし、 その混乱を鎮めるにも正しい認識を持つことが肝要である。 しかし、タイミングを見誤れば警報は恐怖を撒き散らすだけの凶器へと変貌してしまう。これもまた事実だ。 具体的な対策も立っていない現状で「只今、異常事態」と結果のみを公表するのは、まさしくこの最悪のケースに相当する。 然るべきタイミングが訪れるまで保留とし、対策と共に発表すべきである。 そうして混乱を和らげ、人々の心を鎮めることこそがマスメディアへ携わる人間の義務と責任だとジョゼフは考えていた。 今、投げるには、この爆弾はあまりにも大き過ぎた。 「お主の申すことは全く以て正しい。ワシが提案しているのは隠蔽工作のようなものじゃからな」 「でしたらっ!」 「じゃが、真実とは誰の為に、何の為にある。ワシらの為か、それとも民の為か。 ワシら報道側の正義を満足させる代賞が世界の恐慌に直結するのであれば、 真実もまた悪となろう」 「確かに混乱は起こるでしょう。でも、それは保安官事務所が鎮めてくれるはず! その為に保安官がいるんじゃありませんかっ!」 「保安官ではあまりにも心許ない。ワシの配下を派遣しようにも、さすがにエンディニオン全土が範囲となってはな…。 スカッド・フリーダムに助力を要請しようにも同じ結果じゃろう。 まとまっておれるのは、せいぜいテムグ・テングリの領内くらいじゃよ」 「混乱を招くのがニュースなら、みんなを落ち着かせるのもまたニュースですっ! お師匠様が直接呼びかければ、みんなだって…っ!」 「混乱や恐慌とはな、社会不安ばかりを差すのではない。 異なる世界の人間同士で諍いが起こるとも限らん。排他的な人間はどこにでもおるのじゃ。 ………そうした混乱に乗じて善からぬ企みをする輩が出ぬとも限らんのじゃ」 「例えば、テムグ・テングリ群狼領が?」 「左様。この期に乗じて侵略戦争に勢いをつける可能性は低くはない。 先ほども言うたが、未曾有の混乱に当たって民をまとめておけるのはテムグ・テングリくらいのものじゃよ。 エルンストなる男、それだけのカリスマじゃとワシは見ておる」 「………結局、政治ってことですか?」 「政治ではない。大事なものを守るためじゃ。 情報の隠蔽は間違っておる。明るみになれば、おそらく想像も出来ぬような批難を受けよう。 ルナゲイトが傾くやも知れぬ。………じゃが、最悪の混乱は防げる。 発表を遅らせると言うことは、混乱を防ぐ為の策を打つゆとりを生み出すことと同じなのじゃよ」 「………………………」 「偽りが真実を超えることは往々にしてある。トリーシャ、ここはワシを信じてくれぬか? ワシを師と思うてくれるのなら、お主の正義をジョゼフ・ルナゲイトに預けよ」 「お師匠様………」 ―――言い合う様子は、絵に描いたような師弟関係だった。 リーヴル・ノワールへの道程で教えを授かって以来、トリーシャはジョゼフのことを尊敬の念を込めて「お師匠様」と呼んでいるのだが、 どうやらジョゼフも彼女を弟子として正式に認めた様子である。 その師匠から言い諭されたトリーシャは、納得は出来ないまでも最終的には妥協へ至ったらしい。 ニュースを取り扱う人間として、ジョゼフの論理に理解が及んだことも確かであった。 「端的に教えてくれ。フィガス・テクナーの近況はどうなんだ?」 『もうしっちゃかめっちゃかよ。ていうか、段々悪くなってる。アタシらが潜入したときはテレポート直後ってこともあって ひたすら呆然してるって感じだったけど、時間が経つにつれて自分たちがとんでもない状況に陥ったって理解してきたらしくて』 「まさか、暴動など起きていないだろうな」 『今は大丈夫。………んー………でも、このままだとちょっと危ないわね。エヴェリンの人たちも不安がってるし』 「ラスたちの様子は?」 『こっちの世界に関しちゃ、言い方おかしいけど先輩でしょ、彼ら。 だから、町の人たちを落ち着けようと色々踏ん張ってるんだけど………』 「多勢に無勢、か。少数の説得が大多数の恐慌を鎮静できるはずも無いか。怪我だけはするなと伝えておいてくれ」 何だかんだ言ってアルバトロス・カンパニーのメンバーは総じて精神年齢が高く、無理を通して負傷するようなバカな真似はしない。 その点は我がチームの猛進コンビ…シェイン&フツノミタマとは大違いで、 ディアナあたりの爪の垢を煎じて二人に飲ませてやりたいくらいだ。 まかり間違ってダイナソーの物が混入してしまったらヘタレ成分が醸造させそうで恐いが、 無謀に対して警戒を持つ自重の精神が養えるなら多少の臆病も良い薬効だろう。 念の為、後でニコラスにでもメールをしておこうと考えたとき、 ふと「何でだよ! 俺には返信しねぇくせに!」と不貞腐れるクラップの顔が浮かんだ。 フィーナやシェインはクラップとかなり頻繁にメールや通話でやり取りしているようだが、 そうした交流に頓着しないアルフレッドはゆうにニ十通は受信ボックスに溜まっているメールを返信したことがない。 それどころか返信する気も起きない。 少し前に一度だけ返信メールを送ったとき、感激したクラップから「この焦らし上手め!」との電話がかかってきたのだが、 まるで極上の餌を前にした子犬のように興奮するクラップがうざったくて仕方なく、以来、返信もコールバックもやめていた。 あまりに友達甲斐の無い態度にクラップが半ベソで寂しがっているとシェインに聴いていたから、 もしかしたら彼が発した催促の念を受信したのかも知れない。 (………なんとも気色悪い話だ………) 哀れクラップと合掌すべきか。ますますレスポンスを返す気が減退していくアルフレッドであった。 『そっちはの状況は?』 「ジューダス・ローブに予知能力があった」 『はッ、はぁ!? 何よ、ソレっ!?』 「惜しかったな、紙面映えするネタだったのに」 『そーゆー問題じゃないでしょ! っていうか、大丈夫なわけ? 状況、ヤバくなってない?』 「その代わりと言ってはなんだが、これ以上、悪化することも無くなった。フィーにあやかって前向きに考えるとしよう」 『後ろ向きな捉え方だと?』 「無事に終わったら、俺はヒューの尻を蹴り上げる」 『あのオッサン、何かやらかしたのね』 モバイルを持つのとは反対の左手で『ジョリーロジャー』を弄び、 手持ち無沙汰を紛らわせていたアルフレッドの視界に人影が映り込んだのはそのときだった。 モバイル使用と喫煙を目的とした専用スペースでトリーシャに電話をかけていたアルフレッドは、 別な客が入ってきたのだろうと気に留めず、互いに邪魔にならないよう壁側へと顔を背けて通話を続行しようとした。 あるいは、たった今槍玉に上げられたばかりのヒューが第一会議室から追いかけてきたのかも知れない。 壁へ填め込まれた汚れ一つない窓に視線を動かし、そこへ投射される人影をチラリと盗み見、刹那に言葉を失った。 「………………………」 『ん? どったの? 急にダンマリしちゃって』 「………悪い、キャッチが入ってしまったみたいだ。定時連絡、頼んだぞ」 通話を終えたモバイルを胸ポケットに、『ジョリーロジャー』をズボンのポケットに仕舞い込みながらアルフレッドは頭を掻いた。 定時連絡を終えてから一服しようと考えていたのだが、どうやら煙草を楽しむ猶予は許して貰えなさそうだ。 窓に映り込んだ人影というのは、腰に手を当て仁王立ちするタスクだった。 窓の向こうから差し込む空の青さで幾分和らいだように見えるものの、その面(おもて)には明らかに怒気が浮かんでいる。 アルフレッドへ逃げ場を与えぬよう真ん前に陣取る立ち方からも、彼に何らかの物言いを付けにきたことが理解できた。 「タスク? 俺に何か用―――」 「アルフレッド様は卑怯です。女性の敵です」 「………………………」 振り返るなり痛罵を浴びせられたアルフレッドは面食らって閉口する。 卑怯者呼ばわりされる理由を、前後の出来事から推察するに非人道的な作戦の立案への抗議だろうと予想したアルフレッドだったが、 まさか“女の敵”呼ばわりされるとは思いも寄らず、また、そう糾弾される覚えも無かった。 身に覚えがあるとすればフィーナを鈍重とからかったことくらいだが、 まさかそんな軽口で第三者のタスクが腹を立てるとは考えられない。 それだけに分からない。 大人の包容力を誰よりも備えるタスクの怒りがどうして自分に向けられているのか、原因が分からない。 眦を吊り上げて詰め寄ってくるタスクの鬼女さながらの形相はアルフレッドを戸惑わせ、追い詰めた。 「ご自分が卑しいとは思われませんか? どうしようもなく醜い人間だと」 「何なんだ、藪から棒に。いきなり卑怯者呼ばわりとは随分じゃないか? すまないが、お前が腹を立てる理由が俺には」 「フィーナ様とマリス様、お二人に関係するお話です。………ここまで言えば、閃くものがあるのでは?」 「………………………」 フィーナとマリスの二人に関係する話――― 今にも溢れ出しそうな憤怒に震えるタスクの口が弾劾の叱声(こえ)を紡ぎ上げた瞬間、 アルフレッドの意識は悪夢という名の無窮の闇に飲み込まれかけた。 本当にブラックアウトしたほうがどれだけ楽だったかわからないが、残念ながらアルフレッドの意識は現世に繋ぎ止められ、 視界を覆った闇は徐々に白み、晴れた先には憤激に昂ぶるタスクの仁王立ちである。 そこから撃ち出される鋭い眼光がアルフレッドへ悪夢に終わりがないことを突きつけていた。 悪夢の侵食を受けたかのように身心が異常の坂を転げ落ちていることをアルフレッドは自覚症状としていた。 視覚は大地震にでも遭遇したかのようにぐらりぐらりと歪み、正面に見据えたはずのタスクの顔が上下左右と無軌道に揺らいでいた。 聴覚はどうか? …聴覚もおかしくなっている。 大音量のスピーカーへマイクを近付けたときに生じる強烈なハウリングと近似したけたたましい耳鳴りが 三半規管を通して脳を直接打ち据え、併発の振動は触覚をも蝕んでいった。 先ほどまで肌に心地良かった空調より吹き降ろされる涼風が、 いつしか極寒の地から吹き荒ぶ絶対零度と化してアルフレッドを凍て付かせる。触覚が壊れた証拠だった。 どうやら痛覚も異常を来たしているらしい。 極寒の地へ放り出されたにも関わらず止め処なく噴き出す発汗が肌を撫でる度、 溶けた鉄を浴びせられでもしたかのような痛みと熱が襲い掛かる。 一瞬の死よりも辛く、生き地獄そのものと言うべき五感の崩落を味わいながらも、 アルフレッドの思考は不思議と冷静に働いていた。 ―――カラカラに渇いた喉が痛い。 そんな瑣末なことに限って拾い上げる壊れた思考回路が恨めしい。 取るに足らないことを注目してしまう意識を恨めしがる判断力も保っていた。 自分の身心に何が起きたのか、そして、自分の身心に異常をもたらした原因が何なのかを、 アルフレッドははっきりと自覚し、それ故に悪夢と嘆く。 『フィーナ様とマリス様、お二人に関係するお話です。………ここまで言えば、閃くものがあるのでは?』 突き立てられた弾劾の叱声を心中にて反芻し、瞑目したアルフレッドは重い重い溜め息を一つ吐いた。 (とうとう来たか………このときが………) 言葉短く糾弾したきり、無言で睨めつけてくるタスクの心が、静けさの裡に憎悪を滾らせているだろう彼女の真意が、 業を穿つ奔流と束ねられてアルフレッドへ流れ込む。 怒りと憎しみが螺旋を巻いた叱声、アルフレッドを人と見なしていないありったけの軽蔑の瞳―――全てに見覚えがあった。 再会を果たしたマリスが自分との恋愛関係を明かした瞬間、 裏切りの事実を知らなかった仲間たちから一斉に向けられたものとそっくり同じだった。 ………辛辣の反復で泣きたくなるくらい同じだった。 最早、言い逃れは出来ない。 フィーナとマリスの二人と結んだアルフレッドの歪な恋愛関係が、とうとう看破されてしまったのだ。 「………………………」 「その顔色を御心の証明とさせていただきましょう。よもやご異存などはありませんね?」 「………………………」 タスク曰く、顔色が自白と同等であるらしい。 自白と認められるほどまでに追い詰められた表情をしているのかと手鏡を求めたくなったが、 自分の愚かさを再認する行為がひどく虚しく、バカバカしく感じ、アルフレッドは頭を振って場違いな思惑を払った。 いちいち手鏡に映して確認しなくても誰より自分が一番、自覚し、理解できているのだ。 ………生ある世のモノにあらざる白色へ染め上げられた面に、奈落の底へと転がっていく亡者の相が浮かんでいることなどは。 タスクの指摘した通りに、本人の自覚にもある通りに、アルフレッドの顔は生気を喪失していた。 自分から切り出して決着をつけるのが最善であり、果たすべき責務なのだが、 依存に近い形で擦り寄るマリスへ残酷な結末を切り出す為のタイミングを測りかねていたアルフレッドは、 心のどこかで歪な三角関係がこのままズルズルと続くような予感を覚え始めていた。 ………それと同時に、マリス本人か、あるいはお付きのタスクか、 二人の内、いずれかがフィーナとの本当の関係に気付いてしまうだろうとも。 仮に二人が気付かなくても、業を煮やしたトリーシャかソニエあたりがマリスに告げ口していた可能性もある。 いずれにせよ、いつまでも隠し通せるとは考えていなかった。 巷に氾濫するラブコメには、モテモテの少年が周囲に侍らせた少女たちと付かず離れずの停滞した関係を 面白おかしく演出したモノが多いが、現実はそれほど甘くない。 多方向よりの寵愛を満喫し、馨しい日々へ埋没していられる夢のような世界など成立するわけがなかった。 そんなものは、夢想と妄念がこねくった、真なるヒトの心を持たぬ操り人形の棲む世界での虚ろな産物に過ぎない。 真に生きる現実は、いつか真実を暴き立てるに決まっている――― 絶えずその逼迫感に駆られていたからこそ、アルフレッドは本当の想いを切り出すタイミングを見出そうと焦っていたのだが、 所詮、裏切り者の都合よく運は働かなかった。 頭の中で練っていたマリスとの関係を修繕するプランも、おそらく拗れるだろう彼女とフィーナとの信頼を取り成す算段も、 全てが水泡に帰した。 弾けて割れた水泡の飛沫はアルフレッドの目の前を跳ね、「恨むなら自分を恨め。全部、自業自得だ」と嘲って散った。 「………………………」 いつか訪れると予感してはいたものの、その機(とき)は想像を遥かに超えて早く訪れてしまった。 露見した以上は御託を並べて無様に取り繕うつもりは無いし、 正直に打ち明けることがフィーナとマリスに対する最低限の誠意だとアルフレッドも決心しているが、 それにしても、誰かに強要されるままに真実を告げるのが彼女たちの為になるのか、それだけが気がかりだった。 タイミングを先延ばしにしてほとぼりを冷まそうとか、ウヤムヤに処理してしまおうという気はない。 そこまで堕ちてはいないと自分に自信をもって言える。 しかし…しかし、だ――― 「………言い逃れするつもりは無い。お前の想像していることは全て当たっているはずだ」 「………わたくしの想像通りと仰いましたか。それでは、この期に及んで『あいつには黙っていて欲しい』と哀願する姿も 直に現実のものとなるわけですね。是非、拝見させて頂きたく存じます」 「………………………」 「………図星とは情けなや………」 「………………………」 ―――依存に近い形で盲目的な愛情を向けてくるマリスへ真実を告げる条件が整っていないようにアルフレッドには思えるのだ。 もっと言うなら、真実を告げられたマリスが被るであろう多大なショックを減殺させる環境が――― 例えば悲しみを分かち合ってくれる友人たちが、彼女には足りなかった。 失恋の痛みを抱きとめてくれる友人も無く、悔しさを吐き出す場も無い現状でマリスに真実を告げたとしたら、 きっと彼女は立ち直れないくらい傷付く。 永きに亘る死の呪縛から解放されて、ようやく巡ってきた人生の春が再び輝きを失ってしまう。 身勝手な希望とは承知しているが、マリスにとって最良の条件が整うまでは、 真実に封していたほうが良いのではないか、とアルフレッドは考えているのだ。 それこそがフィーナにとっても、マリスにとっても最善のゴールではないか、と。 「ご自分で不幸にしておきながら、よくもまあ男性の都合よく女性の心を解釈できたものです。 さすが軍師と呼ばれる御方は違いますね。人の感情も、何もかも、盤上の駒が如く動かせると考えていらっしゃる。 凡人には決して及ばない領域です」 「………………………」 「誰もが貴方のように割り切って考えると考えていらっしゃるのでしたら、それは大いなる過ちです。 驕りと言っても良い。………アルフレッド様。よろしいですか、貴方の思う慈しみは、男性のエゴでしかありません」 「………誰も傷付けない為の策だとしても、か? ………策だなんて言うと語弊があるかも知れないが」 「たった今、されたばかりの注意を飲み込んでおられないようですね。策? 語弊? ………驕るのも大概にしなさい。人の心を計略に当てはめることに貴方の思い上がりが滲んでいるのです」 「………………………」 「恥を知りなさい、アルフレッド・S・ライアン」 「………………………」 厳しく撥ね付けられないと理解にまで至らない自分の浅ましさをアルフレッドは心の底から恥じた。 言い逃れしないと決意したにも関わらず、着手しようとしたことは何だ? 時間稼ぎの逃避ではないか。 言い逃れとどれほどの差があるというのだ。 タスクはそれをたった一言で切り捨てた。 フィーナとマリス…双方の気持ちを救い、ダメージを最小限に留めてやりたいとするアルフレッドの考え方は 驕りに基づいた最低のエゴであり、人の心をゲームの一種と捉えた最低の思い上がりである。 誠意、誠意と心で念じておきながら、結局、アルフレッドはエゴ丸出しで自分の保身しか頭に無かった。 繰り返すが、これは男の妄念に都合よく開発されたゲームではない。辛苦と共に在る現実だ。 どちらも傷付けたくないから、どちらも立たせるという寝惚け眼に見る夢想が現実の世界で通用するわけがない。 真の誠意とは、自分も相手も傷付くことを承知の上で踏み出す姿勢を言うのだ。 突き詰めると最後には保身へ繋がるアルフレッドの誠意は、見せ掛けだけの口から出任せな贋物。 そのような贋物を人間社会ではエゴと呼んだ。 恥を知るべしとまで言い切られたアルフレッドだが、反論の余地は彼には残されていなかった。 ………“残されていない”という言い方は間違いか。正しくは“許されていなかった”。 マリスと再会したあの日に思い知らされたことではあるが、最低の裏切りを犯してしまったアルフレッドになど、 安楽な道は許されるはずも無かった。 唯一開かれるのは、断罪と言う名の一針が敷き詰められた不可避の崖道のみである。 「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」とはこのことか。 自分に逃げ場が許されないことは最初からわかっていたはずなのに、 時間を経るうちにいつしか都合の良い解釈や思い上がりにも似た浅薄な希望が鎌首をもたげ、 負うべき責任の重みを甘い吐息でもって遊離させていたようだ。 タスクの糾弾によって再び圧し掛かってきた責任は、エゴと言う名の罪科も加わり、これまで以上に重く、双肩へ食い込んだ。 肉と骨が軋み、血を吐いて喚こうが容赦無く食い込んだ。 「………いつから―――気付いていたんだ? その………俺とフィーがただの兄妹じゃないと………」 「失礼ながら合流から半日後には」 「まさか………冗談だろう?」 「マリス様がアルフレッド様の胸に飛び込んだとき、それをご覧になるフィーナ様のお顔が……… やりきれないお顔が目に入りましたので」 「それで足が付いたというわけか………」 「兄妹の関係を超えた絆を結ばれているにも関わらず、フィーナ様はそのことをマリス様に告げていません。 おそらくは、何かの機会にアルフレッド様、フィーナ様の間で何らかの取り決めがあったのではありませんか?」 タスクの指摘は一つ一つが的確に核心を突いており、アルフレッドは、その都度、心臓が止まりそうになる。 よもやマリスと再会した夜にフィーナと交わした約束のことまで看破されていると思わず、 動揺するがままそこでのやり取りをアルフレッドはタスクへ打ち明けた。 フィーナとの信頼関係を鑑みれば、二人の間で交わした約束は絶対に他言すべきではないのだが、 タスクにだけは知っていて貰わなければならないという衝動に駆られたのだ。 ―――あるいはアルフレッドは、マリスを…最愛の娘を想う母親の姿をタスクに見たのかも知れない。 アルフレッドとフィーナが決心した方針を静かに受け止めたタスクは、 一瞬だけ天井を仰いでから足元へ視線を落とし、最後に瞑目と併せて苦い溜め息を漏らした。 「………古来より策を弄するものは策に溺れると聞きます。貴方がしていることはまさにその典型的なパターンですね」 「おそらく類例の中で最も性質(タチ)の悪い溺れ方だろうな」 「………………………」 俯き加減に閉ざされていた瞳を見開き、再びアルフレッドと向き合ったタスクの顔からは怒りの色は失せていた。 軽蔑の眼差しも一先ずは収まったようだ。 だが、アルフレッドが心に被る痛みは少しも変わらない。それどころか幾分胸刺す鋭さが増したように思える。 怒りと蔑み、糾弾と弾劾の代わりに浮かんだものは、深い憐れみと悲しみだった。 「………マリスに告げるつもりなのか? ………いや、愚問だな………」 「でしたら、いちいち疑問を投げないでください。わたくしはマリス様の幸せのみを生き甲斐としているのですから」 「………タスク、俺は………」 「マリス様の幸せだけが生き甲斐なのです………やっと…やっと―――生きる喜びを見出したあの笑顔が曇る様を わたくしは何があっても見たくありません。そんなことは決して許しません」 「………………………」 「………アルフレッド様にはそれを避ける術があるのですから―――わたくしはそれに賭けようと思います」 「え………」 「貴方とフィーナ様のご判断を信じると申し上げたのですよ」 アルフレッドにとってみればタスクの下した判断は願ってもない好都合の成り行きなのだが、 マリスのことを第一に考える彼女が主人の不利になる真似をするのは、大いに怪訝でもあった。 ある意味で譲歩という形を採ったタスクの胸中を疑うのは大変に失礼な話であり、 それこそ人の道に背く行為だ…と頭では理解しているものの、しかし、仕掛けられた罠だった場合のリスクは計り知れないほど甚大だ。 良心の呵責をリスク回避の名目で力押しに抑え込み、胸中に秘められただろう真意を探るべくタスクと視線を交える。 だが、アルフレッドはその瞬間に自分が厭になるほど後悔した。 己の決断がマリスに仕える身として、何よりもまず人として誤っていることを弁えながらも、 タスクは“来るべき日”に最愛なる主人の被るダメージが少なくて済む手段を採っていたのだ。 時間が経てば経つほど、真実の断片も知らないマリスにとって状況は不利となる。 今でも既にアルフレッドとフィーナの間には他者が立ち入る余地も無いくらい固く確かな絆が結ばれている。 長い年月をかけて培ったこの絆を乗り越えることは、マリスには絶望的に過酷な試練であった。 真実を知らず、現状に満足して偽りの愛を謳歌するマリスは、ライバルと競うべき坂道で立ち止まってしまった兎と一緒だ。 ただし、寓話とは一点だけ決定的に異なるモノがある。 ライバルの亀に見立てられるフィーナとの差は、競争へと踏み出した時点で天と地ほどに開いており、 それこそ休む間もなく渾身の攻勢を繰り返さなくては勝機が巡る可能性すら手繰れなかった。 真実を知らず、自分こそ勝者と信じて道半ばで止まってしまったマリスが、 ゴールで手招きするアルフレッドへの一本道を着実に踏みしめていくフィーナにどうやって勝つと言うのか。 結果は寓話の結末を紐解くまでもなく明らかだった。 ………けれど、競争に負けた兎には、勝利の美酒の代わりに仲間たちから健闘を称えた献杯が与えられる。 被害者とも言える彼女を憐れみ、敗北の悔しさと悲しみを受け止めてくれる仲間が傍にいてくれる。 思いも寄らないまさかの敗走に生気を喪失していた兎も、温かな仲間たちが後押ししてくれるのなら、 もう一度、立ち上がる希望を甦らせるだろう。悲しみに凍てたままの表情にも、いつか笑顔が宿るだろう。 タスクはその可能性に全てを賭ける決心を固めていた。 主人の生涯において真に必要なものが何かを見極め、下した決断だった。 けれどもタスクの顔に映る色は、主人の生涯に幸あることを望む穏やかさではなかった。 主人の為に難しい決断をしたという誇りの高さでもない。 勝ち目の無い戦いへ挑まなければならないマリスを想い、最後に待ち受ける結末を儚み、 その全てを承知した上で主人に不利な道を選ばざるを得なかった深い苦汁が、最愛の人の気持ちを裏切ってしまった葛藤が、 今、タスクを支配していた。 考えを尊重すると話した手前、アルフレッドへ気を使わせぬよう平静を装ってはいるが、 どんなに取り繕っても隠し切れない苦渋が全身から沁み出していた。 そして、自分たちを信じ、真実までの時間を託してくれたタスクへ向けて、感謝よりも先にアルフレッドの口をついて出たのは謝罪だった。 「――――――すまん………ありがとう………」 罠を仕掛けて他者を陥れようという邪念など持たず、ただひたすらにマリスの幸福を願う忠実なる僕に対して、 一瞬でも悪しき眼を向けてしまった己の汚らわしい精神がアルフレッドにはたまらなく堪えた。 「ただし、黙っているのには一つだけ条件があります」 「………マリスのことをもっと気にかけろ、と?」 「いいえ―――………フィーナ様のことをもっと気にかけてあげてください」 「フィー………を?」 条件と聞き、自己嫌悪から一転、不利な状況を強いられるのではないかと緊張走らすアルフレッドの目が、二の句を受けて点になる。 タスクはフィーナの身を案じることが条件だとアルフレッドに提示してきた。 どうしてマリスではなくフィーナなのか? タスクの立場からしてみれば敵側であるべきフィーナを気にかけろと言うのか? 全く納得が行かず、言い間違いではないかと視線で訴えたアルフレッドに、タスクは首を振って返した。 言い間違いや勘違いではなく、タスクは本当にフィーナの身心へ気を配ることを条件に挙げていた。 ………それだけにアルフレッドの混乱はより一層と煽られ、わけがわからないとばかりにタスクの顔をまじまじと覗き込む。 緊迫した状況ではあるものの、真剣に考え込むアルフレッドの様子が妙におかしくて、 思わず噴き出しそうになる自分をタスクは心中にて咎めた。 「今、一番辛い立場にあるのはフィーナ様です。陰に隠れてでも良い、フィーナ様のお気持ちをもっと大切にしてあげてください。 それがわたくしからの唯一無二の条件です」 「………タスク………」 「マリス様はわたくしの手で支えられます。では、フィーナ様は? あの方を本当の意味で支えられるのはアルフレッド様の御手をおいて他にありません。 ………フィーナ様を孤独で泣かせる真似をしないと約束してください」 「………………………」 タスクより提示された条件にアルフレッドは脳漿を直接殴られたような衝撃を受けた。 言い回しこそ異なっているが、窮地を免れる為の条件とは故郷を旅立つ前夜、 父に―――カッツェに誓った約束と全く同じものだったのだ。 もう泣かせたりしない。何があっても、何を犠牲にしてでも守り抜くと誓っておきながら、今の自分の体たらくと来たら何だ? 最悪と後ろ指差される今の自分をカッツェが見ようものなら、親子の縁を切られてもおかしくない。 自覚し、悔恨もしている。 今、アルフレッドはあの日の誓いから恐ろしく遠いところに立っていた。 「ただ―――」 タスクから発せられる言葉の何もかもが己の愚鈍を責め立てるような気がして、 声をかけられる度にアルフレッドはビクッと肩を震わせ、恐る恐る耳を傾ける。 何とも情けない…と自分の無様へ嘆息を吐き捨てながら。 「ただ………何かな?」 「ただ一点、苦言を呈するならば、このままでは八方塞になりますよ」 「………八方塞?」 そう意気消沈していたアルフレッドの心へにわかに波紋が起こったのは、 ちょうど、タスクが「八方塞」なる単語を口に出した直後である。 八方塞とは、すなわち退路を絶たれて逃げ場に窮した状況のことを差す言葉だ。 しかし、タスクから向けられた「八方塞」という指摘は、彼女が言いつけたものとは異なる意味の波紋を アルフレッドの胸中へと落としていた。 「アルフレッド様が最後にマリス様とフィーナ様のどちらを選ばれるかは、わたくしの関知するところではありません。 ですが、お二人へ同時に良い顔を振り撒いていれば、いずれ言い逃れも出来ないような袋小路へ追い詰められるのは明白です。 八方塞になってからでは手遅れなのですよ?」 「八方塞………」 偶然の閃きを決して逃がさないように、もう一度「八方塞」と反芻する。 「そう、八方塞。あっちへ逃げても詰め寄られ、そっちへ避けても追い回されて、行き着く先は地獄です。 そうなる前に結論を出してもらわねば困ります。言っておきますが、そこまでの泥沼に落ち込んでしまったら、 わたくしはもう貴方の味方はしませんよ。完全な敵に回ることをご留意ください」 「………八方塞………」 「八方塞」という言葉の裏側から顔を出していたおぼろげな幻が次第に鮮明な輪郭を描き、アルフレッドの思考回路へ突き刺さる。 輪郭を得たモノが思考と結び合うまで、彼は、まるで夢遊病にでも罹ってしまったかのように「八方塞」と繰り返した。 「そもそもアルフレッド様はマリス様のことをどう想われて―――」 「今…今、お前、何て言った!?」 「―――は、はぁっ? マリス様のことを………」 「そうじゃない、その前だ」 「えぇっと―――八方塞………でしょうか」 「そうだ、八方塞だ………ッ!!」 都合八回、「八方塞」を舌先で転がしたところでついにアルフレッドの思考回路へ劇的な変化が起きた。 輪郭を得たモノよりもたらされた刺激が、思考回路へ大輪の花火を打ち上げたのである。 大輪の花火は脳裏に埋もれて隠れていた“鉱石”を照らし出し、アルフレッドの諸手にそれを掴ませた。 「感謝する………! お前のお陰で勝機が見えた」 「しょ、勝機………とは?」 苦渋の表情を唐突に歓喜のそれへと塗り変えたアルフレッドの豹変を訝っていたタスクは、 何の脈絡もなく彼に肩を抱き締められ、困惑の色を更に強めた。 一体全体、何がなんだか、全く解せない。 自分が抱き締められた理由も、アルフレッドの面に歓喜が閃いた意味もタスクには掴めなかった。 「決まっているだろう? ジューダス・ローブを倒す手立てが付いたんだよ! 八方塞ッ! ………八方塞ッ!! どうしてそこに気付かなかったんだ、俺は!」 「………………………」 「お前が八方塞と言ってくれなきゃ、俺たちは全滅していたかも知れない。心から感謝するぞ、タスク!」 「………………………」 問い合わせた理由に対するアルフレッドの返答を聞いたタスクは、 ほんの一瞬、ポカンと呆け、続け様に顔を真っ赤にして「あなたは人の心を真剣に考えるつもりが無いのですかッ!?」と怒声を張り上げた。 するとつまり、肩を抱き締めたのは計略のヒントを与えてくれた感謝の表れと言ったところか。 フィーナにとって、マリスにとって、何よりもアルフレッドにとって重大なことを論じている最中、 あろうことか彼は戦いに勝つための計略を練っていたのだ。 タスクが堪忍袋の緒を引き千切るのは当然である。 アルフレッドの言行からするに、「八方塞」という単語から突発的に着想した計略だろうが、そんなことは何の免罪符にもならない。 三者を取り巻く心について話し合っている最中に別な思考を挟んだアルフレッドの無神経さがタスクは我慢ならなかった 「―――なっ、なっ、何をしているのですか、あなたたちはぁっ!?」 普段のたおやかさはどこへやら。今日のタスクは感情の触れ幅が大忙しだ。 最も見られてはいけない状況を絶対に見せたくない相手に目撃されてしまったタスクの顔色は、 怒り心頭の赤色から血の気が引いた蒼白へと急転直下。 アルフレッドに抱き締められた姿――タスク本人は望んでもいないのだが――を、 彼の“恋人”にして己の主人たるマリスに目撃されてしまったのだ。 「アルちゃん!? これは一体、どういう―――」 「―――勝てる。勝てるぞ、マリス!」 誤解を解くべくアタフタするタスクから身体を離したアルフレッドは、 自分以外の人間に、それも忠実な僕であるべきタスクに胸を貸した(という風に見える)真意を問い質そうと詰め寄るマリスを抱き締め、 昂揚の赴くままに気炎を吐いた。 思いがけず訪れた幸福に詰問を忘れて蕩けたマリスには読み取れなかったのだが、 アルフレッドの面は珍しく喜の感情でクシャクシャに崩れていた。 よほどジューダス・ローブに講ずるべき戦略に行き詰まっていたのだろう。 予知能力に対抗し得る打開策を「八方塞」より見出したアルフレッドの面は、戦いの本番を控えてはいるものの、 肩の重荷が下りたかのように晴れやかだ。 「―――ああ、そうだ。タスク、答えを返していなかったよな。マリスは俺にとって大事な人だ。それは今も昔も変わらない」 「冷たいお兄さん」とのファーストインプレッションを抱いていたアルフレッドの、 あまりにもご陽気な変わりっぷりに目を丸くするルディアの頭を乱暴に撫で付けながら、 彼は問われたまま宙へ浮いていた答えをタスクに返した。 マリスをどう思っているのか―――そこに宿る意味合いには触れなかったが、 アルフレッドにとって彼女は大事な人であることに変わりは無い。 嘘も偽りも無いまっさらな返答だ。 「………ずるいひと………」 肝心の部分をぼやかしたアルフレッドの背中を、タスクは苦虫を噛み潰したような顔で見送った。 公衆の面前にて「大事な人」と大声で宣言された僥倖に恍惚と陶酔する主人が少しだけ憐れで、 けれど、こんな幸せが少しでも長く続くのであれば―――その果てに訪れる結末に幸多からんことを祈り、 タスクは色々な想いの混じった溜め息をそっと落とした。 八方塞、八方塞、八方塞、八方塞―――。 なんとかの一つ覚えのように八方塞を繰り返すアルフレッドの耳がタスクの溜め息を拾う気配は感じられない。 彼の全神経は周辺の情報を無視して第一会議室へ、必勝の計略を模索する仲間たちのもとへのみ向かっていた。 「ジューダス・ローブを破る秘策が見つかったッ!!」 駆けつける間に磨き上げておいた鉱石を…研磨によって鋭く鍛えられた必勝の刃を、 アルフレッドはドアを開けるなり第一会議室を揺るがしそうな大声でもって高く掲げた。 ―――なお、タスクとマリスに抱きついたのを見つけたムルグがアルフレッドを色情魔と見なして激怒し、 彼の後頭部へ想像を絶する突撃を仕掛けるのは、ほんの数秒後のことである。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |