9.In the Summit


 ―――サミット開始から三十分が経過。
 激しい論戦が繰り広げられる中、ヒューとバディを組んだニコラスは、円卓周辺に神経を研ぎ澄ませていた。

 直接戦闘に備えてバズーカ形態にシフトさせたガンドラグーンを携行しているが、
ジューダス・ローブの攻撃が首脳陣へ及びそうになった場合は即座にバイク形態へシフトさせ、
誰彼選ばず首脳を抱えて戦線を離脱するようにアルフレッドからきつく言いつけられている。
 それはMANAを有するアルバトロス・カンパニー全員に共通して出された指令だった。
機動力に物を言わせて一人でも多くの首脳を救うことをアルフレッドは企図しているのだ。

 戦線を離脱し、首脳陣を安全な場所まで運んだら会場へ戻る必要は無い。
そのままフィガス・テクナーへ逃げ遂せろともアルフレッドに言いつけられてはいたが、ニコラスは取って返して雷砲を繰る決意である。
 フィガス・テクナーへの帰還は、本件に関して協力者の域を出ないアルバトロス・カンパニーに対するアルフレッドなりの配慮だった。
 それはニコラスにも分かっている。
 けれど、死地を共にした仲間を置いて自分たちだけ安全な場所へ逃げることなど、どうして出来ようか。
他のメンバーとて自分と同じ覚悟を決めているはずだ。

 ガンドラグーンに接続しなければ走行することも出来ないサイドカー持ちのダイナソーだけは、
アルバトロス・カンパニーの中でも例外的に場内へ留まって戦闘に加わることを強制され、
まさかの不運に悲鳴を上げたが、誰一人としてフォローを入れる者は現れなかった。
 当たり前だ。皆が皆、必勝を目指して決死の覚悟を固めた中に在って弱音を吐くなど持っての外。
腰の引けたダイナソーはハーヴェストに喝を入れられ、とうとう逃げ場を失った。
 最早、戦う以外の選択肢は残されていないのだ。

「俺はアルや他の皆と違ってジューダス・ローブの脅威をよく知らないんですが―――
いや、一度はこの目で見ましたけれど、“こっちのエンディニオン”では相当に恐れられているみたいですね」
「まァな〜、この俺っちが梃子摺るくらいだもんよォ。テムグ・テングリの連中か、ジューダス・ローブか。
“こっちのエンディニオン”じゃこの二つが二大巨頭になってるよ。世界を脅かす二大巨頭な」
「テムグ・テングリに至ってはまるっきりわからないです。こっちの新聞で読んだっけなぁ。
………というか、絶対脅威が二つも迫っているなんて………」
「連日連夜大賑わいだぜ、ジューダスちゃんもテムグちゃんも。
新聞の一面は、大抵、こいつらにかっさらわれてらぁ。お前ら、アイドルか、スターかってんだよ。なぁ?」
「………それだけこちらは追い詰められているんですね―――ますます気を引き締めないとならないな………」
「………今のは笑って流して貰わにゃ、敵わねぇぜェ………」

 いつもならふざけてばかりのヒューも、この日ばかりは精神的余裕を緊張が上回っているらしく、
ニコラスの緊張をほぐしてやろうと繰り出したジョークも冴えない。どうしても緊張が舌先を痺れさせてしまう。
 緊張をほぐしてやるつもりが、当のニコラスは生真面目にも腕組みまでして悩み始めてしまい、ヒューも思わず頭を掻いた。

 ………この場でならまだ笑い話で済むのだが、極度の緊張に見舞われたままジューダス・ローブとの戦闘に突入したなら、
その精神コンディションが死へ直結する可能性は極めて高い。
 なんとかして前途有望な青年から死の影を振り払ってやりたかった。

「―――あっ、ここにいたんですねっ」

 スベらないジョークを捻り出すべく頭を悩ませていたそのときだった。
 聞き慣れた声が北のゲートから近付いてくるのに気付き、何ともなしに首を向けたニコラスの眼が驚きに見開かれた。
 マコシカの集落にいるはずのミストが北のゲートを潜ってニコラスのもとに駆け寄ってくるではないか。
 ニコラスに会えたのがよほど嬉しかったらしい。
表情の読み取れる距離まで近付いてきたミストの面には満面の笑みが輝いており、彼をドギマギさせた。

 照れ臭そうに頬を掻いていると、北のゲートから冷やかすような視線を送ってくるダイナソーのニヤけ顔がミストの肩越しに見つけられ、
ニコラスは思い切り口元を引き攣らせた。
 後で絶対に笑い話のネタにされる―――そう考えると頭が重くなるニコラスだった。

「そう言えば、お前もここに来てるんだったな。レイチェルさんの補佐はいいのか?」
「私のお仕事はサミットが始まるまでの事務的なものですから、当日にはもう何もすることがないんです。
………本当はゆっくりと見学させて欲しかったんですけど、
テロリストさんがやって来るから観覧席は使えないって言われてしまって………」
「それで散歩、か。でも、よく会場に入り込めたな? どこもかしこも警備で封鎖されてるだろ?」
「参加者用のパスをお借りしています。これを差し出せば出入りは自由なんですよ?」

 ニコラスが首から提げているパスケースを指差しながら、自分のものをポケットから取り出して見せるミスト。
 『特別警備員』を記されたニコラスのものと『補助参加人』と記されたミストのものでは種類こそ違うものの、
どちらもサミット会場の行き来が許諾された身分であることを証明する大事なフリーパスだ。
 会場内に詰める人間は、円卓にて激論を交わす首脳陣を含めて、皆、同じ透明のパスケースを首から提げている。

「それにしても―――着いたなら着いたって教えてくれればよかったのに、冷てぇな、ミストも」
「ラス君がルナゲイトにいるなんて知りませんでしたよ。ラス君だって冷たいです」
「ごめんごめん」

 マコシカ代表としてレイチェルもサミットの参加者に数えられており、その付き添いでミストもルナゲイトに同道する旨は
メールで知らされていたが、警護の要請があって自分もサミットの会場に詰めているとは返事していなかったことを
ニコラスは思い出した。冷たいと拗ねられては言い訳も出来ない。

 自然礼賛を妨げる外界のものは極力持たないように制限されているマコシカだが、
集落にいることの少ない父との連絡手段としてモバイルの使用は例外的に認められていた。
 外界を飛び回る父親からもたらされる情報は、ピンカートンの家族だけでなく、
外界を知らないマコシカの民族にとっても貴重にして有益なものなのだ。
 テレビもラジオも無いマコシカの集落において、エンディニオンの趨勢を知るための唯一の足掛かりがモバイルなのである。

「そうでしたっ。メールにも書きましたけど、会社に戻れたんでしたよね。遅ればせながら、おめでとうございますっ」
「戻ったら戻ったでトラブルに遭ってばかりだよ。マコシカに残ってたほうが気がラクだったかもだ」
「ラス君たちが使っていたお部屋はそのままにしてありますよ。いつ帰ってきても大丈夫です。いつでもお迎えしますよ」
「ま、真顔でそういうコト言うなよ。………背中がかゆくなって仕方無ぇ」
「………? 何かおかしなことを言ってしまいましたか?」
「いや、なんつーか、その………お前が天然だってことを忘れてたよ」

 メールでのやり取りだけはマコシカの集落を出てからも続いていたが、顔を合わせるのは久しぶりだ。
 控えめながら温かな光をシアンの瞳に宿しているミストは、見る者を穏やかな気持ちにさせてくれるのだが、
ニコラスにとっては必ずしもそうとは限らない。
 久しぶりに会った―――ただそれだけのことなのに妙に緊張してしまい、ミストの顔を直視できずにいるのだ。
 今日の彼女は集落で着ているような民族衣装ではなく、若草色のパフスリーブに淡い色合いのバミューダと言ういつもと異なる装いである。
 見慣れたミストの見慣れない印象に、ニコラスの心臓は早鐘を打って止まらなかった。

「あ、あの………似合い…ますか?」
「あッ、あ…ああ、………似合う。似合うよ、すごく。………その、オレ、こう言うの、よくわかんねぇんだけど、
それでも、あの………お前によく似合ってる…と、お、思うぜ?」
「あ、ありがとうございます。………ラス君に誉めてもらえるのが、いちばん嬉しい………」
「お―――お、おう………」

 ―――トドメは、この一言。
 いつもと違う服装にニコラスが驚いているのだと気付いたミストは、桜色に染まった顔を僅かに俯けながら、
恥ずかしがるように小さくそう呟いた。
 このようないじらしい姿を見せられれば、ニコラスでなくとも眩暈を覚えるだろう。
 ミストに負けないくらい顔を真っ赤に染め上げた彼は、いつ卒倒してもおかしくない状態になっている。

「おいおい、ボーイフレンドもいいけどよぉ、お父さんを無視してイチャコラすんのはやめてくれや」
「む、無視していたわけじゃありませんよ。ごめんなさい、お父さん………」

 礼儀正しく頭を提げて謝るミストにヒューは「よォ、マイ・ドーター」と手をヒラヒラさせて軽妙に応じる。
 二人のやり取りを見るともなしに眺めていたニコラスだが、あることに気付いた直後、
「ちょっと待った、“お父さん”!?」と顔面を思いっきり引き攣らせた。
 さも普通に会話していたが、ミストはヒューのことを「お父さん」と呼ばわったではないか。

「そういやお前さんには言ってなかったわな。ヒュー・ピンカートンとミスト・ピンカートン。並べてみりゃ一目瞭然よォ」
「あっ、ごめんなさい。ラス君に言い忘れていましたね。こちら、私のお父さんです」
「どうもお父さんです。―――知り合って大分経つから、今更って感じだけどな」
「お…とう…さん………」

 ヒュー・ピンカートンとミスト・ピンカートン―――
同じピンカートンのファミリーネームを持つ者同士なのに、どうして今の今まで気付かなかったのか。
 自分の頭の回転が鈍いからなのか、それともレイチェル同様にヒューがミストの父親としては若過ぎるからか。
 いずれにせよヒューとミストが親子であると気付けなかったのは自分の落ち度であり、
それに気付いた途端にニコラスの背中にはダラダラとイヤな汗が噴き出し始めていた。

 思い出されるのはフィガス・テクナーでのミーティングでの出来事である。
 ミーティングの席でミストのことをアルフレッドに“彼女”と冷やかされたのだが、その場に“お父さん”ヒューもいたのだ。
 確かに仲は良いし、憎からず想う気持ちもある。けれど、決して恋愛関係ではない―――にも関わらず、
アルフレッドの冷やかしであらぬ誤解をヒューに与えていたとすれば、それは由々しき問題だった。

「………………………」
「はっはっはァ〜、そう緊張する無ぇ〜。取って食ったりはしねぇよ―――でも、調子こいて手ェ出したら、わかってんよな? え?」
「………はい………」

 顔で笑って声の調子も明るいヒューだが、末尾の諌めをささやくときだけは笑顔の裏側にありったけの殺気を漲らせ、
腰に提げていたサブマシンガンをニコラスの頬へ押し当てて脅しにかかった。
 肝を冷やしてくれるヒューの態度は、ニコラスが危惧したようにミストとの関係を誤解している風にも、
娘を取られる前に釘を刺しておこうという風にも受け取れ、その真意は今一つ判断がつかない。
 あるいは曖昧な態度を餌にニコラスへカマをかけている可能性も考えられた。
 ………ただ一つ確かなのは、“マイ・ドーター”と呼んで可愛がっているミストに手を出す馬の骨は
サブマシンガンで蜂の巣にされるという点だ。
 頬に銃口を押し当てられたままセーフティレバーを解除されるのだから、最大の容疑者たるニコラスは生きた心地がしなかった。
 よくよく見るとヒューの額には微妙な青スジが走っており、トリガーに掛けられた指は本気の殺意を宿しているようにも思える。

 ―――余談だが、普段は手錠一つで戦場に躍り出すヒューが、どうして今日に限ってサブマシンガンを携行しているのかと言うと、
それが対ジューダス・ローブ用の“とっておき”だからである。
 RJ764マジックアワーと銘打たれたサブマシンガンは、接近戦用のブレードを接続させる着剣ラグなる機構がグリップの底に設けてあり、
ヒューもここに刃渡り三十センチ程の直刀を接続していた。
 今は鞘に納められているが、いざジューダス・ローブとの決戦に及べば、
瞬間的に弾幕を張れる連射機能と相俟って抜群の攻撃力を発揮するだろう。
 メーカー生産台数が少なく、マニア垂涎のプレミアものと自慢して見せていたが、
そう言う“とっておき”を無闇やたらと振り回すのはどうかと思うニコラスであった。

「お父さん、ラス君に危ないことしちゃいけません」
「はっはっはァ〜、心配するなよ、ミスト。こーゆーのは男のスキンシップってヤツだ。
男の子ってのは、みんな、モデルガンとか好きだからよぉ〜」

 ミストに注意されてもヒューがサブマシンガンを引くことはなかった。引くどころか、頬に圧し掛かる銃口に更に力が加えられた。
 頬の肉を挟んで歯並びをゴツゴツとなぞっていく銃口がリアルに恐い。

「………おい、コラ。てめぇ、いつの間にウチの娘にあだ名で呼ばれるような仲になりやがった?」
「て、手紙を届けに行ったとき、ちょっと話しまして………」
「お話だけだろうな? え? お話してるうちにそーゆームードになっちゃって、ウッフンとか無ぇだろうな?」
「な、なんですか? そーゆームードとか、ウッフンとかって………」
「トボけてる? ん? 純情ぶってトボけてる? ………ボク、何も知りませんってな顔でトボける奴はな、
大抵、プロブレムな性癖抱えてるもんなんだよ。てめぇもそうなんだろ? さっさと白状しやがれ、このイージーライダー小僧っ!」
「ご、誤解です! お父さんの勘違いですよっ!」
「てめぇにお父さん呼ばわりされる筋合いは無ぇんだが―――あ、やっぱりそーゆーこと? 傷物にしちったから責任取るって方向?」
「いい加減に勘弁してくださいよ、お父さ―――ピンカートンさん。誤解ですって………」

 眼光と声に込められた殺意が本気(マジ)過ぎて、洒落にならないくらい恐い―――
ミストの手前、どうにか踏み止まっているものの、正直なところ、ニコラスは今にも落涙しそうである。


『インベーダーかも知れない異種民族を難民として扱うなど油断も良いところだ。そんな考えは寛大とは違う。
愚かで蒙昧で、無謀でしかない。異世界からやって来た? こことは違うエンディニオンの住人? 
………甚だ信憑性に欠けるいい訳だ! 保身のために虚偽の供述をする輩など、即刻、武力行使で処分すべきであるッ!!』

 どうにかしてヒューの勘違いを解こうと上手い言い回しを模索していたニコラスだが、
会場に設置されたスピーカーから耳障りなノイズを孕んだ怒声が響いた瞬間、不可視の針で胸を―――心を貫かれた。

『その考え方こそ危険ではありませんか? マスターソン代表。原因は依然として不明ですが、
彼らは紛れもなく異世界よりこちらのエンディニオンへ迷い込んでしまった難民です。
母なるイシュタルの教えにも“隣人を愛せよ”とあるよう、我々は暮らしに窮する彼らを庇護し、
問題解決の手段を共に模索すべきでしょう。武力行使などは恥じ入る行為と謹んで頂きたいものです』
『イシュタルの摂理を持ち出すとは片腹痛い! ヤツらが真にイシュタルの摂理を得ているかを誰が確かめた? 
誰か確かめたか!? 写本を読むだけで我らが世界の信仰を騙る知恵は付く。
敬虔な信心を粉飾し、同情を引こうとしているのではないか。そうに決まっているッ!』
『何をもって粉飾をすると言うのですか』
『得体の知れない異種民族を、得体の知れない世界をどうして信じられる? 
仮にこの席に見上げたモラリストがいるとしよう。それは素晴らしいことだ。そうした人間こそ、全き善人と言えよう。
………だが、全ての人間がそうした道徳心で行動出来る訳ではないのだよ。
寒村はどうだ? 戦う力の乏しい町は? 危険分子を受け入れられると思うか? 万が一の場合の防衛力に不足した人々が。
驕りだよ、ルナゲイト氏。大都市を統べる権力者の驕りだ、そんな考えはッ!!』
『得体が知れないから排除すると仰いましたね、マスターソン代表。
率直に申し上げて、貴方の意見に正しき道理を見出すことが出来ませんでした。少なくともわたくしにはね。
困窮した隣人を救うのに身分の照会が必要ですか? 仮に彼らが自らを偽っているとしても、
そこまで追い詰められる理由があると見るべきです。受容ですよ、我々に必要なのは。
それでもなお、武力行使を主張する貴方の道理をお聞かせくださいませんか? 世論に通ずる道理を』
『自ら答えを明らかにしながら気付かぬとは面白い。得体が知れないから排除する。
………臆病な我らが掲げるのはこの一点であるッ!』
『………お話になりません』

 配布されたプログラムによると、ジューダス・ローブのテロ行為やテムグ・テングリ群狼領の版図拡大へ
如何にして対処すべきかが本日の議題であるべきなのだが、誰が口火を切ったとも知れず、
話し合いは本旨を外れて異世界より迷い込んだ人々への対処に摩り替わっていった。
 ………言い換えれば、ニコラスたちの処遇について議論が交わされているのだ。

 ルナゲイト家の調査によって判明していることだが、
エンディニオン中でアルバトロス・カンパニーの神隠しやフィガス・テクナーの転位と同様の怪現象が頻発しており、
首脳陣もこの問題に頭を悩ましていた。
 世界規模で起こる前代未聞の怪現象を如何にして解決するか―――皆が皆、サミットの席にその答えを求めているのだ。

 円卓に座した首脳陣の間で意見は真っ二つに割れていた。
 難民とも言うべき異世界よりも客人を武力でもって討つか、討たざるか。
 用意された選択肢は、ただ二つのみである。
 様子見と言った中道的な意見が許されないほどに討論は硬化していた。

 過激な意見へ諌めのフォローを入れたマユに対して、当の発言者は手ぬるいの一点張り。
やがて過激な処断論に賛同する側と穏健に受け入れようとする側の間で互いを罵る悪言が飛び交い始めた。

「居留区を指定して隔離しよう」
「誰であっても自由は尊重すべきだ」
「異世界の人間にこの世界の法は適用されない」
「イシュタルの教義は生命の尊重だ」
「トラウムであれば負けることなく異族を抹殺できる」
「トラウムであれば難民救済も可能だ」

 ………討論は水掛け論の様相を呈し、完全な膠着状態へ突入していた。

 中でもルナゲイトへ近接する一帯に広大な領土を有する『ヴィクド』の“提督”ことアルカーク・マスターソンは、
ニコラスたちのような異世界より迷い込んでしまった人々を一方的にインベーダーと断定しており、
武力をもってして排除すべきとする過激派の先頭に立ってしきりに先制攻撃を訴えている。
 大型クリッターとの激闘によって喪失したと言う左の義手――おとぎ話に登場する海賊船長の鉤爪そっくりだ――を震わせての熱弁は、
見る者を圧倒した。
 破壊を司る神人、ヴォル・カ・スヴェーヌの信仰が厚いヴィクドの民は元来気性が荒く、
猛々しさ故に他の地方の人々からハイランダー(荒ぶる蛮族)と見なされることも多い。
 成る程、武器型のトラウムを持つ戦士たちを束ねて容赦無い一斉攻撃を仕掛ける力押しの戦法は、
理不尽な暴力を恐れる人々の眼には蛮行としか映らない。
 ハイランダーと言う不名誉なレッテルは苛烈な攻撃力に起因していた。

 ヴィクドは“傭兵の栄”とも呼ばれている。
 クリッターやアウトロー、テムグ・テングリ群狼領の侵攻に対抗する手段を持たない寒村へ傭兵を貸し出し、
それによって得られた利益で富を得ているというのがその由来である。
 実際、バウンティハンターを生業とする冒険者の多くがヴィクド出身者なのだ。

 現在のエンディニオンにおいてテムグ・テングリ群狼領の侵略を跳ね除けられる都市があるとすれば、
アルカーク率いるヴィクドのみだろうと誰もが口を揃える。
 あるいはテムグ・テングリ群狼領に寝返った場合、最も恐ろしい戦団になるだろうとも。
 単体の技量では剣匠の誉れ高きフェイの足元にも及ばないが、組織および行政区単位で言えば、
アルカーク提督が率いるヴィクドは、テムグ・テングリ群狼領と向こうを張れる唯一の強豪であった。

 ヴォル・カ・スヴェーヌの教義は破壊とその運行が根源に根付いているが、
一口に破壊を司ると言っても暴虐な力を振るうことを是としているわけではない。
 生命と魂の循環にとって欠かすことのできない通過儀礼たる死や破壊を統べるヴォル・カ・スヴェーヌは、
その神性を履き違えた愚者がイメージするような邪神でも、イシュタルと争ったドゥムジの如き破壊神ではなく、
静寂にして秩序や調和を重んじる神人である。
 エンディニオンが災いで満ちるようなことが無い限り、自ら破壊の力を振るうなどとは考えもしない。
 何故なら破壊の力を地上へ落とすと言うことは、自らが静観する生命の循環を乱す結果にもなるからだ。
 ヴォル・カ・スヴェーヌは、理性に満ちた神人である。
 ただし、理性に満ちているからこそ、一度、憤怒の化身となると他の神人では止められぬほどの暴威を振るう。
 理性ある者は、その聡さゆえに理性を超越した許し難き存在を忌み嫌うのである。
 救い難き悪心が地上を穢したなら、漆黒の角笛を吹いて千億の絶望を呼び起こし、
エンディニオンに害なすモノ全てを破滅させると言う。
 この教義に則るからこそ、地上に満ちる悪を異世界よりの難民と重ね合わせたアルカークは、
ヴォル・カ・スヴェーヌの教義に従い、今こそ漆黒の角笛を鳴らし、破壊の力を行使すべきと呼びかけているのだ。

 アルカークが熟慮の末に武力行使を決断したと認められるのなら、マユも多少は態度を軟化させるのだが、
眼を血走らせて火を吹く彼の様子からは思慮の片鱗すら見られない。
 もしかすると、烈火の如き表層と裏腹に、胸中には深い思慮を宿しているのかも知れないが、
いかんせんアルカークの立ち居振る舞いは短慮そのものである。
 大言壮語でもって威厳を見せ付けようとする様や、誰に対しても遠慮と言うものがない荒々しさは、
激情の赴くままに破壊の教義を提唱している風にしか穏健派には見えなかった。

 激情に駆られた人間の恣意や扇動によって難民排除の機運が高まることだけは避けたい。
 難民への処遇がたった一人の人間の思惑に左右されるなどあってはならないことだし、これ以上に危険なことはない。
 アルカークの行為は、サミットの存在意義を根底から覆しかねないのだ。


「………………………」

 首脳陣らの思惑から外れた場所で討論の成り行きを見守っていたニコラスからは、もう何の言葉も出てこなかった。

 彼らが議論のテーブルで挙げたように自分たちは難民である。
 他所の世界に投げ出された以上、迎える側の意志一つで一切の処遇が決まってしまうほど立場は弱い。
 十二分に理解している―――筈だったのだが、改めて現実を突きつけられると悔しさや不安よりも哀しさが込み上げてくる。
 排除を主張する声も多い。
 過激派の急先鋒たるアルカークが武力行使を訴える度にニコラスの心は鋭い刃で貫かれ、斬り刻まれ、血を吐く。
 失望が滓のように心の深淵へ溜まり込み、耐え難い蟠りにニコラスは下唇を噛み締めた。

 過激派は、難民をインベーダー…侵略者と見なしていた。
 自分たちをエンディニオンに生きることすら忌々しい存在と吐いて捨てた。

(得体が………知れない―――)

 こんなにも苦しく哀しい差別があることを、ニコラスは今日まで知らなかった。

「世の中には色々な考え方を持ったヤツがいる。
俺っちらみたく受容性に富んだ人間もいれば、あーして頭固ぇ連中もいるんだ」
「………ええ………わかってます、それは………」
「それに寛容であっても、懐具合によっちゃ、受け入れを拒否せざるを得ない場合もある。
こればかりは仕方無ぇ………お前たちには厳しいかもしれねぇが、これが現実だ」
「………………………」

 これ以下は無いと言うくらい沈み込んだニコラスの肩に腕を回して、ヒューは静かに、けれど強く語り始めた。

「だがよ、忘れんじゃねぇぜ? お前たちにはみんながいる。俺っちもアルも、みんなが随いてるじゃねぇか」
「………………………」
「言いたいヤツには言わせとけ。連中が何を言い出したって、俺っちたちの気持ちは変わらねぇ。
みんなよ、背中預け合った立派な仲間じゃねぇか。何があったって傍にいて守ってやらぁよ。
それが仲間ってもんだぜ」

 どうしようもない現実をニコラスと同じようにヒューも理解していた…が、
両者は理解の先にある結論が異なっている。
 どうしようもない現実だから、と失望し、諦めかけたニコラスと異なり、
ヒューはその現実と向き合った上で、彼らを仲間だから「守る」と言い切った。
 一片の曇りもなく断言してみせた。
 ディアナもそうなのだが、大人というものは普段は頼りなく見えるくらいに砕けているのに、
ここぞと言う場面で決して揺るがず、反対に動揺の極地に陥った目下の者を落ち着かせてくれる。
 受け止めるにはあまりにも辛辣な現実に、たまらず耳を塞いでしまいそうになったニコラスを熱く激励するヒューもその一人だ。
 目下にとって頼りがいのある大人そのものだった。

『ベラベラベラベラと一方的にぶちまけてくれたもんだけど、あんた、難民と対面で話したことは?
嘘つき、排除止む無しって判断は、話し合った上での結論なんだろうね?』
『無礼であろうが、ピンカートン。 いかに俗世間と関わりない民族とは言え、
公の席ではそれに準じた発言の仕方と言うものが………』
『無礼なのはどっちよ! マスターソン、あんたのとこには難民のナの字もいないそうじゃないか!
接触もせず、聞きかじりの情報から手前勝手な妄想膨らまして、それで排除止む無し?
………笑わせるんじゃないよッ!! 話もしたことない人間の評価が、どうしてあんたに出来ると言うのッ!?』
『何度も繰り返させるな。得体が知れないんだぞ? そんな連中とどうして接触しなくてはならぬのか!?
どんな病原体を持っているかもわからん!! 汚染されてからでは遅いと言っているのだよッ!!』
『臭いものには蓋理論ってわけね』
『防げる災害は防ぐべきであるッ!!』
『今、この瞬間から、あたしはあんたという存在を心から軽蔑するわ』
『それはこちらとて同じことだ。民を率いる立場でありながら救いがたき短慮………。
軽蔑するだと? 笑わせる―――糾弾されるべき浅薄はどちら側か?』
『………マコシカの集落では一時的だけど難民と称されている人たちを預かったことがあるわ。
酒宴を張ったこともあるし、農業の手伝いをしてもらったこともある。寝食も共にしたわ。
その間、何の違和感も無かった。そりゃ食文化とか些細な習慣の違いはあったわよ。それは事実。
でも、それだけよ。他はあたしたちと何にも変わらなかった。人間として素晴らしい連中だったわ。
あんたが言うように彼らとあたしたちが本当に相容れない存在だったなら、果たしてそんな生活を送れたかしらね』

(………………………)

『信仰だって、あんたが妄想するような虚飾は見られなかった。
あたしたちと一緒になって神人への祈りを捧げるし、母なる女神イシュタルへの畏敬はマコシカの民にも負けない。
何よりも彼らは自分の仕事に誇りを持っていたわ』
『………仕事?』
『自分たちのいない間、職場の同僚に迷惑をかけているんじゃないか、やるべきことを出来ないのが歯痒いってね。
自分の置かれた危機よりも、仕事を共にする仲間をいつだって気にかけていたのよ。
自分の仕事に全力を尽くすことのできる人間に悪いヤツがいた試しが無いわ』
『偏見だな。いや、この場合は贔屓目か』
『あんたとどれほどの差があるって言うのよ』
『何?』
『住む世界がちょっと違うってだけで、その人間性なんか見ようともせず、
偏見に満ちた差別を振り翳すあんたがあたしに向かってそれを言う資格があると思ってるわけ?』
『………………………』
『あたしが人間として向き合った人たちは、例え住む世界が異なっていても素晴らしい人格者ばかりだったわ。
そして、それが全ての異世界人に共通するとあたしは確信している』

(………レイチェルさん………)

『少なくともあたしたちと一緒に過ごした連中は、希望的観測を確信に変えてくれるだけの人格を持っていた。
あんたら、弱い者いじめのバカがのたまうような卑怯者は見たことも聴いたことも無かったわね』
『要は毒されただけではないか。………バカバカしい。感化された人間の言葉に信憑性などありはしない』
『毒? 感化? ………上等よ、ええ、上等じゃない。
ビビり入って触れ合いからも逃げた臆病者に比べたら、汚染されたほうがずっとマシよ』
『貴様、臆病と言うかッ!』
『代表を標榜するつもりなら、安全地帯にいないで自ら率先して異質なものに触れるくらいの勇気を持ちなさいな。
危険が及ばない場所で大口叩くだけの人間には、誰も随いちゃ来ないわ』
『奥地に引き籠もり、外界のことには知らぬ顔をしている輩にここまで野放図に言われるとはな。
でるからこそ、客観的な意見が出せるとでも言うことか? ………驕りだな。実にくだらん。
ひとりの汚染が周囲に伝染し、それが原因で集落ごと全滅した―――そんな話はいくらでも転がっている。
そのような事態を避けるのも、我らのような立場の務めであろうが』
『あんたって人はどこまでも―――』
『それくらいのことも解せぬ頭で世論を語るなど片腹痛いわッ!』
『石頭ってのは、こう言う野郎に使うんだろうねっ!』
『オレが石なら、貴様などは木っ端風情で十分だッ!』

 アルバトロス・カンパニーとの交流を類例に挙げ、
アルカークと正面きって対決するレイチェルの大音声も挫けかけたニコラスの心に勇気をもたらし、
ヒューの語る『仲間』の意味を教えてくれる。

「私も一緒です。苦しいときはラス君の傍にいてあげます」

 フィガス・テクナーで交流を結んだ夜と同じようにニコラスの左手を自分の両手でもって優しく包み込みながら、
ミストも優しく慰めてくれた。
 彼女から伝わる温もりは、やはりニコラスの動揺を癒し、鎮めてくれたが、ヒューから貰った激励と違って素直に受け取れそうも無い。
 直面した現実に泰然と構えていられず、取り乱してしまう自分がひどく未熟に思えてバツが悪いのだ。
 今以上に狼狽した姿をあの夜に見せてはいるものの、ミストにだけは情けなく震える有様を見せたくない―――
そんな風にニコラスは考え、だからこそ彼女に慰められる自分の弱さが沁みた。


「お父さんの前で公然イチャイチャか………おーし、いい度胸だ。本気で覚悟しとけよ。
戦ってる最中、ヤバい角度から流れ弾が飛んで来ても、俺っちは知らねぇかんな。
自己責任でどうにかしやがれ。………どうにも出来ねぇ弾数、バラ撒いてやっけどな」
「もうっ、お父さん、いい加減にしてください。本当に怒っちゃいますよ?」
「てめぇのせいで娘に叱られたじゃねーかッ!! どうしてくれんだよッ!? 俺っち、今夜は枕を涙で―――」

 色々と悔しい光景を見せ付けられたヒューは、
ニコラスの首へ絡ませていた腕に力を込めて「全国のお父さんの敵だ、お前は」などと悪態を吐きつつ、
“お父さん”ならではのお仕置きを施していたが、遠くに聴こえた怪音に気が付いた途端、顔色を変えて周囲を見回した。

 一瞬の内にプロの顔へと変わっていた。
 目にも止まらぬ速さでニコラスから腕を離し、サブマシンガンを油断なく構えている。
 ヒューの豹変と、何よりも決して小さくない怪音にニコラスも事態を察知し、
彼と背中合わせになって周囲に異変が無いかどうかを睨み据える。
 双眸と共に四方を睨めつけるのは、ガンドラグーンの砲門である。

 遥か遠方に捉えた怪音は一度きりでは終わらず、その後も断続的に聞こえてきた。
そして、明らかに近付いて来ている。
 最早、聞き間違えることはない。それは、逃げ惑う人々の悲鳴が混じった破壊音だった。

「お、お父さん!?」
「………お父さんッ!」
「ミスト、お前は安全な場所に避難してろ。母ちゃんは父ちゃんが必ず守ってみせっからよ。
それから、どさくさに紛れて俺っちをまたお父さん呼ばわりしやがった馬の骨は後で電気アンマの刑だかんな。
忘れんなよ―――」

 サミットの会場は騒然となり、遠くに見られる仲間たちに走る緊張も手に取るように分かった。
 電光石火の身のこなしでそれぞれがそれぞれの持ち場へ走り、混乱するあまり席を立ってうろたえる首脳陣の周りを厳重に固めた。
 各ゲートを守る特殊チームのメンバーもトラウムを、MANAを構えて迎撃の態勢を整えていく。

「―――だから………生きて残れッ!!」
「了解ッ!」

 巻き込まれた人がいるのだろうか―――泣き声混じりの悲鳴とコンクリートを破砕し、
木造の建物を粉砕していく激音は南のゲートの向こう側から聴こえてくる。
 徐々に徐々に…焦らすかのようにして近付いてくる。
 “敵”からの攻撃は、ルナゲイトの市街地を第一の標的として火蓋を切った―――

『ク、クリッターだッ!! サーカスのクリッターが脱走したぁッ!!』

 ―――かに見えた。
 しかし、メインストリートを巡邏していた警備員より無線を通じてもたらされた情報は、
アルフレッドたちが迎え撃たんとするジューダス・ローブの爆撃ではなかった。

「アル! どういうことなんだ!? ジューダス・ローブじゃねぇのか!?」
「待て、待ってくれ、ラス。俺も、今、詳報を確認しているところなんだ」

 円卓近くで警戒に当たっていたアルフレッドに合流するなり、事の成り行きを尋ねるニコラスだったが、
アルフレッド自身、事態を把握しきれているわけではなく、逐次もたらされる受信イヤホンからの報告を頼りに情報を整理している最中だ。
 一つのバディにつき一つは無線機が手渡されており、ニコラスの組では相方のヒューが装着していたのだが、
破壊音を聞きつけた瞬間、彼は妻であるレイチェルを庇うかのようにして円卓の議席へと駆けつけていた―――
と言うよりも、ニコラスが彼を行かせたのだ。

「お父さ―――ヒューさん、ここはオレが受け持ちます! レイチェルさんのところに行ってあげてください!」
「バッ………バカ野郎ォッ! 長年の宿敵さんとドンパチやろうかってときに、ンなコトできるかよッ!? 
手前ェのカミさん助けに行ってました―――なんて間抜け面晒して言ってみろ。今度こそゴミ溜め扱いされるわ!」

 無論、促された当初はヒューも渋った。
 …否、渋ったどころの話ではない。配慮そのものはヒューも迷惑には思わなかったのだが、
しかし、どうして申し出を受けられようか。
 自他共に認める宿敵との決着戦よりも家族の安否を優先するなど物笑いの種にしかなるまい。

「そんな人たちじゃないでしょう? みんなもそれくらいは大目に見えくれますよ」
「だからそれに甘えるわけにゃ行かね〜っつってんだよ! 俺っちは誰だ? ヒュー・ピンカートンだ! 
ジューダス・ローブとずっとやり合ってきた物好き探偵なんだよッ! 
そう言う人間が持ち場を離れるってのがどう言うコトか、おめーにだってわかんだろ!?」
「そう言う人がレイチェルさんや―――そう…、サミットの出席者たちを守る為に突撃していったら、
みんなの士気も高まるんじゃないですかね?」

 対ジューダス・ローブ用に練り上げられたチームワークを乱すことは大変に心苦しかったのだが、
ヒューの心情を思えば、何を置いても愛妻を助けに走りたい筈だ。ニコラス本人とてレイチェルの身を案じるひとりである。
 ミストの為にもレイチェルの安全はどうしても確保してやりたかった。

「………てめェ………」
「オレたちの為にも行って下さい。ヒューさんが戻るまでの埋め合わせくらいオレにだって出来ますよ」
「ガキんちょが一端の口を聞くんじゃね〜よ。………ガキんちょにここまで啖呵切られたんじゃ、
応えてやらねぇわけにはいかねーじゃんかよ………」
「オレだって同じですよ。必ず応えて見せます、ヒューさんに」
「うっせッ! ナマ言うなッ! ………別に期待を掛けてやるってワケじゃねぇがよ、俺っちが戻るまで絶対に踏ん張れよな」
「こう見えても根性は結構あるほうですよ。………心配、ありがとうございます」
「か、勘違いすんじゃねーよ! おめ〜には電気アンマ喰らわせなきゃなんねーんだからよ。そこんとこ、わかってんな? 
―――わかってんなら、ここは預けてやってもいいぜ」
「………了解ッ!」

 こうして将来の義理の息子――などと言おうものなら、目くじらを立てて怒るだろうが――に強く背中を押されたヒューは、
ようやく愛妻のもとへと駆けていったのだが―――

「―――ここで締め括れたら美談だったのだがな。お前もヒューも、どうにも詰めが甘いな」
「踏ん張るって大見得切った後だけに情けねぇやら恥ずかしいやら………。
後でヒューさんにどやし付けられるんじゃねぇかって思ったら、そっちのほうがテロリストより断然おっかねぇよ」

 ―――ここでニコラスは大きな失敗をしてしまった。ヒューから作戦行動に必要な無線機を受け取り損ねたのである。
 間抜けと断じられたらそれまでだが、つまるところ、ニコラスには事態を把握するための情報を得る手段が無かったわけだ。
 混迷において情報の不足は何よりも心細い。
 SA2アンヘルチャントを油断なく構えながらも、フィーナもニコラス同様にアルフレッドを不安げに見詰めていた。

 二人から同時に向けられた焦れた眼差しを冷ややかな眼光一つで窘めたアルフレッドは
混乱収拾に必要な情報を受信した相手へ更に求める。
 ルナゲイト最大の祭典とも言えるサミットに合わせて町に入っていたサーカスの一団から
ゾウ型のクリッター二頭が檻を破って脱走したことが騒動の発端だと通信者は口早に説明する。
 幼生の頃に捕獲し、人間の手で躾を施したクリッターを使った芸で知られるこのサーカスは
世界を股にかけて活躍する一団で、演芸に無頓着なアルフレッドでもその名を耳にしたことがあった。
 クリッターテイマー(※機械獣使い)が扱いを誤ったのが原因らしいのだが、
普段はおとなしい筈のゾウ型クリッターが前後の見境を無くす激しい興奮状態に陥ってしまい、檻を破って脱走。
ルナゲイト中を暴走し、目に付く建物を片っ端から破壊して回っていると、
通信先の警備員は些か怯えの混じった声で締め括った。
 暴走する二匹のクリッターを目の当たりにしたと話す彼の声の調子からも、
地響きを上げて荒れ狂う機械のゾウの恐ろしさが伝わってくるようだった。

 ジューダス・ローブからの攻撃でないことを知らされたフィーナとニコラスはひとまず胸を撫で下ろしたが、
アルフレッドにはクリッターの脱走劇がテロリストの仕掛けた罠ではないかと思えて仕方が無い。
 ルナゲイトを混乱に陥れ、“仕事”のやり易い状況を作ろうとしているのではないか。
 あるいは、ゾウ型のクリッター二匹に会場を襲わせるつもりなのかも知れない。

 周到にして非道なるジューダス・ローブが用いそうな計略―――この場にヒューがいたなら、きっとそう吼えたことだろう。
 サーカスの関係者を直接聴取したという通信者の説明によると、
単純にクリッターテイマーが操作をしくじっただけの偶発的な事故であり、テロリストとの関連は薄いとのことだが、
あらゆる事態に想定するのが作戦計画の基本原則と習ってきたアルフレッドは、依然として緊張を緩められない。
 偶発的にせよ、人為的にせよ、常ならざる事態が起きたときには最大限の警戒を張り巡らせねばならないのだ。

 アルフレッドはにわかに胃の底が冷えていくのを感じた。
 太陽が照りつけるルナゲイトの空の下、急激に気温が低下したのではない。
 突発的な事件がジューダス・ローブと拮抗する為に張り巡らせた計略を破綻させる遠因にならないかと言う危機感と焦燥感が、
彼の心に寒波を呼び寄せたのである。

 それを張り巡らせる術に長け、軍師とまで称賛されるようになった知恵者のアルフレッドは、
実は計略が存外に脆いものだと誰よりも熟知している。
 緻密に凝らした作戦が些細なミスで瓦解するケースなど珍しいことではなく、
今、アルフレッドの立てた計略も不名誉な類例と並びかねない危機に見舞われていた。
 フィーナやニコラスは、まさかアルフレッドの立てた計略が遠くで暴れるクリッターによって乱されるとは想像すらしていない。
 「驚かせてくれるよ」と大袈裟に肩を竦め合う二人を尻目に、アルフレッドただ一人が戦慄していた。


「おい!? マジでけぇぞッ!?」
「うっわー、ビルバンガーなんて目じゃないね、ありゃ。あんなのに暴れられたらサミットどころじゃないんじゃない?」

 タスクとアイルが詰める南のゲートまで様子を見に出かけたシェインとフツノミタマが揃って嘆息を漏らす。
 ここから何ブロックも離れた場所で二頭のクリッターは暴れまわっているので、
よほどのことがない限り、サミットの会場にまで突進してくる危険性は少ないように見える。
 安普請が当たり前の寒村と違い、耐久性に富んだ鉄筋コンクリートのビル群は
そのままクリッターの動きを妨害する巨大な檻と化しており、また、複雑に入り組んだ街路がその足元をもつれさせた。
 巨大な檻と入り組んだ街路の二つが条件として整えば、
ゾウ型クリッターは全長二十メートルを越えるその巨体ゆえに自由を得られるスペースが限定される。
 いずれ袋小路に追い立てられ、身動きが取れなくなるだろう。
 そこを仕留めれば良い、とフツノミタマは他人事のように考えていた。

 とは言え、ルナゲイトの財産であるビルや建物が破壊されるのに変わりはなく、
ジョゼフやマユにとっては目を覆いたくなるような光景だ。
 建造物の損壊だけで済むならまだ良いが、不幸な犠牲者が出た場合、ルナゲイトが被るダメージは計り知れない。
 ルナゲイトは人が生きてこその都市である。
 人の生きる都市を誇りとするジョゼフやマユにとって、人的被害は身を切られるより辛い責め苦なのだ。

 そのような事態を看過出来ぬ英雄がこの場に居合わせたことは、彼らにとって何にも勝る幸運であろう。
 なにしろルナゲイトで生まれ育ち、この都市に一方ならぬ愛情を抱く英雄たちだ。
誰に要請されるまでもなく、町を、人を守らんと故郷の町並みへと飛び出していく。

 その英雄たち―――ソニエとケロイド・ジュースにとって、ルナゲイトは何にも替え難い故郷だ。
 英雄の義務よりもっと原始的な、大切なモノを守らんとする衝動の赴くまま、二人は反射的に動いていた。

「ケロちゃんっ!」
「………促されるまでも無し………事情は知らぬが………我が町我が友を傷つける所業………
断じて許し難し………手違い間違い………知ったことか………落ち度の下手人………とっ捕まえて………
お尻ペンペンしてやろう………!」

 対テロの警備主任を務める彼らだが、そうした事情を踏まえたなら、持ち場を離れた軽率を咎める人間はいないだろう。
 ルナゲイトを破壊して巡るクリッターを阻止することは平和の祭典たるサミットにとって有益でこそあれ、無益ではないのだ。
 逸早くクリッター阻止へと走った二人の勇姿を称え、首脳陣からは「あれこそまさしく英雄の姿」と拍手喝采まで巻き起こっていた。

「アルッ! ………いいねッ!?」
「―――委細承知! 兄さんこそ気を付けてください!」
「ドラゴンにだって勝った身さ。遅れを取る理由がないッ!」

 不測の事態を如何にして対処すべきか? 
 指示を仰ぐかのように自分を見つめてきたアルフレッドへ「ここは任せた」と手短に返したフェイは
ツヴァイハンダーを片手に二人の背を追った。
 ルナゲイトではなくグリーニャを故郷に持つフェイは、激情にも近い衝動に行動の原理を委ねた二人とは違い、
英雄としての責務を果たすべく会場を後にする。

 ………アルフレッドの見間違いでなければ、その横顔にはある種の口惜しさが滲んでいるようでもある。
 自らの手でジューダス・ローブを討ち取り、我こそが英雄であると皆に――誰よりもアルフレッドに――宣言したいが為の口惜しさが。

「ラス、アルバトロス・カンパニーのメンバーに伝えてくれ。
会場は俺たちで受け持つから、お前たちはフェイ兄さんのサポートを頼む。
いくらあの三人が強かろうと大型クリッター二頭が相手では分が悪い」

 フェイに滲んだ口惜しさの真意を知る由も無く、不審な影を疑うべくも無いアルフレッドは
思考を次に打つべき手立てへと瞬時に切り替え、閃いた一計をニコラスへ向けた。

「一頭引き受けろって? あそこまで大型のと戦(や)るのは初めてだぜ、俺」
「まさかと思うが、怯懦したか?」
「挑発になんか乗らないぜ。命令には乗ってやるけどな」
「命令じゃなくて頼みごとだよ。………兄さんたちを頼む!」
「了解ッ! ………すぐに戻るからなッ!」

 了承するや否や、バイクにシフトさせたガンドラグーンに跨り、
各ゲートに詰める仲間たちへ順繰りにクリッター撃破の指示を出していくニコラス。
 アルバトロス・カンパニーの面々もすぐに意を得て自走形態へとMANAをシフトさせ、彼の後に続いた。
 無線機やモバイルを使って悠長に連絡を取っている暇も惜しい。速攻でクリッターを撃破し、この場に戻ってくると宣誓するかのようだった。
 そこまで心配されては仲間として嬉しい限りなのだが、
この場からニコラスたちを遠ざけたかったアルフレッドにとって、彼の気遣いはほろ苦かった。

 確かに大型クリッターとの戦いは危険ではあるものの、
高い攻撃力を誇るMANAを備えた五人がかりで攻め入れば大して労せず撃破することができるだろう。
 ジューダス・ローブと激突するよりは遥かにダメージは少なくて済むと思える。
 数を求めるジョゼフらルナゲイトの経営陣の求めに押し切られて招聘こそしたものの、
元よりフィガス・テクナーの件だけで手一杯な彼らをテロとの戦いに巻き込みたくないと考えていたアルフレッドは、
千載一遇のチャンスとばかりにニコラスたちへクリッター撃破を指示し、
最大の激戦地と予想される円卓より遠ざけたのである。

 南のゲートを潜り、二頭のクリッターが暴走するストリート目掛けて飛び出していく彼らの背中を見送るアルフレッドは
不謹慎を理解しつつも、彼らがこの場に戻ってくるのが少しでも遅いことを祈った。
 それまでにジューダス・ローブが現れ、自分たちのみで決着をつけられることも一緒に。

 アルバトロス・カンパニーの抜けた穴を会場巡回組で補填しようと采配の無線マイクを握った直後―――
ついにそのときが訪れた。

「アル………ッ!」
「ああ………間違いない、これはジューダス・ローブの攻撃だ………ッ!」

 会場の外周で爆薬を炸裂させた激音が轟いた。
 その数、一つ二つ三つ………一回ごとの規模はそれ程大きくはないものの、
まるで蛇が這い回るかの如く断続的な爆発は外周をぐるりと巡り、
外周を撫で終えると今度は観覧規制の為にもぬけの殻だった観覧席で火柱を上げた。
 爆発物が塀を越えて投げ込まれたのである。
 フツノミタマの見立てを裏切ってゾウ型クリッターが会場にまで突っ込んできたのでもなく、
サミットの閉幕を祝う花火を職人が誤って打ち上げたのでもない。

 ―――今度こそジューダス・ローブのテロ行為が始まったのだ。




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