12.What Kind of Day Has It Been


 招かれざる災厄―――セフィは目の前に現れた存在をそう言い表した。
 その意味が理解できない、いや、目の前に現れた存在そのものが理解できないフィーナたちは、
“災厄”という言葉はどこか別次元より来たる異物のように思えて、意識の遠くに聴いていた。
 鉄巨人―――セフィはこうも呟いていた。おそらくそれは、セントラルタワーの傍らに起つ巨大な影を指すのであろう。
 それでは、かの存在は、エンディニオンに生きる全ての命を調伏せしめる為に舞い降りた巨人だと言うのか―――
天衝く其の巨影を仰いだアルフレッドは、自らの記憶の底に眠る“巨人”の寓話を想い起こし、
それが為に心臓が凍り付くかのような畏怖で貫かれた。

 凄まじい勢いで烈風を放出するかのような轟音が耳を劈いた直後にルナゲイトの町を熱波が一撫でにし、
その熱波がセントラルタワーのシルエットを塗り潰して逆巻いた粉塵を四方へ散らした。
 熱波を受けてよろめきながらもなんとか踏み止まり、熱波の根源を辿ったアルフレッドの視線の先には、
不可視のヴェールが払拭され、“爆発音”に晒されるまでと何ら変わりないセントラルタワーが確認されたのだが―――

「おい………なんだよ………あれは………セフィのドッキリか………? ドッキリ………だよな………?」

 疲弊の為に満足な身動きも取れないセフィを熱波から庇ったヒューも状況を確認すべくアルフレッドたちと焦点を合わせたが、
その瞬間に思考がフラッシュアウトし、我知らずRJ736マジックアワーを取り落としてしまった。

「アル………、ねぇ、私たち、夢見てるのかな………、だって………あんなもの………あんな………………………」

 剥ぎ取られたヴェールの先に威容を現出させたのはランドマークたるスケルトンの巨塔だけではなかった。
 セントラルタワーの傍らには、“爆発音”が発生するまでは影も形も存在していなかった筈のオブジェクトが屹立していた。

「ビルバンガーなんてハナクソだぜ………アレに比べたら。
………わけわかんないよ………あんなん………スーパーロボットじゃんか………」

 いみじくもそれは、セフィが喩えた通り、伝説上の巨人のようにも見えて―――

「コ…カ?! カカカカカカ!? カカカーカカカカカカッ!?」

 ―――けれど、ガンメタルに輝く鋼鉄の巨躯は、空想世界に視る巨人など比べ物にならない威圧をエンディニオンへ輻射していて―――

「巨人と小人の世界は寝物語の中にのみ在るもの………。
空想を夢に視る子供の安らぎと情緒を育む為にある素敵な偶像なのに、これはどういうことなのでしょう………。
絵本の国から未来の宝を脅かす漆黒の魔神が飛び出したと言うのですか………っ?」

 ―――アルフレッドのみならず、ルナゲイトに在る全ての人々を恐慌に陥れた―――

「へ…へへ…ジョーダンきついぜ。まさか、アレと戦えってんじゃねーだろな。
そんなことになったら、悪ィが、俺サマは抜けさせて貰うぜ」
「敵前逃亡とは情けなや。所詮、貴様はその程度の男だったか」
「足ガクガクさせながらナマ言うンじゃないよ、アイル。サムの判断は臆病なンかじゃない。正しい判断さ。
………あンなデカブツ相手にじゃあ、あンたはどうやって戦るつもりだい?」

 ―――視覚を通り、脳を伝達し、全身へ回る毒のように平常な神経を侵し、仰いだ者全ての精神を破綻させていった―――

「チッ! イライラカリカリしやがるぜッ!! 敵に背中見せるのは趣味じゃねーんだがよォ〜ッ!!」
「大変な状況に追い詰められたら“酔いが冷める”とは良く言うが、そう上手いこと出来ちゃいねぇみたいだな。
………トキハ、お前、一度そこらへんで吐いてこい。でないと途中で―――逃げる途中で大変な目に遭うぞ」

 ―――“鉄巨人”。
 ………ルナゲイトへ、世界へ狂乱を振り撒く災厄の化身を指してセフィは“鉄巨人”と呼んだ。

「アルッ!! …聴こえてるか、アルッ!? 何が起きたか調べる必要はあるだろうが、ここは一旦引くべきじゃねぇか? 
万一、あれと戦うことにでもなった日には、命が幾つあったって足りねぇぞッ!?」

 夢でも幻でもいい。せめて現でだけはあってくれるな。願えば願うほど、視覚より伝わり脳を焦がす“鉄巨人”の威容は、
頬を舐る熱波の余韻をもって現実の質量を生み出し、受け容れ難く首を振る者たちへ無慈悲に圧し掛かる。

「わかってる………ああ………わかってるよ、ラス。………だが、………だが、こいつは、一体………………――――――」

 セントラルタワーをも超越する威容を称えた鋼鉄の巨人が、
ルナゲイトを震撼させる“爆発音”を伴って何の前触れもなく現れた“鉄巨人”が、
エンディニオンを遥かな高みより睥睨していた。

「一体何者なんだッ!?」

 漆黒の甲冑を身に纏った鋼鉄の巨人は、シルエットだけ見れば騎士のように見えなくも無いが、
胸部と腹部が前後左右へ歪に張り出しており、頭部もデタラメに大きい。
 地上からでは漠然としか見えないが、兜の端々にアンテナらしき機械がいくつも設置されているようだ。
 歪なフォルムは頭部、と言うよりも空母の管制塔に近いとさえ思える。
 顔に当たる部位が三面も存在する様相も不気味であるし、
正面に微笑、右面に憤怒、左面に冷血とそれぞれ異なる表情を浮かべていることも、
何か底知れぬ怖気をアルフレッドたちに走らせた。

 頭、胸、腹と歪な膨らみにばかり目が囚われるが、面妖なのは一部分に留まらず、
粉塵散って判然としたシルエット自体も“鉄巨人”―――つまりヒトの類型とカテゴライズするには畸形が過ぎる。
 スカート状に広がった腰から下の具足には神に仕える聖烏を彷彿とさせる三本の足が確認され、
そのいずれもがヒトの四肢とは似ても似つかなかった。
 後方に伸びた“後ろ足”は二本。鳥の足のような弓なりの関節と細身が特徴だが、可動部分に無数の対地砲門が確認できる。
 前方を支える“前足”は一本。犀のように武骨で重厚。
幾重にも鋼の板で固められた“前足”には、砲門の代わりに自走機械が発着するハッチと思しきシャッターが、やはり無数に認められた。
 “後ろ足”との最大の違いはその太さだ。
 マコシカの神話に伝わるレインツリー(太母の樹)の幹は、エンディニオンに根差す全ての木々を集めたくらいの太さを誇ると言うが、
直径にして数kmにも及ぶ“前足”の大きさには、断じて違うと否定しつつも、その言い伝えを重ねてしまう。
 “後ろ足”の砲門がいかなる砲弾を搭載しているかは知れないが、
そのような物に頼らずとも“前足”を踏み出すだけで地上の制圧は容易いのではなかろうか。

 胴体の輪郭線などが辛うじてヒトのシルエットは留めているものの、
見れば見るほどヒトにあらざる存在だとの思い―――いや、恐怖が強まる。
 手に手に武器持つ腕は左右三本ずつ張り出していた。一番上の腕の付け根はとりわけ厚く甲冑で固められ、
その背面には突起を四方へ伸ばしたような形状のジェネレイター…所謂、エネルギーの発生装置が装備されている。
 左右のジェネレイターの狭間にはプラズマが発生し、円を描いた烈閃の帯は悟りを得た聖人が背に負うとされる後光を思わせた。

 『ブクブ・カキシュ』―――今はまだアルフレッドたちがその名を知る術の無い“鉄巨人”を指差し、
生命体と疑う声はどこからも誰からも挙がらなかった。
 自分たちと同じ命を持つ存在(もの)とは、到底受け容れられなかった。

「………“鉄巨人”とはよくセイったもんだ。ザットはまるで『カチナ』だヨ」
「―――カチナ、だと………」

 ホゥリーが『カチナ』と呟くのを耳にしたアルフレッドは、脳天を叩き割られるような衝撃を受けた。
 マコシカの民のように古代の文献へ親しむ機会には恵まれなかったものの、
そのアルフレッドですら『カチナ』の名は耳にしたことがあり、だからこそ、身の毛がよだつ程の恐怖に震えているのだ。

 カチナとは、ルーインドサピエンス(旧人類)時代に建造されたとされる機械兵器の一種であった。
 四肢で大地を駆る節足動物、二足歩行して武器を取る人型など用途に応じて種々様々なタイプが開発されたが、
いずれにも共通するのは、地上のあらゆる生物を寄せ付けぬほどの圧倒的な戦闘能力だ。
 古より残る伝承によれば、眼光鋭く一睨みするのみで大地を、海を、天をも焼き払ったと云われており、
ルーインドサピエンスが誇る究極兵器の一角にも数えられていた。
 実態として確認されていない上、伝承の領域を出ていないにも関わらず、
カチナが備えているとされる戦闘能力は、アカデミーの講義でも優良なサンプルモデルとして引用されていた。
 悠久の時を経た現代に於いても存在感を示すことそのものが、カチナの威力を如実に物語っていると言えよう。
 鉄巨人を目の当たりにしたマリスは、セントラルタワーに並び立つ威容をおとぎ話の世界に喩えていたが、
それこそがホゥリーの言うカチナであった。

「それじゃあ、何か? カチナが蘇ったとでも言うのか!? あれは伝説上の―――」
「落ち着きなって。まるでカチナみたいとはトーキングしたけど、アレは全くのアナザー物サ。
少なくとも、マコシカの言い伝えに残るカチナとはフォルムから何から全然合致してナッシングだヨ」
「ならば、あれは一体、何だと言うんだッ!?」

 尤も、ホゥリーは鉄巨人をカチナとは全くの別物であると見極めたらしい…が、
その判断がアルフレッドにとって幸いであったかはわからない。
 状況の整理と言う点に於いては、あるいはカチナの現出であったほうがまだ救われていたかも知れない。
 正体さえ判然としたのなら、伝承の彼方より蘇った超兵器に対処するのは難しくとも、
眼前で起こりつつある状況を受容する端緒にはなった筈だ。
 マコシカの叡智を以ってしても計り知れない脅威が現れ、その恐るべき存在をセフィは『招かれざる災厄』と呼んだ―――
ふたつの事実が、圧倒的な現実が、アルフレッドを呑み込み、押し流し、これに耐え得る力をもこそぎ落としてしまった。
 戦局を判断する材料となる情報も、作戦立案の要たる知恵や機転も、今や通用するものではない。

(ルナゲイトに………エンディニオンに………何が起ころうとしているんだッ!?)

 懸命に事態の把握に努めようとするアルフレッドだが、万人と等しく恐慌を来たした思考回路へ軍師の理知が宿るべくも無い。
 状況を整理しようとすればするほど、人智を越えた異常な情報が乱麻し、理性を錯綜させてしまうのだ。
これでは仮説を求めることさえ不可能である。

「―――アルッ!!」
「今度は何だァッ!?」

 一向にまとまらない考えに焦れていたアルフレッドは横から割って入った呼びかけに思わず声を荒げて返してしまった。
 それは、怜悧冷静な彼が初めて見せる狼狽しきった姿だった。
遠吠えのような声は裏返り、掻き毟られた銀髪はボサボサに乱れている。

 アルフレッドのあまりの取り乱し方に、怒号で返された青年は肩を竦めるのも忘れてきょとんと目を丸くした。
 だが、目を丸くするのは彼を取り巻く周囲の人々も同じだ。アルフレッドとて、返した端から呼びかけの主に目を丸くする。
 ルナゲイトの市街地と面した南のゲートから飛び込み、蒼白な顔色で駆けつけたのはネイサンだった。
 戦端を開く前に浴びせられた爆撃にでも巻き込まれたのか、一張羅と語っていたベストやジーンズは埃まみれ、
シャツのあちこちが血の跡で汚れていた。

「ネイトさんっ! 無事だったんですね! 今までどこで何を………」
「瓦礫の下敷きになりかけたり、危うくペチャンコになりかけた人を九死に一生スペシャルしてたり―――
じゃなくて! そんな場合じゃなくて! 大変なんだよッ! シャレになってないんだッ!」
「これ見てシャレで済ますバカがいたら会ってみてぇわいッ!! とっくの昔にシャレになってねぇだろうがッ!」
「あのデカブツのこと!? アレじゃなくて! い、いや、アレも関係ありそうなんだけどさッ! 緊急事態だよ、緊急事態ッ!」
「ちょっとプリーズ、待ってくれヨ………、すっごいアウチなトークアラウンドじゃナッシン? 
まさか、ナウのシチュエーションよりバッドなニュースをポストインするつもりじゃあ………」

 焦りに焦って何から話せばよいのかも混乱しているネイサンの様子から嫌な予感を覚えたホゥリーが
ゲップと一緒に嘆息を吐き捨てた直後、言葉へ紡ぐより先にネイサンの告げようとしていた緊急事態がアルフレッドたちに降りかかった。

「――――ッ!?」

 “鉄巨人”の威容に立ち竦んでいるアルフレッドたちの足元に、突如として幾筋もの光の帯が降り注いだのである。
 ―――芝生へ落ちた輝きが鋭くフラッシュし、儚く散った瞬間には、
光の帯が何を意味するのかも、何が起きたのかも、誰にもわからなかった。
 ただ焦げ臭いと思っただけだった。
 何かを焦がしたような異臭は光の瞬いた足元から漂っており、視線を落とした先の芝生には小さな焦げ目が見つかった。

「わたくしは銃器の知識はクラスメートより幾分劣っていましたが、これは…これだけは見覚えがあります。
………アルちゃん、これは………」
「まさかと思うが、………いや、しかし………この焼け方にあの光線………―――」

 何かのプロキシでも降ったのかとフィーナたちは見たこともない現象に顔を見合わせて戸惑う。
 とりわけアルフレッドとマリスの困惑と焦燥は他の仲間たちと比べて遥かに大きく、
焦げ目を指先で撫でて焼け方を隅々まで確かめている。
 二人だけが芝生に焼きついた光の帯の跡に見覚えがあった。
 
 ………これは、そう、アカデミーの実習で見たことのある焦げ方だ、と。

(―――そうだ、『ハウザーJA-Rated』………! アカデミーの実習で使った光線銃とそっくり同じなんだ、この焼け方はッ!!)

 うっすらボヤけた疑問が記憶の深遠で眠っていた答えへと行き着いたとき、アルフレッドの脳裏に閃くものがあり、
困惑したまま立ち尽くす仲間たちへ「何かに隠れろッ!! これは攻撃だッ!!」と大音声で警戒を呼びかけた。


 ジューダス・ローブの起こした爆発によって瓦礫と化し、
程よくバリケードへ使えそうになった円卓残骸の裏に訳もわからず隠れたフィーナたちだったが、
すぐに軍師の判断が正しかったと思い知ることになる。
 アルフレッドの号令を見計らったかのようにして新たな光線がサミット会場へ降り注いだのだ。
 それも最初に芝生を焦がしたものなど比べ物にならない夥しい量の光が、横殴りの雨となって吹き付けた。

 ハウザーJA-Ratedとは、“JA=Jast Another=ジャストアナザー”―――
つまり一般に普及していて汎用性の高い歩兵用装備の光線銃である。
 そんなものを撃ち込んでくる輩が友好的なわけがない。武装者であるのは正体を確認するまでもなく明白だ。
 確実に第二、第三の斉射が行なわれると判断したアルフレッドの機転が仲間たちの命を救ったのである。
 スコールの如くサミット会場へ降り注ぐ光の洗礼は、ハウザーJA-Ratedなる光線銃から発せられる一種の攻撃性レーザーであった。
 仲間たちの安否を気遣いながら光の洗礼を観察していたアルフレッドは、ついに己の見立てに確信を得、
それ故に当惑の色を濃くしていく。

 SA2アンヘルチャントを右手に構えたまま仰臥して辺りを窺うフィーナの面には不安と恐怖が、
見ようによっては美しい軌跡を描くレーザー光に目を奪われるシェインの面には、
この非常事態にも関わらず好奇が、それぞれ浮かんでいる。
 フィーナはともかく、シェインの場違いな表情に呆れたフツノミタマがそれを見咎めようとしたが、
彼の頭へ伸ばしかけた手が、小突く寸前に動きを止めた。
 フツノミタマに小突かれる前にシェインの表情が怒りと後悔に塗り変えられたからだ。

 初めは美しい軌跡に目を奪われたシェインだが、光線の持つ殺傷力に気付いてしまっては好奇を滾らせてはいられない。
 逃げ送れた警備員たちの胸を、腹を、光の洗礼は無慈悲に焼き払い、尊い命を一瞬にして蒸発させてしまったのだ。
 それだけでも許し難いことなのに、ハウザーJA-Ratedから発せられる攻撃性レーザーには一片の容赦も見られなかった。
 ジューダス・ローブとの戦いにせよ、これまでの戦いにせよ、一行が臨んだ戦いの全ては、
相対する敵があって初めて成立し、そこに意志の介在を見出すことが出来た。
 解り合うことの叶わなかった戦いも確かにあった。しかし、それでも彼らは人対人として戦いに向き合ってきたのだ。

 しかし、眼前で繰り広げられる怒涛の銃撃は、相対する敵と言うものを全く想定していない。意志の介在も必要としていない。
 目に入った標的をただただ駆逐する“作業”だった。
 標的が何人絶命しようが、何ら感慨を抱きはしない。極めて作業的に銃撃は行なわれていた。

「こいつらだッ!! こいつらがッ、このわけわかんないヤツらがどこからともなく急にッ! ルナゲイトの街中に雪崩れ込んできたんだよッ!!」
「ホントにやべぇコトは先に言えよ、ボケェッ!!」

 フツノミタマに横っ面を殴り飛ばされたネイサンが説明するには、
ジューダス・ローブの攻撃が止むのと殆ど同時にルナゲイトの市街地へ大量の武装者が雪崩れ込み、
ハウザーJA-Ratedでもって都市征圧を行ない始めたと言う。
 初めて見る武器、初めて見る武装者たちに困惑した市民の中には抵抗を示す者も幾人か見られたが、
そう言った手合いは容赦無く射殺されてしまったともネイサンは苦々しく付け加えた。

 四振りの刀剣を天に掲げたエンブレムが肩へ刺繍された軍服に身を包み、
鞣革の軍靴を打ち鳴らす謎の部隊によってルナゲイトが征圧されようとしている―――と。
 彼らは道化師を彷彿とさせる仮面で顔を隠している。
仮面の下に隠された“表情”を確かめることはできず、そのことがトリガーを引くことに作業性のようなものを思わせる。

「なんなの、あの人たち………、見たことも無い恰好だし、いきなり撃ってきたし………」
「揃いの装いに同型のライフル装備………組織的な戦力と見て間違い無いが、テムグ・テングリじゃないことだけは確かだ」
「テムグ・テングリと違うことがわかったって、根本的な解決になってないよ!」
「そうだ………ヒュー! お前のファイルにあの連中のデータはあったか!? 俺たちが知らないテロリストか何かなのか!?」
「わからねぇッ!! 情けねぇ話だが、あんな連中も、タワーと睨めっこしてるデカブツも、俺っちのファイルにゃ載っちゃいねぇッ!! 
………ここから生きて出られたら、俺っち、探偵廃業するかもだぜ。ネタ帳の自信、喪失(なく)しちまった!」

 敵兵の装いから組織的な戦力と分析したアルフレッドだが、彼らの軍装はエンディニオン上で見覚えが無く、
推察はたちまち手詰まりとなる。
 道化師のような仮面、四剣を模ったエンブレム、揃いの軍服と特徴だらけにも関わらず、だ。
 目的もわからないまま、全ての兵が高度の戦闘訓練を受けていること、
集団戦法に長けていることにしかアルフレッドは確信を持てなかった。

 エンディニオン上に確認される組織的な戦力と言うと、真っ先にテムグ・テングリ群狼領が挙げられるが、
彼らは騎馬を種とした機動性重視の部隊である。
 仮面の兵団のように執拗な銃撃を行なう暇があったら馬を駆って直接斬りこみ、駿速果断の内に決着をつけるのが、
テムグ・テングリ群狼領に生きる戦士たちの気風であった。
 戦い方、気風…いずれも仮面の兵団はテムグ・テングリ群狼領とは似ても似つかなかった。
 テムグ・テングリ群狼領と件の兵団とが最もかけ離れていると判断できた材料は、
エルンストを筆頭とする草原の馬軍は戦いに誇りも持っている点だ。
 シェインが憤りを抱いたような作業的な殺戮をテムグ・テングリ群狼領の戦士は決して行なわない。
 相対する戦士への礼儀を欠く行為は、テムグ・テングリ群狼領では卑怯者の所業であると固く禁じられている。
何よりも戦士の誇りと魂を宿したエルンストたちが、刃を合わせる格闘者を軽んじることなど考えられなかった。

「もっとイージーにシンキンしたら? ヒップにファイアなシチュエーションなんだしィ。
ヘッドお気に入りのアルがウルフどもに襲われるクライシスパーセンテージはパーペキにゼロじゃナイ。
こんなことまでいちいちシンキンしなくちゃダメなダメヒューメンだっけ?」

 様々な照合、検証を経てハウザーJA-Ratedを携えた仮面の兵団が、
エルンストの率いる馬軍とは全く異質な部隊であるとの結論が出された…が―――

「こらアカンな………。ネイト、お前さんはそろそろリュックを開く準備しといたほうがええで? 
ぎょーさんスクラップ持って帰れるで」
「ちょっとちょっとちょっとーッ!? 命に直結するような不吉なコト、言ってない!? 
………え? もしかして、バリケード、もうヤバいの?」
「ワイのホウライで補強したらもうちょい保つかもやけど、
まあ、それに期待するくらいやったら、遺書したためるほうが早そうやな」
「有価物を仕舞う前に僕のほうが廃棄物になっちゃうじゃんか、それッ!! 
トリーシャーッ!! 骨は有価物畑に撒いてくれーッ!!」
「うるせぇぞ、そこの死にたがり二匹ッ!! そろそろ黙らねぇと蜂の巣になる前に首刎ね飛ばして始末すっぞッ!? 
ガキを怯えさすようなコト、抜かすんじゃねぇッ!! ガキをよォッ!!」

 ―――組織戦力の正体を模索することなど後回しでも構わない。
 最も優先すべき急務は、円卓の残骸がいつまで防御力を保っていられるか、だ。
 今のところは貫通することなく攻撃性レーザーを受け止めてくれてはいるが、
容赦なく浴びせかけられる光の洗礼によって残骸が少しずつ削り取られており、いずれ身を隠しておける面積も無くなるだろう。
 加えて、高度に訓練された敵兵は銃撃を見舞いながら少しずつ円卓目指して押し出してきている。
 このままこの場に留まっていては、バリケードとしての機能が失われるより先に包囲され、
袋の鼠の内に全員が射殺されるのがオチだ。

「へッ! なんでぇこんなもんッ! 俺サマに言わせりゃ見かけ倒しだね、見かけ倒し! 
俺サマのエッジワース・カイパーベルトで弾き飛ばしてやんよ、こんなもんはッ!」
「勇ましさがこれほどまでにサマにならない人間というのも珍しいな。
頼もしいことに変わりないのだが、いかんせん、普段のおちゃらけを見ているから全く安心できない。
………いや………甚だ不本意ではあるが、最悪の場合には頼りにさせてもらうぞ」
「ぐちぐち言ってないで素直に頼りにしろっての。………姐さんとお前、二人くらいなら守り切れるだろうからよ」
「………………………」

 いつでも張り合う相手の手前、強がってはいるものの、
ダイナソーのバリアジェネレイターとて一時的にレーザーを防げたとしてもいずれは活動限界が訪れ、その瞬間が最期である。
 所詮はその場のしのぎにしかならず、彼自身、そのことはよく理解している様子だった。
 でなければ苦々しい呻き声を上げる必要も無い。

 バリケードの耐久度以外にも憂慮すべき問題はある。
 仮面の兵団が南方から侵入したことが幸いして、円卓の残骸を挟んで南と東のゲートに対峙する体勢を確保できたものの、
丁度、背を向ける恰好となっている北と西のゲートから敵の増援が現れたら一巻の終わりだ。
 フィーナやタスクたち飛び道具をトラウムに持つ人間で背後の増援に応戦することはできるだろうが、
身を隠す衝立を得られないまま、フラットな場で銃撃戦を行なうのは圧倒的に不利。
 これもまたバリケードが瓦解するのと同じく、たちまち全身を焼き尽くされてしまうだろう。

 そして、憂慮すべき問題と言うものは、いつだって最悪のタイミングでやって来るものだ。

「アル兄ィッ!! やべぇよ、すぐ後ろに新手が来やがったッ!!」
「なッ――――――どこから………どこから侵入したッ!?」

 背後へ回り込まれる前に絶体絶命を打破する策を練らねば―――
今まさにアルフレッドが思案していたところへ最悪の事態がもたらされた。
 シェインの絶叫で背後を振り返ったアルフレッドは、そこにありえないモノ、あってはならないモノを目の当たりにして息を呑んだ。
 息を呑み、言葉をも併せて呑み込んだ。
 誰も気付かない内に仮面の兵団が徒党を組んで背後まで迫っているではないか。

「―――ホゥリーッ!! てめぇ、オレをフォローしろッ!! 斬り込んでカタつけらぁッ!!」
「おやややや、レアなこともあるモンだネ。チミがボキをネームでコールなんて、トゥモローはスピアのレイニーデイじゃナッシン?」
「冗談こいてねぇで、身体動かせッ!!」
「ホイホイ、ボキだってこんなプレイスでデッドエンドなんかメンゴだしね、きびきびムーブっちゃうよン」

 これ以上ない不利を打開すべく、フツノミタマは月明星稀を逆手に構えて背後の敵兵へと飛び出していく。

「お、おい―――オヤジッ!? 待てってば! なに自棄起こしてんのさッ!?」
「バカヤロウッ! ガキはおとなしく隠れてりゃいいんだッ!! いいからてめぇは伏せていやがれッ!」
「でも―――ッ!」
「聞き分けのねぇガキだなッ! てめぇらの出る幕じゃねーっつってんだッ! ………ここはオレが必ずなんとかするッ!」
「オヤジ………」

 背を向けたバリケードの正面からは容赦無く狙撃が見舞われ、
しかも標的を反れた攻撃性レーザーの餌食になる可能性は決して低くない。
 光弾の暴風圏へ無防備な身を晒すのがどれだけ危険な行為か理解しているフツノミタマではあるが、
背後を取られた以上は可及的速やかに対処する必要があった。
 全滅を避けるには、我が身を犠牲にしてでも奇襲者を叩かねばならない。

 幸いにも背後から現れた新手は、白兵戦用のコンバットナイフを手にしているのみのようだ。
ためつすがめつ軍装を観察したが、ハウザーJA-Ratedの携行は見当たらなかった。
 接近戦にはフツノミタマへ利がある。
 膠着の様相を呈し始めた戦局を動かすべく次々と襲い掛かる新手をフツノミタマは複数名同時に相手し、
刃交えた者を瞬く間に膾斬りに仕留めた。

「次ィッ!! 死にてぇヤツは、遠慮はいらねぇ、どんどんかかって来いやァッ!!」

 仲間たちがフツノミタマの剣閃で首を落とされる様を遠巻きに眺めていた奇襲者たちは、
骨の髄にまで響く恫喝によって竦み上がった。
 視線を落とす先には、首と胴とが離れた仲間の遺骸が転がっている―――自分たちもこうして野に屍を横たえるのか、と。

 戦場における怖気は、死を招く。
 恐怖のあまり、戦闘力に陰が差した奇襲者たち目掛けてホゥリーは、スカァルの雷鼓より灼熱の光球を放った。
 灼熱の光球は恐慌を来たした奇襲者の頭上をゆっくりと旋回した後、火の粉を散らしながら炸裂し、
幾筋もの赤い閃光となって地上へ降り注いだ。
 奇襲者たちを包囲するかのようにして地上へ吸い込まれた赤い閃光は、着地点より紅蓮の柱をそそり立たせ、
恐怖の絶叫をより一層甲高いものへと煽り立てる。
 火を司る神人、カトゥロワの神威(ちから)を借りたプロキシの中でも高位に位置するコンフラグレイションのプロキシだ。

 地獄より噴出された紅蓮の焔柱群は次第に奇襲者たちを中心軸として収束し、
一本の大きな柱へ合わさったときには彼らを消し炭に変えてしまっていた。

(一時的に急場は凌いだが………それにしても―――)

 それにしても、彼らはいつ背後へ回り込んだと言うのだろうか。
 背後よりの奇襲を誰よりも警戒していたアルフレッドは対策を練りつつも、北と西のゲートを絶えず視認していたのだ。
 それなのに、気付いたときには既に背後に回られていて、最悪の奇襲に見舞われた。

 アルフレッドたちの死角を突いて正面から素早く回り込んだという可能性も無きにしもあらずだが、
十以上もの目をもってして全員がそれを見逃すことはまず考えにくい。
 かと言って、北と西のゲートを潜って侵入してきたのかと言えば、そのセンも薄そうだ。
もしも、背後のゲートを利用されたとするなら、アルフレッドは監視の真っ最中に居眠りしていたことになるのだ。
 突発的な睡眠を催す疾患を持たないアルフレッドが、アカデミーにて徹底的な戦闘訓練を受けた彼が、
敵前にて居眠りをするなど、ホゥリーがダイエットへ意欲を見せるくらい有り得ない仮説だった。

「嘘………だろ………」

 一体、どこから―――侵入経路を模索していたアルフレッドの眼前でその謎は解けた。
 そして、解かれた謎は新たな謎をもたらす霧となって彼を迷いの森へと誘った。

 フツノミタマに斬り捨てられた仮面の兵団の新手は、確かに死角を突いて正面から回り込んできたのではなかった。
 北と西のゲートを潜ったわけでもない。
 奇襲者たちは、まるでそこが秘密の抜け穴にでもなっているかのように、何も無い空間から突如として姿を現したのである。
 一人、二人、三人………カウントを重ねていく数を十で止めた奇襲者は、先発して斬り捨てられた仲間の屍を踏み越え、
再びアルフレッドたちの背後を突き崩しにかかる―――後方奇襲の第二陣が出現したのだ。

「な…んなんだよ、こいつら………、オレ、夢でも見てんのかッ!? こいつら、どっから出て来やがったッ!?」
「カメレオンマンでもナッシング、オプティカルな迷彩をアーマメントしてるってワケでもナッシングだね。
シルエットをハイドして襲ってきたっちゅーより、ワープだよ、ありゃ」
「ホンマにワープやったら、ごっつ厄介やな。何モンかは知らへんけど、敵は瞬間移動が自由自在っちゅーこっちゃろ?
今度はどこや? 次はどっから攻めてくるかわからへん! 背後やのうてバリケードに直接現れるかも知れへんでッ!」
「………ッがあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!
ウダウダ考えんのはヤメだッ!! ワープだろうが何だろうが、殺っちまえば同じだぜッ!!
何遍来ようが、その度、首ィ掻っ斬ってやりゃ良いだけの話よォッ!!」
「手前ェでクエスチョン振っといて、勝手にアンサーに持ってくかね。どんだけセルフ勝手なのかね。
今更だけど、チミの思考ルーチンはボキには理解アウチだヨ」

 どこからともなく現れた第二陣へ応戦するフツノミタマをローガンが追いかけ、
二人をサポートすべくホゥリーがプロキシの詠唱を急ぐ。
 軽口こそ平素と変わらないが、些か調子を外しがちの腹太鼓からは明確な動揺が感じ取れた。

 迫撃のフツノミタマと遠距離から支援するホゥリーという第一陣の構図へローガンが加わったことで戦況は一気に傾いた。
 数で勝るも個人の実力で劣る第二の奇襲者たちは、一騎当千を誇る三人の猛攻で瞬時に押し返され、切り崩され、
第一陣より更に早い時間で全滅させられた。

 しかし、全滅させた端から第三陣が現れ、それを倒しても第四陣が、第五陣が、第六陣が―――
永劫のループへ陥ってしまったかのように敵の新手は絶え間なく増援されていく。
 繰り返される増援はキリが無く、最後にカウントしたのは第八陣の攻撃が開始される直後だった。
 それ以降はカウントを重ねる余裕も無くなってしまい、ただただ襲い掛かる奇襲者の撃破がルーチンワークのように続いたが、
正確な回数こそわからないものの戦いの最中に増援を数度確認しており、二十近い小隊を倒したとフツノミタマは考えていた。
 築いた屍に閃いた直感に基づく当て推量でしか無かったが、アルフレッドの数えた援兵の出現もやはり二十回。
この当て推量は、おそらく的中していることだろう。

 だが、それからすぐにアルフレッドにも正確なカウントは出来なくなってしまった。
 “秘密の抜け穴”を通り抜けて屍の海へ踏み出す奇襲者の数が少しずつ増えてきたのだ。
 何らかの法則に従っているのか、必ず十人一組で亜空間より飛来する奇襲者だが、出現のペースが少しずつ狭まってきていた。
 奇襲の最初期にあたる第一陣の壊滅から第二陣の出現までには五分近いタイムラグが開いていたのだが、
今では数十秒置きに新手が現れるのである。

 たまりかねてネイサンが援護に飛び出したものの、形勢を整えるには遅きに失したようだ。
 気付いたときには、フツノミタマ、ローガン、ホゥリー、ネイサンの四人は、
各人十人以上の敵を同時に相手にしなければならない状況まで追い込まれていた。
 バリケードに隠れていた警備員たちも申し訳程度に援護攻撃を行なうが、乱戦へ一石を投じるような効果は上げられそうにない。

「うげげッ!? また何か出たしッ!!」
「シャレならんわ! 一度に一組だけやと思えば、一度に二、三組同時にワープしてくるやんけ!」
「向こうさんもエンジンかかってきたんじゃナイ? 
タイムの経過でリインフォースがアップするみたいだし、きっとあとファイブ・ミニットくらいバトルったら、
一度に六組くらいワープするようになるよ。ヒューマンのるつぼってセンシズ?」
「縁起でもねぇ上にシャレにならねぇことをゲラゲラ笑うなッ!! ほざくなッ!! 
マジでンなことになりやがったら、てめぇから始末してやっからなァッ!!」
「八つ当たりしとる場合かッ!! ………踏ん張りどころやでッ!!」

 フツノミタマの言う通り、物言いは不吉でしかないが、ホゥリーの分析は状況を的確に捉えたもので、
実際に一度に増員される新手の数は着実に増加していた。
 増加こそすれ、収まる気配は少しも見られない―――
迫撃するフツノミタマたちにも、背後の防衛線を見守るアルフレッドたちにも、鋭い戦慄が走った。

(あの揺らぎ―――)

 奇襲者たちが“秘密の抜け穴”を通って屍の海へ降り立つ間際、空間が虹色に歪む現象が起きるのだが、
その揺らぎを目端に捉えた瞬間、ニコラスは正面への迎撃を忘れて思わず後ろを振り返ってしまった。

(あの揺らぎ………ッ! 俺たちがこっちのエンディニオンへ飛んだときに見たのと同じじゃねぇかッ!?)

 虹色に歪む空間の揺らぎを、ニコラスはかつて見たことがあった。
 あれはそう―――グラウンド・ゼロにてアルフレッドたちと出逢う少し前の、“迷子”になる直前のことだ。
 見慣れた順路をガンドラグーンで駆っていたとき、空間が虹色に歪むのを目撃し、
そのすぐ後にニコラスとダイナソーは見覚えのない―――けれど、どこか心に馴染む荒野へ放り出されてしまったのだ。

 目撃したときには光の屈折による一種の錯覚だろうと然程気にも留めなかったのだが、
何もない空間から人間が現れるワープに際してこの現象が起こったとなると、
自分たちが迷子になった原因と無関係とは思えなくなる。

「俺サマの目がおかしくなったんじゃないよな? あの光にゃ見覚えがあるぜ!」
「貴様と偶然を共有するなどおぞましいにも程があるのだが、小生も、今まさにそれを言おうとしていた。
こちらの、Bのエンディニオンへ迷い込む寸前に目の当たりにした怪奇現象と極めて酷似している。
―――いや、そっくり同じではないか!」
「ラスもトキハも同意見って顔してンね。
………どうもカンパニーの人間は、みンな、あの現象と縁があるみたいだ」
「正しくはAの世界よりBの世界へ迷い込んだ全ての人間と浅からぬ関係があるのでしょう。
フィガス・テクナーのみんなも、きっと同様の現象を目の当たりにしているはずですよ。
………見知らぬ世界へ飛ばされる直前にね」

 次々と頻発する空間の歪曲へ釘付けにされてしまったのは、ニコラスだけではなかった。
 アイル曰く、AのエンディニオンからBのエンディニオンへ迷い込んだアルバトロス・カンパニーの面々は、
一人として漏れずこの怪奇現象に出くわしており、そして、一人として漏れず遭遇の直後に異世界へ誘われていた。
 酔いが冷めて普段の口調に戻ったトキハの分析は、ニコラスが脳裏に浮かべた仮説へ信憑性を与えるもので、
頷くダイナソーも虹色の空間歪曲に迷子の原因があると考えている様子だ。

 フィガス・テクナーの人々と言わず、各地に散らばっているというAの世界の同胞たち一人ひとりに聞いて回りたいくらいである。
 おそらく誰もが口を揃えて答えるだろう。
 「空間が歪んだ直後、見知らぬ空の下にいた」と。

 惑星規模の迷子と敵兵の侵入経路に大いなる因果関係を見出したものの、
そこにあるだろう真実を探究するには、この状況はあまりに落ち着かない。
 それにヒューとの約束もある。生きて残ると交わしたヒューとの約束をニコラスは守らなくてはならなかった。

「そんなのは後で話し合えばいい問題だろッ!! 今は戦いに集中するんだッ!!」

 己の本分を想い出したニコラスは、振り返りそうになる衝動を無理矢理に押さえ込み、
正面から向かい来るハウザーJA-Ratedのレーザー光にガンドラグーンのそれを合わせてトリガーを引いた。
 自分たちが襲われた怪現象に対する答えの解明も、真実の探究も後回しだ。
 今は、戦い、生きて残ることが遵守すべき使命であった。

「………俺っちのツッコミを取るんじゃないよ。こちとらカッコよくキメようと準備してたのによ〜」

 ニコラスの叱咤によってカンパニーの仲間たちは我に返って持ち場へ戻ったのだが、
どう言うワケか、それがヒューには不満のようだ。
 どうやら一時的とは言え攻撃の手を休めた連中をどやしつけることで大人の男の威厳を見せ付けたかったらしい。
 「目論見が外れたぜ」と唇を尖らすヒューの子供っぽい態度に、ニコラスは思わず噴き出してしまった。

「………………………」

 絶体絶命の危機に何を愉快にしているのか―――と、いつもならアルフレッドかフツノミタマあたりが叱り飛ばすのだが、
二人揃って少しの余裕も無く、とてもそこまで頭が回らない。
 ローガン、ネイサンと肩を並べ、背中を預け合って奇襲者と激闘するフツノミタマは言わずもがな、
一見、膠着状態に陥っているが、俯瞰して判断すると多勢に無勢かつ挟撃と言う、
考えられる最悪の事態へ傾いた戦局をどう覆すかで頭が一杯のアルフレッドに、どうして他へ意識を回せるだけの余裕があろうか。

 最も恐れていた後方奇襲に見舞われ、バリケードの耐久度も限界を超える瞬間が着々と迫っている。
 絶望的な構図の中で打開策を模索しなくてはならない極限的な逼迫にアルフレッドは晒されていた。

 後方奇襲、挟撃に加えてこちらの戦力が分散している点も戦略を練り直す上で大きなネックである。
 主力のフツノミタマとローガンがバックアタックの迎撃に当たったことで正面に対する防衛力が幾分弱まり、
アルバトロス・カンパニーとヒューの連携で何とか敵の迫撃を堪えているのが現時点での戦況だ。
 ネイサンとホゥリーがサポートに入った以上はバックアタックの迎撃は磐石だろうが、
一番の難関たる銃装兵団撃破の目処は未だに立っていない。
 それどころか戦力の分散によってジリ貧の様相を呈してきた。
 可及的速やかに対策を練らねば、大勢はこちらの全滅という形に決するだろう。

(………このままでは危うい………いや、しかし………どうする? 誰をどこに配して攻守を………)

攻撃に参加していないフィーナやシェインを正面に対する防衛力として投入すべきか、あるいはタスクを―――

「―――マリスはッ? マリスは無事か!? マリスッ!!」

 ―――と、戦略を練る脳裏に“タスク”の名が過ぎった瞬間、ようやくアルフレッドは彼女が仕える主人の安否へ配慮が巡り、
大慌てで黒いドレスのシルエットを追い求めた。
 銃撃を予見した直後に頭から抱え込んで庇ったフィーナはともかく、マリスのことは今の今まで全く思考から外れてしまっていた。
 タスクが一緒なら万が一にも大丈夫とは思うが、彼女とてアルフレッドにとっては大切な“恋人”である。
無事が確認されるまでは不安は静まらない。

「………マリス………?」

 守るばかりではどうしようもないとRJ736マジックアワーで応戦するヒューの向こう側に、
ルディアを抱えたマリスの姿を見つけられてとりあえず胸を撫で下ろしたアルフレッドだが、
すぐに彼女の様子がおかしいことに気付き、眉間へ皺を寄せる。
 どこかを負傷してはいないのだが、顔色は明らかに悪く、
何か信じられないものを見てしまったような瞳をアルフレッドとフィーナの方へ向けたまま、
瞬き一つ、身じろぎ一つせず、マリスは生ける彫像と化していた。
 ある一点を見つめたまま、本当に微動だにしないのだ。
 自分の安否を気遣ってくれるアルフレッドの呼びかけが届いているのかも疑わしい。

「マリス様もルディア様もご無事ですっ! お怪我もされてはおられませんっ!」

 凍てついたまま返事も出来ない主人に代わってアルフレッドに無事を答えるタスクだが、
“無事”の対象に本人は含まれていなかった。
 退避のどさくさか、あるいはマリスやルディアを庇ったからか。攻撃性レーザーに足を舐められてしまったらしく、
スカートからわずかに覗く足首に鮮血が滴っていた。

 混乱の極地に立たされていた為に気付けなかったのだが、負傷者はタスク一人には留まってはいなかった。
 ヒューに倣ってホウライの気弾を放つローガンは左の頬に高熱で炙られたような黒い傷を作っているし、
被弾しまいと必死に身を伏せるネイサンも血の滲む右腕へハンカチでもって簡易の止血を施していた。
 遠距離を撃つ手段を持たない自分の無力に地団駄踏んで悔しがるフツノミタマに至っては、
被弾した脇腹を手当てするつもりも無いようだ。
 傷口を見せるよう迫るシェインを必要以上に大声で突き放しているところから察するに、平気なフリのやせ我慢だろう。
 シェインに要らない心配をかけまいと平然を装っているものの、額には隠しようの無い脂汗が滲んでいる。
 ヴァニシングフラッシャーにレーザーを飲み込んで相殺を狙うニコラスの右肩など、たった今、被弾したばかりである。

 負傷で済むならまだ良いほうだ。
 逃げ送れた警備員たちはハウザーJA-Ratedの光雨に全身を撃ち抜かれ、会場の至る場所に無残な屍を晒している。
標的を外れて流れた攻撃性レーザーに死してなお焼かれる者もあった。
 押し寄せてくる仮面の兵団へ正面切って突撃していったスカッド・フリーダムは更に悲惨な有様であった。
 予想だにしなかった緊急事態に際し、サミット参加者たちが安全地帯まで逃れたことを確認して
会場に馳せ戻ってきたシュガーレイは、直ちにスカッド・フリーダムの隊員たちを突撃させたのだが、これが裏目に出た。
 ローガンと同じくホウライを体得しているスカッド・フリーダムの隊員たちは、
それぞれがアルフレッドに比肩するか、あるいはそれ以上の身体能力、戦闘能力を備えている手練の者なのだが、
さりとて剛腕の利を以って押し切れるほど、この戦いは容易くはない。
 如何に一騎当千の猛者と雖も、数十倍もの兵力差を覆すことは極めて難しく、
しかも、彼らは仮面の兵団の主力とまともにぶつかったのだ。
 仮面の兵団が投入した主力部隊の人数は、アルフレッドたちに突撃してきた後方奇襲の部隊を遥かに超えている。
 四方八方から光の洗礼を浴びせられたスカッド・フリーダムの隊員たちは、一人またひとりとその亡骸を瓦礫の上に横たえていった。
 今では彼らを率いていたシュガーレイの消息も定かではなく、もしかすると黒煙の中で遺骸を燻されているかも知れない。

 正確な数はわからないが、おそらく最初に浴びせられた光の洗礼によって会場の警備に当たっていた者の半数が犠牲になっただろう。
 続く第二、第三の波状銃撃を潜り抜けた生存者は、アルフレッドたちを除いてごく少数だった。


 そこまで考えて、アルフレッドの心に虫が這いずるような凶兆が差し込んだ。
 凍てついたように動かないマリスの視線の先には、自分とフィーナを飛び越えた先には、
彼女が最も見たくないものが横たわっているのではないか、と。
 そして、それはマリスだけでなく、仲間として認め合う者が共通して見たくないものではないか、と。

 例えば………例えば、そう、仲間として認め合った者の――――。

「こんなところで死ぬなんて絶対に許さないわよッ! 悪事の報いに死を強いるなんて正義の道じゃないッ!! 罪を償うまで絶対に死ぬなッ!! 
絶対に………死なせたりせぇへんッ!!」

 凍てついた視線の持つ意味にまで考えが及ばなかったときには、その声は耳にすら入っていなかった。
 喉から搾り出すような声で何度も何度もハーヴェストが叫び続ける彼の名前に気付けなかった。

 すぐ隣から飛び込んできたフィーナの小さな悲鳴が生んだ微風に促され、マリスが見据える先へ視線を巡らせる。
 心のどこかで聴こえる「振り向くな。きっと見てはならないものが転がっている」という警鐘は、
最早、アルフレッドの意識を引き止めておけるだけの抑止力は発揮していなかった。

「………………セ………フィ………………」

 振り返るとそこにはセフィを、ハーヴェストに抱きかかえられるようにして砂埃の上に身を投げ出した仲間の姿を見つけることができた。
 身に纏った裏切りのローブに少しの違和感を覚えるものの、特徴的なエクステで両目を覆い隠し、
いつだって柔らかい微笑を浮かべている見慣れたセフィの顔がそこにはあった。
 ただ………色白な彼の顔が、男性にしてはほっそりとしている首筋が、いつもより一層白くなっている。
 首筋からほんの少し視線を下ろすとフードの止め具が付いた胸元が見えてくるのだが、
亜麻色であるはずのローブがそこから大きく変色していた。
 水溜りのようにも見える大きな染みが胸元を中心にどんどんと広がっていた。

 ―――亜麻色を塗り潰していく水溜りは、赤い。赤黒い。淡く輝る生命の彩(いろ)だ。

 マリスが凍り付くのも、フィーナが悲鳴を上げて崩れ落ちてしまうのも無理からぬ話だった。
 それは、誰もが見たくない光景なのだ。
 セフィの左胸は、光の矢に貫かれていた。

「………これは報いなんですよ………受けるべくして受けた報いなんです………」

 新しい血が止め処なく流れ落ちる口からは何の言葉も出ては来ないが、
浮かべた表情の真意を尋ねたら、彼はきっとそう答えるだろう。
 噴き出して止まらない苦悶の汗と裏腹にセフィは微笑みを浮かべていた。
 何の準備も無いままにもたらされた死を、自らの運命として甘受する安らかさに彼は包まれていた。
 そんなセフィを許すことの出来ないハーヴェストが鮮血の噴き出す彼の胸を押さえながら懸命に蘇生を、
生きる意志の復活を訴え続けるが、それに応じようとの意志は見られない。

 もしかしたらセフィは死によって己の罪を贖おうと考えているのかも知れなかった…が、
そんなものはハーヴェストに言わせれば、一番安楽な逃避だった。
 報いなどと言う詭弁(ことば)は、都合良く切られる免罪符だ。
 生きて、生きて、生き抜いて、人は犯した罪を償うべきなのだ。
 それこそが贖罪の形であり、法が定めた自他の生への責任と義務なのである。

「死んだら何もかもお終いなんやッ!! 生きやッ!! 生きるんや、セフィッ!!」

 だが、生への責任と義務を放棄した人間に法の遵守を訴えたところで、どれほどの力を発揮すると言うのか………。
 ハーヴェストの絶叫は、絶望の彼方へ潰えようとしていた。

「………………………」

 そこで再びアルフレッドの軍師としての理知は閉ざされた。
 混沌は、最早、彼の思考能力では処理し切れないレベルにまで達していた。

 何の前触れもなく災厄の“鉄巨人”が降臨し、何の前触れもなく仮面を被った兵団がルナゲイトを強襲し、
それに巻き込まれたセフィの―――大事な仲間で…ほんの数十分前まで命懸けで戦った相手の生命が、
今まさに消え失せようとしている。

 何もかもが…何もかもが唐突過ぎて、脈絡が無さ過ぎて―――
情報を整理し切る前に次から次へと降りかかる混沌の牙爪でもってアルフレッドの理知はズタズタに引き裂かれてしまっていた。

「アルッ!!」

 知恵を振り絞って戦う者がその知恵を失ってしまったら、果たしてどのような末路が訪れるのか。
 人によってそれは異なるだろうが、アルフレッドは、最大の牙をもがれた在野の軍師は、
見果てぬ策をまとまらぬ頭に求めて彷徨し、呆けたようにただ漫然と周囲の状況を見守ることしか出来なかった。
 いつ浮かぶとも知れない奇策に期して、最悪の事態を迎えるまで呆然と佇むだけだった。

「アルってばッ!! しっかりしてッ!! アルぅッ!!」

 フィーナの呼びかけをもってしても正気に戻らないアルフレッドの視界を鉄の塊が過ぎったのはそのときだった。

 ニコラスのガンドラグーンよりも数段大きなエンジン音を上げ、
円卓の残骸と仮面の兵団との間隙をこじ開けるようにして割って入ったのは、アルフレッドが評するところの無味乾燥な鉄塊ではない。
 数トンの貨物でもゆうに運送出来る大型の荷台を備えたデコトラである。

「早う乗り込めッ!! ほれ、モタモタするでないわッ!! 死にたいのかッ!?」

 見た目のインパクトが抜群なデコトラの所有者は、窓を開けるなりアルフレッドたちを喝破する。
 ―――ジョゼフだ。
 マユらと共に安全地帯まで逃れていたジョゼフがオールド・ブラック・ジョーを駆って死地に舞い戻ってきたのである。
 自分たちの侵略を棚に上げ、突如として乱入してきたデコトラに驚嘆の声を上げる仮面の兵団を容赦なく跳ね飛ばし、
残骸の前に陣取ったジョゼフは、呆然と立ち尽くすアルフレッドたちに面した側のコンテナを開放し、そこへ乗り込むよう指示を飛ばした。
 首脳陣らの安全確保をマユに一任したジョゼフが、
突然の奇襲で窮地に陥っているだろうアルフレッドたちを救出すべく危険を顧みずに駆けつけてくれたのである。

「抜かるでないぞ、ラトクッ!」
「御意―――」

 助手席にはラトクの姿がある。
 血溜りの中に身を横たえるセフィへ一瞥くれたラトクは、次いで助手席から飛び出し、
愛用しているシャープスカービンの銃口を仮面の兵団に向けた。
 アルフレッドたちがコンテナへ逃げ込むまでの間、“防ぎ矢”を射ようと言うのだ。

 直接的な攻撃力を持たないオールド・ブラック・ジョーではあるものの、
コンテナを利用すればアルフレッドたちを運んで安全な場所まで退避することは出来る。
 奇襲されて浮き足立った現状で無理な応戦を演じるよりも、
一旦離脱し、体勢を整えてから改めて反撃するほうが妥当だとジョゼフは老獪に判断していた。
 侵略者から逃れることは、つまり自らの牙城たるルナゲイトを落ちることにも通じるのだが、
再起不能のダメージを被るくらいなら一敗地にまみれてでも逃げ延び、奪還の機会を狙うべきだった。
 そこは新聞王と畏怖されたジョゼフである。
 未来の勝利の為にプライドを捨てられるだけの割り切りと状況判断能力には人一倍聡く、
度重なる異常事態に飽和状態となったアルフレッドと違って平素通りの手腕を発揮して見せた。
 後にジョゼフはこのときのアルフレッドをこき下ろして酷評するのだが、
同じ知恵者でも、たかだか十八歳の若輩者と新聞王では、やはり年季が違った。

 ………そう、年季が違うのだ。
 非情な采配にギリギリの一線で躊躇うアルフレッドとジョゼフとの間には歴年という大きな差が開いていた。
 ジョゼフの姿を見るや警備員たちはこの聖翁へ恭しく一礼すると、
コンテナに飛び乗るどころか、ハウザーJA-Ratedを乱射する銃装兵たちの前に自ら身を晒していくではないか。
 しかも、背筋が凍り付くような話なのだが、警備員たちは攻撃性レーザーを向けられながらも満面の笑みをこぼし、
そして、散っていった。
 果たして、如何なる衝動が彼らの足を死地へ向けさせるのか―――
喜び勇んで勝ち目の無い戦いに飛び出していった心中が理解できないフィーナは、
一人また一人とズタズタに引き裂かれていく警備員たちの姿に頭を振り続ける。
 どんな理由があれ、自ら死に行くのは愚かな行為だ。この世に生を受けた者が絶対にしてはならない行為だと無言で抗議し続けた。

『万が一、殉職するような事態になったときには、ルナゲイトが責任を持って家族の面倒を見る。
子供には一流の教育を与え、暮らしに困らぬだけの糧を提供する。必ずや殉職に報いる。
だから各人、全力を尽くして職務に励んで貰いたい』

 雇用の事前にジョゼフが取り付けていた約定をフィーナが知る由も無く、
また、警備員の殆どがその日の暮らしに困窮する貧民出身である点にも誰も気付いていなかった。
 己の散華の先に家族という萌芽が育つ喜びにこそ、彼らは命を捧げたのだ。

 対比させるまでもない。情と非情を巧みに使い分けるジョゼフの采配にアルフレッドが敵うべくも無かった。
 ………尤も、弱みに付け入って自己犠牲に歓喜を付与するジョゼフの采配など、誰もアルフレッドに真似て欲しくないだろう。
それは、ジョゼフ本人としても同じ筈だ。


 乱入してきたオールド・ブラック・ジョーを敵性勢力と見なしたのであろう。
ハウザーJA-Ratedによる射撃は件のデコトラとその周辺に標的を絞り、更に激しさを増しつつある。
 頬をレーザーが掠めた瞬間、無意識のうちにフィーナを抱きかかえ、我が身を盾にして守ろうとするアルフレッドだったが、
嵐の如く飛び交う攻撃性レーザーの前には、その行動は何ら意味を為さなかった。
 照準が彼らに合わされようものなら蜂の巣にされる程度では済まず、
幾重にもレーザーを照射され、ふたりまとめて焼き殺されるのが目に見えている。

「ヒューさん! マユちゃんたちは…首脳の皆さんは無事なんですかっ?」
「分身どもは………皆………あの兵隊どもに消されちまった―――まさか、レイチェル………ミスト………ッ!!」

 フィーナに問われるまでもなくレイチェルが…妻の含まれる首脳陣の安否へ過敏になっているヒューだが、
精神波でシンクロしていたダンス・ウィズ・コヨーテからの応答が途絶えたことが、彼の心から平静を完全に押し出した。
 ルナゲイトにはレイチェルだけでなくミストも滞在している。
最悪の事態が愛する妻子へ訪れたかも知れない―――そんな極限の状況下で平常心を保てと言うのが無理な話である。

「どこ行くつもりや、ヒューッ!! 下手こいたら、どてっ腹に風穴開けられてまうぞッ!?」
「放せッ!! 俺っちは行かなきゃならねぇんだッ!! 子供とカミさん、置いて自分だけズラかるような真似が出来るもんかよッ!!」
「バカ野郎ッ!! ガキと家内を心配するなら、まず手前ェの心配をしやがれッ!! 
手前ェがくたばっちまったら残された人間はどうすんだッ!? 頭冷やして考えろ、この南国頭がァッ!!」

 ローガンが背後から羽交い絞めにし、フツノミタマが正面から体当たりで止めていなかったら、
我を忘れて飛び出したヒューも歓喜に包まれた警備員たちと同じ骸を晒していたことだろう。

「フツの言う通りやッ! 死んでもうたらそこまでやッ! そこまでなんやッ!!」

 ローガンもまた幼馴染みや故郷の友人が生死も判らぬような情況に陥っているのだ。
そればかりか、親しく交わった者の多くが既に落命し、ローガン自身もこれを確認している。
 それでも―――いや、だからこそ、命を無駄にするような短慮だけはさせまいとしているに違いない。

「レイチェルさんとミストは俺が必ず探し出しますッ!! だからヒューさんは皆と一緒にここを離れてくださいッ!!」
「てめぇだけに任せておけるかッ!! 俺っちが…俺っちがあいつらを助けんだよッ!!」

 バイク形態にシフトさせたガンドラグーンで飛び出したニコラスがシート上から投げた制止の声も、
ヒューに安心を与え、暴走を食い止めるだけの効力は発揮しなかった。
 見るに見兼ねたホゥリーが、脳に直接作用し、強制睡眠を誘発する『ドラウジネス』のプロキシを唱えてようやくヒューは墜ちたのだが、
意識がブラックアウトするその寸前まで、彼は、レイチェル、ミストと妻子の名を呼び、その安否を気遣っていた。

「………………………………………………」

 アルフレッドの耳にもヒューの悲痛な叫びは届いていたが、脳はそれをどこか遠い世界の出来事として処理し、
現実の彩をもって意識下へ落とし込まれることは無かった。
 ニコラスをサポートすべく彼に追従したアルバトロス・カンパニーの後姿も、
仲間たちがオールド・ブラック・ジョーのコンテナへ乗り込むまでの間、
敵兵を引き付けておく為にシェインが発動させたビルバンガーTの姿も、今のアルフレッドには現実の質量を伴っていなかった。
 呆然と突っ立ったままでいた自分をフツノミタマが荷台へ引き擦り込んだことさえ、
皆が乗り込んだことを確認したオールド・ブラック・ジョーが退路に向けて走り出したことさえ、彼は他人事のように思えた。
 なおも追い縋る仮面の兵団に対し、コンテナから身を乗り出したラトクが更なる“防ぎ矢”を見舞っているのだが、
その発砲音すらアルフレッドの脳は知覚していないことだろう。

「………何が………どうなっていくんだ………」

 理解の許容を超えた事態の連続に思考回路を焦がされたアルフレッドは、眉間に手を当てて蹲ることしか出来なかった。
 不安に震えながらも、自分以上に恐怖しているルディアを守ろうと唇を噛み締めて堪えるフィーナにも、
彼女を気遣うように寄り添うムルグにも、まして「アル兄ィがへこたれてどうすんのさッ!! しっかりしてくれよッ!!」と
自分を叱咤するシェインにもアルフレッドは気付いていなかった。
 ありとあらゆる判断能力が飽和したアルフレッドには、周囲の状況さえも遠い世界の出来事だった。

「………………………………………………」

 ―――だから、アルフレッドはわからなかったのだ。
あの混乱の最中、マリスがアルフレッドとフィーナの二人へ向けた瞳の意味を。
 今もまだアルフレッドへ向けられ続けるその眼差しの意味を。

「………『ギルガメシュ』―――」

 ―――だから、アルフレッドは知らない。………いや、アルフレッドだけでなく誰一人として知らない。
 いつかの逆転に帰還を期してルナゲイトを脱出せんとハンドルを握るジョゼフが漏らした呟きは、
誰の耳にも入らないまま風の彼方へ散った。

「―――早いな………予想以上に早い………厄介なシナリオとなったものじゃ………ッ!」

 助手席に立て掛けられた物言わぬ愛用のステッキだけが、答える者の無い呟きへ相槌を打つかのようにカタカタと揺れていた。



―――第1部「漂着編」・完





←BACK     NEXT→
本編トップへ戻る