1.群狼、動く グリーニャはエンディニオンに突如として姿を現したギルガメシュに攻め立てられ、灰燼に帰した。 この目的が明らかにならないまま、惨劇の後に残ったものといえば数多くの村人の亡骸と、同程度の生存者。 生き残ったとはいうものの、ある者は負傷しており、またある者は精神的にも肉体的にも疲弊していて、 ほとんど全ての村人は満足に動けそうではなかった。 ギルガメシュの首魁であるアルフレッドの実母にしてカッツェの前妻―――カレドヴールフと名乗っていたフランチェスカ。 ………彼女によって傷を負わされたカッツェもまたほかの村人と同様に、 ルノアリーナの手助けが無ければ動き回るには不自由するほどのダメージがあった。 このような有様であるのだから、村を復興させることなど勿論、 このままグリーニャに住むことすら叶わぬほどの荒れ果てぶりであるのは、 村人たちの誰もが口にせずとも理解せずにはいられなかった。 「滅ぼされた」という言葉を用いるのが妥当なまでに人的、物的の両面で甚大な被害だった。 故郷が焼かれ、妹のベルはさらわれ、さらに親友であるクラップが殺された。 しかもこれらは自分の生母の直々の命令によってなされたのだ。 ほんのわずかの間にアルフレッドに押し寄せた数々の精神的ダメージは大きく、 ギルガメシュが去った後の荒涼とした静寂の中、彼はずっと茫然自失だった。 もちろん、アルフレッドと共にグリーニャに駆けつけていたフィーナやシェインも、 故郷の惨状にただならぬ衝撃を受けていたのは変わりない。 何とか自分自身の心の安定を取り戻そうと必死であり、立ちつくすアルフレッドにかける言葉も思い浮かばなかった。 こういった状況下でアルフレッドのモバイルがメールの着信を告げた。 彼の物だけではなく、フィーナにシェイン、血溜まりの中で伏しているクラップのポケットの中からも、 とにかく全ての人たちのモバイルがメールを受信した。 しかも文面を追えば、これがグリーニャの人々だけに送られたのではなく、 全エンディニオンの人々に宛てられたものなのは明らかであった。 ―――メールの差出人はギルガメシュ。 グリーニャ攻撃の前に準備されていたのだろうか、 襲撃後に文章を作成していたのでは到底間に合わないであろうものだが、 そのような事は今のアルフレッドたちには関係無い事である。 メールの内容に曰く。 ――我々は“唯一世界宣誓”を広く布告する者とし、名を『ギルガメシュ』と称する。 諸兄らも知っての通り今現在このエンディニオンはいかなる原理によってか判明していないが、 この世界に本来存在していなかった異世界からの住人、 いわゆる【難民】と称される者が数多くやって来ているという真に奇妙不可思議な現象が頻発している。 この者らの数多くが右も左も分からない土地で困難にあえいでいる。 我々の行動原則は彼らの救済であり保護である。 我々は彼らの生活を脅かす不逞の輩を全て排除するための労力を惜しまない。 また、そのような不埒者が増えないための未然の対応も怠らない。 そもそも難民を難民たらしめているのは、 この世界にいる人間たちの難民へ対する無慈悲と無理解を礎とする、彼らに対しての圧迫と迫害である事に他ならない。 かくの如き現状を打破するために、彼らの平和のために、 我々ギルガメシュは彼らを害せんとする輩へ武力を行使する事に一切の躊躇は無い。 我々はそれがために発動せらるる権利の保持のためによりし武力を以ってして 我々と彼ら、及びそれらの子々孫々のための未来を成さんと世に存在を示す。 我々は正当に彼らより権限を委譲させられし者として、彼らのために一切の活動を行なう者であり、 他意は一切存しないとここに誓う。 我らの行為は全て同胞たる難民の不自由と被支配、恐怖と欠乏からの解放にあり、 そして彼らが再びそれらから侵されることを守るに帰結する。 抑圧された我らの同胞が我々の手によって恒久の平和と安全、自由と平穏を手にする事をここに宣言する。 我々が求めるは彼らのための最低限度の文明的な営みを継続できる権利である。 直接的な先住民諸兄への弾圧に類するものでは無いと付記する。 然れども先述の通りに我らが成すは同胞である難民の安寧の獲得であり、平和の獲得である。 それを脅かさんとする者に対して我々は理由の如何を問わず、あらゆる手段を用いて解放への闘争を起こし、 そしてそれらを打ち破るであろう。 難民の尊厳に手を掛けようとする者へ、我々は一切の容赦をしない。 人間が人間としてあるために不可欠な不可侵の権利を得るための、行使するための当然たる行為である。 尚、この宣言が世界へ向けて発信され次第、我々は不断の行動を開始する―― 長ったらしく、そして一々小難しい言葉を用いてはいるが、内容そのものは極めてシンプルなもの。 難民の権利や平和がどうのこうのと記してはいるのだが、 早い話が全エンディニオンに向けて宣戦布告が寄越された、そう表現する他に無い。 そもそも、難民を保護するためであればこのような高圧的な文言が連なるものだろうか。 やはりこれは全エンディニオンを支配下に置こうと画策している者の文章たるべきではないのだろうか。 ルナゲイトやグリーニャを襲撃した事もこの疑問に拍車をかける。 一体、彼らがいつ難民の生存を脅かしたのだろうか。 それにギルガメシュの起こした戦闘行為自体、メールにあった「世界に発信され次第〜」という一文と矛盾している (もっとも、これらの疑問の前半はともかくとして後半に関しては実際に襲撃を受けた者たちと、 それに近しい者たちだけしか知り得なかったのだが)。 とにかく、布告という体裁を取っているがギルガメシュによる武力を以っての恫喝というか脅迫というのが相応しいだろう。 この行為はエンディニオンの先住民たちを多いに驚かせ、不安と恐怖を与えることとなる。 たとえそれがテレビなどの映像を用いたものではなく、 ジューダス・ローブ、もといセフィの手によって放送機材があらかた破壊されたため、 突貫作業で復旧させた通信網を用いてのモバイル宛ての電子メールによる物だったとしても。 「………ふざけた真似を………」 惨劇が行なわれたグリーニャの片隅で呆然と立ち尽くしていたアルフレッドは、 振動によってメールの受信を確認すると、機械的にモバイルを開いた。 思考の一切が停止している為、半ば脊椎反射に従った挙動であったが、 表示されたメールの文面へ目を落とした瞬間、落魄の表情から一変した。 生気は失われたまま戻らないが、しかし、形相の転変は激しい。 「これのどこが難民のためだというんだ………この有様をどう説明するつもりだ」 悪鬼の如き想念に満面を塗り替えたアルフレッドは、血を吐くような叫び声を上げた。 彼の左腕は、冷たくなった親友の亡骸を掻き抱いている。 * 時間はそこから多少前後する。 ギルガメシュの宣誓から少し経って、それを受けたテムグ・テングリ群狼領はエルンストの命令一下、 早速軍事作戦に関しての討議を始めた。 その対象は言わずもがな。全エンディニオンに覇権を敷こうとしているテムグ・テングリ群狼領にとって、 同じく全世界を支配下に置こうとする、にわかにして存在を顕わにしたギルガメシュは当然戦わなければならない、 いわば障碍のようなものである。 元より、このまま手をこまねいていてはギルガメシュの領内への侵攻をまねきかねない。 彼らにとってそれは非常に厄介な事なのだ。 テムグ・テングリの領土、領民の安全の確保は突き詰めれば彼らの武力によって保障されている。 つまりは領民の忠誠はテムグ・テングリの軍事力が担保となっていると言い換えられるかもしれない。 そうなれば万が一、ギルガメシュが侵攻してきて領地を荒らされようものならば、 その土地その土地の民はテムグ・テングリを信用ならざるもの、自分たちの安全を委ねるに値しない存在と考え、 ひいては離散を招くおそれがある。 領土を、領民を守りきれない事でテムグ・テングリの威信が地に落ちるような事があってはならないのだ。 それゆえ、必然的に将軍一同の会議にも熱が篭もる。 「ここは一気にギルガメシュとやらの本拠地を叩き、速やかに我らの武を知らしめる必要があるだろう」 「その士気の高さは買うが、それはあまりにも危険。敵は既に交通網の要所を押さえているとの報告。 それと知らせによれば敵の本拠地はルナゲイトにあるとのこと。 攻めるには海を渡らねばならぬゆえ、行軍には困難が付きまとうであろう。 また、海路を行けば我々が不得手とする海戦となる可能性が高い。なるべくそのような事態は避けねばならない」 テムグ・テングリの本営内では重臣たちが対ギルガメシュの戦略を話し合う。 速攻を推すものもいたが、その考えをブンカンが否定した。 彼らの軍事力の根幹を成しているのは軍馬を利用した機動力であり、それを活用した戦術である。 各地の要所をギルガメシュが占領しているとなると、それを大きく生かすのが難しくなる。 「うむう、確かにブンカン殿がおっしゃる事ももっともであるが……」 「なれば海路を避け、陸路よりルナゲイトへ攻め入るという作戦かな? 陸路より迅速に進軍し、ルナゲイトに通じる要所を一つ一つ確実に落とし、我々の行軍を滞りなく行なうべきと?」 「それは安全な策であろうが、敵とて愚かではあるまい。 そのような戦略では我らがルナゲイトにたどり着くまでに守兵を増員させるのは必至。 そこを抜くための損害が大きくなろう。戦力を消耗してルナゲイトでの決戦に挑んでも勝算は減ってしまう」 「じれったい事だ。そうであるならやはり敵が守りを固める前に一気にルナゲイトに攻め込むべきでは?」 ブンカンの戦法に説明不足な点があったのだろうか、 諸将の中には彼の考えに納得できずに速攻戦法を唱える者もいたのだが、そういった意見を抑えるように、 「戦略的奇襲とでも言うべきか」 と、今まで諸将の議論に加わらず沈黙を貫いてきたエルンストが口を開いた。 「御屋形様が仰られるとおり。ここは一直線に進軍するのではなく、そちらには囮の部隊を置いて、 本命は迂回する道程を経てルナゲイトへと向かうべきであろう。 相手にこちらが戦線を拡大しているのだと思わせればしめたもの。敵は無闇に拠点に増員できまい。 勿論、こちらの手を読まれて本来進むべき道程の守りを固められる可能性もあるかも知れぬが、 その時には新たな囮の部隊を作り、残りの本隊は別の道を本筋にして攻めればよし」 そうブンカンは軍勢を本体と別働隊に分け、ギルガメシュを陽動しながらのルナゲイトへの進軍という策を説いた。 「成程、『急がば回れ』とでもいうべき作戦か。そうなると本命の進軍経路は――」 「陸路を取りつつ迂回するとなると、グドゥーが良いだろう。砂漠を通れば進軍は厳しくなるものの、敵の隙を突きやすい」 「しかし、その砂漠は鳥も避けると言われるほどの賊が闊歩する場所。 戦って負けるなどとは思わぬが、相手をするとなると少々戦略に支障をきたすのではないか?」 「それは心配無用。早馬より入った知らせでは、昨今あの無法地帯に統治者が現れたとのこと。 その者を味方につけるか、悪くとも中立の立場を取らせれば通過はたやすい」 「味方か。そうなるとルナゲイトに近いハイランダーも――」 「左様、誰ぞ使者を遣わせるがよいだろう」 諸将らの意見や疑問にブンカンは即答する。聞く限りではなかなか有効そうな戦略だったし、 これより良さげな戦略は今のところなさそうだったので、将たちはブンカンの挙げる迂回戦法に乗った。 「フェッハハハ―――ギルガメシュがもし余が知る者共の集まりであるならば、いずれにせよ苦戦は免れまい」 会議の間中、ずっと他人の意見を聞いているのかいなかったのかといった様子のゼラールが 作戦の決定がなされてから、ようやく静かに笑って口を開いた。 彼の意図がどのようなものであるのかはこの言葉からだけでは彼にしか分からないし、 その言葉を聞いた将たちは「火吹き芸人の分際でおこがましい」だとか、 「戦う前から臆病風に吹かれおって、それでは勝てる戦も勝てぬわ」などといっては ゼラールの態度を咎めていたのだから意図も何も無かっただろう。 言いだしっぺのゼラールもその後はまた黙りこくり――勿論諸将たちの言葉に反省したわけでなく―― 腕を組んでは何かを思い出したように含み笑いを続けるだけだった。 「敗戦よりは苦戦だ」 ゼラールにあてこすったわけではなく、独り言のようにエルンストが言った。 それを聞いた将たちはぐっと険しい顔つきになり、一大決戦へ向けた思いを一様に高めていった。 こうして、テムグ・テングリとギルガメシュの長く激しい戦いは始まりを告げる。 軍議を終えて議場を辞したゼラールは、恭しく自分を出迎えた世話役の少年に「近う寄れ」と促し、 遠慮がちな足取りで彼がやって来ると、次いでその顎を艶かしく撫で上げた。 顎のラインを指先で軽く撫でられただけだと言うのに世話役の少年は満面を恍惚に染め上げ、 続いてゼラールへと枝垂れかかった。どうも全身の力がすっかり抜けてしまったらしい。 従者としては失格であろうその有様を叱るでもなく片腕で担ぎ上げたゼラールは、 そのまま一直線に自身の宿所へと歩を進めていった。 珍妙な体勢に奇異の目を向けてくる群狼領の朋輩もあったが、 そのように取るに足らぬようなものへ意識を囚われるゼラールではない。 威風堂々たる足取りは、宿所に到着するまで―――いや、世話役の少年を地面に立たせてからも少しも変わることはなかった。 この場合の“宿所”とは、つまり丸みを帯びた大型テントのことである。 テムグ・テングリ全軍の趨勢を占う重大な軍議とは言え、緊急を要する内容を多分に含んでいた為、 急ごしらえながら遠征先の高原にベースキャンプを築き、そこに諸将を招集した次第であった。 格式、あるいは願掛けめいた作法を重んじるのであれば、あくまで本拠地のハンガイ・オルスでの開催にこだわるべきなのだろうが、 遠征先から取って返し、尚且つ諸将の到着を待っていれば、その間にギルガメシュの版図拡大を許すことにもなり兼ねない。 故にエルンストは即時の軍議を決断したのだ。一軍を率いる器にふさわしく賢明な判断と賞賛されるべきである。 エルンストの判断力談義は余談として―――ベースキャンプに設営された馬軍特有のテントは、 調度品などを持ち込んでも閉所の圧迫感を与えないほどに内部は広く、大きく整えられている。 宿所の上座には一際大きな椅子が設えられているが、 血のように真紅(あか)いワインが準備されたテーブルを視界に含めても全く手狭には思えない。 その椅子にどっかりと腰掛けたゼラールは、長時間の軍議で筋肉疲労が蓄積されていたのか、 長い首をぐるりと回し、それから片膝を突いて控えている女性に諸事の報告を命じた。 テムグ・テングリ群狼領の将兵が身に纏うのと同じ革鎧を着用する件の女戦士は、 未だに恍惚の表情を浮かべる世話役に対し、鋭い敵愾心が込められた眼光をぶつけていたが、 ゼラールの命を受けてすぐさまに居住まいを正した。 「閣下の予想された通りでございます。御屋形様は『メアズ・レイグ』を名乗る冒険者チームに接触され、 これを雇うことに決められた模様。直接の交渉にはドモヴォーイが当たっています―――」 「他に雇い入れた冒険者はおらぬのだな?」 「現在のところ、メアズ・レイグのみでございます。近日中に我が軍に合流するとのこと」 「さすがは御屋形様、とでも言うべきか。余と同じように適材適所を心得ておられる。 人選もなかなか良い。非凡な才能の持ち主であり、その上、いざとなったら口封じしても何ら問題がない――― この状況で雇うのならば、やはりメアズ・レイグが打ってつけじゃ」 大義じゃ―――報告をゼラールに賞賛され、ねぎらいの言葉を受けた女戦士は、 「あぁ…閣下からお褒めの言葉を…わたし、もう身篭ってしまうわ…!」などと 意味不明な妄言を撒き散らしながらその場にへたり込んだ。 座り込みながらもブツブツと何事かを呟き、時折肩を震わせるその風体は、どこからどう見ても不審人物でしかない。 “閣下”の寵愛を自分以外に向けられるのが腹立たしいのか、先ほどまで恍惚に酔い痴れていた世話役の少年は、 急に面を怒気に染めると革鎧の少女戦士へあらん限りの嫉妬心をぶつけた。 十四歳の少年のどこにそのような感情が内在しているのかはわからないが、 眼光には寒気を催すほどの敵意が漲っている。 「―――して、我らの今後の動きはどういたします?」 眼前で繰り広げられる醜い争いを黙殺し、ゼラールに次なる一手を尋ねたのは、 二メートルを優に超える豊かな身長と、鉄のように引き締まった筋肉を兼ね備える大男だった。 見るからに重武装に適した巨躯を揺すりながら自身の面前へと進み出た大男に 「余が歩むは常に王道、覇道。それはお前たちが一番理解しておろう」と笑いかけたゼラールは、 鋭い犬歯で手の甲を薄く裂き、そこに炎を―――エンパイア・オブ・ヒートヘイズの灼火を作り出した。 「今しばらくはテムグ・テングリ群狼領と歩調を合わせようではないか。思った以上に蒙昧ではあったが、さりとて無能でもない。 ことに御屋形様は天賦の才―――余の踏み台とするには、まさに打ってつけの英傑じゃ」 太陽から噴出するプロミネンスの如き炎に包まれた右手でもってテーブルのワイングラスを持ち上げたゼラールは、 熱によって蒸発し、そこに生じる香りを愉しもうと言うのか、グラスの縁へと鼻先を近寄らせていく。 自身が望んでいた以上に官能的な香りであったらしく、ゼラールはこれを最後の一滴が沸騰しきるまで愉しんだ。 ただでさえ繊細なワインに加熱など施そうものならせっかくの風味が台無しになってしまう。 神経質なワインコレクターが見たら、青筋を立てて怒り出すことだろう。 実際、ゼラールも「なんとも歪んだ香りぞ。ただ鼻を衝くばかりで美味くもなんともない」と言っており、 自身のしていることが本来の楽しみ方から大きく逸脱している認識はあったようだ。 それにも関わらず、エンパイア・オブ・ヒートヘイズでもってグラスを熱し続けると言うことは、 本人曰く「鼻を衝くばかりの、歪んだ香り」とやらに妙味を見出したからであろう。 もしくはゼラール限定の珍味、とも言えるかも知れない。 ひとしきり個人的な愉悦を堪能したゼラールは、右手に宿ったエンパイア・オブ・ヒートヘイズの火勢を一層強め、 ワイングラスをも焼き払ってしまった。溶解どころか、炭クズの一片すら残さない猛烈な火力である。 瞬間的に数千度にまで達する爆熱へ従者たちの意識が集まったことを見て取ったゼラールは、 やおら立ち上がると全身を十字架に模すると言う得意のポーズを披露した。 これを合図に、部屋の片隅に控えていた吹奏楽団――と言っても、十人足らずの編成であるが――が エドワード・エルガー作曲の行進曲「威風堂々」第一番を演奏し始める。 「我が最も親しき僕よ。怪力無双にして頭脳明晰な貴様は、さしずめ余の槍、余の盾じゃ。 余のもとに侍り、永遠の闘争を愉しむが良いぞ、トルーポ」 並みの人間では全く太刀打ちできないであろう偉丈夫、トルーポ・バスターアローは、 自信の程を示すように薄い笑みを浮かべて見せた。 猛々しい野性に満ちた不敵な面構えではあるが、そこには判然と理知が認められる。 ゼラールにも頭脳明晰と賞賛されており、その人となりは外見の印象とは必ずしも符合しないようだ。 軍服を彷彿とさせる装いの裡に底知れぬ実力が秘められているのは間違いあるまい。 「ピナフォア―――そなたはテムグ・テングリの血族。にも関わらず我らのもとへ参じたこと、余は忘れてはおらぬぞ。 持って生まれた血とさだめ、馬軍に親しき能を以ってして余の王道の先駆となれ」 鞣革の軍装を以って示すようにテムグ・テングリの氏族であったピナフォア・ドレッドノートは、 パラッシュの一門にその名を連ねると言う己の出自を必ずや役立ててみせるとゼラールに改めて誓いを立てた。 ボルドー色の長い髪は、いわゆるお団子状に結わえられており、両の耳の上を印象的に飾っている。 こんもりとした“お団子”は、上から白布で包んである。布には施されているのは蒼狼の紋様だ。 彼女がテムグ・テングリ群狼領にとって由緒ある身分であることは、その装いが如実に証明していた。 「その小さき身体に大いなる秘術を備えし者よ、ラドクリフよ。我らが突き進む昏き戦場では貴様の秘術が道照らす灯火となろう。 マコシカの奇跡を新しき王者へ献じることの出来る栄誉に震えるがよい」 世話役を兼任しているらしいラドクリフ・M・クルッシェンは、少女と見紛うほど端正な顔を上気させながら 「ぼくの全ては閣下と共に!」と無上の悦びを噛み締めている。 “マコシカの奇跡”とゼラールは明言したが、成る程、ラドクリフはホゥリーやレイチェルと同じように マコシカの人々が着用する民族衣装をその身に纏っている。 白い皮の饅頭を彷彿とさせる大きな帽子から零れ出したアクアミントの髪は、 ゼラールから何事か声を掛けられる度、嬉しそうに風と舞い踊るのだ。 ピナフォアがそうであるように、ラドクリフもまたゼラールへ並々ならぬ慕情を抱いているようで、 その様は殆ど心酔と言っても良さそうだ。両名と方向性の違いはあれどもトルーポとて盟主への心酔は共有しているだろう。 「さて、唯一世界宣誓ギルガメシュ―――如何ほどの者であるか。余の見立て通りか、それとも超えてくれるのか。 まずは楽しみに手並みを拝見いたそうよ」 聞きようによっては自身の属するテムグ・テングリ群狼領への叛意を疑われかねない不穏当な発言であるが、 誰一人としてゼラールを聞き咎める者はいない。 それはつまり、こうした雄弁――エルンストに対する不敬とも言うべきか――をゼラールが日常的に繰り返していると言うことだ。 そして、見え隠れする叛意が、例えば彼のことを「火吹き芸人」などと罵る他の将士によって断罪されないことは、 ゼラールの配下が外部へ告げ口をしていない証左でもある。 鋼の如く固い彼らの結束力は、そうした面からも窺えた。 このようにゼラールを中心とする軍団がテムグ・テングリ群狼領内部にて形成されつつあった。 最高幹部の一員と言うわけでもなく、せいぜい上級の将士に認められる程度の階梯にありながら、 ゼラールは持ち前のカリスマ性を武器に、自分だけの軍団を設けるに至ったのだった。 言わば、ゼラール軍団である。 ゼラールと、彼のことを“閣下”と呼んで盲信する軍団員たちがエンディニオンへ嵐を巻き起こすのは、 今からそう遠くない将来(さき)のことである。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |