7.Bad Moon Rising マコシカを絶望感が覆いつくしていることなど当然知るわけも無い佐志の一行だったが、 こちらはこちらでまた別の問題が発生していた。 佐志に攻め込んだギルガメシュ兵たちは逃げるか殺されるか捕まるかした。その捕まった者たちが問題だったのだ。 「奴さんたちを本当に殺ろうってのか?」 「何を今更な事を言っているんだ。あいつらはギルガメシュだろう、他にどういう選択肢がある? これから豪華なディナーに招待しようとでも言うのか? そんなバカな話は無い。殺す以外に他は無い」 「せっかく捕まえた捕虜を皆殺しにしてよ、一体それが何の得になるっていうんだ?」 「得だとか損だとかそういう問題じゃない。それでも敢えて言うならば見せしめ、示威的行動だ。 今度佐志に攻めてきてもこうなると目に見える形で分からせてやるわけだ」 「そないなやり方で見せしめにするちゅうのは無茶な話やなあ。 そんな事したら敵さんの怒りっちゅうか、敵愾心っちゅうか、そないなもんを増幅させるだけとちゃうんか?」 「それならば奴らを全員串刺しにして道端に並べるか、死体で山でも作り上げるか、 首を刎ねて軒先にでもぶら下げておけばいいだろう。そこまでやられて戦意が湧くような相手でもないはずだ」 「あのなあ、そういう問題じゃなくてだなあ――」 捕らえた兵士を一人残らず殺すべきだと主張するアルフレッドに対して、ヒューやローガンはそうはさせじと彼を諌める。 いかに敵対する勢力の人間だとしても、そんな真似をさせることはどうしたって看過できない。 アルフレッドの言葉を借りれば「損だとか得だとかそういう問題じゃない」という事だ。 命のやり取りにも一定のルールがあり、それを破ってよいものだろうかという非日常的な倫理観のような理由があったし、 それとアルフレッドが主張するように全員殺したとしたならば、 彼自身に取り返しのつかない何かが起きてしまうのではないかという懸念も理由だった。 そういうわけでヒューとローガンはアルフレッドの意見に真っ向から反対したのだったが、 しかしアルフレッドの方もそう言われて引き下がるようなわけもなかった。 それで引き下がるくらいならこんな惨たらしい方法をとろうとも思わなかっただろう。 ギルガメシュに属する者は全て殺すべき対象だと思うくらいに、彼の憎悪は尋常ならざるものだったわけだ。 「ギルガメシュの連中が憎いっていうアルの気持ちは分かるけれどよ、 だからっつってそれに身を任せて皆殺しにしたところでどうなるっていうんだ? それをやったところでアルの気が晴れるのか?」 「こんな末端を殺したって晴れるわけが無いだろう?」 「だったら――」 「話は最後まで聞け。俺はギルガメシュを全員血祭りに上げると決めた。 だからギルガメシュを滅ぼすまでは決して満足はしない。だが捕虜は殺す。千里の道も一歩から、だ」 復讐に身を燃やし続けるアルフレッドはひたすら殺す、殺すの一点張り。 どうこう言っても彼の決心は非常に強固で、揺らぎなどは一片たりとも見せなかった。 「落ち着いて考えてみろっての。ここで下っ端を殺したって仕方が無いだろうが。 復讐するのは結構だけどよ、だからと言ってお前がやろうとしていることはギルガメシュと一緒じゃねえのか? 敵を憎むあまり、敵と同じような事をしているんだぞ。これが分からないアルでもないだろうが」 「知った事か。同じも何も無い。先に仕掛けてきたのはこいつらなんだ。 だとするならばこれくらいのことは覚悟しているだろう。 他人を殺しているのに自分が殺されるのは真っ平だ、なんて意見がまかり通るわけが無い」 「せやけどなあ。力で強引に押さえつけたかて、また同じような力が反発するだけやろ。 他にもっといいアイデアが思いつかん、なんてことあらへんやろ?」 ギルガメシュを殺す事しか頭にない今のアルフレッドの言動は、 怒りや憎しみに身を支配されているからといってもあまりに常軌を逸したものでしかない。 普段の彼ならばこの程度の事が分からないはずはないのだが、 反対意見を落ち着いて述べるヒューとローガンの言葉を彼は聞き入れようとするそぶりすら見せなかった。 それどころか、 「力、か…… そうだ、今の俺に足りないものは力だ。力が足りなかったからグリーニャがああなった。 ギルガメシュを滅ぼすためにはより強い力を手に入れなければならない。 グラウエンヘルツがあったって思いのままに使えなければ無いも同然――― そこでだローガン、お前の使うホウライの技術を教えて欲しい」 と更なる力を求めてローガンが極めるホウライの奥義の伝授を願い出るありさまだった。 爆発的な力を持つものの、自分の意志ではどうにもできない彼のトラウムよりは 安定した効果が望めるホウライを学ぼうとするその姿勢は、こういう状況で無ければ練達の意志の表れとして高く評価も出来ようが、 今の心境のアルフレッドが言い出したとあっては更なる悲劇への一歩にしか思えなかった。 「教えろ言うんなら教えへんわけでもあらへん。せやけどホウライを上手く使うにはぶれない精神、 平常心っちゅうものが必要や。今のアルにはどうしたってホウライは使いこなせる代物やあらへん」 「使いこなせるかどうかは、まず使えるようになってからの話だ。そこら辺はいつでも何とかなる。それだけの事だ」 強大な力のみを求めるアルフレッドには、ローガンのこの忠告も耳には入らない。 ただひたすらに復讐のためだけに、他の動機など無く今の彼は存在している、少なくとも彼自身はそう思っていた。 あまりのアルフレッドの状況を省みないありさまに、今まで彼を黙って見守ろうとしていたルノアリーナも我慢しきれず、 「―――アル、たとえ復讐を完遂したところでどうなるのです。 憎しみは更なる憎しみを生み、悲しみは新しい悲しみを作り出すだけなのです。 殺し合いが殺し合いを呼ぶ、そんな負の連鎖の中に身を投じようなどとは、何を考えているのですか。 そのような育て方をした覚えはありません」 駆け寄ってアルフレッドにきつく言い諭したのだが、やはり彼はそれを聞き入れようとはしなかった。 「母さんまで何を言い出すんだ。これは戦争だよ、戦争。だから人を殺さずにいられるわけがないだろう。 それに、俺がギルガメシュの奴らを殺す事で、他の奴が俺を恨むのならばそいつらをも殺すだけだ。 ずっと言っているとおりじゃないか、ギルガメシュを滅ぼすと。全員殺してしまえばそんな連鎖も絶ち切れる」 「………………」 母親の諫言も無視して、改めてギルガメシュを血祭りに上げようと言葉にするアルフレッドの目は、 やはり尋常ならざるものだった。 そのあまりの狂気にルノアリーナは二の句が告げられず、ぐっと息子を見据える事しかできなかった。 「父さんこそ、どうなんだ。フランチェスカ・アップルシード―――ギルガメシュの首魁が村を襲った理由に思い当たるフシはないのか? あの女は、父さんに狙いを定めていたのだろう?」 「………アル、仮にも産みの親を“あの女”などと………」 「待ってくれ、この期に及んで情を残しているのか、父さんは? これでもまだ控えめに言っているほうだぞ。 鬼畜と詰らないだけ、俺も気を遣っている」 「………………………」 「しっかり考えてくれ、父さん。どうしてあの女が父さんを狙ったのか、………父さんの代わりにベルを連れ去ったのか。 これがわからなければ、ベルを救い出すことだって出来なくなるかも知れないんだぞ」 「―――ッ! ………………………」 あろうことか前妻の手によって故郷を焼かれ、最愛の娘まで誘拐されてしまい、 心身ともに打ちひしがれている実の父に対してもアルフレッドは心無い仕打ちを浴びせかける。 どうしてこのような事態に至ったのか本人にも見当がつかず、それが為にカッツェは誰よりも傷付いているのだが、 ギルガメシュ滅亡の一念に取り憑かれたアルフレッドにとっては、父の思いなど気に留めるまでもない小さなこと。 両親の思いを踏み躙ることにも、今のアルフレッドは痛み一つ覚えないのだ。 アルフレッドが強弁する中、ふっとネイサンが席を外した。これ以上何をいっても無駄だという事だろうか、そうでもなかったのか。 屋外に出たネイサンをニコラスが待ち構えていた。 まだ完全にギルガメシュに味方すると決めたわけではなかったのだが、数日前にアルフレッドから色々と言われていたせいか、 何となく顔を出すのが躊躇われていた。 だからこうして外で待って様子を伝え聞こうとしていたわけだ。 「………アルはどうするって?」 「どうもこうも、誰か止めてやらなかったら今すぐにでも捕虜を全員殺してしまいそうな勢いだよ。 あれじゃトリーシャがいたらギルガメシュよりも先にアルが悪人だ、って記事になっちゃうくらいにね」 「そうか……」 ネイサンから事の経過を聞いたニコラスは、神妙な面持ちを変えずに、言葉少なげに夜の闇に消えていった。 「やはり助け出す事になったわけだな」 「思うようにさせたらアルのためにならない。ギルガメシュがどうこうよりも、むしろアルに目を覚ましてほしい。 そのためにも是非とも成功させないと」 「ラスも苦しい立場に身を置いたもンだ。とにかく、やるからには失敗はできないね」 「ですね。ミスして捕まったらこっちまで処刑されかねませんよ」 闇の中でニコラスを待ち構えていたのは、今に至るまで息を潜めていたアルバトロス・カンパニーの面々である。 無論、ダイナソーとアイルを除く全員が揃っている。 三人の出迎えを受けたニコラスは、決然とした表情で仲間たちに頷いて見せた。 結局、捕虜となったギルガメシュ兵士たちは即刻の処刑を免れ、監禁されることとなった。 今は使われていない土倉の周りにバリケードを組んで簡易的な牢をこしらえ、そこに全員入れておいたのである。 すし詰めの状態で、決して捕虜を扱うような待遇ではなかったものの、 それでも銃殺されるよりはましだろうと兵士たちは思った。 もっとも、先延ばしにされただけかも知れず、その点でまだ安堵はできない。 ヒューやローガン、それに守孝らが考えを出し合った結果、 今殺すよりも後々のギルガメシュとの戦いの時に捕虜を有効に使えるという案を通そうと考えたのだ。 佐志からギルガメシュに捕まった者が出てきた場合に人質交換要員として使えるとか、 攻め込まれてどうにもならなくなったときに彼らの命を和睦なり何なりの交渉材料とするほうが、 いたずらに殺してしまうよりもよっぽど有益だと説いた。 捕虜を全員殺そうとしていたアルフレッドだったが、 圧倒的有利なギルガメシュを滅ぼすためには使えるものはなんでも使わなければならないという策を ヒューたちから強く推されたれたために、渋々ながらも捕虜の処刑をあきらめて、彼らを牢屋に叩き込んでおこうと決定したのだ。 一先ず捕虜の処遇を決めたアルフレッドは、再びギルガメシュが佐志へ攻め込んでくるかもしれないと 警戒を解かずに自ら周囲の監視をしていた。 戦時管制で家屋の照明を点けないように通達していたために星以外には明かりの無い港からは穏やかで真っ暗な海だけが見えた。 「静かなものでござる。本日ギルガメシュに攻められたことすら幻だったような夜でござるな」 「だがそうやってこちらの油断を誘っているかもしれない。何にせよ警戒は怠らぬべきだ」 共に見張りを行っていた守孝が言うように佐志の村は平穏そのもので、 再び襲撃があるかもしれないなどと思えないくらいだった。 このまま穏やかに時が流れればアルフレッドもいずれは落ち着けるだろう、と守孝は何もないことを期待していた。 だが、その希望は瞬く間に打ち砕かれる。 彼らの後方から突然日が昇ったかのような閃光がおきた。村に明かりが無い分、それはより強烈に感じられた。 そしてその光からほんの少しだけ間をおいて爆発音と思しき轟音が届いた。 「なんと、敵襲でござるか!?」 このようなときにこういう事が起こるとするならば、 ギルガメシュの奇襲が始まったのかと思うのがこの状況では一番妥当なところだろう。 だが、事態はそこからはまた離れた方向に進んでいたのだ。 「てぇへんだ、お孝さん。牢屋が襲われちまった!」 別方面の見張りをしていた源八郎から連絡が入る。ギルガメシュが仲間を解放しに攻めてきたとでもいうのだろうか。 それにしては不可解だった。捕虜が連絡をとる事などできないし、別の部隊が村を窺っていた様子もない。 しかし報告によると謎の一団は的確に簡易牢だけを襲ったというのだ。 村に情報を提供した者でもいるというわけなのだろうか―――そこまで考えて、アルフレッドはある一つの不安に襲われた。 (まさか、あいつら………) 彼の悪い予感は的中した。破壊された簡易牢からは捕虜たちが続々と脱走していく。 そして、彼らを扇動していたのは他でもないアルバトロス・カンパニーの一同だった。 アルフレッドの暴挙を見るに見かねて牢破りを行なったのだ。 「貴様ら…… 一体何のまねだ!?」 「申し訳ないが君に兵士たちを殺させるわけにはいかない。理由は君も分かっているだろう」 毅然と言い放ったボスがアルフレッドから報復を受けぬようにと、傍らに立ったディアナがドラムガジェットを起動させる。 邪魔立てするならばアルフレッドであっても鉄拳でもって砕く、という気構えを分かりやすい形で見せたが、 そうするまでもなくアルフレッドは次の一歩を踏み出す事もなかった。 まさかと思ったが、そのまさかの事態に、仲間だと思っていた人間の「裏切り」にしばし呆然となってしまったのだ。 アルバトロス・カンパニーを裏切り者だとさんざんに罵倒してきたアルフレッドだったが、 心の片隅には、やはり否定しきれぬ情があったのだ。………この瞬間までは確かにあった筈である。 「今のうちだ! ラス、行けっ!」 ボスの呼びかけと同時にニコラスのガンドラグーンがうなりを上げる。 ガンドラグーンには荷車のようなものが取り付けられており、そこには捕虜たちが何人も乗っていた。 満足に動けるものは自力で、そうでない者はニコラスによって佐志から逃げ出したというわけだった。 「アル………ッ!」 アクセルを全開にしてバイクを走らせるニコラスはほんの一瞬だけ振り返りアルフレッドの様子を窺う。 そこに浮かび上がっていたのは苦悩や申し訳なさといった表情だったが、アルフレッドにはそれが目に入らなかった。 全員が牢から逃げ出すと、ディアナはドラムガジェットをスクーター形態にシフトさせた。 後輪の上部に取り付けられた荷台へボスが腰を下ろす。これを確認したディアナは、 フルスロットルでエンジンを蒸かし上げ、強引な二人乗りでニコラスの後を追っていった。 彼らが目指すのは、港に停泊させてあった漁船のうちの一艘である。 夜の闇に紛れて盗み出し、佐志を脱出する準備を整えていたのだ。 あっと言う間の牢破りであった。 遠ざかるにつれ二つのエンジン音が徐々に小さくなり、いつしか佐志は元の静寂を取り戻した。 「アルフレッド殿、追うべきでござるか?」 ようやく我に戻ったアルフレッドに守孝は語りかけたが、しかしかれはわなわなと震えるだけで何も返そうとはしなかった。 「裏切り者が………!」 搾り出すようにしてアルフレッドが呻く。 裏切り者、と怨嗟に満ち満ちた呻き声を上げる。 「貴様らがそのつもりなら俺も容赦はしない。戦争だ、やってやろうじゃないかッ!」 怒り狂うアルフレッドの叫び声が闇夜に響き渡った―――。 * アルバトロス・カンパニーが佐志を脱してから、時間を下ること数時間―――朝靄の中を足早に駆ける一団の姿があった。 先頭を行くのは、ツヴァイハンダーを担いだ浅葱色の髪の剣士―――フェイだ。 フェイ、ソニエ、ケロイド・ジュースの三人が緊迫した面持ちで木立の下を駆け抜けていた。 彼らが駆けるのは、一言で表すならば長閑な街道である…が、 雨水が引いて間もなくの泥濘は、大量の足跡によってこねくり回されており、 相応の人数で編成された集団がこの地を往来したことは明瞭に見て取れる。 重機で乗りつけたような痕跡も散見され、ここに足を取られて横転する危険性もある。 にも関わらず速度を一定に保っていられるのは、三人が常人離れした健脚であることに加えて、 先頭のフェイが慣れた様子で踏み込みやすい足場を選択、追従するふたりはこれを手本にしているからだ。 三人は、グリーニャへの道をひた走っているのだ。 寄り付かなくなって久しいものの、フェイにとってこのあたりはホームグラウンドと言っても差し支えのない地域。 道に迷うことは言うに及ばず、足を取られることさえなかった。おそらくは目隠ししたままでも走り続けていられるだろう。 グリーニャが襲撃されたことは、既にフェイの耳にも入っていた。 最初、フェイは因縁の深い故郷へ馳せ戻ることを躊躇った。…と言うより未だに躊躇は根強く残っている。 ソニエとケロイド・ジュースから強引に帰郷を迫られ、止むに止まれずグリーニャへ走っているのだが、 本音を明かすなら、故郷と向き合う覚悟はフェイの中では些かも固まっていなかった。 対面したところで、過去の蟠りが解けるとも思えない。 彼にとって、グリーニャとは拭い難い過去…呪いとも言い換えられる存在だった。 街道を駆け、森林地帯を突っ切り、田園風景を抜けたその果てにグリーニャへ辿り着いたとき、 ………フェイの心に巣食っていた呪いは、ついに彼の全存在を飲みこんだ。 長い、本当に長い時間を経て対面したグリーニャは、最早、グリーニャと認識することが困難な状態となっていた。 まず視界に飛び込んできたのは、緑の絨毯とも例えられる美しい風景が焼け野原と化した姿。 視線を転じれば、慣れ親しんだ町並みは悉く瓦礫の山。砲弾が撃ち込まれた痕跡も大地に穿たれている。 垂れ込める血の臭いが、死臭が、この地で起きたことを痛切に訴えかけてくるのだ。 フェイ・ブランドール・カスケイドと言う人格を形作る原風景の全てが、もうエンディニオンのどこにも存在していない。 故郷と呼べる場所が、帰るべき縁(よすが)が、最も残酷な形で断ち切られてしまった。 あまりの光景に、ソニエもケロイド・ジュースも言葉を失っている。 ふたりの立つ位置からは後姿しか見えないが、フェイは声もなく、身じろぎもせずに立ち尽くしており、 怒涛の如く揺れているだろう心中を思えば、慰めの言葉を掛けることも出来はしない。 どのように言葉を選んでも、後ろから抱きしめたとしても、おそらく今の彼には何の慰めにもならない。 そう思えばこそ、ソニエはフェイの後姿を見つめることしかできなかった。 彼が視線を向けているだろう方角には、埋葬を終えたばかりと思しき真新しい墓、墓、墓――― 急ごしらえの集合墓地には、クラップの名前も刻まれていた。 クラップだけではない。フェイとは古くから付き合いのあった者が幾人も幾人もここに永眠(ねむ)っているのだ。 「………………――――――」 グリーニャが、その先に浮かぶ過去と呪いがフェイに何を見せ、何を思わせたのか――― 「―――フェイ、………あなたッ………―――」 ―――抜け殻のように動かなくなってしまったフェイの身心を案じたソニエが彼の横顔を覗き込んだ瞬間、 それは旭日に照らされ、影から現(うつつ)となって姿を現した。 英雄として故郷の惨状に涙を流しているつもりだった。それが人々の規範たる英雄らしい姿だろうと彼は信じて疑わなかった。 だからだろうか。フェイは自分の顔が醜く歪んでいるなどとは夢想だにしていなかったのだ。 歯を剥き出して笑っていることも、喉を鳴らしていることも、上体を捩りそうになるくらいの痛みが腹部を襲っていることも――― フェイには我が身に起こっていることとは思えず、現実として実感は絶無であった。 悪魔の如く醜悪な感情など英雄たる自分が、フェイ・ブランドール・カスケイドがその身に宿しているわけがないのである。 過去から染み出す呪いによって塗り潰されたフェイの肉体は、最早、彼の意思を離れており、 腐りきった膿が肉と皮を破って体外へ漏れ出すかのように心の底を、最も深い感情(もの)を曝すばかりだった。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |