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(この震動、この衝撃………これは―――ッ!!)

 炸裂に遅れること数秒してから発生する無数の爆発音と縦揺れする震動―――
リーヴル・ノワールに何が起きたのか、見当も付かないと皆が匙を投げる中、
アルフレッドは床に耳を押し当てて何事かを探っていた。
 士官学校での履修科目にあった為、爆発物にまつわる知識なら民間・軍事のどちらの物にもこだわらず
一通り頭の中に入っているアルフレッドは、その無形のデータベースから条件に当てはまるモノを導き出そうと試みているのだ。
 どうやらヒューもこの類(テ)の知識が豊富らしく、ポケットから取り出した聴診器を壁に宛がい、
アルフレッドのように震動の仕方や爆発音の特徴から炸裂した爆発物を特定しようとしている。
 自然と二人の内のどちらが先に爆発物を割り出せるかと言う競争の構図になっていったが、
勝負はそれから間もなく決着を見、やや蒼褪めた顔で仲間たちを見回すヒューに軍配が上がった。
 彼の性格上、こうした競争に勝った場合は素っ頓狂な声を上げて喜びそうなものだ…が、
それすら忘れて生唾を呑み込んだ辺り、事態は相当に深刻なようだ。

「こいつぁ、ただの爆発じゃねぇ。特別製の爆薬使ってやがるぞ!」
「多分、軍用だろうな。爆発力もケタ外れで、間違っても一般に出回らないレベルのものだと俺は踏んでいる。
それともバンカーバスターでも撃ち込まれたか?」

 バンカーバスターとは、地下施設破壊用に使われる特殊爆弾のことである。
 地上から鉄杭のように打ち込まれ、地中深くに到達した後に爆発すると言う性質を持っているのだが、
仮にそのような兵器がリーヴル・ノワールに投下されたとすれば、最早、助かる道はあるまい。

「震動から爆発の規模と爆心地のダメージをある程度なら割り出せるが―――
こりゃクラスター爆弾でも使いやがったな、奴さん!」
「クラスターっ!? と、都市征圧にも使われる大量殺戮兵器ではありませんかっ!」

 アルフレッドのような実戦的な応用は利かないまでもマリスとて士官学校の出身者である。
ある程度の軍事的な知識は備えており、彼女にもヒューの挙げた爆発物が如何なるモノなのかが判ったようだ。
 そこに秘められたスペックの恐ろしさは、彼女の身震いを見れば一目瞭然であろう。

 マリスをして“都市征圧型大量殺戮兵器”と言わしめたクラスター爆弾とは、
大型の容器の内部へ無数の小型爆弾を敷き詰め、
この容器が爆発すると四方八方へ小型爆弾が飛び散ると言うギミックの恐るべき兵器であった。
 大量にばら撒かれたが最後、小さな町村程度の規模なら跡形も無く地図上から消滅させられるほどの破壊力を秘めており、
その残虐性の高さから将来的にはエンディニオンでも全面的な使用凍結が批准されるだろうと噂されている。

 批准を待つ段階の現在でもクラスター爆弾は決して誉められた代物ではなく、
いかに強力であっても使用の是非には眉を顰められることが殆どだ…が、
肉体内に残留して破傷風などの難病を引き起こすと言う理由から
使用の全面禁止が暗黙の了解となっているダムダム弾ですら今なお使用する者は少なからず存在し、
この類例と同様に一部のアウトローや戦争屋たちの間でこれから先も流通し続けるだろうと言うのが大方の予想であった。

「一応、聴くんだけどさ、あんたじゃないわよね、コレ。時限式を作っちゃいました〜とか………」
「………キミが自分のカレシをど〜ゆ〜目で見てるのか、よォーくわかったよ。
無事に脱出できたら、ちょっとふたりきりで今後の話をしようね」

 同じような原理の帯電性爆弾をハンドメイドしているネイサンにトリーシャが「念の為」と疑いの目を向けたが、
これはさすがに心外と言うものであろう。
 仮にトリーシャの言うような時限式の電磁クラスターを新開発していたとしても、だ。
自分たちを窮地に追い込むような設置の仕方をするわけもない。
 本人の弁論によって…と言うか、最初から疑うまでもなかったのだが、
リーヴル・ノワールを震撼させる爆発がネイサンの仕組んだものでないことはこれで明らかとなった。
 
「一発目にドンとデカい爆発があって、それから殆ど同時に無数の爆発音が起こってやがる………。
このパターンは、やっぱしクラスター爆弾と見て間違いねぇよ」

 恐るべき大量殺戮兵器がリーヴル・ノワールの内部で使われたと断定するしかない…と、ヒューは自分の見立てを披露した。
 前述した非人道的な攻撃力からして使用者がいるとはにわかには信じられないし、信じたくもない話だが、
小型爆弾が炸裂したと思しき爆発音が立て続けに起こったとなると、断続的な震動などを併せて考えれば、
少なくともデータベースの中ではクラスター爆弾が該当するのだ。

「これってもしかしてあいつなのか? 俺サマたちが出演した番組を襲ってきやがってって言う………」
「そう考えるのが妥当だわ。………ここで会ったが百年目ってヤツよ。今度こそお縄を頂戴してみせるッ!!」

 怯んだ様子で落ち着きなくキョロキョロするダイナソーと、正義の怒りをヒートアップさせるハーヴェストを
交互に見比べながらアルフレッドは無言のままジョゼフへ寄り添った。
 既にラトクが身を盾としてジョゼフを庇っていたが、守りが厚いに越したことはあるまい。
ラトクもラトクでアルフレッドの行動に会釈で応じ、守りの半分を彼に預けた。
 アルフレッドもラトクも、既にこの爆発を起こした犯人にアタリを付けており、
それが為に鉄壁の守りを固めようと二人がかりでジョゼフの周囲に侍っているのである。

「ねぇねぇ、フィーナちゃん。あのふたり、どうしてお爺ちゃんとこにピッタリへばりついてるの?
そう言う趣味の持ち主だったりするの?」
「老人に寄り添うボディーガードが二人。二人とも雇い主を敬愛しているの。つまり二人はライバルってことね。
でも、いがみ合う内にお互いが最も親しい間柄になって、やがて愛憎の幕が開く………! 
―――やだッ! どうしようッ!? 我ながら、これ、すっごくイケてるよ! ブームの予感到来だよッ!
映画化も夢じゃないかもッ!! ね、ルディアちゃんもそう思うでしょッ!?」
「むおおおぉぉぉ〜! なんだかとっても浪漫を感じちゃったの! ライバル同士、腕を磨いて強くなってくんだね!
最後は一致団結して、お爺ちゃん家を買収しようとする悪の総会屋とバトルんだね!
買収で世界征服を企む悪の組織が登場したり、そこのボスがお爺ちゃんと兄弟だったりっ!」
「ち、違うよ、ルディアちゃん! それは違う! 熱血漫画路線じゃダメっ! いや、それも色々浪漫が膨らむけども!
この場合は耽美路線じゃないとっ! いわゆる一つの執事もの? 身も心も貴方に捧げますって言うか―――」
「そいつの言う妄想は無視しろ、毒されるぞ! フィー、小さな子に情操教育に悪いことを吹き込むな!
それからシェイン、何を使ってもいいから、フィーの頭に一発喰らわせろ! 黙らせろッ!」

 そうだ、冗談めかしていられる状況ではない。
 リュックサックから取り出したハリセンでシェインがフィーナの後頭部を引っ叩くのを目端に入れながら、
アルフレッドは聞こえよがしの舌打ちで彼女の軽率な言行を戒めた。

「誰が何のために………と確認する必要は無さそうだな」
「あんたがまともで助かったよ。危機を打開せねばならないと言うときに俺の連れは呑気過ぎて萎えてしまう」
「なァに、ポエミーな芸風とのギャップが家内を射止めた秘訣さ。―――っと、軽口叩いてる場合じゃなかったんだな。
これは失敬、失敬」
「軽口だったら幾らでも叩いてくれ。そのテのガス抜きは焦りを忘れさせてくれる。
………連れ合いの呑気に苛立っていた人間が絶体絶命の危機にジョークを欲しがるのは矛盾しているがな」
「正しい欲求だと思うがね。………戦場を知る人間ってのは、案外、そう言うもんかも知れないな」

 口に出さずともアルフレッドとラトクは迎え撃つべきターゲットを共有し、
必殺をもってして臨むべきとの意志も含めて確認し合っていた。
 疑う余地はない。セントラルタワーでジョゼフを仕留めそこなったジューダス・ローブが予告を完遂すべく再襲撃して来たのだ―――
少なくともアルフレッドとラトクはその結論に達していた。

 途切れ途切れではあるが、デジタル・ウィンドゥがクローズする直前に『セピアな熊ども』が話していた内容を
組み合わせて判断するに、メアズ・レイグとは全く異なる新手がクラスター爆弾を仕掛けたことになる。
 犯人をジューダス・ローブだとする根拠はこれで成り立つわけだ。
 先のテロ事件の手口にも爆発物を用いており、この事実を加味すれば推察はより強い説得力を持つ。
 疑う余地はない。全く疑う余地なくジューダス・ローブ再襲撃であると断定できた―――

「早計に過ぎるのではありませんか? もしかしたら、複合犯の可能性もある。
そう、ジューダス・ローブの名を騙った第三者の仕業かも知れない」
「お前は………一体、何を言っているんだ、セフィ?」
「断定できるだけの材料が少な過ぎると言っているんですよ。人為的なものとおぼしき爆発があっただけで
ジューダス・ローブの犯行と見なすのはいかがなものだろうか、と」

 ―――ハズだったのだが、周りの人々が口々にジューダス・ローブの名を出す中にあってセフィ一人だけが、
かのテロリストの再襲撃に疑問を投げかけた。
 ジューダス・ローブの襲撃に見せかけた複合犯の仕業ではないか…とまで付け加えて、だ。
 思いがけない人物から反論を貰ったアルフレッドは目を丸くしたが、
奇怪な言行はそれだけに留まらず、疑問を皮切りに次々と発せられ、彼を更なる混乱へと誘っていった。

 そもそもクラスター爆弾とジューダス・ローブを結びつけることにもセフィは違和感を覚えたと言う。
 爆発の規模にしてもこれまでの彼の手口からすると、あまりに爆薬の量が多過ぎる。
 セントラルタワーの爆破においても確かめられた通り、
ジューダス・ローブは最小限の攻撃でもって最大限の成果を挙げることにある種の美学を見出しているところがある。
 狙った標的以外の犠牲者を出さないこともジューダス・ローブは律儀に貫いていた。

 その点を加味するならば―――クラスター爆弾の使用は、確かに大規模を一気に爆砕できるだろうが、
翻せば小回りが利かなく大雑把の極みであり、明らかにジューダス・ローブの美学に反している。
 ジョゼフ狙いにしては爆発の規模が広過ぎるし、大量殺戮兵器など無意味な犠牲者を忌み嫌う彼にとって
自身のアイデンティティーを自分で否定するようなものだった。

「そんなことを彼がするでしょうか? ………美学を持つ者は往々にしてそれに固執するものです。
つまり、自分の美学を裏切るような真似は死んだってしない。するわけがないんですよ!」
「そ、それを俺に言われてもだな、セフィ………」
「これは断じてジューダス・ローブの仕業ではない。美学の上っ面だけを真似た最低の行為です!」
「………………………」

 この場にヒューがいたならセフィのこの洞察には舌を巻いて驚嘆しただろうが、
残念ながら当の名探偵は室内の調査に出かけていて不在だった。
 上層のフロアで爆発が起こっている以上、正規の方法で脱出を試みるのはかえって危険だ。
もしも、この階・この室内に隠し階段のようなものが見つかれば………と、またしても床や壁と睨めっこを続けていた。

「ふぅむ―――ここで大暴れしておる痴れ者は、ジューダス・ローブの模倣犯と言うわけか。
それは盲点だったの。ワシらが把握しておる過去の事件の中にもこれと同じように模倣犯が潜んでおるのやも知れぬ」
「それに関しては抜かりありません。我々の“部門”で容疑者から目撃者まで全て洗い出しておりますので。
………尤も、ジューダス・ローブが自分の模倣犯を利用していたと仮定するのなら、
調査の体制を一から見直さなければなりませんが………」
「突いて出るのは、蛇か、人か―――いずれにせよ、今日ここで起きたことは彼奴にとっても不幸じゃ。
過去の案件を穿り返すうちに新たな手がかりに辿り着くやも知れぬ。
………本当にジューダス・ローブの与り知らぬことであるなら、彼奴め、運が尽きたと見えるな」
「誠に。まさか模倣犯の事件が本家の足元を脅かす端緒になろうとは、ジューダス・ローブも想像していない筈」
「よもや、ワシらの話に聞き耳立てておるわけでもあるまい。帰り次第、警備部門ほか全ての捜査員を招集じゃ。
忙しくなるぞ、ラトクよ」

 ヒューに代わってセフィの相手にしたのはジョゼフとラトクである。
 自分たちの身辺へダイレクトに関わる事柄であるだけに、ふたりとも神妙な面持ちで話に耳を傾けている…が、
熱弁を振るうセフィに向けられた眼差しは穏やかとは言い難いもので、受け答えにも含みのようなものを感じさせる。
 セフィの話によって緊迫感を煽られているのか、それとも、別の思惑を抱いているのか―――
あまりにも昏い双眸である為に真意までは掴み兼ねるものの、ジョゼフもラトクも、尋常ならざる空気を痩せた頬に纏っていた。

「―――我らにはセフィ君が付いています。セフィ君の名推理にかかればジューダス・ローブと雖も恐れるに足りませんよ。
いっそこちらから撃って出ますか? これまでのお返しに、思う存分、いたぶり抜いてやりましょう。
………どうだ、セフィ君?」
「………………………」

 まるで逼迫した状況を愉しんでいるかのような語調で話を振るラトクに不信感を抱いたのか、
セフィは彼の反応を試すように敢えて沈黙で返した。
 それから暫く三人の間で会話が完全に途絶え、不気味としか言いようのない膠着がその場を支配した。
 息の詰まるような沈黙に辟易したジョセフが、「ラトクの申す通りじゃ。次こそは彼奴の息の根を止めてみせようぞ」と自ら口火を切り、
これにセフィが頷いてみせるまでは、誰も何も一言とて発しない状況が続いた。

(テロリストの美学を説かれる日が来るとは思っていなかったな………それも、よりにもよって犯人以外の口からだ)

 一方のアルフレッドも、ジョゼフたちと同じようにある種の疑念をその胸中へ抱いていた。
 セフィはジューダス・ローブの仕業と見なされている上層フロアの爆発へ違和を感じて仕方ないと言うが、
アルフレッドにしてみれば理詰めの弁論をもってクラスター爆弾による犯行と件のテロリストとの関連を絶とうと
躍起になっているセフィにこそ不可解なものを覚えるのだ。

 いつもなら軽いジョークを交えてユニークに話すセフィが、ジェントル気質も何もかも金繰り捨てたかのような口調で
ジューダス・ローブについて語ること自体、どうにも得心が行かない。
 件のテロリストの逮捕へ血道を上げるヒューと異なり、セフィはそれほどジューダス・ローブには興味が薄かったはずだ。
 少なくとも仲間たちの前でジューダス・ローブへの執心を見せたことは一度たりともない。
 それが、どうして今になって急にジューダス・ローブにこだわり始めたのだろうか………。

(………………“本人以外の口”………か………………)

 冒険者稼業と言うこともあり、ジューダス・ローブの情報を得る機会は多かった。
だから納得できなかったと付け加えたセフィに対する違和感をやはりアルフレッドは拭いきれない。

 つい気炎を吐いてしまったことが気まずく、言い繕ったと言う風にも見えなくはないが、
より踏み込んで穿てば、ジューダス・ローブの立場で反論をしていたとも捉えられるのではないか。
 複合犯によって己が尊ぶべき美学を傷付けられたジューダス・ローブがやるかたない憤懣を
堪え切れずに爆発させてしまった―――とも。

 そう考えるとジューダス・ローブに対する不可解な擁護も辻褄が合うのだ。
 ジューダス・ローブの立場や美学を最も解する人間であるからこそ、
アルフレッドたちの勝手な断定やアイデンティティーに泥を塗った第三者の存在にセフィは我慢がならなかったのである。

 ………だが、その見方を採る場合、つまりジューダス・ローブの正体とは――――

「アル、ちょっと来てくれ!」

 ―――その思案は、ヒューの呼び声と、それを掻き消しそうなくらいの大きな地響きに妨げられ、
答えを得る前に打ち止めとなった。


 声と音のする方角へ視線を見やれば、腕をグルグルと回す「早くしろ」のゼスチャーで
アルフレッドたちを急き立てるヒューの姿がある…が、普段であれば隠密行動が何より求められる探偵を稼業とするには
悪目立ちの過ぎる衣装もこのときばかりは少しも目を引かれなかった。

 それと言うのも、ヒューが立つ位置―――女神のレリーフ直下の壁面がさながら自動ドアのようにスライドしているのである。
 石の壁でもなしにスライドの様子をあえて“地響き”と表したが、
そうとしか例えようのないほど大きな金属の摩擦音とあいまってスライドする壁はアルフレッドたちの度肝を抜き、
否応なしに皆の意識を一束ねにして引き付けた恰好だ。
 更にスライドした壁の向こう側には通路のような物が隠されてあり、より一層、皆の驚きを煽っている。
 「………つまり、お前は隠し通路を見つけていたと言うことか。こんなところに隠されているとは、
まさにご都合主義もいいところの展開だな」とは辛口でおなじみのアルフレッドの評だが、
ヒューはその厭味たっぷりの言にこれまたいやらしい笑みを浮かべて返した。

「雲隠れできるように細工しとくのは何も政治家に限ったことじゃねーってわけさ。
………大体、こんな危ね〜研究をしているなんて世間様に知れてみろ?
有識者の臨検か、はたまた正義感に燃えるヒーロー様か―――いずれにせよ誰かに踏み込まれるに決まっていらぁ。
もしも、そのとき、研究者が身柄を拘束されたら大変マズいだろ? それも一番やべぇ部屋でよ」
「………つまり、取り締まりの手が入りそうに担った放置して逃げるつもりだったのか!」
「そ。厄介なもんを生業にしてるからには危機管理も徹底すらぁな。………簡単な例え話をするとだな、
裏金で私腹を肥やしている悪徳業者がいるとする。裏帳簿がバレたら一巻の終わりだ。
そこでどんな工夫をしたか、社長室や会長室にどんなギミックを仕込んだのか………そう言うことだよ、ざっくばらんに話せばな」
「………随分と強引なまとめ方をされた気もするが、まあ、一理あるしなぁ………」

 あくまでも推論ながら―――ヒューがカラクリを解いた隠し通路は、
非人道的な実験に心血の全てを注いだ狂気の研究者たちが憲兵らの追及に怖気付いて用意した最後の逃げ場ではなかろうか。
 ヒューが言うには、通路の至る場所にクラスター爆弾とは別の爆薬一式が持ち込まれていたらしく、
“もしも”の場合には証拠を隠滅しながら逃亡できるよう図っていたのだろう―――とのことだった。
 狂気に冒された常識外の者にしてはやることが俗人並みで、証拠を隠滅せんとする機も含めて失笑を禁じえないものの、
どうしようもない愚か者であれど人工生命の創出まで独力の身で行なえる技術力だけは“さすが”の一言だ。

 足を踏み入れた秘密の通路はエアバス乗り場をかくやと思わせるほど広大で、
回廊には進路を指示する矢印がデジタル・ウィンドゥと同じ要領で投射されている。
 ルディアの眠っていた部屋は眼精疲労を誘発しそうな微かな明かりしか無くて心許なかったが、
隠し通路内部には尾っぽより燐光を発するホタルを彷彿とさせる不可思議な光球が幾つも浮遊している為、
足元を見失うようなことはまず考えられない。
 空調も行き届いているし、先ほどのヒューの話にもあった爆薬の詰められているオブジェクトにさえ目を瞑れば
通路の内部は極めて快適であった。
 独立した電気系統で管理しているのか、クラスター爆弾の炸裂で中枢システムが破壊された影響をモロに受けて
『セピアな熊ども』が消失してしまっているのに対して、こちらの回廊ではさきほどまでの部屋より遥かに多く、
また処理速度の速いデジタル・ウィンドゥが乱舞している。

 リーヴル・ノワールのどのフロアよりも“ハイテク”と言う表現を最も感じられるその回廊をアルフレッドたちは
無我夢中で駆けていた。
 駆けに駆けた。
 今のところ通路にまでは爆発の震動は伝わっていないものの、地上に出ている部分のダメージは想像を絶するレベルであろう。
 出口が瓦礫で塞がれては脱出どころか、最悪の場合、生き埋めになってしまう。
かと言って元来た階段やエレベーターを使おうものなら爆発に巻き込まれる可能性が高い。
最早、アルフレッドたちに残された道は、この隠し通路以外に無かった。
 想定される限りの最悪の事態を避けるべく、一刻の猶予もない尻に火が点いた状態で出口を目指すのが
一行にとって最優先すべき急務なのである。

「待って! 待って欲しいのっ! ルディア、みんなを、友達を置いて一人で逃げられないのっ!
やっぱりお部屋に戻るのっ! ルディアをお部屋に帰してっ!」

 ところが、ここに来てルディアがグズり始めた。
 ………いや、“グズる”などと言う可愛げのある状態ではない。
癇癪を起こすや、繋いでいたフィーナの手を振り解いて今来た道を戻り始めたのだ。

「だ、ダメですよ、ルディアちゃん! 先ほど貴方も聴いたでしょう、役目を終えた星が砕けて散るかのような
大きな爆発の音を。今、戻れば確実に巻き込まれてしまいます! 目覚めを経てこれから輝くべき星を、
終焉の渦には戻せませんっ!」
「それにね、ルディアちゃん………ルディアちゃんたちの友達は………もう………っ!」
「マリちゃんもフィーちゃんも何も知らないの! わかってないの、ハカセのハイブリッドな鬼才っぷりが!
ハカセの手にかかればみんなも生き返るの! ミイラなんてイッパツでイケるの!
………マリちゃんとフィーちゃんの気持ちは嬉しいけど、やっぱ、ルディア、戻らなきゃなのっ!」
「ワガママ言って二人を困らせるんじゃないの! ………きつい言い方になるけどさ、
友達はもうどうやったって還って来ないんだよ? ハカセって人にだってそんな力があるわけない。
ここでルディアが戻って、爆発に巻き込まれて………それで友達が喜ぶと思うの? 
あたしなら引っ叩いてやるわよ、友達がそんなバカやらかしたら」
「トリーちゃんは彼氏とよろしくやってればいいのっ! このハイエナっ! ゴシップのフルコースでも喰ってろなの!
ルディアはお部屋に戻るの! せめてっ! ………せめて一人でも多く助けなきゃ…なのっ!」
「………言いたいことは山ほどあるけど、とりあえずあたしにだけヒドくない?
なんか色々台無しなんですけど〜………」

 フィーナたちが二人がかりで引き止めようとするものの、取り付く島もナシ。
 「駄々をこねてんじゃねぇッ!」と叱り飛ばしたフツノミタマが問答無用で抱え込まなければ、
ルディアは本当に“友達”のもとへと戻っていたに違いない。
 それだけルディアの癇癪は―――“友達”を永遠に喪失した悲しみは深く、激しかった。
 力任せに噛み付かれたフツノミタマの二の腕は、おそらくは明日になっても腫れが引かないことだろう。

 癇癪自体は子供の気まぐれと思って割り切っていたアルフレッドだが、
ルディアの発した言葉だけはどうにも聞き捨てならなかった。

(死んだ人間を、それも干乾びた死体から生き返らせることが出来る…とでも言うのか?)

 彼女は癇癪の中で“ハカセの手にかかればみんなも生き返る。ミイラなんてイッパツで!”と言い切った。
 “死者の蘇生”などイシュタルの布いた摂理に反するどころか、
トリーシャが言ったように人間の手には決して負えない事柄である。
 倫理を問題視すること以上に、まず死者を蘇生せしめる技術をどうやって開発させると言うのか。
 人造人間の創出とはワケが違うのだ。一度、機能を停止して腐ってしまった肉体や臓器を―――
もっと言えば、細胞の一片に至るまでを生前のものへと復原させなければ死者の蘇生は叶わないのだ。
 そして、人間に開発し得る現在までの技術水準では、ありとあらゆる生体工学の粋を集めたとしても、
蘇生すべき細胞の一片を探す段階で頓挫し、前身と同じ轍を踏むばかりである。
 そう、確かに前身はいたのだ。
 これまでにも死者の蘇生を研究した科学者は確認できたが、そのいずれもが途中で挫折するか、
あるいはイシュタルの摂理に反した報いなのか、狂乱の末の自殺等の無残な末路を辿っている。

 使い物にならなくなった臓器や細胞片を別のものに置換すれば理論上は蘇生に近い医療も一応は可能なのだが、
本人以外の細胞が混ざった時点で完全な蘇生とは言えず、
こうした事例は“死者の蘇生”を専門に研究する生体工学者の一派の中でも複雑な物議を醸していた。

 一部重複になるが、結論から言えば人間程度の技術と知識では死者の蘇生を行なうのはおろか、
それを目指すこと自体が理論破綻と言った無限ループに陥りかねない愚の骨頂であった。

 しかし、ルディアはまるで前例をそのつぶらな瞳で見たことがあるかのような声色でもってハッキリとこう断言した。
 ハカセの手にかかればミイラだって甦る、と。
 ただでさえ細胞の蘇生が不可能だと考えられる中、肉体の破損状態など全てが最悪のレベルであるミイラですら
ハカセとやらの前では容易く甦ると言うのだ。

 普通なら所詮は子供の癇癪と取り合いもせずに切り捨てるところだ…が、
絵空事さながらの叫び声で記憶の底に沈没していた過去の風聞を引き上げられたアルフレッドは、
数年ぶりに水底から顔を出したそれがルディアの言うことと奇妙な合致を見せたことでいよいよ聞き流せなくなった。


 遡ること士官学校に所属していた頃―――アルフレッドが所属していた将兵の訓練コースとは
異なるセクションで生体兵器の研究が行なわれていた。
 表向きは万能細胞と言った未来の医療開発が目的とされるそのセクションでは、
ほぼ日常的に危険な人体実験等が実施されていたのだが、あるとき、そこの修士と知り合いになり、
彼から死者蘇生の可能性や現在取り組んでいる同分野の研究内容を熱弁されたことがあった。
 正確な記憶でなく一部が不鮮明なのだが、人造人間を創出しようとするのも死者蘇生の第一歩だと語っていたような気がする。
 細胞が起こすナノレベルの振動に至るまでを胎児の段階から観察し、
把握と分析を凝らすことによって蘇生させるべき細胞とその動き、生命力の働きを見極められなくては
一人前と呼んでもらえないのだとボヤいていたこともついでに思い出す。

 マリスが当時罹っていた遺伝子病の治療に彼らの開発した技術が役立てられていたこともあり、
そのときは細胞片に至るまでを蘇生させるメカニズムも一定の信憑性をもって受け入れていた…が、
数年を経て興味が薄れてしまった今ではきっかけを得なければ思い出すことすらなくなっていた。
 熱弁を振るってくれた彼に対してあまりに薄情であった…が、
修士の彼とはそれきり出くわすこともなかったので付き合いが悪いと詰られるほど縁が深かった訳でもなかろう。
 これは余談の域を得ない話だが。

 余談はともかく、修士の彼の話は言わば余談の範疇だが、
それはともかくとして重要なのはアルフレッドが見知っていた士官学校研究の死者蘇生技術と
ルディアのハカセが備えていると言う死者蘇生技術の特徴が不自然なくらい合致している点である。

(技術が技術だ。百パーセント偶然とは言い難い気もするが………)

 肩を竦めながら自分の隣を通り抜けていくフツノミタマとなおもギャンギャンと喚き散らすルディアへ衝動的に声を駆けようとした矢先、
隠し通路にも大きな変化が訪れ、今度も今度で耽っていた思考が中断されてしまった。
 何事かを思案していてものっぴきならない事件でそれが寸断されるという場面がこれほど連続する日も
早々無いと冷静な部分で考えながら異変の起こった背後を振り返ったアルフレッドは、
そこに見つけたものによってなけなしの冷静さをも吹き飛ばされてしまった。
 本日何度目かを数えるのにも飽いた異変は黒煙と瓦礫、それらを激しく震わす爆裂音を引き連れて訪れた。

 ―――爆発だ。地上の爆発がフロアを貫通して隠し通路にまで達したのだ。
 隠し通路へ飛び込むよう示唆したヒューもここが地上で起こっていることの余波を受けない安全圏とは断言していなかったので、
爆発が到達したとしてもなんらおかしくはない。
 フィーナたちは動揺を見せたが、一般人よりも爆発物に詳しいアルフレッドやヒューはむしろ今までよく保ったほうだと
爆発の到達を端然かつ諦観をもって睥睨したくらいだ。

 そんなアルフレッドが冷静さを欠いたのは爆発そのものに対しての動揺ではなく、
真昼の太陽の如く回廊を照らした炸裂光が黒煙の中に人影を浮かび上がらせたことにあった。

 黒煙越しにシルエットを見るのみなので輪郭までも確認することは出来なかったものの、
ローガンをも越す程の大柄な男であることは見て取れた。
 マントかポンチョでも纏っているのか、上半身の状態は布切れのようなもので覆われていて判然としないが、
下半身の状態を見る限りでは肉体を相当に鍛え上げていそうだ。
 身体に密着するタイプのズボンは筋組成に沿った隆起を無数に作っており、
全身に鋼のように固い筋肉の鎧を纏っているさまを想像させる。
 あくまでも想像ながら、屈強と言う名に相応しい肉体はローガンと力比べしても引けを取るまい。
それどころか一方的に組み敷いてしまうかも知れなかった。

 ヒューのプロファイリングを振り返ってみよう。
 メアズ・レイグに遅れてリーヴル・ノワールに到着したもう一人の先行者、“中年の男性”の特徴は、
とにかく大柄で、鍛えられた肉体を持っていると言う二点だ。その上、無遠慮であると言う。

 プロファイリングに寄れば、“ドアの前に立った際も一瞬たりとも躊躇せず、慎重さのカケラも無く豪快に蹴り開け、
ドカドカと大股で踏み込んでいった。遠慮も手心も一切加わっていない蹴りは全体重を乗せた強烈なもので、
ドアが両開きに対応していなかったら、衝撃を受け流しきれずに蝶番が大破していたことだろう”。
 それからもう一つ、“ファインセラミックスの板に強化ガラスを嵌め込んだ特別製のドアだったからこそ耐え切れたものだが、
それでも側面には細かいヒビが走っていた。これが木製と仮定した場合、ど真ん中に足跡が開くどころの話でなく、
ドア自体が吹き飛んでいたのは間違いない”。

 特徴とされる部分の合致を単なる偶然と断じることはアルフレッドには出来なかった。
 その男は、凄まじい爆発の中から現れたのだ。
 探索中に爆発に見舞われ、自分たちと同じようにこの隠し通路へ逃げ込んだとの見方が出来なくも無いが、
犯人でないにせよ爆発について重要な参考人になるだろうと見るのが自然の流れであろう。

「あいつが犯人っちゅーわけかッ!? ごっつ派手な真似ぇしてくれたやんけッ!」
「どいつもこいつも………ッ! 無法を働くのがそんなに楽しいかッ!? これ以上悪道が蔓延ることを見過ごせはしないッ!
今度こそ正義の顕現をエンディニオンに示してみせるわッ!!」

 事情も聴取する前からそうと決め付け、先走ったローガンとハーヴェストは
それぞれ気弾とグレネード弾を黒煙に浮ぶ人影めがけて撃発した。
 攻撃までしておいて誤解だったなら憂慮すべき事態へ発展しかねず、
近くにいたケロイド・ジュースは「………損害賠償は…どうせこっちに請求される………!」と慌てて止めに入ったのだが、
時既に遅く、二種の弾丸は黒煙に浮ぶ人影へと真っ直ぐに向かっていた。

 得体の知れないエネルギーの塊と、小型とは言えミサイルが自分めがけて飛び込んでくるのだ。
 普通なら避けるなり瓦礫の陰に身を隠すなりして防御体勢を整えるだろうが、その人影は何を思ったのか、
自らローガンの放った気弾の前に躍り出、岩のようにゴツゴツとした健脚でそれをシュートした。
 強引に軌道を変えてグレネード弾にぶつけようとしているのだと気付いたローガンたちが唖然とする中、
“中年の男性”の試みは成功し、気弾とグレネード弾は相身互いに爆ぜて散った。
 気弾とグレネード弾の衝突は周囲に凄まじい衝撃と爆風を起こし、
これによって回廊内に垂れ込めていた黒煙が一瞬ではあるものの完全に晴れ、
爆発の渦中より現れた正体をアルフレッドたちの前に曝け出した。


 その正体にアルフレッドは冷静な思考力を奪われたのだ。
 アルフレッドだけではない。フツノミタマに抱えられたままのルディアを庇いながら、
万が一の場合に備えてSA2アンヘルチャントを構えたフィーナからも、
CUBEから魔力を引き出してローガンたちに加勢しようとしているシェインからも、思考力を完全に奪い去っていった。
 小さな出来事に右往左往している人間たちを見下すようにマイペースを貫いているムルグですら、
曝け出された人影の正体を目の当たりにするや、物言わぬぬいぐるみのように固まってしまった。

「………貴様か、ジューダス・ローブの名を騙ったペテン師は。他人の美学に土足で踏み入るその外道ぶり、
一億回恥じても一兆回悔いても許されぬものと思えッ!」

 平素の紳士的な態度からは想像も出来ないくらい冷たく軽蔑に満ちた罵倒を浴びせるセフィの様子も、
彼の発した声さえも三人と一羽の耳には入っていない。

「ッたく………いきなりご挨拶じゃあねぇか。フィーやムルグはともかく、あんたらとは初対面なんだがねぇ」

 縁取りが狭く旅に適したテンガロンハットも、使い込まれてボロボロになったポンチョを纏った姿も、
中年に相応しい皺を刻んだ髭面も、………タバコとテキーラで焼けた聞き苦しいそのダミ声も、三人と一羽はよく見知っていた。
 “よく見知っていた”などと言うレベルの話ではない。
 現在(いま)は離れてしまっていたが―――かつては何よりも誰よりも身近に在るものだった。
 生まれたときからお互いを熟知し、誰よりも理解し合い………目の前に立つこの男にとって
自分たちはこの世に生を得るより前から最も身近にあるべき存在だった筈だ。
 少なくともアルフレッドとフィーナにとっては、そうでなければならなかった。

「砲撃が終わったと思ったら、お次は言い掛かりかよ。親心でアドバイスしてやるけど、
お前ら、ダチは選んだほうがいいぜ?」

 ローガンとハーヴェストの頭越しに三人と一羽へ気さくな調子で話しかけたその男へ
アルフレッドが憤怒の形相を向けるのにそう時間は掛からなかった。
 「知り合い?」とその顔を覗き込んだネイサンが悲鳴を上げて絶句するほど、
アルフレッドの面には恐ろしいほどの憤怒が張り付いていた。
 見れば、ムルグもシェインも、今まで見たことがないくらい激烈な形相を浮かべているではないか。

 黒煙の只中より現れた男に話し掛けられた面子の中で怒りの形相を見せていないのはフィーナだけだが、
彼女の面からは殆んど生気が失われており、病的な紫へと変色した唇を震わせている。
 異常に気付いたトリーシャとマリスが支えに入っていなかったら、きっとその場に倒れ込んでしまっていただろう。
 瞬きすら忘れたままポンチョ姿の男を見つめる双眸は、心中に吹き荒れる動揺を表すかのように上下左右に微動を繰り返している。

「どうして………どうして貴方がここに………」
「おう、お前も一緒か。えらいご無沙汰だったな、フェイ。聴いてるぜぇ、すげぇ活躍じゃねぇか、お前」

 信じられないと言った様子で頭を振るフェイにもポンチョ姿の男は気安く話し掛けたが、
フェイ当人はそれに応じることはなく、動揺に染まっていた面へ次第に憤りが灯され始め、
最後にはアルフレッドたちと同じく恐怖を感じるほどに怒気を高めていった。

 怒気が最頂点に達した瞬間、フェイは反射的にツヴァイハンダーへ手をかけたが、
斬りかかろうとする衝動を微かに残った理性でどうにか押さえ込んだ。
 もしもポンチョ姿の男が軽薄な態度でフェイをからかっていたなら、確実に荒事にまで発展していたはずだ。
 そして、アルフレッドがこれに加わったのは間違いない。
 フェイに宿った怒りの形相もアルフレッドが昂ぶらせる憤りも、既に怒気を超えて殺意の領域にまで達していた。

「―――どうして貴様がここにいるんだッ!! ………ランディハム・ユークリッドッ!!」

 フェイの言葉尻を継いだアルフレッドの絶叫に対して、殺意をも孕んだ怒気を浴びせられた当人は、
しかし、この闘争的な激昂に相応の態度で応じることはせず、なおも陽気な眼差しを向けていた。
 ………ある意味において超然としている彼の態度が崩れたのは、フィーナが消え入りそうな声で呼びかけた瞬間だけだった。

「………お………父………さん………―――」
「―――こいつを父親と呼ぶなッ!! お前の父親はカッツェ・ライアンただ一人だッ!!」

 フィーナの呟きを耳聡く聞き取ったポンチョ姿の男が嬉しそうに口元を綻ばせた瞬間、
アルフレッドは裂帛の怒号と共に遮二無二突っ込んでいった。
 それは、士官学校で体得したマーシャルアーツも何もない、感情任せの不恰好な突撃だった。







 それからのことをアルフレッドはよく覚えていない。気が付いたときには硝煙燻る回廊をひたすらに走っていた。
 意識が現実世界を捉えるようになるまでの顛末は全てが終わった後にマリスから知らされたのだが、
形振り構わぬ程に激昂していたのは間違いなく、アルフレッドに話し掛ける彼女の瞳には明らかな怯えが宿っていた。

 邂逅せし者に向けて発した彼の怒号は両者を引き裂くようにして起こった新たな爆発によって掻き消され、
繰り出された拳も棚引くポンチョへ―――フィーナが父と呼んだ男…ランディハムへ届く前に
オーバーバーストで吹き飛ばされてしまった。
 しかし、忘我のまま攻撃を強いる人間が一度跳ね飛ばされただけで止まることなど有り得ず、
爆発によって崩落した天井が瓦礫の壁を重ねていく只中へ再び飛び込んでいったアルフレッドは、
ランディハムへの路を妨げるリーヴル・ノワールの残骸を力任せに殴りつけ、
憎悪の対象たるかの男の足跡を追尾せんと雄叫びを上げ続けた。
 拳に血が滲むのも構わず、声が嗄れるのも厭わず、ランディハムへ殴りかかるチャンスを求め続けた。
 全身の血液が沸騰し、防御や回避と言った思考が抜け落ちているような精神状態だ。
 ネイサン、ヒュー、ローガンと三人がかりで羽交い絞めにしてようやく食い止められたのだが、
それが間に合っていなければ、怨敵へ追い付く前に瓦礫の下敷きになっていたことだろう。

 その間にも何者かが仕掛けた爆発は激しさを増していき、
誰の目にもリーヴル・ノワールの耐久性がレッドゾーンにまで達しているように見えた。
 事実、その通りであろう。直接には爆裂を被っていない場所の柱や壁まで寒気を引き起こすような不気味な音で軋み出している。
このままこの場所に留まっていては本当に生き埋めになってしまう。

 我を忘れているアルフレッドに成り代わって「もう退路は無ぇ! とにかく先に進むことだけを考えるんだ!
なにしろここは科学万能な連中がせっせと作った逃げ道だ。ちょっとやそっとじゃ全壊なんかしねーさ!」と
号令を発したニコラスに仲間たちも応じ、引率を買って出て先行する彼の後に追従した。
 このときもアルフレッドはランディハムを追おうとしたものの、当のターゲットは既にこの区画から気配を消してしまっていたし、
追跡を許さぬローガンたちに引き摺られたこともあって渇望する方角とは反対の道を強制的に進まされた。

「そう言や、ビフォアーのトピックだけど、フィーがディスのロリッ娘を引き取るってコトはぁ、
ビコーズおニューなファミリーがボーンってコトかな? かなかな? 今回みたいなケースだと、
やっぱりママンがフィーでパパンがアル坊やになるのかな?かなかなかなかな?
―――オゥッ! そいじゃマリスくんは二号さんってコトでオーケー? 昼メロもネイビーな修羅場が
ハズカムしそうなよ・か・んンンン♪」

 爆発音が背後から追いかけてくると言う緊迫した状況下で交される会話などある筈もなく、
時折、ホゥリーが空気を読まない放言をゲップ混じりにほざくくらいだ。
 もちろん、誰一人としてホゥリーの放言になど気を留めておらず、隠し通路は半ば彼の独壇場と化している。
 マリスや彼女に仕えるタスクにとっては聞き捨てなら無い放言も混ざっていたような気がするが、
他者をおちょくって悦に入ると言う気色悪い奇癖へ付き合う余裕を二人は持ち合わせていなかった。

 そんな瑣末なことよりもマリスには気がかりがあった。
 いや、マリスだけではない。仲間の誰もが気を遣って追及しなかったのだが、
ランディハムなるポンチョ姿の中年男性とアルフレッドたちの―――グリーニャにまつわる人々の間には
明らかに抜き差しならない空気が感じられた。

 しかし、グリーニャの人々とランディハムの間に張り詰めた緊張は余人の介入を許さぬほどに鋭く、
触れた者を容赦なく切り裂くような結界がそこには在った。
 事情を知らぬ者が土足で入り込むことを許さない結界がグリーニャの人々を包み込んでいた。

 ………追及しなかったのではない、誰もが追及出来なかったのである。

「顔色悪いんだから、無理だけはしないでよね。ただでさえ今日は頑張り過ぎなんだし。
いざとなったらチャリ出すからさ、いつでも言ってよね?」
「うん…ありがと、トリーシャ………私は大丈夫だよ、………多分、ね」
「………全然、大丈夫じゃないじゃない………ムチャして体壊しちゃったら、マジで許さないからね………っ」

 “実父”の登場を発端にして起こった異変には触れず身心の体調のみを尋ねるトリーシャへフィーナは心配掛けまいと微笑を返すが、
その面は蒼白で空元気の域を出ていない。

「………ランディハム・ユークリッドか………オレたちも…事情は聴いておったが………、
………よもや…あそこまで…無軌道な人間とは…思わなんだぞ………あんなもん…ただの………、
………ゴミ溜めじゃないか………痰ツボと呼ぶのも…生温い…ぞ………!」
「アルやあなたの怒り方からしてまだ乗り越えきれていないのね、みんな………。
―――グリーニャの汚点とはよく言ったものよね。あたしだってアルに混ざりたかったもの………!」

 ソニエとケロイド・ジュースもフェイを気遣うが、彼はフィーナ以上に余裕が無かったらしく、押し黙ったまま微笑も返せないでいる。
 その双眸には煉獄の揺らめきを思わせる昏い炎怒が灯されたままだ。

(こいつもこいつなりに背負っていやがるんだな、色々と―――)

 シェインはルディアとセットでフツノミタマの脇に抱えられている。
 右の脇にシェインを、左の脇にルディアを抱えて走るフツノミタマは、不貞腐れたように口先を尖らせている少年を目端に入れながら、
ふとそんな思いを巡らせていた。

 傍目には趣味の冒険にひたすら突っ走る能天気な子供にしか見えないシェインだが、
最初にグリーニャで逢ったときのことを振り返れば両親の不在を無言の内に示していたし、
今はランディハムに対して激情を剥き出しにしている。およそ怨みと言った負の感情とは縁遠そうに見えるのに…だ。

 用心棒としてスマウグ総業に雇われてグリーニャへ足を踏み入れたフツノミタマだが、
あの思い出すだけで胸糞の悪くなる社長のもとへ転がり込むまで件の山村のことなど
まるで知らなかった。地名はもちろん興味すら抱かなかった。
 それは用心棒として常駐するようになってからも少しも変わらなかった。
グリーニャなど一時、留まるだけのバイト先のような感覚でいたのだ。
 当たり前だが、その山村で何が―――スマウグ総業がやって来るより以前(まえ)にどんな事件が起こり、
そこに住まう人々の心へ何を背負わせたのかなど知る由も無く、また、知る必要性も考えていなかった。

 だが、今は―――今は少しだけ踏み込みたいと思っている。
 こんなにも小さなシェインが心の裡に抑え込んでいる負の想念の根源を把握しておきたいと考えている。
 ただし、それは様々な状況においてイニシアチブを取る下準備ではない。
 シェインの抱えた懊悩を分かち合ってやりと願う慈しみが、ささやかな衝動となって彼の心を揺さぶって止まないのだ。

 自分に涌いた感情に「似合いもしねぇ」と苦笑いするフツノミタマは、口元を歪めながらもう一度だけシェインの様子を見やり、
次いでアルフレッドへと視線を巡らせる。
 最初こそ我を忘れて狂乱していた彼も今では気を取り直しており、ローガンたちを従えながら出口目指して全力で駆け続けていた。

 その頭上をまたしてもムルグが嘴で啄ばんでいるのだが、どうも様子がいつもと違う。
 フィーナを巡るライバルらしいアルフレッドへ強烈な攻撃を加えるのが日常茶飯事ではあるものの、
見間違いや勘違いでなければ今日のムルグは彼を責め立てている様子だ。
 普段のようにただただアルフレッドを抹殺すべく無慈悲な攻撃を無感情に加えているのではなく、
「どうしてあそこで止めたんだ。邪魔なんか気にせず、あの野郎を追えば良かったじゃないか」と嘴を通して訴えかけている―――
そんな風にフツノミタマの目には映っていた。
 ムルグもまたランディハムの登場で異変に見舞われた一羽なのだ。

(どいつもこいつも………重苦しいもんを背負って荒野に出て来やがったみてぇだな………)

 それぞれがそれぞれの胸に表しようの無い想いを秘めながら先へ…先へと突き進む。
 右へ左へ入り組みつつも上層に向かっていく隠し通路を駆け続ける内、ふと噎せ返るような異臭が濃くなってきた。
これはつまり、爆発をモロに被ったであろう地上一階へ近付いている証拠でもあった。
 断定は出来ないが、オイルの臭いが通路内にまで垂れ込めていると言うことは通気が遮断されていない証しでもあり、
掘り下げて考えるならば生き埋めと言う最悪の事態を免れたと言うことである。

「もう少しだ! もう少しで逃げ遂せるぞ!」

 ニコラスのこの号令が皆の末足にいよいよ以ってラストスパートを掛ける。
 やがて地上に直結していると思しき鋼鉄製の扉へ行き当たり、
ディアナはガントレットモードにシフトさせたドラムガジェットから得意の鉄拳を繰り出して周囲の壁もろとも扉を吹き飛ばした。
 恣意的にはゴールテープをぶっ千切るアスリートのように見えなくも無いが、
さりとてディアナが鉄拳を繰り出したのは単に邪魔だったからだし、何よりアスリートは仲間ごとゴールテープを千切ることはすまい。
 現に一刻も早くこの危険域から逃げ出したいと扉を開きに掛かっていたダイナソーはドラムガジェットの一撃に巻き込まれ、
取っ手を握ったまま扉の残骸と共に宙を舞っていた。

 地上数メートルの高さから、よりにもよって顔面からランディングしたダイナソーは起き上がりざまに「殺す気かぁッ!?」と叫んだ…が、
その恨み節はマシンガントークへ発展する前に途絶えた。
 自分の命を塵芥以下に扱おうとしたディアナを睨みつけようとした眼差しも、
彼女の背後に在るものを見つめたまま微動だにしなくなっている。
 不思議なことにダイナソーを発端とするその現象は先行していたアルバトロス・カンパニー全員に伝播し、
彼のおかしな様子に気付いて振り返ったディアナも、背後に在ったものを目端に捉えた瞬間から直立不動で硬直してしまった。
 五つ分の視線は、まさしくディアナが背後に見た何かに向かって束ねられていた。

 正規のエントランスからやや離れた場所に設けられた別の出入り口から生還したアルフレッドたちだったが、
一人また一人と地上へ顔を出す度にアルバトロス・カンパニーと同じ症例に見舞われていく。
 ランディハムに対する憎悪で全ての思考を塗り潰されていたグリーニャの関係者たちも例外に漏れず、
まるで極寒の地にでも放り出されたかのように一人残らず身動きを凍て付かせていった。

「………また一つ、新しい扉が開かれたわけだね」

 身動きはおろか感覚神経まで凍りついた彼らの耳にその呟きが入ることはない。
 あるいは、そうと分かっていたから皆の前で堂々と吐いて見せたのかも知れなかった。

「また一つ、新しい扉が開かれた―――フフッ………いいねぇ、こう言う瞬間は。
何かが始まるときって、いくつになっても興奮しちゃうよね」

 ………一行の末尾を務め、最後に地上へ出てきたネイサンは、硬直する仲間たちを見回しながら噛み締めるようにして、
もう一度、そう呟いた。


「また一つ、扉が開かれちまったってワケか………」

 断っておくが、同じことをネイサンが三度も繰り返したのではなく、
たった今、呟かれた反復は全くの第三者が発したものである。

「………イーライ………」
「ヤツのターンに限って誤差が一秒もナシだ。これじゃまるっきりおちょくられてるみてぇじゃねーか、なぁッ!!」

 ネイサンの台詞を反復したのはイーライ・ストロス・ボルタその人だ。
 爆発に見舞われたリーヴル・ノワールから遠く離れた場所から崩落していく白塗りの施設を望遠鏡越しに睥睨していたイーライが、
気遣わしげに見つめてくるパートナーへネイサンとそっくり同じことをぶっきらぼうに言い放ったのだ。
 声色は明白に怒りを帯びており、イーライの苛立ちを悟ったレオナは後ろから彼を抱き締めた。
 包み込むかのように優しく抱き締め、彼の苛立ちを落ち着けようとその鍛えられた腹筋をレオナは何度も何度も撫でた。

 気まぐれな猫の背を宥める仕草のようにも見えるレオナの愛撫でどうにか冷静さを取り戻したイーライは、
先ほどまで何やら時間を確かめていた懐中時計をクラップが見たら悲鳴を上げそうなくらい無造作にポケットへ突っ込むと、
足元に転がっていた小石を思いっきり蹴っ飛ばした。
 僅かにこびりついていた苛立ちをこれで全て発散させようとしたのかも知れない…が、
試みは功を奏さず、眉間に寄せられた縦皺が緩むことはついぞ無かった。

「カリカリするのはわかるわよ。でも、だからって無意味に八つ当たりするなんてイーライらしくないでしょ。
私の知ってるアナタは、もっと時間を有効に使える人だったハズよ」
「オレも今の今までそう考えてきたんだがなぁ、ああして目の前で見せられると
やっぱりこう腸が煮え繰り返って―――クソッ! ………クソッたれが………ッ!」

 何がそんなに気に喰わないのか―――ヘッドギアで覆われていない黒髪の部分を力いっぱい掻き毟るイーライを
レオナは哀しげな眼差しで見守る。
 ………どこまでも哀しげな眼差しで何よりも愛しい彼の癇癪をレオナは静かに見守り続けた。

「………だがよ、遅れを取ったわけじゃねぇ。今度もアイツより早くにルディアんとこまで到達できた。
正確にはエリア一つ分だけ気が早かったがよ、そこは目ぇ瞑ろうや」

 他者に物にまで当り散らすパートナーを、静けさを保ったまま見守り続けられるのは、
こうした瞬間が必ずやって来ると確信していたからに違いない。
 果たしてレオナが待ち侘びた瞬間は訪れ、イーライの表情(かお)が駄々を捏ねる子供のような苛立ちから
決然たる意志の顕現に切り替わった。
 彼のその表情に共鳴するかのようにレオナも口元から微笑を消し、柔らかだった眼差しをも鋭く研ぎ澄ませていく。

「次はもっと早く手ぇ打ってやらぁ。今はヤツがリードしていてもよ………最後に勝つのはオレたちだ」
「そうよ、輪廻を識る人間が別にいることをあの男はまだ気付いていないわ。
………全てを悟ったときにこそ、あの男に大罪を償って貰いましょう」
「もちろんだ。………手前ェの背負った十字架の重さを骨の髄まで―――いや、魂の奥底までキチッと思い知らせてやるぜ!」

 吐き捨てるようにして言い放ったイーライが鋭い眼光を向けた先には、
今まさに最後の崩落を迎えようとしている リーヴル・ノワールが在る…が、
正確には彼の視線上にかの施設があるだけで、眼差し自体は全く違うモノを見据えている。

「開かれた扉が、輪廻が、てめぇの思い通りにならねぇってことを思い知りやがれ………!」

 崩落していくリーヴル・ノワールの瓦礫が舞い上げた塵旋風の向こうに浮かび上がる大きな影をイーライは見据えていた。


 それから数秒と経たない内に一陣の強風がリーヴル・ノワールを一撫でし、
舞い上がっていた埃や黒煙を青天なるキャンパスから拭い取った。
 その頃には爆発の火勢も大幅に減退しており、衰えた黒煙は、最早、地面を舐めるようにして燻るばかりである。
 それはつまり、塵旋風に隠れて正体の判然としなかった大きな影が白日のもとにさらされたことをも意味している。

 崩れ落ちたリーヴル・ノワールに成り代わるかのようにして現れたのは、
外部との交流を遮断しているかのような高く長大な隔壁である。規模にして城塞都市を取り囲むような隔壁が聳え立っていたのだ。
 隔壁の内側からは暮らしの喧騒も聞こえてくるし、
見上げた壁からは摩天楼と思しき建造物が無数にその頭を覗かせているではないか。

「ローガンさん、私、夢でも見ているんでしょうか………こんな…こんな………」
「なんなら頬っぺた抓ったってもええで。てか、その前にワイの頬っぺた抓ってくれへんか? 
ワイにはもう何が何やらさっぱりやで………」

 セフィがローガンと顔を見合わせて絶句するのも無理からぬ話だ。
 何の脈絡もなくリーヴル・ノワールへ隣接するようにして一個の大都市が現れたのである。
これで驚くなと言うほうが土台無茶な要求であった。
 築かれた隔壁はどこまでも高くどこまでも広く、林立する摩天楼は太陽を刺すのではないかと思えるくらい高層で、
人々が出す喧騒はそうした営みを邪魔だと言わんばかりに鳴り続けるクラクションと密着していて―――
全てアルフレッドたちがリーヴル・ノワールへ潜入する半日前まで存在しなかったものだ。
 隔壁で囲われている近辺は、半日前まで草木すら生えぬ荒涼とした平原だったではないか。

(一体全体、何だって言うんだよ、今日は………次から次へとワケのわからないことばかり起きて………ッ!)

 怪異な出来事の連続で頭がパンクしそうになっているアルフレッドの傍らで呆然と屹立していたニコラスは、
アルバトロス・カンパニーの仲間たちを同意を得るような面持ちで見回し、
皆が頷いたのを確認してからアルフレッドを更なる混乱へ追い込まんとする一言を擦れた声で搾り出した。

 ………もしかするとその一言こそが、アルフレッドや仲間たちを、ひいてはエンディニオン全土を
変革せしめる引き金になっていたのかも知れない。

「フィガス・テクナーに帰ってきた………」




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