7.はじまりの死



「カッツェの旦那、さっきからずっと見ているけどよ、どうにも暇だぜ。本当に何かあるのか?」
「何かあったときのための見張りだろ。文句言わないでやってくれ」
「そんなに心配なら、自分で見張ってくれてもいいんじゃないか?」
「おいおい、そりゃあ俺の目が悪いことを承知して言っているのか?」

 正体不明の武装集団がルナゲイトを征圧したことは、シェインからクラップ宛に、フィーナからライアン家宛に、
それぞれ送られたメールによってグリーニャ中に知れ渡っていた。
 メールの日付は二日前になっている。パンク状態となっていた回線に僅かながらようやくゆとりが生まれたらしい。
大幅な遅配ではあるが、届くだけマシだと割り切るしかあるまい。

 武装集団大挙と聞いてグリーニャは騒然―――となるはずもなく、まさかこんな村に用事があるわけないだろう、と
村人たちはいつものように平穏に過ごしていた。
 一つ違いがあるとすれば、高台に設けられた見張り用の小屋の存在であろうか。
 カッツェに思うところがあったのか、それとも単に勘の域を出ないのか、
とにかく彼の指導の下で村の門を固め、怪しい者がやって来ないかを監視するくらいのことはやるだけやっていた。
 村人たちは大袈裟だと思いながらも、それでも文句も無く見張りを続けていた。
 しかし、さし当たってどこにも不穏な様子は窺えず、グリーニャは変わらずに穏やかに時を過ごしているようであった。

「小父貴も大変だねえ。こうやって村を回っていちいちみんなにあれこれ言うのはさ。
ホント、この村の人たちはのんびりし過ぎだよな。スマウグ総業の例があったっていうのにさ。
まあ、こんな村に関係ある騒ぎだとも思えないけどね」

 声が聞こえてきた方向にカッツェが向く。そこには息を切らした様子で額ににじんだ汗をぬぐうクラップの笑い顔があった。
 彼の言うようにのんびりした村人に代わって村のあちこちを駆け回り、何か異変はないだろうかと調べていたのだ。
 トラウムである懐中電灯で肩を叩きながら、疲れた様子をアピールしていた。

「何と言うか、妙な胸騒ぎがするんでな。こう、目の奥にある視神経がつままれているような」
「良く分からない例えだなあ。ってか、『胸』騒ぎなのに『目』ってさあ。もうちょっと良い表現ないの?
あ、もしかしたら視力悪化の前触れじゃない? ちゃんとブルーベリーを食べて養生しなきゃあね」

 どことなく重苦しい表情のカッツェに対して、忙しく飛び回りながらも笑顔を絶やさないクラップの軽さ。
 二人の対比は傍目で見ている村人には滑稽な様子に感じられたかもしれないが、それはともかく。

「まあ、村に何かあるようだったらオレも戦うさ。必殺の流星飛翔剣がうなりを上げるぜ」

 クラップは必要も無いのになぜか発動させているトラウムを両手で持ち、
刀を上段から振り下ろすように動かすと、また監視のために駆け出していった。
 尤も、スマウグ総業の一件やベテルギウスの一件などで、他の村人よりも慎重になっているといっても、
彼とて心の底から武装集団の侵攻を気にしているのかと問われれば、そうでもないと答えるだろう。

(まったく、忙しないのは血筋かね。そういえばずっと連絡取れていないな。今度はいつ会えるか――)

 カッツェが忙しく動き回る様子は、彼の息子であるアルフレッドにも投射された。
 そんなアルフレッドを思い浮かべていたクラップ。メールは彼が村を去ってからもずっと送っていたが、
連絡があるのはシェインだけ。こういうことに不精なアルフレッドの行動は間接的に伝わってくるだけであった。
 アルフレッドがグリーニャを後にしてからどれくらいの時が経過しただろうか―――と、ふとクラップは懐かしさを感じていた。

 ほんの小さな頃、フィーナとなかなか打ち解けられず、密かに悩むアルフレッドから相談を持ちかけられたことがあった。
 かと思えば、子どものくせに理論武装をするアルフレッドが恐いとフィーナに泣き付かれたこともあった。
 シェインにはよく手を焼かされたものだ。自分もムチャをするほうだが、この弟分はむしろ無鉄砲。
それを止めようとして生傷を作り、結果、大人たちから一緒くたに叱られたことも少なくない。
 ムルグにはまた別の意味で手を焼いた。フィーナに近付く害虫を片っ端から殺戮しようとするムルグを
何度も何度も押さえつけたものだ。それがなければ、アルフレッドなどは何度殺されていたか知れたものではない。

 いずれも、ほんの数ヶ月前まではすぐ身近にあったのだ。
 いつまでも続くだろうと信じて疑わない日常だった。

(へへっ―――ガラにもねぇや)

 遠い昔のことでもないのに妙に懐かしく思うとは、どうも感傷的になっていたようだ。
 スマウグ総業との間に起こった争乱を境に、クラップもまた見る世界全てが変わったように思えてならない。
 相変わらずグリーニャは緩い空気の中にあり、これが変わることは永遠にあるまい…が、
永遠に続くものと信じていた“日常”は、既に絶えて久しい。
 いたずらに対して渋い顔を見せるアルフレッドも、焼きたてのドーナッツを差し入れてくれるフィーナも、
面白い発見をいの一番に知らせてくれるシェインも、そんな彼らを見守るムルグも―――
今は“日常”の風景にはいなかった。
 そのことが、クラップを感傷的にさせているのだった。

(あの日から色々なことが大きく変わっちまったけど、それも運命ってもんなのかねぇ)

 彼が何の気無しにアルフレッドたちがこの村を出るきっかけとなった産業廃棄物処理場へと足を向けたその時だった。

(……? あれは? まさか…… いや、間違い無い―――!)

 クラップの視線の先には銃器を手にした一団が、村へと向かってくる姿があった。
 目の前の出来事を全て理解するよりも早く、クラップの足は既に村の集落へと向かって動き出していた。

「大変だ! やつらが来たぞ!」

 まるで童話に出てきた、狼を見つけ出したように振舞う少年のように、
クラップは両手を振り回しながら大声で村の中を駆け回り、村人たちに危機を告げた。
 村人が彼の言葉を耳にし、現実を受け止めるよりも先に、突如としてグリーニャに突如として轟音が鳴り渡った。
 後に残った物は、巻き上がる黒煙とその下に作り出された大きな穴である。
 砲撃だ。こんな物とは無縁の筈の農村に砲撃が加えられたのだ。

 その砲撃が合図となり、一気に集団はグリーニャへとなだれ込んだ。

「―――我々は、唯一世界宣誓ギルガメシュッ! 一同、大人しく降伏せよッ!!」

 自らをギルガメシュと名乗った武装集団は、轟音も消えない内に迅速な動きで村の広場へ進むと、
兵力で威嚇しながら村人たちに支配下に入るように促した。
 しかし、グリーニャを愛する村人たちにとって、素性の知れないギルガメシュにやすやすと村を明け渡すわけにはいかない。
 村人たちは歓迎せざるべき客人を追い払うためにトラウムを発動し、
また攻撃に向かないトラウムを有する者は手ごろな武器を取ってギルガメシュに向かっていった。

「おうおう、ザコどもが必死こいて抵抗するんか。バッカじゃねーの、片っ端から潰せ」
「ですが、村人の排除は最低限に留めるようカレドヴールフ様より通達がありましたが?」
「はあ? そんなの関係あるか。オレはな、この村が大嫌いなんだよ。焼け野原にしてやっても足りないくらいにな」
「あ、はあ……」

 指揮官と思しき赤髪の男――フルフェイスで顔面を隠している為、
隙間から垂れる髪の色と声色でしかパーソナリティを確認できないのだが――が、
村人たちが反撃に出てきた様子を見て取り、嘲り笑いながら兵士に命令を出した。
 どうしてなのか、その言葉にはグリーニャに対しての憎悪がありありと感じられた。
 縁も所縁も無いはずのグリーニャに何故ここまで執拗にこだわるのかが分からないが、
上意下達の組織である以上、兵士は彼の命令にも従うこととした。
 ギルガメシュの兵士たちは少数の部隊に分かれながらも、射撃で相手の動きをコントロールしたり、
わざと隙を作っておびきよせたりと、巧みな動きで村人たちを分断し、数的な優位を保ちながら銃撃が続けられた。
 戦闘に適するトラウムがあるとはいえども、軍事的訓練を受けていない村人たちと、
錬度の高いギルガメシュ兵とでは勝負の行方は火を見るよりも明らか。
 しかも、ギルガメシュ兵は常に戦闘に際して数的有利を維持したまま村人たちに攻撃をしかけるのだから、なおさらの事。
 不利な状況に持ち込まれる村人たちは、一人、また一人と倒れていった。

「ちっきしょう! これじゃ撃って下さいと言っているようなもんじゃないか。迂闊に出てくるなって! 身の安全を!」

 惨状を目にしたクラップが懸命に叫んでみても、鳴り響く銃声に、村人の悲鳴に、彼の声はかき消されていった。

(こんな兵力で押しかけてくるってのは、どういった了見だ?)

 一方のカッツェは、こんな田舎の山村へ大兵力で攻めたてるギルガメシュの行動に疑問を抱いていた。
 だが、今はその答えを見つけ出している時ではない。村を、そして家族を守らなければいけないのだ。
 彼は仕事道具であるスパナやハンマーを手にしながら、ギルガメシュ兵に立ち向かう。
 銃のトラウムでも発動できるのならば敵に抵抗するのも難しい事ではないのかもしれないが、
獲物が工具では心許ないにも程がある。今ほど自分がトラウム不適合者である事を呪った時は無かった。

 だからといって何もしないでいるという選択肢は初めから無い。
 やらねばやらない時がある。その時は今、今がその時だ。

 家屋に火を点けることに集中しているのか、後方への配慮を怠っていた相手の死角をついて、
カッツェは物陰からスパナを投げ、一人を昏倒させる。
 そして、部隊内の他の兵士がそれに気をとられた瞬間に、素早く間合いを詰めてハンマーで殴りつける。
 軍事訓練を受けているギルガメシュの兵士以上に、カッツェの動きには目を見張るものがあった。

 何人の兵士を倒しただろうか、カッツェがふと頭を上げると、
そこにはこの騒乱の首謀者、ギルガメシュのトップと思しき人物―――
部下からはカレドヴールフと呼ばれていたその人が彼を眺めるように立っていた。
 軍の指揮を執る際に用いるのであろうか、右手には豪奢な飾りの施されたロングスピアを携えている。

「親玉の登場と言うわけか。答えろ、一体何のまねだ?」

 憤怒の感情をむき出しにして、カッツェはカレドヴールフに問いかけた。
 激情的な様子の彼とは対照的にカレドヴールフは、
仮面をかぶっているために見た目からでは感情を窺い知ることは出来ないが、極めて穏やかで、かつ冷淡な声で、

「我らと共に参れ。我々には貴様の力が必要なのだ。貴様は我らの要となるべき人間だ。
ここで無為に時を過ごすに値する凡庸な者ではないはずだ。さあ、来るがいい」

 と、彼を自軍に引き入れようと語りかけた。
 口ぶりからはカレドヴールフはカッツェを非常に有能な職人だと知っているようだが、彼には心当たりはない。
 仮面を挟んでいる為に声も聞き取りにくく、旧知と判別するのは難しそうだった。
 それに、仮面の人物が旧知の人間だとしても、カッツェはグリーニャをこのような惨劇にみまわせたギルガメシュに、
「分かりました」などといって首を縦に振るような人間ではない。
 そんな事をするくらいなら、自ら腕をへし折ってしまうくらいの気骨の持ち主だ。

「こんな事をされて尻尾を振るような人間だと思うか? 御託を並べるな!」
「………頑ななところは相変わらず、と言ったところか」

 スパナを握り締め、憎むべき相手の首魁へと死をも賭して一撃を叩き込まんとするカッツェ。
それを見たカレドヴールフは、「物わかりの悪い」と言うと、佩いていた軍刀を鞘のまま構える。
 そして、先端を地面に押し付けてぐっと力を込めた。
 すると、カレドヴールフを中心として、七本の黒く大きな刃――闘気の塊か、それとも全く別の何か――が立ち上り、
次いで激しく土煙を巻き上げながら地面を疾走した。
 カッツェの武器が届くよりも先に彼の体は七本の黒刃によってズタズタに斬り裂かれ、弾き飛ばされ、
為す術もないまま激しく地面を転げ回った。

「がっ……… むぅ………ッ………!」

 手加減はしているらしく、命は留めている…が、さりとてダメージは激甚だ。
 腱は断たれていない筈なのだが、体が言うことを聞いてくれず、
苦悶に歪む顔でカレドヴールフなる首魁を睨み据えることしか今のカッツェには選択肢がなかった。

「抗うな、不適合者め。貴様に選択権は無い」
「お前…… そこまで知っているのか……?」

 カッツェがトラウム不適合者であることは周知の事実である。
とはいえ、その「周知」の範囲は極めて狭い。グリーニャの村人だけだ。
 自分の過去からトラウムの事まで、カレドヴールフは詳しくカッツェを知っている。
 一体何者なのか―――彼が抱いた疑問は自分の体のダメージすらも意識の外へ追いやるものだった。

 だが、それほど強固な思いもすぐさまの別のものに支配される。
 視線の先には娘のベルが、こわばった表情で立ち尽くしている姿があった。
 ルノアリーナと共に避難していたベルだったが、村の惨状を目にすると、
ギルガメシュに立ち向かっていった父が心配でたまらなくなり、
母の手を振りほどいて、母の制止を振り切って、ここまでやって来たというわけであった。

 そこで彼女が目にしたのは、今にも父親が仮面の者に殺されてしまうと思わせる差し迫った光景。
 なんとかして彼を助けたいとベルは、恐怖で震える足を引きずるように、ゆっくり一歩一歩踏みしめて近づいてきた。

「バカヤロウ! 何をしているんだ! 来るんじゃない。さっさと逃げろ!」

 自分の死をも覚悟していたカッツェにとってみても、このベルの行動はあまりにも予想外。
 まさかの展開にうろたえるカッツェは、日頃は厳しい口調で怒鳴りつけたりはしない娘を、大声で怒鳴った。
 ここまでやるギルガメシュの首魁だ、こんな幼い子供までも、頑是無い子供までも手にかけてしまうことだろう。
焦燥を露わにするカッツェが何度も逃げるように言い聞かせるが、それでも―――

「でも、でも…… このままじゃお父さんが……」

 ―――と、ベルは一行にカッツェの言うことを聞く気配はなかった。
 このままでは最悪の事態になってしまう、と燃え盛る村もカレドヴールフの姿も、
視界から排除されるほどベルにしか意識が向かなくなったカッツェ。

 しかし、彼の思いとは裏腹に、カレドヴールフの動きは明らかにおかしくなっていた。
 “動き”、と表してみたが、全く動かないのだ。いや、動かないのでなく動けないのか。
ベルが現れて以後、カレドヴールフの意識もベルにのみ向けられていた。
 カッツェを無理やりにでも連れて行こうという考えは、既に微塵も存在しなかった。

 狼狽するカッツェと同じように、カレドヴールフにも動揺が走っている。
 まるでカレドヴールフの周囲だけが時が止まったように、場には奇妙な静止画が描かれていた。
 そして、先程ベルが口にした「お父さん」という言葉が、カレドヴールフの耳に入った時、
その動揺はさらに激しさを増した。
 それは、マスクが存在しているにもかかわらず、それを通過して表情が読み取れてしまうくらいに、
傍目から見ていても分かり易いものであった。

 その動揺が体全体へと行き渡り、一度ぐっと身じろぐと、
カレドヴールフは唐突に動揺を振り払うようかのように駆け出した。
 ベルに庇われていたカッツェではなく、ベル本人のへと狙いを定める。
 このままではベルが、とカッツェは痛む体を何とか動かして娘を庇った。
 しかし、カレドヴールフは彼の動きを意に介することも無く、左手で強引にカッツェを払いのけると、
右手でベルの襟首を掴んで持ち上げ、そして彼女を脇に抱えて勢い良く連れ去ろうとした。

「待て、何をするッ!?」

 仮面の者の目的がどのようなものにせよ、娘を連れて行かれるわけにはいかない。
 カッツェは必死の思いでカレドヴールフの足を掴み、もう片方の手でスパナを握りしめ、一撃を叩き込もうとした。

「触るなッ!!」

 だが、カレドヴールフはカッツェの精一杯の一撃を、ロングスピアで受け止めてスパナを弾き飛ばし、
大きく柄を回転させて、その石突でカッツェの水月を強烈に突いた。
 全身を駆け巡った呼吸もままならないほどの猛烈な痛みに耐えかね、
カッツェは掴んでいた手を放して、悶絶して転げ回った。
 彼を殺さなかったのはやはりギルガメシュにとって必要な人物だからなのか。
しかしそれほどまでに固執していたはずのカッツェに全く目もくれることなく、
 カレドヴールフはベルをしっかりと抱きかかえて、そのまま走り去っていった。

「お父さん!」

 すでに視界もあやふやなほどのダメージに体を冒されて、娘の名を呼ぶことも最早できなかったカッツェ。
 泣き叫ぶベルの父を呼ぶ声にもどうすることもできず、彼は意識を鈍重な痛みに侵食され、
まるでスローモーション映像を見ているかのように視界が暗く狭まってゆくのを感じ、
そのまま気を失ってしまった。


 炎上するグリーニャの中で、あらかた村民の掃討を終えた兵士たちが徐々に集まってくる。
 目的も知らされぬままこんな辺鄙な山奥の村を攻める命令をされ、
一体何がしたかったのかと思う彼らの前に、姿を現したカレドヴールフが連れてきたのは幼い少女ただ一人。

「………これが任務の目的ですか?」
「煩い、黙れ。貴様に私の何が分かるというのだ!」

 尋ねてみるものの、答えは無い。
 しかも、首魁は動揺を彼らにも隠しきれないほどの様子だった。
 何が何だかわけが分からなかったが、本来の目的が達成できなかったことくらいは兵士たちにも理解できた。

「あ〜あ〜、仕方ねえなあ。そっち連れてきてどうすんだよ」

 嘲笑ともとれる赤髪の指揮官の言葉が何を意味しているのか、兵士たちの誰にも分かる者はいなかった。


 ギルガメシュがグリーニャの制圧を終え、赤髪の指揮官が兵士を率いて村を後にする。
 そのすぐ後に、ようやくアルフレッドたちがグリーニャへと到着した。

「これは…… 遅かったか、なんてことだ……」
「そんな…… こんなの、酷すぎるよ……」

 焼け落ちる家屋が、赤い水溜りの中で息絶える村人が、苦痛にうめく人々が、泣き叫ぶ子供が、
どれもこれもがフィーナやシェイン、アルフレッドから言葉を奪うには充分だった。

「ちっきしょう! こんな酷いことしやがって。何が何でも許せない。片っ端からぶっ潰してやる!」

 故郷の惨状を目にし、訪れた感情は絶望。その後に怒り、憎悪。そして向かう先の行動は報復―――
目を覆いたくなるような惨劇に、決して許すことなどできない凶行に体を震わせながら、
逆上したシェインはほとんど無意識の中で駆け出して行った。

「待て、シェイン、先走るな! くそ…… フィー、村の人たちを頼む」

 単騎突入を敢行しようとしたシェインを引き止めることもできず、
やむなく彼の後を追いかることにしたアルフレッドは、フィーナに生き残った村人の救護を頼み、
彼女がうなずいた事を確認すると、急いでシェインが走っていった方向に駆けて行った。

「全く、手ごたえの無い戦いだったな。やっぱり素人相手じゃこんなも―― な、何だ? うおおぉ!」

 任務を終えて集合場所へと戻ろうとしていたギルガメシュ兵たちに、突然として巨大な金属の塊がぶつかった。
 自分の身に何が起きたのかを認識するよりも先に、彼らは天高く舞い上げられ、
そして上昇のためのエネルギーを失うと重力に従って自由落下をし、強烈に大地へ叩きつけられた。

「お前らかッ! グリーニャを滅茶苦茶にしやがって! 絶対に許さない………覚悟しろッ!」

 ビルバンガーTを出現させたシェインは、怒りに身を任せて目に入るギルガメシュ兵を、端から叩き伏せていった。
 突然の怪物の出現に驚き戸惑いながら、ビルバンガーTに向けて発砲する兵士だったが、
兵士たちが携行しているマシンガンやレーザー銃では、
いや、ロケットランチャーですら、ビルバンガーTにダメージを与えるには到底威力が足りない。
 彼らは次から次へと巨大な鉄拳によって水平に弾き飛ばされたり、放物線を描いて吹っ飛ばされたりした。

「くそガキが、調子に乗るなよ!」

 憎しみの声を上げながらビルバンガーTを操縦するシェインに気付いたギルガメシュ兵は、
全く攻撃の効かないビルバンガーTではなく、生身のシェインへと銃を向ける。
 トリガーが絞られるかというその時、にわかに兵士の頭部に衝撃が走ると、
彼らの意識が失われると同時に体中から力が抜けていき、そのままばったりと倒れこんでいった。
 やっとシェインに追いついたアルフレッドが彼らに一撃を叩き込んでいたのだ。

「あまり突出するな。お前まで同じような目に遭うぞ」

 無鉄砲に戦いを挑んでゆくシェインを諌めようとする言葉そのものは冷静であったが、
アルフレッドの表情は、努めて怒りを押し殺そうとする様子がありありと見て取れた。

「そんなのが何だって言うのさ、アル兄ィ! ボクがどうなろうと、あいつらは許せないんだ!」

 しかしアルフレッドが言い聞かせようとも、シェインの怒りが収まる気配は微塵も無い。
 彼への言葉もそこそこに、シェインはまたすぐに復讐する相手を探しに駆け出して行く。
憤るシェインを追いかけようとしたアルフレッドに、

「アルフレッド…… 帰って…来たのか。あっちに、クラップが……」

 と、彼の足元に倒れこんでいた村人が、彼の姿を確認すると、それだけを伝えて気を失った。
おそらく最後の気力を振り絞ってくれたのであろう。

「クラップ…が………?」

 クラップが、一体、何だというのか―――
逸る気持ちを抑えながら、アルフレッドは村人がさした方向へと足を向ける。

 するとそこには、ベルを抱えたままのカレドヴールフと、それに対峙するクラップの姿があった。

「やいやい、オマエがボスか? 何てマネをしやがる! それに、ベルをどうしようっていうんだッ!?」
「貴様には関係が無い、失せろ」

 クラップの怒りの矛先にあったカレドヴールフは、彼の質問に答えるはずも無く、
一目散にその場を去ろうと背中を向けた。
 それを見逃せるほど今のクラップが冷静でいられるわけが無かった。
 敵が後ろを向けたのだから今が好機だ。この隙をついて攻撃できる、いや、しなければならない。
激しい衝動に動かされて、クラップは後姿のカレドヴールフ目掛けて一直線に走り出す。

「村人の怒りを思い知れ。食らえ、流星飛翔け――」
「ダメだ、クラップ! 前に出るな!」

 懐中電灯のトラウムとはいえ、後頭部を殴れば昏倒させるのは造作も無い。
クラップがそうできるだけの隙が確かにカレドヴールフにはあった―――はずだった。
 逃げているはずのカレドヴールフの姿に尋常ならざる雰囲気を感じ取ったアルフレッドが、
何とかクラップを押しとどめようと精一杯の声で叫んだ。
 しかし、時既に遅かった。
 クラップのトラウムが命中するよりも先に、彼の胸にはロングスピアの穂先が深々と突き刺さっていた。

「なっ…あ――――――………ッ」

 傷口から吹き出す大量の血液を見ながら、クラップはそこに手を当てる。

「何だよ、これ。オレ、一体どうなって――」

 その色をあふれ出る音を、生温かさを感じとり、そして…… 膝から崩れ落ちて地面に伏した。

「クラップ!」

 自分の身を敵の前にさらけ出すだとか、それが危険な行為だとか、その時のアルフレッドには考える余地は無かった。
 うつ伏せに倒れこんでいたクラップの元に駆けつけると、彼を起こして名前を呼び続けた。

「よお…… アルじゃねえか…… 久しぶりだな……」
「何言ってるんだ、クラップ! おい、しっかりしろ! 今手当てを!」
「そうだ、アル…… オレさ…… 渾身の時計……」

 ブラックアウトしていく視界の中で、薄れゆく意識の中で、アルフレッドの姿を確認したクラップが、
かすれる声で彼の名を呼び、残されていた力で彼の手を握った。
 そして、アルフレッドに何かを伝えようとして――そのままぐったりと自分の全体重をアルフレッドの腕の中に委ねた。
 見開かれたままの目には、アルフレッドの姿と炎上するグリーニャが映りこんでいた。

(………クラップ……) 

 正常(まとも)な精神ではいられなかった。

(俺は、俺は……)

 いや、正常(まとも)でいようとも思わなかった。

(友人一人の命も救うことが――)

 身体の奥底から込み上げてくる衝動に塗り潰されることのほうが、よほど正気(まとも)でいられると思えてならなかった。

(こんなザマで何がブレーンだ、何が――)

 血を吐くほどにその名を呼びかけても、二度と答えてはくれない親友を前にしたアルフレッドには、
何が正気(まとも)で、どうあることが正常(まとも)なのか、それを破壊せしめる狂気との境界に至るまで認識できてはいなかった。
 認識しようと言う理性さえ、彼は手放しかけていた。

(―――クラップ………ッ!)

 息絶えたクラップを抱きかかえるアルフレッドの体を、彼を助けられなかった後悔と、無念さと、
自分に対しての激しい怒りと憤りと、カレドヴールフに対する憎悪と、憤怒と、殺意と……。
 ありとあらゆる負の感情が次々と駆け巡る。

(だめだ、ここで我を忘れては…… 怒りに、怒りに身を任せていては…… 目の前の出来事を処理……)

 その刹那、ローガンから聞かされた言葉が、不意にアルフレッドの頭を過ぎった。過ぎて去った。
 生死の狭間に生きる者としての教えが、だ。

(そんな事が…… クラップが殺されて、平然でいられるか――――――ッ!)

 ………しかし、目の前で悲劇を、絶対に避けねばならなかった阿鼻共感を見せ付けられて、
それを実行していられるほどの精神的余裕など、今のアルフレッドにはあるはずが無かった。
 精神が、彼の肉体に影響を及ぼし、激しい動悸と息切れが彼を襲った。
 心臓の鼓動は皮膚を突き破らんばかりに強まり、そして、それに呼応するようにして―――銀貨が、鳴った。

「クラップの……仇―――」

 憤怒の吼え声を引き摺りながらヴィトゲンシュタイン粒子の光爆の中から現れたのは、魔人グラウエンヘルツであった。
 激しい怒りと憎しみを身にまとい、すでに冷静さなどは持ち合わせていなかったアルフレッドは、
負の感情の対象であるカレドヴールフに向かって一直線に突き進む。

「―――楽に死ねると思うなよッ!!」

 クラップの命を奪った相手を、是が非でも生かしておくわけにはいかない。
 カレドヴールフの命を奪わんと、アルフレッドは拳を、蹴りを、走らせる。
 だが、カレドヴールフはがむしゃらな勢いで繰り出されるアルフレッドの猛攻を間一髪のところで見切り、
ギリギリの間合いで交わしながら一歩、また一歩と逃走経路の先へと進んでいった。

(バカな、なぜ…… なぜ当たらない?)

 アルフレッドの心中はカレドヴールフに攻撃を当てる、ただその一点があるのみである。
それにも関わらず、アルフレッドの攻撃はむなしく空を切るばかり。
 標的を貫かんとするアンカーテールも、敵を消滅せんと吹き上がるシュレディンガーさえもカレドヴールフを捉えられず、
アルフレッドの怒りが変換された攻撃は、虚空を彷徨い続けるだけであった。

「だめだ、アル兄ィ! ベルが!」

 グラウエンヘルツの発動に気付き、何事かと駆けつけてきたシェインは、
逃走しようとするカレドヴールフの傍らにベルがいることを確認し、アルフレッドに攻撃をやめるよう叫んだ。
 だが、怒りに我を忘れたアルフレッドの耳に届くことはなく、彼の攻撃はより一層強さを増していく。
 それでも、ベルを抱えたままでも、カレドヴールフの動きに衰えは無く、攻撃は全く意味を成さなかった。
 むしろのこと、シェインの言葉に我に返ったのはカレドヴールフの方だった。
 今の今まで巧みな動きでアルフレッドを翻弄していたはずなのに、はっとベルの存在を思い出すと、
一瞬の躊躇いが生じ、そしてほんのわずかに動きが止まった。

「チィ―――」

 その隙をアルフレッドは逃さず、アンカーテールを竜巻が巻き上がるような動きで振り上げ、カレドヴールフの顔を捉えた。
 思わぬ一撃を食らいカレドヴールフはつい顔に手を当てるが、しかし致命傷というほどのダメージは無く、
無機質な表情を成す仮面が真っ二つに割れただけだった。

 ついに憎悪が向かう先の相手の表情を窺うことができたアルフレッドだったが、
この行為が、その結果が、アルフレッドの戦意を喪失させる事態となってしまったのだ。

「ま…さか…… いや、そんな―――」

 仮面の下の素顔を目の当たりにした瞬間、アルフレッドは心臓が脈を止めてしまったかのような衝撃を受けた。

「なぜ………なぜグリーニャを………」

 そんな事はあるはずが無いと僅かに残った理性が警鐘を鳴らすのだが、しかし、現にそれは事実としてこの場に存在する。
 存在するからこそ、アルフレッドの精神は混沌の渦と化しているのだ。

「………なぜクラップを―――」

 ルナゲイトを襲撃し、今またグリーニャを焼き討ちにしたギルガメシュの首謀、カレドヴールフとは、
アルフレッドにとって忘れられる筈のない人間(ひと)だった。

「………か、母…さん………母さん――――――ッ!?」
「………………………」

 数年前にグリーニャを、自分を捨てて去った人間のことを、どうして忘れることができようか。
 カッツェの前妻にしてアルフレッドの実母であるフランチェスカ・アップルシードが、
劫火に焼かれて滅びゆくグリーニャの只中にて屹立していた。
 かつて自分で捨てた息子と、………その息子の親友である青年の亡骸と、交わす言葉もなく対峙していた。
 ………彼女の腕の中には、かつて自分で捨てた夫が新たに設けた娘が在る。







 アルフレッドとカレドヴールフが死闘を繰り広げていた時に、グリーニャの別のとある場所ではトリーシャが忙しく駆け回っていた。
 この村に起きた惨劇を、ギルガメシュの行ないを、戦いの全てを記録として収めるために、
彼女はデジカメを片手にしてあちらからこちらへと忙しなく歩みを進めていたのだが、
燃え上がる広場を撮影していたところ、運の悪いことに、帰還の途中であったギルガメシュの残存兵士に見つかり、銃を向けられた。
 その衝撃に、恐怖に、思わず体が竦み上がって尻餅をついてしまったトリーシャ。
 さらに恐怖は体を支配し、彼女は腰を下ろしたまま、手足を何とか動かして後ずさるのが精一杯で………。

 彼女が後ろに下がるたびに、兵士は一歩間を詰める。
 また彼女が後ずさると、また一歩。同じ間隔を開けたまま、兵士はじわじわとトリーシャを追い詰め、
ついにトリーシャの背中に焼け崩れた壁がぶつかった。
 恐怖を脱することができたとしても、何の武器も、対抗手段も持たない彼女には最早どうすることもできない。

「何をやっているか分かってるの? アンタたち、バカじゃない? 『ペンは剣より強し』って言葉知らない? 
アンタたちのやっていることなんか、ジャーナリズム精神の前ではゴミみたいな行為なんだから。
アンタたちがやっていることが世間に知れ渡ったら、アンタたちは生きてはいけないわよ!」

 こうして兵士たちに罵声を浴びせるのが精一杯の抵抗であった。

「だってさ。おい、どうする?」
「決まっているだろ。本当にペンが剣より強いか試してみようじゃないか」

 トリーシャの言葉などは、兵士たちには何の痛痒も無く、彼らは顔を見合わせて笑いあった。
 もののついでとばかりにトリーシャを始末しようとする兵士たちの凶行を阻止するには、彼女はあまりにも無力すぎた。

(誰か…… 誰でもいい、助けて――!)

 彼女の額へと銃口が向けられた。目を固く瞑り、心の中で祈り続けるトリーシャ。絶体絶命の危機がそこにはあった。

「ちょっと、そこのお兄さんたちぃ。人のカノジョに色目使うのはよしてちょうだいよ」

 緊迫した場に似合わないどこか陽気さすら感じる声で、兵士たちは何者から呼ばれた。
 突然に、予測もつかないことに、思わず首を向けて振り返る兵士だったが、
次の瞬間、顔に強烈な衝撃を感じるとともに、口内に何かを押し込まれた感触もまた覚えた。

「―――成敗っ」

 その言葉と共に、かちりとスイッチの入る音が鳴ると、間髪入れずに兵士の頭が爆発した。
 首から上の無い、さっきまで兵士であったものは赤い噴水を上げると、どういった具合か二、三歩進み、そして倒れた。

「それ、もう一丁っ」

 目の前で起こった事に判断がつかないまま動きを止めていたもう一人の兵士は、その声と共に猛烈な勢いで吹き上がった炎に包まれた。
 彼はごろごろとのた打ち回りながら、人間の発するような声と思えない叫び声を上げ、
やがて蛋白質が焼ける嫌な臭いを辺り一面に撒き散らして動かなくなった。

「ごめんね。遅くなっちゃったよ」

 危機を脱したトリーシャにそう語りかけたのはネイサンである。
 いつもと変わらない楽天的な声、そして笑顔。ただ一つ違ったのはその笑顔にどこか違和感があったこと。
表現するなら愉悦の表情と笑顔をモーフィングさせたような、そんな顔であった。
 先程の電磁クラスターおよび芝焼きブラスターで兵士をあっさりと殺してのけた時の表情が張り付いたままであったのか、
それは誰にも分からないし、トリーシャにはそんな事はどうでも良かった。
 ネイサンが自分を助けてくれた、その一つの事実で充分であった。

「ネイト…… もう、バカ! 本当に怖かったんだから…… アンタっていっつも大事な時に遅れてきて…… 
でも、でも助けてくれて…… アタシ、アタシ――」

 ネイサンの笑顔で、ようやく緊張の糸が切れたトリーシャは、座ったままの体勢でネイサンの元に近寄ると、
彼の体を掴んで自分の体を預けた。
 上手く言葉にならない彼女の心境を聞きながら、ネイサンは細かく震えるトリーシャの体を優しく抱きとめて―――

「分かっているだろう、キミはボクにとって大切な、大事な存在なんだ」

―――と囁きながら、彼女の頭をなでた。

「キミにはまだ、“義務”があるんだから」

 最後にネイサンがぼそりと呟いた一言は、トリーシャの耳に入る余地は無かった。




←BACK     NEXT→
本編トップへ戻る