7.アネクメーネの若枝



 “Aのエンディニオン”に於いて名実共に最大の勢力を誇る教皇庁――“Bのエンディニオン”に於いては、
ルナゲイト家と置き換えられよう――であるが、彼らの組織力を以ってしてもギルガメシュの全容を掴むには至っていない。
 合戦へ及ぶに当たって肝心要とも言える兵の数すら、尋ねられてもクインシーには「流動的」としか答えようがなく、
虎の子のように気を持たせた重要情報は、結局、期待外れとしか言いようのない量であった。
 思わせぶりな気の引き方を真に受けてクインシーこそが戦局を左右するとまで信じていたアルカークは、
歯を剥き出しにしてブンカンへ怒鳴り散らしたが、さすがにこの成り行きは仲裁のしようがない。
 事前にクインシーから話を聴いていたブンカンは、ギルガメシュは占領下に置いた場所で兵力を調達―――つまり徴兵を強行しており、
そうした体質の為に兵の実数が掴みにくいのだろうと副次的に解説を添えた。
無論、徴兵の中にはニコラスが属することになったエトランジェも含まれている。
 兵力の不足を徴兵や捕虜、囚人を借り出して解消すること自体は、歴史上でも数多く確認されており、
戦略上、場当たり的な判断とは必ずしも言い難い。状況や環境など様々な条件が重なった場合、
本拠地にて兵の確保に難儀することもあるだろう。戦争屋の口利きで契約を結ぶ傭兵とて立派な兵力である。
 現在までに教皇庁が掴んでいる範囲に限れば、ギルガメシュでは傭兵を用いることもないようだ。
組織の掲げる思想へ依らず、また感化されることもなく自らの意思に基づいて活動する傭兵は、
難民救済を第一の理念としているギルガメシュとの相性は頗る悪そうに見える。

 徴兵をも含んだ戦力の調達方法はともかく、兵站の確保及び管理は杜撰の一言だった。
 兵站と言うものは出撃の事前に予め確保しておき、軍の展開図まで念頭に置きながら補給場所を配置するのが常識なのだが、
ギルガメシュの場合は現地での接収が基本だと言うではないか。
 征圧した土地から武力に物を言わせて物資を収奪することには、逆らえば何をするかわからないとギルガメシュの恐怖を植え付け、
造反を行うだけの気力や物資を先んじて挫かんとする計算が働いているのではないかとクインシーは予想したが、
これまでにも周到に練り上げられた戦略を披露してきた敵軍師だけに、何らかの深慮遠謀があるものと考えねばどうにも納得できないのだ。
 軍の生死に関わる物として最優先に確保すべき兵站を逐次接収して済ませようなど、戦術を論じる上では下の下である。

 部隊長のコードネームを含む各隊の編制、カレドヴールフを頂点とする命令の系統までは教皇庁でも調べがついていた。
 首魁たるカレドヴールフは『総司令』の位階にあり、席次にして第二位には『副指令』つまりカレドヴールフの補佐役が納まっている。
ティソーンなるコードネームを名乗っているそうだが、このギルガメシュの副将は本隊とは別行動を取っており、
所在も正体すらも教皇庁には確認が出来ていなかった。
 命令系統図の上ではティソーンの直轄でありながら、実質的にカレドヴールフが直接指揮を執っている実働部隊は、
歩兵部隊、騎馬隊、諜報部隊、衛生部隊、機甲部隊、獣機部隊、空挺部隊、水兵隊、近衛隊―――以上の九隊に大別、
ティソーンに次ぐ階級の幹部がそれぞれの隊を率いているとクインシーは説明した。

 ギルガメシュの主戦力である歩兵部隊を率いるのは、カレドヴールフに比肩する戦闘力の持ち主とまで畏怖される巨魁、グラム。
ときに陽動、ときに速攻と仮面の兵団を巧みに操り、敵対勢力を駆逐していくのだが、
最も警戒を要するのは、隊長のグラムが前線に押し出してくることだとクインシーは身震いしながら語って聞かせた。
 にわかには信じがたいことだが、歩兵部隊を一束ねにしてもグラムには敵わないと言うのだ。
たった一人でギルガメシュの主戦力に匹敵するとは、一騎当千どころの話ではない。
ギルガメシュと戦うに当たっては、このグラムこそが最大の壁になるだろうとブンカンは分析している。
 ゼラールの背後に控えたトルーポは、想像を絶する強敵の出現をむしろ歓迎している様子だ。
戦意の昂ぶりを表すように口の端を吊り上げている。

 “特殊な騎馬”に打ち跨って部下と共に突貫し、高い機動力、運動性を駆使して戦局を大きく動かすのは騎馬隊長のバルムンクである。
フィドリングブルなる愛馬を駆って部下と共に突貫する隊内きっての猛将は、
グラムと歩調を合わせて陸戦の双璧と呼ばれている。

 敵軍への情報工作だけでなく自軍の監査をも兼任している諜報隊長はアゾットと名乗っており、
これによって得た情報をもとにカレドヴールフへ作戦立案を行うのも彼の役目である。
つまり、このアゾットこそが、ブンカンさえも舌を巻くギルガメシュの名軍師と言うことだ。

 兵士たちのケアに専従する衛生兵の隊長、コールタンは、
ギルガメシュが使用する兵器の開発・管理を行う技官も兼ねていると言う。

 部隊名からは全貌が定かにならない三隊―――機甲部隊にはフラガラッハが、
獣機部隊にはアサイミーが、空挺部隊にはドラグヴァンデルが、それぞれ隊長職に就いていた。

 洋上戦のみならず河川での戦闘まで幅広く担う水兵隊であるが、
彼らは“Bのエンディニオン”への襲来に先だって発生した戦闘で壊滅的なダメージを被っており、
その規模が大幅に縮小させられていた。
隊長のアロンダイトは重傷を負って療養中。残存した水兵も兵や物資の搬送、局地戦への出動と言った軽度の任務しか与えられていない。
言わば、冷や飯を食わされるような状況に置かれているのだ。
佐志へボートで乗り付けて征圧を試みたのも彼ら水兵の一隊だが、アルフレッドの罠に落ちて返り討ちに遭った為、
今後、汚名返上の機会は更に遠のくことだろう。水兵隊の立場が一層悪化するのは避けられない。
実態が把握できないと言うよりは、実態を把握するまでもない有名無実のものと教皇庁は判断していた。

 カレドヴールフの身辺警護を主務とする近衛隊長については、完全に影に徹している為、ティソーン同様に正体は全くの不明。
ドゥリンダナと言うコードネーム以外の情報をクインシーは何一つ持っていなかった。
「一応、駄目もとで伺うのじゃが…」と前置きしてから警備の体制について尋ねるジョゼフだったが、
クインシーは首を横に振るばかり。望ましい答えを得られなかったのは残念だが、
彼女を責めることは出来まい。近衛兵の存在が判明しただけでも大きな収穫である。

 ―――以上の九隊長のうち、グラム、バルムンク、アゾット、コールタン、フラガラッハの五名は、
カレドヴールフ、ティソーンに次ぐ最高幹部の地位にあり、
『アネクメーネの若枝』なる異名のもと、第三位の席次を共有し合っている。
 一応のまとめ役はグラムだが、階級そのものは五名全員が同格。その下に付いてアネクメーネの若枝を補佐するのは、
副官――ときにサイドキックとも呼ばれる――の役割であった。
 一口に副官と言ってもギルガメシュ隊内に於ける権限は最高幹部とほぼ同等で、自分の隊も任されている。
命令系統の上ではアネクメーネの若枝も副官も横並びとなる為、
ひとたび会敵に突入すれば階級の差は殆ど意味を持たなくなるのだった。

 戦意昂揚しようと言うのか、誰ともなく九隊長を指して『四剣八旗(しけんはっき)』と呼び始めたのだが、
如何せん仰々しい総称には中身が伴っていない―――と言うよりも、組織の体制として構造的欠陥があると言わざるを得なかった。
 欠陥の一例として兵の扱い方がある。当然ながら隊長を任された人間は責任を持って指揮下の者を管理・監督するのだが、
他の隊長から要請があった場合、委任と言う形で末端の兵士を別の隊へ貸し出すのだが、
これはつまり、『所属長としての権限を有していない人間が、
命令系統を無視して他隊の兵を横断的に指揮する』と言うことでもある。
 アネクメーネの若枝つまり最上層部間の取り交わしであれば、階級上の問題はクリアされるだろうが、
このようなことが往々にして罷り通ってしまうと隊を分ける意味が薄らぎ、
ひいては士気・統率力の低下をも呼び込みかねない。
隊の規律を乱しかねない越権行為につき本来ならばタブーとして忌避される筈なのだが、
ギルガメシュの作戦行動では、半ばこれが常態化していると言う。

 横断的な兵の指揮に限ったことではなく、無計画にも思える人材・物資の現地調達、
本隊と別行動を取る“総司令の補佐役”など組織としての欠陥は枚挙にいとまがない。
 細かい部分まで指摘するならば、そもそも九隊長にも関わらず四剣八旗なる総称が付けられるのもおかしい。
四振りの刀剣を象ったギルガメシュの徽章から“四剣”を採っているのは分かる。これには得心がつく。
しかし、“九人”の隊長を“八旗”に例えるのは、いくら何でも道理に合わないではないか。
任務の性質上、実働部隊とは言い難い近衛隊のドゥリンダナを勘定に入れていないのか、
それとも、戦闘不能状態に陥っているアロンダイトを省いたのか―――八旗に準える基準すら曖昧であった。

 八旗の例えはともかくとして、あまりにも杜撰な体制のもとでギルガメシュは軍事行動を展開しているのだ。
成立していること自体が奇跡としか言いようがなく、勢力を拡大させるよりも早くに空中分解していてもおかしくなかった。
このように組織としての骨格は脆弱としか言いようのないギルガメシュであるが、
難民解放の名のもとに武装蜂起し、ふたつのエンディニオンにて絶対脅威と恐れられる事実は揺るがし難い。
構造的欠陥を補って余りある戦闘能力をギルガメシュは備えているとも言い換えられるのだ。
軍師格と目されるアゾットの鮮やかな采配は、同じ立場にあるブンカンも認めるところであった。


 最初のうちは苛立ったようにクインシーへ噛み付きまくっていたアルカークも、今では彼女の話へ神妙に聞き入っている。
 教皇庁が掴んだ情報は、確かに量こそ少なかったものの、質はこの上なく高い。
ブンカンが喧伝した通り、クインシーは今後の作戦行動を左右しうる重要情報を同盟者へ提供してくれた。
 戦略を練る為に必要な材料が数多く内包されていたのであるから
賞賛こそすれ不満を差し挟む余地など何処にも無かろう。

「ルナゲイトと言ったかね、あんたがたのエンディニオンの中心地。あそこに陣取った鋼鉄の怪物は『ブクブ・カキシュ』と言うんだ。
あれこそギルガメシュの切り札にして牙城―――
あの要塞を突破しない限り、裁きの剣はカレドヴールフには届かない………ッ!」

 総締めくくりとしてクインシーはルナゲイトを征圧した鉄巨人の名を明らかにした。
 その名は、ブクブ・カキシュ―――こうして明らかとなったブクブ・カキシュの名は、
瞬く間に世界全土に広がり、エンディニオンに生きる全ての人の心へ刻み込まれることになる。







 偶然とするにはタイミングが出来過ぎており、ならばやはり運命的と定めるべきなのか、
テムグ・テングリ群狼領の本陣にて軍議、いや、もうひとつのサミットが開かれたのと同時刻、
ブクブ・カキシュの裡に於いてもギルガメシュの首脳陣が今後の作戦内容を論じ合っていた。
いわゆるブリーフィングである。
 軍師の役務としてブリーフィングを取り仕切るアゾットは、議事進行の合間にくしゃみを一つ同胞たちに披露したのだが、
丁度、クインシーによってギルガメシュの内幕が暴露されている最中のことであり、
彼の鼻孔が痒みを覚えたのも、あるいは運命と言えるかも知れない。

「罠ですね、これは」

 以前にブンカンが漏らしたのと意味を同じくする呟きが、アゾットの口からも滑り落ちた。
 ブンカンがその呟きを漏らしたのは、不思議な恰好に展開される勢力分布の図から
ギルガメシュ側の意図を読み取った際のことである。
 ブクブ・カキシュ軍機区画内に設けられているシチュエーションルーム――全作戦を決する司令室だ――の机上へ
デジタルウィンドゥとして表示させた最新の勢力分布図に目を落としたアゾットは、
誰に語るとも無しにテムグ・テングリ群狼領が罠を張り巡らせた旨を呟いた。
 アゾットとブンカン―――奇しくも相対する軍師二人は、互いの施策について全く同じ感想を持ったのである。

「わ、罠ぁッ!?」

 裏返り気味の声を上げたのはアゾットでなくバルムンクだ。
 独り言のつもりが、思いがけない強烈な反応を返されて面食らったアゾットは、
一先ず何でも無い風を装い、取り乱して立ち上がったバルムンクを宥め、着席して深呼吸するように勧めた。

 敵も馬鹿ではない。突如として現れた侵略者を駆逐する為に大規模な戦略を練っていて然りだ。
 ギルガメシュの征圧した各要衝に攻撃を仕掛けつつ、
こちらが企図した重要拠点の防御拡大に気付いて警戒の動きを見せるあたり、相当手馴れた軍師を抱えている可能性もある。
 戦局を有利に傾ける為の罠を仕掛けてくるのは、何ら驚くことのない当たり前の作戦なのだ。
 その証拠にシチュエーションルームには最高幹部たるアネクメーネの若枝と数名の副官が集結しているものの、
バルムンク以外の誰一人として過剰反応を示した者はおらず、それがどうした、と言わんばかりに平然としている。

 自分一人だけ慌てたことに気付いたバルムンクは、バツが悪そうに肩を竦めながらアゾットの指示に従った。
 言われた通り、本当に深呼吸をしてしまうような生真面目な彼だから、
素っ頓狂な醜態をさらしても苦笑いされるだけで済むのかも知れない。
 同じことをホゥリーがやらかそうものなら、まず間違いなくアルフレッドを始めとする全員から総攻撃を食らっただろう。

 愉快そうに肩を揺らす同胞らを見渡したアゾットは、目の前でダンスパーティーが催されているかのような錯覚を覚えた。
シチュエーションルームは、さながら仮面舞踏会の様相なのである。
 “Aのエンディニオン”から“Bのエンディニオン”へ放り出された難民たちの安住と権利を確立―――
ギルガメシュが大義として掲げる『唯一世界宣誓』が達成されない限り、素顔を誰にも晒してはならないと言う誓いのもと、
末端の歩兵から最高幹部に至るまで仮面で表情(かお)の一切を覆い隠しているのだが、
これが妙な可笑し味を醸すのだ。

 兵団のように群れをなすと見る者に言い知れぬ恐怖感を与える仮面は、
しかし、身に着ける者がまばらであると心理圧迫の効力を失い、ひどく間抜けに見えた。
 仮面舞踏会でないなら仮装行列に行き遅れた道化師たちの洒脱な茶会か。
いずれにせよ、誓いと言う高尚な響きからはおよそかけ離れた光景であった。

 仮面群像の滑稽を浮き彫りにする原因は、シチュエーションルームの内装にもあるような気がする。
 アルフレッドたちの“Bのエンディニオン”の住人には
到底再現不可能な技術の結晶が室内のいたる場所に凝らされているものの、
かつてマリスがフィガス・テクナーとルナゲイトとを見比べて感じた違和がここにも当てはまった。
 “Bのエンディニオン”など比べ物にならないレベルの技術ではあるが、
そのいずれもが無駄を省き過ぎていて味気なく、ともすれば無味乾燥に感じられた。
 味気ない空間に洒脱な仮面群像が存在するのだ。
互いに独自のカラーを強調し合ってしまうのは自明の理と言ったところである。

 超技術を使いこなす立場にある彼らも利便性の半面である洒落っ気の無さを物足りなく感じているらしく、
デジタルウィンドゥを自分用にカスタマイズしている。
 プログラムそのものを改変する必要があるのだが、
本来は必要最低限の情報のみを緑色の明滅によって表示するデジタルウィンドゥのデザインをグラムはレシプロ機を模したものに変え、
コールタンは、どこをどう改造したのか、ウィンドゥの表示面に動物のシールらしきものが貼り付けられていた。
 もちろん本物ではなく、電子的な形式に変換されたものだ。
 よくよく見るとバルムンクもバルムンクでウィンドゥ内に表示される文字フォントを、
猪突猛進気味な彼の性格を表す荒々しい筆字に変更しているではないか。
 フラガラッハに至っては、作戦会議中にも関わらずデジタルウィンドゥをプライベート回線に切り替えて
Webサーフィンを楽しんでいる始末である。
 情報配信用のデジタルウィンドゥへプライベート回線をリンクさせるのは、
その道の専門家曰く大変な根気と労力を必要とし、なおかつハッキング紛いの技術力まで求められると言う。
 どうしてその労力をブリーフィングへ向けられないのか…と苦笑するアゾット以外に
本来のデザインのままデジタルウィンドゥを使っている幹部は誰一人としていなかった。

 フラガラッハのように見るに見かねる態度を取るような輩には
首魁たるカレドヴールフが厳罰をもって対処すべきなのだが、生憎と彼女は私用の為にブリーフィングを欠席している。
 ギルガメシュの命運が駆けられた大事なブリーフィングを部下らに一任してまで出向く用とは、
果たしてどんな重大なものなのか―――
自然、噂の種になったのだが、カレドヴールフ当人がこの日の足取りについて何事か漏らすことは無く、
真相は誰にもわからなかった。

 首魁不在と言う事情もあって軍師のアゾットが議事の一切を担うことになったのだが、
彼には同胞らの我が儘を注意するつもりなど毛頭無い―――と言うよりも最初から放棄していた。
 何故ならアゾット自身もデジタルウィンドゥを音声タイプへ切り替え、自由気ままに使っているからだ。
 本来なら文字や画像として表示されるべき情報が、
バロック調のクラシック音楽に乗って逐次アナウンスされると言う奇妙なイヤホンで右耳を塞いでいる。
 その為、同胞らの間で交わされる意見交換は左耳のみで拾っているのだが、
人の声と音楽とをアゾットは器用に聞き分け、議事進行をスムーズに取りまとめている。

「このタイミングでグドゥーの勢力が統一されたのですから、裏側に草賊の介入があったと見るのが自然でしょう。
これまでに入っている報告によると一商人の手による鮮やかな転覆劇のようですが、
件の商人には軍事的な経験がありません。そのような輩に武装勢力を統一できるかと言うと、大いに不可解ですね。
アゾット様が罠と勘繰るのも得心がつきます」
「補足説明、ありがとう、アサイミー君」

 アゾットが“馬軍の罠”と疑った部分について補足説明を添えたのは、アサイミーと言う副官である。
 アネクメーネの若枝よりも階級が下位にあることを弁えているのか、それとも元来の性格なのか、
彼女が操るデジタルウィンドゥは、本来のデザインを留めていた。

 今まさに補おうと思っていた通りの説明をこなしてくれた副官にアゾットは恭しく礼をして見せたが、
上下の関係が作用する階級をことさら強く意識するアサイミーにしてみれば、かえって迷惑だ。
 最高幹部に数えられるような高位の人間にはわからないだろうが、
天井を知る者ほど階級から来る上下関係を意識し、上官からの言葉に恐縮するものなのだ。
 平身低頭など持っての他。優越感に浸るどころか、かえって気を遣ってしまうのである。

 これ以上つっつくと話が進まないと判断し、アサイミーの恐縮を見て見ぬフリしたアゾットは、
同胞らが個人で使うのとは別に大きなデジタルウィンドゥを上座付近に展開させ、皆の注目を集めた。
 新規に開かれたデジタルウィンドゥには、個人使用のものとそっくり同じ映像が表示されている。
エンディニオンの勢力分布図である。
 個々人で確認した分布図をどうして新しく表示する必要があるのか、と口に出しかけたフラガラッハは、
アゾットが常日頃から唱えている「全員で同じスクリーンに注目すると意見が交換し易くなる」との持論を想い出し、
慌てて質問を飲み込んだ。
 知恵の働く人間を向こうに回すと必ず理論武装でやり返されるものだ。
 アゾットの場合は理論武装に加えて回りくどい言い回しなど人を不快にさせる話術に長けており、
フラガラッハ自身も何度かやっつけられた経験がある。
 頭でアレコレ考えるよりも身体を動かして暴れるのを好むフラガラッハにとって、アゾットのようなタイプは天敵と言えた。

 ―――エンディニオンを取り巻く勢力の分布はここ数日の間に再び塗り変えられていた。
 暴力的屈服よりの解放を叫ぶ義勇軍とヴィクドの傭兵軍団を新たに迎えたテムグ・テングリ群狼領であるが、
本営に大きな動きは見られない。ギルガメシュに抵抗するレジスタンスの到着を待っているのだ。
 各地に分散した小隊もギルガメシュとの決戦を意識して大規模な攻撃は控えている。
 決戦を意識しているのはギルガメシュにしても同じことで、
下手な刺激を与えないようここ数日は出撃してまで敵兵を討ち取ろうとする者はおらず、反撃も最小限に抑えられている。
分布図だけで判断すると膠着状態に陥ったと見えなくもない。

 双方ともにグドゥー地方の統一と言う突発事態を大いに意識していた。
 敵方にも名軍師と認められるアゾットであるが、グドゥーの統一ばかりは予測していなかった。
 ギルガメシュの脅威に焦燥し、窮鼠と化した四大勢力の内のいずれかが、
均衡を壊すかのような征圧劇を演じたものと思ったのだが、詳細な報告は彼に更なる衝撃を与えた。
 グドゥー地方を統一せしめたのは四大勢力のいずれでも無い。
 “ファラ王”なる人物の率いる全くの新勢力が、台頭と共に四大勢力を平らげたと言うのだ。

 ただそれだけならダークホースの一言で済むのだが、驚愕すべきは“ファラ王”のバックボーンである。
 彼が率いるのは四大勢力のような暴力組織ではなく、グドゥー地方を中心に店舗を展開させる食料品店なのだ。
当然ながらK・kのように銃器を取り扱うこともない。
 何の変哲も無い食料品店のオーナーが、突如として暴力と無法の支配するグドゥー地方を統一してしまったのだから、
驚くなと言うほうが無理な話だ。

 勿論、テムグ・テングリ群狼領がギルガメシュ内部の霍乱を図るために流した誤情報というセンも捨てきれない。
食料品店のオーナーがグドゥー統一を成したと仰天話より誤情報で結論したほうがずっと信憑性があると言うものだ。
 とすると、荒唐無稽な誤情報はグドゥー地方からギルガメシュを遠ざけるための奇策だろうか。
 テムグ・テングリ群狼領としては自慢の機動力が発揮し辛い砂漠よりも別の場所に決戦場を移したい筈である。
ますます誤情報であるとの疑いが説得力を帯びてくる。

(………しかし………)

 ………しかし、ここまで信憑性を疑うような誤情報を果たして流す必要があるのだろうか。
話を捏造するにしても、もう少し相手を説得できるような内容に出来たはずだ。
荒唐無稽が過ぎて真っ赤な嘘と一笑に伏されてしまったら、本末転倒で取り返しがつかない。
 敵を罠に嵌めると言うにはリスクが高過ぎる奇策とアゾットの眼には映った。
 あるいは、こうした波紋を敵中に落とすのが敵の“罠”なのか―――
情報と仮説とが幾重にも錯綜し、なかなか結論は見えて来なかった。

 決戦の舞台として定めたグドゥー地方へテムグ・テングリ群狼領を誘き寄せる為、
敢えて四大勢力とは接触を持たぬようにして来たのだが、
それが状況把握に隙を生んでしまったのは事実であり、ともすれば失策だったと判断せざるを得ない。
 長年に亘って膠着状態を続けていると言う四大勢力は、その均衡を崩すのを恐れて滅多には動かず、
馬軍か、あるいは仮面の兵団か、どちらかへ荷担するにしてもギリギリまで傍観を決め込むとアゾットは読んでいたのだ…が、
あろうことか決戦を前に新勢力が台頭し、均衡が崩れたのだから読みは大外れ。そうとしか言いようもない。
 先読みを凝らしたのが仮に株券であったら、火傷では済まない大損を被っていたところである。

「うん………、テムグ・テングリ群狼領に全軍を動かす気配が見られない点も気にかかる。
グドゥーの新勢力と手を組んでいるのなら、基盤も固めなくちゃだし、とっくに現地入りしているだろうしね。
何か理由があって動かないのか―――それとも味方とは言えない新勢力を警戒して動けないのか………」
「由々しき問題ですよ、これは。このままでは“期日”にも間に合いませんっ。………あぁ、どうしたら………どうしたらっ………!」

 戦いに何の“期日”があるのかはわからないが、とにかくアサイミーは期日期日…とうわ言のように繰り返し、
冷汗まみれの顔を両手で覆った。

 アサイミーはグドゥーの転変のみを取り上げて危急を訴えているわけではない。
ギルガメシュが置かれた情勢を総合的に分析し、その上で由々しき事態に陥ったと叫んでいるのだ。
 テムグ・テングリ群狼領からの依頼を受けたメアズ・レイグは、各地でギルガメシュに関する事実無根の悪評を流し、
ときには自ら仮面の兵士に扮して暴れ回り、煽動を謀っているのだが、その効果はやはり絶大なものであった。
 フェイの呼びかけた解放戦は、不当に貶められたギルガメシュにとって最悪の追い打ちだ。
 メアズ・レイグ、フェイの行動とその効果が絡まり合った結果、ギルガメシュは物資の徴発も徴兵も思うように運ばなくなり、
人・物両面で想定外の苦境に立たされたのである。

「こうなるとわかっていたら、諜報活動にもっと力を入れたのですけどね。いやはや、迂闊でした」
「その他人事のような言い方は何ですかっ! 軍人にあるまじき怠慢ですよ、これはっ!」

 にわかに染み出し始めた劣勢の兆しを他人事と捉えているかのようにアゾットは軽佻浮薄で、
爪を噛んで悔しがるアサイミーとは好対照。
 大敗北に直結し兼ねない凶兆を正確に認識し、理解しているのかさえ疑わしい。

 最高幹部たる者に許されざる態度を快く思わないアサイミーは、相手が上官であるのも構わず露骨に不満を示したが、
周囲に他人事と誤解されてしまうようなアゾットの軽薄さにもれっきとした理由があった。
 感情や主義へ左右されずに物事を客観視する冷静な眼力と分析力が軍師たる者の絶対条件なのだとアゾットは心に決めている。
 彼はその信条に基づいて高度に分析と計算の凝らされた軍略を練るのだが、
客観的な眼力を極めるがゆえに、傍目には取り組むべき重大問題を軽く扱っている風に見えるのだ。
 軍略を凝らせば凝らすほど真剣さが足りないと周囲の眼に映ってしまう損な性分を彼は背負っていた。
 時折、そうとは知らずアサイミーのように誤解する人間が現れるのである。

 もう何年も死線を共にしてきたのだから、いい加減この奇癖にも慣れて欲しいと苦笑いしてやりたいアゾットだったが、
アサイミーは導火線へ火が点いた途端に過度にヒステリックになる。
 そうなってしまうと手の施しようが無く、せっかく設けたブリーフィングが崩壊する危機も考えられる。
ならばそっとしておこう―――先ほどのフラガラッハではないが、触らぬ神に祟り無し、と言うことである。

「のほほんとやって貰ってるところ悪いんだが、“期日”に間に合わなくなってはさすがに困るな。
兵隊の数じゃ俺たちの分が圧倒的に悪いんだ。言ってみりゃ、“期日”が勝負の分け目なんだぞ?」

 アサイミーを相手に難儀しているアゾットを見て取ったグラムがやんわりと議事進行を促した。
両者に角が立たないよう配慮した言い回しは、成る程、まとめ役と呼ばれるのに相応しい。

「グラムさんの言いたいことは重々承知していますよ。私も伊達に軍師を名乗っているわけではありませんからね。
具体的な方策も“計算”してあります」
「ンなッ!? ど、どうしてそれを早く明かしてくださらないんですか、アゾット様ッ!?」

 逆転の道を打開する“計算”を立ててやれば、ヒステリックも収まることだろう―――
アサイミーがヒステリックを起こすのは、大抵の場合、自分の立場が追い込まれたときであって、
危機が解消されれば平常心を取り戻すと言うことをアゾットは理解していた。

「………このモヤシッ子の底意地のワルしャは、きにョう今日に始まったことじゃにャいにょ。しョろしョろにャれにャいと」

 シチュエーションルームに居合わせる誰よりも小柄なコールタンの声は、
その体格に似つかわしく愛らしいものであったが、しかし、言葉自体には猛烈な毒気をはらんでおり、
ケラケラと笑いながらキツい皮肉を吐き捨てた。
 華奢で小柄と言う体格だけで判断するならばベルと同じ年頃であろうか。
毒舌はともかく声色は幼年のそれであった。

「―――兵を動かします。テムグ・テングリ群狼領をグドゥー地方に燻り出し、
“期日”へ間に合うよう決戦に持っていきます」

 そう前置きしてからアゾットは“期日”に決戦へ持ち込む為の作戦を同胞らに説明し始めた。


 作戦は幾つかの段階に分かれて遂行される。
 ギルガメシュ本軍をグドゥー地方へ移動させることを第一段階とし、
次いで別働隊によってテムグ・テングリ群狼領本営の背後を脅かすとアゾットは提案した。
 敵に先んじてギルガメシュ本軍がグドゥー入りするのは挑発であり、
第二段階の別働隊攻撃は座禅でも組むかのように長陣を布くテムグ・テングリ群狼領を刺激し、
“期日”までに決戦場へ追い立てる為の措置である。

「さながらウッドペッカーの如き戦法ですな………さすがはアゾット殿。いや、自分にはとても思いつきませなんだ」
「逸るなよ、バルムンク。この作戦にはちょいと難点があるじゃないか。
………アゾット、敵を背後から突いて決戦場に急き立てるって作戦は実に良く出来てるがな、
俺たちは“増援待ち”が頼みってぇくらい人手不足なんだぜ? どこから別働隊を用立てる? 
まさか本軍から動かすわけには行くまいよ。そんなことすりゃ決戦で使える兵隊がいなくなっちまう」
「本末転倒なんてバカなマネだけはし腐るんじゃねーぞ。ンなことにでもなったら、てめぇ、俺直々にお仕置きしてやっからな」
「この赤毛は相変わらじュ血の気が多いでしュね〜。キャルシウムを摂りなしャい」
「皆さんの懸念はご尤もですよ。もちろんアサイミー君のもね」
「………私は別にいいのですけど」

 グラムが懸念を示した通り、巨大な連合軍となりつつあるテムグ・テングリ群狼領と比べて
ギルガメシュ本軍の抱える兵数はあまりにも少なく、多く見積もって二千程度であった。
 ルナゲイト征圧には最終的に五千近い兵が参加していたものの、
現在は各要衝防衛の任に就いており、本軍を離れてしまっており、とても別働隊に割くだけの余剰は無い。
 これに対してテムグ・テングリ群狼領は、八万もの大軍勢。
二千対八万では、よほどの神業を駆使しない限り、ギルガメシュが勝利を収めるのは困難である。
と言うよりも絶望的な構図としか言いようが無かった。
 しかも、アゾットの試算では、半月以内には現状より倍近い数に連合軍の勢力は膨らむ可能性が高く、
ギルガメシュが人的劣勢を覆すには今のうちに本営を叩き、敵増援のラインを断っておかねばならなかった。

 必勝を期すには決して外すことのできない要である別働隊要員だが、
人員の不足と言う現実問題に阻まれてしまい、実行は不可能かに思われた。
 そこでアゾットは人員確保の為の奇策を提案し、これは驚きをもって仲間たちに迎えられた。
 なんと別働隊要員を重要拠点に充てていた防衛力から割くと提案したのである。

 奇策を受けて開口一番「何を血迷ったんスかッ!?」と叫んだバルムンクの気持ちは解らないでもない。
 ギルガメシュ全軍五千の兵力の内、二分の一以上を各要衝の防衛に回しているのは確かで、
ここから少しずつでも動員して行けば別働隊を組んでテムグ・テングリ群狼領を奇襲できるだろう。
 だが、現在までに防衛力の殆どが重要拠点に結集されている点を見過ごすわけにはいかない。
 テムグ・テングリ群狼領の反撃に遭い、これまで掌握していた各要衝が次々と奪還される中、
アゾットは最重要拠点だけは死守するよう防衛力の強化に努めてきたのだ。
 ところが今度はその意見を翻し、防衛力を切り崩して別働隊を結成すると言うのである。
 よしんば別働隊を結成してテムグ・テングリ群狼領をグドゥーにまで攻め立てられたとしよう。
だが、その弊害として手薄になった拠点はどうなるのか。間違いなく敵小隊の猛襲を受けて陥落するだろう。
テムグ・テングリ群狼領とて防衛力の低下を逃す手はあるまい。

 グドゥーでの決戦に勝てば御の字だが、仮に敗走するような結果に終われば、もう後が無い。
 重要拠点を奪還せしめた上に決戦にも勝利した敵は、破竹の勢いでもってブクブ・カキシュを総攻撃し、
ギルガメシュは落日を見るのである。
 一つ打つ手を違えば一巻の終わり―――バルムンクのみならず、誰もが最悪の結果を危惧していた。

「別働隊へ動員するのは各拠点から百人ずつ。防御力を落としては本末転倒ですから、これは最小限に抑えましょう。
そして、ここからが大事なのですが、別働隊はあくまで背後を脅かすのみに留め、決戦には加わりません。
テムグ・テングリ群狼領が動いたら、すぐさま元の拠点へ取って返し、
奪還を目指して総攻撃を仕掛けているだろう敵兵を挟撃に攻め落とします」
「バルムッちゃんもこれでにャっとくかにャ?」
「そ、そういうことであれば………」

 詳細は違えども挟撃への派生はブンカンも考案した策である。二人の軍師の思考は再び交わった。

「また、一度で動かないようなら、動くまで何度も何度も背後を脅かします。
この際、波状に陣形を布き、包囲網を作って攻め寄せるとよりプレッシャーが与えられるでしょう」
「アゾット様、全軍でもって別働隊を攻める可能性は考えられませんか?
もし別働隊が蹴散らされることになれば、この作戦は破綻すると思うのですが………」
「たかだか少数の部隊に全力を用いるような真似はしないでしょうね」
「それは………なぜ?」
「士気が乱れるからだよ、アサイミー君。大一番を前にして上層部が取るに足らない小隊に全力を使ったと言う事実は、
末端の兵士たちの間に『我が軍には余裕が無いのか』という動揺を与えます。
結束の崩れた軍など最早烏合の衆。押っ取り刀で駆けつけたとしても十分に殲滅させられるよ。
力押ししか出来ない浅はかな人間ならいざ知らず、こうも見事な戦略を練る軍師と、
それを使う大将がそのような愚行を取るとは思えない」
「つまり、敵の賢明を信じろ、と?」
「戦略なんて言うと聴こえが良いけどね、要するに相手との連携プレーだよ。僕の持論だけどね」

 ブンカンが読んだ通りである。
 アゾットは相手の心理をも“計算”に入れて軍略を練っており、彼はそのことを相手との連携プレーと形容した。
大敵と雖も、そこに息づく人間性を信じていなくては万策も立てられない、と。

「あんたの言い草は確かにすげぇけどよ、不確定要素っつーか、運任せの部分が多過ぎて危なっかしいぜ」
「と、言いますと?」
「別働隊だってよ、全力出さなくたって十分にブッ潰せる数じゃねーか。
あとは…なんだっけ、挟み撃ち? 別働隊が戻るまで拠点の防御が保つ保証もねーだろうが」
「ふむふむ―――」
「グドゥーを統一したって言う新勢力が俺らに牙を剥かねーとは限らねェ。
いや、まじで統一されてりゃの話だがよ、決戦の前に余計な力を使うハメになるぜ」
「そいつは俺も同意見だな。アゾット、グドゥーの新勢力はなかなかデカい問題だぞ。
運良く味方に引き入れられれば良いが、俺たちの説得に応じてくれるかどうか」
「ファラなんたらっつーのは知らねーがよ、グドゥー統一に一役買ったのはどう考えても“先客”だ。
大方、こっちのエンディニオンの最新兵器でもブッ込んだんじゃーねの? 
原住民どもにとっちゃ、俺らの故郷(くに)の武器は、未来の世界の秘密道具みてぇなもんだ」
「そにョ推理はにャかにャか良いセン、行ってると思うにョ。にャんらきャの形で“先客”をたらしこんだんじゃにャいかね」

 グドゥー統一の背景で蠢く影に心当たりのあるフラガラッハとコールタンの視線は、
手元に展開させた個人向けのデジタルウィンドゥの、とある一点へ注がれていた。
 決戦場と目され、たった今も議題に挙げられていたグドゥー地方である。
 フラガラッハがコマンドを入力したのだろうか。つい先ほどまで表示されていなかったのだが、
勢力の分布を示す地図上へ新しい数値が現れている。
 フラガラッハとコールタンが視線を注ぐグドゥー地方の上にも二つばかり新しいウィンドゥが出現し、
片方には数日後の日付と“三千”と言う数値が記してある。
 “三千”と言う数値の頭に『G』と付けられたのは、何らかの識別表記だろうか。
もう片方のウィンドゥには、今日より少しばかり遡った日付と、“八百”と言う数値。こちらには『G』の頭文字は無かった。

 フラガラッハはグドゥー上に重なって表示された二つのウィンドゥのうち、
時を遡った日付のほうを指差しながら「“先客”と手ぇ組まれたんなら、まじで厄介だぜ」ともう一度、繰り返した。
尤も、アゾットは“先客”なる存在など気にも留めていない様子だが………。

「てか、それ以前にまじで“期日”までにテムグ・テングリがグドゥー入りしてくれんのか?
早い分にゃ長対陣でもして時間稼げばいいけどよ、ヤツらが一日でも遅れたらアウトだぞ。
まあ、俺らが出張れば勝てねーことはねーだろうけどよ、それじゃも痛み分けと変わんねーよ」

 仮面から溢れ出した豊かな赤髪を弄びながらフラガラッハが示した指摘はグラムも頷くところである。
 これに対してアゾットは急に真面目くさってこう答えた。

「―――勝利とは、五分をもって上とし、七分をもって中とし、十分をもって下とする」

 またか…とグラムとフラガラッハは顔を見合わせて肩を竦める。
 彼がこの古語を口にするときは、決まってある悪癖が角を出しているときだ。
 アゾットの軍師としての強みは、あらゆる物事を究極的に客観視し、
それによって得られた分析結果を基に考え付く限りの軍略を“計算”するところにある。
 異界と言っても差し支えのない“Bのエンディニオン”へ攻め入ったギルガメシュが今日まで大敗を期すことなく戦って来られたのも、
アゾットの演算能力に依る部分が大きく、彼の立てた軍略に従って軍事行動を遂行してきたフラガラッハやバルムンクも、
その功績は素直に認めていた。

 だが、完璧な人間などこの世にはおらず、誰にも欠点があるように、アゾットにも如何ともし難い悪癖があった。
 彼は物事を究極的に客観視する洞察力を備えているのだが、
これが長じた結果、あらゆる物事をまるでゲーム感覚で捉えるようになっているのだ。
 アゾットの手にかかれば、戦場はゲーム盤、兵隊とて駒でしかない。
軍師が最大の武器とすべき軍略などはせいぜいルール程度の扱いである。
 そして、ゲームは白熱すればするほど面白い。苦戦があればあるほど、攻略した際の達成感が大きくなる。
ここにアゾットの欠点があった。
 彼は作戦を立案する場合、必ずと言って良いほど敵の付け入る隙を設ける。
よほどの知恵者でなくては気付かないような小さなものだが、付け入られれば確実にダメージを被る綻びを。
 そうして陥った窮地を逆転させ、血路を開く術を兵たちに模索させて勝利するのがアゾットの美学らしいのだが、
戦場に立つ者にとって、命を左右し兼ねない悪癖は迷惑そのものである。
 それでいてギルガメシュ軍が瓦解しない程度の損失で済むよう“計算”を凝らしているところに
アゾットの憎たらしさが集約されている気がして、フラガラッハとグラムは肩を竦めるのだ。
「今度もその悪い虫が出たぞ」と。

 以前に一度、味方の損失をいかに減らして勝ちを収めるか。
この方策を探るのが軍師たる者の務めだとグラムも彼に注意したことがあるのだが、
件の古語でもって逆に言いくるめられてしまい、
それからと言うもの、味をしめたアゾットはゲーム感覚の軍略を窘める者の言葉を
同様の手口で押さえ込むようになっていた。
 アゾット曰く、「ギリギリで勝ったほうが兵たちに怠慢が生じなくなりますし、
生死が薄皮一枚のところで飛び交う状況でこそ技術的な成長率も飛躍する」とのこと。
 このもっともらしい言い分がカレドヴールフの琴線に触れてからは、いよいよ口出し出来る人間がいなくなった。
 総司令のお墨付きを得られては、どれだけアゾットのゲーム感覚に不満があろうと従うしかないのだ。

 カレドヴールフもアゾットに負けず劣らず理屈っぽいところがあり、それで波長が合ったのだろう。
「アゾットの言い分にも確かに一理ある。だが―――」と語尾に続くハズの弊害よりも一の理に
大いなる感銘を受けてしまった訳である。

「グドゥーの新勢力が“先客”を取り込んだ可能性は十分に考えられます。フラガラッハ君の指摘が的中する可能性もね。
ですが、そうした危地に直面し、切り抜けられた人だけが本当の意味での成長を―――」
「………てめぇの講釈は聞き飽きてんだ。とっとと先進めろや」

 話したくてたまらない講釈をうざったいとばかりに手で払われたアゾットは、
一瞬だけ残念そうな目をフラガラッハに送った後、気を取り直して同胞らを見渡した。

 一斉に浴びせられる視線が次にどんな言葉を待っているのか理解しているアゾットは、
心中に飛び出した悪い虫が囁くままに咳払いや深呼吸を繰り返して勿体つけ、同胞らが焦れる様子を楽しんだ。
 案の定、シチュエーションルームへ焦れた空気が漂い始め、彼の悪戯心を察したグラムがやれやれと頭を掻く。
そろそろフラガラッハあたりが我慢の限界を来たす頃合だろう。

「てめ、コノヤロ、いい加減に―――」
「テムグ・テングリ群狼領との決戦ではバルムンク君に兵権を取って貰おうと思います。
バルムンク君、よろしく」
「―――えぇっ!? 俺………じゃない、自分が、ですかッ!?」

 まさか自分の名前が呼ばれると思っていなかったバルムンクは、またも素っ頓狂な声と共に飛び上がった。
 比喩でなく、本当に椅子から飛び上がり、その拍子に膝をデスクに痛打してしまった。
 最高幹部、アネクメーネの若枝に列しているものの、バルムンクはまだ若く、経験とて浅い。
ギルガメシュと言う隊名が付く以前からこの部隊に参加し、数多の修羅場を潜り抜けて来た最古参――
カレドヴールフやグラム、アゾット、コールタンと比べれば実績など皆無に等しいのだ。
 周囲の評価はともかくバルムンク自身はそう捉えていた。
 彼にしてみれば、大局を決する戦いの総大将を自分が任される意味が理解できないのである。
 自身の部隊を任されてはいるし、局地的な戦闘は何度となく経験しているものの、
大軍と激突する大掛かりな軍事作戦自体がバルムンクには初めてである。
 そんな人間にどうして決戦を切り盛りできようか。
 経験も実績も豊富な古参の中からこそ、決戦を任せるに相応しい人間を選ぶべきだとバルムンクは声高に反論した。
 決戦の総大将へ任じられた瞬間に身体中の水分が蒸発してしまったようで、嗄れ切った声での絶叫である。

 思いがけない大役を任じられて動転し切った様子のバルムンクを案じたグラムは、
「まだ早いのでは?」とアゾットにそっと目配せするが、軍師にも軍師なりの考えがあっての任命だ。
 無言の“間”へ「今を逃すと彼の成長は止まる」との意思を乗せて、アゾットはグラムに瞬きし返した。
 仮面で遮断されている為に目配せがきちんと伝わったかどうか危惧したアゾットではあるが、
彼から送られたものを受け取れたのだから、向こうにもきっと届いているだろう。
 アゾットの危惧は杞憂に終わり、彼の意思を汲んだグラムは静かに頷き返してくれた。

 大規模な軍事作戦が初めてのバルムンクに指揮権を任せると言う決定は、
ともすれば一種の大博打のようでもあり、アゾットがまたしても悪癖を出した風にも取れる。
 しかし、こればかりはゲーム感覚ではない。彼でなくてはならないれっきとした理由がある。
 バルムンク自身は不安がっているが、“愛馬”を駆って前線に押し出す胆力・技量は言わずもがな、
騎馬隊を指揮し、実力以上の戦闘力を発揮させる統率力はギルガメシュ内部でも極めて優秀な評価を得ている。
 謙遜の裏に隠された確かな実績と、何よりも高いポテンシャルに期待すればこそ、
アゾットはバルムンクに総大将を任命したのだし、グラムも軍師の下した決定を快く受け入れたのだ。
 今は経験の浅さが不安となって浮き出ているが、場数を踏めばいずれグラムに比肩する戦士に成長するだろう。
 彼はまだ若い。そして、その若さに満ちた伸び代を生かしてやるのが先達の務めなのである。

 ゲーム感覚で駒を動かすとは言え、アゾットとてギルガメシュの軍師だ。
隊の形勢を傾けかねない敗戦は避けるべきであり、成長を促すきっかけと言ってもその危険性がある戦いへ
バルムンクを登用するつもりは無かった。
 必ず勝てる算段がついた戦いだからこそ、バルムンクの技量を高められるチャンスだとアゾットは判断したのだ。
 大部隊の指揮を経験させるには、今しかないとも考えていた。

 「暴れたかったぜェ」とボヤくフラガラッハには申し訳ないが、
指揮官としてのポテンシャルはバルムンクのほうが彼より数段高いとアゾットは見ていた。
 個人の戦闘能力という点では、フラガラッハへ軍配が上がるのは揺るがし難い事実だ。
 常日頃から弛まぬ努力を続けるバルムンクも得物のグレートアックスを持たせ、愛馬に打ち跨ったなら、
他の追随を許さぬ強さを見せる猛者だが、フラガラッハは身体能力に天賦のものがあり、
一度戦場に降り立つとバルムンクとは別の意味で余人を寄せ付けなかった。
 全方向に目が付いているのかと疑ってしまうような身のこなしでありとあらゆる攻撃を避け、
気配だけで相手の位置を把握し、的確かつ電撃的に平らげていく様は、さながら餓狼と恐れられている。
 ………尤も、彼が餓狼に喩えられ、畏怖される由縁は天賦の戦闘力でなく、
血肉を求めるかの如く徹底的に破壊を尽くす戦い方にあるのだが。
 また、フラガラッハには、他のアネクメーネの若枝の誰もが持ち得ぬ“異能”が備わっており、
これを発動した彼は、単騎でもって大都市を征圧するほどの攻撃力と防御力を得、破壊の限りを尽くすのである。

 自身の部隊を総動員してやっと小都市を征圧するのみの戦闘力しか行使出来ないバルムンクでは、
攻撃面でも防御面でもフラガラッハにリードを譲っていると言わざるを得なかった。
 無論、単騎での戦闘に重点を置くフラガラッハの戦い方と、
大量の兵を指揮し、広域への突撃を駆使するバルムンクの戦い方は一概に優劣を分けられるものでないのは確かだ。

 全く異なる戦い方を取る両者ではあるものの、目に付くもの全てを破壊衝動の赴くままに攻撃する激情型と、
いかなる乱戦に縺れ込もうと戦況を冷静に分析し、部下に的確な指示を下せる冷静型では
指揮官としてのレベルの高さは自ずと差が出る。
 アゾットがバルムンクを選んだのは、至極自然な成り行きであった。

「とは言え、相手は原住民中最強の勢力だ。敵さんも味方さんも、これまでに無くデカい兵隊を動かさなきゃあならねぇ。
“メルカヴァ”以来の大きな戦いになるだろうな」
「プ、プレッシャーかけないでくださいよ」
「だから俺も随いて行こうと思ってね。及ばずながらサポートさせて貰うとするよ」

 アゾットの判断を尊重こそするが、やはりバルムンク一人へ負わすには荷が重過ぎると認めたグラムは
彼の成長を阻害してしまわない程度にサポートしてやることを決めた。
 万が一、撤退の運びになったとき、全ての責任を彼一人に押し付けて有望な前途を閉ざしてしまうのは、
バルムンクを弟分のように可愛がるグラムには何としても避けたい事態であるし、
自分が背後に護ることで彼の不安が和らぐのも理解していた。

 案の定、バルムンクは兄貴分の申し出を飛び上がって喜んだ。
 今度も比喩でなく本当に飛び上がり、その拍子に両膝をまたも強打したが、
痛覚などは大きな喜びの前にすっかり麻痺してしまっている。

「本当ですか、グラムさんっ!」
「おいおい、サンオイル片手に出かけるって人間をあんまりアテにしないでくれよ?
肌を焼くのに砂漠は丁度良いってんで随いて行くんだからな」

 仮面によって遮蔽された下を実際に確認することは難しいが、
感情の一つ一つを大袈裟なボディランゲージで体言するバルムンクなので、
いくら堅牢に固めても表情は透けて見える。
 グラムの申し出にキラキラと瞳を輝かせているのは想像に難くなかった。
 リアクションの大袈裟な人間に合わせると相対的にグラムの表情も透けて来るから不思議だ。
彼は仮面の下で苦笑いを漏らしているに違いない。あるいは、愛すべき同胞への親しみに満ちた微笑か。

「人工樹脂が焼けるもんでしュか。あにャたの肌は人造物でしョうに」
「マーマには粋のスピリットを理解して欲しいねぇ。自分の肌事情は俺が一番わかっているさ。
それでも焼くってのが粋なのさ。男って生き物はね、マーマ、肌じゃなくてハートを焼く生き物なんだよ」
「含蓄に富んでいしョうで意味がにャさ過ぎるにょ。ハートに栄養が欲しいにャら、いっしョのこと光合成でもしたりャ? 
植木鉢に両足突っ込んで」

 見た目には父と娘ほどの開きがある少女を捕まえて“マーマ”呼ばわりするグラムの声色には多分にジョークの趣が感じられたが、
呼びつけられたコールタンは気分が良いものではない。
 「誰があにャたのおっかしャんかっ!」と手近にあった大理石の灰皿をグラムの額めがけてコールタンは全身全霊で投げ付けた。
 灰皿には隣席のフラガラッハが捨てた煙草の吸殻が山のように積まれており、
空中で四散した灰が新手のイジメかと思えるくらい物の見事にバルムンクに降り注いだ。
 額に命中こそしたものの、カーンと小気味の良い音を奏でて灰皿を弾いたグラム以上に
巻き込まれたバルムンクのほうが圧倒的に大きく被害を被ったように思える。

 極小の粒子が仮面の中にまで入り込んだらしく、激しく噎せ返ったバルムンクは、
議事進行を務めるアゾットの許可を得るとシチュエーションルームを一旦辞した。
 通気性の悪い仮面だ。脱がないまま煙草の灰を除去することは不可能である…が、
“誓い”は遵守しなくてはならず、シチュエーションルーム内で脱ぐわけにも行かない。
 最寄りのトイレに駆け込み、厳重に施錠した個室で息切らせつつ仮面を引き剥がすバルクンクの姿が目に浮かぶようだった。
 バルムンクがトイレから駆け戻るまでの暫時、ブリーフィングは中断されたが、
その間、コールタンはずっとグラムに対してネチネチと小言をぶつけ続けた。
どちらかと言えば、マーマではなく姑さんのようである。

 軍師を含めて武官が大半を占めるアネクメーネの若枝の中に在ってコールタンだけは毛色が違った。
 大規模な戦闘ともなれば彼女も戦場に立つのだが、それも緊急時以外では在りえない話で、
余程のことでも起こらない限り、コールタンはブクブ・カキシュ内へ設けられたラボに籠もりきりなのである。
 衛兵隊の指揮も副官に任せきりと言う始末であるが、それにも関わらず弾劾沙汰とならないのは、
アネクメーネの若枝唯一の“技官”と言う肩書きを彼女が背負っているからである。
 ある特別な待遇と背景を持ってギルガメシュに参加したコールタンは、
おそらくエンディニオン史上最高レベルにあるだろう技術力を使いこなし、隊内にて使用される最新兵器の開発を主務としている。
 外見はキンダーガートゥンの園児であるにも関わらず、どこでそのような技術を習得したのかは定かではないが、
コールタンは超技術が栄華を極めていた先史文明の末裔であり、
現代において流布されることの無い秘術を人類で唯一継承しているとまことしやかにささやかれていた。
 彼女が先史文明の頃より生き続ける魔女だと見る根も葉もない噂もあるくらいだ。
 コールタンはいずれの噂も否定せず、曖昧な態度でぼやかしているが、
それは触れられたくない過去を誤魔化すと言うよりは、皆を煙に巻いて楽しんでいる気配が強い。

 一方、灰皿を弾き飛ばした額を擦りながら「これもドメスティック・ヴァイオレンスかね、一種の」と苦笑するグラムの肌は、
コールタンにも人工樹脂と指摘されたが、呼吸する生身からは大きくかけ離れている。
 一見、そうとはわからないほど精巧に作り上げられているものの、皮膚の動きからして作り物めいており、
光沢や皺の寄り方はラバーの質感に近かった。
 そもそも仮面に覆われず、露出した額が金属音を立てて弾かれるハズが無い。
 何を隠そうグラムは、肉体のおよそ89%を機械及び擬似生体物に改造したサイボーグなのである。

 ギルガメシュと言う名前が付く前から隊に参加し、カレドヴールフらと共にいくつもの死線を潜り抜けてきたグラムは、
その中で最も劣勢を強いられた激戦の折に半身を吹き飛ばされる重傷を負ってしまった。
 内臓を含む体組織の半分を失い、生きていることさえ奇跡と言える重体に陥ったグラムだったが、
本人が表した、生き残らんとする強い希望とカレドヴールフの下した延命の判断が合致し、
脳以外の殆どを機械へ置換するサイボーグ手術によって生還を果たしたのだ。

 脳も全くの無傷であったわけでなく、損傷を著しく被った部分は人工細胞を移植して補い、
感覚神経へ現れた後遺症の改善には、生体部品で組まれたバイオコンピューターが充てられた。
 心臓を含む臓器の機能は胸部に搭載された一個のリアクターが担当し、
全身には血管の代替に細微なエネルギーバイパスが走るなどおよそ生物らしからぬ肉体となったものの、
脳から伝達される信号を的確かつ精密に伝達する神経は人工の筋肉の中を通っており、
機械のそれでなく人間としての動きが完成されている。
 いや、常人を遥かに超越した動きは超人と言うべきか。
 なにしろ誤差0.1%の演算機能を発揮するバイオコンピューターと生物的な感覚神経を融合させた身のこなし―――
サイボーグ風に表すと運動性は、生物の限界を軽々と突破する物である。
 とは言え、骨格も生体金属であるから、筋肉を包む装甲板と合わさって常人の数百倍は頑強だ。
 超人的な運動性と瞬間一万発ものライフル弾の直撃にもビクともしない耐久力を両立させたグラムの肉体は、
この地上において最強と言っても過言ではなかった。

 しかも、だ。サイボーグ化に際して全身の至る場所へ重火器を搭載されており、火力の面でも大幅にブーストアップ。
バルムンク、フラガラッハと戦闘力の差異はこれまでにも考察してきたが、グラムの場合、彼らとは強さの次元が異なっていた。
 無数の砲撃を浴びながら平然と黒煙を割って現れ、自身に向けられた重火器の倍以上もの数の砲弾を撃発する姿は
戦場において何にも勝る恐怖を敵軍に与えるのだ。
 いくらなんでもそのような真似はフラガラッハにも出来はしない。
 ジョークばかり飛ばしながらアネクメーネの若枝のまとめ役を務められるのは、
常人の域を超越した次元違いの戦闘能力に裏打ちされた絶対なるステイタスがあるからだ。

 瀕死の重傷を負ったグラムに自身の持つ技術力の全てを注ぎ込み、超戦士として復活させたのがコールタンなのである。
 そうした経緯もあって、コールタンを第二の“マーマ”と呼んでいるのだが、
本気で彼女を母のように思っているかと言うとかなり怪しいもので、
幼い容姿とのギャップを揶揄した彼なりのジョークであると同胞らは認識している。
 迷惑至極とばかりに逆上するコールタンに何度となく手酷い打撃をブチ込まれようとも
彼女にとって忌々しいことこの上無い呼び名を止めないあたりにもグラムの真意が見抜けた。

「………わかりました。不肖、このバルムンク、次なる合戦に己が全てを懸けます。
必ずや唯一世界宣誓を達してご覧に入れます」

 願っても無いグラムのサポートによって不安を和らげたバルムンクがようやく重い腰を上げ、ブリーフィングの本旨はまとまった。
 後は合戦における細かい配置を詰めるのみだが、ここは軍略に一日の長があるアゾットが総大将に代わってイニシアチブを握り、
バルムンクが驚いている内に陣形から何から全て取り決めてしまった。
 バルムンクも自身の経験不足を素直に認めているし、アゾットの知略には絶対的な信頼を置いている。
彼に任せておけば、万事上手く行くだろう。自分は持てる力を出し尽くして戦うまでだ。
 唯一、心配なのは、彼がまた悪戯心を出して苦しい戦況へ陥るような陣形を整えていないかと言う点だが、
それも後ろに控えてくれるグラムへの安心感が払拭してくれた。


 アゾットは合戦における最初の陣形を“車懸かり”とし、次いで第二の陣形を整えるようバルムンクに指示した。
 車懸かりの陣形とは、本隊を中心に車輪が回転するかの如く部隊を展開し、逐次新手をぶつける短期決戦型の陣形である。
 護りを考慮せず全身全霊を傾ける陣形だけに兵たちの消耗が激しく、
相当な長期戦が予想される大軍勢を相手に布くには明らかに不向きと見えた。

 これこそアゾットの悪戯心―――とフラガラッハは毒づいたが、敢えて“車懸かり”の陣形を用いるのには軍師なりの深慮があり、
その真髄は第二の陣形にこそ収束されるのだ。
 戦端を切る電撃的な陣形とその後を見据えた別陣形を使い分ける戦法でもってアゾットは、
ギルガメシュに、バルムンクに必勝の好機を授けようとしていた。

「アゾット様が陣形戦術を取られるのでしたら、私もそこに色を添えさせていただきましょう。
私の“とっておきの子”をお使いください、バルムンク様」
「みんなにここまでサポートしてもらえるんだ―――情けない戦いは絶対に出来ないなッ!!」

 アサイミーも何やら助勢する手立てがあるらしく、含みを持たせた物言いでバルムンクに協力を約束した。
 副官からも強力なバックアップが得られると聞いたバルムンクは、
つい数分前まで披露していたこの世の物と思えない落胆振りから一気に挽回し、
右の拳を左の掌にぶつけて気合いを入れ直している。

 不安を拭い去り、ただ一心に戦意を昂揚させたときの彼は恐ろしいほどに手強い。
 踏み出す一歩を勝利への前進のみに定めたバルムンクからは一切の恐れが消し飛び、
十倍以上の大軍が相手だろうと平然と立ち向かう不屈の闘志が燃え上がるのだ。
 そして、紅蓮の炎を巻き上げる灼熱の闘志は、これを見る仲間に伝播し、それを向こうに回す敵勢を脅かす。
 総大将の闘志に触発された将兵が獅子奮迅の勢いで突撃するのに対し、
気勢を挫かれ、防御の気力をも失った敵勢は脆く瓦解するのみである。

 あまり多弁が過ぎると余計なプレッシャーを与えてしまうので伏せておいたが、
アゾットがバルムンクを総大将に推した理由の中でも、彼にしか持ち得ない闘志はとりわけ大きな位置を占めていた。
 今後の展望を考える上で、周囲をも飲み込むバルムンクの精神力は是非とも研ぎ済ませたいものであり、
ギルガメシュの将来には欠かせない要素だとアゾットは考えている。
 大規模な軍事作戦の中でバルムンク自身が己の能力を自覚し、大軍を相手にこれを生かす術を身に付けて欲しい。
 今度の戦いはバルムンクを今よりもう一つ上のステップへ成長させてくれることだろう。

 アゾットの興味は、既に合戦を終えた先に向かっていた。
 完璧な“計算”の成り立つ軍師にとって、勝利を確信した合戦など通過点以外の価値を見出せないものなのかも知れない。

「いきり立つのは大いに結構だが、命を粗末にするような戦いだけはしないでくれよ。
自分一人御すことのできないような人間に唯一世界宣誓を語る資格は無いんだぜ?」
「エールじゃにャくて水を差すたァ、あんたも人が悪いにョ。大役取られてジェラシったりしてりュのかにャ?」
「ようやっと骨休みが出来るチャンスなのに、それをフイにするバカはいないよ。
俺はな、マーマ、自分の命を大事に出来ないヤツが他人の命をどうして心配できるかって話をしているのさ」
「………グラムさんの目には、自分は生き急いでいるように見えますか?」
「大いにね。まぁ、若いうちは向こう見ずなくらいが丁度良いと思うがね。
ただし、理想を語ろうってヤツが向こう見ずでいるのは感心しないな。
特にな、俺たちみたく誰かの為に戦おうって人間は、誰かの前に自分の命をまずは大事にしないとならねぇ」
「へぇ………面白ェことを抜かすじゃねーかよ、オッサン。しかも、あんたが言ってるとギャグにしか聴こえねーぜ」
「皮肉を相手にしてやれなくて申し訳ないがな、身を持って体験したからこう言うことが言えるんだよ。
経験則ってヤツだ。………だから、改めて皆に心得て貰いたいんだ。
真の意味で理想を達したいなら、決して命を粗末にするんじゃないぞ」

 同胞らを見回しながら発せられるグラムの言葉に一層強い力が篭る。

「俺たちが戦うのは、どうしようもない苦境に立たされた同じエンディニオンの仲間を一人でも多く救う為だ。
暴力の影に怯えなくて良い弱者を護る為に、俺たちは自らの身体を盾にする。
暴力の影を落とそうとする奴らに立ち向かってその返り血を浴び続ける。
きっと護った仲間にも、俺たちのやり方は批判されるし、忌み嫌われるだろうよ。蛇蠍の如くな」
「………………………」
「それでもだ。それでも手前ェの命を大事にしろ。
自己犠牲の精神じゃ誰かの幸せを護ることは絶対に出来ねぇ。
『あんなヤツらの犠牲の上に成り立つ平和なんてクソ喰らえ』とか思われたら最悪だろ?
護った命に蟠りを残してやるな。精一杯平和を謳歌できるようにしてやろう。
どうせなら憎まれまくって世に憚ろうじゃないか。
………むかっ腹立てる対象が残ってたほうが、精神衛生上、大変よろしい世の中になるだろうしよ」
「またとんでもねーハナシになってきやがったぜ」
「理想を持つ人間と言うのは、いつだってとんでもないもんさ。
―――生き抜くことを放棄したヤツは、今すぐ席を立つんだな。唯一世界宣誓は、全ての命を護る誓いなんだ」

 生身を殆ど失っているサイボーグの彼の言葉が誰よりもヒューマニズムを帯びているのは、皮肉と言えば皮肉かも知れない。
 明日をも知れない同胞の為に戦おうと熱く宣言するグラムの姿は、人間以上に人間らしかった。

「早死にしたいのなら、わざわざ頭脳労働してまで軍略を立てたりしませんよ。全軍に突撃命令出すだけで済みますからね」
「正規軍であれば二階級特進もありますし、玉砕覚悟も吝かではありませんが、
無理に見合ったリターンの望める環境で無い以上、自己犠牲は無意味です。
計算高い女と思われては心外ですが、この程度の打算も立てられないなら、
むしろそちらのほうが人間として欠陥があると言うものです」
「生き急いでいるように見えたかもわかりませんが、自分は自己犠牲を肯定できるほど人間の器が大きくはありません。
―――でも、グラムさんの言いたいことは理解しましたよ。次なる決戦、自分は生きる為に死の物狂いで臨むとしましょう」
「ま、でもな、どうしてもヤベェと思ったら、マーマを頼ると良い。
今なら連番方式でグラム2号、グラムV3のニックネームをプレゼントしてるぞ」
「………オチにわたきュしを持ってきュるとは、にャんとも小癪にャ。
次のメンテは覚悟しときにャしャい。総入れ歯にしちャるから! しョれも金銀不揃いで!」
「どいつもこいつもガタガタウジウジうっせーよ。理想に胸張りたけりゃ、その理念通りに生きてみろってワケだろ、要するによ! 
生きやがれ。一言そー言えばいーじゃねーかッ! 無駄に暑苦しくてうぜぇんだよ、青春シンドローム共がッ!!」

 オチがついたことで一瞬にして締まらない話になってしまったものの、
ギルガメシュ最高幹部らは理想に準じる戦いを誓うことで一つにまとまった。

 個性も性格もバラバラな彼らを一つにまとめあげたのは、首魁たるカレドヴールフの号令ではなく、
誰しもが胸の奥に共有する理想と理念―――ただそれだけである。
 ギルガメシュでは、ただそれだけで性格から国籍から何から何まで異なる人間同士が固い絆を結ぶことが出来、
互いの背中を守り合えるようになるのだ。
 理想と理念は、ギルガメシュで生きる人間にとって、あらゆる希望の根源であった。

 確かに理想と理念は人間が真の意味で生きるのに欠かすことの出来ない精神性ではある。
 しかし、これがテムグ・テングリ群狼領では―――いや、理想よりも“個”が強い意味を持つ“Bのエンディニオン”に於いては、
ギルガメシュのような絆は決して結ばれないだろう。
 “個”の結びつきが“群”を為し、それを統率する強力な“個”に理想を委ねる世界と、
狭い領域に終始する“個”を超え、より広い価値観を持つ“群”の理想が生きる世界は、根本的な相違があるように思える。

 テムグ・テングリ群狼領は、エルンストという稀有のカリスマのもとに結束し、彼に全てを委ねて魂を熱く昂ぶらせた。
 エルンストが頂点に在る以上、いかなる局面とて打開できるに違いない。彼ならば自分たちを更なる高みへ導いてくれる。
そうに決まっている―――そうした理念のもとに結びつき、強力なリーダーによって牽引される組織がテムグ・テングリ群狼領だ。

 対するギルガメシュは、カレドヴールフがおらずとも、共有できる理想と目的さえ持てば誰もが手を取り合え、
理念さえ秘めていれば誰もがリーダーになれた。
 絶対的なカリスマやリーダーをギルガメシュの人間は必要としていないのだ。
 一人ひとりが胸に燃やす理想と理念が奇跡を呼ぶ―――ある意味において、最も“個”が輝きを得られる環境がギルガメシュと言えよう。

 成り立ちの違いを指標として優劣を語ることは決して出来ない。
 強引を承知で社会システム的な視点で両者を測っても、やはりあらゆる点で抜き差しならぬ一長一短が生じてしまい、
完全な決着を見るのには、おそらくはあと数世紀ほど人間の精神が熟すのを待つ必要があるだろう。
 理論に矛盾を来たさない範疇で判断を下すならば、カリスマによって導かれる組織と一人ひとりに理想が義務付けられた環境は、
どちらも極めて優れていると結論付けるしかなかった。

 ただし、優劣はつけられないが、互いのベクトルが相容れないものと言うのは確かである。
 理想薄き組織は個人の魂の点において脆く、引率力乏しき環境もまた統率力の点において同等に脆い―――
双方のベクトルには、互いの優秀を相剋する条件がこれでもかと言うほど整っていた。
 少なくとも現時点では、色の異なる二本の糸が交わる可能性は絶無である。

 テムグ・テングリ群狼領とギルガメシュ。

 両者の戦いは、まさしく異民族同士による、異文化の相剋と言える。
 戦況(こと)ここに至ってグドゥーの決戦は、単純な武力衝突を超越した、
人間の根本を揺るがすほどの大いなる困窮が吹き荒れる様相を呈し始めていた。




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