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5.友を想う夜(後編)



 佐志の海辺にてアルフレッドが親友へ想いを馳せている頃、
ニコラスもまた夜天を仰ぎ、月明かりに照らされた群青色のキャンパスへ別れた仲間の顔を描いていた。
 現在、アルバトロス・カンパニーはミキストリ地方に設置されたギルガメシュのベースキャンプに駐留している。
 夜陰に乗じて佐志を発したアルバトロス・カンパニーの面々は、救い出したギルガメシュの捕虜の手引きによって別働の部隊に合流し、
続いてこのベースキャンプへ移った次第である。
 と言っても、キャンプ内に集められた物資の防衛に当たっているわけではない。
 ミキストリのベースキャンプにはギルガメシュが新たに徴集したエトランジェ(外人部隊)が駐在しており、
アルバトロス・カンパニーはそこに組み込まれる運びとなったのだ。
 エトランジェを称してはいるものの、構成員は“Aのエンディニオン”の人間に絞られている為、
異なるふたつのエンディニオンが相剋すると言う現在の情勢を考慮した場合、必ずしも適切な呼び方とは言い難い。
 その性質は、むしろ多国籍軍の要素を多分に持っていた。

 ボスは会社と社員を、ディアナは愛息を守る為にギルガメシュからの指示には神妙に従っているが、
ニコラスはエトランジェのメンバーと顔合わせをした際に例えようのない不安を抱いた。
 それはトキハも同様である。知恵の働くトキハのこと、あるいはニコラス以上に強く懐疑したかも知れない。
 エトランジェを編制して兵数の不足を補おうと言うギルガメシュの意図は理解できた…が、
その裏に隠された真の狙いは、とても容認できるものではなかった。
ましてやボスのように絶対恭順であらゆる指示を受け入れる気にもなれない。

 エトランジェについては厳密な隊規は存在せず、装備も一致しない。各々が誰にも縛られることなく好きなように動き回っている。
乱暴な例え方をするならば、違う場所から連れてきた数十匹の野犬を囲いの中で放し飼いにしているようなものだった。
 隊規を周知徹底させ、規律をもとに行動する軍隊として鍛えようと言う意欲もギルガメシュの側には感じられない。
 人的・時間的な事情も絡んではいるのだろうが、ギルガメシュの兵卒として扱うつもりなど最初からなく、
捨石にすることを前提にしてこの隊を編制したのだと明瞭に見抜けた。少なくともトキハの眼にはそのように映っている。
 エトランジェ、外人部隊と言えば恰好も付くが、早い話、使い捨ての消耗品と言うわけであった。
カーキ色の軍服はおろかギルガメシュが揃いで用いる仮面すら支給されないことが一番の証拠であろう。

 一応のリーダーは定められているのだが、これがまた頼りになりそうもない。
 ハリードヴィッヒ・シュティッヒと名乗ったエトランジェのリーダーは、
上司――この場合はギルガメシュの正規軍を指すだろう――の機嫌を損ねないように注意を払いつつ、
それでいて部下にも気を遣い続けると言う典型的な中間管理職パターンなのだが、とにかく落ち着きと言うものがなかった。
 リーダーらしくエトランジェのメンバーに指示を出す際にはそれなりに威張って見せ、士気を高めようと雄弁も垂れるものの、
何か言葉を発する度に忙しなく両目を動かし、周囲の反応をいちいち確かめているのだ。
 しかも、だ。少しでも自分に敵意が向けられていると思い込んだが最後、全身から多量に発汗し始めるのである。
 これでは虚勢を張っていると公言しているようなものだった。

 そもそも肌身に感じると言う敵意は、殆どの場合がハリードヴィッヒの勝手な被害妄想なのだ。
 大体にして彼の性情が極めて脆弱であることは皆も理解しているし、
ギルガメシュ本隊の人間も含めて寄せ集めのエトランジェになど統率力を期待などしていない。
 何の権限もなく、ましてやリーダーシップに期待も寄せていないハリードヴィッヒへ怒りや憤りをぶつける意味がないのだ。
そんなことをするだけ時間の無駄とまでエトランジェのメンバーは考えている。
 何しろハリードヴィッヒと言うこの男、説法じみた雄弁を終えた後は決まってトイレに駆け込み、独りで懊悩していると言うのだ。
どうやら喋った分だけ自己嫌悪に陥るタイプのようである。
 何をそんなに追い詰められているのか知れないが、誰からも期待されていなければ、プレッシャーすら掛けられていないのに、
二十四時間、常に精神的な余裕を持ち得ない。それがハリードヴィッヒと言う男であった。
 名ばかりのリーダーとは言い得て妙だが、彼の場合、独りで勝手に重責を担っていた。誰も負わせていない筈の重荷を、だ。
 髪の毛も本来は鮮やかなブラウンなのだろうが、重荷を背負う故に痛みと老化が激しく、
本来の彩りよりも白色のラインのほうが占有する面積が遥かに大きい。
 まだまだハリードヴィッヒは四十二歳。総白髪を心配するような年齢でもない筈なのだ。

 一目見た瞬間からニコラスもトキハもハリードヴィッヒに危うさを感じてはいた。
 かつては教皇庁に属していた聖職者崩れなのだろうか、銀糸を織り上げたローブに全身を包んでいるのだが、
アイロンを掛ける習慣が全く無いらしく襟から袖に至るまで全てがヨレヨレにくたびれている。
 リーダーの立場にあり、しかもその肩書きが持つ重責を――誠に勝手ながら――担っているにも関わらず、
例えば食事の時間になると、誰かに除け者にされた訳でもないのにトイレに篭り切り、そこで弁当を広げる始末。
部下の面倒を見る前に自分ひとりで落ち着ける時間を確保しなければ、プレッシャーに押し潰されてしまう様子だ。

 初めて握手を交わしたときのことを、トキハは右手に刻まれた感触まで含めて克明に憶えている。
 グローブ越しに握手をしたニコラスは特に何も感じなかったのだが、ハリードヴィッヒの掌にはべっとりと汗が滲んでおり、
素手でこれを受ける羽目になったトキハは、右手だけ濡れ鼠になったような錯覚すら覚えた程だった。

 上下に気を配れると言う一点のみを評価し、このような男をリーダーに据えている時点でエトランジェも底が知れると言うものだ。

『俺たち下っ端には何の権限もないからこれ以上は力になれんが、本当に俺たちと手を組む気があるなら覚悟を決めないといかんぞ。
ギルガメシュは、多分、あんたらが思っているより甘くない』

 共に佐志から脱出し、ギルガメシュ本隊とのパイプ役を果たしてくれた捕虜兵たちは、
思惑持ちつつも仮面の兵団へ加わろうとするアルバトロス・カンパニーの今後(こと)を真剣に案じていたが、
彼らの心配は見事に的中してしまったと言うことだ。
 「覚悟を決めないといけない」と言う気遣わしげな声からもエトランジェの受けている扱いが窺い知れた。
 難民保護が聴いて呆れる、とニコラスは心中にて吐き捨てた。
「身柄を保障してやる代わりに労力を提供しろ」とでも言うようなギルガメシュの仕打ちに疑問を抱かない筈がなかった。

 先だってカレドヴールフの発した宣言とは明らかに矛盾する体質を持つエトランジェだが、
ボスとディアナに続いてトキハも全てを受け入れる覚悟を固めた様子だ。
 学問――彼の場合は、専攻するマクガフィン・アルケミー(特異科学)であろう――で身を立てると言う志を果たすまでは、
どのような苦境に立たされても生き延びようと言う強い意思のもと、トキハは決断を下したのである。


 自らの信念に従って行動するアルバトロス・カンパニーの仲間たちとは心情的に距離がある―――そうニコラスは感じていた。
しばしば溝に例えられるような険悪なものではないにせよ、メンタルの持ち方では明らかに一線を引いてしまっている。
それどころか、ニコラス自身は彼らに置いて行かれたような錯覚さえ抱いているのだ。

(みんなと比べたら小せぇコトだけどさ、でも、………どうしてアルを放っておけるかよ………ッ)

 今のニコラスを支配しているのは、友への…アルフレッドへの想いである。
 旅の道程で友情を育んだ“Bのエンディニオン”の仲間たちや、
思いがけず深い関わりを持つに至ったピンカートン家のことも確かに気がかりではある。
 あろうことかギルガメシュに身を投じたと知れば、ミストは必ずショックを受けるだろう。おそらくは泣かせてしまうに違いない。
 ふたつのエンディニオンは相容れないのかと心が折れかかったとき、
「何があっても仲間だ」と背中を推してくれたヒューやレイチェルを結果的には裏切ってしまった。彼らの優しさを踏み躙ってしまったのだ。
 ………他に選択肢がなかったとは言え、自分の仕出かしたことの重大さを改めて振り返り、ニコラスは思わず両手で顔面を覆った。
 誤りであったとは言わないが、さりとて正解とも思えない―――心の揺らぎに対する答えを見出せないニコラスは、
磁気が狂ってコンパスすら通用しない迷いの森を独りきりで徘徊しているようなものであった。

(オレの選んだ道は本当に正しかったのか? 誰が何と言おうとアルの近くにいてやるべきだったんじゃねぇのか―――)

 そして、ニコラスの裡に渦巻く迷いや悔恨は、アルフレッドへの想いに帰結するのである。

 エトランジェの一員となった以上、どこかの戦場でアルフレッドと対峙する可能性は飛躍的に高まったと言える。
別れ際に宣戦布告までされたのだ。敵勢の中にアルバトロス・カンパニーが混じっていると認めれば、
彼は真っ先に攻撃の矛先を向けることだろう。
 仮に戦場で相対したときには、どれだけ裏切り者と罵られようとも正面から戦うのが道理だとニコラスにもわかっている。
………理屈ではわかっているのだが、心情はそう容易く割り切れるものではない。
 絆結んだ親友へ砲門を向けるなど、ニコラスにとっては想像もしたくない悪夢だった。
例えアルフレッドが自分のことを本気で殺しに掛かるとわかっていても、親友を狙ってトリガーを引くことなど出来そうになかった。

 物思いに耽るにはベースキャンプを包む喧騒はひたすら厭わしく、ニコラスは人気のない外れへと足を向けた…が、
猥雑な声が途絶えたところで出口のない迷路を彷徨っている情況に変わりはなく、
結局、懊悩から結論にまで飛躍することは出来なかった。
 途方に暮れたニコラスは、仰いだ夜天をキャンパスにしてアルフレッドの仏頂面を思い描いた。

「おいおい、情けねぇなァ。手前ェで決めたことをウジウジ悩んでたって仕方ねぇ〜だろ。
悩んでへこたれるくらいならとっとと引き返しゃいいんだよ―――ッとに、ニコちゃんには俺サマが随いてなきゃダメダメだな」

 夜天に瞬く星と星とを空想の光線で結び、星座さながらに親友の姿を形作っては重苦しい溜め息を吐いて捨てるニコラスの背に
軽佻浮薄な冷やかしが浴びせ掛けられた。
 ニコラスの幼馴染みで、一番の親友――尤も、そう例えられる当人たちは気味悪がって悪態を吐く――が如何にも言い出しそうな、
遠慮も何もあったものではない茶化し方である。
 ところが、からかわれたニコラスはいつものように厭味でもって応戦することはなく、先ほどまでとは別の情感を含んだ溜め息を吐き、
やや間を置いてから「お前って、顔に似合わず意外と趣味悪ィよな」と後ろを振り返った。

 果たして、そこにはダイナソーの姿―――ではなくて、もう一人の親友とも言うべきトキハが苦笑いを浮かべながら屹立していた。
 彼はダイナソーの声色や口調を真似て冷やかしを飛ばしたようだが、両者と付き合いの長いニコラスが声を聞き違える筈もなく、
また、トキハ本人も自分の声真似で彼を騙せるとは思ってもいなかったようだ。
悪趣味との指摘に対し、トキハは少しも悪びれた様子を見せずに
「今のラス君を見たら、きっとサム君は同じことを言ったんじゃないかな」と平気で言い返している。

 笑いながらニコラスに向かってミネラルウォーターのボトルを放ったトキハは、
彼が右手でもってキャッチするのを見届けると、自分の分のキャップを空けた。
ふたりが口を付けたミネラルウォーターは、ギルガメシュ側から支給された数少ない物資の一つである。

「………ボスとディアナ姐さんは?」
「いつものヤツだよ。本決まりしているようなものなんだから、もう詰めるような話だってない筈なんだけど、
そこはやっぱり大人の心配性ってヤツかな」
「大人も大変だな。………オレたちお子様も、まあ、気楽ってワケじゃねぇけどさ」
「子どもには子どもなりの悩みがあるからねぇ。」

 ニコラスとトキハが話題に挙げた“いつものヤツ”とは、ボスとディアナによるギルガメシュとの交渉会議である。
 ふたりはそれぞれアルバトロス・カンパニーと家族を暴力の魔の手から護る為、
本来の業務とは掛け離れた武装集団へ身を投じたのだが、
その目的を達成するにはフィガス・テクナー全体をギルガメシュの保護下に置く必要があった。
ボスとディアナはふたりがかりでフィガス・テクナー保護の交渉をギルガメシュ側と行っているのだ。
 いくらMANAを持参しているとは雖も、所詮は個人的な嘆願の域を出ず、
最初のうちは門前払いにも近いような有様であったのだが、そこは手練手管のディアナのこと、
緩急自在の話術でもって交渉相手を巧みに揺さぶり続けた。
 自分たちの条件を受け入れてくれるのであれば、アルバトロス・カンパニーが誇る物資輸送と言うアドヴァンテージを
ギルガメシュの為だけに使っても良いと宣言したボスの援護射撃もあり、ついにはフィガス・テクナー保護を勝ち取ったのである。
 たかだか数名程度の参加に過ぎないアルバトロス・カンパニーにとっては、破格の待遇と言っても過言ではなかった。

 ニコラスとトキハは、そんな“大人”たちの事情から幾分距離を取っているが、さりとて全くの無関心ではいられない。
フィガス・テクナーは、ニコラスたち“子ども”にとっても大切なホームグラウンドなのである。
直接交渉に参加する機会は回ってこなかったものの、如何なる結論に達するのか、その経緯には注意を払ってはいた。
 それにも関わらず、どこか遠い世界の出来事のように思ってしまうのは、
“大人”たちと同じく“子ども”も“子ども”なりに悩みや葛藤を抱えていたからに他ならない。
 会社や町を保護すると言うような大規模な物ではなくとも、心の裡に秘め、生じる鬱屈に戸惑い、彷徨い、
出口を求めて懸命に足掻くことは、皆、同じなのである。

「サム君とアイルさん、今頃どこで何をしてるのかな」

 難民やギルガメシュを巡る一件に関わっているアルバトロス・カンパニーのメンバーは、ボスを含めて総計六人。
ニコラスとトキハが“大人”たちの交渉会議について話をし始めれば、残るふたりの話題に及ぶのは自明の理と言うものであろう。
 並々ならない決意を持ってアルバトロス・カンパニーを抜けたダイナソーと、そんな彼を気遣って後を追ったアイルについては、
遊離以降、何一つとして情報は入っておらず、近況を知る術もなかった。

「どこにいるかはわかんねぇけど、口ゲンカしてんのは間違いねぇだろ」
「………どうかなぁ〜。意外ともうデキちゃってたりしてね。吊橋効果みたいな感じでさ」
「それこそ有り得ねぇだろ。サムとアイルだぞ? 誰がどう見たって犬猿の仲じゃねーか。
特にサムは昔ッからアイルみたいなタイプとは相性最悪だったんだぜ」
「あくまで傾向でしょう、相性の。絶対にアイルさんがそこに当てはまるってワケじゃないからね。
男女の相性なんてさ、パズルのようには行かないもんだって。あのふたり、僕はお似合いだと思うよ?」
「お、なんだよ、なんだよ。さっきから随分と訳知り顔じゃねぇか」
「そうかな? ………ま、世の中、色々あるってコトだよ。学問の世界にも通じるね、コレ」
「色男ぶってやがんな、コイツめ。白状しろよ、苦学生め。配達先でお楽しみってか、この野郎」
「あだだ―――そんなラス君みたいな真似しないってばっ」
「オ、オレとミストのことは関係ねーだろ!?」
「ミストさんのことだなんて一言も言ってないけどね、僕」
「えっ? ………あッ! い、いや、その、オレは別に………」
「―――ちょっと、もう。絵に描いたように真っ赤になっちゃったら、見てる僕のほうが恥ずかしくなるって」

 いずれダイナソーとアイルは犬猿の仲を超えるだろうとの予測を立てたトキハの物言いが気に障ったのか、
ニコラスは飛び掛るようにして彼に組み付き、その細い首を絞めてやった。無論、からかい半分である。
聖人君子の面をしておきながら、男女の関係について知ったかぶりのような態度を取るトキハのしたり顔が、
どうにも滑稽で仕方がなかったのだ。

「………でもさ、正直なところ、びっくりしたよね、サム君には」
「ああ。………サムのくせに生意気だよな」

 大切な存在を守り抜く為とは言え、“Bのエンディニオン”で受けてきた数々の恩を忘れてギルガメシュへ寝返ることを潔しとせず、
ダイナソーはアルバトロス・カンパニーを去っていった。
 その決然たる姿は、ニコラスをしてヘタレの代名詞とまで扱き下ろされる普段の彼とは正反対。
自分ひとりでは何も出来ず、口八丁手八丁で急場を凌いできたようなダイナソーが、
仲間から受けた恩義だけは裏切れない、自分ひとりでもやってみせると大見得を切ったのだから、
古くから友人関係にあったニコラスたちにとっては驚天動地と言っても差支えがなかった。
 未だに前言を撤回して泣きついてこないところを見る限り、アイルのフォローを受けつつも上手く立ち回っているようだ。

 口に出して言うのは気恥ずかしく、おそらく本人と再会しても悪態や軽口ばかりを放り投げるだろうが、
決意と信念に基づいて行動し始めたダイナソーのことを、ニコラスは密かに見直していた。掛け値なしに大英断とも尊敬している。
 阿呆には違いないが、ダイナソーは決して愚かではない。
自分が進もうとしている道の険しさは、宣言の場に居合わせた誰よりも理解し、自覚していた筈である。
過酷を承知でアルバトロス・カンパニーと言う安全圏を離れ、
独力で立とうとするダイナソーの勇気を幼馴染みとして誇らしく思わないわけがなかった。

「サムのことを言うなら、お前だってそうじゃねぇか」
「ん? 僕が? ………何のこと?」
「信念持ってさ、地に足つけて物事を考えてる。自分の足で進んでるじゃねぇか」
「そ、そこまで大袈裟に言うようなもんでもないけどね。結局、人の恩より自分の夢を優先させちゃったわけだし、
どっちかって言うと、叱られて然るべきだと思うよ、僕は」
「ンなことねぇよ。信じた道を一直線、そんなこと出来る人間が今のご時勢に何人いることやら。
お前も、みんなも、………ホントにすげぇって思うよ、オレ」
「ラス君………―――」

 学者として大成することを人生の最大目標に掲げ、その為にはどのような犠牲も厭わないと言う気骨がトキハからは感じられる。
 彼自身が苦々しく話した通り、ダイナソーの行動とは相容れない部分も確かにあることはあるのだが、
トキハ・ウキザネと言うひとりの人間が芯に宿した信念を批難し、否定することなど誰に出来ると言うのか。
あくまでも夢を追い求めると選択した彼もまた正しいのである。
 それは、ほんの瑣末なことにも迷ってしまう自分には到底真似のできないことであるとニコラスは捉えており、
だからこそ同年代でありながら勇気ある英断を下せるダイナソーやトキハが眩しく思えるのだ。

「―――ラス君はさ、何の為にここまでやって来たんだい? 危険を冒してまでさ」
「それは、お前。………言わなくてたって、わかるだろ?」
「わかっているよ、勿論。でもね、キミの口から聞かせて欲しいんだ。多分、それがラス君にとって一番良いことだと思うから」
「………………………」

 問われたところで未だに結論を見出せていないニコラスは、どうしても曖昧な返事しか用意できず、
ついには眉間に皺を寄せて押し黙るしかなくなってしまった。
 トキハはニコラス自身が己の目的と信念を言明すべきだと促すが、どうやらそれも誘い水にはならなかった様子である。

(―――オレは本当にどうすればいいんだろうな………)

 佐志にて囚われていた捕虜を救出して共に逃げ遂せたのは、偏に暴走を続けるアルフレッドに目を覚まして欲しいと考えたからだ。
見せしめの処刑などと言う汚れた所業を、断じて親友にさせるわけには行かないとも思っていた。
 だが、結果はどうであったか。自分までもが彼を裏切る形となり、余計に暴走へ拍車を掛けただけではないのか。
目を覚まさせるどころか、更なる絶望感で親友を痛めつけてしまったのではないか―――
そのような負い目を胸の内に宿しているニコラスには、アルフレッドを救いたいと欲する己の行動を信念と呼ぶことが出来なかった。
 裏切り者の分際で親友を救いたいと考えること自体がおこがましく、そのような資格など持ち合わせていないとまで彼は思い詰めていた。

 ニコラスが返答に詰まった様子を見て取ったトキハは、「ホント、ニコちゃんは間抜けで腑抜けだねェ」と
再びダイナソーの声真似を始めた。

「オレ様たちゃもう後戻りできねー場所にいるんだぜ。頭下げにでも戻るってのか? そんなことしてみろ、首落とされんのがオチだぜ。
なんかもう、お前ってば恋する乙女みたくアルに夢見ちまってるけど、今のあいつならそれくらい平気でやっちまうぞ」

 特徴を捉えたダイナソーの真似は、声質こそ似ていないものの、腹立たしい言い回しに至るまで絶妙に再現されている。

「不本意ながら、小生もデーヴィスと同意見だ。ヴィントミューレ殿の決意は確かに高潔だが、それ以上に危うく、無謀だ。
第一、今のライアン殿にそこもとの声が届くようには思えん。そのような相手と向かい合って、何を見出すと言うのだ」

 今度はアイルだ。さすがに女性の真似には無理があり、裏声もかなり苦しそうだが、
それでもアイルの声真似を通してトキハが言わんとしている意図は伝わった。

「そうやって頭ごなしに押さえつけンじゃないよ。ラスにはラスの考えがあるンだからね。
………けど、いいかい、ラス。みんなの心配を受け止めてやンなきゃダメだよ? あンたが選ぼうとしているのは、つまりそう言う道なンだ」

 ディアナの声真似は輪をかけて苦しかった。
 酒の力を借りない限り、ドスの利いた声や凄みとは無縁な場所に立つ優等生のトキハだけに
ディアナ独特の言い回しを真似したところで、どうしても重みを欠いてしまうのだ。
 話している内容はともかくとして、やはり軽薄な印象は否めない。

「それでも決意は変わらないと言うのなら、引き留めはすまい。私はお前の帰る場所を、皆と守る。それだけだよ」

 声真似の順がボスの番に回ってきたことでようやくトキハも声質が落ち着いたのだが、
大柄な体躯から発せられる野太い声を再現できているとは言い難く、
無理やり声を低くしていた弊害で話を終えた直後に激しく噎せ返ってしまった。

「自分に何が出来るかまではわからないけど―――それでも決着をつけたいんだよね、ラス君は」

 ―――このようにアルバトロス・カンパニー各人の声真似を披露していったトキハは、
最後に誰の真似でもなく自分自身の言葉でニコラスへと語りかけた。

「残念だけど、ラス君の手伝いは出来ない。今、アル君に捕まったら、おそらく本当に首を落とされるかも知れないからね。
本音を言えば、ラス君にもそんなムチャはして欲しくない。僕らとずっと一緒にいて欲しいよ」
「トキハ、オレは………」
「でも、僕はラス君を応援する。誰かがラス君を止めようとするなら、そのときは僕が壁になって跳ね返してみせる」
「………………………」
「これでもキミの親友のつもり…なんだからさ。僕に出来ることなら何だってやるよ」
「………トキハ………ッ」

 辛口の批評家に聞かれようものなら下手糞とまで貶められるレベルの声真似に鼓舞と手がかりを織り交ぜ、
そっと背中を押してくれたトキハを、この頼りがいのある親友を、ニコラスは感謝を込めて抱き締めた。
 トキハもまたニコラスの真意を悟ったらしく、彼の背を二度、三度と優しく叩いてやった。
 決して上手くはないが、各人の特徴を的確に捉えており、また言葉選びも声真似の対象の性格を見事に再現していた。
だからこそ、ニコラスの胸に大きく、強く響いたのだ。

(決着―――そうだ、オレは決着を………ッ!)

 復讐の妄念に取り憑かれて暴走を繰り返すアルフレッドと、これを助長してしまったであろう自分の過ちに決着をつける―――
トキハから受け取ったヒントをもとに自分の為すべきことを見出したニコラスは、親友を抱き締めつつ、今一度、夜天を仰いだ。
 群青色のキャンパスへ思い描いたのは、アルフレッドの横顔ではなく追いかけるべき背中であった。

 星空へ浮かぶアルフレッドの背に決着を誓うニコラスの双眸には、誰にも揺るがし難い強い信念が宿っていた。







「熱中するのは良いけど、根を詰めすぎるのは肌にも体にも悪いわよ。程ほどで切り上げなさいね」

 夜更かしを注意されてテーブルから顔を上げたミストは、そこに苦笑いを浮かべる母の顔を見つけ、
手元にあった原稿用紙を照れ臭そうに隠した。
 カーテン越しに窓の外を窺えば、すっかり夜の帳が落ちている…と言うよりも、
そもそも日没云々を論じるような時間帯ではない。時計の針は既に日付を跨いでいた。
 てっきり夕方を少し過ぎた程度と思い込んでいたミストは、
想定を大きく上回る時間の進み方に目を見開き、次いで盛大に腹を鳴らした。
 真夜中であると認識した途端に腹の虫が動き出したのだろう。
ミストは両手でもってヘソのあたりを押さえるが、当然ながら内側から聞こえてくる虫の声には抑止の効果は及ばず、
彼女の羞恥心を煽り立てるように、再び盛大な音が鳴り響いた。
 真っ赤になって俯く娘の頭上へコンビニのビニール袋を置いたレイチェルは、
「丁度良かったわ。今夜は一家団欒ね」と悪戯っぽく笑いかけた。

 娘の性格をよく理解(わか)っているレイチェルには、行動パターンに至るまで全てお見通しであったようだ。
原稿用紙が片付けられたテーブルの上には、ビニール袋から取り出された弁当とほうじ茶のボトルがそれぞれ三つずつ置かれている。

「自分の娘に何言ってんだ。夜更かしして肌が荒れるのは、てめーみてーなババアだけだっつ〜の。
ぴっちぴちのマイドーターがそんな風になるかっ―――とごぉッ!?」

 レイチェルから受け取った弁当を電子レンジで温め、物のついでに吐いた軽口への報復で喉仏を抉られたのは、
ピンカートン家の大黒柱であるヒューである。
 アルフレッドとの会議を終え、レイチェルと連れ立って帰宅したヒューだったが、
その直後に首のド真ん中へチョップを突き立てられて悶絶し、
更には首根っこを掴まれて住居の外へと放り出されるところであった。
 掴まれたのが首根っこだったのは、ヒューにとってはむしろ僥倖と言えよう。
万一、パイナップルの枝のような形に束ねた長髪を握られていたなら、
おそらくは屋外へ放り出される前に何度となく地面に叩き付けられ、
顔面をココナッツの表皮と同じ色にされていた筈である。
 ミストが止めに入ったことで星空の下へ野ざらしにされる末路は回避されたものの、
口を滑らせたヒューの自業自得だと断じるには、レイチェルのお仕置きはあまりにも過激であった。
 万事に於いて控えめなミストには些か刺激が強すぎる気もするのだが、
ふたりの愛娘は殊更口元を引き攣らせるようなこともなく、困り顔で苦笑いを漏らすのみ。
極めてヴァイオレンスな夫婦のスキンシップは、どうやらピンカートン家では日常茶飯事のようだ。

「若ぇうちは寝なくてもへっちゃらなんだよな。もう遠い昔の話だよなぁ、俺っちらにとっちゃ」
「あたしとあんたを一緒にしないでくれる? あたしはまだまだ全然よ。三日間くらい寝なくたって平気ね」
「夜な夜なすっげぇ形相(かお)でパックしてるヤツが、それを言うんかい!」
「び、美容とは無関係でしょうがっ!」
「そ、そうですよっ! お母さんの肌はどんなときも綺麗ですっ。玉子みたいにつるつるですしっ!」
「―――おめーなァ、娘に余計な気ぃ遣わせてんじゃねーよ。親にお世辞言わなきゃなんねぇ娘の気持ちを考えてみろ」
「お、お世辞を言ったんじゃありませんっ! 本当にお母さんの肌、綺麗なんですから!」
「いいんだ、いいんだぜ、ミスト。もう素直になっていいんだ。
それにな、母さんの肌が玉子みてーにテカテカしてんのはな、夜中にテレビ見ながら脂っこいもん食ってるからなんだよ」
「―――なッ!? あ、あんた! それは秘密だって言ったじゃないッ!」
「うるっさいわぁ! やってることがババァ丸出しのおめーが若さを語ってんじゃねぇやい!」
「………さすがにそれはお肌と言うか、身体に悪いと思います」
「………い、言われた! 娘に言われてしまった………っ!」
「―――ま、おめーはこんな風に不摂生な人間になっちゃいけねぇってハナシだよ、ミスト。
遊ぶときは遊んで、休むときは休む。何事もケジメをつけねぇとな。
なんで母さんが肌をテッカテカにしてると思う? お前はそいつをちゃんと見極めてやれ」
「そうでしたかっ! お母さんは私に悪いお手本を見せようと体を張って………」
「いや、ただのババァの自堕落だよ。あれだけは絶対に真似すんな。後戻り出来なくなっからよ、人として」
「せっかくミストが良い話でまとめてくれてんだから、空気読みなさいよ、あんたァッ!!」

 首を強打される地獄突きにも慣れきっているのか、ケロッとした顔で復活したヒューから弁当を受け取ったミストは、
母に続いて父からも向けられた注意に「すみません、これから気をつけます」と頭を下げた。
 それまでの間に母親としての威厳が著しく失墜し、
娘にまで遠回しに年齢を考えるよう促されたレイチェルが膝から崩れ落ちたのは、言うまでもない。

 現在、ピンカートン家が住まいとしているのは、守孝と源八郎が主導して佐志の居住区画へ新たに作られた仮設住宅の一戸である。
 ピンカートン家のようにグリーニャからの避難者やマコシカの疎開者たちは、
2LDKと言う間取りで身を寄せ合って暮らしているのである。
 下宿、間借りと言う形で佐志の民家へ迎えられる人間も居ることは居るのだが、
だからと言って全員を収容できるわけではないし、プライバシーなど生活空間を共有する上でのデリケートな問題もある。
 そうした住まいの問題を解決する為に立ち上がったのが、佐志で一番の大工と名高い源八郎であった。
 屋根だけは一続きである為、感覚としてはアパートや長屋の暮らしに近いが、
限られた物資を源八郎は工夫を重ねて有効活用し、佐志へ移ってきた人々が安心して暮らせる住環境を整えていったのだ。
 源八郎の尽力が実り、佐志への移住者から住まいに関する不満が上がることはなかった。

 割り当てられた限定的な土地に対し、大勢を収容せねばならないと言う制約上、
さすがにマンションのような造りとは行かず、玄関を開けるとすぐ横手にキッチンがあり、
リビングとダイニングの境目も厳密ではなかった。せいぜいふたつの部屋がカーテンで仕切られている程度だ。
 どの部屋にいても、玄関が開けば誰かが入ってきたと一目で判る空間と言うわけだ…が、
それにも関わらず、ミストは両親の帰宅に気付けなかった。無論、忍び足で入ってきたと言うことでもない。
一心不乱となるあまり、人の気配は言うに及ばず周囲の物音さえ拾うことが出来なくなっていたのだ。
 文字通り、時間が経つのも忘れて鉛筆を走らせていたのである。

「んじゃ、とっとと食うか。あんまり遅くなると、またババァの顔がテッカテカになっちまうしな」
「いちいち人のことからかって! 覚えときなさいよ、あんたっ!」
「まあまあ、お父さんもお母さんも。ご飯は楽しく頂きましょう」

 ヒューが音頭を取り、ピンカートン家は少し遅い夕食に手を付けた。
 何の変哲もない団欒の風景であるが、実は一家揃って食事を摂ること自体、佐志へ疎開するまでは珍しかった。
 何しろヒューは引く手数多の名探偵。ジューダス・ローブとのイタチごっこも含めて
普段から世界各地を慌ただしく飛び回っており、殆どマコシカの集落には居着かなかった。
 名探偵の活躍を求める依頼主たちが居着く余裕を与えてくれなかった―――と、
一家の大黒柱としてのプライドを守る為に付け加えておこう。
 余暇を割いて帰ってきても、滞在できるのはせいぜい数日程度。
その間にも次なる仕事の前準備で忙しく――加えてレイチェルから家事を言い渡されるので――、
家族サービスも満足に出来ないような状況が続いていた。
 奇しくも今回の疎開によって一家が佐志へ集まることとなり、必然的に全員が顔を揃える時間も増えていったのだ。
 これほどゆっくりと団欒の時間を過ごせるのは、ピンカートン一家にとっても殆ど初めてに近い。
エンディニオンが未曾有の混乱に包まれている中ではあるものの、一家は思いがけない幸せに恵まれたのである。
 情勢が激動する現在(いま)だからこそ、ささやかな幸せを大切にすべきだと尊重する声はあれども、
これを不謹慎だと非難する人間は何処にもいないだろう。
 ヒューもレイチェルも、ギルガメシュとの戦いを控える身ではあるが、家族みんなで過ごす幸せな時間を手放すつもりは微塵もない。

 佐志への疎開は、ピンカートン家の団欒だけには留まらず、マコシカの民全体へ大きな変化をもたらしていた。
 他の町と交わって暮らす以上、マコシカの集落に居た頃のように外界の文化と不干渉でいるわけにも行かない。郷に入れば郷に従え、と言うことである。
 食生活の変化は特に著しかった。ピンカートン家の食卓を見てもわかるように、
マコシカの民の暮らしとは全く縁がなかった飲食物も買い求めるようになっている。
 秘境とも言うべき集落で暮らしていた数週間前までは想像もできない食生活であろう。
 食卓の変化を皮切りに、外界との交流は日増しに盛んになっていった。
 ゲンキンと言うか何というか、人間、順応してしまえば染まるのも早いもので、
ミストの友人であるミルクシスルに至っては、好奇心が高じてアイドルグループにどっぷりハマりこんでしまい、
佐志在住の同志(ファン)の家に転がり込んでは、過去に録り貯めたビデオを観て熱狂する始末だ。
 放送機材の大破に加えてルナゲイトが占領されている現状では、
件のアイドルたちが出演するような番組は放送再開の目処すら立っていない。
それまではビデオや写真集で乾きを満たすようである。
 同じ事務所のアイドルへ密かに熱を上げていたレイチェルは、ここぞとばかりにミルクシスルを抱え込み、
自分たち――またの名をアイドルオタク――の地位の向上を画策した。
 以前から中継役となってアイドルのCDや写真集をレイチェルに渡していたヒューであったが、
さすがにこの運動には面食らい、「いくらなんでも羽目外し過ぎだ、ババァ!」と呆れ返ったものだ。
 ライブビデオの映像に合わせ、ペンライトの代わりに包丁を振り回す愛妻を目の当たりにすれば、
おそらく殆どの旦那さんが同じ反応をすることだろう。
 とうとうミストにまで「趣味は趣味で良いと思うのですが、もう少しだけ落ち着いて貰いたいです」と諫められてしまい、
自らの醜態を恥じてのたうち回ったのだが、これは余談の域。


 外界との干渉については、マコシカの民ではないヒューをレイチェルの夫として迎え入れるなど前例は確かにある。
ソニエを弟子に取ってプロキシの極意を授けるなど、酋長自ら積極的に外界との交流を推し進めても来た。
 だが、ここまで大規模かつ深く異文化と溶け込む機会は、有史以来、初めてと言っても良い。
 マコシカの歴史を紐説けば、伝承の守人たる使命を全うすべく外界との接触を忌避してきた事実もあり、
このような形で異文化が流入することは、本来ならば歓迎せざるものなのだ。
 今も集落に残ってマコシカの秘宝を守り続ける最長老が佐志と交わって生じた変化を目にしようものなら、
ヤカンの如く怒りの蒸気を上げるに違いない。
 年齢を重ねると、それに比例して歴史を遵守しようとする思いも強まるものである。
それだけ歴史から多くを学んだと言うことだ。
 だが、レイチェルたち若い世代は、これからも生き続けなければならない。
戦いの果てに生きて残り、故郷へ帰還することまで想いを馳せれば、今は古代民族の矜持にこだわってもいられなかった。

 無論、レイチェルたちの間でイシュタルへの信仰心が薄らぎ、自戒の念が緩んだと言うわけではない。
地上を見捨てたも同然のイシュタルに対して憎悪を抱く者は誰一人としていなかった。
試練と解釈して自分を奮い立たせることはあっても、だ。
 この程度の試練(こと)で信仰心が揺らぐほどマコシカの歴史は浅くはないのである。
 異文化と交わり、変わりゆく中にあっても彼らはイシュタルへの感謝と信仰を絶やすことはなかった。

 外界に染まりながらも古代民族としての生き方を崩さずに保っている同胞たちに対し、
ホゥリーは、「せっかくコンサバティブなプレイスからアウトしたんだし、もっとエンジョイしたらグッドなのに。
どこまでゴーしてもクソ真面目だネ、チミたちは」などと減らず口を叩いていたが、
マコシカの民族衣装へ身を包みながらもスナック菓子を頬張る彼の天衣無縫が他の面々を刺激し、
外界との接触を促進させた部分も少なからずあった。
 一つの奇特な先例が、マコシカの民にとって外の世界を覗く為の窓となったのだ。

 ミストもまた変わりゆくひとりであった―――と言っても、彼女の場合は少しばかり勝手が異なる。
彼女の中で明確な変化が認められたのは、嗜好ではなく行動だった。
 エンディニオンを取り巻く情勢の急激な変化を、戦々恐々とする大人たちの姿を通じて敏感に察知した子どもたちは、
佐志も、グリーニャも、マコシカの民も問わず、みな一様に不安そうな表情を浮かべている。
 中には怯える仲間を励まそうと敢えて明るく振る舞う少年もいたが、彼の努力が全体へ波及するには時間が掛かりそうである。
 この痛ましい情景を目の当たりにしてショックを受けたミストは、何としてでも子どもたちを励まし、
本来は笑いが弾けているべき満面から全ての憂いを取り除こうと一念発起。
ほんの一時の安らぎかも知れないが、その間だけでも戦争の不安から解き放ってあげたい―――
その願いを込めて子どもたちの為に童話を書き始めたのだ。

 元来、読書好きではあるものの、文章に関してはズブの素人。
小説の真似事さえしたことがなく、筆を付けた当初は悪戦苦闘、試行錯誤の連続で全く書き進めることが出来ない有様だった。
 話を聞きつけたフィーナが手伝いへ入るようになって初めてスタートラインに立てたミストは、
この心優しい親友へ相談する中で閃いたアイディアを叩き台にし、まずは一章を目標に物語を創り始めたのである。
 それからは毎日毎日、寝ても醒めても原稿、原稿の連続で、
過剰に熱が入り過ぎると先ほどのように周りで起きていることさえ見失ってしまうと言うわけだ。

 ズブの素人なりに、一日中、原稿用紙と睨めっこをしているミストであったが、
未完成の作品を読まれるのが気恥ずかしいのだろうか、両親には頑なに内容を話そうとはしなかった。
両親が間近にいるときは原稿を隠すと言う徹底振りだ。
 好奇心を刺激されたヒューは探偵のスキルをフルに発揮して盗み見を画策したものの、
結局、レイチェルに見つかって「娘のプライバシーを侵害するな!」と大目玉を食らってしまい、
それ以降はなるべく興味を抱かないよう努めている。

「今はどの辺まで進んでるんだ? ずっと書きまくってんだから、そろそろ終わりが見えてくるんじゃのーの?」
「どうでしょう? 私も初めての挑戦ですし、今の自分がどのあたりに居るのかも全然わからないんですよ。
五合目まで登ってきた気もしますし、まだ二合目のあたりをぐるぐる回っているのかも知れません」
「これでラブコメだったら、お父さん、マジで泣くからな。どうせアレだろ、主人公はバイクの配達野郎なんだろ?」
「似ても似つかないですよ。そもそもラブコメを子どもに読ませてどうするんですか。
子どもたちに楽しんで貰わなきゃ作る意味がありません」
「―――ちぇっ、相変わらずガードが固ェぜ、マイドーターは。俺っちに似て利発だってのが、せめてもの慰みってもんよ」
「あんたは常時ガード下がりっぱなしでしょうが。この間、洗濯物のズボンからいかがわしい店のマッチが出てきたわよ。
………ああ、コレは初めて言うのだけど、その件でお話がありマスから。後で覚悟しときなさいよ」
「………念の為に言っとくけどよ、ズボンのポケットにそーゆーモンを隠し持つようなキャラクターは作んねぇほうがいいぜ。
ちとリアル過ぎて、読んだヤツは絶対に引くから」
「だから、子ども向けだって言っているじゃないですか。それよりお父さんは自分のことを心配するほうが先決だと思います」

 ヒューはたまに思い出したように筆の進み具合や内容を問いかけているが、その都度、上手い具合にはぐらかされてお終いだった。

「結局、アレだろ、アレなんだろ。馬の骨がモデルのキャラがよ、サッサカサーとかっつって、こう向こうから走ってくるわけだよ。
そんで、ミストをモデルにしたヒロインと出会い頭にぶつかっちゃってさ。そこから始まるキックオフみてーな話なんだろ。
お父さん、それはちょっと関心しませんっ!」
「いつの時代の少女コミックですか。子どもたちどころか、私の友達にも通じないかもです」
「そ〜よ、あんたの趣味は古いのよ。ミストの年齢、考えてあげなさいよね」
「素知らぬ顔して、何でミストの味方に回ってんだ、ババァ! お前が持ってる少女マンガとおんなじだろうがッ!」

 ことあるごとにニコラスの名前を持ち出すあたり、むしろヒューは愛娘と馬の骨がどれだけ親密なのかを探っているようにも思える。
 父の意図に気付いたミストもこれにはさすがに困ってしまい、
見るに見兼ねたレイチェルがヒューの頭へ拳骨を振り落とすまでの暫時、眉をハの字に曲げながら俯き続けていた。


「………ラスくん、今頃、何をしているんでしょうか………」

 夕食を済ませ、空の弁当箱とボトルを片付けていたミストが、ぽつりとそんなことを漏らした。
にわかにニコラスのことが話題に挙がったことで、彼の安否を殊更意識するようになったのかも知れない。
正確には、心の奥に秘めていた感情(もの)が、先ほどの会話がきっかけとなって表に出た―――と言うべきか。
 ヒューには面白くない話であろうが、ニコラスがどこで何をしているか、今も無事でいるのかは、
ミストにとって童話の執筆に勝るとも劣らない関心事であり、常に心の中心に所在するものだった。
 ダイナソーとアイルを除くアルバトロス・カンパニーのメンバーがギルガメシュへ身を投じたことは、
既に彼女の耳にも入っていた。
 その報せを聴かされた直後は、さすがに言葉を詰まらせたものの、
すぐに気を取り直し、「ラスくんや皆さんにも事情があるのですから、私には何も言えません。
皆さんのご無事をお祈りするだけです」とニコラスたちの決断を受け入れた。
 いつか、どこかで、また会える―――自分たちの間に結ばれた絆を信じようと頭で納得してはいるのだが、
感情の部分は、そう上手い具合には行かない。何かの拍子に不安で揺らいでしまうのだ。

「どこで何してたって別に構わねぇだろ―――」

 娘の気持ちを知ってか知らずか、“馬の骨”に対するヒューの物言いは、またしてもぶっきらぼう。
このままヒューに喋らせておくとミストを傷つけかねないと判断したレイチェルは、
彼の口封じを念頭に置いては拳骨を構えたのだが、どうやらそれは杞憂だったようだ。

「―――アホ面下げて戻ってきたら、尻の一つでも蹴り上げてやりゃあいいんだよ。
落とし前ってのは、そんなもんさ。そんなもんでいいんだぜ」

 蹴りを入れるとは些か乱暴だが、アルバトロス・カンパニーが自分たちのもとへ帰ってきたときには、
気兼ねのない仲間として出迎えてやればいいのだとヒューは言っているのだ。
 違うエンディニオンの生まれだの、敵性だのと論じるまでもない。
現在(いま)も変わらずニコラスたちは大切な仲間なのだ。

「たまにはあんたもイイこと、言うじゃない。あんまりバカなことをほざくようなら
三日くらい椅子に座れないようにしてやろうと思ってたわ」
「よーし、お前は馬の骨どもが帰ってきても何もすんなよ。
尾てい骨ブッ壊し宣言するような豪傑がしゃしゃり出てみろ、ケツ以外のもんまで台無しにされちまうぜ」
「バカ言わないで! ケツ蹴り上げんのはあんただけよ!」
「おっ、そうか、俺っちだけの特権ってヤツ? ………なんて言うと、色っぽく聞こえなくもねぇけどよ。
やっぱり豪傑に変わりはねぇわな。ミストは可愛いミストでいてくれよ」
「お父さん、ちょっと言い過ぎです。お母さんが力持ちで助かっているんですよ。
重たい荷物を運ぶときだってお母さんがいてくれるから平気なんです」
「………いいの、いいのよ。ミストの役に立っているんだもの。お母さん、豪傑ってことに誇りを持ってるわ………」
「いえ、あの、私は別にお母さんをそんな風に見ているつもりはっ」
「だから、おめー、ミストに要らん気を遣わすなって言ってるだろ。だったら、やることは一つだ。
『あたしは脳味噌までマッスルで出来た筋肉ダルマです。好きな食べ物はプロテインとダンベルです』と言いなさいッ! 
認めて楽になりなさいッ! おらおら、ミストにまだ気ぃ遣わす気かぁッ!?」
「………とりあえずミストには、筋肉の有効な使い方を見せてあげるわね。
これからお父さんがどうなってしまうか、よく観察して頂戴な」

 拳骨こそ免れたものの、結局、尻に爪先がめり込んで悶絶するヒューはともかく―――
意見そのものはレイチェルも夫と全く同じであった。
今でこそ別々の場所、別々の立場に身を置いているが、いずれ道は交わると信じている。
 そして、それはアルバトロス・カンパニーのみには限らない。
ミストとニコラスが絆を育み、今もこうして互いを想い合っているのと同じように、
いつか必ずふたつのエンディニオンは交わることをレイチェルは微塵も疑わなかった。

「ラスくん………皆さん―――」

 ニコラスたちアルバトロス・カンパニーの無事を願い、ミストは女神イシュタルへ祈りを捧げた。
 これまで何度となく捧げている祈りだが、大切な人の無事を願う真心は、
気難しい――と言うか、面倒くさがりに見えるのだが――イシュタルとてきっと汲んでくれることだろう。

 深く祈りに集中するミストの様子を暫く見守っていたヒューだったが、
傍らのレイチェルへ目配せをすると、娘の邪魔をしないよう音も立てずにドアを開いた。
 傍目には何のことだかわからない一瞬の目配せであったが、
妻であるレイチェルはその意味するところを把握し、理解している。

 日付変更線を超えるような深夜ではあるが、彼にはまだやるべきことがあった。
 夜天の下へと出かけていく夫の背中を、レイチェルは気遣わしげに見送った。




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