6.もうひとつのサミット



 ゼラール軍団がギルガメシュの武器庫――本来はルナゲイト所有なのだが――を征圧してから早半月の経過を見ているが、
その間、テムグ・テングリ群狼領とギルガメシュの攻防は、なおも一進一退を繰り返すばかりで、決定的に形勢が傾くことはなかった。
 目に見える変化と言えば、ルナゲイト奪還の布石を打つべくギルガメシュの各拠点を陥落(おと)して回っていた大小の部隊が
小競り合いをカムフラージュにして本隊へ帰着しつつあることだろう。グドゥーを決戦場と想定したブンカンの采配である。
征圧した拠点には最小限の見張りを残すのみに留め、投入し得る限りの戦力を砂漠での決戦に回そうと言う算段だった。
 幸いにしてギルガメシュの側から各隊の帰陣を妨害する工作は行われなかったものの、
ブンカンも、また献策を受けるエルンストも、敵の軍師がテムグ・テングリ群狼領の動きを読みきっているのを前提にして策を練り、
兵を動かしている為、今のところは油断も手抜かりも見られない。
それどころか、最大級の警戒心を抱いて戦略(こと)に当たってさえいた。

 両軍がグドゥーへ布陣するまでには小規模な局地戦しか起こらず、表立って戦況に動きもないだろう―――
誰しもがそう予測をしていたのだが、しかし、時間の経過が必ずしも無為に終わるとは限らない。
一見するといたずらに過ぎているような時間でしか生み出せない効果も確実に存在するのだ。
 小競り合いの長期化は、決戦へ至るまでに時間的なゆとりを発生させた。
 無論、兵の死傷や戦費の支出など現実的な問題がダイレクトに絡む為、
大局を俯瞰する場合に於いての見立てとなるが、ブンカンは軍師としての判断からこの時間的猶予を最大限に活用し、
対ギルガメシュの同盟工作を一気に推進させた。
 歩調を合わせるようにメアズ・レイグによる煽動も更に加速し、同盟網への参加を渋っていた人々を衝き動かした。
 テムグ・テングリ群狼領か、ギルガメシュか―――
エンディニオン諸勢力の旗幟が大凡鮮明になったと認めたエルンストは、対ギルガメシュ同盟者のトップを本陣に招き、
グドゥーでの決戦に向けて本格的な軍議を開いた。
 規模こそ大きくないが、もうひとつのサミットとも言うべき会合である。

 佐志を離れ、ルナゲイト家の総帥と言う肩書きへ復したジョゼフのもとにも同盟参加を促す特使が遣わされた。
 自らの牙城を占領されたジョゼフとしては、この誘いを断る理由もない。即答を以て参画を表明。
彼もまた同盟者の一員としてテムグ・テングリ群狼領の本陣へと招かれた次第である。
 今度の一件についてルナゲイトが掴んでいる範囲の情報の提供や、戦費の供出などジョゼフには多くのことが期待されているが、
中でも特に重要視されているのは、何と言っても彼の持つ『新聞王』の肩書きであろう。
 “Bのエンディニオン”の権威を象徴する新聞王が対ギルガメシュの同盟へ参画した事実そのものが最強の広告塔となり、
全軍の士気を大いに昂揚させるのだ。

 確かに世界最大の権力とまで畏怖される新聞王が参戦したと聞けば、同盟に加わった者たちが奮い立つのは間違いなかろうが、
翻せば、ルナゲイトの新聞王がテムグ・テングリ群狼領の傘下に入ったとの印象を全世界に与えかねず、
その一点をラトクは懸念していた。
ギルガメシュ打破後の勢力図をも見越した上で、ブンカン辺りがしたたかな計略を張り巡らせたのではないか、と。
 似ても焼いても食えぬブンカンのこと、全く有り得ないとは言い切れないが、当のジョゼフはラトクの懸念を黙殺し、
エージェントの中から特に優れた者を二百名ばかり選抜して小隊を編制。テムグ・テングリ群狼領の本陣へと馳せ参じた。
 ジョゼフ自らが選抜に当たった隊の構成員は、誰もが新聞王の為に喜んで命を捨てるような忠義心厚い者ばかりである。
戦場に立とうものなら、銃弾に晒されることも恐れず勇猛果敢に敵陣へ飛び込んでいくだろう。
ジョゼフから評価を得られる形で戦死することは、彼らにとっては何にも勝る喜びだった。
 遺族への手厚い保障もジョゼフは約束してくれている。後に遺す者たちの為にも新聞王へ命を捧げようと言うのだ。
 数こそ二百と少ないものの、狂喜しながら命を捨てる者たちが敵勢に与えるプレッシャーは計り知れない程に大きい。
 住まう世界は違っていても、ギルガメシュも同じ人間ではあるのだ。
同じ人間である以上、手ずから編制した部隊が敵の心理へ動転をもたらすとジョゼフは確信していた。
末端の兵隊が神経に異常を来すことは、即ち戦局の転変をも意味している。
 あらゆる事態を想定したジョゼフは、万が一にも苦戦となった場合に形勢逆転を可能とする特大爆弾を
馬軍の本陣へと運び込んだようなものだった。


 二百名の選抜隊に囲まれながら本陣に入ったジョゼフは、なおも最悪の事態を懸念するラトクを
「おヌシにとっては死活問題じゃな。ワシが落ちぶれようものならメシを食うのも一苦労じゃ。
今のうちにリクルートへ精を出すことじゃな」などと笑い飛ばした。
 先代の基盤と遺産を継承し、御家騒動をも勝ち抜いて全軍に自らの力量を示したとは言え、
老練なジョゼフから見ればエルンストなどは若造に過ぎなかった。
 若く勢いもあり、油断のならない相手ではあるが、実際に正面から対決する事態となった場合には
さほど苦戦もせずに潰せるだろう―――自分より格下の相手と言う意識が強かった。
 大部隊を向こうに回すことになるが、内側から崩壊させる手立てなどジョゼフは何千通りと習熟している。

 少なくとも、この会合へ足を運ぶまではエルンストを真の脅威とは見なしていなかった…が、
軍議の席に居並ぶ面々を見回した瞬間、ジョゼフは若き馬軍の覇者に対する評価を改めざるを得なかった。
 対ギルガメシュの同盟による首脳会談には、夥しい人数の同盟者たちが犇めき合っていた。
その殆どが、各地の有力者、名士ないしは高い戦闘力を持った集団のトップである。
よくよく目を凝らせば、アウトローやギャングのボスまでもが混ざっているではないか。
 とても“若造”風情に演出できる光景ではない。

(………小僧っ子と思うておったが、なかなかどうして、やりおるわい。これはワシも気を引き締めねばならんな)

 ほんの短期間の内に大規模な同盟工作を完成させたエルンストと、彼に従うテムグ・テングリ群狼領には、
さしものジョゼフも感服するしかなかった。
 四方八方を警戒しながら強張った表情を見る限り、護衛としてジョゼフに付き従うラトクも盟主と全く同意見の様子だ。

 ジョゼフの到着に気付いたデュガリとザムシードは、テムグ・テングリ群狼領にとって最大の政敵であるルナゲイトの新聞王を
「これはよくぞお運び頂きました。この度は我らの誘いに応じて頂き、恐悦至極に存じます」と恭しく出迎えた。
平身低頭の上、満面に笑顔を貼り付けて、だ。
 応じるジョゼフも好々爺然とした笑みを浮かべ、盟主に倣う恰好で表情を切り替えたラトクに至っては
タレント業で披露するジョークをも挿みながらテムグ・テングリが誇る両将と挨拶を交わしている。
 このように表面上は和やかな談笑に見えるのだが、言うまでもなく四人の本心は別にある。
顔を合わせているのは、いずれエンディニオンの覇権を争う政敵同士。
お互いに目障りでしかなく、許されることならばこの場で抹殺したいとしか思わない存在なのだ。
 そのように激しい敵愾心を抱いていることを双方ともに承知している為、彼らの間で交わされるやり取りは驚くほど白々しく、
例えばザムシードを相手にラトクが言った「御先代の弟君も今は御屋形様に任せて正解だった安心しているでしょう。
しかも、その兄上をご自分の股肱の臣であったザムシードさんが支えているのですから。
いやはや、ザムシードさんの器量にも、御屋形様の度量にも、わたくし感服する次第でありますよ」なるお世辞は、
相手を持ち上げるどころか皮肉な響きしか印象に残らないほどだった。

 ギルガメシュの手から奪還したルナゲイトの武器庫に関しては、誰ひとりとして触れようとはしなかった。
ブンカンが睨んだ通り、ルナゲイトの所有であることが表沙汰になるのは新聞王としても望むところではないらしい。
 武器庫を蛻の殻にされようともジョゼフは批難を呈することもできず、
せいぜいラトクが「十八番の騎馬をもってすれば、さぞかしコソ泥もし易いでしょうね。
………おっと、誇り高き馬軍のお歴々には無用な話でしたな」と遠まわしに厭味を発した程度である。

「いつまで小芝居しているつもりなんだ。どうせならここで斬り合いでもすればいいんじゃないか? 
欲に目が眩んで正義を見失う人間など消えてしまえ!」

 化かし合いとも言うべき様子を滑稽に思ったのか、どこからともなく辛辣な罵声が飛ばされたものの、
当てこすりを受けた当人たちは、下賎な言葉には耳を貸さぬとでも言いたげに無反応を貫いている。


 カジャム、ブンカンを伴ってエルンストが軍議の場へ姿を現したのは、
ジョゼフが罵声を発した者の正体を群像の中に認め、次いで汚物でも見るような侮蔑の眼差しを送った直後であった。
 席次争いなどの諍いを回避する措置として軍議の場には円卓が組まれ、
中心には同盟発案者の責任として議長の任を受け持つエルンストが座した。
 着座後に先ず行われたのは、参集した諸勢力の自己紹介である…が、なにしろ数百を超える人間が一堂に会している為、
全員が名乗りを終えるまでに一時間以上を費やすこととなった。

(愚の骨頂じゃな。目が眩んでおるのは、果たしてどちらの側か、それすら見失っておるわい)

 テムグ・テングリ群狼領の本陣へ参集した人間の中には、見知った顔も多い。
中には視線を送ってくる者――罵声を浴びせてきた人間などは冷たい殺意を含めている――もいたが、
ジョゼフはそれらを全て無視した。
 「なかなか手ひどく嫌われたようですね。こう言った場合、パラッシュならどうご機嫌取りをするのでしょうか」と
半笑いで耳打ちしてくるラトクを含めて、ジョゼフには一切相手をするつもりはない。

「テムグ・テングリの戦略はあまりにも手温いッ! いちいち遅すぎるッ! 
細々と部隊を動かしているだけなのだッ! 後手に回るのは必定ではないかッ!? 
これでは敵に舞踊を披露しているようなものだッ! 芸を見せて飼い主に餌を乞うペットのようになッ!! 
………それともエルンスト殿は臆病風にでも吹かれたか? ギルガメシュに餌でも乞うおつもりかァッ!?」

 自己紹介が終わった途端、議長の進行を待たず激烈な声が上がった。
テムグ・テングリ群狼領のやり方を手温いとする批難の罵声である。

 名指しで臆病呼ばわりされたエルンストであったが、特に気にした風でもなく、
涼しげな表情を浮かべながら軍議の動静を見守っている。
 六十分を超える自己紹介の間、エルンストは手慰みに銀や鋼を用いて何やら細工を拵えていたのだが、
今もその作業は継続中。『軍議を見守る』と言っても、手作業の片手間に様子を窺う程度であった。
実質的に議事進行はデュガリが代理している。

 議長の任を受け持った立場としては些か無責任だが、これがエルンストの性分なのだ。
興味の無いものには目も向けないほど無関心で、逆に興味の対象には執着に等しい関心を寄せる。
 そんな彼が罵声に対して抗弁する意思を見せないと言うことは、わざわざ意識を向けるまでもないと考えたのだろう。
 カジャムとビアルタはエルンストを臆病呼ばわりした相手に血走った目を向けたが、
いかに不躾とは言え、“御屋形様”が気に留めていない以上、
代理とばかりに家臣が騒ぎ立てるわけにもいかず、腰に吊した鞘へと手を掛けたまま動くに動けない。
 年長者らしい達観でもってカジャムら血の気の多い将兵を諌めたデュガリは、
短慮こそ身を滅ぼす災いの種と説き、エルンストとて臨まないだろう喧々諤々たる空気を見事収めて見せた。
 年長の古強者の口から「短慮は身を滅ぼす。今まさに私が短慮を働いて後悔しそうになった」と語られたことが
大きな効果を発揮したらしく、罵声の主に対する敵意は一先ず鎮まった。

 デュガリとしては短慮の危うさを説くことによって、不用意かつ不躾な言葉を発した声の主を戒めようとする意図もあったのだが、
向こうに回したテムグ・テングリ群狼領諸将を腕組みしたまま睨み据える人間相手にどれほどの反省を促せたかは定かではない。

「………フンッ!!」

 大仰に鼻を鳴らして見せたのは、息巻く者どもを押さえんとする威嚇ではなく傍観を決め込むエルンストに対しての挑発だったのだが、
彼が全く乗って来ないのを認めるや、もともとひん曲がっていたへの字口をより険しく歪める。
 反省など持っての外。罵声の主は、機会が許すならエルンストと一戦交えようと望んでいたフシさえ見受けられた。

 テムグ・テングリ群狼領の本陣で、しかも何人もの将兵の前でエルンストを痛罵するなど自殺行為に等しいのだが、
罵声の主は、およそ常人には計り知れぬほど頑強な胆力を備えているようだ。
 円卓の中心に座したエルンストを睨み据えるその人物とは、
ヴィクドの支配者にして荒くれの傭兵部隊を率いる“提督”、アルカーク・マスターソンである。
 「ヴィクドの提督ここに在り」と主張すべく生来の大言壮語でもってテムグ・テングリ群狼領の将兵を挑発したアルカークだが、
エンディニオン最強と謳われる猛者たちを前にして、
また、彼らの怒気をぶつけられても全く動じた素振を見せない豪胆は天晴れと誉めるしかない。

 運命の十二月八日―――ギルガメシュの仮面兵団に襲撃されたサミットの日、
マユの手引きによってヴィクドへと無事に逃げ遂せたアルカークは、
帰還するなり傭兵部隊を結集して防衛を固め、ギルガメシュより差し向けられた軍勢を尽く殲滅、
討ち取った将兵の亡骸を見せしめとしてヴィクドの郊外にて磔にし、そのまま雨風に打たれるのに任せて放置した。
 ギルガメシュに対する宣戦布告と、ヴィクドの陥落は有り得ないとの挑発を同時に為したのである。

 激怒したギルガメシュは返り討ちにされた兵士たちの亡骸を奪還すべくヴィクドの郊外へ新手を進めたのだが、
これを見越したアルカークの待ち伏せに遭い、無慈悲なる十字架の数を何十、何百と増やす結果に終わってしまった。
 敗者に対するアルカークの措置は寒気が走るくらい徹底しており、亡骸を磔にする役割を捕虜にしたギルガメシュ兵に強要し、
これに逆らった者には、十字架へ四肢を打ち付けられることさえ優しく感じる残酷な末路を与えた。
 つまり、刎ねた首を大木の枝から吊り下げて――――――

 およそ人道からかけ離れた所業は、断じて正義とは言えないものの、
荒くれ揃いの傭兵たちから“提督”とまで畏怖されるアルカークならではの恐怖的な采配は、
ギルガメシュにとってテムグ・テングリ群狼領に比肩する脅威となっていた。

 そして、アルカークや傭兵部隊が専守に満足していられるわけもない。
郊外へ林立する十字架の数が数百を数える頃、アルカークは反撃に転じるべくついにヴィクドを出陣した。
 後詰に一兵も置かず、半ばヴィクドを破却した形での出陣だが、いくら血気に逸るアルカークとて玉砕覚悟で攻めに動いたのではない。
 志を同じくするテムグ・テングリ群狼領と同盟を結ぶことにより、戦局を確実に覆せるだけの算段を立てようと彼は画策していた。
 折から参集を誘いかけていたテムグ・テングリ群狼領にとってヴィクド側の申し入れは喜びこそすれ拒否する理由はなく、
つい先日、仮設されたこの本陣にて正式な同盟が締結されたばかりであった。

 平時ではテムグ・テングリ群狼領とヴィクドが同盟を結ぶことなど考えただけで身の毛がよだつ恐怖であり、
エンディニオン侵略が加速度的に増すものとして恐れられてきたが、今はそのときではない。
今は有事である。それもエンディニオン史上最悪の有事である。
 平時における最大の懸念が有事における最大の頼みへ逆転するとは、なんとも皮肉な話だが、
最大勢力の二つが一丸となって共通の大敵に臨まんとする様はまさしく勇往邁進。
 征圧の危機に瀕した人々にとって、今やかつての恐怖の対象こそが縋るべき唯一の希望だった。

「貴方にとっては気の利いた言い回しだったのかも知れないが、全く笑えませんね。
敵に舞踊を見せる? 餌を乞う? 場を和ませるジョークなら、もっと砕けたものをお願いしたかったものですよ」
「言葉通りに受け取られるとは慮外………英雄殿はいささか頭が固いようですな。
品行方正なフェイ殿は口にしたことも無いだろうが、世の中には皮肉と言う言葉遊びがあるのだよ。
大人のオママゴトにこそ、この言葉遊びはお似合いだ」
「残念ながら、玩ぶだけの語彙を貴方は持ち合わせてはいないようですね。
こちらこそ心外でしたよ。皮肉にぶつけた皮肉を言葉通りに受け取られるなんてね」
「………何ィ?」
「僕らは世界的な危機に際して集ったんだ。言わば、正義と解放の同志だ。
皮肉や牽制で言葉遊びをしている場合ですか? この緊急事態に? 
一軍を率いる身の貴方には、もっと合理的に物事を考えて欲しかったですよ」
「この………言わせておけば、若造めが………」
「お二人とも落ち着いてください。今度の戦いは足並みを揃えて団結するのが必勝の鍵です。
作戦開始前から仲違いをしているようでは、このブンカンの知恵を持ってしても戦略が立ちません」
「………………………」
「………………………」

 テムグ・テングリ群狼領の幸運はヴィクドとの同盟には留まらなかった。
不倶戴天の敵同士として反目し合い、この期に及んでも手を結ぶ可能性が無いものと考えられていたフェイが
ギルガメシュへの怒りに燃える義勇兵を引き連れて仮設の本営へ駆けつけたのである。

 セント・カノンでアルフレッドらと決裂し、………焼け野原と化したグリーニャを確認した後、
フェイたちは寒村を中心に各地を経巡ってギルガメシュを追い散らす解放運動に力を注いでいた。
 異世界の勢力であるギルガメシュは、こちらの世界に轟くフェイ・ブランドール・カスケイドの雷名など知る由もなく、
彼らにとって旧式の武器たるツヴァイハンダーを振るうフェイを侮っていたのだが、
この油断が仇となっていくつもの部隊を撃破され、グリーニャ規模の小さな町村が暴力による支配から解放されていった。
 『英雄』の脅威をギルガメシュが認識する頃には、フェイの雄姿に触発された人々が義勇兵となって決起し始め、
その解放運動は瞬く間にエンディニオン各地に伝播。対ギルガメシュのレジスタンス活動にまで発展していったのだ。
 暴力には決して屈しないと言う気概を支配下の人々に持たれるのはギルガメシュにとって大いに厄介だ。
お世辞にも有機的・組織的とは言えない解放運動の横行に憤慨したカレドヴールフは
主導者たるフェイの首を引き抜いて持ってくるよう命じたと言う。

 竜殺し、英雄剣士、解放の礎―――数々の名声を成した誉れ貴き勇者であり、
思想の違いから味方に付くとは誰も思っていなかったフェイが対ギルガメシュ戦列に加わったことで
同盟者の士気は大いに高まったが―――

「あくまで僕は、僕の正義に基づいて戦うつもりです。その為にここへ来た。
暴力による支配の悪夢を断ち切り、エンディニオンを在るべき地平に解放するのが僕の正義だ。
ギルガメシュなる組織が潰えた先に、なおもエンディニオンが侵略の悪夢に憑かれていたなら、
僕は正義の同志と共に再び起ちます。………時代の歯車は動き始めたんだ。
悲劇の次に訪れた奇跡は、エンディニオンへ侵略者に抗う為の力を与えたのですよ」

 ―――同盟締結を宣言する際、エルンストを始めとするテムグ・テングリ群狼領の将兵を見回したフェイは、
あくまでも共通の大敵を打倒する為の一時的な共同戦線であって、これまでの侵略行為を是としたわけではないこと、
侵略行為を是とする理念を許しがたく思っていることを厳しく言いつけ、
決して仲間になったと誤解しないようにと釘を刺した。
 エンディニオンに害を成さんとする動きが見られるなら、同盟を破却する構えがあると付け加えた。
侵略行為に対する決着は、ギルガメシュ打倒後に必ずつけるとも。

 アルカークが同席したのを確認した上で露骨に言いつけるあたり、
ヴィクドの郊外で彼が行なった残忍な所業にも相当の怒りを覚えているようだ。
 ある意味において敵中であるにも関わらず、フェイは正義の遵守を訴え続けた。

「さすがは英雄殿ですな、私のように狭量な者とは器が違う。故郷を焼かれたと言うのに平然とされておられるわ」

 暗にヴィクドを批判されたことへ苛立ちを隠さないアルカークは、報復と呼べるほど上等なものではないが、
フェイの心へ深い痕を刻んでいるだろう先のグリーニャ焼討ちの件を取り上げ、
またしても挑発的な言葉でやり返した。

「お気遣いは痛み入りますが、個人の心情などこの際、関係ありません。
身内の犠牲は確かに悲しく思いますが、だからと言って世界平和と天秤にはかけられない」
「………ほう?」
「僕はグリーニャのような犠牲者をこれ以上出したくないし、故郷を焼き払ったテロリストたちには必ず償いをさせます。
その為に僕がしなければならないのは、喪に服すことでなく、悲劇の連鎖を断ち切ることです。
暴力による侵略を断固として阻止し、虐げられる人たちの解放へ尽力するのが僕に―――
生き残った者に与えられた使命であり義務だ」
「………………………」
「生き残った者の義務を果たしたとき、初めて僕はグリーニャの為に花を買えると思っています」

 多くの人命が奪われ、また、地図上から村が一つ抹消されるほどの事件を子供じみた仕返しの材料にするとは
非常識以外の何物でもなく、口論に無関心なエルンスト以外の同席者が思い切り顔を引き攣らせるが、
当のフェイが見せる反応は不気味なくらい薄い。
 グリーニャの焼亡など取るに足らない事件の一つであるとでも言いたいのか、
不謹慎な挑発を「世界的に見ればもっと多くの犠牲者が出ている」と正論一つで片付け、
予想外の成り行きに憮然とするアルカークを一瞥することさえ無かった。

 いかにも英雄らしい、毅然とした態度である。
 荒くれ者の長とも言うべきアルカークを正論一つでねじ伏せるなど並の人間には出来ないと賞賛の拍手を送る者も現れた。
 この状況はアルカークにとっては屈辱以外の何物でもなかろう。てっきり席を蹴って退出するかと思われたのだが、
意外にも当人は冷静な佇まい。激昂するどころか、フェイと舌戦を交える以前よりも落ち着いているようにさえ見える。
 何を思ったのかは知れないが、自分のことを言い負かしたフェイの面を、
アルカークは口の端を微かに歪めながらまじまじと観察していた。

(………………………)

 奇妙な冷静さを見せるアルカークとは反対に、口論に勝った筈のフェイは心穏やかではなかった。
 アルカークの挑発や、舐るような眼差しへ不快感を持ったと言うわけではない。
円卓の中央から向けられるもう一つの視線がどうにも癪に障るのだ。

(………一体、何のつもりなんだ? 僕を疑っているのか………?)

 視線の主は、エルンストだ。エルンストから静かな眼差しで見つめられていた。
 ちょうどアルカークからグリーニャ焼討ちを引用した挑発が投げかけられた直後から、
エルンストはフェイを静かに見つめていた。

 侵略者の誹謗を受ける馬軍の長とは思えない澄み切った瞳だった。
 思えば、彼の瞳がどのような表情を見せるのか、まともに確認したのは今日が初めてである。
前回の邂逅のときには、殆ど相手にもされなかったのだ。
 侵略者らしく薄汚れ、野心でギラついているものとばかり考えていたのに、エルンストの瞳には一片の曇りも無い。
野心ではなく理想と決意が宿った瞳であった。
 悪党には絶対に宿らない輝きをエルンストは瞳の内に称えていた。
 侵略の行為は別として、エルンストが野心よりも理想の高い人物であることは、
正義を唱えるフェイにとっては歓迎すべき筋運びと言えよう。
理知を持つ相手と言うことは、共に手を携える可能性も見いだせる筈である。

(………この男は………僕とグリーニャの―――)

 ………だが、澄み切ったエルンストの瞳へ映る自分の姿が、どういうわけかフェイの神経を逆撫でするのだ。
 まるで心の奥底に埋めたドス黒い影までも見透かされているようで―――。

「この場にアルがおらぬことが悔やまれるわい。あれを見れば、一発で夢から覚めるであろうにな」

 フェイの心根を見透かしているのかどうなのか、義勇軍から解放の砦とまで崇められる英雄に対し、
ジョゼフは汚物を見るような眼差しを浴びせ続けている。存在自体を下らないものと宣告するような冷蔑とも言えよう。
 不思議なのは、明らかにフェイが変調を来しているにも関わらず、傍らに控えたソニエとケロイド・ジュースが
彼を気遣うどころか、何のフォローも入れないことである。
このような場合、ふたりは必ず叱咤激励を以てフェイを奮い立たせていた。いつだってそうしてフェイを支えてきたのだ。
 今は、ただ言葉もなく俯くばかり。支える手も、声すらもフェイには届けられなかった。

「やはり、グリーニャで起こした一悶着が尾を引いているようですな」
「………うむ」

 三人の間に垂れ込める重苦しい沈黙を分析したラトクの耳打ちへジョゼフは無言で頷く。
 ラトクはフェイチームの動向を細微に渡って調べ上げているようだ。
おそらく、佐志の情勢についても完全に把握しているに違いない。
そして、その報告は必然的にジョゼフの耳にも入っている。
 場を弁えたのか、具体的な内容までは口に出さなかったものの、
明るさが最大の取り柄と言っても良いソニエとケロイド・ジュースが押し黙っていることからも
チームにとって深刻な事態が訪れたのは明白だった。

「………どの口が正義をほざくのじゃ、あのペテン師めが………」

 憔悴しきった様子の孫娘を気遣わしげに見つめるジョゼフの呟きには、昏い怨嗟が滲んでいる。

(―――………? あやつは、一体………)

 そのとき、ジョゼフの視界が不可解な情景を捉えた。
 先ほどまでフェイと陰湿な舌戦を展開していたアルカークが、まるで値踏みでもするかのように口論の相手を眺めているではないか。
 ジョゼフから向けられる怪訝な視線にアルカークのほうも感付いたようで、
遊びを邪魔された子どものように不機嫌な表情(かお)を作ると、鼻を鳴らしつつフェイから視線を逸らした。
 何の意図があってフェイの様子をつぶさに観察していたかは判然としないものの、
アルカークは口元に薄い笑みを浮かべており、そのことがジョゼフには妙に引っ掛かっている。
 只ならぬ気配と言っても良い…が、元よりフェイのことなど塵芥のように見なしているジョゼフである。
不可解と思いこそすれフェイに警告を促すつもりもなかった。

「………それで進発はいつになるのかね、軍師殿? 決戦場を定めた以上は一刻も早く現地へ入り、地盤を固めるべきかと存ずるが?」

 フェイに対する凝視をジョゼフに気付かれて決まりが悪いのか、
取り繕うように軍議の進行を求めたアルカークは、次いでグドゥー地方への出発時期をブンカンへ尋ねる。

 テムグ・テングリ群狼領としても、一刻も早くグドゥー出撃の途へ着きたいのは山々だが、現実問題はそう易々とは行かない。
 決戦場を岩石砂漠に定めたとは言え、グドゥーの内紛を取り鎮めたと言う新支配者の去就が不透明な以上は
迂闊に現地入りが出来ないのだ。
合戦の最中、連合軍の劣勢につけ込んだ新支配者がギルガメシュに味方することになれば最悪である。
 可能であれば連合軍の加勢に、最悪の場合でもギルガメシュに寝返らないよう確約を取り付けておかなくては、
危なくてグドゥーの地へ足など踏み入れられない。
 自ら王を僭称する新支配者には既に特使を派遣している。交渉に結果が出るまで待って欲しいとブンカンはアルカークに答えた。

 フェイ率いる義勇軍やアルカークの傭兵部隊とは別行動で対ギルガメシュ戦線を張り巡らせている各地のレジスタンスからも
エルンストは続々と参画の申し出を受けていた。
 義勇軍やヴィクドの傭兵部隊、ましてテムグ・テングリ群狼領の騎馬軍と比べれば規模が小さいものの、
その全てが一つに結集されれば、侮れない勢力に膨れ上がる。
 参画を渋る勢力もあるが、これについてもエルンストは特使を放って説得を試みていた。

 それともう一つ―――ルナゲイト征圧の際にシュガーレイの率いる一部隊を無残にも虐殺され、
ギルガメシュに対して深い遺恨を抱いているだろうスカッド・フリーダムにもエルンストは同盟参画を働きかけていた。
 タイガーバズーカと言う町を根拠地とするスカッド・フリーダムは、各隊員が達人クラスの戦闘力を有する武術家集団でもある。
彼らを自軍へ引き入れることに成功すれば、戦力は大幅に跳ね上がり、確実にギルガメシュを圧することが出来る。
 ルナゲイトでの殉職者は両手では数え切れず、またシュガーレイも未だ生死不明だと言う。
スカッド・フリーダムが同盟へ参戦する条件は完全に整っているかに見えた…が、
どうやら彼らは合戦へ人員を割くよりも警察機関としての使命を優先させるつもりのようである。
 ドモヴォーイが調べたところによれば、混乱に乗じて悪事を働くアウトローやギャング団の取締りへ注力する動きを見せており、
両軍の戦いには一先ず傍観者の立場となりそうだった。
 貴重な戦力を確保すべく、エルンストも手を変え品を変えて揺さぶりを掛けているのだが、
スカッド・フリーダムの本部は頑として首を縦には振らなかった。
 本来の警察機関であるシェリフが無用の長物と化している以上、秩序の維持にはスカッド・フリーダムが不可欠であり、
であればこそ、彼らは自分たちの全うすべき使命へ驀進するのだろう。

「スカッド・フリーダムの参戦を望めない以上、やはりグドゥーの去就を見極めるのが肝要でしょうな。
必勝の軍勢が完成されるまでは動くべきではないかと存じます」

 エルンストの意思と各勢力の状況を酌んだデュガリが最後にそう締め括り、アルカークとフェイも納得して頷いた。
 スカッド・フリーダムが矜持の如く自らに課した使命は、やはりエンディニオンにとって欠くべからざるものなのだ。

「それもあるが―――」

 そう言ってエルンストが口を挟んだのは、デュガリが説明を済ませた直後のことである。
 意思表示の大半をデュガリへ委託しているエルンストにしては珍しくかなり大きな声を上げたのだが、
今まで発言のタイミングを計っていたのではなく、どうやら胸中に留めておくべき思案を反射的に口に出してしまった様子で、
諸将から一斉に向けられた視線へ「………すまん、こちらの話だ」と歯切れ悪く言い淀んだ。
 口をへの字に曲げて瞑目してしまったあたり、エルンスト本人にも思いがけないことだったのだろう。
感情を表に出すことの少ないエルンストであるが、このときばかりは頬へ羞恥の色が差していた。

 エルンストが心中にて何を思案し、何を期していたのかを見抜いたカジャムは、喉を鳴らしながら頬を掻いた。

「この際だから佐志にも特使を遣わしては? あそこにはまだ声を掛けてはいなかった筈」

 カジャムから出された思いがけない提案にエルンストは思わず「むっ…」と唸った。
 悪戯っぽくウィンクを披露するカジャムを見て露骨に目が泳いだあたり、彼女に図星を指されたようだ。
 図星と言っても、エルンストは佐志の参戦を殊更歓迎しているのではない。
そもそも、海運の要衝である佐志が余所へ兵を差し向けて戦力を減じることは、
この軍議に於いても懸念事項の一つに数えられていた。
同盟網への参陣どころか、本拠地にて徹底的に防御を固め、ギルガメシュの侵略を跳ね返して貰っていたほうが好都合なのである。
 佐志の戦闘能力がギルガメシュの水兵を上回ることは、先だって発生した迎撃戦でも立証されている。
 急襲を受けた佐志が見事な陽動作戦でもってギルガメシュを退けたと報せを受けたエルンストは、
迎撃戦の指揮を執ったのがアルフレッドだと聴いた途端、誰に聞かせるでもなくひとり拍手をしたものだ。

 ………つまりは、そう言うことである。
 現在、佐志に与しているアルフレッドを手元に置き、ギルガメシュとの戦いに軍師として投入することを
エルンストは密かに考えていたのだ。
 無論、デュガリもその思案に気付いてはいた…が、自制を促すべくあえて諸将相手には代弁しないでおいたのである。
 デュガリから寄せられた無言の諫言を受け入れ、エルンストも戦の趨勢より自分の趣味を優先させてはならないと
一旦は自重を決めたのだが、カジャムに本音を言い当てられたことで抑えていた欲求が堰を切ってしまい、
とうとうブンカンに自らの口で佐志への特使派遣を命じるに至った。
 その声は完全に昂揚しており、戦略的に旨味がないと理論武装でもって否定することさえ難しくなっている。
強引に却下するのを憚ってしまうほどにエルンストの双眸は喜色に輝いていた。

「………では、そのように」

 デュガリとビアルタは立て続けの咳払いで批難してくるが、こうなってはブンカンとしてもエルンストの意を汲むよりほかない。
 戦略の中枢たる軍師とは言え―――否、軍師であればこそ、“御屋形様”がどれほど理不尽な決定を下しても
恭順して従うしかないのだ。軍師たる者、隊の規律を乱す行動は慎まなければならない。
 尤も、軍師としての矜持と納得し難い命令への頭痛とは全く切り離して考えてもよかろう。

「………在野に埋もれさすには惜しいのだよ、アルフレッドは。あの才覚、存分に生かしてやりたいものだ」

アルフレッド参画の実現する可能性が急速に高まった途端、エルンストは玩具を前にした子供のように瞳を煌かせたのだが、
しかし、そこに映りこんだフェイの表情(かお)は、弟分の名前を聴いた瞬間に苦々しく歪んだ。
 瞳に宿る昂揚の煌きが眩しくなればなるほど、フェイに差す陰は滑稽なくらい鮮明に浮かび上がった。
 英雄にあるまじき醜態を晒すフェイへやりきれない思いがあるのだろう、ソニエは血が滲むほどに強く唇を噛んでいる。

「私が言うのはおこがましいのですが、さすがに潮時ではありませんかね? 
今ならソニエお嬢様も会長の説得を素直に聞いてくれるでしょう」

 古くから良く知るソニエを痛ましく思ったのか、ラトクはそれとなくジョゼフに彼女の救済を促してみたが、
今度も何ら答えは返って来なかった。軽口めいた今までの耳打ちとは意味も重みも違うのだが、
ジョゼフは相槌さえ打つことがなかった。
 むっつりと押し黙るジョゼフの視線は、先ほどと同じくフェイの変調を愉しんでいる様子のアルカークへ向かっていた。


 ジョゼフの目が別の人物へと転じたのは、ブンカンが幔幕の隙間へ手招きをしてからだった。
 諸将の座する円卓からは窺うことのできない死角へブンカンは何者か待機させていたようだが、
手招きに応じて軍議の場へ姿を現した人物を認めた瞬間、ジョゼフは驚きに目を見開いた。
 見覚えがある…どころの話ではない。
軍議の場に現れたのは、フィガス・テクナーにてアルフレッドやアルバトロス・カンパニーと激論を交わした相手だった。
そのときに話し合われた議題は、サミットやこの軍議と同様に“ふたつのエンディニオン”についてである。

「さて御一同、紹介が遅くなりました。こちらにお迎えしたのは、ギルガメシュ討伐の包囲網にとって掛け替えのない賓客。
我らと異なる世界より訪れた人々の代表として、この正義の戦に加わったと言っても過言ではありません。
―――教皇庁で神官職を務めておられる、ゲレル・クインシー・ヴァリニャーノさんです」

 瞠目するジョゼフを尻目に対ギルガメシュ同盟の軍議へ新たに加わったのは、ゲレル・クインシー・ヴァリニャーノであった。
 彼女が背負う肩書きは、額にて輝くサークレットが証明している。
“Aのエンディニオン”に於けるイシュタル信仰の統括者…『教皇庁』の神官にのみ着用が許されるサークレットが。

「ラトクよ、おヌシは―――」
「特定の対象ならいざ知らず、テムグ・テングリに出入りしている人間全てを調査するのは、さすがに不可能です。
標的を見失ったと言うのならお叱りはご尤もですが、命令以上の成果を注文するのは調査員にも酷でしょう。
その上、ブラックリストにも載っていない人間となると特定しようがありません」
「そうか、………むぅ………」

 ゲレル…いや、クインシーがこのような場に姿を見せるとは、さしもの新聞王も予想だにしていなかった様子だ。
脇に控えたラトクへ情報把握の是非を諮るものの、如何に有能なエージェントと雖もノーマークの人間まで所在を確認している筈がない。
 新聞王ジョゼフも、彼の片腕として多種多様な情報を収集しているエージェントたちも、
何時、彼女がフィガス・テクナーを離れ、テムグ・テングリ群狼領へ潜り込んだのか、全くその足取りを掴んではいなかった。

 件のミーティングの折に信仰の形態やプロキシの是非を巡って口論になり、挙句の果てに一触即発の緊張状態にまで発展したソニエも、
まさかその相手がテムグ・テングリ群狼領と結託しているなどとは思いも寄らぬことで、
祖父と同じように口を開け広げてクインシーを出迎えた。
 誰もが予想していなかったクインシーの登場であるが、彼女の目的云々を探るよりも
ソニエが短慮に走って軍議を破綻させやしないかのほうが、ケロイド・ジュースには気掛かりであった。
意外と血の気が多いソニエのこと、クインシーが挑発的な態度を見せようものなら、いつかの続きを強行するに違いない。
 下手に刺激を加えないようそれとなく様子を窺うケロイド・ジュースだったが、
どうやら現在(いま)のソニエは闘争心よりも驚きのほうが勝っており、この場で第二ラウンド開戦とはならないように思える。
 ………依然としてフェイは恐ろしい形相を作ったまま遠い彼方を見つめている。
おそらく彼の双眸はクインシーが軍議へ加わったことすら認識していないだろう。
周囲の状況を正常に確認できるような瞳の色ではない。


 ブンカンはクインシーを紹介するにあたって彼女が所属する教皇庁についても掻い摘んで説明した。
曰く、マコシカの民の如く創造女神イシュタルに仕える立場にある。
そして、教皇庁の規模は異なる世界―――“Aのエンディニオン”全土に及ぶものである、と。
 “Aのエンディニオン”のイシュタル信仰を統べるほどの大組織であるとブンカンが付け加えたとき、議場中にどよめきが起こった。
 些か恣意的な解釈ではあるものの、マスメディアと信仰を置き換えれば、
“Aのエンディニオン”の教皇庁とは、“Bのエンディニオン”に於けるルナゲイト家に相当する組織とも言えるのではないか。
 しかも、だ。ふたつの世界で共有するイシュタルへの信仰を統べると言うことは、女神の名のもとに活動する教皇庁は、
あるいは“Aのエンディニオン”の人間にとってはルナゲイト以上の権威を帯びているのかも知れない―――
ギルガメシュが庇護の対象に定めた“Aのエンディニオン”の“難民”が“Bのエンディニオン”主導の軍議に加わったことも含めて、
教皇庁の存在は諸将の動揺を誘うには十分な威力があった。

「―――正気か、エルンスト殿!? こやつは敵の同胞ではないかッ!!」

 どよめきで済めば良いほうで、“Aのエンディニオン”の人間が軍議の場に立ち入ったと知ったアルカークは、
鋭い鉤爪となっている左の義手でもって円卓を激しく叩くなど過剰としか言いようのない拒絶反応を見せている。
 ギルガメシュが難民と定め、庇護の対象としている“Aのエンディニオン”の人々を口汚くインベーダーとまで呼び捨てるアルカークには、
クインシーと同じ空気を吸うことさえ耐え難いのだろう。
 それまでフェイの様子を愉しげに観察していたアルカークであったが、クインシーの身分を知るなり表情を急変させ、
血走った眼でエルンストとクインシーを交互に睨めつけた。

 作業の手を止め、静かにアルカークを見据えたエルンストはともかく、クインシーのほうは双眸に闘争心を漲らせている。
サミットにてアルカークが“Aのエンディニオン”を「得体の知れない異種民族」と極めて差別的に扱ったことは、
クインシーも周知しているようだ。
 「誰が敵で、誰が味方かも見極められないような阿呆が一端の口を叩くんじゃないよ」とすぐさまに反論の口火を切った。

「これこそ慮外ッ! オレは敵などとっくに見極めているッ! 貴様らを根絶やしにせねばエンディニオンの平穏は有り得んのだッ!」
「別世界の人間に理解(わか)って貰えるなんて思っちゃいなかったけどね、ハナッから! 
いいかい? 教皇庁って言うのはね、あんたが思ってる以上に根深いんだよ、こっちの世界では! 
教皇庁を敵に回すってことは―――例えば、回転寿司でねぇ、どうしても食いたかったネタを隣の客に奪(と)られんのとおんなじなのさねッ! 
そんで更に『あ〜、コレ、なんか微妙だったな。百円損したよ』ってゲロマズな顔で言われるって言うッ!」
「例え話が意味不明だがッ!? 食いたい寿司ネタくらい頼めばいいだろうにッ! 店員に声を掛けるか、座席のマイクで注文するかッ!」
「物分りの悪いオヤジだねぇ、単細胞丸出しの顔の分際でぇッ! あんた、アレだろ、ネタとシャリを剥がして別々に食うタイプだろッ!?」
「バカを言うなッ! ネタとシャリのハーモニーを無視する愚か者はみな敵だッ!!」
「さぁ、そこに行き着いたッ! あんたがその鉤爪を教皇庁に向けてみな!? ネタとシャリが別方向にブッ飛ぶだろうよッ!」
「なァにィッ!?」
「ふたつのエンディニオンで殺し合いをするってことなんだよッ! あんたの好きな殺し合いだッ!
………泥沼の全面戦争でもおっ始(ぱじ)めようってのかいッ!? そこにあんたの言う平穏なんかあるものかいッ!」

 左の鉤爪を振り翳して威嚇するアルカークだが、対するクインシーはサークレットを指差しながらこれに真正面から挑んでいく。

「捻じ曲がった根性で得体が知れないだの、根絶やしだのと煽り立てちゃいるけど、本当にそんなことが出来ると思ってんのかい? 
テムグ・テングリの色男があたしにチャンスをくれたってことがどう言うことか、それもあんたにはわからないのかね?」
「得体の知れない貴様の吹聴に恐れをなした―――それだけだッ! そうとしか見えんわッ! 夜の闇に子どもが怯えるようになッ!」
「賢い証拠じゃあないか! あんたの言う通り、あたしは得体の知れないババァだよ! 
教皇庁がどうのとか、こっちの世界の人間相手にピーチクパーチクやったってフツーは信じちゃ貰えない! 
アンタとケンカする前から自覚(わか)っているさ! なのに、この色男はあたしを仲間として扱ってくれたんだッ!」
「―――フン、お涙頂戴自慢か? マコシカの酋長と良い、お馬の大将と良い、お人好しが多いな。
だから付け入られるのだッ! そのうちに教皇庁推薦とか言う壷でも買わされるんではないかッ!?」
「テムグ・テングリ推薦の飼い葉ってのがあるなら、あたしが買い占めたって良いよ! それであたしらの絆が深まるならね!」
「深めてどうなるッ!? 貴様こそ、そこまでして殺し合いをしたいのか!? あの仮面の兵隊は貴様らの同族であろうッ!?」
「同族!? ちゃんちゃらおかしいねッ! ギルガメシュは何としても潰さなければならない連中なんだよッ! 
あんた好みに言うなら、根絶やしにするのが必然なのさッ!!」
「………貴様は………」
「そろそろ色眼鏡を外さないかい、鉤爪のオッサン。あたしらは同志なのさ―――味方につけて損はないよ、教皇庁は。
ギルガメシュと戦う為にも。戦いに勝った後の為にも」

 ―――つまりは、そう言うことである。
 ギルガメシュへ味方すると言うアルバトロス・カンパニーに絶縁を言い渡してフィガス・テクナーを出たクインシーは、
単身で各地を経巡った末、テムグ・テングリ群狼領の対ギルガメシュ同盟網を聞きつけ、大胆にも本陣へ直接乗り込んだのだ。
 ギルガメシュ打倒の機運に乗り遅れまいとする気概とも言えよう。
 “Bのエンディニオン”で自由に動ける教皇庁の神官は自分だけであると判断したとは言え、
下手を打てば敵のスパイと見なされて処刑される危険性も高い。それを承知でクインシーはエルンストの懐へと飛び込み、
ついに軍議へ賓客として招かれるだけの信頼を勝ち得た次第であった。
 教皇庁を代表して物申す―――上層部(うえ)の判断に依らず、自らの意思で電撃的に行動し、
あまつさえ“虎穴”へ足を踏み入れると言う肝の据わり方を他ならぬエルンストが買ったのだ。
 “Aのエンディニオン”の出身と言う彼女の素性を慮った場合、アルカークほど極端な偏見を持たずとも警戒して然るべきだが、
ここまでの度胸を示されては素直に脱帽し、敬服せざるを得ない。
 心技体を兼ね備えた強き者を賞賛する気風のテムグ・テングリ群狼領にとって、クインシーの行動力は一際輝かしく映った。

 舌鋒鋭いクインシーを見つめるエルンストの眼差しは、アルフレッドやイーライに向けたものと全く同じである。
 その様子にカジャムは些か焼き餅を妬いたようだが、当然、彼女の危惧は全くの見当外れ。
止せば良いのにドモヴォーイは「御屋形様の守備範囲は広いからな」とからかい、
真に受けたカジャムは年甲斐もなく頬を膨らませてしまった。おそらくエルンストでなければ機嫌を直すことは出来まい。
 勘違いでヘソを曲げてしまうカジャムには、さすがのデュガリも苦笑いするしかなかった。

「自分たちの立場がわかっているのかッ!? 異邦人の貴様らが我らのやり方に口を出そうなど傲慢にも程があるわッ!」
「イシュタルの御名に叛くのは、エンディニオンと名の付く世界に住む人間のやることかい? 
確かにあんたらの目から見れば、あたしらは異邦人だよ。だが、その異邦人にはデッカイ後ろ盾があるんだ」
「それが貴様のほざく教皇庁だと? ………銃を突きつけながら施しを求める難民など聞いたことがないわ」
「………あんたは面白いね。ギルガメシュを倒すと言っておきながら、考え方がいちいちギルガメシュそっくりだよ」
「―――なッ!?」
「あたしのことが気に入らないなら、話が終わった後にその鉤爪でブッ刺すなり何なりしたら良いよ。
あたしの返り血でも浴びて頭を冷やすこったね。それで頭が冷えたら、もう一度、あたしの言ったことを振り返ってご覧」
「………………………」
「教皇庁があんたらの味方に付けば、ギルガメシュは必然的に孤立する。保護してやると宣言した相手からも総スカンだ。
ギルガメシュを追い詰めるのにこれほどウマい手はないだろう?」

 教皇庁の威信を賭してこの場に在るとの自負に衝き動かされているのか、クインシーの迫力は凄まじいの一言で、
レイチェルをして石頭とまで言わしめたアルカークですら圧倒され、二の句を継げなくなっている。
 自らの命をも交渉の条件に提示するクインシーの覚悟に気圧された諸将は一様に口を噤んでしまい、
軍議の席は水を打ったように静まり返った。

 その沈黙を裂いて押し入ったのは、「見上げた気骨よの。余もここまでの女丈夫を見たは初めてぞ」とクインシーを絶賛する拍手であった。
 クインシーに対する評価はエルンストと共有しているが、しかし、彼は両手に銀細工の道具を持ったまま。
エルンスト当人は拍手の主へ愉快そうに微笑み掛けるのみだ。
 滅多に表情を変えないエルンストが口元を吊り上げる場合、微笑み掛ける相手は彼が気に入った人間と言うことを意味している。
アルフレッド然り、イーライ然り、そして、クインシー然りである。
 エルンストの視線が向かう先を追いかけ、そこに見つけた人間をどうしても認められないビアルタは、
だからこそ「お歴々の前でみっともない真似をするな」とデュガリから注意されるような仏頂面を作ってしまうのだ。
 掌打つ乾いた音に添えられた高飛車な賛辞を聞いた時点で拍手の主は判っていたが、
それでもビアルタは自ら視認するまで信じられなかった。………否、信じたくなかった。
 自分の予想が外れていることを願ってエルンストの視線が向かう先を窺ったのだが、
彼の期待はあえなく裏切られ、反抗として「場を弁えろ。貴様など発言を許される身分でもないのだからな」と搾り出すのが精一杯だった。

「弁えておらんのは貴様のほうであろう。賞賛に値する逸材ぞ、この女丈夫。褒め称えることに何の憚りがある?」 

 そう答えてビアルタの眉間に更なる皺を刻むのは―――クインシーに賛辞を送った拍手の主は、ゼラールその人だった。
遅れて軍議に到着したゼラールが、円卓へと歩を進めながらクインシーを誉めちぎっていた。
 その背後にはトルーポ、ラドクリフ、ピナフォアが続く。何処かの戦場より帰って来たばかりなのだろう。
先頭のゼラールを含めて、皆が皆、戦塵に塗れていた。

「ゲレル、と申したかの。余の口から誉め言葉を引き出すとは天晴れじゃ。己で驚くほどにするりと飛び出したものよ」
「お褒めに預かり光栄だけどね―――あたしのことは、できればクインシーと呼んで欲しいね。
ミドルネームが気に入っているんだよ」
「フェハハハ―――何のこだわりであろうかの? なかなか面白い趣味ぞ。
しかし、余は面白き者、賞賛に値する者は決まってファーストネームで呼んでおる。
ちょうど良い機会じゃ。その珍妙な趣味、本日より改めるが良い。ゲレルの名を至高の誉れとせよ。
イシュタルではなく余の名に於いて、そうするが良い」
「はァ? ………な、なんだってぇ?」
「ゲレルとは良き名ではないか。何を憚る必要があろう? 以降は堂々胸を張って名乗りを挙げよ。
余が認めたものと知れば、如何なる相手も貴様の名に恐れをなすであろうな」
「な、なんだってんだい、この坊ちゃんは………」

 初対面の相手から高飛車な賛辞を受け、面食らったように目を瞬かせるクインシーの肩を二度、三度と叩き、
「教皇庁とやらに飽いたら、我がもとへ参れ。必ず退屈はさせぬぞ」と豪快に笑ったゼラールは、
続けてエルンストの御前へ進み出ると、全身を十字架に見立てると言うお決まりのポーズを取った。
 トルーポらはゼラールの背後に平伏して控えているが、さりとて“御屋形様”に遜っているわけではない。
両腕を鳳凰の翼の如く大きく広げて屹立したゼラールに対する忠誠の表れとして彼らはその場へ跪いているのだ。
トルーポらの盟主は、あくまでゼラールであった。
 陪臣としての節度を超えた不敬があると見抜けぬザムシードではない。
 彼らを従えるゼラールの態度もまた不届き千万であり、これを叱責するよう露骨に顔を顰めて咳払いまで披露したが、
トルーポは一瞥くれただけで自らの不敬を改めようとはしない。それどころか、重箱の隅を突くようなザムシードを鼻で笑う始末である。
 諫止の視線がデュガリから送られて来なければ、ゼラールたちの処断を強行していただろう。
 エンパイア・オブ・ヒートヘイズを使いこなすゼラールと、ギルガメシュの兵士から化け物とまで畏怖されたトルーポの主従が相手では
いかにザムシードが歴戦の勇士とは言え分が悪かろうが、万一にも荒事へ発展していた時には、
エルンストに仕える者の気組みを示したに違いない。

 憮然とした表情で引き下がったザムシードを尻目に、ゼラールはエルンストへと戦況の報告を始めた―――
と言っても、真新しい展開があるわけでもない。ゼラール当人には不本意であろうが、
テムグ・テングリ群狼領全体の決定としてブンカンの戦策へ依拠する以上、征圧した拠点の委細を説明する程度である。
 「所詮はつまらん小競り合い。敵も我らと同じように暇を持て余しておろうな」と報告を締め括ったゼラールの声色から
胸中にて何事か思案しているとエルンストは見抜き、また、御屋形の意図を感じ取ったデュガリは、
頬を掻きつつ「他に気付いたことはあるか?」と説明の補足を促した。

 エルンストがゼラールに具申を求めた―――これを彼の従者が喜ばない筈もない。
 常々抱いている対抗心をかなぐり捨てたラドクリフとピナフォアは、互いの満面に浮かぶ喜びの色を確かめ合い、
トルーポも平伏したまま口元を綻ばせている。

 デュガリから補足説明を促されたゼラールは、にわかに真顔となると、暫時の間、エルンストの面をじっと見つめ、
次いで高笑いと共に真紅の瞳を煌かせた。

「攻める相手にとって最大の拠点を先制攻撃で押さえ、覆すことが容易ならざる有利を確保せん―――
これ、アカデミーにて授かりし軍略の定石ぞ。加えて言うなら、最大の拠点を押さえるに当たっては最強の攻撃力を以って臨むべし。
一時が万事、この通りには行かぬものじゃが、敵の戦意を著しく挫けるのだから示威行動としては最良であろう。
尤も、大艦巨砲に過ぎる故、余は好かぬ」
「意外だな。如何にもお前好みではないか」
「戦術と戦略は全く異なるもの。それは御屋形様が誰よりもご承知であろう」
「しかし、ギルガメシュの企みには大艦巨砲を見せ付ける軍略が合致する―――そう言うことか」
「左様。難民救済などと如何にも人道的に聞こえる甘言を喧伝しておるが、上っ面を剥いで見れば、やっておることはテロリズムじゃ。
圧倒的な武力を示してルナゲイトを占拠したのは、己が目的を押し通さんとする狙いがあったればこそよ。
完全に逆らえなくしてからことを遂行し、世相をも操作せん。これ、テロリズムの原理ぞ」

 相槌はエルンスト自らが打ち、共鳴するようにゼラールの言葉も熱を帯びていく。
 軍師として智謀を極めている筈のブンカンもふたりの会話には興味深く耳を傾けており、
常日頃からゼラールを“火吹き芸人”と罵り、ソリの合わないビアルタもこればかりは認めるしかない。

「―――もう一つ、気に掛かるのは敵の武装じゃ」
「………ほう?」
「鹵獲して詳しく調べてみたが、末端の兵士に持たされた光線銃ほか装備一揃い、
やはりアカデミーにて研究されていた物に類似するのよ。装備の誂え方と言うべきであろうかの」
「お前の出身(で)た士官学校で考案されたモノに似ていると言うのか? 武器は勿論のこと、画一化された兵装の様式も含めて」
「パッケージ化された物を状況に合わせて適用していると思えぬでもないが、
装備品に至るまでアカデミーに酷似しておるとなれば話は別じゃ」

 かつてアルフレッドやマリスと共に学んだアカデミーとギルガメシュには共通項が多い―――
ゼラールが熱心に語る説明の意味を確かめるようにラドクリフとピナフォアはそっとトルーポの面を窺った。
 “閣下”の説明を肯定するようにふたりへ頷いて見せたトルーポは、
戦場から直接足を運んだこともあってレモンイエローの軍服の上に重武装を施したままである。

「それゆえに余は言うたのじゃ。余が知る者ども―――
アカデミーに関わりのある者どもが加わったとすれば、ギルガメシュは相当に厄介であると。
戦況(こと)がここまで進んでは作戦行動を変えることもままならぬが、敵の正体を完全に掴むまでは迂闊な攻勢は控えるべきじゃ。
幸い、グドゥーへの追い込みが成るまでは敵味方ともに暇を持て余しておる。小康状態じゃ。
その間にもそっと探りを入れるが良い。場合によっては敵を引きつけ、グドゥーへの進軍を長引かせて時間を捻出するのも一つの策じゃ」

 ルナゲイトの奇襲を通じてアルフレッドが疑念を持ったのと同じように、
ゼラールもギルガメシュの戦略・戦術にアカデミーで研究及び考案された物が反映されていると気付いていた。
 それ故に彼は一貫して敵の正体を見極めることが肝要だと提言し続けているのだ。
アカデミーと言う場所で考案された物の威力を誰よりも識っているのは、やはりそこで学んだ人間なのである。

「………敗戦より苦戦だ」

 華々しい勇往を好むゼラールにしては珍しい慎重論であるが、改めてエルンストは決戦を急ぐ旨を申し渡した。
ゼラールの説明には理があり、エルンストも得心は行っている。
だが、ゼラール自身が説明の内に含めた通り、戦況(こと)ここに至った以上は、もう足踏みせずに突き進むしかない。
決戦あるのみであった。
 そうでなくても消極的な姿勢を見せることは、テムグ・テングリ群狼領にとって益ならざる事態である。
武と威を以ってエンディニオン制覇を目指してきた馬軍にとって沽券に関わるのだ。
諸将の手前、攻勢を崩すような真似だけは避けなければならない。
 やはり、ゼラールの具申をそのまま受け入れることはエルンストには出来ず、いつかの軍議と同じ答えを返すのみである。

 またしても“閣下”の具申を却下されたラドクリフとピナフォアはあからさまに落胆の色を見せるが、
ゼラール当人はエルンストと視線を交えながら不敵な笑みを浮かべている。
意気消沈するどころか、先ほどよりも口の端が大きく吊り上げられているようにも見えた。
 「敗戦より苦戦だ」とエルンストは繰り返したが、そこにはゼラールの具申を認め、必ずや参考にするとの響きも込められていた。
直接言葉を交わした者同士の間でしか通じない心の機微のようなものである。
 字面そのままに受け取ったザムシードは、やはりいつかの軍議と同じように「臆病風に吹かれていては勝てる戦も勝てぬ」と扱き下ろし、
カジャムもこれに倣ってゼラールの策を「惰弱じゃないの、それ。災いの芽ってのは、芽の内に摘み取らなきゃならないわ」と批判した。

 傍目にはゼラールが諸将の前で恥をかいたようにも見えるのだが、エルンストの心根を感じ取ったトルーポは、
盟主の確かな躍進を噛み締めるように歯を剥き出して笑った。誰にも聴こえないよう密かに喉を鳴らしていた。
 年少のふたりはゼラールを愚弄されたと表情(かお)を強張らせているが、
乱れ飛ぶ罵声など既にトルーポは相手にもしていなかった。


 ゼラールによる戦況報告が一区切りついたタイミングを見計らい、
アルカークは「ここにもギルガメシュの間諜が紛れておるようだな」と口を挟んだ。
 クインシーにやり込められた腹いせとして手頃な相手へ噛み付こうとでも言うのだろうか。今度はゼラールへと悪態の矛先を向けている。

「フン―――ギルガメシュと同じ外法を使う者なのだろう、貴様。
つまり形勢如何では敵に寝返ることも出来ると言うことだ。同胞の誼を頼ってな。それとも内通しておるのではないか? 
自称神官然り子飼いの配下然り、疑わしい人間ばかり抱えておるようだな、エルンスト殿は。なんとも危うきことよ」

 ギルガメシュの採る戦略・戦術がアカデミーにて習得した物と類似している―――
ただそれだけの理由でゼラールをスパイ扱いしたアルカークは、
堪えきれずに立ち上がり、「さっきから聞いていれば、あんまりじゃないですか! あなたが閣下の何を知っていると言うんです!? 
閣下はいつだって正しい王道を突き進んでいるんですっ!」と“閣下”の潔白を訴えるラドクリフをも一笑に付した。

 諸将の前にてギルガメシュのスパイと名指しで貶められたゼラールだったが、
挑発的な視線を向けてくるアルカークを逆に嘲り笑うだけの余裕を持っていた。謂われのない誹謗にもまるで動じてはいない。

「ヴィクドの提督、如何ほどの人物かと期待しておったのだが、所詮は猿山の大将か。
この期に及んで狭き視野でしか物事を考えられぬとは、戦場では弾除けにもならぬな。使えぬ道具じゃ」

 肩で息をするほどに怒りを昂ぶらせるラドクリフの頭を愛おしそうに撫でつけたゼラールは、
不躾にもアルカークの席へと歩み寄り、反射的に腰を浮かせた彼の顎を右の人差し指で以て押し上げた。
 思いがけない成り行きに虚を突かれたアルカークは為すがままとなっており、
そんな彼の鼻先へ触れる程の至近距離にまで自分の顔を寄せると―――

「………それとも理知を欠いた暴言は、釣り糸の如き虚言か? 
貴様のその疑り深い目、大漁を期して竿を構える釣り人のように見えるのでな」
「………………………」
「釣果は如何ほどじゃ? ハイランダーの提督よ」

 ―――ゼラールは秘め事を談じるような小さな声でそう囁きかけた。
 最初の内はゼラールの真意を計りかねて双眸を瞬かせていたアルカークだったが、
僅かに訝った後、彼の言わんとしていることを悟ると、二の句を封じるように彼の胸板を突き飛ばしに掛かった。
 ゼラールはこの反応も予測済みであったらしく、左手でもって突き押される前にひらりと身を躱した。
 鈎爪を突き立てると言う事態には至らなかったものの、粗暴な反応を見る限り、
アルカークにとって触れられたくない禁忌だったのは明らかだ。
さぞ鬼のように形相を歪めているだろうと思いきや―――

「小面憎い奴め。………名を訊いておこうか。ヴィクドのブラックリストに載せてやろう」
「ゼラール・カザンじゃ。余の名を知らぬとは、ヴィクドはまことに田舎のようだな。
しかし、余は僻地とて疎かにはせぬ。慈悲を以て静養地と認めてやる故、喜んで歓待するがよいぞ、アルカーク」
「ボキャブラリーが豊富のようだな、無駄に。いいだろう、憶えておいてやる」

 ―――どう言うわけか、彼の口元は微かに笑んでいた。
 当人たちの意思はともかく傍目には何が何だか意味不明な寸劇と言えよう。
読唇術を体得しているラトクは、声は聞こえずともふたりの間で交わされる言葉を読み取ろうと注視を凝らしたものの、
両名ともに死角へ入り込んでしまっており、口の動きを調べることすら叶わなかった。

「あのふたり、やっていることはバカ丸出しですが、なかなか抜け目がありませんよ。
あんな風に顔を近づけて話をされたら、それこそ谷間に割って入るくらいしなきゃサッパリです」
「ほう…、おヌシもそう見たか?」
「我々だけを警戒しているわけではないと思いますがね。いずれにせよ食えない連中ですよ」

 ラトクにそう耳打ちされたジョゼフは、ブンカンが手を叩きながら「そろそろ本題に戻りましょう」と衆目の注意を引きつける中にあっても
アルカークから視線を外そうとはしなかった。

「わざわざクインシーさんにご足労願ったのは他でもない、作戦内容を左右するほどの証言が―――」

 ゼラールが帰参して以降、軍議が本筋から脱線したのは否めない。
よしんば戦況報告はテムグ・テングリ群狼領の都合として見過ごすとしても、
クインシーやアルカークへのちょっかいは全く以て軍議には不要である。
 まるで隠し球を披露するかのように芝居がかった仕草でもってクインシーを、
“Aのエンディニオン”からの同盟者を呼び寄せたからには、ブンカンなりに諸将の注意を引こうとしていた筈だ。
クインシーを招いて話そうとしていた内容をより印象づけたかったのかも知れない。
 いずれにせよ、脱線したままでは無為に時間を貪るばかり。
ゼラールとアルカークの張り合い合戦が節目を迎えたと見たブンカンは、すかさず軍議を本来の道筋へ戻そうと試みた―――

「スパイと言うなら、どこも同じことだろう。ギルガメシュに限った話じゃない」

 ―――が、彼が身を乗り出すよりも先んじて話を混ぜ返す人間が現れた。
 周囲の騒動に関知せぬまま腕組みして沈黙を貫いていたフェイが、アルカークからゼラールへと発せられたスパイと言う蔑称を
今になって急に持ち出したのである。
 ギルガメシュの用いている軍略がアカデミーで研究及び考案されている物とゼラールが指摘し、
また彼自身も件の士官学校出身であると耳にした直後からフェイの表情は一層険しさを増していた。
 発せられる言葉もまた歪んだ形相そのままに刺々しい…と言うよりも、敵愾心を剥き出しにしている。
 アカデミーなる言葉にフェイが何を想起したのかは、これを発したゼラールは言うに及ばず余人は知れないところであるが、
彼と近しい者には察しが付くと言うもの。ソニエとケロイド・ジュースは苦渋に満ちた溜め息を吐きながら俯き、
ジョゼフは嘲り以外に何も感じられない鋭い眼光をフェイへと向けている。

「どうもアカデミーはスパイ活動が大好きなようだね。関わりのある人間はそこいらで情報を工作(いじ)りまくっているらしいじゃないか。
………どうなんだい、そこのキミ―――カザン君。僕は計略には疎いのでね、実のところ、スパイと言うのがよくわからないんだが、
キミなら、いや、アカデミー流ならどんな風に提案するのだい? 御屋形様にスパイ工作を」

 スパイと目されたゼラールを通してフェイはテムグ・テングリ群狼領を誹謗しているのだが、
その罵声が指摘するところは、つまりメアズ・レイグを使った煽動工作である。
 英雄の誉れ高いフェイもメアズ・レイグに劣らぬ凄腕の冒険者。
巡り合わせの悪さなのか、ジョゼフやエルンストに軽んじられ、辱めを受ける機会も多いのだが、実際には文武に秀でた超一流なのである。
各地を震撼させるギルガメシュの悪評、これに基づく対ギルガメシュ同盟網の拡大が、
メアズ・レイグの手による成果(もの)だとフェイは容易く見破っていた。
無論、テムグ・テングリ群狼領の依頼を受けた作戦行動と言うことも彼の慧眼にはお見通しだ。

 よもやフェイに見抜かれているとは想像もしていなかったテムグ・テングリ群狼領将士の間には、一瞬、緊張と戦慄が走った。
この場で彼がメアズ・レイグの件を暴露しようものなら同盟網そのものが内部崩壊し兼ねなかった。
 それは想定し得る最悪の事態である。テムグ・テングリ群狼領の権威が失墜する―――
その程度で済めばまだ幸いと言えよう。同盟網の瓦解は、即ち“Bのエンディニオン”そのものの敗北に直結するのだ。
 そこまで考えが及んでいるのか、果たしていないのか、フェイはなおもメアズ・レイグの件を追及する構えを崩さない。

「フェハハハ―――アカデミー、アカデミーとフォークソングのサビのように同じフレーズばかりを繰り返しおって。
そんなに気に入ったのなら、アカデミーを褒め称える歌でも唄うが良い」
「僕は別にそう言うことを―――」
「ならば、アカデミーを扱き下ろすか? 問題提起もフォークソングの趣向が一つ。良い良い、気が済むまで徹底的に叩くのも一興であろう。
アカデミーなどと飾っておるが、所詮は戦争の仕立て屋よ。棒で叩けば埃も出よう。鼻が折れるような臭いも撒き散らそう。
貴様がどのように唄い上げてくれるのか、余も楽しみであるぞ」
「ぐッ………!」

 ところが、名指しでギルガメシュのスパイと濡れ衣を着せられたゼラールは、これに対して反論をぶつけるどころか、
フェイの見立てを「なかなか愉快な発想じゃ。漫談の修行でもしておったのか」と笑い飛ばしてしまった。
 フェイのことを挑発しているわけでなく、本当に笑いのツボに入ったのだろう。
トルーポから「戯れが過ぎますぞ、閣下」と窘められるまで彼は腹を抱えて笑い続けた。

「埃と言えばな、綺麗ごとでは戦などやってはおれぬのよ」

 遠間に離れたフェイを指差したゼラールは、彼の視線が自分の指先へ向かっているのを確認すると、続けて己の痩身を撫でた。
度重なる戦塵に塗れ、汚れたままの己の痩身を。

「汚らわしいとは思わぬか? 余も、余の下僕もみな血と泥に塗れておる。此度は数多硝煙に包まれた故な、そこかしこと黒く煤けておろう。
何ら清き物などない。清いままでは勝ちを得られぬ―――これが戦じゃ」

 己の痩身を撫でた指先が次に差し示したのは、彼に追随する忠実なる従者たちであった。
 中世時代の甲冑を彷彿とさせるプロテクターで全身を堅牢に固め、最前線で轟然と激闘するトルーポは勿論、
テムグ・テングリ群狼領のトレードマークとも言うべき革鎧に身を包んだピナフォアも、
一見すると前線に出向いて戦うようには思えない小柄なラドクリフも、皆が皆、頭のてっぺんから爪の先まで汚れきっている。
 トルーポに至っては夥しい量の返り血を浴びたらしく、プロテクターやレモンイエローの軍服には迷彩柄のような染みが散見された。
飛沫のようにも見えるドス黒い染みは、彼が戦場でどのような働きをしているのかを如実に物語っている。
 彼らの大将たるゼラールも顔から何から煤が付着して黒ずんでいた。
合戦の最中にレーザーライフルで焼かれたのだろう、煤とはまた違う黒い線が頬へ横一文字に走っている。

 ゼラールが言う通り、どこにも清らかさは見つけられない。ただひたすらに血と泥と硝煙で汚されている。
しかしながら、その戦塵、その戦傷にこそ、紙一重で生死がすれ違う戦場を駆け巡ってきた人間の凄みが宿ることもまた事実だ。
 フェイとて竜殺しの異名を持つ身であり、だからこそゼラールの言わんとする意味が痛いほど理解できた。
心が痛みに軋む程、戦場を生きる者たちの凄みには共鳴させられた。

 心を軋ませる痛みに耐え兼ね、再び押し黙るフェイの面をじっと見つめたゼラールは、
何事か納得したようにひとしきり頷き、それからまた腹を抱えて笑い出した。

「フェイ・ブランドール・カスケイド―――噂には聞いておったが、なかなか面白き男ではないか。
面構えも良い。その眼もまた愉快じゃ。醜さ、穢れを知っておるな、貴様」
「―――――ッ!!」
「知っておるどころか、随分と長いこと浸かってきた者の顔じゃァ」
「………………………」

 醜さ、穢れに浸かってきた眼―――英雄としての矜持を踏み躙ることを、あろうことか初対面の人間にずけりと言われたフェイは、
しかし、その非礼を咎めようともしなかった。
 英雄としての度量で看過したわけではない。醜さ、穢れが内在すると言う目を見開いたまま、身心ともに彼は凍りついてしまっていた。

「それならば、貴様にもわかるであろう? 正義だの悪だのと論じていられるような世界ではないとな。
勝利の栄光は血塗られた手で掲げる者ぞ。勝者の資格を欲するならば、貴様はその手に正義ではなく快刀を握るのじゃ」

 なおもゼラールは訓戒めいたことをフェイに向かって論じ続けるが、既に彼の思考は停止しており、
返答どころか相槌と言った反応を示すことも出来ずにいた。
 とても外部からの情報に対して共振を示すほどの精神的な余裕は、今のフェイは持ち合わせていなかった。

「………言うにこと欠いてギルガメシュの非道をテムグ・テングリ群狼領に吹っ掛けようとはな。
オレだってコイツらのことは気に食わんが、濡れ衣を着せてまで貶めようとは思わなんだわ。
さすがは英雄殿と言うべきか。この男の正義感は、他者には判らんモノまで見通せるようだ」

 ゼラールの言葉尻に乗ったアルカークがフェイの非礼を叩いたことから、議場の空気は一変した。
 何ら証拠もないまま、私的な感情でもってゼラールをギルガメシュのスパイと断定したフェイの失言は、
如何なる弁論を以ってしても覆すことは難しい。英雄と言う美名に自ら泥を塗ったようなものであった。
 英雄らしからぬ振る舞いを目の当たりにした諸将の反応は様々だが、
勇み足と謗る者、人間としての底が知れたと嘲る者など殆どが批判的で、僅かに上がった擁護や慰撫の声も容易く掻き消されてしまう。
 フェイの参戦を喜び、好意的だった者まで批難する側に回ったことからも察せられるが、
ゼラールに対する非礼によってこれまで築いてきた信頼を損ねてしまったのは間違いなかろう。
 実際、四方よりフェイに向けられているのは、失望の眼差しである。
 どのような反応を示すかと待ち侘びるゼラールを除けば、
ありったけ侮蔑の念を込めるジョゼフと、なおも好奇の目で観察を続けるアルカークが一部の例外と言うことになるだろう。
エルンストなどは完全に興味が失せているのか、視線を掌中の銀細工へ戻している。

 アルカークは自分にこそ理があると言う顔でもの申しているが、そもそもフェイがゼラールへスパイ疑惑を向ける原因を作ったのは、
他ならぬアルカークその人である。
 彼が最初にゼラールへ疑いを掛けるような発言をし、フェイはそれを継いだに過ぎないのだ。
にも関わらず、言責一切をフェイが独りで被る構図となってしまっている。
 言葉の魔術とでも言うべきか。フェイを失言へと導いたアルカークに対する批難は、
それこそ不自然に思えるくらい全く噴出しなかった。

「―――正義感とやらを論じるのは平時でも間に合うじゃろう? ならば、最優先で決めねばならぬことへ今は集中せんか。
使える時間も限られておるでな」

 いつまでも注目がフェイへ向かっていては、話し合うべき内容が一層滞ると判断したのだろう、
ブンカンに倣って手を叩いたジョゼフは、これによって諸将の意識を軍議へと引き戻した。
 ………と言っても、バッシングの嵐に晒されるフェイを不憫に思って助け舟を出したのではない。
ジョゼフは軍議を妨げる邪魔者を一刻も早く引き摺り下ろしたかっただけなのだ。
 現にフェイを見下すジョゼフの視線は、傍観者にすら寒気をもたらすほどに冷たい。

「………どう言うつもりだ………ッ」
「どう言うつもり? それを訊くのか? 愚か者めが。懇切丁寧に説明せねば解せぬほどに頭が鈍いから、かような体たらくとなるのじゃ」
「………………………」
「去ね、痴れ者め。己が出るべき幕さえ判らぬ痴れ者に付き合ってやるほどワシらは暇ではない」

 結果として窮地を助けられた恰好だが、フェイにとってはこれ以上の屈辱などなかった。
エンディニオンの正義を担うべき英雄を、ジョゼフは蔑ろにしているのだ。
そのような相手…いや、“敵”に憐れみを掛けられるくらいなら、幾千の罵声に塗れて憤死したほうが遥かに安楽である。
 ジョゼフを見るフェイの目には感謝の念は絶無であり、またフェイを見るジョゼフの目にも憐憫などは微塵も含まれてはいない。

「返す返すもアルがこの場に居らぬのは残念じゃわい。あれにもいい加減に目を覚まして貰わねばならぬからの。
今しがたの醜態は良い目覚ましとなったろうに」
「あいつがこの場に居合わせたら、煩い、黙れと言ったに違いない。勿論、あんたに向かってだ。
人の失敗を楽しそうに眺めるあんたに」
「失敗と言うたか。失敗を自覚できるだけの知恵があったとは驚いたわ。
刃物を振り回すしか能のない猿から少しは進化したか」
「口から出るのは卑しい言葉だけか。老残の身と言うのも無様なものだ。人として堕ちるところまで堕ちたな」
「ワシが老残ならば、お前は敗残じゃな。最早、お前の詭弁になど誰も耳を貸さぬわ。………去ねい」
「………………………」

 口を開くなり激烈な悪言をぶつけ合う両者へ交互に目を転じるソニエにとっては耐え難いことだが、
ジョゼフもフェイも、相手に対して殺意をもはらんだ敵愾心しか持ち得ない。
 両者が後戻りは出来ない場所にまで達したことは、ソニエ、ケロイド・ジュース両者の目にも明瞭に分かった。

「話がまた逸れてしまったの。そろそろワシらの集まりも本題に入ろうではないか―――」

 罵り合いを経た後、最早、視線すら交えなくなったジョゼフとフェイはともかく―――
ゼラールによって乱された軍議を本筋へ戻す機会は今しかないと、ブンカンはここぞとばかりに身を乗り出したが、
あろうことか再開の糸口を提示したジョゼフ自身がこれを堰き止めてしまった。
 いきなり梯子を外されたブンカンは、さすがにつんのめって倒れそうになったが、
いたずらに自分の話を長引かせようと言う意図はジョゼフにはない。
 彼は口火を切る前にブンカンへそっと目配せを送っていた。
 その眼差しから彼の話そうとしている内容が必ずや有意義であると感じ取ったブンカンは、
ゼラールに調子を狂わされた挙げ句、不完全燃焼が続いているクインシーへ謝罪するかのように頭を垂れた。
 何かを訴えかけるかのような眼差しを信じ、一時、軍議のイニシアチブをジョゼフへ委ねることにしたのだ。

 ブンカン、そしてクインシーが自分の主張を抑えて一旦身を引いてくれたと確かめたジョゼフは、
諸将を見回しながらこの戦いの意義、本質を再確認するように語りかけた。

「我々が討伐すべき相手はギルガメシュであって、異世界より訪れた客人ではない。
敵の言葉を借りるのは胸糞が悪いがの、彼らは知らない世界に迷い込んだ難民じゃ。
手を差し伸べることはあっても、一方的に討滅するなど言語道断。
異なる世界からやって来たと言う理由のみで恨みなき相手を攻め滅ぼしたところで、その先に勝利などは有り得ぬじゃろうな」

 誰と戦い、誰を救うのか―――それは、まさしくこの戦いの本質を突く言葉であった。
 先だって行われたサミットへ準えるようにして円卓を囲んだ諸将であったが、
ギルガメシュ打倒が共通にして最大の目標とは雖も、世界の命運を論じる会合はやはりそこへ行き着くようだ。

「疑わしきを叩いたり、臭いものに蓋をするのではなく、疑心暗鬼を抱かぬよう相手を知ることじゃ。
この場におらぬピンカートン酋長の言葉を借りるなら、酒宴の一つでも催してみれば良かろう。
ワシらはそうして打ち解けることが出来た」

 アルカークと、彼に共振する過激な一派を暗に牽制する発言であり、
早速、ヴィクドの提督は「犬畜生を飼うのとはワケが違うのだぞ。人智を持たぬ分だけ犬畜生のほうがまだマシだ。
先々の展開(こと)まで想像を働かせるのだな」などと自己主張を反復したが、
軍議を進めること自体には異存はないようだ。彼が唱えたのは異論であって反論ではなかった。
 論戦を吹っ掛けずにすぐさま引き下がったことからもアルカークの思慮が窺えると言うものだ。

 自分の言うべきこと、すべきことを終えたと判断したジョゼフは、一時的に預かったイニシアチブをブンカンに返上。
これを受けてブンカンはようやくクインシーへとバトンを渡した。

「それじゃあ、あたしら教皇庁のほうで掴んでるギルガメシュの特ダネをお話ししようかね―――」

 ブンカンに促されて再び会合の中心に立ったクインシーは、
“Bのエンディニオン”の人間には決して知り得ぬギルガメシュの重要情報を、それこそ固唾を呑んで見守る諸将相手に語り始めた。
 教皇庁の代表として対ギルガメシュ同盟網へ参画した以上、自分の知り得る情報は全て詳らかにしようとクインシーは決意している。
 包み隠さず情報を提供することは、ギルガメシュを追い詰める作戦の立案にも繋がるであろうし、
何より自分を受け入れてくれたエルンストらテムグ・テングリ群狼領へ果たすべき礼儀だと彼女は考えているのだ。

(………どいつもこいつも………道理を、いや、摂理を理解しない野良犬か………)

 諸将の意識がクインシーへ集中し、失態を非難されることすらなくなって完全に蚊帳の外に置かれたフェイは、
誰の目にも触れない自席(ばしょ)で人知れず恥辱に打ち震えていた。
  竜殺し、英雄剣士、解放の礎―――数々の名声を成した誉れ貴き勇者は、
あるいはこの軍議を正義の名のもとに取りまとめる決意を固めていたのかも知れない…が、
最早、彼に興味を示す人間など何処にもいない。
 ジョゼフ、アルカークさえも今はクインシーへと視線を向けたまま僅かばかりも動かないのだ。

 不貞腐れた様子で円卓をじっと睨むフェイと、そんな彼に声一つ掛けられずにいるソニエやケロイド・ジュースのことを、
ラトクは大層下劣な表情(かお)で眺めていた。
 口先ではソニエのことを痛ましいなどと気遣っておきながら、
その実、この男にとってルナゲイト家にまつわる醜聞は娯楽の対象でしかない様子だ。
 ジョゼフに仕える忠実なるエージェントの口元は、悪趣味極まりない笑気で歪みきっている。




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