4.友を想う夜(前編)



 テムグ・テングリ群狼領がギルガメシュと陣取り合戦を演じている傍らで、アルフレッドもまた来るべき挙兵の機を想定し、
毎夜遅くまで自軍の編制について守孝やヒューを相手に話し合いを続けていた。
 “自軍”と言ってもアルフレッドたちのチームを中心に、佐志の民兵たちを加えた程度の寄せ集めである。
一軍として扱うには規模が小さく、マコシカから疎開してきた術師たちの協力を取り付けたものの、
それでもせいぜい一個大隊と言ったところだ。
 むしろ、佐志と言う限定された空間の中で一個大隊に匹敵する兵力を確保出来たのは、何にも勝る僥倖であろう。

 現在までに確保できた兵力の総数は、およそ二百名である。
 部隊を編制するに当たり、佐志の代表として総大将を努めることになった守孝は直々に歩兵部隊を率いて戦うのだが、
この隊はグリーニャから参戦した有志を含めて百五十名。
 合戦へ及んだ際、全軍に先駆けて銃撃を見舞う源八郎の銃砲隊は三十名。
 アルフレッド手ずから編制する佐志軍の特色とも言うべきは、マコシカから参戦した術師隊だ。
人数こそ二十名と少ないものの、全員がプロキシの使い手であり、合戦に於いてこの隊は大いなる脅威となるだろう。
 術師隊を率いるのは、やはりマコシカ酋長のレイチェルだ。補佐としてホゥリーが付くことになっている。
 もう一つの特色は、何と言ってもヒューである。厳密には彼は部隊を率いるわけではないのだが、
最大百人もの分身を作り出せるトラウム、ダンス・ウィズ・コヨーテを最大限に活用し、
諜報活動や乱戦時の伝令を一手に担うことが決まっていた。
 アルフレッドを筆頭に彼のチームメイトは、遊撃部隊として編制されていた。
 主戦力は歩兵部隊であり、合戦では守孝は正面きって敵勢へ雪崩れ込んでいくことだろう。
遊撃部隊は彼らの援護射撃を中心に行いつつ、各人が自由に持てる力を発揮するようアルフレッドは言いつけていた。
つまり、自軍の邪魔をしないことを前提に、好き勝手に戦えと言うわけだ。
 何しろこの隊に組み入れられたメンバーの多くは、つい昨日まで一介の冒険者に過ぎなかったのだ。
兵を付けたところで有用に操れる筈もなく、手綱を握る前に破綻するのが目に見えていた。
 それならば、いっそ個人技に特化した隊を新設したほうが伸びやかに実力を発揮できるだろうとアルフレッドは判断したわけである。
 遊撃部隊の編成は、言わば逆転の発想だった。

 総計、およそ二百名―――各隊ごとに人数が一定でない為、正規の一個大隊に比べて歪な編成となっているが、
マコシカから参戦した術師隊や、ハーヴェストたち実力派が顔を揃える遊撃部隊など
個々の戦闘能力は折り紙付きと言っても過言ではない。佐志の防衛へ配置する分には、むしろ過多ですらあるだろう。
 だが、アルフレッドの狙いはあくまでもギルガメシュの滅亡にある。
グリーニャの仇を討つ復讐戦争を画策するには、現状のままでは全くと言って良いほど戦力が足りないのだ。
 守孝たちは武装した漁船を日夜操っており、海賊退治の経験から海戦技術にも長じている。
海の上の戦闘では負ける気がしないと守孝も豪語したものだ。大言を吐くタイプではない朴訥な守孝が、だ。
 佐志にとって絶対的に有利な海戦へとギルガメシュを引きずり出し、洋上にて撃破すると言う策も案じはしたものの、
一隻や二隻、敵の船を沈めたところで大局には何ら影響はなく、そもそもルナゲイトを占拠している敵の全軍が、
わざわざ海へ漕ぎ出す理由もなかった。
 海戦に期するのは、絵に描いた餅と同じこと。仮にギルガメシュが大人数の海兵を投入してきたらどうなるのか。
海の藻屑と消えるのは、間違いなくアルフレッドたちの側であった。

 それ故にアルフレッドは眉間に皺を寄せ、机上へ広げた地図と睨み合いを続けているのだ。
 現在時刻は、既に日付を跨いでいる。部隊の編制や作戦会議に付き合っている守孝もヒューも今は去り、
話し合いの場として提供された公民館にはアルフレッド以外の人影は見られなかった。

(………御老公を引き止めなかったのは失敗だったな。不覚だ、一生の………)

 後の祭りとしか言いようがないのだが、ジョゼフの離脱がどれほどの痛手であるか、
アルフレッドは今になってようやく実感し始めていた。
 未曾有の混乱時で有りながら難なくクルーザーを確保出来たことからもわかる通り、
ルナゲイトを落とされたとは言え、今なおジョゼフの権力と財力は健在にして不動である。
 今、この場にジョゼフが同席していたなら、乏しい兵力を補填する為に雇い兵の手配を買って出たことだろう。
 ギルガメシュの奇襲から身を挺してジョゼフを守ったように命を惜しまず戦うエージェントすら
まるで消耗品を扱うかの如く調達したに違いない。
 ジョゼフの蓄えた財力を以てすれば、武装を整えることさえ容易だった筈だ。
新聞王と言う世界最高のアドヴァンテージを失った現状では、
最前線で戦う歩兵部隊の防具すら全員の分を用意できない有様である。
 歩兵部隊の中核は佐志の港を長年守り続けてきた剛毅な人々で、
「素肌攻めには慣れている」などと装備の欠損を笑い飛ばしてさえいるが、
何の用意もないままギルガメシュと激突しようものなら、レーザーライフルによって蜂の巣にされてお終いだった。
 質、量ともに貴重な戦力をいたずらに欠くのはアルフレッドも望むところではなく、
だからこそ装備の調達さえままならない現状を歯がみして悔やむのだ。
 最早、新たに兵を補充する手段さえアルフレッドは持ち合わせていなかった。
ジョゼフが佐志を去ったと言うことは、万軍を失ったことに等しいのである。

 セント・カノンで目の当たりにしたフェイへの仕打ちからジョゼフの言行に疑問を抱いていたのは確かだ。
人格を否定するような罵声は、例え矛先が自分ではないにしても思い出すだけで胸苦しくなる。
 学業成就を後押ししてくれた大恩人であるし、今も信頼を寄せていることに変わりはないのだが、
兄のように慕うフェイを一方的に侮辱されたことへ何ら蟠りを持っていないと言えば嘘になる。
 胸中へ滲んだ蟠りもあってジョゼフの離反を防げなかった―――

(………何をバカなことを………)

 ―――そこまで考えて、アルフレッドは弱々しく頭(かぶり)を振った。
 離反に至った原因をジョゼフ本人に求めることは出来ない。責任も、原因も、全て自分にあるのだ。
そう自覚しているだけに新聞王への依存から脱却し、独力のみで隊の編制、兵装を仕上げることを
アルフレッドは自分の使命として捉えている。
 物資、人材共に限りある中での思索となる為、プレッシャーもまた大きかった。

 机上の地図には、木彫りの駒が五つばかり文鎮のように置かれている。
 ミニチュアサイズの駒は、それぞれ異なる形をしているのだが、
これは作戦立案時に情報の整理が捗るように、と源八郎が木切れを削って拵えた物である。
 地図上で佐志が所在する場所には、青く塗装された四つの駒―――騎馬、ライフル、棒杖、ニワトリの駒は、
順番に歩兵隊、銃砲隊、術師隊、遊撃隊へそれぞれ対応している。
 ルナゲイトが書かれた場所に置いてある仮面の駒は、つまりギルガメシュを示しているのだ。
危険信号と同じように、仮面の駒には赤い塗装が施されている。
 二色に分けられた駒を見比べながら、現状の兵力でもって合戦へ突入したと言う仮定のもと、
アルフレッドは頭の中で対ギルガメシュの戦術をシミュレーションし始めた。
 戦略及び戦術のシミュレーションは既に幾度となく繰り返しているのだが、
その過程に於いて新たに発見することも多く、反復には価値があるとアルフレッドは信じている。
………強く信じることで、自らを奮い立たせていた。

(大部隊を正面から切り崩すのは苦しいが、アルバトロス・カンパニーの機動力で敵を攪乱することができれば、
あるいは反撃の糸口を見つけられるかも知れない)

 シミュレーション用の駒には幾つか種類があり、地図上へ並べていない物は四角い木製の容器に片付けられている。
容器にて山盛りとなっている駒の内、青く塗装されたバイクを摘み取ったアルフレッドは、
ギルガメシュの横腹を突く位置へこれを並べた。
 バイク型のコマは、つまりアルバトロス・カンパニーを示している。

 大軍同士が武力衝突する合戦に於いて、攪乱工作とは成否によって戦況が一変するほど重要な任務である。
 直接戦闘に密接するものでは、意表を突いた一撃を見舞って敵陣を突き崩し、隊伍を乱す戦法が先ず挙げられる。
合戦の混乱に紛れて敵の兵站や軍備の拠点の破壊あるいは征圧などを試みる後方攪乱は、
大規模な会戦が含まれない為に地味と言う印象を持たれがちだが、必勝を期する作戦家はこれを何よりも重要視するものだ。
 長期戦であればあるほど、後方支援を脅かされた側は物資の消耗に苦しみ、著しい疲弊がもたらされるのである。

 攪乱行動には速攻および迅速な離脱を達成し得るだけの機動力が求められる為、古来では騎兵がその任務に当たることも多い。
そこでアルフレッドは、機動力に富んだMANAを駆るニコラスたちによって敵陣の攪乱を試みる搦め手を思いついたのだ。
 ギルガメシュの兵装は、確かに“Bのエンディニオン”よりも遥かに機能は先進しているが、
これを使う相手は、あくまでも人間である。人間である以上、心理的な揺さぶりには耐えられるものでもない。
 古式ゆかしい騎兵からMANAの投入を閃いたものの、クリッターではなく同じ人間を相手に戦うのであるから、
旧来の搦め手も必ず通用するとアルフレッドは確信を持っている。
 むしろ、古めかしい奇襲のほうが効果を発揮するかも知れない。奇襲攻撃に於いて最も肝要なのは、相手の虚を突くことにある。
「まさかそんな古臭い戦術を使うとは」と相手が全く想定していなかった一手を披露し、動揺を煽動出来さえすれば、
ギルガメシュを内側から瓦解させることも不可能ではないのだ。
 軍勢とは、規模が大きくなるにつれて引率が難しくなっていくものである。
攪乱によって恐慌を来たそうものなら一気に隊伍が乱れ、再結集すら困難な前後不覚状態へ陥るのだ。

(一番期待できるのは、ラスのバイクだな。サムのバリアがどの程度まで防御力を維持できるかにも依るが、
走行し続けると仮定すれば、ピンポイントへの集中砲火は分散させられる筈―――)

 ギルガメシュを撃滅するには、ニコラスたちアルバトロス・カンパニーとMANAは肝心要―――
ニコラスたちを攪乱工作の為に作戦へ加えたアルフレッドは、急に表情(かお)を歪めた。
一番大事なことを遅ればせながら思い出した。

(―――何が、“あるいは”…だ。そんなご都合主義が、この世にあってたまるものか………ッ)

 ………そう、彼らアルバトロス・カンパニーの面々は既にこの佐志から離れてしまっている。
砂浜へと足を運べば、どのような経緯で彼らが佐志を退いたのかを車輪の痕跡が物語ってくれるだろう。
 アルバトロス・カンパニーは不在であり、また二度と合流することは有り得ない。 
最初から判っていたことなのに、どうしてシミュレーションの中に加えてしまったのだろうか。
それも、少数部隊による戦闘の要として重大な役割まで与えようとしていた。
 合流する可能性の有無を問うどころではない。
そもそもアルバトロス・カンパニーを裏切り者と見なして抹殺を強行しようとしたのは、他ならぬアルフレッド本人ではないか。
去りゆくニコラスに向かって宣戦布告までしておきながら彼を攪乱作戦の要に据えようとは、支離滅裂も良いところである。

 何故、そのようなことを考えてしまったのか―――アルフレッド自身にも理解できなかった。
 思料したのは彼自身であると言うのに、不可思議と言うか、不自然な話であるが、
アルバトロス・カンパニーによる敵影攪乱の一手は、理知の及ばない領域から飛び込んできたもので、
ギルガメシュよりも前にアルフレッドのほうが心乱された恰好だ。

 地図上に配置されたバイク型の駒の色は、赤ではなく青。
駒が青色と言うことは、つまりアルバトロス・カンパニーをこちらの味方と認めている証しであった。
 無論、現時点ではこの塗装は誤りだ。本来ならば赤色を重ね塗りしなければならないのだが、
源八郎もすっかり失念していたらしい。

 バイクを模倣した青色の駒は、水滴の如くアルフレッドの心へと零れ落ち、水面に弾けて波紋を起こした。
 
「………ラス………」

 掠れた声で呻きながらアルフレッドは右の拳を渾身の力で握り締めた。
今もまだ手のひらに残る余韻を忘れてしまわないように。手のひらに刻まれた記憶へ縋り付くように。
 痛みを伴うほどに握り締めたとき、アルフレッドの耳元に懐かしい声が蘇った。

『ったく、安上がりだなぁ―――次からは慈善事業じゃなくて、ちゃんと金取れよ、アル』

 ………それは、“迷子”になったニコラスたちをマコシカの集落まで無事に送り届け、
その道程に於いて培われた友情を確かめ合ったときのことだ。
 交わした握手の感触は、今もまだ鮮明に思い出すことが出来る。
鋼鉄のグローブで固められたニコラスの右手は、肌触りこそ冷たいものだったが、
彼の帯びる温もりは装甲板を透過し、アルフレッドへと伝わっていた。
 アル、ラスと初めて愛称を呼び合ったときのこそばゆい気持ちとて、今もまだ消え失せてはいない。
今後は戦争だ、と決裂を言い渡してからも忘れ難い想い出として光を放ち続けているのだ。
 否定と肯定、ふたつの矛盾した想いにアルフレッドの心は掻き乱されていた。

「………クラップ………」

 ニコラスと培った絆を否定へと指向させるのは、右手に刻まれたもうひとつの記憶である。
 ニコラスと握手を交わした右手は、鮮血と共に温もりを失ったクラップの身体をも支えていたのだ。
 鋼鉄のグローブも、クラップの亡骸も、どちらも生命の息吹は持ち得ない。
さりとて、どちらも同じものとして扱うわけにはいかなかった。
 カレドヴールフによって胸を貫かれたクラップを、アルフレッドは全身でもって抱き留め、そのときには確かに彼の温もりを感じていたのだ。
 誰よりも良く動き彼の口が言葉を紡ぐのを止め、彼の心臓が鼓動を終えるその瞬間まで、
アルフレッドは肌身でクラップの温もりを感じていたのである。

『よお…… アルじゃねえか…… 久しぶりだな……』

 そして、クラップの身が氷のように冷たくなっていく様も―――。


「―――アル、………夜分になんだが、少し時間はあるか?」

 そう部屋の入り口から声が掛けられた瞬間(とき)、アルフレッドの五感は彼の支配を離れており、
名前を呼ばれたことはおろか虚ろな視線を右の拳へ落としていることさえ自分で認識していなかった。
二度、三度と呼びかけられ、ようやく視界が現実を捉えたくらいである。
 返事もせぬまま声のしたほうへと視線を転じてみれば、いつの間にやって来たのか、
扉の前にカッツェとルノアリーナの姿がある。
 黙って入室したと言うことではなく、おそらく事前にあったであろうノックや呼びかけを
アルフレッドのほうが聞き漏らしていたに違いない。
 ノックにも呼びかけにも応じなかった息子のことを両親は気遣わしげに見つめていた。

 先程来、アルフレッドの名を呼び続けていたのはカッツェだ。
呼びかけに対しても無言のままでいる息子を訝り、ただでさえ鋭い目を何時にも増して細めている。
 夜も更けてから両親が訪問するとは予想しておらず、アルフレッドも少なからず驚かされたが、
これが一種の緩衝となって右手から染み出す動揺が減殺され、
とりあえず他者に応対できるだけの冷静さは取り戻せた。
 なおも怪訝そうな眼差しを向けてくる父に対し、アルフレッドは「考え事をしていて気付かなかった」と月並みな言い回しで取り繕った。
 誰よりも子どもの情感を理解する両親のこと、単に物思いに耽っていただけではないと察するだろうが、
それだけに息子の抱えたモノを穿り返すような真似はしない筈だ。
 相談を持ちかけられたなら全力で応えるが、自分独りで克たねばならない試練(こと)は、
手を差し伸べなければならないような窮地に陥るまではじっと見守り続ける―――
その信念のもと、両親は自分たちを育ててくれたと、誰よりもアルフレッドが自覚(わか)っていた。
 心の内を見透かす両親が相手では、どのような御託を並べても言い逃れにならないのだが、
裏返せば、これほど“建前”が通用する相手もいない。
 そこまで計算に入れ、「考え事をしていて気付かなかった」と平気な顔で返事をした自分が、アルフレッドには小賢しく思えた。

「毎晩、遅くまで作戦会議をしていると聞いていたが………お前ひとりで何もかもやっているのか?」
「まさか。俺だって万能じゃない。今日はもう休んでいるが、他の仲間と一緒に話し合っているよ」
「ひとりで残業、と言うことか」
「ビジネスライクな言い方をするならな。………敵の規模は、予想していたよりも遙かに大きい。
戦争をするにしても、考えることは山ほどあるんだ」
「戦争…か。あまり子どもの口からは聞きたくない言葉だ」
「聞きたくなくても現実なのだから仕方ないだろう。そもそも俺たちは攻撃を仕掛けられた側なんだ。
それも薄汚い奇襲をな。報復は正当な行為だ」
「俺が言っているのは、戦争の意義じゃない。子どもを喜んで戦場に送り出す親はいないと言う話をだな………」
「俺たちが戦わなくてはベルだって救出できないんだぞ? これは俺たちの戦いなんだ。
父さんや母さんに言いつけられて戦場へ行くわけじゃない」
「それは、わかっている。………わかっているから心配になるんじゃないか―――」

 奥歯に物が挟まったような喋り方を聞くにつけ、カッツェが自分の腹の内を探ろうとしているのだと勘付いたアルフレッドは、
同時に父が胸中で何を思っているのかも悟った。
 両親が子どもの気持ちを察するように、子どももまた親の考えを見抜けるものなのだ。

「―――お前のほうこそ理解(わか)っているのか? ギルガメシュに挑むと言うことは、
実の母親と殺し合いをすることに他ならないんだぞ? お前を産んだフランチェスカと」

 ―――果たして、予想が的中したアルフレッドは、肩を竦めながら呆れの溜め息を吐いて捨てた。
 一見、相手を小馬鹿にしているようにも見えるこの態度にカッツェは眉を顰めたが、
アルフレッドに言わせれば、今なお躊躇うほうがおかしく思えるのだ。彼の意識は既に戦争へ向かって走り出している。
 ニコラスとの敵対には心揺れるアルフレッドであったが、
実母、フランチェスカ―――否、ギルガメシュ首魁たるカレドヴールフと骨肉の争いを演じることには些かも躊躇はない。

「その実の母親が、自分とも縁の深いグリーニャを焼き払い、俺の親友を殺した。
………ベルは今どこにいる? 俺の妹は。あの女が俺から全てを奪ったんじゃないか」
「アル、しかしだな………」
「父さんまで重傷を負わされた。クラップを目の前で殺され、家族をここまで傷つけられて、
それでも何もしない人間は、平和主義じゃなくただの臆病者だ。現にフィーだって戦いの支度をしている」
「………………………」
「俺もフィーも、シェインだってわかっているんだ。これから始まるのは、綺麗事が通じない戦争だと。
あいつらの非道を、俺たちは二度もこの目で見ている」

 血で血を洗う戦いとて望むところだと剛毅にも言い放つアルフレッドの面を、カッツェはじっと見つめた。
 両者の脇に控える恰好となっているものの、ルノアリーナもまた息子を見つめたまま、視線を僅かも動かしてはいなかった。

「―――アル、佐志(こっち)に来てから母さんが何を日課にしているか、お前は知っているか?」
「………何?」
「母さんだけじゃない。生き残ったグリーニャのみんなが日課にしていることだ。
佐志の人たちも我々と同じように気を配ってくれている」
「………………………」

 視線を交えること数分―――やがてカッツェは、ルノアリーナの日課を引き合いに出して語り始めた。

「………お前は一度でも鎮魂の鐘を鳴らしたことがあるか? 死んだクラップへ祈りを捧げた覚えはあるのか、アル」

 焼亡したグリーニャの為に佐志の人々が建立した慰霊碑の前に立ち、一度でも死者を悼んだことがあるのか―――
復讐、戦争と人を殺すことに気炎を揚げるばかりで、人間として大切なことを疎かにしていないかとカッツェは息子に問いかけた。
戦火で喪失(なく)した魂を想い、祈りを捧げずしてグリーニャの為に何をするつもりなのか、と。

「祈りを捧げてどうする? イシュタルは俺たち人類を見限ったんだぞ。
カミサマとやらは便利屋でもないのだから、頼まれたからとて救う義理もない。そこまで言ったそうじゃないか。
祈りを捧げる意味が俺には理解できないな」

 だが、アルフレッドは父よりの言葉を、情感を欠いた理論武装でもってにべもなく切り捨てた。
 厳正なる儀式を経、レイチェルの求めに応じて地上へ降臨した創造女神であったが、
母なる存在である筈のイシュタルは、アルフレッドが詳らかにした通り、
危機に瀕した人類を導くどころか、救いの手を差し伸べようともしなかった。
 レイチェルはこれもまた試練の一つだと好意的に解釈し、神苑へ戻る間際にイシュタルが最後に残していった、
「人類を信じる」と言う神託――と呼ぶには、言い方から態度までかなり砕けていたが――を胸に秘めて立ち上がったが、
大方の人間は、創造の女神すらエンディニオンの現状に匙を投げたものと捉えている。

 アルフレッドの説明を耳にして、先だってカッツェの捧げた祈りが上滑りのまま終わったこと、
不自然としか言いようがなかった夫の態度の意味を悟ったルノアリーナは、目を見開いて驚愕した。
 人類にとって絶対的な縁(よすが)とも言うべき女神イシュタルが地上を見限ったと聞かされたのだ。
これが普通の反応と言えよう。誰もが強靭かつポジティブなレイチェルのようには行かなかった。

「父さんにも言っておいたのだが、………聞いていないのか?」

 実母の狼狽を見て取ったアルフレッドは、言うに言い出せなかったらしいカッツェを
「何の為にそんなに厳つい顔をしているんだ。いざとなったら及び腰になるとは………。いつもながら見掛け倒しだな」と批難したが、
当のルノアリーナは一瞬だけ動揺を滲ませた後、すぐさまに精神(こころ)を持ち直した。

「私たちの祈りや鎮魂の鐘は、イシュタル様へ捧げる為にあるのではないわ。一番は亡くなった人たちを想えばこそ…でしょう? 
言い争いで決めるまでもないわ。祈りを捧げることにも、鐘を鳴らすことにも意義はある」

 およそ人の心の働きを感じさせない息子の理論武装を、ルノアリーナは控えめながら決然と否定した。

「結局は自己満足じゃないか。それで死者の慰めになるのか? ………俺にはそうは思えない」
「いいえ、アル―――亡くなった人を想い続けることは、残された人間の務めなのよ」
「それの何が祈りと?がるんだ?」
「その人の喋り方、癖、人柄―――生きた証しを風化させず、ずっとずっと憶えていく為に、私たちは祈りを捧げ、鐘を撞くのよ。
そうする度に故人のことを思い出すでしょう? 祈りは、先に逝った人たちと今を生きている私たちとを繋げる約束でもあるのよ」
「………………………」
「人間は二度死ぬと聞いたことがあるわ。肉体的な死と、もう一つは、大切な人たちに忘れ去られてしまった瞬間。
………アル、あなたはクラップの顔を頭の中に思い描くことができるのかしら? 歪んでしまっているのではない?」

 思いがけない母の言葉に、思わずアルフレッドは反論を飲み込んだ。飲み込まざるを得なかった。
 薄っぺらな反論を一息でもって吹き飛ばすほどのチカラを、ルノアリーナの言葉は帯びていた。

「アル、一度でもクラップ君の為、村のみんなの為に祈りを捧げたことがあるの? 鐘を鳴らしたことは?」

 ルノアリーナは最後に夫と同じことを反復し、これを締めくくりとして口を噤んだ。
 母親として諭すべきことは全て話し終えたと言うことであろう。それきり一切言葉を続けず、息子の面を見守るばかりであった。

「――――――………………」

 その言葉に思うところがあったのか、それとも“詭弁”を聞くに堪えないものと見なしてしまったのか、
真摯な眼差しを寄せてくるルノアリーナから顔を逸らしたアルフレッドは、
何も言葉を返さないまま両親を置き去りにして部屋を出て行ってしまった。

「受け入れてあげるのが私たち親の務め―――そうよね?」
「ああ。………イシュタル様は、もしかするとこんな気持ちでいるのかも知れないな」
「真実は神のみぞ知る…だけれど、私にはそう思えてならないわ」

 無言で去っていく息子の背を引き止めることも追うこともせず、カッツェとルノアリーナは静かに見送った。
 鍛え上げられた逞しい背中だ…が、その双肩は微かに震えているように見えた―――それだけで両親には十分であった。







 両親の目から逃れるように公民館を出たアルフレッドは、
しかし、自分の足がどこを目指して動いているのかさえ判別のつかない有様だった。
 母の指摘に突き動かされ、丘の上の慰霊碑へ足を向けた―――と言うわけではない。
当人の意思に関わらず、まるで亡霊のように彼方此方を彷徨っていると言っても良い。
 足取りも定まらず、傍目には極めて危うい姿のように映った。

(………クラップ…ラス―――ラス…クラップ………)

 彼の思考を支配するのは、ふたりの親友への想いのみである。
 カレドヴールフと、実の母と殺し合うことには少しの躊躇もない。それはカッツェに宣言した通りだ…が、
彼女が統率するギルガメシュへ身を投じると言うニコラスはどうか。親友と戦うことは、どうなのか。
 故郷を焼き払い、妹を攫い、幼馴染みで一番の親友を殺したのは、他ならぬギルガメシュである。
事情はどうあれアルフレッドにとって不倶戴天の大敵であるギルガメシュの庇護下へ入ると言うことは、
ニコラスとの縁は完全に切れたと考えるのが妥当であった。事実、アルフレッドもそのように思っていた。
 去りゆく背中に向かって戦争だ、と宣言した瞬間から、両者は親友から怨敵に変わった筈なのだ。

 それなのに、アルフレッドの心はニコラスを求めている。
 右手に感じた絆は、今もまだ心の中で眩い輝きを放ち続けている。
 クラップの命を奪ったギルガメシュへ与せんとするニコラスのことが、どうしても抹殺の対象と割り切れないのだ。
 心の親友(とも)―――と、今でも思っていた。
 幾度となく罵詈雑言を浴びせかけておきながら身勝手も甚だしいとは重々承知している。
自分の気分で手のひらを返した卑劣漢と軽蔑されても、ニコラスとの間に育まれた友情を否定することは、
アルフレッドにはどうしても出来なかった。
 対象となる全てに復讐すると言う彼自身の理屈を以てしても、心の叫びを途絶させるには至らなかった。

(………俺は、一体、何を………)

 ふたりの親友を想い、そこに生じる矛盾した情念にアルフレッドは惑わされ、狂わされていた。


 ―――気付いたときには、爪先から足首に至るまで水に浸かっていた。
靴の中には決して少なくはない量の砂粒が流れ込んでいる。
 そこで初めてアルフレッドは自分が波打ち際にまで到達していたことを認識した。
言うまでもなく、どのような順路を通って海に出たのかさえ、彼は憶えてはいない。
 押しては返す小波を両足に感じながら呆然と立ち尽くしていたアルフレッドは、ふと砂浜へと目を転じた。
月明かりに照らされた砂浜には、ニコラスたちが刻んでいった轍が今も鮮明に確認できる。
 それは、ニコラスとの決裂と、いずれ戦う定めにあることをアルフレッドへ突きつける傷跡のようなものであった。
傷痕は、時間が経過してもなお生々しく血を噴いている。

「ギーギギギ―――ギギギーギッギッギギギ! 焼きゼリー、焼きゼリー………イッギギィィィイヤッフゥゥゥッ!!」

 車輪の痕跡に意識を囚われ、軋む心に苛まれるアルフレッドだったが、心の奥底より押し寄せる情念は、
どこからともなく聞こえてくる不気味な笑い声と、その直後に起こった凄まじい爆発音によって粉微塵に吹き飛ばされた。
 ギルガメシュが大砲でも撃ちかけてきたのかと咄嗟に身構えるアルフレッドだったが、
瞬時に張り巡らせた警戒は取り越し苦労で終わった。
 尤も、さほど離れていない場所より爆発音が聞こえてきたのであるから、彼の反応は至極当然と言えよう。

 風に吹かれた黒煙が浜辺へと流れ着き、やがて月明かりに呑まれて霧散した。
 次第に透過していく黒煙の向こう側へと目を凝らせば、少しばかり離れた場所で水无月撫子が腹を抱えて笑い転げているではないか。
 着替えをすると言う習慣を持ち合わせてもいないのか、相変わらずくたびれたジャージ姿である。
おそらく着たきり雀なのだろう。先の戦いでこびり付いたと思しき汚れや血痕がそのままの形で残っているのをアルフレッドは確認した。
頼りとなるのは月明かりのみと言う状況にも関わらず目視で確かめられると言うことは、
つまり尋常な感性の持ち主ならば選択をせずには耐えられないくらいに大きく、また目立つ染み汚れなのである。

 今しがた起こった爆発音と黒煙の発生源は、先ず間違いなく撫子が備えたミサイルのトラウム、『藪號The-X』であろう。
 口内をサイロのように使って射出する大量のミサイルは、佐志を襲撃してきたギルガメシュにも驚異的なプレッシャーを与え、
その威力のほどは砂浜に散見されるクレーターを見れば自ずと知れると言うものだった。

 日課と言うほど厳密にスケジュールやパターンが決まっているわけではなく、その瞬間の気持ち次第なのだろうが、
撫子は数日おきに浜辺に現れ、水平線の向こうにミサイルの束を降り注がせて彼方で起こる爆発を哄笑し、陶酔していると言う。
「複雑な環境で育った子なんでさぁ。ダンナにも迷惑を掛けるかも知れませんが、一つ大目に見てやってくだせぇ」と
注釈付きで源八郎から聞かされた話を思い出すアルフレッドだったが、
撫子のことなど体の良いミサイルサイロ代わりとしか見なしておらず、
彼女が抱えていると言う複雑な事情には一切興味も引かれなかった。
 そもそも、だ。戦闘中に「ハンバーグ」などと高笑いしながら敵影に向かってミサイルを発射する撫子とは、
自分で戦力に組み入れておいて薄情な話もあったものだが、アルフレッドも極力関わり合いになりたくないと思っているのだ。

 ところが、撫子のほうは浜辺にアルフレッドの姿を見て取ると、
オモチャを前にした子どものように笑い声を上げなら彼のもとへ歩み寄ってくるではないか。
 お得意のモバイルはポケットの中に仕舞われてあり、現在のところ、精神的にすこぶる昂ぶっている様子だと見受けられた。

「―――おぉお〜、てめぇよ、なんつったっけな………こないだ、偉そうに陣頭指揮取ってたヤロウだろ?
カスフレッドだっけ? それともアルフラビッシュだっけかなァ? 横文字は覚えられねぇんだよ、クソが」
「アルフレッド・S・ライアンだ。尤も憶えてもらう必要もないがな」

 言われるまでもなく撫子のほうもアルフレッドの名前を覚える気はなさそうだ。
それどころか、自分から話しかけたと言うのにアルフレッドの返事など聴いてもいないように見える。
 どう言う意図があるのかも知れないが、撫子はためつすがめつアルフレッドの面を凝視し始めた。
無遠慮に視線を這わせながら、「うぜー、うぜー、うぜーな、コイツ」と前後の文脈を全く無視した悪態まで吐いている。
視線の意味も、悪態の理由も、何もかもが意味不明である。
 これにはさすがのアルフレッドも癪に障り、「自分の姿を鏡で見てみろ」と憤然とした口調で言い返した。

 ところが、撫子はアルフレッドの反論を受けた途端、腹を抱えて笑い出した。
 今の流れのどこに可笑し味があったのか、アルフレッドにも判らないのだが、
撫子は衣服が砂まみれになるのも構わずに辺りを転がりながら大笑いし続けている。
 ホゥリーが見せるゲップ混じりの笑い方も生理的に受け付けないのだが、撫子の場合は、彼とはまた違う意味で気味が悪かった。

「そうか、そうか! なんか気色悪ィと思ったら、そう言うことだったか! ギギギィィィ―――てめーも良いこと言えるじゃねえか!」
「………何の話をしているんだ?」
「てめーの目だよ。死んで腐った魚みてーに濁った目ぇしていやがる。まるで俺じゃねぇか。鏡でも見てるのかとブルっちまってよ」
「お前と一緒だと? バカな―――」

 人間として真っ当な生活を送っているようには見えない撫子と一緒にされるなど、たまったものではない。
自分と撫子がどれだけかけ離れているのか、理詰めでもって論証しようと身を乗り出すアルフレッドだったが、
彼女が自称する『死んで腐った魚のように濁った目』を覗き込んだ瞬間、一切の言葉が喉の奥に引っ込んでしまった。
 全身を硬直させたまま石像のように動かなくなってしまったアルフレッドに興味を失くした撫子は、
再び水平線に向けてミサイルを乱射し始めた。
 それきりアルフレッドも口を噤んでしまった為、浜辺を騒がすのはミサイルの爆発音と撫子の哄笑ばかりである。

(………同じ穴の狢か。俺も、水无月も………)

 自分とはかけ離れていると信じていた『死んで腐った魚のように濁った目』を実際に確認した瞬間、
アルフレッドは心臓を握り潰されるような衝撃を感じていた。
 鏡に映して確かめるまでもない。撫子と同じ瞳をしていることを彼は自ら悟ったのだ。
真っ当な人間として生きることを放棄した眼をしているのだ、と―――。

(堕ちたか、アルフレッド・S・ライアン。………俺には、もう友を想う資格すら―――)

 撫子が飽きて引き上げるまでの暫時、アルフレッドは水平線の彼方へ旭日のような光が灯る様をじっと眺めていた。
 双眸は、やはり死んで腐った魚のように濁りきっていた。




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