2.激化する攻防 鬱蒼と生い茂る熱帯雨林の中を、三つばかりの人影が息せき切らして駆けている。 平地では確認できないような動植物に満ち溢れる熱帯雨林は、 天然自然の博物館と言っても過言ではない趣を醸し出しているのだが、 そのような景観美に気など留めていられないと言った風体で、一心不乱に前へ、前へと両足を振り出し続けている。 木立の隙間から漏れ出す陽の光を頼りに仄暗い深緑の迷宮を彷徨うのは、仮面の兵団…ギルガメシュである。 兵団と言っても、本隊とはぐれてしまったのか、あるいは敗残の身であるのか、 人影の数として算出した通り、現在はたったの三人で熱帯雨林を走り続けていた。 三人ともにハウザーJA-Ratedと銘打たれたレーザーライフルを抱えているが、しかし、標的を追い込んでいる様子とは明らかに違う。 後方を窺うべく忙しなく警戒の視線を飛ばすことからも察せられるように、 彼らは自分たちに追い縋ってくるモノより懸命に逃れようとしていた。 「ば、化け物………化け物だぁっ!」 「ひでぇ言い草じゃねぇか。ま、否定もしないがね。お前らにとっちゃ死神みたいなもんだ」 追跡対象から化け物と恐れられ、見て取った反応に不敵な笑みを浮かべたのは、 テムグ・テングリ群狼領―――いや、ゼラール軍団に所属する巨魁の戦士、トルーポ・バスターアローである。 デザインこそ違えどもギルガメシュが着用するカーキ色の物と用途を同じくするレモンイエローの軍服に身を包んだトルーポは、 軍服の上から胸部・胴・四肢に至るまで堅牢なプロテクターで固めており、その威容は中世時代の騎士を彷彿とさせた。 迷彩柄のプロテクターを甲冑(スーツ)の如く纏うトルーポは、胸元で交差させるようにして両肩から一本ずつベルトを垂らしているのだが、 そこには徹甲弾やショットシェル(散弾)、更には手榴弾、冷凍爆弾など夥しい量の武装が吊されていた。 肩部のプロテクターに設けられたフックからは背面へと紐が垂れ下がっているが、 これによって吊られているのもやはり重火器である。右肩に垂直二連装のバズーカを、左肩に機関銃をそれぞれ担っていた。 二つの重火器を紐で吊っているのは、両肩に掛けたベルトと砲身とが重なることで身のこなしを阻害しないようにとの工夫である。 その分、振り子の要領で重量が本人へダイレクトに圧し掛かるのだが、 これについては強靱な筋力でカバー出来るからか、苦ではないらしい。 両手首・両足首には、鎖を編みこんだレザーバンドを締めていた。 オーダーメイドだろうか。銃弾を収納しておく為の小さなポケットが幾つも設けられているが、 そこに満載されているのは、一風変わった弾丸(タマ)である。 鉄の矢のように尖端が細長く、鋭いのだが、当然、この珍奇な形状も装飾ではなく戦闘用の加工である。 銃弾と言うよりもニードルと呼ぶほうが正確のように思える。 鋭利な一点へ力が集中するこのニードルは、如何に硬質な壁や防弾ガラスであろうとも容易く貫いてしまうと言う。 乱戦時に用いる装備の量もまた凄まじい。 件のニードルを撃発するのにも使える大口径のハンドガンを右のホルスターへ、 ソウドオフショットガン(銃身を切り詰めたショットガン)を左のホルスターへそれぞれ納めてあるガンベルトには、 両側に抜き身の刀剣が一振りずつ鎖でもって縛り付けてあった。 右側には大振りなコンバットナイフ、左側には柳葉刀とこちらも異色の取り合わせだ。銃器と同じく用途に応じて使い分けるのだろう。 ガンベルト背面のホルスターに納められているのは、大型の対物ライフルだ。 脛を防護するプロテクターの側面にも外付けのポケットが括り付けられているのだが、 右から鋼鉄製のハンマー、左からハンドアックスがそのグリップを覗かせている。 左腕のプロテクターに付属しているのは、逆三角と言う形状から凧のようにも見えるヒーターシールドである。 乱戦時に外れることがないよう幾重にもベルトで締め付けられている。 セフィが用いるラウンドシールドに比べると攻撃を防げる面積はやや狭いのだが、 その代わりに裏面にはナパーム弾の発射装置が設置されており、 トリガーを引けば盾の尖端にある発射口から爆炎の塊が吐き出されるギミックとなっている。 攻防一体の機能を備えたヒーターシールドの表面には、鏡の如き反射加工が施されていた。 右腕のプロテクターに付属されるのは、シールドではなくチェーンソー。 これもまたベルトによって固く括り付けられてあり、乱戦・白兵戦時には刃を回転させて攻撃対象を戦慄させることだろう。 首から胸元にかけてネックレスのようにガスマスクを垂らしている。 緊急事態へ直面した際にはこれを用いて正常な呼吸を確保し、その上で敵陣に突撃していくのである。 背中の部分がスリットによって二枚に分かれたマントには、至るところに大小の装甲板を貼り付けてあり、 仮に背後から攻撃を加えられたとしても、これによって全弾を跳ね返すように思えた。 攻守両面に於いて重武装である…が、言うまでもなく装備の数と比例して総重量も跳ね上がっていく。 実際、トルーポが身に着けた装備の総重量は、軽く二百キロを超えていた。 にも関わらず、装備の重さなど何の苦もないように平然と動き回っているのだ。およそ人間業とは思えない。 地響きを立てながらも全くスピードを落とさず、しかも息切れすらせずに追い縋ってくるトルーポは、 追われる側に立たされたギルガメシュの兵士たちにとっては恐怖以外の何物でもなかった。 頭部を防護するヘッドギアの眉間には握り拳を模った装飾が施されているのだが、 そうした物で誇示しなくとも二メートルを超える巨躯を見せ付けられれば、誰しも威圧感にたじろぐ筈である。 彼は片手で対艦ミサイルランチャーを担いでいる。それすら常人には信じ難い光景だ。 対艦ミサイルとは、その名の通り、敵船を撃破する為の武器…いや、兵器である。 頑強な土台に据え付けねば重量にも発射時の反動にも耐えられない筈の超大型兵器である筈の対艦ミサイルランチャーを、 トルーポは重武装しながらも軽く担ぎ上げていた。 「残念ですが、あなたたちもここまでですっ」 「恐れ多くも閣下に楯突いたことを後悔してくたばんなさいよ!」 何としてもトルーポを振り切ろうとひた走るギルガメシュの兵士であったが、 草葉の陰に隠れていた新手が行く手を遮るようにして飛び出し、正面に続いて側面まで塞がれてしまい、ついに進退窮まった。 正面を押さえたのは、ゼラールをしてマコシカの奇跡と称されたラドクリフ・M・クルッシェン、 テムグ・テングリの主筋に連なるとされるピナフォア・ドレッドノートのふたりである。 ラドクリフたちと呼応するように両側面へ回り込んだゼラールの軍団員たちは、 我が身を以て逃避不可の壁を作りつつ、ジリジリと間合いを詰めに掛かった。 ピナフォアと同じ革鎧を纏ったテムグ・テングリ群狼領の将士、トルーポと同じレモンイエローの軍服姿が入り交じっている為、 傍目には寄せ集めの混合部隊のように見えるが、一同の連携は乱れも綻びもなく、 高い水準でまとまったゼラール軍団の統率力が窺えた。 「く、くそったれがぁッ!」 退路を断たれた動揺によって錯乱状態に陥ったギルガメシュ兵は、 四方八方へ首を振り回して逃げ場を求め、反射的にトルーポへと銃口を向けた。 ラドクリフとピナフォアのふたりに塞がれた正面、間合いを詰めに掛かってくる側面の“壁”と比較すれば、 背後はトルーポただ一人で、単純な人数のみで計るなら突破口を開く為に踵を返すことは、必ずしも悪い判断とは言えまい。 レーザーライフルの一斉発射によって上手く仕留めることが出来れば、血路を開くことも叶うと言うものだ。 だが、たった一人とは言え、相手は人間離れしたトルーポである。 ほんの数分前まで彼の威容へ戦慄していたのは誰であったか。他でもないギルガメシュの兵士三人である。 平静な思考であったなら間違っても下さないだろう判断に取り憑かれた三人の耳では、 ピナフォアの発した「あーあ、最悪なコトになっちゃったね。おしまいよ、あんたら」と言う嘲りも聞き取ることが出来なかった。 自分たちの置かれた情況も、自分たちを取り巻く周囲の状況も正しく認識できず、 トルーポに対する恐怖までもが思考の外へと吹き飛んでしまうほどに彼らは錯乱していた。 やがて、ギルガメシュの兵から三条のレーザーが一斉にトルーポへと斉射された。 逃避行の三人にとっては、これこそが最後の賭けだったのだろうが、 左腕のヒーターシールドで全弾を防いだトルーポは、 彼らの抱いた淡い望みを「一回成果を挙げたからって、いつまでも同じ武器が通用すると思ってんのか? 戦争ってのは、アタマ使ってやるもんだ」と豪放に笑い飛ばした。最後の希望を、無慈悲にも踏み砕いて見せた。 「そんなバカな! なんなんだ、その鏡はァッ!?」 「鏡ぃ? ………あぁ、コイツのことか? これでも対光学兵器用の特注品なんだぜ。姿見みたいに言ってくれるなよ」 「な、なぜ、そんなもの―――」 「“なぜそんなものを持っているのか”ってか? お前らが手に持ってる光学兵器(シロモノ)に聞いてみな。 ………さっきも言っただろう? 戦争ってのは、アタマ使ってやるもんだ」 間の抜けたことを呟くギルガメシュ兵へ一足飛びに接近したトルーポは、 仮面の上からでもハッキリと見て取れるほど恐怖に萎縮した三人の脳天目がけて対艦ミサイルランチャーのグリップを振り落とした。 ミサイルを発射するまでもない相手だと判断したのだろう。 桁外れの膂力の持ち主であるトルーポにかかれば、グリップで殴打するだけでもことは足りるのだ。 現にギルガメシュ兵三人はグリップが触れただけでも致命傷となり、文字通り、一撃のもとに絶息した。 「面白いくらいフッ飛んだわね。腕力だけでここまでやれるんだから、 バカみたいに重武装せんと格闘家(ステゴロ)に宗旨替えしたらどう?」 「―――面白くもなんともないわ。このような茶番に付き合うほど余は暇ではない」 トルーポの一撃によって十メートル以上吹き飛ばされたギルガメシュ兵の死亡を確認していたピナフォアは、 頭上から舞い降りたその一言を受け、すぐさまに跪いた。 ピナフォアの言葉はトルーポに向けられたものであったが、これに答えたのは巨魁の戦士ではなく全くの別人。 会話に割って入られても激情家のピナフォアが癇癪を起こさない相手である。 ふと声のした天を仰げば、一等高い木の頂上に立って戦況を俯瞰していたゼラールが、 なんともつまらなそうに溜め息を吐いている。 軍団の長であるゼラールは、どうやら戦闘は配下に任せて、自身は趨勢を眺めるのみに留めていたようだ。 普段なら我先にと勇ましく敵陣へ駆け込んでいく彼にしては珍しい。 ビアルタあたりに目撃されようものなら厳しい叱責は免れないだろう怠慢な態度と、 しきりに繰り返している「面白くもなんともない」とのボヤきとは、おそらく無関係ではあるまい。 「あんまりにも歯ごたえがなさ過ぎるんで、オレたちゃ消化不良ですがね。閣下はそれ以上に身が入らんでしょうな」 「余をからかっておるのか、トルーポよ? 許されぬ不敬であるぞ―――」 「そうよ! あんた、閣下に向かってなにふざけたこと抜かしてんのよ! 鼻の穴に爆弾ねじ込んで破裂させるわよ!?」 「―――しかし、今日のような退屈な日は別じゃ。矮小なる戯れに付き合ってやらんでもない。余の寛大に感謝せよ」 「ああっ、閣下の御心の広さと言ったら、もう………っ! これだけでエンディニオンの総面積を上回るわ! つまり閣下がエンディニオンで、エンディニオンが閣下で!? そんなっ! 二十四時間閣下に包み込まれたら、 あたしっ、あたしぃ―――うぐっ………よ、涎が止まらなく………ッ!」 口を挟んで話を混ぜっ返すピナフォアはさておき――― 楽しみに待ち侘びていた玩具なのに、いざ遊び始めたら想像と違って面白さの欠片もなく、 こんなものはつまらないと駄々を捏ねる子どものようなゼラールがトルーポには滑稽で、 不敬ついでとばかりに腹の底から笑い声を上げた。 さすがにこれは看過できないと思ったのか、ピナフォアに倣って跪いていたラドクリフは批難の視線をトルーポに向けるが、 当のゼラールも「殊勝な心がけよな。笑う門には福来たるとはよく言うもの。 貴様の笑い声には、何やら陰気を蹴散らす効用がありそうじゃ」と同じく高笑い。 ラドクリフの考えが及ばない次元で、ゼラールとトルーポは意思の疎通を果たしていたようだ。 このような辺境まで赴いてゼラール軍団が戦ったのは、今し方仕留めた三人ではない。 正しくは、この三人を構成員に含むギルガメシュの一部隊と彼らは対峙していたのである。 エルンストからゼラール軍団に下された命令は、この熱帯雨林に隠されたルナゲイト家秘蔵の武器庫の奪還及び征圧であった。 つまり先ほどの三人は、軍団によって撃破された敵部隊の敗残兵と言うわけだ。 銃を持ったマスメディアとは何とも物騒な話だが、煮ても焼いても食えないジョゼフのこと、 ルナゲイトに不満を持つ勢力の武装蜂起を想定して軍備を整えていても不思議ではない。 武器庫の存在を突き止めたドモヴォーイも、報告を聞いたエルンスト以下テムグ・テングリ群狼領の将士も、 誰一人として意外などと驚いたりはしなかった。 腹の底がドス黒くとも、それが公然の秘密と化しているとしても、 表社会に軍備の事実が出ることはルナゲイトと言うブランドへ激甚なダメージをもたらすに違いない。 ジョゼフにも堪える醜聞となるだろう―――そう考えたブンカンは、 征圧した武器庫からルナゲイト家の軍備を全て押収するよう具申し、エルンストもこれを了承した。 「万一、新聞王から追及されても我々が辿り着いたときには既に運び出されていたと言い張れば済むことです。 仮に押収品を見つけられたとしても、敵兵から鹵獲したと言えばいい。 ルナゲイトは良いエージェントを飼っているようですが、調べようがなければ、どうにもできない筈ですよ」 明るみに出すわけにいかない武器である以上、一切合切を押収されてもジョゼフの側が強く追及することは有り得ないと ブンカンは説明を締め括った。 少々乱暴な筋書きだが、テムグ・テングリ群狼領の軍備を増強しつつ、 最大の政敵と目しているルナゲイト家の戦力を削ることが出来るのだから、作戦実行に待ったを掛ける理由もない。 ゼラールが不満を募らせているのは、僻地への派遣や任務の中身ではなく小部隊との小競り合いに終始する現状である。 彼にとって見れば、子どもの使いを命じられたようなもので、早い話が、モチベーションを削ぎ落とされてしまったと言うわけだ。 ゼラール個人の私情はともかくとして、テムグ・テングリ群狼領が採った作戦行動全体で見るならば、 ギルガメシュに掌握された拠点を解放・征圧していくことには大きな意義があった―――ある筈なのだ。 ルナゲイトへ連なる敵の拠点――この場合の“敵”とは、ギルガメシュと新聞王の両方が当てはまるだろう――を テムグ・テングリ群狼領の手にて奪取し、“今後の戦略”にとって最も有効なアドヴァンテージを誰よりも先んじて確保する。 これこそブンカンの立てた戦策の要の部分であった。 「あの温い策(て)に頼ってルナゲイトへ辿り着けると本気で信じておるのか。 最強馬軍と言えば聞こえは良いが、一つの世界を相手にするのが限界では、山賊輩と大差ないわ。 万が一、粗略をし続けたときには、………余も次なる階梯を考えねばならぬな」 しかし、その戦略もゼラールは内心不承知であるらしく、高笑いついでに嘲りを吐き捨てた。 「どう言うことですか? 本隊はルナゲイトに一直線なのでは………」 「向かってはいるんだがな―――ざっくばらんに言うなら、世の中、そんなに甘くないってコトだ」 長身の自分に上目遣いで尋ねてくるラドクリフへトルーポは苦笑混じりに答えてやった。 「世の中、そんなに甘くない」とのトルーポの言い回しは、実に的を射たものであった。 アルフレッドの謀った要撃作戦によってギルガメシュの佐志征圧が失敗に終わり、 海運の重要拠点を侵略者に抑えられる危機は去ったものの、 局地的な勝利が意味を成さないほどにエンディニオンを取り巻く情勢は乱世の色を強めつつあった。 通信や交通の要衝を抑え、地域間の連絡網を遮断するという作戦に出たギルガメシュに対し、 エルンスト率いるテムグ・テングリ群狼領はこの解放に兵を差し向け、各地で両軍の武力衝突が頻発。 西でテムグ・テングリ群狼領が解放を果たせば、東ではギルガメシュが死守に成功すると言う一進一退の状況が続いている。 ルナゲイトの奪還――別の言い方をすれば、テムグ・テングリによる再占拠か――を視野に入れ、 作戦行動を展開するテムグ・テングリ群狼領にとって、敵の抑えた拠点の解放は極めて重要な意味を持つのだ。 先だっての軍議にて話し合われた通り、最終目標であるルナゲイト奪還に向けて一つずつ布石を打つ――― 段階を経た後に“大勝”を得ようと言うのが、テムグ・テングリ群狼領の狙いであった。 ところが、ブンカンの立てた作戦の通りには戦況(こと)は運ばなかった。 組織的な襲撃を受けたとあれば、すぐにでも反撃の援兵を送ろうと言うのが一般的な考えであり、 その心理的動揺をブンカンも計算に入れたのだが、ギルガメシュの兵権を執る軍師もさるもので、 陥落された拠点はそのまま捨て置き、追い散らされた部隊を別な拠点の防衛に再編、迎撃力の強化に努めた。 こうすることで全ての拠点を奪還される最悪の事態を免れようと言うのである。 ともすれば撤退を是とする後ろ向きの戦略に見え、深慮の足りないテムグ・テングリ群狼領の末端の兵士の中には ギルガメシュが騎馬軍団の前に恐れをなして逃げ出したと吹聴する者まで現れた。 目先の勝利に囚われて長期的な戦況を把握できず、散発的な勝利に浮かれる輩は、 両軍の勢力分布図を目にしたことの無い愚か者だと言えよう。 追い散らされた部隊は、その地方における最重要拠点へ再編されていた。 仮設の火薬庫が置かれた軍事拠点だけでなく、数多の街道が交わる中心点など、 その土地に強い影響力を与えるポイントをギルガメシュの軍師は相応の兵数で固めた。 敵の補給路や町村間の連絡を考慮すると、確かにどの拠点も解放されるのは痛手だが、 征圧の要となっているポイント、つまり“その土地に与える影響力の強い場所”さえ死守できれば、 機会を見計らって逆襲に転ずることは可能なのだ。 侵略者たるギルガメシュにとって重要なのは、征圧の対象へ絶対服従の恐怖心を与え、完全に屈服させることにある。 例えば、当該地域の中心地などを征圧し、支配下に置くことでこの目的は概ね達成される。 「中心地が陥落せねば、小さな勝利程度でギルガメシュの支配は揺らがない。 そして、その中心地は絶対の守りを固めていて難攻不落」と吹き込まれた人々は、 淡い希望を失望に塗り変え、侵略者への更なる恐怖心に苛まれるのである。 大幅に増員された迎撃力でもってテムグ・テングリ群狼領が返り討ちにされたなら、絶望感から来る屈服は決定的になるだろう。 最悪の事態を恐れたエルンストは兵の間に軽率な空気が蔓延しないよう厳しく戒め、 それでも聞かずにかりそめの勝利を謳う者は容赦なく斬刑に処した。 本当の戦いは、まさにこれからなのだ。真の敵を見抜けぬ者であれば、どの道、早死にするに決まっている。 斬罪に処すことさえ愚か者には過分の慈悲とエルンストは考え、 それと同時に自分が、テムグ・テングリ群狼領が余裕を失いつつあることに大いに憤る。 両軍の争乱がエンディニオンへもたらす動揺と混乱は、かつて侵略する側にあったテムグ・テングリ群狼領が ギルガメシュに立ち向かえる唯一の軍勢となったその瞬間(とき)を境に大きくなっていた。 良好な統治の成された領土内の人間は異口同音に「悪し様に罵ったのは、御屋形様の偉大さを知らなかったから」と言うが、 エルンストの政治力に触れたことの無い部外者の間には、 テムグ・テングリ群狼領を無法の侵略者と忌み嫌う風潮が多分に残っている。 ………いや、殆どの人間がテムグ・テングリ群狼領へ並々ならない恐怖を抱いているのだ。 乱世の統一と言う思想や良好な統治がどうであれ、彼らが行なっているのは侵略行為に他ならないのだから、 脅威に感じるなと言うのが土台無理な話である。 そんなテムグ・テングリ群狼領が、一転して侵略者に対抗する軍勢になった。 侵略者が侵略者を迎え撃つと言う、理解するには複雑過ぎる奇妙な構図が混乱に拍車を掛け、人心を四分五裂に乱した。 ギルガメシュの支配は確かに恐ろしい―――けれど、テムグ・テングリ群狼領も、また、同じくらい恐ろしい。 解放の名分にかこつけて、彼らは版図拡大を計画しているに違いない。 ならば、支配者として崇めやすく、扱いやすいほうを選ぶべきなのか………。 混乱は末期的な様相を呈し始め、町によっては安全な生活を保証してくれるほうを受け入れようとの声まで出ていると言う。 それはつまり、双方の思想・体制の差異を比べる判断力さえ奪われた状態と言うことだ。 屈服に傾いた殆どが寒村である。人間の尊厳を捨ててでも長い物に巻かれなければ明日をも知れぬ人々と理解しているからこそ、 エルンストは焦りを禁じ得ない。 誇り高き馬軍の覇者は、その人となりを知らない人間が想像する以上に慈悲深く、エンディニオンの窮状を憂えているのである。 エンディニオンに―――アイルが言うところの“Bのエンディニオン”に生まれた者が その尊厳を失うことなく解放の喜びを得るには、大勢を決する決戦しか道が残されていないとエルンストは考えていた。 またしても恭順に近い形となってしまうが、ギルガメシュへ傾き始めた人心を引き戻すには決戦の場にて完全な勝利を収め、 影響力を失墜させる以外に無い。 ここにエルンストは焦りと憤りを覚えていた。 決戦と言えば聴こえが良いものの、全軍をぶつけて大勢を決する手段は、互いに大きな損害を出す。 しかも、戦いの果てに予測される数千単位の犠牲に見合うだけの見返りが必ずしも約束されるとは限らないのだ。 兵権を執る将としても、民を守る王者としても、決戦の号令は最後の最後まで取っておき、 可能であれば使わずに済ますべき切り札だった。 その最後の札を切らねばならない状況にまでテムグ・テングリ群狼領が追い詰められている事実にエルンストは歯噛みしていた。 ギルガメシュの抱える軍師は相当な食わせ者である。 混乱が作用した人心の狼狽まで計算に入れて兵を動かしているとしか思えず、現実にテムグ・テングリ群狼領は劣勢に立たされていた。 征圧された拠点を解放することで敵の注意を正面に引きつけ、その隙に迂回しながらルナゲイトへ接近した本隊が 全力を以って決戦を仕掛ける―――この戦略的奇襲が対ギルガメシュに於ける作戦行動の要だったのだが、 敵の軍師はブンカンの戦策を見抜き、テムグ・テングリ群狼領本隊の進行方向へ砦の如き兵営を築き始めたのだ。 砂漠地帯を経由してルナゲイトに攻め入るべしとされていた当初予定は、これによって進路の変更を余儀なくされてしまった。 進路変更と一口に言っても、単に馬首を返せば済む話ではない。兵站の確保など様々な面に影響が生じるのである。 ギルガメシュが築いた兵営は規模も戦力もそれほど大きいものではなく、 強引に本隊を押し進めていけば容易く踏み越えることができるのだ…が、それは手の内を明かすのに等しい愚行だった。 ギルガメシュもテムグ・テングリ群狼領の狙いを読んではいるだろう。だからこそ騎馬隊の行軍に楔を打ち込んだのである。 さりとてこちらの意図を明確に示すわけにもいかない。戦略と言うものは、古今東西、腹の探り合いなのだ。 確かにギルガメシュの軍師はブンカンを翻弄している。知恵比べの緒戦はテムグ・テングリ群狼領の不利と見て間違いなかろう。 だが、全てを把握したわけではあるまい。完全に馬軍の動きを読み切っているのであれば、相応の迎撃を浴びせかけてきたであろうし、 これを見抜けぬブンカンではない。 それ故にこちらの意図を相手にひけらかすわけには行かないのだ。おそらく立てられているだろう仮説に確信を与えるような短慮を 軍師であるブンカンがどうして許せると言うのか。 ギルガメシュの勢力圏に進んで入った者、あるいはエルンストに敵意を抱いている勢力が、 テムグ・テングリ群狼領の動きに対して如何なる反応を見せるのかもわからなかった。 そのような状況を作り得る知恵者を抱えたギルガメシュ相手に決戦という切り札が、果たしてどこまで効力を発揮してくれるのか――― 犠牲者数を頭の中で試算し、弾き出された夥しい量にエルンストは顔を顰めた。 思考を巡らせるときには決まって銀や鋼を取り出し、鏃などの武具を拵えるエルンストだが、 懊悩の多い今日ばかりは、素材の収められた袋をテーブルへ放ったところで手が止まってしまっている。 「敵方の軍師もさるものでございますな。あらゆる効果を見越した上で部隊を動かしている。 いや、同じ立場にある者が言うべきではありませんが、味方に欲しいくらいだ」 脇に控えたブンカンがそう発言したことでエルンストの意識は現実世界に引き戻され、 彼に自分が仮設された陣営で軍議を開いていたことを想い出させた。 エルンストの意識を現実へ呼び戻したブンカンは、自称した通り、テムグ・テングリ群狼領にて軍師の大役を担っている。 軍議の場には、エルンストを筆頭にテムグ・テングリ群狼領が誇る猛者たちが二列に座して顔を向かい合わせているが、 皆、頭目に倣って押し黙っていた為、ブンカンの声はいつもより数段良く通った。 右列に着席したまま、勝気な顔をむっつりと不機嫌にしているのは、 エルンストの恋人にして群狼領内最強の女戦士と名高いカジャムだ。 旗下に降って以来、副将の一人に数えられるザムシードは、隣り合わせたカジャムの憮然とした様子に肩を竦め、 二人と顔を合わせる恰好で向こう側の左列に座したデュガリは、エルンストが沈黙を貫いている以上、 彼の代弁者たる己の役割を果たせず、手持ち無沙汰にカジャムの苛立ちを眺めている。 そして、デュガリの隣で軍の采配を取るブンカンの言葉に一同がカジャムと同じ表情(かお)を作った。 エルンストを支える近臣の中で平然としていられるのは、状況を冷静に分析しているブンカンと、 右も左も仏頂面が並ぶと言うこの状況に滑稽な可笑みを感じて口元を歪めるドモヴォーイくらいだ。 デュガリも冷静さを保つひとりではあるが、エルンストの焦りを誰よりも深く理解している彼の場合、 ブンカンやドモヴォーイよりも複雑な心境にある。 テムグ・テングリ群狼領にて正式な戦装束とされる革鎧を身に纏い、 開戦の銅鑼を今や遅しと待ちわびる殺気立った一同の中にあって淡々と戦いの趨勢を述べるブンカンの姿は一種異様にさえ見えるが、 彼は任された役割を果たしているだけのことである。 デュガリに訳されるまでもなく、エルンストが無言の内に込めた指示をブンカンは了承していた。 「敵方の軍師が優れていることはブンカン殿のご講釈によって十二分に分かりました。 ………が、我らが知りたいのは、相対する者の優秀さではございません。 優秀な相手と互角で渡り合い、最後に勝利を得る方法を求めてございます」 「短慮ですな、ザムシード殿。勝ちを得たいのなら、まず敵を知ることです。 敵を知らねば、その弱点を突く会心の一撃はおろか反撃に適した防御の仕方もわかりますまい。 敵を知れば、その攻撃を受け流しつつ、会心の一撃へ転じる術を得られましょう」 「な、成る程………では、存分に続けて下さって結構」 「了承を頂けて嬉しい限りですな。では拙事ながら………ザムシード殿のお言葉に甘え、 これより三日三晩、ギルガメシュの軍略について語らせて頂きたく存じます」 「み、三日三晩となッ!? い、いや、しかし、その間にも敵は動きますぞッ? 敵の動きに反応示さず天幕へ篭っていたと知れれば、味方の士気も下がりましょうッ!」 「だからと言って不用意に動いて勝てるものではありますまい。勝ちたいのでしょう? ならば敵を知りなさい。 犠牲を出さぬ知恵を得ることも、また、将たる者の務めにございますぞ」 「だ、だが………、だがな、敵を知ったところで味方がな………」 「ふむ―――ザムシード殿は今しがた交わした約束を既にお忘れのようだな。 どれ、記憶力には自信がある。一字一句間違えずに再現して見せようか」 「む、むむむ………うむむむむむむ………むむむむむむ………ッ!」 年齢こそ一回り若いが、格式は自身より高位にあるブンカンに対し、ザムシードは言葉を選んで問い掛けた。 応じたブンカンはザムシードの生真面目さがどこか滑稽に思えてしまい、からかいを交えて答えてやったのだが、 悪戯心を見透かしたエルンストとデュガリの二人に無言で見咎められ、肩を竦めて態度を改めた。 「認めたくないものではあるが、重要拠点を死守されている以上、我らの不利は明白だ。 お前の言う通り、人心もコントロールされつつある。………この袋小路へいかにして血路を開けば良い、ブンカン?」 弄ばれて立つ瀬を失い、困り果てたザムシードにデュガリが助け舟を出した。 無駄口を一切叩かない御屋形の意図を酌み、皆に伝えるだけで自身の意見を述べないのが普段のデュガリだが、 今日のエルンストは何事か深慮するあまりはっきりと意思を表に出してくれない。 幼少時より傍近くに仕え、エルンストとは身分の差をも超越した以心伝心の信頼関係を結んでいるデュガリではあるが、 意思が明示されないことには言葉に換えることもできず、必然的に口から出る言葉はデュガリ本人の意見となる。 先ほど出した助け舟もエルンストの意訳でなく、デュガリ自身の言葉であった。 「兵力を密集させて迎撃の態勢を整えてはおりますが、戦局そのものは膠着してございます。 敵味方共に等しく焦れておりましょう。決戦へ及ぶ機会を窺うは敵とて同じでございます」 「敵も決戦を望むと言うのか」 「膠着と言う名の袋小路を打破するには、決戦へ持ち込むより他無いこともまた事実にございます」 明確な意思が表に出ていないが―――いや、明確な意思が表に出ていないからこそ、 エルンストも最後に執るべき決戦について深慮していると解ったのだろう。 決戦との激語を発したブンカンとこれを受けたデュガリは、殆ど同時にエルンストの顔色を仰いだ。 心なしか彼の眉間に寄った皺が一層深くなった気がした。 夫の深刻さと正反対に昂揚した様子で身を乗り出すカジャムに「これをご覧あれ」と答えながら、 ブンカンは乗馬鞭の先で机上の地図を指し示した。 地図上にはテムグ・テングリ群狼領とギルガメシュ双方の勢力分布を表す駒が置かれていた。 テムグ・テングリ群狼領の勢力圏は青の駒、ギルガメシュの勢力圏は赤の駒で分布を説明されている。 南東の最果てに位置する本土よりナシュア地方へ行軍したテムグ・テングリ群狼領本隊を一際大きな駒で表したのが特徴で、 対比の為にギルガメシュの総本山とも言えるブクブ・カキシュにも同じサイズの物が用意された。 そのブクブ・カキシュは、依然としてルナゲイトに陣取っている。 「この分布図から何かお気づきになられた点はありませんかな?」 「ってか、あんたさぁ、『どうせわからないでしょ? わからないって白状なさい』って顔、ウザいからやめなさいよ」 「失敬ですな、カジャム様。私がいつ左様な顔をしたと申しますか」 「もったいぶった言い方が何よりの証拠でございましょう」 「ザムシード殿まで失礼ですよ。人を偏屈で可愛げの無い性格に誤解しないで頂きたいものですな」 「………じゃれ合うのは後にして、話を先に進めてくれ」 デュガリを通して伝えられた催促は、エルンストの意思である。 「不自然よね、どう見ても」 「いかにも。まるでこの地に我らを誘い込もうとするかのようにも見えます」 着眼の誤りを見つけて茶化してやろうとするブンカンの不躾な意図とは裏腹に、 近臣らは勢力分布へ目を落とした瞬間には彼が言わんとしていることを見抜いていた。 テムグ・テングリ群狼領の本土を含むエンディニオン各地で青と赤の駒が入り乱れ、 一進一退の攻防を表しているにも関わらず、ある一点だけが青にも赤にも染まらずに元のままの色を留めていたのだ。 「バカにされたモンね!」と悪態を吐くカジャムの気持ちもわからないでもない。 他の場所が尽く青と赤の駒で埋まっているのに対して、その地点だけは目ぼしい駒が見当たらないのだ。 ちょっと目を凝らせばすぐにわかるほどの差にどうして気付かないと言うのか、とカジャムとしては ブンカンをどやしつけてやりたかったが、それは軍議が円滑に進むのを願う夫の意に背くことである。 夫の為にも、テムグ・テングリ群狼領の為にも腹の底でグッと我慢し、カジャムはブンカンの二の句を待った。 「ギルガメシュなる異族がエンディニオンにまつわる知識を持ち合わせておらず、 この地の重要性を理解していない可能性も多々考えられます。 だが、我が方の勢力圏を考慮しながら戦略上、この地を…グドゥー地方の征圧に乗り出さないのはおかしい。 周到な戦略を練り上げる軍師のこと、我らの手がグドゥーへ及んでいないことは周知しておりましょう」 「………敵が戦力を肥大させる可能性がある場所を、どうして放っておくのか。そう言うわけですか、ブンカン殿」 ザムシードの指摘へ「いかにも」と相槌打ったブンカンは話題に挙がった地点を乗馬鞭の先で示した。 地図上に赤と青の駒が一つも置かれていない地点・グドゥー。そこは、他の地域と比べてあらゆる意味で偏狂な場所であった。 今日のエンディニオンを悩ませるのは正体不明の環境破壊だ。 これまた正体不明の廃棄物より流れ出る毒液によって天然自然の汚染が加速度的に深刻化し、 母なるエンディニオンは死滅へ向かっているのだが、南西の最果て一円を指すグドゥー地方が被る環境破壊はとりわけ甚大なもので、 草木一つ生えない不毛の魔境は、生命の終焉という未来予想の縮図である。 雨量も少なく、枯渇した荒野は再生の施しようが無い程にひび割れ、大陸の南半分は死の砂漠と成り果てていた。 もし、このまま天然自然の汚染を食い止められなければ、グドゥーの惨状は一世紀後には世界中を呑み込むだろうと 自然学者たちは口に唾して警鐘を鳴らしている。 植物も動物も育たない過酷な環境にさらされたクリッターも、これに適合し、生き残れるよう更に獰猛で強靱な個体へと進化を遂げており、 死の砂漠に徘徊するサンドワームやバジリスクは遭遇してしまったが最期、 よほどの実力と幸運の持ち主でなければまともに戦うことさえ難しいと言う。 全長数メートルもの巨体をぶつけてくる砂漠のクリッターは、いずれも肉食に対する執着が途方も無く強く、 人類にとってまさに天敵なのだ。 また、太陽の照りつける渇きの大地は、日中では五十度を超え、夜間には逆に氷点下を下回るなど気温差も狂っている。 グドゥー地方は、およそ普通の神経を持った人間が住むのに適さない死の魔境なのだ。 ………が、裏返せば“普通の神経を持たない人間”が住むのにもってこいの地とは言えまいか。 確かに一般人が暮らすには過酷過ぎる環境ではあるものの、 それゆえに一般社会で暮らせなくなったアウトローが逃げ込む格好の場所でもあった。 追跡者とて人の子である。 犯罪者が絶対の死の潜むグドゥーへ逃げ込んだとあれば、死神が絶え間なく空を飛び交うような場所へ足を踏み入れるのを躊躇い、 追跡を諦めて泣き寝入りするものと踏んだのだろう………年間数百人ものアウトローが世を捨ててグドゥー地方へ逃げ込んで来ていた。 当然ながら、人間が住むのに適さない場所だけにその内の半数以上が過酷な環境の餌食となり、 死の大地に屍を晒すことになるのだが、グドゥーは死者をも蝕むほどに壊れている。 死なずとも瀕死のまま放置されようものなら、砂中を潜行してきたサンドワームに肉から腸までを貪られ、 生きたまま鳥葬の如き地獄を味わうことになるのだ。 近臣たちもエルンストも実際にその現場に立ち会ったことは無いのだが、クリッターのおこぼれに預かろうと、 負の謝肉祭が行なわれる地上には、ハゲタカの黒い影が何匹分も落とされていると聞く。 よほどの覚悟を固めて飛び込まねば、ほんの三日を生きることさえ叶わない過酷な大地なのだ、グドゥーとは。 人には言えぬ事情を秘めてグドゥーにやって来たアウトローたちは、 この過酷な環境に打ち克ち、生き長らえる為に徒党を組むようになり、やがてギャング団さながらにチームとして統率が整えられていく。 チームと恰好つけてはいるものの、蓋を開けると単なる荒くれ者の集まりに過ぎない。 縄張などを巡ったチーム間の衝突も予定調和的に発生し、 百人単位の死傷者を出す大規模な抗争劇(グドゥーの言葉では“カチコミ”と呼ぶらしい)に発展することも少なくない。 犯罪者たちがグドゥー地方へ“移住”し始めたのは、ここ数年内に集中してのことだが、 一般社会の法から外れた者たちが心穏やかに新天地を治められる筈も無く、 グドゥーが暴力の支配する無法地帯と化すのにそう時間はかからなかった。 おおまかに分けて、大小四つの勢力がグドゥー地方で縄張争いを繰り広げていた。 それぞれの勢力がアルカーク率いるヴィクドに匹敵する戦闘力を有している点もまた厄介だ。 殆ど拮抗した四勢力は既に三年もの歳月を睨み合いのまま無為に過ごしていた。 出征へ乗り出すにはいささか遠過ぎるとの地理的な条件もあるが、 ヴィクド級の戦闘力が四つも混在するだけにテムグ・テングリ群狼領も迂闊に手が出せず、 グドゥーの地を今日まで支配下に置くことが出来なかった。 どうやらそれはギルガメシュも同じことだったらしく、グドゥー地方は双方の手が付かないまま、 エンディニオン中で起こる一連の争乱から切り離されていた。 本当に手付かずなのだ。 斥候の報告によれば、ギルガメシュはグドゥーの四勢力へ攻撃および降伏勧告はおろか同盟の打診さえ送った形跡が見られないと言う。 彼らは誕生こそ“Bのエンディニオン”だが、“Bのエンディニオン”の法と常識に囚われない異端者たちである。 交渉次第ではテムグ・テングリ群狼領に抵抗し得る最大の戦力を味方へ引き入れることが出来ると言うのに、 同胞の中から侵略者へ寝返る勢力が現れれば、人心を揺さぶる恐怖心はより一層強まるだろうに、 ギルガメシュは何の働きかけもせずに放置している。 見事な采配を取るギルガメシュの軍師が、そこを見落とすとはブンカンにはどうしても思えなかった。 よしんば味方に引き入れられなくとも、後顧の憂いは始末しておくに限る。 敵に回っても厄介。テムグ・テングリ群狼領と同盟を結ばれても厄介。 ギルガメシュにとってグドゥーの四勢力は目の上のタンコブに等しい存在の筈である。 それもせずに放置しておくのは、グドゥーの四勢力が侮り難いと慎重を推した結果なのだろうか――― あらゆる可能性が想定されるが、やはり腑に落ちない。 群雄割拠のグドゥーが統一されたのは、そうした思惑が交錯し始めた矢先のことである。 鎮撫の気配が全くない中での急展開であった為、諜報部隊も詳細を掴みきれていないのだが、 「どうやら王位を僭称する男が何らかの手段を用いて四勢力を平らげたらしい」と言う情報(こと)だけは、 部隊長のドモヴォーイの耳に入っていた。 寝耳に水と言う突発的事態であることを抜きにしても、情報としての輪郭が余りに不明確であり、信憑性にも乏しい為、 今回の作戦には加味されていない。ギルガメシュの側から作為的に流された情報工作の可能性もブンカンは疑っていた。 そうなると、グドゥーにまつわる全てが不自然に思えてくるから不思議である。 他地方への徹底した采配と正反対に、「狙え」と言わんばかりにグドゥー地方を手薄にしている点へ何らかの意図を勘繰るのは 戦場に生きる者として当然の反応だった。 穿ち過ぎるほど穿ってこそ、向こうの張った軍略を見抜けると言うものだ。 「グドゥーにて決戦するのを敵が臨んでいると言うのですかッ!!」 昂揚した様子で大声を上げたのは、近臣の中では最年少のビアルタ・ムンフバト・オイラトである。 テムグ・テングリ群狼領との戦に破れたオイラト族の御曹司でありながらもその才覚を惜しまれ、 エルンストの腹違いの妹を娶って親族として迎えられたビアルタは、その若さとあいまって“御屋方様”への忠誠心がすこぶる高い。 「義兄様! 今こそ我らの力をギルガメシュに思い知らせてやりましょうッ!」と叫ぶビアルタの満面には、 兄の威光を高めんとする意志が弾けていた。 「―――左様。決戦の舞台にグドゥーを選んだと考えるのが妥当でしょう。 おそらく敵は我らがグドゥーの四勢力に対して何らかの働きかけを行なうと予想したものと思われます。 あるいはそうなるよう我らの意識を操ったのやも知れませんな」 「その為にグドゥーを手付かずにしておいたと言うんかい? どいつもこいつも、考えることがいちいちねちっこいな」 密偵の派遣など諜報活動を一手に担っているドモヴォーイは、 己の部隊の収集した情報が思いもしない方向へと収束していることに驚き、 そんな彼を落ち着かせるようブンカンはゆっくりと頷いて見せた。 「いかにも。グドゥー以外の要衝へ執拗な攻撃と防御を張り巡らせた背景にも意識操作の意図が透けて見える」 「そこまで計算し尽くしているとは………なんとも恐ろしい相手だな」 少しずつ動き始めたエルンストの意思を読み取り、デュガリは委細を説明するようブンカンへ促した。 ギルガメシュがグドゥー地方を決戦の舞台に選んだと予想する根拠を、ブンカンは合戦場に想定される場所を指しながら説明する。 “グドゥー地方”の地名を示していた彼の乗馬鞭がやや下方へ動き、 渇きの大地と死の砂漠のちょうど狭間に位置する岩石砂漠の一帯、『灼光喰みし赤竜の巣流(そうる)』のところで止められた。 「ここは―――広大な岩石砂漠だと聞き及んでいるな」 「合戦場にはおあつらえ向きってわけね!」 「この地を決戦の舞台と想定した根拠を挙げるなら、第一に我が軍の最大の武器を封じる意図があるものと存じます」 「火吹き芸人の駱駝ならいざ知らず、砂漠では我らが騎馬軍の機動力に差し障りがある、か」 「デュガリ殿の―――いえ、御屋形様のおっしゃる通りにございます。騎馬を始め歩兵に至るまでの機動力が減殺されるのは否めぬ事実。 エンディニオン最強と雖も、最大の武器を奪われては戦闘力も半減し、御し易い――― 敵はこれを狙って砂漠を決戦場に選んだと私は推察いたしました。 また、我らはグドゥーの地を知りません。知識として砂漠を知っていても、実体験としては知らない。 おそらくは昼夜の激しい寒暑が最大の敵となりましょう」 「あんたの誉めちぎる軍師サマは、そこまで見越して作戦を練ってるってわけ?」 「シンパシーとでも言うんでしょうかね。なんとなくわかってくるものなのですよ、同じような頭の使い方してる相手のことは」 グドゥーに砂漠は数あれども布陣に適した地形は『灼光喰みし赤竜の巣流』を置いて他になく、 また、ギルガメシュとて人の子。よもや死の砂漠で決戦を挑むことはありますまい―――とブンカンは根拠の説明を締め括った。 「………しかし、これは罠でしょうな」 テムグ・テングリ群狼領をグドゥー地方へ誘き寄せようとするギルガメシュの意図はわかった。 テムグ・テングリ群狼領が誇る騎馬軍団の真価を封殺する為に足場の悪い砂漠を決戦の舞台に規定した戦略的思惑も見抜いた。 だが、それだけの理由でギルガメシュがグドゥー地方を選ぶだろうか? 劣悪な足場や過酷な気候はテムグ・テングリ群狼領のみならずギルガメシュにも同等の悪条件の筈だ。 それにも関わらず、不自然なまでの誘い込みを仕掛けるということは、前述したもの以外に何らかの意図があると見て然りだ。 斥候の見落とした罠をギルガメシュはグドゥー地方にて巧妙に張り巡らせているのかも知れない。 「そうだ、陽動の罠かも知れん。我が軍に遠征を促し、遠く離れたグドゥーに引き付けておいてハンガイ・オルスを陥落せん――― 敵いはハンガイ・オルスに狙いを定めているのではないか? ルナゲイト同様に我らの拠点を抑えようと」 ブンカンの提起したのと別な意味合いの“罠”を警戒したザムシードは、 今こそ撃って出るべきだと息巻くカジャムとビアルタへ慎重になるよう言い諭した。 彼の言ったハンガイ・オルスとは、テムグ・テングリ群狼領本土の中心にその巨体を横たえる、 彼らにとって首都と言うべき城塞都市だ。 グドゥー地方へ誘わんとするギルガメシュの意図に陽動の危険性を見たザムシードは、 敵の真の狙いがハンガイ・オルスへの直接攻撃にあると考えたのである。 「………では、どうする? グドゥーでの決戦は避けるか?」 「グドゥーは避け、我らにとって有利な地形にて改めて決戦を誘いますか。 ………それもよろしゅうございますが、ここはあえて敵の誘いに乗ってはいかがでしょう?」 「虎穴に入らずんば虎子を得ず―――と?」 「いかにも。意図した通りの行軍を見た敵は、我らを術中にハメたものと思い、必ずや油断しましょう」 エルンスト直々の問いかけにブンカンは胸を張って即答して見せた。 「しかし、もしもグドゥーへ乗り込んでいる最中にハンガイ・オルスを攻められたらどうなる?」 「ハンガイ・オルスは我らが誇りの砦だ。一日二日で陥落する脆弱な守りではない。 ………デュガリ、グドゥーから本土までの道程、どれほどの日数を要する?」 「全速力をもってすれば一週間で辿り着けるかと」 「一週間だ、ザムシード。敵に与える猶予は一週間。だが、我が砦は総攻撃を受けようと一ヶ月は保とう。 仮にお前の危惧した通り、これが敵の陽動であったとしても、大返しに帰還すれば砦に残った者と我らとで敵を挟み撃ちに攻められるのだ」 「御屋形様………」 「この戦い、どう転んでも我らが勝つ。ならばここは敵の意図に乗ってやろう。 正々堂々と正面から戦い、勝ってこそ、エンディニオンに覇を唱える我らの王道ではないか」 エルンスト直々に諭されては、ザムシードとて抗弁も無い。 自らの慎重論を臆病風に吹かれたものとして恥じ入り、平伏して陳謝するザムシードをエルンストは首を振ってねぎらう。 軍議の場で最も大切なのは、ありとあらゆる戦局を想定し、戦略を練り上げることにある。 グドゥー地方での決戦を心得たことで廃案にこそなったものの、 ザムシードが唱えた陽動作戦は可能性の一つとして実に的を射た意見である。 ハンガイ・オルスへ直接攻撃が加えられる可能性は、ギルガメシュに具体的な動きが見られない現時点ではまだ五分五分。 十分に在り得るのだ。 採用の有無はともかくザムシードの意見には何ら恥じ入る部分は無かった。 もちろん、ハンガイ・オルスの防御力や首都を護る戦士たちの力量を信じるエルンストは、 万が一、ザムシードの不安が的中してしまった場合にもギルガメシュを潰走せしめる自信がある。 大返しに戻った本隊とハンガイ・オルスの後詰でもって挟み撃ちに攻められる分だけ、 陽動作戦であったほうが数段好都合とさえ思っていた。 どう転んでも我らが勝つ―――心配性な副将を諌める為に発した大言は、あながち吹聴でもないのである。 「この戦、我らの勝ちだ」 普段から無駄口を一切叩かず、意思の発露をデュガリへ委託する静寂なエルンストだけにここぞと言うときの吼え声は、 何人にも真似できない神懸かった力を生む。 豪奢な言葉で飾り立てるのでなく、ただ一言、勝つとだけ吼えるその檄は、将兵の心を、全ての迷い、あらゆる懸念から解き放ち、 抑えきれぬ昂ぶりを臨界突き破るまでに奮い立たせ、草原の馬軍を一騎当千の逞兵へと鍛え上げるのだ。 もしも、ギルガメシュが機動力を減殺しただけでテムグ・テングリ群狼領に勝てると思い込んでいるとしたら、 それは大きな誤りであり、完全なる命取りだ。 機動力に優れた騎馬軍がテムグ・テングリ群狼領へ常勝無敗をもたらしているのではない。 エルンスト・ドルジ・パラッシュと言う稀有のカリスマ在るところに勝利の栄光が輝くのである。 いかに未知の兵器を備えたギルガメシュの精兵と雖も、 最早何ら恐れるモノの無い修羅と化して揃い立ったテムグ・テングリ群狼領の将兵らを目の当たりにしたなら、 彼らの吼える轟雷をその身に浴びたなら、たちまちの内に気概をへし折られることだろう。 機械的に動く蒙昧な兵士と、極限の頂きを見る戦士との決定的な違いは、まさしく魂にこそ分かれていた。 「オママゴトじゃねーんだから、身内(おなかま)だけで盛り上がられても困っちまうんだけどな。 オレらに用がねぇっつーんなら、もう帰るぜ、オイ。こっちゃヒマじゃねーんだよ」 “御屋形様”の檄に呼応し、拳を突き上げて意気衝天するテムグ・テングリ群狼領の面々へ 無粋にも冷や水をかけた不機嫌そうな声は、距離こそあれどもエルンストの真向かいより飛び込んできた。 昂揚に水を差されただけでも腹立たしいと言うのに、その上更に横柄かつ尊大な物言いで 一族の結束をオママゴト扱いされたのだから、さしものデュガリも剣呑な視線をぶつけてしまいそうになる。 常に冷静を保ち、エルンストの御心を将兵に伝える立場で無かったなら、 今頃は無粋な横槍の主を一刀のもとに斬って捨てていただろう。 周囲を窺うと、血の気を帯びたカジャムの指先が、今まさに腰から提げた湾刀の柄へ滑り込んでいた。 他者の憤激を目の当たりにしたことでかえって冷静になり、忘れそうになった我を取り戻したデュガリは、 カジャムが短慮を起こさぬように注意を払いつつ、そっとエルンストの顔色を窺った。 「確かに我らの内情とお前たちは無関係だ。長々とつまらん話に付き合わせてすまなかったな」 直々に応じたエルンストの表情(かお)には、幸いにも怒りや憤りは認められず、 決起の場を血で汚さずに済んだことをデュガリは安堵した。 「オヤカタサマにそこまで言われちまったら、オレらも折れるしかねぇわな。 ―――ま、こちとらしがない冒険者風情なもんでね、貰える金(モン)さえ貰えりゃなんだって構わねぇけどよ」 「少しは口を慎みなさいよ、イーライ。失礼でしょう?」 「るせぇな。別にオレたちゃこいつの傘下に入ったわけじゃねーんだぜ。どこに遜ってやる理由があるってんだ」 「エルンストさんは私たちの依頼主で、しかも目上でしょう? 最低限の礼儀を弁えなさいと言っているのよ」 「礼儀作法をオレに求めるのが、どんだけ無駄なことか、お前が一番わかってんだろ。バカみてぇに付き合い長ェんだからよ」 パートナーから寄せられる小言を取り合おうともせず、 小指でもって耳の穴をほじくるゼスチャーを披露して聞かないフリを貫こうとしているのは、 手術着を思わせるケミカルな着衣にアイボリー・カラーのヘッドギア、ガントレットと言う出で立ちの青年――― イーライ・ストロス・ボルタである。 不良冒険者として悪名高いイーライの傍らにあって、その不遜を見咎めるのは、 言わずもがな公私に亘って彼のパートナーを務めるレオナ・メイフラワー・ボルタだ。 コールドスリープ状態のルディアが発見された謎の廃墟、リーヴル・ノワールにて アルフレッドたちと死闘を繰り広げた冒険者チーム、メアズ・レイグのふたりも、テムグ・テングリ群狼領の軍議に同席していたのである。 どのような理由で同席を許されたのかは、レオナがエルンストを指して“依頼主”と呼んだことから推知できよう。 「結構だ。我々の間に主従の関係などはない。イーライの言う通り、堅苦しい礼儀作法は省いて貰って構わない」 「………寛大なご配慮をいただき、光栄ですわ、馬軍の御屋形様」 「光栄ってよォ、お前、ヘンなもん拾い食いしたんじゃねーの? 仕事のことでオレらを呼んだだけだっつーの、こいつらは。 こんな程度のコトにいちいち頭下げてたら、お前、いつかアタマが地面にめり込んじまうぞ」 「もぅっ、だからイーライはぁ―――」 テムグ・テングリ群狼領の将士から敵意をはらんだ眼光が集中する只中に在っても、 エルンストを正面に見据えたイーライは、なおも軽佻浮薄な態度を崩さない。 ギルガメシュとの争乱に当たり、ただでさえ気の立っているエルンストの配下たちを刺激するには、 傍若無人としか例えようがないイーライの言行は十分過ぎるほどの威力を持っている。 満面に、双眸に、誰よりも強く怒りを宿しているカジャムが激情に任せて抜刀でもしようものなら、 他の将士も殺到するのは間違いなかった。デュガリとてその群衆に加わることだろう。 不良冒険者の烙印を押されてはいるものの、イーライは愚かではない。 エンディニオンを渡る冒険者の社会に於いて、悪徳、不良と忌まれるほどしたたかに生き抜くことは、 浅慮のままでは不可能なのだ。 自分の言動が招く災いは予見しているだろうが、それにも関わらず態度を翻そうともしないのは、 彼に押された不良冒険者の烙印が全てを物語っている。 例えこの場の総員に囲まれても振り払えると言う自信に裏打ちされていればこそ、 馬軍の覇者を相手にしながらも強気の姿勢を保っていられるのだ。 イーライのように表へ出すことはなく、むしろ彼の短気を諫める立場にあるが、 レオナとて自らの骨子とする自信(もの)は同じであった。 「要は成果だろうが。依頼主からの要求に見合った成果を出す。そんでオレたちは相応のカネを貰う。 それが冒険者のお仕事なんだからよ、手前ェを安売りする必要なんかねぇ。 代わりと言っちゃなんだが、腕を買って貰った分、それなりの働きは期待してくれていいぜ」 「噂に違わぬ実力派、か。頼もしい限りだな」 「そう言うこった。報酬次第じゃあんたが望むように泥も呑んでやるよ。………こう言う稼業も使いようだろ?」 剛毅に迫るのが自分の交渉術とでも言うようなイーライの不敵な面構えを、エルンストは目を細めながら静かに眺めていた。 ヘッドギアの影に隠れがちなイーライの瞳を、じっと見つめていた。 「………金で雇ったとは言え、本来、我らが担うべき汚れ仕事を任せているのだ。頭を下げねばならないのは我らのほうだな」 「いちいちンな気ぃ使わなくたっていいんだぜ、オヤカタサマ。 なにしろこっちは世の中のはみだし者。泥を被ったって、何の問題もねぇニンゲンなんだからよ。 需要と供給ってヤツだ、あんたらとオレたちは」 「礼儀は要らんが、己を卑下する真似は見過ごせんな。お前たちが被る泥は、我らの勝利を以て必ず拭い取る。 俺が約束するのは報酬だけではない」 「………サブイボが出るっつってんだよ、そーゆーの。オレが一度でもあんたに頼んだか? ケツは持ってくれって。 依頼主だがよ、ちと干渉が過ぎるんじゃねーの?」 「干渉とはご挨拶だな。依頼主であればこそ、雇った相手の身辺まで責任を持つべきであろう? 確かに我らは主従の関係ではないが、今や他人でもないのだ。共に歩む朋輩を顧みぬほど俺も淋しい人間ではないぞ」 「………………………」 普段、意思表示をデュガリへ託している寡黙なエルンストとは思えない饒舌に彼の配下は驚きを禁じ得なかった。 しかも、だ。郎党全体に向かって檄を飛ばすわけでもなく一個人に対して多弁になっているのだから、 その驚きと衝撃は計り知れない。 御屋形の意を察し、皆に伝える役目から解き放たれたデュガリは、 イーライに向かって過分なほどに語りかけるエルンストを見守りながら、かつて佐志にて同じような出来事があったと回顧していた。 当時、叛乱の将であったザムシードとテムグ・テングリ群狼領本軍が繰り広げた群狼夜戦の最中、 戦火に見舞われそうになっていた佐志の村民を救うべく一計を案じたアルフレッドにエルンストは興味を持ち、 自分の傍近くに仕えるよう誘いかけたことがあった。軍師として取り立てようと仕官を勧めたのだ。 イーライと相対するエルンストの姿は、そのときにそっくり重なった。 (これも“計算違い”だったんじゃないかしら、イーライには………) 傍目には、憎まれ口を叩く反抗期の子どもと、これを温かく受け止める父親の情景にも見え、 イーライ本人も言い表しようのない居心地の悪さを感じている様子だ。 正面切ってエルンストと向かい合うのが照れ臭くて仕方ないのだろう。 不貞腐れたように顔を顰め、露骨にそっぽを向いたイーライを見守るレオナの口元には、柔らかな笑みが浮かんでいた。 「………フェイ・ブランドール・カスケイドのときとは大違いじゃないか。義兄様はよほどカスケイドが―――」 滅多に拝むことのできないエルンストの饒舌に目を丸くして驚くビアルタは、 不意にそのような呟きを漏らしたのだが、これはデュガリやカジャムも共有するものだった。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |