3.カナリア鳴く空-U



 エンディニオンの―――“Bのエンディニオン”の象徴たるルナゲイト家のセントラルタワーを覆い隠し、
これをもって世界に絶望の影を落とした鉄巨人。
 セントラルタワーに比肩するほど全長から便宜的に“巨人”と例えてはいるが、
その全貌は、人とはかけ離れた異形であり、むしろクリッターを象っているように見える。
 あるいは、怖気走る異形を誇示することによって人心を威圧し、揺さぶりを掛けようと計算の内に含めているのかも知れない。
そう仮定するならば、およそ人の貌(かたち)と思えぬおぞましき異形も、
武威に基づいて原理の主導を目論むテロリズムへ通じるものだと得心がいく。
 異形の鉄巨人が、テロリズムの具現とも言うべき巨大な影が、
“Bのエンディニオン”の繁栄を象徴するセントラルタワーを覆い隠した事実は、
単純な物理現象では括りきれぬ影響を世界全土に及ぼすのだ。
 あたかも災厄の種が振りまかれたと言っても良い―――ジューダス・ローブを名乗ったセフィ・エスピノーザは、
ルナゲイトに来襲した鉄巨人と仮面の兵団…ギルガメシュを指して“招かれざる災厄”と呼んだが、
いみじくも彼の言い表した通りだったわけだ。
 鉄巨人によって遮られた陽の光は、日照が失せるまで街角にありふれていた笑顔とも重なった。

 異形の鉄巨人に付けられた『ブクブ・カキシュ』なる名称を知る人物は、
ふたつのエンディニオンを合わせても、ほんの一握に限られるだろう。

(かく言う僕も、輪廻の記憶(こと)しか知らないんだけどね)

 遅かれ早かれ誰しもが周知することになるだろう鉄巨人の名を先んじて記憶していることに
“彼”は優越など些かも感じなかった。
それどころか、脳の要領が喰われることを疎ましく思うような情報の一つであるらしい。
 ほんの僅かであっても記憶のスペースを占めることが我慢ならず、
頭の中でブクブ・カキシュと暗誦した彼は、誰に聞かせるでもなく「うんざりなんだよ、クソが」と毒づいた。
 数値として確認することができず、また容量そのものも無限に近いと言うのに
記憶ひとつを捕まえて苛立ちを爆発させる様は、
彼の激烈な性格を差し引いて考えても尋常とは言い難く、半ば拒否反応に近い。
 あるいは、記憶や意識の先にある心の領域を蝕まれることを彼は恐れているのかも知れない。

 彼はブクブ・カキシュと言う名称だけでなく、鉄巨人の全てを識っていた。
異なるエンディニオンから来襲した大いなる災厄について、何もかも識り尽くしていた。
 当人は自慢にもならないと吐き捨てるだろうが、鉄巨人を駆るギルガメシュの人間よりも詳しい筈だ。
 ギルガメシュの首魁たるカレドヴールフですら機関の細部に至るまでを把握しているかは疑わしい。
道具を有用に使いこなせる人間も、よほど研究熱心でない限り、部品にまではそうそう興味を示さないものだ。

 しかし、彼の言う“輪廻の記憶”も万能ではなかった。全知の域などもってのほかである。
 彼が鉄巨人の内部を瞼の裏側へ思い描くとき、世界は常に灼熱の朱を帯びる。
つまりそれは、先んじて得た記憶が、炎上の場面に限定されることに他ならなかった。
 写真を通してなら機関部や兵たちの詰め所など主だった場所を確認した記憶があり、
見取り図は頭の中で完璧に再現できるのだが、いずれも断片的な記憶の域を出ないのだ。
 我が網膜に焼き付け、脳裏にて映像として再現させられる鉄巨人の記憶は、必ず炎と共にあった。

 あたかも天より下された裁きの如く、紅蓮の劫火が鉄巨人の腑を容赦なく焼き払っていく―――
断罪なる焦熱を思い浮かべるとき、火の粉をかい潜りながら焼けた鋼鉄の回廊を走る一団の背中も決まって彼の裡に蘇る。
 それもまた、“輪廻”を経ても彼がその裡に留めている記憶である。
 先頭に立って一団を率いる青年は、見る者全てを魅了する銀髪へ灼光を集めており、
その彩(いろ)にこそ彼の宿した強い意志力が顕れているようにも見えた。
 身に纏ったレモンイエローの軍服も現在は山吹色へと色調を変えてしまっている。
 銀髪を朱に染める青年の後には、ブロンド髪の少女と、空色の髪の少年が続く。
ブロンドの少女の傍らには、過剰に丸みを帯びたニワトリの姿も認められる。
 三人と一羽のすぐ後を追うのは、おそらく幾多の死線を共にしてきたであろう戦友たちだ。
 海兵――と言うよりは、もっと階級が上層であろう――の軍服に身を包んだ長髪の男や、
古代民族の装束を纏う女性、格闘家と思しき巨魁が後れを取るなとばかりに回廊をひた走っていた。
 機銃を携えた赤い髪の女性は誰よりも勇ましく、対照的にラウンドシールドを左手に備えた青年は、
冷静に延焼の状況を分析し、先頭を行くリーダーに向かって長時間留まることは不可能だと警告を飛ばした。
 地獄の悪魔を模倣する仮面を被ったドレス姿の令嬢もその意見には賛同のようだ。
風に舞う稲穂のように艶やかなチャコールグレイの長髪を上下へ波立たせている。
 記憶にあるのは一団の背中だけなのだが、正面から様子を確かめるまでもなく、
皆が皆、満身創痍なのだと見て取れた。
 皆が疲弊しきった身体を無理矢理に動かし、危険を冒してでも到達せねばならない場所へと向かっているのだ。


 舞い散る火の粉を払い、逆巻く火柱を飛び越え、噴き出す熱風を耐え抜き、
駆けに駆けた一団は、やがて満月を彷彿とさせる円形の門に辿り着いた。
 女神イシュタルを象るレリーフが中心部に刻まれた大扉によって門は固く閉ざされており、
その上からは組み木細工のように鋼鉄(はがね)のアーチが幾重にも折り重なっている。
 極めて厳重に施された封印は、親鳥が両翼でもって雛を掻き抱き、
何人の手にも触れさせまいと守護しているようにも見えた。

「俺っちの手にかかりゃ、ちょちょいのちょいっと開けゴマだ。任せとけって!」

 海軍将校――そう思われる装いの男性と言うべきか――が、
人の手に余るようにすら思える門の封印を解除できると胸を張ったその瞬間(とき)である。
 先頭を行く銀髪の青年が、目と鼻の先に迫った門の前に人影を見て取り、それが為に足を止めた。

 ここまで大がかりな封印が施されているからには、
万が一の場合を想定して護衛が配置されていたとしても何ら不思議ではない。
 果たして門の前には、身の丈を遙かに超えるほど巨大な剣を担いだ男が独り凛然と立ち塞がっていた。

 複数名から構成されるチームに対し、相手はたったのひとり。
数に物を言わせて強行突破することは決して難しくはないように思える…が、
それはあくまでも人数の対比と、これに基づく人数の足し引きに根拠を限った場合の話である。
 取り囲むことすら可能な人数で相対しながらも歩みを止めて敵の出方を窺うと言うことは、
すなわちこの護衛が相当に手強い難敵との証左である。
 同時にそれは、互いの力量を熟知するほどの近しい間柄にあると言うことをも意味していた。

 一団の到着に気付いた護衛は、断獣刀なる異名を持つ得物を肩に担ぐと、
銀髪の青年に向かって「お前にしては珍しく待たせてくれたな。もう来ないのかと思ったぞ」と声を掛けた。
まるで気心の知れた古い友人を出迎えるような、親しげで気さくな軽口であった。
 しかし、砕けた口調とは裏腹に、旧交を温めるつもりで一団の到着を待ち侘びていたわけではなさそうだ。
カーキ色の軍服の上に革鎧を纏った姿を一目見れば、この男が戦う意思を携えて現れたことが即座に悟れよう。

 押し黙ったまま返答をしない銀髪の青年に成り代わり、悪魔の如き仮面を被った令嬢が「Kill You!」と叫ぶ。
 ラウンドシールドを構えた青年は、我が身で庇うようにして令嬢の前に立つと、
続けざまに「今、この場で決着をつけようと言うのですか? ………バカも休み休み言ってください。
命知らずと命の無駄遣いは違うでしょう」と言い放った。
 門を染める朱の色は次第にその色を濃くしており、それにつれて鉄巨人も焼け落ちる速度を増しているようにも見える。
 戦闘継続が困難であることは誰の目にも明らかだった。
よしんば焼失までに決着をつけられたとしても、戦いが終わる頃には、炎に巻かれて脱出もできなくなっているだろう。
 この場で無理に戦っても誰も得はしない―――そう警告されたにも関わらず、護衛は戦闘態勢を解こうとはしなかった。
それどころか、互いにとっての窮地をお誂え向きだと喜んでいるようにさえ思える。
 戦闘が不可避であることを認めた銀髪の青年は、掠れた声で「そこまでして戦わなければならないのか」と苦々しく呟いた。

「“眠り姫”は我らにとっても唯一無二の切り札。ここを通すわけにはいかんのだ」
「落ちぶれたものだな。………飼い犬に成り下がったあんたなんか、見たくなかったよ」
「随分なごあいさつだ。俺のことはお前が一番理解(わか)ってくれていると信じていたんだがな」
「最後まで“勝負”を諦めない、か。この期に及んで噛み付こうと言うのか、飼い主の手に」
「群れの中で生きる狼とは、そう言うものだ。ましてや、群れを守る立場であれば―――
今のお前には俺の言いたいこともわかるはずだ。違うか?」
「………わからないな。わかろうとも思わない」
「良い返事だ」

 断獣刀を担いだ門の護衛と、銀髪の青年との間で交わされた会話を、傍観者の彼は一字一句全てを記憶に留めていた。
 両者の一挙手一投足に至るまで、決して忘れることはなかった。

「スペシャルスクープ! ………なんて、脳天気なコト、言ってる場合じゃないわね。全部、しっかり憶えておかなきゃ―――よね?」

 そう問いかけてくるのは、共に火中を駆け抜けて一団の背を追っていた少女である。
バンドでもって首から提げたデジタルカメラには、おそらく戦況(こと)の一部始終が記録されているだろう。

「己の野望の為だけにここに来たのではないぞ。お前と戦えることは、俺にとって一番の愉しみだ」
「煩い、黙れ。………付き合わされる俺の身にもなれ」

 長く苦しい逡巡の後、銀髪の青年は腰から吊り下げている金属製の鞘と、そこに納められた剣の柄頭へと手を掛けた。
 微かに震える右手でもってグリップを握り締め―――面を苦痛に歪めながらも意を決して鞘より抜き放ち、
灼光に照らされて赤熱(あか)く輝く剣尖を門の護衛へと向けた。
 銀髪の青年が抜き放ったのは、輪廻を経る中で遺失され、今は、“彼”の記憶にのみ在りし日の形状(すがた)を留めている聖剣であった。
 諸刃に付けられた銘も、そこに宿ったチカラも、ただひとりの記憶にしか残されていない。

 まさしく遺失された聖剣を突きつけられた門の護衛ではあったが、しかし、些かも臆することはなく、
銀髪の青年を見つめる瞳には、何故か優しく柔らかな光を宿していた。
 それはまるで我が子の成長に目を細める父親のような―――







「………どうした、イーライ?」
「―――あー………、いや………なんでもねぇよ………」

 ―――白刃の乱舞の結末へ追想が及ぶより先に、“彼”の意識は炎の色に染まった記憶から現実世界へと引き戻された。
輪廻さえも燃え散らすかの如き勢いで逆巻く炎が記憶の彼方の群像を飲み込む前に、
“彼”の視る世界は切り替えられた。
 イーライ、とその名を呼びかけ、“彼”の視る世界に現実の質感を蘇らせたのは、他ならぬエルンストであった。

「一体、何なのだ、貴様と言う人間はッ!? この大事な場で居眠りでもしていたのかァッ!?」

 不敬、不躾を散々働いた挙句、意識を別の場所へ移してボンヤリしていたイーライに対し、
ビアルタは堪り兼ねたように叱声を浴びせかけた。
 意識の在り処はともかくとして結果的にイーライはエルンストを無視する形となり、これをビアルタは義兄への侮辱と受け取ったらしい。
 パートナーの不届きをレオナが平謝りし、またデュガリが上手く取り成してくれなければ、
間違いなくカジャムを巻き込んで取っ組み合いの喧嘩にまで発展していた筈である。

(まさかオレの―――輪廻に気付いているとは思えねぇが、………それにしたって出来すぎじゃねぇかよ。
あの眼差し、アイツは反則ってもんだ)

 ビアルタとカジャムから激烈な罵声を浴びせられる只中にあっても、イーライの意識は彼らとは別のところに向けられていた。
先ほどのように水底まで深く潜るようなことはないものの、やはり彼は輪廻の彼方の記憶へと視線を落としている。
 エルンストから名を呼びかけられたことでイーライの意識は現実へと帰還した。
そこまでは良い。追憶の水底から引き上げられるときは、大抵、誰かに名前を呼ばれているのだ。
多くの場合はレオナだが、彼女以外の縁者から「また妄想癖が出てる」と苦笑い混じりで引っ張り挙げられることも少なくない。

(………アイツはオレのモンじゃねぇ。別の野郎に向けられてなけりゃおかしいモンなんだ)

 しかし、エルンストの場合は些か情況が異なる。
 記憶の彼方―――抜き放った聖剣に戦う意志を宿す銀髪の青年を見つめていたのとそっくり同じ眼差しが、
今度は自分に向けられているのである。それも、現実の世界に於いて、だ。
 傍観でのみ識っていた眼差しが、まさかこちらに向けられるとは夢想だにしていなかったイーライは、
思いがけない成り行きに激しく狼狽していた。

 不良冒険者のレッテルを貼られているとは言え、限りない場数を踏んできた自負がイーライにはあった。
経験に裏打ちされた自信は、彼の肝を太く、強くしていった。
 気に入らないことにはすぐさまに暴力的な対応を取ると言う沸点の低さはともかく、
現在では些細なことで動じないまでに胆力は鍛え上げられていた。
 イレギュラーな事態にだって慣れている―――その筈だったのだ。
 彼方より記憶と共に受け取った輪廻と言う宿業に狂いが生じたとしても、
冷静に状況を分析し、誤差修正を施すなどの対処を図ることが出来た。少なくとも今までは、そうして切り抜けてきたのである。
 冒険者としての実績・経験と、彼の裡に宿り、全ての行動を支える鉄の精神があったればこそ、
何事にも揺るぎなく相対して来られた。

 それだけに眼差しひとつでもって鉄の精神が乱されたと言う事実は、どうにもイーライには受け容れ難かった。
決して信じたくない事態だとも言い換えられる。
 僅かに残った冷静な部分で自分への弁証を探ってはいるものの、浮かんでくるのは逃げ口上とも言えない稚拙なものばかり。
誰に聞かせるでもなく「男相手に目で口説こうってのか? 気色悪くて仕方ねぇ」と言い訳したところで何の解決にもなっておらず、
イーライ自身は納得するどころか、更なる深みに嵌り込む筈である。

(カリスマってのはこんなにも厄介なもんかよ。………こっちが魅入られちまったら、全部の計画が頓挫するところだったぜ)

 今まで自分とは無縁だとばかり思っていた“弱点”と言う二文字が、突如として眼前に突きつけられたようなものだった。
 そこまでの意味を無意識で求めてしまうほどに今日の自分は感受性が豊かだとイーライは自嘲を噛み殺しているが、
己が心の動揺を鎮めようとすると、どう言うわけか、アキレス腱に違和感を覚えるのだ。
 痺れを伴う鈍い痛みを発症したとか、疲労によって筋肉が硬直したとか、そう言った物理的な感覚を超越し、
内面から湧いてくるかのような染み出し方である。
 イーライの両足を包み込む鈍い違和感は、アキレス腱と人体の弱点に因んだ古い寓話を思い出した瞬間に訪れた。
 違和感の根源へと考えの及んだイーライは、たかが比喩に反応して身心へ危険を報せる信号を送るとは、
人間の感覚もいい加減な造りであると自嘲の笑みを浮かべるしかなかった。

(………理屈じゃねぇってコトだな、こーゆーモンは………)

 改めてエルンストを正面から見据えたイーライは、彼の放つ王者の気とでも言うべきモノへと思いを巡らせ、
その影響力に身震いした。
 自己分析した通り、理屈を超えて心に直接訴えかけてくるチカラがエルンストから発せられていた。
人はそれをカリスマと呼ぶのであろう。

「うちの相方がまた失礼をして―――ですが、依頼に関しては確実にこなしているので、ご安心を。
ご覧の通り、イーライは現場向きですからスイッチが入らないうちは低空飛行なのですよ。
日曜日のサラリーマンパパ、みたいなものと思ってやってください」

 エルンストによって心揺さぶられた様子のイーライを目端で捉えて案じつつ、
レオナはテムグ・テングリ群狼領に依頼された任務の中間報告を行った。
 イーライに駆け寄ってフォローを入れてやるよりも、伝えるべき報告を優先させて依頼主との話を進めておいたほうが
彼にとって最も救いになるだろうとの判断だったが、この試みは実に適切だった。
 説明を進めるにつれてイーライもだいぶ落ち着いてきたらしく、
「自慢にもならねぇが、脅しとケンカは得意中の得意だからよ。それでカネが稼げるって言うんだからボロい商売だぜ」と、
レオナの報告を大人気なくも茶化すようになっていった。

「そうやって自分の株を落とすようなことを言わないで欲しいわね。
あなたと私、ふたりでメアズ・レイグでしょう? 悪評が立って困るのは私も同じなのよ」
「どの口が言うんだか。ケンカの吹っ掛け方も脅し文句も、おめーのほうがよっぽどえげつないコトを思いつくじゃねぇか。
そう言う意味でも、レオナありきのメアズ・レイグだわな。オレなんかペーペーだぜ」
「ちょ、ちょっと、イーライっ! 人聞き悪いコト言わないでっ! 
………ほら、見なさいよ。ドン引きされちゃったじゃない! 話がし辛くなっちゃったじゃないの!」
「ドン引きもクソも、事実なんだから仕方ねーだろ。なんなら、皆サマにこいつの武勇伝を披露して差し上げましょうかしらァ?」
「イーライッ!!」

 時折、照れた気持ちを押し隠すような冷やかしが混じるあたり、レオナの意図には気付いている様子だった。

「―――報告かたじけない。では、ピーターズバーグは我らに助勢すると見て間違いないのですな?」
「十中八九。戦闘に使えるトラウムの持ち主もそこそこ居るようですし、合戦へ動員しても問題ないでしょう。
徴兵するにしてもそもそも人口が少ない村ですので、どこか別の部隊へ組み込む必要がありますけど」
「村民の総数が少ないだけに、おふたりの工作は効果が強かったと言うわけですな」
「ギルガメシュは難民以外に容赦などしない。もう幾つもの村が占領下に置かれ、私財を全て接収されてしまった。
無事なのはせいぜい大都市くらいのものだ。彼らは高額の賄賂で保身を図った―――そうウワサを流した後は、釣果を待つばかりです」
「いやはや、まずは一安心。小規模とは雖もピーターズバーグは交通の要衝に在りますからな。兵站の中継地点にもなる、
行軍の際には欠くべからざる重要な拠点となりましょう。これを抑えたことは、我らにとって幸運の極みです」
「ピーターズバーグ、イグナシオ、ニューカウベル―――依頼されたターゲットは、半分までこなしました。
これから西のエルリックへ向かいます。………あそこは大きい町だけに少々手荒なことになりますが………」
「御屋形様の仰せの通り、責任は我らが全て持ちます。危急存亡の今は、手段を選ばずとも結構。存分に御働き下され」
「―――ところで、あの、デュガリさん。なんか話し方がおかしくありません? それに、なんで半歩下がるんですか。
と言いますか、あからさまに後退りしてますよね? ………なんで目を逸らしたんですか、今」
「目を逸らすなど、そんなことは………。ただ、その、見た目に寄らず剛の者なのだと思ったもので………。
我ら、テムグ・テングリ群狼領は、強き者に敬意を払わねばならんのだ―――あ、いや、………ならぬのです」
「―――イーライっ! イーライのせいでまた人にヘンな誤解をされちゃったじゃないっ! どうしてくれるのよ!?」
「るせぇな。イイ年こいて愛敬振り撒こうとすんじゃねーっつの。
八方美人で人気取りして、後で本性知られて引かれるよりゃハナッから距離作ってもらったほうがラクだろ」
「これ以上、距離を取られようものならメアズ・レイグの仕事なんかなくなるわッ! 少しは経済観念を持ちなさいよッ!」

 レオナと語らうデュガリの態度が微妙にカタくなったのは余談として―――
テムグ・テングリ群狼領からメアズ・レイグに託された依頼は、つまり煽動である。
 テムグ・テングリ群狼領か、ギルガメシュか。どちらに味方をしたほうが将来的に得なのか、
“Bのエンディニオン”に所在する町村の中には、双方を秤に掛けて去就を迷う向きが数多く見られる。
 サミットから一貫して難民排斥を標榜するアルカーク・マスターソンと、彼が率いるヴィクドは、
先だってメールにて行われた宣戦布告の直後に反ギルガメシュを鮮明にしており、
エルンストの側も動向を把握し易いのだが、小さな村ともなるとそう短絡には決断できない。
 同盟する相手と村の行く末が一蓮托生となるからだ。
一つでも選択を誤れば、規模の小さな寒村などは時代の激流の前に為す術もなく押し流されてしまうだろう。

 物資にも乏しい寒村の裏事情はエルンストも十分に理解するところである…が、
情に流されて決断の先延ばしを許すことは、それ自体がテムグ・テングリ群狼領の敗因となり兼ねないのだ。
 物資や戦力の提供を望めない寒村であろうとも行軍の際に拠点となり得る場所であれば、
ギルガメシュに先んじて抑えていかねばならない。相手側に奪(と)られるなど持ってのほかである。
 言わば、これはテムグ・テングリ群狼領とギルガメシュとの陣取り合戦なのだ。
 双方納得ずくで同盟を結ぶような時間的余裕はどこにもなかった。

 そこで白羽の矢が立ったのが、メアズ・レイグのふたりであった。
 「ギルガメシュが何処其処の村の武力制圧を狙っている」と言った情報工作を行って標的の村に揺さぶりを掛け、
テムグ・テングリ群狼領が働きかける同盟への参画を促進させようと言うのである。
 戦略的な旨味がないと思われるグリーニャが焼き討ちされたニュースは、
亀の歩みながら各地へ波及し始めており、ギルガメシュを無頼の集まりとするメアズ・レイグの情報工作は、
一定の信憑性を帯びるようになっていた。
 先ほどの説明の中でレオナが挙げたピーターズバーグは、まさしくこの情報工作に踊らされた寒村だった。
 無論、怪情報を流すだけでは効果が見られない場所もある。
そのような場合はギルガメシュに雇われたゲリラ兵を装って標的を脅かし、恐怖心を煽って同盟網へ走らせると言う荒っぽい手段を講じた。

 冒険者への依頼としては、格段に難易度が高い…と言うよりも、不可能に近いように思える。
 情報工作と一口に言っても町村全体へ影響を及ぼすなど至難の業だ。
ゲリラ兵と偽るにしても正体を気取られず、しかもたったふたりで一切をこなさねばならないのである。
 少しばかり経験がある冒険者では確実に頓挫する難易度と言えよう。
余程の身の程知らずでなければ、打診された段階で即座に断っていただろうし、これを責めることは誰にも出来ない。
 誰もが尻込みする高難易度を物ともせずに依頼主の期待通りの成果を上げ続けるメアズ・レイグは、
月並みな『凄腕の冒険者』の一言では括りきれなかった。彼らの働きは、殆ど奇跡に近かった。

 ドモヴォーイが率いる諜報部隊らにも同様の工作は可能ではあるのだが、
テムグ・テングリ群狼領への同盟を促す以上、エルンスト配下の影は僅かも見えないほうが良かった。
 一見、テムグ・テングリ群狼領との繋がりが薄いと思われる全くの第三者が追い立てるからこそ効果が覿面に現れるのである。

「―――つーわけだ。オレたちゃもう出発するぜ。おたくらも時間がねぇんだろ?」

 レオナの配慮を受けて鎮まりつつあるとは言え、心揺さぶられて居心地が悪いらしいイーライは、
一通り報告が終わったと見るや用事は済んだとばかりに踵を返した。
 デュガリと細かい打ち合わせをするつもりだったレオナは慌てて引き止めに掛かったが、
イーライは制止の声にも応じず、「好感度ナンバー・ワンに後は任せるわ」と言い残して歩みを進めていく。
 テムグ・テングリ群狼領諸将の間では呆れを含んだ侮辱が飛び交い、
ビアルタとカジャムに至っては大変な剣幕で不遜を重ねることを糾弾してきたが、イーライはそれら全てを無視した。

「時間の不足はお前たちのせいではない。だから、決して無理だけはするな。焦らなくてもいい。
ただ及ぶ限りの力を尽くしてくれ。俺は必ずそれに報いてみせる」

 批難と侮辱を雨霰のように射続けられ、矢襖になったイーライの背中をエルンストの声が追い掛けた。
それは、ただ一つの優しい言葉であった。
 吸い込まれるようにして心の裡へと至ったエルンストの期待とねぎらいだけが、イーライの歩みを止めることが出来た。

「………………………」
 
 心中に湧き上がる感情を持て余したイーライは、それでも振り返らずに片手を挙げて返事に代えた。
片手を挙げることが、イーライに出来る精一杯の返礼であった。
 温情を以って接してくれるエルンストに対して余りにも無礼な返礼と言えよう。
 ビアルタから批難されるまでもなく自覚はしている…が、そのように意図して距離を取らねば、
王者の気が“彼”自身の存在意義を塗り潰してしまうような気がしてならないのだ。

(………こっちの気も知らねぇで、ここぞとばかりに色男っぷりを見せ付けてくれるぜ。ホントによ………)

 アキレス腱を包む不思議な違和感は、未だにイーライを脅かしていた。




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