11.正体


 “ネビュラ戦法”が功を奏し、サミット会場内での戦いがたけなわとなる頃―――
ルナゲイトの市街地で繰り広げられるもう一つの戦いにも佳境が訪れようとしていた。
 市民の混乱を沈静する為、サーカス団の檻から逃げ出したゾウ型のクリッターを撃破せんとする掃討戦である。

 脊椎反射に近い反応でもって故郷を守るべく駆けたソニエとケロイド・ジュースの駿足をもってしても、
暴走したクリッターが町の景観を破壊するより前に辿り着くことはできず、無残にも瓦礫と崩れた上を踏み締めるしかなかった。
 家を潰された…店を壊された…と涙まじりに崩れ落ちる市民の悲壮を背に受けて立つ三人は
駆けつけるまでに戦いの準備を整えている。
 つまり、すぐにでもこの憐れなクリッターを仕留められる状態と言うわけだ。
 ………ヒトに飼い慣らされたが為にこのような悲劇を生み出さざるを得なかったクリッターが不憫に思えなくはないのだが、
さりとて町を破壊するに至った以上、事情はどうあれ野放しにはしておけない。

 サーカスの関係者だろうか。下腹が丸く飛び出したピエロ風の男性が尻餅つきながらクリッターの暴走を呆然と見つめ、
パドゥール、ブドゥールと、おそらくはこの機械のゾウの名前を呼び掛け続けている。
 「落ち着いてくれ、頼むから」と血を吐くのではないかと思えるような擦れた声で。
 最早、言葉にさえなっていない痛ましい声の色を聞くだけで、彼が先ほどから何百回と同じ内容を繰り返していると察せられた。

 しかし、ピエロの言葉は届かない。
 悲痛な叫びこそ至上の道化とでも運を司る神人、ティビシ・ズゥがいたずらをしたかのように、
ピエロの悲鳴は曇天の彼方へと吸い込まれていき、愛しき機械のゾウたちは瓦礫ごと彼の願いを踏み躙った。

 そこに住む人々が今以上の災害を被る前に破壊の躍動を断たねばならない―――
悲劇の道化師には申し訳無いことだが、彼の愛するクリッターはここで息の根を止めるしかなかった。
 暴走状態に陥ったクリッターが正気に戻る確率は一割を切るほどに低く、
仮にこの場を生き延びたとしても億単位の損害を出したクリッターなど誰が許すと言うものか。
 この場で首を落とされなくても、屠殺の末路は不可避だった。

 それならば、今、ここで楽に―――とツヴァイハンダーを構えたフェイだが、
殲滅対象に認定された二匹のクリッターが存外に厄介であることに気付き、表情を暗くさせた。
 両脇に居並ぶ二人の仲間を横目で窺うと、やはり彼らのしかめっ面が飛び込んできた。
 ピエロは自分たちで付けた名前で呼んでいるが、ゾウ型のクリッターには正式な名称、いや、識別名称がある。
 血のように赤い鋼の皮膚を半壊したビルへ更に打ち付けているのがギリメカラ、
ハンマーのように長く大きな青い鋼の鼻を花屋や肉屋が軒を連ねるアーケードの一角へ振り落としたのがガネーシャ。
 それぞれ特大型にカテゴライズされる危険度Aクラスのクリッターだ。

「俺たちは青いほうを受け持ちます! 貴方がたは赤いほうをッ!!」

 加勢へ駆けつけたアルバトロス・カンパニーが一直線にガネーシャへ突進してくれたことにフェイは、内心、ホッとしたくらいだ。
 大多数のクリッターがそうであるようにガネーシャもエンディニオンに住まう通常の生物からかけ離れた異能を備えているのだが、
ガネーシャの場合は物理的接触を緩衝させる皮膚組成がこれに当たる。
 物理的接触によってダメージを生み出すツヴァイハンダーの威力が通りにくくなるのは厄介だ。
 全長2メートルを越える大型クリッターの莫大な生命力を物理ダメージ緩衝の防御力から削り取っていくなど、
考えただけで気が遠くなる話なのである。

 過去に最強のクリッターとされるドラゴン種の一柱――その中でも特に強力なゴールドドラゴン(金鱗竜)――と戦い、
激闘の末に勝利したフェイたちを“竜殺し”の栄誉で呼ぶ声もエンディニオンには多いが、
そのドラゴンとて物理ダメージ緩衝の特性を有していたのではない。
 ミスリル銀さながらに堅牢な筋肉で全身を固めてはいたものの、ツヴァイハンダーの刃先は真っ直ぐに立ち、
全てのダメージをドラゴンの肉体へ直撃させられたのだ。
 だからこそ最後にはその首を刎ね、“竜殺し”として帰還できた。
 だが、今度は違う。
 単純に堅牢な防御力を粉砕すれば良いものでなく、物理接触を緩衝させる皮膚組成を突破しなくてはならない。
 ツヴァイハンダーの威力を鈍らせるガネーシャの異能は、力押しの通じるドラゴンよりも実は戦いにくい相手なのだ。
 フェイにとっては天敵とも言える手合いであった。

 アルバトロス・カンパニーのチョイスによって必然的に運命付けられたギリメカラとの対峙に、
フェイと同じ思いを抱いたケロイド・ジュースが大袈裟なゼスチャーで胸を撫で下ろして見せる。
 ギリメカラの異能は、ガネーシャとちょうど正反対の魔力的接触の緩衝である。
 つまり、物理攻撃を得意とするフェイやケロイド・ジュースは敵の防御力に振り回されることなく
最大の攻撃力を発揮できると言うわけだ。
 ソニエの十八番であるプロキシが通用しないのは残念だが、ここは物理攻撃が主の自分たちに任せてもらおう。
 そのように二人へ目配せすると、長い付き合いで心得たものか、ソニエとケロイド・ジュースは揃って頷き、
無言の返事をフェイに送った。

 意を得たと言うゼスチャーはそのまま戦闘開始の合図に代えられ、三人一斉にギリメカラへ立ち向かう。
 生け捕りにしてくれ、と叫ぶピエロの意向は叶えられなさそうだ。
 轟々と振り回し、家屋を破砕する長大な鼻を封じないことには被害の拡大が止まらないと判断したフェイは
大上段にツヴァイハンダーを構えてギリメカラとの間合いを一挙に詰める。
 縦一文字に振り落とす渾身の一撃でギリメカラの鼻を破断しようと言うのだ。
 倒壊した建物の瓦礫が散乱した足場はすこぶる状態が悪いが、
一発で鉄筋を引き千切る攻撃力と反比例して動きの緩慢なギリメカラが迎撃体勢を整えるより早く
照準定めたポイントまで辿り着く自信がある。
 機敏さで優勢と雖も真正面から間合いを詰めるのはハンマーさながらの鼻と直接対決するのに等しく、大変な危険を伴う行為だ。
 それを平然とやってのける胆力は、真に“英雄”の域にある者にしか宿るまい。

 また、フェイは仲間たちがサポートに回ってくれることも確信しており、それが為に猪突猛進な攻撃へ意識を集中させられたのだ。
 フェイの確信はすぐに現実となった。
 腰を落としながら猫を彷彿とさせる駿足でもって先行するフェイの肩と瞬く間に並んだケロイド・ジュースは、
そのまま彼を追い越し、我先にとギリメカラと対峙する。

「………ケロちゃんMAXモテかわパワー………ッ!!」

 やおらギリメカラに向き合ったケロイド・ジュースが珍妙な気合いを発する。
 マグマのように噴出された裂帛の気合いは、瓦礫と共に舞った粉塵を被ってアイボリーに汚れたプラナタスの街路樹を震わせ、
一瞬だがギリメカラをも竦み上がらせる。
 暴走で思考の停止しているギリメカラのこと、理屈でなく防衛本能でケロイド・ジュースに恐怖を感じたのだろう。
 だが、それも刹那の竦みであり、次の瞬間には彼の気合いを上回る咆哮を上げて恐怖心を相殺し、
煉獄の色に充血した眼光を足元に立つ塵芥の人間へ向けた。
 これも理屈でなく闘争本能の部分でギリメカラはほくそ笑んだに違いない。
 上体が常に前方へ傾く猫背のケロイド・ジュースは、その姿勢からしてギリメカラの眼には小さな小さな猫にしか映らなかった。
 足を、鼻を振り落とせば確実に粉々にしてしまえる。

 だが、ギリメカラの双眸がそこから先の映像を脳に送ることは二度と無かった。
 瞬間的な優越から来る油断を見計らっていたかのように投射された五枚のタロットカードが
左に三枚、右に二枚とそれぞれ突き刺さり、カメラに似た構造を持つ視神経をズタズタに引き裂いた。
 生物のそれよりも遥かに硬質なクリッターの視神経を裁断できることからして、このタロットカードが市販物と異なることが解る。
 それもそのハズ、鋼鉄よりも固く、ナイフよりも鋭い切れ味を誇るこのタロットカードは
『四門五理巫導符(しもんごりふどうふ)』と呼ばれるトラウムの一種なのだ。
 本来は施術されたプログラム通りに『朱雀』、『青龍』、『白虎』、『玄武』、『麒麟』の五柱の神獣へとそれぞれのカードが変化し、
使い手を守護し、それに仇なす者を撃ち破るものなのだ…が、

「よくもルナゲイトをメチャクチャにしてくれたわねッ!! これ以上、あんたの好きになんかさせないわよッ!!」

 変化と言っても、カードはあくまで神獣を地上へ具現化する媒介に過ぎない。
五柱の神獣は、自然界に漂う魔力をエネルギー減としてその威容を地上へと現すのである。
 魔力緩衝の影響を受けるギリメカラとの戦いでは、神の獣の名を汚す結果が目に見えていた。
物理攻撃のみが有効では威力半減になるのも仕方ナシと諦め、カードそのものの切れ味を生かす戦い方へ切り替えたわけだ。
 改めて紹介するまでもないが、『四門五理巫導符』のユーザーはソニエである。

 二人の仲間のサポートを得て太刀振るうに最良の状況を得たフェイは、
激痛に悶えて身を捩るギリメカラの鼻へとツヴァイハンダーの縦一文字を閃かせた。
 この世の物とは思えないほど痛々しいピエロの悲鳴は既に耳へ届いていなかった。
 物理緩衝の影響は受けていないのだが、身を捩られた影響で刃の通りが悪く、一撃では斬り落とせなかった。
 二度、三度と刃を打ち付け、五度目の強撃にようやく手応えを感じられた。
 あまりに強く打ち込み過ぎたせいで鼻を落としてからも勢いが止まらず、刃で地面を舐めてしまった。

(………麻酔銃でも止められなかっただろうな、この暴走では………―――憐れな………)

 ツヴァイハンダーはもともと刀身が丸みを帯びているので、硬い物とぶつかって切っ先が欠けてしまう心配は無いのだが、
反射的に見下ろした地面がギリメカラの流した体液で染まっていることにフェイはひどく苦いものを感じる。
 我が身を汚す返り血もまた苦いものだった。
 このクリッターも、まさか人間界で躾られた自分が野生の同属と同じ末路を辿るとは思っても見なかっただろう。
 視覚を奪われ、自慢の鼻を丸太のように斬り落とされ、激痛にのたうつ運命は、
飼育主のサーカス団員だって想像していなかったハズだ。
 根元から斬り落としたわけではない鼻を、ほんの少しだけ残った鼻を縦横無尽に振り回し、
身を捩らせるギリメカラを憐れに思わないと言えば嘘になる。
 一刻も早く激痛から解放してやるのが慈悲というものか。
 胸の奥に挟まった苦いモノに顔をしかめ、哀憐の黙祷を捧げながら、フェイは更なる刃をギリメカラに繰り出し続ける。

「あんま笑えないジョークかも知れないんだけど、こいつ、ラドンよりしぶとくない!?」
「………暴走したクリッターは………バーサーカーのようなものと………聞き及ぶ………。
痛み………疲れ………ダメージを感じては………いないのだろう………。
ラドンには………感覚神経が………あった………その差にアンサー………持ち点全部賭け………」
「ブレスやボイスが無いだけラドンよりマシだよ。………生命力の高さ、生きたいと願う意志の強さには全面的に同意するがね」

 “ラドン”とは、過去にフェイチームが打倒したゴールドドラゴンの名称だ。
 南の果てにある忘れられた地――無人の列島ゆえにそう呼ばれる――メルカヴァの遺跡を調査中に遭遇し、
心の準備も無いまま戦闘に突入したのだが、そのときのことを思い出すと今でもフェイは身震いする。
 堅牢な金鱗はツヴァイハンダーでも容易には斬り裂けず、
その尾を掴んだケロイド・ジュースが得意のプロレス技でどれだけ地面へ打ち据えても骨格は丈夫を保ち、
ソニエのプロキシ攻撃すら弾かれてしまった。

 詰め手を封殺されたままの死闘は長期化を余儀なくされ、
三人の生命力が尽きるのが先か、ラドンの生命力が尽きるのが先かの持久戦に縺れ込んだのだが、
最強のクリッターたるドラゴン種にとって鉄壁の防御力など序の口である。

 掴み掛かってくるケロイド・ジュースを跳ね飛ばし、たったの一撃で重傷を負わせるほどの強靱な尾の一撃に加え、
繰り出す度に暴風を伴う爪牙は戦いに巻き込まれた遺跡を粉々に破砕し尽くした。
 聴く者の脳と心臓を直接打ち据え、やがてショック死へ至らしめるとされる“ドラゴンボイス”なる咆哮にも梃子摺らされた。
 フェイ自身、ドラゴンボイスを浴びせられたときは比喩でなく心臓が凍りつきそうになった。
 中でもフェイたちを震え上がらせたのは、地上に生きる数多の生命の体組織を一吹きで崩壊させ、破砕させる絶対零度のブレスだ。
 三人とも即死だけは免れたものの、戦いが終わる頃には三人とも全身が凍傷だらけになっていた。

 ソニエはラドンとの戦いを想い出し、そこに見たエンディニオン最強の生命力とギリメカラのそれを比較しているのだ。
 何度斬りつけても倒れてくれない。どれだけダメージを与えても生命活動を諦めない点では、
最強のクリッターとギリメカラは同格にさえ見えた。
 フェイもケロイド・ジュースも即座に同意する。
 先ほども剣気を爆発させて一定範囲を粉砕する荒業・爆気陣を大樹の如く太い右足へ直接叩き込み、
砕けた骨が露出するような深刻なダメージを与えたのだが、
ギリメカラはまるで利いていないという具合に不能な右足を強引に引き摺り、傷付いた分だけ獰猛さを増して破壊衝動をぶつけてくる。
 実はソニエがギリメカラの視神経へ攻撃を集中させたのもショック死を意図してのものである。
 機械の部分を多分に含んでいるとは言え、クリッターもれっきとした生命体。
脳に直結する視神経へ強烈な痛手を浴びればショック死を引き起こすに違いないと考えたのだが、結果はご覧の通り。
 フェイの爆気陣同様、ギリメカラにどれほどの効果があったかはわからない。
 今度もまた長期戦は必至に思え、フェイは頬を伝って口に流れ込んだ汗を焦りと共に飲み込んだ。


 自分たちですらなかなかトドメを刺せないでいるのだ。
 アルバトロス・カンパニーの面々は更なる苦戦を強いられているのではないかと気遣い、
彼らの様子を目端で追うフェイだったが―――

「アイルぅ、とっととオーキスぶちこめってんだろうが! サム、てめぇもよぉ、ちんたらやってねぇでアイルのガードにつけや。
………あぁ!? ンだその眼は? バリアでガードするくれぇしか能の無ぇハンチクが俺サマに何メンチ切ってんだ? 
死んどくか? ラスを見習えや、ラスを。―――あ、ディアナさんはそのままでいいです、ハイ」

 ―――トキハの指示のもと、それぞれが的確に動いて物理ダメージ緩衝の異能へ対処している。
 礼儀正しいいつもの口調からガラリと変わって乱暴なのは、必勝を期してアルコールを摂取したからに他ならない。
 鋭利な刃で敵を切り刻むローラーブレード型のMANAを有するトキハは、
酩酊した精神と身体の状態を体術に生かす酔拳の技法を取り入れており、酔っ払った状態のほうが戦闘能力を発揮し易いのだ。
 その証拠が見事な采配である。
 千鳥足よろしくフラフラしているものの、誰がどのように動けばガネーシャの物理接触緩衝を突破し、
且つ、効率よくダメージを与えられるか見極めている。
 アルフレッドとまでは行かないものの、軍師の素質が十分に認められた。

 本人から直接話して貰ったのでなくアルフレッドからの伝聞ではあるが、トキハは学者を志しており、
アルバトロス・カンパニーで仕事をしながら通信制で勉学に励んでいるとフェイは聴いていた。
 専攻は聞き漏らしたが、クリッターに関する知識も豊富らしく、また、応用力もあるようだ。
 初めて戦うクリッターであるにも関わらず、トキハは過去に調べた他のクリッターのパーソナルデータをベースにして
ガネーシャの特性から体組織に至るまでを分析し、効率よくダメージを与えられる攻撃パターンだけでなく
重い分銅のような鼻の有効範囲をも看破して見せた。

 分析した結果をトキハが指示し、仲間たちはそれに従う形で攻防を展開しているのだが、彼の読みは恐いくらいに的中。
 大型クリッターとの戦いに慣れていないアルバトロス・カンパニーの面々は、
多分に戸惑いながらの攻防ではあるものの、あれだけフェイの懸念したガネーシャの異能自体に苦戦する様子は見られない。
 それも的確なトキハの指示があったればこそである。
 ガントレット型にシフトさせたドラムガジェットから撃ち込まれるディアナの鉄拳が通用しないことで
ガネーシャの皮膚組成に物理ダメージを緩衝する能力があることを見抜いたトキハは、
即座に攻守を入れ替え、アイルのオーキスで対抗しようと采配を振るった。
 プロキシに近似するオーキスと、それによって形成されるエネルギーミサイルを発射するガイガー・ミュラーであれば、
ガネーシャの防御能力を突破できるのではないかと考えたのである。
 そして、その仮説は的中した。
 アイルの構えたミサイルポッドから発射された火炎の魔力を秘める焼夷弾『ナパームフォトン:サラマンダー』は
ガネーシャの皮膚を焼き払い、ディアナの鉄拳が通じる骨肉を露出させるに至った。
 動力源として組み込まれているCUBEから直接エネルギーを取り込み、照射するニコラスのヴァニシングフラッシャーも
オーキス同様に物理ダメージ緩衝の影響を受けずにガネーシャへダメージを与えていく。

 ダメージが行き渡るのを見届けたトキハは、次にディアナへ散乱するガレキをガネーシャの足元に集積するよう号令を発した。
 「何をおっぱじめようってンだい?」と小首を傾げながらドラムガジェットの剛力を駆使して言われた通りを実行したディアナは、
早くも次の瞬間にトキハの命じた意味へ大きく頷くことになる。
 ガレキの山に足を取られたガネーシャの動きが極端に鈍くなったのだ。
 元より鈍重だった身のこなしへ更なる拍車がかかれば、最早、ガネーシャなど置物同然。
アルバトロス・カンパニーより繰り出される大技の数々を回避できないまま、モロに喰らい続ける状況へ追い込まれた。
 トキハはこれを狙ったわけである。

 博識を応用した分析力と良い、地形の状態を瞬時に見抜いて有効活用する機転と良い、
頭の回転の早さは一学生にしておくには過分で、軍師としてのレベルはアルフレッドに比肩するものと思えた。

「恨むンなら恨ンでくれて構わないよッ! あンたの恨み、受け止めてやンのがあたしらの務めさねッ!!」

 アイルとニコラスの連続正射によって開いた突破口へディアナのドラムガジェットが、
激突と共に大地をも揺るがす重い鉄拳が追い撃ちをかける。
 物理緩衝のアドヴァンテージを焼き払われ、骨身を砕く強撃を喰らわされたガネーシャは後方に聳えていた雑居ビルに激突し、
瓦礫の中に倒れ込んだ…が、ギリメカラ同様に生きようとする執念は高いようで生命活動を終える気配は見られない。
 恨みと痛みをない交ぜにした低い唸り声を上げながら、緩慢に起き上がると憎々しい攻撃者たちを葬るべく反撃の鼻を振り落とした。

 しかし、ガネーシャの反撃は、ダイナソーがエッジワース・カイパーベルトに内蔵されたバリアフィールドを展開させることで
完全にブロックされ、一度たりともアイルたちには届いていない。
 「なんで俺様がアイルなんか守らなきゃならないんだよ…」とぶつくさ悪態をついてはいるものの、
主力として誰よりも激しく立ち回り、また、誰よりもガネーシャの攻撃対象に選ばれるアイルをダイナソーはしっかりとガードしている。
 一歩コントロールを誤れば、仁王立ちして庇った彼女と一緒に轟々たる一撃で粉砕されてしまうのは明らかだが、
臆した素振も見せず、自分に任された役目をこなしていった。
 この戦いで仲間を失わずに勝つ為には自分が何をすべきなのか、彼はきちんと理解しているのだ。
 普段、ヘタレの烙印を押されているダイナソーも戦るときは戦れる男なのである。

 やがてトキハも攻撃に加わり、流れるような動きでもってローラーブレードのMANA『絶影』を繰り出し、
ディアナと共にガネーシャの骨肉へ物理ダメージを重ねる。
 トキハ自慢の絶影はローラーが鋭いエッジとなっており、蹴り込むと同時に相手の血肉を抉り取っていくのだ。
 軌道を読みにくい酔拳の技法でもってこれを繰り出せば、並みの敵は為す術もなくズタズタに切り裂かれてしまう―――
顔に似合わず、相当にえげつない技を使うトキハへダイナソーは何度か震え上がったことがある。
 こいつだけは怒らせないようにしよう…と心に誓っているくらいだった。

 とても表記できないような罵声を交えつつ絶影を撃ち込み続けるトキハであったが、
アイルとニコラスも彼ひとりへ任せきりにはしておらず、砲撃の手を決して緩めはしない。
 四重攻撃に晒されたガネーシャは自分を傷付ける全ての人間へ呪詛を見舞うかのように吼えた。
 吼えて、血走った双眸から涙を零した。
 どうして俺がこのような目に遭うのだ、と絶叫するかの様子だった。

 ヴァニシングフラッシャーの光線に焼かれた額へディアナのドラムガジェットが撃ち込まれたとき、
吼え声は一際高くなり、それを最後に二度とガネーシャが喉を震わすことは無かった。
 巨躯を瓦礫の上に投げ出し、ついにガネーシャは生命活動を終えたのだ。
 筋肉が短い周期で痙攣を見せてはいるが、息を吹き返すことはまずあり得ないだろう。
縋り付いて泣き喚くピエロの願いが通じることは無い。
 懸命に戦っている最中には気付かなかったのだが、ガネーシャの全身は筆舌に尽くし難い損傷を被り、
横たわった瓦礫はたちまち赤黒い体液で塗り固められた。
 酸鼻を極める血の池地獄だった。


「戦いはもう始まってる! 急ごうッ!!」

 アルバトロス・カンパニーも自ら手にかけた憐れなクリッターに同情の念も抱いたし、
せめて黙祷を捧げたくも思ったが、遠く離れたサミット会場から聞こえてくる爆発音を耳にしては、それも叶わない。
 止まない爆音へその意味を与える黒煙が数ブロックを隔てた先で幾筋も立ち昇っているのが見える―――
ジューダス・ローブが襲来してからかなりの時間が経過しているのだ
 一刻の猶予も無い。
 ニコラスの号令を合図に頷き合ったアルバトロス・カンパニーのメンバーは、
自走機械へとシフトさせたMANAに打ち跨ってもと来た道へと引き返した。

「―――アルの加勢に戻りますッ!」

 なにしろフルスロットでの帰還だ。
 すれ違いざまにかけた言葉がフェイたちの耳へ正確に届いているかはわからない。
彼らの表情を読み取る前に瓦礫のストリートを出てしまったのだから確認しようも無かった。
 ただ、遠ざかる背中に二つばかりエールがかけられたことは認めていた。
 ビュウビュウと唸る向かい風に裂かれて確たる形では受け取れなかったものの、
「私たちの分まで頼むよ」「………グッドラック………ツーユー………」と背中を押された気はしていた。

「なにニヤニヤしてんだよ? ニコちゃん、気持ち悪ィぜ」
「ニヤニヤなんかしてねぇよ。………ただ、なんとなくな、いつもよりやる気が出てるんだよ」

 この場を預け、共通の友の為に命を懸ける理由はそれだけで十分だった。

「………こちらも………負けては………おれぬな………とっておきの………ネックチャンスリーでも………決めるとするか………」
「あんな巨体とどーやって首相撲するわけ? ケロちゃんのびっくり実験に付き合ってる暇なんか無いんだけどね」
「ソニエの言う通りだ。既に視力は奪っている。となればヤツは体力だけのデクの坊。
そんなヤツに僕らが遅れを取るわけには行かないッ!」
「なに? なになに? フェイってばいつになく熱くなってるじゃない。
いつもの朗らかさんもいいけど、マジなあなたも―――なかなかイイわね」
「………ほっほう………これまた大胆発言………愛しのハニーに………言わせたい………聞きたい………身悶えたい………!」

 アルバトロス・カンパニーの猛攻を前に倒れた同胞とは違い、ガネーシャは未だに地に伏す気配さえ見られない。
 ツヴァイハンダーを振り落とす度に生命の躍動が活性化され、
暴走に拍車がかかっているのではないかとの錯覚に陥るくらい、ガネーシャは暴れまわった。
 ダメージによる衰えを知らない破壊力は瓦礫を撒き散らしながら、なおもフェイたちへ迫る。

 ツヴァイハンダーを握り締めるフェイの指先は固く強くなっていたが、掛けられる力の根源は、闘志ではなく焦りであった。
 拭い難い焦りがフェイの神経を逆撫でし、そこに生じる震えは指先にまで伝わっていた。

(早く………早く仕留めなければ―――)

 英雄と呼ばれる自分たちが、どうして運送業者如きに遅れを取るのか。
 ドラゴンスレイヤーが梃子摺る化け物を、どうして容易く葬れたのか。

(―――紙の上の知識だけで生きてるような人種に………負けられないだろうッ!!)

 ………どうして軍師と言う存在は、こうも僕の心を掻き乱すのが巧いのだろうか―――。

「敵の脳天を直接狙うぞッ! ケロちゃん、得意のブレーンバスターでヤツの脳天を垂直に落としてくれ! 
僕はそれを狙うッ!! ソニエは僕らの援護をッ!!」
「………これはまた………難題を………言いつけてくれるもの………。
だが………男の子たる者………ハードルは………高いんでなく………ヤバいくらいが………面白い………!」
「いいけど、………ちょっと力押し過ぎない? もう少し策を練ったほうがいいと思うんだけど?」
「小手先の仕掛けじゃ、あの化け物には通じない! ラドンを倒したときだってそうだろう? 
三人の力を結集すれば、勝てるんだッ!!」

 英雄たる自分がツヴァイハンダーを振るうに相応しい場を想い出し、
………英雄たる自分の当たるはずだった脚光を浴びているだろう軍師の姿を瞼の裏に描き、
そこに生まれたドス黒い靄を押し殺すようにしてフェイは唇を噛んだ。

(輝かしい勝利にこそ恒久の平和は導かれるんだ………それを成すのは、英雄でなくてはならない………。
それを成すのが………紙の上の知識に依る者であっては………軍師なんかじゃ………ならないんだッ!)

 血が滴るのも構わずに、強く、強く、………禍々しく、噛みつづけた。







「どう言う………ことだよ………意味わかんねぇぞ………」

 ギリメカラを撃破するなりサミットの会場へ取って返して来たニコラスたちは、
白と黒のコントラストを突き破った先に現れた情景に息を呑み、言葉を失って立ち尽くした。

 戦いは既に終結していた。
 平和の祭典たるサミットを破滅に追い落とし、首脳陣を暗殺せんと企てた世界最凶のテロリスト、ジューダス・ローブは
ヒューの手錠によって捕縛され、今や力なくその場に膝を屈している。
 忌み名の由来となったローブには至るところに赤い斑点が飛び散っており、
複数名を相手に回して被ったダメージの甚大さが窺い知れた。
 誰の眼にも、ジューダス・ローブに戦闘を続けるだけの余力が残っているとは見えない。
 アルフレッドの案じた“ネビュラ戦法”が勝利を収めたのだ―――が、
当のアルフレッド以下、ジューダス・ローブと激闘を演じた誰の顔にも勝利の喜び、
テロリストの野望を阻止した達成感は輝いていなかった。

「………予想が外れていることを何度も願ったんだがな………」

 息を呑んで見守る皆の注目を一身に浴びながら、
アルフレッドは肩で荒く息をするジューダス・ローブのもとへ躊躇いがちに歩みを進めていく。
 ハッと我に返ったフィーナはジューダス・ローブの反撃を威嚇するかのようにSA2アンヘルチャントを構えるが、
距離が狭まっていく二人を見比べる内に一人頭を振り、力無く銃口を下ろした。

「こう言う場合の予想は当たるものなんですよ。アル君は安っぽいコメディなどご覧にならないでしょうがね、
不自然なくらい偶然が一致する低俗な悲喜劇にこそ、私は運命の真理があるものと思っていますよ。
………今みたいに、ね………」

 シェインもフィーナに倣ってCUBEを構え直し、必要とあらば温存しておいたビルバンガーTを発動させる準備も同時に整えるが、
肩へと置かれたフツノミタマの掌に自重を促され、成り行きを二人に任せることに決めた。
 それでもやはりアルフレッドに何かあっては…と心配が尽きないのだろう。
CUBEを収めた掌を落ち着きなく握ったり開いたりしている。

「ブリーフィングのとき、キミは、一度、僕のことを疑いましたよね? ………正直、あのときは背筋が凍るかと思いましたよ」
「………今、決めたよ。お前とは絶対にポーカーはやらない。麻雀だってやらないぞ。………この演技派め………」

 初めて耳にするジューダス・ローブの声は、世界に最凶と知れ渡るテロリストのものとは思えないほど穏やかで、
………とてもよく耳に馴染む聞き慣れた声で………アルフレッドの胸を苦い想いで満たしていく。

「それは私の台詞です。抜け出る隙間も無いような作戦で攻められたんじゃ、ポーカーフェイスの意味もありません。
貴方こそ予知能力を備えているんじゃないですか? 私のような不完全なものでなく、完全なヴァージョンを」
「相性の悪さは互いに認めるところ…か………………………もう止そう。これ以上、遥かに遠い距離を確認するのは御免だ」

 RJ734マジックアワーのグリップに設置された直刀によって引き裂かれた赤斑のローブ。
 顔を隠していたそのローブは、今では覆面の効果を発揮しておらず、
秘匿のヴェールに包まれたテロリストの正体を曇天の下に曝け出していた。

「お前だけではあって欲しくなかったよ―――セフィ」
「………………………」

 そこにあるのは、自嘲なのか、諦めなのか。
 引き裂かれたローブを掻き抱いて薄く微笑みを浮かべるのは、世界最凶のテロリストがローブの底に隠してきた素顔は、
アルフレッドたちにとって掛け替えの無い仲間―――セフィ・エスピノーサだった。

「………………………」
「………………………」

 右の手首に嵌められた手錠が引かれ者の哀憐をアルフレッドに突きつけ、彼はそっと瞳を反らした。
 仲間と信じた青年に…一度は疑い、仲間だからこそ信じようと思ったセフィに手錠がかかる様をとても見てはいられなかった。

 痛ましいのは手首だけではない。
 ほんの二、三時間前までは涼しげだった顔面は青く腫れ上がり、口元や頬には幾筋もの血の跡が見られる。
 ニコラスも見立てたことだが、ローブへ飛んだ赤黒い斑点は全身に及ぶダメージを表していた。
 対テロの必然とは言え、アルフレッドはセフィを罠に陥れ、彼にとっても仲間であった筈の人間を組織して執拗に攻め立てたのだ。
 セフィが心と身体に受けたダメージの深刻さは計り知れず、それを思うとなんとも言えない苦味がアルフレッドを走り抜ける。

(テロリストの心情を鑑みるなんてな………フィーナに説教しておいて、どの口が言うのか………)

 自分は仲間と戦っていたのだ。
 仲間と信じたセフィを、彼と共有するチームメイトの力を結集して強襲した。仲間と信じたセフィに何度となく殺されかけた。
 ………出来ることなら知りたくはなかった事実が、受け止めるにはあまりにも辛辣な真実が、アルフレッドの胸を刺し貫いた。

「ざけんじゃねぇ………ざけんじゃねぇぞ、てめぇ!! 
ってことは何か? てめぇをとっ捕まえようとしゃかりきやってる俺っちらを見物して、
てめぇ、腹ん中じゃ大笑いしてたってかッ!? てめぇを………仲間を信じた俺っちらを裏切って平気だったんか!? 
それとも、仲間じゃねぇって、ハナからそう思ってたんか!? バカを見ろってよぉッ!!」
「ちょ…、おい、ヒューッ!」
「答えろよ………答えやがれ、セフィ・エスピノーサッ!! 黙ってんじゃねぇぞ、コラァッ!! 
エクステをもぎ取りゃいいのか!? そのうざってぇ前髪の先に言い分けが張り付いてるってかッ!?」
「ヒューッ!! ちょう落ち着けやッ!!」
「お前ら、バカじゃねぇの!? なんで落ち着いてられんだよッ!! おかしいだろ!? なぁ、おかしいだろ、普通にッ!!」

 アルフレッドを突き飛ばして二人の間に割って入ったヒューは、怒りに任せてセフィの胸倉を掴み上げた。
 詰問とか尋問とか、そんな生易しい様子でなく、
怒りに狂った掌はセフィの頚椎をへし折ってしまい兼ねない強烈な力が加えられていた。
 驚いたローガンが咄嗟に羽交い絞めにして止めていなければ、どれだけ惨たらしい結末を迎えていたか解ったものではない。
 それはフィーナとシェインの二人がかりで抑えられるハーヴェストにしても同じだ。
 彼女もまた裏切りへの怒りが爆発するままにセフィへ飛び掛ろうとしていた。
 両者に違いがあるとすれば、純粋に正義の怒りに燃えるハーヴェストの瞳には断罪の炎が宿り、
ヒューの瞳にはうっすらと悔しげな涙が浮かんでいる点か。
 同じ興奮状態でも、透けて見える心の在り処は大きく異なっていた。

「怪我人を相手に暴力で詰め寄るのは正しい行いとは思えません。それは平常心を失った方にしても同じこと。
………すれ違いの無いよう公明な話し合いの場を持ちたいのであれば、お互いの異常を正した上で円卓に就くことをお勧めしますわ」

 興奮状態にあるとは言え、ヒューもハーヴェストも判断能力は欠如していない。
 99%の興奮に支配された思考回路の中、残る1%で制止の言葉が語らんとする意味を理解し、
一方的な詰問では本当に得たい情報を引き出すことはできないというネゴシエーションの基本原則、
怪我人に対する暴力はテロと同義であるという正義の在り方と照らして短慮を恥じ、
促されるままに身を引いたのが何よりも証明である。

 誰の説得か知らないが助かった…と救いの主を声のした方に求めると、そこには薬箱を手に近付いてくるマリスの姿が見つけられた。
 おそらくフェイ――この場合は“恐い人”か――がいないか確認しているのだろう、
微かに震える指先でマリスのスカートの裾を掴みながら辺りを忙しなく見回すルディアの姿もある。

「マリス………ルディアまで………」
「アルちゃんには申し訳ないと思ったのですけれど、ゲートの向こう側にずっと控えておりましたの。
怪我人が出てしまったなら、わたくしが介抱しようって。………大事な戦いで少しでもお役に立てたらって………」
「危険は冒すなと言っておいたのに………」
「申告―――いや、自供する手間が省けて私は助かりましたけどね。
………心の準備が出来ないまま正体を知られてしまったのは、いささか心苦しいですけど」

 自嘲めいた笑いを漏らすセフィだが、喉の奥で固まった血がつかえたのか、苦しそうにゴホゴホと噎せ返る。
 咳をした拍子に喉の奥から地面へ新たな赤斑が撒かれ、思わずフィーナは手を差し伸べそうになる。
 それより早くマリスの右手がセフィの背中へ伸ばされ、咳が落ち着くまで優しく擦ってやった。
 いたわりと気遣いが伝わるマリスの掌は仲間に対して向けられる優しいもので、
これまでと何ら変わらないその行為は裏切りの負い目を抱くセフィには苦しかった。

 マリスに手当てされる間、セフィはずっと複雑な笑みを浮かべたまま黙りこくり、
彼を包囲したアルフレッドたちもその様子を無言で見守る。
 掛ける言葉を継ぐことの許されない厳かな静寂と曇天とが奇妙なほど合致し、
腹立たしいくらいお誂え向きだとヒューは口元を歪めた。


 手当てが終わり次第、セフィの運命は一瞬の静けさも失う。
 テロリストとしての活動を非難され、糾弾され、命の続く限り弾劾され続け、穏やかな時間は、最早、安寧の闇にしか得られない。
 ………極刑の末に訪れる終末と言う名の安寧にしか。
 嵐の前の静けさという言葉があるが、それはきっとこうした静寂を指すのだろう。見上げた空は曇っているに違いない。

「だから何だよ………」

 取り留めも無く流れ込んで来た愚にもつかない考えをヒューは心の中でくだらねぇと吐き捨てた。
 冷静にセフィの裏切りを見つめるよりも怒りに身を任せて処断してしまったほうがどれだけ気が楽だったか。
愚にもつかないことが浮かぶほどに自分が冷静さを取り戻したことが、ヒューには腹立たしかった。

「一つだけ確かめたいことがある」
「俺っちは山ほど確かめてぇことがあるけどな」

 ヒューの悪態を目で窘め、自分も肩膝を突きながらセフィと視線を合わせる。
と言っても彼の瞳は赤いエクステに覆われていて確かな位置はわからないのだが。

 努めて穏やかに、静かに、アルフレッドは問い掛ける。
 別に静かな声色を心掛けたわけではない。
 自分でもてっきりヒューやハーヴェストのように激昂すると思っていたのだが、
何故だか不思議と冷静さが生まれ、心静かにセフィと向き合えたのだ。

「どうして無理に今日を選んだんだ? 切り札の予知能力を封じる策があることは知っていただろう? 
いや、そもそも予知の力があるなら、この結果も見通していたはずだ。
………なのに何故、今日を選んだんだ?」
「私の予知能力も万能ではありませんからね。
………最初から無様を晒すとわかっていれば、一張羅なんて着てきませんでしたよ」

 予知能力を封じる罠が張り巡らされる中、失敗の危険性を押してまで今日―――
12月8日に暗殺計画を決行したことがアルフレッドにはどうしても解せなかった。
 それと言うのも12月8日に強行する理由が無いからだ。
 堂々とブリーフィングにも出席し、こうなる事が予測できた筈のセフィが何故、危険を承知でテロ行為を強行したのか? 
 首脳陣の暗殺が目的であったとしても、それだけの予知能力があるのなら、危険を避けて日を改めれば容易に遂行できた筈だ、と。
 見回す限り敵に囲まれた状況下で強行するなど、緻密なテロ計画を立てるジューダス・ローブには似つかわしくないとも思える。
 あらゆる点で12月8日の決行が腑に落ちなかった。

 ジューダス・ローブは噂される通りの愉快犯で、自身を危険に晒すことにまで快楽を覚えているのだとすると話は別だが、
裏切りこそ働いたものの、セフィの人格がその域にまで破綻していないことをアルフレッドは願っていた。
 ジューダス・ローブの正体に願いを打ち砕かれたばかりではあるが、それでも…だ。それでも願わずにいられない。

 アルフレッドに問われてから僅かの時間、セフィは逡巡した様子で言葉を詰まらせた。
 全てを打ち明けようとする意志は見られるのだが、まだ自分の中で踏ん切りがついていないらしく、
マリスによって包帯の巻かれた右手を、同じように白く固められた左手に打ち付ける仕草を繰り返して
心の動くタイミングを計っている―――そんな様子である。

「………今日しかチャンスが無かったんです………」

 時間にして二、三分なのだが、待つ身には長く長く感じられた逡巡を経て、セフィは擦れ声で少しずつ少しずつ言葉を紡ぎ始めた。

「今日を外せば、“彼ら”によってエンディニオンは崩壊させられる。だから無理を押し通したのですよ。
失敗のリスクを度外視して、ね」
「………“彼ら”?」
「私が殺害しようと付け狙った腐った連中ですよ。自己保身しか頭に無い最低の人間だ。
彼らが“あの勢力”と結びつけば確実にエンディニオンは終わる。………何があってもそれだけは食い止めたかった………」
「いちいち思わせぶりにやってんじゃねぇッ! “彼ら”の次は“あの勢力”ぅッ!? 
のらりくらりやってねぇで単純明快に喋れや、ボケがッ!!」
「はいはい、オヤジは黙っていよーな。………こっちは抑えとくから、アル兄ィ、進行よろしく」
「進めるにしても、俺だってフツノミタマに賛成なんだぞ。セフィ、一体、何のことを言っているんだ?」
「世界を終わらせる二つの鍵ですよ。一つは“彼ら”、もう一つは“あの勢力”―――二つの鍵が揃ったとき、世界は終わる。
それが僕の視た未来図です。僕のトラウムが捉えた、ね………」
「………………………」

 言いながら指を弾いたセフィの頭をヴィトゲンシュタイン粒子が包み込み、
光の帯が弾けた後には銀の光沢を放つバイザーが彼の顔の上半分をすっぽりと覆っていた。
 一見、兜のようにも見える武骨な造りのバイザーは、ゴーグル部分のフィルターが淡い燐光を発しており、
効力を知らない者の目にも何らかの曰くと特別な意味があることは明白だった。
 そして、それは十中八九、ジューダス・ローブの切り札とされた予知能力であろう。
 セフィはこのバイザーを自身のトラウム『ラプラスの幻叡』と説明し、
一旦、言葉を区切ってから「このトラウムが予知能力を秘めている」と付け足した。

 長い間、ジューダス・ローブの持つ予知能力は視覚情報に予知を付与するアルタネイティブ型と予想されていたが、
身体強化ではなく予知能力を搭載したバイザーを装着するマテリアライズ型だったようだ。
 それに予知能力という極めて特異な機能を有するトラウムだけあって使用に際しては体力の消耗が激しいらしく、
紹介の為に具現化させた『ラプラスの幻叡』は、武骨なフォルムを一瞬だけ見せ付けるとすぐさま光の粒子となって散ってしまった。
 あらゆる疲労、あらゆるダメージを全身に被ったセフィではトラウムの形を維持するのも困難な状態なのだ。

 少なくともこの場においてはもうラプラスの幻叡が発動できないことを確認したアルフレッドは密かに胸を撫で下ろした。
 “ネビュラ戦法”が奏功してどうにか追い詰めはしたものの、ここで予知能力を発動された場合、
セフィを再び逮捕できる自信が無かった。
 “ネビュラ戦法”を再動させるにはメンバーが一箇所に密集し過ぎており、不意を突かれて逃げ場を予知されたなら、
今度は包囲網を敷く前に取り逃がすハズだ。
 何より、もう一度セフィと―――仲間と相撃つことだけは避けたいと言うのが本音である。
 最大の武器を封じられた以上はセフィも無理はするまい。

 燐光の中から現れ、僅かの内に消えていったラプラスの幻叡の明滅を睥睨するヒューの心情は、アルフレッド以上に複雑のようだ。
口元は忌々しげに捻じ曲がり、眉間の皺が険しさを刻んでいる。
 数多のテロ行為を犯し、幾度も逮捕の手を免れた切り札たるラプラスの幻叡は、
ヒューにとって最大の障害・天敵とも言うべきものだった。
 ラプラスの幻叡に味あわされた過去の苦渋を振り返ったとき、正体見たりと気安く喜べない想いが浮かんだに違いなかった。

「僕は“あの勢力”に与してエンディニオンに災いを振り撒く者が許せなかった。………だから排除を………」
「だからはこっちの台詞よ! 結局、“あの勢力”ってのは何なの!? また新たな悪の勢力!? 
よもや私向けの悪の秘密結社かしら!?」
「ハーヴの言い分はともかく………なあ、セフィ、お前の言っている意味が俺には――――」


 ―――そのときである。
 尋問を煙に巻くかのように謎掛けめいた預言を続けるセフィへ困惑するアルフレッドの背後でこれまでで最も大きな爆発音が轟いた。
 サミットを混乱させる為にセフィが貧民らを買収して投擲させた爆弾とは桁が違う。
 都市破壊を目的とした大型爆弾が投下されたような、凄まじい爆発音がルナゲイトを揺るがした。

 轟いた瞬間には“爆発音”と聴く者の耳へ響いたものの、時間が経つにつれて炸裂とは全く種を異にしたものだったと気付き、
隕石でも落ちたかのように地表が張り裂ける激音だったと振り返るのだが、そこへ至るまでにはまだ数時間もの猶予がある。
 それに晒されたばかりの彼らには、“爆発音”こそが凶兆の銅鑼だった。

 “爆発音”から遅れることコンマ1秒後に走った烈震など「爆裂に伴う振動」というレベルを超えて大きく、
奥歯に物が挟まったような物言いばかりのセフィに業を煮やし、詰め寄ろうと前傾姿勢となっていたハーヴェストは
激しく上下した大地に足を取られてバランスを崩してしまった。
 咄嗟にローガンが支えていなかったら、今頃は尻餅をついていただろう。

 “爆発音”がしたのはセントラルタワーの立つ方角―――此処、“ケーン記念公園”の後方だ。
 その方角を慌てて仰ぎ見たアルフレッドの顔から瞬時に血の気が引いていく。
 アルフレッド一人ではない。彼と視線を一にする誰もが我が眼を疑い、言葉を失った。
 ………セントラルタワーは、今、地上数千メートルもの全長を覆い隠すような砂埃に塗り潰され、巨塔の影すら見られなかった。

 誰しもの脳裏に最悪の事態が過ぎる―――セントラルタワーが爆破・崩落されてしまったのではないか、と。

「これは………―――セフィッ!?」
「もうやめて、セフィさんっ! これ以上、犠牲を増やしてもどうしようも―――」

 首脳陣らを抹殺すべくセフィが仕掛けた最後の爆撃か―――
誰もがそれを疑い、敗北の後にまで悲劇を続けないよう皆を代表してフィーナがセフィへ訴えるが、
悲鳴にも似た呼びかけは語尾を待たずに途切れてしまった。
 セントラルタワー付近で爆発を起こしたのは――あるいはセントラルタワーを爆破したのは――セフィでは無かった。
 セフィとは考えられなかった。

「………恐れていたことが………」
「セフィ………?」
「………招かれざる災厄が………」

 もしもセフィが最後の爆破の犯人ならば、こんな表情を作るわけが無い。
 狼狽、混乱、恐慌―――混沌を意味する全ての感情と、絶望を意味するあらゆる絶叫を内包した面で
セントラルタワーを睨めつけるセフィが、どうして犯人に思えようか。

「―――鉄巨人が降り立つ………ッ!」




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