2.Healing Arcana



 仮面の兵団によるルナゲイトへの奇襲から、間一髪のところで逃れてきたアルフレッドたち一行。
 敵が通信局に目を向けていたからなのか、それとも単に運が良かったからなのか、
彼らは仮面の兵団に遭遇することも追跡されることも無く、ルナゲイトから数十キロメートル離れた場所にある、
ジョゼフが――正確にはルナゲイト家であるが――運営し、
彼の別荘もある別荘地帯のセント・カノンへと到着していた。

「とりあえずは、ここまで来れば大丈夫じゃろうて。別荘地帯だけあって都会の喧騒からは離れたところにある。
彼奴らの目的がどうであれ、このような場所に好き好んでやって来ることもなかろう」

 ジョゼフが彼のトラウムである派手派手しいペイントと無数のライトが装飾されたデコトラ、
オールド・ブラック・ジョーのドアから降り立つ。
 と言っても、真っ先に後部のコンテナから飛び降りたのは、ジョゼフの忠実なエージェントであるラトクだ。
安全を確かめた後に運転席のドアを開け、忠誠を誓う盟主を迎えた。
 こんな悪目立ちする物が走っていたのに狙われる気配も無かったという事は、
つまり襲撃者の狙いは自分たちではないという事であろう。
 やれやれ、と彼は一度長い息を吐いて、他の面々を安心させるように語りかけた。
 ジョゼフの言葉通り、シックな建物が並んだ緑の多いこのセント・カノンに至る頃には、
あの騒乱が悪い夢だったと思わせるほどに、周囲は静まり返っていたのである。

「確かにここまで来れば追撃もそうそうは無いだろう。こんな戦略的価値の無さそうな所を攻める好き者もいないはず。
『まずは一安心』と言いたくなるが、そうもいかない、か……」

 ジョゼフの言葉を受けて、アルフレッドは誰に聞かせるでもなく独り言を呟く。
 突如として降りかかった災難、あの仮面の兵団の攻撃から逃れることはできたのだが、
それでお終いだと安心できない。
 彼らにもう一つの事態が重くのしかかっている事は、
逃避行の最中であった時から彼の心中を穏やかではいられなくしていた。つまり――

「セフィ! ここでおっちんでもうたらあかんで! こういう時は気合や! ガッツとド根性で治すんや!
『病は気から』やで。怪我も似たようなもんやさかい、しっかりきばってや!」
「アホか、そんな精神論で怪我が治りゃあ医者はいらねえっつうの。
こういう時は焼酎と焼け火箸って相場が決まってんだ。おう、誰でもいいから持って来い!」
「どっちもバカな事言ってるんじゃないよ! どこからどう見ても重傷だろう?
そんなやり方で治せるわけがないじゃないか。もっとまじめに考えろって!」

 そう、あの騒動の中で深手を負ってしまったジューダス・ローブ…いや、セフィもまた、
アルフレッドたちと共にセント・カノンまで送られてきていたのである。
 周囲の者が手当てをし、意識をはっきりと保たせようとしきりに声をかけ続けたが、
肝心のセフィはその声に答えることも無く、ひたすら苦しそうに呼吸を続けているのみであった。
 何とかジョゼフ宅の敷地に入り、トラックの固いコンテナの上から彼をベッドの上へと移すことができたが、
根本的な解決には至るはずもない
 医者を呼んでこようにも、シーズンオフの別荘地に来てくれそうな医者がいるだろうか。
 ジョゼフの力を使えばできない事も無いだろうが、
しかし呼べたとしてもその医者がセフィの重傷を治せるだろうか。
 そもそも、医者が来るまでセフィの体力が持つかどうかと問われれば、否と答えるのが妥当なほどの怪我なのだ。

「フィー姉ェ、もう一回CUBEを使ってみてよ。もしかしたら今度は上手くいくかもしれない」
「だめだよシェインくん…… やっぱり、これだけの怪我だとこのCUBEの力じゃ……」

 フィーナが手にしているのは、グリーニャから旅立つ際にクラップから渡された生命のCUBE『MS-LIF』である。
 自然治癒力に作用して回復を促進させる効果を持つ『MS-LIF』があればセフィの傷も治癒できるはず―――
そんな淡い期待が彼らにはあった…が、しかし、フィーナが言ったように、何度試しても完治させることはできない。
 致命傷ともいえる怪我を治療するほどのエネルギーは『MS-LIF』には込められていないのだ。
せいぜい、出血を少しばかり抑えるという程度しか効かなかった。
 フィーナは何度も何度も、自分が倒れそうになるくらい力を使ってCUBEを用いて、
何とかセフィの怪我を治そうと奮闘したのだったが、しかしそれはほぼ徒労でしかなかった。
 言い表しようのない無力感が徐々にこの場を包み込んでいった。それでも、

「CUBEがだめだからって諦めていられないよ。ボクたちだけでも何とかするしかないじゃないか。
………ヒュー、あんたも手伝ってくれよ。セフィとは旧知の仲なんだろ? 
見捨てるなんてマネはしないだろ?」

 セフィの容態が刻一刻と悪化していく中で、治療の手立てが無い絶望的な状況下で、
シェインは諦めるという選択肢をとることなく、何とか彼の命を助けようと周りの人たちと一緒に懸命に努力をしていた。
 そして、この様子をただ傍観しているヒューに対しても手助けを求めたのだ。
 だが彼はシェインに言葉をかけられても、別荘の壁にもたれかかったまま、動き出そうとはしなかった。
 しかもである―――

「そんなんやってられっか。ここでくたばっちまうのも奴さんの運命ってやつじゃねえか? 
見ての通り今くたばりそうなそいつはテロリストなんだぜ。
今までもよ、奴さんはさんざん、色々と悪事をやらかしてきたんだ。いわば、当然の報いってやつだろうよ。
誰が助けてなんかやるもんかい」
「何だってんだよ、その言い草は! 人が死ぬかどうかの瀬戸際だっていうのに、
報いとか当然とか、言葉をかけてる場合じゃないだろう!? もういいよ、ボク一人でだってやってやるッ!」

 シェインがこう怒るのも道理といえば道理ではある。
一人の人間の死を前にして、ヒューはそれがさも当然であるかのように、冷たく言い放つのだから。
 長年ジューダス・ローブ、セフィを追い続けてきたヒューの立場からしてみたら、
憎むべきテロリストのセフィが死ぬのはむしろ喜ぶべき、祝うべきことではあったのだろう。
 だが、実際のセフィがどのような人物であったとしても、シェインはヒューの物言いに納得できなかった。
 善悪で物事を割り切ることも、ヒューの複雑な心情を慮ることも彼にはできなかったのは、年齢や性格の問題なのだろう。

 そういうシェインよりは、ヒューの方は年を取った者の厄介さとでも言うべきか、簡単な考え方ができないでいた。
 口先では冷酷な言葉を吐き出すものの、それとは裏腹にヒューの表情は曇ったまま。
まんじりとしない苦々しく思う様子がありありと見て取れた。
 シェインにあれこれ言われてみても、それでもヒューはただ複雑な表情を浮かべたままジョゼフの別荘を出るだけだった。







「くそったれめが……」

 説明し難いもどかしさを感じながら、天を仰いでぼそりとただ一言だけ呟くヒュー。
タバコをくわえるとおもむろに火を点け、深々と煙を吸い込んだ後で、ふっと短く息を吐いた。
 そこへふと、フツノミタマが音も無く彼に近付き、尋ねた。

「長年のライバルがくたばりそうだってのに、別れの言葉一つもかけねえのか?」
「奴さんには散々ムカっ腹がたっていたんだ。だからくたばってもいいと思っていたはずなんだがなあ。
あんにゃろうにはよ、俺っちがこの手で直々にワッパをかけてやりたかったんだ。
それがこんな下らねえことでおっ死んじまったらどうしたって気持ちの整理ができねえ……
俺っちの立場からすりゃあ両手を上げて喜ぶべき事なのかもしれねえが、
しっかしこれじゃあ生きがいってやつが無くなっちまうような気がしてなあ。
どうにもこうにも、喜んでいいのやら悲しんでいいのやら分かったもんじゃねえ……」
「生きがい、か…… ま、分からねえ話じゃねえがな。唐突にそれを失うってのは辛れえ事だな」

 問いかけに対するヒューの答えにフツノミタマは何か思うところがあったのであろうか、
それだけ言うと彼もまた難しい顔をして黙ってしまう。沈黙が二人の間を流れ続けた。

 些か気まずげな沈黙に耐えかねたのか、ポケットから箱状の物体を取り出したフツノミタマが、
ヒューに向かってそれを放り投げた。
 事前の合図もなく投げ寄越されては普通の人間なら取り落とすところだったが、
そこはヒューのこと、初動の反応こそ遅れたものの、すぐさまに身を翻してキャッチした。
 フツノミタマが投げ寄越したのは、彼が愛用しているモバイルであった。

「ここで焦っていたって、何かが変わるもんでもねぇだろ。………だったら、時間を有効に使えってんだよ」
「使えったって、俺っちに何をしろっつーんだよ。アプリで遊べってか?」
「おめでたいのは髪の毛だけにしろ、バカ。………てめぇにはもう一個の“生きがい”があんだろうがよ」
「………………………」
「家族サービスを疎かにするヤツぁ嫌われるぜ」

 いきなりモバイルを放られたところで意味が不明だと首を傾げるヒューだったが、
やがてフツノミタマの意図に気付くと、こそばゆそうに頭を掻いた。口元には薄い笑みが浮かべられている。

「いや、俺っち、自分の持ってるからわざわざ借りなくたっていいし」
「んなッ!?」

 ヒューから返って来た指摘にフツノミタマは素っ頓狂な声を出した。
 考えてみれば至極当たり前のことなのだが、そこまではフツノミタマも頭が回らなかったらしい。
 相当にイージーミスが恥ずかしかったのか、ヒューから自分のモバイルを引っ手繰ると、
フツノミタマはそれきりそっぽを向き、むっつりと押し黙ってしまった。
 その様子がどうにも可笑しかったヒューは、もう一度くらいからかってやろうかと邪念を抱いたのだが、
しかし、モバイルを投げて寄越したのは、間違いなくフツノミタマなりの気遣いである。
 同じ境遇を分かち合える者同士にしか交わすことのできない配慮とも言えよう。

「………回線がパンクしてるんだろうな。それか、回線自体が敵さんに占拠されちまったのか―――
カミさんとマイ・ドーターの両方に何度もコールしてんだが、全然通じねぇんだよ。
メールだって届いているか知れたもんじゃねぇのさ」

 テレビ局の機材は使えず、またラジオ用の電波塔や中継基地まで鉄くずと化している為、
ニュースによる速報を得ることは出来ないようだが、しかし、モバイルによる各種通信は今も生きている。
 にも関わらず、ヒューのモバイルは家族との連絡がつかない有様であった。
 ある人は緊急連絡を、またある人はネット上の掲示板に書き込むなどしてルナゲイトで起こった事件を各地へ発信し、
これを受けて混乱状態に陥った人たちが親しい人間の安否確認などを一斉に始めた結果なのだろう。
 モバイルの通信回線がパンクしたとしか思えなかった。
 ホームページへの接続など限定的ながら一部機能は今も継続して使える為、
仮面の兵団によって通信網が遮断されたセンは薄いとヒューは推理したが、
明確に原因がわかるだけに家族への連絡が不通となっている現状には耐え難いものがあった。

「………………………」
「………お前さんは?」
「オレは―――………オレんとこは心配いらねぇんだよ。オレに心配されるようなタマじゃねぇ」

 先ほどの返礼とばかりに自分のモバイルを差し出すヒューであったが、
精神年齢の低さゆえに冗談の通じないフツノミタマはこれを強引に押し戻し、
「次にナメた真似をしやがったらブチ殺す」と歯を剥き出しにして怒って見せた。
 どうやらヒューのジョークは、皮肉と受け止められてしまったらしい。

 それはともかく、フツノミタマの返答は如何にも抽象的で、掴みどころのないものだった。
 具体的な話をはぐらかされたような印象を受けなくもない…が、自分の身の上話を完全には拒絶しておらず、
手がかりのような物を残すのに留められてはいるものの、やはりヒューには特別なシンパシーを抱いている様子である。

「………約束、破りやがったら承知しねぇかんな」

 天を仰いでタバコの煙を吐き出したヒューは、器用にも片手で持った自分のモバイルのディスプレイ画面を暫し眺め、
それからここにはいない“馬の骨”へ悪態を吐いて見せた。
 ディスプレイの待ち受け画面には、ピンカートン一家で撮影した写真が使われている。







 その頃、ヒューが言うところの“馬の骨”は、彼と交わした約束をちゃんと履行していた。
 現在(いま)は、サミットへ参加したマコシカの民を集落まで警護する道程である。
 無論、レイチェルやミストもこの中には含まれている。ニコラス一人では心許ないだろうとダイナソーも一緒だ。
 ヒューの噂話が影響したのかそうでないのか、ニコラスが披露した盛大なくしゃみによって
正面に座っていたダイナソーの顔へ唾(つばき)が掛かってしまい、
これがもとでふたりの間に口げんかが勃発、ようやくそれが落着して、レイチェルたちから笑い声が上がったところである。
 満天に星が躍るような時間帯となった為、無理な強行軍を避けて休息を取っている最中なのだ。

 車座になって焚き火を囲む一同の足元には、ニコラスが非常食としてガンドラグーンに常備しているコンビーフの空き缶が転がっていた。
 嗜好品と縁遠い生活を送っているマコシカの民には些か刺激が強すぎたようだが、
さりとて栄養補給をしないことには逃避行も苦しいものとなる。
 翌日にはキャットランズ・アウトバーンへ入る予定となっている。ひとまず今夜は小さなコンビーフで凌ぐとして、
空腹を満たせるだけの食事はサービスエリアまで我慢しようと言うわけだ。
 キャットランズ・アウトバーンのサービスエリアは、旅人向けに食事を提供するなど大いに繁盛している。
 件のアウトバーンへ程近い場所に至ってもルナゲイト襲撃の余波は見られない為、
おそらくは通常通りに営業している筈である。

「ラス君、ダイナソーさんと一緒にいるときが一番楽しそうです」

 なおもしつこく不満を垂れるダイナソーの首を脇に抱えて締め上げるニコラスを見て、またも笑い声が起こる。
 口元を手で隠しながら控えめに笑うミストは、ニコラスとダイナソーの仲をそのように評したが、
ニコラス本人にとっては大いなる迷惑であったようだ。露骨に顔を顰め、心外だと溜め息を吐いた。

「それだけは勘弁してくれよ、ミスト。何が悲しくてこんな野郎と………」
「おうおう、つれねぇこと言うじゃねーか、ニコちゃんめ」
「当たり前だろ。お前といても楽しくなんかねぇよ」
「じゃあミストちゃんと一緒のときは?」
「ミストはっ―――えっと………」

 お返しとばかりにミストとのことをからかってやるダイナソー。
 からかうと言っても大した内容ではなかったのだが、それにも関わらず、ニコラスとミストは揃って顔を真っ赤にし、
困ったように俯いてしまった。
 初々しいと言うか、純情と言うか、見ていて気恥ずかしいふたりである。

「あッ…その………すみません、不謹慎でしたね、この非常事態に………」

 ふたりの様子を微笑ましく眺めていたレイチェルは、視線に気付いたニコラスが不要な気遣いを見せたことへ
「子どもがそんなこと言うんじゃないの。大人の仕事がなくなるでしょ」と苦笑を漏らした。
 ニコラスは何一つとして責められるようなことをしてはいない。
それどころか、気鬱になりかけていた皆を笑いでもって励ましてくれたではないか。
 陳謝されるどころか、むしろこちらから礼を述べるのが筋であろうともレイチェルは考えていた。
 
「………レイチェルさんとヒューさんってよく似てますね」
「よしてよ、あんな宿六となんて! 情が移るのは仕方ないとして、移されるなんてまっぴらごめんだわ!」

 そんなレイチェルの姿に彼女の夫であるヒューと通じるものを見出したニコラスは、
サミットの席で掛けられた激励をしみじみと振り返っていた。
 アルカークほか心無い人間から害虫の如く扱われたとき、「何があったって傍にいて守ってやらぁよ。それが仲間ってもんだぜ」と
背中を押して貰ったことが、どれほど励みになっただろうか。
 仲間の存在を実感できるように肩へ腕を回し、「お前たちにはみんながいる」と力強言い切ってくれたヒューのことを、
ニコラスは他の誰よりも慕っているのだ。
 そのヒューが遠い彼方で自分のことを馬の骨呼ばわりしているとはニコラスは夢にも思うまいが、それはさておき。

「パイナップルのおっさんは知らね〜けど、俺サマもレイチェルお姉さまには随分と励まされましたよ。
あの演説、テープに残ってねぇかな? へコまされたときにヘビロテしてパワーを貰いたい」
「お前にしてはグッドアイディアだな。今はちょっと探すの難しいだろうが、アレは生きてるうちにもういっぺん聴きたいもんだぜ」
「ちょ…こらっ! 大人をからかうんじゃありません!」

 勿論、アルカーク相手に切って見せたレイチェルの啖呵も、ニコラスやダイナソーの心を大いに震わせ、前進の推力となっている。
 
「………しっかし、ラスの台詞じゃねーけど、非常事態だよな、今んところは。何者なんだろうな、アイツら。
趣味がクソ悪ィ仮面なんか被りやがって。アレで自己主張してるつもりなのかね。だとしたら全然なっちゃいね〜んだよな。
やっぱり男たる者、自前の素材で勝負しねーとダメだって思うわけですよ。俺サマのヘアスタイルみたいにさ!
見た目インパクトあるけど、あれじゃアピールしたいのか、隠したいのか、わけわかんねーもん」
「あんたらにも見覚えがないのかい? あたしにゃもうわけわかめって感じなのよ」
「少なくとも、オレたちの世界では見たことがありませんね」

 レイチェルが口にした「わけわかめ」とは、「わけがわからない」と言う意思表示の古めかしい表現方法なので、
耳にした人の中には、去りし日の懐かしさが込み上げる向きもあるかも知れないが、
間違ってもそれを「死語」などとは言ってはならない。
 レイチェルと言うナウなヤングを捕まえて、「死語」と言う不適切な言い方をしようものなら、
生まれてきたことを後悔するような目に遭わされるだろう。

「俺サマたちの世界とこの世界、どちらにも属さない存在っつーコトになんのか、あのヘンタイ仮面どもは。
空間からポコッと出てくるなんて、登場の仕方も不思議だったし、実は異世界人なんじゃねーの? 
異世界からの襲来、みたいな」

 一瞬、口元が引き攣りかけたダイナソーは、言わば地獄の淵からの生存者である。
 いつもの調子で「うわ、レイチェルさん、オバタリアンみたいっスね♪」などと軽口を叩いていたら、
今頃、アルバトロス・カンパニーの社員名簿から一名分が除かれていたことだろう。
 横道に逸れる軽口よりも会話の進行を優先させたのは、全く以って良い判断であった。

「むしろ、登場の仕方だけを取り上げたら、オレたちの世界の側、と言えるんじゃねぇか? あの現象は―――」

 ルナゲイトが奇襲を被った折、その最終段階に於いて仮面の兵団が何も無い空間から突如として出現する現象を
ニコラスたちは実際にその目で確認していた。
 光が屈折するかの如く空間が虹色に歪んだかと思えば、次の瞬間には大勢の新手がワープしてきたのである。
 偶然か、それとも何らかの因果関係があるのか―――ニコラスたち、アルバトロス・カンパニーの面々は
Bのエンディニオンで迷子になる直前、全く同じ現象を目の当たりにしていた。
 迷子たちはAのエンディニオンでは未確認失踪者として神隠しのような扱いをされていたのだが、
この歪曲された空間こそが、彼らをBのエンディニオンへ誘った直接的な原因ではないだろうか。
 ………そのような疑問をニコラスは胸中に浮かべており、
これを根拠として仮面の兵団を自分たちと同じ世界に所属する組織だと推論しているのだ。

「アルがこの場にいたら具体的にわかるかも知れねぇんだが、あいつらが使っていた武器は、
トラウムと言うよりはMANAに近いんじゃねぇかな」
「そうか〜? 見分け、つかなくね? そもそもトラウムとMANAって全然似てるじゃん。
………なんつって、偉そうに言ってるクセして、俺サマたち、詳しく話を聞くまで見分けも何もわかんなかったけど」
「それを言い始めたら、ふたつのエンディニオンの違いだって曖昧になんだろ」
「強いて違いを挙げるとすれば、技術力のレベルかぁ? フィガス・テクナーとそれ以外の町とか………。
けど、こっちの世界だって国によってかなりの差があるぜ。どこがどう違うかなんて、線引きするのも難しいんじゃね〜の」
「プロキシは、ねぇよな、オレたちのほうには。正しくは神人の力を直接借りるタイプが」
「ないない、神人との交信なんて。単独のプロキシっつーか、そう言う魔術みてーなもんなら余所にもあるらしいけど、
教会のババァは、プロキシはそーゆーのとは大違いっつってんだよな。マコシカの方々の専売特許ってわけか。
俺サマたちのは、せいぜいCUBEにプログラムされてるちゃちなモンだ」
「改めて考えてみると神人と交信するなんて、すげぇ話だな」

 ニコラスとダイナソーの話へ耳を傾けていたレイチェルが、
言葉の途切れるタイミングを見計らって「逆にこっちとしちゃ、教会と言うのが意味不明だけど―――」と口を挟んだ。

「―――流れてる血の色が別ってワケでもないんだから、ふたつの世界の違いったって大層なものでもないでしょ? 
ご当地限定ローカルルールの拡大版って言う捉え方で丁度いいんじゃないかって思ってるわよ、あたし。
知ってる人は知ってる、限られた地域で通じる常識ってカンジ?」
「そいつはまたトンチの利いた例えですね」
「でしょ? あたしだってたまには良いコト言うわよ。伊達に長く生きてるわけじゃ―――
ちょっと待ちなさいよ、今、誰か、あたしに年の功とか、おばあちゃんの知恵袋って言わなかった!?」
「………お母さん、ノリツッコミに他の人を巻き込んじゃいけません」

 下手に触れると余計にこじれそうなミストの指摘はともかく、レイチェルの言った“ご当地限定ローカルルールの拡大版”とは、
実に上手い喩え方だとニコラスは膝を打つ思いだった。
 ふたつのエンディニオンを対比した場合、明確に差異は確認されるのだが、しかし、これを認識する側の感覚は、非常に曖昧。
確かに違いはあるが、殊更意識しなくても生活するのに不自由はない―――
このことは、今までの経験からニコラスたちが誰よりも一番理解している。
 レイチェルが例えた“ご当地限定ローカルルールの拡大版”には、ニコラスたちのこれまでの歩みが集約されている感すらあった。

「難しい顔して話し合うまでもないわよね。住んでる地域によって違いがあるのはフツーのことだもの」

 焚き火に木の枝をくべながら、レイチェルは我ながら良いネーミングセンスだと気持ちの良い笑い声を上げた。
 “緊急事態”にあるとは思えないほど闊達とした母の調子を横目で捉えたミストは、
じんわりと柔らかな微笑みを浮かべている。

(そうか、そうなんだな………―――)

 ピンカートンの母娘がそれぞれ見せた笑みと、そこに込められる意味を見て取ったニコラスは、
鋼鉄製のグローブに包まれた右の指先でもって頬を掻いた。
 ニコラスとダイナソーは、ふたつのエンディニオンの“違い”について長らく議論を交わしていた。
当人たちは先日設けられたミーティングの延長のつもりだったのだが、
わざわざ“違い”を強調し、それぞれを個別に分類する必要は必ずしも無いわけだ。
 同じエンディニオンの名を持つ世界に生きる人間なのだ。人間同士、分け隔てる理由などどこにあると言うのか。
そのことをレイチェルはやんわりと諌めてくれたのである。
 純粋な諌言、とは少しニュアンスが違うかも知れない。一言で表すなら、それはレイチェルなりの親愛の形であった。
 異なるエンディニオンに迷い込んだ“良き友人たち”を庇う為、
アルカーク相手に正面切って戦ったレイチェルならではの想いとも言えよう。

(………オレ、やっぱりこの人たちが大好きだよ。この人たちが………!)

 この素晴らしい人たちを、自分は何があっても守りたい―――自分に課せられた使命を、ニコラスは改めて強く意識した。








 一方のセント・カノンでは、シェインらの懸命の努力の甲斐も無く、セフィの容態は悪化の一途を辿っている。
 彼の両目は普段からエクステで隠されている為、表情の全てを読み取ることはできない。
 だが、それも平素に於いてのこと。汗みずくになりながら苦しそうに悶えるその様は、
今まで表に出されることさえ少なかった彼の生の感情が露わになった瞬間とも言えた。
 言葉として成立していないような呻き声を上げる度に大きく開かれる口が、
赤黒い斑点の付着する唇が、一同の視界に飛び込み、焦燥を煽る。
 今や彼の頬からは生気が全く失せている。
 呼吸もか細く、絶え絶えなセフィに対して、何とか彼の命を救おうとシェインやフィーナは手当てを続けるものの、
最早どうにもならず、いよいよ彼の命が尽きかけようとしていた。

「どうしてだめなんだよ、くそっ!」

 セフィが息絶えようとしているのに何もできない自らの無力さを嘆き、シェインが叫ぶ。
 最早、どうにもならないのか―――室内に絶望的な空気が立ち込めていたその時だった。
 それまで室内の椅子に座ったまま、この様子をじっと眺めていたマリスがにわかに立ち上がった。

「………あの、ここはわたくしにお任せ下さいませんか?」
「任せてくれって言ったってさ、今更どんなことができるっていうんだよ? もう手のほどこしようが――」

 この期に及んでセフィを治療する手段があるのかというシェインの疑問に答えるよりも先に、
どこか一念を決したかのような表情を携えて、マリスはセフィの元へと近付くと、
一旦呼吸を整えてから、ゆっくりと彼の傷口に口付けをした。

「え…… マリス、さん? ………そんな、今更傷口を舐めたって治るはずが――」

 マリスの予想外の行動に、手当てをしていたフィーナは勿論のこと、近くにいたシェインやジョゼフ、
それに外からこの様子を眺めていたヒューもその意図が分からずに呆気にとられていた。
 まるで意味が無さそうなマリスのこの行動がどんな結果をもたらすことができるのかと、
一同が何かしらの予測を立てられるほどには思考力を取り戻すのと時を同じくして、
セフィの傷は見る見るうちに塞がっていき、それに連動して彼の顔色も、息遣いも、徐々に正常なものへと戻っていった。

 まさかの出来事に一同呆気にとられ、セフィが回復したことすら喜ぶのを忘れていた。
 どのような原理で、マリスが口付けをしただけで傷が治るのか。
理屈は全く分からないが、ともかくセフィの容体は瞬く間に回復したのだ。
 この光景を目にした者たちは、奇跡が起きたと、それ以外には説明し難い出来事に言葉を失った。

「マリスさん、これは一体――?」
「わたくしのトラウム―――『リインカネーション』です。この能力を使えば、対象の怪我をたちどころに治癒できるの…です………」

 マリスに説明されてもにわかには信じ難いことである。
 しかし彼女が言うように、人体の傷を治すことのできる能力ででもなければ、
『MS-LIF』でも治せなかったほとんど致命傷のセフィの重篤な怪我を、
瞬時にして元通りにするなどという事が可能であるはずがない。
 理屈ではそうなのだが、一同が自分の中で納得するまでにはいささかの時間を要した。
 それまでは、皆がすっかり傷跡の見えなくなった、セフィが怪我を負った部位と、
マリスの顔を交互に見つめていた。

 その視線に耐え切れず、マリスは思わず顔を足元へと向けた。
 しかし、ようやく事態が飲み込めた一同が歓声の声を上げ、または感謝の言葉やねぎらいの言葉をかけ、
さらにはマリスの手を握って彼女に礼を述べる者が現れると、彼女はようやくに顔を再び一同に向けることができた。
 その顔には、ぎこちないものだったが笑みが浮かんでいた。

「でもさ、助けてもらっておいて言うのもあれだけど、人が悪いなあ。そんなに便利な力を隠しているなんてさ」
「人の怪我を治すというトラウムは非常に珍しくて、この世界にも滅多に無いのです。
ですから、こういった能力を使うことで、周囲の人たちから好奇の目で、
それだけならまだしも、規格外みたいな扱いで見られるのが嫌で隠していたのです。
………ですがやっぱり、人が亡くなるかもしれない時に、わたくしのトラウムを使わずしていつ使うのかと思いまして」
「そりゃ珍しいといえば珍しいけどさ、だからこそ誰にもできないようなことができるんじゃないか。
ボクみたいに力任せなトラウムとは違って凄い能力だよ。もっと自信を持っても良いと思うな。きっと皆もそう思っているさ」
「そういう事じゃな。どういう経緯であれ、その力をおヌシさんが手にしたのは事実。
ならばそれに誇りを持って堂々と使うのが、堅苦しい言い方なら、力を持つ者の使命というやつじゃな」
「だそうですよ、マリス様?」
「いえ…… そこまで皆様におっしゃられると、少々気恥ずかしいと言いますか……」

 数あるトラウムの中でも人体に直接作用する極めて特殊な能力、リインカネーションを使用することによって、
周りの人々が自分を奇異な存在として遠ざけるのではないか、という不安をマリスは抱いてきた。
 だから今の今まで彼女は力を隠そうとしていたのだったが、彼女の心配は全く杞憂だったようだ。
 仲間たちはその能力を素直に喜び、また温かく受け止めてくれた。
 周囲とは違う自分でも皆は受け入れてくれたのだ、と安心したマリスは、一同に向けて少しはにかんで頭を下げた。

「よく決心してくれた。これはマリスがいてくれたからこそだ、ありがとう」
「アルちゃんにそう言っていただけるだけで、わたくしは――」

 周囲と打ち解けたようなマリスに、アルフレッドも遅まきながら礼の言葉をかけた。
 アルフレッドに労ってもらえる事は彼女にとって何よりの喜びであった。
 先ほどよりももっと自然な笑顔をアルフレッドに向けるマリスの瞳には、うっすらと喜びの涙がにじんでいる。

(トラウムもロストしていないとはね。ますますストレンジでワンダーじゃないか)

 歓喜の輪の中から一人外れ、ロフトの上で寝転んでいたホゥリーが事の始終を眺めて密かに考えていた。
 そして、マリスの笑顔とは対照的な嫌らしい笑みを浮かべていたのだが、
それはこの場にいたアルフレッドたち一同には預かり知らないことであった。




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